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会社再建の請負人・高塚 猛は、毎年赤字50億の福岡ダイエー球団・ホテル・ドームの三点セットをどのように立て直したのだろうか?完結編を今日はお届けする。 「企業」とは「人を止める業だ」と高塚は言う。だから「従業員を大事にする」「地域社会に喜ばれることをする」が企業の目的であり、「利益や売り上げ」は手段であると言い切る。しかし、えてして手段が目的になってしまっている。福岡ダイエーはどの部門も問題だらけであった。しかも彼を取り巻く環境は四面楚歌。金も知っている部下もいなかった。まず、現場を徹底的に観察した。そして彼は次のような決意をし、腹をくくった。 「人間と環境に投資をしよう。人生は努力する人に運という橋を掛けてくれるものだ」 どうすればお客様が喜んでくれるか顧客の思いからすべてを見直した。話は前後するが中内会長にこう言われた。「ホテル経営は大変だな。無駄な明かりを消す。風呂などの無駄な水を使わせない。ちょっと工夫するだけで経費が全然違ってくる。いやー細かいことまで気を配るのは本当に大変ですなー」 あの中内会長に向かって高塚は平然と反論した。「会長それは企業の論理です。そんなことをしてもお客は喜びませんよ。明かりはとうとうと明るくしてやればいい。お湯は使いたい放題、使わせればいい。お湯が溢れ出てもいいように風呂回りの設備は通常のホテルの2倍のお金をかける。そうして始めて、お客はこのホテルにまた泊まりたいと思うのです」と言ってのけたのだ。 中内の目が輝いた。「高塚さん、ダイエー(ス-パー)の本社に来て、社員セミナーをやってください。日時は貴方の好きなときでいい」高塚の空いている日時を言うとすべてその日時に即座に講演が仕組まれた。さすがワンマン大企業と舌を巻いた。セミナーの時、いつも忙しいはずの中内会長が最前列に座っている。ある時、幹部にこっそり「中内さんは結構暇なんですなー」と言った。するとその幹部は顔を真っ赤にして激怒した。「あんたが勝手に日時を指定するから、中内会長は大事な予定をすべてキャンセルしてあなたにあなたにつきあっているのだ」と。こんなこともあった。中内さんは社員の結婚式には絶対でないと言われていた。そこで娘の結婚式の招待状をスピーチもお願いしますと出してみた。するとなんと前日から宿泊で参加との返事が来た。そしてスピーチで中内はこう切り出した。「私は流通のことなら多少は勉強しましたが、ホテル経営は全然分からない。だから、高塚さんは私の先生です…」高塚の目からは大粒の涙がこぼれた。 高塚が高塚なら、中内も中内。中内は相当な人たらしである。高塚が中内のためならなんでもしようと考えたのは言うまでもない。誰もがいやがる福岡三点セットの再建を三顧の礼で中内から直接頼まれたのだ。四面楚歌の中高塚は死ぬ気でやり遂げる決心をした。 改革は、ゆっくりやってはいけない。やるなら急がなければ・・。ここの人達は目的達成能力はあるにはある。ただ、目標設定能力がないのだ。三つの目標を全社員に掲げた。1) 三年以内に黒字にする 2)ダイエーを優勝させる 3)結婚式と宴会を倍増する誰もが目を剥く目標であった。毎年数十億の赤字、一度も黒字になったことはない。その頃のダイエーホークスは万年最下位。福岡での結婚式と宴会市場は年々縮小していた。 高塚にあるのは、「目標は思いであり、トップが夢の実現を言い続けなければいけない」という信念であった。では、具体的にどのような方策をしていったのか? 乞う”!ご期待。すいません。またまた続きになってしまいました…?
2003.11.29
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盛岡グランドホテルの社長、高塚猛氏は、中内功会長から見込まれ、福岡ドーム、シーホークホテル、福岡ダイエーホークス球団の経営再建を頼まれた。負債総額1400億円、毎年50億の赤字を垂れ流している起業群を断れずに引き受けてしまったのだ。 資金はまるでない、人脈も子飼いの部下も一人もいない、ないない尽くしで福岡にやって来た。地元の従業員たちは一致団結していた。勝手に送り込まれてきた再建請負人に、表面は「はい」と言っても、絶対に仕事の上では従うな、実行するなと。 早速、地元金融機関のトップの痛烈な先制パンチを食らった。「あなた、この辞表にいますぐサインしなさい」と。 「自分は一日4時間寝るだけで、土日も働けます」と大見得を切ってその場を凌いだ。だから盛岡と兼務でも大丈夫と言いたかったのだ。 その頭取は毎日来ては従業員たちに聞き回った。本当に20時間働いているかのチェックをして行った。息子の中内球団オーナーから経営幹部を紹介しようと言われたが、半月待ってくれと頼み込んだ。こんな状態で幹部と会っても意味がないと考えたからだ。彼がしたことは、現場を回って実際の声を生で聞くことだった。上司への不満、会社への注文の洪水であった。どこもかしこも問題だらけだった。彼がしたことは、聴き役に回る一方、上司をかばうことだった。そして部下の不満を上司には決して伝えなかった。そんなことをしたら誰が告げ口したか、犯人探しが始まるのが目に見えていたからである。 役員たちとの経営会議の日がやって来た。聴き役に回ったが、その内容に唖然とした。どこの部門も、前年比90%, 95%と実績報告して平然としている。そして景気のせいやなんらかの理由付けには事欠かない。皆、横並びで実績を落としているので安心感があるのだ。ただひとつ例外があった。レストラン部門の島津役員だけは、前年比110%を超えていた。そこで島津氏に聞きにいった。しかし、出てくるのはやはり不満だった。これだけ自分の所だけが頑張っているのに、自分が正当に評価されていない。しかも部下の評価も相対評価なので、一定の割合でCやD評価を頑張っている部下につけなくてはいけないと評価に対して不満タラタラだったのだ。じっくり聞いたあと、また彼の元を訪れた。頭を下げてこう頼み込んだ。 「計画を上回っているのは君のところだけだ。何事も忙しい奴に頼めという。会社を救ってくれ。君のところでもっと稼いでくれ。前年比150%を達成してくれ・・」しまいに島津氏はカンカンに怒りだした。こんなに身を粉にしてやっているのに、まだおれのところだけが頑張るのかもう無理だと。高塚は諦めてこう言った。「君が駄目だったら、他はもっと駄目だろう。それなら会社を閉めるしかないな。最後に一つだけ質問させてくれ。もし君が社長だったら、どうやってこの会社を救うのか教えてくれないか?」 これには流石に島津も素直に答えた。 「結婚式はまだまだ増やせますよ。私だったらそれをやりますね」 高塚氏は一人でじっくり考えた。お金の投資はいっさい出来ない。私に出来ることは「言葉での先行投資」と「得をしていることを捨てる勇気」だと決断した。 ではこの切羽詰まった状況をどう打開していったのか、この続きはまた明日書くことにする。
2003.11.27
