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昨年の元旦は籍を置かせていただいているダンナもタイタイも日本語学校の授業がすこし慣れてきたかな、という感じで年の瀬を迎えて、またダンナはグリーンサービス(観葉植物のレンタルサービス)の飛び込み営業をしていく中でしだいに上海の中で糧を得ることの実践の入り口に立ったような感じでした。ことしは、方向性というものがだんだんはっきりしてきて、ダンナもタイタイもそのための準備期間といったしかし、とても多くの経験を得た年でした。とくに、2月から始めたカルチャーサロンは、いまとなっては、要領がつかめてきましたが、まったく初めての試みだったし、未知の業界に関わる内容でしたので、ほんとうに不安いっぱいでした。ですが、多くの関係者の協力もあって、だんだん恒例行事化してくるほどになりました。さらに、7月には日本から多くの上海に関心の方々をお迎えした戸田セミナーを達成することができたのは、ほんとうにすばらしい体験でした。同時に、LGさんによって中国側での受け皿の会社を抱えることができました。これも昨年はなかったことです。そして日本側のSクンの支持のもと、日本の事業体「ライングッドジャパン」(ひょっとしたらブログで初公表かもしれません)の立ち上げも行なうことが出来ました。(サイトのアップがいまだできずにいますが)まだまだ助走の段階で、ほんとうに何もかもが始まったばかりなんですが、今年の一年は大きな意味を持つ一年だったのでは、と思います。ブログを見ていただいたみなさまこの一年ほんとうにありがとうございました。いろいろな困難に途方にくれることもあるのですが、このようなチャレンジ機会があることを感謝して、来年も前に進むことを誓いたいと思います。・・・三日坊主は決して悪いことではありません。三日坊主が悪かったのは、五日目にもう1回やろうとしなかったからです。三日坊主を1年間やると、たいへんな成果が上がります。1年間の四分の三の期間、努力したということなのです。人には誰しも波があります。疲れる日だってあるのです。そういう時は、気分転換をしましょう。そうして、次の日からまた続ければいいのです。」(石原明著 「成功曲線を描こう」より抜粋)
2005.12.31

中国本土株は、6月半ばの大底から8月までの急騰のあと、12月初めまでなだらかに下げつづけるような展開でした。12月に入って戻り調子が早まり、この1ヶ月で約8%くらいの伸びを示しています。具体的な仕事のことを進めていたので、この2ヶ月は証券会社に行くことはありませんでしたが、今週は何回か顔を出しました。証券会社は、以前の場所から引っ越しています。あたらしいマンションの2階部分で、前の会社のイメージとはまったく違って、ふつうの会社のような感じ。今年は日本株が大幅に夏場以降上昇している反面、中国本土株は秋以降さえない動きがずっと続いていましたから、前よりも注目されていないかもしれませんが、株はどこの国に限らず、投資家たちの資金の循環で動くでしょうから、これから旧暦の年明けに向けて本土株も大いに期待したいですね。12月30日が日本でいえば大納会です。
2005.12.30

自宅兼事務所の状態なので、ついついお腹がすくと、近場で買ってきた「おつまみ」を口に入れてしまうのが習いグセとなってしまっています。とりわけ、ナッツ類が日本と比べるとたいへん安いので、落花生やアーモンドなどヒマさえあれば、口に運んでしまうのは、あまりよくなのですが・・・。いつもお世話になっているS氏が、朝食の代わりにも食べているというこの食品↓この雷おこし風のおコメのお菓子は、当初いかがなものか、と食べず嫌いの毛がありましたが、(口の肥えたNさんもバカにしていた)食べて見ますと、たいへん香ばしくて軽くておいしいので、外出時の非常食とまでは言わないのですが、かなりGOODです。とくに牛乳と一緒に食べると合います!また、この柚子(日本のユズと表記は同じらしいですが)という果物↓。恐竜のたまご大もあるはっさくか夏みかんのお化けのようなものですが、これもうまいたべものです。リヤカーの果物売りや、街の果物屋、スーパーどこにでも売っている冬の味覚のひとつですが、見た目の大雑把さには抵抗がありますが、バリバリ分厚い皮をむきながら中身を取り出しますと、ぽろぽろそんなにジューシーではない実が出てきます。これをサクサク、カリカリ食べるのです。夏みかんなどに比べてべチャべチャに汚れないで食べることができて、甘味もほんのりのものはなかなか美味です。あと、先日日本からお越しのT社長らと昼食時に出された冷しゃぶのようなもの↓これは見た目上海の街路にある洗濯物のようなイメージですが、このお肉料理は、ことし食べた肉料理ではいちばんおいしかったものかな。これをタレ(ポン酢のようなものでした)につけて食べるんです。もう一度食べたいと思ってこの間のクリスマスの夜にここの店に行ったのですが、何と言う名前の料理なのかさっぱり見当がつかないので、あきらめました。この写真をもっていけば一発でしたのにね。上海の食べ物は傾向的に見た目うまそうは、それほどではなく、見た目そんなでもないものは、意外にうまかったりします。
2005.12.29

「上海オフショア開発視察ツアー冬の陣」の開催をお知らせします!いますぐ中国パートナーに発注する予定がなくても、「一度は中国を見ておきたい!」という方、大歓迎です! まずは、本視察ツアーにご参加頂き、技術レベルは?日本語対応力は?本当に自分たちと取引できるのか?等々、中国パートナーの実力を肌で実感して頂きたいと思います。また、現地の中国パートナーとの交流会も予定しておりますので、大いに情報交換の上、将来のご商談に結び付けて頂ければ幸いです。現地では、日本語堪能な中国人スタッフ、日本人スタッフが皆様をフルアテンド(現地案内)致しますので中国出張が初めてのお客様でも安心してご参加ください!
2005.12.28

