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3月中旬に、人間関係に関する本を出す予定。エニアグラムの和泉育子先生と共著。-----------------------人間関係はまことに難しい。私自身もあちこちぶつかりながら何とかここまで過ごしてきたが、その過程で知った知恵や習慣について語った文章を、若い人に読んでもらいたいと思う。若いということはエネルギーにあふれているということだが、山登りにたとえるとまだ登山口に入ったところで、見晴らしが悪い地点にいるともいえる。自分の脚力に対する自信も不確かだし、まわりの景色もよくない。そしてゴツゴツした岩肌にぶつかったり、ブッシュの中でさまよったりしている。もちろん頂上はまったく見えない。そういう中で、時間をかけて悪路を登ってきて、ようやくやや見晴らしがよくなってきた段階にいる2人が、人生の先輩として若い人にアドバイスをしてみようというのがこの本の趣旨だ。内面を大切にする和泉さんと外に出て行こうとする気質の私という2人の、人生経験とそこからしみ出てきた「心の習慣」を参考に、素晴らしい人生をおくる人が少しでも現れたら心から嬉しく思う。
2005/02/28
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築館町の白鳥省吾記念館を訪問。大正から昭和へかけての民衆派の詩人。記念館の隣に建っている図書館には、「白鳥省吾賞授賞式」という張り紙があった。何と今日2月27日はこの人物の誕生日で、賞の受賞式典がある日だったのだ。偶然に驚く。記念館は通常210円の入館料をとるのだが、記念碑は無料とのことで何か得をした気持ちになる。白鳥省吾は目明治3年(1890年)生まれで、昭和48年(1973年)に83歳で亡くなっている。当時の早稲田大学では坪内逍遥、島村抱月らが教鞭をとっていた。卒業時の総長は大隈重信だ。藤村・晩翠の新体詩に影響を受ける。生涯の著作は、80冊。詩以外に随筆、民謡、同様、校歌作詞なども手がけた。郷里のかなりの数の校歌は省吾の作品が多い。築館町民歌、岩出山町民歌、塩釜町民歌、岩出山小唄、鳴子温泉小唄、中新田小唄、厳美渓小唄、若柳小唄、高清水音頭、栗駒音頭、松島甚句、女皮小唄、、、。校歌は83篇に及んでいる。生前の書斎を模した空間があったが、おの書斎は1955年から1973年に没するまで暮らした千葉県稲毛の自宅の書斎である。先日晩翠草堂を訪ねた際に、晩翠のための詩を記した書が飾ってあったが、それはこの省吾の作だった。昭和24年5月には晩翠を訪ねており、晩翠が文化勲章を受けた時には省吾が記念講演をしている81歳の時に、生涯の師であるホイットマン(近代の思想と科学を詩に取り入れほめたたえた詩人)の詩蹟を訪ねて長男東吾のいるアメリカへ旅行をする。昭和46年のことだが、JAL機はホノルル・サンフランシスコ・ニューヨークという便で、JL001便のエコノミーの切符が飾ってあった。1ドル360円時代。私の日本航空入社は昭和48年だから、その寸前にアメリカ旅行をしたということになる。1ドルが308円になったのはその直後だった。長男東吾から次女真木子あてのエアメールが展示されていた。「田美ちゃんへ。「へ」は出しても「ひ」は決して出さぬように注意!」という姪に対するユーモアのある一言もあった。 ロッキーの残雪超えて開眼す 白亜館の噴水噴出し花紅し (ホワイトハウス)アメリカ外遊にあたっての詩。「万巻の書を読み 千里の道を行き 生死を天に任じ 世界の山河に放吟す」(省吾82歳)吾は想ふ「風の自由 大地の健康 星の永遠 大地のかくしゃく それら一切のごとく 形体の束縛を脱して 恒久の苦悶に堪え 歓喜の大道を歩まむ」昭和43年に勲四等を受けた時は佐藤栄作総理からで、昭和48年に銀杯一個を授かった時の総理は田中角栄の署名があった。娘の白鳥園枝も詩人で現在は99歳で、受賞式のために文章を寄せていた。この人の作った詩では千昌夫が歌ってヒットした「星影のワルツ」が有名だ。「真の詩とは実生活を鮮やかに感じ、自分の生活をよくするために存在するのである。」
2005/02/27
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アスキー社から本を出した。VISIOの解説書ということで始まったが、結果的には、図解の技術書となった。以下、「はじめに」からーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今まで図解あるいは図解コミュニケーションに関する本をずいぶんと書いてきました。原論、考え方、技術、応用とその展開領域は拡大しつつあります。ところが、図解の技術に関しては、焦点を絞った本は出す機会はなかなかありませんでした。また、私自身の関心が社会のあらゆる分野への応用にあったこともあり、タイトルでは「技術」を掲げた本もありますが、技術に焦点を絞った本にはなりきれませんでした。それは一つには、本来、「技術」とは誰もが一定の順序を踏めばあるレベルに到達できるものを指しているのですが、あまりにも技術にはまり込むことによって、枝葉末節に気をとられ本質から遠ざかるという風潮に違和感を持っていたためです。今回、アスキー社からマイクロソフトの優れたソフトであるVISIOを図解ソフトとして見立てて、解説書を書いてほしいという依頼がありました。ソフトの解説書を書くという意図があったために、余計な修飾を省くことになり、結果として図解の本格的な技術書が出来上がったように感じています。日常の仕事の中できわめて有力な武器である図解の技術を解説し、その図解をつくるにはVISIOをどのように使えばよいかという観点からこの本は書かれています。この本の特徴の一つは、図解の例をふんだんに盛り込んでいることです。仕事の様々の場面で役に立つ図解事例を見るのも、楽しいでしょう。図解を描くということは、新しい考え方をつくりだすということです。