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昨晩、慶応大学の丸の内シティ・キャンパス「夕学五十講」を聞きにいった。講師は、福岡ダイエー・ホークス、福岡ドーム、シーホークホテルの代表取締役社長・高塚猛氏である。 どうも小久保を放出した影の仕掛け人というイメージが強かったので、どんな話が飛び出すかワクワクしながら、聞きにいった。 夜だというのに、ホールは超大入り満席。八割がサラリーマン、二割が女性である。静かに語りかける口調で始まった。 高塚氏は68年にリクルートに入社。トップセールスを続け、77年盛岡グランドホテル総支配人となる。リクルート事件で社長の江副氏が退任。後をダイエーの中内会長が引き継ぐ。 最初、二君に仕えずの気持ちであった。が、大胆にも中内会長にホテル経営を説教する。それを素直に聞く中内氏の器の大きさと人情の機微にすっかり心酔する。 息子のダイエーホークス・オーナー正氏を心配する中内会長の絶っての願い、ホークスの球団経営の再建人を断る。しかし、中内氏の三顧の礼に対し、意気に感じ、盛岡グランドホテルとの兼務という条件で、球団・ドーム・ホテルの再建を引き受ける。 結果から言うと、それまで毎年営業赤字が42億円垂れ流しになっていたのを、就任僅か二年で逆に三十億以上の黒字に転換。観客動員数はパリーグ新記録の300万人を超えた。 福岡は地元意識が強く、中内会長が送り込んだ高塚氏には絶対に従うなとの鉄の結束が出来上がっていた。単身乗り込んだ当日、地元の銀行の大物がやってきて、本日付けで辞任しろと迫られる。想像以上の四面楚歌であった。 どうやって、金もない、野球も知らない一人の男が乗り越えていくか? 静かな語り口に思わず、引き込まれてしまった。では、この続きはまた明日・・・。
2003.11.26
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朋遠方より来る。亦、嬉しからずや!北京に行った友人が七年振りに一時帰国した。突然連絡が入った。さっそく、大学時代の友人、6名にメールで臨時徴集をかけた。 神戸にちょうど帰ってしまって来れない奴。会社の社長命令の外国人接待で本日これなくなってしまった奴。何ら連絡のない奴。来ると言って結局、女の元にいってしまった奴。果たして何人が急に集まるのであろう? ホテルオークラのロビーで待ち合わせる。幹事役の私は、少々早く着いてしまった。キョロキョロ見まわすと、あそこにいるのは大学の恩師で、私の仲人・・。「先生、すっかりご無沙汰しています」こういう気まずいときは、気勢を制して、大声で挨拶するに限る。「オオーみつおか、どうしている?」「智恵子、みつおか君だ」「本当にご無沙汰しっぱなしで・・・」先生と握手を交わす。 迫力とオーラは相変わらずだが、先生の手は悲しいほど薄かった。奥様の髪は、白髪である。なんだか、胸にジーンと来た。後ろ髪を引かれながら、先生に別れを告げる。 遅れて続々集まってきた。結局、総勢4名。まあ、当日にしては、集まった方であろう。ホテルでは仰々しいので、近くの居酒屋に入る。北京の友人は、生牡蠣、活きだこのカルパッチョ、ニシンの薄造りを頼んでいる。中国では、刺身を食べる風習がないのである。現代中国情勢をあれこれ聞く。 そういえば卒業してはや、四半世紀。みな仕事では重責を担うと共に、色々苦労をしているようだ。今春あの世に逝った友人の昔話をして偲ぶ。T君はM百貨店の出世頭だった。突然癌で倒れた。下の子は、まだ幼稚園にいってなかった。T君と奥さんは私が開いた合コンで結ばれたので、涙、涙、ただただ悲しかった。 この歳になると口には出さないが仕事のしがらみと、自分の理想世界のどちらに軸足を置くべきか、皆、微妙かつ深遠な雰囲気を秘めている。そこは昔同じ釜の飯を食った連中だ。時間が経つに連れ阿吽の呼吸になっていく。利害が絡まない酒は実に愉しい。 六本木に出て、和風ラーメンをすする。M君の知っているスナックに連れていかれる。懐かしの歌のオンパレードである。加山雄三、さだまさし、谷村新司、そして往年のグループサウンズ。いつしか六本木の夜はふけてゆく。ああ、青春のあの日に・・・。
2003.11.21
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男にはそれぞれ行きつけの店がある。作家・故・山口瞳は、京都祇園のサボアのマティーニをこよなく愛していた。ところがマスター英一さんが突然、43歳の若さで他界した。素人の奥さんがその名店を継げるか心配した、山口氏は英一さんの奥さんを鍛えた。銀座の名店「クール」に連れていき、マティーニを飲ませたたりもした。奥さんは毎晩カウンターに立って、マティーニを二杯作り、一杯はお客にもう一杯は味見に飲み干したという。一日、十杯以上は飲む。当然、家に帰って倒れる日々が続いた。マティーニはジンがベースであるから強いのである。その甲斐あって、奥さんの腕は上がった。山口氏は「祇園サボアに行ったら、マティーニを頼んでくれ」と皆に宣伝した。その山口瞳がこの世を去った時には、多くの飲み屋の女性が涙したという。 私が祇園に行ったときは、お茶屋のカウンターバーをよく利用した。お座敷だけでは敷居が高いので今ではどこのお茶屋でも中にバーを併設しているのだ。司馬遼太郎がひいきにしていた中庭が粋なお茶屋「T」である。ここでは夜通し、おかあはんとよく酒を飲んだ。また、フィンランディアも時々使った。本店は五条通にあるフィンランド料理専門店であった。祇園の店は純粋なBARで、一人でぶらっと寄って、一杯飲んで帰るのに適したお店であった。先日、出張の折り、ぶらっと寄ってみた。外見はとてもBARだとは思えないお茶屋である。格子戸を開け、さらに内側の扉の中に入ると別世界が広がる。白木のカウンターに奥は箱庭になっている。とにかく落ち着けるのである。私はいつも一人でここに来ると、凍るまでびんびんに冷やした「アクアビット」をオーダーする。ジャガイモを蒸留した北欧の強い酒である。この種の蒸留酒を通称「オードビー」と呼ぶ。「生命の水」という意味である。 銀座で時々、一人で訪れたのが細い木の階段を上り詰めた二階にある小さな小さなBAR「蘭」であった。詰めてもらい、いつもカウンター左奥に座った。私はめったにカクテルは飲まなかったが、ここのご主人がカクテルを振るしぐさが好きで、その日の気分のカクテルを作ってもらった。ここのご主人、田中さんはサラリーマンを辞めて40年間シェイカーを振り続けたプロである。 終電間際に店に飛び込むといつも田中さんはかなりお酒が回っていた。なかなか私の名前、「みつおか」が出てこない。なんとか私の名前を刻印しようと思って何度も通った。田中さんは夜がふけるに従って、鷹揚な田中流サービスの真髄を発揮した。たった一回だけ、ジャズの話しになり手笛で、トランペットを吹いてくれた。惚れ惚れする芸であった。また、よく奥さんとお嬢さんのこともぼそりぼそり話してくれた。ある時「みつおかさん」と呼んでくれた。「私は、三回、カンサー(癌)にやられたんですよ。また大きくなってきやがった。でも負けませんよ。この酒があるんですから・・」と笑顔で言った。印象的な笑顔であった。店では元気であったが、「家ではいつも寝ているんです。でも不思議ですね。夕方五時になって蝶ネクタイを締めるとしゃきっとするんです」と漏らしたあの顔が忘れられない。 暮も押し迫った頃であった。忘年会の3次会か4次会の帰りにぶらっと寄った。するとはじめから「みつおかさん!」と呼びかけるではないか。どうしたのかといぶかしむと「私、みつおかさんに借りがあるんです。よかった!」と嬉しそうにつぶやいた。よく聞くと昔一万円札でお釣りを取らなかったとのことである。前のことなのですっかり忘れていた。その日は田中さんにご馳走になった。 翌年、三月にぶらっと寄ると見知らぬバーテンがシェイカーを振っていた。田中さんが他界したと言う。あの時は虫が知らせたのであろう。律儀な田中さんゆえ、あの世に借りを持っていきたくなかったのだ。この店は成田一徹氏の日本のBAR64選にも取り上げられている。以下引用しよう。 「とりわけ印象深いバーである。・・その自嘲が僕には好ましかった。要するにカウンターの内と外のの距離が近いということである。もちろん、ケジメの一線はゲンとしてある。しかし、それをお客に悟らせず、自らスキをつくることで居心地の良い雰囲気を醸していく。・・晩年は闘病しながらのバーテンダー生活であったが、おくびにも出さず、夜も更けると絵と同じ光景が再現され、店は田中達也の世界になった。九八年春、他界されたあとも、奥様とお嬢さんが田中さんの匂いを守りながら店を続けている」 美しい奥様とキュートなお嬢さんである。さすが田中さんが自慢していただけのことはある。すっかりご無沙汰しているが、奥様とお嬢さんに名前を覚えてもらうため、また、せっせと通わなきゃ・・と思っている。
