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ある商談を行ないに、2005年度中国十大話題経営者に選ばれ、(この時同時に選ばれた中に 重慶油田董事長や三一重工董事長などもいました)昨年の「今日財冨」5月号(プレジデントみたいな雑誌)の表紙を飾ったこともある、名物経営者 トウ董事長率いる 上海〇〇投資集団へおじゃましてきました。本部は温州ですが、上海郊外に約600名ほどの従業員を抱える工場を擁しており、主力商品は 工業用電機設備(配電盤他)です。同時に 集団とあるように傘下に 不動産開発 や緑化事業、ホテル経営などを抱えてある 従業員3000名程度のいかにも「中国」的な 会社です。彼はまだ 45歳で 温州の若手事業家の一人で、熱心なクリスチャンでもあります。そして、中国では先駆けて「慈善部」というセクションを設けて老人福祉、学校寄贈など国家に貢献をしている一方、中国企業では先進的な充実した社内報も出しているなかなかの人物です。彼は多くの中国の媒体で「わたしはキリストの信徒です」と公表しています。中国では 信仰を公にして このような大会社を率いているひとはあまり多くはありません。ただ、 彼の出身地である世界屈指の商売人の地 温州には、3000もの家庭教会があり、(政府の弾圧対象にもなっていますが)聖書の知恵をもって世界中で 商売を展開していくエネルギーになっています。やたら大きなデスクには 聖書が何冊も積まれてありました。ボクたちは たとえ進まない案件でも諦めずにネットワークを構築していこうと考えています。ボクたちの今後に必ず必要な時が 来ると信じているからです。彼の巨大な董事長室でみんなでひざまづいて 会社と兄弟姉妹(信徒同士をこう呼び合います)それに 「中国の祝福のために」祈りと 賛美をしました。こんな商談はあまりないカタチでしょうねぇ。夜は9時半まで夕食にも招待されてしまいました。それにしても、人相が福々しくてまさに裕福な印象を持ちました。
2007.01.26
LGさんは今、北京大学で学んでいます。西洋哲学の論文を提出して、いくつか試験をこなしていると連絡を受けました。その間にLGタイタイにT社長の案件を取り次いでもらっています。ところで、そのLGタイタイの体調不良がなぜこんなにも長引くのか、これは 「霊的」な攻撃だということは 理解しています。教会を開いている 彼女のところには中国全土 どころか世界中の中国人からありとあらゆる 「悩み」相談が舞い込んできます。そして「祈ってくださーい」と駆け込まれます。この時、 世の中のあらゆる病気、経済的困苦、家庭不和、夫婦関係の破綻など悪化した霊を背負った方が中心です。霊で対応する時、難しい問題は かなりの霊的疲労が蓄積します。水木しげるの漫画のタイトルみたいですが「悪霊コレクター」と化しているのです。よってLGタイタイは この数年の奉仕のために霊的にボロ雑巾のような状態になってしまっていました。牧師は悩みが多い職業のひとつ、と言われているようですが、血の汗を流すような真剣な祈祷は確かに 相当疲労します。これは 明らかに ムリをしているのです。自分が教祖にならないように、と老婆心ながら助言しました。その上ここ数ヶ月 武漢大学の哲学の教授から連日 悪魔の囁きの電話をもらっている、という 攻撃を受けていました。教授は大学で 旧約聖書を 教えているのですが、旧約聖書の聖句を用いて呪いの言葉を 語りかけてくるというのです。(サタンでさえも旧約聖書を引用する箇所が新約には出てきます)個人的には全く よく知らない教授なのに、個人攻撃されてくるのは まさに 霊の闘いです。ボクは 拙い信仰者ですが、幼子のようになって 彼女の病状回復のために手を当てて 祈りました。霊的闘いということでは エリヤという預言者の箇所が 有名ですが、疲れた時にも 手を差し延べる働き人は 決してひとりではないと知ってくれたようで、表情が甦っていました。
2007.01.25
LGさんが昨週より2週間の予定で北京に行っています。理由は、牧師としての何かの登用試験のためだそうです。このため、昨年暮れからずっとこもって準備していました。ボクたちにとっては、ビジネスのパートナーとしていろいろなネットワークを紹介してくれる大事な窓口です。ただし、今のところ全くその成果は現れていませんが。。。このLGさん、確かに 中国の伝道活動では大きな期待の器です。とんでもない富豪や瀕死の病人も わけ隔てなく訪れてきます。彼は日本で福音を知りましたから、日本のために働きたい、という希望もあります。ちょうどボクたちと反対なのです。ただし、天のご計画がどうなのかは、まだ明らかにはされていません。ところで、LGタイタイの病状は思わしくなく、きのう 彼女が 「わたしのために 祈ってください」と弱弱しく語り掛けられました。彼女はほとんど、「わたしのために」とは言わない方でした。ボクたちにとっての恩人ですが、彼女の健康ために ここ数ヶ月真剣にお祈りしたことはありませんでした。どうしてか。ボクと彼女では 信仰のレベルが違うと、ボク自身勝手に思い込んでいたからです。彼女に対して祈るなんて滅相もない、という気持ちがあったかもしれません。(誤った考えですが)だけども、「癒しの賜物」を自覚しつつある昨今、今こそ立ち上がるとき!とばかり祈りました。そしてタイタイとYさんにも声かけて彼女の病状回復のためだけに祈る時間を持ちました。さらに「Kさんと一緒に彼女のもとへ行って、手を当てて祈る時を持つように。」という思いが与えられました。彼女がボクたちを導いたのは、ボクたちによって今度は癒されるようになるためなのか、という思いになっています。・・・あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。 (ヤコブの手紙 5章19、20)