創造、構想、企画、表現という分野が、今の日本がもっとも大事にしなければならない分野です。つまり「考える力」を養うことが求められています。今、日本のあらゆる分野で、マネが横行しています。必要なのは自前でものごとの本質について考え抜く力です。そのための武器として図解は大きな力を持っています。図解の考え方等について関心のある方は、「図で考える人は仕事ができる」(日本経済新聞社)など一連の私の著作をお読みください。どのようなソフトも、ソフトの使い方というマニュアルだけでは使いこなすことはできません。目的を達成するために使うのがソフトです。この本は図解を描くという使う人の目的から入って、その過程でソフトの技術を身につけようとするものです。このような考え方はずいぶんと前から私自身は持っていましたが、ようやく時代が追いついてきたのかなあと感じています。コンピュータソフトの分野では、今後このような企画が増えてくることでしょう。図解力の向上と「考える力」の養成にこの本をぜひ役立ててください。
2005/02/26
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30代向けの雑誌でBig Tomorrow(青春出版)という雑誌がある。仕事や恋愛に役に立つ情報を提供している。この雑誌は私も30代に愛読していた記憶があるから、寿命が随分と長い。この雑誌に昨年の3月号から連載を持っている。「久恒啓一先生の図解・お悩み解決講座」というテーマで、毎回若者の悩みを聞いてそれに図解を用いて解決策をアドバイスしてあげるという趣向である。2ページ。写真と図解付き。上司との関係、部下との関係、売り上げ増、時間の使い方、転職、恋愛など毎回新しい相談が寄せられる。編集者が預かってきた悩みをその場で解いていくということなので、簡単ではないが毎回楽しんだ感じがする。恋愛の課題もサッカーの戦術になぞらえてうまく説明できたのもいい思い出だ。編集者やライターとも毎回楽しみながら打ち合わせができた。12回分があるので、まとめて書き足して本にもしたいものだ。最終回は、「悩みがないのが悩み」という若者の対する図解アドバイス。この1年、「悩み」を問題化してきたという感じがする。心の悩みを、問題に転化し、頭で解決する。
2005/02/25
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夕方は、仙台のNECで講演をする。一昨年に続いて2回目だ。営業マンが対象で2時間。宮城大学3期生でNECに就職している牧野梨絵子君が現れて近況を教えてくれた。名刺をもらうと「東日本パートナービジネス営業事業部 東北パートナービジネス営業部」という所属だった。「仕事は面白い」と言っていた。この会社には3人の宮城大学卒業生がいるということだった。
2005/02/24
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日経新聞で連載されているドラッカーの「私の履歴書」には触発されることが多く、毎日楽しみに読んでいる。23日は「知識労働者」がテーマだった。1947年GMではアメリカ産業史上初の大規模な従業員意識調査を行って、「私の仕事と私がそれを気に入っている理由」と題した作文コンテストを実施。ドラッカーも審査員に加わった。従業員の3分の2以上の30万人の応募があったという。これを踏まえて「職場改善プログラム」を実施しようとしたが、できなかった。その後、この教訓はトヨタ自動車に持ち込まれて生かされた。このとき、ドラッカーが活躍した。「仕事」には資源が眠っている。
2005/02/23
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銀座の時事通信ホールで行われた第4回日総研フォーラムは「世界潮流と日本の針路--今、日本のとるべき道とは」というテーマでの大型講演だった。中東問題に造詣の深い東大教授の山内昌之さんと日本総研理事長の寺島実郎さんの2つの講演で、どちらも内容の濃い話だった。山内先生は、日本の思想に関わるあらゆる賞、吉野作造賞や司馬遼太郎賞、サントリー学芸賞などを受けている。最近だけでエジプト、イラン・ヨルダン、カザフ・スルキスタン、サウジアラビア、カイロなどを訪ねて、日本の説明を精力的に行っている。日本経済発展の基礎は平和・平等・道徳(武士道)という意見だ。大いなる熱意を持って相互の正しい理解の積み上げによる共通価値観をつくりあげることに熱意を持って取り組んでいる行動する知識人だ。寺島実郎先生は、また一段の冴えと深みを備えた素晴らしい講演だった。国際刑事裁判所、京都議定書、対米協調の光と影、表日本と裏日本の逆転に象徴される大いなる変化、大中華圏・大ロシア主義、親米入亜、理念こそ戦略資源だ、固定観念からの脱皮、アメリカの孤立を避けるのが日本の役割、多極主義の共有、、、、、。200人の聴衆は、聞き入っていた。
2005/02/22
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30年ぶりに仙台で再会した。お互い新入社員時代に、東京工業大学出身でJALの同期生の宮沢君と一緒に門司で飲んだことがある。鈴木さんが取締役仙台支社長として赴任してみえたので、やっと会食の運びとなったものだ。この30年間の人生を語りあったり、現在の仕事の話、共通の友人の話題などあっという間の2時間だった。今後、友達づきあいをすることになり、まずは、共通の友人である宮沢君を入れてゴルフで遊ぶことになった。
2005/02/21
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4年生のゼミ生がブログに私のことを紹介してくれた言葉だ。面映いがうれしい言葉であり、そういう先生を理想として学生に接しようと改めて決意した。教育者としての目標になるかもしれないなあ。
2005/02/20
