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父は一八九三年(明治二六年)鹿児島県奄美大島郡伊仙町(徳之島)に七人兄弟の五男として生まれ、外国航路の船員として、帆船で世界の海に雄飛した男だった。 子どもの時、よく若い船乗り時代の話をしてもらった。イタリアやイギリス、アメリカやカナダ・・・と、世界のあらゆる出来事を聞いたように思う。そのころの私の夢は、父のように世界を駆けることだった。 私が貧乏牧師として富雄キリスト教会で働きはじめたころ、種子島から出てきた父は、イエス様の命令が世界宣教であることを強調しながら、「義之、早く海外へ行き、見聞を広げてこい」と話すのであった。お金がないから今はまだ行けないとでも言おうものなら、「行けないのではない。行く気がないからだ」と叱られたものだ。父は正しかったと、今になると思う。できないのはやる気がないからなのだ。またその気になれば何でもできるともよく言われた。そんなに言うのならお金を出してくれたらよいのにとも思ったが、そんなことは口が裂けても言いたくない。父も頑固者だが、私もそれに負けない頑固者だ。
2008/01/31
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ソーニャさんに送られ、ノボシビリスクからモスクワへと向かった。ここでは重要な使命が待っていた。日本を出る時、ベントの友人から、モスクワ地下教会の案内をしてくれる兄弟を紹介されていた。まず彼とコンタクトをとることが必要だ。日曜日の正午、ゴーリキーとおりのプーシキン・スクェアで写真を撮れば、案内人が連絡すると書いてあった。正午がだめなら三時。それでもだめなら五時。その日コンタクトが取れなければ、月曜日の朝九時。それでもだめならどこへでもどうぞ、という手紙だった。 地名をしていされても、ロシア語も読めない。あちことで尋ねながら、やっとのことでたどり着いた。有名な詩人プーシキンの彫像も見つけ、アイスクリームをなめながら、正午を待っていた。正午になり、カメラを向けシャッターを切った瞬間、一人のひげ面の男が英語で話しかけてきた。「英語が話せますか?」一瞬彼だと思ったが、もらった写真の男にひげはなかった。不信に思い足元に目をやると、ズボンが写真のものといっしょだった。「ええ、英語を話します。日本から来ました」。「私は日本から来る友人を待っていました。さあ歩きましょう。私と歩調を合わせて、できるだけ速く歩いてください」。歩きながら多くの質問をし、紹介されていたヤーヌスに間違いないことを確かめた。二人で赤の広場やメトロをうろつき、カフェテリアで何かわけの分からない物を食べた。何と六時間も歩きどおしだった。 それから彼は私をモスクワ・バプテスト教会へ連れていった。当時夕方の礼拝に1000人近くが集まり、日本からも代表団が出かけ、共産主義の国にも信仰の自由があると宣伝された教会である。しかし、人口600万のモスクワで唯一のプロテスタント教会である。1000人集まっても不思議ではない。私は一番良い席に案内されたが、ヤーヌスは中に入らず、近くの公園で私を待っていてくれた。礼拝では、洗練された賛美、すばらしい説教を聞くことができた。しかしヤーヌスは、あれは教会ではないと言う。外国人に見せるための集会だとまで言った。それが事実かどうかは分からないが、当たらずとも遠からずで、日本の福音派の人々でさえ、その教会の様子を見て、共産主義の中にも信仰の自由があるなどと書いていた。真の自由は、選択することの中にある。選択の余地がなければ、真の自由はない。真理を知った時、真理は私たちを自由にする。イエス・キリストを知ることこそ、真の自由になる道である。 ヤーヌスは再び私を連れると、大急ぎで公認教会を離れた。メトロを何回も乗り換え、さらにバスに乗り、日本の団地のような住宅密集地へ着いた。団地の中には、ペンテコステ地下教会の指導者が二十名ほど集まっていた。熱い歓迎を受け、くちびるにブチュと口づけされた。口づけで歓迎するのが、最高の親愛の情の現われだという。 それから夜の十二時まで、ヤーヌスの通訳で話が弾んだ。ホテルに戻ったのは深夜の一時で、門番がけげんな顔をしながら入れてくれた。翌日もヤーヌスと待ち合わせて、その家に行き、持っていた聖書もおみやげも全部おいて帰ることにした。 指導者の中に、天使もかくやと思わせるほどに輝いた顔の兄弟がいた。彼はしきりに、モスクワの後のどこに行くのかと聞いてきた。レニングラードからヘルシンキに行くことを知ると、何回も「ベントに会ったらよろしく伝えてくれ。前のように電話もかけてほしい。機会があればまた訪ねてくれ」と繰り返した。 ヘルシンキに行き、迎えに来たベントにそのことを伝えた。彼は澄み渡るヘルシンキの空を見上げ、涙を浮かべながら、その兄弟こそ自分が裏切ったアナトリその人だと言った。ベントの顔は、赦された者だけがもつ、へりくだりで輝いていた。私はその時、アナトリの輝きの秘密を知った。主が赦してくださったように赦し合う時、赦した者も赦された者も、輝きの中に生きることができるのだ。これが共産圏宣教の最大の収穫だったようにさえ思う。
2008/01/30
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次の訪問地ノボシビリスクはシベリア最大の都市だ。VIP並に空港まで案内され、だれよりも先に飛行機に乗せてもらう。しばらくほかにだれも来なかったので、一人のために飛ぶのかななどと心配する。ノボシビリスクに到着すると、ソーニャと言う美しいガイドが、機内に迎えにきてくれ、皆より先に降りる。観光案内はタクシーで、彼女が説明してくれる。第二次世界大戦の二万人の戦死者モニュメントの所で、「戦争は嫌い」と彼女は言った。カミュの墓や市内の主要な建物を回り、説明を聞く。 この町でも公認バプテスト教会を探したが、町はずれも町はずれの田舎にあった。バスで一時間半も行った所でやっと見つけたが、集会日なのに礼拝をやっていない。牧師もいないし、門番の老婆が一人いるだけ。要領を得ず、二冊だけ聖書を置いて帰った。今考えても、あんな所までどうして行けたのか不思議だ。きっと主が、「これが道だ、これに歩め」(イザヤ30:21)と導いてくれたのだろう。 この町に四日も滞在する予定になっていたため、ソーニャさんの勧めで夜はサーカスへ行った。その途中、ハリストス正教会で行なわれていた結婚式に紛れ込んで、若い二人の祝福を祈り、記念写真をいっしょに撮り、持っていた聖画とトラクトをお祝いに贈った。ノボシビリスクには、世界最長のオビ・エニセイ川が流れている。アムール川での船旅に味を占め、今度もまた船に乗ることにした。切符を買えたので、最初に出る船に乗り込んだ。満員状態だが、こちらからあちらへと両岸をゆっくりと進む。人々は次々に降りていき、二時間くらい過ぎたら、ほんの数人になった。そのうち二つの川が合流する地点まで来た。さすがに不安になり、このまま北極海まで行くのではなどと考えはじめていると、川の合流地点で船は向きを換え、今来た行路をゆっくりと戻りはじめた。ホッとした。何とも頼りなく、心細いひとり旅だ。 イザヤ書12:1 その日、あなたは言おう。 「【主】よ。感謝します。 あなたは、私を怒られたのに、 あなたの怒りは去り、 私を慰めてくださいました。」 12:2 見よ。神は私の救い。 私は信頼して恐れることはない。 ヤハ、【主】は、私の力、私のほめ歌。 私のために救いとなられた。 12:3 あなたがたは喜びながら 救いの泉から水を汲む。 12:4 その日、あなたがたは言う。 「主に感謝せよ。 その御名を呼び求めよ。 そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。 御名があがめられていることを語り告げよ。 12:5 【主】をほめ歌え。 主はすばらしいことをされた。 これを、全世界に知らせよ。
2008/01/29
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届いた便りに、「笑っているとげんきになるよ いことあるよ」と書かれてました。 笑いについてのことばを調べてみました。 笑いは人の薬。笑いは良い血をつくる。笑う顔に矢立たず。笑顔に当てる拳はばい。 笑う門には福来る。幸運は楽しい門より入ってくる。笑って太れなど、多くの言葉があります。 今日から浜松へ出かけます。神学生たちは明日からの参加です。生駒聖書学院は今日月曜日、関西新学校の神学生たち約80名が集い、年一回の神学生スポーツ交流会です。チャペルで院長メッセージを頼まれましたが、NRA評議委員会総会があり、監査役のため、不参加ができず残念です。副院長がメッセージをし、インターネット配信になりますので、アクセスお願いします。http://elim.jp/ 明日から金曜日までは全日本ペンテコステ教役者大会が、遠鉄エンパイアホテルで開催され、全期間神学生一同と友に参加します。例年は2月ですが今年は講師の変更もあって一週間早くなりました。 明日から毎朝浜名湖畔を祈りつつ、歌いつつゆとりの一万歩を歩き、朝風呂で気分を一新し、最高の講師陣の語る聖書のメッセージ霊的リフレッシュの時を過ごします。 毎朝のブログは娘が出勤前、「天の虫けら」を4回連続で紹介しますので、聖書のみことばとともにお読み下さい。 ありがとうの言葉に、嬉しいことが集まってくる。喋喋みたいだ!感謝します。 今から浜松へ出発です。ハレルヤ!コロサイ人への手紙3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
2008/01/28
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毎日いろんなことがあります。聖書のローマ人への手紙12章15節に、「 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」とありますように、喜怒哀楽の人生です。 最近教会に来られた方は、大きな試練を乗り越えてやっとという矢先に、脇の下に腫瘍ができ診察を受けました。大病院の医者が確信を持って、肺ガンと悪性のガンがほかにもあるかもしれないので、CT検査を受けるようにと急遽時間を取ってくれました。 その直後お会いして話をお聞きし、ご主人もいっしょに心を合わせて祈りました。イエス様は、「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」と約束されました。 イエス・キリストのお名前により平安と守りを宣言し、同時に肺ガンの疑いが消えるよう祈りました。アーメンと心を合わせて祈り終わった時、彼女の顔は平安そのものでした。結果がどうであれ平安です!と言うお顔は輝いていました。 そして一昨日の夜メールが届きました。 「お祈りありがとうございます。CTの検査では、両肺に炎症のあとがあるとのことと脇の下の腫瘍はリンパの腫れとして20個あるそうですが、肺と胸には腫瘍が見当たらず、異状事態ではあるけど珍しいケースだそうです。結局、外科から形成外科に細胞をとる紹介をされました。30分から1時間ほどの手術で細胞を29日朝から採ることになりました。体にメスを入れるのは避けたかったようですが、確実にわかる方法を選ばれました。細胞の結果は2月15日にわかります。イエス様に出会わない人生だったら、どれほど空しい人生だったのかとおもいます。 礼拝に行け賛美し、神様から特別に選ばれた牧師先生から、弱る時には御言葉とお祈りをいただき、神様に愛されていることを本当に感謝します」 喜びの知らせをメールや電話で、直接お会いして共に喜び、また悲しい知らせも届きますが、悲しむ人と悲しみを分かち合い祈ることができます。 喜びは分かち合えば倍になり広がります。悲しみも分かち合えば半分になり、消えて行きます。 今日も礼拝の日、富雄キリスト教会、大阪エリム、堺エリムと出かけますが、「喜ぶ者といっしょに喜び、悲しむ者といっしょに悲しむ心での出会いを願いつつです。 今日は奈良市富雄なので、今から生駒駅まで歩き、富雄駅から教会まで歩いて行こうと思います。恵まれた一日を!ハレルヤ。テサロニケ人への手紙5:14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 5:15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはなりません。 5:20 預言をないがしろにしてはいけません。 5:21 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
2008/01/27
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いらくらの のらり暮らして 冬ごもり 前田寿子 上記の句は、生駒聖書学院副院長の母の作句です。2月2日で満92歳を迎えますが、数年前から骨粗鬆症で外を歩くことができず、室内暮らしです。昨年秋から寝たっきりになりました。けれども寝たままで針仕事をしたり、手紙を書いたりして頑張っています。 特に、生駒に来てからは俳句を作り、ミニコミ誌をはじめNHKや新聞の俳句欄に投稿しもう100句以上が選句されました。 昨年末、「いらくらの のらりくらりと 冬ごもり」の句が、朝日新聞大和俳壇の一位となり、先日賞状と盾が届きました。 表彰状 朝日大和俳壇奨励賞 前田寿子様あなたの作品は心に「深く残るすばらしいもので頭書の成績を収められました その栄誉をたたえこここに表彰します。 平成二十年一月二十四日 朝日新聞社 幼い日からずっと表彰され続けて来た人生とのこと。人生のたそがれのときに思いがけなく、朝日新聞社からの賞状と盾に感激し、見てくださいと呼ばれて喜びに輝く顔に会い、健康の守りと祝福をいのりました。寝たっきりですが娘の介護に満足し、はきはきとものを言い(とはいえ耳が遠くなり白板で伝えていることもあるようですが)、娘たちの愛の介護に感謝しながら、元気を出して作句を続けています。 彼女の母は105歳まで元気で生きました。もう十分だと訪ねるたびに言われますが、天国でも賞状をいただけますよと声をかけています。使徒の働き20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。ピリピ人への手紙1:20 それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。 1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。 1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。 1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。テモテへの第二の手紙4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
