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以前「日本一のホラ吹き男」(1964東宝)という映画を観たことがありました。(もちろんビデオで)主演の初等こと植木等が、東京オリンピックの3段跳びの選手として嘱目されていましたが、アキレス腱を切る事故で夢が断念されてしまいます。しかし、あるとき自宅の庭の土中から古い書誌を発見します。彼は、入院先で先祖の出世一代記が記されているその書誌を読んで、たいへん勇気づけられ、異例のスピード出世を遂げるという内容でした。喜劇「日本一」シリーズは、大言壮語(大ボラを吹く)はしますが、言ったことはどんな手段を使ってでも必ずやり遂げるというのが、首尾一貫したテーマのようでした。わたしの母方の先祖に、たいへんユニークな事業家がいることは知っていました。その子孫のひとりに、山梨の甲府市内で戦後初めて映画館を作ったひとがいるということも母からよく聞いていました。このかたは、若くして市内の商工会の役員を担っていたようでしたが、だれかの保証人になったことが災いして、一文なしに近い状態になってしまいました。それで、命からがら東京に出てきて、葛飾区の近辺で、まず一杯飯屋から再スタートしました。安くて、腹いっぱい食べられるそのお店は、しだいに繁盛して立地がいい角地に土地を購入して食堂を続けました。しばらくして、その近くにも土地を購入して雑貨などいろいろ扱ったりするようになりました。その後、まだ娯楽が少なかった時代に、その土地を全く改造して、なんと「釣り堀」を始めました。これがけっこう当たりました。珍しくて、安い娯楽を提供すれば、お客さんはわんさか来るわけです。しかも市街の中央の場所でしたから。釣り堀は一時代が過ぎると、すぐビリヤード場にしたりしましたが、かつての失敗もありますので、あまり手を広げずに、そこをビルにしてテナントを貸していたらしいです。しかし、最初のスタートだった食堂は死ぬまで続けていました。しかも、ほとんど改装などしないで、昔のままの食材と値段でタクシーの運転手やトラックの運転手の常連さんをたくさん抱えていました。このかたは、わたしの母にとってもじつに恩人ですし、わたしにとっても恩人でした。(それを書くと相当長くなるので遠い将来じぶんの一代記が書けるようなときに書ければいいかな、と思います)なのに、わたしは子どものときからわがままだったので、その店に入るなり「ママーっ!! レストランじゃないとヤダーっ!!」と叫んで寝転んでいたそうです。しかし、いまのわたしは食べ物商売をするのなら、あのような一杯飯屋をやってみたいとつとに思います。われながら、ずいぶん成長したものです。
2005.10.31
恐縮デース!!広島の夜の始皇帝Kさんが、上海に上陸され、徐家匯の日本料理でまたご馳走に預かりました。その中の話は、上海での起業の難しさについてというマジメな話も深く議論しあいましたが、もっとも盛り上がった話は、ひとの噂話です。作家の菊池寛は、ひとが数人集まれば、だいたいがひとの噂話になる、と言ったとか。その議論の対象に祭り上げられたのは、わたしがよく知っている、MさんとTさんの恋仲の話でした。(ズバリ来ましたよ!! 覚悟はいいですかーー!!)断っておきますが、これはあくまでも自然発生的に噴出した話で、わたしが持ち込んだ話ではありません。わたしは、Mさん、Tさんを個別に存知上げていますが、まさかそれがひとつの線で結ばれていたとは、全く想像にできませんでした。これこそ、白昼の死角。いや、灯台もと暗し、大正デモクラシーっていう驚きでした。それで、あくる日の今日、たまたま当事者のM女史が上海に来られるというので、場を設けて噂の真相を探ってみたんです。(皇帝閣下より拝命を受けて)そこで、まことに恐縮ながら、一刀両断、ズバッとお聞きしました、事の経緯を。「かれとはいつどこで知り合ったんですか?」なかなか、口を割らなかったMさんですが、とうとう話してくれました。「セミナー後ですよ!」ほんとかな!!とは思ってみても仕方がありません。ということは、わたしたちのあの灼熱の上海セミナー後に愛の炎はメラメラと燃え盛り、神舟6号よりもいち早く、情熱のロケットが大上海圏の上空を行き来していたことになります。ひゅーひゅーっ!!。中学生かいな。ところが、、、なぜか彼と彼女が一緒に並んでいるシーンが想像つきません。かれは「いい人」ですから。ましてや、、、ひひひ。スケベオヤジですな。詮索中の関係者のみなさん、わたしは恥をしのんでまことに遺憾ながら皇帝閣下の拝命の下、無事ミッションを果たすことができました。なんか大きな仕事を成し遂げたかのような爽快な気分です。以上。
2005.10.30
先日のセミナーでは、上海会場でコメントを述べられた大きな機構の日本人現地代表のかたの話はやはり共鳴できる点が多かったです。眼光が鋭くてその方にはたいへん失礼ですが、最初グリコ森永事件の指名手配の「キツネ目の男」かと思ってしまいましたが、超エリートキャリア官僚で、さすがに理論的に分析されている内容は、わかりやすかったです。とくに、最後のほうで中国のスピードの速さ、イチかバチかのような(横山やすしが好きそうな)バクチ的なビジネスの要素は、とてもじゃないけれども日本企業では太刀打ちできない、発想方法、思考方法が一般的日本企業とはまったく逆だと、やや高潮した表情で語っていたのは印象的でした。日本人の積み木を重ねるような仕事の取り組み方と、中国人のいい方向ならじゃやろう、とではまるで逆さですよね。おかげで、脳の細胞が広がりました、ようなことを仰っていましたが、わたしもこれは中国と関わる上で一番大切な要素だと少なからず感じている次第です。ていうか、多勢に無勢。いくら日本人が上海に増えたといっても、せいぜい数万人規模ですからね。それに引き換え、ひとが多い上にホームグランドで戦っているわけですからね、中国人は。わたしのパートナーのネットワークとして、協力していただいている商売で有名な温州だけでも人口600万人。そのうち100万人が商売の「中田英寿」みたいなもので、ミラノとか、パリとかを拠点に住んでいる海外組ですからね。浙江省だけを見ても、他に寧波とか、実質上海や香港の経済を牛耳っているようなグループだけでも手ごわいのに、重慶、福建などのグループなどを入れて、北朝鮮経済に潜入しようとしている北京の浙江グループなどを見ても、やはり中国の方法って日本人が傍から見ているだけでは想像がつかないような展開をしていきますからね。卓球なら、中国には福原愛ちゃんクラスが3000人はいる、とかいう話題をかつてよく耳にしたものですが、こと商売について言えば、斎藤一人さんが3000人くらいいるのかも知れませんね。自転車に18人くらい一挙に乗れるチームって日本にいったいいくつあるでしょうか?中国には代表的な雑技団だけでも100はありますからね。そんなのカンケーないか。前に書いたかもしれませんが、その斎藤一人さんの仕事のことを日本語学校で紹介したんです。そうしたら、生徒さんたち数人から、それって中国の会社はふつうにやっていることですよ、って指摘されたんです。ちなみに共産党も同じですよ、って付け加えてくれました。キャリア官僚から直接「日本が特殊」と結論づけされた、のには、さすが中国パワーの奥深さを感じずにはいられませんでした。弱点は、交通インフラと資源燃料が発展スピード追いつくかどうか、このことを盛んにご指摘されていました。でも、中国がいくら石油などの備蓄が少なくとも、もしダメになりそうだったら、日本も同じくダメになる、というニュアンスも仄めかしていました。
2005.10.30
タイタイと幕張の千葉マリンスタジアムへ行ったのは、たしかもう7年も前のこと。わたしの誕生日(いつものこと)に強引に野球観戦を行いました。ロッテ戦を。友だち同士で、野球見にいこうぜ!!といって、近鉄―ロッテとかだと野球好きでも、苦痛さえ覚えた時代もあったはずです。その観戦したときも、バレンタイン監督でその年は、けっこういい成績だったのです。ヒルマン、小宮山がすばらしくて。フリオ・フランコもいました。インカビリアなんていうエリート大リーガー(マイナー経験なし:B.ホーナーやD.ウィンフィールドなど稀)もいたときです。わたしは初芝選手が何となく好きで、どう見ても「おれはプロだぞ」って威張った感じがなさそうで、ぜったいにマンション管理組合なんかの理事とかされてしまう雰囲気ですよね。ことしで現役引退されるそうですが。それはそうと、ロッテって昔からけっこう大物個性派ぞろいの球団で、わたしはアストロ球団ってロッテをモデルにしたのではないだろうか、と思えるほど意外なスターが多く在籍していた球団ですね。大毎オリオンズ時代の選手を除いても、カネやんが監督していたこと自体、すごいじゃないですか。「やったるで」って、お立ち台のとき、監督なのにじぶんが400勝あげたときのような大騒ぎしていて、勝ち投手よりも目だっていたものね。ワシがやったるで、になっちゃっていました。有藤、アルトマン、ラフィーバー、山崎、弘田、池辺などの他にも、ピッチャーは木樽、成田、三井、仁科とか、何よりマサカリ村田兆治さんがいたのですから。そしてその後、3000本安打の張本もいたし、リー兄弟とかとんでもない大物大リーガーとかが草野球に毛が生えたような川崎球場でがんばっていたわけですよ。そして落合時代。古川の応援ソングなんて「ゲゲゲの鬼太郎」でしたからね。マドロック(元大リーグ首位打者)の応援ソングが「サザエさん」だったのは、論外でしたね。外国人キャッチャー、ディアズとかいましたね。このころの川崎球場なんて、「男女7人(夏か秋か)物語」なんかのロケもされていましたからね。試合しているのにですよ。わたしも、たまに行きましたが(行ってたんだ)、外野スタンドで歯を磨いているオヤジがいたのには、ビックリしました。試合そっちのけで。「プロ野球ニュース」で「今日のホームラン」ていうコーナーがあって、だいたい川崎で落合のホームランが飛んできそうなところにいれば、余裕でテレビに映りましたからね。飛んできたホームランボール拾うシーンで。水上っていう長髪の選手もけっこう打ったし、西村とかいい選手もいましたね。高沢とか、愛甲も。でも、最下位。杉並区高円寺から阿佐ヶ谷付近にはロッテの合宿所かなんかあって、(重光オーナーがゆかりがあるらしい)わたしは子どものとき、得津選手(強打者のひとり)のアパートにサインをもらいに行きました。プロ野球の強打者なのにロッテだとアパートなのか、って漠然と思いましたけれどもね。ロッテのユニフォームを変えたのは正解でしたね。東大からロッテに入った小林至投手なんかあのピンクのユニフォームであんなに遅い球投げていたらリトルリーグと間違われていましたからね。むしろ調布リトル時代の荒木大輔の方が球が速かったってうわさでしたよね。前にも書きましたが、ロッテの中国での表記は「楽天」です。ロッテだけでこんなに書いても、わたしは特別ロッテファンではありません。
2005.10.29

