JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.09.11
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カテゴリ: JINさんの農園
【綾瀬市歴史散歩 目次】

先日9月2日に、綾瀬市にあるホームセンターに行った折、ここから1km程先にある
「早川城跡」を初めて訪ねたのでした。
この場所は以前から知ってはいたのですが、訪ねたことはなかったのでしたが、
我が旅友Sさんが訪ねブログアップされていたので、私もこの日に訪ねたのでした。
現在は「城山公園」として整備されており、2008年(平成20年)2月5日付で県指定史跡と
なったとのこと。駐車場に車を駐め、散策開始。
「城山公園」石碑。神奈川県綾瀬市 早川城山3丁目4-1



「入口広場」には時計塔の如きモニュメントが。



ズームで。時間は15:35。




「城山公園」は平成13年6月1日に再整備された、市内で2番目に大きい公園とのこと。



「城山公園案内図」が「入口広場」に。
城山公園は、鎌倉時代源頼朝の御家人として活躍した渋谷重国の居城跡と伝えられ、
県内でも遺存状態の良好な数少ない城跡の一つであり、大規模な堀切と土塁が現存して
いたのであった。



「早川城跡」案内板。



「早川城跡は、地元では古くから「城山」と呼ばれ、鎌倉時代の御家人渋谷氏の城と
伝えられています。しかし、文献資料がないことから、その実態は明らかではありませんでした。
そこで、綾瀬市教育委員会では平成元年度から平成6年度にかけて、早川城跡の学術調査を
行いました。
発掘調査によって、堀切・土塁・物見塚・曲輪等、多くの城郭関連遺構が発見され、

また、城郭が構築される以前には、縄文時代や古代の集落が営まれていたことも
明らかになりました。」



それぞれの見どころが写真入りで。



地図部を接写で。



「入口広場」の左側に「管理棟」。







「入口広場」から公園内へ。



「古代の城山」案内板が左側に。
「古墳時代の終わり頃から奈良・平安時代にかけて、早川城跡周辺には大きなムラが造られます。
市立城山中学校から早川城跡にかけての台地上からは、100軒を超える竪穴住居址が発見され、
目久尻川を挟んだ対岸の宮久保遺跡(県立綾瀬西高等学校)からも、150軒の竪穴住居址が発掘
調査されています。
古代と呼ばれるこの時代、都を中心に律令国家が確立し、地方には国府、郡衙が設けられました。
律令体制を支えた人々は、竃を備えた竪穴住居に住み、収穫した穀物は、掘立柱建物と呼ばれる
倉庫に蓄えていました。住居址内からは、土師器と呼ばれる土器とともに、須恵器と呼ばれる
陶器が出土するようになります。また、鉄製の農耕具類や文字の書かれた土器(墨書土器)が
出土することから、この当時、庶民レベルまで鉄製品や文字が普及し始めたことが分ります。
早川城跡や宮久保遺跡からは、都で作られた奈良三彩と呼ばれる珍しい陶器も出土しています。」



公園入口すぐ左には、炊事棟があり、かまどが設置されており、予約制だが、燃料と食材を
持ち込めば、ここでBBQができるようであった。



「炊事棟の利用について」。



ここにも。
予約制で市民には1基2000円と。



「炊事棟」の奥には多くの木製テーブル、ベンチも。



公園内に入って進む。



「渋谷氏と早川城跡」案内板。
「渋谷氏は平安時代の末期、綾瀬市域を中心に渋谷荘(吉田荘)という荘園を支配し、勢力をもった
武士でした。『吾妻鏡』によると平治の乱(1159年)に敗れて奥州に落ち延びていく源氏の重臣
佐々木秀義を渋谷重国が保護したとの記事があることから、この頃までには綾瀬市域一帯を
支配下に置いたものと思われます。
鎌倉時代になると、渋谷重国は源頼朝の家臣である御家人となり、その子高重が後をつぎました。
高重は早川次郎と名乗り、早川に拠点を置いて一族を統率していたものと思われます。
1213年の和田合戦では高重は和田義盛に組したため高重はじめ多くの一族が討たれましたが、
1247年宝治合戦の後、その軍功により薩摩国入来院ほかに所領を得、地頭となり、その際多くの
一族が移っていきました。しかし、室町時代の初め頃までは綾瀬市域に渋谷氏の支配が続いたと
思われ、その一族が早川城を築城したものと考えられます。」



早川城跡周辺(江戸時代)の景観。
相模川の支流目久尻川左岸の舌状台地南端部に立地する事が解る図。

中原街道(5)桜ヶ丘~寒川01 綾瀬 : TEIONE BLOG - 平山 貞一

渋谷氏略系図(「入来院氏系図」により)。
渋谷重国の居城であったここ早川城址は、現在、城山公園として整備されている。
渋谷氏は、桓武平氏秩父氏の一族で、重国は渋谷荘を与えられ、渋谷庄司と称し、綾瀬から
大和、藤沢一体を統治した(参考:鶴舞伝説と公所浅間神社)。
『吾妻鏡』には、1159年(平治元年)、平治の乱で源義朝に味方して敗れた近江源氏の
佐々木秀義が、奥州平泉の藤原秀衡を頼るため渋谷荘を通りかかったときに、それを引き止め、
以後、約20年間にわたり面倒をみたという話が残されている。
1180年(治承4年)、源頼朝が挙兵すると、父秀義と共に渋谷荘で暮らしていた
定綱、経高、盛綱、高綱の兄弟(佐々木四兄弟)は、頼朝のもとに馳せ参じ、鎌倉幕府成立に
大きな貢献をした。このとき重国は大庭景親方に付いていたが、のちに頼朝につき御家人に
列せられている。