先の香港訪問の際にたいへんお世話になったKさんが上海出張に来られましたので、寓居にお誘いしてこころばかりのおもてなしをさせていただきました。予定内の工場停電日のため、休日となったタイタイは、あさからLGタイタイと打ち合わせ後、Kさんおもてなし用にアパートで料理の準備に奔走します。その後、夜は徐家匯の生徒さんのところで授業。休みでもフル稼働です。いっぽう、わたしは家事手伝いも行いながら、年末最終のつめの作業ですが、ひとつのことをきっちりヤリ遂げるのも案外骨の折れることがあるのは、とうぜんですが、年末という感じがまったくしないんです。ところで、Kさんをお迎えに夕方、華山路のホテルへ。その後、Kさんとタクシーでわたしたちのアパートへ向かいます。さすがに、市内をタクシーで走りますと、いっそう競争するように行き交うクルマの流れに年の瀬を感じますが、それにしても事故が多い。渋滞をかいくぐり、アパートについて、さぁ入ろうとした瞬間、カギがないことが判明。忘れたまま、出てきてしまいました!お連れしたKさんには、申し訳ないのですが、近所の火鍋屋さんに行っていただくことになりました。相当な品数を頼んだのですが、日本料理屋さんの食べ飲み放題のひとり分にも満たない金額で満足な味でしたし、Kさんのアジア・香港戦歴をじゅうぶんにお聞きすることができて言うことはなし。授業が終わったタイタイに店まで来てもらって、アパートでさらにちょっとおつまみ程度に時間を取っていただくことに。せっかくだったし、火鍋と手料理のコースでよかったかも(・・・と都合よく考えてばかりいるのはいつもダンナだけ?)カギを忘れたまま外に出ることなど、ほとんどないのにこんなことで、また想定外の行動で楽しみました。Kさんからいただいた香港ジャスコからのおみやげ。お正月乗り切りセットでも言えるようなうれしい内容。讃岐うどん、なめこ、おもち、のり、わさび・・・さすが海外歴長いKさん選択だけあって、異国生活者の身になったもの。すみません・・・、いつもいつも。http://www6.big.or.jp/~neon/BANFLD/WKB/img2345.gif
2005.12.27
ブログの順番が前後しますが、香港から来られたKさんはちょうどダンナと同じ世代。バブル真っ盛りのころ、学生時代を送り、就職先は「入れ食い」状態のとき。Kさんは、最初の海外旅行というのが中国で、そのとき体験したものめずらしさにひかれて、そのままアジア各国を放浪。ちょうど1988年にダンナがインドやネパール、バングラなどに放浪旅行をしていたころに、Kさんも同じような行程を放浪されていたんですね。「地球の歩き方」を片手に、あっちこっち格安旅行が一般的になっていた頃です。そのまま、Kさんは大学4年時に、いっきょに就職活動を休止して台湾に留学。ダンナと同じ日本語学校の台湾本部で教鞭を取りながら中国語を粛々と学び、いったん日本の商社に入社したものの、わずかの間で香港に飛び出してそのまま会社設立、ことしで満10周年という年季の入った事業家です。ダンナは、フツーに就職してフツーに会社になじめなくなって、フツーに転職を繰り返して、フツーに自営業をチマチマしてきたのですが、いっそうのこと早々と日本国外に飛び出していたら、どんな感じになっていたでしょうかね。Kさんが、あまりにも典型的な責任感の強い、手堅い日本人ビジネスマンなので、よくぞ、欲の塊にまみれてもおかしくない台湾、香港で都合15年間もビジネスを展開されてきたなぁ、とほとほと感心した次第です。Kさんのお知りあいの日本人中小企業の社長さんがこのたびバングラディッシュのダッカに工場をつくったとかで、ちょっと前にダッカまで一緒についていったということ。さすがのKさんでもなんでわざわざダッカなの?とうんざりしていましたが、ダッカでチャレンジされている中小企業のその社長さんの生き様もおもしろいとおもいますね。学生時代インド放浪を経験してきた人間が、歳月を経て上海で人生談義に耽りました。
2005.12.26

上海にも租界時代の名残りから数多くのキリスト教教会が存在しています。戦中、日本軍が約8年もの間上海を占領し、捕虜になった多くの上海在住のユダヤ人を城壁の中に幽閉し、ほとんど自由を与えなかった過去があります。その当時、中国人は日本軍の目を盗んで自由をはばまれたユダヤ人たちに食料物資の支給を手配した経緯があり、これが現在における中国人とイスラエル人の友好の絆になっているといわれています。(表面的には国家間の正式な交流はありませんが)現在のイスラエルの副首相だかは、たしか上海生まれであり、その当時の苦しみを味わっています。上海人のわたしのパートナーLGさんは、おじいさんを日本軍の攻撃で亡くしています。こういう歴史的事実はあるのは変えることはできません。もちろん、文化大革命の時代に多くのキリスト教関係の建物は壊され、いまのような公の目にさらされるようになったのは改革解放が始まって以降のものがほとんどです。さまざまな困難な時代を経てこころ寂しい部分もあるとはいえ、人種や国境をワケ隔てなくクリスマスの行事を自由に行えるのはたいへん喜ばしいことですね。日本人の集まる教会というのは上海には決まっていなくて、一般家庭やホテルを借りての集会がメインなんですが、そこで初めてクリスマスをキリスト教信者とともにする機会を得ました。出し物の劇のひと幕。ダンナもちょい役で参加しました。ご参加された上海での日本人界の名士の方のごあいさつで「でもクリ こそクリ」という表現をお使いになっていました。「でもクリ」というのは「あれでもクリスチャンか」と指をさされるような行為をしている教徒と、「こそクリ」というのは「さずがあれこそクリスチャンだ」とおおきくこの2つに分かれるというのです。もともとクリスチャンは「罪人」という問題から入っているので、ひとから賛美されるほどの者であるはずはなく、「こそ」よりも「でも」で落ち着いている自覚者が多いのだと思いますが、クリスチャンとして生きる上での微妙な心理状態を表現している言葉だと感じました。クリスマスにとっていちばん理解しなければいけない個所を説教のとき聖書から学びましたので、それをしたためてことしの記念とします。・・・神は、じつに、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることはなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネの福音書 3章16節)
2005.12.25

先日香港に行った際、あまりに街の景観美意識が上海と隔世の感がありましたので、唖然としたのですが・・・。香港の外観を香港島からの山頂から眺めて見たときにわかったのが、時間の経過をじっくり経てきた街と、上海のように短期間に創り上げてしまった都市との違いを感じました。香港の高層ビル群は時間の隔たりがあります。数十年前のもの、十数年前のもの、この4,5年のもの、最近のもの、という。一方、上海の高層ビル群、マンションはほとんどこの4,5年以内のもの。それもいっせいに建てられたもの。日本のマンションの倍の平米で、価格もさほど差がなくなったものをバカスカ建ててはいるものの、その前では相変わらず、2元(30円)程度の饅頭でお腹を満たしている一般の人々の生活があったりしているのは、整合性に欠ける話です。いっせいに建てているから、香港で感じたような時間の経過から漂う重みは感じ取ることはできないですね。常に気になっているのが、上海の粗さ。多少うわべはキレイに装飾しているつもりでも、ところどころの細かい配慮というか行き届かない無神経さにはやはり香港に一日の長があるのは明らかです。ましてや、要求高(ヤオチュウガォ)の日本人に向けての商品、サービス提供は上海の視線ではクリアしません。この建物の写真をご覧ください。どこにでも見かけることができる塗装の参考例です。キレイに施した装飾のようですが、ちょっと見ればよーくわかる部分の塗りの仕上げが全く何とも気にしないのでしょうか?こういうところが上海の盲点であり、これから大きく変る要素がある部分なのでしょう。
2005.12.24

