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ブログに外見と口ぐせを変えると良い等と書いたり、良い知らせを伝えるために牧師になりましたと書きました。 7月に右脳内出血で入院、10月に小脳梗塞で再入院。幸い両方とも主治医も驚くほどに完治しました。ムリしないようゆっくり過ごすように、いつも言われ続けています。パソコンで小脳梗塞を検索すると、後遺症についていろいろ書いてあり、同じ状態を見つけると、それが気になりつい口に出してしまいます。 院内改装工事が始まるので、院長室の整理をしようと行くと、副院長が汗みずくで片づけており、休んでいてくださいと叱られ書斎に戻りました。 市役所が不要なものは引き取りに来てくれるとのことで、院長室はお任せして書斎を片づけ始めました。必要でないものを出そうと、朝から取りかかったら遅くまでかかり、久しぶりに身体を動かし続けました。 昼過ぎに娘が来て少し手伝い、せっかく来てくれたので、車で行きつけの美容室へ散髪に連れて行ってもらいました。久しぶりにさっぱりでき、予約でいっぱいでしたが、持ち時間ないで孫の前髪と後ろもカットしてくれ、1歳7ケ月の男の子ですが、ニコニコと上機嫌にママに抱っこされたままきれいにしてもらいました。 途中、「三度輝くいのちを与えられ」の小冊子お届けしたり、工事の打ち合わせに来られた工務店の方々5人にも、またコンビニでもお渡しでき10数冊を配ることができました。 夜遅くには、卒業生のメールで冊子を用いたいと300冊申し込みがあり、今朝にも宅急便に来てもらい発送します。 イエス・キリストの十字架の救いは、人を罪から救うだけでなく、病や呪いから解放し、貧困からも救いだし、死を越えて天国に導く、素晴らしい良い知らせです。 イエス様を信じると、聖く正しく、健やか祝福され、豊かに人生を生きることができます。人間は誰であれ、どんなに長寿でも死を迎える存在です。十字架と復活を信じる者は、死を越えて永遠の天国へ行くことができます。 同時に、イエス様とともにいる所が天国ですから、この地上での生活がどうであれ、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。と。朝からばいつも高らかに宣言できるのです。 コリント人への第二の手紙 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
2012/11/30
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56年前の11月24日に、種子島の城之浜海岸で洗礼を受けクリスチャンになりました。 その後、生駒聖書学院に導かれ今日に至っています。なぜ牧師になtったのですか?と、ときどき聞かれます。 大きな理由は、牧師として神様の召命を受けたからです。召命=神に召されて新しい使命につくことを意味 するキリスト教用語= 山の中へ薪(たきぎ)を運びにいきいました、いつもポケットに新約聖書を入れており、その日も重い薪を背負っていたので、一休みしたとき聖書を出し読みました。ローマ人への手紙10章13~15節が、心にしっかり入って来ました。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 牧師になるとは、良いことを伝える人になることだと確信しました。のちに生駒聖書学院に入学し、その確信は今日も変わりません。 「アーメンと言えば救われます!」を信条に、良いニュースを伝え続けています。聖書が伝える良いニュースとは何でしょうか。 それは、「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力で」(ローマ1:16)信じるすべての人に、救いを得させる神の力です。 福音とは具体的に何でしょうか。コリント人への第一の手紙15章1-5節に書かれているとおりですのことです。 「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、 福音=良い知らせ=とは、イエス・キリストが聖書に書いてある通りに、全人類の罪を引き受けて死なれ、墓に葬られ、聖書に書いてあるとおりに三日目に復活され、今も生きいておられることです。 そのことをアーメン=真実、誠にその通りです=と、本音で信じるならだれでも救われます。 そのことを本気で本音で伝えているのが牧師であり、すべてのクリスチャンなのです。イエス・キリストの」十字架と復活こそ、この世で最高の良い知らせでありニュースなのです。 「イエス様を信じます。私の心にお迎えします。アーメン」とお迎えください。人生が根底から救われ、新しい人生になります。真実に幸せな神の子として、永遠のいのちを持ち、天国に行くことができます。 そればあkりではなく、今日もまた天国の一日です!と、復活のキリストとともに満たされて生きる天国人生を歩むことができます。ヨハネの黙示録 3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。ヘブル人への手紙13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
2012/11/29
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外見やことば使いを変えると人は変わる生駒聖書学院は創立者がイギリス人です。聖書学院に来て驚いたのは、ネクタイ着用していないとテーブルに着くことも許されませんでした。現在はのネクタイをしていなくても食べられます。 しかし、礼拝時のチャペル、授業中の教室ではスーツとネクタイ着用です。イギリスの良い習慣がいまも連綿として続いています。クールビズの時代から、国会でもいろんな会合の場でも規律が緩むと同時に、なんかだらしなくなったように思います。生駒聖書学院には、少年院や、刑務所から入学生を迎えることが度々あります。現在もですが以前に、暴走族で少年院から入学してきた青年がありました。 学院入学と同時にスーツにネクタイの生活になりました。またことば使いも、前向きで明るいことばを口癖にするよう指導しています。特に、聖書のことばを朝の目覚めから、ベッドの入るときまで口ずさむようにしています。3年間の学びですが、卒業時には見違えるように返信し、今では牧師として活躍しています。また新聞やNHKテレビでも紹介されたり、数年前の姿からは想像もできいないような立派な牧師になっています。もちろん、イエス・キリストの十字架と復活、聖霊のお働きに寄る内面の変化が、そのような変化をもたらしました。しかし同時に、生活態度と外見を変え、同時にことば使いから、前向きで積極的な告白がもたらした変化でもあります。悪い習慣から離れなれないときは、生活のスタイルを変えて見ると、不思議に奇跡のような変化が起こります。お酒の好きな方は、酒の匂いや賑わいのある場所を通らないで真っすぐ自宅へ帰るだけでクリアできます。パチンコが好きならその音のするところを通らない。覚せい剤や快楽に直ぐ誘惑を感じるなら、そんな店や場所へ近づかないだけで解決されます。日曜日には少し早起きをして、近くのキリスト教会の礼拝の聖なる場へ行ってみるだけで、人生は美しく清らかになります。日曜日午前中のどこでも礼拝があります。大阪エリムキリスト教会は、日曜日午後2時~3時に、大阪市浪速区新世界で行っております。 ぜひ、新しい年に向かって、新しい変化を体験なさってください。
