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受難週を迎えているキリスト教会です。 イエス様の十字架上での七つのことばを覚える週です。 昨日は、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているか分からないからです」 すべての罪が赦され、神の大きな愛に赦しの中、平安に生きる幸いが与えられます。そして7度を70倍するまでに許し続ける幸いを感謝します。 今日は二番目のことばを引用します。ルカの福音書 23:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。 なんという麗しことばでしょうか。人を見ると批判したり、文句や不平不満を言うせちがらい時代です。ところが十字架上での残酷な死を迎えようとしているいまわの際に、極悪非道の犯罪人の求めに、優しく答えてくださったイエス様の大きな愛に心打たれます。 十字架の救いを最初に受けたのは、この男だったのです。私はアーメンと言えば救われますを信条としています。イエス様の十字架の救いをアーメンと信じる時ほんとうに救われるのです。 16歳の時、種子島の西之表キリスト教会で、イエス様が十字架上に死なれたのは、私を愛して救うためにいのちを捨ててくださったことを聞いた時、深く感動しました。そしてその日にアーメンと信じて、種子島の海岸で洗礼を受けてクリスチャンになりました。 その日から信じる者は救われてパラダイスへ(天国)行くことを確信しています。臨終の方をお見舞いすることも多いのですが、アーメンと祈る時、最後の息を引きとるとき、天国を信じて安らかに召される姿は尊く、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」の真実を感謝します。 今日もまた天国の一日です!感謝します。ヨハネの黙示録7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。 7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
2012/03/31
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キリスト教会は、イエス・キリストの十字架と復活の記念の日を迎えようとしています。 1日(日)からの受難週&6日(金)が十字架の受苦日です。8日(日)イースターです。 十字架上での七言が残されています。 その最初のことばは、自分を十字架に釘つけ、あざ笑う人々の声の中で、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」(ルカ23:34) この祈りは全人類のすべての罪を赦す祈りとして知られています。イエス様は赦しについて何回も教えられました。その言葉をいくつか引用してみます。マタイの福音書6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。マルコの福音書11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」ルカの福音書17:3 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。17:4 かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。 赦す時、人生は幸せに包まれます。 こんな話があります。ひとりの男が天国行きのエレベーターへ乗ろうとしていました。エレベーターに一歩足を踏み入れた瞬間、ブザーがありました。「どうして?」男が叫ぶと、機械的な声が、「このエレベーターは1人乗りです。重量オーバーです」 「私ひとりしか乗っていませんよ!」と男は怒って叫びました。すると「背中に背負った人たちを降ろしてください」男はあわてて後ろを振り向きました。でも誰もいません。 「どういうことなんだ?」男は叫び、「だれもいないぞ!」と怒鳴りました。 すると今度は機械意的な音声に変わって、優しく静かにさとすように声が響きました。 「あなたが許していない人たちが、あなたの背中に乗っています。その人たちを降ろしてあげない限り、あなたは上っていくことはできません」 だれでも許せない人を背負っています。普段は忘れていても、何かの拍子に思い出すと、深い悲しみに支配されたり、むらむらと怒りの感情が湧いてきたりします。 そんな経験があれば、それはもうその人たちは過去の人ではなく、今も影響を与えている人たちです。もうこの世にいない人かも知れません。二度と会うこともない教師や同級生かもしれません。 別れた夫や妻かもしれません。いつもいじめられたあの人やこの人かも知れません。 でも天国は別としても、上へ行きたかったら、幸せや成功人生を生きたかったら、どんなに理不尽なことをされたとしても、そろそろそのような人たちを赦してしまうことです。 その人の為ではなく、自分自身のために背負っている彼らを降ろしてしまいましょう。あなたの心は軽くなります。そのことを彼らに「あなたを赦しました」と言輪なくてもかまいません。 ただ、彼らの祝福を祈るだけでよいのです。祝福を与えれば祝福は与えられます。どうしても赦すことができないとしたら・・・・、どうしても許すこtのできない自分を赦してください。そうする時、考えられないような平安と自由が与えられます。 イエス・キリストの十字架に祈りによって赦されたのです。聖霊がその赦しの愛を注いでくださいます。 主の祈りのことばで完了形で祈られているのは、「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」の文節だけです。 赦しの愛が花咲く、今日もまた天国の一日です!ルカの福音書 7:40 するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。 7:41 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。 7:42 彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」 7:43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。 7:44 そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。 7:45 あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。 7:46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。 7:47 だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」 7:48 そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。 7:49 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」 7:50 しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
2012/03/30
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喜びのない人は 喜びのある人は心を閉ざしています 開放的で人をもてなすのが好きです。人を近寄らせません 人を受け入れ、自分から友情の手を差し出します頑なで柔軟性がありません 柔軟性があります自分の非を認めません 自分が悪い時は素直に認めますいつもあくせくしています 待つことができますすぐに答えが出ないと落ち着きません 未解決の事があっても、耐えることができる自意識過剰です 自分の短所長所をよく知っています慢性自己憐憫に陥っています 客観的に、正直に自分を見ることができます自分の権利だけを主張します 喜んで責任を取ります仲間以外野人には排他的です 包容力がありますすぐ口論になります 他人と自分の違いを受け入れることができます狂信的で、独善的、自己に固執します 自分自身とも他人とも友好関係にあります苦々しい思い、恨みがましい思いを持つ 礼儀正しい振る舞い、情熱的です過去の傷を忘れません 人の過ちを許し、忘れます皮肉っぽい話し方をします 人を信頼しオープンになりますすぐに失望し、落胆します 現実的な希望を持っていますいつも最悪の事態を予想します わずかではあっても光を見つけることができますプレッシャーに耐えられません 余裕があって、ユーモアを楽しむことができます細かいことにこだわり、不平不満がいっぱい 積極的で明るい雰囲気を持っている独占欲が強く、意地悪です 親切で、犠牲をいといません失ったものについて、いつまでも嘆きます 周囲の人の愛を感じています心に恐れがあり優柔不断です 自信がありますよく自己憐憫に陥ります 自分を理解し、受容しています時間がない、余裕がないと感じています 突然の出来事を処理でき、創造性が豊かです。 ピリピ人への手紙2:14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。2:17 たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。2:18 あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。3:1 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
2012/03/29
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朝、下り坂を歩いていると、滑って倒れてしましました。右手親指の付け根からちょっと血が流れるくらいだったので、そのままゆとりの一万歩を続けました。 柔道や剣道など格闘技を習う時には、まず受け身を教えてもらいます。相撲も同じですね。どう転ぶかが分かると大胆に戦うことができるようです。 歌わない、運動もしない、物を言わない少年時代を過ごしました。特に格闘技は柔道の受け身をを少し習ったくらいです。その受け身が今朝は役に立ったと思い、人生の受け身から勝利へとブログを描いています。 こんな話があります。 昔、遠い国の山奥に、恐ろしい巨人が住んでいました。身の丈3メートルもあり、全身赤毛で覆われ、手には大きな鋭く光る斧を持ち、通りすがる人々に戦いを挑み、戦うすべもなく大きな拳で叩きつぶされていました。 我ぞと思う勇士たちも戦いを挑もうとしても、まるで魅入られた化のように剣を抜くこともできないママ負けてしまうのでした。 ある日、この町に一人の王子がやって来ました。恐怖におびえる町の人々に、「なぜみんな、おどおどとおびえているのか」と聞きました。 「巨人がいるからです」「巨人?そんな巨人だろうと何だろうとやっつけてやる。王子の勇ましい声を聞くと町の人々は、「巨人を見たことがないから、強がりを言っている」と、若い王子を嘲笑いました。 日の沈むころ、大声が響き巨人が現れ、「俺に戦いを挑む者は出てこい!」と叫びました。 「ここにいるぞ」と叫んで若い王子は、勇敢に進み出ると巨人を見上げました。所がうわさ通りの巨体でした。王子はありったけの勇気を振り絞って、巨人に向かって進み、剣を抜き放ち、その恐ろしい顔をマッスグ見つめました。 ところが王子が一歩進むごとに、恐ろしい巨人が小さく見えてきます。イヤ見えてくるのではない。実際に縮んでいくのです。いったん立ち止まってしっかり見ると、1.5メートルくらいになっています。 さらににらみつつ前進すると、その高さは60センチにまで縮んでいます。剣を合わせるところまで近づくと何とたった40センチもありません。王子は剣でその心臓を貫きました。 地面に伏し死に行く巨人のそばに屈みこみ、王子は尋ねました。「お前はだれだ?」最後の息を引き取りながら、「わたしの名は恐れです」と言うと、巨人の姿は消滅してしましました。 「「恐れがドアをノックした。信仰が扉を開けると、そこにはだれ見いなかった」ということわざがあります。 恐れを無くす方法は、恐れないで行動することです。沖縄に海で洗礼式をしました。冷たい風が吹く海に着衣のままで入ります。入っていませば恐れはありません。それどころかもっと入ったままでもいいと、それが快感になり笑いさえこみあげてきたのです。 恐れてびくびくしていると、恐れは何百倍に膨れ上がり、何もできなくなります。恐れに支配されず信仰の勇者として、職場でも学校でもいつでも聖書の平安に満たされ、今日もまた天国の一日ですと、感謝し続けましょう。イザヤ書41:9 わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。41:11 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。41:12 あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。41:13 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。 ヘブル人への手紙13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