2003.11.20
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作家・沢木耕太郎は是非とも行きたい都市としてこう語っている。「私には三つの『夢の都市』があった。ベルリンと上海とサイゴン。どうしてそれが夢の都市かというと、そこにはもう決して行くことができないからだ。・・私が行きたかったのは、・・昭和十年代の上海であり・・」 その昭和十年代に、上海貴族の家で何不自由なく育てられたのが、「chef’s」のオーナー王恵仁氏である。毎晩、世界の紳士・淑女が集まり、舞踏会さながらの会食が催されたのでる。 そんなお坊ちゃまが厨房に入ることは許されなかった。人一倍、料理に興味のあった王氏は、お抱えシェフに頼んでこっそり厨房にいれてもらっていたのである。 時代は変わり、革命が起きた。この世の春を謳歌した王家も没落の一途をたどったのだ。特に共産政府からの締め付けと罰則は厳しかった。眼の敵にされたのである。 ついに文化大革命の悲惨さに嫌気がさし、命からがら王恵仁氏は日本に亡命できたのである。ただ、一人で日本でどうやって生きていけば・・。 そんな中、彼を救ったのが「舌」でった。上海料理の真髄の味を覚えていたのだ。 伊豆下田で小さな中華料理店を営んだ。そこで知り合ったのが今の日本人の奥様である。流れ流れて、ここ新宿にお店を出したのだ。とにかく、上品で今なおお美しい方である。店の奥でじっと厨房を見つめているご老体が、王恵仁氏である。 前置きが長くなった。話しを戻そう。青森でお世話になった金ちゃんが転勤で帰ってきたのだ。そこで、日本一旨い、上海蟹をお祝いに食べに行くことにしたのである。 このお店は3,4回来ているがこのシーズンは初めてである。噂の上海蟹が早く食べたいとの流行る気持をぐっと我慢する。 まずは私のお気に入り白菜の上海風漬物、トマト玉子、海南鳥のなんチャラ?炒め等々をオーダーする。今なお、お美しい奥様が「三丘さん、春巻きは・・」と言われる。「では、それも・・」美人には弱いのである。 ただ、ここの春巻きは本当に美味しい。すらりと見た目も綺麗なアツアツの春巻きを頬張るとプリンプリンの海老だけ。海老の食感とジュシーな味が見事に調和して、直ぐに「口福」感に浸れるのである。ここでは、馬鹿にしないで、春巻きを頼むべし。 白菜の漬物がまた、私のお気に入りである。どうしてこんなに繊細にきれるのであろうという具合に、茎の部分を綺麗に並べてある。ここの料理はどれも驚くほど料は少ないが、見た目がとにかく美しいのである。軽く甘酢につけこんでラー油を入れただけなのであるが、これがすこぶる美味なのだ。 それからここの看板の一つはこのトマトと卵の炒め物であろう。真っ赤なトマトに、黄色い卵。それがまた凄いのだ。どうしてこんなにトマトが甘いのだろうか?しかもそれが卵炒めに合うのだ。 ああ、思い出しただけでも涎が出てきた。お腹が空いて来たので、一旦、筆を置かせてもらおう。ああ、上海蟹・・・。
2003.11.19
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今年の二月に青森の秘湯に行った時、何から何までお世話になったN君が転勤で東京に戻ってきた。お祝いに旨いものを食おうということになった。よし、飛びきりうまいものにしよう! 考えぬいた挙句、飛びきり旨い上海蟹を出す、私の切り札とも言える店にした。この店は凄い。上海蟹を丸々一匹ほぐした季節限定のチャーハンがある。一人前、五千円である。これでも元はとれないかもしれない。この店に来たお客は、皆、それを頼む。 そのお店の名は「chef’s」という。食通の間で知られた、隠れた上海蟹の名店である。 新宿御苑、大戸口から徒歩五分のところにある。周りはひっそりしていて、目印は何もない。うっかりすると素通りしてしまう。そんな小さな店である。 なにしろ店構えが、まったく中華っぽくないのだ。どうみてもイタリアンかカフェにしか見えない。要はお洒落なのだ。中は極めてシンプルに白で統一されている。テーブルクロスは薄いモスグリーン。テーブルも六つしかない。しかも奥のテーブルは万年指定席でお客はよっぽどのことがないと座れない。 そうである。ここのご主人がいつもタバコを煙らせながら陣取っているのである。 このヒトこそ伝説の人物、王恵仁氏である。このヒトの歴史を語ったらそれこそ世界現代史の生き証人でもある。上海貴族のお坊ちゃんとして幼少時代を過ごしたのである。 戦前の中国で車が走っているとすれば海外の公使ぐらいの時代に、英国高級車を三台も所有していた大邸宅である。無論、夜な夜な、欧米列強の公使や実力者を招いてのパーティが催された。だから、腕利きのコック達が住みこみでお抱えになっていたのだ。 部屋だけで二十部屋以上あったという。だから、ご幼少に時から、中国一の素材と世界一流のコックの味を体が自然におぼえているのだ。では、何故その王氏が日本に・・? この続きは明日にしよう。では、また。
2003.11.18
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昨晩は私淑するクリエイテブな男二人と、銀座でふぐを食したあと、BARを梯子しようということになった。 気の置けない男たちと飲む酒はそうしてこんなに旨いのであろう? 一杯一杯、また一杯・・・である。 鯨飲馬食の大人、故・開高健は吉行淳之介との美酒対談でこう言っている。 「秋も近い夕方、ニュヨークの40階の屋上で飲んだマティーニ、これは忘れられない。うまかった。実にうまかった。 マティーニのグラスがある、オリーブの実が沈んでいる。そこに赤いピイメンタが見える、そのグラスを透かして、ワールド・トレード・センターなんてのが見える・・・」 昨晩、タクシーをすっ飛ばして行った表参道のビルの上のBARも眺めがよかった。妖しげな扉を明けて中に入ると薄暗い中に壁で仕切られ廊下しかない。突き当たりの右側からかすかな光が漏れている。なんと右に折れると、広い別世界が開けている。 カウンターの奥に並ぶ、酒。そして全面が夜景となっている。プラタナスの街路樹とビルのネオンを眺めて傾けるマティーニ・・。 夜景といえば一昨晩呼ばれた、六本木ヒルズ39階のライブラリーのゲストルームもよかった。私もここの会員だが、一般会員は入れない特別会員専用のエリアがある。特別会員は厳しい審査と面接の末、入会が許される。会費は初年度、百万円である。 この特別ライブラリーは24時間オープン。個室も借りられ、森ビルの贅を懲らしている。普通の図書館では、考えられないお酒の無料飲み放題のBARカウンターもついている。 個室を借りてもらい、そこできりりと冷やしたマコン・ビラ―ジュを一本失敬して、二人で夜景をバックにグラスを傾けた。念のために言うと、相手は男、今秋特別会員になった、私が大兄と慕うF氏であった。途中からとなり霧に霞んだ夜景もまたいい。 話しを元に戻すと、昨晩は二軒目は原宿へ向かった裏通りの急な階段を上り詰めた二階にあった。なにしろ暗い。何も見えないぐらいに暗い。金曜日で満席のようであったが、なんとかスペースを廊下に作ってもらった。 酔っていて記憶が定かではないが、「バール・デ・じゃんがら」と木に店名が彫ってある。どうやら、九州じゃんがらラーメンのオーナーが、どうしても大人のBARをやりたくて、趣味ではじめたお店らしい。 二杯ほどスコッチを引っかける。大人の会話が続く。酔いに任せて、今度は上海でBARで飲もうということになった。そこまでで私の記憶は途切れている・・?