2012/11/28
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試験は何歳になっても、できれば避けたいと思うようです。神学生たちも試験に合格しないと、進級も卒業もできないので、試験時にはやはり真険に取り組みます。今週は今朝から試験スタートです。 二学終了と同時に、校舎&チャペルの改装工事に入るので、来年3月の卒業式には、新しくなったチャペルで式を行えます。 エレベーターも設置し、床を全部フローリングにして、靴のままで出這入りできるようにします。 工務店の方も大張りきりでリフォーム工事を引き受けてくださり、思ったより素晴らしく仕上がりそうで、楽しみに工事に取り組んでくれそうです。 今日もまた天国の一日です!お祈りありがとうございます。感謝します。コリント人への第一の手紙13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。 13:10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。 13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。 13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
2012/11/27
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エリムキリスト教会では長年、11月を年度変わりにして活動しています。 新しいしい活動を、クリスマスと正月からスタートという単純発想です。また11月24日に種子島の海岸で洗礼を受け、クリスチャンとしての歩みをスタートしたので、その初心を忘れないで、イエス様の十字架と復活の福音に仕える思いもあります。 2012年をヨハネの福音書のことばで歩んできました。ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 イエス・キリスト様のいのちを捨てる愛で選ばれ救われました。その選びで永続する実を結ぶために任命されました。 自分に資格がないと思うことの多い日々です。しかし、いンれば与えるとの豊かな約束を信じ、祈りつつ生かされ続けています。 素直に本音で、純粋な動機で疑わずに、イエス・キリスト様のお名前で祈る幸いをいつも経験しています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。エペソ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。エレミヤ1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」詩篇1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。ガラテヤ、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。コロサイ1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。マタイヨハネ14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
2012/11/26
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エリムキリスト教会では長年、11月を年度変わりにして活動しています。 新しいしい活動を、クリスマスと正月からスタートという単純発想です。また11月24日に種子島の海岸で洗礼を受け、クリスチャンとしての歩みをスタートしたので、その初心を忘れないで、イエス様の十字架と復活の福音に仕える思いもあります。 2012年をヨハネの福音書のことばで歩んできました。ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 イエス・キリスト様のいのちを捨てる愛で選ばれ救われました。その選びで永続する実を結ぶために任命されました。 自分に資格がないと思うことの多い日々です。しかし、いンれば与えるとの豊かな約束を信じ、祈りつつ生かされ続けています。 素直に本音で、純粋な動機で疑わずに、イエス・キリスト様のお名前で祈る幸いをいつも経験しています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2012/11/26
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昨日(24日)で55歳の誕生日でした。種子島の海岸で洗礼(バプテスマ)を受けクリスチャンになりました。早いもので神の子として生まれ変わり55年になりました。クリスチャンは二つの誕生日があります。一つはオギャーとこの世に生まれた日、1941年9月2日に種子島の中心で生まれました。ものすごい山の中です。現在は近くに種子島空港ができていますが、生まれたころはバスも通わず、元気も水道もガスもない山の中でした。 孫と種子島を訪ね、お爺ちゃんの生まれたお家はどこ?と聞かれ、自分の生まれた家も分からない藪になっており笑われてしまいました。 高校性になり家から20キロも離れており、自炊下宿で自分で食事も弁当も作りながら通学しました。 高校の放課後、種子島に来ていたアルビン・ハモンド宣教師が英会話のクラスを開きました。アメリカ人を見るのがはじめてで、みん名で出かけました。 片言の日本語で「だれでも重荷を負って苦労している人は、私のところに来なさい。休ませてあげます」と聞きました。 