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今日の浜田市、あいかわらず雨です。これ以上被害が出なければいいんだけど・・・ facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月30日
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発達障害のある子の親をやってると、他の保護者さんの色んな悩みやご意見を聴かせて頂く機会が多いものです。例えば、1. きちんと診断を受けたほうがいいのか2. 診断名をもらったほうがいいのか3. 本人への告知はどうしたらいいのかなどなど・・・あくまでも僕個人の意見ですが、書いてみようと思います。まず、 1. きちんと診断を受けたほうがいいのかですが、僕は受けたほうがいいと思います。その子が起こす問題行動(あまり好きな言葉ではありませんが)が、障害によるものなのか違うのかで、当然その後の対処や支援が違ってくるからです。二次障害を防ぐ為にもきちんと診断を受け、正しい支援に結び付けていくことが大切だと考えます。次に、2. 診断名をもらったほうがいいのかについて。それは診断名の使い方しだいだと思います。使ったほうが便利だと思えば、使ってもいいんじゃないでしょうか。・・・と言うか、使わなければ「損」って場合もあると思いますよ。例えば、光は1年生の時に、ドクターから、”主にコミュニケーションの分野に支障がある自閉症スペクトラムの範疇にある何らかの障害”って言われたんですが、これをそのまま人に伝えたら、聞いた方はたぶん???だらけになってしまうと思うんです。だからあえて、僕はドクターに、『これからも学校やその他の場所で色々相談をしていかなければなりません。その時に光の障害名はなんて言ったらいいですか?』っていう質問をしたんです。で、色んな場所で光の障害のことを話す時には、今は”高機能自閉症”っていう障害名を使っているわけです。今は、「自閉症スペクトラム障害」っていう表現もしますが、こっち(高機能自閉症)のほうが、わかりやすいような気がしませんか?(スペクトラムってなに?みたいな・・・)それに診断名を知っておくことは、保護者が子どもの障害を理解していく上で、重要な道具(材料)にもなると思いますし。2歳9ヶ月で、光がADHDだと聞かされた頃も、けっこうあちこちで診断名を言っていました。たいていは『なにそれ?』って言われることのほうが多かったです。そりゃそうでしょうね。親でさえ初めて聞いたときは、ADHD? 注意欠陥? 多動? なんだそりゃって感じでしたもん。でも、そこからけっこう障害についての話題が広がることもありました。どっちにせよ、中にはレッテルを貼られるようで嫌だという保護者さんもおられるでしょうから、結局は親の判断っていうことでしょうか。3. 本人への告知はどうしたらいいのかについては非常にシビアな問題だと思います。障害のある子への対応については、僕は基本的に、子どもを真ん中に置いて、学校(クラスメイトやその保護者も含みます)、教育委員会、本人の保護者、医療、福祉、発達障害者支援センター等々がネットワークをしっかり築き、情報を共有しながら対処して行くべきだと思っています。でも、子どもが幼いうちはこれでいいかもしれませんが、やがて成長し、自分が他の子どもたちとちょっと違うかもと感じ始めたら(光は5歳の時)、今度は自分がそのネットワークに加わって、自分が持っている発達障害と向き合っていかなければならない時期(光の場合は10歳でした)がやってきます。本人への告知については、それぞれの成長の具合や精神状態、周りの環境などもおおいに関係してくると思うので、早ければいいとは言えないと思います。しかしながら、当事者の中には、”もっと早く自分の障害を知ることができていたらこんなに苦しまなくてもすんだのに”って感じておられる方も少なくないのではないでしょうか。妻も自分が大人のADHDだと知って精神的に楽になることができた人間のひとりですしね。結局は、ケースバイケースってことでしょうか・・・ええと・・・もうちょっと続きます。頑張ってください。さっき、「ネットワーク」という言葉を使いましたが、北海道の「こころとそだちのクリニック むすびめ」の院長、田中康雄先生は、「これからは、ノットワークでなければいけない」と言っておられます。確かにネットワークが広がることはいいことですが、その分「網目」が多くなります。「ノット」には「結び目」という意味があるんですが、つまり、「境界を超えて互いに結び合うことが大切」ということです。以上長々と書きましたが、子どもにとっての最善は何かっていうことを、常に頭に置いておくことが必要かなと思っている次第です。でも、障害の有無に関係なく、それは皆さん感じておられることですよね。最後まで読んでくださった皆さん、よく頑張りました!!花丸 × いっぱい!!(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月29日
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僕が敬愛してやまない、ある児童精神科医の方(北海道の方と言えば、想像がつく方もおられるな?)が、ある本の中で、こんなことを書いておられました。児童精神科医になりたての頃、僕はある魔法の言葉を手に入れてしまいました。それは、”しばらく様子を見ましょう”という言葉です」「しばらく様子を見ましょう」お医者さんや、学校の先生がよくおっしゃる言葉です。でも、”様子を見る”って、具体的にはどういうことなんでしょう?風邪ならば、熱が上がったとか下がったとか、咳や痰が出るかとか、食欲はあるのかとか、視点が絞られるのでけっこうわかりやすいと思のですど、それが「発達障害」に関連している(していそうな)場合はどうでしょう。どういうふうに様子を見ればいいのか、よくわかんない場合もあるのでは?僕はこう思います。 ・ 誰が?(保護者? それとも担任の先生? 医者?) ・ どこで?(家庭? 学校? それともそれ以外の場所を含むすべて?) ・ いつからいつまで? ・ どういう点に注意して?様子を見るのか、はっきりとさせておいたほうがいいんじゃないでしょうか。また、「これはメモしておかなきゃ」ということがあったら、日付等も書いて、その時の状況を記録しておいたほうがいいと思います。さっき、「様子を見る」の意味をネットで調べたところ、「物事の動向や成り行きを見守る。通常は、静観の態度を取る。何らかの問題などに対し、特に対応を講じないことを指すこともある」と書いてありました。でも、「何らかの問題などに対し、特に対応を講じない」なんてぇことがあっていいはずがありません。「様子を見る」とは、「経過を観察」することです。もう一度あらためて、「様子を見る」を考えてみてもいいのでは? facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月28日