2012/03/29
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さしすせそは、料理の味付け順番で、この順序を間違うとお料理は台無しになるそうです。さ=砂糖の甘味し=塩味す=酸っぱさせ=せう=醤油そ=味噌 少々、無理なさしすせそになりました。 それに苦み加わると、うまさが引き出されます。美味しい料理は、甘味、塩味、酸っぱさに苦みが加わり、それが調和することにより、うまみが引き立つ料理になるのでしょう。 昨年の8月から末期がんを宣告された家内は、素材だけの料理を食べ続けています。塩麹が美味しいさを引きたてると知り、アマゾンで購入しました。食材の指導をしている方から、それもだめですと言われ、相変わらず素材だけの食事を続けています。 人間は美味しい物を食べるのが楽しみですが、我が家はもう8ケ月も素材だけの食事を続けています。 スリムになっただけでなく、末期がんレベル四で数値も27もありましたが、現在は5になり主治医も驚いています。食材の指導をしてくださる方も奇跡に近いと励ましてくれています。 もちろん人間は必ず死にます。牧師としていつも死を見つめながら、臨終の床に付き添うことも多くあります。そしてその死を看取ることもあります。 「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても災いを恐れません。あなたが私とともにおられるからです。あなたのムチとあなたの杖が私の慰めです。私の生きている限り、恵みといつくしみが私に伴います。私は常しえにあなたの家に住まいます」と詩篇を読みます。 そして、さようならではなく、おやすみなさい!と、天国の朝へとお送りします。 料理に、甘さや塩味、酸っぱさや苦みがあるように、人生はもっと複雑です。昨日も朝の散歩(といっても11時過ぎ)の途中、悩みにある方をお訪ねしました。新聞はまだ入り口のドアに挟まれたまま。留守かと思い弁当と果物、封筒を差し入れて帰りました。 眠れないので睡眠薬を多量に飲んで午後3時まで寝ていたと連絡がありました。身体を動かすか、日中なにかに熱中すれば、夜は熟睡です。眠れなければ聖書を熟読すれば眠れます。 すばらしい人生の旨味を与えるために、料理以上に神様は様々な出来事を与えてくださるのです。 文句を言わずに不平不満に支配されずに、それを料理の達人のように、バランスよく味わいう時、すばらしい人生の味付けができます。人生の達人で悩みを経験しなかった人はありません。 その最高の模範はイエス様です。聖書はそのことをハッキリと記録しています。ヘブル人への手紙2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。 2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。 4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 そのように生きられたイエス様だからこそ、重荷を分かり取り除いてくださることができるのです。 マタイの福音書11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 16歳のときにその招きに答え、早や54年も過ぎました。料理の五味ではありませんが、ゴミのような人生が、イエス・キリストの十字架により洗われきよめられて、清らかな花咲き実を結ぶ日々に帰られました。 人生の旨味をイエス・キリストをアーメンと信じて体験なさいませんか。 今日もまた天国の一日です!感謝します。
2012/03/28
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太陽の輝きは春のようですが、まだ少々寒さが残る生駒の朝です。 今月は卒業式、受験時期、嬉しい知らせも悲しい知らせも飛び込んでくる、牧師の書斎です。 二匹のカエルが楽しく遊んでいました。はしゃぎすぎて、牛乳の入ったバケツに飛び込んでしまいました。 這いあがろうとしましたが、バケツの縁は不断だと何でもない高さでしたが、バケツの壁はつるつるしてどうにもなりません。 あきらめの早いカエルは、もう一匹に、「もうだめだ。ここから出られないよ」と言いました。 そして目を閉じ、バケツの底に沈んでそのまま溺れて死にました。 もう一匹は、「イヤだ。死ぬのはまだ早い。何とかなるはずだ」と、牛乳の中を泳ぎ回り、壁に飛びついてはポシャンと落っこちたり、また飛び上がったり必死でした。 何とそのうちに、いつの間にか足元に堅さを感ずるようになり、カエルは思い切ってエイ!とジャンプすると、バケツから飛びあ上がって助かりました。 なぜ?必死で泳ぎまわったり、飛び上がったりしているうちに、かき回された牛乳が固くなり、表面がバターに変わって来たのでした。 どんな厳しい事態に陥っても、苦しくても、何の望みも持てない、もう絶望がと思うような時、考え込んでいても、自分を責めるか人を責めるしかないのです。その荷解決の道はありません。 信じて告白して行動するのです。必ず道はあり解決の光は輝きます。 聖書のことばは、道の光です。「 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105) 以下の言葉は、勇気と力を与え続けてくれます。ローマ人への手紙5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。コリント人への第一の手紙10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。コリント人への第二の手紙4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。イザヤ書41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
2012/03/27
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みにくいアヒルの子 アヒルの巣からいちばん最後にかえったひな。それはなんとも並はずれて大きいものでした。 みんなとちがって生まれてきたばかりに、その世界では、みにくいとののしられ、ばかでかいとつっつかれ、とうとうあわれなアヒルの子は逃げ出しました。 ある夕方のこと、アヒルの子は見たこともない美しい白い鳥が草むらから飛び立つのを見ました。 そのときの不思議な気持ちをアヒルの子は忘れることができませんでした。 やがてあたりに厳しい冬が訪れます。アヒルの子の耐え忍ばねばならなかった苦しみは言い尽くせぬほどでした。 やっとあたたかな春がめぐって来た時、アヒルの子は草の茂みにうずくまっていました。 見ると向こうの方に見覚えのある、あの美しい鳥がいるではありませんか。 「あの美しい鳥のところへ行こう。こんな醜いぼくが、近づこうっていうんだもの、殺されてしまうかもしれない。でもこんなにいじめられ続けるくらいなら、あの鳥に殺されるほうがどんなにましさ」 そう決心するとアヒルの子は水をきって白鳥に近づいていきました。そして首をうなだれて、じっと死を待ちました。 けれど、そのあわれなアヒルの子は、そのとき水の面に初めて自分の姿を見るのでした。 どんな逆境にあっても、一心に生きることが幸福につながる、と言うテーマを美しく描いたアンデルセン童話です。 アヒルの子どもとして育った白鳥の子でした。自分をアヒルと思いこみ、醜いアヒルの子は仲間外れにされ、いじめられ、ひとりぼっちでした。みんなと同じようにもなれず寂しい日々でした。 でも、もし仲間外れにされなかったり、いじめられ醜いアヒルの子と言われなかったら、アヒルの子は一生アヒルで終わったかもしれません。 自分がほんとうは、白鳥であることに気づかないままで・・・・。 イエス・キリストを信じる時、新しい気づきと変化を体験できます。全能の愛なる神の子どもとなるのです。 悪魔に騙され欺かれ、失意と絶望の中に沈み込む必要はありません。「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と呼びかけている愛なる神に目を向けてみませんか。 さあ、いつまでも座りこまないで、立ち上がりイエス・キリストの救いをアーメンと信じ、受け入れてみてください。 だれでもキリストにあるならその人は新しく造られた人生を、新しくいきることができます。コリント人への第二の手紙3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。 3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 今日もまた天国の一日です!あなたにはまだまだ多くの可能性があります。「私は私を強くしてくださるイエス・キリストによってどんなことでもできるのです」と、聖書の言葉を信じるとき、醜いアヒルの子は自分が白鳥であると気づいたように、自由の大空へと飛び立つことができるのです。 「もしできればというのか。信じる者にはどんなことでもできるのです」(マルコ9:23)ローマ人への手紙8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。 8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。 8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。 8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。 8:19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。 イエス・キリストをアーメンと信じ、その神の子となった優雅な姿で、大空へと羽ばたく自由で幸せな体験を持たれるようお祈りいたします。 今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。感謝します。
2012/03/26
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春の輝きに いのちは香り主イエスの十字架 信じた日より喜び 平安 あふれる感謝!天国の日々を 豊かに生きる主イエスの恵みは さらに豊かに新たないのちの 喜びあふれ信仰 希望と 愛に満たされ天国の日々を 輝き生きる御霊(みたま)に満たされ 力に満ちて主イエスの福音 喜び伝え豊かな救いで 幸せ満たす天国の日々は とこしえ(永遠)までも 仙台や石巻市牡鹿半島の雪を、沖縄では26度の暑さの中を踏みしめ歩きました。特に沖縄ではまだ寒い海で洗礼式もしたりでした。 昨日は散歩に出たところ突然の土砂降り、雨宿りしたところがタクシー会社の配車場。自宅までワンメーターで濡れて待つよりもt、タクシーで帰りました。 すべてがアドナイ・イルエ、普段は山の中を歩いているのに、お訪ねした家からの道でした。 今朝も歩きつつ春の輝きを肌で感じ、いのちが香る感動でした。キリスト教会は、4月1日より受難週を迎えます。十字架の道を選ばれたイエス・キリストが、人類史上もっとも残酷な十字架上に死なれたことを記念する一週間です。 4月6日(金)が十字架に死なれた記念の日、8日(日)が墓に葬られて3日目の朝早く、死を打ち破り復活されたイースターです。 キリストの十字架により歴史は変わりました。アーメンと信じれば救われるすばらしい恵みの日が始まったのです。 沖縄から帰る朝6時ころいつものように散歩していました。ホテルは松山通りの近くにあり、客引きに声をかけられたので、立ち止り話を聞きました。不夜城であり朝6時からもまだ客を案内すると言う熱心さです。 ひとりは20歳、もう一人は18歳。若い男の子です。日銭でお金が入るから止められないし、他に仕事もないと言うので、じゃ祈ってよい仕事が見つかるようにしたらいねと、握手をして祝福を祈りました。 アーメンと言ってくれたので、イエス様を信じて新しいスタートをと語りかけ、いっしょにイエス様を信じ受け入れます。アーメンと祈ってくれました。 いつでもどこでもイエス・キリストの救いを語り、聞いてくださった方々のほとんどは、アーメン信じます。と受け入れてくれます。テモテへの第二の手紙4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。 4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 4:4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 4:5 しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。