言葉がわからないと、敬遠しがちですが、ほんとうはカルチャーから近寄っていった方が、言葉とその社会の周辺がよく理解できると言いますね。たとえば、わたしが日本語学校で関わってきて、すばらしく日本語の上達が早い生徒さんというのは、だいたい日本のアニメや日本の歌から入ってきています。もう、日本のものなら何でもいいのです。その語感と感性がどっぷり彼らの心を捉えてしまっているわけです。上海の巷で流れる音楽というのは、ごく稀に日本の歌手もありますが、(スマップや島谷ひとみなんか)やはり台湾系歌手がけっこう強いですね。もちろん、香港系もですが、台湾が席捲している感がありますね。個人的な嗜好にもよりましょうが、耳について離れないのは台湾系ポップスなんですね。それくらい流れています。きょうは、台湾のトップアイドル蔡依林を紹介しましょう。最初この名前を聞いたとき、わたしは、どっかで聞いたことがある名前だな、たしか「紙を発明したひと」じゃなかったかな、と思ったくらいで、まったく知りませんでした。ですが、いつもの「ああ勘違い」で、紙の製法を発明したひとは蔡倫でした。紙の発明のようす台湾、香港ポップスに興味があるひとなら、知らないものはいないというアイドルですが、わたしですら、アップテンポのいくつかの曲は、すぐ気に入りました。わたしの蔡依林ベスト5● 説愛イ尓● LOVE LOVE LOVE● 愛情三十六計● 招牌動作● 看我72変ここ数ヶ月、LOVE LOVE LOVEは一番流れているかな。ゆっくりめ(バラード調)もいいですが、若いネエちゃん(すでにオジサン的言い回し)の歌は、こうでないと。踊っていてヘソが出そうになる歌ですよ。ここらあたりの曲は、ちょっと気分が沈んでいるときでも盛り上がれると思いますね。なんか、わたしの若いころからの偏見的なイメージだと、こういった台湾系の歌謡曲の題名を引き合いに出しただけでも、歌舞伎町あたりで飲んでいるオヤジを連想したものでしたが・・・。時代はとっくに変りましたね。本拠は台湾ですが、中華圏内で流行るのはおおよそ同じでしょうから、こうやって気楽に中国語とつきあうのはやはり楽しいですね。(出典)中国情報局より。 さいきんケバイですがぜんぜんOKです。
2005.10.29
「大上海圏日企情報PRESS」(大陸共同メディア株式会社出版)という雑誌の創刊記念イベントが東京と上海で同時開催(参加費無料)。その上海会場に聴講しにいきました。その雑誌の「おすすめブログコーナー」を見ると、上海起業ストーリーさんとalchemist さんのブログが並列して紹介されている上に、別の号では、このイベントの講師だったリチャード法律事務所法律顧問 高居 宏文氏と会場でお会いした上海カモメさんのブログが紹介されていました。わたしにとっては、馴染みあるかたばかりで、これからも次々に知った顔の方々が紹介されるようです。わたしも前前から打診を受けていましたが、いまいち何をやっているのか、が見えないということで、ペンディング状態ということだと、ちょうどお会いした担当者の方に指摘されました。わたしのブログのセールスポイントはけっこうじぶんでははっきりしているつもりで、中国に何のツテもゆかりもなかったようなイチ自営業者だった日本人夫婦が、突然上海で起業をする、というわかりやすいような、しかしあまりにデンジャラスなコンセプトです。時期がくれば、取り上げてもらえるかな。中国人ってこういうことに目ざとくて、上海の地元新聞ではもう2回も取り上げてもらっていますが。(たぶん夕刊フジより発行部数は多い新聞に、です。)・・・ところで、思っても見ないほどの下げ相場に展開してきましたので、先週あたりから株取引は小休止状態です。いつでも始動態勢にありますが、ここのところの全般的な動きは、ほんとうに厄介で、個別になるとなお更難しく感じます。短線突破した後に、意外にも買いが入らなかったので、テクニカル的な部分だけを見てもしばらく調整もしくは軟調が続くのかもしれません。中国人パートナーのLGさんは、7月ころから「9月前半まで強いが、その後なだらかに下がりながらもみ合う。」と「予言」していました。はたして、そうはなって欲しくなかった動きですが、的中しています。そのLGさん、とうとうイスラエル視察旅行から戻ってきました。そして、きょうまた深センへ行ってしまいました。上海には10月わずか一日しか滞在しないことになります。最初からそういう予定を聞いていましたので、これについては別段驚きもしません。11月のアタマに会うことを確認しました。11月にまたどこかに行ったとしても、もう免疫はつきました。わたしが試行錯誤しているにつけ、親身なアドバイスをしてくださるSさんから連絡をもらいました。「・・・ブログを読んでいると、上海にはすごいひとばかりいるんじゃないか、と思ってしまうけれども、実際に会って話してみると、けっこうみんな苦戦していたり、うまく進んでいなかったり、そういうひとが多いですね。」と、感想を漏らされていました。それは、わたし自身が正にそのもので、ブログってある意味では、情報操作の一種で、嘘でもインチキでも何でも加工して書こうと思えば書けるし、必ずしも全てを映し出しているわけではないですよね。「紙幅の制限により」とかいう表現がありますが、伝える技術もあるし、条件的にリアルに出せないものもあります。たとえば、よくわたしが引き合いに出すインド。テレビ画面とか、本などで見ている段階では、ああインドってこんな感じなんだろうな、とコタツなどに入ってぬくぬくと想像を巡らせておられますが、じっさいにその場所に立ち入ってみると、まずホコリとか音(違和感バリバリのインド音楽)、そして何よりお香によるニオイなどがいっせいに非日常空間に引きずり込ませます。こういう部分で、なかなかほんとうの部分というのが、伝わりきらないと思うんです。ブログを、一種の遊びで用いるか、自らのアピール用にするか、いろいろな思惑で利用してもいいと思います。そういうところを、差し引いてもうまくこういう手段を利用できれば面白く発展していくと感じます。ですから、「行間から伝わる」とか言いますが、案外本音というのは、じつは短い言葉で終わってしまいます。わたしのようにいつも長々書いているのは、つまり本旨からすると、「まだ、うまくいっていません。」というひと言で済まされてしまうのです。この先、毎日一行、○日「まだ、うまくいっていません。」○日「まだ、うまくいっていません。」○日「まだ、うまくいっていません。」・・・と書いていたって、それでいいのですが、たとえ、うまくいっていても、○日「まだ、うまくいっていません。」○日「まだ、うまくいっていません。」○日「まだ、うまくいっていません。」と書いても大丈夫なのです。実際に同じ体験をされれば、すぐにおわかりになることばかりですから。ただ、少なくともこのブログはじぶんたちの記録としてじゅうぶんな価値がありますので、クサビを打ち込むような気持ちで書いています。
2005.10.28

このブログでシーズン前から応援を公表していた大リーガーのWソックスの井口資仁選手が、全球界最高の栄誉、Wシリーズを制覇しました。かれは高校時代からズバ抜けた野球センスを誇っていました。リトルリーグから大リーグまで一時は狂のレベルにあった野球ファンのわたしが、その存在を見逃しておくはずはありません。もうとっくに卒業していた母校の甲子園夏の大会予選を見に、彼をひと目見ておくためだけに、ひとりで立川の球場へ応援に行ったことがあります。試合は敗戦に終わり、井口選手は、さいごの夏には出場できませんでしたが、野球ファンのあいだでは、その動向が気になっていたものでした。あの母校のユニフォームを着て、甲子園を目指していた井口選手が、錚々たる日本人大リーガーを差し置いて歴史上初めてのW制覇日本人プレーヤーになったことは、ほんとうに誇りに思います。(実際にプレーしてのワールドチャンピオンは、井口が初の快挙)以下共同通信社報道より挑戦とは捨てること 夢を追った野球少年井口野球を始めたのは小学校1年生のときだった。人よりも上手になりたい。その一心で井口はグラウンドを走り回った。いつしか自然とプロ野球選手になると決めていた。東京・国学院久我山高では甲子園大会に出場。青学大時代は東都大学リーグの3冠王に輝き、通算本塁打記録を塗り替えた。アトランタ五輪にも出場した。もちろん、それらはすべてうれしかったが、それで満足はしなかった。常に夢はもっと上にあった。「現実的な目標を組み合わせながら、遠くへ、遠くへと進んでいった」。プロに入ってからも、それは変わらない。大リーグへのあこがれを原動力に自分に磨きをかけてきた。だれよりも努力したからこそ、ここまできた。ただ、それだけではない。日本に残れば安定した将来が約束されていたにもかかわらず、飛び出す。持っているものを手放す決断ができたからこそ、最高の舞台に立てた。「夢は挑戦しないとかなえられない。挑戦とは捨てることだと思う」6歳で野球を始めた少年は30歳になった今、ワールドシリーズで歓喜の輪の中にいる。「もっと上にいきたい。現状に満足することは絶対にない」。夢はかなった。でもそれは次の夢の始まりと思っている。(ヒューストン共同) ・・・夢は挑戦しないとかなえられない。挑戦とは、捨てること。まさに至言!! すばらしい大後輩です。
2005.10.27