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ええとですね。また長文です。おまけにかなり古いことを持ち出します。それから、ダルビッシュ投手のことを書きますが、彼を誹謗中傷するものでは、「全然」「100パーセント」「確実に」ありません。だからダルビッシュファンの皆さん、怒んないでくださいね。2005年、ダルビッシュ投手が日本ハム時代。当時未成年(高校3年生)だったにも関わらず、パチンコ店で喫煙していたことが報じられました。東北高校がとったペナルティは、「停学処分」そして球団側は、「無期限謹慎」と「謹慎中の社会貢献活動」を命じる処分を言い渡しました。まずは「停学処分」これはわかります。そして「無期限謹慎」これもわかります。僕が疑問に思ったのは、「謹慎中の社会貢献活動」この「社会貢献活動」ですが、「精神育成のためのボランティア活動参加」だったそうです。当時の記事を読んだ方の中には、「それは本人にとっていいことだ」っていうふうに思った方もおられたかもしれません。でも、本当にそれはいいことなんでしょうか。ここで言うボランティア活動が、具体的にどう言ったものを指しているのかわからないけど、人に言われて仕方なくやることがボランティアだとは言えないと思うし、するほうにとってもされるほうにとっても、いい結果を生むとは言えないと思うんだけどなぁ・・・それに、当時の新聞には、「社会貢献活動参加を科した」って書いてあったんです。”科した”ってどういうことなんでしょうね。”科す”っていう言葉を調べると、”刑罰・罰金を科す”って出てきました。ボランティア活動って刑罰や罰金と同じなんですか?また、人に強制されてするものなんでしょうか。それにこう言った考え方は、これから純粋にボランティアをしてみようとしている方に、少なからずブレーキをかけてしまうことにもなりかねないんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月25日
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いつも僕の記事を読んでくださっている方々の中で、「ひいちゃんパパという人は、いつも穏やかで優しい人」というようなイメージをお持ちの方は(いるのか? 笑)、スルーしてください。読みますか?YESの方は↓へスクロール NOの方は「戻る」ボタン本当に読む?YESの方は↓へスクロール やっぱやめとくわと言う方は「戻る」ボタンでは、お話ししましょう。これは6年ほど前の話です。光のことで、発達障害に関する医療相談へ行った時のこと。以前、「このお医者さんとは”合わない”なぁ・・・」ということがあったので、どうしようか迷ったんですが、古くからの知人の紹介ということもあって、相談をしてみることにしました。光が受けた、Wisk-3(サード)の結果が出ているので、それをもとに、今最も重要な支援は何かとか、親の想いなども聴いていただきたいなぁと思っていたんです。が・・・話し始めて数分で、”やはり合わない・・・”と感じるハメになってしまいました。では、僕がいっちばん悔しかったことから・・・Wisk-3の結果を見ると、とにかく得意なことと苦手なことの差が、めちゃくちゃ激しいんです。だって、許容範囲(という言い方でいいのかな?)の点線部分を振り切っちゃってるんですもん。なんつーか、絶叫マシンのようというか、ジェットコースターみたいというか・・・で、そのお医者さん、光のそのできないほうを指して「光くんの”ダメ”なところを云々・・・」とゆーよーなことをおっしゃった・・・はぁ???ダメはないでしょダメは・・・ほんっっっとにカッチ~ンときた。ヾ(。`Д´。)ノ彡せめて、”不得手な部分”とか、”苦手なところ”とか、親や本人が傷付かないような言い方があるでしょ。とにかくこのお医者さん、何度も何度も”ダメ”っていう言葉を口にされた。僕はこういう否定的な言葉にはけっこう反応しちゃうので、心に何度も刺さった。光を連れて行かなくて、ホント良かったよ・・・それに僕が、「学校の先生とは連携を取り合っていきたい」って言うと、あまり頻繁だと煙たがれるだの学校との関係を悪くするだの、あげくの果てには「越権行為」だと・・・はぁぁぁ???先生と親は、やはり情報や意見の交換をしたりしながら連携しなくちゃと思うんだけど、それは「越権行為」なの???僕は先生方と話をしに学校へ行く時には、できる限り先生の都合に合わせるし、先生になるべく負担をかけないようにするにはどうしたらいいか考えるようにしているし、すっご~~~~~~~~~~く気を使ってるのに、そういう言い方はすっごく心を逆なでされるんだけどなぁ・・・「これは光だけの問題ではないので・・・」ときりだすと、今度は僕が光のことを後回しにしているような言い方までされちゃって・・・うぬぬぬぬぬ・・・o(`Д´*)o光が楽しい学校生活をおくれるようになってほしいからこそ、支援センターや教育委員会や学校と連携して支援体制を整えていきたいと思ってるんだーーーーー!!!!!僕はただの親でしかないけど、できることはちょびっとでもやっていこうと思ってるんだーーーーー!!!!!こういう親が学校にひとりくらいいたっていいだろーーーーー!!!!!おまけにこのお医者さん、僕の話をきちんと最後まで聴いてくれないのだ。何か言おうとすると、「それは違う」とか言ってくる。相談を受ける側の人間は、まずは相談者の話を最後まで聴くべきじゃないの?僕のほうが間違ってることもあるかもしんないけど、まずはきちんと最後まで話を聴いてくれーーーーー!!!!!少なくとも僕は最後まで聴こうと頑張ったぞーーーーー!!!!!1時間話したと思うけど(よくぞ我慢したぞ、オレ)、ついに1度も誉められることもなければ共感もしてもらえず、ダメ出しばかり。で、それに反論すると、さらにそのお医者さんもヒートアップ。相談に乗る側の医者が、それでいいの???そばに相談を勧めてくれた知人もいたので、その知人の手前、かなりブレーキをかけていたので、終わってからやたら疲労感が・・・でもまぁこれもいい経験と思うことにしました。医者の中にも、こんなやつ(失礼・・・)もいるんだと気づかされたのも事実だし。あ~でもな、やはり息子のことを”ダメ”と言われたのは悔しい・・・なぜもっと”いいところ”にも目を留めてくんないの?それ以来、その医者が関係している講演会や相談会には、一切行っておりませぬ。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月23日