2012/03/25
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先週は石巻市へボランティアへ行き、雪降る仙台市や石巻市牡鹿半島を歩きました。 19日から23日は沖縄でした。シャツ一枚でも暑いような日もあり、昨夜の生駒はまだ寒く暖房をいれました。 20日は石垣島では海開き、21日は南城市でも海開きでした。沖縄の方々も海開きがあったらすぐ泳ぐのではなく、海水浴は通常夏の間だそうです。 今回の沖縄への目的は、洗礼式を沖縄の海で行うことでした。レンタカーで待ち合わせの元部の海岸へ行きました。 幸いホテルのシャワールームも無料で貸してくださり、まだ少し寒い海へ洗礼を受ける兄弟と入りました。55年前種子島の海岸で寒さに震えながら洗礼を受けた日を思い出し、感動しながらの洗礼式でした。 洗礼はイエス様のご命令です。アーメン信じますと言えば救われます。それはちょうどプロポーズを受けて婚約したのと同じ状態です。洗礼(バプテスマ)を受けるのは、結婚の制約と同じように考えることができます。 イエス様は、「信じてバプテスマを受ける者は救われます。信じない者は罪に定められます」(マルコ16:16)と教えました。 使徒ペテロは、「「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです」(使徒2:38-39)と語りました。 その日3000人がアーメンと信じてバプテスマを受け、初代教会が誕生しました。 また使徒パウロは、「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです」(ローマ6:3-5)と宣言しています。 「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか」(ヘブル人への手紙10:22 ) そして何よりもイエス・キリストご自身の模範があります。もし洗礼を必要としない人がいたとしたら唯ひとり、イエス・キリストご自身だけなのです。そのお方が自らバプテスマをお受けになりました。マタイの福音書3:13 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。 3:14 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」 3:15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。 3:16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。 3:17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」 沖縄の海での感動の洗礼式を終え、お祝いの昼食をハワイ(という名前のレストラン)でご馳走になりました。夜もお祝いの接待があり、できるだけ少しと願ったのですが・・・・。 食後は近くの島々をドライブし、海洋博公園ドリームセンターに案内され、3000種以上の美しく咲き誇るランや熱帯の植物園を案内してもらいました。 朝早く起きてゆとりの一万歩を歩いていたので、15000歩を越える一日になり感謝です。 今回は海での洗礼式だけの予定でしたが、22日夕方に琉球大学付属病院に末期がんで入院中の40代主婦を見舞いました。モルヒネで痛みを和らげながらですが、それ以外に処置ができない方でした。個室へお訪ねし快く見舞いをお受けくださいました。 マンガ「今日もまた天国一日」を覚えるくらい何度も読まれており、訪問をも歓迎してくださいました。 手を置いて癒しと平安の守りをお祈りし、「信じてばプテスマを受ける者は救われます」とイエス様のことばおとおりに、ベッドの上でばプテスマをお受けくださいました。 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい!と、お勧めし特に感謝をすることをお話ししました。 8月の訪問までにはすっかり元気になっていることを信じ祈りながらお別れしました。 今日これからすぐメール便で著書をお送りしようと思いながら、ブログを書いています。
2012/03/24
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家を持たず、町の郊外にあるほら穴で暮らしていた兄弟が、突然約5700億円の遺産相続権を得たとして話題になっているそうです。兄弟は幼い頃に母親に捨てられていたのですが、その母親の実家がとても裕福で、このたび兄弟の祖母が亡くなったために相続権を得ることになったとのこと。こんな映画やドラマのような話が、現実にも起こりえるとは驚きです。 記事によると、話題になっているのはハンガリーの首都ブダペストでホームレスをしているZsolt PeladiさんとGeza Peladiさん兄弟。二人は郊外のほら穴で暮らしており、廃棄されたスクラップを売って生計を立てていたとのこと。 ところがある日、Peladi兄弟の前に1人の弁護士があらわれ「ドイツにいる(兄弟の)母方の祖母が亡くなったので、二人に財産40億ポンド(約5700億円)を継承する権利がある」と告げたそうです。ドイツの法律では直系の子孫で財産を分配することになっており、Peladi兄弟の母親は既に他界しているため、母親が受け取る予定だった財産が自動的にPeladi兄弟へ相続されることになったとのこと。Peladi兄弟は母親の家がお金持ちであることは知っていたそうですが、母親は実家との関係を絶っていた上に、幼い頃にPeladi兄弟を捨ててどこかへ行ってしまったため祖母と接触したことがなく、ここまでお金持ちであったことを知らなかったそうです。 住所不定のPeladi兄弟を探し出すのは非常に困難だったそうですが、地元のボランティアの協力で何とか居場所を突き止めたそうです。現在、正当な相続人として母親との家族関係を示す書類や母親の死亡診断書などを取得しようとしている最中で、今後アメリカに住む別の姉妹との間で遺産相続についての話し合いが行われる予定とのこと。Peladi兄弟は「遺産相続がうまくいけば、やっと人並みの生活ができる」と遺産相続に意欲を燃やしているそうです。 コリント人への第二の手紙9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。 9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。 9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。 9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。 9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。 9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
2012/03/23
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夏のある日、キリギリスが野原で歌を歌っていると、アリたちがぞろぞろ歩いてきました。「おい、アリくんたち。そんなに汗をびっしょりかいて、なにをしてるんだい」「これはキリギリスさん、わたしたちは食べ物を運んでいるんですよ」「ふーん。だけど、ここには食べ物がいっぱいあるじゃないか、どうして、いちいち家に食べ物をはこぶんだい。おれみたいにおなかがすいたらその辺にある食べ物を食べて、あとは楽しく歌を歌ったり、あそんだりしていればいいじゃないか」「でもね。キリギリスさん。いまは夏だから食べ物がたくさんあるけど、冬が来たらここも、食べ物はなくなってしまいますよ。いまのうちにたくさんの食べ物をあつめておかないと、あとでこまりますよ」 アリたちがそういうと、キリギリスはバカにしたようにハハハハハハッと笑って。「まだ夏が始まったばかり。冬のことは冬が来てから考えればいいのさ」 そう答えると、また歌を歌い始めました。 さて、それからも毎日キリギリスは陽気に歌ってくらし、アリたちはせっせと家に食べ物を運びました。 やがて夏がおわり、秋が来ました。 キリギリスは、ますます陽気に歌を歌っています。 そしてとうとう、さむい、さむい冬がやってきました。 野原の草はすっかり枯れ果て、キリギリスの食べ物は1つもなくなってしまいました。「ああ、おなかがすいたな。こまったな。どこかに食べ物はないかなあ。あ、そうだ。アリくんたちが食べ物をたくさんあつめていたっけ、よし、アリくんたちに何か食べさせてもらおう」 キリギリスは急いでアリの家にやってきましたが、アリは家の中から。「だから、食べ物がたくさんある夏のあいだに食べ物をあつめておきなさいといったでしょう。家にはかぞく分の食べ物しかないから、悪いけど、キリギリスさんにはあげることができません」 といって、げんかんをあけてくれませんでした。 キリギリスは雪の降る野原のまん中で、寒さにふるえながらしょんぼりしていました。 いま楽をしているなまけ者は、そのうち痛い目にあうというお話です。 箴言6:6 なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。 6:7 蟻には首領もつかさも支配者もいないが、 6:8 夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。 6:9 なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。 6:10 しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。 6:11 だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。 6:12 よこしまな者や不法の者は、曲がったことを言って歩き回り、 6:13 目くばせをし、足で合図し、指でさし、 6:14 そのねじれた心は、いつも悪を計り、争いをまき散らす。 6:15 それゆえ、災害は突然やって来て、彼はたちまち滅ぼされ、いやされることはない。
2012/03/22
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中国の北の方に占いの上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。ある時どういうわけか、その老人の馬が北の胡の国のほうに逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」 そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。「このことが禍(わざわい)にならないとも限らないよ。」 しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」 1年が経ったころ胡の人たちが城塞に攻め入ってきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くは戦いで死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。 この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれています。 「人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味です。「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。総合すると、「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍へ、また禍から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」という事です。ローマ人への手紙 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
2012/03/20
