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「大丈夫か?」って言うと、 「大丈夫」って言う。 「安全か?」って言うと、 「安全だ」って言う。 「漏れてないか?」って言うと、 「漏れてない」って言う。 そうして後で不安になって、 「実は漏れてるだろ?」って言うと、 「実は漏れてる」って言う、 こだまでしょうか? いいえ、枝野です。
2011.03.27
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東北関東大震災から一週間以上が経過し、津波の如く押し寄せた情報の波も漸く整理され始めて来たように思われるが、被害の全体像はいまだに掴めていない。 これは福島第一原発事故にも言える事で、これまでに行われた東京電力や政府・原子力安全保安院の会見を見ても原発事故の全体像が見えて来ず、不安ばかりが先行しそれを更に扇動するようなマスコミの報道に、避難民や一般市民は動揺し精神的に追い詰められて行くばかりだ。 何重にもフィルタを掛けられた情報の何処に真実があるのか、政府と国民の間に信頼感が欠如していることも大きな要因となり負の連鎖が拡大するばかりである。 そのような危機的状況の中で最も信頼出来る情報の一つとして、現場からの生の声が漸く国民の耳に届いたのはつい先日の事。 3号機をメインに使用済み核燃料プールへの注水は、航空自衛隊による空からの放水を皮切りに、東京電力、自衛隊、警察、消防隊等が一丸となり、本格的な核燃料の冷却活動が開始され、その結果事態は良い方向に向かいつつあるのではないかと思われる。 この核燃料プール放水のタイミングが妥当であったかどうか問われる所ではあるが、現場で作業する隊員たちの涙ぐむ記者会見を見る限り現場は想像を絶する過酷な状況であり、現場に一歩踏み込んだ隊員たちもまたその時点で被災者なのである。 それを見守る家族の思いは、過酷な戦地に赴く兵士を見送るそれに酷似しているだろう。生きて帰る保障のない戦場と化した現場で、高濃度の放射線に晒されながら被曝から身を守る薄っぺらな防護服を身に纏い、必死に放水作業を続ける現場の姿を想像すれば、軽率な言葉をむやみに発する事が如何に愚かである事を痛感させられる。 それが任務である以上当たり前の事をしているに過ぎないのではあるが、如何に訓練を積んだ彼らであっても、わたしたちと同じ生身の人間である事に変わりはない。 巷で話題になり恐怖心を煽っているのは、各地で観測されている放射線量であるが、月1回の循環器外来で胸部X線を受けているわたしをモデルとして解説すると以下のようになる。 胸部X線=50マイクロシーベルト(0.05ミリシーベルト)、年間600マイクロシーベルト。 以上のように健康な人たちと比較すれば若干放射線を浴びる頻度が高い程度で特に異常はない。但し、放射線物質にも様々な種類がある事を知って置かなければならない。原発事故発生で、今まで全く縁の無かった専門用語が無造作に飛び交い、その解説に追われる専門家たちも言葉を慎重に選んでいる姿が印象的である。 今求められているのは放射線量の数値に惑わされる事なく、冷静沈着に行動することであるが、情報の暴走が人々を混乱に陥れ、精神的ダメージを植え付けて行く。 食料やガソリンと言った生活に欠かせない必需品が品薄になり手に入り難くなっている背景には、間違った情報が想像以上に氾濫し、人々を買い溜めや買占めに走らせる要因となっているからだろう。 薬局ではうがい薬の「イソジン」が棚から姿を消しているのは、イソジンに含まれている「ヨウ素」が放射性物質に有効であると言う情報が(出所は不明)流れ出した結果でもある。 このように情報化社会に置いては、正しい情報と知識を手に入れる事が困難となっている現状もあるが、それだけ選択肢も拡がっている事も事実だ。 原発事故の影響が水道水、原乳(牛乳の素)やほうれん草といった農作物や生活水にまで波及し始め、セシウムやヨウ素と言った放射性物質の汚染が更に深刻度を高めて行く。 事故現場から数十キロ離れた安全圏から望遠鏡で眺めるような情報発信には、説得力や安心感はなく、単なる机上の空論説になり下がる。避難先のマニュアルも作れない危機管理の低さが招いた人災とも取れる今回の原発事故で、これ以上の被害が拡がらない事を祈るばかりである。
2011.03.20
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雪があなたの影ならばわたしはこの身を捧げましょう凍てつく空からやって来て雪の欠片を散りばめる震える大地は雪のシルエットわたしはあなたを追いかける溶けて流れてしまわぬうちにわたしはあなたを踏みしめる
2011.03.07
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