2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全31件 (31件中 1-31件目)
1
40手前のわたしの世代でも、あまりクレージーキャッツのことを覚えている人はいない。ましてや、いま上海で頻繁に交流する若い日本の企業家たちにとっては、そんなもの知らない。ふるい、クレージーの映画に『大冒険』というタイトルの作品がある。この挿入歌は、やはり他の作品同様、植木等が歌うのだが、この歌の一節に、たしかこういうのがあった・・・・・・♪ 株で儲けて、特許を取って、石油掘りあて・・・ほにゃららら・・・・・・・・(忘れた)石にかじりついてもやり遂げよ、まず、手始めに、ちょいと100円貸してくれあれーーっ(ここは谷啓がいう)何でも動くとなると、チョットやそっとの金額では追いつかないことがある。ほんらい、そういうことは見越して行動を取るのが、まともな人間のすることだが、わたしはあんまりそういう計算をしてこなかった。というか、今回の中国進出については、おカネがあるほど、足元を救われるケースが多い、と話に聞いていたから、無くてよかった、という立場である。しかし、もしいま暖めているプランなりビジョンがかなりまとまって来るとしたら、じぶんなりに勝負をかけないといけない、ということだ。このために、いま丹念に情報を集め、じぶんの目で見ているのである。決して日本に居ては、わからない。千葉でお店をやっていた時だって、2号店目の山形のことは見えなかった。だから、じぶんで動いた。そして、風というかニオイを感じ取ることに執着した。熱心に協力してくださる、技術畑の社長が理性的に行動を取られるいっぽう、わたしはどちらかというと、ひらめきというか、嗅覚で動くようだ。このセンスがなくなったら、ハイそれまでよ。
2005.01.31
発明王ドクター中松じゃなくて、トーマス・エジソンがつくった会社GE(ゼネラル・エレクトリック社)。エジソンは、その生涯でいくつもの会社を興したが、全部が全部成功というわけではなくて、経営的には、むしろ失敗のほうが多かったという。やれ裁判沙汰になる、やれお金のトラブルにあう、もちろん特許を含めて問題に次ぐ問題で、片時も精神的に休まるときはなかったという。GE社は、そんなエジソンの会社の中のごく少ないしかし、特出した代表的な成功会社のひとつであるが、またニューヨークの証券取引所に上場している過去最古の会社のひとつでもある。このGEは、ジャック・ウェルチという傑出した経営者によって、拡大してきたが、いまの総利益の半分を捻出しているのが、マネービジネスだという。GEマネーと呼ばれるこのマネーが、いま最も注目しているのは、ジャパンマネーである。これをいかに取り囲むか、が焦点であるらしい。電灯の会社が、金融会社に変身しているのはおもしろいが、日本を代表する自動車会社や小売業も、ITの雄たちも金融サービスに力をいれているところが、バブル後のマネーブームとしておもしろい。マネーパワーが、どこまで資本主義にとって有効な利益をもたらすのかは、それを活用する者たちの知恵にかかっている。いまのビジネスシーンではそういうおおきな流れの中で、いかに武器をを取り囲めるか、これはポイントである。ITとマネーパワーこのスピードの流れに、対処できる方法は人間の頭脳とこころ、それ自身である。中国の急成長は、こういう時代背景のもと、長年抑えこまれていた民衆のエネルギーの噴出と相俟って露見するところが多いと思う。黄金をとりに中国に来たつもりで、逆に取られっぱなし、という話は多い。靴のヒモをスパゲティに見立てて、うまそうに食べるチャップリンの映画のワンシーンのように、金鉱探しでヒモジイ思いをしないように、しないといけない。
2005.01.30
渡辺篤史が上海の住宅を訪問したら、どんな爽快な感想を述べるのだろうか。上海の新築物件を訪問した。鄭さん(仮称)のお宅は地下鉄2号線張江高科駅の前に建つ高級開発区域内にあります。外壁はコンクリートに外断熱用パネルが貼り付けてあり、窓もペアガラス。断熱効果は抜群。 ご主人の部屋には、ご趣味のオーディオセットが置かれ、入り口に飾ってあるスピーカーは全てご主人の手作りです。ご主人の部屋にはスクリーンもありました。奥さんは、お子さんとふだん映画を楽しんでいるとか。 お子さんの部屋は広さ6畳。部屋に置かれたイスなどはご主人の力作。お子さんに対する愛情が伝わってきます。 1階の一番南側にあるのが浴室。正面にある公園の緑と明るい日差しが嬉しい空間です。ご主人の鄭さん、お子さんとお風呂に入るのが、楽しみのひとつ。 「うわぁ、これは明るいですねぇ。」「うわぁ、みごとなバランスですねぇ。」「奥様とご主人の趣味のよさが感じられますね。」 2階のLDKはロフトと吹抜けでつながっています。見上げると大屋根の美しい木組みが見えます。奥様の王さんが、お気に入りの空間。壁はコンクリート、天井は木、シンプルでモダンな空間です。 ダイニングの北側にある窓からは、開け放つと更に開放的な空間になります。リビングの南側にも折れ戸があり、ここから美しい緑と風を取り込めます・・・・・・・・ざっとこんな具合に建物は探訪されてしまうのだろう。香港の有名な不動産デベロッパーが開発したエリアに初めて潜入したのだが、・・・・・すごいねぇ~! の一言。その道の専門家でもなんでもないのだが、こんなにセキュリティも万全で、市内へのアクセスがよく、そして空間は広々としていて、ここは「買いっ!」と同行した若者は思わず叫んでしましたが、じっさい、昨年の夏からすると、倍くらいの値段が実勢相場のようである。ただ、きまりで何年間かは、売れないのであるが、その何年か後に下がる要因があまり見つけ出せなかった。ここが下がるくらいなら、他はもっと下がるはずだ、と。上海は他のものに比して、不動産だけは、べラボーに高い。高いものほど、高くなるというのは相場の鉄則だが、果たして、ここの会社の株は買いか。株式投資に熱心な同行した若者は、にわかに騒々しくアタマを掻き立てていた。
2005.01.29