BBQ広場を振り返る。



「湿生園」の入口階段。



「湿生園について
この湿生園は、早川城山地区の雨水調整池を利用し整備したものてす。
雨天時は多量の雨水が流れ込み、池の水位が上昇するため大変危険てす。
雨天時には近づかず、雨が降り始めたら、ただちに避難してください。」



雨は降っていなかったので「湿生園」に降りてみたが・・・・。



花の姿はなく雑草が生い茂っていた。



ここも「早川城」の外堀であったのであろう。



「堀切と土塁
鎌倉時代に築城されたと推定される早川城跡は、天守閣を持っ江戸時代の城と異なり、
自然の地形を巧みに利用し、掘切と土塁を周囲に巡らした「砦」的な要素の強い城郭で
あることが発掘調査によって明らかとなりました。掘切とは外敵の侵入を防ぐため、城の周囲に
巡らされた堀のことです。
掘切の内側には、掘切を掘った土を利用して、土塁と呼ばれる高い土手を築き、さらに堅固な
防御施設を作り上げています。早川城の場合、東西及び南側は急峻な崖に囲まれ、自然の要害と
なっています。しかし、北側は平坦なため、幅約11m、深さ5m以上という大規模な
掘切と土塁を築いて敵の侵入を阻んでいます。
早川城は、有事の際に周囲に暮らす武士たちが集結して、外敵の侵入に備える防御施設として、
また、領民に対しては、権力を誇示するシンボルとしてそれぞれ機能していたものと
思われます。」



左手の堀切。



右手の堀切。



公園の中心に芝生の「桜の広場」が広がり3月下旬から「かながわの花の名所100選」に選ばれた
桜が観賞できるのだと。



桜の広場の周りの遊歩道に「東郷元帥祖先発祥之地」の石柱が建っていた。



明治時代に活躍した海軍元帥の東郷平八郎が渋谷一族の子孫であることにちなみ、
「早川城址東郷元帥祖先發祥之地碑」の石碑が建っているのだ。
「元帥伯爵東郷平八郎書之」とも刻まれていた。
石碑のある場所は、小さな塚・物見塚跡で、ロープが周囲に張られ立入禁止と
なっていた。



石碑の裏。
ネット情報によると、石碑の裏には
「相模高座の郡早川郷は往古渋谷庄司重国の領地にして 其子光重孫重直実重の住地なり
光重承久の乱に戦功あり薩摩国薩摩郡の数郷に封せられたり 光重は長男重直と共に
早川に在城し次男早川次郎実重 三男吉岡三郎重保 四男大谷四郎重茂 五男曹同五郎坊定心
下男落合六郎重貞は宝治二年の春薩州の封地に下向せり 而して実重は川内川の上域 
東郷の地を領し姓を東郷と改む元亀元年東郷の一族島津氏に帰服するに至る迄 
三百十有余年間其子孫東郷地方に割拠し渋谷党と称し雄を北薩に振へり 爾来東郷の姓を冒す者
概ね其後裔なり
昭和六年有志相謀り東郷氏の祖先発跡の旧地を卜し早川の城山物見塚に碑を建て以て
後昆に伝ふと云爾
昭和六年 月   海軍中将正四位勳一刀功四級東郷吉太郎撰並書」と刻まれているのだと。

日露戦争時の日本海海戦(1905年)でロシアのバルチック艦隊を壊滅させた際の、
日本連合艦隊司令長官東郷平八郎は、当地から薩摩国東郷へ移った渋谷氏の子孫なのだと。


物見塚下の「桜の広場」の案内板。



「物見塚と東郷氏祖先発祥地碑
早川城本郭の西側に位置するこの塚は、物見塚と呼ばれています。
南北21m、東西23m、高さ約2mの塚です。発掘調査の結果、表土直下に宝永火山灰
(1707年、富士山の噴火による火山灰)が見られることから江戸時代初期以前に築かれていることは
明らかです。また、塚の作り方が土塁と同様の版築(黒土と赤土を交互に敷きつめて突き固めたもの)
であることから、城郭の関連遺構の一つであり、外敵の侵入を見張るため築かれた塚であると
思われます。
物見塚の上には、昭和7年に祖先発祥地東郷会により建てられた「東郷氏祖先発祥地碑」が
あります。この碑は日露戦争で有名な旧海軍元帥である東郷平八郎の先祖の地であることを
記念して建てられたものです。
東郷家は、早川城主であったと伝えられる渋谷氏の末裔の一つでした。」



「桜の広場」内の巨木。



「桜の広場」の反対側。



春になるとこれぞ「桜の広場」に。

城山公園の桜(神奈川県) - 桜名所 お花見2020 | ウォーカープラス
     【https://hanami.walkerplus.com/detail/ar0314e60207/】より

「時計塔」。



そして「湿生園」の外れにあったのが雨水調整池用の雨水回収施設。



この「湿生園」・雨水調整池に水が貯まると、ポンプで水を抜くのであろう。



これは何の木?
下にはヒントが。



この木であったが。



答えは「ヤマモミジ」。
その他の場所の木にも同様なクイズが。





                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.09.05 07:34:03
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