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新刊;30秒の祈りが世界を変える!榮義之著 2月1日発行;グッドワーク研究所刊イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。ありがとうございます。与えられました。感謝します。ハレルヤ! 2006年より祈りに新しい境地が開かれ、イエス様のお約束のすばらしさに感動しつつの日々です。祈りは楽しく恵みの時です。あなたも祈りのある日々をお過ごしください。 天国の一日を生きる、具体的な祈りのコツが満載の新著をぜひご一読お願いします。目次より~・ 素敵な祈りをしてみませんか ・ 主よ。助けてください! ・ 請求書の祈りか、領収書の祈りか ・ 食前の祈りを少し丁寧に・ あなたの願いは聞かれた! ・ 祈り続ける恵み・ 断食の祈りの幸い ・ 臨終の祈り・ 祈ったことをいったん忘れると願いがかなう? 全34話定価;本体1,200円+税。生駒聖書学院への直接注文は1,200円。10冊以上は一冊プレゼント。アマゾン(送料無料)でも注文可。ライフセンターでも発売中。牧師 榮義之 630-0243生駒市俵口町951 携帯090-1593-1269E-mail; elimyoshi@kcn.jp ブログ;http://ibcelim.com/ラジオ放送希望の声;ABCラジオ(1008kHz)毎週水曜朝4:35-45テレフォン・メッセージ;0743-73-3740(毎日メッセージは変わり2分間)コラム;http://www.christiantoday.co.jp/main/column-news-452.html生駒聖書学院11年度学生募集中!4月11日(月)午前10時入学式
2011/01/31
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例年、2月第一週目に、日本ペンテコステ親交会大会が開催されますた。初回から神学生たちといっしょに参加していますが、昨年からヤマハリゾートつま恋で開催されるようになり、宿舎も会場も快適な会場です。大会も恵まれる時です。広い会場敷地内をゆとりの一万歩でゆっくり散歩できるのも楽しい四日間です。 往路は一日早く浜松市へ立ち寄るので、一人ゆっくりのドライブです。復路は神学生が身体を気遣って運転してくれます。 24歳まで車酔いが激しく、旅は自動車であれ特に船が大苦手でした。子どもの時はブランコに乗ったこともなく、バスに乗れば必ず酔う生活でした。 24歳で自動車免許を取得し、車を自分で運転するようになるとダンダン大丈夫になりました。 初めて飛行機に乗ったのも24歳のとき、幸い少しも酔わずそれ以来飛行機が大好きになり、世界中を動けるようになりました。 いろんな悩みや苦しみ、患難や苦痛もある人生です。眠れない夜を過ごすときもあります。数え上げればキリがないほどの苦労の多い人生です。 イエス様を信じて以来、日々変えられ恵まれ続けの人生を与えられています。アーメンと信じれば救われる!イエス様は、十字架に全人類の罪を贖い、ただアーメンと信じるだけで、すべての罪が赦され神のことなります。復活されたので、私の心にお迎えします。アーメンと心を開くとき、訪れてくださいます。 いつでもイエス様とともに、今日もまた天国の一日です!と宣言しつつ、恵まれた日々を歩む幸いを喜んで得います。 出かけるときはパソコンをまだ持参しませんが、ブログは毎日更新していますので、よろしくアクセスください。詩篇 4:1 私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。 4:2 人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものを慕い求めるのか。セラ 4:3 知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。 4:4 恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。セラ 4:5 義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。 4:6 多くの者は言っています。「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。」主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。 4:7 あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。 4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。
2011/01/31
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書斎の窓が東にあり、今朝は春を思わせるような朝日が輝き射し込んでいます。 神様ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。目覚めとともに元気に飛び起き、礼拝への日曜日です。 春は来りつつある(内村鑑三)雪は降りつつある しかし 春は来りつつある寒さは強くある しかし 春は来りつつある 春は来りつつある雪の降るにもかかわらず 寒さの強きにもかかわらず 春は来りつつある慰めよ 苦しめる友よ なんじの患難(なやみ)多きにもかかわらず なんじの苦痛(いたみ)多きのもかかわらず 春はなんじにもまた来りつつある と、大好きな詩を口にしながら洗顔や歯磨きをしながら、私が滅び失せなかったのは主の恵みによる。主の恵みは朝ごとに新しい。ハレルヤ。 これは主がなさったことだ。私たちの目には不思議なことだ。この日は主が造られた!この日を楽しみ喜ぼう。 幸いなことよ!まことにその人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、流れのそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。 わがたましいいよ。主をほめよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 主は私のすべての罪とがを十字架上で赦し、私のすべての病をいやし健やかにし、私のいのちを地獄行きの滅びから救い出し、私に勝利の冠をかぶらせ、私の一生を良い物だけで満たしてくださいます。 私の若さは鷲のように新しくなり、走っても疲れず、歩いても弱らない!感謝します。 私が滅び失せなかったのは主の恵みによる。主の恵みは朝ごとに新しい。ハレルヤ。 何をするにも、朝からみ言葉を告白しながら祈りつつの礼拝日です。 富雄キリスト教会の第五日曜日礼拝は、アンサンブル演奏の日。ピアノ、ドラム、ギター、チェロ、ヴァイオリン、サキソフォン、クラリネット、フルートなどの学期が主を讃えます。 もうしばらくすればオーケストラが結成されるようになると期待しています。聖書学院教会と大阪エリムキリスト教会は、第五日曜に限り賛美歌と聖歌だけを賛美する特別礼拝。常にはコーラスを持ちいる自由な雰囲気ですが、聖歌や賛美歌を思いっきり歌う楽しい礼拝です。 今日もメッセージは、モーセの告白の祈りから、「あなたは特にわたしの心にかなっている」神の尊い愛と選びの偉大さを語ります。昼前にはインターネットで放映されます。 イエス・キリスト様とともに聖霊に満たされ続けての一日中です。出エジプト記33:12 さて、モーセは主に申し上げた。「ご覧ください。あなたは私に、『この民を連れて上れ。』と仰せになります。しかし、だれを私といっしょに遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている。』と仰せになりました。33:13 今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」33:14 すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」33:17 主はモーセに仰せられた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」
2011/01/30
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「30秒の祈りが世界を変える」というタイトルで2月1日、新刊を発行します。ちょうどヤマハリゾートつま恋での集会中です。会場の売店で初公開します。 短い祈り(わずか30秒)と語ると、「それでは長い祈りはいけないのですか?」と問われることもあります。 そうではなく祈り続けることが大切です。とは言っても何時間祈ったとか、何十日断食したからとか、徹夜で祈ったからとか自慢したり、人に強要するものでもありません。短くても長くても、愛なる神を信頼し、イエス様のお名前によって祈る、真実アーメンのいのりが対ア節なのです。 聖書を読んでいると長い祈りの例がたくさんあります。サムエルの母ハンナは、子どもがないために心は痛み、主に祈って激しく泣き、長い祈りでくちびるが動くだけで、その様はまるで酔っているようでした。 祭司のエリは、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」と注意しましたが、彼女は、「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」と答えました。 彼女はその待望の祈りの中で、明確な答えをいただき、喜びに顔を輝かせ祈りの座から立ち上がりました. ハンナの祈りは長年の待望であり、同時に時間をかけた祈りだったのです。伝道者の書に、「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。・・・・神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(3:1,11)とあるとおりに、神の深いご摂理があることを、私たちは知っています。 私たちも結婚して12年目に子どもが生まれました。長い忍耐の祈りの時でしたが、それから2年目にはもう一人が生まれました。 神がまさに良しとしてくださり、みむねの定まったときに答えが与えられることを、聖書の教えからもよく理解し、心配しないで祈り通す幸いを経験したいものです。 ある著名な経営者が、毎日800項目を上げて祈リ、一項目2秒で祈っていると聞き、ご本人直接お聞きしたら、にっこり笑って1000項目に増えましたとのこと。朝目覚めたら静かに主の前に静まり、約一時間以上かけて祈り続けるそうです。 その結果、1000項目もあるので、一つのことにわずか1~2秒の時間だそうですが、大きな祈りのヒントになりました。 イエス様は、「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」(マタイ6:5-8)と教えました。 つまり同じことを繰り返したりしなくて良いのです。綺麗な語彙をもったいぶって盛りたくさんにしなくても、神の子どもとして素直に祈れたら最高です。 同時に、最高の神の子どもですから、「しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする」(イザヤ32:8)と聖書にあるように、高尚な願いができるように聖霊に信頼し、我欲だけに捕えられず、高貴な祈りをも心がけたいものです。 フランシスコの祈りを模範に高貴な祈りを捧げるよう励みたいと願っています。平和の祈り 主よ、わたしを平和の道具とさせてください。わたしに もたらさせてください…… 憎しみのあるところに愛を、 罪のあるところに赦しを、 争いのあるところに一致を、誤りのあるところに真理を、 疑いのあるところに信仰を、 絶望のあるところに希望を、 闇のあるところに光を、 悲しみのあるところには喜びを。 ああ、主よ、わたしに求めさせてください…… 慰められるよりも慰めることを、 理解されるよりも理解することを、 愛されるよりも愛することを。 人は自分を捨ててこそ、それを受け、 自分を忘れてこそ、自分を見いだし、 赦してこそ、赦され、 死んでこそ、永遠の命に復活するからです。 マタイの福音書7:7 求め(続け)なさい。そうすれば与えられます。捜し(続け)なさい。そうすれば見つかります。たたき(続け)なさい。そうすれば開かれます。7:8 だれであれ、求め(続けた)者は受け、捜し(続けた)者は見つけ出し、たたき(続けた)者には開かれます。7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
2011/01/29