お世話になっている北京出身で上海に住む先生が、深センへの旅行から帰ってきて、わたしに電話をくれた。深センは香港と隣り合わせだが、いまは深センの方がはるかに活気があって、みごとな発展ぶりを遂げているのをまざまざと伺うことができる。それは、テレビでもネットでも知るところである。その先生は、深センのスーパーマーケットやマンションを、あちらこちら見回ったそうだが、たとえば深センのスーパーの方が上海のカルフールよりもさらに購買意欲が高く、そして質が高い、という。そのことを聞いただけでも、いかにスゴイ勢いかがわかる。街には外車が溢れ、ベンツやBMWも当たり前。ロールスロイスも見たよ、と言っていた。そう言えば、それに対抗するわけではないが、先日は上海で赤いフェラーリが走っているのを、上海人の友だちが教えてくれた。たしかに、それは表層の部分かもしれない。しかし、すでに相当数の富裕層がいて、経済の流れは、確実にそのひとびとの上をたどって、ひろく川下の部分まで行き渡っていくような予感がする。深センはトウ小平肝いりの経済特区であるし、全中国、全世界から資金が集中しているところだから、上海以上に所得はあるし、上海よりもむしろもっと開放的である。上海人は、ちょっと油断ならない部分を感じさせるが、深センの人々は、そこまでキツくないようだ。わたしは上海だけでも圧倒され通しなのに、いつか深センに小旅行に行く頃には、もう想像をはるかに超える超大都市になっているのでしょうね。
2005.01.28
以前から、一度お話を伺いたかった、中国に古くから進出され、成功の蜜も、辛酸もなめ尽くしてこられたひとりの経営者とお会いした。ちょっと前に病で倒れられ、よく雑誌などで拝見していた威勢のよさからは少し寂しいご様子だった。ただ、いろいろお話を聞かせていただいている間に、どんどん熱を帯びてきて、真剣に、ハートに食い込むようにわたしどもに重要なアドバイスをいくつも与えてくださった。そのときの表情は、まさにメディアなどで鬼気として商いを説いていた全盛時の姿を彷彿させた。わたしどもは、小さな商売を日本でしてきて、元大企業の社長だったその方の、いまのわたしどもに対するアドバイスが、なんとも等身大の話で、切実に身にしみた。所詮、夫婦がいちばん信頼できるんだよ。その、ひとことがわたしども夫婦にとっていちばんのアドバイスだった。きしくも、同日わたしどもの現在の師、であるTさんからのメイルに、・・・家族に苦労をかけても、これ以上の精神的な苦労はさせたくないとのくだりがあり、ビジネスと家族、夫婦のありかたを、思い合った。先の経営者に戻るが、熱く語り始めると、話が終わらなくなっちゃう・・・そうだ、ダンナも小商いながら、店の主人面して一生懸命に店に来る若いお客さん相手に朝の2時3時まで店でいろんな事をアドバイスをしたことが、何度もあったな。じっさい、ものごとは思考してもそれをいざ実行に移すのは並大抵のことではない、ものだ。たとえ小さなことでも何も無しから、1に移ることはそうとうなエネルギーを使うものだ。ゼロから1に。これを積み重ねよう。それを夫婦で確認し合おう。成功は、その中で喜び合おう。おおきな果実は、小さな種子にある、という意味を感じ取りました。
2005.01.27
生活の糧として、教授している学校での授業。毎日あるわけではないのだが、通うたびに、「過去最高」・・・レベルの生徒に出会う。帰宅後、タイタイに「きょうの子は最高だった」と連発すれば、タイタイ・・・・もちろん怒る。何が最高だって、そりゃ日本語のレベルなのだが、全体の雰囲気、若さ、謙虚さ、マナー、とにかく漂うものすべてを感じ取る中で、最高!と勝手に判定を下してしまう。もちろん、男性生徒さんもいるのだが、やはり女性の出来ばえには、いつもこちらが恐縮するほど、そういう生徒さんが多い。その中でも、また格別できの良い女性生徒さんからメイルをいただき、わたしからの返信を受けて、またメイルをいただいた。・・・先生のメールを受けまして、喜んています。私はそんなに上手じゃないですが、たぶんほかの学生に比べて、少し上手です。また先生に褒められまして、ちょっと恥ずかしいですね。そして、私は敬語を使えなくて、御免なさい。私にとって、一番難しいです。もともと、私は通訳者になりたいですか、今のレベルはまだ無理です。会話のほうはまだまだです、練習の相手がいないから。もしもっど上手になったら、通訳者の仕事をやてみたいです。悪いですが、会社の中で、インタネットができないので、家に帰って、家にしかできませんが、遅いて、御免なさいね。もし、個人的に教えてくれれば、もちろん私は嬉しいです。もし先生は中国語を勉強したいなら、私もう教えられますよ。これからもお願っていますよ。ではでは、またね、お休みなさい。 ○○これは明らかに野口シカ(野口英世の母堂)の文章よりは、上だ。当たり前か。(ただ、わたしはシカさんの手紙は日本三大手紙のひとつと思っている。帰ってきてくだされ、帰ってきてくだされ、なんと心の底からの訴えであろうか。)ちょっとした、言葉の細かいところはまあ、目をつむってあげよう。彼女は、会話や読解はもう一般の日本人とそう遜色ない。日系企業に在籍しているというが、ふだんはほとんど日本語を用いる仕事をしていないという。サビつかないために、高い授業料を払って、学校に通っているのだそうだ。しかし、タイタイにとって許しがたき文面が、そこにあった。・・・もし、個人的に教えてくれれば、もちろん私は嬉しいです・・・ベスビオ火山がまた噴火する前に、わたしは、コミュニケーションの難しさを、切々と釈明した。最高の生徒からのメイルから一夜明けた、きょう・・・最強の女生徒がまた現れた!中国おそるべし。日々最強伝説が覆される、そんな教育現場からタイタイに怯えるダンナが報告させていただきました。
2005.01.26
上海市の農業開発区は、「上海」で、今後もっとも熱い視線を浴びる土地になるかもしれない。小雨の降りしきる、肌寒い中、このホットスポットにふたりのお客さまをお連れした。何がスゴイって、上海市内からのアクセスの便利さ、形容しがたい広大さ、そして施設の充実さ。農業に門外漢の方であっても、おそらくビックリするだろうし、農業のプロフェッショナルの方であっても、目を覆いたくなる、強烈なメッセージがつきつけられる、こと間違いない。上海に来られれば、まずどうしてもその表舞台ばかりに目が行ってしまう。また、ビジネス目的で視察される方々は、ちょっと郊外の工業団地や、蘇州、南京へ至るまでの工場群などに目が行ってしまう。ところが、大都会「上海」のお膝元、地下鉄「張江高科」駅からほどない距離に、圧倒的なスペースを誇る農業施設がこれだけ広がっている。きょうは、この春オープンする「温室レストラン」と「温室オフィス」の工事途中の様子が見学できた。投資額が2億元ともされるこのプロジェクトにも驚いたが、こういう、意外であるが、スケールの大きな発想は、まさにいまは「中国」という舞台でないと、思い浮かばないかもしれない。現在のわたしはわたしの手に余りあるおおきな宿題をこの開発区のヌシ(仮にTさんとしておこう)から与えられている。この宿題、早く取り組まないと、というアタマで一杯なのであるが、さてどうしたものか。「ハルビン食堂」のすっぽんをかじりつきつつ考える。昼からビール。広大な構想。かわいい生徒との楽しい授業。わーい、上海は夢の中だね、こりゃ。