2008/01/26
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手元にある何冊かの本にある共通のことばが目に留まりました。それは一日に3,000回、ありがとうと言えば人生が変わる!ガンが直った!問題が解決した!などとありました。 一昨年、歯医者で治療を受けたとき、「祈っても答えられないのはなぜですか?」と質問され、「うたがうからです」と答えました。 今度は、「疑いが入らないようにどうしたらなれますか?」と問われ、アーメンのンはお終いのンだから疑いはシャットアウトですねと答えました。 イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。と祈ったらすぐに、「ありがとうございます。答えられました。感謝します!」と、言うように勧めました。 治療の帰り道、我孫子から長居公園までの地下鉄の一駅を歩きつつ、ちょうどヤベツの祈り(第一歴代誌4:9-10)、私を大いに祝福してくださいと祈り、「ありがとうございます。大いに祝されました。感謝します!」と告白し、何を祈ってもそのように宣言しました。 それ以来祈りがさらに自由になり、目に前にすぐ結果が現れても、問題がそのまま残っていても、心のドン底から「ありがとうございます。主のみこころがなりました。感謝します!」と受け止めています。 実際の問題がそのように簡単に解決するハズがないと言われます。しかし、信じる者に不可能はないとイエス様が言われました。神のことばは生きていて力があり(ヘブル4:12)ます。問題に信仰をもって対処すれば、知恵も能力も豊かに与えられ、ストレスなしで努力も苦闘も倍化されて発揮されます。 感謝することこそ、すべての祝福の鍵です。聖書の約束を真正面からアーメンと受け止めてみませんか。第一テサロニケ5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。コロサイ人への手紙3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。第二コリント4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。
2008/01/25
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今日の聖書学院講義は、ミッションバラバ会長の金沢泰裕牧師(大阪ディサイプルチャーチ)でしたが、大雪のため飛行機がタシケントで待機しており、成田着が真夜中になり講義に間に合わないとの電話がありました。 イスラエル旅行で水曜日に帰国し木曜日講義はOKとのことだったので、今日は自分で3時間講義しようと思って、朝の祈り会に出かけたら金沢牧師が祈っていました。なんと昨夜、成田は12時まで出着陸できず、関空到着になり今日のチャペルと講義に間に合ったと元気に挨拶でした。 今朝のチャペルメッセージは、アクセスすばパソコンで見ていただけます。(今日の午前7時よろ明日午前7時まで)http://elim.jp ケニアは昨年末の大統領選挙で、キバキ大統領が再選されたことに不正があったと動乱が始まり、暴動となり最大部族キクユと二番目のルオー族との部族間騒乱が続いています。 パラダイスからのメール、新聞でも報じられニュースが伝わって来ました。孤児院のあるケニア第三の都市キスムはルオー族の中心地。昨日と今日、動乱のケニアの出かけたに日本人女性(昨日のちゃこは間接的にしか知らないが、今日のあややはケニアへいっしょに出かけた方)からメールが届きました。 年末に行われた総選挙後のケニアでの混乱のことはご存じのことと思います。私は混乱の最中予定通りケニア入りし、混乱のひどい都市を避け、モンバサから3時間ほど海岸部へ行ったところの村に滞在しています。ケニア国内の混乱は大分治まり、高騰していた物価もほぼ元通りになってきたとはいえ、今だ各地で大小のデモがあり、死傷者が絶えない状況です。前日、国連のアナン事務総長がケニア入りしました。平和解決への道筋が一刻でも早くつけられることを祈るばかりです。今回の混乱は、特にナクルやキスムなど、ルオーの地域が特に酷いようです。MFAのschoolが大丈夫か心配です。ラバン兄にも先日メールを出してみましたが、、アニャンゴさんのツアーですが、今回はやむ無く中止、とのメールが入りました。ぎりぎりまで検討していたようですが、現地のコンダクターからGOサインが出なかったとのことです。アニャンゴさんは個人的にケニア入りしようと考えているようです。私も混乱が治まってきたらキスムに行ってみようと思います。今、あまり頻繁にパソコンを使える状況にないので、思うように連絡が取れませんが、できる限り、各方面と連絡を取ってみます。今回のケニアの混乱では、本当に多くの血が流れ、特にスラムで生活する人たちの生活が今でも脅かされ続けています。上層部の分裂が一刻でも早く和解し、また平和を愛するケニア国民の手に安定した生活と安らぎとが戻るように日々祈ります。先生のご活動の上にもますますの祝福があり、多くの恵みが分かたれますように。 ペテロの第一の手紙5:6 もしあなたがたが、神様の力強い手の下で慎み深くしているなら、ちょうどよい時に、神様は高く引き上げてくださるでしょう。 5:7 思いわずらいや心配事をすべて、神様にお任せしなさい。 というのも、神様のほうで万事、心にかけていてくださるからです。 5:8 最大の敵である悪魔の攻撃に備えて、くれぐれも警戒しなさい。 悪魔は、飢えて、ほえたけるライオンのように、引き裂くべき獲物を求めて、うろつき回っているのです。 5:9 主を信じ、悪魔の攻撃に立ち向かいなさい。 そして、世界中のクリスチャンが、同じ苦しみを通って来たことを、忘れないようにしなさい。 5:10 キリスト様を通して、あふれるほど恵みを注いでくださる神様は、あなたがたに、しばらくの苦しみのあとで、永遠の栄光を与えてくださるのです。 神様がじきじきにあなたがたを力づけ、堅く立たせて、今まで以上に強めてくださいます。 5:11 どうか、すべてのものを支配する絶対的な力が、永遠に神様にありますように。 アーメン。
2008/01/24
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ケニアと関わりを持つようになって18年になります。毎年一度だけですがケニアへ出かけ、ケニア最大の飢餓地帯トルカナへの食糧援助を続けました。また現地教会を支援し5箇所の教会建設。10年前にMFAでパラダイス孤児院を設立、2003年には、ケニア共和国が100年間無償で提供した広大な敷地に孤児院を建設し移転しました。2004年には小学校校舎(小さいけれども)もスタートしています。子どもたち50名を、高校卒業まで養育するので、ケニアでは特別な孤児院だと「思います。 ケニア大統領選挙以来、暴動と混乱状態のケニアに出かけた日本人女性からのメールが入っていたので転載します。ケニアの平和と経済的安定をお祈り下さい。特に孤児院があるキスム(ケニア第三の都市)が守られますように。 ナイロビに戻りました。キスムは最悪のようです。ナイロビのスラム(キベラ)に鉄道が走ってて、そこの住民(ほとんどルオ)が列車を妨害したりしてます。自分たちの田舎に救援物資やらガソリンが運ばれる列車なのに邪魔して...。で、キスムはそのせいもあり、物価は3倍になってるらしいよ。近辺の野菜が取れる地域からの輸送手段(キクユがオーナー)もないし、自分たちで首しめてるみたい。キスムのルオは、しまっている商店に押し入ってもの盗んだり、キオスクとかに火つけたり。それで警察が発砲。関係ない子供がひとり死んだ。不満だらけの職のない人たちが、一気に憂さ晴らしてる感じ。キバキと同じ部族のキクユは狙われるから、エルドレットやケリチョ、キスムから逃げ出してます。キクユとルオの対立になってます。とはいえ、都会(ナイロビ)のミドルクラスの人たちは、平和を求めてます。経済成長を止めたくないし、自分たちの職も失いたくないからね。怒って暴れているのは、スラムに住む貧しい人たちです。ネットの接続がうまくいかないので、頻繁にメールできませんが、また連絡しますね。私は大丈夫です。ちゃこコロサイ人への手紙1:8 私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。 1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。 1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。 1:11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、 1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。 1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。 1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。 1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。 1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。 1:19 なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、 1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
2008/01/23
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昨夕のテレビニュースで生駒の雪が報じられました。今朝は兵庫県山崎町からの講師ですが、山には雪があっても昨日は降らなかったとのこと。やはり生駒のほうが寒いんでしょうかねと、先ほどまで話してきました。今朝は今にも雪が舞いそうな天候ですが、もうい降らないだろうと思います。 今日は階下の教室でキリスト教神学の講義が行なわれています。階上の部屋でも今日から聖書学院教会のメンバーが集い、聖書の学び会が行なわれます。聖書講義というよりディスカッション形式の時で、聖書のことばへの疑問や、実際的適応の体験なども分かち合う楽しいときです。コーヒータイムを囲みながらの集まりです。どなたでも歓迎します。お近くの方お出かけください。 時間は第三木曜日午前10時ー12時です。月一度の集いです。詩篇133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。 それはひげに、アロンのひげに流れて その衣のえりにまで流れしたたる。 133:3 それはまたシオンの山々におりる ヘルモンの露にも似ている。 【主】がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。 [ 134 ] 都上りの歌 134:1 さあ、【主】をほめたたえよ。 【主】のすべてのしもべたち、 夜ごとに【主】の家で仕える者たちよ。 134:2 聖所に向かってあなたがたの手を上げ、 【主】をほめたたえよ。 134:3 天地を造られた【主】が シオンからあなたを祝福されるように。
2008/01/22
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堺エリムの礼拝を終え、第二阪奈のトンネルを雪が降っていました。ガレージが急坂の上にあるので、今朝は車を出せないほど雪が積もっています。聖書学院のキャンパスも雪景色で美しく輝いて見えます。 雪の朝に聖書のことばを思い、イエス様「雪よりも白くきよめてくださりありがとうございます」と祈りの声を上げ、十字架の贖いに感謝しながらの一日のスタートです。詩篇51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、 罪ある者として母は私をみごもりました。 51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。 それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。 51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。 そうすれば、私はきよくなりましょう。 私を洗ってください。 そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。 51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。 そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、 喜ぶことでしょう。 51:9 御顔を私の罪から隠し、 私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。 51:10 神よ。私にきよい心を造り、 ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、 あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。 51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、 喜んで仕える霊が、私をささえますように。 51:13 私は、そむく者たちに、 あなたの道を教えましょう。 そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。 その願いと祈りに神様は答えてくださいました。イザヤ書 1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう」と【主】は仰せられる。 「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、 雪のように白くなる。 たとい、紅のように赤くても、 羊の毛のようになる。ヨハネの第一の手紙1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。 1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。ヨハネの福音書 15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。 今日もイエス・キリストの十字架の救いを仰ぎ、救われた日の感激を忘れずに、主に従い仕えて行こう!ハレルヤ。イエス・キリストを信じた日に歌った賛美歌です。聖歌 555 来たれ汝(なれ)を清むれば1「来たれ汝(なれ)を 清むれば」と 宣(のたも)う御声に 聞き従わん (くり返し) 主よ 我は 今ぞ行く 十字架の血にて 聖め給え2 行く我が身の 汚(けが)れと罪 少しも残さず 洗い給え (くり返し) 3 招(まね)くイェスは 信仰と愛と 望と平和を 与え給わん (くり返し) 4 救い主は 御恵みもて 寄せ来(きた)る罪に 勝たせ給え (くり返し) 5「救われしは 真(まこと)なり」と 心に証(あか)しを 与え給え6 賛美せよ 主の 血と恵みを 賛美せよ 力と 義に在(ま)す主を