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冬来りなば春遠からじ。どんなに厳しい冬でも、四季折々の日本では、春の訪れがあります。 学院の庭の水仙も可憐な花を咲かせ、一本だけの梅の小枝にもピンクのつぼみがチラホラ。 種子島の田舎で育ち、雪は降らないけれども霜が少しはある山の家でした。学校から帰ると麦踏をさせられました。 小さく伸びた麦の芽を足で踏みつける作業です。面白いと言うよりも可愛そうと言う思いでいやいやしながらでした。 「踏みつけないと、霜で麦が台無しになるから、しっかり踏みつけなさい。麦には必要な作業だよ」と。踏まれても麦は大丈夫なのです。しっかり大地に根ざし大収穫の春が来るのを待つのです。 人生も同じようなものです。苦しみから逃げることばかり、仕方がないとあきらめたりばかりでは、何の良いことも起こりません。 どんなに辛いことや、いやなことも、人生を高め、深め、広くし高貴な品性を輝かせるためだと考えたらいかがでしょう。 幸せでいると言うことは、どんな状況の中でも希望を持って生きることです。何の希望もないように思え辛いときでも、それにもかかわらず進み続ける勇気を出しましょう。 困難なことがあるのは、祝福される最大のチャンスが訪れているしるしです。そのように信じ生きる力は、イエス・キリストから与えられます。 イエス・キリストは悲しみを知り、病の辛さを知り、苦しみを味わい、痛みを体験してくださった人だからです。 私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル人への手紙4:15-16) 冬の寒さがあるから、春の暖かさが分かるように、人生の冬はあなたの幸せにあると信じて、今日もまた天国の一日です。感謝しつつ前進する勇気を!春は来りつつある(内村鑑三)雪は降りつつある しかし 春は来りつつある寒さは強くある しかし 春は来りつつある 春は来りつつある雪の降るにもかかわらず 寒さの強きにもかかわらず 春は来りつつある慰めよ 苦しめる友よ なんじの患難(なやみ)多きにもかかわらず なんじの苦痛(いたみ)多きのもかかわらず 春はなんじにもまた来りつつある ペテロの第一の手紙2:19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
2011/01/28
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朝のニュースを見ていた。 霧島山の新燃岳(1421メートル)が26日午前7時31分ごろ噴火、いま現在も噴煙を上げ続けているとのこと。。鹿児島地方気象台は火山解説情報を発表し、風下地域での降灰や噴石に注意を呼びかけている。 灰白色の噴煙が火口縁上200メートルまで上がり、地下のマグマの動きなどを示すとされる火山性微動は噴火直前に起きているそうです。 現地視察した鹿児島大大学院理工学研究科の井村隆介准教授(地質学)は「新燃岳で噴煙が数時間連続して上がるのは、1959年以来とみられる」とのこと。 宮崎市内は噴煙の灰で車の走行も大変なようです。傘を指して歩いている映像も流れ、これ以上の噴火がないように祈りながらの朝です。 さまざまな出来事が地球規模で起こる現代です。政治の現実も世界中で騒乱が起こり、日本も政治家たちがほうんとうに国民のことを考えているのだろうかと思わされるニュースばかりです。 聖書のテサロニケ人への手紙には、下記のようなことばがあります。5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。 何が起ころうと分からない不安定な時代です。イエス・キリストを信じ信頼し、平安と守りの中で恐れから解放され、祈りつつ過ごす日々でありたいものです。 今日もまた平安に守られている天国の一日です!
2011/01/27
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生駒聖書学院神学生の青い鳥ブログより、美しい話を紹介ます。知識を社会に毎月韓国から学院に来てIT宣教を教える牧師がいます。インターネットやパソコンを使って牧会の件場で役に立つことやもっと沢山の人々にイエス様を伝える方法を学んでいます。私が入学した1年の時からこの授業が始まり卒業まで後1回の授業が残っています。IT授業を通して本当にいろいろなパソコンの事や伝道に対する熱い思いも学ぶことができました。わたしは色々な先生の助言の中から今でも細々とやっている事が一つだけあります。それは個人的に送っていたメールをインターネットに公開したことです。1年の授業の時インターネットを通して福音を伝える事をとても積極的に薦められました。しかし、不特定多数の人々に向かって何を書いたらいいかとても戸惑っていたのでなかなか気持ちが進みませんでした。そして、先生から数年前から知り合いの人々に送っていた私のメールをそのまま公開してもいいじゃないですかと言われました。外国に住んでいるので普段会えない親戚や友達に日々の生活を書いて送っていたからです。先生の助言を聞き1年の2学期から本格的に始めました。個人的に送っていた時はもっと沢山の不満や愚痴を書きましたが、今は読んでいる人々が楽しくなるような内容を努力して書いています。日本宣教の情熱をもっている先生の働きがもっと祝福され、多くの日本の人々がイエスキリストを信じるよう心から祈っています。1月の授業に来られたIT宣教の先生からとても感動した話を聞いたので紹介します。日本では今タイガーマスク運動と言う事が全国的に広がっているとても嬉しい話を聞きました。そして、韓国でも色々な人たちが見えない所で困っている人を助けたり、苦労してためた財産を社会に寄付したりします。自分が持っているものをみんなのために分け与える運動が広がりつつあります。そして、先生もその一つとして自分の知識を社会に貢献することを始めたそうです。パソコンのセミナの時、受講生たちから貰う受講料を社会団体に寄付します。セミナが終わるとすぐ近くの銀行に行って社会団体に寄付します。そして、寄付する人の名前は受講生一人一人の名前でします。先生は知識を社会の人々に提供します。人々はその知識を得ます。そして、人々が払ったお金は社会の困っている所に提供されます。各自が自分の持っているものを分け与える時、とても素晴らしい天国のような生活が始まるのです。心が温かくなるような言い話でとても感動を覚えました。
2011/01/26
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道で挨拶して話が弾み、生姜紅茶の作り方のレシピをメールでもらい、毎日愛飲しています。 毎日のようにいろんな料理のレシピが届き、美味しいトーストの作りからも教えてもらいました。 そのまま転載します。御参考になれば感謝です。今日もまた楽しい天国の一日です! おすすめのレシピを紹介します朝においしいトースト(全写真付き) by 湘南マーガレットhttp://cookpad.com/recipe/410506/つくれぽ1000人達成しました!皆様ありがとうございます!ユニーの「大絶賛カードレシピ企画」に採用していただきました★ ■材料(1人分)食パン...1枚たまご...1個スライスチーズ...1枚塩・こしょう...少々■つくりかた[1] 食パンを写真のようにカットします。[2] 外枠をフライパンに置き、軽く油をたらす。たまごを直接割りいれて、塩こしょうしたらスクランブル。[3] チーズを乗せます。[4] 食パンの内側を重ねます。[5] ひっくり返して、軽く焼いたら出来上がり。[6] 2009年4月、アピタ・ユニーのカードレシピに採用していただきたました!どうもありがとうございます★■メモ(コツ、ポイント)チーズが染み出さないように、たまごは枠にまんべんなく広げるといいです。 洗い物を減らすため、直接たまごを入れてるので、塩コショウを忘れないように(笑)8枚切りだと枠がやや浅くなって卵があふれるかもしれないので6枚切りがおすすめです。■このレシピの生い立ち母が作っていたものです。1人暮らしをしてからも、自分で作って朝ごはんにしています。トースト1枚より、栄養もあるのでおすすめぜひ試してみてください。ローマ人への手紙 14:14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。 14:15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。 14:16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。 14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。 14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。 14:20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。 14:21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。
2011/01/26
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兵庫県山崎町からの教授は、10センチの雪の中を早朝5時過ぎに出発。午前7時40分に生駒聖書学院の出発しました。 毎朝の仕事は、トラクターに鉄板を着け、広い敷地に積んだ雪をきれいにします。雪が積もりすぎると素人には手に負えません。だからできるだけ早くきれいにするにするのが秘訣だそうです。 先週、京都から来られた牧師も、元旦の朝から雪かきでした。スタッフが玄関周りをきれいにしていましたが、山の上にある教会です。登ってくる坂道をコートも上着も脱ぎながら、説教も前にひと汗もふた汗も流してのメッセージでした。16日の日曜日も雪が積もり大変だったとのこと。車が教会まで上って来れないし、家から出かけるのさえも大変で、礼拝出席者が20余の少なくなったそうです。 山陰や東北、北陸、北海道など大雪のニュースに驚きながら、雪にない種子島で育ったので真っ白に降り積もる雪に感動してしまいます。 それでも今年は生駒市に雪は降らずです。15日に30分くらいチラホラ、今朝もチラッと雪片が舞ったかに見えましたが、それだけで雪の話に花が咲きました。 インターネット録画中にラジオ放送希望の声聴取者の方から電話があり、富雄キリスト教会まで来ているとのこと。録画を中止しお急ぎで富雄まで・・・・。詩篇51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。イザヤ書1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
2011/01/25
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阪大生のクリスチャンが昭和32(1959)年に、西之表キリスト教会(種子島)の礼拝に出席し、そのあとで島の案内を頼まれいっしょに歩きました。 高台に座り話をしている時、「君は、洗礼を受けてクリスチャンになったそうだが、完成を目ざして進もうではないか、と言う聖書のことばを知っているかい?」聞かれました。 知らないと答えると、聖書出して読んでごらんとのこと。いつもポケットの中にあった新約聖書のヘブル人への手紙6章1節を開くと、「私たちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか」とありました。 その日以来、完成を目ざしながらの恵みのクリスチャン生活を続けています。それを教えてくださった大阪から来た阪大生(存命なら70代後半)と出会いたいと思いつつです。このブログでもしかしたらと思う方があればご連絡ください。 洗礼を受けたばかりの若いクリスチャンを励ましてくださったので、その日から聖書を読み続け今は牧師として生きております そのことを覆い出しながら、今日は完全というせいしょのことばを引用します。ヘブル人への手紙12:2 信仰の創始者であり、導き手であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。マタイの福音書5:48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。創世記17:1 わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれヤコブ1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。詩篇19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。ローマ9:28 主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。ヘブル7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしてお第二コリント10:6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。コロサイ3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。第一ヨハネ4:17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。4:17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。第二コリント13:11 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。ヘブル13:21 イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行ない、あなたがたがみこころを行なうことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。ヤコブ1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。使徒3:16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。第二コリント12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。詩篇19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。ローマ9:28 主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。ヤコブ3:2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。ヤコブ1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。第一ペテロ5:10 その永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 恵みにより完全に救われました。その恵みは常に十分です。朝の目覚めとともに!哀歌3:22-23 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。詩篇118:23-24 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。おはようございます。今日もまた、天国の一日です!感謝します。ありがとうございます。今日もまた、天国の一日でした!感謝します。