なるべくナマの中国語の音から離れないように、ラジオやテレビを意識的に聴いたり、見たりするようにするようになりました。先日の食べ飲み放題じゃないですけれど、こちらでは中国語の見、聴き放題ですから、少しでも元取らなきゃっていう気持ちが芽生えてきたのです。ときどき、自信を持って聞けるような部分が出てきたと思うようなときに、ふいに上海語が入ってきますと、途端に自信が喪失します。どこに一致点があるのか、というほど音が違いますから、ちょっと極端ですがドイツでフランス語の勉強しているようなものかも知れません。まあ、それはともかく、テレビでひとりの日本人俳優を見かけました。中国在住者にはおなじみの顔かもしれません。矢野浩二さんです。何名かはいるようですが、中国語を巧みに操り、本場中国の芸能界で活躍している日本人俳優というのは、そうはいないはずです。もっぱら、戦時中の日本軍の残忍非道な役を演じているのですが、その部分に関することはさておいて、この番組で流暢に中国語で司会とやりとりしている光景はなかなかわたしにとって新鮮でした。まあ、中国人と応対してここまで意思疎通が無難かつ相手に賛同を得られるようになれば、いいですね。ぜんぜん話は変りますが、あるデータで日本プロ野球における外国人投手の成績一覧表っていうのを見ていたんです。そうしたら、1980年代初頭までは、だいたい両リーグ併せてもひとり、ないし3名くらいしか外国人ピッチャーって在籍していなかったんですね。そのくらい希少でした。ですから、名前を聞けば、ああ懐かしいってすぐわかるわけです。たとえば、アニマル・レスリーとか郭源治とか。オルセンとか、サンチェとか。でも、この数年でだいたい全チームに外国人ピッチャーがいて、いったい誰がどこのチームの誰なんだか、区別がほとんどつかない。それほど多いのです。矢野さんなど、いわばそのように1980年代の外国人ピッチャーのような存在です。でも、きっとあと数年すれば、日本人俳優ももっと多く中国のテレビで活躍しているかもしれませんね。日本人大リーガーだって、海外組なんて呼ばれるサッカーだっていきなり増えましたものね。中国での生活にはもうだいぶ慣れたとか。「住めば都はるみ」(デーブ・スペクタ―)ですよね。あと、野球でいえば今年はアジアシリーズが東京ドームで行われるらしいですね。中国代表、台湾代表、韓国代表そしてロッテがアジアNo.1をかけて争うようです。韓国代表は、サムソン・ライオンズというチームで、その監督は元中日の宣銅烈(ソンドンヨル)氏というこれまた懐かしい名前です。容易に打てる気にはなれなかったすごいピッチャーでしたよね。このままいろんな大会が行われると、ちょっと前のJリーグみたいに「ナビスコ杯」だとか「何とかカップ」だとか、いったい何の大会がどれだけの権威があるんだか、わけわからくなってしまって、テ○ビ東京の「今夜決定!!史上最大外国人歌謡曲選手権」なんとかいう番組のように、毎週やってんじゃないか、という感じになってしまいますね。応援する方も、たいへんですね。
2005.10.27

日本からセキュリティ関連のお仕事をメインにされているTさんが来られました。きっかけは、ことし始めころにこのブログに書き込みをいただいたことからです。もう10年以上も前から上海を行き来しているTさんは、わたしよりはるかにビジネス経験が豊富ですが、何かとおもしろい商材を提供してきて下さいます。今回は、いままで暖めてきた案件がひょっとしたら一気に花咲くチャンスかもしれないような具体的な話です。少し言いますと室内装飾関係の分野なのですが、なんとわたしのいま住んでいるアパートのすぐ近くでモデルルームを手がけると仰ってこられました。もちろん内装はまだ先ですが、施工自体は来月早々には着工するとのことで途中経過は、わたしは行こうと思えばすぐに確認に行けるところです。そこの資材提供の話と別件はまさにわたしたちがいまやろうと思っていた日中ブリッジ業務でした。来月早々にまた来られますので、それまでに連絡をやりとりしていきます。こういう道ができていけば、他にも日本の方々に向けて多面に渡ってよりよりサービスがご提供できるのではということです。ひいては、上海側のためにもなります。いただいたお土産の日本のおでん(密かに食べたいと思っていた)で湖北の白酒をちびりちびりやりながら、上海の秋の夜長を楽しむことにしました。ブログを通して日中間の仕事の壁がますます低くなっていくことが実際に始まろうとしています。(それだけ競争が激しくなってきているとも言えますが)完成させたい仕事です。位置的にはT氏と待ち合わせ場所にしたホテルオークラ裏手にある「上海雑技団」の本拠地入り口。延安西路沿いに門を構えています。以前住んでいたアパートの近くです。最初見つけたときは、「PL学園」を見つけたような感動を覚えました。(意味:TVとかでしか知らなかったような名門、強豪が、こんなところに現存しているのか、というミーハー的感動。)
2005.10.26

虹口足球競技場駅のOさんのところへ。大物アイドルなどのコンサート会場などにも使用されるこのサッカー場は、となりに魯迅公園もあってあたり一面カップルの格好のデートコースにもなっています。ちゅうど魯迅公園の入り口対面にここにもスターバックスができていました。前を通っただけですが、満員でした。この付近、OLD上海時代から日本人にはゆかりがあって、今でも魯迅公園では定期的に日本人と中国人の交流会が開催されています。Oさんは午前中それに参加されてきたようです。午後、以前わたしどもが籍を置く日本語学校で教鞭を取られていて、いまは不動産紹介などを含めた中国系日本語総合雑誌の会社にお勤めになられているSさんから連絡をいただき、夜徐家匯で落ち合うことに。ちょうど徐家匯付近に住むUさんにも紹介しておこうと思っていたので、連絡をとって集合です。 待ち合わせ場所の港匯広場Sさんは、ほかに貿易物流関係のお仕事をされているK氏、某大学付属高校のお仕事をされているKさん、幼稚園の先生Tさん、衣服関係の工場で働かれているMさん、さらに日本語学校の同僚Sさんら、「全員上海で働くひと」を召集しておられました。ひとの話をじっくり聞くのが苦手なわたしは、この数時間だけは寡黙に生きようと、押し黙る覚悟でしたが、会場となったお店の食べ飲み放題の勢いにまかせて、いてもたってもいられなくなるほどしゃべってしまいました。まあ、いいか。日本語教師のSさんが、インドマニアであったことが発覚。学生時代の第二外国語だかで、紀元前にしか使用されていなかったというサンスクリット語を選択していたという変り種。さらに、わたしのインド人のお友だちAさんを知っていて、千葉県のかれの経営するインド料理屋でカレーを食べたこともあるという、スーパーマイナーな接点があってちょー驚きでした。類は友を呼ぶ、とはまさにこのことか。もともとほとんど参加していませんが、異業種交流会とか最近はまったく参加していません。しかし、はからずもそういう類に近い交流会になりました。けっこう味もよく値段も高くはなかったので、今週Kさんが来られるときは、ここにしようよ、とUさんに予約を頼みました。ふだんあまり飲んでいないので、酒量が落ちたかな、と思っていましたが、けっこう元はすっかり取るほど飲んで食べてしまったと思います。まるで学生のときのようですそれと、ユニークな方々とお知り会いになれて大満足。S氏の顔つやが良くなっていたのがとても印象的でした。ナマステ。・・・大事なのは何事にもどん欲であり、やり遂げる決意を持つこと。否定されることを恐れて、他人の意見に流されてしまった人もたくさん知っているわ。私は決してそうしなかったけど。 (マドンナ)
2005.10.25
協力関係にあるUさんと上海交通大学に留学中のUさんをタイタイが前前から提携しているお灸とマッサージの専門店にご案内しました。場所は瑞金二路沿いの目立たないところ。しかし、このお店はもちろん東洋医学に精通している上に、西洋医学の知識も学んでいるスタッフによって運営されているふつうのマッサージ店とはちょっと違うのです。別に即効性はあるとは思えませんが、通われている顧客の層は所得水準が高く、また上海のけっこう有名人も固定客でいるようなお店なのです。特別な店内の装飾など何もありませんし、目立った宣伝などもしていません。一回だけでどうなるわけでもないので、アピール度は低いのですが、いかがわしいようなマッサージの様相とは一線を画しています。女性のUさんは、日本で各種セミナーなどの仕事をプランニングしたりサポートしていた経験上、顧客サービスのポイントをしっかり捉えることができるかたであり、わたしは彼女の新鮮な感想をひとつひとつ取り入れることにしました。日本からのお客さまを促すには、やはりいくつかの点で改善した方がいいところがあります。ほんのちょっとしたことかもしれないのですが、これができるかできないかで、お客さまのイメージ、満足度がだいぶ違ってきます。だいぶ寒寒してきた上海です。じっくりお灸治療を受けてリラックスした後は、すぐ近くの庶民的な料理屋で、食事。隣に座っていた中国人のおじちゃんたちが、わたしたちが店を出る間際、話し掛けてきました。なんか日本語のようです。なんだ、日本語がわかるひとたちなんだ、とか思いましたが、日本で働いていたとわかり、Uさんが日本のどこで働いていたの?と訊ねると、「かぶきちょう」という答え。なるほど、見ればそういう雰囲気というかガラのおじちゃんたちでしたね。ふらっとマックでソフトクリームを食べて帰途。この日もワイ海路はすごい人込みでした。
2005.10.24