2005.01.25
ダンナはやたら古いことに詳しい。だから、古本屋をやっていた、ということもあるが、きょうの話は昔の思い出話である。ダンナはラグビーの超強いことで有名な高校に通っていた。2年生の関西への修学旅行のとき、バスの中ではカラオケが始まった。まず、いつものようにラグビー部のUくんが「走れコータロー」を中の実況中継まで見事に諳んじて、最後まで歌い上げた。次に登場したのは、国語が得意なTくん。Tくんは、ふだんは静かそうな、ちょっと見、ヤバそうな文学青年タイプだったが、一たびマイクを手にすると、RCサクセションを忌野清志郎ばりに歌い込む、バリバリのフリークだった。この日は「いけないルージュマジック」を完璧に歌い上げた。しかし、彼はマイクを放すことはせず、次におそらくほとんどの生徒たちが誰も知らないだろう、という唄を歌い始めた。・・・♪船を見つめていた ハマのキャバレーにいた 風の噂はリル 上海帰りのリル リル・・・・・・・・・・・・・・・・リル リル どこにいるのかリルだれかリルを 知らないか・・・しらねぇよ。って、つっ込みを入れる奴もいたにはいたが、とても新鮮な響きだった。初代広沢虎造をこよなく愛し、藤山一郎とディック・ミネこそ最高の歌手と、時代錯誤の主張をしていた若き日のダンナとしては、この「ビロードの声」津村 謙の歌曲は、知らないとは意地でも言えなかったが、ふいをつかれた選曲だった。いまどき、玉置宏が司会する番組でも、ここまで古い懐メロは、取り上げはしないだろう。それにしても上海帰りのリル。上海で思い出しました。
2005.01.24
日中交流に関する企画に何とか携われないものか・・・数ヶ月前にはきわめて淡い希望、しかし信念を持って待ち望んでいたひとつの希望が現実化しようとしている。昨年暮れより、ひとがひとを呼び込むような展開の中で、このサロンの運営の話が舞い込んできた。わたしどもにとっては、こんなに早い段階で、上海の中枢で核心に触れたテーマに関するセミナーが開けて、無上の喜びである。講師に中国オフショア開発コンサルタントとして、いま最も熱い視線を浴びている幸地司(こうちつかさ)さんhttp://www.ai-coach.com/ をお招きして第1回目を「オフショア開発によせる日本企業の期待と本音」と題して、上海で活躍、奮迅されている日系企業を対象にセミナーを行なう。今後、一連のサロン活動は、【東方欣康(とうほうきんこう)カルチャーサロン】という名称で運営していく。事務局にタイタイが受け持ち、ダンナは後見人。このサロンで行なうことの意義は、単なる文化交流会ということではなくて、上海市の要人達が日頃政策会議などで集う場所で、行うということ。となりが上海市長の自宅であったり、前書記長江沢民の別荘があるような立地であるということ。ふつう表立っては、見えない閑静な住宅街で開催されるこのサロンは、今後どんな展開を見せていくことであろうか。いよいよカルチャーサロン・・・開始します。
2005.01.23
ダンナは長いこと東京の高円寺で生活をしていました。幼稚園も、小学校も、中学校も地元。詩人のねじめ正一さんの「高円寺純情商店街」で有名な街。「阿波踊り」でも有名な街。十朱幸代の「ご近所の星」というドラマの舞台でもあった。いまお世話になっている上海の日本語学校にはいろいろな先生がいらっしゃる。あるとき、教室で中国人か日本人かどちらかわからない(こういうケース多い)ある女性に挨拶がてら声をかけた。スイマセン、真珠の粉って上海のお土産だと知ったんですけれども、これを日本で売ったら商売になるかなぁ。その女性は、そうですね、じつはその真珠の粉はわたしのふるさとの省でたくさん作っているんですよ。それを何倍にもして上海で売っているんですよ。へー。なんでも聞いてみるもんだ。親戚がその真珠の粉を作っているともいう。何かあったら、紹介します、といわれた。そうこう話をしていくうちに、わたしは中国にビジネスチャンスを求めてきた。という話から、その女性が東京は小金井の学芸大学に長年勤めていた、という話になった。いやー、僕も中央線の高円寺の育ちなんですよ、と答えたら、彼女も上海に来る前、高円寺に10年以上住んでいた、という。さらに、子供さんはわたしと同じ小学校。なんだ、上海で高円寺の日中の元住人が地元の会話するなんて、世界は狭いもんだな、と感じて、急に親近感が芽生えてしまう。でも、いちばん気になる動きというのが、日本である程度の生活基盤があった中国の方でさえ、こうやって上海に移動しているということ。中国から海外に出ていた人々が次々に中国に戻ってきているケースが目立つんです。まあ、子供さんがいらっしゃれば、その後のことを考えてやはり教育を母国でさせたいのだろうし、ビジネスチャンスも中国にあると見ているからだろうか。わたしは上海に来る直前なぜか高円寺駅前のQBハウスによって、髪を切ってきました。世界がどんどん狭くなっていることはわかります。
2005.01.22
お店をしていたものだから、街を歩いていても、百貨店の中を徘徊していても、どんなお店がいまあるのかな、どんなものが売られているのかな、ということがやはり目にいく。近くの伊勢丹で、2件ちょっと気になった店を発見。ひとつは、髪留め専門店。~ Paris と 看板にあって、フランスから来たショップだと思うが、オシャレな上に、髪留め(わたしは「かんざし」に見えたが)がバランスよく陳列されていて、贅沢な雰囲気も漂わせている。知っている人なら、知っているのだろうが、思わず、わたしは立ち止まってしまった。もう一店は、「もんちっち専門店」である。これにはかなりオドロいた。わたしも、古本をメインに古いおもちゃなども扱っていたこともあって、70年代の「もんちっち」をプレミア価格で売ったこともあるが、基本的に日本でも「もんちっち」は、埋もれているキャラクターである。しかしまさか、こんな一等立地で「もんちっち」だけをメインに売っているお店に出会うとは。近くに、GIジョーをメインに売り始めたショップも出来たのですが、どんどん出てくる、いろいろな細かい雑貨、トイを扱うお店が・・・きのう、別の場所でご一緒した上海楽天日記のスーパースター(大明星)「つっちー」氏 http://plaza.rakuten.co.jp/tsuchishita/ は街中を歩いているときに、ボソッと「ここが中国だなんて信じられないよねぇ」と、言われましたが、これは、時々わたしも発する常套句となっています。伊勢丹では、階上から下を見下ろしている日本人観光客をよく見かけます。何か、少し放心状態のような、そんな様子。超近代的な何十億元も要した高層ビルの谷間で、設備投資はドラム缶の1元の焼き芋を売る光景。この何ともいえない絵が、中国のいまを象徴的に表していると思います。