2008/01/21
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昨日は吹田市で行われている月一度の吹田朝祷会(クリスチャンたちが超教派で集まり、日本救いと世界平和を祈る全国組織)に招かれ、午前10時より11時30分までの参加でした。 高齢の男性(女性は一人)だけの参加で20名ほどの集まり。説教の後で参加者が代表で10名ほど祈祷題目を祈りました。その後で今回は生駒聖書学院の高神学生が体験を語り、参加はみなさん感動していました。 その後で別室で朝食(午前11時30分)?。お握り1個とお茶。カップケーキと和菓子とバナナ一本。12時前に解散・・・・。 淀川栄光教会の山中一正牧師も参加されていたので、東淀川区まで案内してもらい教会をお訪ねした。 淀川栄光教会は、障害者は創造主が大切な計画と目的を持って作られた神の作品をモットーに、伝道と福祉派「切り離せないと、作業所と教会一体になって前進しているすばらしいキリスト教会です。 倒産した会社を購入し2億円近くで改築したものすごく立派できれいなキリスト教会です。一階が作業所、2階が多目的ホール、3階が美しい礼拝堂。毎週の礼拝には作業所で働く全員がクリスチャンとなり礼拝を守ります。車椅子40台と車椅子を使わない方々や介護をする方たち100名余が、礼拝堂いっぱいに集まり思いのたけを尽くして神様を礼拝します。 月曜日はお休みですが、火曜日から土曜日まで作業所で作成したバウンドケーキやクッキー。そのほかの小物、置き忘れの傘などもたくさん落札し、露天商の認可も受けているので、各駅前に元気な方たちは出かけます。すべてが売切れるまでは帰らないくらいの意気込みで声を出し売り上げてきます。 山中牧師は、作業所で働いて得た売り上げは彼らに還元するという理念を持っています。他の一般的な作業所は福祉関係者への給料はものすごく安く2000円ー7000円(もちろん1ヶ月の給料です)、親が作業所に2万円を出して働かせてもらい、7000円の給料を「もらっているところなども無きにしあらずと言うのが福祉の現実だそうです。 淀川栄光教会は彼らの還元することを理念としているので、生涯を持つ方々はものすごく明るく、わてらやりまっせ!と「張り切っているのが、挨拶の声にも表情にもあふれています。 そのことを記録した山中一正牧師の著書、車イスの障害者・・・・このすばらしい神の作品「わてらやりまっせ!」があります。マナブックス(本体1200円+税)淀川栄光教会 電話06-6327-5805・8832・4191 Fax.06-6327-5906・4806・5150大阪市東淀川区小松4-3-23という余り至便の地ではありませんでしたが、大阪市地下鉄今里筋線が延長し、教会スグ前に瑞光四丁目駅が完成しました。そのことも教会にとっては大きな喜びでした。障害者の皆さまの移動もですが、ボランティアで駆けつけてくれる方々にとってもすごく感謝だと喜んでいました。ローマ人への手紙8:28 そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることを知っているのです。 8:29 というのは、神様はあらかじめ、だれが自分のもとに来るかご存じで、そのような人々がご自分の息子と同じになるようにと、最初から定めておられたからです。 それは、ひとり息子を大ぜいのクリスチャンの中で長子とするためでした。 8:30 神様は私たちを選び、招いてくださいました。 そして、私たちがおそばに行くと、私たちに「無罪」を宣言し、キリスト様の良い性質を下さり、神様との正しい関係を結ばせ、さらに、栄光を与えると約束してくださいました。 8:31 こんなにすばらしい恵みに対して、いったい何と言ったらよいでしょう。 神様が味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。 8:32 神様は私たちのために、たった一人の息子をさえ惜しまずに、死に渡してしまわれたほどのお方ですから、ほかのすべてのものをも下さらないわけがあるでしょうか。 8:33 神様がご自分のものとして選ばれた私たちを、あえて訴えるのはだれですか。 神様ですか。 とんでもない。 神様は、私たちを赦し、ご自分と正しく関係づけてくださった方ではありませんか。 8:34 では、私たちに有罪を宣告するのはだれですか。 キリスト様ですか。 とんでもない。 キリスト様は、私たちのために死に、そして復活し、今は天で、神の右の最も名誉ある座で、私たちのために祈っていてくださるお方ではありませんか。 8:35 では、いったいだれが、私たちをキリスト様の愛から引き離せるでしょうか。 私たちは困難や災難に会い、また迫害され、殺されるかもしれません。 しかしそれは、神様が、もう私たちを愛しておられないからでしょうか。 また、もし私たちが飢え、文なしになり、危険にさらされ、死に脅かされるなら、神様に見捨てられたことになるのでしょうか。 8:36 違います。 旧約聖書にこう書いてあるからです。 「神様のためには、いつでも 死ねる心がまえでいなければならない。 私たちは殺されるのを待つ羊のようだ。」 8:37 しかし、こうした中にあっても、私たちは、いのちを投げ出してまで愛してくださったキリスト様によって、圧倒的な勝利を得るのです。 8:38 神様の愛から私たちを引き離せるものは何一つない、と確信しています。 死にもいのちにも、そんなことはできません。 御使いにもできません。 地獄の全勢力を結集しても、神様の愛から遠ざけることはできません。 今日の恐れも、明日の不安も同様です。 8:39 あるいは、私たちがどこにいようと--空高くのぼっても、海の底深くもぐっても--私たちの主キリスト・イエスの死によってはっきり示された神様の愛から、私たちを引き離せるものは、何一つありません。
2008/01/20
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生駒聖書学院は、4月より新学期を迎えるため、入学生を募集している。入学資格があるのですかと聞かれるが、学歴、年齢、性別、国籍不問の神学校で、日本で唯一とはいえないまでも将来牧師となる者に門戸を開いています。 ただその資格に献身した者という条件がつくので、大きく開かれてはいるが同時に狭い門です。献身とは自分を犠牲にして、他の人や物事に奉仕することで、人間として最高の徳であり、理想の道です。 しかし、言うは易く行なうは難しで、なかなかその道をすべてを捧げて歩み続けることはできない弱さを人間は持っています。偉そうに言っても結局は自分中心になってしまいます。 その献身の生涯を徹底的に貫かれたお方がイエス・キリストです。全人類の救いを成就するために、神であられたのに人間の姿を取りこの世に生まれ(献身)されました。そして30年間は家族とともにナザレの村で過ごされ(献身)しました。30歳から3年間、神が天の父であることを教え、病の者をいやし助け休むまもなく働かれ(献身)続けました。 33歳の時、十字架の上にいのちを捨て(完全な献身)て、人類のすべての悩みを一身に引き受けてくださいました。墓に葬られ、3日目に復活し、ご自身が神であり、人類の救い主であることを証明しました。そして今日もなお人類の救いをとりなし(献身)祈り続けておられます。ヘブル人への手紙 7:24-25 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。 何と言う尊く高尚な献身の道でしょうか。献身とは愛や力など持てるものを、見返りを求めることなく注ぎだすことです。それでは損ばかりすると考えてしまいますが、とんでもない考え違いです。 何でも良いです。人でもものでも、そうですね。草木にでも心からの献身の思いで世話をしてみてください。」枯れ木に花を咲かせる奇跡が起こるかもしれません。夫婦生活でも最初にプロポーズしたときのような気持ちで、お互いが献身的になるなら愛は燃え、離婚の危機など考えられないようなことがおこり始めます。家族関係に献身してみましょう。親にも子どもにも考えられないような変化が生じること請け合いです。 自分が何がなくても、人を幸せにすることができる!そのとき、「与えなさい。そうすれば与えられる!ほんとうの幸せを体験できます。 神学校は自分だけのために用いていた生涯を、イエス・キリストに捧げて人類の救いへと奉仕を続ける生涯へと方向転換する備えをする場所です。一時的な感情で献身できるかもしれませんが、それを生涯持続するために訓練される3年間です。ローマ人への手紙 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。12:1 愛する皆さん。 そういうわけですから、あなたがたにお願いします。 自分の体を神様にささげてください。 それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。 12:2 世間の人々の生活態度や習慣をまねてはいけません。 むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。 そうすれば、神の道がどんなに自分を満足させてくれるか、わかるようになります。生駒聖書学院案内ご希望の方は、年齢・学歴・性別・国籍の別なくご連絡ください。資料を送りします。630-0243 奈良県生駒市俵口町951 Fax.0743-74-7622 へ
2008/01/19
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内村鑑三の詩 春は来たりつつある雪は降りつつあるしかし春は来りつつある寒さは強くあるしかし春は来りつつある春は来たりつつある春は来たりつつある雪の降るにもかかわらず寒さの強きにもかかわらず春は来たりつつある慰めよ、苦しめる友よ汝の艱難(なやみ)多きにかかわらず汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず春は汝にもまた来たりつつある 冬 来たりなば 春 遠からじ ということばがあるように、寒さのさ中に春を待つことばです。 人生にも試練の冬があります。08年の日本も同じです。春の来ることを期待し、楽しみにして今日も与えられた使命を思い切り果たしたいものです。 詩篇91:1 いと高き方の隠れ場に住む者は、 全能者の陰に宿る。 91:2 私は【主】に申し上げよう。 「わが避け所、わがとりで、 私の信頼するわが神」と。 91:3 主は狩人のわなから、 恐ろしい疫病から、 あなたを救い出されるからである。 91:4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。 あなたは、その翼の下に身を避ける。 主の真実は、大盾であり、とりでである。 91:5 あなたは夜の恐怖も恐れず、 昼に飛び来る矢も恐れない。 91:6 また、暗やみに歩き回る疫病も、 真昼に荒らす滅びをも。 91:7 千人が、あなたのかたわらに、 万人が、あなたの右手に倒れても、 それはあなたには、近づかない。 91:8 あなたはただ、それを目にし、 悪者への報いを見るだけである。 91:9 それはあなたが私の避け所である【主】を、 いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。 91:10 わざわいは、あなたにふりかからず、 えやみも、あなたの天幕に近づかない。 91:11 まことに主は、 あなたのために、御使いたちに命じて、 すべての道で、あなたを守るようにされる。 91:12 彼らは、その手で、あなたをささえ、 あなたの足が 石に打ち当たることのないようにする。 91:13 あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、 若獅子と蛇とを踏みにじろう。 91:14 彼がわたしを愛しているから、 わたしは彼を助け出そう。 彼がわたしの名を知っているから、 わたしは彼を高く上げよう。 91:15 彼が、わたしを呼び求めれば、 わたしは、彼に答えよう。 わたしは苦しみのときに彼とともにいて、 彼を救い彼に誉れを与えよう。 91:16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、 わたしの救いを彼に見せよう。
2008/01/18
