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一日休みをとってJR東日本の「大人の休日倶楽部」という商品を使って函館に出かけることにした。一人1万2千円で3日間乗り放題なので使い勝手がいい。ただし50歳以上でなければ使えない。この商品の函館は人気があって始発と最終しかとれなかった。八戸で新幹線はやてから乗り換えて特急スーパー白鳥で青森経由で青函トンネルをくぐって北海道にでる。6時37分に出発して函館到着は12時2分だった。まず、「箱館高田嘉兵衛資料館」を訪問する。1769年淡路島で生まれたこの人物は28歳の時にまだ寒村だった箱館に現れ、この地を回船業者として大きく繁栄させる。現在の函館の恩人である。1812年のゴローニン事件を解決した人物として歴史に名を残している。司馬遼太郎の「菜の花の沖」で馴染みが深い名前である。この沖の遠き境へに海原も波より続くなりけり」金森美術館でクリスタルガラスで有名なバカラコレクションをみる。現役歌手の北島三郎記念館。1500円の入場料金は過去最高だったが工夫を凝らした記念館だった。案内の女性の解説付き。知内村から通った汽車や、渋谷の流し時代のモックアップ、そして最後は大がかりな疑似ライブショーなど、思いのほか楽しめた。「風吹かば吹け 雨降らば降れ 怒涛の如く生きたれば 我人生に悔いはなし」北島三郎は字がうまい。すぐ近くの市文学館をのぞく。一階は函館ゆかりの文学者の展示コーナー。今東光(1898ー1977年)、今日出海(1903-1984年)、辻仁成(1959年生まれ)、亀井勝一郎(1907ー1966年)、井上光晴(1907-1966年)などの資料展示があった。二階は石川啄木の展示だった。啄木は函館、札幌、小樽、釧路を転々とした時代があったのである。「人生 邂逅し 開眼し 瞑目す」(亀井勝一郎)夜は同行の妻と函館山にロープーウェーでのぼり名高い函館の夜景を堪能。評判どおり、やはり素晴らしい夜景だった。
2007/08/31
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この夏の父の七周忌のことを考えながら、たまたま衛星放送のチャンネルを回していたら、藤沢周平原作の小説をドラマ化した「清三衛門残日録」にあたった。父がこのシリーズをよく見ていたことを思い出しながら仲代達也のいぶし銀の演技に痺れた。残日とは「日残りて昏るるに未だ遠し」という意味だが、この言葉は過去と未来をつなぐ時間と現在の空間を取り込んでいて、味わい深い響きを持っている。ふと父が私たち3人の子供に残したメッセージは何だったのだろうかと考え込んだ。いくつか思い出したのだが、その一つは「歴史と地理」という言葉だった。どのようなものも歴史軸(タテ軸)の中で深くとらえ、地理軸(ヨコ軸)の中で広くとらえる必要がある、と父が語っていた。学生の時代にはよくわからなかったが、最近になってそのメッセージの意味に気がつくようになった。アメリカを知るためにヨーロッパを知らなければならない、とも言われる。アメリカを生む母体となったヨーロッパという視点は歴史的な意味を持っているし、ユーラシア大陸の鼓動を聞くという意味でのヨーロッパは地理的な視点を大切にせよとの意味を持っている。このことはまさに歴史と地理を踏まえよ、ということだろう。思えば1903年に一高生の藤村操が「悠々たる哉天壌、遼遼たる哉古今」と書いて自殺した華厳の滝上の大木の遺書も、地理(天壌)と歴史(古今)のことを言っていたのだ。そして「立ち位置」という言葉がある。立場という言葉との違いは何か。「苦しい立場」、「私の立場では、、、」という言葉に象徴されるように「立場」は、受動的で積極的に使われることはない。いわば言い訳言葉として使われている。「立ち位置」には主体的に関与しようとする匂いがある。どこに立つかという選択をしたという潔さが感じられる。大きさや時間の長さなどのスケールはその都度異なるが、プロジェクト、企画などを担当する場合、「歴史と地理」というキーワードを意識すると視界がぐっと開けてくることを経験する。立場を説明する発言は防御的になる。リーダーは自らの位置取りを説明しなければならない。必要なのは立場を説明することではなく、どこに位置をとるかという意志、戦略、決断、覚悟である。志のある者は歴史と地理の狭間で自らの立ち位置を定めることに腐心したい。 (「月刊ビジネスデータ」の連載執筆。9月号)
2007/08/30
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一ヶ月ほど休んでいた連載を継続して書くことにした。以下、第23話は20代のロンドン駐在のビジネスマン時代のこと。--------------------------------------私のロンドン滞在中に父と母が訪ねてきたことがあります。そこで私は、シェークスピアの生地として有名なストラットフォードのあたり、つまりシェークスピアカントリーに二人を連れていくことにしました。イギリスの田舎の風景は世界一美しいといわれています。すばらしく整備された道路、古いタイプの家々、古城、黄色に色づいた畑、時おりみえる美しい森………。車で出かけたのですが、私の車は、世界一ひどい車とでも呼ぶべきしろものでした。毎日のようにトラブルがおこります。ストラットフォードを出て小さな坂にさしかかった時、さっきまでなんとか動いていたエソジンが完全にとまってしまいました。丁度、坂の途中でしたので、車は自然にゆっくりと坂をくだり名も知らぬ村の一角に到着。しょうがないので母と私は、車を降りて救助の電話をかけにいきました。イギリスには、A・A(Automobile Association)いう名前の団体があります。この団体は会員制で、車のトラブルがあった場合の応救処置をしてくれるので大変助ります。さて電話をかけて、「Help me please!」「Yes we can, where are you?」(わかりました、今どこにいるのですか)さて、「この村は何という名前かな」と道路標識をあらためてみようとすると、母が突然笑い出したのです。全くバカバカしいという感じのそしてみじめな笑い声です。道路の標識にはこう書いてありました。「Enston」。そこで私は、「Help us, I am In Enston」と電話口で言いますと、母は更に笑いころげました。きっと母には、エンストに聞こえたにちがいありません。全く、事実は小説よりも奇なり、ですね。
2007/08/29
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世界に7000万以上のブログが存在し、毎日12万以上の新しいブログが登場している。今年になって日本語ブログが全体の37%を占め、英語の36%を追い越して首位になった。3位は中国語で8%。英語を母国語とする人口は日本語人口の3倍であるから、日本人は人口一人当たりで英語母国語人の約3倍の割合でブログを書いていることになる。また中国語人口は日本の10倍だから、日本人は一人当たりで中国人の40-50倍の割合でブログを書いている計算だ。さらに日本人が一日平均30分をブログに費やしていると仮定すると一日当たり28万時間という計算になり、勤務時間中に書いている場合もあるから、時間当たり平均賃金2000円を掛けると年間で2000億円の生産が失われている。これはアメリカのブログ検索サービス会社テクノラティの調査とそれをもとにしたある学者の分析である。大雑把に言って日本人はアメリカ人の3倍の割合でインターネットを使ってブログを書いているということである。日本には日記を書くという文化があった。最近、近代を中心に人物記念館を訪問していて感じることだが、毎日日記をつけていてそれがそのまま残っていることが多く、先人の豊かな精神生活を垣間見ることができる。この日記をつける習慣は昭和生まれ世代あたりからは薄れてきたと思うが、最近のブログの流行を見ていると、この習慣が新しい形で復活つつあると感じる。先ほどのデータから計算すると日本では約2600万人がブログを書いていることになる。日常生活の出来事を記録し、そこでの哀歓を描き、自省し、明日への活力を得ていく、そして過去の日記とは違ってその内容をインターネットで公開することを通じて人々との交流が爆発的に多くなっていくという新たなライフスタイルが定着しつつあるということだから、長い目で見るとこのブログを書く習慣の及ぼす影響ははかりしれない。考える力が弱くなった、情報に惑わされる人が多くなった、というのがマスコミの現代人や若い世代に対する警告であるが、そうだろうか。書くということは考えることである。日記を書くという習慣の新しい形での復活によって、表現力の涵養のみならず表現力に深く関係する考える力も磨かれていくだろう。そして他の人の反応によって思考が深まっていくという経験をすることも貴重だ。特にブログを書く層は圧倒的に若い世代が多いから、物事を深く考える若い人が今後多数出現する可能性がある。思考と交流を得手とする世代の登場である。
2007/08/28