・・・彼は望みえないときに望みを抱いて信じていました。(ロ-マ人への手紙4‐18)豫園に来年のカレンダーとロウソクを買いに行きます。わたしたちは洗礼を受けたクリスチャンではありませんが、上海でお世話になっている方々にクリスチャンの人が多いので、ことしは日本人の集まる教会のクリスマスのイベントに正式参加させていただくことになりました。場所は、ホテルの一室をお借りして行い、クリスマスのお祝いをするのです。中国に来て驚いた事実のひとつが、中国でのキリスト教の信徒の数が日本の総人口より多いということです。中国の共産党は、厳に宗教活動を戒めている部分がある反面、子弟の多くがアメリカ、ヨーロッパに留学している関係上、キリスト教文化の感化も受けており、信仰の自由を暗黙のうちに認めていく方向にはあるようです。日本においてはクリスマスは完璧な「商業イベント」として定着していることは、正式なクリスチャンが約130万人に過ぎないことからもわかります。日本での信徒の数字は10年前からほとんど変りませんが、中国では10年前はほとんど皆無だった本土クリスチャンが現在1億3000万人も確認できているということからすれば、この勢いは今後経済成長よりも目を見張るものになりそうです。
2005.12.24
タイタイのエネルギーがヒートアップしていて、わたしはかなり圧され気味です。きのうチャレンジャーの同胞上海起業ストーリーさんと打ち合わせをした際、ある部分似ているような境遇と状況に直面しているなぁ、と確認しあったのですが、タイタイはヒトシくん人形がスーパーヒトシくんに変身したくらい充実しているようです。こちらは、同じ釜の飯を食っている仲なのに、メランコリーな気分。タイタイ選手は、飛ぶ鳥の尻尾をかじりつく勢いです。ところで、そのチャレンジャー仲間のおひとりで昨年まではわたしたちの籍をおく日本語学校で教鞭をとられていたTさんが、ことしはご自分の経営する日本語学校でクリスマスパーティーを行うようです。単身上海に乗り込んできた女性経営者Tさんは、思うように進まぬ事態にもめげず、ことし初めてご自分の学校でクリスマスを行うのです。ブラボー!過去2回カルチャーサロンにもご参加されて貪欲に新しいことを吸収されようともされているTさんの今年は上海での記念すべきパーティーになりますように!智朗日語 12月24日土曜日 夜6時から8時までクリスマスパーティー 参加無料!詳しくは ⇒ 智朗日語
2005.12.23
わたしは前歯が欠けていて気にしています。これは千葉から山形に拠点を移した移動日に東北自動車道の宇都宮あたりでポロッと取れたことを記憶しています。古本の仕事はとくに移動するときはかなりの重量があって、このときも連日朝から夜中まで本を縛ったり、搬送したりでクタクタだったのですが、最後の移動日も歯を食いしばって作業をしていましたので、その歯を食いしばって耐久していたタガが緩んだころに取れたんです。そのあと、時間に追われるように仕事三昧の生活だったので、治療することを考えないで、ひっぱり続けてきました。昨年のいまころ、家でカレーライスをたべていたとき、奥歯にガリっと言う音がしました。ご飯に小石が混ざっていたのです。それを勢いよくかんでしまったので、奥歯の詰め物が取れてしまって、これもシクシク痛みつづけています。コメを研ぐときは、それ以来特に慎重になりました。小石は、最近も混ざっていました。それは食パンにです。ぶどうパンだったので、ぶどうかな、と疑いもなくかじってみたら、それは小石でした。右の奥歯でかじったのであやうくこちらも欠けてしまうところでした。中国での一般的な市場で売られている食品の中にはまだ、こういう現象が起こりうる管理のいい加減さがあります。これは、はっきりしています。学生時代インドに行ったとき、フライドライス!(チャーハン)と注文して中にフライ(ハエ)も入っていたときがあって洒落になんない経験もしたことありますが、そこまでひどくなくてもそれに近いことはいくらでもあります。
2005.12.22

たった正味1日だけの香港滞在でしたが、Kさんのガイドのおかげで中核部だけはしっかり垣間見ることができました。香港の印象は、ズバリ街がキレイ。上海から移動しますからなおさらそのように感じたのでしょう。おいしくて安い竹園海鮮極端に言えば街全体がゴミ箱状態の節操のない上海と街の所々にゴミ箱が設置されていてなおかつポイ捨てなどに厳重な罰金制度が徹底している香港とでは雲泥の差がありますね。船のカタチをしたジャスコまた、ひとの動きが整然としていてほとんど東京と同じような感じで、かつ喧騒というほどの「やかましさ」は感じませんでした。これも、上海と比べるから、と言えるでしょう。上海のようにケータイでも周りを気にかけることなく「ウェイ!」と大声で怒鳴るようなこともあまり見かけず、しゃべる口に手をあてて小声で話しているし、ひとと「会話」をしています。上海では会話というよりか、好き勝手に言い放っているような「おしゃべり合戦」です。同じ中国人中心の世界でもこれほど違うのか、という感じを受けました。香港は上海に比べて洗練されている、とはよく聞くのですが、まさに実感しました。上海のようなベクトルが渦巻いて切りもみ状態で、急上昇していく勢いはまったく感じませんでしたが、落ち着いたオトナの世界が広がっていると思いました。羅湖の国境。あの建物から先が香港。歩いて渡りました。
2005.12.21
以前まで古本屋をやっていたわけだから、ほとんど上海に来てオフショアビジネスを手がけているなんてほとんど気づかれないまま、1年半以上経過していたところ、わたしのお店に来たことがある、という書き込みをいただいたことには感激します。そういう通信手段が発達しているということにもつくづくおもしろい感じがします。書き込みをいただいたのは千葉時代のお客さんで、いまは一緒に新規ビジネスを手がけていこうとしているSクンのお知り合いだとありました。じつは、かなり密接にお客さんと接して商売をしていたので、ほんとうはもっと多くのお世話になった方々に、ご挨拶ができれば、という気持ちはあります。千葉時代のお客さんたちもいまでは高校生が大学生か社会人になっているだろうし、山形時代のお客さんたちの中には熱心に交流を続けた方々も多いのです。まさか上海に行ってしまうなど、正気の沙汰かと思われていただろうから、コメント欄にお店で「ハイスクール奇面組」を売ったことがあります!とか書いてもらうと、じつは相当嬉しいのです。お店ではいろいろ勉強させてもらいましたから。ブログからもう一歩飛び出して光る存在になれれば、もっと多くの旧知の方々に上海動向をお知らせできるぞ、と思っています。
2005.12.20
いま計画していることは、とりとめもないようなビジネス展開のようですが、根幹にあるのは日中間の接続的な部分に広汎に関われればと思っています。そこで、貿易の仕事や、委託生産、さらにセミナーやツアー、はたまたマンション内装に象徴されるように空間プロデュースのようなもの、を同時並行的に進めています。そのほか、中国ビジネスの強力なサポートのツールとしてこのたびソフトウェアの販売をお手伝いさせていただくことになりました。販売促進担当のS氏曰く「これらの製品、ブランド力はまだ決して高くないですが、最近は、老舗の類似製品と競合して勝ってしまう等、めきめきと頭角を現し始めています。」と胸を張るほどリキの入った製品群です。ここでカンタンですが、今回取り扱いを始める「中国ビジネス向けソリューション&製品」のご紹介させていただきます。【製造業向け】生産管理ソフト ※主要製品http://www.snic.com.cn/sales/JIL-j.pdf人事管理ソフト(製造業向け) ※主要製品http://www.snic.com.cn/sales/eHR-j.pdfバーコードソリューションhttp://www.snic.com.cn/sales/BarCodeSolution-j.pdf【非製造業向け】人事管理ソフト(非製造業向け)http://www.snic.com.cn/sales/HRMS-j.pdfi-Office2000(オフィス管理ソフト)http://www.snic.com.cn/sales/i-Office2000-j.pdf販売管理ソフトhttp://www.snic.com.cn/sales/TRP-j.pdf販売店管理システムhttp://www.snic.com.cn/sales/Eos-j.pdf【共通】ALSEEテレビ会議システムhttp://www.snic.com.cn/sales/ALSEE-Meeting-j.pdfWEBベースファイル管理ソフトhttp://www.snic.com.cn/sales/e-Doc-j.pdfPC利用ログ収集・解析ソフトhttp://www.snic.com.cn/sales/InfoTrace-j.pdfポータブルデジタルボードhttp://www.snic.com.cn/sales/mimio-j.pdfネットワークセキュリティーソフトhttp://www.snic.com.cn/sales/NetAttest-j.pdfICカードPCアクセス制御ソフトhttp://www.snic.com.cn/sales/SmartOn-j.pdf※同じカタログで中国語版もあります。ご興味を持っていただけたら、ぜひ、わたしどもの宛てにご一報ください。個別に商品説明をご回答する形式とさせていただきます。全般的にこの会社の価格は他社の類似製品に比べて安めです。きょう2本目は、日記というより具体的な宣伝でした・・・。今後わたしたちの会社の公式サイトか他のメディアで大々的に促進していこうと考えています。
2005.12.19