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日本エニアグラム学会という組織がある。人間を性格という面から分析できる優れた考え方の普及を目指すNPO法人である。この学会には、東京にいたころから縁があって、付き合いを続けている。今は理事で東北支部の代表を仰せつかっている。土曜日は代々木のオリンピックセンターで「図で読み解く!エニアグラム」というテーマでの一日研修の講師をした。四国や関西、九州などから20数人の受講生が集まった。武田理事長、田中きよみ副理事長、和泉育子スーパーバイザーなどの幹部も受講。終了後、幹部を中心にパーティ。オリンピックセンターのパーティ会場からは、東京の様々な場所が一望できる。
2005/02/19
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八木哲郎さんと食事。現在NPO知的生産の技術研究会の理事長である八木さんとはもう25年以上の深いおつきあいが続いている。自己向上心だけはあるが、未熟で若い私を今日まで多くのプロジェクトを通じ教育をしていただいたり、広い世界に連れ出していただいたり、高みに登らせていただいたことには、いくら感謝してもしきれることはない。私が本を書く機会を与えてくれたのは八木さんだ。温厚、篤実だが、反面熱情家でありものすごい行動家でもあり、梅棹忠夫先生の名著「知的生産の技術」を冠した勉強会である「知的生産の技術」研究会を30年以上続けてこられた。ここで育った、力をつけたビジネスマンは数しれない。知り合った時若かった私も、当時の八木さんの年齢になった。八木さんの志の松明を引き継いでいきたい。
2005/02/18
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来週25日発刊でアスキー社から本を出す。VISIOの解説書ということで始まったが、結果的には、図解の技術書となった。以下、「はじめに」からーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーはじめに今まで図解あるいは図解コミュニケーションに関する本をずいぶんと書いてきました。原論、考え方、技術、応用とその展開領域は拡大しつつあります。ところが、図解の技術に関しては、焦点を絞った本は出す機会はなかなかありませんでした。また、私自身の関心が社会のあらゆる分野への応用にあったこともあり、タイトルでは「技術」を掲げた本もありますが、技術に焦点を絞った本にはなりきれませんでした。それは一つには、本来、「技術」とは誰もが一定の順序を踏めばあるレベルに到達できるものを指しているのですが、あまりにも技術にはまり込むことによって、枝葉末節に気をとられ本質から遠ざかるという風潮に違和感を持っていたためです。今回、アスキー社からマイクロソフトの優れたソフトであるVISIOを図解ソフトとして見立てて、解説書を書いてほしいという依頼がありました。ソフトの解説書を書くという意図があったために、余計な修飾を省くことになり、結果として図解の本格的な技術書が出来上がったように感じています。日常の仕事の中できわめて有力な武器である図解の技術を解説し、その図解をつくるにはVISIOをどのように使えばよいかという観点からこの本は書かれています。この本の特徴の一つは、図解の例をふんだんに盛り込んでいることです。仕事の様々の場面で役に立つ図解事例を見るのも、楽しいでしょう。図解を描くということは、新しい考え方をつくりだすということです。創造、構想、企画、表現という分野が、今の日本がもっとも大事にしなければならない分野です。つまり「考える力」を養うことが求められています。今、日本のあらゆる分野で、マネが横行しています。必要なのは自前でものごとの本質について考え抜く力です。そのための武器として図解は大きな力を持っています。図解の考え方等について関心のある方は、「図で考える人は仕事ができる」(日本経済新聞社)など一連の私の著作をお読みください。どのようなソフトも、ソフトの使い方というマニュアルだけでは使いこなすことはできません。目的を達成するために使うのがソフトです。この本は図解を描くという使う人の目的から入って、その過程でソフトの技術を身につけようとするものです。このような考え方はずいぶんと前から私自身は持っていましたが、ようやく時代が追いついてきたのかなあと感じています。コンピュータソフトの分野では、今後このような企画が増えてくることでしょう。図解力の向上と「考える力」の養成にこの本をぜひ役立ててください。
2005/02/17
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二つ違の弟は、現在日産自動車の技術の部長をしている。夜8時からは、横浜で久しぶりに二人で食事をしながらよもやま話に花が咲く。7年間の栃木工場での単身赴任生活を終わり、横浜で仕事をしている。出張も多いらしく、工場のあるタイや中国、ルノー本社のあるフランスも足をのばしているらしい。一時心配したが、ゴーン改革で回復した企業なので、元気がいいので安心だ。石原慎太郎のベストセラーに石原裕次郎のことを書いた「弟」という作品がある。作家と俳優というこの二人の年齢差は二つ。この作品を読むと兄の目から弟や弟との関係を描いていて、共感を覚えるシーンが多々あった。私の弟にも読むことを勧めた記憶がある。仲間、ライバルなど微妙な二つ違いの関係や感覚を描いた傑作だ。仙台は大雪なので、心配したがなんとかつの大きな会議を終えて間に合った。
2005/02/16