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28日の朝刊を読む前の早朝、先の「信州の旅」で訪れた日本最高峰の風景画家・東山魁夷館で購入した「唐招堤寺への道」(新潮選書)を読み終えた。心を描く文章家としても一級であると感じた。東山魁夷の描く絵が世の人々に感銘を与えるのは、豊かな人格と深い教養に裏打ちされた作品に接するからだと改めて思った。第一章「鑑真和上」によると、唐の高僧鑑真が日本への渡航を決心したのが55歳で、その後、5度の挫折の末、盲目となった姿で到着したのは67歳であった。そして77歳で他界するまで日本文化に大きな影響を与え続けた。功成り名を遂げた鑑真にとって日本への渡航は、それまでの自分を夷て生まれ変わって第二の生を生きようとしたことを意味する。自身よりも遥かに大きなものに身を任せたと東山は考える。生き方を考える上でこの鑑真の行為は深い含蓄を持っている。芭蕉の名句「若葉して御めの雫ぬぐはばや」にも感銘を覚える。第二章「唐招堤寺」では、読者は東山魁夷の絶妙な筆致で綴られる文章の力で、広い境内を静かに一緒に歩いているような感覚にひたされる。建物や小道、周りの風景など実に細やかな描法で静かに語る文章を堪能すると、この画家の描く風景に納得する。画家は建築を音楽にたとえて説明する。南大門の基壇に立って雄大な金堂を眺める心象を、壮大なシンフォニーの第一楽章の冒頭の決然とした第一主題を聴く思いがすると表現する。そして松林を歩き静かな戒壇院の静かな散策は第二楽章アンダンテ、金堂の右側は生彩のあるスケルツオというように読者を導いていく。画家は伽藍の配置や曼荼羅図に音楽的な構成を強く感じている。画家によれば、日本的な美の特質は、外来の文化を大胆に移し入れ、それを日本の民族的な美意識に同化させていく点にある。唐風のエキゾティックな大伽藍は千年のときを経て、落ち着いた風雅な建物に変えていった。第三章「奈良にて」、第四章「大和路」では、日本の奈良と京都の名刹を遊ぶ。そして第四章から、唐招堤寺御影堂障壁画の揮毫の物語が始まる。昭和45年、日経新聞社の円城寺社長から唐招堤寺の森本長老が障壁画に絵を描くことを望まれていることを知る。自分の歩みの上からは自然の成り行きの帰着点と感じ、長い時間の後に承諾の返事をする。現地をみて最初に浮かんだのは、上段の間に山、寝殿の間に海というテーマだった。この後、画家は昭和48年から一切の仕事をやめて、日本の海と山の写生に没頭する。太平洋側、日本海の岬、四国、信州、九州と旅を続ける。いつもは相手の風景から描いてくれとささやきかけてくる場合に描くのだが、高野聖の舞台となった天生峠で「この風景を描け」と何者かに命じられているのを感じている。いくつもの不思議な体験をして、障壁画の題材を豊富に得ている。年表によれば日本の旅を終えた画家は鑑真の故郷の中国を旅して鑑真の心象を表す風景を写生する旅に出ている。この画家が畢竟の大作を描くきっかけや、そのための気の遠くなるような旅と作業にも興味を覚えるが、絵を描くにあたっての構想に関心を惹かれる。鑑真和上にゆかりの寺の障壁を描くために、鑑真の心象を思いながら日本と中国を巡り、ようやく取り掛かるという行為に驚く。そして山と海を二つの大きな軸として全体図を描こうとする。桜の間、松の間、梅の間につぃては名称を生かした絵を描こうとする。全体の色彩のトーン、それぞれの間の色合いなど全体を統一的に観る目がいる。絵を描くということは豊かな構想力が必要ということがわかる。このことは横山大観を訪ねたときにも強く感じたことである。このような長く残る大きな仕事は、小下図、中下図、大下図、本製作と進むのだが、画家は大規模な場合は基礎的な仕事に精力と時間をそそぎ、綿密に一歩一歩と積み重ねる以外にないと断言している。三分の二を準備のためにかけてもよいとのことだ。第七章「道遥か」の冒頭に印象に残る言葉が記されている。 時が過ぎ去って行くのでは無く、私達が過ぎ去っていくのである。画家の追想によれば、本人の意向とは違い、評価され無い時代も長く、途中で兵隊にとられたりして画家として世に出るのはずいぶんと遅かったとのことだ。長い準備期間を経て、本製作に入ったようなものだと述懐しているが、人生という大きな舞台で大ぶりの絵を描くには、準備期間が大切ということを暗示している。この本を読んでいる間、この日本を代表する風景画家の内面の深さと豊かさを感じながら、静かで充実した時間を過ごした。
2007/08/27
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ファンである壇ふみが出演するNHK「新・日曜美術館」を日曜日の夜に見ることが多い。毎回、優れた美術作家を一人取り上げて深く追い、専門家の話も聞くという構成である。この分野に興味がわいてきたのはつい最近なので知らない画家や陶芸家の作品と人生を知ることを楽しみにしている。最近では画家の山本鼎の番組もよかった。先日の信州の旅で訪ねたかったが割愛せざるを得なかった。今日この番組で紹介されたのは、陶芸家の国吉清尚だった。沖縄に育ち沖縄で優れた仕事をした人である。沖縄の土に珊瑚を嵌め込み、1300度という高い炎で焼くという焼き締めという手法でつくった壷はテレビの画面ながら風合いがあって心惹かれる作品だった。国吉はある分野の作品に没頭し評判をとってもそこに安住しない。いろいろな要素からなるので熟練者でないと難しいとされる土瓶も、評判になる頃には次のテーマに没頭していて二度とつくらなかった。そして「世紀末のたまご」という個展を終え、1999年に55歳というこれからという年齢で自身の体に灯油をかけて自死する国吉の姿と作品に感銘を受けた。沖縄にも足を延ばしたくなった。縄文的な力強い要素、古代から現れたような独特の形状、炎との戦いの中で偶然にできる文様、人智を超えた陶器の不思議な肌合い、、、。本物を見たい、そして日常生活で使いたいという誘惑を感じる。この国吉の作品を使った沖縄料理の店が紹介されていた。国吉清尚の作品と人生を紹介していた早稲田大学の教授の解説も朴訥ながら的確だった。この人はアナウンサーや壇ふみの顔をまっすぐに見ずに、下を向いたり目をそらしたりしながら語るのが特徴だった。
2007/08/26
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仙台駅正面からまっすぐに車で走り美しいケヤキ並木をくぐっていくと青葉山に出る。その一角にあるを仙台市博物館で「柳宗悦と東北の民芸」という企画展が開催されているので訪れてみた。柳宗悦(1889―1961年)自身が深く関わった宮城県民芸協会設立40周年の記念企画である。年譜をみると1927年(昭和2年)の38歳の時に御大礼記念国産振興博覧会への出品物収集のために、河井寛次郎、濱田庄司と仙台、盛岡、青森、弘前、秋田、酒田を調査したのを皮切りに、1953年(昭和28年)の64歳の時にバーナード・リーチと東北を訪れるまで毎年東北地方を歩いている。柳は36歳の時に河井、濱田と一緒に美術品に対して民衆的工芸すなわち民芸という新語を発明し、この分野を開拓していく。東北は民芸品の宝庫だった。堤、会津本郷、山形平清水、秋田楢岡などの焼き物のコーナーの展示の中に民芸の本質を示す言葉を見つけた。「土地の材料で出来たものは色よく皆棄て難い味がある」(「現在の民芸」・1942年)。焼物のコーナーには、徳利、土瓶、飯櫃、鰊蜂、甕、片口などの民芸品が並べられている。それぞれ実用品なのだが、名も知れぬ職人や一般の庶民がつくった品物に不思議な魅力がある。「編祖」のコーナーは編み物である。籠、蓑、笠などの民芸品が展示されている。「染織」のコーナーには、帯、着物、前掛、仕事着、足袋などがあるが、特に刺子といって布を強くするために針で縫っているものは、実に美しい。「金工」では、自在くぎ、馬具などの野鍛冶、山形や南部の鋳物、灰ならし、鉄瓶、あられ釜、飾り鞍などを見ることができる。「木漆工」では、秋田川連、浄法寺、会津などでつくられた作品を見る。重箱、盆、片口、小針、椀、盃、文箱、箱、、、。無名の庶民が日常生活のためにつくり出したこれらの用具は、ていねいな手仕事によって生みだされた。籠を眺めていて思い出したが、小学生のころ近所に籠職人がいてその手さばきにびっくりした記憶がかすかにある。柳が活躍した1950年代には各地にまだこのような手仕事の文化が残っていたのだろう。このような心のこもった手仕事の作品は、こういった空間に置かれると美術品の香りがする。柳は東北地方の民芸運動の仲間たちと頻繁に手紙のやり取りをしている。その手紙が展示されている。民芸品の細かい特徴を伝える手紙もあった。柳は37歳の時に日本民芸美術館設立趣旨書を書くが、10年後の47歳のとき東京駒場に日本民藝館を開館させ、初代館長に就任している。東京麻布に生まれた柳は学習院高等科で学ぶが、このときの教師に鈴木大拙や西田幾多郎がいる。長命だった師の鈴木大拙が、柳が72歳で亡くなったときに書いた哀悼の言葉を読んだことがあるが、日本の美術界の大きな損失であると心から残念がったことを思い出した。東北の厳しく長い冬は、手仕事の伝統を生み出した。女性たちが家族のために、寒さから守るために麻布の布目を一針一針刺して、丈夫で暖かい着物に変えていく刺子などの手仕事には感動を覚える。----------------------------------------ついでに常設展の一部をみていく。「五色水玉文様陣羽織」となずけられた伊達政宗が甲冑の上に羽織った陣羽織は、雀と竹で構成された伊達家の家紋と色鮮やかな水玉模様で実に華やかだった。支倉常長の偉業を讃えた映像「支倉常長 光と影」も楽しんだ。
2007/08/25
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東京での出版社の編集者との打ち合わせなどをいくつかこなして戻ったら、自治体で唯一の「日本自分史センター」を持っている愛知県春日井市の財団から、今年12月に開催される第9回自分史シンポジウムのパネルディスカッションへの出席依頼が届いていた。テーマは「団塊世代と自分史」だが、届いたメールをみると私のやっていることをよく調べていて感心した。こういうお願いならなんとしても出かけねばならない。大学生を対象に「自分史を書く」ことをテーマとした授業を10年近く行ってきたし、ビジネスマンを対象とした「ビジネス自分史」というタイトルの本を出している。この分野の話題は久しぶりだ。何かと話題の団塊世代は私もその一員だが、まず自分史を書くことから始めたらいいと思う。私の開発した「人生鳥瞰図」の紹介もしてみようか。以下、そのメールから抜してみた。主催者の考え方がよくわかるので紹介する。------------------------------------------------------自分の人生を見渡し、自分史にまとめるということは、思考力や豊かな人生を創造・・・と私どもは考えています。そこで、人的資源や自己表現、知的生産の技術がご専門で、文章術の著作、そして、「能率手帳でえがくビジネス自分史」もご執筆の、久恒先生に論点の明示化など、学識者としての見識でディスカッションを活性化していただきたいと思っております。また、今年のテーマは「団塊の世代と自分史」です。民間企業の経験があり、地域社会への貢献を積極的に行っていらっしゃる久恒先生は、当市に多い大企業ビジネスマンの一種のロールモデルとしてもみられるのではないかと考えております。戦争記録という一時代を築いたジャンルから、生い立ち・仕事・家族へと内容は変化しつつあります。自己の知識と経験を踏まえつつ、ユーモアや感動を持って人生を綴るという昨今増えている自分史ですが、久恒先生に、図解コミュニケーションのお話しをいただくことで、一般の方々に、自分史執筆への興味を喚起するのではないかと愚考しております。個人的には、文化政策学の大学院に在学していたとき、学部での専攻は文学であったためか、社会科学的なアプローチが分からず、煮詰まっていたとき、久恒先生のメルマガを購読して、修士論文の大きなヒントになりました。ですので、久恒先生にお話しいただければ、30代~先生と同世代の方~高齢者まで、それぞれに得るものがある!と考えております。できれば、久恒先生に、「自分史図解」を、やっていただければ!と思っております。-------------------------------------------
