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「逝きし世の面影」(渡辺京二)を読み終わった。江戸時代から明治後期に確かにあった日本という文明、それはすでに滅びたという著者は、外国人が残した日本に対する印象、批評、感嘆、批判、などを克明に追い続ける。「美しい国」は確かにあった、と思わせる労作、そして今日のわれわれに感動を与える名著である。「逝きし世の面影」は毎日少しづつトイレで読むという読み方をした。1-2ヶ月はかかっているだろうか。感想は近々書くことにしたいが、この読み方は少しづつ身についていくという気がしてなかなかいい感じだった。トイレには本を置ける棚をつけているので、いろんな本を並べている。その時の気分によって手にする本も違ってくる。もう一つの読みかけの本は、ドナルド・キーンの「渡辺崋山」(新潮社)で、こちらは半分近くまで進んでいる。この人物の生涯も興味深い。藩の練達な家老、当代一流の蘭学者、時代を切り拓いた天才画家という複雑で多忙な崋山の人生の歩みも実に興味深い。また、新たに戦列に加わったのは、「知られざる魯山人」(山田和)という本だ。書家、てん刻家、料理人、陶芸家。多くの敵をつくり、死後も毀誉褒貶にまみれた人物。高級日本料理時代をつくった星岡茶寮。イサム・ノグチ、柳宗悦、青山二郎、小林秀雄など魯山人と同時代の魅力ある人物群との交流。数寄者、追従者、権力者など魯山人を取り巻く面々の織り成す人間ドラマ。この本を読み終えるのも楽しみだ。
2007/10/31
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googleが買収して話題になったyoutubeは最近よく見るようになった。最近、デジカメで意識して写真を撮るようにして、それをできるだけ毎日のブログにアップするようにしている。このデジカメには動画撮影機能がついているので、この前のゴルフの時に一緒に回った人のティーショットを映してみた。その動画を初めてyoutubeに恐る恐るアップロードしてみた。何事も新しい体験は興味深い。タグは、「80歳 」「ゴルフ」「ティーショット」」をつけてみたが、この動画は私の人生の師匠の野田一夫先生の勇姿である。最後の「ようーし、ナイスショートー」は撮影者の私の声だ。最近、野田先生は80歳になってゴルフに開眼し、よく飛ぶようになって220ヤードほどの飛距離になった。そしてスコアは90台の半ばの好スコアをマークするようになった。80歳を迎えた先生はエイジシュートではない目標を立てている。エイジシュートとは年齢と同じスコアを出すことである。普通は80歳代にで80台のスコアで達成するのが普通(85歳で85など)だが、先週のシニアでは65歳の青木功が最終日65という驚異的なスコアで、回りレベルの高いエイジシュートを達成し久しぶりに優勝の栄誉に輝いた。アベレージゴルファーにとってシングルプレイヤーになること、エイジシュートを出すこと、ホールインワンを出すことが夢であるが、どれもなかなか難しい。野田先生の新たな目標はエイジシュートではなく、80歳の内に90を切り80台のスコアで回ることだ(80歳で88とか)。これなら実現できそうな目標となる。こういう気迫、楽観的な志向が野田先生の魅力である。------------------------------------------------------午前中の修士論文指導、午後の学部ゼミを終えて東京日帰りだった。23時47分に仙台に到着。夜の会合では寺島実郎さんと一緒だった。
2007/10/30
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知研フォーラム298号が届いた。124ページ。裏表紙にはNPO法人知的生産の技術研究会の会員の最近の著作が4冊紹介されている。・船山信次「毒と薬の科学」(朝倉書店)・和泉育子「できる上司の聞く技術」(中経出版)・浅沼ヒロシ「泣いて笑ってホッとして、、」(メディア・サポート)・久恒啓一「図で考えることができる人、できない人」(PHP研究所)以下、目次。講演録「Something,different,Something,new」の世界と「和の世界」北岡和義エッセイ「日本人の握手」後藤英彦 「岡本太郎さん、藤山一郎さん、野口富士男さん、そして岳父」近藤節夫特別企画「きっとできる。あなたも本を出してみよう」浅沼ヒロシ人物記念館の旅「石ノ森章太郎、矢口高雄」久恒啓一セミナー・10月20日 関西20周年記念講演・重里俊之・10月24日 池中万吏江「団塊の世代のための自立生活」・11月28日 小野恒「土木の仕事を受注してから竣工するまでの表と裏の話」・12月7日 東京・忘年会・1月23日 溝江玲子「私が童話作家になれた、その方法」愛・地球博理念継承事業「市民大交流フェスタ2007に参加して」加藤仁一村木多津男のユーモアページ楽しい事典の話「大正3年の東京の家賃はいくら?」高階時子「一校正者からみた知的生産の技術」諏訪仁「地域経営における自治体の政策形成」海野進「イスラム研究」八木哲郎「教科書検定を検定する」----------------------------今後のセミナーについての情報は、近々下記にアップされる。 知的生産の技術研究会のHP:http://tiken.org
2007/10/29
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若者に圧倒的な支持を受けている梅田望夫の新刊「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)が11月6日に出る。「「ウェブ進化論」以降、膨大なネット上の同書への感想をすべて読みながら、一年半かけて考え続けてきたことの全て」を書いた本である。「竜馬がゆく」をもじったタイトルはなかなか素敵だ。大学生の息子にも読まそうとネットで2冊注文した。--------------------------------------------------------------序章 混沌として面白い時代 一身にして二生を経る/オプティミズムを貫く理由/「群衆の叡智」元年/グーグルと「産業革命前夜」のイギリス/学習の高速道路と大渋滞/ウェブ進化と「好きを貫く」精神/リアルとネットの境界領域に可能性/フロンティアを前にしたときの精神的な構え第一章 グーグルと「もうひとつの地球」営利企業であることの矛盾/グーグルはなぜこんなに儲かるのか/奇跡的な組み合わせ/グーグルの二つ目の顔/「もうひとつの地球」構築の方程式/「経済のゲーム」より「知と情報のゲーム」/利便性と自由の代償としての強さを第二章 新しいリーダーシップ人はなぜ働くのか/まつもとゆきひろが起こした「小さな奇跡」/オープンソース成功の裏には「人生をうずめている人」あり/ウェブ2・0時代の新しいリーダー像/ウィキペディアのリーダーシップ/「知と情報のゲーム」と「経済のゲーム」の間に起きる齟齬/事業機会を失ってもコミュニティの「信頼」を/なぜネットでは「好きなことへの没頭」が続けられるのか/良きリーダーの周囲に良き「島宇宙」ができる/総表現社会参加者層の台頭第三章 「高速道路」と「けものみち」高速道路を猛スピードで走る少女/日本のシステムで息苦しい思いをしている人のために/「高く険しい道」をゆくには/「見晴らしのいい場所」に行け/高速道路を降りて「けものみち」を歩く/「五百枚入る名刺ホルダー」を用意しよう/「流しそうめん」型情報処理、つながった脳、働き者の時代/「けものみち力」とは/正しいときに正しい場所にいる第四章 ロールモデル思考法ロールモデル思考法とは何か/なぜ「経営コンサルティング」の世界に進んだか/ロールモデルの引き出しをあける/「十九世紀初頭の新聞小説」とブログ/日本の若者を応援するときのロールモデル/自分の志向性を細かく定義するプロセス/ブログと褒める思考法/生きるために水を飲むような読書、パーソナル・カミオカンデ/行動に結び付けてこそのロールモデル思考法第五章 手ぶらの知的生産知のゴールデンエイジ/世界中の講義・講演を瞬時に共有できる時代/十年後には「人類の過去の叡智」に誰もが自由にアクセスできる/手ぶらの知的生活/これからの知的生活には資産より時間/ネットは知恵を預けると利子をつけて返す銀行/「文系のオープンソースの道具」が欲しい/群衆の叡智を味方につける勉強法/ネット空間の日本語圏を知的に豊穣なものに第六章 大組織VS.小組織情報共有と信頼/やりたいと思う仕事に自発的に取り組む/情報共有と結果志向型実力主義/有事には情報共有を前提とした組織になる/小さな組織は情報共有で強靭になれる/小さな会社で働き、少しでもいい場所に移ろう/「三十歳から四十五歳」という大切な時期を無自覚に過ごすな/自らの内部にカサンドラを持て/「古い価値観」に過剰適応してはいけない第七章 新しい職業「新しい職業」と「古い職業」/「新しい職業」の誕生を信じる人は「ウェブ・リテラシー」を/オープンソースが生んだ新しい「雇用のかたち」/「志向性の共同体」とスモールビジネスの経営/スモールビジネスとベンチャー/ビル・ゲイツの後半生を徹底肯定する/世界の難題の解決にネットが本格的に利用される時代終章 ウェブは自ら助くる者を助く人工国家に似た「もうひとつの地球」ができれば/より求められる「自助の精神」/サバイバル優先、すべては実力をつけてからあとがき---------------------------------------------------
2007/10/28