2003.11.17
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昨晩、私が私淑する大人の男二人と表参道の夜景の綺麗なBARで飲んでいた。A氏が突然,「トラベル、ジャーニー、ツアー」の違いって分かりますと聞いてきた。 フーム、何気なく使ってきたが・・・? 因みに手もとの辞書「GENIUS」で調べると、英国では[trip] :短い旅行[taravel] :周遊旅行(元々は移動)[tour] :組織化された計画的な視察旅行[journey] :陸路の長い旅行に用い、より形式ばった文学的意味[voyayage]:船・飛行機・宇宙船による長い旅行[excursion]:団体での小旅行 とでている。 なーるほど、さすがにかつては世界の七つの海を制覇した英国だけのことはある。「旅行」について、細かく使い分けているのだ。 「旅」は昔から私は大好きである。学生時代、休みとなるとバックパック一つで当てのない旅に出かけた物だ。 勤め人となってからは、さすがにめっきり減ってしまった。最近では、夜の隠れ家探訪にぶらぶら夜の街をさまようくらいだが・・ 深夜タクシーで帰宅したら、目が冴えてしまった。読みかけの沢木耕太郎「一号線を北上せよ」を読み出した。止まらない。ボジョレーヌーボーのボトルがみるみる減っていく。 沢木氏は、子供の頃好んでみた番組は「ローハイド」、「拳銃無宿」、「逃亡者」、そして「ルート66」だったと言う。 「ルート66」は二人の若者がアメリカの66号線をムスタングを運転して旅を続ける、さまざまな出会いのドラマである。 ジョージ・マハリスの主題歌は・・・もし、あんたが車で西部に if you have 行こうとするなら planned to motor west イカした道で旅するといい Travel my wayハイウェイを使うのさ Take the Highwayそれが最高 that the bestさあ、ルート66を突っ走りな Get your kicks on Route66 そして沢木氏はこう言っている。 「誰にも『北上』したいと思う『一号線』はあるのかもしれない・・・」 どうして「旅」はどうしてこうも人を虜にするのであろうか? せせこましい日常から、たまには開放されて、ワクワクする非日常を味わいたいのであろう。最近、下のHPのバーチャル・トリップに嵌っている。今夜はベルギー・ブリュッセルであった。 そう言えば先日ヨーロッパから帰ってきた女性マーケターは、ブリュッセルで食べた「ムール貝のワイン蒸し」の味が忘れられないと言う。さあー、貴方も「自分だけの旅」に出ませんか? http://plaza.rakuten.co.jp/viafm/ viafmさん ああ、ボジョレー・ヌーボが残り少なくなってきた・・
2003.11.16
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メルマガ、なんとか三号までこぎつけました。以下引用します。お時間のある方、お付き合いください。何か得した気分になりますよ。 2003年11月18日(火) 磨け!3分間 知的武装 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 第3号 ♪♪♪♪♪♪♪♪ 「見方が変わる!『超』マーケティング発想法」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ●発行責任者:アントレプレナー塾 塾長 三丘 大詩 読者数:863名――――――――――――――――――――――――――――――――――― このメルマガは、21世紀型江戸っ子マーケター、三丘 大詩(みつおかひろし)が毎週書き下ろす、忙しい人のための知的ブラッシュ・アップ・メッセージです。楽しく読んで、自然にマーケティングセンスが身につきます!――――――――――――――――――――――――――――――――――― フィールド探検、読書、ビジネス誌・新聞記事から見つけたマーケティング、経営、ベンチャー起業、キャリア・アップ、読書、グルメ等の旬の素材をみつおか流に味付けして毎週お届けします。――――――――――――――――――――――――――――――――――― 【はじめに】☆★☆★☆★☆★☆★――――――――――――――――――― こにちは!みつおかです。いよいよ第三号。今回も私がフィールドで強く感じたことを素材にします。趣味に絡めた自分だけの仕事です。では…。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◆◆◇◇◇◇◇◇フィールドで見つけた仕事の作り方◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆ 「 趣味を極めてオンリーワンの仕事を創り出す」 好きこそものの上手なり ◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆―――――――――――――――――――――――――――――――――――●私は子供が小さい時アウトドアーに凝っていた。Nご夫妻からジャパン・ダッジオーブン・ソサエティを紹介され、私も入会した。ダッジオーブンに魅せられたお二人と、夜景鑑賞を極めた人を取り上げ、趣味起業について考える。―――――――――――――――――――――――――――――――――――▼菊池氏は子供の頃からの夢があった。カウボーイに憧れていたのだ。電通時代、意を決して長期休暇をとり西部に飛んだ。短期間のカウボーイ修行をするためだ。厳しい見習い修行の中で唯一の楽しみは、焚き火にくべた大きな鉄鍋のダッジオーブンであった。朝、豆と牛肉をその中に放り込んでおく。夕方、くたくたになって戻ってくると、心を和ませる美味しそうな匂いがするのだ。▼帰国後、どうしてもあのダッジオーブンの魅力が忘れられず、とうとう電通を退社し、ダッジオーブンの普及のためジャパン・ダッジオーブン・ソサエティを設立した。他に得意のイラストを活用してダッジオーブン料理の本を執筆した。ダッジオーブンの第一人者としてイラストと文筆で独立したのだ。 http://jdos.com/ ----------------------------------------------------------------------▼そのダージオーブン協会の熱心な会員がNご夫妻であった。奥さまはダッジオーブン料理の腕をメキメキとあげていった。そしてついに一昨年、菊池氏の勧めもあって、自宅で日本初のダッジオーブン料理教室、ジャパン・ダッジオーブン・ソサエティ公認「ダッジ・オーブン・アルカディア」を設立した。▼今では日本全国から料理教室にやって来る盛況ぶりである。しかもダッジオーブン料理本の執筆・監修や、テレビ、雑誌の取材が相次いでいる。企業のセミナー、イベントのインストラクターの仕事も舞い込んでくるそうだ。 http://www.dutchoven-ar.com/home.html ―――――――――――――――――――――――――――――――――――●子供のころから夜景を見るのが好きだったという。大きくなって、日本全国の夜景の写真に凝りだした。そしてついに・・・・。―――――――――――――――――――――――――――――――――――▼夜景に取りつかれた男がいる。名前は丸々もとお。マスコミによく登場するので知ってる方もいるかもしれない。彼は立教大学観光学科を卒業後、情報誌ぴあの編集記者をするかたわら、趣味の夜景観察にのめり込んでいった。そしついに独立。最初は半信半疑、こんなので食べていかれるか不安だったと言う。▼彼の凄いところは、自分の肩書を勝手に作りだし商標登録してしまった。こうして日本で唯一無二の「夜景評論家」(登録商標)が誕生した。マスコミの知るところとなり、95年TV初登場、その後、押すな押すなの大人気者となった。▼彼の真骨頂は、「夜景鑑賞」にマーケティングを駆使したところにある。付加価値をつけるために、「夜景学」なる学問体系を勝手に構築してしまったのだ。まず、既存の学問アプローチとして夜景経済学、夜景社会学、夜景環境学等を確立。さらに総合的に理解するために新しく夜景評価論、夜景サービス論を起こし、両社の成果として「癒しの夜景学」なる新分野を創設した。▼実際のビジネスでは夜景評論家としての、執筆・評論・夜景スポット等の情報提供。また、夜景学に呼応し、ホテル・ツアープラン、夜景グッズの開発・販売などの夜景プロデューサーに仕事を拡大する。さらに今日では、「癒しの夜景学」に対応して、店舗開発、不動産などのコンサルティング業務まで手掛けている。▼例えば今年の夏からホテル・ニューオータニでは、丸々もとおプロデュース「夜景の時間」を売り出している。この企画は、丸々氏が厳選した夜景の美しい部屋に泊まれるだけでなく、様々な特典がつく。夜景の解説シートと楽しみ方プロセスシート、運気アップの夜景コンパスと夜景占い本、夜景がキラキラ光る「特製夜景メガネ」。それに夜景を鑑賞する前にリラックスするための「特製入浴剤」という念のいれようである。摩天楼ドリーム28,000円より。 http://superyakei.com/index.html ―――――――――――――――――――――――――――――――――――【 みつおか流料理のツボ 】☆★☆★☆★☆★☆★――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――●「好きこそものの上手なれ」と言うが、自分の趣味を極めて三者三様に仕事にしていった身近なケースである。-----------------------------------------------------------------▼菊池仁志氏は、子供の頃の夢を抱き続けて自分の才能に磨きをかけて独立した。菊地の名で文筆業と「ピエトロ」というペンネームでイラストレイターとして活躍している。昔からサラーマンから作家に独立する人は多い。例えば、新聞記者・福田定一は歴史に憧れ、独立して作家「司馬遼太郎」になった。 ▼料理研究家と言われる先生たちは大勢いる。しかも従来型の料理教室は閑古鳥である。本を出版したり、マスコミに登場する料理の先生はそのうち極々一部である。自分の趣味を活かして、Nご夫妻は全く新しい料理分野を作りだしていったのだ。