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昨日はラジオ放送希望の声録音でABCスタジオへ。今ままでは午後5時だったけれどもスタジオの都合で午後2時になりました。録音を終え集会前のカウンセリングまで時間があり、一昨日IT宣教のことで通訳として学院に来てくれた韓国教会を訪ねた。 大阪エリムより歩いてみたら200歩の近くで、マンション1階部分37坪を家賃20万円で11年前から借りている。いろいろお話を聞いて帰る前に、お住まいはどちらに?とたずねると、ここに住んでいますとのこと。何とシングルベッドが一つだけの部屋。家内の部屋ですと教えてくれた。思わず牧師先生はどこで寝るのですかと聞いてしまった。にこにこ笑いながら私と息子(24歳)は講壇で寝ていますと言う。講壇?教会堂の説教壇のことです。そんなに広くない場所。たたみもじゅうたんもなく板の間です。布団を敷いても寒いだろうなと思うと同時に、高給取りの公務員から神学校へ生き、日本人に神の愛を知って幸せになって欲しいとの願いだけで家族で大阪へ遣わされて来ました。 韓国は世界で最大のキリスト教会(100万人)があり、またも一つのキリスト教会はCGNTV網を韓国、中国、アメリカ、中近東、日本と24時間放映で行なっている大教会などもあります。朝5時の祈りの時間に3万人が集まり、牧師の話を聞くために3時に行かないと5時だと座る所もないという熱心さ。世界一の朝の祈り時間です。何のためにそんなに熱心に集まるのか?それは世界の救いのため、韓国や北朝鮮のため、日本の救いのために祈りも求めているのです。もちろん自分と家族の救いと幸せも祈りますが、神を愛し、隣人を愛する心を与えられ、受けるよりも与えることが幸いであることを実践する行動力を与えるためです。そのような土台の上に、40パーセントにもなるほどにキリスト教会は成長してきました。 大教会だけでなく、小さな教会も多くあります。そのほとんどすべての教会が朝早くから世界中の平和と救いを求めて祈っているのです。すごいですね。 そのような中で隣国日本にイエス・キリストの十字架の救いを伝えることにより、隣人を愛することを実践している韓国牧師たちの姿に感動しましした。生駒聖書学院にも同じ浪速区内で数年前から貸しビルを借りて家族で住みながら、教会を始めている牧師が聴講生が学んでいるので、できれば近日中にでも訪ねてみようと思う。 今日はこれから午前中は教室で聖書講義。午後からは大阪上本町の都ホテルで集会。与えられてことを感謝しつつ、精一杯聖霊の愛に満たされて仕えて行こうと願う。テモテへの第一の手紙 2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。 2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ──私は真実を言っており、うそは言いません──信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。
2008/01/17
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昨日は、生駒聖書学院3学期始業式。式が終わるとバイキングレストランで学期初めをともに祝い、元気いっぱいでスタートします。しかしラジオ放送原稿3本、水曜集会説教、木曜日と金曜日講義準備など盛りだくさんで、神学生たちをバイキングに送りだした。 その直後、韓国からの来客で4名が訪ねて来ました。バイキングへ出かけていたら皆さんに会えないままだったので、小さな決断にも主の導きがあると感謝してお話を聞くことができた。 韓国からの牧師は、関空から午後3時には帰国するという超多忙の方で、IT世界宣教の第一人者とのこと。生駒聖書学院&エリムキリスト教会ホームページとインターネット礼拝を、もっと充実し拡大するために韓国のノウハウで協力するように、出会いを求めて訪ねてくだっさった。昼食をともにしながら出発キリキリまでインターネット宣教に話しが弾みました。 同時に、20歳と24歳の青年が4月より生駒聖書学院入の決意をしてくれたことも、バイキングに行かなかったタイミングで出会うことができ感謝でした。新年度の献身入学生が現在7名希望している。将来牧師として働く方たちが、年齢、学歴、国籍に関係なく数多く入学することを祈っています。ぜひ全寮制の午前5時起床、かなり厳しく楽しい生駒聖書学院に献身入学をお待ちしています。 天の虫けらに書いていますが。もう一度転載します。刺しゅうと十字架思考 「すべてのことについて感謝しなさい」とのことばが、いつも心にある。にもかかわらずいつの間にか不平不満がたまり、頭では理解し、心では感じていても、腹の底からわき上がってくるような感謝がない。説教しつつも、内なる悩みを感じていた。 行きつけの理容室で、奥様が刺しゅうをしていた。最初は裏側から見たので、何の絵柄か分からなかった。ところが表を見ると、それは美しい風景画だった。思わず見とれるほどの出来栄えだった。 その時、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ。-それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)との聖書のことばが心に響いた。それは散髪をしてもらっている間も、胸に響き続けていた。 刺しゅうは、裏側に糸がたくさん出ているほど、表の絵がきれいになる。人生も同じだと主は教えてくれたのだ。裏側ばかり見ていると、恨みつらみの人生となり、ちっとも感謝できない。現象ばかり見つめていれば、感謝することより失望することが多い。イエス・キリストに従う道は喜びだと、言い聞かせながら生きることは苦しい。そうしなければならないと考えると窒息しそうだ。信仰はもっと自由でスカッとしたものなのだ。 教会に帰って十字架を仰いだ時、それはプラスに輝いていた。世の中の可能思考や積極的考え方を超えた光だった。十字架の下のほうが少し長いのは、クリスチャンは神に根ざして生きるからで、この世の思考とは異なる。神のみこころ思考、十字架思考だ。死人の中から復活したイエス・キリストが内に宿っている。聖霊思考だと、新しい転換を体験した。 十字架は根本的に、私のすべての罪と病、呪いと貧乏、死と滅びの災いを取り除くためであった。もう災いを恐れる必要はないのだ。あの刺しゅうと同じように、私の人生も裏側から見ると、何が何だか分からないところがある。悲しみと苦痛、失望と劣等感、挫折と逆境ばかりの人生だ。生まれなかったほうがよかったと思うことすらあった。それでも愛なる神は、災いではないと言う。十字架の下に来て、人生の逆境はプラスとなり、試練や問題は祝福の原因であることが、初めてはっきり分かった。 この日、新しい領域に入ったように感じた。自分の二十五年の人生のすべてを肯定できたのだ。 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28) 自分で益に変えようと努力するのではない。神がそのように益にしてくださっているのを知っているので、心の底から感謝ができるのだ。 鳥羽へ行った時、養殖真珠の作業を見た。アコヤ貝の中に小さな貝の核を入れる。すると貝は痛いので、何とか押し出そうとする。ところがなかなか出ない。約三年から五年、その核を抱いたまま辛い時間が流れる。やがて時が来て取り出すと、それは輝きの真珠となっているのだ。 辛い苦しい人生、感謝などと悠長なことを言っておられるかという声も聞こえる。しかし、神の約束に変わりはない。人生には、一見むだと見えたことが、大きな祝福だったことがいっぱいあるのだ。すべてのことが、十字架の下でプラスになり、栄光の輝き、祝福の原因となる。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。 8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。 8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。 8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、 死に定められている。 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」 と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
2008/01/16
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今朝より生駒聖書学院の「3学期始業式です。新年度に向って入学希望者の問い合わせや面接の約束もあり、今日から今月いっぱい講義や外部集会のため休みないスケジュールが続きます。イエス様は、「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」(マタイ7:12)と教えました。これが律法であり預言者ですというのは、旧約聖書全体の教え全体を指します。 当時の人々は律法を守っていました。律法を守れ行なえば救われるというのが、旧約聖書の教えです。しかしイエス様は、新約聖書でその精神を黄金律としてしっかり教えられました。 律法を守らなければならないことは大切ですが、いつも間にかそれを自分がしっかり守れることより、人を裁く材料にしてしまうとそれは祝福とはならずのろいとなってしまいます。 人の嫌がることを自ら進んで行なうことは、真実自分に自信がないとできないことだと思います。私たちの多くは人がやるから自分もやるし、人がアー言うから自分もソー言おうと思うでは物事は解決しない。 正しいことだったら、人の嫌がる所へ行き、人の嫌がることを行なう」勇気を持ちたいものです。最近は自分のとしか考えない人が多くなった時代です。人を押しのけても自分を優先してしまいます。 新しい年、勇気を持って人が嫌がることを前向きにやってみたいものです。ゴミを拾うことや、掃除でも自ら進んでやってみたいものです。マタイの福音書 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。 7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。 7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。 7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。
2008/01/15
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生駒聖書学院は明日(15日)より3学期が始まり、あっという間に卒業式(3月8日)です。現在20名が全寮制の学院で生活を共にしています。男子寮、女子寮、家族寮が完備しています。最近は通学生もありますが、午前5時起床で朝の祈りとチャペルでの礼拝。清掃の時間を終え全員そろっての朝食(パンとコーヒー・紅茶)、午前8時30分より講義が昼まで続きます。 午後は伝道奉仕やアルバイト、学びや祈りの時間を過ごす神学生たちの自主的な時間です。夕食は5時30分。火曜日は神学生の自主的な伝道会、水曜日&木曜日はそれぞれの教会での聖書研究会や祈り会に参加。集会日以外は10時30分消灯で、睡眠時間6時間30分を確保できるようにしています。 普段に生活から神学生になると、生活のリズムに慣れるまで戸惑いを覚える若者たちもありますが、全員が自発的に5時30分起床で、冬の寒い朝でも頑張っています。 少年時代から朝の早い生活で、生駒聖書学院時代は何の苦労もないスケジュールで、今も変わらず続いています。規則正しい生活習慣は、すべての面に幸せをもたらしてくれているようで感謝しています。前向きに行き続ける秘訣は、朝早く起きて規則正しく生きることだと言っても過言ではないと思います。 明日始業式、バイキングレストランで新しいスタートをともに祝し、元気いっぱいで3学期を迎えます。牧師の道を志す方々、ぜひ生駒聖書学院に入学し、多くの人々の幸せのために生きる人生をスタートしませんか。 いつも生駒聖書学院のために祈りとご支援を感謝します。ローマ人への手紙 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。 12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、 12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。 12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。 12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。 12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。 12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 12:16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。 12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。 12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
2008/01/14