日本でサポートしてくれるSくんからメールが届きました。「○○○○○○の日本側窓口として活動しますよ。。。やる気がなければ 私は上海にも行ってなかったし現時点で他に就職してます。」という、心強いものでした。かれには、お店を経営していたときから、ほんとうにお世話になっています。わたしが店を始めたときに、かれがマンガ本のコレクターになっててくれて、よかったです。かれは、もともとマンガなんて読まないし、あのときかれは年間に300万円くらいマニア本を購入していたけれども、収集することだけに熱を入れていて、オタクではありません。一見どこぞの組の方か、と思われる体裁でしたが、案の定、パンチ佐藤と同じく熊○組の関連の仕事をしていました。そんなかれが、最初にわたしのお店で買ったのは車田正美の「聖闘士星矢」。そのお会計のとき、タイタイはレジで間違えたんですね。そんなきっかけから始まって、うちの店がちっちゃいけど、「なめ猫」とか「ドリフ」グッズとか「ピンキーとキラーズ」や「黒猫のタンゴ」なんて懐かしいようなレコードもマニア受けするような珍品をずらり陳列してあったから、「ここの店長はいったい何者なんだ!!」ということで、親しくなっていったわけです。そのときから、「店長のような店をやりてえよ」って言っていたのですが、わたしは別にそういう商売って難しくはないけど、儲かるかっていったら、よほど工夫しないと難しいし、いずれにしてもネットの時代に突入していくから、店を構えてまでやれるか、って店をやりながらも、疑問視していたんです。かれはいまネットオークションを少し手がけています。当時わたしのお店で陳列していた品々も時おり出品されています。ほんとうにマニアックですよ。チョロQやキン消し系統なら、かなりのレベルですね。この俳優の加藤剛に似たサンダーバードのスコットの人形なんてけっこうレアですよ。「バロム1」のアタッシュケースとか「怪傑ライオン丸」のカードケースなんてお宝鑑定団で披露すれば、その日に万の値段で買い手がつくようなものですね。いまはネットでいろいろ調べられますので、相場がわかりやすくなってきました。でも、たまたまお金があるとき、何かに没頭していると、お金の力にモノを言わせて、一挙にごっそり「買収」しようとする行為に走るんですね。骨董やプレミア商売は、そういうお客さんに出くわさないとなかなか商売としては成り立ちません。お金があるところから頂くのが鉄則です。いろいろ勉強して、次に進んでいくのです。
2005.10.23

Nさん、タイタイ同日帰国。それに先立ってタイタイ、仕事用のパソコンを新たに注文しました。やはりいまの時代、仕事絡みだと一家に一台というよりひとりに一台ということで、DELLのノート型パソコンに選定。こちらから注文しました。パソコンを注文するのに、ネットに頼るというのはフシギですよね。パソコンがないから、パソコンを注文するのに、それをパソコンで注文するなんて。明らかに追加注文や買い替えを想定してのサイトということですね。こういう当たり前のことって見過ごされちゃうんですね。これでパソコンの奪い合いによる断続的な抗争は打ち切られることになりそうで、ひとまず良かったです。こちらでデスクトップ型でも買えば、3分の1で済んだでしょうが、Nさんの事業資金援助「制度?」を利用させてもらって、タイタイはじぶんの相棒を確保しました。アパートから浦東国際空港までは約120元で行けます。ですが、Nさん、タイタイは、まず上海駅までタクシーで10元で行き、それから飛行場までの専用路線バスを利用しました。これだと片道18元です。上海駅で、しばしの別れです。わたしも見送りに行きました。わたしは、ひとり残されました。・・・恐い。。。うそです。ひとりになり寂しいのは、ほんとうですが、気を遣わなくていい分ラクです。これでもふだん気を遣っているつもりです。ペースというのは夫婦であっても全然違うのは当たり前で、集中して何か考えたり、行動したりするときに案外ひとりになったほうが事が整理されることがあります。店をやっていたときも、同時に店に出たときは、喧嘩バカ一代で、ダメだったのですが、それぞれひとりでやらせると、なんか勝手に進んでいったものです。身を寄り添うように「名もなく貧しく美しく」という感じではないのかもしれません。タイタイは勝手に日本で事を進めてくれるでしょう。いっぽう、何かとご連絡を戴いてくれる日本からのTさん、Kさんが立て続けて来海されます。すでに上海におられるOさんとも少しこちらの仕事のアピールをしておこうかと思います。彼女は、日本で漢方のセミナーを11月に企画されています。もともと薬剤師さんですので、上海経験を活かしたおもしろいセミナーに発展していくのでは、と思いました。よる、ひとりで近所のスーパーへ「おつかい」しに行きました。適当に好きなものを買い込んで、酒も多めに買い込んでしまいました。おとなになってから、ひとりでおつかいすると、こんなもんです。
2005.10.22

一時帰国のタイタイとNさんそれにあさいちで打ち合わせをしたS氏、パートナーのO女史を交えて上海カニを食べました。場所は、上海西駅の方角にある水産市場。通りは銅川路と曹楊路の交差口。いまはオスがおいしい季節ということで、市場の水槽からじぶんの好みのカニをスカウトして、階上のレストランへ持ち運び、調理してもらいます。水産市場の存在は、フシギな感じがします。近くに港があるわけでもなく、まして上海の中心地からはちょっと外れた位置にあります。しかし、通りの両脇すべて海鮮市場になっていて、それこそ築地のイメージをだぶらせるほどの活気で、水揚げの高とか、そういうことは詳しくわかりませんが、ここに初めて行かれれば、この場所もきっと驚かれると思います。こんな感じで食べるとちょうど半熟タマゴのとろとろ感と濃厚な味噌が楽しめます。上海ガニは、小ぶりで身が多くなく、口の肥えた日本人には一時より騒がれなくなったようです。しかしながら、生きたままから調理されたカニはやはり格別で、ようやく上海の地の利を生かした楽しみをしてみました。先週末、Nさんは行き16時間も寝台に揺られて青島(チンタオ)まで小旅行されてきましたが、(帰りは飛行機で2時間)上海と違い街がキレイに整備されて、ほんとうにここも中国なの?とグレードの高さを感じることのできる空間だったと報告受けました。ちょっと前、元上海在住M女史が上海から心が離れて青島へ移ったと告白を受けましたが、中国広し、ほんとうに満喫できるものを探せば、いたるところに魅力的な世界を見出せることでしょう。うーん、上海だけでもまだまだ知らない世界があるのに!!もしよろしかったら、みなさんの上海意外なスポットをぜひ、お聞かせください。
2005.10.21

あさいちでS氏U氏と中山公園駅のMドーナッツ店で打ち合わせをしました。起業の方向性がほとんど同じなので、連繋しながら仕事を進めていきましょうということで話はまとまりました。中国では、目に見える世界と目に見えない世界が存在しているように思えます。表面上の圧倒されるような勢いと、内在する複雑な事情。目に見える部分で、尻込みをしてしまうか、たとえばイソップ寓話の「酸っぱい葡萄」のたとえのように、涙を飲んで見てみぬふりをしてしまうか、は別として、見えないところを知ることがいちばん大切に思えます。わたしたちの会社は中国の企業です。Sさんの会社もそうだし、Uさんの姿勢も中国モードです。日本人が中国企業に身を置いてアタマで動いて、中国のルールで動くというわけです。ちょうど、超合金のマジンガ―の頭部に着脱スペースがあって、ここに日本人が入って中国式ロボを操るという仕組みです。(こんな感じ)これは、さして目新しいことではありませんが、問題はこのアタマの部分の日本人がどこまで中国マジンガーを操縦できるか、ということでしょう。中国の事情は、日本人が独り善がりで考えて憂うことだけでは、済まされない甚大な潜在的エネルギーが潜んでいます。ちょうどじぶんが死んだ後のことをあれこれ考えても仕方がないように、中国は勝手に進んでいきます。マジンガーの頭部は、その操縦方法に苦労しつつも、その操縦方法を少しでもマスターしていかなければなりません。マジンガーCをさりげなく操縦している方々も多くいます。それは中国人の先端企業家に言えることです。また、それだけに留まらずグレートマジンガーを目指しているのが、グローバルチャイニーズです。(・・・意味不明ですね)※ 酸っぱい葡萄腹をすかせたキツネが高い枝になった美味しそうな葡萄を見つけ飛びつきますが、何回ジャンプしても届きません。ついに諦めたキツネは、あの葡萄は酸っぱいに違いないと言って立ち去る物語です。これは手の届かないものを過小評価することで現状を合理化しようとする心理をあらわします。
2005.10.20
タイタイが急遽日本に帰国することが決まりました。わたしから離れたい、と別離の宣告を受けましたが、それは本音半分。そして、実際は日本で少し休養プラス日本側窓口Sさんとの打ち合わせです。それで、Nさんと同日の飛行機で帰ります。ちょうど、帰国日タイタイご両親が成田まで迎えに来てくれますが、その足でなんと日光へ小旅行してしまいます。わたしは、日光江戸村には行ったことがありますが、日光東照宮には行ったことがありません。先日、昼間うつらうつらしていたときに、なんだかんだ言っても徳川家康は大したもんだな、と前触れもなく、まったく突然頭に思い浮かび、日光にでも行って、徳川公の遺訓でも拳拳服膺した方がいいかも、とふと思っていたのですが、タイタイにちょっと代わりに行ってきてもらいます。上海の喧騒と、わたしのわがまま、かつ捗らない仕事のことをしばし忘れて、房総ののんびりとした空気に触れて、おいしい日本食を味わってきて欲しいものです。本当は、月に一度、せめて3ヶ月に一度は日本と上海を自由に往復できるくらいのペースが望ましいと思います。でも、まだほとんど何の仕事もないのに、そんなことはできるはずがありません。ただ、わたしたちは、日中間における橋渡し(ブリッジ)的な業務を柱に据えて、これからのビジネスを形成してくつもりです。きょう久々に円を元に交換しましたら、1元が14円を大幅に突破していました。2月が12円ちょっとだったので、めちゃくちゃ元が高くなっています。この間のS氏の高層マンションは、この2年で倍近くになった、と仰っていましたが、これに元高を考慮すると、円を現金で持っていることが本当に馬鹿くさく思えてきます。さいきん株は思ったほど上昇はしていませんが、これだけ元が強く堅調に推移していると、中国株か中国の不動産での運用は、やはり侮れません。
2005.10.19
あたらしいアパートにNさんが来られたのもつかの間彼女はすぐに全く偶然知り合った川崎からお越しの女性と青島(チンタオ)へ旅行へ行ってしまいました。そして、きのう夜そのNさんと前までルームシェアをしていたOさんが上海に入られました。早いものでお二人が上海でアパートを借りて一年。アパートを一緒に探してあげたことがついきのうのことのようです(少し大げさ)。こんなにひとつひとつの行動が鮮明に思い出されると言うことはそれだけわたしたちも必死にやっているということでしょう。この国慶節からちょうど階下の部屋が内装工事が始まりました。朝は、その工事の騒音で起こされ、よるも9時近くまでギーン、ギーンとうるさいのですが、一向に終了する気配がなく、いましばらく続きそうです。厄介なのは、日本の職人さんなら後片付けとかしますが、一度たりともしませんので、アパートの階段が粉塵で真っ白のうえ、わたしたちのアパートの部屋まで舞い込んでくる始末です。と、思っていたら、今度は上の階までも内装工事が始まりそうです。上海は一時に比べて建築現場は減っているとも言われますが、もともと異常「以上」に多かったので、いまは異常になっただけで、まだまだ建設ラッシュです。そして内装、外装も終わりなき闘いです。内装は本格的に、根本的に行われています。多少古いアパートでも、上海の派手派手内装でちょっと手を加えれば、見違えるような空間が演出されます。案外少し前のアパートでも、2階か3階の物件ならば、けっこうすぐに借り手がつくように思います。なぜなら、やはり高層が苦手なひとも多くいるのに、新しいマンションはほとんど高層だからです。
2005.10.18