それまでの15歳までは重荷を背負う(精神的と言うより、米俵やイモ俵、薪の束やヤギの草、炭俵やともかく農家の子どもでしたので重いものをかつぐなどz)ことが多く、瞬間ですが子のアメリカ人が手伝ってくれるのかと言う思いがありました。 すぐちがうことが分かり信仰の勧めであり、キリスト教のことだと分かり自分には縁のない話だとおもいました。それから半年後、その宣教師に導かれてクリスチャンになりました。 早いものであれから55年にもなります。先週も同じ海で45年前に洗礼を受けた方とも知り合い、その方が父のところを牧師といっしょに訪ねたことも知りました。種子島の多くの方との出会いが続くここ数年です。 地上に生を受けて71年目に、思いがけず脳梗塞、脳内出血に襲われましたが、輝くいのちを地上で与えられ、天国へ召されるまで現役の牧師として仕える恵みに感謝する、受洗記念日でした。 今日も、午前中は生駒聖書学院教会でメッセージ。午後からは大阪エリムキリスト教会で説教し、帰り道三ケ所ほど顔を出すだけの訪れで帰宅します。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。高らかに宣言しつつ礼拝を待つ朝です。マタイの福音書11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
2012/11/25
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昨日は天国聖会。初めて聖会を午後2時30分より行い正会解でした。愛知県、三重県、滋賀県、岡山県、兵庫県、奈良、和歌山、大阪、京都はもちろん雨上がりの生駒まで、会場の椅子が足りないほどの集まりでした。 講師は、81歳で現役の白方誠彌先生。自宅から電車で講演に駆けつけてくださいました。 お話しの跡でも質問に答えたり、お交わりをなさったりでした。講壇に立たれ話しておられる姿からは、高齢を感じさせない情熱があふれておられました。後10年で先生と同年齢になりんだな、その頃も自分も同じように説教しているかなあとも思いました。 「三度、輝くいのちをあたえられて」と、小冊子を聖会に間に合うよう出版しました。全員に贈呈し、三度=99年の脳内出血、今年7月に左脳内出血、そして10月小脳梗塞のことです。 白戸先生には、一ケ月少し前、 湯川イちぃう病院でMRI検査までしてもらい、右脳内出血が奇跡的に致命傷にならない血管を避けていることを示され、交通事故と脳内出血で奇跡的な完治だと言われたばかりでした。 小脳梗塞について、講演前後詳しく聞かせていただき、お叱りも受けました。退院後一ヶ月も経ってないこともお話しし、今回も主イエス様の守りがあったことを感謝しました。 また三重県や名古屋からの医者にも、十分これから気を付けるように、諄々と諭されお叱りを受けました。 教会員たちや家族、神学生や牧師仲間からも、しっかり励まされたりお叱りを受けながらのありがたい恵みの一日でした。 午前中には75歳男性ほか3名の洗礼式もあり、今年もクリスマスに向けて、信じて救われる方々が起こされた恵みも幸いでした。 明日、午前10時、生駒聖書学院教会礼拝説教、午後2時からは、大阪エリムキリスト教会説教です。 小脳梗塞後遺症、音声が出しにくいが少しありますが。神のことばをハッキリ語れるよう祈り確信しています。 目覚めとともに、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します」と、発声します。 眠る前にも、「ありがちとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します」と、ハッキリ宣言します。 皆様の祈りに支えられて、毎日を元気で過ごしています。詩篇34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。 34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。 34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。 34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」 34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。 34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
2012/11/24
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日曜日は4か所で礼拝をしており、9月23日(祭日)に全員で集まる聖会を計画しました。 今年は牧師の事故や入院もあり、今日11月23日午後1時30分になりました。岡山市からの参加もあり感動しています。 生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。白方誠彌先生17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の脳内外科専門医としてもご活躍中です。 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話があります。生駒聖書学院=生駒市俵口町951 近鉄奈良線生駒駅よりタクシーで千円自動車は阪奈道路生駒インターより3分、無料駐車場有。午後3時半過ぎまです。お近くの方ぜひお出かけください。 牧師として、奈良市富雄キリスト教会を開始したとき、86歳の御方が亡くなり、生まれて初めて葬儀(召天式)をしました。勝手がわからず大変でしたが、その日以来臨終の方々を見舞い、亡くなる直前にアーメン。信じますと、イエス・キリストを心にお迎えし、天国を確信し、安らかに召される場に多く立会ました。 やがて天国でお会いする日までおやすみなさいと、直接お導きした方々も数十名に及びました。 その方々を覚え、また誰でも愛する者の死を経験しているので、先に召された方々を偲び、なぐさめと勇気を与えられる集まりです。 今まで愛する長男を天に送った方、奥様に先立たれた方、父親を死に間際に信仰にとを導いた方、兄弟姉妹を姉、娘を、子どもを、主人を、祖父母、母を、多くの死に直面しました。 個人的には、母を姉を祖父母をと小学4年生までに愛する者の死を目の当たりにしています。 牧師となり、実の肉親に勝るとも劣らぬ思いで式を行ってきました。今年は自らも交通事故や脳内出血と死に直面し、今もなおボツボツゆっくりと生かされています。その経験を、「三たび、輝くいのちを与えられて」と題し、小冊子に書きました。 小さな体験を冊子(50ぺーじ)ですが、贈呈できます。お申し込みは=elimyoshi@kcn.jpまで、お名前、ご住所(郵便番号も)お知らせください。 今日の23日(祭)午後1時半からの天国聖会でも、プレゼントさせていただきます。 黙示録14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