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雨の中、松島のホテル松島大観荘に出かける。復建技術コンサルタントという会社の年一回の幹部会での講演のためである。中期計画、業務効率化、業務プロセス見直し、販売、社員教育、コンプライアンスなどの発表などの前に、総括的講演として「合意」をテーマに1時間半の講演を行った。話の中にそういう話題を盛り込んだ。この会社は官庁を相手にした技術関係のコンサルタント会社で、仙台に本社があり、東北全県で300人弱の陣容で仕事をしている。公共投資の縮小で厳しい運営が続いているようだ。私の講演の前に社長の挨拶があり、業界や会社の現状がよくわかった。定性情報、図解思考、顧客視点、前業、考える社員の育成、経営の本質はコミュニケーションにあり、インフラと情報、箇条書き信仰からの脱却、説得型から納得型へ、垂直と水平の相似形、全体と部分、現場と見晴らし、理解と疑問と反論、合意形成、、、。社長以下70人ほどの幹部は楽しげに聞いていたような気がするが、、、、、。終了後、ホテルの温泉に入浴させてもらった。数年前、山形県の熱海温泉から講演依頼があって、温泉に入れると思って引き受けたが、実際は仙台でのキャンペーンに呼ばれて温泉に入れなかった記憶があるが、今回の講演は温泉つきだ。この話を枕にして講演を始めてみた。ホテルの湯には「判官の湯」との表示があった。源九郎義経が平泉の藤原家に身を寄せるときにこの地を通った。確かにこのホテルの地名は義経の名乗った判官だった。判官びいきのあの判官である。その判官にちなんでこの湯の名前をつけた。浴槽から松島の絶景が見えるが、あいにくの大雨で残念だ。このホテルでは、土曜日だったせいもあるだろうが、観光客を乗せた大型バスが頻繁に到着する。九州のある県の商工会議所などの名前も見える。また、夜にあるのだろうか、松島の近辺の小学校や中学校の同窓会のパーティが2つ準備されていた。この季節は遠くからの観光客と同窓会と企業の研修会がホテルの主なお客のようである。帰って、ダルビッシュの快投を楽しんだ。素晴らしい投手になったなあ。
2007/10/27
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インターネット電子図書館「青空文庫」は、著作権の消滅した作品(著作権は50年)と、著者や出版社が「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキストとHTML形式で公開するという素晴らしいサービスをしている。私たちは漱石や芥川や太宰の作品をパソコン上で自由に読めるようになった。この青空文庫が今年10周年記念して画期的なプロジェクトを実行している。青空文庫の一式をおさめたDVD-ROM付き冊子『青空文庫 全』を、約8000の図書館に寄贈する。この計画は、社団法人日本図書館協会との協賛事業である。DVD-ROMには、青空文庫収録作品のうち、著作権の切れた作家と翻訳家407名の、約6500点がおさめられている。10月27日からの読書週間に合わせ、公共図書館、大学、短大、高専付属図書館計約3000には10月末に、高校図書館5000には11月20日ごろ届けられるそうだ。この費用は300万円で、青空文庫のトップページの広告収入からの蓄積金でまかなうという。ということは、全国の図書館に6500冊の本が一気に寄付されることになる。蔵書数の増加に腐心しており、そして文芸書の購入数が少ないという悩みを抱える私の大学の図書館(私は責任者)も文芸関係の書籍が一気に6500冊増えるということになり、大変ありがたいことだ。今、公共図書館、大学図書館を問わず、財政の悪化で図書購入経費の捻出が課題となっているからこれは朗報である。このDVDは図書館でコピーを自由にしていいから貸し出しもする側される側も実に便利だ。著作権については、50年から70年に延長しようという動きがあり(多分、著者側の主張に沿うもの)、そうなると文化の蓄積を生かそうという青空文庫のような流れが停滞してしまう。青空文庫はこの反対キャンペーンの一環としてこのプロジェクトを実行したということである。50年後も市場で生き続けている本は少ないから、私たちは無料で、あるいは図書館で昔の本を手にすることができることは素晴らしいことだ。インターネット時代はこういうことが起こるから面白い。このプロジェクトと青空文庫の果敢な試みを支持する。青空文庫の主張は、全国の図書館関係者と利用者の支持を受けることは間違いないだろう。
2007/10/26
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PHP研究所から新著が配本された。思えば久しぶりの図解そのものに関する本である。しばらく若いビジネスマンを励ます本や、図解の技術を経済や思想の分野に適用した本が続いた。今回の本は比較的初心者向けに改めて「図解コミュニケーション」の考え方と技術を整理して伝える内容となっている。基本編14、実践編23、技術編29の合計66のテーマで書いている。タイトル:「図で考える」ことができる人、できない人 サブ:仕事と人生を変える思考技術トレーニング66題オビ:すぐに使える!どこからでも読める! 自分の仕事に活かせる!!ウラオビ:図に特別なセンスや才能はいらない! 図解とは凡才が他人に差をつけるための最強のツールである!全187ページ出版社:PHP研究所価格:1100円タイトルは、「図解のプロは知っている」といいうまくらをつけるという提案だったが、私は子供の頃のNHKの人気テレビ番組「私だけが知っている」(推理番組)を想い出しおかしくなって、賛成できなかった。「図で考える」は私のトレードマークだから使うのはいいだろう。「できる人、できない人」はシリーズの一冊として企画が始まった頃からのワーディングである。以上のようなやり取りがあって、結果的に上記のタイトルに落ち着いた。本のタイトルづけはなかなか難しい。編集者、著者、そして営業の意向などが絡まって決まっていく。気がついたら今まで70冊以上の本を出してきたが、著者が決めるというケースはあまりないように思う。売れるか売れないかは著者以上に出版社に大きな影響があるから、そうなるのは当たり前だろう。良かった場合と悪かった場合があるが、結局は売れた場合はタイトルが良かったということになるし、売れなかった場合はタイトルに原因を求めることが多いように感じている。今回はどうなるだろうか。
2007/10/25
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10時:河北新報記者来訪12時:総合研究13時:広報室ミーティング14時半:インターンシップ学内報告会15時15分:改革委員会17時:評価委員会19時:プロジェクト会議綱渡りのような一日だったが、今日のメインは2年生がこの夏に行ったインターンシップの学内発表会だろう。私はこのプログラムの責任者だが、今日の発表会では5人の学生を担当した。それぞれの学生がインターンシップで学んだことをパワーポイントを使って8分間の発表を行う。発表5分、質疑応答3分。インターンシップ研修先は様々だが、地元の仙台を中心とした企業等にお願いしている。東日本放送(テレビ局)、宮城県中小企業家同友会(中小企業の経営者の会)、タカラ米穀(米を中心とした食品会社)、紀生(美容)、菓匠三全(有名な菓子企業)などでの体験でそれぞれ成長してきたという印象を持った。テレビ局ではオンとオフの切り替えの速さ、中小企業家同友会では企業経営者の問題意識の高さ、タカラ米穀では米についての知識、紀生では経営と現場の意識、菓匠三全では新商品開発の話などが印象に残った。みんなリアルな報告だった。ある学生はためになったこととして、「仕事はイヤなことでなければ、まず就いてみて3年すると必ず興味を持つようになる、とアドバイスを受けたことで気が楽になった」と語っている。こういうアドバイスは本当にありがたいことだ。他にも、ユーメディア、七十七銀行、日立キャピタル、ダ・ハ プランニング、インターサポート、仙台観光コンベンション協会、日本旅行、ホテル仙台プラザ、ホテルメトロポリタン仙台、せんだいメディアテーク、渡辺プロダクツ、せんだい・みやぎNPOセンター、仙台文化事業団、サイベイト、宮城県地域振興センター、、、などの企業等にお世話になった。多忙な中、足手まといになるであろう学生を丁寧に扱っていただいた地元企業の方々に感謝する。今日は学内発表会だったが、11月には研修先企業をお招きして大掛かりな発表会を企画している。
2007/10/24
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昨日に引き続き、放送大学の撮影。ゼミでの講義、学生同士の図を用いた発表や議論の様子が撮影された。中国人留学生自身が参加することになった「アジア人財資金構想」と、社会人学生のヒットラーと経営を結びつけた「卒業論文の構想」が撮影時に議論されたテーマとなったから、発展性のある議論となってよかった。遠山先生との二度目の対談コーナーの撮影は、図をその場で描きながら説明を加えていくというやり方、その過程での質問に答えていくというやり方だから、昨日よりはリラックスして説明ができた。手描きの図は、「ビジネスコミュニケーション」「考えること」「プロジェクト」「ライフデザイン」と4種類ほど描いてみた。放送大学客員教授の遠山先生は、来年度用に5本の撮影を受け持っているそうだが、ホストとしてゲストへの出演交渉、シナリオ書き、そして俳優というマルチな役割を担っていて、なかなかの激務だ。事前から本番までゲストとの信頼関係の構築にも気を使わなければならない。テレビというメディアでは、流れが大事だからホストの質問が唐突にならにように一言一句吟味しなければならない。また撮影チーム全体としては、座る位置(出演者は右利きか左利きか、、)、採光の状態(カメラの位置取り、、、)、音に対する配慮(エアコンの音、風の音)、指し棒を使うときなどの陰に対する対応、出演者への目線の指示、声の確認など細かな事項のチェックや迅速で適切な対応が求められる。この映像は全部で45分程度のハイビジョンで編集されるとのことだが、一ヵ月後には出来上がるそうだ。どんな内容に仕上がってくるか、楽しみだ。