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昨日の続きです。今日は、僕の身近であったことを書きたいと思います。数年前、知人から聞いた話です。その知人は、発達障害については全然知らない方だったんですが、子どもさんのことであるところに相談に行ったそうです。相談をしているうちに、話の流れが”落ち着きがない”、”親の言うことを聞かない”ということに話題が移っていきました。(もともとはそれについて相談をしたかったわけではないそうです)で、その保護者さん、いきなり『問題行動を起こすのは障害のせいだから、薬で治療するべきである』みたいなことを強く言われちゃったそうなんです。僕も詳しく聞いていないので(ずうずうしいような気がして聞けなかったっていうのが正直なところですが)その時の状況はよくわかりませんが、それにしても”いきなり過ぎる”んじゃないでしょうか。この保護者さんは、障害のことなんて全然考えもせずに相談に行っているのに、いきなり”障害”、”薬”、”治療”なんて言葉を専門家の口から聞いたら、たいていの親はびっくりしちゃうと思うんですがどうでしょう。やはり順序や配慮ってものが必要になってくるんじゃないかなぁ・・・で、その保護者さん、結局『相談に行くのも良し悪し』『もうあまり行けない(行きたくない?)』と言うようなニュアンスのことを言っておられました。昨日の記事にも書きましたが、発達障害に関しては”早期発見”は重要だし、その為にも保護者が気軽に、そして安心して相談窓口に行ける環境が必要で、相談員も、信頼し任せることのできる人材であるべきです。僕も経験しているのではっきり言わせてもらえば、『もう行きたくない』と思わせるような相談があっていいとはとうてい思えません。ただ”あるだけの窓口”、”いるだけの相談員”では機能しているとは言えないと思うんです。専門家の皆さんには知識と経験がありますが、それにプラスして人間性と柔軟性も問われるんじゃないかなと思います。子どもを真ん中に置いて、みんなで共にベストを考えていくことのできるようなスタンスが重要ではないでしょうか。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月22日
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え~・・・、また長くなりそうな雰囲気でございまする・・・発達障害のある子を持つ親の、”ひとつの意見”として読んでくださいね。決して誰かを中傷したり、攻撃したりするような意図はありません。発達障害というものが、TVや書籍などによって数年前よりもクローズアップされ、発達障害者支援法や特別支援教育などによって、専門家(ここでいう専門家とは、医師、保健師、療育施設や福祉施設、児相の職員、教育相談員、学校の教師などを指します)と保護者の関係は、以前よりも親密で適切なものに変わりつつあるのかもしれません。しかしながら、ここまでたどり着く長い道のりには、多くの保護者さんや本人が、その専門家と言われている人達によって、少なからず傷付けられてきたこともまた事実のように思います。保護者が言われてきたよくあるパターンが、 『愛情がたりない』 『躾が間違っている』 『本人の努力不足』などなど・・・これらの言葉は、知人や家族から言われても充分傷付くと思うんですが、それを専門家から言われたとしたら、たぶんそのダメージはいっそう大きいんじゃないかと思うんです。なぜなら、保護者は不安や悩み、心配事があるから相談に行っているのに、そこでまた専門家から否定的なことを言われちゃったら、ますます不安になったり自分を責めたりする場合もあるような気がします。専門家が持つ豊富な知識と経験からくるアドバイスや指示は、親にとって大きな力にもなるし、これから子どもを育てていく上での指針にもなります。しかし一歩間違えると障害児本人とその家族に対して大きなダメージをも与えかねない『両刃の剣』にもなり得るんじゃないでしょうか。健常児であってもそれは変わりがないと思うんですが、そこに発達障害がからんでくると、もっとシビアで繊細になってくると思います。中には障害を認めたくない保護者さんもおられるでしょうし、障害っていう言葉を聞いただけで落ち込んでしまわれる保護者さんもおられるでしょうし。専門家の方々が、はっきり言ったほうがいいと判断されたことは言ってもいいと思います。しかしその時、保護者さんや本人をいたずらに不安にさせたり、また自分を責めたりすることがないような配慮をして欲しいと思うのです。言葉の中に、例えば「大丈夫。みんなで考えていきましょう」っていうようなメッセージを入れていって欲しいんです。もちろん、”相談を受ける側”としての苦労もあるでしょう。それはわかります。しかし、実際泣かされてきた保護者さんも多く、そのために相談すること自体に躊躇される方もおられます。発達障害は早期発見、早期療育が重要だと考えます。そのためには、保護者が気軽に、そして安心して色んな機関に相談に行けるような環境が必要だと思います。僕は、どちらが上とか下とかなんてないと思います。お互いがそれぞれの立場からの意見や情報を出し合って、最善策を考えていけばいいんじゃないでしょうか。え~・・・ 書ききれないので、この件についての続きはまた明日(まだ続くんかい! 笑) facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月21日