2007/08/24
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仙台市青葉区にある聖ドミニコ学院で教職員全員を対象とした研修会で講師をつとめる。この学院は入り口は狭いが中に入ると広く、青葉山をバックに景色もいい。カトリック系の学校で、構内には聖母マリア像があちこちに配置されていて、敬虔な雰囲気が漂う。高校校長室で30分ほど歓談したあと、階段教室で講演をする。教員、シスター、用務員、運転手などこの幼稚園から高校までの学校の関係者が総勢で70-80人だった。始まる前に賛美歌を全員で歌う。私は前方の講師席に座ったままだったので、全員の表情がみてとれたのだが、皆さんいい顔をしていた。講義を聴いている方たちは、こちらの冗談にもよく反応してもらって、こちらも楽しく話ができた。私自身は、小学校から大学まで公立・国立の学校過ごしたのだが、私立学校、特に宗教系の学校は独特の理念と雰囲気があり、こういう環境で心を磨き、体を鍛えるのは素晴らしいと改めて思った。終了後は、数人の関係者とも会食。キリスト教、カトリック教団、その学校、などの現状や抱える問題点を聴いた。外から見てるだけではうかがい知れない実情も教えてもらって、世界が広くなったような気もする。来年度の大きな研修会の講師も頼まれたので、いい機会なのでカトリックの研究もしてみたい。
2007/08/23
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「はてな」を探検していたら、「文章読本」について比較して論じたブログに出会った。1974年生まれの人だが、私の本を含む4冊を俎上に載せて文章論を詳しく論じているので、面白く読んだ。「図で考えれば文章がうまくなる」(PHP)で「図解文章法」を提唱した私の本をまともに取り上げてもらっているので、嬉しくなった。以下、抜粋する。 日垣隆『すぐに稼げる文章術」 久恒啓一『図で考えれば文章がうまくなる』 樋口祐一『ホンモノの文章力』 山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』--------------------------------------------------------------http://72.14.253.104/search?q=cache%3AWC3gUwOQcqMJ%3Ad.hatena.ne.jp%2F%2Frararapocari%2F20070721%2Fhigaki-----------------------------------------------------------なお、この種の、いわゆる文章読本*2をしょっちゅう読んでいる自分としては、これまでに読んだ中で好きな3冊を比較の意味で何回か取り上げ、『すぐに稼げる文章術』も含めた4冊について、文章中では以下のように略記した。日垣本:日垣隆『すぐに稼げる文章術』(asin:4344980131) 久恒本:久恒啓一『図で考えれば文章がうまくなる』(asin:4569641385) 樋口本:樋口祐一『ホンモノの文章力』(asin:4087200566) 山田本:山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(asin:4569617360) ---------------------------たとえば、久恒本なら「図解」、樋口本なら「型にはめる」、そういう久恒メソッド、樋口メソッド的なものがあるが、日垣本には、日垣メソッドがないままに文章が進むので読んでいる側はかなり不安だ。結果として、2章、3章の方向性がまとまりに欠け、「やっつけ」感が漂うことになる。----------------------------補足的になるが、これまでに数多く生み出された「文章読本」の扱いについて触れておきたいのが久恒本だ。この本では、第一章「文章読本は何を語ってきたか」で、文章読本の名著の歴史を辿っている。この中で、谷崎潤一郎、清水幾太郎、木下是雄、本多勝一、野口悠紀雄の文章読本5冊について、要点を10ページの文章と、基本コンセプトである「図解」を用いてわかりやすく説明されている。はっきり言って、一冊で5冊+久恒本の6冊分の文章読本を読んだ気になれるという、非常にお得な本である。5冊の要点整理に、「図解」が使われていることも、うまい商売だなあ、と感心してしまう。---------------------------------樋口本では、「なぜ書くか」について、最終章で「文章は現代を救う」と、自己表現の手段として文章の重要性を主張する。 久恒本でも、最終章を割いて文章を書く意味を説明する。特に、久恒本が優れているのは、「何を書くか」と「どう書くか」を完全に分離して扱っている点だ。そのうち「何を書くか」に重きを置いた構成は、一般読者の文章作成に対する悩みをうまく捉えているように思う。 「文章読本を書いてきた人々は、いわば資本家でありかつ経営者であったような高い能力を持っていた人たちでした。小説家、学者、新聞記者という職業の人たちでした。彼らは書くべき中身を持っており、書き方も身につけていました。だから、彼らの関心は中身よりも、文体論に集中したのも無理はありません。(しかし)文章を書くのが苦手という私たちの苦しみは、書くべき内容が固まっていない、あるいは書くべきことがない、ということから発しています。(P243)」----------------------------------------------------------------------
2007/08/22
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手嶋龍一と佐藤優の対談をまとめたインテリジェンス入門書「インテリジェンス 武器なき戦争」を読んだ。手嶋はNHKのボン支局長、ワシントン市局長を経て独立、「ウルトラ・ダラー」がベストセラーになった。佐藤は外務省で活躍したが、現在起訴休職中で、外務省のラスプーチンと呼ばれている。「国家の罠」「自壊する帝国」などの優れた著書がある。以下、インテリジェンスの本質をあらわしていると思われる部分だけを抜き出してみた。-----------------------------------------・インテリジェンス能力は当該国家の国力から大きく乖離しない。、、、、。GDP世界第二位のわが日本国は、インテリジェンス能力においても世界第二位の潜在力を持っている。ただし、その情報が内閣情報調査室、外務省、警察庁、防衛省、財務省、公安調査庁、海上保安庁、経済産業省、検察庁、マスコミ、商社、永田町の情報ブローカーなどに分散していて、政府に集約されず、機動的に使われていないのである。(佐藤)・インテリジェンスは、国家の命運を担う政治指導者たちが舵を定めるための羅針盤である (手嶋)・精査し、裏を取り、周到な分析を加えた情報。それがインテリジェンスです。(手嶋)・専門の対外情報機関という「器」がないところでは、本当のインテリジェンス活動などできません。(佐藤)・インテリジェンスの世界というのは、二つの要素でできています。第一に誰が指令を出して、誰に報告するのか。第二に、誰がお金を払うかということです。(佐藤)・インテリジェンスの能力は、国力からそれほど乖離しないものです。したがてGDPが世界第二位ならば、それに即したインテリジェンス能力を日本は持っているはず。しかしそれが結晶化していないのです。(佐藤)・インテリジェンス活動の難しさは、情報を入手するだけでなく、それをいかに扱うかにあります。(手嶋)・その(インテリジェンス)本質を一番よく表しているのは、戦前の陸軍参謀本部が使っていた「秘密戦」だと思います。一番目は積極「諜報」。これがポジティブ・インテリジェンスですね。二番目はカウンター・インテリジェンスを意味する「防諜」。そして三番目が「宣伝」、四番目が「謀略」です。、、、謀略で一番うまいやり方というのは、相手に全体像を組み立てさせることなんですね。、、、(佐藤)・自分たちがやる謀略のことは、「政府広報」とか「ロビー活動」と呼べばいいんです。敵がやるものを「謀略」あるいは「情報操作」と呼ぶ。やることは同じですが、印象はすいぶん違うでしょう。(佐藤)・日本の公安警察や外事警察は、間違いなく世界最高水準に近いレベルのカウンター・インテリジェンス組織なんですよ。(佐藤)--------------------------------------この本では、インテリジェンス・オフィサー養成スクール構想も具体的に述べているが、日本にもかつてそういう学校があった。東亜同文書院とハルピン学院である。東亜同文書院は中国情報、ハルピン学院はロシア情報を対象とする人材育成機関だったという単純な総括では括れない人材を輩出している。東亜同文書院は、政治・経済等の面における実務的中国エキスパートの養成が主眼であり、1901年に上海で本格的に活動を始め、1946年に終止符を打つまでの四十数年間に四千数百名の青年を育てた。また、ハルピン学院は、中国のハルピンに後藤新平満鉄総裁が設立したが、「命のビザ」で有名な杉原千畝もこのハルピン学院の一期生だった。
2007/08/21