2007/10/23
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来年の放送大学のある講座の中に「図解表現」という授業が予定されている。月曜日と火曜日は授業と会議の合間にこの撮影があり、綱渡りのタイムマネジメントとなる。放送大学の遠山先生、NHKの関連会社のスタッフが4人、研究室にみえる。NHKの文芸関係のディレクターだったという年配のチーフ、きびきびと動き指示を出す若い女性ディレクター、そして体格のいい男性カメラマンが二人というチーム構成である。テレビというメディアは時間と人手がかかる労働集約型産業という面がある。月曜日の朝の学長補佐会議を終えて、あわただしく挨拶をし、すぐに人的資源管理の授業にでかけ、終了後に打ち合わせ。その後、3時頃から実際の撮影に入る。大がかりでスタジオ並みの撮影となった。カメラは1カメ、2カメとあり、人と資料を撮影する。遠山先生からの質問にフリップを見せながら答えていくというスタイル。また、研究室で遠山先生が入室され、挨拶を交わす場面も撮影する。大学の研究室を見慣れているスタッフは私の研究室にも興味を持った。研究室の本の整理の仕方、書類の整理の仕方にも関心があるようで、そういう質問を受けて説明を行った。全てが目に入るように図解的な観点からの整理学であるという答えぶりをする。明日は、ゼミの撮影と、遠山先生との二人の会話を撮る予定。
2007/10/22
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まだ20代の頃の話です。---------------------------------○汲み取り料金を払わないと…独身で一人住いの場合、最も困るのは何だと思いますか。食事でも洗たくでもありません。人間が日々の生活を営む上で、この社会の仕組みを根本から支えているもの、つまりは、税金や公共科金の類をどうやって納付するかという手段が問題になるんです。そもそも国というものは、その国民から税金を取り立てて、その資金でもって国民生活に必要な様々な事業を行うものです。それは、重々わかっており、悪気はないのですが、結果として、そういう仕組みにタテつくことになることがままあります。あまり自慢になる話ではありませんが、そういう話を少しばかり。夢のようなロンドンから帰国したあとは、千葉県のある市に一人で住もうと決めて、二、三の不動産屋をめぐりました。いかにも土地の不動産屋という感じの、人の良さそうなオヤジにだまされて、一戸建てに住むことに決めました。契約はしたものの、この家はひどいところです。二Kしかないのですが、この家は、道路に面しており、車の通る音もきこえますが、もっとひどいことに、この家の前は、K電鉄が通っておりますし、反対側の窓からは、S線の高架が走っているのがみえます。そしてその二つの線が最もせばまったところにあるのですから大変です。家の中にすわっていると、左の耳には、地ひびきをたてながらK電鉄が走ってくる音が入ってきます。右の耳には、快速電車がヒューンと風を切りながら走り去るのがきこえてきます。しかも悪いことに、家の前は踏み切りになっており、K電鉄が近づいてくると、警報機がチーン、チーンと長い時間鳴りわたりますが、電車が線路をこする音が最高潮に達し、やっと小さくなり始める。「あーあ、やっとすぎたかあ」と安心するや否や、おどろくなかれ、今度はチンチンチンと、そのにっくき警報機がケタタマシク鳴り始めます。何事ならんと窓をあけると、今度は、反対側から電車が走ってくる。どうしてこういう風になったかと言うと、都会の人間は、気が短いものですから、左方向から電車が来て通りすぎると、急いでわたろうとして、右側からくる電車に気がつかなくなり、大変に危険であるから、おどろかすためにそういうしくみにしてあるんだそうです。又、おまけにこの京成電車は、本数が多く、しかも朝が早い。したがって、朝は5時頃から夜は12時頃までチーンチーン、ゴオー、チンチン、ヒューンとまことに騒々しい。初日はねむれないので、不動産屋のオヤジに「ひどいじゃないか」とどなりこんだところ、「いや、大したことはねえよ。人間つうのは、何にでも慣れるもんだで。普通の人なら一ケ月で慣れるが、あんたは気分が大きそうだから、一週間もあれば、慣れるさ」と太鼓判を押してくれます。何となくほめられたような気になって、暮らしていますと、三、四日経つと、あまり気にならなくなりました。さすが長年生きているオヤジだけあって、よく人をみているものです。この家のもっとひどい所は、これも不動産屋のオヤジにだまされたのですが、。なんと、トイレがくみとり式なのです。東京で、しかも花のロンドンから帰ってきて住む所が、くみとり式というのは.ないだろうと思ったものですが、本当にこれは失敗でした。くさいのはフタをすればがまんできますが、面倒なのは、市役所から、時おり、料金の請求がやってきます。「くみとり料金を払って下さい。今月は何百円です。」例によってほったらかしにして暮らしていますと、だんだんキツメのレターが舞い込み始めました。それでも放っておくと、最後通告がやってまいりました。世の中に、これほど無慈悲で、しかも人の弱味につけこんだ言葉はありますまい。「○月○日までに支払わなければ」おお恐ろしい、「○日より、くみとり停止処分に処す」と書かれてあるではありませんか。もしも、くみとりが停止されたら、と考えると恐ろしくなってきました。これには、さすがの私も、権力の圧力に屈しました。会社を休んで、市役所まで、払いに行ったものです。権力ってこわいですね。○人は、その人にふさわしい事件にしか出会わない! こうやって来し方を振り返ってみると、自分にとっては悲惨で恥ずかしい出来事の連続であったということができます。本人にとって悲惨な出来事は、他人にとってみると滑稽な出来事である場合が多いとはよく言ったものです。 私はずっと自分にはどうしてこうおかしな出来事が起こるのだろうかと不思議に思っていました。そしてある時このなぞが解けました。それはある本の一節にこうあったからです。「人はその人にふさわしい事件にしか出会わない」 結局、自分の身の回りで起こっていることは、自分が周囲を巻き込んで起こしていることなのだとわかった時、私は初めて合点がいったのでした。「そうか、すべて私が引き起こしたことだったのだ」と。
2007/10/21
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新横浜から新幹線のひかりに乗り込み、東京からの知研の八木会長と待ち合わせをして、隣の席にかける。ずっと、ゆっくりとよもやま話をしながら新大阪へ。午後2時からは、大阪駅前の大阪産業大学の社会人向けキャンパスで行われた知的生産の技術研究会関西支部の創立20周年のお祝いの会に出席する。始まる前に流していた20年間の写真のデモンストレーションは編集のよさもあって時間の重みを感じさせるものだった。歴史の本質は記録である。創立メンバーでこの会をすっと引っ張ってきた水谷さんがまず1987年からの20年間をユーモアたっぷりに振り返る。思い出の研修旅行、講演会、パーティ、、、。小田実、寺島実郎などの講師の姿もあり懐かしい写真を見ながら20年という長い時間を参加者全員で共有する。河西さんというもう一人の創立メンバーは記録魔で、例会の出席者数なども即座に説明してくれる。理事長あいさつということで、私は10分ほどのお祝いのスピーチ。・歴史は記録のこと。・人間の偉さは影響を与えた量ではかることができる。組織も同じ。・知研37年でセミナー500回以上、機関誌300号、出版20冊以上。・人物記念館は6館と少ない大阪の地で知研という組織が20年続いたことが素晴らしい。・知研も関西も「少子高齢化問題」を抱えている。若い入会者の少なさと会員の高齢化。・今後、フローをストックに変えていく努力をしよう。・そのポイントはウェブである。八木会長からは、ホームページをポータルサイトにしていくという決意が述べられた。知研の顧問をお願いしている大阪産業大学の重里教授の記念講演。・教育現場の現実。インテリジェンスの二極分化、二つの正規分布。ゆとり教育の結果。・有名高校のカスをとる戦略・文高理低。偏差値の真実。・バーチャルリアリティの時代。現場感覚の欠如。・現実体験。職人的体感。抽象と具象の結びつけ。職人的に鍛え上げていく。・科学は枝葉の学問という意味である。分業の進展。宗教が総合的人間学だ。・21世紀は総合判断力と俯瞰する能力が大事。・大阪産業大学経営学部アパレル産業コースの実験。美人、ままごと、入学前研修、客員教授か客員講師か。産業限定戦略。衣食住。・知研の課題。総合学・行動学・人間学。個性の強い、笑いの多い、そして示唆に富む、素晴らしい講演だった。居酒屋での二次会。25人ほどの出席。東京、岡山、仙台からの出席者と関西知研のメンバーが入り乱れて実に楽しいパーティになった。私は最終の飛行機で仙台へ。10年後、知研本体はなくなっていたとしても、知研関西は生き残るのではないか?