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河北新報「紙面センサー」。私の担当は5ヶ月目。今回の見出しは「東北ブランド形成担う」だ。----------地域の新聞らしさは、朝刊では「とうほく交流ワイド」「県内版」「みやぎ地域ニュース」「仙台圏ナビ」、そして社会面に色濃く表れる。11日の朝刊を例に取ると―。「交流ワイド」では、東北芸工大大学院生の企画展、弘前城雪燈籠まつり、岩手花泉の三色うどん、福島県奥会津の5町村の楽天市場出店。「県内版」では、角田・丸森法定協議会の動き、仙台市審議会での精神科救急設置要望、知的障害者の地域生活移行、藤崎の売り場大幅改装などを紹介している。「地域ニュース」では、岩出山の木彫り塾開講、北上川東部の下水道整備完了、山元のホッキ祭り苦渋の中止。「仙台圏ナビ」では、市電保存館の話題。催しやイベントなどの情報を満載した「インフォメーション」。社会面では、山形市役所喫煙室問題、高校生就職内定率、東北プロ野球元年、秋田県警報償費などを取り上げている。このように、仙台、宮城、東北の話題が満載だ。明るいニュースや話題には、心が踊る。暗いニュースには、残念に思う気持ちがわいてくる。地域に対する誇りは、いいイメージ量と悪いイメージ量の差の蓄積によって生まれる。いいものを集積しながら、悪いものを排除していくのが、ブランドの形成につながっていく。そのように考えると、新聞のあらゆる記事が、地域のブランド形成に関連しているといっていい。地域ブランドの構築とは、コミュニケーション活動によって内部の地域資源を活性化し、イメージを作り出し、外部に向けてPRし、外部のさまざまの声をコミュニケーション活動で取り入れ、再び地域資源を活性化させ、イメージを磨くという一連の流れのことだ。このコミュニケーションの要が、新聞と言えよう。地域同士のブランド競争の時代に入った今、メディアの果たす役割の大きさをあらためて感じる。今回は夕刊も取り上げたい。河北新報の夕刊は、2つの特徴がある。一つは、地元で読める唯一の夕刊であること。もう一つは、仙台圏での配布のため、記事の内容が勢い仙台市中心の話題になることだ。話題がかみ合わない原因が、夕刊の記事だったという経験が何度かあり、夕刊を読む人が少ないのを、残念に思ったことがある。夕刊には、一面左端の上半分を使った「きょうの紙面から」というコーナーがある。各面の記事のタイトルや概要が記されている。単なる目次ではなく、記事の重さや面白さに応じて写真を使ったりする工夫をしており、読む側にとっては便利なコーナーだ。このスタイルには好感が持てる。朝刊とは違い、夕刊一面トップの半分くらいは仙台の話題だろうか。「迷惑駐輪防止へ駐車場転用―仙台市が実験」(1月31日)、「女性教官増へ―東北大、20%まで引き上げ計画」(2日)、「『長すぎる』秋休み短縮 仙台・中学校長会方針」(5日)など、身近な興味深い記事が多い。1月25日は「仙台初の総合型スポーツクラブ 泉パークタウンに3月設立」の話題だった。競技スポーツと、健康維持・増進目的のスポーツの2本柱を通じた交流で、新たなコミュニティーをつくる動きを紹介している。地域コミュニティー形成のモデルになる可能性を秘めた事例として、時間をかけた丹念な取材が生きた記事だった。-------------------------------------------------「教育欄」「総合学習」見直し論 教育現場から提言/学校に一定の裁量権を課程編成に独自色/学力などに合った姿理想2002年7月、宮城大(宮城県大和町)で開かれた大学教育学会の大会では、総合学習と大学教育の連携などを考えるパネル討論があった。大会の実行委員長を務めた同大の久恒啓一事業構想学部教授(55)は、ビジネス情報論が専門。主に知識を身に付ける教科学習と、課題を見つけて考える総合学習は「車の両輪の関係にある」というのが持論だ。「考える力を育てるには知識も必要と気付き、総合学習から教科学習に行ったり戻ったりする勉強の仕方がある。それが敷かれつつある時、片方の総合学習を見直すのはあまりに定見がない」------------------------------------------------------
2005/02/15
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国民作家と称された司馬遼太郎の実物を一度だけ見たことがある。15年以上前になるだろうか、梅棹忠夫先生の文化功労者受賞パーティが大阪のホテルであったとき、黒づくめの服装に見事な白髪の司馬遼太郎がオーラを放ちながら、会場にいたことを今でも鮮やかに思い出す。------------------------------------------単行本350冊、文庫本250冊 合計600冊!出版総数1億8千万部!「竜馬がゆく」2150万部、「坂の上の雲」1445万部、「飛ぶが如く」1110万部、「国盗り物語」673万部、「項羽と劉邦」667万部、「播磨灘物語」421万部、「空海の風景」170万部。「街道をゆく」1009万部。-------------------------------------------「週刊 街道をゆく」05号(今週号)は、「武士の世の到来」で源頼朝、三浦半島、、、。
2005/02/14
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古川市の吉野作造記念館を訪ねた。この記念館は、古川市関係の審議会や委員会で何度も訪問している。しかし本気で訪問するのは今回が初めてだ。個人記念館としては各地の記念館と比べても立派な建築物である。入館すると丁度12時からの映像が始まったところだった。綿屋をしていた家が新聞の取次ぎ配達をしていたため常に新しい出来事に興味を持つきっかけとなった。吉野は小学校、尋常中学校(後の仙台一高)、第二高等学校、東京帝大政治学科とすべて首席で通しているのには驚いた。町では評判の秀才で「吉野家の作さんのように」といわれていて、町長をしたことのある父親に連れられて仙台へ出た。中学校の校長は言海を編んだことで有名な大槻文平である。仙台時代には、「勤勉」という自らを激励する紙とともに「五時ニ起キルコト」と書いた紙も机の前に貼ってあって、自らを奮い立てて勉学に励んだ姿と、乾布摩擦で体を鍛える姿が映った。