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先日亡くなった河合隼雄先生(京都大学名誉教授・文化庁長官)の本をぱらぱらと眺めていたら、いい言葉に出会った。河合はユング研究で有名な心理学の大家で臨床心理という分野の開拓者であるから、本の中に心理学用語がよくでてくる。また仏教についても造詣が深く仏教用語も用いながら多くの読者に「癒し」を与えてきた。近年の著作をみると日本及び日本人自体の探求に関心が深くなって、思想界、仏教界の人々と対談をすることが多かったように思う。新渡戸稲造の「武士道」では日本を説明するのに神道・仏教・儒教をあげ、神道からは忍耐心、仏教からは慈悲心、儒教からは道徳心を学んだとしていて、納得した覚えがある。冒頭に書いた河合隼雄の本を読んでいて見つけたのは、「神道一匙 儒仏半匙ずつ」という言葉である。日本の本質を簡潔に、そして見事に表した名言であると思う。先の新渡戸稲造の日本の説明は三つの要素で成り立っているということだが、その三要素の割合をこの言葉は示している。神社を象徴とした神道を基盤に一匙(さじ)、お寺を中心とする仏教と孔孟の教えである儒教・儒学という中国からの外来思想を半分ずつ(半さじ)まぶして、わが日本が出来上がっているという説明である。この言葉は河合の発明ではない。江戸時代の二宮尊徳(1787-1856年)の残した説明だそうだ。子供の頃、薪を背負いながら本を読む姿を本でよくみたし、先生から何度も二宮金次郎の逸話を聞いた記憶がある。最近では小学校の校舎に二宮金次郎の銅像を見ることはなくなったが、秋田県横手市で山下太郎記念館のそばの小学校で久しぶりに見たことを思い出した。尊徳は相模国足柄(神奈川県小田原市)の豊かな農家に生まれたが、父母を亡くし親戚に預けられるが24歳で一家を再興。その後、小田原藩家老服部家の家政を再建。藩主大久保忠真から命じられた分家宇津家の桜町領(栃木県二宮町)の財政再建では、開墾と水利事業を行い税収を倍増させる。その評判を聞いた600以上の大名旗本家の財政再建と農村の復興事業を推進した。尊徳の唱えた「勤倹・分度・推譲」の思想は戦前の日本の模範、倫理観となった。子供の頃は偉い人とは思っていたが、二宮金次郎という名前は勉強と結びついていたため、敬遠していた。こうやって久しぶりにその一生を概観する機会を得てよかった。小田原には記念館があるから、ここも訪ねたい。
2007/08/20
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長野から上信越道自動車道で黒姫などを通過し上越高田から北陸自動車道で日本海に沿って新潟方面へ向かい、新潟中央から磐越自動車道で会津若松を経て郡山インターで東北自動車道に入り仙台へ、というルートを走った。途中地震から一ヶ月の柏崎(原発からの漏水で話題になった)を通ったが、道路が波打っていて50キロの制限速度となっていて、地震の凄さを思った。また、途中長岡ジャンクションで関越自動車道に入り、長岡で下車し、二つの記念館をみる。まず、山本五十六記念館。1884年生まれの山本五十六大将は石油や航空機に注目したように時代の流れを見抜いていた。日独伊三国同盟に「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と危険を省みず反対したが、開戦にあたっては真珠湾攻撃を指揮する運命を担う。最後はブーゲンビル島で1943年に戦死。山本は多くの手紙を書いている。家族や恩師などに送った手紙が多く展示されていたが、見事な筆致である。雄渾な書体は「書は人なり」という言葉を思い出させる。「日本では出来ない視察旅行をせよ。そのため日々倹約に努めよ。語学は着任後数ヶ月程度で習得せよ」(米国駐在大使館付き武官時代)「私は河井継之助が小千谷の談判に赴き、天下の和平を談笑のうちに決しようとした、あの精神をもって使命に従う。軍縮は世界平和、日本の安全のため、必ず成立させねばならぬ」米内光政大臣・山本五十六次官という名コンビを組んだ上司の米内は「明察果断、大勇猛心があって、恐怖心をもち合わせがない」と山本を評している。ベンジャミン・フランクリンを尊敬していること、勝負事の処生訓を持っていたり、という一面もあった山本五十六は至誠の人だった。思いがけず、すぐ近くに最近出来たという河井継之助記念館を訪問する幸運を得た。この記念館がこの長岡に出来たことは知らなかったが、山本五十六記念館の人が教えてくれた。終焉の地・福島県只見町にあった記念館に加えて、生誕の地にもようやく記念館ができた。河井(1827年--1868年)は越後長岡藩7万4千石の家老となって明治維新前後のこの小藩の運命を握り、武装中立を宣言するが最後は官軍を大いに苦しめる。司馬遼太郎の歴史小説「峠」の主人公として馴染みがある快男児である。河井の生誕地であるこの地には良寛が父を訪ねて「聴松庵を訪ねる」という詩を詠んでいる。河井の断行した禄高改正(平準化)の説明があった。40500石の扶持を25000石に減じて財政を立て直すことにしたが、このため最高で2000石、最低で100石だったものを、最高で500石、最低で100石とした。「百人の禄を減じて、千人の禄を増し、人気(じんき)を調和して力を強くする」とい言われた改革である。「民は国の本 吏は民の雇」「常在戦場」(この言葉は、同郷の山本五十六の心構えにもなっている)「一忍を以って百勇を支う可く 一静を以って百動を制す可し」(蘇東ばの父・蘇洵の言葉で河井の座右の銘。五十六はこの言葉を胸に軍縮会議に臨んだ)「人というものは、出処進退の四文字が大切なものであり、進むと出るは人の推薦がなくてはならないが、退くことは自分で決めるものである」「戦争はしたくないものだ。せめてもう四・五年も、戦争をせずにすむならば、汽船の二・三隻も買い入れ、家中の二・三男を商人に仕立てようと思う」河井の協力者であった家老・山本帯刀の名跡を継いだのが山本五十六であり、この二人の因縁を感じさせる。この長岡という町には小林虎三郎という人物も出ている。河井とは幼馴染みだが、後に長岡藩大参事として三根山藩からの救援米の百表を売却しその代金を国漢学校の整備資金にあてた「米百表」の逸話で名を残している。小泉首相が就任時にこのエピソードを用いて有名になった。この名前は佐久間象山記念館でもみた記憶がある。河井と同じく江戸遊学時代、象山の門弟だった。10月には米百俵まつりが催されるというポスターが貼ってあった。長岡も駅前は現在はさびれているが、ある種の精神風土を感じさせる町だった。
2007/08/19
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朝食後、善光寺を歩く。宗派にこだわらない寺ということで様々の宗派が渾然と同居している。「月影や四門四宗も只一つ」と詠んだ芭蕉の句碑があったが、一番わかりやすい。また一茶の「春風や牛に引かれて善光寺」という句碑もある。善光寺の近くにある長野信濃美術館・東山魁夷館を訪問し、この風景画家の作品に深い印象を受けた。61歳でドイツ・オーストリアの旅にでるがこのときの心境を記した言葉に感銘を受けた「このまま安定した歩みを続けることは老いを意味し、心の躍動を失うのではないか。命の鼓動を取り戻すべきではないか」63歳で描くことを決心した唐招提寺障壁画では、鑑真和上との対話をする。山と海という二つの大きな主題である日本の風景を訪ね歩き、中国の風景を描く旅に出る。そして67歳で第一期完成、72歳で第二期を完成させる。この物語には大いに関心を持った。次は松代の象山記念館を訪問。幕末の先覚者・佐久間象山の記念館である。地元では「しょうざん」ではなく「ぞうざん」と呼んでいる。海舟の序文で出版した「省けん録」を買った。「東洋道徳 西洋芸術」と言った象山は偉大な存在であるが、象山の記念館としては何か本質的なものを説明していないような気がした。隣の象山神社には9年の蟄居時代を過ごした「煙雨亭」もある。石碑には「余年二十以後乃ち匹夫も一国に繋るあるを知り三十以後乃ち天下に繋るを知り四十以後は乃ち五世界に繋るあるを知る」とあった。同じく松代の池田満寿夫美術館を訪ねる。版画家、画家、彫刻家、陶芸家、芥川賞作家、エッセイスト、浮世絵研究家、日本画家、映画監督などの多彩な仕事をしたマルチ・アーチスト。没後10年特別展「天才・池田満寿夫を見なおす」をやっていた。50歳ころから「日本回帰」をしたのも印象深かった。63歳で亡くなったが生きていればもっと面白い活動をしたのだろう。まちづくりで有名な小布施に向かう。ここの名物は「」北斎館」である。31周年の今年で700万人の来訪者を達成している。80代半ばから北斎は高井こう山の招きを受けて、「富士越龍」などの肉筆画と、祭屋台の天井画を描いた。平成10年に開催された国際北斎展の寄せ書きをみると、ドナルド・キーンや中島千波などの名前が見える。北斎研究所もこの中にある。近くの高井こう山記念館。北斎を招いた豪農商として有名だが、尊王攘夷論者としても有名な人物である。象山とも親友でここで月に数度も激論を交わしている。そのときに使った火鉢もある。おぶせミュージアム・中島千波館。昭和20年この地で生まれた千波は大和絵風の作品を多く描いている。東京芸大の教授。昨日は4館、今日は6館で、計10館、という強行軍だったが、概要だけ書いて、別途各館の詳細な訪問記を書く予定。
2007/08/18
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信州の旅。妻と二人の車の旅である。まず「はるかなる古城のほとり雲白く、、」で始まる島崎藤村の藤村記念館を訪問。記念館は小諸城址懐古園にある。藤村は小諸の小諸義塾での教師生活で7年間住んで代表作「破戒」を書き始めた。藤村先生は生徒の作文帳の添削欄に「文章は親の肩をもむがごとくに作るべし。大切に用意するを第一とす」などを朱書きしており、興味深い。同じく懐古園の中にある、文化勲章受賞の画家を記念した小山敬三美術館。浅間山を描いた画家で、大ぶり、悠々、骨格の太い雄渾な絵である。年上の藤村とは生涯の友人だった。新高輪ホテルのロビーの「紅浅間」は小山の作品である。この木立の中に建つ美術館は毎日文化賞をとった素敵な建物である。同じく、小諸寅さん記念館も訪問。山田洋次監督と渥美清の資料の揃ったややバタ臭い記念館。懐古園を出て、小諸にある高浜虚子記念館を訪問する。戦時中、虚子は76歳からの4年間をこの小諸で疎開した。「秋晴れの名残の小諸杖ついて」「俳諧の旅に日焼けし汝仲哉」「虹たちて忽ち君のあるごとし」などの作品をのこしている。企画展は「虚子 小諸疎開を迎えた人々」だった。その後、長野市へ向かう。夜は善光寺のそばにある藤屋御本陣という今人気のレストランで食事をする。加賀百万石の御本陣だったが、明治時代には福沢諭吉も宿泊している。大正12年に3階建ての洋館になったのだが、最近結婚式場を持つレストランに生まれ変わった。素敵な空間と吟味された素晴らしい食事を堪能した。野田一夫先生の三男の豊さんが経営しているレストランで、東京の旧満鉄総裁邸宅を改装した羽沢ガーデンや京都のガーデンオリエンタルと同じテイストである。
2007/08/17
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今年の夏は、信州と函館への旅を計画している。信州・長野では、池田満寿夫、佐久間象山、東山魁夷、島崎藤村、高浜虚子、北斎などの記念館や美術館を訪問する予定。北海道の函館では、高田屋嘉兵衛、川田竜吉、千代の富士・千代の山、石川啄木などの記念館を訪ねたい。