2007.01.24
ある国の有名な政治家たちが地方視察のために高速を大型バスで猛スピードで走っていました。ところが、ある場所にさしかかった時、バスの運転手がハンドルを切り損ねて、下に転げ落ち 農家の納屋に突っ込んでしまいました。その状況を発見した農家の主人はすぐに土を掘って丁寧に遺体を埋めました。翌日 警察が来て現場検証をしました。警察が「バスに乗っていた人たちは知っているかね?」と尋ねると、農家の主人は「全員土に埋めました」と答えました。再び警察が「全員、即死状態だったのかね?生き残っていた先生はいなかったのかね」と聞き返すと、農家の主人はこう答えました。「おーい、大丈夫かぁ?と尋ねましたら、まだ生きているぞー、と答えがありました。でも、政治家の先生方は本当のことを言わないと聞いていますので、埋めておきました。」ジョークには国民差があると言われていますが、このジョークは世界中で受けるそうです。
2007.01.23
ボクは世間がクリスチャンに対して抱く3つの偏見があるように感じています。1つは 「信仰は女、子どもの弱い者が持つもの(三谷康人鐘紡顧問 現伝道師)」。三谷先生ですら、まだ正式に信仰告白していなかった時、このような見方をされていました。先日決意されたSTさんも自分でバリバリやるのが男の使命、そんなものに頼るのは 女々しいものがすること、と断裁していました。ボク自身もそうでした。ただ、この中国という異郷へ連れ出して、試練に遭わせていただいたのは、ボクにとって幸いでした。「弱さ」が自覚できましたので。(ここまでならないと気づかないスーパー愚か。でも憐れみを持ったご計画下だと自覚。)2番目は「聖なるもの」。あるHPで、牧師先生が「クリスチャンというのは悪い人たちの集まりですよ。」と指摘していました。自分たちは罪人だ、という人の集まりなのに、周囲は「聖なる者」ととらえているふしがあるわけです。もっとも、この「罪人」というのには、平凡に暮らしてきたと自負した者にとって、誰でも抵抗があります。LGタイタイが 以前「わたしたちは みな 罪人なんですよ。」と言ってボクたちに迫ってきた時、タイタイは「何で わたしが 罪人なのよっ!」と腹を立てて反発していたのはわずか一年前です。主の御前では 誰も無条件で「聖なるもの」のはずがありません。そして3番目。「万事 問題なく うまくいく」うまくいくどころか、問題が次々出されるのが、クリスチャン成長プログラム。STさんは、東京メトロチャーチの林先生が昨年上海で説教されたときに「洗礼を受けてからがスタート」この人生は「スピリッチュアル・ジャーニー」と語られていたことにずいぶん勇気づけられたとか。「医者を必要としているのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ5章31、32)
2007.01.22
土曜ビジネスマンの集いで嬉しい報告がありました。大手メーカーにお勤めのSTさんが、洗礼を受けたい、と告白されました。ボクよりも一回り年長で会社で重責を果たされています。長い求道時間を経て、ようやく心の準備がされたようで、すでにクリスチャンである奥様はさぞかしお喜びになられたことでしょう。さて、ミクシーの方で元このビジネスマンの集いに参加されていたMさんがこんな報告がありました。「最近、日本ではパワー・フォー・リビングという団体が熱心な宣伝活動をしています。どうやら、キリスト教系の団体で、聖書を読みなさい、という熱心な運動を惜しげもない広告費を使って行なっています。この動きご存知ですか?」ボクは初めて聞きました。日本人は一般的にほとんどキリストを信じるのを「宗教」と勘違いしていますので、ボク自身もかなりこういう団体活動は 出所が明確でない限り、デリケートになってしまいます。そこでボクはすぐに祈って 以下の2つの思いを示されました。それは以下の聖書の二ヶ所です。「恐れるな。語りつづけよ。黙っているな。わたしがあなたとともにいる。」 (使徒言行録18章9,10)福音伝道は祝福の種まきですので、聖書を大切に読むこと自体は問題ないです。「あの計画や行動が人間から出たものであるのなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者になるかもしれないのだ。」 (使徒言行録5章38,39)その団体の広告塔は 日ハムのヒルマン監督だったり、白い妖精ジャネット・リンだったり、異邦人の久保田早紀だったり、確かにプロテスタントのキリスト者です。問題は イエスを主と仰いでイエスの御心に従ってなされていることか、どうかでしょう。御名が伏されてはなりません。なおこういう動きによって日本でのリバイバル(信仰の復興)火付け役になるか、それは全く予測はできません。ただ、ボクが何かに携わると、それは2、3年後にハッキリとした形で社会現象になって出てきた「過去の人生の歴史?」からすると、さもありなんな出来事かもしれません。
2007.01.21