2007/10/20
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横浜で弟と夕食を摂る。二つ違いの弟は自動車メーカーのエンジニアだが、同じ大学の出身だから、同時期に何年か同じキャンパスで過ごした。4年生になるとき、寮の相部屋の住人が卒業していなくなるので、弟に一緒に住んだらどうかと誘った。「一緒に住まないか。兄弟といっても職業をもつようになるとなかなか接触はできなくなる。共通の思い出を持とうじゃないか」という私の提案に弟もうなづいて1年間一緒に暮らした。弟は麻雀の腕前はプロ級だったので、就職がきまった私はマンツーマンで麻雀を習った。この寮にはオカシナ連中が大勢いた。日立にいったB君、重工に就職した人、銀行マンになったC君。こういう連中と毎日麻雀をやったり遊んだりしていた。横浜で一緒に飲みながら当時の事件を話題にして飲んでいたところ、あまりのおかしさとバカバカしさに涙を流しながら笑ってしまった。数十年後、確かに共通の思い出が残り、幸せな気分を味わえたことになる。あの時のメンバーはいったいどうしているのだろう?
2007/10/19
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30歳ころに入った勉強会で、当時の幹事だった人からこのブログに書き込みがあった。機関誌の編集などの細かいことを指導してもらた人だが、会津八一のことを調べていて私の人物記念館の訪問記を見つけたとのことだった。確かに当時の幹事だった物知りのSさんとこのMさんが会津八一のことを話題にしていたとの記憶がある。当時の私はなんのことかわからなかったが、最近この人物の記念館を訪問したが、それが久しぶりの連絡のきっかけとなった。この勉強会の第一期はこの先輩たちの時代で、私たちの時代は第二期になるということだろうか。土曜日はこの勉強会・NPO法人知的生産の技術研究会の20周年記念行事があり、会長の八木さんと会う予定と返信を打っておいた。このタイミングで連絡があったのは、不思議な因縁という感じもする。
2007/10/18
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来週末に発刊予定の新著の見本が届いた。ここしばらくは、「通勤電車」、「前業」など若いビジネスマンを励ます本や、「世界の名著」、「今の日本」など、図解の応用としての思想史や経済分野の解説書が多かった。今回は、久しぶりに「図」の良さ、素晴らしさを初心者向けに改めて伝える本となった。タイトルは「「図で考える」ことができる人、できない人」で、サブは「仕事と人生を変える 思考技術トレーニング66題」だ。詳細は、来週記す予定。---------------------------今日は会議の日。9時:総合情報センター運営会議10時半-12時:パンフ編集会議12時ー13時:総合研究14時半:教授会16時半:大学院教授会
2007/10/17
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2004年に「図で読み解く!ドラッカー理論」(かんき出版)という本を上梓したことで、ドラッカー学会の設立などにも声がかかるようになった。こういった流れの延長線上に「マネジメント」の発明者であるピーター・ドラッカーに関する書籍の企画がいくつかあるようで、ドラッカーの研究者でもないのだが、私も巻き込まれている。本日、ドラッカーに関する本の企画のインタビューを夕刻から1時間半受けた。12月に出版予定の企画であるが、ドラッカーの主張のまとめと何人かのドラッカーの信奉者のインタビューで構成された本になるとのことだ。事前に送られてきたインタビューの質問事項は以下のとおりで、これに沿って私の考えを述べた。ドラッカーの主張と、実際のビジネスの場面などでその教えがどのように生かされたかという視点から答えてみた。1.「図で読み解く!ドラッカー理論」の著者でもいらっしゃる久恒さまですが、ドラッカーの大ファンだと著書にも記されていました。ドラッカーの著書とどのようにして出会ったか、どういう影響を受けたのか、お教えいただければ幸いです。2.ドラッカー自身は、あまり図解が得意ではなかったという話もあります。あえてドラッカーを図式化することで、見えてくることは何でしょうか?3.数々の功績の中でも、ドラッカーが「マネジメント」を世に広めたことは、特に大きいと思いますが、久恒様はドラッカーの理論をどのように読み解いていらっしゃいますか?特にドラッカーの理論の中で、深く影響を受けた部分がありましたら、その部分の図解をお願いできませんか?4.特にNPOに深く関わっていらっしゃる立場から、ドラッカーのNPO論について、何かお話いただけますか。こちらも何か図解をお願いします。5.まだドラッカーと遭遇していない若い世代に、ドラッカーの魅力をお伝え下されば幸いです。またこれからの世の中に、ドラッカーがどのような影響を与えると思われるか、考えを伺えれば幸いです。
2007/10/16
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「これ(ロングインタビュー)に答えることは私にとっての大きなリスクを冒すことになります」という言われて始まったインタビューだと著者の木村元彦は語っている。オシム監現スニア・ヘルツエゴビナ、サラエボ生まれ・旧ユーゴ代表で欧州選手権準優勝・現役生活12年で、85得点、イエローカードを一枚も提示されなかった。・W杯で母国ユーゴ代表監督としてベスト8、ギリシャカップ戦を制す。・シュトルム・グラーツでは就任後、3年でリーグ優勝・リーグ優勝2回、メンフィスアップ優勝3回、スーパーカップ優勝3回・03年よりJリーグ・ジュフ市原・千葉監督として活躍・現在日本代表監督この本の中から印象に残った言葉を記してみる。日本代表の試合を見る楽しみが増えた。・君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ。・しっかりとしたチームを作りたい。 そこから先、勝てるかどうかは相手チームに聞いてみましょう。・ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に肉離れをしますか? 準備が足らないのです。・アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。・システムというのは弱いチームが強いチームに勝つために作られる。・(戦術ではなく)ムービングこそが、最も重要だと思っている。・重要なのは、ミスをして叱っても使い続けるということだ。 選手というのは試合に出続けていかないと成長しない。・自分たちのために、自分のやれることをやり切るということが大事だ・夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、 現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう。・作り上げることは難しい。でも作り上げることのほうがいい人生だと思いませんか?・リスクを冒す哲学
2007/10/15
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野田一夫先生(宮城大学初代学長)が毎週2000人の友人に配送している葉書通信「Rapport]の669号(10月10日)が届いた。以下転載する。私が毎週出しているメルマガや毎日書いているブログのモデルは、この野田先生のRapport(ラポー)である。このモデルをITを使ってやってみているということになる。今回このブログに載せた写真は、先日のゴルフの時のもの。(中央は野田先生、右は二人のゴルフの師匠の富田秀夫さん、左は私)裏磐梯のボナリ高原ゴルフクラブ。後ろに見える山は安達太良山を裏から見た姿。80歳の野田先生のドライバーはよく飛び、3人のボールが並ぶことが多い。----------------------------------------------------------------------いつか誰かに読まれると思わずに日記を書く人はいないでしょう。古今東西の有名人の日記の多くは、(後に編集出版されて)歴史的資料や文学作品として高い評価を受けてきました。それでも昔の人は、自分の日記が他人に読まれることにためらいを感じたようですが、現代人となると、私事や私見を公開することにむしろ積極的意味を感じており、それが「自分史」とか「ブログ」のブームの素地となったはずです。ところで、20年余りつづいている僕のRapportは「日記の代わりの週記か?」と問われれば、答えは「yse&no」。人生記録としてではなく、親しい友人・知人向けの手紙として書いている点でnoですが、毎日ではさすがに書く材料に窮する日があるが故に毎週という点でyseなのです。そういえば、ジッドにしても荷風にしても、日記を読むと、書き記すほどのことがなかった日は多かったようです。意外です。Rapportは僕が開発したメディア。中年になって交友範囲が広がり過ぎ、交友を暖めつづける時間の絶対的不足対策に、「自分の最新最大の関心事は何で、なぜ感激しなぜ憤慨しているか、、、、」を毎週一方的に書き送りつづけてきたわけです。それともう一つの大切な目的は、最近知り合った素晴らしい人物について報せること、希望されれば、僕の友人たちにもその新しい友人を紹介したいという求めがあるからです。先週は僕のオフィスで、近藤昌平君から登山家の栗城史多君(世界五大陸の最高峰を単独登頂し、あと二大陸を目指す頼もしい日本青年)を、また「イタリアワインの会」で、英正道君(イタリア大使)からダイリオ・ポニッスイ君(オペラ演出家として有望なイタリア人)を紹介されました。友人を交え両君との交友を深めていくことが、僕の生き甲斐です。-------------------------------------------------------------ゴルフの途中で野田先生から聞いた言葉。「成功の反対は失敗ではない。何も目指さないことだ」これも素晴らしい。
2007/10/14