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昨日から沖縄へ来ています。 先週は仙台市や石巻市牡鹿半島、雪の中をゆとりの一万歩で歩きましたが、今朝は暖かい那覇市を歩いています。 午後からは、信じてバプテスマを受ける兄弟と海洋博覧会のあった海辺で出会い、海に入り洗礼式です。 今まで沖縄で多くの方にバプテスマを授けました。幸いなことにほとんどの方々が、地域教会に所属し熱心なクリスチャンとなっておられます。 アーメンと信じてバプテスマを受け、救われた喜びの中で平安と感謝に満たされ、幸せに生きてくださる姿を見ることに勝る喜びありません。 一匹の貧弱なトカゲが、神様に頼みました。「僕は小さくて痩せこけています。だからいじめられてみじめな思いばかりしています。ほらこのとおり体中傷だらけです。神様どうか、よろいのような固い体にしてください」 神様はトカゲがいじめられないように、背中に大きな甲羅をつけて、「これからは亀と名乗りなさい」と励ましてあげました。 しばらくして亀は神様に言いました。「傷つかない強い体になりましたが、この甲羅のせいで背中が重くて仕方がありません。みんなからのろまとバカにされ、恥ずかしいな体でお願いします」 神様は、甲羅をはずすと同時に、他の動物たちが恐れるような頑丈な体にして、これからはワニと名乗りなさいと励ましました。 ワニになったトカゲは、「神様のおかげで何も恐れないような体ですが、このずんどうの手足は何とかなりませんか。とても短くて恥かしいのです。この手と足を何とかしてください」 神様は、「そんなにその手足がいやならスマートにしてあげよう。でもこれが最後だよ」と言うと、ワニから蛇に変えてしましました。 トカゲは、「ああ、薄気味悪いといわれるより、トカゲのままでいたほうがよかった。そうすればのろまだとか、ずんどうといわれることもなかったし、気味悪い怖いといわれることもなかったのに」と嘆きました。 今ある自分を好きになり、満足し幸せだと感じることが重要です。 聖書に、「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった」(創世記1:31)と書かれています。 見よ。それは非常に良かった!いまある自分に感謝し、イエス・キリストによって変えられていくことを喜びとするとき、栄光から栄光へのおきな変貌を体験できるのです。 コリント人への第二の手紙 3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。 3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
2012/03/20
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今朝、関空より一番機で沖縄へ行きます。正月にイエス様を信じた50代男性が、仕事の関係もあり20日(春分の日)に美しい沖縄の海で洗礼を希望しています。 先週は雪の仙台でしたが、今週は海に入るという日本列島の広さを思いつつ、沖縄での集会を楽しみにしております。 聖書が大好きです。新改訳聖書は1800ページですが、その膨大は聖書を凝縮するとヨハネの福音書3章16節になります。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」 このみことばで多くの人々が救われました。臨終の床で初めて聞くキリストの救いを受け入れ、永遠の天国へ召された方々を思います。どうにもならない状況で救われた人々もたくさんあります。 そしてさらにこのことばを凝縮すると、ヨハネの第一の手紙4章8節の「神は愛だからです」になります。God is love! 天地宇宙万物すべての創造者である全能の神は、愛してくださる神様です。イザヤ書43章4節には、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と、愛の告白があります。 「ありがとうございます。私は高価で尊く、愛されています。アーメン。感謝します」と、神の愛を真正面から受け止める時、人生は変わります。 十字架にいのちを捨ててまで愛してくださった主イエス・キリストの愛は、きのうも今日もいつまでも変わらず与えられています。 ヨハネの福音書15章13節、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」のとおりに十字架にいのちを捨てて、罪の中から救い出してくださいました。その十字架の愛の事実をアーメンと信じるだけで救われるのです。。 その十字架から注がれる十分な愛で克服できないような問題も困難もありません。 その十字架であらわされた十分な愛ですべての病は癒されます。 その十字架上の愛ですべての門が開きます。見よ。わたしは誰も閉じることのできない門をあなたの前に開いて置いた!ハレルヤ。 その十字架上の愛で、すべての隔ての壁は打ちられました。国を越え民族を越え、世界中が手をつなぎ仲良くなる平和な世界が必ず実現するのです。 その十字架の愛で、すべての罪は赦され、アーメンと信じるだけで救われるのです。ローマ人への手紙5章5節には、「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」とあります。 その注がれる十分な愛で、あなたも十分に愛するだけで、あなたも世界で最も幸せな、力強い祝福をもたらすできるのです。愛こそすべての幸せの源です。コリント人への第一の手紙13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。 13:10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。 13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。 13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 今日もまた天国の一日です!明日もブログは掲載し続けます。
2012/03/18
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あ 明るい愛にい いのちう 嬉しくうつくしくえ 笑顔でお おはようございます。か 輝く感謝でき 気になるく 苦労もけ 蹴飛ばしこ こうふくです!さ 栄えるし 幸せす 素直に受けて、せ 聖霊にそ 注がれ続けます。た 宝のようなち 力でつ 強いて 天国のと 尊い日々です。な 何でもに ニコニコとぬ 抜きんでね 熱中しの 乗り切ります。はまやらわで働く日々も不安にならず、平安に保証されます。毎日見上げて胸いっぱい、恵みを求めます。やさしいイエス様の豊かな永遠の喜びにあふれています!楽天的で立派な人が、類は友を呼ぶで列を作ろう!エリムの群れで。笑いで包もう愛と平和の日本列島、そして地球を!アーメン。ピリピ 4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
2012/03/18
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大地震と大津波一周年の被災地、牡鹿半島を訪れて地震と津波に 襲われた地に祈りと愛もて とんこつラーメン雪降る寒さで 凍える手もて優しく手渡し 美味しさかおるまんがも手渡し 福音伝う快く受けて ほほえみあふる主イエスの十字架 響け心に信じる心に 主は住まわれる信じる心に 主は訪れてすべての恐れを 取り去りたもう勇気と希望を いま与えられ神の子とされた 輝く日々を被災地の中に 花咲き乱れ木々は芽吹いて 小鳥も歌う春は訪れて 笑顔輝くキリストの救い 満ち溢れよと
2012/03/17
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よいことがいっぱい起こる! すべてのことに感謝し続けると、不思議なことがいっぱい起こります。 不平不満で文句ばかり言いながら怒り続けると、同じように不思議なことが起こります。 何だ、同じではないかと言われそうです。だが起こる結果は雲泥の差があります。 感謝し続けると、よいことがいっぱい起こります。不平不満で怒ってばかりいると、結果として悪いことが次々に起こります。 どんなできごとにも感謝の種が隠されています。その感謝の種をそのままにしておけば、いつまでもそのままです。 でもその種をよい心で蒔くと、30倍、60倍、100倍の実りとなるのです。すべての出来事に感謝の種を見つける名人になりたいものです。 山道を歩いていて滑りました。立ちあがろうとしたらものすごい痛みです。スボンをめくって見ると、ふくらはぎが黒ずんでいました。足を引きずるようにして帰り、ただ口にしたことばは感謝しますだけでした。 それから長い間痛みがあり、正座もできずでした。2カ月半が過ぎて黒ずんだふくらはぎを触ると何かあるようです。しっかり見て見ると何と刺が刺さっており、ゆっくりつまみ出すと2センチもある刺でした。 すぐその場で刺を抜いておけばOKでしたが、原因が分からずそのままで過ごしました。 現状を見ると問題の本質が見えないことも多いことが結構あります。そのさなかに不平不満が出てくることも当然かもしれません。 しかし、その中で感謝できるこトは必ずあります。悲しみや痛み、辛さや厳しい出来事の中に、感謝しますと宣言すると、当たり散らしたり、乱暴なことばからも救われます。 聖書の約束は、よいことがいっぱい起こると宣言しています。 どうぞ聖書のことばに、アーメン。信じます。ありがとうございます。その通りになりました!感謝しますと応答し、告白してみましょう。伝道者の書 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。詩篇103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。エレミヤ書 29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。コリント人への第二の手紙4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。テアロニケ人への第一の手紙 5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 今日もまた良いことがいっぱいある天国の一日です!すべてのことに感謝します。
2012/03/17
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生きている限りお金が必要なのが現代です。心が豊かだったらお金はいらない世界があればよいのですが、経済社会の中でお金は必要です。 お金は現代社会を生きていく上で必要ですし、なくてはならない者だと思います。ところが毎日のニュース等を見ると、お金があるため(あるいはないため)お金が事件を引き起こした事件がたくさんあります。 だからお金は敵だとも言われます。二つの意味があるようです。お金に巡り合わない、お金が通り過ぎていくのです。敵だったら出会わない方が良いのですが、お金の場合は思い通りにならないから、敵には出会いたくないと言う意味で敵だと言えます。 もう一つの意味は、お金が身を滅ぼすことになるので、お金は敵と言うことになります。 では聖書はお金についてどのように書いているでしょうか。イエス様の教えにはお金に関することばがたくさん出てきます。 たとえば、「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません」 「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」は良く分かる教えです。心が何を求めているかで人間の価値観が決まっていきます。 「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。 衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」(テモテ第一6:6-10) 「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです」とあるように、お金に執着しそのことばかり考えると、お金が宝(第一のもの)となり、いつも心が不安定になり、心配で夜も眠れなくなることもあります。 イエス様は、「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)と教えました。 神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。神様を第一に優先すると、不思議に心にゆとりが与えられ、気持ちが安定します。イエス・キリストをアーメンと信じると、心の優先順位(価値観)が変わります。 金銭に対する考えが変わると言ってよいでしょう。生き方への価値観が変化するのです。お金は大切だけれども、執着するものではなく優先的に愛するものではないことに気づきます。 箴言には、「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。 不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。 私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために」(30:7-9)とあります。 その真理を知る時、不平不満の心は消えて行き、なくてはならない真実が分かります。