高等学校時代にはミス・ブゼルにキリスト教の感化を受け、20歳で洗礼を受ける。そして21歳で阿部たまの(19歳)と学生結婚をしている。東京帝大には1900年に22歳で入学。2年生のときに小野塚喜平次教授の政治学に興味を持った。呼び寄せた家族を抱えての猛勉強をしながら、本郷教会での海老名弾正の説教に影響を受ける。信徒となったキリスト教と自らの専門となった政治学を結びつけることに関心を持った。処女論文である「ヘーゲルの法律哲学の基礎」では、キリスト教に基づいて政治を実践すべきと書いている。 28歳からの中国・天津での3年間は、袁世凱の息子克定の家庭教師をつとめ、いったん帰国し31歳で東京帝大法科助教授に就任。「袁世凱の家庭なるもの、馬鹿らしさと支那の高官なるものの無責任とを口を極めてののしった。」「我々はこの若い秀才の率直さにドギモをぬかれた感があった」(大内兵衛)とある。32歳から3年間欧米(ドイツ、オーストリア、フランス、イギリス、アメリカ)を回った。外国暮らしは8年に及ぶ。36歳東京帝大教授、37歳法学博士。1916年に中央公論に「憲政の本義を説いて有終の美、、」という論文を書いた。 民本主義という言葉で吉野作造を知ってはいたが、その思想の内容が今回初めてわかった。民主主義という思想は、国民が政治の主人公という意味でありこれは天皇が政治の主人公であるという憲法に反する考え方であった。吉野は憲法に違反しないで現実の政治の変革を達成するために、政治は国民の考えに基づいて行われるべきであると主張した。政治は国民全体の幸福を中心に考えるものであり民衆を政治の根本におくという意味で「民本主義」と称したのである。民衆の利益を考え、民衆の意向によって政治を行うべきであるとして、天皇制下の民主主義として、最低限のデモクラシーを確保しようとした。この考え方は大正デモクラシーの中心的な思想となった。1912年の美濃部達吉博士の天皇機関説を1916年に政治学上にあらわした思想が民本主義である。 大正デモクラシーは、1912年(大正元年)―1926年(大正15年)をいうが、広くは1904年(日露戦争)から1931年(満州事変勃発)までをいう場合もある。この大正知識人の代表が吉野だった。1924年には退官し朝日新聞に入社したが4ヵ月後には退社している。1933年に55歳の若さで死去している。もともとは体は強くはなかったが、広い交遊、社会変革向けての行動など多忙を極めて命を縮めることとなった。また、吉野は天皇:内閣・議会:国民というピラミッドが理想で、天皇にくっついている枢密院や軍部、国民にくっついている制限選挙を取り払おうともして運動をした。天皇制は認めた上で、国民から離れた枢密院を廃止、貴族院や郡部などの特権を抑え、国民が選んだ議会を中心となって、政党内閣の首相のもとで国民の意向を汲み、国民の幸せを目指す政治を実現しようとしたのだ。また、吉野作造は大変に広い交友関係を持っていた。中学校時代には大槻文彦、真山青果。文化生活研究会では、有島武郎。黎明会では、阿部次郎、与謝野晶子、新渡戸稲造。中国関係では、袁世凱、後藤新平。明治文化研究会では宮武外骨、普通選挙運動・社会運動では、鈴木文治、尾崎行雄、市川房江(吉野より15歳若い)。ジャーナリズムでは、徳富蘇峰、阿部次郎、長谷川如是閑、青山青果。論壇での論争では、山川均、大杉栄。あとは、バイブルクラス、弓町本郷教会、東京帝大、賛育会、大学普及会などの友人と多くの親交を持っていた。展示は、アカデミズムの人、ジャーナリズムの人、インターナショナリストの3つの区分で資料を並べている。「路行かざれば到らず 事為さざれば成らず」と筆名の古川学人で語っている碑もあった。古川学人は、主に「中央公論」誌上で好んで使用したペンネームで、故郷を思う気持ちが現れている。 吉野作造賞は1966年から始まっている。第一回は、坂本義和と衛藤審吉で、今日まで著名な政治学や経済学関係の碩学が並んでいる。永井陽之助、伊藤光晴、永井道雄、入江昭、高坂正尭、矢野よう、猪口邦子、米本昌平、北岡伸一、野口由紀男、渡辺利夫、田中直毅、、、、、、、。2000年から始まった読売・吉野作造賞では、吉川洋、白石隆、猪木武徳などの名前があった。この賞は、中央公論が読売傘下に入ったのも機会に、読売論壇賞と中央公論の吉野作造賞を一本化して、2000年度から新たな賞としてスタートしたものだ。 10周年を記念してこの記念館のロゴマークを募集したところ、宮城大学4年生の鈴木寛君が最優秀に選ばれたとの紹介が掲示されていた。138人、183点の応募があり、私の大学の鈴木寛君が選ばれたというので、嬉しくなる。 「吉野作造の精神である人を大切にする意味をモチーフに作成。人という文字を囲むように点を三箇所に配置し、線と点で和・輪を表現。ひげをたくわえた顔も隠喩したデザイン」と紹介されていた。飾ってあった作品を全部見たが、この鈴木君の作品がデザイン力、ユーモア力で群を抜いているという印象を持った。 「吉野作造記念館だより」は、NPO法人古川学人が編集・発行を行っている。平成14年よりこのNPO法人が古川市より管理運営を受託している。記念館の名誉館長は作家の井上ひさしさん。入り口に建つ吉野作造顕彰碑の大事は長谷川如是閑筆。 個人記念館を訪問すると、偉人が身近に感じられると同時に、理解が自然に深まってくるのを感じた。吉野作造は、故郷に強く郷愁を感じるタイプの偉人である。
2005/02/13