2012/11/23
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明日の天国聖会お知らせです。11月23日(祭)午後1時30分より、生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。白方誠彌先生17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の脳内外科専門医としてもご活躍です。 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話があります。生駒聖書学院=生駒市俵口町951 近鉄奈良線生駒駅よりタクシーで千円自動車は阪奈道路生駒インターより3分、無料駐車場有。午後3時半過ぎまです。 イエス・キリストを信じると永遠のいのちが与えられるので、地上の生活が終わると、永遠の天国へ召されます。キリスト教では死で終わる人生ではなく、死後に天国があると信じています。死はお分かれのさようならではなく、おやすみなさいなのです。死を眠るとか、召天、または帰天と表現します。天国聖会は天国へ召された愛する方々を偲び、やがての日私たちも愛する者と再会することを思い、天国の喜びの中で、慰めと励ましを受け、勇気と希望に輝く集いです。 今夏、7月22日に右脳内出血と交通事故になり、救急車で運ばれ入院し、 運転していた自動車は大破し、形もないほどでした。 集中治療室や一般病棟、2週間後にはリハビリ病院への移転、病院生活の体験や1ヶ月後の完治体験を綴った、「三たび、輝くいのちに生かされて」と小冊子を、天国聖会に発行。 事故現場の写真や集中治療室から出た直後の写真なども掲載されています。 今も完治してはいますが、主治医や家族、教会員や友人たちからムリをしないように勧告され、ゆっくりボツボツと学院と教会の働きを続けています。 主イエス様の癒しと、多くのとりなしの祈りに支えられながらの日々を過ごしています。 小さな体験を冊子(50ぺーじ)に書いてみました。贈呈できます。お申し込みは=elimyoshi@kcn.jpまで、お名前、ご住所(郵便番号も)お知らせください。 明日23日(祭)午後1時半からの天国聖会でも、プレゼントさせていただきます。ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。ヨハネの第一の手紙5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
2012/11/22
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「三たび、輝くいのちに生かされて」と題し、小冊子を発行しました。 今夏、7月22日に右脳内出血と交通事故になり、救急車で運ばれ入院した時の経験を書いてみました。 運転していた自動車は大破し、形もないほどでしたが、かすり傷もなく九死に一死を得る事故でした。 集中治療室や一般病棟、2週間後にはリハビリ病院への移転、病院生活の体験や1ヶ月後の完治体験を綴った文書です。 事故現場の写真や集中治療室から出た直後の写真(見て欲しくないなと思いつつ)なども掲載されています。 「三たび、輝くいのちにいかされて」とのタイトル、1998年1月左脳内出血、そして今年7月右脳内出血、さらに10月に小脳内梗塞に倒れ、いずれも1カ月や10日間で、完治を宣告された経験をしました。 今も完治してはいますが、主治医や家族、教会員や友人たちからムリをしないように勧告され、ゆっくりボツボツと学院と教会の働きを続けています。 主イエス様の癒しと、多くのとりなしの祈りに支えられながらの日々を過ごしています。 いやされた体験を小冊子(50ぺーじ)に書いてみました。読んでいただければ、贈呈できます。お申し込みは=elimyoshi@kcn.jpまで、お名前、ご住所(郵便番号も)お知らせください。 今週23日(祭)午後1時半からの天国聖会でも、プレゼントさせていただきます。天国聖会お知らせ11月23日(祭)午後1時30分より、生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。白方誠彌先生17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の専門医としてもご活躍です。終末医療の現場で多くの死を見つめて来られ、医師としての立場からお話下さいます。 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話をしてくださいます。生駒聖書学院=生駒市俵口町951 近鉄奈良線生駒駅よりタクシーで千円ほど。自動車は阪奈道路生駒インターより3分、無料駐車場有。午後3時半過ぎに終わります。ピリピ人への手紙1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。 1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。 1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
2012/11/21