そして与えられた幸せを、受けるよりも与えるほうが幸いですと、ゴールデンルールを実行する生き方へと変えられて行きます。 そして心とお金に豊かになる生活へと変えられ、「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば開かれます」との、イエス様の約束通りに、すべての門が開かれ始めるのです。 神のみことばどおりに、「その人は何をしても栄え、繁栄し、成功する」(詩篇1:3)人生になっていくのです。 「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得(恵まれ、栄え)ているようにすべての点でも幸いを得(恵まれ、栄え)、また健康であるように祈ります」(三ヨハネ1:2) そのように祈られ祈る幸せが与えられるのです。必要は必ず満たされます。聖書の約束は間違いありません。 「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」(ピリピ4:19) 「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイ6:34) だから明日や将来のことを、くよくよ思い煩ったり心配したりせずに、不平不満を捨て去り、忠実に誠実に働き、学び、熱中し続ける天国の日々を力強く生きて行きましょう。 豊かなお金を持っているお金持ちの方々にも、聖書は勧めています。 「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。 また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。 また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように」(第一テモテ6:17-19) さあ今日もまた天国の一日です! 神様。ありがとうございます。私の人生のすべての出来事に心から感謝します。すべてのことに心から感謝しているので、私は心にも金銭的にもいつも満たされゆとりがあります。必要はいつも必ず満たされ続けています。心から感謝します。アーメン。 ありがとうございます。精神的にも金銭的にも豊かに満たされました!感謝します。詩篇 23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
2012/03/16
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ありがとう!有り難う=有り難いことへの感謝のことばだと思います。 2006年に日本語でもっとも美しい言葉が、ありがとうございますだと思いました。それまでは感謝します!をいつも口癖にしていました。 特に、歯科医院の先生から、祈っても答えられないのはなぜですか?と質問され、疑うからです!と答えました。「 すると疑わずに祈るにはどうしたら?と問われ、「イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。疑いが入らない前に、ありがとうございます。答えられました。感謝します」と言えば良いと答えました。 歯科医院の帰り道、安孫子から一駅を歩きつつ、自分の祈りが大きく変わる恵みを体験しました。その日以来、イエス様のお名前によって祈ると、「アーメン。ありがとうございます。与えられ(癒され、答えられ、祝福され)ましたと必ず告白しています。 聖書の約束は、「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」(ヨハネの第一の手紙5:14-15)にあるとおりです。 その日以来、祈りはさらに答えられ、想定外の恵みガ豊かな与えられ続けています。 家内は、昨年8月に近大奈良総合病院で末期がんレベル4(余命一年)を宣告されました。 そのときから、「わたしは主であってあなたを癒す者である」「その打たれた傷により癒されました」と、イエス・キリストの十字架の癒しを信じ、祈り続けています。 祈ったら必ず、ありがとうございます。「イエス・キリストの十字架の打たれた傷によってお癒されました!」感謝しますと必ず告白し続けています。 昨日は定期検診日でした。幸いなことに数値も5.3に下がり、ガンの影も薄くなり、主治医も驚くほどの癒しが与えられています。ガンであることに変わりはないけれども、主の癒しの豊かさと、周囲で祈ってくださる恵みは豊かに答えれれています。 人は死ぬときは死にます。神様が天へ召してくださるときは、喜んでその召しに答えることも大切です。しかし、神様がまだ地上で果たす使命があると言われると、想定外のいやしと恵みは与えられます。 すべてのことにありがとうございますと感謝し、日本中にこの美しいことば「ありがとうございます」があふれるよう祈ります。 朝には=ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 夜にも=ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。テサロニケ人への第一の手紙 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
2012/03/15
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大津波に襲われた三陸海岸の最南端に位置する牡鹿半島へ行きました。半島全域に渡って山地であり、海岸はリアス式海岸の美しい半島です。 昨年の東北地方太平洋沖地震で、地震前に比べて半島が東南東に約 5・3メートル移動し、約 1.2メートル沈下してしまいました。 震災一周年ということで石巻市はホテルも満室。幸い仙台市で東横INNに三連泊でOKでした。会員は連泊は安くなり、シーツ返還もなければさらに割引で、市内中心部でしたが駐車料金も500円で感謝でした。 牡鹿半島の目的地までは一時間半ほどかかりました。今回も九州ラーメン党と、九州とんこつラーメンの炊き出しボランティアでした。 同時に、マンガ「今日もまた天国の一日」を会場でお渡しできました。被災地の復興は心の復興が必要なことは、みんなが分かっています。 800冊のマンガ「天国の一日」をボランティア会場で、仙台市ホテル周辺へのポスティング、松島支援センターや仙台市の集会でも配布できました。 牡鹿半島の帰りに石巻市を出ようとした時、同行者に電話があり岡山から石巻市へ災害復興に来ているとのこと。二人ともお互いがどこへいるのか知らないままで、石巻にいるのを声を上げて驚いていました。 すぐ住所を聞いて仕事の現場を訪ね、工務店社長は牧師と会うのは初めてでしたが、仕事場から離れて寒風吹きすさぶ外で祝福を祈りました。 もう一人も出てきてくださり、お二人ともイエス様を信じ心にお迎えする祈りをしてくださいました。携帯がなったことも、まだ石巻市にいたこと、すべてがグッドタイミング。しかしもっとも大きな恵みは、工務店社長が救われるように祈っていたことです。その祈りがあったので、同行者が石巻市にいるときに社長から電話があった不思議さです。普通電話をし合わないつき合いでした。 帰りの仙台空港売店でお土産を買い、お二人の店員さんと少しおしゃべりしました。売店の繁栄を三人で手をつないで祈りました。 イエス様を信じて心にお迎えするように語ると快く、信じ受け入れる祈りをしてくださり、次のお客さまがくるまでいろんなことをお聞きすることもでき感謝でした。 今日中に著書をお送りするよう約束をしましたので、これからユーメールの準備です。 九州ラーメン党の濱田龍郎さんと知り合い、活動と出会いの輪が広がり感謝しています。 四月早々には益城町を訪ね、FMラジオ出演や福祉作業所訪問な度も予定しています。 生駒聖書学院入学式は4月9日(月)です。 まだ入学間に合いますので、ご連絡ください。630-0243生駒市俵口町951携帯;090-1593-1269メール;elimyoshi@kcn.jpエレミヤ書 33:1 エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような主のことばがあった。 33:2 「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。 33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。 33:4 まことにイスラエルの神、主は、塁と剣で引き倒されるこの町の家々と、ユダの王たちの家々について、こう仰せられる。 33:5 彼らはカルデヤ人と戦おうとして出て行くが、彼らはわたしの怒りと憤りによって打ち殺されたしかばねをその家々に満たす。それは、彼らのすべての悪のために、わたしがこの町から顔を隠したからだ。 33:6 見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。 33:7 わたしはユダの捕われ人と、イスラエルの捕われ人を帰し、初めのように彼らを建て直す。 33:8 わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。 33:9 この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。」 33:10 主はこう仰せられる。「あなたがたが、『人間も家畜もいなくて廃墟となった。』と言っているこの所、人間も住民も家畜もいなくて荒れすたれたユダの町々とエルサレムのちまたで、 33:11 楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。』と言って、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が再び聞こえる。それは、わたしがこの国の捕われ人を帰らせ、初めのようにするからである。」と主は仰せられる。
2012/03/14
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グッドタイミングでで物事が展開していくとき、すごく楽しくなり感謝があふれます。 牧師をしているといろんな方の出来事に直面します。 「車の助手席に乗せてもらっていた時、上半身の骨がバラバラになる大事故で入院中です。幸いいつも聞いているラジオ放送のイエス様に助けられて一命を救われました。 これからが大変だと思いますが、主人もガンで苦しんでおり、一日も早く怪我が回復することを願っています。 病床で賛美歌を口ずさみ、主の祈りを唱えています。お祈りをお願いします」とありました。 表書きをみると自宅の住所と病院にてとあり、病院名の記述がなく、長年のラジオ聴取者でもあり、自宅へお見舞いに出かけました。 マンションの3階のベルを押しても反応なく、ドアの前で短く祈りました。ポストは階下だけなので見舞カードだけでも入れて帰ろうと思い、階段をおりるとエレベーターが上にあがりました。 もう一度階段を駆け上り、チャイムを鳴らすとグッドタイミング、ちょうど病院から40日ぶりに退院したばかりでした。ともに感謝の祈りをし、さらなる回復を祈りました。 短い祈りでしたが、すごく喜んでくれ、ラジオ放送を長年聞き続けておられ、イエス・キリストの十字架の救いを体験されていました。 どんなに短くても、単純に素直に祈る時、グッドタイミングの答えが与えられることをしばしば経験し感謝しています。 同時に、日曜日にお会いした方は、乳がん骨転移(複数)のため、5年生存3割 10年生存0・7割という診断でした。 10年を元気に超えられる人はまずいないと言われた中、祈りと信仰により9年目、元気に2時間かけて教会に来れるようになりました。 さらに、乳がん骨転移は、今年の6月に主治医より治療卒業と宣言されました。とりあえずという言葉はついていますが、長い忍耐と祈りのグッドタイミングだと感謝しておられます。 泣いたり笑ったり謝ったりの変な祈りのときもありましたが、神様の愛とイエス・キリストの救いといやしの御業は変わらずでした。 その方は、ただ「病の具合がよくなった」から ハレルヤ 感謝しますというだけではなくこの病を与えられたことによって、苦しみの中でいつも神さまが寄り添ってくださり暗闇の中にいた私の手をとり 光の中に連れ出してくださり御国への希望までも与えてくださった、その事を体感することが出来たことを、どう表現していいのか分からないほどの感謝を感じています。これからの与えられた時間を、榮牧師から教えていただいたように、「?」ではなく「!」で歩んで行きたいと証されています。 グッドタイミングは短い祈りだけでなく、長い忍耐の祈りの中にも、神様の愛のグッドタイミングが豊かにあることを教えられます。ありがとうございます。祈りは聞かれ続けていました。感謝しますと、栄光を主に帰しつつ喜びにあふれ、今日もまた天国の一日です!と、信じて進み続けましょう。ピリピ人への手紙4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
2012/03/14