2011/01/24
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21日(金)の夜、テレビを見ていたら、2008年12月17日にアースマラソンに挑戦していた、間寛平さんが766日目で完走とニュースで沸き立っていました。 毎日がむしゃらに一歩60センチで、地球一周を目当てに、たくさんの危険な目にも合いながらも、美しい地球に愛着を持っての走りでした。 自然の厳しさ(猛暑や氷点下の吹雪)もありましたが、行く先々それに勝る温かい声援を背に、自分の足でひたすらに走り続けました。 大きな試練は、 2010年1月4日には、『アースマラソン』の際立ち寄ったトルコで前立腺がんを発症していることが判明したことです。 それでもなお、治療を行いながら『アースマラソン』を続けていくことを公表し、三ケ月後にトルクメニスタン到達後、病状が悪化する前に放射線治療を受けるために一時中断してアメリカに引き返し、大手術を受け6月18日に再スタートしました。 本人悲願の前人未踏の夢が達成しただけでなく、特に前立腺がんで治療を受けている方や、身体に弱さを持つ多くの人々に生きる勇気を与えてくれたと思います。 と同時に、61歳の晴れ姿に高齢者社会にも、チャレンジする精神の晴れやかさを与えてくれました。 今年は、「向きを変えて出発せよ! これは主の目には小さいことだ!」(申命記1:7、第二列王記3:18)をモットーにしています。 創世記よりアブラハムの信仰を語り継いでいる礼拝です。 アブラハムが新しい出発をするのは75歳の時でした。 創世記12:1 その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。 12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」 12:4 アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。 飢饉や試練、戦いや経済的損失にも直面しますが、神の語りかけにアーメンと答えて進み続けます。 創世記15:1 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」15:6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 さらに、創世記17:1 アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。 17:2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」 信仰によるチャレンジは、アブラハムを信仰の父と呼ばれるにふさわし歩みでした。ヘブル人への手紙 11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。ローマ人への手紙 4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。 4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。 4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。 4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、 4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。 4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。間寛平さんの766日目、前人未踏地球一周完走の姿を見ながら、与えられたいのちある限り、神の恵みの中を走る続ける幸いを思いました。 今日は富雄キリスト教会で礼拝説教です。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2011/01/23
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ずっと動き続ける充実の週でした。やっと時間を見つけて美容室へ。カットしてもらいながら美容師が、「ザ・ウォーカー」を観たか?牧師さんだったら見たらいいと思うとのこと。 どんな映画?と聞くと、世界が崩壊した近未来を舞台に、この世に一冊だけ残った本を運び、ひたすら西へと孤独に旅する男の姿を描くサスペンス・アクションとのこと。 一冊の本を運ぶために30年間旅を続ける男イーライ(デンゼル・ワシントン) 本を探すもう一人の男を『ダークナイト』のゲイリー・オールドマンが演じる。イーライはなぜ旅するのか? 本には何が書かれているのか? といった謎に満ちた展開。 彼は旅の目的地を知らず、「西へ向かう」という手掛かりだけを頼りに歩き続けている、その先に待ち受ける衝撃のラストが注目とのこと。 そこで帰りに、2年ぶりにDVDを借り、ザ・ウォーカーを一人で見ることにしました。美容師はクリスチャンではないが、牧師さんが見たら良いですねとの意味も分かりました。 同時に日本人でその本の持つ意味が、どれくらい分かるだろうかとも思わせる映画でした。実際の映画は昨年6月に上映されたものです。 内容について書きたいけれども、神学生にきつく言われているので、ザ・ウォーカー、歩き続ける男の物語くらいで留めておきます。 興味のある方は、DVDでご鑑賞を? 今日もまた恵みと愛に満たされる天国の一日です!詩篇19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。 19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。 19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。 19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。 19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。
2011/01/22
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「成果を上げるよい習慣-四つのよいこと書き続けて-」 ある病院で若い男性の設備員K君がいました。K君は、人はいいのですがドジなところがあるんです。それで、よく人から注意をされていました。繊細なところのあるK訓はそのたびに落ち込んで、自信をなくしていました。そこで、わが社の課長が、K君にいい提案をしました。「毎晩、四つの良いことを書いて、寝なさい。そして、1週間ごとにそれをFAXで本社に送るように・・」K君は、毎日忠実にそれを守り続けました。毎日の小さな出来事を懸命に書いていました。例えば、「車いすのおばさんが、エレベーターに乗ろうとしたので、ボタンを押したら、ありがとうと言われた。」「いつも元気にあいさつをしてたら、店の人がパンをくれた。」「元気がいいねと言われた。」など、小さな小さな出来事をしっかり記録していました。二か月ほどして、現場の他の社員からK君に対して、驚きと感謝の報告がありました。「明るくなった。」「気持ちよく仕事をしている。」「返事がいい。」など良いものばかりでした。そして、「こんなに変わるとはいったい何を指導したんですか?」とまで言う人がいました。人は、一つのことをこだわると、それが悪いことであれば、全体が悪いイメージに落ち込んでしまいます。四つの良いことを書き続けることによって、彼の中のイメージが変わったのでしょう。そして、一年ほどしたとき、「友人から、いい仕事があるからと誘われた。ぜひ行きたいのですが・・」と彼から相談がありました。聞くと、その仕事は条件もよく仕事もやりがいがあるといいます。わが社にとっては、仕事に慣れて、いい戦力になってきた矢先でした。戦力的には惜しいことではありました。しかし、彼の幸せのためにいいことだと、担当課長と彼を気持ちよく送り出すことにしました。「おめでとう!いい人生歩めよ。自分に自信をもってね。」^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^【ドラッカーの言葉】「だれでも、自らの強みをよくわかっていると思っている。だが、たいていは間違っている。分かっているのは、せいぜい弱みである。それさえ間違っている事が多い。しかし、何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって、何かを行なうことはできない。できないことによって何かを行なうことなど到底できない。」□私のコメントK君は、毎日4つのよきことを書くことによって、自然にフィードバック分析を(強みを発見する客観視)していたのですね。それによって、自分の強みに磨きがかかり、輝いたのですね。■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□田路俊章 (たじ としあき)事業承継コンサルタント大阪市商工会議所登録徳島市商工会議所登録ドラッカー学会会員大阪支部理事ミッション・オリジン代表わくわく経営研究所所長dreamtaji8524@yahoo.co.jp 箴言 4:18 義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。 4:19 悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。 4:20 わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。 4:21 それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。 4:22 見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。 4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 4:24 偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。 4:25 あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。 4:26 あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。 4:27 右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。
2011/01/21