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イエス様は、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば開かれます」(マタイ7:7)と、祈ることの素晴らしさを教えて下さいました。 また、「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネ14:13-14)と、すばらしく確約してくださいました。 この素晴らしい約束で日々祈りが答えられ、神が全能でありイエス様の約束が真実であることを体験しています。 しかし同時にまた、聖書には祈りが答えられないと悩む人に、警告を与えています。 その一つが、信じないで疑うことです。「 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません」(ヤコブ1:7-8)) アーメンとは真実ですと言う意味です。イエス・キリストの名前で誠実にはおに求める求めに答えが与えられます。イエス・キリストの約束を信用して祈り答えを体験してください。 もう一つの理由が聖書に教えられています。それは「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」(ヤコブ4:2-3) また、もう一つの素晴らしい理由、これは答えられない祈りと言うより、すばらしい恵みの答えです。「このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(第二コリント12:8-10) 疑いもなくい願い求め、悪い動機ではなく純粋に祈りながら、祈りが思った通りにならないことも経験することがあります。その時に、実は主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われ、大きな恵みの答えをくださっています。 私も毎朝、「私の恵みはあなたに十分である。と言うのは、私の力は、弱さのうちに完全にあらわされるからである」と、主のことばに心満たされ、感謝と平安で新日を迎えています。朝ごとに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。と告白しつつ新しい一日を歩み出し続けています。神よ、変えることのできるものについてそれを変えるだけの勇気を私たちに与えてください。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えてください。そして変えることがでえきると、変えることのできないものをとを、この二つを見分ける知恵を私たちにお与えください。(ラインホルト・ニーバー牧師の祈り)幸せに行き、幸せに死ぬ天国聖会のお知らせ人間はいつか死ぬ時を迎えます。しかし、多くの人にとって死は恐ろしく。特に愛す物者との死別は悲しく辛いものです。人生が死で終わる者であるならそのとおりです。私たちの教会では毎年、天国聖会を行っています。 11月23日(祭)午後1時30分より、生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。 白方誠彌先生は、17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の専門医としてもご活躍です。 終末医療の現場で多くの死を見つめて来られ、医師としての立場からお話下さいます。 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話をしてくださいます。ご参加を歓迎します。
2012/11/20
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人間はいつか死ぬ時を迎えます。しかし、多くの人にとって死は恐ろしく。特に愛する者との死別は悲しく辛いものです。人生が死で終わる者であるならそのとおりです。私たちの教会では毎年、天国聖会を行っています。11月23日(祭)午後1時30分より、生駒聖書学院チャペルを会場に、白方誠彌先生を講師に行われます。白方誠彌先生17年間淀川キリスト病院院長としてご活躍され、ホスピスの産みの親でもあります。その後は京都プテスト病院長として7年間、現在は湯川胃腸病院理事、また現役の専門医としてもご活躍です。終末医療の現場で多くの死を見つめて来られ、医師としての立場からお話下さいます。 特に、脳死や尊厳死の専門家でもあり、毎日健康で幸せに生きる秘訣とともに、幸せに死を迎える生きがいある生き方についても、多くの実際的お話をしてくださいます。私も今年は交通事故、右脳内出血、小脳梗塞という死から3度もいのちを与えられました。今も無理は出来ませんが、昨日も礼拝説教、今朝も生駒聖書学院のチャペル説教、午前中の授業での講義などがあります。 ムリが出来ませんが、家の周囲や聖書学院内の散歩も数千歩ほど歩きながらの日々です。8月の入院中、病院で読んだ本で目に止った詩です。今日は死ぬのに とても良い日だあらゆる声が私の内で 声をそろえて歌っているあらゆる生あるものが 私とともに仲良くしているすべての美しいものがやって来て 私の中で憩っているすべての悪い考えは 私の中から出て行ってしまった今日は死ぬのにとても良い日だ私の土地は 平穏で私を取り巻いている私の土地は もう最後の鍬が入れ終わった我が家は 笑い声が満ちている子どもたちが帰って来た(タオスノプェプロインディアン老人の詩) ピリピ人への手紙1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。 1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。 1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。 1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。 1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。 1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。
2012/11/19
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目の前に「いのちより大切なもの」(星野富弘著)があり、渡邊和子氏推薦の文が書かれています。 「いのちより大切なものがあると知った時に生きていく力が与えられた」と、星野さんは言う。その力に支えられて、苦しいことの多い一生を生きる一人の人間の生の軌跡は、この世のいのちに勝る尊いものなのだ。 本分には、9年という長い入院期間、「あれがなかったら俺の人生は違っていた」と何度も思いました。・・・・限りなく過去を遡っては後悔を繰り返していました。 いっそのこと生まれなければよかった・・・・。来る日も来る日も病室の天井を見ながら思いました。そして、いつもそこに落ち着いてしまうのです。それはあまりにもみじめなことでした。 人間にとって一番の苦しみは、「今が苦しい」と言うよりも、この苦しみがいつまでも続くのではないかと不安になることです。と本文で星野さん自身が書いておられます。 冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と 雨の日があって 一つの花が咲くように 悲しみも 苦しみもあって 私が私になってゆく 私は傷を持っている でもその傷のところから あなたのやさしさが しみてくる 口で書いた花に、美しい詩が添えられ、星野富弘さんのこれまでの歩みがつづられている著書です。(発行:いのちのことば社・フォレストブック・定価1200円+税) 多くの人にいのちの尊さと、生きる勇気を与えてくれた著者の最新作(2012年12月1日発行)です。 イザヤ書 53:4 まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。 ペテロの第一の手紙 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