日本から見ると、この先 中国、インド、ロシアが経済発展する領域があるだろう、という思惑があって、投資対象に視察に出向いたりする人も決して少なくはありません。この中で ロシアは、共産主義の大変な後遺症が残っていて、なかなか 思うように国家として立ち直れないところが強い、と言われています。共産主義時代の ソビエト連邦時代を見ると、国家形成はまず 徹底した無神論から入りました。数多くあったロシア正教のほぼ98%が閉鎖され、4万2千人以上の牧師が抹殺されました。教会は「無神論立証博物館」として改修され、一部アパートや 倉庫に改築されました。国家が出していた新聞の名前は「Godless(神はいない)」。特に、スターリン時代の無神論教育は、幼稚園から徹底的に始められました。「みんな、神さまに向って、キャンディーを下さい、と祈ってください」しばらく、目をつむって園児は祈ります。そして先生はこう言います。「はい、目を開けて。どうですか、キャンディーはありますか?ありませんね。」「では、今度は スターリンにお願いして下さい。」園児が目をつむってある間に先生たちは 園児の机の上にキャンディーを配ります。「はい、あ キャンディーがありましたね。神さまに祈ってもムダです。スターリンにお願いすれば、願いは叶いますよ。」ソビエト時代のおよそ90年の間、国家反逆罪で 約6000万人!抹殺されたといいます。この後遺症が未だにロシアの国民に残っている、と言われています。精神的な病や アル中は蔓延し、男性の平均寿命は59歳。少子化は日本以上で、離婚率は何と 70%以上!成人女性は一人当り平均4回!中絶しています。ソ連が崩壊した時に、「あなたは何を信じていますか?」という世論調査がありました。その時、60%が「神を信じています」と答えたといいます。あれだけ、徹底的な無神論教育をしていながら、崩壊時にはこれだけが「神を信じていた」のです。ひとは究極で、ホントウに信じる対象を見出すのでしょう。いま後遺症から回復しつつある背景に あるエピソードがあります。それは、「アグロ-の女性たちのとりなしの祈り」というものです。アグロ-とは、アメリカの女性たちで形成された祈りの会です。あるとき、この会で 「ソ連へ行って、この国の神への立ち返りのために街頭で祈るように」 という「思い」が示されました。女性たちは、ソ連に入国し、モスクワの街頭のあちこちで 静かに とりなしの祈り を始めました。特に、共産主義教育の総本山「モスクワ国立大学」の膝元で 女性が数人でお祈りしていた時、「わたしは まもなく この場所を わたしの栄光を現す場所とする。しるしのため、この場所にわたしに関係しているものを埋めておきなさい。」という天からの声を聞きました。女性たちは、カバンに入れてあった「トラクト(パンフレット)」を取り出して、KGB(国家秘密警察)の目を隠れて、大学に植えてあった樹のふもとに埋めました。この出来事は、ソ連崩壊前のちょうど1年前でした。いま、そこは 聖書学校になっています。ロシアの指導者たちは、ソ連時代の過ちを省みて、国家を立ち直らせるためには、まず人のこころを立ち直らせないといけないと、いま全ての公立中学では「聖書」が必須科目になっています。ちなみに ある預言では 日本とロシアはほぼ同時にリバイバル(信仰復興)の風が吹き出すと示されています。
2007.01.20
上海、連日かなり冷え込んでいます。日本のNさん、お仕事が忙しいので、最近上海に来られることがありません。いつも、いろいろヤブ用をお願いしているのですが、それがままならなくなって、ハタと困った案件があったのですが、タイタイがNさんより「お祈りしてみれば。。。」というメールをもらった瞬間、ボクがK社長にお願いすることを思い立ち、一件落着しました。感謝いたします。さて、このように主に従って歩むひとは平安な導きに進むことを経験します。「サザエさん」の原作者 長谷川町子のお母さんは、強い信仰をもつクリスチャンでした。町子は漫画家になるために、16歳で「のらくろ」の作者である田河水泡の家に、住み込みで弟子入りしました。しかし町子は、お母さんが恋しくなってしまい家に帰るための理由を一生懸命考えた挙句、お母さんに、「毎週、教会にだけは通いたいから、日曜にはお暇がもらえるように水泡先生にお願いして」と頼みました。信仰を第一にしているお母さんはすぐに訪れて、水泡にそのことを頼みました。水泡は、「そりゃいいことだ、よかったよ、隣が教会なんだ。僕らも一緒にいこうか」と喜んで答えました。町子は、隣の家が 周りの背の高い植え込みのせいで、そこが教会だとは全然知らなかったのです。家に帰って教会へ行くという町子の願いは叶わず、水泡、奥さん、町子の3人で隣の教会へ通うようになりました。そこで聖書に触れるようになってから、水泡の人気作品「のらくろ」の中には、当時の日本の軍国主義を批判するようなものも出てきました。また、水泡は、教会で共に喜び、共に悲しんでくれる神さまの愛に満ちた人々と交わることで、救いに導かれていったのです。ほどなく水泡と奥さんは揃って洗礼を受けました。思ってもみない手段で伝道はなされるようです。ボクがその昔 スキーを本格的に教わったときに用いた野沢温泉(新潟県)の旅館は 田河水泡の定宿でした。サザエさんに伝道されていたんですね。
2007.01.19