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生駒朝祈会は、第三木曜日朝七時より30分間の祈りと、朝食交わりの幸い集まりです。今朝は、サンドイッチをパン屋さんに特注で作っててもらいました。美味しいコーンスープも出されます。 今朝のメッセージは、個人のわくわく。企業のわくわく。家庭のわくわく。地域のわくわく。口の中に+思考の田路俊章氏です。人が生き生きと成長する場作りに貢献し、大活躍のコンサルタントです。彼から届いたメルマガを紹介します。鳩まで言うことを聞く清掃員の力50歳代のSさんは歌の大好きな清掃員です。大阪市内の大きなテナントビルを担当しています。色々な業種の会社が入っているビルです。彼は、日頃はコーラス部に入り練習に通い、年に何回かは舞台で自慢ののどを披露します。実に陽気で掃除大好き人間です。掃除の仕事が彼にはぴったりはまったのでしょう。大きなテノールの美声で歌いながら掃除します。お客さんもびっくり。しかし、隅々まできれいにする上、元気にあいさつしてくれるので評判上々。そのビルのある会社の社員たちが、彼の挨拶を見習っているとか、そういう話が出るくらいです。彼にあるとき、仕事をうまくする秘訣をお伝えしました。「Sさん、仕事の秘訣を教えましょうか。」「はい♪」と機嫌良く返事するSさん「寝る前に明日することを5つ書き出して寝るのです。」と私が言うと、「社長、そんなこといつもやってますよ。私なんぞは、その日仕事を終わったら、すぐに明日の仕事を考えますよ。」と間髪入れず答えました。わたしは、思わず「まいった。まいった」と答えました。あるときSさん、窓の桟にある鳩の糞をごっしごし。あまりにたくさん鳩が糞をして、それも彼の届かぬ遠くまでするので、思わず鳩さんに話しかけました。「鳩さん鳩さん糞をするのは仕方がないけど、私が掃除しやすい所にしておくれ。」と声かけたとか。次に日、あら不思議、掃除のしやすい手前に糞が固まっていたのです。「鳩さんありがとさん」とSさん感謝の心を現わしたそうです。そして、ついに今では、鳩が、彼のビルにほとんど糞をしなくなったそうです。 彼が言うのには「きっと僕のこと考えて、鳩は、他のビルにでもしてくれてんねやろ」と・・【ドラッカーの言葉】「成果を上げる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結び付けるうえで最も必要とされる習慣的な力である。・・成果を上げることは一つの習慣的な力である。習慣的な能力の集積である。そして、習慣的な能力は、常に習得に努める事が必要である。」□私のコメント清掃員のSさんは、清掃のゴールを明確にイメージしていたんですね。そのゴールに対して彼の両目でしっかり、現状を把握し、今の時にすべき手(解決)をうっていたのですね。ですから、明日のなすべきことが即座に見えるのです。そしてドラッカーのいう期待せぬ成果が舞い込んでくるのです。鳩の協力という・・・ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□田路俊章 (たじ としあき)事業承継コンサルタント大阪市商工会議所登録徳島市商工会議所登録ドラッカー学会会員大阪支部理事ミッション・オリジン代表わくわく経営研究所所長dreamtaji8524@yahoo.co.jp 箴言 3:1 わが子よ。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。 3:2 そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。 3:3 恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。 3:4 神と人との前に好意と聡明を得よ。 3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。 3:6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。 3:7 自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。 3:8 それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。
2011/01/20
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恵みと律法 恵みによって救われます!アーメンと言えば救われます。エペソ人への手紙2章8節に、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です」とあります。 宗教的行為でもなく、何をする必要もなく、ただイエス・キリストの十字架と復活の福音を、アーメン。信じますと受け入れることにより、救われたのです。 そればかりでなく、2章10節で、「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです」と約束されてれいます。 クリスチャン生活は恵みの連続であり、恵みライフスタイルは、良い願いが起こされるだけでなく、良い働きのチャンスが常に与えられるのです。 そのような恵みにアーメンと言うだけで救われたのに、いつの間にかあれもしなければ、これもしなければと言う律法に縛られてしまう生き方に変わり、クリスチャン生活が恵みでなくなる場合もあります。 律法とはなんでしょうか。 律法は行いの義務を強調します!しなさい。しなけらばならない。すべきであるの連続です。 ガラテヤ人への手紙3章10-11節では、「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。 律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです」とあります。新改訳聖書でも、「というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです」 アーメンと信じ救われた後で、あなたの行いが肝心ですよ!クリスチャン生活にはすばらしい規則があるのです。それを守れば天国行けるのです。 実行すればするほど恵まれるのです。それを実行すれば信仰はいつも恵みと祝福です。がんばって守りましょう。あれもこれもするほど恵まれます。 それらのことばは悪魔のウソです。 イエス・キリストの十字架は、すべての律法の呪いから私たちを解放してくれました。アーメンと信じるとき、恵みの中に入れられ祝福されたのです。 ガラテヤ人への手紙には、「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。(3章13節 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。(3章14節) と、偉大な真理が宣言されています。もう救われて神の子どもとなりました。救いの中で恵みにより永遠のいのちを受け、天国へいく保証も与えられました。恵みのより生きる力も与えられたのです。 よい行いも備えられました。その人は恵みにより何をしても栄える(成功する)歩みができるのです。 神様の約束を信じて充分な恵みの中で実を結び、平安の中に憩う恵みを体験すようではありませんか。詩篇23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
2011/01/19
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きれいな爪先、磨いた靴につま先の輝き、よく手入れされた髪の美しさ、ことばの端々から聞こえてくる洗練された会話・・・・。 トップセールスの方々は、人が気にしないことをシッカリ気をつけて磨いているように思います。それは無意識かもしれませんが、つま先まで手入れが行き届いている人は、高潔な人生を歩んでいるようです。 高貴な人は高貴なことを考え、高貴なことを話します。自分を意識す過ぎず、人にも無理強いしないで、聖霊の臨在に輝きい来るクリスチャン生活に向きを変え、今日もまた、美しい天国の一日です! 生駒聖書学院には一月生まれが四人いますが、一人は名古屋が大雪で動きが取れず深夜の帰りになるので、三人の神学生とレストラン(しゃぶしゃぶバイキング)へ行きました。 楽しい二時間があっという間に過ぎ、帰ってきてシャワーを使ったらそのままベッドインで熟睡でした。 朝の目覚めは四時半、猛声祈祷の時間になり朝のチャペルを終え朝食。京都からの講師を迎え、院長室で授業時開始まで歓談。書斎で急ぎながらメール返信やブログ書きです。 午前10時より学院教会定例聖書輪読会。終わるとすぐ講師接待の昼食会、今日は梅田オアシスが車での書籍販売で生駒聖書学院来訪。 それが終わると大阪での面談、その後は大阪エリムキリスト教会集会と続き、今夜も帰りは遅くなりそうです。ピリピ人への手紙3:7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。 3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、 3:9 キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。 3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、 3:11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。 3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。 3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。 3:16 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。 3:17 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。 3:18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。 3:19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。 3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
2011/01/18
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ウィキペディアで阪神大震災について、 「兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は、気象庁命名の正式名称を平成7年(1995年)兵庫県南部地震といい、1995年(平成7年)1月17日火曜日午前5時46分(日本時間=UTC+9)に発生した地震である。 大都市直下を震源とする日本で初めての大地震で、震度7の激震を記録した初めての地震。兵庫県南部を中心に大きな被害を出し、死者数は戦後最多となった。この地震による被害の名称は「阪神・淡路大震災」とされている」 ちょうど16年前も今日と同じ月曜日の朝でした。下から突き上げるような衝撃で、地震だと思いました。 始業式の朝でニュースの見ずに式に臨み、神戸からに神学生がまだ到着せず、電話見通じず不思議だ?と思いつつ式を終えました。 昼のニュースで大地震発生を知り、その被害を報じるニュースに驚き、夕方生駒山に登ると神戸方面が真っ暗で所々に火が燃えているのが分かり、守りと平安を山上で祈りました。 翌日は神戸まで行きましたが、西宮北口で電車はストップ。そこから神戸市まで震災で崩れは家や高速道路を歩き続けました。 大震災の街並みを歩きながら、関東大震災を思いつつ神戸の復興を心から祈りました。なぜなら大正12年の関東大震災が起こったので、生駒聖書学院は現在地にあり、いまの自分がいるのもその震災があったからだと思ったからです。 詳しくは創立者の自叙伝「不可能は挑戦となる」(絶版ですが)に書かれていますが、すべてのこと万事は働いて益となる(ローマ8:28)ことを祈りながら、大地震直後の街を歩いたことなどを思い出す朝です。 今もなお大被害の後遺症も残っていますが、第復興を遂げた神戸を思いながら、すべての祝福を祈りつつの朝です。 チャペルが午前8時スタートで、新しい授業の一週間が始まります。祈りの支えられながら、今日もまた、恵みと愛にあふれた天国の一日です!元気に歩み出しています。申命記20:3 彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。20:4 共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」イザヤ書41:9 わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。ヘブル書13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。詩篇3:3 しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。18:2 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。18:30 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。28:7 主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。84:11 まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。115:11 主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。119:114 あなたは私の隠れ場、私の盾。私は、あなたのみことばを待ち望みます。
2011/01/17