2005.01.21
街頭で、100人に聞いたわけはないのですが、日記をご覧になっているみなさんは中国人って言うと、誰を連想します?その逆に、日本人というと中国の方々は誰をすぐ思い浮かべると思いますか?いまみたいな情報が速く、膨大な時代では、きのうポッとテレビで見たタレントや政治家の顔を思い出すケースが多いのでは、と思います。そんなに固定化されたイメージがない、というか。そうですね、ダンナやタイタイの知識の狭小な中では、まず中国人といえば、テレサ・テンとかブルースリーとか、いきなりラストエンペラーとかそういうイメージが強くて、いまの中国人というのが出てこない。少し、アタマをひねらせると、もちろん孫文とか魯迅とか、毛沢東トウ小平、周恩来とか、そのうち歴史上の人物にどうしても流れてしまう。また、大地の子とか。女子12楽坊という手もある。日本から中国語を学びに来た大学生が、前の書記長、江沢民はオバサンみたいな顔をしている、いまの書記長、胡錦涛はどこかの部長のような顔をしている、とか勝手なことをいっていましたが、案外いまの中国人を知らない。いまの中国人を代表する顔としては、やはりスポーツ選手からが入りやすい。NBAの姚明、110mハードル金メダリスト劉翔なら中国オンチの人でも顔姿ぐらいはテレビか新聞で見たことはあるだろう。しかし、まるで身近な感じはしない。日本の首相は、けっこう知られているようだ。評価はともかく。でも、やはりダントツで知名度があるのは浜崎あゆみのような気がする。中国の芸能界でもカワイイ子はたくさんいる。でも、浜崎あゆみは、その中に紛れ込んでもじゅうぶんに目立つし、存在感がある。13億の市場にもじゅうぶん立ち向かえるわけだ。それと中田英寿。中国ではサッカーがナンバー1の人気スポーツだ。サッカー選手は、中村俊輔はじめ日本人選手は、けっこう人気が高い。でも、イチローを知らないんですね。そりゃムリもない。中国では野球の認知度がセパタクローやカバティほど低いことはないにしても、無いに等しい。こんなに偉大な日本人が知られていないなんて・・・でも、偉大さをどのように伝えればいいのだろうか。野球のルールも知らない人間相手に。でも、いまわたしたちは日本人として中国にいる。そして、中国人にとって、日本人といえばこのわたしたちをイメージすることもあるはずだ。そして、わたしたちも中国人は目の前にいる方々であって、その出会いの積み重ねが中国人像を勝手に作り上げて行く。インサイト、インマインドという言葉がある。ひととは会って、話してみろ、ということ。会わないと心も離れて疎遠になる、ということ。国境が両者を分かつのであるが、何も見ないで何も触れないで、何ものも判断することは、できないと感ずる。
2005.01.20
学生時代、岩波文庫のパラフィン紙で覆われたうすーい本で夏目漱石の「ガラス戸の中」という作品を読んだことがある。漱石が、じぶんの部屋の周囲半径何メートルの様子を観察して綴った日記風の随筆で、詳細はあらかた忘れてしまったが、さすがに品格もある、風景の匂いのする文章だった。ガラス戸の中。こちらから見える身近な景色と、もう少し先の外の世界。薄暗い部屋の中から、そとの陽だまりの様子、木々のゆらぎなど、じぶんの情感、内面の反映されたものが、その文体に表れていた。外気に触れすぎて、こころが乱されたとき、静かに横になって、目を瞑りながら、外の音を聞く。音、それひとつだけでも、こころが駆り立てられる躍動感がいまの上海にある。日本で聞いた音とは、違う音。行き場のないストレスを感じさせる音とはだいぶ違う。わたしは上海でどんな音を発しているのだろう。これからどんな音を発していけるのだろう。心地よい音色を発しなければと、ふと思う。
2005.01.19
最近、アパートの最寄の駅を通ると、小さなダンボールの中に入った子犬たちに目がいきます。道端で子犬が売られているのです。わたし達がここに越してきた当時は、まだこのような光景はありませんでした。生まれてから一ヶ月くらいしか経っていないんじゃないのかな~とてもかわいい・・・まだ値段を聞いたことがないので、いくらで売られているかは、わかりませんが・・・先日上海在住の日本人の方から、この子犬について聞かされたのは、「ペットショップで高く売れなかった子犬がダンボールで売られている」ということでした・・・食用に回される、という話よりはわたしの感覚ではいいのですが・・・わたし達のアパートも、最近は “チン” に代わり大型犬や、消費者金融のCMでお馴染みの小型犬が駆けずり回っています・・・時には、犬に服を着させていたり、犬も人間に負けずオシャレをしています。アパートの近辺では、飼い主は鎖を付けていません。犬も主人の後について歩いています。犬に足をばたばたやって脅かしても、 “ふんっ、なにそれ・・・”という感じで、たじろぎもせず、マイペースさが中国人に似ているような・・・さすが、犬は飼い主に似る?今のところ、車にひかれている光景は見ていませんが(ねこも同じく)・・・アパートの花壇にしてある糞は、掃除をする人たちが取り除いています。犬は平気でアパートの室内で飼われています。どうも高級マンションでなければ、飼うのは禁止されていないようです。街のペットショップも、車で横付けして犬の毛をカットしに来ていたり、餌や、犬周りのアクセサリーを買いに来ていたりとか、繁盛していそうですね・・・ひょっとすると、掃除をする人たちが、ひかれた犬やねこを片付けているのかも・・・(ひかれた場合のことがやけに気にかかる)だって、この交通状況ですから・・・飛ばす、飛ばす・・・これからどれだけ上海に犬が増えるのだろう・・・そして、何がペットになる?ソニーギャラリーでは、昨年来一生懸命「アイボ」を宣伝していましたが・・・
2005.01.18