千葉での古本屋時代とても親しくしていただいていた同業の方へ今後の仕事の話を持ち込みました。念願の日中間の仕事の話です。そうしましたら、「店を閉めようかと思っています」というショッキングな返信がありました。ご夫婦で懸命にお店を切り盛りされてきたその業界と小売の大先輩です。わたしは、素人同然で始めた創業地千葉から何も地縁のない山形へ拠点を移すとき相当びっくりされ、数年後その店を突然閉めて、何も地縁のない中国へ飛んで行ってしまう、という際には、今度ばかりはかなりの冒険だから・・・と親身にご心配下さったご夫婦です。わたしは、引田天功のようにハリウッドスターと結婚するとか、しないとか、驚かそうと目立とうと奇をてらった演出をするわけではありません。ただ、チャンスがありそうな方へ方へと時の流れに身を任せていたら、いつのまにか上海沖にうち上げられた漂流ゴマあざらしのタマちゃんのようなものです。そういうバカダンナでも継続的にお付き合いさせていただいていました。わたしもいままで何度も職場が変った(好きでというよりも、仕方なく)経験から、こういうときはとても精神的なストレスが大きくなります。(基本的に自己重要感が欠けます)保証っていうのはないと思うんです。幻想であって。バカのアタマの論理に似ているかもしれませんが、そのときそのとき全部違うんだということです。そんなバカ正直にはいきませんから、だいたいこうだよ、ああだよ、と言うしかないのでしょうが、あるときは狂った行動が必要だと、狂いっぱなしのわたしは考えるのです。それをするひとっていると思うのです。また、それをするひとを見ているひともいます。観衆と選手はぜんぜん違う、と有名な評論家が指摘していました。こういう曲がり角は、ひとつの成長のきっかけになります。曲がり角が多い人生ということは、それだけ成長しがいのある人生になり得ることにします。勝手に。叩けば、開かれん(開く)。と言います。動けば、同じように開かれん(開く)、と思います。P.S. 上海の大きなタマちゃんをよろしく!!中国のネットサイトより。女子学生モデル。 こんなのばっかあります。共産党バンザ~イ!!
2005.10.17

タイタイともども上海起業ストーリーさんのオフィス兼自宅マンションにお招きいただきました。もうすでに上海ドリームを体現されているのでは、という瀟洒で静観としたマンションで、長時間に渡りalchemist さんと同氏のパートナーI氏を交えて、尽きない話に花が咲きました。上海起業ストーリーさんのオフィスは、見晴らしのよいマンションの最上階にありました。無類のコーヒー好きというだけあって、ここそこにコーヒーを飲むための小道具が転がっているような雰囲気でした。バルコニーには、愛犬が飼い放(監禁?)されていて、四方からじつに明るい秋の陽射しを浴びることができました。おいしいコーヒーとおやつのワンタン。そして、夕食にはコロッケや大海老、魚、炒め物、おさしみとたくさんのお料理を出していただき、日本人中心のお客のことを気遣ってくださる美味を堪能させていただきました。奥様、お母様ほんとうにご馳走様でした。何をどうこうしているわけでもなくて、たいへん厚かましいのですが、こんなきっかけを与えてくださり上海起業ストーリーさんと奥様にはほんとうに感謝しています。それにしてもalchemistさんのパートナーI氏の奔放、かつ食欲旺盛なこと!まだ、無理もありません。若いですから。いや、独特の個性か?何より夢を追おうと実行する意欲は、パーソナリティの問題でしょうが、危なっかしくても逞しく思えます。上海起業ストーリーさんとパートナーさんO女史のように、地に足がついた志が熱く、そして判断がクールな起業家もいれば、alchemistさんやI氏のように若くて経験がないけれども、飛び込んでしまう起業家がいるということで、起業のあり方は多様だと感じますが、上海で歩を進めていく仲間で知恵を出し合い、お互いに協力体制でやれるのは貴重なことだと思いました。夢を支えるものはパートナーとの信頼関係でもあります。わたしならいちばん身近なタイタイが、夢を支えるひとでしょうか。逆に、わたしが、タイタイの夢をささえるひとにならないといけません。こういう時間の中で、上海で起業する醍醐味とともに、パートナーの存在、仲間たちの存在を有り難く受け止めることができました。さて!次章に進みましょう!途中、徐家匯(シュウジャホイ;上海最大規模の歓楽街)にて。松下電器のイベント。F1の開催記念に合せて行われていました。
2005.10.16
前日日本からのお客さまと長々話しになり、また明け方近くまでになってしまいました。ひきつづいて、U氏と昼から別件であるところへ。もちろん仕事の準備でです。用件は確かな手ごたえとかなりの可能性を感じて無事終了。そのときご一緒させていただいた、ご主人が一部上場企業へお勤めのご婦人の高級マンションへお誘いいただきました。こういう場所は、わたしは初めて。別世界です。長年海外生活のあるそのご婦人としばしビジネス談義。ヒマしていられません、とごじぶんでもビジネスをしてみたい、と仰っていました。ご主人がこちらでの会社立ち上げで着任されていますので、それまでの経緯などを伺っても1)中国で立ち上げる難しさ 時間がかかること2)中国人をマネージメントする大変さ3)だけれどもチャンスは大いにあるという現実など、総括的なお話は多くの部分で見解が一致していました。ただ、ご婦人がだいぶ違うところが、ビジネスに前向き、たたき上げこそ必要、という意識を応援していて、ちょうどNさんと同じだと、思いました。ブログでは抽象的にしか書けません。わたしは、ケチくさい男ではありませんが、商売はイチ、サンがうまくいくというように(1、2、3の2は黙っている)やった後に、書けるところは書こうと思います。いよいよ始動です。
2005.10.15
周囲からやんやと言われても、そう簡単に進んでたまるか!!と思う中国での起業。頬はコケ、白髪は増えても、それが勲章だと思わないといけないでしょう。(そういう時期があっても仕方ありません。)これは起業とは関係ありませんが、先日突然死された学校の同僚のかたは、わたしは面識ないと、以前ブログに書きましたが、いやいや昨年の今ころテニスを誘われて、その後日本語文法クラスの研修を一緒に受けた方でした。ことしの春節前の忘年会には、わたしの隣の席に座られてこれからの上海での生活をお互いに語り合ったものでした。「S先生(わたしのこと)は、いろいろビジネスを考えていられるようですね。ボクは、できれば先生をずっとしていきたいです。ボクは、ビジネスができる能力がないし、これしかないと思っていますから。」かれはこういうことをわたしに語っていました。当時から、かなり精神的重圧の中で上海生活を送っていたように思えました。まったく無い人などいないでしょうが、知らず知らずの精神的なストレスを抱え込んで、いたのだと感じます。かれは直前意味不明なことを口走っていたということも聞きました。傍から見てもマジメで丁寧な仕事ぶりでした。ひとってそれぞれ抱えている事情とかリズムが違うんですね。でも、周りにあわせようとか、これではダメだ、とかどうしても気にならない方がおかしいです。全然勝手の違うところに身を置いて、順応することは、やすやすとは済みません。ぶち当たってからがスタートです。だけれども、なるべくまともにぶち当たらないようにしないと、即死します。
2005.10.14
夜、起業家のalchemistさんからご連絡をいただき、同氏のパートナー弱冠21歳のI氏と中山公園の思得客で夕食をともにさせていただきました。当時アメリカに留学中だった、かれからは、昨年の11月にメールをもらって、それ以来の交流ですが、4月にいきなり学校を辞めて上海に起業のチャンスを求めて渡ってきた大した大バカさんです。ただ、単なる大バカさんではなくて、5月に日本にいったん戻って、起業準備を入念にされて、あらためてパートナーI氏を連れ立って上海に戻ってこられました。まだまだ若いですが、かれの話は、過度のヘタな思考で疲弊しきったわたしの脳裏に新鮮な空気を流し込んでくれたようです。こんどかれらを交えて、こちらも最強パートナータイタイを連れ立って、お世話になっているSNIコンサルタンシーさんのお食事会に招かれる予定です。わたしどもは、実際に本格始動を開始するにあたって、多々不明な点をブログなどで知り合った方々からご教示いただいていますが、ようやく明けの明星のような期がします。やってやるぞ!!ぜったいに成功します!!というかれらの眼差しをまともに受け取るのはいささか早合点の気がしますが、そういう気持ちが何よりなんです。また、そういう方向にじぶんたちで渦を巻こうとしています。よく卓越した事業家とか、ゼロから立ち上げていく起業家の方々はじつにシンプルに考えて、「やる」ことに全力を注いでいます。わたしも、雑多な散らばった思考を整理して「やる」ことに注力するだけですね。・・・ひとに聞いてばかりじゃ何にもできないよ、じぶんでやらないと何にもできませんよ。(Nさんから尻をつつかれています!)
2005.10.13