これが上海大学(じつは私立大学なんです)の美術学院です。国立近代美術館 というような雰囲気ですよね。ここで親しくさせてもらっているKさんが教授しています。Kさんは、ハルビン出身。魯迅を記念した芸術大学を飛び級で進学し、上海に来て油絵の家庭教師や大学での指導をしながら、今に至っています。最初上海に「上京」してきた時には、学校から月給600元うちアパート代で500元消えた、と言います。それが いま、自己のマンションとアトリエを所有しているのだから大したものです。彼が Gさん(ボクに呪縛解放の祈りをしてくれたオバサン伝道者)の絵を初めて見た時の衝撃は相当なものらしかったです。どうして、こんな色使いができるのだろうか?!素人なのに!・・・感動で涙がボロボロ止めどなくこぼれたと言います。絵だけを何十年も取り組んできたプロの目からしても、こんなに感動するほどのことはなかったのです。Gさんは、突然画家になってしまったけれども、職業的にコンスタントに書くわけでなくて、霊に満ちて 生命に感動しないと、筆を運びません。Gさん結局 昨年は絵を一枚しか仕上げませんでした。タイタイは その絵を見て、「帰るべき故郷が描かれているような落ち着きを感じた」と感想を言いました。Kさんに向ってGさんが「これはイエスさまが、わたしを通してこれをお描きになったのです」という証し(証言)を聞いて、すぐに イエスを信じたと言います。普通の人間が、上手くなったというレベルでないことは確かだと、はっきり悟ったからだそうです。そう言えば、北京在住の中国ではかなり有名な作家(巴金並の)は、ある時、何気に聖書を手渡されて読み始めると、「これは人間が書いたものであるはずがない。人間ではこんな文章は書けない。」と言って その場でイエスを信じた、と言います。主のわざは天才の鼻をおるのです。
2007.01.18
アパートの近くに長寿公園という 響きの良い名前の公園があって、その前を通って、バス停留場をよく利用します。この公園内には、箱根彫刻の森美術館ほどではないとしても、彫刻が いたる所に 配置されておりまして、市民の憩いの場所になって・・・・いるのかなぁ?というような、彫刻? に遭遇してしまいました。それがこれ↑市内の公園や街路には、有り余る予算?にあわせて、実に 過剰な装飾品や 彫刻(前衛芸術?)も 乱立オンパレード気味になっております。友人の都市計画博士 Yさんに「景観的見地」から言ってこれどう思われますぅ?(中国語だと、ぅはないけども)と尋ねましたところ「なんですか、これっ!中国人ほんとゴメンナサイですね。」と全面的に深謝されました。つまり、「吃飽了。」だと思います、と付け加えました。(ふつうは 「お腹一杯。」の意味。でもこの場合「暇すぎてやることがない」、場合によくこの表現を上海人は用いる)前日台湾人の日本語の生徒が「ほんと 中国人センス全くないんだから・・・」とタイタイに愚痴をこぼしているというのを、聞いていたばかりです。センスがないと感じるのは台湾人。センスがないとも感じないからセンスがないのでしょうね。
2007.01.16
人間は塵と泥と灰からできており、 さらに悪いことには、もっとも不潔な精液から作られる。 彼は肉欲と、激しい情欲と悪臭を放つ放蕩の中で身篭られ、 いっそう悪いことには罪の汚れの中で孕まれた。 また、彼は苦労、恐怖、悲嘆に苛まれるために生まれ、 さらに悲しいことに、死ぬために生まれたのである。 彼は主なる神や隣人を怒らせ、 自分自身をも傷つける悪いことを行う。 また、彼は名誉、人格や良心までをも曇らせる 無益で邪悪なふるまいをする。 彼は果たすべき真剣で有益なものをも怠り、 無益なことを行う。 彼は常に燃え盛り消えることのない火の燃料となり、 また、つねにむしばみ、食い尽くす不死なる蛆虫の餌食となり、 さらに、常に悪臭を放ち、汚辱にまみれた 恐ろしい腐敗の塊となろう。 ロタニオ・デイ・セニ(後のインノケンティウス三世) 『人間の悲惨な境遇について』 12世紀頃 福音のすばらしさを 述べ伝えるのに、 パウロが「わたしは福音を恥としない」と 強調したように、 自分の魂にクサビを打ち込むごとく、 染み渡らせることは必要です。 救いの必要性は にわかには認識できない人が 多いと思えるからです。 ムリもないことですが。。。 人間が、単に弱いもの、卑しいものとしてだけではなく、 「悲惨なものとしての存在」 として見る事が 大変重要だと福音宣教では語られます。 それで、「人間の悲惨さ」を調べていたら、 冒頭の ローマ教皇インノケンティウス三世の 若い頃の書簡が ひっかかってきました。 おや、 と思いきや これ 数年前 父が翻訳した本でした。 以前は 本やオモチャのリサイクルを しておりましたが 今は ちょっと強引な表現ですが 「魂のリサイクル」に 着手しております。 リニューアルかな。 まず、じぶんから。 「医者よ。まず、じぶん自身を治せ。」
2007.01.15
確たる信仰を持っていなかった頃にはボクの抱いてきた思いはおおよそ 次のようなものでした。まず 自分で目標を見つけて 自分の人生を 自分で計画して 自分の努力で切り開いていく。。。その中には ほとばしる情熱が必要。 そして 勇気 忍耐 斬新なアイデア人としての愛情 など努力して 研鑚していく。。。出来もしないのに。ただ、このような志向は、人としてあまり 悪い姿勢ではないと思います。しかし、この生きざま には限界があります。まず、絶えず移り変わる 世の中の価値観に 自分の人生の目的を当てはめようと 必死にもがき苦しみます。どうしても 外部の環境・状況・そして周囲の人の意見などに左右されます。励ましという美名の名の下にそそのかされる事も経験します。なんと言っても、自分の非力さ、未熟さをイヤというほど思い知らされます。そこそこ 苦労するわりに、実が結びません。一方、 聖書の世界の教えはこの考えと まるきり逆です。まず人生の主人公は 自分ではありません。自分で設定する 目標や計画 そして努力も 要求していません。人生を主イエスに明渡す。まず、神 そして 主イエスに聞き従う。そして、それが為されたとき、その人が 最高の実を結ぶ、言うなれば そういう教えです。「私が やり遂げる」 ではなくて「私に代わってイエスが やり遂げて下さる」となります。そして、イエス(神)が こうなる と指し示されたものは、たとえ 人間の思いでは 理性的に不可能のように思える事柄でも 必ず 成ります。