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試練や困難は神の寵愛の証拠 (2008年1月13日礼拝説教) 毎朝、聖書を読むことから一日が始まります。15歳の時、新約聖書(しかも文語訳)を手にしました。アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図と始まる第一章の1ページ目は、人の名前だけ・・・・。あれ?聖書って何?すばらしい人生へのアドバイスがいっぱい書かれているのかと思ったらと、そのまま1ページで終わりました。 そんな中で、旧約聖書詩篇のことばに心を捕らえました。119:9 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから 迷い出ないようにしてください。119:11 あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。 その日以来、ただひたすら聖書を読んで読んで読み続けています。聖書は学問の対象としても面白い書物ですが、「神のことばは生きていて力があり」(ヘブル4:12)ます。聖書に書かれていることばを心から信頼してアーメンと同意する時、不思議なほどそのとおりのことが人生に実現されていきます。1. 聖書を読んでいると、神様に愛されている人ほど試練や困難に出会っている姿に気がつきます。聖書に登場する人物たちは、もうだめだと思うようなどん詰まりから、解決の糸口が見えて、新しい展開が広がっていく姿に感動します。 神様は愛している人間にだけ試練や逆境を与えているので、試練は神の特別な愛の証拠なのです。「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と、愛する者に特別な愛のしるしとして、試練が与えられます。どうにもならないと思ったときほど、神の愛をいっぱい注がれているから、ギブアップしないで前進するチャンスなのです。成功はすぐそこの曲がり角で待っています。伝道の書7:14 順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。 順境の日があることは幸いです。そのときには素直に喜び、もっと真面目に働き、せっせと貯金もしっかりし、節約もして慎重に生活したいものです。逆境の時はしっかり考え、積極的に前向きに問題を捕らえていきたいものです。どうしても逆境の時は考えが慎重になり、後ろ向きになりがちです。しかし、悪い時の消極策は、人をさらに暗くしますから、前向きに受け止めて前進したいものです。 聖書が試練や困難に対してどのように書いているかをいくつか紹介します。聖書のことばが人生のチャレンジとなり、すべての患難を乗り越える力となりますよう祈ります。 マタイの福音書 5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。 悪口を浴びせかけられたら幸いですね。喜びなさい。踊りなさい!ハレルヤ。 ヨハネの福音書16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 患難に直面したら勇敢でありなさい。ハレルヤ、何と言う勇気でしょう。 ローマ人への手紙5:3-5 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 8:35-37 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。・・・・しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 イエス・キリストの愛によって大勝利の人生です。圧倒的な勝利者になるんですから、少々のことでくじけたり恐れたりしません。確定した戦いを戦っているので心配もしません。勝ち得て余りある勝利が約束されています。ヤコブの手紙1:2-4 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。 イエス・キリストは喜びなさい、踊りなさい。ヤコブはそれをこの上もない喜びと思いなさい。考えなさいと言いました。私たちも宣言して見ましょう。 ペテロの第一の手紙 4:12-14 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。 問題や試練のさ中に、聖霊様がいてくださりが留まってくださいます。聖霊は助け主、慰め主です。聖霊様ありがとうございます。感謝します。 第一ペテロ5:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。 5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。 こうして聖書のことばを読んでいると、ほんとうに神様の愛が分かります。聖霊によって神の愛が豊かに注がれています。ハレルヤと感謝します。 下記はマナちゃん日記より転載 http://blog.goo.ne.jp/manatomoko08年1月7日の12時からTV(BS)NHK「熱中人」を見た。ゲストは一般の主婦で近藤さんって人でした。今やこの人は有名人で手紙でもタクシーでも、「瀬戸市で185日愛知万博に通ったおばさん」って言えば(書けば)それだけで着くほどの人気者。一日に4回も行ったりしてオセニア館(?)だけでも300回も通ったという!この熱中おばさんは、実は肺ガンと他にもいくつかの持病があったが、そうしている間に病気がみな完治してしまっていた、というからすごーいっ!こと起こったのだ!熱中すること、嬉しい楽しい日々が不治の病さえも完治する力だってことの証人、近藤さんと「熱中人」というTV放映に感謝をささげたい。病気のことや悩んでいることを考えないで、神の愛に熱中しましょう。シオンの娘よ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び呼ばわれ。エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。(ゼパニヤ3:14) あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。(詩篇36:8) いと高き者よ、あなたによって/わたしは喜びかつ楽しみ、あなたの名をほめ歌います。(詩篇9:2) ある年、青森県で台風のためにリンゴが沢山落ちてしまったことがあった。その時リンゴ園の人は考えた。「大損害だ!どーしよう?」...心配、失望だけでした。だがもう一人の人も考えました。「落ちなかったリンゴを売って金儲けをしよう」と...その結果、「受験に落ちないリンゴ」が生まれ、バカ受けの大儲けをしたという話!航空・宇宙工学者の糸川英夫博士は、著書の中で「ニュートンは木からリンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則を発見した。では、月が落ちないのはなぜ?という疑問を持つことから法則は生まれた...」リンゴが落ちた時に「どう対処できるか?」とあれこれ対症療法を編み出せるhow思考も必要だが、物事の根本を考えるwhy思考の比重を高める必要があると思う。 創世記26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】が彼を祝福してくださったのである。 26:13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。イサクが100倍の「収穫を見た土地は、彼の生涯の中で一番試練が多かったときでした。主が祝福してくださる時は、大きな試練の只中であることを確信して、聖霊によって注がれている神の愛の中で、雄雄しく生きて行きましょう。
2008/01/13
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毎朝、聖書を読むことから一日が始まります。15歳の時、新約聖書(しかも文語訳)を手にしました。アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図と始まる第一章の1ぺじはほとんどが初めて読む人の名前だけ・・・・。あれ?聖書って何?すばらしい人生へのアドバイスがいっぱい書かれているのかと思ったらと、そのまま1ページで終わりました。 そんなおり、旧約聖書詩篇のことばが心を捕らえました。119:9 どのようにして若い人は自分の道を きよく保てるでしょうか。 あなたのことばに従ってそれを守ることです。 119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。 どうか私が、あなたの仰せから 迷い出ないようにしてください。 119:11 あなたに罪を犯さないため、 私は、あなたのことばを心にたくわえました。 その日以来、ただひたすらに聖書を読んで読んで読み続けています。聖書は学問の対象としても面白い書物ですが、「神のことばは生きていて力があり」(ヘブル4:12)ます。 聖書に書かれていることばを心から信頼してアーメンと同意する時、不思議なほどのそのとおりのことが人生に実現されていきます。 聖書を読んでいると、神様に愛されている人ほど試練や困難に出会っている姿に気がつきます。聖書に登場する人物たちは、もうだめだと思うようなどん詰まりから、解決の糸口が見えて、新しい展開が広がっていく姿に感動します。 神様は愛している人間にだけ試練や逆境を与えているので、試練は神の寵愛のしるしなのだと思います。「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) どうにもならないと思ったときほど、神の愛をいっぱい注がれている前進するチャンスなのです。伝道の書7:14 順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。 順境の日があることは幸いです。そのときには素直に喜び、もっと真面目に働き、せっせと貯金もしっかり節約して、慎重に生活したいものです。 逆境の時はしっかり考え、積極的に前向きに問題を捕らえていきたいものです。どうしても逆境の時は考えが慎重になり、後ろ向きになりがちです。しかし、悪い時の消極策は、人をさらに暗くしますから、前向きに受け止めて前進したいものです。 聖書が試練や困難に対してどのように書いているかをいくつか紹介します。聖書のことばが人生のチャレンジとなり、すべての患難を乗り越える力となりますよう祈ります。マタイの福音書 5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。ヨハネの福音書16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 ローマ人への手紙5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ヤコブの手紙1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。ペテロの第一の手紙 4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。4:14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。4:15 あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行う者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。 5:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。 5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
2008/01/12
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毎朝、奇跡が・・・・大げさではなく感謝なことに、生きているのではなく生かされていると考えるようになった日から、毎朝の奇跡を体験できるようになりました。 最初に気づいたのは36歳のときでした。スエーデンを旅した時、日本で宣教師として働いていた方の家に泊めてもらいました。白夜の朝を迎え目覚めると、カーテンのスキマから朝日が当たり、壁のレリーフを照らしていました。そこにくっきりと浮かび上がったのは英語の聖書のみことばでした。LAM.3:22 Through the Lord's mercies we are not consumed,Because His compassions fail not. 3:23 They are new every morning;Great is Your faithfulness.哀歌3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。 3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。 その日以来、主の恵みは朝ごとに新しい!滅びなかった=生かされているのは主の恵みだけだと悟りました。 1999年1月19日に脳内出血で倒れ、主の恵みでいやされて元気になりましたが、生かされている幸いをさらに朝ごとに経験しています。 人生生きている限り、悩み不足はあっても、ともかく無事に命が続いているのは、自分の力を超えた全能の愛の神がいのちを与えてくださっているからなのです。 元気イッパイのときは生きている充足感だけかもしれませんが、命は与えられているものであり、生きているのは生かされているからだと思うだけで、人生は謙虚になります。 同時に、ありがとうございます。生かされました。感謝します!と日々を心から感謝して生きることができます。 仕事をするときも、家事や子育ても、勉強や遊んでいるときにも、生かされている気持ちをスタンバイさせておけたら幸いです。人をうらやみながら、比較しながら生きるのではなく、与えられたいのちを精一杯輝かせながら、今日もいのちの限り生きていきましょう。詩篇118:23 これは【主】のなさったことだ。 私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、【主】が設けられた日である。 この日を楽しみ喜ぼう。 118:25 ああ、【主】よ。どうぞ救ってください。 ああ、【主】よ。どうぞ栄えさせてください。 118:26 【主】の御名によって来る人に、祝福があるように。 私たちは【主】の家から、あなたがたを祝福した。 118:27 【主】は神であられ、私たちに光を与えられた。 枝をもって、祭りの行列を組め。 祭壇の角のところまで。 118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。 あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 118:29 【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまで。