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昨日は、アフリカ、ケニアのパラダイス孤児院41名の教育費(一年間)支援の手続きで、午前中いろいろ話があり昼まででした。 ケニアで高校に通う41名が年間授業料(何人かは寮費生活含む)が、8,000ドルです。新学期が一月から始まるので、少し遅れましたが明日送金することができます。 今年は、向きを変えて出発せよ!との申命記(1:7)のみことばでスタートしています。特に、律法から恵み(の主イエス・キリスト様)に向きを変えることを願いながら、恵みの信仰生活をすべてのことにエンジョイしようと願っています。 16歳の時、種子島で福音を聞きアーメン信じますと恵みにより救われました。その日以来、恵みにより守られてきましたが、いつの間にか、あれもせよ!これもせよ!しなければならないとの律法に縛られていることも多くなりました。 牧師としての自分だけでなく、クリスチャンや神学生にも律法的な説教もしてきました。 恵まれないのはあれをしていないからだ。恵まれるためにはこれをしなければ、あれも必要だと、恵みにより救われ、アーメンと言えば救われる!と宣言しつつ、恵みのり救われた人々に、恵まれないのは律法を守らないからだと言うニュアンスでアドバイスもしてきました。 けれども今年からは、この山(律法的なあれをせよ!これをせよ!しなければならない)に長く留まっていた自分を、向きを変えて出発しました。 すでにイエス様の十字架の贖いと復活により与えられている恵みを、単に理解するだけでなく、実際的な生活の中で恵みに生きる幸いを経験し始めています。 今日もまた愛と恵みいっぱいの天国の一日です!感謝します。 礼拝では、【創世記15:1 これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」15:6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。】から、豊かな恵みについて語ります。 興味があれば、12時前には今朝の礼拝メッセージが、インターネットで配信されていますのでアクセスください。http://ibcelim.com/ 神の恵みの人生は、わくわく楽しい喜びの日々です。豊かな報いがあふれる平安な天国の一日、一日です。あなたの受ける報いは非常に大きいのです。聖書の約束にアーメンと答え、優しく愛してくださる恵みの神に感謝しましょう。ヘブル人への手紙11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。箴言12:14 人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。マタイの福音書6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。10:41 預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。10:42 わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」コロサイ人への手紙3:24 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。ヘブル人への手紙10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。黙示録22:12 「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。
2011/01/16
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イエス様がエリコの町へ行かれたとき、道端に座って物乞いをしていたバルテマイという目の見えない男が叫びました。彼を黙らせようと大勢でたしなめましたが、彼はますます「イエス様。わたしをあわれんでください」と叫び続けます。 イエス様はその声を聞くと立ち止まりました。それは、今の時代も変わりません。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じお方です。永遠に変わることなく生きている救い主です。 祈りは叫びです。求めることは他の人から見たらおかしく思われることもあるかも知れません。しかし、主の名を呼び求める者は救われるのです。 イエス様は立ち止まり、「あの人を呼んで来なさい」とバルテマイの叫び求める声に答えました。 彼は上着を脱ぎ捨ててすぐに立ち上がり、イエス様のところに来ました。目は見えなくても、彼の顔が喜びに輝いている姿を想像できます。「わたしに何をしてほしいのか」と言うイエス様の問いに、響くようにバルテマイは、「先生。目が見えるようになることです」と答えます。 イエス様は、「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。その瞬間、彼は見えるようになり、イエス様のいかれる所に従いました。 朝ごとの祈りの時や日々の瞑想の時に、「わたしに何をしてほしいのか」との声を聞く思いを与えられます。様々なことを祈り求めているけれども、いつの間にか言葉を並べているだけで祈りの時間を叫び続けている姿に気付かされます。 「主よ。お金が必要です」「主よ。病んでいる兄弟を回復してください」「開拓伝道中の牧師の働きを祝福してください」「臨終を迎えている姉妹に平安と天国の輝きをお示しください」。その日の必要のために、主の助けと解決を明確に求める幸いを経験する祈りの時です。 だれにでも惜しげなく、とがめることもなくお与えになる神に純粋に願うなら、必ず与えられます。少しも疑わずに、バルテマイのように信じて願うだけでいいのです。 もうすぐ孫が6歳の誕生日を迎えます。「じいちゃん。誕生日のプレゼントを買ってくれる? お花屋さんのセットだけど」と幼い願いです。 願った孫もですが、そのように言われた祖父の顔は喜びで輝き、孫を抱き上げて祝福を祈ります。まことの愛なる神は、イエス・キリストのお名前による祈りを必ず聞かれます。明確に信じて具体的に祈る恵みを体験してみませんか。 信じますと明確に祈りで告白するとき、祈りは必ず実現します。心の信仰と口に出す言葉が常に一致する祈りでありたいものです。 ラーメンが食べたいと朝から思っていても、食堂へ行ったときウドンと言ったならウドンが出されます。どうしてウドンですか、ラーメンをと朝から思っていたのにと、いくら頑張っても言った通りになっただけです。 祈りの答えは、願いを明確に心で信じることと、告白の言葉を一致させることです。心の中の願いを明確にすると、思うだけよりも百倍も千倍も大きな祝福を体験できます。バルテマイの祈りを模範にしましょう。マルコの福音書10:46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。 10:47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めた。 10:48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。 10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。 10:50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。 10:51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」 10:52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
2011/01/15
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11日(火)始業式で体験入学生も含め、それぞれが新年のビジョンや抱負、決意表明でスタートしました。お昼は恒例のバイキングレストランでの食事会、家族寮の子どもたちもいっしょで楽しい交わりでした。 夜は、大阪エリムキリスト教会リバイバル集会に参加し、来週からの伝道実習に備えました。新しい方々も出席し、神の恵みに感謝し救いの祈りをともにしました。 水曜日は学期初めのオリエンテーションで、副院長のメッセージに感動が広がり、特にサラコアという支援体制を作り、その最初の働きとして神学生が描いた絵本が、今月末出版予定です。 また、「わずか30秒の祈りが世界を変える」も同時出版予定です。信仰生活の祈りもまた恵みの業であり、率直な心の叫びや求めに報いてくださる全能の神の愛に感動しています。 午後からは今年で38年になる希望の声の録音でABCスタジオ入り。冬来りなば春とおからじで、二月放送分はいつも春が来ました!と、先駆けて話しています。 2月のラジオ聴取者プレゼントは、新刊、「30秒の祈りが世界を変える」を贈呈します。 昨日、木曜日は久しぶりに授業でした。最初の授業なので聖書をしっかり読みながらの聖書講義になりました。今日は堺市から早朝に奥様もご一緒ですから、夫唱婦随のお手本だと思います。今年は80歳になるとのこと、正月には5件も葬儀もあり、牧師でなければならない方も多く、多忙を極めたとのことです。 明日は、ケニアのパラダイス孤児院41名の教育資金、8000ドル(約85万円)を用意します。私立高校だと一学期分の費用ですが、ケニアでは41名全員の1年分授業料です。もう何年も継続して教育資金をサポートし続けています。覚えてお祈りください。 年末から広がるタイガーマスクの善意の輪が、日本だけでなく海外まで広がるように祈りつつの朝です。 今日もまた天国の1日です!感謝します。詩篇 1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
2011/01/14
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生駒聖書学院は1990年に全部の建物を新しくしました。男子寮、女子寮、家族寮6軒、教師ホーム、院長ホームなどです。 アメリカのツーバイフォー建材を使用し、トイレや電気部品などメンテナンスは全部アメリカの器具が必要なため大変です。 その中でも鍵がかからなくなり、今朝見積もり業者に来てもらい10ヶ所を新しく取り付けてもらうことになりました。まだ金額が出ていませんンが、全部日本製品の鍵に取り換えることにします。 すべてが新しくなるので快適な神学生生活が継続され続けるでしょう。安心して暮らせるのが最高に幸せです。 今日もまた天国の一日です!イザヤ書65:17 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。 65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。 65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。 65:20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
2011/01/13
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タイガーマスクのニュースがここ数日、善意の輪として広がっています。今朝のニュースでは41都道府県に及んでいるそうです。 タイガーマスク運動と言われ、全国500以上の施設があるそうですが、匿名での善意の輪が広がっており、一回きりではなく毎年続くよう祈ります。 タイガーマスクだけではなく、矢吹丈とかもも太郎などの名でランドセルや、文房具などが届けられています。 聖書に、受けるよりも与えるほうが幸いです(使徒20:35)とあります。またイエス様は、「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(マタイ6:1-4)と教えられました。 イエス・キリストの精神が全国に広がるなら幸いだと祝福を祈りつつ、ニュースを見ている朝です。 生駒聖書学院は昨日三学期がスタートしました。四月入学のため三学期から体験入学生も長野県からあり、聴講生も勢ぞろいしての元気に決意表明の朝でした。 昼食は恒例のバイキング・レストランへ。家族寮の子どもたちも参加し、にぎやかな昼食会でした。 夜は、大阪エリムキリスト教会火曜日リバイバル集会。十日戎の最後の日で駐車場がどこも満杯。イエス様、お願いします駐車場がありますように。アーメン。ありがとうございます。駐車場がありました。感謝しますと告白しすると、素敵な駐車場が一回500円で備えられていました。スペースが狭いのでかなり苦労しましたが・・・・。 あなたも生駒聖書学院で聖書を学んでみませんか。毎日、今日もまた楽しい天国の一日です!と、明るく伸び伸びと聖霊の自由な雰囲気の中での生活です。 本科生三年(全寮制ですが通学生もあります)聴講生制度もあります。男女単身寮と家族寮が6軒あります。 お問い合わせはメール;elimyoshi@kcn.jp へ。すぐ入学案内&願書を送ります。ルカの福音書6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。 6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。 6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。 6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。 6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。 6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。 6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。 6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