そのNさんは東京のある場所で開かれた中国株セミナーへ参加してきたと話してくれました。Nさんは、中国株にはさして熱がはいっているわけではありませんが、仕事柄どういうところがどういう講師を用いてどんな話をしているかくらいは、参考がてら顔を出すといいます。そのセミナーは9月の半ば過ぎに行われました。その講師のかたは、ネットで中国株の有料情報を配信されているかたで、わたしはその外郭のみをしっているだけなのですが、今回のセミナーのポイントはじつにわかりやすいプロの説明だと見受けました。もっとも重要なポイントは、10月後半に予定されている中国の国有銀行のひとつの上場に向けて、投資家たちにとって地合いを良くするため、いったん売りを入れて十分下げておく、その後戻り調子にしていく政府のシナリオがあるだろう、という話でした。売ると、投資家は損しても現金ができます。それで新規大型上場株を買い支えてもらいたいわけです。この話だけ聞いても、中国株のことをよく知っている講師だなぁ、と感心しました。(当たり前といえば当たり前なのですが)わたしは全然ダメだったのですが、受験のテクニックはよく出題者の意図を読んだものが勝つ、とか言われます。こういうアタマが使えるひとが状況対応して適切な行動が取れるのでしょう。中国株は中国政府が主導してシナリオをうまく作り上げています。こういう点からすると、よくわからない動きもおおよそこうなる方向になるな、と見えてきます。きのうは農業銘柄が全面安の中一角高く、きょうはIT関連が全面高の中一際高かったです。あすは銀行が高くなるか?それともSTか。そういうヤマをはるような投機者もいるのは当然になります。果たして、最近の大陸株の動きはそのセミナーの内容どおりの展開になっています。会社の地下の食堂から打包(持ち帰って)して食べる昼食(6元・・・おいしいときとマズイときと極端)の弁当。ダノンのヨーグルトは光明乳業扱いです。よくみんな食べてます。じゅうぶん売られて、さて上がるかな?
2005.10.12
Nさんは本業がファイナンシャルプランナーだから、というわけではないでしょうが、問題点の指摘とともに解決策をズバリ提示してくださります。ましてや、上海 ⇔ 東京 を月1定期的に行っていて、このペースをこの先10年計画で行うと以前言っていました。ライフプランニングをしっかり立てての上海 ⇔ 東京 の往復生活なのです。きょうは、そういうNさんを交えて、学校帰りのタイタイと証券会社帰りのわたしと3者会談です。証券会社の小部屋にいたってすることは、計画書の見直しやら、何やらばかりです。もうすっかりやるべきことと、明確にしないといけないことは見えてきました。Sさんへの成功報酬、責任、業務範囲などはもちろんのことながら、わたしの役割の伝達です。これを日本側受け皿にしっかり伝えていかないといけないということです。当然物事のペンディングになっている理由は、LGさんの不在という一点。この間、ご協力していただいている方々からいくつかの案件やご相談をいただいています。でも、勝手にどうこう動けないのが正直非常にツライです。こういう事態は予測していませんでしたから。この先、どういう展開になってしまうのか、方向性はハッキリしてきたのですが、その通りに果たしてすんなりいくかどうか、余裕はまったくないのですが、かなり風任せ(漂流伝道師LGさん次第)の感があります。Nさんとは、そのことに対するおおげさに言えばリスクヘッジを確認しました。当然わたしだけでできることと、できないことがあります。きょう、2つのビックリニュースがありました。ひとつは、学校の先生突然死の悲しいニュース。もうひとつは、学校で一番世話になっている事務の中国人の女の子のお母さんがじつは、これまたお世話になっている、学校のアイさんであったというニュース。一年以上身近に関わっていて、そうだったとは、かなり意外でした。こういう隠れた事実、 そういえば。。。
2005.10.11

上海入りしたNさん。今月からわたしたちのアパートへショートスティのカタチを取ります。ちょうど国慶節大型連休の実質最終日ということもあって、浦東の国際空港は夕方身動きが取れぬほどの状況だったと、Nさんから報告を受けました。飛行機は次々に舞い降りてくるけれども、荷物がさばけず、ひとがダムの水のように留まってしまった次第。連絡もらったといえば、朝方MLOSさんから電話が入って、ちょっとビックリ。たしか、いまマカオにいるようなことをブログに書かれていたような気がしていましたが。よくよく読んでみると、たしかにこれから上海へ向かいます、と明記してありました。うう、こちらは近所の市場に買い物へ行くのも億劫なほうなのに、この活動のスピーディーかつ大胆なこと。あす、10日上海起業家登竜門が新天地で開催されます。わたしは行けませんが、ここにはMLOSさんは、オーディエンスで参加されると言いました。ここにはわたしが上海で出会った、そしてお世話になっている何名かのかたも出席されます。たとえば・・・農業ビジネスを中国で展開される つっちーさん夢実現のシナリオへ向かう ジャンヌダルク田中さん日中間人材関連起業をめざす alchemist さんなどなどです。わたしなんかが、ほんとうはこういうチャンスに出席しなければいけないようなところなのに、発想の貧困さプラス準備不足で、今回は断念。いっぽう、協力者Uさんから事業計画のリストを提示されました。ううん。貧困脆弱な案件を、うまく整理されている。さすがUさん。つめと実行へもう一歩。・・・・・・近所の包子屋で買っている黄蛋肉包。要するに肉まんなのですが、この中に入っている卵の黄身との調合がじつにうまい。ひとつ1元(約14円)。きょうの昼食に2つ食べました。中国ではもちろんティッシュもありますが、油料理の多いせいか、なぜかトイレットペーパーなどを使用するところが多く、わたしのところも食卓でとりあえずトイレットペーパーを利用しています。百事可楽(バイシクラ)はペプシコーラのことです。そういう現況を取り入れた撮影はご愛嬌。また、キューピーのジャムは朝のパンに塗っています。キューピーは中国語で丘比(発音はチュウビ)。これは桑木甚と書いてクワの実のジャムです。(期間限定)と書かれてあります。さすが!! 日系メーカーの商品。限定モノが定番ですからね。夜は水餃子。タイタイお手製です。外で頼むのもいいですが、うちで食べるのがいちばんですね。ちなみにこの盛り方、時間がたつとギョウザ同士がくっついてしまいます。重ねないのがコツです。
2005.10.10

足の状態が完全ではありませんが、タイタイも無理をおして近所のスーパーに買い物へ行きました。きょうから仕事始めのところはあるのですが、さすがにスーパーは閑散としていました。ぐるりとまわって、他愛もないものですが、きょう買ったものの一部を記録しておきましょう。まず、わたしが大好物のチョコレート(中国語では巧克力と書いてチョコリ・・・かわいい発音)を数種買います。そして、オレオ(奥利奥)ビスケットを買い物カゴヘ。これにはディズニーのVCDがオマケでついています。(ディズニーは中国語で迪士尼と表記します。)先日のブログに書きましたが、このようにオマケつき売りがたいへん多いのです。どこかで見かけたような顔です。これは明らかに不二家さんのポコちゃんではないでしょうか。やはり。これは火腿腸と書いてソーセージです。不二家であれば、長いものは千歳アメならわかりますが、ソーセージを販売始めたとは聞いたことがありません。そうそう、たしかぺコちゃんの顔入りの南京豆を見たこともあります。こちらでも、ぺコちゃんポコちゃんは人気のキャラクターなんです。これはわたしがこよなく愛す、光明という会社のアイスです。これは時期外れということで大バーゲン。2袋16本で10元(約140円)でした。この味でこの値段は大満足です。秋冬は格安アイスに限ります。きょうは、久しぶりの買出しでしたので以上の品だけではありませんでしたが、なぜこんな他愛もない記録をしてもいいのでは、と考えたのはイグノーベル賞のニュースを知ってです。何もイグノーベル賞を狙っているというわけではもちろんありませんが、ことしもこの賞を日本人が取りました。それは、このかたドクター中松先生です。その受賞対象がじつに驚くべき内容でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人を笑わせる研究で科学への関心を高めた功績に贈られる「イグノーベル賞」の栄養学賞に、発明家のドクター中松こと中松義郎さんが選ばれ、6日、米ハーバード大学で授賞式が行われた。授賞理由は、35年間にわたり自分が食べたすべての食事を撮影し、食べ物が頭の働きや体調に与える影響を分析したというもの。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さすが、エジソンを凌ぐ大発明王ドクター中松先生。考えていることとすることが違う。毎日ブログを書くだけでも大変だし、何かを継続するということはこれっぽっちの些細のことでも難しいのに、じぶんの全食事シーンを35年欠かさず撮影し続けるなんていうのは、おったまげです。それだけでも、たいへん貴重なコンテンツです。イグノーベル賞については、こちらで詳しく教えてくれますが、じつに多くの日本人が受賞していて、あの「たまごっち」の製作者や「カラオケ」の発明家、「カラスの撃退装置」なども受賞しているんですね。じつに、意味が深い賞だということです。だから、これから35年間に渡って上海で買い物したものを全て撮影しようということはしませんけれども、ちょっとしたアイデアとか思いを記録にとどめておいて、後で振り返るのにもブログは使えるわけです。要するに牛乳のフタでも何百枚も何十年も集めれば立派な風俗資料になるように、じぶんにとっての上海記録をこうやって留めておいてもいいと思っただけでした。でも、中松先生の作品ならば、あのぴょんぴょんシューズだって、ぜったいに選挙に当選する方法だって、ぜったいに入るパターだって、ラブジェット!だって、およそどんなものでもこの賞にノミネートしうるものだと思いますが、それ以上のもので見せつけられました。スゴイ。
2005.10.09