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今週末の土日は大学祭。この日は学生の父母で構成する大学の後援会と教員たちの懇親会をいつも行っている。今回は父母40数名、教職員30名で過去最も多くの人が集まった。今回は二部構成で、第一部は馬渡学長の講話、第二部は懇親会。学長講話のテーマは、「宮城大学の法人化」である。1年半後に迫った公立大学法人化への取り組み状況の説明を父母の皆さんは熱心に聴いておられた。この中で「良い法人化と悪い法人化」という観点から国立大学法人化と公立大学法人化を眺め、設立者が法人化を経費削減の手段とする悪い法人化とと、教育・研究の強化という改革のために大学の自律性を強化する良い法人化があると説明。良い法人化のために必要な経営資源の確保(出資・無償譲渡、運営交付金)と十分な自立的運営能力(自律的運営に合致した枠組み・定款等、法人化の趣旨に合致した内部制度設計、高い能力の運営陣)を挙げた。最後は良い法人化を前提とした「法人化でどうなる?」だった。1.名前が変わります。公立大学法人宮城大学。2.県の大学との関係が変わります。県は法人の設置者(財産出資、運営交付金、中期目標)3.理事会が法人の運営に当たります。4.理事長は学長がなります。5.学長は初代は知事が選び、次から学長選考会議が選びます。6.審議機関は、経営審議会と教育研究審議会。7.3学部体制は定員も含め当分現行どおりです。8.大学院には博士課程、食産業学の修士課程もできているはずです。9.認定看護師養成スクールが開学しています。10.中期目標に、学生の達成度と満足度の向上が上がっているはずです。11.授業料は、多分しばらくは上がりません。上げるには議会の承認が必要です。12.学生の窓口時間が便利になります。13.学生の就職、留学支援は強化されていると思います。14.教員も職員も公務員ではなくいなります。15.新しい方法で先生方の採用選考を行うことになります。16.プロパー職員という県職員出向以外の採用も行われます。17.教職員の評価が強化されます。18.教職員の服務条件が変わります。19.非行の教職員はすぐに処分されます。20.教育の質や学生サービスは向上していると思います。21.同窓会が出来ていると思います。22.後援会は、在校生の父母の会として、大学と学生の支援で大きな役割を 果たすことになていると思います。(要望、期待)23.競争力のある、卓越した教育研究拠点になっていると思います。(悪い法人化だと多くは反対になります。 今、県及び大学の関係者は、良い法人化になるようがんばっています)
2007/10/13
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もう四半世紀以上も深く関わってきたNPO法人知的生産の技術研究会(知研)のホームページ刷新プロジェクトの第一段階がようやく終わりつつつある。この夏は毎週一定の時間をとって、ホームページの設計に関する相談や作業をしてきた。まず、どのようなHPにするかというアイデアを出す段階があった。つくりたいHPのイメージを自由に制約なく発想していく。何度かアイデア出しを行っていると、まだはっきりしないがもやもやとしているが形が現れてくる。イメージングと呼ぶべき着想の段階である。次に、具体的なHPの形に落とし込む段階が出てくる。技術的な検証を二の次にして、まとまりのある全体像を形にしていく。全体を構成する部分を書き出しながら、部分同士の関係を考えながら、全体の形を整えていく。部分は部分として独立しているわけではない。他の部分との関係の中で存在しているから、トップ頁の中での関係や階層の中での関係なども考えながらつじつまを合わせていく。これは構想の段階である。そして形が固まってきたら、それを実現するために、労力、技術、予算、期間、という様々な制約を受けながら、具体的な設計に入っていく。技術の進歩で思わぬ便利な機能が付加できたり、思いもよらぬ難題が襲ってきたり、コミュニケーションがうまくいかずに時間がただ過ぎていったりする。それを手持ちの資源で何とかクリヤーしていく。具体的な問題解決の連続となる。これが計画の段階である。この着想、構想、計画の各プロセスを経て、ようやくある姿が見えてくる。次は、責任を分担すべき人々にその姿を開示し、意見をもらい、修正する段階に移る。彼らは初めて形になったものを見るし、今生きているHPのイメージも頭に残っているので、想定外の考えもたくさん出してくる。だからこの前の段階でつめすぎないにして懐を深くしておくことが大切である。一緒に完成させていく。すぐに取り入れるもの、違う形で吸収するもの、こちらの考えを説明して説得するもの、予算の制約からあきらめるもの、将来の課題とするもの、などに細かく対応し、スピード感を持って決めていくことが必要だ。ここで関係者のチームとしての連帯感と責任感が出てくる。この過程を経てHPは、しっかりした形になってくる。これは関係者の合意のプロセスである。そして、会員にこのHPを公表する。すると熱心な会員自身の立場からみて不十分な点について苦情が出てくる。なるほどと思うものは修正するが、この段階では、できあがったHPの考え方を壊すことなく、何とか工夫をして意図を取り入れるという忍耐力を持って智恵を出していく。着想の段階から始まった長いプロセスにおいては、民主的に意見を吸い上げるが、最終的には一人のリーダーが判断し決定するということが大切である。リーダーはこういう気概をもって、構想が崩れないように大きなことから小さなことまで目を光らせていなければならない。HP自体は、データベースでもあるが、基本は的な性格は「場」である。この場に参加を促し、様々な機会を活用してPRしていくことが必要な段階に入ってくる。ここで必要な力は組織体としての広報力を含むコミュニケーション力である。場を活性化する力だ。知研のHPはこの段階だが、ぶれることなく、前向きに進めていかねばならない。今から大事なのは、楽観的な考え方と確信、オープンな態度、そして継続する力である。NPO法人知的生産の技術研究会 http://tiken.org/
2007/10/12
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19世紀の後半、有名なべルの手になって完成した電話は、電流による音の伝達という方法によって発明されたもので、いわゆる技術革命の一つの結晶ともいうべきものです。それ以前の世界においては、人はお互いの意思を確認するために、長い時間をかけて直接に会うか、あるいは手紙に託すしか方法はありませんでした。ほんの百年前に発明されたこの機械は極めて便利なもので、今日では、私たちは日本の国内はもとより、外国とでもダイヤルをまわすだけで、話ができるという夢のような時代に入っています。ところで、独身の一人住まいとは、一言で書くと、何事も面倒くさいという精神が基本に流れていますので、使う時は、文明の利器の有難さを満喫しているにもかかわらず、その正当な代償である料金を支払う段になると、とたんに、メンドウになってしまいます。「面倒な事なんてないワヨ。銀行の自動振替を利用すれば良いのヨオ。」と世の奥様方はおっしゃるにちがいないのですが、それは私に言わせれば、独身の男というものの実体をご存知ないからなのであります。電話局から、前月分の電話料金の請求書がくる。いつ払おうかなあと思いながら、いつしか世の雑用にまぎれて忘却してしまう。こういうことが何回か続くと、ある日突然どこからも電話がかからなくなります。電話というのは、使える時はまことに便利なものですが、ないとなると、別に生活ができないというものでもありません。日本でも何度か、電話をとめられたことはありますが、事はイギリスでも同様であります。ところがまずいことに、料金の請求は、英語です。払わないと、何度か請求書らしきものが来るのですが、日本語による「お願い」「督促」「脅迫」というのは、何となくニュアンスがわかるものですが、英語というのは、大体のことはわかるつもりですが、あまり説得力がないものです。しかしさすがは、イギリスの電話局です。三回目か四回目の請求書は、なんと、赤い字で来るんです。多分、これが最後通告だゾという意味でしょう。ほおっておくと、数日後、突然電話が止まります。日英比較では、イギリスが、赤い文字で最後通告がくるということが違うだけでした。電気料金、奨学金返済金、税金と、色々なものを……悪気はなくて、ただメンドーなだけなのですが……払ってこなかった私ですが、今まで一番こたえた制裁は次のケースでありました。(次回)
2007/10/11
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今日は朝からスケジュールが目白押しだった。「会議の技術」をテーマとした本を書く必要があるかも知れないなあ。---------------------------------------------------8時20分:出勤8時40分:広報室ミーティングで入試関係パンフの打ち合わせ(統一性とリアリティの確保)10時:事務局とパンフ作成のスケジュール相談(手順、コミュニケーション、成果のレベル)10時半:秘書と懸案事項の一括処理、各種連絡(スピード!スピード!スピード!) 出張スケジュール、問い合わせへの回答、、、 出版社との連絡、電話での放送大学講座打ち合わせ11時半:友人の富田さんが現れて、しばし歓談(忙中閑あり)12時:3年生の「総合研究」で4人の学生たちと初顔合わせ(仕事は仲間をつくる) 今後のプロジェクトの相談14時:学科教授会(17時過ぎまで)(「会議の技術」をテーマとした本を書かねば、、、)17時:東京から出張で見えた出版社の編集者と打ち合わせ(決裂回避で企画が進化する) 18時:プロジェクト会議(20時まで)(三人寄れば文殊の智恵)20時:帰宅
2007/10/10
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私の担当しているゼミに東北学院大学経済学部の先生と学生たちが見学に見えた。目下先生と松村先生と、目下先生のゼミの学生たちである。目下先生のゼミは東北学院大学の他のゼミの見学活動をしているそうだが、このたびは学外に出て近くの宮城大学のゼミの見学をすることになった。先生のゼミで私の著作を教科書がわりに使っているそうで、私に連絡があって実現した企画である。向こうも3年生、こちらも3年生。このゼミが過去8年間やってきた活動と考え方を説明した後、今日出席した4人の私のゼミ生の図解を使った発表を行い、質疑応答、そしてアドバイスというパターンでゼミを行い、引率の先生たちも参加して賑やかに進行する。今日の学生たちのつくってきた図のテーマは、ドラッカー、カネボーと産業再生機構、人材育成構想、摂食障害だった。終了時には、私のホームページのサロンかこのブログへの感想の書き込みを義務付けたが、書いてくれるだろうか?