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短い祈りでも、長いいのりでも祈り続けることが大切です。サムエルの母ハンナは、子どもがないために心は痛み、主に祈って激しく泣き、長い祈りでくちびるが動くだけで、その様はまるで酔っているようでした。 祭司のエリは、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」と注意しましたが、彼女は、「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」と答えました。彼女はその待望の祈りの中で、明確な答えをいただき、喜びに顔を輝かせ祈りの座から立ち上がりました. ハンナの祈りは長年の待望であり、同時に時間をかけた祈りだったのです。伝道者の書に、「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。・・・・神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(3:1,11)とあるとおりに、神の深いご摂理があることを、私たちは知っています。 神がまさに良しとしてくださり、みむねの定まったときに答えが与えられることを、聖書の教えからもよく理解し、心配しないで祈り通す幸いを経験したいものです。 ある著名な経営者が、毎日800項目を上げて祈リ、一項目2秒で祈っていると聞き、ご本人直接お聞きしたら、にっこり笑って1000項目に増えましたとのこと。朝目覚めたら静かに主の前に静まり、約一時間以上かけて祈り続けるそうです。その結果、1000項目もあるので、一つのことにわずか1~2秒の時間だそうですが、大きな祈りのヒントになりました。 イエス様は、「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」(マタイ6:5-8)と教えました。 つまり同じことを繰り返したりしなくて良いのです。綺麗な語彙をもったいぶって盛りたくさんにしなくても、神の子どもとして素直に祈れたら最高です。 同時に、「しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする」(イザヤ32:8)と聖書にあるように、高尚な願いができるように聖霊に信頼し、我欲だけに捕えられず、高貴な祈りをも心がけたいものです。 フランシスコの祈りを模範に高貴な祈りを捧げるよう励みたいと願っています。平和の祈り主よ、わたしを平和の道具とさせてください。わたしに もたらさせてください……憎しみのあるところに愛を、 罪のあるところに赦しを、争いのあるところに一致を、誤りのあるところに真理を、疑いのあるところに信仰を、 絶望のあるところに希望を、闇のあるところに光を、 悲しみのあるところには喜びを。ああ、主よ、わたしに求めさせてください……慰められるよりも慰めることを、 理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを。人は自分を捨ててこそ、それを受け、 自分を忘れてこそ、自分を見いだし、赦してこそ、赦され、 死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
2012/03/13
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今朝開いた聖書の一節に、「彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く」(イザヤ65:24)とあります。 苦しい時の神頼みと言うことばがあり、場当たり的な信仰と思われたりすることもあります。しかし、苦ししさや悲しみのとき、切羽詰まり進退窮まるようなとき、祈ることができるのはすばらしいことです。 それは自分の場合だけでなく、人のお話や悩みをお聞きした時も同じです。後で祈ろうなどと思わないで、その場で一言でも祈ることができれば最高です。 山室軍平中将「(1872年9月1日(明治5年7月29日) - 1940年(昭和15年)3月13日)日本人初の救世軍士官で初代の日本救世軍司令官。岡山県阿哲郡哲多町(現在の新見市)出身」は、手紙の最後に祈りますと書くと、その場でペンを置いて祈ったそうです。 今すぐに祈ることを習慣にすると、祈ろうと思ったことが山積みにならないで、絶えず祈る幸いを経験することができます。 朝の目覚めとともに、「主よ!(神様・天のお父様・イエス様などいつも呼びかけているように)おはようございます。今日もまた天国の一日です!」と言えば祈りになります。 不平不満を言えば愚痴になりますが、天の父様と口に出して言えば、どんな愚痴もことばも祈りに変わります。 詩篇の中に、「 主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします」(5:3)とあるようい、神様に朝ごとに声を聞いていただけます。 短くても声を出して祈ってみることです。 メールや手紙を開き、「お祈りください」とのことばがあれば、その場で短く主よ、お守り(平安、慰め、勇気、いやし、助け、満たし等)くださいと、必要について祈ることができます。長い祈りが必要なときは、時間をとって祈りますが、その場で短くても祈ることはすばらしいことです。 毎週の礼拝でも、多くの新しく来られた人との出会いがありますが、歓迎の握手をして、「アーメン。イエス様を信じます」と、祈ることができます。教会は特別に聖霊の雰囲気が溢れているので、「イエスは主です。信じます。アーメン」と祈りやすい最高の場です。そのようにして今年も多くの方々が、救われバプテスマを受け続けています。 悩みや問題をお聞きしても、その場で握手をして短く祈ります。 イエス様は、「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます」(マタイ(18:19)と約束されたので、心を一つにしていることを握手で表現しています。 有名な牧師にとか、偉大な人に祈ってもらったらではなく、ふたりが心を合わせて祈れば、それをかなえてくださる約束です。 散歩の時や車を運転しながら、電車や新幹線、飛行機の中でも、いつでもどこでも主イエス・キリストのお名前で祈れることは幸いです。 仕事の場で声を出せない時でも、心と思いの中で短く主よ!助けてください。守ってください。特に、相手の方に祝福を!と念じます。 祈りは念じることでもあり、念と言う字は今の心と書きます。今の気持ちをそのままイエス・キリストのお名前で祈るとき、考えられないようなすばらし事が起こります。 「ありがとうございます。聞かれました。感謝します」と、感謝を忘れないようにするとき、平安と喜びが心を支配し、顔も輝き元気も出ます。 今日もまた天国の一日でした!と、平安の中で熟睡の恵みも与えられます。主よ。すべての祈りをお聞きくださりありがとうございます。祈りが願いや思いをはるかに越えて答えられました。感謝します。アーメン。
2012/03/12
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昨日、富雄キリスト教会で結婚式がありました。仙台市や石巻市行きのため参加できず、お祝いのことばを贈りました。 あかさたな夫婦 あ=明るい愛で、いつも愛し合う気持を持ち続けるよう!か=輝く笑顔で、いつもすべてのことに感謝しよう!さ=幸いで、最高に栄えよう!た=楽しさに溢れ、互いに相手を宝のように尊ぼう!な=仲良く、何でもありがとうといつも語ろう!は=ハレルヤと、まず神の国と神の義を第一にしよう!ま=真っ直ぐに、アーメンと言える真実の人生を歩み続けよう!や=優しくて、平安に満たされた日々を生きよう!ら=楽天的で、楽しく語り信頼しよう!わ=笑いがいっぱいで、神の栄光に輝こう!ん=アーメンと全てが真実であるよう!あいうえお50音で幸せ輝く、今日もまた天国の一日です! 明るい愛にいのち嬉しく!笑顔でおはようございます。輝く感謝で気になる苦労も蹴飛ばし幸福です!栄える幸せ素直に受けて、聖霊に注がれ続けます。宝のような力で強い天国の尊い日々です。何でもニコニコと抜きんで、熱中し乗り切ります。働く日々も不安にならず、平安に保証されます。毎日見上げて胸いっぱい、恵みを求めます。やさしいイエス様の豊かな永遠の喜びにあふれています!楽天的で立派な人が、類は友を呼ぶで列を作ろう!エリムの群れで。笑いで包もう愛と平和の日本列島、そして地球を!アーメン。 詩篇118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 118:27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。 118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 118:29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
2012/03/12
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昨日は生駒聖書学院卒業式でした。7名の牧師や教授から力強い祝辞が送られ、会衆一同も大いに恵まれる、聖霊の臨在あふれる卒業式でした。お祈りありがとうございます。 初めて式に参列した方は、卒業生たちへの祝福祈祷の時、ものすごい聖霊の感動を受け、まるで全身が包まれるような体験をしました。まだ聖霊の臨在ということばも知らなかったんですが、聖なる感動を体験されました。 前年度の卒業生も参加し、遠くは熊本県や埼玉県、愛知県からも卒業を祝い、駆けつけてくれた方々もあり、熱く燃える卒業式でした。 接客もあり、ゆとりの一万歩もままならない大雨でしたが、動き回っているうちに一万歩を越え驚く、天国の一日でした! 今日から東日本大震災&大津波一周年に向かって、ボランティア(九州ラーメン党のとんこつラーメン炊き出し)も兼ね、特に被害が大きかった石巻市へ出かけます。 今までは車で往復しましたが、今回は飛行機利用で行くので、時間が大きく短縮され、身体も楽で感謝しています。 石巻市の荒波牡蠣復活委員会や石巻中央公民館を中心に、炊き出しとマンガ持参で福音をお伝えする恵みのボランティアです。 今回はパソコンを所持せず出かけますので、ボランティアや現地での礼拝や集会のレポートは、14日以降になると思います。ブログは継続して書きますので、明日もよろしくお願いします。 広いでも多くの方に福音をと祈り願いながらの日々です。今夜仙台市広瀬文化センターで行われるJ-lightでも、マンガ「今日もまた天国の一日」が配布されます。 また嬉しいメールも届きました。「東松島アメイジング・グレイス支援センターでは、送っていただいたマンガを早速、被災者の皆様にお渡ししており大変喜ばれております。」 アーメン。信じますとイエス様を受け入れ、幸せになる救いの広がりを祈りつつの朝です。コリント人への第二の手紙 6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。 6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。 6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、 6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、 6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、 6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、 6:7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、 6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、 6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、 6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。 6:11 コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。 6:12 あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。 6:13 私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。
2012/03/10