2007/08/16
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中央公論8月号の「時評」で梅田望夫が「言論人よ、群衆と真剣に向き合え」という小論を書いている。ネット時代の「知的生産」を考えるために久しぶりに「知的生産の技術」(梅棹忠雄)を読んだ梅田は、1969年に書かれたこの本の主張の先見性に感動している。大学時代から戦後岩波新書のNO.1ベストセラーを長い間続けたこの本を社会に出てからも折りに触れて何度も読んでいるが、この本に限らず梅棹忠夫の本は読むたびにいつも新しい。この本の中で時代を感じさせるのは「ひらかなタイプライター」のあたりだけで、後はネット時代の現代においても十分に通用する、あるいはそういう時代の到来を見越して書いているのではないかと思わせるまさに名著である。「知的生産」は「現代を生きる人間すべての問題」だと梅棹はいい、そのための技術を学校でも教えなくてはならないと述べている。そのとき、科目は何という名前だろうかと自問した梅棹は「情報科」だろうかと自答している。現代の学校でも情報を扱った科目は設置されているがそれはコンピュータの使い方を教える科目である。「知的生産の技術」を扱うという意識はあまり高くないのではないだろうか。40年近く前の梅棹の慧眼に驚くばかりだ。論壇の意味は言論人が知的生産の成果を「人にわかるかたちで提出」することに意味があり、世のなかのあらゆる現場にその知が還元されること、及び読者一人ひとりの心を動かしていくことに意義があると梅田望夫は述べている。ある筆者が総合雑誌に書いた論文を読む人々の中には政治や行政の現場で問題解決に当たろうとする人があり、その筆者を起用するということが起こるのだが、これも読者一人ひとりの心を動かしていくことでもあるから、二つの効果は同じ線上にあると思う。ネット時代を疾走する梅田は、言論人は「もの言わぬ中間層」の厚みから直接学ぶべきであるという主張を展開する。確かについ最近まで読者の声を直接聞くということは夢物語であった。江藤淳(1933ー1999年)という大物の文藝評論家がいた。この人の本は評価も高く読者も多いのだが、何十年作家家業をやっていても、自分の本を読者が読んでいる姿を見たことがなかったそうだ。ところが、山手線に乗って座ったら向い側の紳士が自分の最新刊(山本権兵衛を描いた「海は甦る」だったか)を熱心に読んでいる姿をみた。江藤は驚き、またその姿と表情ををじっと感動を持って眺め続けたとのことである。勇気がなくて「その本の著者の江藤淳です」と声をかけることができなかたことを悔やんでいる。若い頃、文藝春秋だったと思うが、そういうエッセイを面白く読んだことがある。私も同じような経験をしたことがある。仙台のジュンク堂という大きな書店で本を探していたところ、若い女性が私の出した新しい本を手にとって眺めている姿に遭遇したことを思い出した。驚いて観察しているとその人は買うつもりでレジに向かおうとした。私はとっさに「あのう、その本を買いますか。わたし、著者の久恒です、、、」と声をかけたら、「今は仙台にいらっしゃるんでしたね」と驚きの声をあげた。少し会話をしたが、嬉しく恥ずかしく、そして幸福な思いがしたことを思い出した。以上のエピソードでわかるように本に対する評価については、著者自身に直接届く情報は極めて少なかった。本を書き始めた時代から長い間、読者の反応は売り上げの数字と数ヵ月後に出版社からもらう読者カードだけだったが、インターネットの登場によって様変わりした。最近はネット書店での読者の投稿書評に加えて、読んだ人が書いているブログにも刺激を受けている。様々な人が、本の評価を論じている。著者自身が読んでいるとは思っていないから、影響を受けたとあったり、当たり前のことを書いているだけだと批判していたり、正直な感想が書き込まれている。また、世の中にはレベルの高い知的な職業人が多数いること、そういう人の言説に身のすくむ思いもすることがある。「もの言わぬ中間層」がネットいう武器の誕生によって、ものを言い出したのである。この中間層は、各界の現場で仕事をする人々であるが、団塊の世代の高等教育進学率(大学・短大)が1970年に23.6%であり、高度成長を担うビジネスマンとなった大学卒業生は、教養知ではなく、技術知としての経営学ブームの中で成長していった。専門知を身につけたテクノクラート型ビジネスマンの誕生だった。これが新中間大衆社会である。現在では同世代の50%ほどの若者が高等教育を受けるようになって大学の質の低下という面が語られるが、この数字は日本における知的中間層の厚みの可能性を示してもいると思う。梅田はネットという環境の中で自らの発言や自著に関するあらゆる評価、反論、批判に向き合うなかで、愛情と憎しみを込めてこの中間層を「群衆」と呼んでいる。そしてこの群衆による玉石混交の発言の嵐をくぐりぬける過程で、「叡智」を発見する。そしてこの群衆の叡智を自らの成長の糧にするべきだという確信を得ている。企業の中で「お客様の声」をどうとらえるかが、その企業の商品やサービスの改善が永続的に行われるかどうかの試金石になっている。識者の意見を聞いてそれを商品に反映していく手法をとっている企業も多いがその多くは行き詰る。お褒め、苦情、意見などが錯綜する「声」に真摯に向き合うことによって「群衆の叡智」を吸収し、進むべき方向やヒントを得ている企業は多い。企業のマーケッティングは群衆の叡智の発見の競争ともいえる。梅田望夫の今回の提言は、企業で行われているマーケッティングの考え方を、知識という商品を生産する技術者の世界にも導入することによって長期間にわたるサバイバルを果たそうという挑戦的な宣言であると理解したい。
2007/08/15
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映画「マトリックス」のDVD版を大学生の息子の介解説付きで観た。昼はプログラマー、夜はハッカーという二つの顔を持つT・アンダーソンは、エージェントという敵に追いかけられてモーファイスという人物に出会い、本当の肉体の存在する場所に連れて行かれる。そこはコンピュータ人間を栽培し、人間の熱を核融合させ電力に変換している。人間は電力をコンピュータに提供する電池となっていて、そのことを知らずに眠り続けて一生を終える。人間が住んでいると思っている世界は実は仮想世界というプログラムの中にある。人間が現実と考えているのは脳による電気信号が作り上げた虚像である。その仮想世界が間音リックスである。このことに目覚めてた人々が少数いて人類の自由のために抵抗運動を続けてている。この人々が信じているのが救世主が現れるという預言者の言い伝えだ。エージェントは「マトリックスは理想郷だ。環境と共存できない人類は恐竜のように滅ぶ。人類はウイルスだ。われわれは治療薬だ」という。アンダーソンは彼らの間でネオと呼ばれているが、戦いの中で超人になっていく。彼こそが救世主だったのである。彼の目には敵は全てがプログラムに見える。その時点であらゆる攻撃に対処できるようになって、プログラムを全て破壊する。こういう筋であるが、1999年に公開されたこの映画のことは本を読んでいてもよく出てくる。また若い人たちの会話の中にも登場する。インターネットが登場して数年の時点で、現実の世界が実は仮想世界であるという逆転の世界観は衝撃を与えた。この映画はアクションを伴うサスペンスであるが、実は世界観をめぐる構造の中での意味が深い会話が交わされる。哲学的な言葉が飛び交うのも魅力で、考えさせられる。セカンドライフの登場によって、現実世界に近い3D仮想世界が私たちの視野に入ってきた。セカンドライフを旅していると、どちらが現実で、どちらが仮想かという疑問がわいてくる。こういった世界の先取りをしていたのがこの映画である。映画の中で交わされる印象に残った会話や言葉を以下に記しておく。(「マトリックス公式サイト」より)------------------------------------------------------------モーフィアス:君は夢を見たことがあるか、ネオ、それを現実だと確信した夢を?モーフィアス:君がその夢から決して目覚めないとしたら? ネオ、君はどうやって夢の世界と現実世界とを識別するんだね?-----------------モーフィアス:マトリックスとは何か? 支配だ。モーフィアス:マトリックスはコンピュータによって創り出された夢の世界だ。我々人間を支配し、これに変えるためのな(と、乾電池を掲げる)。--------------------サイファー(裏切り者):俺はな、このステーキが存在しないことは知ってるんだよ。口に入れると、マトリックスが俺の脳味噌に、これが肉汁たっぷりで最高に美味いと教えてくれるんだってこともな。9年かかって俺が何を理解したか、アンタ分かるか?サイファー:無知の至福さ。エージェント・スミス:では取引成立だな?サイファー:俺は全部忘れるぞ。全部だ! いいな? それから俺は金持ちになりたいんだ、誰か重要な人間にな。俳優とかよ。できるんだろう、えっ?エージェント・スミス:何なりと君の望むままだとも、ミスター・レーガン。 ---------------------------君はどうやって“現実”を定義するんだね? もし君が自分で感じることのできるもの、君が匂いを嗅いだり、味わったり、見たりすることのできるものの話をしているのなら、そのときは“現実”とは君の脳が解釈した電気的信号に過ぎない…… ----------------------------エージェント・スミス(モーフィアスに語った言葉):ファースト・マトリックスが、誰も苦しまず、誰もが幸福になる完璧な人間世界として設計されたことを知っていたかね? 大失敗だったよ。 マウス(ネオに語った言葉):俺たちの衝動を否定するってことは、俺たちが人間である根本のところを否定するってことだぜ。----------------------------我々が、お前たちの完璧な世界を描写するプログラミング言語を持っていなかったのだと信じる者もいるが、私は人類というものは、自らの現実を惨めさと苦しみによって定義する種なのだと信じている。お前たちの原始的な大脳にとっては、完璧な世界とは絶えず目覚めようともがき続けねばならない夢だったのだよ。-----------------------------サイファー:もし、あれとマトリックスとのどちらかを選ばなければならないとしたら……俺はマトリックスを選ぶ。 トリニティ(ネオを愛する女性):マトリックスは実在するものではないのよ。 サイファー:俺はそうは思わないな、トリニティ。マトリックス-----------------------サイファー:なあ、このステーキが存在しないのは知っている。俺がそれを口の中に入れると、マトリックスが、肉汁がたっぷりしていて美味いということを俺の脳に告げているのだということも分かっている。9年経って、俺が何を悟ったか分かるか?……知らぬほうが幸せってことだ。 --------------------------------------------------