浦東のヤオハンは、上海でも比較的古くからある日系デパート。といってもいまは経営が他に移っているようですが。この辺りも、少し前までは道路の舗装工事、拡張工事などで、とても騒然としていて、またホコリっぽく、行き来しづらかったのですが・・・仕事の用件で、2ヶ月ぶりにその付近に行くと、見事に整備され、以前に増して賑わいを見せるスポットに変身していました。そういえば、昨年の10月終わり頃。わたしの住むアパートからほど近い茂名南路で、このヤオハンの元社長和田一夫さんに偶然道端でお会いしました。もっともこっちは知っていましたが、むこうは知らないに決まっています。トボトボと前方から歩いてきたので、わたしは、思わず握手を求めてしまいました。一敗地にまみれたとはいえ、立志伝中の人物として一時は大いに持て囃された和田さん。母親の和田はつさんが「おしん」のモデルということもあり、山形にゆかりのあるわたしとしては、「おしん」の子供に会えた喜びと、中国進出の先駆者のひとりに会えたという思いで、なぜか感激したのです。ヨワイすでに80前後だと思われますが、再起をはかって上海を拠点に活動されているようです。ヤオハンは元八百屋さん。中国で野菜や果物を売りたいな、と夢を抱いているダンナにとっては、何かのご縁です。ヤオハンは世界進出の象徴的な企業だった。オレは行ったことがないぞー。でもなぜかジャッキーチェンがいちばん行ってみたい日本の名所はヤオハンの本社と答えていた、こともあった。学生時代、伊豆への海水浴の帰り静岡の三島からそのヤオハンを目撃した。目的は、その近くにある回転寿司屋にはいるためだった。さも、どーってことない世界のヤオハンがそこにあった。あのヤオハンが倒産。解雇数千名を経て、いまこの上海にある。ふしぎな感慨がある。
2005.01.17
上海のビルの乱立ぶりは、そりゃ、日本人、東京人だってオドロク。ということは、上海人にとってみれば、もっとオドロク。ちょっと前までは何にもなかった、ところに建っているのだから。ちょっと前にお会いした上海人に言わせれば、オレタチは何にもしていないのに、寝ている間にビルが建っている、ということになる。だから、上海の外見はものすごい国際的な大都会だが、上海の人々の意識は、まだそれについていないと、これまた上海人から示唆される。人口13億の5%が都会に住む人々。残り95%が農民、というのが中国の実態。その95%の意識改革、これが中国の大きな課題、というが、都会人の意識もいまの急激な変化にはついてこれない。ようだ。ここにきて、都市化、国際化というのが、上海のテーゼだったが、いちばんは教育のありかたが、ここ中国の大きな課題だということがわかってきた。ただ、これはいつの時代でもどんな場所でも言えること。肝心なのは、いまそういう現実を感じて、それを、まずひとりの意識から変えようとか、思えるか、どうか。外から来た人間や、外にいたことのある中国人ほど、そのことを強く感じたがる。まだ同化していない状況があるからこそ、より多くのエネルギーが生み出される、それが変化の時代の宿命なのだろう。・・・きょうは、いつも行く果物屋さんが完全消滅していた。ここのオススメくだものは、たしかに美味しかったな。次々に消滅していく、昔ながらの建物、お店。わずか半年で、このような変化を感じることが他の場所でできるのか?あまりに急激すぎる・・・一日が瞬く間にすぎるのも、変化の密度が濃いからなのだろうか。この体感は、やはり、ひとの意識を混乱させる。でも、何かがある!そう思える街、それが上海なのだ。
2005.01.16
うー寒い、ブルブル... わたしが注目しているお灸のお店、銀燕(インエン・・・肌に跡が残らないお灸のサービス)。ここそこにあるお店とは、違うのです・・・用事でそこにひとりで行く途中、ちょっと変わった様子のお店を見つけました。そのお店は、5坪くらいのちぃーさなお店。店内には刺繍糸が壁に一色ずつ飾ってあります。壁の模様のように・・・何のお店だろう・・・? 外から店内を伺うタイタイ・・・店の入り口付近には、刺繍したクッションがあったり、刺繍した布を額に入れて飾るものがあったり、作品がいくつか置いてあります。お客さんが一人います。店内の端に、テーブルと椅子が置かれていて、そこで実習をする様子。でも置いてあるものはカラフルな刺繍糸だけ・・・それと針と、刺繍糸まわりのモノ・・・これだけで家賃払って成り立っているの?営業しているのぉ。ただ刺繍糸だけですよ・・・!刺繍糸でどれだけの売り上げがあるのだろう?淮海路(ワイハイルー)の一等地の近くだし、相当な「趣味の店」 ですね~。上海では、かえって何かひとつに特化したお店のほうがいまは生き残りができる、と地元マスコミ関係の方から以前お聞きしたことがありましたが。刺繍糸だけですか...う~ん。(かなり疑問)
2005.01.15
祖国を離れて、しごとをつかまえる、なんていうことは、そう甘いものではない。いや、わたしは日本でもそう安定した仕事が続かなかったほうだから、どっちにしろ同じだと、いう気持ちだけれども、仕事の安定は、生活の安定だ。親しくさせていただいている中国人ご夫妻に、わたしたち夫婦は、いま真珠をつくっている最中なんですよ、と励まされた。真珠は、貝の中に砂石が入って、その心地悪さから貝がモゴモゴと動いてく過程の中で、磨耗され輝いていくのだと言う。いまの生活環境も、夫婦間の問題もそれは、磨かれるために必要な作業であるということ。逆境は最大の教育、というコトバは有名だが、いくら中国が魅力あるところだとはいえ、ここが仕事の場にとって、容易な順境の土地ではないことは、異国から来た人間にとっては、肌身に感じるだろう。いまは、上海において農作物をいかに商売としてカタチあるものにできるか、だけを具体的に考えている。遮る要素が複雑で大きな対象だけに、貝の中のモゴモゴ感はいっそう強い。だけれども、ほんとうにモゴモゴが美しい輝きのために必要ならば、歓迎すべきことだ。食中毒になった、喧嘩した、仕事がはかどらない、人間不信になった・・・みんなモゴモゴだ。真珠をつくる、という思いでいまのこころの中にある風雪を受け止めよう。
2005.01.14
ちょうど一年前、福島飯坂温泉に慰安旅行をした。そのとき、宿先で春の中国旅行を決断した。このとき、まだタイタイもわたしも中国に住むということはまったく考えてはいなかった。3月に中国旅行をしたとき、立ち寄った上海で、初めて中国にも地下鉄があるんだと、知った。「地鉄」って書いてあるね、地下鉄かな、とふたりで階段を下りていき、そのまま入場カードを買って、人民広場という駅に行った。夜の人民広場に顔を出し、ぐるりと見渡すと、中国のイメージがそれまでとは一変した。帰り、地下鉄駅構内で何がきっかけかわからぬが、いつものようにくちゲンカ。いきなり、はぐれる。あれ、どこ行ったタイタイ。押し寄せる人の波。これじゃ、見つからないぞ、と心配するも・・・しばらくすると、ひいた波から見慣れた顔がひょっこり。おいおい、いきなり地下鉄で迷子になるところだったよ。あれから、10ヶ月。地下鉄で上海を横断する。あたかも、ワケ知りの顔で。地下鉄があるとも知らなかったのに。こんな程度の知識で、ここにいるんだ。でも、きっと中国に地下鉄があるとしらないひとは、少なくないはず。関心ないと、何でも知らないか。地下鉄に乗って、ひとびとの表情を見る。かわいい子がいるか、いないかあちらこちらキョロキョロする。スリに遭わないように、ポケットを防御してみる。日本にいたときとまるで変わらぬ、じぶんの行動がある。地下鉄に乗って、こんどは外の景色が見られるラインに乗り換える。次々と、おどろくべき開発の様子が目に飛び込む。ふるい密集した建物群に干した洗濯物がたなびく。わずか何ヶ月か前かには、その存在すら知らなかった地下鉄。地下鉄に乗って、上海の外郭を知ろうとするじぶんが今ここにいる。