2011/01/12
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15歳の時、アメリカ人のA・ハモンド宣教師が、種子島高等学校の教室でバイブルクラスを開いていました。 アメリカ人の顔を見るのも初めて、ネイティブの英語がただで聞けるとあって、ワイワイと放課後の教室へ出かけました。 最初に聞いた英語は、"Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest."Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls. "For My yoke is easy and My burden is light." 思ったことは、この人が重荷を背負ってくれる?ということでした。田舎ではたきぎやサツマイモの大きな袋、炭俵やヤギの草などを背負いきれいなほど背負うのが、家の手伝いでしたので・・・・。 それは瞬間のことでしたが、それから宣教師の教会へ行き、イエス・キリストの招きの言葉だと知り、アーメンと信じて救われた人生を歩む恵みが与えられています。 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 その日以来、クリスチャン生活は「休ませて上げます」のことば通り、今日もまた平安な天国の一日です!生きる限り平安な気持ちで生活できるようにしてくださいました。 たとえ死を迎える時も、平安の主はともにおられ、死んだら永遠の天国へ行ける喜びでいのちある限り喜びの人生です。 昨年から今年のいかけて6名(84歳、85歳、87歳、81歳、75歳、74歳)の方を天に送りました。家族にとっては悲しい出来事ですが、その場には常に慰めと平安がありました。 死の重荷でさえ、イエス・キリストのもとへ行くなら休み=平安が与えられます。 「わたしは心優しく…わたしのくびきは負いやすく」との約束のように、イエス・キリストを信じる生活は、自由と喜びの快活な人生です。 虫けらが蝶になるように、ヤゴがとんぼになるように、卵が雛になり鷲になるように、全能の神の愛に支えられて自由に伸び伸びと生きるクリスチャン生活が始まるのです。 今日もまた、喜びと楽しみが着いてくる天国の一日です!「わたしの荷は軽いからです」重い荷物を軽々と担いでいる人を見るとすごいなあと思います。 先日も学院にピアノの寄贈があり、業者が二人で軽々?と大きなピアノを運び入れる姿に見取れていました。小柄なのにどこから力が出てくるのだろうかと余計にことまで考えていました。 なあにコツですよ。経験ですよ。毎日やってますから何手ことないですよと、汗一つない顔で笑っていました。 クリスチャン生活もイエス様は、「わたしの荷は軽いからです」と約束しているのに、律法と言う自分では担げない荷を押しつけられたり、自分の力で担ごうとしたりしているのです。 孫とコンビニに買い物に行きました。袋を提げて歩いていましたが、お爺ちゃん抱っこと手を出し抱き上げました。でも荷物の袋はしっかり持ったままです。ああ楽ちんとおしゃべりしながら帰りました。 クリスチャン生活の重荷をイエス様にお委ねしながら、ランランと今日もまた、重荷も軽々と運べる天国の一日です!感謝します。詩篇55:22 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。68:19 ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ81:6 わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。
2011/01/11
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50年ぶりの同窓会でしたが、今月17日で80歳を迎える一人は、金色夜叉の寛一のセリフ、「今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせて見せる!」を、自己紹介でよう使ったそうです。 でも1月17日が阪神大震災記念日や、湾岸戦争簿発で時代の変化や、何よりも金色夜叉を知っている人も少なくなり、時代の変化に驚くと話してました。 彼は、大阪エリムキリスト教会礼拝に出席し、ハッピバースディの歌声で、10歳の少女といっしょに喜んでくれました。 家族で来られた家族全員が、イエス様を信じる祈りに心を開き、幸せに包まれた祝福のスタートでした。そのほかにも初めて礼拝に出席し、新年を救われてスタートする幸いを体験していただきました。 クリスチャンのアイディンティティ=自己同一性(じこどういつせい、セルフ・アイデンティティ(Self Identity))とは、自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念です。自我同一性(Ego Identity,じがどういつせい)と最初は言われ、後に自己同一性とも言われるようになりました。 東亮吉(中学2年の時担任・昨年88歳で天国へ)先生が、「サバンナの愛の光 永遠に(榮義之牧師物語)」(近代文芸社)を1995年に出版、種子島での出生から16歳でバプテスマを受けクリスチャンになるまでを書いてくれました。 その後、クリスチャンになってからのことは自分で書き、「天の虫けら」としての出版になりました。 天の虫=蚕と言う字になるので、蚕が大事に飼われて桑の葉を食べ絹を出すように、神の愛に守られ、聖書のみことばを食べる時、黄金の人生を生きるようになることを願いつつ題しました。 クリスチャンのアイディンティティは虫ではなく、神の子だと大きく気づき、思わずハレルヤ!と声を上げました。クリスチャンになって神の子である確信はあり、イエス・キリストを信じアーメンと言えばだれでも神の子となれると説教し続けています。蝶ではなく甲虫の方が良い? アーメンと信じた多くのクリスチャンが、虫のようにいつまでも自分を見つめ、すぐダメです!できません。無理です。まだ聖められていません。今日も失敗しました。惨めです。昔の習慣がやめられません。罪なことを考えてしましました。多くの懺悔があり、悔いの残る日々を過ごしている場合があります。 その理由の多くは、信仰が足りないからだとか、祈りの時間が充分でない。聖書をしっかり読んでない。献金をしていない。教会奉仕が足りない、あの人を許せないなどどさまざまに自分を責めたり、責められたりしているからだと思います。 イエス・キリストを信じる人生は、過去がたとえどのように汚れていても、あるいは問題だらけでも、十字架と復活を信じアーメンと言った瞬間、古い者は過ぎ去り、すべてが新しくなる生まれ変わりの信仰です。 ちょうど虫が脱皮して蝶になりひらひらと舞うように、ヤゴがトンボに、卵がひなになるように劇的なアイディンティティの変化が与えられるのです。 そのことを感情的に受け止めると、毎日、毎日いや瞬間、瞬間に感情が揺れて、良いことがあれば神の子、つらく苦しい試練や問題が来れば虫けらのように惨めさを感じてしまいます。 イエス様を信じたときから、健康であれ病であれ、成功しようが失敗しようが、生きようが死のうが、何事が起ころうとも、神の子である事実に変わりはないのです。みえる現象に支配されずに、聖書の約束をアーメンと確信しているだけで、キリストにあるアイディンティティは変わらないのです。 虫けらでさえ、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) 「あなたの神、主であるわたしはが、あなたの右の手を堅く握り、恐れるな。わたしがあなたを助ける。虫けらのヤコブ(榮義之)わたしはあなたとともにおり、あなたを助ける」(イザヤ書41:13-14)と、全能の愛なる神が語りかけてくださっているのです。 そして今、イエス・キリストの救いの恵みを受けたクリスチャンは、聖霊の恵みの中で栄光から栄光へと主(イエス・キリスト)と同じ姿に変えられていく喜びの日々を与えられているのです。 「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(コリント人への第二の手紙3:16-18)
2011/01/10
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「天の虫けら」を出版して12年が過ぎ絶版になりました。 東亮吉(中学2年の時担任・昨年88歳で天国へ)先生が、「サバンナの愛の光 永遠に(榮義之牧師物語)」(近代文芸社)を1995年に出版、種子島での出生から16歳でバプテスマを受けクリスチャンになるまでを書いてくれました。 その後、クリスチャンになってからのことは自分で書き、「天の虫けら」としての出版になりました。 天の虫=蚕と言う字になるので、蚕が大事に飼われて桑の葉を食べ絹を出すように、神の愛に守られ、聖書のみことばを食べる時、黄金の人生を生きるようになることを願いつつ題しました。 クリスチャンのアイディンティティは虫ではなく、神の子だと大きく気づき、思わずハレルヤ!と声を上げました。クリスチャンになって神の子である確信はあり、イエス・キリストを信じアーメンと言えばだれでも神の子となれると説教し続けています。 アーメンと信じた多くのクリスチャンが、虫のようにいつまでも自分を見つめ、すぐダメです!できません。無理です。まだ聖められていません。今日も失敗しました。惨めです。昔の習慣がやめられません。罪なことを考えてしましました。多くの懺悔があり、悔いの残る日々を過ごしている場合があります。 その理由の多くは、信仰が足りないからだとか、祈りの時間が充分でない。聖書をしっかり読んでない。献金をしていない。教会奉仕が足りない、あの人を許せないなどどさまざまに自分を責めたり、責められたりしているからだと思います。 イエス・キリストを信じる人生は、過去がたとえどのように汚れていても、あるいは問題だらけでも、十字架と復活を信じアーメンと言った瞬間、古い者は過ぎ去り、すべてが新しくなる生まれ変わりの信仰です。 ちょうど虫が脱皮して蝶になりひらひらと舞うように、ヤゴがトンボに、卵がひなになるように劇的なアイディンティティの変化が与えられるのです。 そのことを感情的に受け止めると、毎日、毎日いや瞬間、瞬間に感情が揺れて、良いことがあれば神の子、つらく苦しい試練や問題が来れば虫けらのように惨めさを感じてしまいます。 イエス様を信じたときから、健康であれ病であれ、成功しようが失敗しようが、生きようが死のうが、何事が起ころうとも、神の子である事実に変わりはないのです。みえる現象に支配されずに、聖書の約束をアーメンと確信しているだけで、キリストにあるアイディンティティは変わらないのです。 虫けらでさえ、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) 「あなたの神、主であるわたしはが、あなたの右の手を堅く握り、恐れるな。わたしがあなたを助ける。虫けらのヤコブ(榮義之)わたしはあなたとともにおり、あなたを助ける」(イザヤ書41:13-14)と、全能の愛なる神が語りかけてくださっているのです。 そして今、イエス・キリストの救いの恵みを受けたクリスチャンは、聖霊の恵みの中で栄光から栄光へと主(イエス・キリスト)と同じ姿に変えられていく喜びの日々を与えられているのです。 「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(コリント人への第二の手紙3:16-18) もはや虫ではなく鷲のように翼をかって羽ばたく人生を与えられている幸いを喜びたいものです。 いやそれ以上に、今日もまた、栄光から栄光へと、主(イエス・キリスト)と同じ姿に変えられていく天国の一日です!感謝します。コリント人への第一の手紙1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 1:31 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。
2011/01/09
