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2003.01.15
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カテゴリ: その他の読書録




 作者が若いときに浦安に住み、見聞したことをもとにした小品集。
 おそらく、現実にあったことがほとんどなのだろうが、あくまでも小説である。
 浦安に住んでいたのは1928年から一年余りであり、執筆したのは1960年であるから、三十年の時を経て作者の中で熟成された物語なのである。
 ドーデの『風車小屋だより』を読んだときに、『青べか物語』に似ている、と思ったが、読み直してみると確かに似ている。
 精神的に疲れた主人公が、思考様式や倫理観までことなる人々の間で暮らし、やがて新しい道を歩み始める。
 「おわりに」で、「私は浦粕から逃げだした。その土地の生活にも飽きたが、それ以上に、こんな田舎にいてはだめだ、とうことを悟ったからであった。」とあり、うんざりして浦粕を捨てたかのように書かれているが、実は、浦粕による癒しが終わり、失われていた気力が回復した、ということなのである。
 一年余りも住んだ土地ではあるが、主人公はつねに異邦人であった。通り過ぎる存在なのだ。だから八年後に訪れたときに思い出してもらえず、三十年後になるとさらにほとんど忘れられている。現実には街に存在していなかったと言ってもいい。
 作者もそれは意識していて、「私」の科白が書いてある場面はほとんどない。
 「私が答えると」「私はまた質問した」などと書かれるが、その言葉がちゃんと書かれることはほとんどない。せいぜい「繁あね」との会話ぐらいである。

 たとえば、
「いいさ」と私は自分に云った、「そのうちに忘れてしまうだろう」(p39)
「おかしいな」と私は呟いた、「気がつかなかったのかな」(p47)
という具合である。
 作者はこれに続いて『季節のない街』を発表している。
 山本周五郎の作品に何度も登場する「たんばさん」的人物は誰か。
 それは、「私」自身なのである。
 「たんばさん」は街の人々に頼りにされ、人々を癒すが、「私」は自分から人々にかかわることはなく、浦粕に癒される。
 しかし、精神的には、人々と同じ世界には住んでいないという点で共通する。
 「私」は裏返しの「たんばさん」なのである。





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Last updated  2005.04.01 21:31:42
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