もし 私の与えられた目標が100です、でも私の力は20しかありません。普通は 私が80努力しようとします。でもイエスは 20のままで 良いので、あとの80は 私(イエス)に任せなさい、と仰ってくださいます。・・・全て疲れ、重きを負うた者 私のもとに来なさい。私が 楽にしてあげよう。 (マタイ11章28節)日本人は この80努力せざれば人にあらじ、というくらい人間の努力を称賛しますし、またそれは 尊いことです。でも、イエスはそのままでOK、そのまんま東 ならぬ そのまんまイエスなのです。元カネボウの総責任者だった三谷さんという方は「逆転人生」という書物を著されています。何度も左遷に遭いながらも、主に聞き従って、最後はオールカネボウの顧問にまでなられました。引退した今は伝道者として歩まれていますが、どんな時代でも 生き残る価値観、それに聞き従って 勝利の道は 確約されると思います。
2007.01.14
日本人は電話をかけると、「あ、もしもし ○○ ですが。。。」と かけた方が「もしもし」と 語りかけます。一般に中国語ではこの「もしもし」を口畏 (ウェイ)と置き換えますが、これは電話を受けた方が語る言葉です。これは英語でも同じで一般に電話を受けた方が、 「Hello!」と語ります。この一つの動作は大変些細なことです。でも、明らかに違います。会社などでは、電話に出るとき「はい、○○商事でございます。」と即答するように教えられる教育が多いですので、「もしもし、○○商事でございます」とは答えません。ちなみに、「もしもし」を中国語で表記しますと「摩西 摩西」となり、これはユダヤの預言者「モーゼ」を表す中国語と一致します。(深い意味は無いと思います)
2007.01.13
消印に昨年暮れ付けで「成城郵便局」として出された年賀はがきが届きました。見ると、日本語離れした独特の表記。父からのものです。人にはクセ字というものが少なからずありますが、もはや 新書体か、はたまた ラテン語か、と思わせる 個性のある表記は「名は体を表す」と言いますか、「字が人を表す」と言いますか、ワープロにはない感慨があるものです。ところで、昨年は同じように 母が 住所とあて先を書いてきました。父は 一般常識を わきまえますので、まず 年賀はがき に「by Air Mail」 と赤字で 書き添え、さらに はがきに 20円の追加切手を貼り付けて 送付してあります。ですが、昨年の 母からのものは何も 手を加えず、あて先を 中国上海市 といきなり 書き始め、追加料金も払った形跡は全くありませんでした。まるで 東京から山梨に出す手紙のように そのまま年賀はがきを 出して、そのまま ついてしまっていました。このように けっこう、何も考えないでそのまま 済ませてしまっているようなところが あります。最近 聖書のことばかり書いていますが、知らぬ仏も 偉大です。
2007.01.12
人類最初の殺人事件は創世記に書かれてあるアダムとイブの子供たち「カインとアベル」の兄弟同士の殺人事件。兄が弟アベルを妬んで、思い余って殺害した事件。カインの罪は全ての最優先順位が「創造主」に対してではなかったこと。年明け早々から大きな衝撃が走っている「妹バラバラ事件」。中国人の誰に話しても卒倒してしまう、猟奇殺人。でも、今の日本では年間に同レベルの信じがたい事件が連発しているので、もはや犯罪の凶悪度は「アメリカ」以上。本来、「まとまり」を求めようとするのが、家族のあり方だろうけれども、象徴的に「バラバラ」にしてしまおうというところに、束縛からの破壊的な解放という動きに走ってしまったのでしょうか。しかしながら、現代の日本社会では多くの家庭でも、このような事件は決して極端な出来事ではないとさえ感じていると思います年初より 教会で主が示されている大きな課題は 自分だけでなく 家族ならび先祖の罪に対しての悔い改め。イエスの十字架の救いが完成されているとはいえ、我々がアダムの子孫であり、カインの末裔であることゆえ、創造主の前には その悔い改めが当然必要な行為でしょう。
2007.01.11
年末北京に戻っていたLGタイタイ。北京市のど真ん中にある実家で待っていたお父さん。元京劇のスター役者。LGタイタイは、日本留学中重病に倒れ、さんざんいろいろな病院や神社を這いずり回り、その時、救ってもらったのが新宿にあったキリスト教会。そこで、イエスに出会いました。中国の次世代リーダーになるべく、決死に勉強して、日本留学。結果 得たものが福音。いま、伝道者の妻として、いろいろな困難を耐えている娘に向い お父さんは 長いことなかなか理解できなかったようでした。ところが、今回実家でお父さんはこう言ったそうです。「何で、頭もそんなに悪くないような子供や ボクの仲間まで、みんな次々に伝道者になるんだろう。そんなに、伝道が大切なんだろうか?そもそも生活ができるのか。」無神論教育で育った世代には完全に理解不能なのです。北京の友人の優秀な若者や、知り合いの企業経営者までもが、ある人は 会社を辞めたり、会社を売ったりしてまで、伝道者になる最近のお父さんの周辺の現象を見て、とても不思議なので、娘に質問を投げかけました。娘のLGタイタイは、「伝道を通じて得るものは、金銭など にとても換えられるものではないです。日々、生活の糧には事欠いたことはありません。わたしたちは、ずっと ビンボウに近い暮らしはしていますが、それでも 伝道だけは 辞めてはいけない、とだけ思っています。」農村部では、一度に村単位で救いを受ける話も増えました。都市部では特に金融関係に勤める若者層が救いを求めている動きが著しいのです。いろんな情報や 人の行き交う国際社会になりつつある、ここ中国。人々は しっかりした人生の土台をどこに据えたら良いか、を真剣に求めています。