俗称ニセモノ市場と呼ばれる襄陽市場にNさんと用事で出向きました。予定では、ことし6月に浦東地区に移転という噂を聞いておりましたが、そのまま現状を保持しています。ただ、以前より少し勧誘のしつこさがなくなったように感じました。市場の中を歩いていますと、何やらどよめきが起こっています。何かなと、空を見上げますと、ものすごい黒煙が建築途中の高層ビルを覆っております。しだいに、炎も燃え盛る様子がうかがえます。すぐに、市場の群集が大挙してその方向に関心をよせ、あたりが騒然としてきました。市場の隣です建築中のビルの隣の現場付近からどうも発火したようです。野次馬がどんどん集(たか)ってきます。燃え盛る火事を見守る野次馬こうなると、いつもはお客の引っ張り合いの市場の客引きたちも、客の奪い合いよりも火事の方が気になってしまいます。一時は高層ビルを一気に包み込む炎の勢いでしたが、ほどなく鎮火して、野次馬もさっと霧消しました。行く先々でハプニングや、エピソードに事欠かないことが続きますが、みなさん無事で何よりです。
2005.12.19

この日曜も朝から忙しく出回りました。虹梅路方面へ。66広場となりに位置する香港系の有名企業の日本人総経理の方と少しお話する機会がありました。体感温度の問題でしょうか。「香港に長いことおりますから、体が慣れちゃって上海の冬は堪えますなぁ。」北京にも頻繁に行き来していて、先週は南京にも行かれているのですが、南京はさらに寒さが堪えるようですね。北京は、暖房設備が整っているので、意外と暖かに生活できる、というのは中国東北エリアから来られる中国人たちからよく聞くことです。そして、午後タイタイ虹橋で授業。ダンナはアパートへ一時戻り、夜静安寺の久光でT社長、パートナーのMさんと待ち合わせて会食。タイタイを初めて紹介させていただきました。またまた、いろいろお世話していただいてありがたいのなんの。Tさんも、Mさんもいろいろ豊富な経験をお持ちの方です。ブログをきっかけに親しくさせていただいて、いよいよ上海を舞台にビジネスを開花されんとしています。モノの値段と、食べ物に重大な関心を持たれるT社長を久光の地下食品売り場へご案内。ヤマザキでパンを買っていただきました。上海往来十年歴のT社長も来るたびに驚く変化の早さ。ちなみに今回の東京-上海の往復便は、SARS時以上の安値だったそうです。きのうお会いした青森のT社長は7年ぶりの上海だったそうですが、何らかのカタチでも上海はビジネスにとって外せないポイントになるんでしょうね。さぁ、ここからの詰めが肝心です。
2005.12.18

前日深夜の浦東の飛行場着で、いろいろな片付けをすることができず、翌日は朝から日本から来られたT社長E社長らとマンション内装工事の件で打ち合わせ。だんだん全体像が見えてきて、現地女性社長のWさんも「やる気」がわいてきた様子。この仕事は、上海でほぼ初めてというレベルのコンセプトだから、単なる内装ではない、と実感しました。居住空間の総合プロデュースとでも表現した方がいいのでは、というもの。工事における法定手続き云々の問題をクリアしていけば、最初のビジネスとして大きく花咲く要因はあると判断しました。ぜひ、最初のひと空間を成功させて、ご関心のお持ちのいろいろな方々に見ていただきたいと考えています。夜は、貿易王を目指すKさんの音頭のもと、上海シャンプーさんやキュートなWさん、タタミバーの主人Tさん、Kさんの社員、Kさんのお客様を交えて情報交換会。またまたタタミバーの2次会までずれ込み、深夜2時まで。年内の目標までもうちょい。
2005.12.17
「チケット買った?」二人にダンナは聞きました。まだだったので、さぁ船着場に向かいます。そ、の、ま、え、に・・・ここで国境を越える手続きをしなければなりません。うへー、もう5時半は回り、ダンナは焦りまくるは、汗はかきまくるは、・・・ だけどもそこは、香港。係員が気持ちを静めるようになだめてくれます。で、最後の乗客として乗り込んだのが約5時40分。とにもかくにもよかった~~。深センの福永まではジェットフェリーで一直線。約1時間です。そこからバスで深センの飛行場まで行きます。飛行場では、換金そこねた香港ドルを元に換えようかとおもって、インフォーメーションで聞くと「いくら換金するのか?」とじぶんで換金するような聞き方をするんです。やはり香港と中国ゼンゼン違います。あきれて、また香港に来るときにドルを使おうということにしました。最後に・・・無事上海に戻ることができましたが・・・離陸するとき、飛行機が一瞬急ブレーキをかけました!!最後の最後まで波乱の多い旅路でした。
2005.12.17
Kさんと別れて、ティムツァツイまで渡し船に乗って移動するところまではよかったんです。ただ、わたしたち三人ともまったく香港の土地カンがなく、じゅうぶんな下調べもしてこなかった上、ひととお話すれば、どうしても違う話で盛り上がってしまうので、帰りの行程をきっちり確認していなかったんです。Kさんからのアドバイス通りに動いてみたのですが、どうも渡し船とフェリーの乗船がごっちゃになってしまって、なおかつティムツァツイの船着場からフェリーの乗り場までがよくわからなかったので、行く先々で通りすがりのひとたちや、警官に聞いたのですが、だんだん出港時刻が迫ってきてダンナは焦りまくってきました。Kさんからは「行けばキンキラキンの建物を目指して」九中港城でチケットを買うように、とアドバイスされていましたが、よくよく周囲を見渡しても何をもってどれくらいキンキラキンの建物なのか、またそのフェリーポートのイメージが神戸とか横浜や上海と違って華やかなショッピングセンターの中にありましたから、ゼンゼン見つからないで、とおもっていたら、こんどはタイタイとNさんの二人とダンナが路上ではぐれてしまいました!!ひエーッ!あと15分で出港時間というときに二人とはぐれるは、キンキラキンの建物は見当たらないわ、ダンナ顔面蒼白。ダンナは、はぐれたあたりの場所とキンキラの近辺を数往復して探しまくりましたが、見つかりません。もうダメか!とこのとき悔やみました。頭の中は時間よ、戻ってくれ!!と嘆願しました。なんとかきょう上海に帰れなかったとしても、まずキンキラ建物から探そうと、道を整理するひとたちに尋ねて、あと3分というときにキンキラキンの建物のチケット売り場に辿り着き、どうでもいいから3人分とりあえず買っておきました。二人とあえなくても。そして、もうダメだろうとあきらめかけた瞬間、Nさんがエスカレーター脇からすっと現れました。奇跡だ!!となりにタイタイ。女神に見えました。
2005.12.17
あさ8時にビザ発行を代行している旅行社にいくために地下鉄を利用して、ワンチャイの華潤大厦へ移動。周囲はWTOの会議のためか、ものものしい警戒態勢でした。肝心の旅行社は8時受付け開始なのに、オフィスが開いてくれないで、一瞬ヒヤヒヤしましたが、少し遅れて、担当者がオフィスに到着。手続きを依頼すると、希望していた1年マルチはその日のうちに取れることはできるが、その日で帰らなければならないわたしたちが欲しい時刻には受け取れず、半年だと昼過ぎにはゲット可能なので、それに決めました。さて、まずはホッとしました。それから、ホテルへいったん戻り、おもむろにパパイヤ鈴木の踊っているNHK「趣味悠々」などを見て、くつろぎましたが、チェックアウトしてKさんに昼食をご案内いただきました。大満足のお昼場所・・・幸福楼海鮮酒家 (ワンチャイ軒尼詩道) 結婚式場くらいのホールが満席状態でした。Kさんは中華圏内滞在15年ほどになる大ベテラン。ダンナと同年代ですが、香港の永住権も取得されていてご自分で立ち上げた電子部品の会社をもう10年も経営されている頼もしい方です。その後、時間を見計らって、ビザ代行の旅行社へビザを受け取りに出向き、帰りまでの間を逆算して、まずKさんのオフィスでご自慢のお茶をいただきながら、しばし仕事の話などをしたり、貴重なお話をたくさんいただきました。さらにピーク(山頂)まで行きはタクシーで、帰りは2階建てバスでご案内いただきました。山頂では、欧米人が例のように半袖でくつろいでました。こっちは上海あがりの防寒体制でしたからヘンですよね。快晴に恵まれ、山頂からの香港の展望はなかなか爽快でした。さて、そろそろ帰る時刻に近づいてきました。まず、Kさんにオフィスのあるワンチャイまで見送っていただき、そこから福永(フーヤン)という場所までジェットフェリーポートまで行かなければいけませんでした。Kさんには、スーパー短時間だったに関わらず、みごとなガイドに甘えてしまいました。(Kさんクリスマスは上海にいらっしゃるということです)さて、ここからがまたまたチョッとタイヘンでした・・・。
2005.12.16
ダンナは15年ぶり、タイタイ、 Nさんは初めての香港です。ロビーで待っていただいた香港在住の経営者Kさんに「ビザの延長申請間に合わなかった」旨を言います。とりあえず、チェックインして夕食をしてゆっくり落ち着くことに。Kさんの友人Oさんも合流して、Kさん馴染みの海鮮料理のお店に出向きました。海鮮料理をたのしんで、こんどはちかくの浜から香港の夜景を見に散歩です。ここでアクシデント!持参したデジカメの電源がなくなり、ここから先のショットが撮影不能に。少しザンネン。9:30にもうひとりの香港在住のSNさんと近くの食堂で待ち合わせ。ほとんど急に香港入りを決めたので、みなさんに集まっていただいて申し訳なかったのですが、最大の目的はただ1つ。ビザの延長をしっかり行って、上海に戻ってくることだけだったので、ほんとうは香港に直で入れば良かっただけなんですが、いつものように「何とかなる」という気持ちで、その晩を過ごし、次の日に賭けました。
2005.12.16
15日はあさ8時にアパートを出発。上海駅までタクシーで移動。そこからバス。10:00に浦東国際飛行場へ着き、まずキャンセルされた8:15発の深セン宝安行きの変更便が確保されていたかどうか、を確認のためカウンターへ。最初、国際線のカウンターへ、行ってなかなか話が通じなかったので、よくよく考えてみたら、深センは国内線だということを気づいて、国内線のカウンターへ。で、チケットは無事に確保。11:30の出発は若干ズレ込んで12:00の発。深センの飛行場には2:30着。この時間に高速フェリーに乗りたかったのですが、間に合わず陸路へ。そこからが、予想以上に時間がかかりました。まず、飛行場からどのバスに乗っていいのかがわからず、少し這いずり回った後に、(羅湖)ルーフゥという国境までバスで移動。深センの景色を見ながら、上海とのあまりの気温の違いに、アツイアツイ。ルーフゥまで行けば、そこから香港までは近いのかな?とかだけ考えていましたが、そんなことはあらず、歩いて国境を越えて、そこから出入国審査。それから、お金を元から香港ドルに交換して、ホテルのあるティムツァツイまで行くのに、電車に乗りました。この電車で移動するだけで、もう目標到着時刻の夕方5時は断念しました。ビザの申請のため、ほんとうはこの時刻まで持っていきたかったのです。途中の電車からのからの景色はけっして上海では見ることができない小山の連続で、思っていたイメージとはかなり違いました。ホテルに到着したのは夜6時ちょうど。そこのロビーに、こんかいお世話になった香港在住のKさんが待っておりました・・・。(・・・つづく)(教訓) 上海から深センを経由して香港に入るのは、けっこう時間と予定に余裕があるときでないと、キビシイ・・・。
2005.12.16