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新しい旅立ちへのメッセージ 特に今年度は、大震災・大津波・原発事故一周年を迎え、復興のさなかにあるとはいえ、日本は未曽有の経済危機といわれる状況にあり、皆さんは非常に厳しい環境に身を投じることになります。時には辛抱しなければならないことや、忍耐を強いられることもあると思います。しかしながら、皆さんが夢を持って、その夢までいかにして到達するのかを強く心に信じ告白し福音を伝え続けるなら、必ず道は開けます。 努力も、忍耐も、結果として、聖霊の助けによってすばらしい経験となり、豊かな実りとなります。 こんな時代だからなどと言い訳しないで、こんな時代だからこそ、神様は私を選び召してくださったと確信し、恐れず、ひるまず、前向きにチャレンジしてください。どんな経験も必ずあなたを高貴な牧師として育て上げてくれます。旅立ちの日に(卒業式に一番歌われる歌)白い光の中に 山並みは萌えてはるかな空の果てまでも 君は飛び立つ限りなく青い空に 心ふるわせ自由をかける鳥よ 振り返ることもせず勇気を翼に込めて 希望の風に乗りこの広い大空に 夢を託して懐かしい友の声 ふとよみがえる意味もないいさかいに 泣いたあの時心通った嬉しさに 抱き合った日よみんな過ぎたけれど 思い出強くだいて勇気を翼に込めて 希望の風に乗りこの広い大空に 夢を託して今 別れの時 飛び立とう 未来信じてはずむ 若い力 信じてこの広い この広い 大空に今 別れの時 飛び立とう 未来信じてはずむ 若い力 信じて 私も作詞していつも歌っています。ヨシュア記を読みつつ・・・・み神の約束 永遠(とわ)に変わらず偉大な奇跡は 今もなされてすべてのみことば 守り行い乳 蜜 流れて 幸せ豊か約束の土地は 潤いあふれ主の目が留まり 花咲き実る年の初めより 年 終わるまですべては満たされ 幸せ豊か主イエスの十字架 すべてを赦し神の子とされて 永遠(とわ)のいのちを御霊に満たされ 福音伝え世界を変えゆく 幸せ豊か第一に、かみのことばは生きていて力があり(ヘブル4:12)特にヨシュア記1:5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。1:6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。1:7 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。生きていて力がある神のことばに、アーメン=真実、まこと=誠=言+成=神のことばは必ず成ると信じてアーメンと告白するのです。 聖書を読むとき、聖霊が導き示してくださるみことば(聖書のことば)に、アーメン。有難うございます。実現しました!感謝します。と受け止めてみましょう。誠(真実)を持って語られた神のことばは、必ず実現します。どんなに不可能に見えても、私たちが考えると想定外であって、奇跡の神には不可能はありません。 今日もまた天国の一日です!すべての卒業生に祝福あれ。アーメン。ヨシュア記新共同訳21:45 主がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した。新改訳21:45 主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。
2012/03/09
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スッキリ春になったような生駒の朝です。午前5時前に目覚め、いつもの猛声祈祷時間を、祈り賛美しつつ歩きました。 明日卒業の神学生たちは、朝早くから卒業旅行?へ、日帰りで早く出かけました。どこへ?と聞くと通天閣など大阪へとのこと。 今年は通天閣100年を迎え、東京スカイツリーにh比することもできませんが、大阪の誇りです。 新世界はいま串カツの店がいっぱいです。テレビや雑誌で紹介された串カツ店は、日曜日や食事タイムには長い列ができ、隣りの店は空いていても入ろうとしない不思議な現象です。 今年は接待で八重勝にも並ばず入れ、別の接待の時もだるま屋にスッと入れて、美味しいと喜ばれました。 新世界にエリムキリスト教会をスタートし13年になりますが、串カツ店へ行ったのは昨年一度が初めてでした。今年はすでに3回も接待で行きました。 一昨年からトンカツをカロリー制限でカットされ、昨年一度だけ食べただけですので、串カツも食べないように気をつけています。 何を食べようかと心配するなとイエス様は教えてくださいました。種子島ですごい田舎で野菜だけを食べた子ども時代が、基本的に健康の土台になっていると思います。 昨年8月から家内の食事と同じ生活になり、家では温野菜だけの生活を7ケ月になります。家ではそうですが、学期中は接待があるし、今週もボランティアで仙台市や石巻市へ行き、同行のみなさんとの食事です。 今日は熊本から来客を大阪空港へ出迎え、昼食をともにします。夜は卒業生歓送会で、神学生たちの豪華な手作り夕食です。明日もささやか祝賀会の用意をしています。 最近心がけていることは、 最高(と自分が思っている)サプリメントを朝夕服用 食事は朝抜きで腹八分を心がけています。この時期は少し食べ過ぎになりそうですが。 ゆとりの一万歩を毎日歩き続けています。土砂降りでも旅へ出ても。 冷たい物を一切食べず、常温の水だけを飲みます。 目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!と告白し、朝の祈りの時間です。 すべてのことに感謝し、聖書の言葉とともに前向きの告白をする。 チャレンジ精神を燃やして、可能性への挑戦を継続し行動的に活動する。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝しますで熟眠。 そのすべてが聖霊に満たされ、信仰と希望と愛のなかで、ともにおられるイエス様により、神の栄光が輝くよう祈り願いながらの歩みです。 すべてを神様に委ね信頼し続けて、今日もまた天国の一日です!感謝します。詩篇 1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
2012/03/08
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聖書でイエス様が「まことに、まことに、あなたがたに告げます」とよく語られています。 この「まことに」が「アーメン」です。真実、確かにその通りです。ヘブライ語では安定という意味もあります。 世界中には、いろんなことばがあります。アーメンは唯一?翻訳も通訳もいらない言葉で、世界中で毎日一番多くつかわれています。 祈りの時に、賛美歌を歌う時に、あるいは手紙や電報、インターネットなどでも多用されています。 日本語では、真実まことにという意味です。まことには漢字に直すと、真、誠になります。真=真実、誠=言と成と書きます。 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメンとクリスチャンは祈りますが、それは祈ったことを神様が確かに聞いてくださったことへの応答です。 それと同時に、いま自分が祈った言葉は確かにその通りになると確信して、アーメンと応答するのは、誠にその言(祈りのことば)が成ったという宣言でもあるのです。 生駒聖書学院は今朝のチャペルで学期を終了でした。今日は神学生たちといっしょに院内清掃、学院下の一人住まい高齢者のベランダに、孟宗竹の葉が落ているのでその掃除したり、増えすぎた孟宗竹を切る作業もあります。 私が来た頃は完全な山の中でした。今は小学校や幼稚園、ライオンズマンションや住宅地が立ち並び、落ち葉や孟宗竹の葉が、風に飛ばされるたびに苦情がやって来ます。神学生たちには地域との教育実践にもなっています。 謝りつつ感謝されつつで三年の学びの時が過ぎ、それぞれたくましく美しく輝き成長する神学生たち祝福あれ! 今日は孫の満7歳の誕生日です。家内に代わって食事の用意を氏、久しぶりに長男、長女と家族がともに集います。にぎやかなハッピーバースデイになりそうです。 明日は卒業生を囲んで歓送祝賀会。女性神学生手作りの食事で、楽しい交わりのひとときです。明後日は卒業式。インターネット同時中継もあります。マルコの福音書11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
2012/03/07
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生駒聖書学院の朝は午前5時起床で始まります。種子島で中学時代から午前5時前には起きていました。片道9キロもあったので、必然的に早起きでした。 高校時代は下宿から学校まで近かったので、炊事をしても6時起床で間に合いましたが、下宿ご主人は毎朝弓をしていたので、五時になるとビュー・ピシッと弓が的に当たる音が響き、もう起きなさいと、毎朝言われているようでした。 生駒聖書学院も当時は午前6時起床でしたが、熱心な神学生たちは、早起きで近くの山で大声で祈っており、よく祈りの場に誘われました。 その後、院長になり午前5時起床に変更し、猛声祈祷と名付けて35年以上になります。夜型の現在、生駒聖書学院での生活は、消灯午後10時半、起床午前5時です。睡眠時間6時間半をとれるようにしています。月曜日は午前6時起床、また土曜、日曜は自主的に任せています。 今朝の祈りの時間、「神の恵みによって、私は今の私になりました」と言う聖書のことばが心に響きました。 その瞬間、聖霊の豊かな臨在に包まれ、一時間の祈りが心からの感動と感謝に包まれました。 特に、歌わずもの言わずだった神学生時代、一学期の終わりに聖霊のバプテスマを体験し、その翌日の伝道会でひとりの青年に出会いました。 「しかし、聖霊があなた方の上に臨まれる時、あなた方は力を受けます。・・・・地の果てまでわたしの証人となります」(使徒1:8)との、イエス様の約束通りになりました。 聖書を開き、小さな声で読みました。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)を開いて読みました。 短い時間でしたが、神の愛と人間には罪があること、そのためにイエス・キリストがこの世に来られ、十字架にいのちを捨ててくださり、その十字架で流された血により、すべての罪が赦され神の子となり、永遠のいのちがあたえられることをお伝えしました。復活されたイエス・キリストは、いつもともにおられ愛し見守り助けてくださることも話しました。 アーメンと言えば救われます。彼は、イエス・キリストを信じ心に迎えてくれました。一番最初に、アーメン。信じます。と迎えてくれた、最初にお導きした魂です。 その夜、彼は曽根崎警察署に自首しました。彼は神奈川で人を殺し、逃げ回って釜ケ崎まで来ていたのです。神学生の中で一番若く未熟な私と出会いました。 そしてキリストを信じて救われ、千葉県の刑務所に収監され、罪を償いました。 天竜三郎と名前を残してくれましたが、もちろん本名ではりません。何とかしてもう一度お会いできればと思っています。もう80代前後だと思いますが・・・・・。 「ですから、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」(ヤコブの手紙1:21) 経験もなく、知識も乏しい者でした。神の言葉を伝えた時、殺人を犯した青年が救われ、新しい人生を生きるために旅立ちました。 それ以来、イエス・キリストの十字架の救いを伝える時、聖霊ご自身がみことばを通して救いを与えてくださる恵みを体験し続けております。今ある恵みに心から感動する浅井のひと時でした。今日もまた天国の一日です!感謝します。ローマ人への手紙 10:7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。 10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
2012/03/06
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春一番と思うような生駒の一日でした。神学生たちは、今年度最終の試験も終わり、卒業式に向かって、それぞれの備えをしています。 午前中は原稿書きや採点があり、あっという間に昼が過ぎました。ちょとした買い物もあり近くのイーオンへ。ショッピングセンターが三階まであり、これ幸いとゆとり?の一万歩でした。外は土砂降りだったので、雨にも濡れず幸いな散歩でした。 明日は、4月放送分の録音でABCスタジオへ。夕方は神学生たちの労をねぎらうために、教会員がイタリア料理のレストランへ招待してくれたので、ラジオ放送の録音が済み次第、天王寺駅前のレストランへ。食後は火曜日伝道会で、新世界の大阪エリムキリスト教会へ。 早い夕食だが集会が終わってからだと、朝五時起床には余り健康的でなにので、いつも集会前に夕食を終えています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした! 感謝します。出エジプト記23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。23:25 あなたたちは、あなたたちの神、主に仕えねばならない。主はあなたのパンと水を祝福するであろう。わたしはあなたの中から病を取り除く。