2007/10/09
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関が原の戦いで破れた西軍の大将だった120万石の長州藩の藩庁は広島にあったが、36.9万石に減ぜられ萩へ移った。そして266年間にわたり栄えた。今回の旅は明治維新の旅だった。--------------------------------吉田松陰松下村塾8畳(講義室)と後に増築した10畳半(宿舎)という狭い空間で一年間の教育だった。最盛期は70-80人。時に松蔭は27歳。塾生が多くなり場所が無くなると松陰先生は中二階の狭いところで本を読んでいたそうだ。 親思う心にまさる親ごころ 今日のおとずれ何ときくらん吉田松陰歴史館松蔭は日本中を歩いて学んだ。長崎、平戸、北九州各地、東北諸国。東北では藩の通行証の発行を待ちきれず、脱藩する。平戸では橋本佐内、熊本では宮部鼎三と会う。「読書しつつ、要点を一々抄録する」という勉強法で、平戸では80冊、長崎では26冊を読んだ。「必ず要点を書き取ることが不可欠の勉強法である」学殖は当代随一といわれた佐久間象山は「今や、日本に必要なのは西洋学である」といい、松蔭は入門し、海外視察を計画する。ペリー艦艇に入り込むがかなわず送り返され罪に問われる。獄中も経学と史学に没頭1年2ヶ月で492冊を読破している。 ぼくは忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちるとも留め置かまし大和魂松下村塾で学んだ人物たち。久坂玄瑞(1840-64年)高杉晋作(1839-67年)木戸孝充(1833-77年)前原一誠(1834-76年)伊藤博文(1841-1909年)山県有朋(1838-1922年)品川弥二郎(1843-1900年)山田顕義(1844-1892年)---------------------------------------伊藤博文旧居・伊藤博文別邸旧居は伊藤は14歳から28歳までの14年間を本拠とした家。萱葺きで7室。89.52へーべ。典型的な下級武士の家。出生石。別邸。土地1309.76へーべ。荏原郡大井村、今の品川区にあった家を移築したもの。伊藤が明治天皇から下賜された恩賜館が憲法記念館となり、現在の明治記念館となった。-------------------------桂太郎旧居総理をつとめた拓殖大学の創始者。「里仁為美」(おるじんとしてびとなす) 自らの身を仁という場所におくにが美しく結構なことだ生まれたところに自宅が欲しいという本人の希望で建てた家。土地905.77ヘーベ、建物69.5ヘーベ。------------------------木戸孝充旧居桂小五郎としての名前の方が馴染みがある。「知」の木戸。土地829.75ヘーベ 主屋216.48ヘーベ---------------------------青木周弼旧宅(1803-1863年)医者青木研蔵(実弟)が継いだ青木家は養子の青木周蔵外務大臣が継いだ。---------------------------高杉晋作旧居名は春風あざ名はよう夫通称は晋作東行西海一狂生東生一狂生---------------------------------------------------------今度の旅で使った交通機関は、船、タクシー、鉄道、バス、新幹線、飛行機。門司港から渡船で関門海峡を超えて下関、下関からタクシーで厚狭(あさ)厚狭から鉄道。JR美祢線で中国山地を横切り日本海沿岸の長門、山陰本線で東萩、東萩からバスで内陸の新山口、新山口から山陽新幹線で福岡、福岡から空路仙台へ。
2007/10/08
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乃木神社(下関)日露戦争の英雄・乃木大将を祭った神社は全国にある。下関、萩、京都、名古屋、北九州、熊本、仙台、香川、台湾、東京と、縁のある土地には必ず乃木の神社やゆかりの施設がある。今回訪問したのは、長府藩士として生まれた故郷であり、0歳から16歳までを過ごした下関の長府にある質素な家を従えた乃木神社(大正8年12月竣工)である。この長府という町は白壁の武家屋敷がのこる町並みが見事だ。この乃木神社は学問の神様となっているが、子供の頃の母のしつけに従った挿話の数々や学習院の院長として多くの若者の育成に当たったからだろうか。「幸を招く基は朝晩に先祖に向かひて手をば合せよ」は乃木家の家訓である。国家・君が代の一番のもととなった古今集の古歌(藤原石位左衛門)「わが君は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」は山のさざれ石、2番の「君が代は千尋の底のさざれ石の鵜の住む磯とあらわるるまで」は海のさざれ石である。その山と海のさざれ石が並べてあった。さざれ石とは細かい石、小石であり、それが巌(いわお)となった状態をさざれ石と呼んでいる。神社の脇に「乃木大将御夫妻像」という銅像が建っている。軍服姿の乃木と妻の静子夫人の像である。昭和27年9月13日の乃木神社50年祭に建立されたもので、題字は山口県出身の総理・岸信介だった。乃木旧邸(長府宮の内町)は6畳、3畳、押入れ、2坪の土間という実に小さな家だった。この家に限らず昔の日本家屋には家具がほとんどない。実にシンプルな生活だったようだ。この旧邸の傍に宝物殿がある。これが記念館の役割をしている。乃木は書の人としても有名だ。乃木の書が多く掲げてある。 夫れ名は実の著(あらわれ)なり。 実なくして名あるときは竟(つい)に虚名となる。 虚名にしてこれを後世に伝ふる者は 臭(けがれ)を子孫に遺すなり。 (「中朝事実」の一節) 「智 仁 勇」(乃木将軍謹書) 智--ばかげた遊びや、いやしいことをせぬよう 恩義をわきまえ目上の人をたっとぶよう 仁--よわいものいじめをせぬよう 人の上をおもいやるよう 勇--こぜりあいをせぬよう づるけぬよう こうと信ずることはあくまでもしおうせるよう 又強きものとてもわけもなく恐れぬよう (これは現在、長府豊浦小学校の教育目標となっている) 「爾霊山」という見事な書がある。203高地の慰霊塔にある書。 203高地(激戦の地)を「にれいさん」と読めるように日本語に訳して 書かれた書だが、渾身の書という印象を受けた。 この高地での激闘で乃木は26歳の勝典中尉と24歳の保典少尉を戦死させている。 有名な「水師営の会見」でステッセル将軍らとのリラックスした会見の写真。日露戦争の二人の英雄が一緒に写った写真が目をひいた。陸軍の乃木大将と海軍の東郷元帥である。ロシア陸軍を破った乃木大将、ロシアのバルティック艦隊を粉砕した東郷元帥の二人がリラックスした様子で写真に納まっていた。 辞世の句 うつ志世を 神さりましし 大君の みあと志たひて 我はゆくなり---------------------------------------------------------------------東行庵。下関市の吉田にある清水山の東行庵は高杉晋作の愛人「うの」が谷梅処として出家した庵である。高杉晋作は自らを東行と号していた。高杉は遺骸を奇兵隊の本拠に近い清水山に埋めて欲しいといったが、山県狂介(有朋)はこの地にあった草庵・無隣庵を梅処に贈った。現在の庵は、伊藤博文、山県有朋、井上馨らの寄付で建立されたものだ。梅処は長生きして明治42までこの庵で住んだ。東行記念館(高杉晋作維新関係資料館) 昭和41年4月14日、高杉晋作百年祭記念事業として併設された。東行庵の近くに建つ記念館。高杉の影響を受けた伊藤博文撰文の最初の言葉が階段の壁に高杉の写真とともに大きな垂れ幕として飾ってある。「動 如 雷電 発 如 風雨」「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目蓋然として敢えて正視するもの莫(な)し。これ、我が東行高杉君に非ずや。」、この言葉は風雲児高杉晋作(1839年--1867年)の性格や行動を表した言葉であると感じる。高杉は27歳でこの世を去っている。高杉は、江戸4回、京阪2回、長崎2回、上海1回と旅を重ねて思想を形成していった。