遠方から来る生徒は、従来の料理教室と違って男性が多いという。また、WEBでの告知と集客も大きなウエイトを占めているかもしれない。▼丸々もとお氏は夜景評論家というオンリーワンの仕事を創造したばかりか、次々に関連する分野に進出している。ここで大事なことは、根っこの「夜景鑑賞」をさらに深掘りして付加価値を高めてから、多角化した点である。例えばただ夜景の綺麗なスポットベスト10という情報提供ではなく、夜景を点数化する評価方法を独自に確立し、しかも分類・体系化して評価情報を提供した。▼マーケティングでは、市場セグメンテーションという言葉がある。何らかのフィルターを用いて市場を同質的な断片に分割し、自分に合った小さな断片市場を見つけ出す考えである。一方商品開発で競合に対し差別化という考え方がある。しかし、このケースでは得意分野を突き詰め、差異化していくと言った方が近いかもしれない。因みに私の修士論文はマーケットセグメンテーション研究であった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――【今週のみつおかひろしの薀蓄】☆★☆★☆★☆★☆★――――――――― ―――――――――――――――――――――――――――――――――――●【自分の肩書きを勝手に創り出す】 神田昌典氏はベストセラー「非常識な成功法則」の中で起業の際の成功の秘訣の一つとして、なりたい自分になるために「自分に都合のいい肩書きを持つ」ことの必要性を力説している。 ●【ナンバーワンよりオンリーワンを目指す】 独立・起業する場合は、大手との競合を避け、オンリーワンを目指すべきである。自分の得意技に磨きをかけ、他人と違った土俵で新しい仕事を創り出すことが肝要である。●【趣味を極めて、新しいい仕事を創造する】 自分の好きなことは、いくらやっても飽きないものである。そういった分野があれば、とことん深堀りする。本質をどんどん極めていくのだ。そこに起業のチャンスがあるかもしれない。ただし、リラックスするための趣味は、趣味として、仕事にしないほうが賢明である。ここのところを混同しないように!●孔子『論語』より 「之を学ぶ者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を愉しむ者に如かず」―――――――――――――――――――――――――――――――――――このメルマガは「まぐまぐ」のシステムを利用して発行しています。■登録/解除フォーム http://www.mag2.com/m/0000119371.htm ----------------------------------------------------------------―――――――――――――――――――――――――――――――――――★☆☆☆☆☆ <<みつおかひろし の編集後記>> ☆☆☆☆☆★―――――――――――――――――――――――――――――――――■■■■お詫び□□□□ ■■■ 先週の第2号の記述に誤りがありました。「白い恋人」は「六花亭」の商品ではありません。思い込みって怖いですね。教えて頂いたTさん、ありがとうございます。感想やご指摘お待ちしております。-----------------------------------------------------------------------■第三号、どうでしたか?「うーん、ちょっとねぇー」そいう貴方の感想を待っています。メール・アドレス:hiroshi6936@yahoo.co.jp ■毎週火曜日にお届けしますこれからもっともっと、調子を出します。 ハイ!おまかせください。 ●アントレプレナー塾 塾長 三丘 大詩(みつおか ひろし) http://plaza.rakuten.co.jp/hiroshi777 http://www.h6.dion.ne.jp/~hiroshi3/index.html ------------------------------------------------------------------------ ----------------------------------------------------------------------
2003.11.15
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大学時代の恩師の講演録メモをわざわざ後輩が会社に届けてくれた。(後輩と言っても今ではれっきとした社長であるが・・)ちょうど今、読みおえたところだが、感動の余韻がなお、こみ上げてくる。なんだか、元気が出てきた。 恩師は私が今の会社に就職する際、はなむけの言葉として私にこう言った。「いいかみつおか、人材になるなよ! 人物になれよ!」 その時は意味が良く分からなかった。ようやく最近になって分かりだした気がする。やはりM教授は、今なお私にとっての、「人生マーケティングの師」である。 前置きが長くなったが、心に滲みた言葉の幾つかを「感動」のおすそ分けとして、以下列挙する。・業績を不況のせいにしていないか?・Skillのまえに、Willを!・強きもの、賢きもの、大きいものが生き残れるのではなく、変 化できるものが生き残れるのだ。・他人と競争するのではなく、自分の可能性と競争しよう。・衝突から、創造がはじまる。強い意思が明日を創る。・人間関係がうすいと商売もうすくなっていくものだ。・大切なのは"ふれあい"、"助け合い"と、遊び仲間、勉強仲間を もつことだ。「商売力」とは・・・商売とは、他人の真似しにくい「喜ばれること」をやり遂げて いくこと。・商売が繁盛するには、仕事の好きな人を集められるか、工夫する 心を持ち続けられるかによる。・今はCS(顧客満足)を超えてCD(cusutomer delight)[顧客の喜び]の時代なのだ。・「志」を大きく持って、 ・「場」を大きく深く思索すること・「展開力」「脱皮力」「対話力」を力強く発揮するとき、「商い」は成立する。・「プロとは相手が満足するまでアイデアを出しつづけること」・「プロとは優しく親切に納得をえること」説得では全くない。・イノベーションとは、新しい、常識への挑戦・心を開け 優しくなれ 親切になれ これ商いの鉄則である 人生はテキストのない創作だから面白い。 難しい、すてきな創作を楽しみにしたい! 標準語でなく、「表情語」で・・ 厚い熱烈な"情熱"の思い入れが人を動かす "ネあか"、"人脈作り"、"運(ツキ)"が成功の基本 針の差ほどの努力を! 高い積もりで低いのが教養 低いつもりで高いのが気位 深い積もりで浅いのが知識 浅い積もりで深いのが欲望 厚い積もりで薄いのが人情 薄い積もりで厚いのが面皮 強い積もりで弱いのが根性 弱い積もりで強いのが自我 多い積もりで少ないのが分別 少ない積もりで多いのが無駄〇教養の基本は 気配り 目配り 手配り 相田みつお からの引用 「どんな荒れた社会、優しさを失った社会でも、"希望"も "幸せ"も"豊かさ"もすべてはいつも自分の前向きな心が決める のだね」
2003.11.14
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ようやくANA連載用の「癒国、能登・金沢を極める!」を脱稿した。やっと肩の荷がおりる。それにしても金沢のお茶屋もイイヨな・・・・。 金沢市街の東を流れる浅野川を渡るとまるで江戸時代にタイムスリップした一角が残る。繊細な紅殻格子とひさしの並んだ美しい街並み。 ひがし茶屋街である。ここには忘れかけた大人の粋が今も残っている。広い石畳の両側にお茶屋が並んでいる。その石畳の突き当たりには、卯辰山のなだらかなシルエットがくっきりと借景になっている。絵になる風景である。 どうしてこうも美しいのであろう。フィルムに収めたい光景だ。ここは、冬場屋根の雪を正面に落とすために屋根の角度とひさしが揃っているのだろう。だから街全体に整然としたリズムが生まれているのだ。 加賀百万石の前田藩が総力を結集して、京都・祇園に負けない格式を作り上げたのである。路地から舞妓の声や、三味線太鼓の音が聞えてくるようだ。 金沢独特の建築様式がある。お茶屋の一階正面は、中からよく外が覗けるように細かい格子状になっている。これを「木虫篭」と呼ぶ。中に広がる大人の艶な世界をちらっと垣間見させてくれる。 中は吹き抜けになっており、部屋の壁は加賀独特の色っぽい紅色である。一般に「加賀の赤壁」とも呼ばれる。 遊郭は、日常と一線を引いた非日常を感じさせるため、中は贅を尽くしているのだ。昔は百人以上いた芸子衆も今では、十五人たらずだとか・・・。 こういった伝統文化はやはり残さなければ・・・。 しんしんと冷える真冬の金沢。 石畳の上を艶やかな色の和傘をでひとつさしながら、 「あら、『みーさん』、雪が・・」 と言われながら舞妓と二人・・・。 てな世界になれませんかねぇ・・???
2003.11.13
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現在、快晴。出張で広島に来ています。朝一番のANAで飛び、タクシーを飛ばしてようやく、プレゼンに間に合いました。なんとメーターは1万5千円。トホホ・・。 時間が無かったのでこちらで穴子弁当を買ってきてもらう。これが大正解。前から食べたかった、あの宮島口の老舗、「上野」のあなごめし、1400円。ここのは凄い!焼きアナゴがどっしり敷き詰めてあるのだ。あとは沢庵と奈良漬け。これは安い。 いまどき珍しい白木のわっぱの折りにレトロな包み紙。ごはんにたれがほんのり染み込んでいる。美味い。ごはんにもち米が混ざっている。穴子が香ばしい。たれの味がいい。本格的な味なのだ。心が和む。名物に美味いものありである。意外な感激に浸る。 ああ、いけない!そろそろ飛行場へ戻らなくては・・。 以外と広島空港に早く着いたので、続きを書いちゃう。 空港には広島焼きのお店が三軒入っている。どれにしようか迷う。1番親しみやすい名前にしよう。「よっちゃん」に入る。 まだ少し早いが、生ビールに正統派「広島焼き」豚入りを頼む。しめて千円ちょっと。 麺が細く中華麺を使っているようだ。細切りのキャベツともやしに麺が合う。薄くひいたお好み焼きの皮にはさまれた広島焼きをフーフー言いながら頬張る。 これぞ、本場のお好み焼きである。生ビールが喉に沁みる。 今日もお疲れ様でした。 いよいよフライトの時間だ、ではアシタマニアーナ!