2008/01/11
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厳しい時代に突入したような新年です。特に経済的には原油高騰で諸物価が値上がりし、低所得層だけでなく生駒や富雄で商売をしている教会員にも影響が出始めているようです。 祈れば聞かれる!と説教し、「イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン」とお願いし、「ありがとうございます。」答えられました。感謝します!」と、疑いや恐れが来ないうちに告白するよう勧めています。 また、イエス・キリスト様の約束、「マタイの福音書18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます」を信じて祈る解き、必ず答えられます。 牧師と心を一つにして祈る時、親子が心を一つにし、夫婦が心を一つにして祈る時、天の父である愛なる神様は、それをかなえてくださると言う約束だからです。 あまり現実的で具体的なことを書くとご利益につながると思ったりしますが、聖書の約束は、「ヘブル 11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである」とあります。 ヨハネの福音書にも、「15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。 15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです」とあります」 祈りが聞かれるとの約束を聖書からすべて引用するなら、数限りないほどあるから幸いです。 富雄キリスト教会ブログから祈りが聞かれた体験を転載します。昨日の朝、電話がありました。「お店のために祈ってください」教会に洋服店を経営している方が来られています。いつも日曜日にお店の祝福のために祈るのですが、平日に電話があるのは珍しいことでした。バーゲンセールをやっているけれども、お客さんが来ないし、落ち込んでいました。私は電話でお祈りしました。「神様、お店を祝福してください。生きている神様を体験できますように。神様を信頼する心を信仰を与えてください」そして、今日連絡がありました。「売り上げがありました。神様は祈りを聞いてくださるんですね」とっても嬉しかったです。神様はすごい。しかも祈ってすぐに聞いてくださった。祈って良かった。祈りが聞かれて良かった。神様、感謝します。 素直な願いが今日も答えられ、平安と感謝に満たされて過ごせる恵みを感謝します。ピリピ人への手紙 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。 4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
2008/01/10
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ケニア暴動は沈静化の方向に向かっているようですが、すでに486人(600人以上との連絡もある)からの死者を出し、避難民は25万人とも推定されています。 ルワンダ虐殺(ジェノサイド)のような事態が進展する可能性はないと思いますが、多民族国家であり部族間抗争にならないよう祈っています。 14年前に建てたエルドレッド教会より下記のようなメールがありました。お祈り下さい。 We are having 36 families who have come for refuge at ELIM CHURCH ELDORET after political unrest. There is tribal fighting in the country. We need food for them. We therefore give you an oportunity if you can donate food for them. 政治的な不安の後、ELIM CHURCH ELDORETに避難してきた来た36の家族があります。部族の戦いが、国にあります。私たちは、彼らのために食物が必要です。あなたが彼らの食物を寄付することができるならば、よろしくお願いします。 今朝の新聞にエルドレッド(ケニア西部リフトバレー州)からの記事が掲載さていました。エルドレッドは、今回のケニア混乱で暴動被害が最も深刻な地域です。同地は元々、カレンジンジン人が住んでいましたが、70年代にキクユ(ケニア最大部族)人の集団入植で、現在は両部族が混在して住んでいます。大統領選挙でキクユ族の力が弱まったと思った部族間に闘争が起こり、エルドレッドでは、カレンジンジン人数百人が教会(食糧を求めてきた教会ではない)前に集まり、教会を焼く騒ぎになり、そのまま放火し30人が死亡してしまいまいました。7日以降も騒動は続いているようです。 ケニアに関わる働きを継続しており、キスムの孤児院や関わりのあるキリスト教会、ケニア共和国全体が平和裏に解決できるよう祈っています。暴動の損害は国内総生産の約4.7パーセント相当の10億ドル(約100億円)推計になるそうです。これでまたケニアは難民や孤児たちが増え、貧しさの中に逆戻りかと思うと、争い戦うことの愚かしさを思うばかりです。ケニア共和国、特にパラダイス孤児院と、エルドレッド・エリムチャーチを覚えてお祈りをお願いします。マタイの福音書 24:3 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」 24:4 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 24:5 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 24:6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。 24:8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。 24:9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 24:10 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。 24:11 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。 24:12 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。 24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。 24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
2008/01/09
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正月は百人一首や、かるた取りなどの遊びがあります。今朝、健康カルタというのが目に入りましたので、いくつか紹介します。健康の 育つにつれて 病消え食養生 治療を生かす 偉い奴信ずれば 効果倍増 食べるコツより自然 丸ごと食べる 母子ども自然のいやしに ゆだねよう 心も身体も人生も花のように 明るい言葉が 健康に 聖書には、健康についての約束のことばが多く書かれています。いくつか紹介します。新しい年が健康で守られますように!出エジプト23:25 あなたがたの神、【主】に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。 ヨハネの第三の手紙 1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。詩篇103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 私のうちにあるすべてのものよ。 聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、 あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。 イザヤ書40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。66:14 あなたがたはこれを見て、心喜び、 あなたがたの骨は若草のように生き返る。いやしの約束のことば出エジプト記15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、【主】の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは【主】、あなたをいやす者である。」イザヤ書 53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、 私たちの痛みをになった。 だが、私たちは思った。 彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし、彼は、 私たちのそむきの罪のために刺し通され、 私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。マルコの福音書16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、 16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」ペテロの第一の手紙2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。第一テサロニケ人への手紙 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。 新しい年の健康といやしを祈ります。アーメン。
2008/01/08
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元旦から穏やかな天気が続いている生駒です。霜は毎朝ですが、ほとんど風もなく寒さを余り感じないで山道を歩いています。 メールの便りで鳥取砂丘近くは40センチの積雪とあり、雪を見たいとも思いましたが、やはり穏やかな方が良い生駒です。住まいが急坂の高台にあるので雪が降るとガレージから車が出せず、動きが取れなくなるので・・・・。 最初に生駒に来た冬、朝起きてみると校庭が真っ白でした。種子島では雪は降らず、宮之浦岳(屋久島)の雪を見ながら、雪よりも白い心に憬れていました。イエス・キリストの十字架で流された血潮の贖いが、すべての罪をきよめ雪よりも白く洗ってくれることを、高校生の時にキリスト教会で聞き、種子島の海岸でバプテスマを受けました。 聖書を読めば読むほど神の愛とイエス・キリストの救いの尊さに感動し、聖霊のバプテスマによりさらに変化が訪れました。そんな中での神学校生活の朝の雪でした。 雪の校庭を真っ直ぐに歩きました。自分ではまっすぐ歩いたつもりでしたが、振り返ると少し曲がっていました。反対側から今度は松の大木を目当てに歩きました。ほとんど一直線の足跡が真っ白な雪の上に残っていました。 その日以来、信じて生きる人生は目標をしっかり定めれば定めるほど、真っ直ぐに生きていけることを確信しながらです。 雪の校庭を松の木目当てに歩くことより、さらに心がワクワクできるような大きな目標を持つことができれば幸いです。夢と幻、ロマンにあふれる人生が聖霊によって与えられます。信仰の創始者であり、導き手であり、完成者であるイエス・キリストをしっかりと見続けるとき、自分の思いをはるかに越えた神の栄光が現されるのです。 新しい年のスタートです。しっかりと目標を定め、クヨクヨしないで大きな全能の神を信頼し、大きな力にゆだねることで、考えられないような祝福を体験なさってください。創世記26:12 その年、イサクの畑は大豊作でした。まいた種の百倍も収穫があったのです。 まさに神様の祝福のおかげです。 1.目標を紙に書くことをお勧めます。どんな人間関係を望んでいますか? 自分の健康については? 仕事は? 経済は? どんなことを今年経験したいか?何になりたいか?何を手に入れたいか?元旦に届いた過去預言を書く!というメールがありました。新年明けましておめでとうございます。 先生の働きが大いに祝福された主の2008年でありますよう心からお祈り致しております。先生を通して主のご計画が着々と為されて、主にご栄光が帰されていますことを心から喜び、感謝致しております。古代ヘブル語には、「預言過去」というのがあり、未来のことがすでに為されたことのように表現するものらしいです。勿論、ヘブル語には、それの述語動詞の形はあるのでしょうが、日本語では過去形で表現しております。 先生の信仰の中に、神のみ言葉を「預言過去」として、感謝して受け止めておられる姿を何時も拝見し、私も先生の信仰に近づきたいと願うと同時に、このような先生の元におりますことを心から感謝致しております。今年も宜しくお願い致します。 「イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。達成されました。感謝します!」 目標を書く時も、達成されたと確信して過去預言で書く! •2. 目標の裏側を理解し知ること 信じるとおりになり、告白したとおりになることは確実なのに、信じ告白しながら達成しない理由は何か。それは、望み、目標には裏側があるからです。望には必ず望まないことがセットで存在しています。望がなかなかかなわないのは望みの裏側にある望まないことを潜在意識が拒否するからです。 たとえば私たちが自分のビジネスを2倍に成長させたいと思っているとしましょう。