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生駒聖書学院でともに学び卒業したのは四名でした。年齢は来週(17日)で80歳、74歳、今日(8日)誕生日が71歳、9月2日で70歳を迎えるので、いつの間にか年を重ねての年月です。 昨日、80歳を大阪市港区まで迎えに行き、二人が待つ三重県津市まで往復のドライブでした。新名神高速は雪吹雪でしたが、幸いノーブレスタイヤで走り、帰りは雪景色の中を快適に港区まで送りました。 ゆとりの一万歩までは8000歩以上必要で、途中車を止め完歩してからの遅い帰宅でした。 お互いに献身し53年を振り返り、卒業後の歩みを感謝とともに語り合い、年老いてもなお実を結ぶ人生を感謝し合いました。 特に、今年は「向きを変えて出発せよ」(申命記1:7)「これは主の目には小さいことだ!」(列王記下3:18)との聖書の言葉をモットーにしているので、新しいチャレンジに向かってゴーの新年です。 80歳がしみじみと、天国で会えると思っていたが、こうしてお互い元気で地上での50年ぶりの出会いがこんなに楽しかったら、天国での再会はどれくらい素晴らしいことだろうと、実感を込めて話しながらの復路でした。 遅い帰宅でしたがメールを開くと、散歩のとき幼稚園の前で立ち話しした方からでした。出会いが人生を決めると言いますが、生涯ずっと良い出会いが与えられる幸いを経験し続けています。 今日は長野県松本市から献身入学生が入寮します。今学期体験入学で四月より正式に本科生です。 また淡路島から一泊でマンガを描いてくれる方が来訪です。コミック「歌えない、踊れない、話せない牧師物語」を出版し好評だったので、別の視点から福音を証するためにマンガトラクトを作成しようと思っています。 今日もまた、天国の一日です!感謝します。 ありがとうございます。今日もまた、天国の一日でした!感謝します。伝道者の書12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。 12:2 太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。 12:3 その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。 12:4 通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。 12:5 彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。 12:6 こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。 12:7 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。 12:8 空の空。伝道者は言う。すべては空。 12:9 伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。 12:10 伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。 12:11 知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。 12:12 わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。 12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。 12:14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。
2011/01/08
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今朝は、50年年ぶりに生駒聖書学院卒業の同窓生で集まります。三重県津市まで行きますが、大阪市港区まで迎えに行きドライブで昼はいっしょに食事会です。 今日もまた、楽しい話題に花が咲く天国の一日です! こんな話があります。あるところにお菓子屋さんがありました。「あん」を作るためには小豆が必要ですね。ある日、小豆を煮て、ザルの中に入れておきました。ところが、そこを通りかかった少年店員が足を滑らし、スッテンコロリンと倒れました。倒れた拍子に、小豆はあちらこちらの器の中や地面に落ちました。少年店員はそれを見て真っ青になり、おろおろして立ちすくんでしまいました。 店の主人が出て来て、この有り様を見て驚きました。大変なことになったぞと思いましたが、主人は思慮深い人物だったので、大声でどなったり、怒ったりしないで、ジックリと後始末を考え始めました。 主人が散らばった小豆を見ていると、小豆の一部分が側にあった白砂糖の中に落ちているのに気がつきました。それを手ですくい上げて食べてみると、なかなか良い味がしました。その途端、主人の頭の中にアイデアが浮かびました。小豆に白砂糖をまぶしたものを作ることができたら、すばらしい名物ができあがるかも知れないぞということでした。主人は滑って転んだ店員を叱る代わりに、新しいお菓子を作るために考えたんですね。 こうして考えた末にできあがったのが、甘納豆でした。最悪の状態が最善の状態に、逆転したのです。 人生の幸、不幸も、これと似たことが多くあります。不幸な出来事とばかり思ったのに、それがやがて幸福になる原因となっていくんですね。 アフリカでの話です。ある日突然、空が真っ暗になるほどのイナゴの大群が押し寄せて来ます。青々と育った作物の上に、イナゴは次々と落ちて来ます。イナゴが通り過ぎた後には、緑が一つも残らないほどです。そして、あの大収穫が約束された農場の畑という畑には、イナゴの死骸が、多い時には1メートルも積もって残るそうです。 多くの農夫たちは、もうそこで農業をするのを諦めます。彼らは土地を捨て、家を畳んで引っ越して行きます。しかし、勇気のある農夫たちは、イナゴが通り過ぎた後、くわを持って畑へ出掛けて行きます。そして、イナゴの死骸を食い荒らされた畑の中へ耕し込むのです。額には汗があり、目には涙があります。今までの努力が一瞬のうちに消えてしまったからです。 しかし、彼らにはまた、希望もあります。イナゴの死骸が肥料になって、土地を豊かにすることを知っているからです。次の年、すべてを失ってしまった倍以上の収穫の刈り入れをすることができるのです。 聖書は私たちの人生に、逆転勝利を約束しています。イエス・キリストを信じている限り、不幸はやがて幸福に逆転するのです。あなたがイエス・キリストを信じる時、あなたの流した悲しみの涙は、やがて喜びの嬉し涙に変わるのです。だから、クリスチャンはいつも希望に輝いて人生を生きることができるのです。 それはなぜでしょうか。それは神の子イエス・キリストが十字架の上にいのちを捨ててくださったからです。私たちの罪や病気、弱さや失敗を全部、背負って死なれたのです。そればかりでなく、三日目に復活し、今も生きていてくださる救い主です。 イエス・キリストを信じる時、イエス・キリストに信頼する時、幸せはあなたの心を支配します。新しい生命と力に溢れて生きることができるのです。 どうかどんな時にも失望しないで、大胆に生きてください。あなたの最悪の状態は、イエス・キリストによって、最善の状態へと必ず逆転します。十字架はあなたの人生をプラスに、最善に変えることのできる鍵です!エレミヤ書29:10 まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。 29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 29:12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。 29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。 29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。――主の御告げ。――わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。――主の御告げ。――わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」
2011/01/07
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年賀状を買いにコンビニまでの帰り道、少しゆとりの一万歩で回り道でした。向こうから右手をギブスに包んだご婦人が歩いて来たので、おはようございますと声をかけました。 雪の日に転んで骨にひびが入り、全治一カ月以上かかるとのこと。不自由でしょう、一言お祈りさせてくださいと、イエス様のお名前により早く回復するようアーメンと祈り、初めて会った方でしたが喜んでくれました。 買い物袋を提げている喫茶店のママに出会い、持って上げましょうと言うと、思い袋を手渡しながら、足を痛めてしまって助かります。喫茶店までほんの少しの所でしたが、いっしょに歩きました。一年に数回行くくらいですが、マンガや教会案内を置いてくれています。 近くの幼稚園の前を掃除している用務員さんに挨拶すると、しばらく健康談議の立ち話になりました。体温を上げると秘訣は、生姜200グラムと黒砂糖200グラムを400CCの水で煮立て、それを毎日飲むと良いですよ。それが若さと健康の秘訣とのこと。 もう一つは何事にもありがとうと言うことです。落ち葉を集めながらの立ち話でした。 毎日、様々な出会いがあります。一人でも多くの方に、イエス様の愛を知ってほしいと思いながら、ゆとりの一万歩です。 いただいた年賀状(教え子)の中にすばらしいレポートがあり紹介します。 「私たちもポスティング伝道で、一日(平日)1000~2000軒に伝道しています。主は毎週、救われる魂を送ってくださっています。唯々、感謝です!」 日本中のキリスト教会が、どのような形であれ福音を伝え続けるとき、イエス・キリストの十字架の救いが伝わることでしょう。 散歩の時、ともかく挨拶をするように心がけてます。初めて出会った方が今まで三人来てくれました 今年も漫画トラクト第二弾を出版しようと願っています。また早ければ今月、「わずか30秒の祈りが世界を変える!」を出版予定です。お祈りお願いします。 イザヤ書 52:5 さあ、今、ここでわたしは何をしよう。――主の御告げ。―― わたしの民はただで奪い取られ、彼らを支配する者たちはわめいている。――主の御告げ。――また、わたしの名は一日中絶えず侮られている。 52:6 それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。その日、『ここにわたしがいる。』と告げる者がわたしであることを知るようになる。」 52:7 良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。 52:8 聞け。あなたの見張り人たちが、声を張り上げ、共に喜び歌っている。彼らは、主がシオンに帰られるのを、まのあたりに見るからだ。 52:9 エルサレムの廃墟よ。共に大声をあげて喜び歌え。主がその民を慰め、エルサレムを贖われたから。 52:10 主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現わした。地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。 52:11 去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。 52:12 あなたがたは、あわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ。 52:13 見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。 52:14 多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。―― 52:15 そのように、彼は多くの国々を驚かす。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ。
2011/01/06