2007/08/14
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このブログを始めたのはプロ野球球団「楽天」が仙台を本拠地とするという話題で賑やかだった2004年の9月28日だったから、もうすぐ3年になる。それ以降毎日日記を書き続けてきた。今では私にとってなくてはならないものになったが不満もあり、機能やサービスについてもっと便利にならないかと考えるようになって、他のブログサービスに関心を持つようになった。注目している梅田望夫さんが書いているブログを読んでいることもあり、株式会社はてなというIT企業が行っている「はてなダイヤリー」に興味を持っている。半年くらい前から実験的に登録してみて、なかなかうまくなじめなかったが、資料や本を少し眺めていて再チャレンジしてみようかと考えるようになった。「「はてな」ではじめるブログ生活」(2004年6月15日発行)という本の中に利用者分析のグラフが載っている。一番多く4万人に届くレベルなのが1970年代生まれである。次が1980年代生まれで3万人超。そのあとぐっと下がって1960年代生まれが1.5万人。そして1950年代生まれとなると3千人程度。ほとんどは、20代から30代の若者であり、私(1950年生まれ)とは年代的には大きなギャップがある。大学教員であるから20歳前後の若者を見ているわけだが、この「はてな」の利用者は20代後半が先頭世代である私の教え子たちと同世代やその先輩にあたる層だということになる。未来を創るこういった世代とのコミュニケーションをとる格好の場となるかもしれない。また、このサービスを利用したきっかけが載っている。「キーワード機能に魅力を感じた」「文学、思想や社会学の専門家が数多く参加している」「機能が豊富で使いやすい」という声があった。あらかじめ設定されたキーワードはその内容を解説した辞書機能がついていて、これは使いたいと私も感じた。文科系の専門家も多いというのも面白い。グーグルを始めとする検索会社は機械による自動検索で人が介在する余地がない、または少ないということから信頼性が高いと言っているが、この「はてな」には「人力検索サイトはてな」という独特のサービスがあるのも魅力だ。単語でなく文章で検索でき、その分野に詳しいユーザーが文章で答えてくれるから、キーワード機能とこの機能を使うことのメリットは大きいと感じる。(どなたかアドバイスいただけませんか?)
2007/08/13
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直近の直木賞をとった「吉原手引草」を読んだ。作者は松井今朝子、1953年生まれで早稲田大学で演劇学を専攻し、松竹で歌舞伎の企画制作を担当した後、フリーで歌舞伎評論など手がけ、小説家としてデビュー。出版社はヒット作品を生み続ける幻冬舎である。吉原一の花魁の葛城が起こした事件を若者が聞きまわって真実に迫ろうとする物語として進んでいく。この間、吉原に生きる様々の人々が登場し、この事件に関することを弁じていく。最後は二度目の弁をはる人もいるが、都合16回にわたる。引手茶屋桔梗屋内儀、舞鶴屋見世番、同番頭、同抱え番頭新造、伊丹屋、信濃屋、舞鶴屋遣手、仙禽楼舞鶴屋庄右門、同床廻し、幇間、女芸者、柳橋船宿鶴清抱え船頭、指切り屋、女衒、小千谷縮問屋、蔵前札差など、花街特有の珍しい職業の実態が当人の口から話言葉で語られる。読者は主題もわからないまま読み始め、吉原という街の成り立ち、しくみ、しきたり、そこで働く人たちの渡世観、などに引き込まれていく。絢爛たる花魁という仕事の中身、哀歓などの知識を得ながら物語りは一幕、一幕、進んでいくが、話言葉の巧みさと新しい知識に目を奪われていくうちに最後の「詭弁 弄弁 嘘も方便」へと流れていく。まことに達者な筆遣いである。題名の「吉原手引草」は、独特の文化を持った吉原の格好の手引きを目指して物語をつくったということがわかる。吉原については落語や他の小説などで触れることがあるが、この世界をかたちづくっている花魁以下の女の身分の違い、それにくらいついて生きている男女の仕事の数々などを読者は楽しみながら知ることができる。最後のどんでん返しでいろいろな疑問が一挙に解けるという構想、全ての物語を葛城本人を巡る人々の口から語らせる手法、くどいと思わせない達者な筆法など、佳品である。この作品は直木賞をバネにして多くの読者を獲得すると思う。また、松井今朝子は経歴からわかるように、歌舞伎、演劇などの分野に詳しいこともあり、長く作品を生み出すことができる作家とみえる。この女性作家の今後の作品が楽しみである。
2007/08/12
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私には計画魔のところがある。計画の無いところに実績は生まれないと思う。しょっちゅう、これから先の予定を考えている。「これから」には時間の長短があって、一生という長い時間や、数年先までや、この一年、そしてこれから4週間、などがある。今の関心事は大学の授業がなくなる期間に何をやるか、である。「大学の夏休みは学生の夏休みであって教員は休みではない」ということなのだが、それでも授業がないのは精神的にも楽になる。この土日は計画を立てる週末としたい。7月に授業や試験期間が終わり、8月に入ってからはオープンキャンパスやFD研修会などの大型の行事がようやく終了したので、今日は仙台市内に出て、行きつけのSデパートの紳士服売り場のYさんを訪問する。この中年のYさん(男性)の売り場には仙台に来て以来ずっと通っている。センスと見立てがいいのでお世話になっている。最初たまたま選んでもらった服を着て昔からの友人に会ったら「お前、スタイリストがついとんのか?」と言われたことがあり、昔から洋服のセンスがいいといわれたことは皆無なので、このYさんをずっと頼りにしてきた。数日前、宮城大の非常勤講師の方だろうが「あの先生はオシャレだ」とYさんに言ったそうだが、Yさんのおかげである。今回の服選びもあっという間に決まった。この人は絵描きでもあり、夕食後は必ずキャンバスに向かう。この小さな売り場の中にも小なさな自分の絵の展覧スペースを持っている。数年前に自宅を新築したとき、遠くからやってきて自宅の絵を描いてくれてプレゼントしてもらった。今もリビングにかかっている。なかなか素敵な人生である。仙台駅東側に出て、ヨドバシで目当ての「ウィルコムW03アドバンストes」を購入する。携帯電話とパソコンとテレビが一体になっているという説明がぴったりする優れものである。1年近く使った機種からの変更だ。こういう製品は日進月歩だ。バージョンアップされた新しい生活が始まる予感がする。このヨドバシは数年前、反対側にラオックスの入った大型ビルが進出し、危機をいわれたことがある。2階建ての庶民的な売り場を持つヨドバシに勝ち目はないというのが通説だったのだが、時間がたつと逆にラオックスが潰れてしまった。危機感を持って難局にあたったからあろうが、ここの店員の特徴は「商品知識に強い」ということだろう。勉強会を開き知識を豊かにして強い売り場をつくったのだ。商品の特徴や他機種との比較なども行ったうえで勧めてくれるので安心感がある。今では何かあればヨドバシに行くようになった。帰って休養をとりながら、三島由紀夫の名作「春の雪」の映画のビデオを観る。三島のライフワークといわれた「豊饒の海」全四巻が出た当時の大学時代、優れた構想とまばゆい文章に彩られた世界に魅入られむさぼり読んだ記憶がある。輪廻という考え方を下敷きにした小説で、各巻の主人公は20歳で夭折する。第一巻の主人公清顕(きよたか)の友人の目でこの全四巻を通すのだが、この友人は清顕の生まれ変わりである男性や女性を見つめるというスタイルだ。二巻は「奔馬」(右翼的思想を持った剣士)、三巻は「暁の寺(タイの王女)、四巻は「天人五衰」で、最後に再び清顕の恋人で出家した聡子が登場するる物語の構成になっていたと記憶している。そしてこの輪廻転生が溶解する最後の不思議な瞬間も印象深かった。この作品が三島由紀夫の最後の作品で、その後三島は市谷の自衛隊に乱入し隊員に決起を促し自決する。久しぶりに読みたい作品である。
2007/08/11
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東京で一日活動。東京駅に着いてもの凄い暑さに驚く。35度を超えていた。東京は亜熱帯になってしまった感がある。まず、根城にしている新丸ビルの21世紀クラブで出版社の編集者と企画の打ち合わせをする。一度会って意見交換し、企画案を何度かメールでやり取りし、今回は二度目の打ち合わせである。項目ごとにアイデアを出し合うなかでシャープなキーワードが生まれてきて、くっきりとした企画に育ってきた。昼食は、大手町で友人と食事。午後は、再び新丸ビルに戻り、個室で大手新聞社の出版局が出す予定の手帳をテーマとしたムックの取材を受ける。ライターとカメラマンの二人。手帳はビジネスマンの永遠のテーマのようで、毎年さまざまな手帳の本が出版される。ここ数年、私も毎年取材を受けたり、手帳の本を出版したりしているが、今年も秋にはムックに登場することになりそうだ。「手帳という言葉は手に入る帳面という意味だが、単なる形状を示しているに過ぎない。手帳とはヒト、モノ、カネ、時間、情報という有限の人生の資源を最適に組み合わせながら、最高の生活を送るための道具である。」という考え方から始まって、実際に使っているA5版の手帳や4週間が見渡せるオリジナルのスケジュール表の説明を行った。最後は写真撮影で終了。夕刻には赤坂の野田一夫事務所に野田先生を訪ね、その後、帰省客でごった返す東京駅から新幹線で仙台へ。
2007/08/10