きょうから2日間だけ香港。あまりに短いので、用事だけ済ませて、とっとと上海に戻ってこようとだけ思っていたんですが・・・。現地在住の女性SNさんにだけは連絡させていただいていて、お仕事終了後、軽くお茶でも飲みましょう、ということにしてもらいました。ところで、ネット上の予約フォームである現地の旅館に予約を入れておいたのですが、念のため電話をして、確認をしてみたら、受け取っていない!と回答されて、あわてて香港の現地事情にかなりくわしいKさんへメール。前日だし、なんでも香港ではWTOの会議だかなんだかで、かなり宿泊状況が込み入っていると聞いていたから、ちょっと焦りましたが、用事を済ませる予定のオフィスの至近距離のホテルを予約してくれました。で、そのあとすぐにKさんから電話をもらい、事情をご説明いただきました。こんかいは、深センから香港の九龍側に夕方5時くらいまでに入りたいので、結局きょうの飛行機の出発時刻次第なんですが、飛行機便の突然のキャンセルといい、ホテルの確認なしといい、ちょっとあわてました。でも、同行するNさんもタイタイもあまり気にしている様子はありません。わたしだけが「ケツの穴の小さい」ことで騒いでいるのでしょうね!同時にパートナーLGタイタイも急きょ、きょうから北京に行く事が決まり、日本のSクンは銚子まで狩に出かけると連絡がありました。3者3様です。日本からは逆に案件をいただいているT社長が週末にかけて出張されます。土曜日は、年商○○○億!目標で血気盛んなK社長の音頭のもと、同業の交流会がありますし、なんかせわしい年の瀬に突入してきます。じつに15年ぶりの香港。 ⇒ あまり覚えていないタイタイ、Nさん初香港。⇒ 意外!あした帰ってきますが、とりあえず「行って来ます!」
2005.12.15

2ヶ月前から取り掛かっていた仕事用のホームページ。あと、アップするだけというところまできているのですが、作成したファイルが転送できず、滞っています。これに比べると、ブログは、ワープロみたいなものだから遥かに楽に感じます。わたしたちが業務の中心に考えていますのは、カンタンに言えば、貿易です。もう少し説明をつけくわえるのなら、カスタムメイドの商品を提供できる貿易です。いまは、たとえば日本から工業用部品から、衣料、カバン、日用雑貨、オモチャまで多種多様のものを独自のブランドで生産してくれないか、という依頼を受けています。そのほかに、中国人高級所得層向けに日本のデザイナーによるマンション内装のための資材提供、ほかオフショア開発サポートの企画、視察ツアー、不動産物件もご紹介できる体制になっています。ほかに、いろいろ業務の窓口は整えてあります。上海でビジネスを探しているうちにこんなに広がってしまいました。ひとつでもおおきく確実に花咲くのが、だいじですが、異国での、とくに中国上海での起業ですから、流れるままに対応しています。
2005.12.14
あたらしい会社を通して領収書を発行したのは、今回が初めてでしたので、その決まり事がけっこう知らなければいけないことがあって勉強になりました。そのサービスや営業項目によって税率が違いますし、そして毎月税務署に申告する帳簿に記載するとき、営業費用(営業をしたという形跡が残るだけ)が定額かかります。こういうことは、やらなければ覚えるチャンスはないし、人任せでもいいですが、できれば最初の段階でよく認識しておいた方がいいでしょう。あと、けさ朝いちで航空会社から連絡があり、15日早朝の便が欠航するとのこと。こちらとしては、15日にビザ延長手続きをして、翌日の受け取り、上海戻りのスケジュールですから、できるだけ早めの香港インしか望みませんが、なんとかなるでしょう。通過すべき道を歩んでいるのですね、きっと。・・・ひとつひとつの障害は重要な機会でもあるのです。障害は予測どおりの順番で、なおかつどれも納得できる理由でやってきます。 (ブルース・ウィルキンソン)
2005.12.13