久しぶりの好天。絶好の行楽日和ですが、タイタイがこの数日前自宅内で足をくじいてしまったため、外に出ることができません。(だいぶ良くなりましたが。)のちほど、わたしは近所のスーパーへでも買出しに出かけようと思います。さて、こういう時は自宅で引き続きプランニングです。ですが、何をするにも実行段階になるといろいろできないことが頭の裏をかすめます。上海にいて、中国人にお願いしないと進まないことが多いのに、その協力者がいないと、何ができる、できないの判断すらままなりません。また、いろいろ進めていくうちに、やはりネットの力や仕事の仕組みについて、もう少し学ばなくてはいけないなぁと思って、インターネットビジネスで世を沸かせているサイバーエージェント社の藤田社長のブログなどを見入ったり、他のウェブサイトの威力を確かめていました。やっぱり、いまの日本の先端を走っているところのブログはおもしろいですね。そんなこんなで、日本側の協力者にも不明点をどうクリアしていくか具体案がなかなか明確にできず、申し訳ない状況です。こういう時は、さらにいろいろ学ぶ必要があるな、とふとソフトバンクのサイトに行ってみようか、と思い立ちました。情報デジタル革命の旗手である孫社長の考えは、わかりやすくこれからどう世の中が変っていくのか勉強になると思ったからです。案の定、いまはブロードバンド回線でここ上海に居ていても当然ながら、ダイレクトに情報をキャッチできるんですね。決算説明会の模様が経営者本人の口から表情とともに伝えられるのは株主でも無い限り無理だったと思うし、テレビではこんなに詳しく伝えてくれないし、わたしみたいな横着者には、それこそ夢のような環境になっているんですね。動画でクリアに送信されると、学校やセミナーで学ぶのとほとんど変わりないし、音で送り込まれますから長時間でも疲れない。むしろ、もっとも古典的な体質のわたしたちですら、もっともっと情報革命を仕事にどう活かすかを考えなければいけないと、思い知らされました。・・・いまさらながらですが・・・。たとえば、わたしがほんとうはいちばん関心を持っているもののひとつアメリカ大リーグの中継だって、ネットを巧みに利用できれば、完全ライブを楽しめるわけです。上海からでも。4月8日のブログに書いた贔屓にしている元ダイエー(現ソフトバンク)ホークスのホワイトソックス井口選手がすばらしい活躍を見せています(写真はロイター)。わたしたちが、中国上海で日本のおもしろい情報やためになる情報を受け取ったり、大リーグやサッカーの情報を時空を越えて手にすることができるのは、やはり革命的なことですね。ポイントなのが、さしてITの知識がないひとでもこんなに身近になってきていること。サイバーエージェントの藤田社長のブログには、これからブログがもっとおもしろくなるぞ!という意気盛んなコメントが載っていましたが、わたしも多くの若い経営者や孫さんのような牽引者の考えを学んでいくにつけ、こういう時代環境を味方にしていくか、全く知らないまま過していくのはそれぞれの勝手であろうけれども、ことビジネスシーンにおいては必須の知識だと上海にてポツリと感じてしまいました。カルフール(フランス出資)で68元で買った中国産オーディオスピーカーで上海に住む日本人が日本のコンテンツ配信会社から送られるアメリカ大リーグを見る。そういうことができるんですね。もっと進みますね。
2005.10.08

DVDを商品として扱っていた経験があるのに、VCD(ビデオがついているCD)というものは、上海に来て初めて知りました。これは、DVDプレーヤーやたいていのパソコンで再生可能です。しかし、きょう再生しようとしたものは再生不能でした。判断がつきにくいのです。カルフールで何か適当な作品がないかなぁ、と画像関係の売り場を巡回していたら、東映の「赤い月」という作品が目にとまりました。作家なかにし礼の原作で中国東北地方、当時の満州を舞台にしたものとあって、おもしろそうだなぁ、と裏になっていた商品を手にとると、VCDのオモテ側の表紙は主演の常盤貴子のなまめかしい姿が・・・。そして、その下に書かれている文字が日本人人気女優 常盤貴子「全裸出鏡」。ややや、なっ、何なんだ。全裸出鏡とは!!このひと文句で、これは買い物カゴに一直線です。家に戻ってタイタイとこの歴史的文芸作品を楽しみます。このVCDは字幕がありません。もちろん中国語に全て吹き替えられていてサッパリ理解ができません。しかし、画面から推測しながら鑑賞し続けましたが、なかなか肝心の全裸の部分が出てきません。ところが、最終局面になるころ俳優の伊勢谷友介との濡場のシーンが出てきたのです。たしかに、露出はあります。背中越しですが。また、それなりに何かしているな、という動きはしています。しかし、「全裸出鏡」という文字から想像していた、もしくは期待していたものではありませんでした。もしや、中国語版だからカットされているのだろうか、と思ってしまったくらいです。少なくとも全裸ではなかったなぁ。この出鏡という意味がよくわかりません。どなたか、2度と同じ過ちを繰り返さないようにぜひ、この意味を教えてください。もうすっかりほとぼりが冷めたころ、寝る直前にタイタイが、ポツリと常盤貴子の全裸がなくてザンネンだったね~、と言ってきました。・・・当然ながら、わたしはそれが目的で買ったのではない、とは言えませんでした。日本版で再確認する必要はあるのだろうか・・・全裸という意味を
2005.10.07

めっきり秋深し、の陽気です。長袖を引っ張り出さないと、肉厚欧米人でもない限り、もう半袖では風邪をひいてしまいます。久しぶりに外に買出しに出かけました。初めてカルフールの武寧店へ行きました。大型連休の中日とあって、道路はいつもよりは空いていました。カルフールといえば、上海では古北(グーベイ)という地区の店舗が定番ですが、ここ武寧店もやはり活気がありました。 ちょっと手狭な入り口のイメージではありますが、階上の食品売り場も、日用雑貨売り場も思ったよりも広々としていて、たいていのものは揃ってしまいます。秋から冬に備えての寝具と、少々の食品だけ買い求めました。 これはコーラとセブンアップそれにポテトチップスのセットです。目立った売り方は、このように何でもセットにして売るというやり方です。そして国慶節何とか記念とか、うたい文句で気を引くのです。 これはヨーグルトです。もちろん日本でも同じような売り方をしますが、目立った売り方は、このように通常のパッケージにひとつオマケでくっつけてしまうという売り方です。他に食用油にオレンジジュースというまったく関係の無いものを抱き合わせて売っていたのもありますが、抱き合わせはいい売り方です。これは、店側としては在庫過多を減らす方法であると同時に、お得感をかもし出す目的もあります。こういう売り方を見ると、以前日本で商売していたときのことを思い浮かべます。よく、絵本とぬいぐるみを一緒にして売ったり、DVDと本を一緒にしたりして、お得感を出そうと工夫したものです。店員さんの態度とか、レジの接客の細かい部分などを除くと、だいたい売り場のモノはもう日本で手に入れるモノと同じくらいのモノになってきました。店員さんの態度でやめてもらいたいのは、ひとの買ったモノをじーーっと眺めるクセがあるということです。これは、どこでも気になります。あと、レジではモノを粗末に扱うのは、相変わらずだということです。商品をこうも乱雑に扱うというのは、やはり見ていてイヤですね。このカルフールの周りには、まだ分譲されていない建築中の高層マンションが10棟近くあります。いまでさえ、大入りですが、これらのマンション群にひとが入居したら、どれだけのひとで溢れかえるのでしょうか。レジの改善(だいぶ待たされる)は必須事項でしょう。感想を述べているだけでなく、ほんとうはこういう工夫をじぶんでやりたくてウズウズしている毎日です。
2005.10.06
冷たい雨が降りしきる国慶節の休みです。日がな部屋に篭りきりで、パソコンやテレビをサーフィンしています。とくにテレビは、勉強と思って見るようにしています。LGさんの奥さんLさんのお父さんは元京劇のスターでした。そういうこともあって、わたしはいつか機会をつくって、京劇を見に行きたいと思っています。テレビでは古典劇専門のチャンネルがありますので、これを見れば、京劇の何たるかはおおよそ見当がつきます。京胡(ジンフー)と呼ばれる楽器の音色を聞くといかにも中国を感じることができるのではないでしょうか。国慶節のこの時期はこういう伝統芸能の番組は通常にも増して頻繁に放映しています。そして、全国大会のようなものも連日行われています。ふとチャンネルを回していましたら、女子12楽坊が演奏をしていました。久しぶりに見ました。こちらで、わたしはほとんどテレビで女子12楽坊を見たことがありません。ただ、なんだか様子が違うのです。しばらく見ていますと、これは愛知万博の上海ウィークというイベントの映像でした。様子が違う、というのは画像から伝わる迫力です。中国では各地でさまざまな音楽の演奏会が行われています。そして、派手な演出、ギトギトした舞台の照明効果が当たり前です。わたしが12楽坊の演奏を見て違和感を感じたのが、中国の芸能舞台を見慣れすぎてしまったわたしにはあまりに地味すぎるからだと思いました。中国の観衆が光る棒みたいなもの(ペンライトよりもっと強力なやつ)を振って、大騒ぎをしながら、歌手のアクションに応えるのに対して、この映像からは高齢者が目立つ観客の反応も静かだし、催し物が上海雑技団と、ひとり舞台の京劇、そして日本側の歌手が谷村新司でゲストが福原愛なんて中国と日本の関係の友好部分の定石のようなベタベタな取り合わせでした。ここから先の発展性があまり感じられないところに、歴然と日本と中国の溝があるように見えました。ちょっとした番組で感じたことですが、雑然としていながらも中国の芸能番組はかなりにぎやかでパワーがあります。また各地の催し物、祭典も粗いのは感じますが、大騒ぎで押してしまいます。テレビを見終えるとなんかどっと疲れます。
2005.10.05