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皆さんはどんな童話が好きですか?お父さん、お母さん方の中には、子どもが幼いうちから素晴らしい童話に慣れ親しんで欲しいと願っておられる方も多いと思います。しかし、この童話を純粋に楽しめない子どもたちがいます。例えばの話ですが、『ヘンゼルとグレーテル』っていう童話がありますよね。その劇を大勢で観ていた場合、たいていの子どもは悪い魔法使いがやられちゃうシーンで『やったぁ!』って喜ぶと思うんです。でも、自閉症スペクトラム子どもたちの中には、そういった喜びや悲しみ、悔しさ、ドキドキ感などを他の子どもたちと共有できない子どもたちもいます。なぜかと言うと、言葉の調子や声、表情、しぐさから、相手の心理状態を読み取ったり、その場の雰囲気を察するってことが苦手だからなんですね。表面的な部分しか見えないもんだから、僕たちには”子どもを太らせてから食べちゃう悪い魔法使い”も、その子にとっては”お菓子やごちそうを食べさせてくれる親切なおばあさん”だったりする場合もあるかもしれません。だから、中には『このおばあさんはいい人なのに、殺しちゃうなんてひどいじゃないか!』って怒っちゃう子がいるかもしれないですね。童話に限らず、TVドラマや映画、アニメでも、こう言った相手をだます為の陰謀や、何かをした振り、比喩、冗談などがたくさん出てくるわけで、僕たちはそれがわかっているから楽しめるわけですが、それらを読み取れない自閉症スペクトラムの子どもたちは、共に楽しんだり悲しんだりすることができなかったりするんです。また、笑った顔、泣いた顔、怒った顔等を区別できるからと言って、必ずしもその意味を理解しているとは言えません。”区別”と”理解”は違うんです。だって、同じ”笑う”にしても、おかしくて笑う、嘲笑、泣きたいのを通り越して笑うなど、色々あるでしょ。だから、こう言った子どもたちと接して行く上では『お父さんはおまえがお手伝いをしてくれたからうれしいんだよ』と言って笑顔を見せ、『お母さんはあなたが危ないことをするのが悲しいのよ』と言って悲しい顔を見せたりするなどの工夫が必要だと思うんです。・・・・・でも・・・・・・言うのは簡単。実行するのはなかなか難しいでしょうね。しかし、発達障害の有無に関わらず、感動したり、相手の心に同調したり、自分を相手の立場に置き換えるってことが苦手な子が増えてきているように感じているのは、僕だけでしょうか。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月19日
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『子どもより、先には死ねない・・・』障害児の保護者さんから、よくこういう言葉を聞きます。子どもより先に死ねない理由のひとつ。それは、”子どもを安心して社会に託せない”から・・・なぜ、社会に託せないんでしょう。これまでたくさんの保護者さんの声を聞いてきました。☆ 子どもの障害について相談がしたくて、その窓口と思われるところに行ったのに、職員等の不勉強や経験不足の為たらい回しにされ、結局はいまだに良くわからない・・・☆ 周りの人達どころか家族にさえ理解してもらえず、親の躾が悪い、育て方が問題だと批難され、結局は親(ほとんどが母親のほう)が一人で抱え込む場合が多い・・・☆ 軽度発達障害(注:現在この言葉は使われていません)の場合、確かに障害があることがわかっていて、療育や通級教室が必要な場合もあり、必然的に仕事ができなかったり、融通のきく仕事を選んだりしなければならないのに、療育手帳がおりず(数字で判断される場合が多いため)、経済的支援が一切ない。(離れた学校に通級に行く場合、原則として保護者の付き添いが必要な場合があります)☆ 就学時健診が近づいてきたにも関わらず、自分の子どもにだけ案内が来ないので教育委員会に確認したら、親に何の相談も無く勝手に養護学校行きに決められていた。☆ 学校の担任が、障害のことを”知ってるつもり”☆ 学校と医療と行政のパイプがしっかり通っていない。☆ 公的な施設や講演会などで、”もっと声を上げてください”とか、”声がないと動けません”とか言われるが、障害があるのが子どもである場合や、知的障害がある場合、どうしても声を出すのはその”保護者”ということになる。しかし、はっきり言って親たちの多くは疲れきっている。仕事に追われ、学校や地域の行事に参加することに追われ、家事や子育てに追われ、障害について勉強したり療育に行ったり、批難や中傷に耐えたり・・・障害児の親は肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいだったりする。あげればまだまだあると思うんですが、これくらいで・・・あ・・・僕の意見も入っています。日本の福祉が今どんな状態で、今後どういう方向へ向かおうとしているのか、年間どれくらいの予算が組まれ、人材育成がされているのか、施設の充実を図ろうとしているのか、不勉強な僕には良くわかりません。(だったら勉強しろよって言われても仕方がありませんが・・・)でも、明らかに福祉先進国と言われている国より、少なくとも十年以上(もっと?)は遅れていると思います。日本の福祉って、まるで竹のようだと思うんです。竹って節がいっぱいあるでしょ?日本の障害者やその家族への支援って、その竹に似ていませんか?”就学まで””小学校まで””中学まで”っていうふうに・・・その度毎にパイプ役という重責を担うのは、やはり”親”なんです。竹の節に穴を開けていかなければならない・・・就職についてはどうでしょう。ほとんどが授産施設だったり、障害者を受け入れてくれる、極々数少ない会社だったりして、障害者が本当にやりたい仕事に就けることなんて、本当に希なのではないですか?たとえ望んだ仕事に就けたとしても、健常者と一緒に仕事をしなければならない場合、少なからず摩擦が起きることもあるんじゃないでしょうか。ジョブコーチの数って足りているんですか?親なんだから子どもの面倒を見るのは当たり前・・・そうなのかもしれませんね。でも、子どもが成長するに連れ、起きてくる問題も次々と変わってきます。かと言って、親だっていつまでも元気でいられるわけではありません。自然の摂理として、親は子どもより先に死ななければなりません。僕がいつまで生きられるのかなんて、とうていわかるはずもありません。それは今日かもしれないし、何十年先かもわかんない・・・でも、もし死期を前もって知ることができるとしたら、その時に笑って死ねるような社会になっていて欲しいなぁと思っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・実は、↑ の記事、10年くらい前に書いたものです。さて、10年経って、”竹の節”はなくなったでしょうか。親が安心して死ねる社会になったでしょうか。特別支援教育や、発達障害者支援法は、十分活かされているでしょうか。最後に、僕の知人が言った言葉を書きます。 私はこの子より先には死ねない でも、我が子の死は経験したくない かと言って、一緒に死ぬこともできない facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月17日