今週はちょっと忙しくなります。まず、タイタイは本格的に松江の会社に通いだします。わたしは、日本からいただいている案件などの見積もりとサンプルを提示するのに追われます。時間がかかりましたが、ほんとうに始動してきました。知り合いもいなければ、中国のこともよく知っているわけでもなく、ある面、何も見えないものを信じてここまで来ましたが、上海に来て1年半経過してカタチらしいものが見えてきました。それと、週半ばに香港へ滞在ビザの延長の関係で2日だけ行く予定が入っています。(本格スタートの号令のような象徴的なタイミングです)当面の大きな案件マンション内装の打ち合わせともろもろの案件のつめの協議のため心して動かなくてはいけません。さらにビジネス用のサイトをアップするカウントダウンに入りました。(もっともこれはまだまだ未熟なものですが)その英気を養うためというわけではないのですが、夜は以前ブログでご紹介したことのある火鍋料理店(新南華)にタイタイおよびNさんと食事に行きました。これにお好きな具を入れていきます。いろいろな種類のスープがありますが、きょうは2種類用のスープにしました。赤いほうは、香辛料がきいていてけっこう辛いです。白いほうは、魚のダシがよくきいていました。寒いこの時期には火鍋はとってもありがたいものです。店内は広い3フロアーきょうもぎっしり満員。さすが、ビルを建てるだけのことはあります。さあ、少しタイヘンですが、香港や深センに行くという楽しみもある今週を威勢良く乗り切っていきましょう!これが火鍋ビルです。火鍋も「当たれば」大きいんですね・・・
2005.12.12

むかし巨人に8時半の男という異名をとる宮田というピッチャーがいました。それまでは、ピッチャーたるもの先発したら完投するもので、南海の杉浦投手なんていうひとは日本シリーズで4試合連続で登板したり、もうめちゃくちゃな起用法で短命で終わってしまったわけです。そういうのを見かねて、川上監督が分業制を取り入れてリリーフというものを大リーグから導入したのですが、その効果を一番に発揮したのが8時半の男の活躍でした。だいたい、晩年の江夏も、大魔人佐々木もリリーフで大成した投手は、8時半くらいになるとウォーミングアップも終わってハンで押したようにマウンドに現れるのです。前フリが長くなりましたが、この上海には8時半の男ならぬ、9日の女がいます。それがNさんです。今月も9日に東京から上海入りし、20日まで滞在します。この間に予定ではいっしょに深センと香港に行きます。寸分たがわず1年以上正確に行き来しています。今回は日本の窓口Sクンからの預かり物などをハンドキャリーしてもらいました。運び屋Nとでも別称していいでしょう。おみやげの味噌煮込みうどんをいただきながら、今回も談義で花が咲くような共同生活になります。けっこうおもしろいものです。
2005.12.11

この10月から新規ビジネスのサポートをしていただいていたUさんから当座の生活の柱であった日本語教師の生活を辞して、あらたなソフト会社の立ち上げに参加すると連絡をもらいました。わたしは、うんよかったじゃないか、とすぐに返事をしました。日本語教師の仕事は、確かに有意義であるし、生徒との交流はたのしいものです。ところが、いったん経済的な点からみれば、働き盛りの日本の若者がそれで満足できるラインからは程遠いものです。そもそもの目的がチャンスを求めて日本から漁にきているわけだから、いいと思ったらすぐに行動に移すのがあたりまえです。Uさんとは、違った面で協業の部分が出ればそれでいいですし、これからもお世話になることもあるでしょう。学校の名物教師で地位が確立しつつあったUさんですが、つぎの一歩に向かっておおいに期待できます。
2005.12.10

で、けっきょくタイタイ松江(ソンジャン)通いにつられたがごとく、わたしも午前中の話し合いもそこそこに現地視察に出向くことになりました。せっかくのクルマでのドライブですから、新規ビジネスパートナーの上海起業ストーリーさんらをお誘いして、繰り出してみました。上海の中心地からクルマで100km平均のスピードで行けば約40分で目的地まで着いてしまう距離です。Lさんは一応上海市の「エライひと」なのですが、「エライひと」に運転してもらって移動するのはいい気分ですね。約1年ぶりの現場視察。ざっと見てみると、たしかに一年前よりはホンの少し進んでいるかな、という印象でした。それにしても、あまりに広大な敷地なので、ちょっと民間だけの開発という規模ではないと、あらためて感じました。昨年は日本でも有数の商業プロデューサーの方とご一緒させていただいたのですが、その方ですら、ちょっとたじろぐようなスペースですから、ど素人のわたしたちでは把握のしようがありません。ですが・・・ここは中国。上海。何がどう変っていくかはまさに神のみぞ知る。まず、敷地はめちゃくちゃな場所に立地しているわけではありません。地下鉄9号線(来年末開通予定)の駅のほぼ前に位置しています。それでいて、大学が10校以上中心地から移動しているところです。ましてや、ここの松江区長じきじきの提案も織り込んでいるし、敷地内に区長専用の仕事場すら確保してあります。問題は・・・おそらくどこの誰もが把握できないくらいデカイ話にしか思えないのです。だから、上海起業ストーリーさんはこれは国家プロジェクトかな、とか漏らしていましたが、池を掘るだけでも相当な額にのぼるでしょうね。この話、もっていくところここしかないかな。。。完成図。あまりに構想がおおきい。おおきいことはいいことなのか?中国ならではのサガなのか?
2005.12.10

街はクリスマスモード。年がら年中、路上では焼きイカや羊肉、臭い豆腐や味がはっきりしないとうもろこしなどが売られています。いまよく街角で見かけるのがこれ。ピーナッツです。とくに山東省のやや小粒のピーナッツは香ばしくておいしいです。きのうLG宅にて聞いたのが、日本の市場と中国の市場について違いのはなし。そのことをピーナッツを用いて教えてもらいました。通常、わたしたち日本人はバターピーとか柿の種とかで、ピーナッツは中の白い部分を食べますよね。脂肪分があって、香りがしておいしく感じます。ですが、中国ではこの中身よりも周りの皮の部分を重用するといいます。この赤い皮の部分は血液をつくる効果がバツグンで、とくに貧血気味の女性にはもってこいの食物だというのです。ですから、じつは漢方のほうではこの皮の方がたいせつで、皮だけを粉末にしたり、煮込んだりして用いるのです。どちらかというと、中身のしろいところではなくて、ペラペラの赤い皮の方が市場価値は高いのです。だから、皮をむいて捨てる方はじつは白い方で、体のためには皮だけ食べるのがベターということです。わたしはたいへん意外におもいました。「おもいっきりテレビ」でみのもんたが紹介したら、一挙に中国から皮付きのピーナッツが無くなってしまうかもしれませんね。まあ、この時期は暖かい部屋でお茶をすすりながら、お茶の友にピーナッツやスイカのタネやひまわりのタネをつまむのがいいですね。皮ごと食べるのはけっこう流行ですが、ピーナッツこそ赤い皮ごと食べるに限る食品なのです。
2005.12.09