2012/11/18
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私たちの住んでいる社会には様々なルールがあります。ルールがないと社会ませnいとなまれません。大人になると言うことは、ルールの中で生きることです。 住んでいる直ぐ側に阪奈道路がああり、夜中にサイレンの音が聞こえ、パトカーに停車を命じられる車があります。 阪奈道路は県道で制限速度は50キロです。返りりを急ぐのでしょうか。アクセルを踏み込み過ぎるのか、でも制限速度がありオーバーしているのです。言い訳無用で道交法と言うルールに従い、罰金や免許停止などの罰則があります。 ほんとうはルールが無くても良いとも思いますが、近隣同士、国同士の付き合いにもルールが必要です。ルールがあってもそれを無視するから、新聞やニュースで目にする毎日の事件なのです。 人間の心にも、違反をしてはいけないルールがあります。 全能で愛なる唯一の神様は、十戒というルールを人類に与えました。 十戒 ・あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。 ・あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。 ・ あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。 ・安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。・あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。・殺してはならない。・姦淫してはならない。・盗んではならない。・あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。・あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。 単純率直な戒めです。それを守れば人類は幸せになり、世界は平和で地球環境も完全です。 それを守り得ない世界になり果て、主イエス・キリスト自ら肉体を持つ人間として、処女マリヤから生まれ、全人類のルール違反のすべてを引き受けて、十字架上に死んでくださいました。 ルール違反をすれば処罰がります。処罰が済めばすべては許されます。イエス・キルストの十字架はすべての処罰が終わった印です。復活はそのすべての賞罰が終わり、全能で愛なる神が、そのことを証明してくださった証拠です。 そのことをアーメンと信じる時、誰であれ赦されて神の子とされます。そして、この地上での生涯を終えるとき、違反者としてではなく、処罰が終わった者として天国に迎えられるのです。 だからだれでも、「アーメン。信じます。イエス様。私の心にお迎えします」と祈ってください。アーメンとは真実、誠にそのっとりですと言う意味です。人生の終わりを、締めくくりの「ん=ン」アーメンで閉じるとは何と幸いなことでしょう。 それを毎日の口ぐせにしてください。 目覚めの時、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。アーメン。 夜の休眠時も、ありがとうございました。今日もまた天国の一日でした!感謝します。アーメン。
2012/11/17
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聖書には、お祈りするときは心配しないで感謝して願いなさいと、繰り返し教えています。 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(ピリピ4:6) 「絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(第一テサロニケ5:16-18) それはどんな意味があるでしょうか。感謝はすべての疑いや不安を取り除いてくれます。 疑いや恐れを無くすと心が平安になり、信じる心で願いが叶うことを信頼して、落ち着いて生きることができます。 ですから毎日の生き方として祈りが聞かれたと信じいて、ありがとうございます。願いが叶いました!感謝しますと、物事に取り組み実行することができます。感謝することによって、願いがかなえられたことを確信し、心配したり思い煩らったりしないで、前向きに取り組むことができるのです。 祈りと願いと感謝は、信仰生活の三位一体だと思います。今日も祈りと感謝で平安の週末を過ごし、18日の礼拝に元気で出かけましょう。 ヨハネの第一の手紙 5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。 5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
2012/11/16
