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2002.12.02
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カテゴリ: 教育関連




 著者は、「プロ教師の会」の理論的支柱。
 観念の世界に閉じこもって現実を批判する新聞などの論調とは異なり、現実に根ざしている。
 読めば分かるが、教師は生徒からすれば問答無用の存在であるのが当然であって、生徒を合理的に納得させる必要などないのだ。学校における、民主主義や合理主義の弊害について、気づかない人が多いのが不思議だ。しかし、現実には世の中の論調は困った方向へ流れている。
 たとえば、

 いま文部省が押し進めている教師の意識改革は、本来教育的意味合いを持っていた「近代前期」な要素を洗練させて「近代後期」的なものにすることである。そこでは「きたない」から掃除をする必要があるのであって、汚れていなければ手を抜いていいという「正しい」理屈がまかりとおることになろう。ついには、生徒の掃除そのものも消えることになるかもしれない。(p167-168)

という文がある。
 別に、生徒に掃除をさせることが必要だと言っているのではない。合理主義を進めていけば、「必要ない」ことはしなくてもいいことになり、自分が納得できないことはしなくていいことになる。
 したがって、どんなルールでも、納得しなければ従わなくてよいことになるのである。
 新聞記者などは、校則を取りあげて、生徒が納得できない校則はよくない、守らせるには納得させなくてはならない、などと言う。それを押し進めていけば、「人のものを盗んではいけない」というルールでも、自分が納得しなければ従わなくていいことになるのだが、なぜそのことに気がつかないのだろう。

 意識的に教師としてふるまう自分と、一人の人間としての自分は別にしているらしい。
 それはそうだ。一人の人間としての面をむき出しにして生徒に接したら、環状の赴くままに行動することになってしまう。
 たとえば、ある教師が離任式で話したことに触れて、

私は聞いていて何度か涙腺がゆるんだほどであったが、批評家としての私は彼の語りは「近代」でしかないこと、戦後的な啓蒙の域を出ていないと考えていた。(p189)

という文章でわかる。
 1941年生まれであるから、執筆同時五十代後半のはずだが、「意外と」(p158)という表記に驚いた。すでに「意外に」は消えてしまったのだろうか。
 「夜郎事大」(p143)は、「夜郎自大」の誤植なのか、あるいは「事大主義」をそうも書くと思っているのか。





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Last updated  2005.04.01 21:32:42
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