2003.11.12
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京都祇園のお茶屋が一変している。街並みは時代劇さながら、昔のままなのだが、中身が私が京都に住んでいた十五年前とは全く変わってしまったのだ。ところで「お茶屋」って? そういう人の為に少々解説しましょう。 花街には「置き屋」と「お茶屋」がある。置き屋は「舞妓」や「芸子」が住み込み、何から何まで教え込まれる処、一方、お茶屋はお客はんが遊ぶ場所を貸すところ。 分かりにくいので、芸能界風にいえば、タレントが舞妓や芸子、その所属事務所が「置き屋」、タレントが活躍する場のテレビ局が「お茶屋」である。 だからお茶屋のおかあはんは、例えばひいきのお客はんの「みつおかはん、通称ミーさん(仮定)」から明日八時四名の大事な接待とオーダーが入ると、食事と綺麗どころの有無を確認する。 お茶屋は、原則お酒とつまみは出すが、お料理は作らない。そこで、料理専門の仕出しやから懐石料理を取るのである。 綺麗どころは、さらに細かい好みがあるので、おかあはんとの阿吽の呼吸である。まず、三味線などのジカタさんを入れて、踊りや遊びをするかどうか? 舞妓か芸子かなどなど・・。 なお、祇園のお茶屋は以前は決して、イチゲンサンは、とらなかった。常連さん以外のスポットのフリーのお客は入れなかったのである。しかし、その長い伝統文化も激変しつつある。 まず、お茶屋の維持が出来なくなったのだ。そこで、外観はそのままにして、中身を改装して、誰でも入れるイタリアンや和食、はてまたBARにする所が急増したのである。 お茶屋文化には色々優れた点があった。歴史的に見ると世界に先駆け、完全なクレジット(信用)社会であった。その場で、現金で支払おうとするなら、「ミーはん、イケズやなぁ~」と言われてしまうのである。 話しが大分それてしまった。では、実際に京都のお茶屋や、町家の中身がどのように変わったか、次回お話ししよう。 「京都・お茶屋や町屋でごはん!」についてレポート・・・請う!ご期待。
2003.11.11
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夜の10時を越えていた。お腹がクウクーいっている。駒澤大学で途中下車する。駅上の国道246に面した気になるお店があったのだ。薄うぐいす色の板で覆われている。正面に大きな○印の中に「中」の字。中から漏れてくる香りからするとうどん屋のようだ。 勇気を出して中に入る。鰻の寝床のように細長い。カウンターだけだ。数えるとちょうど1ダース十二人分の椅子がある。ドキドキしながらメニューを開く。赤い印鑑で定番と押印してある品目はカレーうどん580円である。店名は「中川屋カレーうどん」。 お次の赤いはんこ印は、「オススメ」と押された「スペシャル海老天1本・ちくわ・チーズカレーうどん」880円である。ここはどうやらカレーうどん専門店のようだ。カレーうどん以外の麺メニューは「さぬきうどん」と「ぶっかけうどん」の二つのみ。 隣のアンちゃんは真っ黒いどんぶりから10センチ以上はみ出した天ぷらが載っている。「穴子天カレーうどん」880円である。どれにするかじっくりメニューを眺める。酒の摘まみメニューとして「鴨肉唐揚げ」450円、「鴨めし」350円もある。 熟考の上、赤く「激旨」と押韻してある「中川屋 鴨肉カレーうどん」780円を頼む。ここの得意技は鴨肉とみた。 後から来たサラリーマンはスペシャルをオーダーし、激辛でと付け加えている。激辛味も可能なようだ。カウンターの下に荷物おを置く棚がないと思ったら、風呂屋のプラスチックの一回り小さい脱衣籠が床に直に置いてある。 運ばれてきたカレーうどんには、長葱、薄揚げ、鴨肉のスライスが四枚載っている。濃い目のダーク・ブラウンの色をしている。とろみのついたカレー味が利いた正統派カレーうどんである。結構辛味も利いている。 ここは麺が凄い!シコシコ・つるつるの讃岐うどんなのだ。私は讃岐うどんにはかなりうるさい。昨年は本物の讃岐うどんを求めて良く食べ歩いた物だ。それが嵩じてついに昨年の十二月に日帰りで本場高松にまで飛んだくらいだ。詳しくは以下をご覧あれhttp://svc.ana.co.jp/kuyujiteki/burari/takamatsu/index.html 新しい味として、チーズや揚げ餅150円をトッピングしても面白いかも知れない。麺が腰があって美味しかった。 今度は、スペシャルを激辛で頼んでみよう。
2003.11.10
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先月はじめに旅した能登の紀行文を仕上げねばならない。どうも気乗りがしないがパソコンに向かう。ANAのHPの連載用だ。今回は題して「癒国、能登・加賀を極める」である。 書き進めるうちに懐かしの能登の味が脳裏によみがえってくる。 輪島の外れにあった、小さな寿司屋「伸福」。ここの地の物握り、二千五百円も良かった。 朝、地物で揚がった新鮮なネタだけを握ってくれるのだ。日本海の旬、ノドグロ。この魚は塩焼きも旨いが、握りもイケル。キメ細かく口にまとわりつく美味しさだ。 お次は「なめら」。九州では「くえ」と呼ばれ、鍋にいい。なめらの握りは,肉厚でどっしり重量感があった。地元の「がす海老」、上品な平目・鯛,脂の乗ったさんま・あじ・ひらまさ、コリコリ引き締ったバイガイ、そしてトリは・・・。 登場したのは赤身に霜降りが入って,上に浅葱が彩りを添えている。なんと能登牛を軽く火で炙り天日塩を振りかけてある。かぼすを絞って頬張る。塩梅が得も言えない。しっとり舌にまとわりつく。とろけるように美味さが口一杯に広がっていく。 日本海を見下ろしながら能登半島の突端に向けて北上する。程なく、藁葺き屋の「庄屋の館」が見えてきた。ここは、私を虜にした意外な逸品があった。「海藻のしゃぶしゃぶ」である。 七輪が運ばれてきた。ホタテの巨大な貝殻のにたっぷりとだしつゆが注がれている。早速つゆをテースティングする。 う~ん、この味は・・・・?あれこれ考えをめぐらす。恐らく、コンブだしをベースに、コハク酸系のホタテか何かの貝で出しをとったのであろう。それに酒粕が味に奥行きを与えている。 海藻というとワカメ・コンブぐらいしか思い浮かばない。運ばれてきたお皿には六種類の海藻が小山に盛られていた。生ワカメ、アオサ、ホンダワラ、ギバザ、カジメ、岩のり・・・。 どれがどれだか良く分からない。が、それぞれに特徴がある。コリコリしたもの、ぬめっとした奴、しゃきっと歯ざわりのするもの。さっと箸でつゆに泳がせる。口に含むと、それぞれ特有の磯の香りが広がってくる。 ああ、奥能登の味に感動する。不思議な味の世界にすっかりのめり込んでいく・・・。 テナ具合である。ようやく原稿用紙二十枚。さあ、あと二十枚である。秋の夜は長い。今宵は、食と旅のエッセイスト「みつおかひろし」に徹しよう! http://svc.ana.co.jp/kuyujiteki/burari/izumo/index.html
2003.11.09
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あっと言う間にメルマガの発行日がやって来る。今度のネタは何にしよう。あれこれ考え結局、7月に30年ぶりに帯広に寄ったときの感動のお菓子やさんを素材に選ぶ。 そう、札幌の空港で誰しも良く見かける、ホワイト・チョコレートやマルセイ・バターサンド、最近ではストロベリーチョコなどで おなじみの「六花亭」である。 この企業は凄い。操業70周年の老舗であるが、ここのところずっと増収増益の快進撃を続けている。 しかも他の企業ではちょっと真似の出来ない偉業を達成している。全従業員の年休消火率100%を14年間連続で打ち立てているのである。 どの社員も笑顔が絶えない。お店の入口には全従業員の顔写真と名前が張り出してある。「従業員満足が顧客満足」を引き出しているのである。 ここの社長がまた凄い!「人事は人の一生を左右することがあります。だから、責任を取れる人が人事をやらなければなりません」と言って、採用から評価・異動まで全部一人でやってしまうのだ。 小さな家族経営ならそれが可能であろう。でも今の六花亭は、売上130億、正社員800名の大企業である。 社長室には大きな白版がある。そこに全社員のネームプレートがマグネットで張ってある。それを暇があると眺めているという。 社長の元には毎朝、授業員からの直接情報が寄せられる。そのコミュニケーションが社員のやる気を引き出しているようである。 フレッシュクリームがたっぷり入った、本店でしか買えない「サクサクパイ」がまた食べたくなってしまった。 どうです。皆さん、北海道へ行ったら、六花亭の店舗に寄ってみませんか?そには従業員の笑顔と感動が貴方を待ってますよ・・。 メルマガのバックナンバーを見たい方、登録したい方は下から! 「見方が変わる! 超・マーケティング発想法」 http://www.mag2.com/m/0000119371.htm
2003.11.08