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理事をしている市民満足学会(日下公人会長)では、インターネットを使った様々な調査を社会調査を実施している。この学会は公共サービスの満足度向上をめざし調査研究を行い日本と世界に貢献することを目的とする学会である。学会の大会では、全国の病院の満足度ランキング、国土交通省の各道路事務所が管轄する道路への満足度ランキングなども発表して朝日新聞や日経新聞で大きく報告してきた。満足度が高いところと同時に低いランキングも公表していて、表彰式も行っている。最近では、「地域の元気度」「地域幸せ度」など興味深い調査を行い面白い結果も出ている。今回「大組織信頼度調査」の調査結果が出てきた。以下は調査内容。 12の中央省庁と21の業種別の重要度と満足度の相関分析 12の中央省庁と21の業種別の満足度と信頼度の相関分析 新聞業界の信頼度と重要度の相関関係 テレビ業界の信頼度と重要度の相関分析・重要度・満足度とも高いのは、電力・ガス・銀行・電話通信・郵政公社・運輸・鉄道・地下鉄・携帯電話、、。・重要度・満足度とも低いのは、社会保険庁・外務省・厚生労働省・内閣府・文部科学省、。・全国新聞では、日本経済新聞の重要度と信頼度が抜群に高く、朝日新聞と読売新聞の信頼度と重要度が低い。・ブロック紙・地方紙では、徳島新聞・山陽新聞などが信頼度・重要度が高い。・河北新報は、重要度は普通だが、信頼度は26社中で3位ときわめて高い。・テレビ局では、NHKの信頼度が低い。重要度・信頼度とも高いのは毎日放送・東海テレビ・朝日放送。重要度が高いのは、スカイパーフェクTV。信頼度・重要度ともに低いのは東京放送。調査方法・インターネットによるアンケート・調査協力者10万人へのアンケート配信と懸賞・回答数は5000人
2007/08/09
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二宮尊徳(1787-1856)のことは、小学生・中学生時代に二宮金次郎として先生から聞いていたし、本も読んだ記憶がある。昨日入手した「二宮尊徳 一日一言」をぱらぱらと見ていて、目に留まった言葉を記しておきたい。-------------------------------------------------積小為大大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤む(いそしむ)べし。小積もりて大となればなり。凡そ小人の常、大なる事を欲して、小なる事を怠り、出来難き事を憂ひて、出来易き事を勤めず。凡れ大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり。譬へば百万石の米と雖も、粒の大なるにあらず、万石の田を耕すも、其の業は一鍬づつの功にあり。千里の道も一歩づつ歩みて至る。山を作るも一ともっこの土よりなる事を明らかに弁(わきま)へて、励精小さなる事を勤めば、大なる事必ずなるべし。小さなる事を忽(ゆるが)せにする者、大なる事は必ず出来ぬものなり。大航海の術世上一般、貧富苦楽をいひ、さわげども世上は大海の如くなれば、是非なし。只水を泳ぐ術の上手と下手とのみ。時によりて風に順風あり逆風あり。海の荒き時あり穏やかなる時あるのみ。されば溺死を免がるるが、泳ぎの術の一つなり。世の海を穏やかに渡るの術は、勤と倹と譲の三つのみ。
2007/08/08
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FD全体会の第一部は東京工芸大学准教授の大島武先生。「ベスト・エデュケーター・オブ・ザ・イヤー賞」(全国大学・短大実務教育協会主催)で最優秀賞に選ばれた方だ。講演テーマは「最近の学生ニーズならびに学力低下と教育技術の改善」。私は朝食をとりながら第二部の山本真一先生と打ち合わせをしていたため、30分ほど遅れて会場に入ったのだが、驚いたことに図解の話があり、「久恒先生がいらっしゃるのでこの大学で図解の話をするのは自殺行為で、、」「ここは久恒先生にお任せして、、」など数度にわたって私の名前がでてきた。私は名前も顔も知らなかったので、終了後、名刺交換したのだが、「お顔はよく知っています」といわれた。この先生の講義はさすがに抜群にうまかった。第二部は「最近のFDの動向と公立大学における教育改善」というテーマで広島大学の山本真一先生の講演である。朝食で1時間ほどご一緒していろいろお話をしたが、この先生と知り合ったのは知研で、互いに30代の頃だ。より良い大学づくりのための大学の個性に応じた改革改善の努力が大切で、その重要部分がFDである、いう話から始まった。様々な統計数字とグラフを用いて、大学をめぐる大状況を詳しく説明していただいた。この20年は高等教育の大衆化の時代だった。4割は私立文系の学生。国公立は人文・社会科学の教員は少数派。日本の大学の特徴は若者中心(95%以上)。アメリカは4分の3は大人の学生。1992年に205万人いた18歳人口は年4万人ずつ減っていき、2010年から2020年に120万人で推移し、2050年には70万人になる。昨年は短大の5割、4大の4割が定員割れ。学生が大学を選ぶ時代、このことが大学改革の大原動力となる。これからの大学教育は実力(実質的な学力)養成型になる。学歴にふさわしい学力を与えるところ。法人化で取り組みに差が出てきている。メリットを存分に使った大学は伸びている。午後は、共通教育部会。学生を対象にとったアンケート結果の紹介のあと、5つの部会で議論と発表資料づくり。外国語部会、情報部会、導入科目部会、社会の智恵部会、リメディアル部会。私は社会の智恵部会に参加。そしてそれぞれの部会の全体発表。学長総括。競争の時代のキーワードは教育力。その重要な部分が共通教育。今年度取り組む改訂は大事な機会だ。4つのポイントを大事にしていただきたい。基本からの見直し、全学の力を結集、学生の視点からの改善、専門カリキュラム改善との連動などを意識してやって欲しい。--------------------------------------------仙台は七夕の季節。夜は家内と浴衣を着て出かけ、仙台七夕を楽しんだ。
2007/08/07
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毎年のことだが、8月の始めは全学規模で行っているFD研修会一色となる。FDというのは、教員の授業内容や教育方法などの改善・向上を目的とした組織的な取組みのことで、今年で4年目になる。宮城大学でも全学行事としてすっかり定着した。6日は、事業構想学研究科と事業構想学部。7日は、全体会と共通教育部会8日は、食産業学部9日は、看護学研究科と看護学部。初日の6日の午前中は、大学院事業構想学研究科は「修士論文の質をあげる」ことをテーマに各領域で議論し、その結果を全体で発表し議論を深めた。午後は、「学生の満足度を高める」ことがテーマだった。各学科の授業評価の高い教員による模擬講義と授業デザインの説明があり、質疑応答。その後、各領域に分かれて議論を行い、全体発表と議論と続く。今回のFDは、「課題解決型FD」と銘打っていて、議論で終わるのでなくいつまでに何をするかまで含んだ報告書をつくるというスタイルを目指しているので、具体的な改善策が大事である。個人的にも同僚教員の模擬講義での細かい工夫にも刺激を受けた。後期の授業でさっそく生かしていきたい。明日の7日は、外部講師が二人見えるが、その一人である広島大学高等教育研究開発センター長の山本真一先生は私の係りになっているので、朝食をご一緒しながら打ち合わせを行う予定。山本先生とはずいぶん昔に知り合っている。互いに30代の頃、知的生産の技術研究会の会員だった頃、東京で食事をした記憶がある。山本さんは当時は文部省に勤めていたが、その後大学界に身を転じ、つい最近まで筑波大学で大学を研究する大学センター長だった。私も3回くらい山本さんから筑波大学に呼ばれ、全国の大学事務局職員の研修会の講師をつとめたことがある。大学経営という観点から事務局職員のレベルアップのための大学院プログラムの開発にも山本さんは熱心だった。「大学事務職員のための高等教育システム論--より良い大学経営専門職となるためになどの著作もある。
2007/08/06
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食産業学部のある太白キャンパスで講演をお願いしてる樋口裕一さんを仙台ロイヤルオアークホテルで拾って車で送っていく。学長以下幹部教員・職員に紹介。講演のタイトルは「小論文の作法」。200人ほどの高校生が集まった。--------------------------------------------------作文は感想を書くもので、小論文は理念(どうあるべきか)を書くものであるから、ある主題に対してイエスかノーかを論じるものだ。小論文の小はひとつのという意味である。論文とは是非を論じるものだ。イエスかノーかを論じるから考える訓練になる。何事も「型」が大切だ。モーツアルトが生涯626曲を書いてそのうち200曲がものすごい名曲なのもソナタ、三部形式、ロンドなどの形式があったからだ。ドラエモン、水戸黄門も型があるから長いシリーズになった。800字程度の小論文は、4部構成。問題提起(10%)、意見提示(30%)、展開(40%)、結論(10%)である。問題提起は、イエスかノーか、正しいか、好ましいかを提示する。意見提示は、たしかに(反対意見)、、、しかし(自分の意見)という型を使う。展開は、イエスかノーかの根拠を一つか二つ示す。このとき大きな問題(民主主義、共生、日本の行方など)と絡めるのがコツだ。結論は、全体を整理する。賛否のメモ、構成メモ(これが地図)、そして肉付け。1.--だろうか。2.たしかに、、、しかし3.なぜなら4.したがって型通りの文章が書けるように、やさしい問題で練習をせよ。具体例を示すために知識が必要なので、新聞を読め。新聞は小論文と書き方は同じ。考え方の手本になる(特に投書欄)。知識を得ることができる。-----------------------------------------------------終了後、車で仙台駅まで送っていく。
2007/08/05