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10年くらい前の話です。ある障害関係のサイトの掲示板を読んでいた時のこと。障害のある子の親御さんの色んな想いを、心の中でうなづきながら読んでいたら、その中に、ひとつ気になる書き込みがあったんです。それは健常児のお母さんが書かれたものでしたが、「障害児の親さんに言いたいことがあります」っていう出だしで始まっていました。だいたいこういう内容。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・子どもを公園で遊ばせていたら、パニックになった自閉症の子が自分の子を思い切り突き飛ばして行った。もしかしたら大怪我をしていたかもしれないのに、その子の親は、『うちの子は自閉症で、いつもこうなのよ』って言ったっきり、謝ろうともしなかった。障害があることを、免罪符にしないで欲しい。障害児の親は、人並み以上にこういうことに気をつけるべきだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・このお母さんの言われることは良くわかります。子どもが乱暴して誰かを傷付けたり、何かを壊してしまったならば、当然謝らなければいけないと思いますし、子どもがそれができない状態ならば、親が謝るべきでしょう。でも僕が言いたいのは、『障害の有る無しに関係なく』それは言えることではないのかってことなんです。それにその方は、『人並み以上に』って書いておられるんですが、僕はその部分に偏見を感じます。『人並み』って何なの? 健常児やその親は『人並み』で、僕たち障害のある子を抱えてる親は『人並み』じゃないってことなんかなぁ。この人達はきっと知らないんだろうな。障害のある子どもを外に連れ出すってことに、悩んだり苦しんだり誤解や偏見の目で見られたりすることに、必死で絶えてる親もいるってこと・・・僕が障害のある子の親だからって言いわけしているわけじゃないですが(でもやはりそうとられちゃうかな)、もしその突き飛ばして行ったって子が健常児だったら、このお母さんはわざわざそんな書き込みをしただろうか・・・なんとも心がもやもやしてしまう僕なのです。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月15日
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まず、身体障害なのか知的障害なのか、発達障害なのか加齢による障害なのか、病気によるものか、そういう諸々の状況で微妙に違ってくることもあると思うので、ここでは”発達障害のある子の親の、ひとつの意見”として読んでください。障害について多くの方に知って頂き、理解してもらいたいかどうかという気持ちは、障害のある子と共に暮しておられる保護者さんによっても、様々だと思います。中には、我が子に障害があることを世間に知られたくない方もおられるでしょうし。僕たち家族は、光のような発達障害のある子どもがいること、親が抱えている色んな問題、そして障害についての正しい知識や情報を、発信、共有することによって、子どもたちが安心して社会に出て行けるようにと願ってブログを開設しました。だから、普段障害と関わりのない方々からの質問は大歓迎です。僕らでわかることで良ければいくらでも話しますし、言い換えれば”障害について質問されること”は、ある意味喜びだったりします。だって、”理解しようとしてくださる”っていうことですもんね。でも、障害に対して偏見がない方々の中にも、自分の方からは”質問しにくい、あるいは関わりが持ちにくい”ってこともあると思うんです。その原因のひとつに、”障害のある子とその親は気の毒”っていう感情が、少なからずあるからではないでしょうか。こんな質問をしたら、相手を傷つけてしまうんじゃないだろうかとか、失礼にあたるんじゃないだろうかとか、そんな思いが、時にバリアになってることもあるような気がするんですが・・・するとやはり、”下手に関わらないほうが無難”ってことになっちゃいますよね。確かに、こんなサポートがあればいいのにって思うことはたくさんありますが、障害のある子とその親は、そんなに”気の毒な人たち”なんでしょうか・・・僕は、普段障害と関わりを持っておられない方々には、特別支援学校や福祉施設でのイベントに行ってみることを勧めたいと思っています。普段は行きにくいなぁと思っていても、運動会やお祭りならば行きやすいでしょ?そりゃ最初は手をひらひらさせて跳び続けたり、身体をクネクネさせてる子を見たら違和感を感じるでしょうけど、実際自分の目で見たり触れ合ったり、話していくうちに、だんだんとわかってくることも多いと思うんです。彼らの純粋さや素直さ、そして頑張り・・・僕らが持っていないものを彼らがたくさん持っていることや、命の輝き。運動会なんかほんっっっとにいいですもんね。一生懸命走ったり演技したりしている姿に、我が子じゃないのに思わず涙が出てきたりなんぞして・・・確かに、自分の子どもや孫の障害のことを、ねほりはほり聞いて欲しくない方々がおられることも事実です。そういう方々は、たいてい障害があることを認めたくないか(愛するが故に)、疲れているか、世間体を気にしているか、無関心か、あまりにも楽観視しているかのどれかでしょう。でも本気で取り組んでおられる方々の多くは、理解を求め、誤解を解こうとしておられるんじゃないでしょうか。発達障害に関して言えば、講演会や勉強会があちこちでされるようになってきました。でも、聴きに行くのは、やはり障害のある子の保護者や関係者ばかりなんですよね。もっと普段障害と関わっておられない方々を巻き込めないものでしょうか。良く子育てに関する講演会が、学校や公民館であったりするでしょ?確かに参考になる話ではあるんですが、そういう時にちょこっとでいいから、発達障害についても触れて欲しいなぁって思うのは僕だけでしょうか。”困り感”のある子どもは、40人のクラスだと、2~3人はいる計算ですしね。その為には講師さんも勉強しなくちゃならないでしょうけど、そこまでしなくちゃいけないところまでもう来ていると思う僕なのです。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月13日