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丸田町・川端通り角にある八起庵は今も昔のままであった。目の前は鴨川がゆったりと流れている。暖簾をくぐるとやはり夜はここでは、親子丼は食べる事が出来ないといわれる。一瞬、絶望感が頭をよぎる。そんな殺生な・・・・! 「そうどすな!親子なら、裏で食べられますわ」なんとありがたいお言葉。さっそく裏手に回る。本とに細い路地である。そこに真新しいお店があった。どうやらここも八起庵がやっているらしい。 こじんまりした店内はテーブルが五つ。お二階もある。おお、メニューはなんとリーゾナブルな!一番高いつくね鍋でも二千五百円。メニューをじっくり眺める。旨そうな匂いをかぎ分ける。 本日の鶏定食、親子丼1,300円、かも南蛮1,500円、を選び出す。とり皿を貰い、三人でシェアーすることにしたのだ。 鶏定食は盛りだくさんである。鶏の揚げたてをぽん酢で浸した揚げ鶏の南蛮風。たま葱のスライスの上に載った蒸し鳥のサラダ風。冷奴、に赤だし。しめて千三百円とは安すぎる。 鴨南は感激的だ。シコシコジュシーなかも肉がどっさり入っている。そういえば琵琶湖の天然鴨が美味しい季節だ。彦根にでも行って食べたいものだ。つゆは甘口だが、山椒を振りかけ青葱とまっちした味だ。さあ、お目当ての親子が運ばれてきた。 想像通りである。半熟状態のふんわり卵に出し汁がたっぷりかかった「つゆだくの親子丼」である。イヤー満足。 ご飯一膳を頼む。アツアツご飯に生玉子をのせ醤油を回しかける。これぞ、日本人の原点である。周りの人もみな頼んでいたのだ。黄身からして普通のと違った。弾力があり、見るからに美味しそうなオレンジ色。いやー、日本人に生まれて良かった! しめて五千円でお釣りが来る。なんと、さっきのタクシー代より安いではないか。とっても得した気分である。ここは、穴場として記憶しておこう。 さあ、祇園が私を呼んでいる。今度は京阪に乗り4条で降りる。振り出しの四条大橋を離れて縄手通を入る。さあ、祇園名物,鰻茶漬けでもかっこもうか・・・・それともお茶屋・・? 明日に続く。
2003.11.07
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折角、永観堂まで来たのにどんぶり屋「日の出うどん」の暖簾は外れていた。タクシーの運ちゃんもあせっている。「お客はん、どないしまひょう?」どないしまひょうと言われても・・・。万事休すである。あたりはもう真っ暗だ。 「そうですなぁ、百万遍にでも行きまひょうか?」すっかりへんてこりんな京都弁である。京大に近いのであの辺なら、「つゆだく親子丼」があるかも知れない。 運転手さんはばつが悪そうに名所旧跡の歴氏案内をはじめだした。私は流して聞いていたが、こんなことも説明しだした。「ここが下鴨神社。あそこはみたらし団子発祥の地ですねん。御手洗と書いて、みたらし。御手洗の語源でもありまして・・」一同、「ヘぇー!」を連発する。 結局、銀閣寺を上って百万遍まで行ったのに、どんぶり屋は閉まっていた。「ほな、どないしまひょう?」 だんだん、京都弁が腹立たしくさえ思えてきたが、ここは雅の都と気をとり直す。「そな、丼はあきらめて、祇園にでもくりだしまひょか」 かつては私も京都から東京へ転勤で戻る時は、祇園の舞子・芸子・お茶屋のおかあはんから花やいろいろ餞別を貰ったご縁なのである。そうこう昔の想い出に浸る。 川端通りを下るうちに、ふと記憶がよみがえった。「運転手はん、八起庵さんはまだやってはりますか?」 そうである。「八起庵」とえば、鳥料理の名店である。あそこなら、つゆだく親子丼が・・・。 「ここどすぇ!」(変な祇園言葉になってしまった) ようは、丸太町川端で降ろされる。なんとメーターは五千円を越えている。夜の京都のいい観光案内とあきらめるか? それにしても、本当に夜も親子丼やっているの・・・? 明日に続く・・。
2003.11.06
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今週は、名古屋・大阪・福岡と出張が相次いだ。大阪の仕事は朝からである。そこで、一計を案じる。前日の夜に京都に入ろう。 先に行った仲間と、19時ぴったりに四条大橋の真ん中で待ち合わせている。会議が伸びたのでのぞみの指定にタッチの差で乗り遅れる。生憎、携帯を家に置き忘れてしまった。仕方がない。ホテルのチェクインは、諦め、駅から橋へタクシーで直行しよう。 「どちらまで?」 「そうですね。四条大橋のど真ん中で!」 「ええっ、お客さん・・・」 凄くおなかがすいた。珍しく京都の丼ものでも食べたくなった。あのつゆだくの親子丼に、締めは鰻茶漬けにでもしよう! 事情を話し、仲間を鴨川真上でピックアップに成功! 直ちに東山・安井の「ひさご」に向かう。この店は、おじいちゃんとおばあちゃんがやっている場末の丼屋であるが、無性に食べたくなるお店でる。石畳通りの裏にあるのだが、昼間は地元の人で行列が出来る隠れた人気店である。 京都特有の「木の葉丼」も面白い。揚げと青ネギに卵がとじられている。無論、出し汁がたっぷりご飯にかけられている。 本当にこきたない小さな店だが、何とはなしに郷愁を誘われるのである。 とっぷり暮れた夜道を、祇園裏から安井に抜ける。「あれっ!お店しまってますよ」 こうなるとどうしても、「つゆだくどんぶり」が食べたくなった。 ようしこうなったら、永観堂そばの「日の出や」に行くしかない!もし、閉まっていたら・・・? ここは、一か八かに賭けてみよう! この続きは明日に続く・・・・。
2003.11.05
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友人・知人に,メルマガ創刊の檄文・案内を出しまくった。なにしろ,まぐまぐの案内に載って381名の講読予定者が集まったのだが、そこでぴったりと止まってしまったのだ。 どうせ、出すなら多い方が張り合いが湧く。よーし、650名集まってから、創刊号を出そう。期間は後1週間、あと269名である。恥を忍んで友人に読ませるしかないか! 「みつおかです。ここで改めて皆さんにお願いがあります。マーケティングを学部・大学院で学んで四半世紀が過ぎました。その間、実社会でもその考え方に随分助けられました。ここに少しでも社会に還元出来ればと思い、無料メルマガ『考えが変わる!超・マーケィング発想法』を刊行します。目標は来年3月末までに、読者五千人です。・・・・ ついては、お知り合いの知的好奇心のある方三名にこのメールをご転送くださればありがたき幸せです」 そんな案内を60人に送ったのが先週末である。 あろうことか、この五日間でHPへのゲストとの来訪者が500名増、メルマガ講読者が288名増の669名になってしまったのだ。やはり、持つべき者は友である。 ただ、ずっしりと669名分の責任が両肩に載っているのに気がついた。以前から集めていた日経ビジネスや日経新聞のネタ記事を読み返した。でも、創刊号はやはり自分の脚で見聞きしたフィールド探検からのものにしよう。 書こうと思うがなかなか筆が進まない。結局、食べ物の話にする。題して「行列の出来るパン屋さん、ケーキ屋さんから学ぶ」にしよう。 あの二百円もしない食パンを製法と素材にこだわりぬき1斤なんおと3600円でも11月分全て売りきれのパン屋さんと、世界一のパティシエが作る行列のケーキ屋さんを素材にする事にした。 書いていてウキウキしてきた。これはなかなかいけるゾ! さあ、もし気が向いたらこんなメルマガ読んで見ませんか? http://www.mag2.com/m/0000119371.htm
2003.11.04
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今日は二軒のご自宅パーティにお呼ばれしている。最初にお呼ばれしたのが十数年来の京都時代からの私のワインのお師匠さんである。千葉に家を新築したので、昔の四家族合同のワインパーティである。妻も楽しみにしている。下の中学1年の娘も連れていく。 もう一つは私の人生の兄貴分と慕っているF氏の野外パーティである。またこれもいつも凝りにに凝っている。いつも、昼から深夜にまで及び来る人も延べにすると70人以上である。今年は80人。 そうなのである。庭が馬鹿でかいのだ。火を起こすスペースは十分にある。武蔵野の自然が残っているのだ。だから、前回は焚き火料理を趣味とする私は、料理人として指名されたのだ。家からダッチオーブンを三台持っていった。何しろ私は、かつてジャパン・ダッチオーブン・ソサイエティの正式会員だったのである。 ただ。今回は涙を飲んでお断りした。深夜の部に私だけ参加予定である。そういえばF氏と私は昨年の12月、最も忙しい時期に仕事をサボって日帰りで、高松に讃岐うどんの梯子をした仲である。 この辺の膝栗毛道中記はANAのHPにも載せているので、時間のある方は、以下を覗いてもらいたい。 http://svc.ana.co.jp/kuyujiteki/burari/takamatsu/index.html F氏のガーデン・パーティは半端じゃない。ホテルの模擬店のように、知り合いの荻窪の名店の寿司屋、焼鳥屋のご主人自らが、朝から参加してしまうのである。だから、その朝築地で仕入れた、松茸や、新鮮な魚介類のバーベギューや本場の焼き鳥、鴨葱が食べ放題なのである。 また、目玉は、某お役所の大御所が茨城産のそば粉を使った手打ちそば教室兼、蕎麦処である。 そこに昨年はダッジオーブンを持込んで、男の野外料理屋を開店したのだ。骨つきのラムラックの香草焼きや、四時間かけた丸鳥の上海粥などが大好評であった。 夜は、ジャズとサックッスの生演奏大会に早変わりする。焚き火の前に陣取る私。果して今年はどんな夜に成るであろう? 二軒のご自宅パーティのはじごが楽しみだ!