2007.01.10
昨年暮れ頃から「霊」づいていまって、何か事あると、これは「悪い霊」の仕業だ、とか ほざくようになっています。信仰を持っている人にも、こんなに ボクたちが霊的な話を続けてするものだから、ちょっと ダイジョウブか?と気になさって下さる方もおります。これは、確かにそうです。あまりヘンな力に頼りすぎると、そこの隙間にキケンな要素が発生します。サウルですら呪術師を使ってサムエル(預言者)を呼び戻しました。ですので、ボクたちは理性でも また 霊でもどちらでも 祈り、そして 語ることができるのを求めています。昨年暮れからだけでも、他者のカラダに起きた変調、「口内炎」「頭痛」「カラダのだるさ」などを瞬時に癒した上、じぶんの「歯痛」「腹痛」「風邪」を癒し、さらに 以下のことを2回体験しています。部屋にある ドアがギー、ギー大きな音がなるようになりました。小学2年の頃、あるテレビ番組で「家財道具にとりついた音は、悪霊によるものがある」という話題をボクは覚えていました。この話は 気味が悪く、怖かったので、そのままずっと忘れていませんでした。なので、ためしにこのドアに手を当てて、「イエスの御名によって命ずる。悪霊よ、立ち去れ」と祈りました。しましたら、やはり 音は消えませんでした。ですが、 (前にもこれは書きましたが)翌日 橋の上を歩いている時、今日家に戻ったら直っている、という「思い」を抱きました。家に戻って、確かめると全く音がしなくなっていました。きのうは、これと別の台所のドアが急にスゴい音が鳴り始めましたので、同じく 祈って 命令しました。やはり、その時には 音が止みませんでしたが、手を当てているうちに、明日には直るな、という直感がわきました。やはり、音は消えました。全能者には全てが可能だということを教えてくれているかのようです。「悪霊があなたに服従するからと言って喜んではならない、むしろ 天に名前が記されていることを喜びなさい」 (ルカによる福音書 10章20節)幼子のように信じる人がいいようです。ボクは もともと知能が幼子のようなので、効果覿面なのでしょう。
2007.01.09
スモール・ストーン・ミニストリーという伝道活動をされている井上薫牧師を迎えての日曜礼拝。スモール・ストーンとは小石。イザヤ書の「あなたは小さな石。使うのはわたしである」というフレーズから取ったもの。井上先生は、元ヤクザ。「ミッション・バラバ」という元極道の人たちで形成した伝道グループのメンバーのひとり。よって、指もないし、カラダはイレズミ。(バラバは イエスの代わりに十字架刑から釈放された 犯罪人)かつて「親分はイエス様」という映画でも一時話題になったことがあります。その、劇的な人生の転換はスゴイことですが、先生の顔の変わりようは喧嘩屋時代から比べると本当にご本人か?というほど見違えるようなのです。この映画の主人公を演じた渡瀬恒彦は役者なので、人の顔には普通の人以上に興味を抱くそうですが、元極道の人たちがイエスに出会ってからの、人相の変化ぶりに仰天して、きっと何かがある、確かめてみたい、と昨年ボクたちも 日本では初めて訪れた教会神奈川の大和カルバリーチャペルに訪れたことがあるそうです。その時、賛美歌を歌い、説教を聞いた時、やっぱりこの世に神はいるんだなぁ、と感じてボロボロ涙したそうです。ちなみに、その昔 タイタイが彼女のお母さんを連れて、初めて東京のボクの家に来た時、駅前の「中華」レストランで食事をしましたが、隣の席に 渡瀬恒彦一家が座っていました。それはともかく、この日の 井上先生のメッセージも大変 深く感動するものでした。「涙をもってタネを撒くものは、喜びを持って束を刈り取るだろう。」という詩篇の126篇からのものでした。食事会では先生ならではの暴力団談義にもなりましたが、「裏の世界も 深いけど、聖書の世界は もっともっと ずっと深いです」が 締めくくりの言葉でした。先生の奥さんは今 アモイで語学勉強をされていて、今回 上海に来てくださいました。きっと 主のご計画の中にあって中国で何かなされる のではと感じています。
2007.01.08
この先、 上海株式市場がいくらかの調整を続けながらも、今から倍を目指して進んでいくことはあまり疑いようがなくなってきました。中国のCCTV国際版で昨年度の上海における外資のサービス業における投資増加率は33%に達した、と報じていました。さらに、外国で教育を受けた中国人を国内で現地化再教育するための受け皿も充実していく意向が報じられていました。総じて、「中国の将来は Bright (輝かしい)」ものであると、評していました。人民元がどのくらい円に対して強くなるのか、一昨年の2月は 1万円で800元に交換できましたが、現在は 1万円で650元程度にしかなりません。2005年6月のブログにボクが生活している感度での実勢価値は 1万円で300元程度、と書きました。(1元 35日本円)サービスや商品の価値を鑑みますと、そのくらいで推移してもおかしくない、と感じての私見です。この国際間の調整が勢いを増して、さらに進むと思っています。上海におりますと、欧米人(皮膚の色関係なく)がたくさん 歩いていますが、あまり存在感ありません。勢いある上海の街の背景に埋没してしまうのです。そういえば、 ある中国人男性が中国では日本ほど欧米人モデルのポスターが氾濫していないのは、中国人の女性でじゅうぶんスタイルが綺麗な人が多いからだ、と言い張っていましたが、そういう世界に対抗できる要素が 確かにたくさんあるかもしれませんね。
2007.01.07