LGタイタイ戦略の第一段階として、タイタイが松江という場所にある、ある日系会社の工場の事務の仕事を短期間お手伝いすることになりました。きょうが、本格的な始動日です。松江というのは、ソンジャンと発音しまして、上海からだいたいクルマで1時間前後のところです。来年末までには地下鉄が開通しますが、まだアクセスにはクルマでないと不便なところで、行き帰りは会社がクルマで送迎してくれます。なので、あさの活動が急に早くなりました。同時に、昨年からこの松江区の開発関係者と懇意にさせていただく機会を得ていましたので、まったく別件なのですが、わたしはこの開発の案件でお話をいただくことになりました。松江区は松江大学城という大学都市で、日本でいえば「つくば市」のような感じでしょうか。さて、これからどうこのしごとがつながっていくか、でもなんかなにかになりそうな、そんな感触があります。たのしみです。タイタイブログ ⇒ 中国 上海食彩ライフ
2005.12.09
・・・1年前・・・・・・・・・・・・・・・・初めまして中国に来てハンとし。ことし(2004年6月まで)山形県下で自営業(古本屋)をやっていた夫婦が中国発展の熱に当てられて、背水の思いで中国へ移住。コトバも精通せず、たいしたおカネも、現地の人脈も何もないところから、はたしてフツーの日本人夫婦が、チャンスの可能性、夢の支えだけから、中国で生活をしていくことができるのか・・・現に活躍されている方々は、たくさんいらっしゃる・・・わたしたち夫婦も、そういう先輩方に近づくことができるのか・・・日本と中国にある、まだまだ知られざる理解のスキ間をあくまで一夫婦の視点でとらえたい、そう思ってブログを始めようと、思っています。書き記していくことで、じぶんたち自身のことも、もっともっとわかるようになると、思います。異国に住むということは、やはりアイディンティティー、じぶんの存在、ということを考える、たいへん良い機会でしょうから・・・日記を見て、思い当たるふしのある方は、どんなことでもケッコウですので、ぜひコメント下さりませ。これからどうぞよろしくお願いします。(ダンナ & タイタイ)と書き始めたこのブログ。12月8日でちょうど1周年となりました!12月8日といえば、太平洋戦争開戦記念日ですが、わたしたちにとっては上海奮戦記の幕開けとなったわけです。手探りが続く中、ようやく向こう側に光明が見出せそうなそんな感じで書いていますが、毎日書いて無事皆勤賞を達成しました。学校も皆勤賞、仕事も皆勤賞でなくては気がすまないような性格は、ブログも皆勤賞という変則な進化を遂げましたが、上海で新規ビジネスを取り組むという経験は、すこしダイナミックなリズムを要求されるようで、わたしたち皆勤マニアには、大きな目で見れば、人生のいい「休養」のような気もします。決められたことをきっちりこなす、ということだけでは、前に進まない、中国での新規ビジネスは、じぶんたちの無力さをあらためて感じさせてくれたという意味で、ありがたいステージだと思っています。また、この先もご縁がある限りよろしくお願いします。
2005.12.08

第5回目のカルチャーサロンを決行しました。事前連絡をいただいた方々をのぞいて、参加予約者の全員出席という快挙です。けっこうわかりにくい会場なのでグルグル辿り着くまで梃子摺らせてしまった参加者のみなさまには申し訳ございませんでした。いままでの「オフショア開発」の正統路線から、ちょっと路線変更したBPOの内容だったので、どのような参加者像なのかよく絞り込めませんでした。また、場合によっては、けっこう大胆な業務展開を予感させるものでありますから、微妙な講義内容であったとも言えます。しかしながら、ゲスト講師の上海ホープ山中未穂さんが(タイタイが中山美穂と紹介したらしい。。。かなりの確率で起こりえる間違いですね)現状を包み隠すことなく披露してくれました。講師をおつとめいただいた山中総経理神出鬼没のMLOSさんもご参加して、きょう夜はご本人「銀座」でセミナー講師を務めるということらしいのです。あいかわらず、ボーダレスMLOS氏です。また、いつもはエライ立場のO女史が受付けや会場案内役にまわっていただき、和気藹々の交流会がぶじ開催できました。2次会もほぼ半分の方が参加され、忘年会をまぜたような雰囲気の中終了できました。ほんとうにみなさまありがとうございました。来年のカルチャーサロンもどうぞよろしくお願いします。
2005.12.07
カルチャーサロンは無事第5回目も敢行することができました。こんかいの軽食はタイタイ手作りのサンドウィッチでしたが、調理中に入れる野菜が足りなくなり、わたしは急きょキュウリを市場に買出しに出向きました。キュウリだけ手にとって持ち帰りました。サロン会場の調理施設がイマイチなので、アパートで準備したのです。暑いときは腐るので心配ですが、寒いときは強張ってしまうのでちよっとしっとり感がなくなってしまいます。これはザンネン。いまの会場はたいへんスゴイ立地にあることは確かなのですが・・・。できればいつか自由の利く広~いオフィス内とかでやりたいですね。
2005.12.06

友人のお宅に招かれていきなり飛び込んできたのはNHKの映像です。上海在住の6割近くの日本人の方々にとっては、なんの感慨もないことでしょうが、わたしたちにとってはNHKを見ることはふだんまったくありませんので、とても新鮮な歓迎でした。日本留学していた彼女がことばを忘れないように衛星を取りつけて家事をしながら見聞きしているわけです。おいしい食卓での接待光景は、タイタイ版ブログ「中国上海食彩ライフ」で取り上げていきます。さて、本日5回目の上海オフショア交流会の開催日となりました。おかげさまで、今回も多くの参加予約がありまして、充実した交流会が行われることと期待しています。かなり冷え込んできています。会場はじゅうぶんな暖房を効かせてご用意してございますので、どうぞ、じっくりこの機会を有益にご利用ください。
2005.12.06