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土曜日の午後は、妻と一緒にまず青葉城を訪ねる。伊達政宗が本丸を定めた後、平原を見下ろして、芭蕉の辻を起点に定めたという故事を感じながら、百万都市にまで育った美しい仙台の姿を眺める。ここには政宗の凛々しい騎馬像が建っている。また荒城の月の詩が刻まれた晩翠の碑や「心のやとのみやき野よ 乱れて熱きわか身には 日かけもうすく草枯れて 荒れたる野こそうれしけれ」と刻まれた藤村の碑も見える少し下った三の丸跡。現在は仙台市博物館となっている建物の庭には、いくつかの故人の碑があった。「海国兵談」を書いた林子平の碑。何でも寛政の三奇人の一人とかで、顔を見ると目が異様に大きく、変わった人だったろうなあと納得。「親もなし妻なし子なし はん木なしかねもなければ 死にたくもなし」は面白い。小笠原諸島の発見の史実を書いた「三国通覧図説」がフランス語訳されていて、これが証拠となって日本領になったという。魯迅に関しては、2001年の生誕120年にあたって中国紹興市(魯迅の故郷)から贈られた英語・日本語・中国語で書かれた文章と胸像。1964年に日本と中国の相互理解の一歩として魯迅顕彰会が建立した魯迅顕彰碑。碑銘は郭沫若の筆でレリーフは翁朝盛。そして生誕100年記念のライラックの植樹、逝世50周年記念の花海○という木などが記念に植樹されている。阿部次郎の碑もあった。「白雲の行方を問はむ秋の空」という「三太郎の日記」の一節が刻まれている。今日の歩数は、犬の散歩を入れて、7000歩。------------------------------------------------------帰宅後、日本電産の永守重信社長の「人を動かす人になれ!」をお風呂の中で読了。早朝には河北新報「紙面センサー」原稿脱稿。
2005/02/12
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地名の由来を調べるとなかなか面白い。建国記念日の11日は午前中多賀城に用があり、塩竈まで足を延ばした。昔から疑問であった「しおがま」(塩竈・塩釜、、)の漢字の長年の謎が解けた。まず、「塩」の文字。この文字は新字で旧字がある。旧字では、下にはお皿を示す形がある。左側の「へん」は臣という文字。右側の上は旗を意味する形、中は塩の結晶を表す形。製塩が盛んだったまちをそのまま表すような象形文字だ。つまり「下にお皿を置いて、右に塩の結晶と塩ができたことを知らせる旗、左にはそれを臣下が守っている」と書く。「塩」は古来大切な貴重品だったことを示す、意味の深い文字である。臣下とは、奥州平泉の藤原氏、江戸時代は伊達家の臣下のこと。次に「竈の文字。この文字は「かまど」を意味し、鍋やかまをのせて煮炊きする設備を指す。「釜」は電気釜などの「かま」で丸い調理器具を表す。製塩は「かまど」でおこなうので、「竈」が本来の文字である。だから正式には1941年以来「塩竈」が正しい表記として統一しているが、難しいので強制してはいない。だから目につくところには、「釜」の文字を当てることが多い。それで塩釜という文字もよくみかけることになるというわけだ。塩竈神社は、東北鎮護・陸奥国一之宮である。一之宮とは国司が最初に訪れるかという格式の一番高い神社のことだ。以下、二ノ宮、三ノ宮と続く。ここは交通安全と家内安全などのご利益がある。境内を歩いていると、自家用車の安全祈願を行う駐車場があったのには驚いた。神様も頭を使っている。なるほど交通事故もこの神様の仕事の範囲というわけか、、、、。塩竈マリンゲートで海を見ながら昼食。夜は、富谷のシネコンで2度目の「ハウルの動く城」を堪能する。
2005/02/11
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大学院事業構想学研究科の最終論文試を行った。大学院2年生8人のすべての発表を聴いて、縁の薄い分野の手法や考え方にも大いに激を受けた。以下、研究題目。建築企画論・結婚式場・披露宴会場の変容 --ゲストハウスの登場とその成立要因・軽井沢の別荘地景観の形成とその変遷に関する基礎的研究・病院ロビー空間の形状と快適性についての研究地域デザイン論・安全面から見た住宅団地の街路網計画に関する研究 ---道路システムとい交通事故発生率との関係からの考察・住宅地街路の緑化に関する基礎的研究地域資源論・中山間地における住民主体の地域づくりの方向性について -------宮崎県川崎町の事例からアートマネジメント論・芸術団体・文化施設における コーズ・リレイテッド・マーケティング導入について・日本の舞台芸術団体に関する研究 ---新たなビジネスモデルを求めて
2005/02/10
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河北新報の教育面を担当する斉藤記者がインタビューに見える。最近言われている学力低下問題と総合学習についての考えを聞かれた。教育のうち、知識の部分が「教える」という分野で、考える力を養う部分が「育む」という分野ではないか。「教」に偏り過ぎて学級崩壊などを招いているので、「育」が総合学習やゆとり教育という形で現れてきた。この分野は、試行錯誤しながらまず教師が方法を身につけなければならない。現在はこの3年の成果の総括をして方法や工夫を普及する段階にある。自分の力で考えることができるようになったり、目的意識ができてくると、知識の獲得に再び目が向くようになる。教と育はどちらが大切かという議論ではなく、両立があるべき姿だ。らせん状に発展するという関係になっているはずである。教の知識の獲得の分野でも、文章だけでなく図解を用いるなど工夫の余地は大いにある。成果がすぐに確認できないからといって、再び問題の大きい方向に戻るということは将来の希望がなくなる。もう少し、辛抱しなければならない。以上のような内容を図解を用いながら説明した。来週火曜日の教育欄に掲載される。---------------------------------------------共立女子大の編入学試験の問題に「学士会報」に書いた文章が採用されたという知らせがあった。留学生のための日本語検定試験にも日経ビジネスに書いたエッセーがとられたことがあるので、2回目だ。あまりいい加減な文章は書けなくなるかなあ。
2005/02/09