・・・ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害しうるのか」と呼びかける声を聞いた。 多くのクリスチャンが 好きな使徒行伝9章3,4節のサウロ(サウル)こと パウロの回心のくだりです。異邦人宣教に大きな働きをしたパウロは もともと 大迫害者でした。彼が、初めてイエスの声を聞き、その光を見た場所は、ダマスコ、つまり 今のダマスカスでした。今年になって、教会で初めてお祈りした対象地域は「シリア」(ふだん何も意識していない国家、 存在すら。トルコとイスラエルの間にある貿易国家。)ですが、そうです、ダマスカスは、現在のシリアの首都です。今もダマスカスには 当時からの教会がまだ たくさん残っているといいます。いつか、パウロが倒れた場所にも行ってみたいと、考えただけでもゾクゾクしました。(想像して、ゾクゾクする時はけっこう 達成するものです)ただ、イスラム勢力が強く、牧師の数が足りない、のだそうです。また、なかなか統制が厳しく宣教師を派遣することもできないようです。こんな祈りを、中国でしているわけですが、この先中国から多くの伝道者が世界中に派遣される様相がでてきました。かつては、中国の未開地に欧米から 宣教者が来ました。でも、オリンピック、万博後、世界の超大国としての地位が確立していく中で、今度は、福音伝道が 中国から世界へ向けてなされるかもしれないのです。メイドインチャイナ、は実に工業製品や食料品などだけでなく、福音宣教が台頭してくるでしょう。一昨年初夏 上海証券指数が 900ポイント半ばだったころ、これから資金が 不動産ではなく、株に流れるとボクは 予想(肉による考えで)しました。2年しないうちに、この指数は2700ポイントに膨れ上がりました。ボクは、福音宣教が 今 その900ポイント段階だとするとこの先3年で やはり3倍に膨れるのを昨日 預言(黙想における示し)しました。
2007.01.06
バスに乗っていると、中国人の若い女性が日本語で大きな声で電話し始めました。「・・・あ、どうも こんにちはー。○○(店の名前)の○○ですー。今、上海ですー。△△さん(日本人の名字)、会いたいですかぁー?」チョッと派手目な、その女性は次々に電話をしていきます。きっと正月休をもらって、どこかに旅行してきた帰りでしょう。馴染の日本人客に対して、早速の営業攻勢です。となりに、日本語のできない若い女の子がいて、都度 その子に中国語で 状況を伝えています。チョロイもんだよ、という顔して、日本語を操る、その女性の大きな声に周りのバスの乗客は、どういう感じを抱いているのでしょう?さて、帰りの路上の屋台では遠目から見てもすぐに観光客ではない日本人とわかる オジサンが椅子に腰掛けていました。すると連れの娘ほどの若い中国人女性から「おいしーい?」とアタマなでなでされながらご機嫌を伺われていました。正直 何とも、マヌケな光景でした。最近発刊の ある中国の雑誌に日本企業の特集がありました。表紙に載ってあったタイトルが「傲慢と偏見」(副題:日本企業が撤退する理由)何とも、さびしい気持ちでした。
2007.01.05
日本から2組のお客さまとの懇談。バスで移動しているとき、ふと こんなことを思い浮かべました。「ボクはこのバスで どこへ向っているのだろうか。表面上は、中山公園駅かもしれない。でも、このボクは確実に死に向って走っているのだ・・・。」正月に「死」に向って 走っているとは、縁起でもない、というような話につながります。正月なのに、ガイコツを晒して街を練り歩いた一休さんのエピソードのような シニカルな話題です。前ならば、 ここでがく然と意気消沈してしまう、ボクの想像力だったわけですが、天国への切符を手に入れた今は、この地上での「死」の後に、いよいよ「永遠の命」が始まるぞ、と考えると、勇気が湧いてきました。イスラエルに部族ごとに12の門があるそうです。そして、それぞれの門の方角線上に則して、世界の各国に対して 様ざまな預言が旧約聖書に記されております。それを踏まえた祈りをこの先3ヶ月かけて祈ることがスタートしました。まず、初日は シリアと イランについて。それぞれの国には、その簡単な歴史と、主要産業、政治の動向、さらに 福音がどの程度伝わっているかのデータが記された 手引書が配布されました。日本の 紹介記事を見ますと、「自殺率世界首位」というような言葉がまず目についてしまいました。忌まわしい、とは 己の心と書きます。己の心に執着して、天国切符を持っていない人が減るように、祈ります。
2007.01.04
美味しい火鍋屋さんを発見!何店舗かある「牧羊人家」というお店。長風公園に近い場所。中国人の友人Yさんご一家が招待してくれました。いくら彼らも肉が好きだからって、「全日本プロレス」の研修生並に6皿も頼んだら、残しますよ。 よって、お持ち帰りに。さて、その食事中タイタイが またまた不明の突然の体調不良。お任せください、カラダのトラブル。さっそく 背中から 首にかけて手を当てて、主におゆだねします。感謝して、 清い霊に満たされるように、そして 悪い霊が 出るように追放する祈りをしばらくします。紛れもなく信じることが何よりも重要だと思います。ほどなく癒され、美味しい美味しいと鍋料理をパクパク食べ始めました。悪霊の立ち入る隙は 油断する しないに関わらず、ボクの信仰を試す意味でも現れると思います。ジョージ・ミュラーという1800年代後半に孤児院を沢山創設した 祈りの大家は、状況環境や感情と 信仰は別物だ、と強く主張されています。彼の祈りのエピソードは 多く語り伝えられていますが、とりわけ、 彼が 霧の深い船旅の最中目的地に行くとき、どんな航海士でもムリだと判断せざるを得ない状況の中、祈りによって 霧を解消し、目的地に着いた話は 有名です。彼はそのとき 極めて短い祈りを主に捧げました。そして、 一緒にいた船長も祈ろうとしましたが、それを拒否しました。「あなたには それが必要ありません。第一、 わたしは 主がそれをなさると完全に信じて祈りました。第二に、 あなたは 主がそれをなさると信じていません。だから あなたは 祈る必要はありません。」信じてお祈りすることは、とても大事です。