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今年のオープンキャンパスでは、模擬講義を担当した。100人規模の教室だったが、8割がた埋まっていた。「図解コミュニケーションへの招待--考える力を育むために」というテーマで50分の講義をした。付き添いの親が一番うなづいていたような気がするが、高校生たちは熱心に聞いてくれたと思う。青森や秋田からも参加していた。高校生の感想を記したアンケートの内容を以下にすべて記す。・物事の考え方が変わった。価値ある50分でした。文と図、人間とコンピュ-タに対する見方が広くなったような気がします。宮城大学に入学して、先生の講義を受けたいと強く感じました。先生のメールマガジンも読ませていただきます。それでは、受験勉強頑張りますので、来年会えたらよろしくお願いいたします。(青森)・自分の中で身近な、文と図は対等の関係であり、また私は、図のほうが文より確実で分かりやすく、すぐれたモノなのではないかと感じた。箇条書きは、自分でもよく使うモノだが、もっと見る人が分かりやすく、そして理解できるように、そして図を取り入れることを心がけていきたい。今の教育、政治、様々な場面において、文というモノが中心になっているが、それを図に全て変えたらそのように世界が変わってゆくか興味を持った。分かりやすく魅力のある講義だった。・一夜漬けの事実には驚いたが、それほど図と言葉で合わせて覚えると効率よく、そして長持ちするのだということを理解できた。また箇条書きについても、言われてみればそうだなあ、と「なるほど」とすごく納得できるものだった。身近な例から取り上げられており、分かりやすかった。図と言葉を使って覚えることを受験勉強にも生かしたい。(秋田)・この講義を聞いて、言葉だけではなく図を使うことがとても大切だということがよく分かりました。理解するためにも、人に伝えるためにも図を使っていきたいと思いました。図解Webはとてもわかりやすかったです。・本当に、図があるとちゃんと内容が記憶に残っている気がします。先生のHPなど。これから、今まで以上に図を活用できるようになりたいです。その中で、より人の心に残り、分かりやすいデザインができるようにしたいです。(在校生:デザイン情報学科)・図解するととても分かりやすくなって自分の疑問も、反論も明確になる。それを知ることができたのでこの講義に出れてよかったです。・春休みに伺った者です。模擬講義は少ししか受けられなかったのでホームページを拝見したいと思います。・とてもわかりやすい講義でした。・図を使うことで勉強の効率がよくなるので活用していきます。・箇条書きにするのがためらわれるので、図でかこうと思ったのですが、ずいぶん時間がかかりそうですのでやめました。図解を、今日のニュースからやってみます。素敵な講義でした。・今まで文字で暗記していたので、すぐ忘れていたので、これからは図とからめて覚えていきたいと思いました。・なるほどなあと感心することがたくさんあって、できることなら来年から講義を受けたいです。本を読みたいと思います。・確かに文章だけが並んでいるよりも、図解があったほうが、理解しやすく、記憶にも残るということを身をもって体験できた。ホームページのクオリティの高さに感動しました。・プレゼン能力が高まりそうな講義でした。ドラゴン桜のメモリーリリーというのもこれと同じ原理なのでしょうか、、。・話がまとまっていて聞きやすい内容でした。ホームページの方も気になりました。のぞいてみようと思います。ありがとうございました。
2007/08/04
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伝記と自伝は違う。人がある人物について評伝したものを伝記といい、その人物が自ら自分の人生を語ったものを自伝という。子供時代からリンカーンやワシントン、野口英世などの伝記はずいぶんと読んだ記憶がある。最近になって優れた伝記もいいが、本人自身の言葉で語る自伝に関心を持つようになった。伝記には賛美型のものや書き手の解釈が入り込むので何冊読んでもしっくりこないことがある。一方、偉人の自伝には自己主張、自己弁護、隠蔽、などがつきものではあるのだが、何よりも本人が語る内容に魅力がある。「作家の自伝」というシリーズが日本図書センターから出ている。第1期から第3期まで各20巻が出ており、その中の10冊ほどを手に入れて折に触れて私も読んでいる。このシリーズの監修者は、佐伯彰一と松本健一である。この佐伯彰一が書いた「「日本人の自伝」(講談社学術文庫)を読んだ。佐伯彰一は1922年生まれの東大教授で、アメリカ文学、比較文学が専門。自伝という分野は思想論と文学論の合間にあり、きちんとしたジャンルとして今まで誰も研究してこなかった分野で、この佐伯彰一が開拓した分野である。この本のもととなった単行本は1974年に出版されているのだが、そこにいたるまで20年の歳月が費やされていた。この名著の後も、この分野は大きく発展しているとはいい難いようである。詳しく読んだ部分は、以下の4人の自伝に関する評論だが、実に深い人間観察の連続である。私が実際に読んでいるのは福翁自伝だけで、後の人物の著した自伝は名前しかしらないが、内容が手に取るようにわかる。いずれこれらの自伝は読まざるをえないだろう。内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」---聖なる自伝福沢諭吉の「福翁自伝」---「俗」なる自我の魅力新井白石の「折たく柴の記」---武士的自我のかたち松平定信の「宇下人言」(うげのひとこと)---大ディレッタントの自我構造それぞれの自伝の内容とその評価をここで詳細に語ることはできないが、書き手の人生の中核部分、心の奥底を覗き込み、本質をつかみ出す著者の腕は冴えている。勝小吉と鈴木牧之から始まって、内村鑑三、福沢諭吉、フランクリン、新井白石、山鹿素行、松平定信、そして江間細香(頼山陽の恋人)、只野真葛(滝沢馬琴の恋人)などの女性の運命と残した歌などを材料に女流の自伝についての論を進めてゆく。佐伯の主題は、人はなぜ自伝を書くのか、である。
2007/08/03
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2年前にできた宮城大学食産業学部のある太白キャンパスで行われた「指定研究(地域共同研究)発表会」に参加した。今まで見学や会議などで数回このキャンパスを訪れただけだったので、今回は道を覚える目的もあって自分で車を運転して到着した。梅雨が明けて暑い陽射しの日だったが、現在3年生までの学生がいる新しいキャンパスの多目的ホールという雰囲気のいい部屋で行われた。これは大学研究費の一定の部分を地域の自治体・企業などとの共同研究にあてるという制度でついている研究費を使った研究の18年度の発表会である。主催は地域連携センターで、今回は事業構想学部2件、看護学部2件、食産業学部3件の、計7件の発表だった。・地域社会の健康管理のための次世代WEB支援技術に基づくネットワークの開発・宮城県産ローマ野菜プンタレッタのブランド化に関する研究--科学的側面から・農資源活用による農村・農業活性化を目的とした企業・NPOの参入特区等支援制度に関する研究・食品産業コンポスト化の新展開・勤労者の健康生活習慣改善のための企業と行政及び大学との連携による保健指導体制の構築・地域医療情報システムに関する研究・宮城県気仙沼・石巻地域を中心とした地域等の産業クラスター支援による地域連携と地域振興終了後の学長総括にあったように、地域のニーズを把握する、研究力を高める、具体的な成果を出すという地域共同研究の目的に沿った研究と実践が多かった。今回の共同研究の提携先を以下挙げてみる。宮城県産業保健推進センター・岩沼市民生部健康増進課、株式会社サイエンティア・大崎市民病院、宮城県産業経済部産業推進室・大河原地方振興事務所、農家、宮城県立循環器呼吸病センター・仙台医療センター・有限会社シルフィード、など。終了後、学長、副学長、事務局長、そして参加した先生数人と明るい雰囲気の生協で食事をする。他学部の個々の研究者の具体的な研究テーマはなかなかわからないが、この発表会で少しわかってきた。学内の共同研究は今後開発すべき領域だと改めて感じた。また今回の研究内容は大学の広報資源としても重要であると認識した。
2007/08/02
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もはやパソコンとインターネットがない生活は考えられなくなった。パソコンがウイルスやられたとき、持ち歩いているUSBの中身が立ち上がらなくなったとき、講演会の録音テープが切れたとき、携帯電話がうんともすんとも言わなくなったとき、デジタルカメラのバッテリーが切れたとき、、、、。こういうときは目の前が真っ暗になる気がする。外界との情報が遮断されると仕事も私生活もたちまち危機に陥ってしまう。それだけ時間の密度が濃くなっているのだ。そういうときにコミュニケーション手段としての機器の有用性を改めて感じることになる。ここ数年使っていた自宅のパソコンはセカンドライフを見るにはスペックが不足していたので、思い切って買い換えることにした。ソニーのボードパソコン19インチ型だ。ある時期から私はソニー製品を中心に品揃えをすることにしている。周辺機器がそのまま使えるからだ。このPCでは話題のバーチャル空間・セカンドライフを問題なく楽しむことができるし、地上デジタルテレビもきれいに映る。デジタルカメラもソニーのサイバーショットをずっと使っていたが、電池のもちが悪かったりして現場で困ったこともあったので、新発売のDSC-W200を最近購入して楽しんでいる。暗い場所でもフラッシュをたかずに撮影ができるので、室内での撮影などで重宝しそうだ。このところ散歩の途中にも持って歩き、意識して「花」を撮ってみている。携帯電話もミニSDを使うとデジタル録音ができるので、先日の講演会のときに試してみたが、きれいに録音されていた。小型パソコンを持ち運ぶかわりにウィルコムW03タイプを半年以上使っているが、会議の途中でもメールをみたり、ウェブをチェックできるので、ずいぶんと情報の入手が楽になって同時並行的に仕事が進むようになった。情報社会では危機は情報の遮断によって起こることが多い。自分の目や耳の拡張機能を持っている情報機器の不具合は日常の判断やアクションのタイミングに大きな影響を与えるから、持つべき機器の機能には注意を払わざるを得ない。できるだけ最新の機器に更新しながら、時間や労力の節約を目指したいと思っている。現代における個人の危機管理は、機器管理から始まると言ってもよいかもしれない。
2007/08/01
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