2005.01.13
当初、内モンゴルをめざして中国入りしました。(事前調査も何もなく、あまりに無謀でしょ!)上海でいろいろな省のテレビを見ていくうちに、内モンゴルでの水汲みの光景を目にしました。ははぁ、内モンゴルあたりに行くと、場所によっては、いまでもこうやってヤギと一緒に高原のオアシスみたいなところまで水汲みにいかなきゃならないんだな、とタイタイに促すと、「えーっ!それだけはカンベンしてよ!わたしはそこでは住めない!」と無理もない返答。気持ちだけは内モンゴルに向いていても、じっさい住むとなると、こんなものです。やはり、こりゃムリだな、と一発であきらめました。やはり、都市化されたところに長年生まれ育ってきたわけだし、それに準ずるほどの暮らしは享受できないと、かえってそれがストレスになる。ところが、上海にいても、水汲みは結局しなきゃならなかったのです。つまり、上海の水道水はどうやらカルシウムが多い上、ちょっと芳しくない成分が多々含まれているため(不正確なことなので、はっきりとは言えないが)、それを直接口にするのは、よくない。よしといたほうがいい。第一、マズイ。街のどこでも見かける水運びのリヤカー。わたしたちのアパートには水の自動販売機があって、便利。なければ、タンクの宅配を頼むか、じぶんでスーパーなどから買って運んでこなければならない。うまい水、それが一番貴重かもしれない上海です。
2005.01.12
日本から上海入りした若者が、上海でコーヒーの市場調査をしている。といっても、かれはコーヒーの専門家でも、なんでもない。ただ、コーヒーだけにスポットを当てて、いまの上海を知ろうと考えている。そのことによって、嗜好品の需要、全体の認知度などその商品の占める消費の位置をじぶんなりに知りたいのだ。同時に、かれは日本で大流行しているドリップ式コーヒーパックを中国人の若者に試飲させ、その反応を伺っている。どうやら、この日本で爆発的な売れ行きを示している商品でさえ、いまの中国人の多くの反応は、芳しくはない。(まあ、コーヒー通に言わせれば、それも無理もない味だというが)コーヒーの味、香りなど日本人がこだわるようになったのは、いつからだろうか。もともと、そんなに深くは知らなかったはずだ。いつもじぶんの尺度でしか考えないのがポイントだが、わたしがコーヒーを飲むようになったのは、ネスカフェのCM、とくに「違いのわかる男」の狐狸庵先生遠藤周作バージョンからだと、思う。♪ ダバダ ~ と荘厳なBGM。まさに、コーヒーに違いがあるのか、という認識である。教養のある人間はコーヒーを嗜むのか?という具合。また「クリープを入れないコーヒーなんて」なんて言い切られたら、入れないわけにはいかない。大衆は疎外感に弱い。それまでは、こどもだったし、麦芽飲料ミロとどう違うのか、ココアの苦いのがコーヒーだろう、という程度。明治製菓の「コーヒービート」という豆のカタチしたお菓子や「ライオネスコーヒーキャンディー」がコーヒーの味を確かめる試金石だった、こともある。コーヒー客を待ち構える店もおとなだった。あやしく鈍く光る店内。コーヒーを飲むというのは、「中野のクラシック」ほどではないが、まあ暗闇で飲むものだと思った。いまの上海コーヒー店は、スタバなどのおかげでだんだんそのイメージが変わっているが、まだその領域からは脱していない、ようだ。しかし、違いのわかる、男、女、こどもが、この数年で爆発的に増えるだろう。「珈琲一刻」というキャンディーもここそこで宣伝している。スティーヴィーワンダーがファイヤー!と缶コーヒーのCMを歌ってもいる。(もちろん主演は永瀬正敏・・・日本と同じだ)なにしろ、多くの若い中国人たちは朝インスタントコーヒーを飲むよ、と答えることは珍しくないのだから・・・いずれにせよ本格的なコーヒー時代の夜明けに向けて消費者の舌の訓練期間が、ある程度は必要だろう。
2005.01.11
勇んで上海で商売をしようと、のこのこやってきたのはいいが(よくないか)きょう買い物に行った東方路にある世紀聯華あたりを見てみると、ほとんど入り込む余地がない、と思わせるほど、ありとあらゆる食材、雑貨が満載だ。しかも、他の大手スーパーと比べても安い。一方、静安区にある久光は、ほとんど日本のスーパーと変わらないくらい、日本のモノが豊富に揃っている。こちらのターゲットは、日本人や高額所得層に違いないが、カネに糸目をつけなければ(そんなに大げさに言うことではないが)まったく日本の生活です。上海の大きなスーパーの場合、こりゃ明治屋とか成城石井あたりの高級スーパーでないと、売っていないぞという舶来の(これも言わなくなったが)めったに見ない缶詰や菓子類、ビン類なども平気で売っていたりするから、グルメにはたまらない、ですね。きっと。ふつうのスーパーならば、要するに、もう少しの質のよさとかもう少しのサービスのよさとかが入り込む余地の切り札だと思うが、そうなったら、この値段で維持はできないだろう。むしろ、日本が長年かかったインフレからバブル、そしてデフレという遍歴を経ずに、豊富な労働力が賃金コストを抑えているから、モノは総じて安く提供され続ける。それでも、ここ数年で賃金が何倍かに上昇したとはいえ、いまの中国経済の勢い、外からの資金のたまり具合からすると、いまが日本のデフレと同じような感覚で、一定の安定所得が確保されていれば、また不動産などに拘らなければ、これほど住みやすいところもないのでは、という雰囲気である。ということは、入り込む余地は、いまの日本と同じように、高くても買いたくなるようなモノにつきる。高くても買いたくなるものならば、商売側だって、うまみがある。商売をめざす、わたしたちの勘所はここであろう。
2005.01.10