その旅では、信州で佐久間象山、福井では横井小楠に会って刺激を受けた。佐久間からは「外国を自分の目で見なければならない」と教えられ、その後上海に行く機会を得ている。 翼あらば千里の外も飛びめぐり よろずの国を見んとしぞおもう 人は人 吾は吾なり 山の奥に棲みてこそ知れ 世の浮沈 大閣も天保弘化に生まれなば 何も得せずに死ぬべかりけり 面白きこともなき世を面白く(晋作) 住みなすものはこころなりけり(野村望東尼) 人の花なら赤ふもなろが わしの花ゆえ くろふする(都都逸) 弔むらわる人に入るべき身なりしに 弔むらう人となるぞ はづかし 高杉は戦争の犠牲者のために招魂場を創設するが、これ以後全国に招魂場ができ、 東京にできた招魂場が現在の靖国神社である。高杉晋作は短い一生の間に300篇の漢詩をつくっている。「東行詩集」を買ったので、楽しみたい。「西へ行く人を慕いて東行く 我心をば神や知るらん」と1863年に詠み、それ以来、東行という号を使うようになった。西へ行く人とは西行法師のことで、東行くは倒幕を意味している。吉田松陰の松下村塾の双璧とうたわれた高杉晋作と久坂玄瑞。高杉は「鼻輪を通さない放れ牛(束縛されない人)」といわれ、久坂は堂々たる政治家であるといわれた。師の吉田松陰晋作は俊邁の才を持つが、頑質にわざわいされて、その優れた有識の天分がおおいかくされているとみた松蔭は、久坂玄瑞に対する競争心へと転化させた。「高杉の識、久坂の才」高杉は上海時代の「遊清五録」(航海日録・上海ふん留日録・崎陽雑録・外情探索録・内情探索録)など日記を書き綴っている。これも本になっているので入手したい。晋作は上海で拳銃を二挺買っている。そのうち一挺を下関を訪問した坂本龍馬に贈った。あの龍馬が持っていた拳銃は、高杉の贈り物」だったのだ。高杉は自分の墓に次のように書いて欲しいと手紙に書いてあったが、発見が遅れかなわなかった。自分の一生をこのように総括したのだろう。表 故奇兵隊開闢総督高杉晋作則 西海一狂生東行墓 遊撃将軍谷梅之助也裏 毛利家恩古臣高杉某嫡子也記念館を出て、清水山の顕彰碑などを観る。
2007/10/07
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ロンドンに私が住んでいたのは、テラスハウスと呼ばれる洋風の三階建ての長屋でした。一階はガレージ、二階は台所とリビングルーム。三階はバス付きのベッドルームという広さで、しかも私一人で住んでいました。それまでの私の人生は引っ越し人生とでも言うべきもので、大学に入って初めて家を離れてから、その時まで十年間の間に、合計十一回に及ぶ引っ越しの経歴がありましたが、いつも狭い下宿だとか独身寮とかに住んでいたわけで、自分一人の居住面積という観点からみるとダントツです。しかも一階にはちょっとした裏庭までついていますし、場所も女王の別邸であるウインザー城の近くのテムズ河のほとりの小さな美しい町ということで、全く申し分ありません。さて、二度目の夏のことでした。私はロンドン滞在中は、一人でも多くの友人をつくり、一つでも多くの国や町を訪ね、一つでも多くの演劇をみて、一つでも多くの世界の料理を食べてやるんだという信条を持っておりました。酒についても同じで、酒屋に行っては、毎回ちがう種類の酒やスコッチ、ワイン、ビール、ウォッカ等を買ってきては、美しい夏の夕方や、暗くて長い冬の夜のなぐさめにしておりました。ところが、空ビンが残りますが、このビンは、段々と増えてきます。増えるたびに、自分の方針に忠実に従っていることに満足をおぼえていたものです。ビンが段々たまってくると、洗面所の棚に並べるようになりました。そう、何年かぶりの暑い夏でしたね。ある朝、歯をみがいておりますと、一本の草のツルが、空気窓の穴から、かわいい姿をみせています。次の朝になると、ツルが伸びて、一本のワインの空ビンの上部をひとまきしています。次の朝も、次の朝も、ツルはまるで意思を持っているかのように伸びて、スコッチやウオッカのビンにまきつきながら伸びていきます。「このまま放っておくと、部屋の中が草のツルだらけになってしまう」と恐怖を感じた私は、いつもの対症療法魔ぶりを発揮して、ハサミで、チョキンとツルを切りとりますが、それにも負けず草の生命力は翌日、又ツルを伸ばすのです。ある日、私は夢を見ました。このツルが、夜中に生き物のように伸びてきて私の体にまきついて、私がその力に抗しきれずに、もがきながら死んでいくというまことに恐ろしい夢でした。冷や汗とともに起きあがった私は、一大決心をして、「もとから断たなきゃダメ」とばかり大きなハサミを用意し、この一年間一度も降りたことのない雑草のしげるがままになっている庭に降りたちました。この雑草をよくみると、家の壁を争うようにのぼっている姿が眼につきます。この雑草のツルが空気穴からわが家に侵入したというわけです。ロンドンの短い夏にしぶとく精一杯生きようとする雑草に強い生命力を感じましたが、この生命力は逆に私にとっては難敵であり、このハサミであちこちの茎を切りまわるのですが、あまりのしぶとさに、又、又、草に殺される思いがしたものです。何事も早目の手当が肝腎ということのようです。
2007/10/06
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「新しい日本を創る提言誌」Voice11月号(PHP)の見本誌が届いた。この号に「「セカンドライフ」探検記」という6ページの小論を書いた。発売は10月10日。今年の5月にブログとメルマガで仮想空間サービス「セカンドライフ」についてのエッセイを書いたら、「Voice」編集部の編集者から連絡があって、体験記を書いて欲しいという注文を受けたのがきっかけだ。この総合雑誌の読者層がは活字好きの中年世代であり、そういう層に話題のセカンドライフの世界がどのようなものかを解説して欲しいということだった。その注文に応えるため、最後は高スペックのパソコンに買い換えるはめに陥ってしまった。以下は小論の一部。---------------------------------------------------最近アメリカで生まれたセカンドライフの世界に足を踏み入れて、はるか昔の大学時代に熱中したクラブ活動である探検部のことを思い出した。このクラブは毎日集まっては「探検とは何か」というテーマでいつも議論をしていた。自分の所属するクラブの名前が議論の対象になるのかと、最初は不思議な気がしたが、この議論はいかに生きるかという議論と密接に関わりあっていて、私たち部員にとっては最も好きな議論のテーマだった。「探検とは知的情熱の肉体的表現である」という言葉を顧問の先生から教えてもらい感激した単純な私は、それまでの書斎型人間からの脱皮を決心し、部活動にのめりこんでいった。その過程で探検という活動の意味を説明してくれる言葉に出会った。それは「外的世界の拡大は内的世界を深化させる」という言葉だった。(中略)バーチャル建築家からの問いかけに対していやになったことも何度もある。自由からの逃走である。「自由があったら何をしたいか」というのは、やはり根源的な問いであった。読者はセカンドライフの世界に別荘を持つと仮定して、どんな別荘と生活を楽しみたいだろうか、想像してもらいたい。場所は海辺か山あいか? 建物の形状は? 何階建てか? 誰と住むのか? 何をするつもりか? 書斎はどのようなものにしたいか? 、、、。現実の世界とは比較にならない価格で、自分の夢を実現できる可能性がでてきたということかも知れない。(中略)外的世界の拡大は内的世界を深化させる。ここでいう外的世界とは、今となればネットとウェブも、そしてそれはセカンドライフも含んでいると考えるのが自然だろう。私たちはネットとウェブという外的世界の拡大のための乗り物を手に入れた。今後、人間は一気に豊かな内的世界の探検の旅に出ることになるだろう。脳が社会をつくり、自らの脳がつくりだしたものが脳に影響を与えていくということなら、私たちの生活も、人生も、生命も大きな変貌を遂げていくということになる。この世界を若い人だけに楽しませるのは惜しい。セカンドライフの大きな波に乗って未知なる世界を探検していきたいものである。----------------------------------------