目標を口にしたとたん、内側の声が「そんな目標はやめなさい」とささやきます。「一年で2倍にするなんて大変だ。ムリに決まっている。もし仮に可能だとしても、今の2倍働くことになるんだぞ」心の中ではこんな葛藤が繰り広げられています。 このジレンマには簡単な解決法があります。目標を設定する前に、自分の望まないことをはっきりさせればいいのです。ビジネスを2倍にする!望まないことは?•・ 仕事を増やしたくない ・経費を増やしたくない ・借金を増やしたくない ・これ以上ひとを雇いたくない ・仕事時間をふやしたくない・・・・等々。それを考えた上で•・ 私は今から1年で自分のビジネスを2倍にする ・無理しないで楽しみながら達成•・ 今の予算とスタッフのままで達成する ・目標までの過程はエキサイティングで充実感のある体験だ! 自分が恐れていること、抵抗を感じることをまずハッキリさせれば、必要な物を確実に手に入れる道が開かれます。「望まないことを」くよくよおもいなやんではいけません。そんなことをしたら「望まないこと」を引き寄せてしまいます。少しの時間を取って「望まないこと」をはっきりさせるだけで良いのです。 •3. 大きな力にゆだねることは、難しい状況を切り抜ける鍵です。健康のことでも、仕事のことでも、又はどのような問題であっても、あなたが信じているなら思いも寄らない場所から解決策が届けられ、問題は必ず解決するのです。私たちは、問題があると意地になってしまい、何が何でも自分の力で解決策を見つけ出そうとします、しかし実際は、その正反対の方法で望んだ結果が手に入るのです。 気をつけなければならないのは、「すべてをゆだねる」ことと「あきらめる」ことは全く違うという点です。 「すべてをゆだねる」「には、まず人間は自分ひとりの力では何もできないと理解することが必要です。その上で自分よりも大きな力ある全能の神さまにゆだねれば、いつでもそこにある聖霊の助けを手に入れることができます。 すべてをゆだねればストレスの原因になっている緊張を解きほぐすことができます。人はストレスを感じれば、血液の流れが悪くなり、たいてい頭の回転も悪くなります。すべてを委ねテ、そのストレスから解放されることで、大きな力の導きに従うことができます。もちろん全能の力に導かれるためには、自分のやるべきことは自ら進んで実行するのです。 ピリピ人への手紙3:10 私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。 つまり、真にキリスト様を知ること、キリスト様を復活させた超自然的な力を、身をもって体験すること、そして、キリスト様と共に苦しみ、また死ぬとは、どういうことかを知ることです。 3:11 死人の中から復活した者特有の、生き生きとした新しいいのちに生きる者となるためには、どんな犠牲もいといません。 3:12 なにも、自分が完全な人間だ、などと主張するつもりはありません。学ぶべきことも、まだたくさん残っています。 ただ、キリスト様が何のために救ってくださったかを知り、私に与えられている目標に到達する日を目指して、努力しているのです。 3:13 愛する皆さん。 私は、まだその目標に達してはいません。ただこの一事に、全力を注いでいます。 すなわち、過去に執着せず、前にあるものを望み見、 3:14 ゴールに到着してほうびを得るために、一生懸命努力しているのです。このほうびを与えようと、神様は、私たちを天へと召しておられます。 それは、キリスト・イエスが成し遂げてくださったことに基づくのです。
2008/01/07
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食糧品300%の値上げ! 今朝のメールによると、ケニアは政治がらみの暴動が全地に飛び火し、300名以上が死亡し、食糧が300パーセントも値上がりちゅうとのこと。ケニアのためにお祈りをお願いします。「Dear Rev. Thank you always in Jesus name. Happy new year. Well in Kenya we don't have new year because the election was done and preisdent Kibaki stole the votes and put himself to be the president so people are fighting in every part of Kenya. Rev, pray for our Coutry Kenya because right now over 300 people have died. Food has gone up 300%, We are really finding it difficult with the children because of food.」 政情が不安定になると一番困るのは貧しい人々です。パラダイスの孤児たちやスタッフ一同のために、アドナイイルエ(主の山には備えがある)の祈りをささげています。 アフリカだけでなく、日本も元旦から値上げが続いています。原油高騰だけでなくその影響は食料品始め、いろんなところに出始めています。平和だ無事だといっている矢先に滅びが口を広げて待っている様な状態です。今こそ目覚めて新しい歩みをスタートする時です。 今日は新年最初の日曜日です。6日働いて7日目を主の休みとせよ!と聖書にあります。安息日と言いますが、キリスト教会は土曜日ではなく日曜日を礼拝の日として守ってきました。理由は単純です。イエス・キリストが十字架の贖いを完成し、墓に葬られ3日目の朝(つまり日曜日の朝早く)復活されました。そのイエス・キリストの復活を喜び祝うために集まる喜びの礼拝です。セレブレーション(お祭り)の日なのです。 ユダヤ教の思想ですと6日働いて7日目を報酬として休みが与えられます。キリスト教では1日目に休みを与えられてその力で6日の喜びの働きを続けるのです。救いに関しても同じです。何かを行なって救われ幸せになるのではなく、ただ信じて救われ幸せになるのです。行為による救いではなく、ただ信じるだけでアーメンと言えば救われるのです。 その救われた喜びをイエス・キリストの復活を記念する日曜日に集い祝うのです。エリムキリスト教会(奈良市・生駒市・大阪市・堺市・門真市・東大阪市)やお近くのキリスト教会へお出かけください。大体10時頃から礼拝があります。 大阪エリムキリスト教会は午後2時より、」堺エリムキリスト教会は午後5時30分よりの礼拝です。お気軽にお出かけください。幸せを祈ります。ヨハネの福音書4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。 4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 4:15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」 4:16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」 4:17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。 4:18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」 4:19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。 4:20 私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」 4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。 4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。 4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。 4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
2008/01/06
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元旦から穏やかな天気が続いている生駒です。霜は毎朝ですが、ほとんど風もなく寒さを余り感じないで山道を歩いています。 メールの便りで鳥取砂丘近くは40センチの積雪とあり、雪を見たいとも思いましたが、やはり穏やかな方が良い生駒です。住まいが急坂の高台にあるので雪が降るとガレージから車が出せず、動きが取れなくなるので・・・・。 最初に生駒に来た冬、朝起きてみると校庭が真っ白でした。種子島では雪は降らず、宮之浦岳(屋久島)の雪を見ながら、雪よりも白い心にあこがれていました。イエス・キリストの十字架で流された血潮の贖いが、すべての罪をきよめ雪よりも白く洗ってくれることを、高校生の時にキリスト教会で聞き、種子島の海岸でバプテスマを受けました。 聖書を読めば読むほど神の愛とイエス・キリストの救いの尊さに感動し、聖霊のバプテスマによりさらに変化が訪れました。そんな中での神学校生活の朝の雪でした。 雪の校庭を真っ直ぐに歩きました。自分ではまっすぐ歩いたつもりでしたが、振り返ると少し曲がっていました。反対側から今度は松の大木を目当てに歩きました。ほとんど一直線の足跡が真っ白な雪の上に残っていました。 その日以来、信じて生きる人生は目標をしっかり定めれば定めるほど、真っ直ぐに生きていけることを確信しながらです。 雪の校庭を松の木目当てに歩くことから、心がワクワクできるような大きな目標を持つことができれば幸いです。夢と幻、ロマンにあふれる人生が聖霊によって与えられます。信仰の創始者であり、導き手であり、完成者であるイエス・キリストをしっかりと見続けるとき、自分の思いをはるかに越えた神の栄光が現されるのです。 新しい年のスタートです。しっかりと目標を定め、クヨクヨしないで大きな全能の神を信頼し、大きな力にゆだねることで、考えられないような祝福を体験なさってください。創世記26:12 その年、イサクの畑は大豊作でした。 まいた種の百倍も収穫があったのです。 まさに神様の祝福のおかげです。 ピリピ人への手紙3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。 3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 リビングバイブル訳3:10 私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。 つまり、真にキリスト様を知ること、キリスト様を復活させた超自然的な力を、身をもって体験すること、そして、キリスト様と共に苦しみ、また死ぬとは、どういうことかを知ることです。 3:11 死人の中から復活した者特有の、生き生きとした新しいいのちに生きる者となるためには、どんな犠牲もいといません。 3:12 なにも、自分が完全な人間だ、などと主張するつもりはありません。 学ぶべきことも、まだたくさん残っています。 ただ、キリスト様が何のために救ってくださったかを知り、私に与えられている目標に到達する日を目指して、努力しているのです。 3:13 愛する皆さん。 私は、まだその目標に達してはいません。 ただこの一事に、全力を注いでいます。 すなわち、過去に執着せず、前にあるものを望み見、 3:14 ゴールに到着してほうびを得るために、一生懸命努力しているのです。 このほうびを与えようと、神様は、私たちを天へと召しておられます。 それは、キリスト・イエスが成し遂げてくださったことに基づくのです。 3:15 私は、一人前のクリスチャンである、あなたがたがみな、この点について、私と同じ考え方をするようにと願います。 もし何かの点でこの考え方からはずれているなら、神様はきっと指摘してくださるでしょう。--
2008/01/05
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今朝はパソコンの調子が悪く、ブログの書き込みができませんでした。娘や息子の協力によりやっとに正常になりました。 今年も、「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」(ローマ1:16)と決意を新たにして祈っています。 天地創造のとき、地は茫漠として何もなく、やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていました。「光あれ」とのことばで光があり、神は光を良しとされました。 08年の日本の霊的状態も、茫漠として何もないような状況に見えるますね。霊的暗黒が地を多い、政治、経済、教育界とも混沌としています。キリスト教会の現実も宣教150年になりました。プロテスタント信者は60万名余。礼拝出席平均が30数名という現実です。韓国や中国、インドネシアやフィリピン、東南アジアの国々だけでなく、オーストラリアやアメリカ、ヨーロッパの国々、南アメリカやアフリカの諸国からも、教会が大々的に成長している報告やうわさが流れてきています。 「主よ。私はあなたのうわさを聞き、【主】よ、あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください」(ハバクク3:2)との祈りを自らの祈りとしています。今、日本に必要なのは福音の幅広い宣教です。茫漠とした世界に、神が、光よあれ!とことばを出されたように、イエス・キリストの十字架の福音を率直に信じ、アーメンと言えば救われる!のです。信じるなら誰でも救われます。 神のことばは生きていて力があります。天地創造のとき、神が仰せられた。そのようになった。神はそれを見て良しとされたとあるように、福音のことばが語られるとき、救いのわざがなされるのです。 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」ローマ10:13-15「天の虫けら」(68)・・・ノボシビリスク 次の訪問地ノボシビリスクはシベリア最大の都市だ。VIP並に空港まで案内され、だれよりも先に飛行機に乗せてもらう。しばらくほかにだれも来なかったので、一人のために飛ぶのかななどと心配する。ノボシビリスクに到着すると、ソーニャと言う美しいガイドが、機内に迎えにきてくれ、皆より先に降りる。観光案内はタクシーで、彼女が説明してくれる。第二次世界大戦の二万人の戦死者モニュメントの所で、「戦争は嫌い」と彼女は言った。カミュの墓や市内の主要な建物を回り、説明を聞く。 この町でも公認バプテスト教会を探したが、町はずれも町はずれの田舎にあった。バスで一時間半も行った所でやっと見つけたが、集会日なのに礼拝をやっていない。牧師もいないし、門番の老婆が一人いるだけ。要領を得ず、二冊だけ聖書を置いて帰った。今考えても、あんな所までどうして行けたのか不思議だ。きっと主が、「これが道だ、これに歩め」(イザヤ30:21)と導いてくれたのだろう。 この町に四日も滞在する予定になっていたため、ソーニャさんの勧めで夜はサーカスへ行った。その途中、ハリストス正教会で行なわれていた結婚式に紛れ込んで、若い二人の祝福を祈り、記念写真をいっしょに撮り、持っていた聖画とトラクトをお祝いに贈った。 ノボシビリスクには、世界最長のオビ・エニセイ川が流れている。アムール川での船旅に味を占め、今度もまた船に乗ることにした。切符を買えたので、最初に出る船に乗り込んだ。満員状態だが、こちらからあちらへと両岸をゆっくりと進む。人々は次々に降りていき、二時間くらい過ぎたら、ほんの数人になった。そのうち二つの川が合流する地点まで来た。さすがに不安になり、このまま北極海まで行くのではなどと考えはじめていると、川の合流地点で船は向きを換え、今来た行路をゆっくりと戻りはじめた。ホッとした。何とも頼りなく、心細いひとり旅だ。