日本のアニメで中国人が登場すると、かならず「わたし中国人あるね。コレわたしの○○あるよ。」と、最後に「あるよ。」とか「あるね。」とか付けて、それが中国人だ、とわかるようにされていたものだ。ふるい芸人でゼンジー北京なんかも、こういう言い回しで、わたしのこども時代からの中国人のイメージは、そういうものだった。逆に中国人にとって、同じようなコトバのイメージが対日本人にあるのだろうか。中国のドラマにはよくむかしの日本の軍人が登場する。そのときに、いかにも日本人とわかるように、中国語で話す場合、たとえば、「我的大大的好」(すっごくいい、文法的には×)というように、やたら的(ダ)を入れると、日本人風中国語になるそうだ。ふつう的を入れないところでさえ、的を入れる。これは日本語の「の」に該当するものだそうだが、「の」が日本語のイメージの象徴なのだ。中国の若い人から見ると、この「の」というひらがなが、とてもかわいく見えるそうで、おしゃれ度もあるようだ。商品名でも「鮮の○○」とか「足の○○」とか日本人から見ると、それほど良いようには見えないものでも、こちらはそれが良いとされる。これ、わたしわからないあるよ。しかたない、あるね。あるんだか、ないんだか、はっきりしない、中国人風日本語も日本語の独特の曖昧さによる、やわらかさのあらわれなのだろうか。断定的な表現という印象が強い、中国語社会ならではの「の」の活躍ぶりです。
2005.01.09
日本の国立大学の博士号を取られた中国人の女性がわたしの関わっている学校にいる。彼女はダンナと同じ年。かなりの美人で、さぞ昔はモテたことでしょう、と容易に察することができる。しかし、驚いたことに彼女には15歳になる女の子がいる。つまり、既婚者である。しかし、長年わたしではなく彼女のダンナとは別居状態である。原因はケンカ。熱心なクリスチャンで、わたしら夫婦にも喧嘩はよくありませんよ、奥さんを大事にしてくださいよ、とわたしに諭すにもかかわらず、ご本人が喧嘩が原因で別居とは、世の中こんなもんである。その彼女のダンナが学校に現れた。ダンナは上海の大学で油絵の教授をしている、という。わたしは今日学校には行かなかったので、お会いしたタイタイの感想。・・・・「シャンゼリゼ通りのような顔」うーん、タイタイ最初フランス人か?と思ったそう。ホリが深いとか、バタ臭いなんて死語かな、でもシャンゼリゼ通りのような顔、とはどう想像していいものやら。わたしも、昔から比喩がおおげさだ、とよーーく周りから言われていたが、夢想家夫婦の真骨頂ここにあり、という一コマでした。
2005.01.08
世田谷の千歳烏山(ちとせからすやま)の近くが出身なので、ほんとにここは、名前にふさわしいカラスの巣窟だな、と感じながら通勤、通学していた思い出がある。家の周りから、駅周辺のごみ袋の周りには、朝からカァーカァーカァーと始終うるさいったらありゃしなかった。山形の住んでいたアパートはそりゃ、大群どころではない、夜中など電線に無数といっていいほどのカラスが鎮座していた。店を閉めて帰る途中この光景を目にすると、不気味に感じた。しかし、上海ではカラスを見ないんです。朝方、さわやかに散歩でもしよう、と周囲をぐるぐる何度か歩いたことがありますが、ゴミを漁りにくるのも見かけないし、飛んでもいない。何でカラスいないんでしょうかね、と数人に尋ねたのだが、「食べちゃうんじゃないの?」という答えがほとんど。じゃ、食べちゃうんでしょうか。中国でもカラスは一般に縁起の悪い動物とされている、と知った。「どこのカラスも同様に黒い」とは、どこの悪党も同じく悪い、というように、いいイメージではない。こんなものをいくらトリ好きの中国人は好んで食するのか?市場でしばし見かける黒い肉肌のトリの姿。いくらカラスの羽が黒いといえ、肉までも黒いのか、じつはそれも知らない。いつも、おいしいね、おいしいねって食べているトリの丸焼き。・・・あれかもね。
2005.01.07
北京やもっと北の地域など寒いところから来た中国人ほど、上海の寒さを何でそれほど強調するのか、というとそれは、上海の暖房設備の不備に起因します。北のほうは、マイナス20度にもなるほどなので、最初から暖房対策が充実しているし、床暖房もフツウにあります。だから、室内にいる限りでは、とても暖かい。しかし、上海の一般的なアパートでは、そういうものは一切施されていないから、室内にあっても、場合により、冷凍庫にいるような錯覚に陥ります。先日、日本から見えられた方々を上海の「うまい店」にご案内したのですが、寒いの何のって、もちろん上着は脱げないし、手がかじかむほどの状況。あれじゃ、暖まるほど鍋をすすろうが、紹興酒を何本も空けようが、寒さは防げようありません。たいてい、日本人の行かれるお店は、ちょっと高めのお店が多いのですが、そういうところは冷暖房ほとんど問題ありません。ただ、ほんとうにうまくて、安い店は案外冷暖房不備のところが少なくないようで、だから安くできる、とも言えます。でも、次からはお客さんをご案内するとき、どのくらいのモノをどのような環境で、ご紹介できるものなのかは、やはり事前偵察が必要であることを、実感した「寒さ」でした・・・
2005.01.06
週に一回近くの市場にお米を買いにいく。行きつけの米販売店で、いつものオヤジさんに5クァイチェンダ(5元分ちょうだいな)と言うと、ビニール袋に枡で盛ったお米(大米)が手渡される。500gあたり、1.95元だから、5kgで19.5元。大きなスーパーだと、16元~20元くらいで一袋(5kg)が買える。日本円でせいぜい、260円くらいである。わたしの家の炊飯器は68元(約900円)で、中国人のお友だちに言わせると、安すぎます、と言うことなのだが、この器具で炊いたご飯でも、なかなかウマイ飯がいただける。先日、訪問したお宅では、思いっきり「秋田こまち」と銘打たれた、笹を食べているパンダの絵ずらの浙江省産のものをいただいたのだが、ほんとうに秋田こまちの名に恥じぬ、銀シャリそのものであった。中国のお米は、急速に美味くなっているようだ。こちらと東京を行き来されている方が、こちらにお越しの際、ありがたいことに、日本の無洗米とおいしい水を持って来てくださったこともあるが、今後さらに精米の技術が安定し、家庭のグルメ度もアップするようになれば、消費者の要望は、かならず生産者側にフィードバックされるはずで、中国のお米はそれ自体、特産品になる。生産量が半端ではないのだから。つい先日こちらに視察に来られた日本の国会議員の方が、市内あちこちに出来たある日系コンビ二のお弁当を試食し、日本のお米はやっぱりウマイ、と叫んだら、いいえそれは、中国で作られたものです、と説明を受け、信じられないような顔をしたとか。そういう感覚ではダメです。これから、中国では農産物も、ますます日進月歩で安定・安全なものが生産されます。もし、中国の食卓がかつてQPマヨネーズのCMであったように、生野菜をガブリと噛り付いて、それを健康的、おいしい、と受け止めるようになったら、どんなことになるだろう・・・人の味覚は、あまり違いがないと、感じています。おいしいものには、食指が動くのは、同じです。ただ、子供のときから食べつけたものや、スタイルはなかなか変えられませんがね。・・・経済が豊かになっていく過程では、かならず段階的に食感に新たな刺激が求められるようです。