2003.11.03
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今日は大事なプレゼンがある。朝から緊張して会社に行く。メール一覧を見ると、おどろおどろしいタイトルが踊っている。 なになに首??? 早速、内容を開ける。大学時代の親しい友だち○O君からだ。彼は、大手国産メーカーから、三年ほど前に外資系のコンピューター関連に転職したのだ。その勇気と前向きなチャレンジ精神に一同拍手喝さいしたものだ。それがまたどうして・・? 彼とは先週末、本郷の旅館で宴会をしたばかりである。その時は極めて元気印だったのだが・・ 昨晩、直属の上司と本部長に呼び出されたという。そして年内に行き先を探してもらいたいと実質上の首を言い渡されたと。将来を考え、中小企業診断士でもとろうと想っていた矢先だったのにといかにも無念そうな内容である。 正直、私はかなりのショックを受けた。言葉で言い表せないほどの!雑誌や新聞記事で読んでいたことが、近くでまさか起きるとは。彼のお子さんはまだ、小さいのだ。 プレゼンをしていても、心の奥底はその事が引っかかっていた。私は、珍しく落ち込んでいた。これでは、いけない・・・。 早速、何人かにメールを打った。近々、○○君を真の男にするプロジェクトを立ち上げようじゃないか!皆、至急はせ参じるべし! 反応は早かった。幹事役のN君が今晩、空いてる人はとりあえず今晩、集まろうとのメールである。私は約束が入っていたが、「てぇへんだ!てぇへんだ。天下の一大事。合点、承知の介」である。江戸っ子は気が早いのである。即、OKメールを打つ。 ○○君からも、「涙がでます。ありがとう!」と即答が来た。 私は気を取り直し、「きつい事を言うようですが、この世で起きることは全て必然です。冷静に現状を捉え、前向きに明日を考え、直ぐ次の行動を起しください」と具体的行動指針を箇条書きにして彼に送った。 金融関係のT君からは、[人材バンクの人を紹介しようか?]と行ってきた。地方で開業している医師のK君からは心温まるメーセ-ジが寄せられた。予備校の講師のS君からも励ましの言葉が届いた。N君からは、紹介できそうな外資系企業のリストが来た。 その夜、目黒で作戦会議が開かれた。私は午後から出張が入っていたが、用件を片付け、直ぐに東京にとって返した。待ち合わせのアトレの地下ワイン売り場に、○○君と私が一番乗りであった。 ほどなく、N君も現れた。場所をそば居酒屋に移した。考えていた以上に○○君は元気で、冷静だった。でも、昨晩は家に帰りたくなかったとポツリと彼は言う。 話しをじっくり聴き、皆で将来のことをいろいろアイデアを出し合った。皆、忙しいのに、遅れて結局、五人が集まった。日頃の飲み会とは打って変わって、皆、真剣だった。 翌日、持つべき物は友達だとの感激のメールが○○君から届いた。ただし、その翌翌日の日曜日に彼は胃が痛くて倒れたという。皆の前で空元気を演じていたのであろう。 四十歳を過ぎると、損得抜きの真の友情に支えられることの重要性を痛感する。私も四面楚歌の昨年は、友達の笑顔にどれだけ助けられたであろう! 彼は、英語ばかりかドイツ語もかなり堪能である。大丈夫だ。 ○○君の前進を皆でただただ祈る!そして声を掛け合おう!
2003.11.02
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六本木ヒルズのけやき通りにあるイタリアン「BURDIGALA」で軽いコースとグラスワインを愉しんだ。 アミューズとブイヤーベース風のアンチパスタに、メインは軽くイタリア産からすみのパスタにする。ワインはボルドー・サンジュリアンのニ級格付けシャトー・ワインを注文する。 腰がしっかりしているが、時間と共に香りの華が咲く。やっぱり、肉料理にしておけばよかったかなと後悔する。 ここはエノテカがやっているので、シャト―ワインもグラスで飲めるのだ。普通で頼めば1本ん万円とられるシャトー・グリュアド・ラローーズが手頃な?値段で飲めるのがいい。 ただ、頼んだデザートが全く来る気配がないうちに、約束の9時を回ってしまった。何度か催促したのだが・・・。楽しみにしていたデザートをあきらめる。携帯で、少し遅れる旨を伝える。 そうである。今日のメインはライブラリー・ツアーなのだ。私は二度ほど案内してもらったが、来る度に感激がある。だから、今日は、友人二人を誘ったのだ。 10月18日に世界で一番高いところの美術館がオープンした。あまり知られていないが、その数階下に会員制の図書館があるのだ。 特別オフィス会員には、24時間オープンの図書館である。個室も借りれる。その50階からの眺めは、まるでニューヨカー気分だ。ここのBARは会員にはフリードリンクである。 深夜にサロンで、ゆっくりブランデーを傾けているニューヨーカー!てなことも可能なのだ。 そして普通の会員も入れるロビーも凄い。天井がホテルのように高く、一面のガラス窓からの夜景は筆舌に尽くしがたい。 しかもまるっきり、すいているのだ。私は過去二回、お弁当を持ちこんで、ここの夜景を楽しんだ。そんなことも会員には自由なのだ。実を言うと、この景色に感激して、私はリーゾナブルな普通のコミュニティ会員になってしまったのだ。 本も読み応えのある新刊書ばかりである。本の選定委員は一ツ橋の米倉先生や、慶應の高橋先生などの大御所である。 スタッフの人に、友人二人を紹介する。こちら大学の友達で不動産管理会社の社長さん。本好きで本屋も青山に出してしまったE君、こちらの女性は、同じく事業家ですが、最近は本を出版して作家業にも忙しいK嬢・・。 はじめは興味のなさそうだった二人だが、説明を聞き、一時間半のツアーを受け、目の色が変わってきた。オフィス会員になったときのメリットを具体的に質問している。 どっちか、特別会員になってくれないかな・・? 特別オフィス会員は、同伴も許されるのだ。ああ、私もシャンパンを飲みながらあの50階の個室からの夜景を楽しみたいな! 因みに、入会金30万円、オフィス会員の年会費は70万円である。それでニューヨーカー気分で仕事がはかどるなら安いものかも? 貴方も六本木ヒルズのライブラリー特別メンバーになってみたらどうですか? 今日の夜景は、霧に包まれたぼんやりネオンが幻想的であった。
2003.11.01
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