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今朝は生駒朝祷会でした。講師を韓国から予定していましたが、来日が昼からになり、急遽メッセージをしました。 走るべき行程を走り尽くすと題して、短く話しました。「 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」(使徒20:24)と、使徒パウロのすごい生きざまです。 使徒行伝はその名のごとく、イエス様の弟子たちの記録です。正確には十字架に死に、3日目に復活され、聖霊としてこの地上に来られた聖霊のお働きの記録です。だから聖霊行伝と表現した方が良いほどです。 だが、聖霊のお働きは目に見える人間を通してなされ、使徒の働き1~11章までは、使徒ペテロの働きを中心に紹介しています。 9章で使徒パウロの回心が起こり、最後の28章まではパウロの働きが紹介されています。 イエス様のことばが、地方年エルサレムから始まり、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで広がる様子が、生き生きとし血沸き肉踊るように、記録されています。 最終章の最後の節には、「、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」とあります。 そこで、使徒の働き最終章は結論はなく、今もなお全世界で聖霊に見たさられた牧師と教会により、描き続けられているのです。 使徒パウロの決断を自らの決断とする、多くの誠実な働き人が大勢おります。固い決意と覚悟で、イエス・キリストの十字架の救いを、聖霊に満たされ語り続ける、今日もまた天国の一日です!感謝します。使徒の働き 20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。テモテへの第一の手紙1:12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。 テモテへの第二の手紙 4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
2012/11/15
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エリムキリスト教会の年度替わりは11月です。クリスマスを年度初めとして祝おうと、数十年前からら11月末で終わり、新たな気持ちでクリスマスをスタートにして来ました。 今年度は、ヨハネの福音書15章16節のイエス様のことばとともに、一年間を恵まれて過ごしました。 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」 全能で愛なる神の選びの中で生きる幸いを、イエス様のお言葉とともに実体験しつづけた一年間でした。それは年度が変わっても永遠に変わらない選びの約束です。 その選びは、天地宇宙ができる前からの永遠の選びです。 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。(エペソ1:4) また、母の胎内からの選びです。 わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別した」(エレミヤ1:5) さらに十字架にいのちを捨てて愛し、3日目に死者の中から復活した、主イエス・キリスト自らの選びです。、 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです この世に生を受けた人は、すべてが神の永遠の愛の中に選ばれているのです。ですから自分の出生や氏を悩んだり、苦しんだりしなくて良いのです。 全能で愛なる神が生きよ!と、いのちを与えてくださったのです。主イエス・キリスト様が十字架にいのちを釘付けにしてまで愛して選んでくださいました。 「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) 今日もいのちが与えられている、生かされていることに胸を張って、何があろうと天国に召される日を望みつつ、雄々しく強く生き続けたいものです。イザヤ書 41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 41:11 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。 41:12 あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。 41:13 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。
2012/11/14
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昨日は、10月26日に入院10日目に退院した小脳梗塞検査で、堺市馬場記念病院脳神経外科へ朝早く出かけました。 予約していましたが結構時間がかかり、CT検査がすみ主治医との面談。CTでは幸いなことに痕跡もないほどに完全に梗塞のあとも消えていました。 左足のしびれやそのほかのことは、放っておいても治るので、リハビリなど治療手段はないとのことでした。イエス様を信じる信仰をいただいて、平安に守られ、ボツボツ進みたいと思う診察の一日でした。 「そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。(使徒の働き3章16節) ありがとうございます。今日もまた天国に一日です!感謝します。日曜日にで話した聖書のことばどおりになっている恵みに感謝する、さわやかな秋の朝です。 昨日は種子島の安納イモが届きました。小ぶりのサツマイモですが、蜜があふれるほどもあり、甘く美味しいサツマイモです。 中学生時代までは、サツマイモ(カライモ)が主食でした。もうサツマイモは卒業したと長年たべなかったけれども、8月の退院以来減塩食事を始動され、不思議に種子島や鹿児島から玄米やサツマイモが届き、再入学して美味しいサツマイモや玄米、野菜などに囲まれて生活しています。 イエス様は、何を食べようかと思い煩うなと教えました。食べなければ健康を維持できませんが、すばらしい癒し主であるイエス様にしっかり従いつつの日々です。使徒のは働き3:1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。 3:2 すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。 3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。 3:4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。 3:5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。 3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、 3:7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、 3:8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。 