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世の中には色んな種類の障害名があって、いわゆる「障害児・者」と呼ばれている方がたくさんおられます。。しかし、”障害を障害にしてしまっているもの”が、この世には多く存在しているのではないでしょうか。あくまでも僕の考えです。あぁ、こういう考え方の人もいるんだなくらいの気持ちで読んでください。大きく分けて三つあると思うんです。 ● 人 ● 道具 ● 環境まず「人」ですが、誤解や偏見、無理解、そして必要以上の援助(言い方を変えるとおせっかい)。必要以上の援助は、下手をするとその人の日常生活において、自分でできることを奪ってしまうことになり、能力を低下させてしまうことに繋がりかねませんから。こんな話を聞いたことがあります。買い物をしておられた車椅子の方の前に、突然あるご婦人が立ち、まじまじと見たあと『あなた、頑張ってね!』とおっしゃったそうです。そのご婦人は、きっと優しい方なのでしょう。でも、その車椅子の方が普段不便を感じず、十分に頑張り、自分の障害を障害として感じておられなかったら、ご婦人のひと言は、この車椅子の方を”障害者”にしてしまっているのではないでしょうか。あ、こんな話もあります。電動車椅子を使っておられるある女性が、道路を渡っていたら、見知らぬ人から『大変ですね』と言われたのだとか・・・でもその電動車椅子の女性は、こう思ったそうですよ。『わたしは電動車椅子に乗ってるから楽チン。足で歩いているあなたのほうが大変じゃん』って。で、「道具」ですが、障害のある方が使用される道具はたくさんあります。まっ先に車椅子が頭に浮かぶ方も多いと思いますが、他にも義足や障害者用ベッド、スプーン、フォークなど。そして盲導犬・聴導犬・介助犬(動物に”道具”って言葉を使うのは、少々気が引けるけど)もそうだし、中には『え?』って思う方もおられるかもしれませんが、眼鏡もそうですよね。でももしそれらの道具が、本人の障害の程度や使う状況に合ったものではなく、使いにくかったとしたら、十分にその役割を果たしているとは言えません。そして「環境」家の中はもちろんですが、一歩外に出た時に道には凸凹や段差がなく、点字ブロックや音声による案内があり、すべての建物がユニバーサルデザインによる設計で建てられ、エレベーターや手すり、障害者用トイレ等が完備されていれば、不便の少ない生活に近づくことが可能です。でも思うんです。いくら環境が良くなったとしても、それを左右するのはやはり「人」だろうなって。だって、狭い歩道に自転車をたくさん駐輪したり、障害者用駐車スペースに平気で駐車したり、低い位置にボタンがある自動販売機を設置しても、その前にたくさんテーブルを置いたりするのも人なんですから。「人」と「道具」と「環境」によって、障害は障害でなくなり、それぞれの素晴らしい個性へと変えることができるんじゃないでしょうか。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月11日
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今日開館した「浜田市立中央図書館 ラブック はまだ」へ行ってきました。「うちの子、いるかな?」と、館内で検索をかけたところ、なんと”ふたり”もいることが判明。で、探したら、いましたいました♪どうかこの子を、皆さんのお宅へ連れていってやってください(借りてくださいってことです。笑)。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月10日
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障害という表記については、これまで多くの議論がされてきているし、、皆さんもいろんな考え方を持っておられると思います。ですので、”ひとつの意見”として読んでくださいね。よく障害の”害”っていう字が、害虫を連想させるから・・・あるいは障害物競走の障害みたいだからという理由で「障がい」、「障碍」っていう字を使っている方がおられます。公共施設などでは、「障がい」と表記するところも多くなってきましたね。いろんな考え方があっていいと思います。ですが、僕自身は全然こだわっていません。文章を書く時などは、普通に『障害』っていう字を使っています。なぜなら僕は 障害のある人とは、その人自身を指していうものではなく、人(差別や偏見、無理解など)、道具(車椅子や義足、盲導犬・聴導犬・介助犬など、杖やメガネだってそう)、環境(エレベーター、手すり、スロープ、点字ブロック、音声案内など)が整っていないことが障害となり、”生きにくさ”を感じている人のことだと思うからです。それに、障害は必ずしも”害”ではないという信念と言うか、確信を持っています。確かに”違い”ではありますが、決して”間違い”ではありません。視力が悪い方がメガネをかけることによって全く普通に生活できるのなら、それは障害ではないだろうし、義足を付けることによって本人が何も不自由を感じないのなら、それも障害と呼べるものではなくなっているのかもしれません。ある方が、こんなことを書いておられました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・楽しそうに独り言を言いながら散歩をしている人がいたら、周りの人はどう感じるだろう?好意的に受け止めるか眉をひそめるかで「障害」って変わってくると思う。障害は環境によって変化するのだ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕もそう思います。障害者のある方の中には、本当に素晴らしい才能を持っている方がおられます。サバン症候群などは、その代表的な例だと思うし、周りの理解とサポート次第で障害も障害でなくなり、それどころか卓越した才能にも素晴らしい個性にもなると思うんです。数年前まで、知的な遅れがない場合、発達障害は「軽度発達障害」と言われていました。その頃僕は、よくこう言っていました。軽度発達障害は、”軽いけど重い”と言われている。なぜなら、重くしている環境があるから。ええと・・・また長くなってきているので締めくくります。「障害」、「障がい」、「障碍」 好きな表現を使えばいいと思います。「障」という字には「差し障る」という意味もありますから、「しょうがい」でもいいでしょう。どんなに文字や呼び方が変わろうと、問題は「人の心の中」にあると感じています。 facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月09日