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昨日は、大塚国際美術館が休館で、予定を変更し賀川豊彦記念館を訪ねました。ボランティアの名札を付けた方が、説明をしてくださいました。 来館者も一人もなく、詳しい説明に賀川豊彦の膨大な貢献に感動しました、少し時間も気になり説明をはしょってもらいましたが、帰り際にいただいた名刺で、田辺健二館長と分かり、館長自らのボランティア説明に感謝しました。 パソコン検索を転載します。鳴門市賀川豊彦記念館は、賀川の活動をテーマごとに写真パネルや年表で紹介している。 第一展示室では、賀川とふるさと徳島の関係を重視し〈1.生い立ちとふるさと徳島〉というコーナーを設けている。 賀川は神戸で生まれたが、幼くして両親に先立たれた。4歳から16歳までを父の故郷徳島ですごす。彼の人格や思想の原点はこの時期に形成されたものであったと考えられる。第二展示室では、〈2.死線を越えてスラムへ〉 神戸での貧民救済活動。〈3.激動の時代に立ち向かって-大正デモクラシーの先 頭に-〉 賀川は社会運動の先頭に立ち社会悪と闘った。〈4.理想社会の建設を目指して〉 愛と相互扶助の精神による協同組合をもって、理想社会の建設を目指した。〈5.戦後の日本再生に向けて〉 第二次世界大戦後の日本再生に貢献し、さらに国内外の平和運動を展開した。〈6.世界平和を求め続けて〉 世界連邦国家建設運動を起こし、核兵器廃絶・憲法擁護の運動を行った。〈7.「愛」の教育者-魂の彫刻-〉 賀川は実践を伴った愛の教育活動を行った。〈8.賀川ハル-夫とともに-〉 賀川の活動における妻ハルの役割。〈9.超人的な著作活動〉 超人的な多作、それによって得られた巨額な印税は彼の社会運動や事業に注ぎ込まれた。〈10.世界的な活動の足跡〉 賀川が世界で訴えたこと。賀川の諸活動や世界的活動が時代背景を考えて展示されている。 2階 第3展示室 第三展示室では、模擬農民福音学校の再現や、墨書・軸・色紙・手紙・記念行事制作物・書籍等をガラスケース等に展示している。 また、賀川豊彦関係のビデオテープ(映画『死線を越えて』他)や、カセットテープ(講演録音)などを視聴できる。 第一次世界大戦で日本は、ドイツの植民地であった中国山東半島の青島でドイツ軍と戦った。戦いに敗れたドイツ兵は日本に送られ、各地の俘虜収容所で数年間を過ごす。鳴門市にあった坂東俘虜収容所は俘虜に対する人道的扱いで、後年有名になる。第二次世界大戦当時、日本軍の捕虜になった兵士への虐待、現代でもイラク戦争におけるアメリカ軍の捕虜虐待にみるように、捕虜虐待は軍隊と戦争が存在する限りなくならないであろう。それでは、なぜ坂東俘虜収容所は人道的収容所となったのか?鳴門市はドイツリューネブルクと姉妹都市になり、収容所を記念する鳴門市ドイツ館が建設され、今なお交流が続いている。 隣接した場所に、「坂東俘虜収容所」がありました。「バルトの楽園」と言う映画で感動したことを思い出し見学しました。 第一次世界大戦にドイツの租借地の青島(チンタオ)を日本が攻撃して敗れた際のドイツ兵約5000人が俘虜となり、1917から1920年までの3年間を坂東俘虜収容所で過ごしました。 坂東収容所生活は、ドイツ兵んとって俘虜の身ではありましたが、比較的自由で演奏会の練習、読書やゲームを楽しみ、日常的に地域の人々とのコミニュケーションがあったようです。 牧畜・建築・音楽・スポーツ・西洋野菜栽培など進んだ技術や文化の指導を受けることが出来て なかでもベートーベンの「交響曲第九番」を日本で初めて全曲演奏した場所がこの地域だったのっです。 俘虜であることに変わりがないけれども、第二次大戦の日本軍捕虜収容所や日本軍兵士の戦陣訓の悪評に比べれば、雲泥の差があるように思いました。映画、バルトの楽園では主人公の所長、松江豊壽(とよひさ)の人格が影響したことが、ほかの俘虜収容書との違いを明確にしていました。収容所の資料にもそれはシッカリと記録されており、人間を人間として対処した松江豊壽の高潔な人格が伝わるようなドイツ館でした。 朝5時20分に出発して、帰宅したのが午後6時、一人で12時間も走り続けのドライブでした。 ヘブル人への手紙13:1 兄弟愛をいつも持っていなさい。 13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。 13:3 牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。 13:4 結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。 13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」 13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。 13:9 さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。
2011/01/05
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今日は久しぶりに鳴門市の大塚国際美術館まで行こうと思っていました。昨日電話で問い合わせたら、普通は月曜休館だが正月三が日開場したので、火曜日は閉館とのことで残念。 淡路浄瑠璃(南淡路市)は開演しているので、淡路島をラジオ聴取者訪問を兼ね、日帰りで行くことにし今から出かけます。 「大塚国際美術館」は、大塚グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大級の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」です。館内には、6名の選定委員によって厳選された古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製しています。それらは美術書や教科書と違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。 また、元来オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などからの退色劣化を免れないものですが、陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの文化財の記録保存のあり方に大いに貢献するものです。門外不出の「ゲルニカ」をはじめ戦争で分散していたエル・グレコの大祭壇 衝立の復元など画期的な試みもなされ、1,000余点の検品のために、ピカソの子息やミロの孫達および各国の美術館館長、館員の方々が来日されたおりには美術館や作品に対して大きな賛同、賛辞を頂きました。このように「大塚国際美術館」は、技術はもとより構想においても世界初のそして唯一の美術館といえます。(大塚国際美術館館長 大塚明彦) いつか行けるよう願いながら、ゆとりの一万歩で朝を迎えています。元旦は院内を歩き回るだけで一万歩を越え驚きでした。 2日(日)は礼拝後、歩こうと思っていたらカウンセリングでお昼も食べる間もなく大阪エリムへ。すぐ堺エリム礼拝へ車を走らせ、施設にいる目の見えない方を待つ間、施設近くのザビエル公園を3000歩ほど歩きました。 礼拝後、帰宅したらまだまだ足りなくて、暗闇の山道を10000歩になるまで歩いて、久しぶりに遅い夕食を一人で済ませました。 昨日は、学院近くの店で福袋を勧められ5000歩達成。午後から奈良医療センターへ見舞いに行き、医療センター周囲を歩いて完歩。新年挨拶で訪ねたお家で大きな山イモを贈られ、今年も元気で頑張ってくださいと激励されたりの一日でした。 今朝はドライブが続くので、淡路島へ出かける前に7000歩を歩きました。 今日もまた、夜遅くまで出かけっぱなしの天国の一日です!感謝します。 今日もまた、・・・・の天国の一日です!・・・・にふさわしいことばをたくさん告白しながらです。ちなみに、幸せな天国、楽しい天国、そのほかいろいろと・・・・。ヨハネの黙示録7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。 7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
2011/01/04
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私は、昨日の主日礼拝は六甲山ホテルの教会の担当でしたので、司式と説教をして参りました・寒かったですが、一面銀世界の雪景色で幻想的で、とても美しかったです・・ この教会の名称は 「ヘブンリー オラトリアム」…天国の礼拝堂です。 朝、パソコンを開いたら、雪景色の中に幻想的に輝く、今教会堂とそれに似合うステキな牧師服の姿がありました。 雪よりも白く、十字架の血潮で洗われながら、きよめられ続ける牧師生活を今年も祈り願う朝です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。今日もまた、無現の愛に満たされている天国の一日です!今日もまた、イエス様のいのちが輝く天国の一日です!今日もまた、聖霊に満たされている天国の一日です!今日もまた、救われた恵みあふれる天国の一日です!今日もまた、豊かな幸せに満たされた天国の一日です!今日もまた、喜びと楽しみあふれる天国の一日です!今日もまた、平安豊かな天国の一日です!今日もまた、信仰、希望、愛が輝く天国の一日です!今日もまた、感謝あふれる天国の一日です!今日もまた、祈りがかなえられ願いがかなう天国の一日です!今日もまた、エネルギーとパワーあふれる天国の一日です!今日もまた、豊かな繁栄と祝福いっぱいの天国の一日です!今日もまた、勝利に輝く天国の一日です!今日もまた、笑顔と笑いあふれる天国の一日です!今日もまた、神の栄光輝く天国の一日です! 正月三日目の朝です。三日続けばまた明日から三日、一年中を継続は力なりです。昨夜も礼拝より帰宅、ゆとりの一万歩にほど遠い歩数、寒さと暗闇の中を歩きゆとり?に一万歩達成。 すべてのことに感謝しつつ熟睡。主の恵みは朝ごとに新しい。主の変わらない真実に支えられて元気に目覚め、向きを変えて出発せよ!これは主の目には小さいことだ!感謝します。ヨハネの黙示録21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
2011/01/03
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種子島で生まれ育ち、屋久島の雪を眺めながら雪よりも白い心を願っていました。16歳のとき西之表基督教会でイエス様の十字架で流された血潮で、雪よりも白く洗われることを信じてクリスチャンになり54年になります。 生駒聖書学院に入学した年の冬、朝早く起きて外へ出ると校庭が真っ白におおわれていました。雪だ!初めてみる雪に感動!触ったり寝転んだり、一人ではしゃぎましたが、真っ白な雪の上を真っすぐ歩きました。 自分では真っすぐ歩いたつもりでした。ふり返るとかなり曲がっていました。今度は向う側の大きな松の木(伊勢湾台風で倒れた)を目当てに歩きました。 真っ白な雪の上に足跡がきれいに並んでいました。その日以来、目当てのある人生を歩き続ける恵みの人生です。 今年与えられた聖書のことばは、「向きを変えて出発せよ(申命記1:7)これは主の目には小さいことだ!(列王記下3:18)」で、新しいチャレンジを目標にスタートです。 雪よりも白く!十字架と復活の福音を新しいマンガで証できるよう願い、今週淡路島よりマンガを書いてくれる方が訪ねてくれます。 新著「わずか30秒の祈りが世界を変える」を2月出版予定です。 今年ABCラジオ牧師38年になり、生駒聖書学院前が通学路(小学校&幼稚園)で、若いママや小学生・中学生も多く行き来するので、話し聞きますと「やさしい心の相談室」を開きます。電話&メール予約が必要としますが、多くの方々との出会いで対話の奇跡が生まれると期待しています。 聖書のみことばと聖霊の愛と力に満たされ続けるために、イエス様へ向きを定め、ゆとりの日々を感謝しつつ前進したく願っています。 新年礼拝で引用する聖書の言葉です。今朝のインターネット礼拝放映は、午前11時30分よりアクセスできます。それまでは昨朝のインターネットメッセージです。申命記1:6 私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。1:7 向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。1:8 見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」1:9 私はあの時、あなたがたにこう言った。「私だけではあなたがたの重荷を負うことはできない。1:10 あなたがたの神、主が、あなたがたをふやされたので、見よ、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。1:11 ――どうかあなたがたの父祖の神、主が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように。――福音の宣言に向きを変えよう!イザヤ書43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。43:20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。43:21 わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。信仰、希望、愛へ向きを変えよう!コリント人への第一の手紙13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。祈りへ向きを変えよう!ヨハネの福音書14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。聖なる生活へ向きを変えよう!ペテロの第一の手紙1:15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。1:16 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。心の思いとことばと行動のすべてを聖霊に満たされ、感謝するよう向きを変えよう!エペソ人への手紙5:18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。:19 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。 継続は力です!新しい年の日々、毎日が天国の歩みでありますよう祈ります。
2011/01/02
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