上海起業ストーリーさんから夢バトンという「あやしい?」ものをいただきました。こういう連係ものには小学生時代のときの「不幸の手紙」とかつのだじろうの「恐怖新聞」のようなイメージがどうしてもつきまとってしてしまって、あやしく感じてしまう悲しい性分なのです。レジャ研さんが以前「夢」ということについてピノキオの中に登場するジミニ・クリケットが語ったひと言を教えてくれました。「夢っていうのはね。心の中でお願いすることだよ。」たしか「心想事成」とは、ジャスダック上場をめざされているMLOSさんが上海の豫園で書き込んだということをご本人のブログで読んだ覚えがありますが、同じようなことですね。夢というのは、基本的に口外すると叶わない~「マスターの教え」~ということもよく言われますので、ひそかに思っていることが何なのかわからない状態のわたしにはもったいない企画なのですが、いただきものには福がありますので、とりあえず、夢バトンに則って返答してみましょう。Q1,小さい頃、何になりたかった?大きくなりたかった。(こういうひとなんです)Q2,その夢は叶いましたか?はい。カラダだけは。Q3,現在の夢は?夢を実現したい。それ以前に、はっきりした夢を持ちたい。 Q4,宝くじ3億円当たったら?起業をめざします。(羊肉店買収・・・狙っている店はあります)とりあえず、羊肉店を1店舗経営します。ヒト串5角の価格破壊をめざします。仕事を強制されるのがだめなのですが、仕事のことを考えることだけは、大好きなのです。Q5,あなたにとって夢のような世界とは?いまです。つくづくフシギな人生を歩んでいると感じています。Q6,昨晩見た夢は?覚えていません。ちなみに中国人パートナーLGさんは、先日わたしが上海で古本屋を3店舗経営している夢をみた、と教えてくれました。あまりうれしい夢ではありませんでした。Q7,この人の夢の話を聞いてみたいという5人は?あまり人の夢には関心がありません。嫉妬を覚えます。こうなると、この企画の意味がなくなってしまうでしょうが、じぶんのことで精一杯の余裕がない証拠でしょうね。・・・・・・・・・・・・・ダサい回答しかできませんので、申し訳ないのですが、いまが夢であるような気持ちで毎日が送られたら幸せですよね。いまは、つまり、つねにお願いしているのです。でも、夢の途中にあるひとは、案外こういう心境なのではないでしょうか。でも、あす明確なおおきな夢をもったalchemistさんが上海に上陸されます。このかたのお話には関心があります。現実になりそうな夢のある話がたのしみです。近々ごいっしょにさせていただく予定です。
2005.10.04
とうとうてんぷら会議は長引いてしまい、最初からそのつもりでしたが、Uさんにはお泊りになっていただきました。てんぷら会議上で、ぜんぜん仕事とは関係のない気になっていたことをUさんに問いました。「あの、素朴な質問なんだけれども、中国語って発音するとき、最初ピンイン(アルファベット表記の発音指標)を見て、発音するよね。だったら、こどもはみんな最初にアルファベットからまず勉強するの?・・・あと、むかしから中国では、漢字にアルファベット表記があって、それがフリガナ替わりになってたの?」すかさず、Uさんは答えてくれました。「中国では、普通語による言葉の統一が重要でした。広く多民族の国をまとめるにはまず言葉による統一から、ということで新国家建設時に発音統一のためにピンインというアルファベットを採用することにしたらしいのです。」「このときに、じつはアルファベットでは表せない古来からの伝統的な発音がだいぶ廃棄されたらしいのです。」!!!わたしは、たいへん新鮮に驚きました。ああ、なるほど、たしかに地方によってさまざまな言語がいまだに存在する中国では、言葉の意思疎通がクリアできないことによる弊害はあるはずです。その弊害除去が中国の発展のためにはたしかに必要な要素だったのかもしれません。それが普通語の制定であり、簡体文字の導入だったわけでしょう。では、ある漢字を読ませるとき日本語ならひらがなやカタカナという便利な表記ができるけれども、漢字しかない中国では、どうやって「好」がハォという音と認識できるの?と聞きましたら、漢字には漢字でフリガナをする場合があるというのです。幼児の本には中国語の上に必ずアルファベットが記されています。通常は、これをお母さんやお手伝いさんが読んで聞かせて、好はhaoとわかるようになるのです。日本語は、かなり例外的に日本だけで通用する言葉です。英語ならアメリカでもカナダでもオーストラリアでもイギリスでも違う国家で一斉に使用されています。韓国語ですら北朝鮮、韓国そして中国一部地域で使用されています。どこでも通用する言葉ということは、文化背景的に無理がありますし、訳せない言葉があるのはあたりまえです。中国語というのは、意味が複合的に含まれている漢字を使用する言葉だから、ほんとうは簡単に少ない数である事柄を表現できるはずなのに、他の国の言葉を中国語に訳した場合、たいへん長く表現しないとなかなかニュアンスが伝わらないということもUさんと話しました。ピンインの便利さの影に複雑な国家事情をうかがい知ることができました。こう書いているうちに、わたしはなぜ「こんにちは」を「こんにちは」と発音することになったのだろう、と思いました。「こ」をKo、「ん」をnといちいち併記したものを読んで育ったわけではありません。最初の50音のときに呪文のように唱えて取得したか、親の傍らで聞いた音から入って、それはこう書くのだよ、とあとから教わったに違いありません。先日お会いした上海起業ストーリーさんは、上海生まれで上海育ちのお宅で飼っている犬のほうが、ご本人より上海語を理解していると言って嘆いていました。言語取得の秘訣が隠されている逸話 だと思いました。
2005.10.03

Uさんがアパートにいらっしゃいました。国慶節の上海駅経由でひとの波をかき分けて来ました。大群衆のことを中国語では「餃子を投げたような人ごみ」というとUさんは教えてくれました。普段でさえ人ごみの多い上海駅ですが、国慶節の帰省ラッシュは、中国滞在経歴が決して短かくはないUさんにとっても驚いた経験のようでした。さっそくアパートで打ち合わせです。話は早々の段階から盛り上がり、お互いに絞込み作業の諸点を確認しました。この10月はパートナーLGさんは、身近におりませんが、日本人の協力者として上海側のUさん、さらに日本側のSさんとともに明確な行動計画を実行に移すことに入ります。広くなった台所を利用してタイタイは上海に来てから初めて「てんぷら」を揚げました。久しぶりに好きな料理に腕をふるって、Uさんにお出ししました。 弾む話とてんぷらなどを肴に、近くのスーパーで買ってきた缶ビールを次々に飲み干しました。時間や手間を考えるとほとんど家庭料理をしない日々が続いていますが、こういう料理を毎日出されていたら、わたしは元の体重90kg超級にすぐに戻ってしまうのだろう、と感じました。まだ、まだ明確にしていかないといけないことがありますので、コミュニケーションを正確に取りながら、協力してもらうつもりです。昨年、何も地縁のなかった上海に来たときの心境をここで吐露しましょう。フェリーの船上で思っていたことです。まず、中国人の協力者を見つけよう。できれば、華僑もしくは温州グループなどの本土にネットワークが構築されているようなところと関係が強く保てるようなひとが望ましい、という気持ち。日本のSさんと仕事をする流れをつくろう。そして、実行能力に長けている日本人の協力者を中国サイドを熟知しているひとから探そう。それはわたしよりも若い男で。(女性だとタイタイに怒られるので…)ついに、こういう環境はすべて整いました。暖めていたアイデアも元ソフトウェア技術者のUさんの解凍技術によって現実化に動き始めました。
2005.10.02

10月になろうというのに、きょうはたいへん蒸していました。陽射しも暑いです。あの暴風雨以来、風向きが変り、凌ぎやすくなったかと思っていたのですが、いまは真夏とあまり変わりないように感じるほどです。日本から久しぶりに仕事を一緒に進めていこうと話し合っているSくんから連絡をもらいました。ちょうど、この2,3日の間にしばらくぶりに連絡を取りたいなぁ、と感じていた矢先でした。あたらしいことをやるのに、すぐには始まりません。彼の仕事は、この6月から実験的に調査がてら行ってきましたが、やる過程においてわかることがあります。それがちょうど3ヶ月ほどの期間を経過しましたので、わたし側との調整できょう擦り寄った形になりました。いま段階では正式にはスタッフというわけではありませんが、彼はわたしにとって大変強力な日本側のパートナーです。わたしは彼のやる気と努力が空回りにならないように、もっとこちら側でがんばらないといけません。あすは、上海側で協力していただく考えのUさんにアパートに来ていただきます。話は変りますが、わたしたちのアパートにようやく宅配の水業者を入れることにしました。ことしの一月に水汲みのことはブログにも書きました。 このように、多くの家庭ではふつう水の業者さんに定期的に水のタンクを運んでもらうのが習慣になっています。以前のアパートには敷地内に水の自動販売機があって、空のペットボトルなどにそれを汲むなどしていました。こちらに越してきてからは、近所のスーパーでしばらく4リットル3元とかでタンクを買って運んでいました。この水のタンクはひとつ50元の保証金を預けます。そしてチケットを前払いで買います。タンクは5ガロン(18.925リットル※1ガロンは3.785L)。これをわたしのところでは、6元で買っています。一回につきタンク2つ注文すると家まで運んでくれます。こんな重たいものを水運搬業者のひとたちは、自転車で運んでいるのです。すごいですね。さいきんは、水道水を濾過して飲めるような機械も安く導入されてきていると聞きました。この水運びのシステムもしだいになくなる方向になるのでしょうか。
2005.10.01
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