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よく、障害のある子どもたちを見て、『かわいそう』っていう表現をされる方がおられますよね。また、『あの子には障害があるんだから、〇〇してあげなくちゃ』というような言い方をする方もおられます。軽い気持ちで『かわいそう』って言葉を使うこともあるでしょうし、中には本当に心から同情して言う人もいるでしょう。でも、僕は思うんです。 障害のある子を指して『かわいそう』って思う時点で、”自分たちとは異なる人たち””〇〇ができない人たち”というジャンル分けを、自分でも気づかないうちにしているんじゃないかって。もう少し突っ込んで言うと、それは差別や偏見に繋がる場合もあるんじゃないかなって。もちろん僕は、そういう方々を決して批難しているわけじゃありません。同情する方は、相手の気持ちを思いやることのできる、優しい人とも言えるでしょう。僕はこう考えます。(これからちょっと偉そうなことを書きますが、お付き合いを・・・)障害は、必ずしも『害』ではありません。中には、『はじめから障害を持って産まれてきたから、これが私。自分にとっては当たり前』という方や『障害を負ったおかげで、普通の生活をしていたら得られないものが得られた』という方もおられるでしょう。それに、『不自由』なことはあるとしても、だからと言って、すべてが『不幸』ではないと思うんです。もし、うちの光に対して『かわいそう』って言う人がいたら、それは違いますよって言いたいです。光には光にしかない長所がいっぱいあります。発達障害があるからこそできることだってあるんです。注意がそれるなんて言うけど、違う見方をすれば、それは好奇心旺盛とも言えます。多動って言うとマイナスイメージがありますが、元気いっぱいという言い方もできます。衝動的と言いますが、「これをやる!!」と決めた時の彼の行動力には、本当に驚ろかされます。僕は光の独特なしゃべり方が大好きです。くねくねした動きが大好きです(さすがに今は少なくなりましたけどね 笑)。お姉ちゃんや妹を思いやる優しい気持ちが大好きです。与えられることよりも、与える喜びを知ってる光が大好きです。病気の人のために祈ることのできる光が誇らしいです。「イイトコメガネ」で光を見たら、きっとイイトコだらけ!!!!!また、光は自分にある障害のことを、『天からのプレゼント』だと言っています。『プレゼントなんだから、いいものに決まっているじゃないか』とも言っています。だから、人から『かわいそう』なんて言われる筋合いは、全然ないんです。 素晴らしい贈り物を授かっているのに、その人に『かわいそう』なんて言わないでしょ? 「イイトコメガネ」ってなに?という方は、↓ の動画をご覧ください。(*^_^*) facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月08日
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9年ほど前(当時光は6歳)に、新聞に掲載していただいた記事です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私には、注意欠陥・多動性障害(ADHD)という障害を持つ息子がいます。この現実に直面し、取り組むまでは私自身、やはり障害に対して誤解や偏見を持っていました。何となく気持ち悪い、何を考えているかわからない、あまりかかわりたくない・・・。しかし、そういう子どもたちと実際接してみて思うのは、実に純粋でストレートで、私自身励まされたり教えられたりすることが、たくさんあるということです。ADHDは発達障害であり、ちょっと見ただけでは分かりにくいものです。向けるべきところに注意が向かない、じっとしていられない、衝動的な行動をする・・・。 しかし、それらの症状が脳障害によるものであるにもかかわらず、目で見えにくい障害であるため、わがまま、やる気がない、親のしつけが悪い・・・などの誤解を受けることが多いのです。何の支援も受けられなかったため、二次障害を起こす子もいます。すべての人が一緒に生活するための対処策としてノーマライゼーション、バリアフリーと盛んに言われています。建物にスロープを設置すれば、それは目で見えます。しかし心のバリアフリーは見えません。誤解、偏見、差別をなくしてこそのバリアフリーではないでしょうか。周りの支援と協力次第で、卓越した才能にも素晴らしい個性にもなるのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今読み返すと、書き直したいなぁという部分が何ヶ所かあります。しかし、本質的なことは変わっていません。この記事を投稿してから10年近く経過した今、心のバリアは、低く、そして薄くなってきているのでしょうか・・・ facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月07日
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昨夜録画しておいた、Eテレ「サイエンスZERO コミュニケーションの根源に迫る ~自閉症スペクトラム最新研究~」を観ていたら、「3歳までの子どもを対象とした新しいトレーニングを始めたのは、佐賀市でした」というナレーションが・・・え? 佐賀市? もしかして・・・と思っていたら、やはり服巻智子先生が!!!をいをいをいNHKさんよ(あ、別にケンカを売ってるわけではないので怒んないでね。 笑)。こーゆーことはきちんとHPとか新聞とかでわかるようにしといてよ。ESDM(The Early Start Denver Model 超早期療育)かぁ・・・こうして映像として見せてもらうと、やはりわかりやすいなぁ・・・とにもかくにも、すっげー興味深い内容でした。再放送のお知らせをしようと思ったんですが・・・むむむ・・・残念!!!高校野球放送のため、再放送はないそうです。が・・・その高校野球が雨で中止になった場合は、8月10日(土)ひる12時30分から放送されるようです。それにしても、録画しといてよかった・・・ facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月06日
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今日はいくぶん涼しくて、気持ちのいい朝を迎えることができました。さてさて、この前、あるテレビ局の関係者さんからお電話をいただきました。20分くらい話したかなぁ・・・なんにせよ、僕の話がお役に立てたらなによりです。それでは皆さん、いい休日を!(*^_^*) facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月04日