2007/10/05
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熊本で行われた公立大学協会情報部会の総会に出席した。今年の会場は熊本県立大学だ。女子学生の姿が多いという印象だったが、学長の挨拶では熊本女子大学が最近名前を変えて男女共学の学部をつくったということだった。今年で2年目になる部会長校の役目として私は総会冒頭の挨拶をする。昨年は宮城大学で行ったが、その時は寒くみぞれが降って会場にストーブを入れた記憶がある。みぞれは摂氏4度の時に降る。今回の熊本は暑く32度で、28度の差がある。日本は広い。こういう出だしで挨拶をした。この情報部会は30の公立大学が会員で、情報ネットワーク担当の責任者と事務局で構成されている。
2007/10/04
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仙台空港から福岡へJAL機で行く。今年8月のから始まったウェブチェックインサービスを初めて使った。JALのウェブで予約して事前に席を決めてチェックインをしておく。始まった当初は前日しかできなかったが、今では予約と同時に席を決めることができる。空港のセキュリティの入り口でIC機能付きのJALカードをかざすと「お客様控え」と書かれた薄っぺらい紙が出てくる。6番搭乗口の14Cと出てきた。出張報告につける「半券」はこれで代わりにするのだろうか。チェックインゲートでは、他の客は搭乗券を差し込むのだが、私一人カードをかざす。搭乗券がないのでやや不安感はあるが、便利だ。福到着は遅かったが、午後9時頃から旧友と久しぶりに交歓。
2007/10/03
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後期授業が今週から始まって、大学は活気を取り戻している。大学は学生が闊歩して初めて建物に命が宿る、と思う。私の授業も始まっていて、講義や学部ゼミ、卒業論文指導、修士論文指導などが本格的に始まって、いろいろな学生と接触している。会議も、月曜日の朝の学長補佐会議から始まって、今週は総合情報センター会議(センター長)、学部インターンシップ運営委員会(委員長)と続く。学外では、総合情報センター長として、木曜日に熊本県立大学で開催される公立大学協会情報部会(会長)に出席する予定。
2007/10/02
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多忙なビジネスマンに残された聖域である朝の時間の使い方に関する本が売れている。大和書房、総合法令、WAVE出版、かんき出版の出版社四社の合同企画フェアが開催されている。この中に私の本も入っている。売れているということは、そういうことができない人が多いということだ。早起きは、「言うは易く行うは難し」の典型だから、このテーマは出版界においても長く続くテーマとなるだろうなあ。アマゾンや出版社のHPからの解説をピックアップして並べてみた。〇大和書房 「残業はするな、「前業」をせよ!」(久恒啓一)〇大和書房 「朝時間のすごしかた」(朝時間.jp)朝を楽しく、わくわく、気持ちよく。今、朝型生活の人が急増中! 450万アクセスの人気サイトから生まれた朝時間の活用法を大特集! 著者からのコメント生まれたての空気を思いっきり吸い込むと訪れる、しずかな自分時間。朝のひと時には、その人だけが持つ小さな楽しみや、シアワセがギュッと詰まったアイデアがあります。 「朝時間のすごしかた」は、充実した朝をすごすことでキラキラ輝く著名人の方々や、朝時間.jpの読者の皆さまから頂いた朝にまつわるエピソードまで、いろんな人の朝時間のすごしかたがぎっしりつまった一冊です。 朝スッキリ目覚めるためにしていること、朝ごはんの工夫、こだわりの快眠法、美容のためにしていること、通勤時間の活用法...朝を快適に楽しく過ごす方法......etc. すぐにカンタンにまねしたくなるような朝のすごしかた、自分の朝を見直すためのヒントを知ったとき、いつもと同じ朝が、ちょっと違って見えてくるはず! 〇総合法令出版 「通勤大学MBA1マネジメント」キャリア志向のビジネスマンにとっては憧れのMBA。ただ、従来のMBAテキストは分厚く、難しそうなものばかり。通勤電車内で、女性でも読み易く、見開き完結&図解で指南するテキスト。第1巻はマネジメントを解説する。 〇総合法令出版「通勤大学MBA2 マーケティング」MBAコースのエッセンスをまとめた「通勤大学」シリーズの第2弾。テーマは、第1弾の『通勤大学MBA 1 マネジメント』の最初に必須科目として紹介された「マーケティング」である。著者は、マーケティングを学ぶ意義として、各部署間の「ビジネス上の共通の認識と言語」が得られることや、「自分の担当部署ではどう実行すべきか」という問題解決の出発点に立てることなどを挙げている。 〇WAVE出版 「「お先に失礼!」する技術」(柴田英寿)著者・柴田英寿氏は、日立製作所の現役社員として勤務しながら東京大学先端科学研究所の講師を務め、今年で4年目。ほかに知財学会の立ち上げから理事という役職、MBA友の会の幹事や水曜日の朝に赤坂のカフェに集う、「赤坂ブレックファーストクラブ」の主宰、さらにはこのような本の執筆など多彩な活動を行なっています。サラリーマン生活の場合、「やりたいことがあっても時間がない」「平日の夜に空いている時間はない」というのが通常ではないでしょうか。柴田氏は、この「時間がない」を、「お先に失礼する」ことで乗り越えてきました。この「お先に失礼する」というのは、「定時で会社を出る」のはもちろん、「無駄な会議には出ない」「必要のない資料はつくらない」「『つき合い』という名の飲み会には出ない」など、サラリーマンの時間を無駄に奪うあらゆることを効率よく避けるということです。ただし、これらを一匹狼として実行していたら、組織での仕事はうまく進みません。あくまでも、会社や上司につき合いつつも、「自分のやりたいこと」を実現させよう、というものです。そのためにまず必要なのは、仕事の全体的な効率を上げること。そこで本書では、会議の段取りからメールの使い方、朝の時間の使い方に幹事術で「仕事の基本」から「実践術」まで伝授。さらには、角を立てず、嫌われないための「会社での振る舞い方」や「人間関係の築き方」までフォローしています。これらは、すべて現役の会社員、柴田氏が実践してきたものであり、いまも実践していることです。小手先のごまかしのテクニックとは訳が違います。ひとつひとつの技術がボディブローのように心にも頭にも効き、自分の仕事の進め方を今一度見直すことになるでしょう。そして、読み終わることには、サラリーマンでも「いろいろなことが楽しめるんだ」と前向きな気持ちになっているはずです。 〇かんき出版 「朝10時までに仕事は片付ける」(高井伸夫監修)でも、朝型人間は、最近確実に増えています。一流の人物、成功者はおしなべて朝型人間です。私の顧問先の企業でも、夜の12時頃まで働いて、朝7時前には出てくる若者が増えてきているそうです。確かにそのような企業は業績もいい。社員が嬉々としてして働いているからです。 朝型人間になるのは誰のためでもありません。自分自身のためです。目標は現在の起床時間の2時間繰り上げです。朝7時なら5時、6時なら4時。4時起きなど、時間だけ聞くとぞっとするかもしれません。以前は夜型だったので、私も最初の1週間は苦痛でしたが、体が慣れてくると、むしろスッキリして体調が良くなってくるのがわかります。いまは4時半から5時には起きています。私にもできたのですから、おそらく皆さんなら楽にできるでしょう。騙されたと思ってやってみてください。どうしても眠いというなら、最初の4~5日くらいは、通勤電車の中での居眠りは大目にみます。早起きのクセをつけることは、今後のあなたの人生を考えたとき、かなり有益な習慣だと思います。
2007/10/01
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