2012/03/05
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春一番のような風と雨の朝明けです。 生駒聖書学院も今週9日(金)に卒業式を迎え、6名を働きの現場へ送り出します。今朝開いた聖書、テモ手への第二の手紙に下記のようにあります。 「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」(4:1-5)4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。 4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 4:4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 4:5 しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。 イエス様の十字架を覚えるレントになっていますが、十字架の救いが日本全国津々浦々、町々村々、島々にいたるまで満ち溢れるよう、祈り願いながらの今日もまた天国の一日です。 生駒聖書学院は4月9日(月)入学式です。現在も新入学生募集中です。願書をお送りしますので、年齢・国籍、性別・学歴不問です。原則的には全寮制ですが、通学生や聴講生も歓迎します。通信制はありません。 全寮制は学費、食費、寮費全学で月額5万円です。通学生は3万円にあります。寮に入った方が交通費もかからず。早朝よりの祈りからスタートですから、あらゆる面で良いのではと思います。 ぜひ、可能性への挑戦は可能となると、常に新たなチャレンジへ向かう生駒聖書学院へ、ご入学をなさってください。 お問い合わせは、090-1593-1269へ。または0743-74-7622まで。E-メール;elimyoshi@kcn.jp 今日もまた天国の一日です!感謝します。
2012/03/05
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フィリピンからの手品をする宣教師と三日間いしょでした。今朝の礼拝で唯一できるようになった手品?を教会員の前で披露しました 見事に決まり拍手喝さいでしたが、手品の説明をし簡単ですよと、再度行ったら見事に失敗、またやってもうまくいきません。種のない手品なので、失敗しても種明かしにはならずでした。 礼拝後に出口で待っていた小学性が、私その手品知ってるよと、可愛く声をかけてくれました。 昼からはちゃんとできると、自信たっぷりに披露しました。再三再四失敗で、神学生に応援を頼んだら一発で成功し、神学生は各種喝采でにっこり! 神様のみことばにはトリックも手品もない!真実アーメンの言葉で、信じればそのとおりに実現すると、聖書の言葉の真実を正面から受け止めるよう語る礼拝の時でした。ヨハネの福音書 8:31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。 8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
2012/03/04
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いつくしみ深き友なるイエスは(賛美歌312番・聖歌607番)という有名な賛美があります。 歌わず、物言わずだった少年でした。キリスト教会へ出席し、最初に覚えた賛美歌でした。それ以来、口ずさみ続けています。 メロディは月なきみ空に、きらめく光、嗚呼(ああ)その星影、希望のすがた。人智(じんち)は果(はて)なし、無窮(むきゅう)の遠(おち)に、いざ其の星影、きわめも行かん。雲なきみ空に、横とう光、ああ洋々たる、銀河の流れ。仰ぎて眺むる、万里(ばんり)のあなた、いざ棹(さお)させよや、窮理(きゅうり)の船に。の美しい唱歌でも知られています。 ゆとりの一万歩で山道や小川のほとりを歩来ながら、自由にいつくしみ深きのメロディで歌っています。チャペルや教室、礼拝でもメッセージ前に歌ってもらっています。 今日はヨシュア記第一章のメッセージ。ヨシュア(主イエス)のように!乳 蜜 流れる 約束の地へ必ず入ると みことばどおりみ神の約束 今も変わらず信じて進もう ヨシュアのように拡大されゆく 豊かな領土立ちはだかるもの 誰ひとりなし主は共におられ 恐れはあらじ雄々しく進もう ヨシュアのようにみ神の約束 雄々しく強く 恐れず進めと 励ましたもう曲がらずそれずに まっすぐ行けばどこでも栄える ヨシュアのようにみことば離れず 日々口ずさみすべてを守れば 繁栄続き主の愛の中を ひたすら進もう栄光受けつつ ヨシュアのようにヨシュア記1:5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 1:6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。 1:7 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
2012/03/04
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2週間前ころからヒーターが故障で、ときには点くけれども寒さの中がしばらく続きました。書斎にいる時間が多く、電気屋さんに修理を頼みました。もう長年使用しているので部品なく、新しく取り付けることになりました。 やっと今朝機材が入りましたと電話があり、午前中掛かりましたが取り付け終了。今日はそれでも暖かい日ですが、部屋全体に暖房が効いて感謝です。 種子島から来て最初の冬の生駒は寒かったことを思い出しています。教室にはだるまストーブがあり、石炭に火をを入れての授業。夜の自習時間は一時間だけだるまストーブが教室で許可されました。 自室へ帰ると暖房はなく、隙間風の部屋で震えていました。湯たんぽがある神学生は、布団の中で暖を取れましたが、湯たんぽも毛布もなく、それでも若さの熱で熟睡の神学生生活でした。 最近の寮生は集中暖房ではないけれど、こたつや暖房機を許可しているので、結構優雅にくらしている単身寮生活です。 後一週間で今年度が終わり、9日(金)卒業式です。子年今年度の卒業生は、進度も定まり将来も保証されているので、落ち着いた卒業式を迎えようとしています。 修了生も福音の働きのために備えをすることができ、送り出す側もほっとしているような状態です。 牧師で聴講していた者も、新しいビジョンで巣立ちますが、ここでの学びが役に立ってくれると嬉しい限りです。 今週は、新年度4月9日(月)入学への面接や問い合わせがあり、期待している以上の献身入学生を迎えることができそうです。 学院ホームページで、また種子島原人ページでは動画で学院案内をしています。 生駒聖書学院で三年間の学びに挑戦する方々が、ひとりでも多く起こされますようお祈りいたしております。 今日ものある方方は、Eメール;elimyoshi@kcn.jp 携帯;090-1593-1269までお問い合わせください。 アドナイ・イルエ!主の山には備えがある!ローマ人への手紙10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
2012/03/03
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今日からヨシュア記を読み始めました。 ヨシュア は、旧約聖書の民数記やヨシュア記に登場する指導者です。 エジプトを出て40年間荒野を放浪するイスラエル民族でした。そのひとりのヌンの子ホセアは、モーセによってヨシュアと呼ばれるようになります。 ヨシュアはカレブたちと共に、モーセに命じられて自分たちの目指す約束の地であるカナンを偵察しました。 ヨシュアとカレブはカナンのすばらしさを伝えました。それ以外の者たちはカナンの地に入ることの困難を強調しました。 そのため、民は動揺し、モーセに向かって不平を言いましたが、ヨシュアとカレブだけは不平を言わなず、信仰を告白しました。このため、ヨシュアとカレブだけは約束の地に入りましたが、それ以外の20歳以上の者は、40年の間に死に絶えてしましました。 モーセは120歳で、目もかすまず気力衰えていませんでしたが、自分の後継者としてヨシュアをたてて天に召されました。今でもその墓はないと聖書に書かれています。 ヨシュアは指導者として約束の地に入るべくヨルダン川を渡ってエリコを攻めました。 エリコの城壁は祭司たちが吹く角笛と民の叫びの前に崩壊し、カナンの地はヨシュアによって占領され、神の約束はヨシュアによって実現し、イスラエルの十二族にくじびきによって分配されました。ヨシュアは110歳でそのチャレンジの生涯を閉じました。 ヨシュア記を読むと、チャレンジ人生のすばらしさに感動します。ぜひ聖書をお持ちの方はぜひヨシュア記をお読みください。 ヨシュア記第一章1~9節をご紹介します。 さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。 あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
2012/03/03
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今朝は今年度最後の金曜チャペルメッセージでした。 イスラエル12部族のひとり、ベニヤミンについて語りました。 ベニヤミンの誕生は、「彼女が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた」創世記にはか書かれています。 母ラケルはベン・オニ=私の苦しみの子と名付けて死にました。父のヤコブはその名ではなく、ベニヤミン=私の右手の息子と呼びました。 ヤコブは死を前にし、「ベニヤミンはかみ裂く狼。朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける」と預言しました。 ベニヤミン族の旧約聖書で有名な人物に初代のサウル王がおります。その生涯はまさしくかみ裂く狼のような生き方でした。 新約聖書では、使徒パウロがベニヤミン族出身でした。パウロと呼ばれる前はサウロと言い、クリスチャン迫害と殺りくの燃えている狼のような人生でした。 復活のキリストに出会い劇的な回心をし。まったく新しい人となり、イエス・キリストの十字架と復活の福音を全世界に満たす器に変えられれました。新約聖書の半分近くはパウロによって書かれた手紙です。 申命記でモーセは、ベニヤミン族について預言しました。 ベニヤミンについて言った。「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。」(33:12) かき裂く狼と言われれた預言トは、何と大きな変化でしょう。あなたの過去やいろんな人から何か言われたり、預言者や運勢占いなど、なにやかやと否定的なことや災いを宣告されていたとしても、恐れることはありません。 人生は変わることができるのです。変えられるのです。誰でもキリストを信じるなら、生まれ変わりの新しい神の子としての人生になるのです。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」とイザヤ書43章章4節にあるとおり、あなたは神に愛されているのです。 イエス・キリストの十字架と復活は、あなたが神に愛されている証拠なのです。アーメンと信じるだけで救われます。 すべての罪や咎、重荷や悩みから解放されます。そして神の愛がいつも聖霊によって、豊かに注がれ続ける恵みが与えられます。 平安が与えられ、何事があろうと主とともに住み、主はいつまでもかばい続けてくださいます。 恐れることなく、イエス様の救いと守りを信頼し、今日もまた天国の一日です!献身の道豊かな愛 受け 神の子となり守られ続ける 惠みの歩み喜び感謝に 満たされ続けみ神を愛する 献身の日々主イエスの十字架 罪 とがきよめ復活のいのちに 新たにされて 希望に輝き 満たされ生きる主イエスを愛する 献身の日々御霊に満たされ みことば信じ祈りと賛美に 輝き生きて世界に救いを 満たして進む福音伝える 献身の日々ローマ人への手紙8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
2012/03/02
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献身の道豊かな愛受け 平安の中守られ続ける 神の子とされ喜び感謝に 満たされ続けみ神を愛する 献身の道主イエスの十字架 罪とがきよめ復活のいのちに 新たにされて 希望に輝き 満たされ生きる主イエスを愛する 献身の道御霊に満たされ みことば信じ祈りと賛美に 輝き生きてこの世の暗闇 変えつつ進む福音伝える 献身の道
2012/03/02
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