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注意:以下の記事は、約10年前に書いたものです。現在は「軽度発達障害」という名称は使いません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大切なことなのでぜひ読んでください。こんな話があったことを聞きました。その保護者さんには、小学校の通常学級に通わせている、軽度発達障害のある子どもさんがいます。やはり軽度には軽度としての悩みもあり、通級教室に通わせたほうがいいのかどうかをずっと考えておられたそうです。そんな時、この4月から近くの学校に通級教室が設置されたことをパンフレットで知り、さっそく担当者に連絡を入れました。パンフレットには『相談日時に直接会い、保護者に話を聞いたり、子どもさんと関わらせていただきながら相談をしていきます』という旨の文章が書いてあり、保護者さんもそのつもりでいました。しかし、担当者側から『通級はそういうシステムではなく、担当者が学校を訪問し、直接様子を見せて頂いて判断をしていきます』との返事があり、後日実際にそれが行われました。しかし、その結果(通級をするのかしないのか等)は通級担当者からではなく、学校の担任から『通級の必要なし』との連絡を受けました。保護者さんはどうしても合点がいきません。なぜなら、保護者が全然介入しておらず、”今までの経緯や医者の意見、今何を問題としているのか、これからどうあって欲しいか”などの、親の想いを全然無視したものだったからです。保護者抜きで相談が行われ、決定まで出されたことに対し、保護者さんは小学校側に相談しました。小学校側はすぐに対応し、保護者に対してきちんと説明するように通級教室に要請。その日のうちに保護者へ電話がありました。通級教室担当者による説明は、だいたい以下のとおり。1. 以前保護者とトラブルがあったことがあり、それ以来保護者とは直接相談をしないことにしている。2. 今の通級のシステムでは、保護者から直接依頼を受けることはしていない。3. これからは”教育相談”という形で関わらせて頂きたい。自分も時々学校へ行って、お子さんの様子を見せて頂く。保護者さんは、それでもやはり直接相談、連絡をして欲しかったことを伝えると、”いや、今はそういうシステムですから・・・”と言うばかり・・・結局100%納得したわけではありませんでしたが、通級担当者の3番目の言葉を信じ、一応ここで話は終わらせました。が・・・・実はここで終わりませんでした。(もう少し続きます。頑張って読んでください。m(_ _)m ゴメンナサイ)3ヶ月以上たっても、この担当者が小学校を訪れるなどの行動を起こしたことは、ただの一度もありませんでした。今度はその保護者さんも怒りました。小学校側は通級教室側と相談を重ね、小学校、通級教室、保護者の3者が集まって話し合いをしたそうです。保護者抜きで話が進められてしまったこと、そして3ヶ月以上も放りっぱなしにしていたことに対しては一応の謝罪があり、パンフレットに関しては、システム等のわかりやすい記載がされておらず、きちんとチェックされないまま配布されたようです。(後でわかったことですが、保護者→学校→市→通級教室という順番を踏んでいかなければいけないそうで、そう言ったことが記載されていませんでした。)結局のところ、”あらためて教育相談と言う形で関わっていきたい”と言うことを言われたそうですが、この保護者さん、断られました。理由は以下。1. 自分のほうから”関わっていきます”と言っておきながら、3ヶ月以上も放りっぱなしにしているような教師に、大事な子どもを任せられない。”忙しかった”などと言うのは理由にならないし、すべきではない。2. 子どもを支援して行くためには学校だけの様子を見るのではなく、当然親の意見や報告、想い、家庭での様子などを聞きながら、お互いの合意点を見つけて行くべき。その中で何らかのトラブルがあるのは当然で、それを怖れて保護者と相談しないなどと言うことがあるべきではない。この保護者さんは、教育相談の類のものなら何度もしておられます。今回は、”自分の子に通級が必要かどうか。もし必要ならどういう形で行うのがベストなのか”ってことを、通級担当者と相談がしたかったわけなんです。いわゆる教育相談だけなら、別にこの先生でなくてもいいわけなんですよ。これは僕個人の意見ですが、まず保護者抜きで話を進め、何の理由の説明もなしに通級の必要なしって言う結論を出しちゃったことが信じられない。また、3ヶ月も放りっぱなしにしておくなんて言語道断です。この保護者さん、きっと通級指導教室と言うものに対して不信感を持ったと思いますよ。またこの方のように積極的に動く方ならいいですが、そうでない方は、”そういうシステムではないので”って言われた時点で引っ込んじゃってるかもしれませんね。僕は良くここの日記で、軽度発達障害は、軽いけど重いと言われている。なぜなら、重くしている環境があるから。って書くことがあります。この例も、そのうちの一つだと思いませんか?「障害のある子の親が、もっと気軽に安心、信頼して相談できる環境作り(人材、場所、時間等)が必要だと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10年近く経っているので白状します。ここに登場する”保護者”というのは、僕のことです。で・・・一応誤解があってはいけないので書いておきますが、ここに登場する通級指導教室は、M小学校(地域の方にはバレバレですね。笑)ではありません。その後何年もお世話になったM小学校の通級担当の先生はとても素晴らしい方で、今も色々相談にのってくださっています。(*^_^*) facebook もよろしく♪ ひいちゃんパパひいちゃん朗読 人権作品コンクール最優秀賞受賞 「ぼくの人生こんぺいとう」「光への手紙」 作詞 : ひいちゃんパパ 作曲・歌 : 人力車さん「ひいちゃんにっき」の本を希望される方や、個人的にメッセージを送りたい方は、yachiyo@crocus.ocn.ne.jpから、「ひいちゃんパパへ」というタイトルでメールを送ってください。それ以外だと、削除してしまうおそれがあります。
2013年08月02日
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