日曜日上海、マイナス5℃ほどまで下がりました。朝からかなり風が強かったのですが、ここまで急激に冷凍庫状態になるとは。よる9時をまわってから、LG宅で見積もり依頼の打ち合わせ。首尾よく先方工場と販売会社が見つかり、この件は進展あり。うっかり薄着というわけにはいかない、寒気の到来。この間タイタイ日本帰国時に持ち帰ってくれた防寒着がまっさきに役立ちました。山形県米沢で数年豪雪を体験したことのあるわたしにとって、寒さの慣れはあります。寒くなるときは、空気のニオイが違いますから。ですが、ふしぎなのが上海では霜が降りたり、氷が張ったりしないこと。これぐらい気温が下がると、路上もかなり凍結する経験をしましたが、いまのところ目立った現象はありません。また、さらにスゴイのは蚊がいること。蚊ですよ!!ブーンと2ヶ所ほど刺されてしまいました。深夜12時を過ぎて自宅に戻る足取りは、山形時代の冬を思い出しました。シンシンと雪上を歩く足音。クルマのエンジンをかけて暖めておかないと、フロントガラスが凍ってしまってまったく何も見えないものでした。ただ山形ではせいぜいマイナス15℃が最高で、だいたいマイナス3℃前後の日が多かったですから、マイナス5℃を超えるのはリッパな寒さです。もし雪が本格的に積もると上海もたいへんでしょうね。雪かきの苦労は、想像を絶していました。あのたいへんさはほんとうに経験した人でないと、語れないもののひとつでしょう。で、月曜はマイナス6℃くらいまで下がるそうです。ちなみに、ハルビンはマイナス25℃を超えはじめました。中山公園駅前に完成しつつある寒風にそびえたつ高層ビル。ショッピングセンターは12月18日にオープンします。大型書店も入店します。
2005.12.05
先日お会いしたKさんは、わたしが考えているビジネスモデルをとっくに具現化して奮闘されています。あまりに考えていることが同じような内容なので、やりづらいと思うのは、こちらの勝手な感覚で、先方はまったく気にされていないでしょう。ドンドンこのやり方がメジャーになって、これらのビジネスの関わるひとたちがみな大いに元気になっていけば、いいわけですから。ところで、初めの一歩、というわけではないのですが、日中のハザマにおけるジレンマというものに、悩み始めることが出てきました。これはビジネスにおいてです。生活面とか、成果が思うようにいかないとかは、ある程度どうにでもガマンができるのですが、いま生じているような感覚は、じっさいに動いてきたからわかることだとも言えます。カンタンに言えば、いつもオフショア交流会で話題になっているような問題がじぶんの内部にも起こりつつあるということです。以前は、他人事に近い感覚でしたが、いまは当事者の気持ちが痛くわかるようになってきました。やはり、アタマの中で思い描いているうちと、実践段階では、まるきり違いますね。それでも、まだいまの段階はカワイイほうでしょう。セミナーのときに皆さん思いわずらったような表情で熱心に聞き入っていたことを思い出します。こんどのセミナーでは、さらに別の角度からのお話なので、傍からの参加ですが、理解度が増すかもしれませんね。
2005.12.04

タイタイ発ブログ ⇒ 中国食彩ライフ ↑本人カウント機能や更新がうまくいかなくて少し困っています!!・・・さて、きのうの続きになりますが、マツダさんにいただいたお土産のひとつがこれいも煮山形を代表する風物詩に「いも煮会」があります。いやぁ、じっさいわたしたちはいも煮会には参加したことはなかったのですが、いも煮は紅葉の季節にロープウェイで昇った天元台高原で食べたときのおいしさは忘れられません。玉コンニャクもグッドよ。山形と言えば、ダニエル・カール。みなさん違いますか?伴順三郎とかビートきよしとかはだいぶマニアックですね。ダニエル・カールと「おしん」の小林綾子(ダンナと誕生日一緒、意味ないですが)は、ほんとうによくテレビに出ている印象がありました。わたしたちが、山形に住みだしたころもっとも劇的に活躍が目立ったのはテツ&トモ。あんなに大ブレークするとは、というくらいになりましたものね。また、歴史的快挙とも言えたのが古瀬絵里の中央進出。初めて、NHKで見たときは直感的にこれは山形に埋もれているだけの素材ではない、と思いましたが、「スイカップ」なる異名で一世を風靡することになろうとは・・・。すぐにトーンダウンしましたが・・・。(これは高畠出身の青木裕子に似た現象)どうしても、東北地方って関東から見てもまったくどこに岩手があって、どこに山形があって、福島との位置関係とか瞬時には把握できないんですよね。米沢から岩手の小岩井農場までクルマで約4時間くらいかかるんですね。東北圏内だから近いと思っていたら、上海~仙台のほうが近いくらいですよね。やー、日本も広いですよ!!
2005.12.03

約20名の上海在住の日本人が、「魔法の質問」プロデューサー山形のマツダミヒロさんのかけ声で居酒屋栄に集まりました。マツダミヒロ氏肖像中には知った方々もおりましたが、基本的には初対面の方々ばかりです。わたしは、魔法の質問のメルマガをだいぶ前から購読していましたが、まさかご本人からお声をかけられる機会があるとは考えていませんでした。以前山形の米沢でお店をしていた縁もあって、親しみ深く感じていたのですが、来られたマツダさんやそのお仲間たちにお会いして、懐かしくも楽しいさらにビジネスの取っかかりも秘めていると思いました。めずらしく上海を軸にご活躍されているコアな人々が大勢集結していましたから、山形グループにとっても新鮮だったでしょうし、山形の風雲児としての活躍をされているマツダさんや、その仲間たちもこれは大きなお土産になるのではないでしょうか。これをご縁に、引き続きお話の進展があると思います。二次会は日本人青年(青二才さん)の経営している「畳バー」(Tatami)へ繰り出して深夜遅くまで語りあかしました。ここは、はるばる福建省から取り寄せた日本人畳職人の手によって、作られた畳を各部屋に配置したおしゃれなバーです。山形のOさんのモノマネ「金八先生」と「ルパン三世」は秀逸でした!!モノマネすら真摯に取り組んでいる姿勢が、山形県人の真骨頂でしょう。タイタイ版ブログ開始しました!!中国 上海食彩ライフ⇒ コチラまだまだ未熟なサイトですが、だんだん中身が充実していくと思います。応援よろしくお願いします。
2005.12.02
マンション内装の件を進めるにあたり、日本に戻られたT社長より上海において安心して居住することの需要についての情報をいただきました・・・。以下は、エクスプロア上海の掲載記事よりの転記です。上海市内の建築用ベニヤ板、半数近くがホルムアルデヒド不合格 〔2005年11月16日掲載〕上海市工商局が発表した内装などに使われるベニヤ板の品質調査の結果、上海市内で流通しているベニヤ板の半数近くがホルムアルデヒドの規準を満たしておらず、その濃度は基準値の5倍から9倍になることが分かった。工商局が調査した市内5つの区の9つの建材市場の45品目に関しての調査結果で、合格したのは57.8%に過ぎなかった。とくに合板の合格率が極めて低かった。中国の国家規準では、室内内装に使われるベニヤ板の規準は、E1級とよばれ、ホルムアルデヒドの放出濃度は1.5mg/Lを上回ってはいけないとされている。また表面処理をする前提で使われるE2級の建材の場合の規準は5mg/L以下のホルムアルデヒド放出量となっている。住宅を選ぶ場合は、新築をなるべく避けるようにしたいところだ。[What's New in 上海 INDEX]・・・ホルムアルデヒドの除去機能のためのグリーンサービスや、そのためのクリーナの販売展開は昨年から案件としていただいているものであり、その需要と将来性は必要欠くべからざるものであることには違いはありません。マンション建築について、その耐震構造の問題もさることながら、内装段階では、もっとも基本的な作業を怠っていることに気がつきました。それは・・・掃除です。わたしは、最初どうして上海のアパートやマンションは埃っぽいのか、それは建築ラッシュで塵、埃が舞いあがって、窓の隙間からたえず忍び込んでいるものばかりだと思っていました。それも確かな要因なんですが、それより何より、もっとも根本的な原因があったのです。それは、内装工事段階で掃除をしていないのです。つまり床下や、壁の中に工事で出た細かい木屑や、建材の廃材をそのままにして、上から被せてしまうのが、「当たり前」なんです。とくにフローリングなどは、一目瞭然で下から湧き出てきます。また、じぶんのところで内装している最中いくら埃が階下のフロアーや、階段の手すりにコビリつこうが、一向に掃除するような気配りなどはしないのです。さらに塗料や、壁を厚くする材料に何が使用されているかわからないのが、安心して住めないと感じさせる原因なのです。そのための安心建材の需要はあるのです。
2005.12.01
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