2007.01.03
正月といっても、ビンボー暇なし。何やかや外出することが多く、戻ってきてはブログに打ち込んでいることが多い年明けです。年末29日、台所のタイタイが アタマが痛い、と言ってきました。ボクは 先日来 「癒しの賜物」はイエスを信じるものには本来 誰にでも授けていただける、と書いたばかりです。ボクは それを疑いなく行動に移します。すぐに 彼女のアタマに手を当てて、お祈りをします。まず、感謝し、そして癒してください、とお願いします。そして、この痛みが悪霊によるものであれば、立ち去るように命じます。全面的に癒してくださることを信じて感謝をします。まだ、タイタイが どういう状況なのか聞かないうちに、感謝します。そして、清い霊によって満たされ、悪霊が完全に彼女から離れることを 全く疑いなく 主にお願いします。そして、ボクは その場を賛美して離れます。どう? と尋ねると、タイタイは「実は 手を当てられて悪霊よ 出て行け、と言われているとき、アタマの中から 3度ほどグっと何か引き出されるような感触を ハッキリ体験したよ」と言いました。つまり、このときは すぐに癒されたわけです。これには まず 与えるほうが信じ、癒しを求めるほうも信じていることが最も効果があると感じます。いま 日本でも大流行しているウイルスなどの話題は ここ上海でも日本人の間で よく聞きますし、中国でもニュースになっています。医者に聞いても 薬を投与してもダメなモノに対して、ますます薬を使って副作用をもたらすケースが後をたたないと思います。まず、手当てと祈りによって始めることが 大事なのでは と思っています。・・・ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」 (使徒言行録 3章6節)(生まれながらに足の不自由な男を 歩かせた使徒ペトロを通して現れた主の癒しのワザ。「アルプスの少女ハイジ」クララの足の回復の名場面にも ヒントを与えた個所)
2007.01.02
新年おめでとうございます。元日5時まで LG宅にて徹夜の祈祷会に参加していました。こういう年越しは初めてです。大晦日 夜7時くらいからウワサなどを聞きつけて駆けつけたのは約20名ほど。まず、火鍋料理で 腹こしらえして、夜10時から スタート。ほとんどの中国人がボクたちにとって初めての人であるし、いったい どんな状況になっていくのか検討が全然つきませんでした。冒頭 ナイジェリアやアルゼンチンなど で実際に起こった 「祈り」による政治的な改革についての事実が紹介されました。この祈りの会の目的は そういう政治的な改革を求めるものではなくて、祈りによって与えられたインスピレーションを実際に体験しよう、ということでした。まず、過ぎ去る06年の感謝の祈りが 2時間近く 続きました。これをしている中でLGさんと 若い女性、が 異言を語り始めました。異言とは 何語かはわかりませんが(本人もわからないケースが多い)一部のキリスト者に 与えられた賜物で古代語などの外国語で賛美する祈りです。若い女の子は そののち、ドイツ語で 賛美歌を歌い出しました、同時にLGタイタイは LGさんとは違う 異言を語り始めました。ある おばあさんは ハレルヤを繰り替えしているうちに小鳥のさえずりのような 清らかな音色で歌い出しました。きっと 何もわからない人が その場に立ち合わせると気味が悪くなるような 話かもしれませんが、格式に従った 教会のスタイルでなければ、こういう 祈りをする教会は世界いたるところにあります。ボクとタイタイは LGさんの主宰する祈り会は 初めての参加でしたが、一体 何のためにこういうことをするのかなど全く 知らないものではないので、極めて 冷静に参加しつづけることが出来ました。1時間ごとに 30分ごと休憩して、交流をしたり、ケーキを食べたり(友人Yさんの差し入れ)、おにぎりをほうばりました。(タイタイ作の日本風)。明け方3時から4時にかけて、参加者のうち 5名が 「預言」の賜物を 持っているということがわかってきました。黙視して、ビジュアル的にあるイメージを語っていきます。それをLGさんが メモしていきます。神学的に どういうことを意味しているのか後で 解析していくためです。大体、それぞれが天から与えられたイメージを受け止めると、同じような色や形を口々に語っていきます。朝4時過ぎになりますと、だいぶ眠くなってきて、半分眠りながらの祈りの状態。この祈祷会を通じて、ボクたちが得た 大きな指し示しは、LGタイタイへのしつこいサタンからの攻撃でした。じつに、ボクたちを導いてくれた当初にはほとんど感じなかった「強さ」への憧憬が いま全面的に出ているためLGタイタイには 霊的疲労があると感じました。早速、タイタイと 家に戻ってそのことを確認しあいました。一方 LGさんのアイさん(お手伝いさん)の顔がとても輝いていました。彼女は 祈祷中 ずっとタイタイの顔を見ていました・・・。そのことが とても印象に残りました。
2007.01.01
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