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4年生の卒業研究(卒論)の発表会。私の担当する顧客満足ゼミは11人。男子5名、女子6名。内容の深さとプレゼンの技術の両方を日ごろから鍛えてあるので、高いレベルの発表となって、ほぼ満足しながら聴いていた。市町村合併、コカコーラ、卸売市場、ネットコミュニティ、システムエンジニア、中心市街地活性化、政治と選挙などがテーマ。全員、図解の相当な使い手となっているので論旨が明快だった。夜は、泉中央でコンパ。
2005/02/08
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東北芸術工科大学東北文化研究センターの「季刊東北学」第二号と、東北文化友の会会報「まんだら」22号が送られてきた。「東北学」ののろしをあげた東北芸工大の赤坂憲雄教授の精力的な仕事の舞台となっている二つの機関誌である。「季刊東北学」第二号は、「稲作以前」再考という特集で、佐々木高明の「稲作以前」再考、小山修三の「縄文焼畑考」、そして、粕谷一希「支那史学考」、赤坂憲雄の「岡本太郎/獣の匂い、また東北的な」など内容が極めて充実している。「まんだら」では、「日本奥地紀行」を書いた「イザベラ・バードが見た明治の日本----近代日本の原風景」という文化フォーラムで、作家の高橋克彦と宮城大学のあん・まくどなるど助教授と赤坂教授の鼎談を特集している。「邂逅の森」で直木賞をとった熊谷達也の講演録の収録している。「東北学と出会って、僕は密かな決意をしました。五年間、作品の舞台やテーマを東北に定めよう。東北以外のものは書かない。---東北にこだわってきた自分の狙いは間違っていなかった。---いちばん大きかったのは、別冊東北学の『荒蝦夷』の連載でした。」池上冬樹の「文学者たちの山形」の連載や、また黒田大介の「布施辰治・韓国建国勲章受賞に寄せて」など、こちらも執筆者・内容とも優れた雑誌となっている。赤坂先生の宮城大学での講義を一度聴いたことがあり、その熱意と志に打たれたこと、またその折、私の研究室でご挨拶したことを思い出した。この試みは豊かな実りをもたらしつつあるようだ。
2005/02/07
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以前から気になっていた土井晩翠。仙台には晩翠通りという大きな道路があるなど市民には馴染みの深い名前である。日曜日の午後、青葉通りと晩翠通りの交わったあたりにある晩翠草堂を訪ねた。平屋で立派な庭もあり、昔風の家。 晩翠の自宅は太平洋戦争の空襲で3万冊の蔵書とともに焼けてしまった。それを見かねた晩翠の弟子たちがお金を集めてつくってくれたという曰くつきの家である。30歳から母校仙台第二高等学校の教授であり、優れた教育者であった晩翠の影響力を象徴する出来事といってよいだろう。 結果的には第二高等学校から東京帝大文学部にすすむが、その前に質屋という商売には学問は要らぬという祖父から進学を止められた晩翠は、日本最初の和英辞典をつくった斉藤秀三郎の仙台英語塾に入る。30歳で故郷に帰った晩翠はその後3年間のヨーロッパ留学期間を除き、仙台で生活をする。64歳で定年になるまで続けた優れた教師としての仕事と、影響力のある著作の執筆にその生涯を費やした。 1949年には仙台名誉市民、1950年には詩人として初めての文化勲章を受章している。 晩翠草堂に掲げてある写真の中で、もっとも惹かれたのは「晩翠と教え子たち(二高教室にて)」という写真だ。中年の晩翠を真ん中に50名ほどの高等学校生が笑顔で取り囲んでいる。敬愛された素晴らしい先生であったことをうかがわせる写真である。「教師・土井晩翠(吉岡一男)」というエッセーには「全国から来る学生の面倒を見たり、卒業してからの相談にのるなど学校内外でも尊敬される先生でした。」「人生を教えてくれる名物先生でした」とある。 第一詩集「天地有情」、「曙光」「暁鐘」「那破翁」「東海遊子吟」などの優れた作品がある。一番なじみが深いのは「荒城の月」の作詞だろうか。築館出身の白鳥省吾の書いた額が飾ってあり晩翠に「詩聖」という言葉を贈っている。晩翠は求めに応じて200以上の校歌の作詞もしている。展示された本の中には「雨の降る日は天気が悪い」(装丁は岡本一平)という伊達政宗と沢庵和尚の禅問答に題材をとったものもあった。この本で「つちい」から「どい」に苗字の読み方を変えたいきさつを書いてあるそうだ。 昭和35年からは、晩翠賞と児童賞(東北6県)が続いている。晩翠草堂には二部屋あり、ベッドのある寝室には「酒という文字を見るさえうれしきに のめといふ人 神か仏か(読み人知らず)」という自ら書いた書があった。酒好きだったのだろうと親しみを覚えた。庭には漱石の草枕に「要領を得ぬ花が安閑と咲いている」と書いた木瓜(ぼけ)の実がなっていた。 仙台には晩翠の教え子たちで構成されたこ晩翠会という会がまだ健在であると聞いて驚いた。かなりの高齢者が多いが、事務局が仙台近代文学館にあるとのことだ。 「Moon Light Elegy」(R.Taki)という額も飾ってあった。荒城の月の英訳である。晩翠はこの英訳が気に入っていたという。そして野口明という人の描いた晩翠像を写真にしたものは、マント姿という二高教授の正装だった。凛々しい姿を表現しており、これもお気に入りだったそうだ。 土井晩翠は1871年に生まれ、1952年に80歳でその生涯を閉じた。 仙台市の文化振興課や近代文学館は、晩翠草堂を保管するためにつくったといわれるくらい、仙台は文学に縁のある街である。東北学院の教師として赴任した島崎藤村は失意の中で仙台に住み、本を多読し、その自然にすっかり癒されて生まれ変わった。晩藤時代といわれた2人の自由詩の巨人と仙台の縁は深い。案内のおじさんは的確な知識とあふれる熱意で説明してくれて感心したが、この草堂は仙台市の持ち物でもあり、「窓口サービスアンケート」の結果を張り出してあった。5点満点で4.87という高得点であり、そうだろうと納得した。 