2008/01/04
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正月は元旦礼拝よりスタートします。以前は、31日夜から3日の午後まで泊り込みで新年聖会を行なっていました。最近も行なっている教会が多くありますが・・・・。元旦礼拝にエリムキリスト教会のメンバーが百数十名集いました。元旦に洗礼を受けた姉妹の家族8名、そのほかにも7名家族でとか、今年は家族そろっての礼拝参加が多く、使徒の働き16:31 、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」の成就を嬉しく思います。 元旦礼拝には恒例の子どもたちへのお年玉があります。赤ちゃんから大学生まで年齢に応じて金額は変わりますが、全員に祝福の祈りと共にささやかなお年玉です。この子たちが、「受けるよりも与える方が幸いです」を実行でき、世界のために貢献できるよう成長して欲しいと願っています。受験期の子どもたちの上に豊かな祝福を! 元旦礼拝が終わると家族で昼食です。今年はみんなで10名にもなりました。おせちは料理屋を営んでいる兄弟が毎年作ってくれるので、子どもたちも美味しいと連発して食べています。 今年も食欲旺盛な子どもに負けないように、いのちの糧である聖書をしっかりと味わい続けたいと決心しています。神のことばは生きていて力があります。 詩篇36:5 【主】よ。あなたの恵みは天にあり、 あなたの真実は雲にまで及びます。 36:6 あなたの義は高くそびえる山のようで、 あなたのさばきは深い海のようです。 あなたは人や獣を栄えさせてくださいます。【主】よ。 36:7 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。 人の子らは御翼の陰に身を避けます。 36:8 彼らはあなたの家の豊かさを 心ゆくまで飲むでしょう。 あなたの楽しみの流れを、 あなたは彼らに飲ませなさいます。 36:9 いのちの泉はあなたにあり、 私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。
2008/01/03
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年末に、真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝 (単行本) 1995円淵田 美津雄 (著), 中田 整一 (著) を感動とともに読了。また昨日送られれてきたNHKBCドキュメンタリー「伝道者になった真珠湾攻撃隊長~淵田美津雄・心の軌跡~」(05年8月20日放送)のDVDを今朝見ました。 トラトラトラ(我奇襲に成功せり)との打電で、太平洋戦争の幕は切って落とされ、広島や長崎への原爆投下により終結しました。アメリカはノー・モァ・パールハーバーを叫びながら、今なお戦争を継続している。日本はノー・モァ・広島・長崎で戦争を放棄し、平和憲法を守り続けています。戦争は正義だ何ていう愚かな理論に騙されないよう、平和を作り出す歩みを踏み出した淵田美津雄の生涯に神の奇跡を思うときでした。 敗戦とともに淵田は戦争犯罪人としてGHQでの取調べを受けていました。1948年渋谷駅前で小冊子を手渡されました。東京発爆撃を行い中国で不時着し、日本軍の捕虜となったジェイコブ・ディシェイザーのキリスト教への入信記でした。捕虜収容所では3人の仲間はすぐ銃殺され、ひとりは獄死、自分は命ながらながらも日本兵の虐待され続けていました。 無神論者で真珠湾攻撃の憎しみで東京爆撃を行い、さらに獄中での悲惨さの中で、なぜ人間同士がこんなにまで憎み合い殺し合うのかと考え、聖書を読みたいと思いました。そのように願う彼はさらに虐待されましたが、あるときついに一冊の聖書を一人の兵士が見つけてきてくれました。むさぼるように聖書を読んだ彼は、ついにイエス・キリストを信じ、憎悪を兄弟愛に変え、戦後3年目に日本への憎しみを乗り越え、宣教師として日本にやって来ました。 淵田は同じ飛行気乗りとしての共感もあり、聖書を買い求めて読み始めました。敵国鬼畜米英のキリスト教と思っていたのですが、ルカの福音書まで読み進み、イエス・キリストが十字架に自分を釘付けにした兵士たちのために、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているの分からないのです」(ルカ23:34)当時は文語訳「父よ。彼らを赦し給へ。その為す処を知らざればなり」 その瞬間、フィリッピンで両親を惨殺されながら、アメリカにいる日本人捕虜を大きな愛で見舞い世話をした若いアメリカの女性の姿、その愛は十字架のイエス・キリストの祈りから来ていることなどを思い出しました。 イエス・キリストの祈りは、真珠湾攻撃を正義だと思い込んでいた自分の罪のためでもあったことを知りました。彼はほんとうの赦しの意味を知り、48歳の時イエス・キリストを信じるクリスチャンとなりました。戦後8年目から、爆弾の変わりに聖書を携え、真珠湾を攻撃した総隊長として、イエス・キリストの福音を大胆に語り続けました。 特にハワイでの集会は大変だったそうです。しかし彼は単に謝罪するだけではなく、戦争そのものが悪であり、正義の戦争などありえないことを大胆に語り続けました。 イエス・キリストの十字架こそ、憎しみを愛に変える最大の秘訣なのです。2008年その「十字架の愛が全世界を覆うことを大きく期待しながらの正月です。ヨハネの第一の手紙 4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。 4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。 4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。 4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。 4:15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。 4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。 4:17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。 4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。 4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 4:20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。 4:21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
2008/01/02
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Hallelujah! A Happy New Year! 昨年はお訪ねありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。 新しい年、「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】が彼を祝福してくださったのである」(創世記26:12)みことば通り100倍(パーフェクト)の祝福、聖霊の豊かな愛と力に注がれた366日をお祈りします。 その地とは今の自分自身であり、自分が置かれている環境や社会、地域を含めての世界だと理解することができます。 新しい年へのスタートを踏み出し、今年こそはと決意に燃えています。その決意こそが種であり、この年のうちに100倍(パーフェクト)の収穫を見ることができます。 その秘訣は、主が彼を祝福してくださったことにあります。 毎年、巡りくるごとに新しい決意で新年を迎え、決意も新たに出発しますが、結果が思わしくないことの方が多いのが人生です。 100倍の収穫を得るためには、まずよく耕された肥沃の土地が必要です。人の心は頑固でわがまま、自己中心でかたくなです。しかもそのうような自分をいつも正当化し、何か起こればすべてを人のせいにしてしまう傾向があります。自分が悪いと落ち込んでしまうことも多々あります。しかも落ち込むことも自己正当化のしるしなのですが、それにさえ気づかないで・・・・。 良い土地ためには、まず第一に良く耕すことです。柔らかな幼子のように素直な心が良く耕した土地と言えるでしょう。幼子のように素直な心の持ち主が天国では、偉大な存在だとイエス様は教えられました。 二番目には、良い種を蒔くことです。種は思想であり考え方に例えることができます。否定的で消極的な考えをいつも持っているなら、結果もそのようになります。最高に良い種は聖書のことば(みことば=神のことばは生きていて力がある)です。みことばは種です。しっかりとみことばの種が自分の思考となるよう聖書を読みましょう。 三番目には雑草を取り除くことです。よく耕やしても雑草は芽生えてきます。不信仰の否定的考えが、良い考えをふさいでしまいます。マイナスにすべてを考えてしまいがちです。イエス様はあなたの信じるとおりになりますと教えました。マイナスに信じればマイナスの結果がでます。誰のせいでもなくあなたの信じたとおりになったのです。 また、あなたの言うとおりになるともイエス様は教えました。告白することは重要です。否定的な不平不満や泣き言ばかりを言っているから暗くなります。思い切って雨の日でも曇っていても晴れるや(ハレルヤ)と宣言していませんか?太陽はいつも雲の上に輝いているんですもの!その輝きは明日にもあなたを照らすでしょう。 もう一つ必要なことが豊かな実りをもたらします。それは肥料をやることです。科学肥料よりも自然の肥料が幾段となく良いのです。心の肥料は聖書のみことばです。神のことばは生きていて力がありますから、心の汚れや醜さを洗い流し、罪の思いをきれいに洗ってくれます。御子イエスの血がすべての罪からきよめます。 最後に、100倍の実を結び大きな結果がでても、ふつつかなしもべです。なすべきことをしただけですと、その栄光を神様にお返しすることです。するとさらに大きな祝福を体験することができるように、神様が祝福を倍加してくださいます。 実り豊かな一年中でありますよう、祝福をお祈りいたします。ルカの福音書 8:4 さて、大ぜいの人の群れが集まり、また方々の町からも人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。 8:5 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。 8:6 また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。 8:7 また、別の種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。 8:8 また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」 イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれた。 8:9 さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた。 8:10 そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。 8:11 このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。 8:12 道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。 8:13 岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。 8:14 いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。 8:15 しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。http://elim.jp
2008/01/01
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