2005.01.05
うう ~ さむ~ぃ。わたしたちは日本で、1000円床屋を利用していました。もしくはわたしがむこうの髪を切り、わたしは合わせ鏡で自分の髪を自分で切っていました。(手先だけはとても器用なんです)自慢になりますが、米沢で温泉に行ったとき、「よく似合っている髪形ですね・・・どちらで切ったのですか?」と聞かれたことがあります。自分で切ったと言ったら、とても驚いていました。上海に来てからは、わたしが自分を含めむこうの髪も切っていました。しかし、こう寒さが増し、髪が伸びてくると、切る環境に限界があります。(鏡が暖かな部屋にないので)重い腰を上げ、アパートの近くの理容室へ行きました。カット5元、シャンプー10元、ドライヤー5元・・・ドライヤーの5元の意味が分かりませんでしたが、とりあえず行ってみました。「カットお願いします。耳を出してください。短くしてください。」あらかじめ用意しておいた中国語を携えオーダー・・・上着を脱ぐと思いきや、そのままタオルを首に巻かれ、上着に押し込む・・・“グイッ、グイッ”そして霧吹き、カット始まる。わたしの担当は22、3才の女の子・・・櫛でとぐ、切る、とぐ、切る・・・とぐ時のスピードが速い・・・何回もとぐ・・・とぐ→痛い! とぐ→痛い!・・・櫛で肌をとがれている感じ・・・さすがに首筋はきつい・・・ある程度切って、「いいですか?」と言うので、「いいです」と言ったら、くしで髪を整えて、はい5元・・・ええーっ! 乾かしてくれないの?結局濡れたまま夜の寒空の中、アパートに帰りました。翌日こちらに住んでいる日本人の方たちと忘年会。「ドライヤーは付いていますよ」と言われ、そういえば、切られている時に何か言われたけど、「不要(いりません)」と言った覚えがある・・・それがドライヤーのことだったのか?よっぽど変わった日本人と思われたに違いない・・・水がシタタル変なオンナ?!
2005.01.04
出逢いがこれほど、ひとの進む道を左右しているとは、あまり意識していなかった。でも、昨年後半からの多くの方々との刺激的な出会いのお蔭で、わたしたちの消えかけそうになっていたこころの灯火が、ふたたび燃え盛るようになっていった。あるときは、あの方から、あるときは、この方から、お返しにハムをお届けするぐらいでは、間に合わないような大きな刺激が与えられた。いくら脳髄の薄暗いわれわれフーフでも、これほどまでの下支えをしてくだされば、上を向いて進んでいくしか、あるまい。ひょんなことから、タイタイが運営事務を任されることになった「東方欣康講座」・・・カルチャーサロンことしの中心的な活動拠点のひとつであり、今後の大きな流れを育む情報発信基地である。ここで、提供できるものは、同時にわたしたちにとって、学ぶべきものであり、わたしたちを育ててくれるものである。強く心に刻むこと。時の経過によって風化されないだけの一途な土壌づくりが、サロン運営者の重要な責務であろう・・・
2005.01.03
大晦日は、例年と違った。なにしろ、ふたりとも国外で迎えた初めての年明け。昨年までは、店の中。ことしは上海で迎えたけれども、ダンナは日本からのお客様のお誘いで外食、タイタイはお留守番。ひとりでカレーライス。特別なことは、何も無い。テレビは一緒に詩の朗読を見た。実に渋い。でも、この中国語の詩の朗読番組けっこう味がある。朗々漫々としていて、いいかげんなタレント番組、ムダな格闘技よりは、よっぽどマシって新鮮な思い。中国、余裕で流しているな、っていう感じ。元旦は、仲間の日本語学校の先生のお宅に招かれて、たのしいひと時を過しました。でも、そのための買出しを東方明珠タワー前にある易初連花(ロータスって呼んでいる)というスーパーに行ったのですが、さすがに旧正月が本番の中国にあっても、元旦にふさわしい混雑ぶり。今日一日で何万人が来たのやら。正月早々、大勢で押し寄せた先方宅での歓談は、あっちの話から、こっちの話まで、大い盛り上がった。カメごと買いつけた紹興酒もわたしともう一人の酒飲み客のおかげで全部飲み干してしまった。極寒地ハルビンのお友達が、上海の冬はさむいですから、と忠告していた通り、ほんとに寒い。体感温度は、以前お世話になっていた山形の米沢に勝るとも劣らぬ寒さ。上海にお越しの際は、相当着込んで来られてちょうどいいですよ。
2005.01.02
古本屋経営時代から懇意にさせていただいている先輩のかたから、メイルをいただいた。「『セヤのやせガマン夫婦でチャレンジIN上海』も通しで拝見しました。今のお二人の生活や上海の姿を垣間見た思いです。突然に店をたたんで上海に行くと聞いたときは半信半疑でしたが、あれから半年がたったのですね。本当に中身の濃い時間経過だったと推測します。とりあえず方向性は見出せたようですので、何よりです。・・・・当方は、あいかわらずネット古本屋の限界との挑戦が続いています。やっと、小遣い稼ぎのレベルです。来年はビジネスレベルへの挑戦です。・・・・それでは、ダンナ&タイタイにとって2005年が幸多い年となるよう祈念して、このメールを閉じます。」彼は、わたしより数年早く店を開業し、堅実な経営感覚で順調に業績を伸ばされていたのだが、昨年の夏、ご家庭の事情で店舗閉店を余儀なくされてからも、ネット販売でがんばっておられる。頻繁にメイルを出し合い、ともに学び、ともに励ましあってきた大切な先輩だ。ふるい言い方だが、厳しい環境の中でも、いろいろ知恵を出し合い、戦ってきた、いわば戦友のようなものだ。こうして遠く離れていても、お互いの近況が手に取るようなカタチで伝えられるのは、とてもありがたいことだ。彼のお店は何よりも、その信用力がすべてといってもいい。お客様の評判は抜群である。BOOKS WAVE (ブックス ウエーブ)http://bookwave.on.arena.ne.jp/わたしたちも、彼も、いまこれから、今年が勝負の年だ。これからの展開に多少の相違があっても、同じ商いの空気を吸った仲間として、「わたしどもにとって」のアドバイスを折にふれ伝え続けてくれるだろう・・・
2005.01.01
全31件 (31件中 1-31件目)
1

![]()
![]()