その後、ガイドのおじさんも勧めにしたがって、米ケ袋町の「阿部次郎記念館」に足をのばすがあいにく休館日だった。昭和27年に設立した阿部日本文化研究所が今ではこの記念館になっている。講義ノートや原稿、夏目漱石からの手紙を始めとする書簡や写真などが展示されている。中を見るのは次の機会にしよう。この記念館からは広瀬川にはすぐに出られる。この道を「三太郎の日記」を書いた東北大学教授の阿部次郎が散歩をしたのだなあと、この本を大学時代に読んだ時の興奮を久しぶりに思い出しながら歩いた。広瀬側の遊歩道も風情がある。 帰りに魯迅の下宿跡をさがす。東北大学と道を隔ててその下宿跡をようやく見つけた。忘れられたような粗末な古い二階家がそれだった。 「滅びのモノクローム」(講談社)で江戸川乱歩賞を受けた三浦明博、「戒」(新潮社)で日本ファンタジー大賞優秀賞を受けた小山歩、「アヒルと鴨のコインロッカー」(東京創元社)で吉川英治文学新人賞の伊坂幸太郎、「邂逅の森」(文藝春秋社)で山本周五郎賞と直木賞をダブル受賞した熊谷達也、「鉄塔家族」(日経)で大仏次郎賞の佐伯一麦、「パラサイト・イブ」で日本ホラー小説大賞を受賞した瀬名秀明などが仙台に住んでいる。 仙台の文学的伝統が再び開花しつつあるのかもしれない。
2005/02/06
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仙台市宮城野区のインテリア資材の総合商社・上野株式会社から講演依頼があり、土曜日の午後に会場のKRホテル仙台に出かけた。従業員は2百人、73年の歴史を持つ堅実な会社だ。今回は営業マンを中心に80人ほどの社員が集まった。社長・会長も出席。終了後のパーティでは、東北各地で業績をあげた営業マンがその成果を披露していた。帰宅して調べると、私の家のカーテンもこの上野の商品だった。テーマは「顧客満足と図解思考」で、興味を持って聴いてもらったと思う。地元の元気な企業と触れるのは楽しい経験だ。今週は火曜日の柏友会での講演、東北道路協議会も含めて地元の企業経営者や社員向け、行政向けの講演をする機会が多かった。私にとって講演をすることも世の中の動きを知るいい機会となっている。
2005/02/05
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大学の仕事での出張で東京に日帰り。朝8時15分の新幹線で仙台から東京へ行き、帰りは17時56分に乗り仙台到着は19時37分。完全に日帰り圏。ついでにいくつか用件を済ます。夕刻の赤坂の野田一夫事務所にいた1時間ほどの間に、青森県知事からのシンポジウムに関する相談の電話や、慶應大学のの金子郁容教授(慶應幼稚舎の校長)らから次々と電話がかかってくる。野田先生の人脈の大きさとレベルの高さには改めて驚いた。野田先生から「君と話していると元気がでるなあ」と言われてこちらが驚いた。それは私が言うセリフだ。難しい相談ごともいい結論が出て気持ちよく事務所を後にした。
2005/02/04
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午前中は、東北開発研究センターで行われた座長をしている地域ブランド研究会で2時間半ほど過ごす。この研究会は地域活性化の仕掛け人である結城さんと宮城県トップレベルの行政マンである古川市農業課長の柏倉さんという論客が揃っているので、いつも啓発される。今回は、この1年のまとめ的な議論が多く、報告書の完成が楽しみだ。今までにない斬新な提言集になると思う。合意学にも通じる。このテーマは奥行きが深く、今後の展開がが楽しみだ。午後は、古川市で行われた東北国道協議会総会での講演に出かける。国土交通省東北整備局の担当や古川市の幹部らと顔合わせ、国交省からは日経コンストラクションのインタビュー記事に感銘を受けましたと挨拶を受ける。その後講演。「説得型行政から納得型行政へ」というテーマで1時間話しをする。東北各県の市の道路行政担当者と古川市の職員が120名ほど聴いていた。
2005/02/03
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昨年から、拙著の外国語への翻訳出版が始まった。今年は10冊以上の翻訳が決まっている。一番多いのは、韓国だ。6冊が準備中。韓国は今ビジネス本ブームだそうで、日本で売れた本の翻訳が流行していると聞く。次は、経済躍進著しい中国だ。こちらも4冊ほどの翻訳が進行中だ。台湾では、「図で読み解く!ドラッカー理論」の翻訳作業が始まった。客員教授をしている中国の吉林大学では教授たちはドラッカーの名前を知らなかった。共産主義理論を学んできたのだから経営には関心が無かったのだろう。図解コミュニケーションを中心とした拙著の翻訳が盛んになってきたのは、日本を含め中国・韓国・台湾の東アジア諸国である。今年以降、これらの国々では図解ブームが起こるという予感がある。また、最近、アメリカでの英語での拙著の翻訳出版の可能性が出てきたことは嬉しい。日本の出版物は米欧ではほとんで翻訳出版されない。日本の出版社にはそういう方針や力がないらしい。日本の出版界はいわば植民地状況。最近、海外出版を手がけている出版社と偶然に繋がったのでこの縁を大事にしたいと思う。
2005/02/02
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4年生の顧客満足ゼミの卒業研究発会が来週に迫った。今年は男子5名、女子6名の計11名が卒論を書いた。今日は先週に続いて2回目のリハーサル。配布資料とパソコンの画面との関係、質問への対処の仕方、時間配分、最初の挨拶と終わりの挨拶、配付資料へのマーカーの付け方などを実践でアドバイス。明後日には、最後のリハーサルができるので、発表当日は全員がうまくできるだろう。
2005/02/01
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