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2014/01/11
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カテゴリ: 各駅停車の旅
4年前から始まった、年末年始の長い休みを利用しての各駅停車の旅

北海道、四国、中国・山陰、今回は九州を目指しました。6回目の九州です、5回ともすべて飛行機での往復で内2回は登山が目的でした。今回は各駅停車の列車旅、初日はただひたすら列車を乗り継いで21時間かかって九州上陸しました。2日目、鹿児島を目指しますが、熊本の小京都 人吉に寄り道です。3時間の滞在なのに、日記は何日かかるんだろう、全然先にすすみません、今日も人吉の続きです。懲りずにお付き合いください


永国寺武家蔵





次に向かったのは、人吉城址です

築城の際、三日月の石が出土したことから、別名三日月城、繊月城(せんげつ)とも

鎌倉幕府の命で静岡県相良荘から人吉の地に移った相良家

平頼盛の家臣が支配していた城を相良氏に反抗したために討たれて

相良氏が領地を拡大して城を築きました。

球磨、八代、と領土を広げて行きましたが薩摩の島津藩に負け

豊臣秀吉の九州成敗に敗れ降伏して球磨郡のみの支配を許されました

その後、関ケ原の戦いでは、西軍についていたものの東軍に寝返り

徳川幕府から人吉を安堵され明治の廃藩置県になるまでの700年を相良家が人吉を統治し

ましたが内部紛争は幾多もあり、お家断絶の危機も何度もあったようです。









多門櫓


人吉城は球磨川と支流胸川の合流点と

後方を自然の山と崖を利用した要害だったそうです

胸川の大手橋を渡るとほとりにある多門櫓

廃藩置県により壊されたものを平成になって復元したものだそうです










多門櫓












御下の乱供養碑

多門櫓の城内には重臣だった相良清兵衛の武家屋敷がありました

今は復元されて「人吉城歴史館」になっていますが今回は時間がなくてパスしました

相良清兵衛の機転で関ヶ原の戦いで徳川方につき藩存続ができ、廃藩置県になる明治まで700

年余りを相良家が人吉を収めることができることになった立役者でした

相良清兵衛の専横(身勝手、わがままな振る舞い)に藩主は困り果て、

幕府に願い出て津軽藩に遠流になったことにより、一族が屋敷に立てこもり、一族全員が討ち

死に自害して乱が終わったそうです、相良清兵衛屋敷が復元されていましたが、地下室が掘ら

れていて、養子の内蔵助の屋敷も同じものが掘られていたそうですが

なぜつくられていたのか謎だそうです










御下の乱の供養碑











武者返しのある石垣

北海道五稜郭と同じ工法の石垣

ヨーロッパのはねだしといわれる屋根をつけた武者返しの石垣
































石垣の水抜き樋












水の手門

球磨川につけられた門で舟で年貢米を運び込む門











復元された堀合門

廃藩置県により一族の新宮家に払い下げられましたが復元されています

















御下門跡

藩主、家来が本丸、二の丸、三の丸に登る唯一の門










御下門跡













本丸への石垣と石段

直角に曲がっていて敵が責めるのを防ぐためなのでしょうか














本丸跡

天守閣のない二階建ての本丸だったとか











人吉市街

三の丸からは市街が見渡せるようですが、時間がありませんでした






















見てみたいところがまだあったけど時間が押してきて急いで移動します











犬童球渓の碑

城址の途中になにやら碑が建っていましたが、撮りそこなっています

名前をみてもわからなかったけど

知らずに歌っていた唱歌の作詞家でした

球磨川の渓谷で生まれ育ったのでペンネームにしたとか

「故郷の廃家」「旅愁」

外国の曲に詩をつけたものですが、いまでも口ずさむことができる歌ですね






水の手橋で球磨川を渡ります。

この上流には、球磨川下りの乗船場があります。

自転車を走らせるとほどなく鍛冶屋町通りに着きます















鍛治屋町通り

人吉の産業は、球磨川の水運を生かして、長崎からオランダから輸入布などを買い入れ

て京の都で売りさばき、利益をえていましたが、刃物の生産でも有名だそうです












昔ながらの民家の路地








昔は鍛冶屋が60軒もあったそうですが今は2軒だけになったとか





































茶の蔵












茶の蔵のしめ飾り




山間ながら、田畑も多く、球磨川の良質の水を使った、しょうゆやみその製造や

焼酎の生産が盛んな地だそうです

いたるところに温泉があり、時間があれば入りたかったほどにありました。


























ウンスンカルタ












ウンスンカルタ

16世紀ごろ、ポルトガルの船員が持ち込んだものを改良して天正カルタとなり、

17世紀に「ウンスンカルタ」として日本中に広まったものが、

遊興の禁止令がでてカルタも弾圧されたものの人吉地方だけに生き残り

伝統がいまだに受け継がれているそうです

ウンは1、スンは最高という意味だそうです

「うんともすんとも言わない」ということばは、ウンスンカルタで遊んでいて行き詰まった

様子からきたという説があるそうです










新しい試みで、通りに風車をと町内会や子供会に呼びかけて、飾るようになったとか

懐かしい雰囲気です




歩いて3時間コースといわれて、自転車で回りましたが、

とてもとても廻りきれるものではありませんでした。

途中割愛しながらなんとか一回り、

ようやく人吉の観光が終わり、13時に駅に戻ってきました

列車に乗って、鹿児島を目指します











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Last updated  2014/05/21 07:41:16 AM
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