3:9 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。 3:10 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。 3:11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。 3:12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。 3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。 3:14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、 3:15 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。 3:16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。
2012/11/13
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ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です!感謝します。さわやかな朝の目覚めです。 目の前のパンフレットに、「運命は日々、与える情報の質と量によって決まってくる」と書かれてありました。 運命=いのちを運ぶと言う意味ですが、聖書は定められた運命と言うよりも、信じる者に神の御摂理=この世の出来事がすべて神の愛と配慮に従って起こるとされること=があることをを信じ信頼しています。 「あなた方に対する計画は、わたし(全能で愛なる唯一の神)が知っている。それは災いではなく、平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与える」とあります。 イエス様を信じる時、神のなさることはみな時にかなって美しい!と、すべてが愛の摂理の中でなされると知り、感謝に満たされて与えられていることに対処することができるのです。 運命だ!仕方がない!というあきらめや、絶望から救われて天国を告白しつつ、前進することができ、どんな状態の中でも幸せを与えられるから幸いです。 私たちを取り巻き、朝から番まで与えられる情報は、テレビ、新聞、雑誌、インターネットや回りからの声など、ものすごい量です。聞きたくいなくても耳だけでなく心の中まで入って来ます。そのほとんどがマイナス情報です。識別したり選択する暇もないくらいです。 生きていて力がある神のことば=聖書=からの情報はほとんどありません。クリスチャンも礼礼拝で聞き、毎日聖書を読んでいても、押し流されてしまうような情報が回りにあふれているのが現状です。 今日もさわやかに、スカッとした気持ちとことばで新しい週へのスタートです。イエス・キリストを信じる幸いをひとりでも多くの方に知っていただき、運命を越えた神の摂理の素晴らしさを体験してもらえたらと願っています。ヨハネの第一の手紙4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。ご案内 生駒聖書学院は、教団、教派を越えて、将来牧師や牧師夫人を目ざす兄弟姉妹に大きく門戸を開いてお迎えしています。 聖霊による信仰と知識、また聖書の実際的、実践的な学びができる神学校です。知性と良識だけではなく、聖書的信仰と聖霊に満たされながら学べます。 家族寮(2LDK)単身男女寮(現宇在単身赴任で学んでいる男性が3名もあります) ぜひ、将来牧師として活躍を願う退職後の皆様もお出でください。年齢・性別・学歴・国籍不問です。牧師、宣教師推薦状が必要です。心から生駒聖書学院ご入学をお待ちしております。03年度入学式=4月8日(月) 入学案内・願書等は下記あて、ご請求ください。 630-0243 生駒市俵口町951 生駒聖書学院 電話・Fax:0753-74-7622 elimyoshi@kcn.jp.
2012/11/12
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デボーションが新約宅聖書になり、マタイの福音書、そして途中入院もあり、先週ヨハネの福音書から語りました。 イエス様の生涯を紹介する福音(良いニュース)が四つあり、それぞれすばらしイエス様を紹介しています。 マタイの福音書=王の福音書(シシ=ライオン)インマヌエル=神はともにおられる!・祈るとき主は共におられます・宣教するとき主は共におられますマルコの福音書=牛=全人類に仕えるために来られた主イエス・キリストを紹介しています。ルカの福音書=理想の人を紹介しています。ヨハネの福音書=永遠の王の福音書(ワシ=鷲)言=イエス・キリスト・いのちのパン、世の光、羊の門、良い羊飼い、・よみがえり、道、真理、いのち、まことのぶどうの木。・毎日の口癖として=ヨハネ1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。とあるように、口ぐせを変えることで、自分の否定的な思いや、消極的習慣を捨てて、あなたの信じるとおりになることを、体験する11月、12月にしてみましょうと、11月4日に礼拝でチャレンジしました。 続いて今日の礼拝では 使徒の働き=聖霊のお働きについて読みます。父の約束=聖霊のバプテスマ=ペンテコステの日は、キリスト教会の誕生日です。1. 復活の主イエスの御名二素晴らしさを、美しの門のいやし煮みます。2. この人を強くした!=自立=第一コリント15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。 15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。3.この人を完全な身体にした=自律=第二コリント9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 今夏、種子島行きの前日、7月22日右脳内内出血&交通事故になりは完治し、一ヶ月で退院でしたが、10月18日~26日、今度hs小脳内梗塞で入院し、手術なしで完治し10日目退院できました。 ムリができず、明日、堺市馬場記念内病院へ検査治療です。車の運転もできず送迎してもらいながらですが・・・・。 今日は日曜日、生駒と昼大阪で礼拝説教です。ムリができない身体になったなと思いながら、イエス様のいやしに感謝しつつの日々です。先週は熊本での講演会、沖縄県の教会新築献堂式等もキャンセルしました。 だが、わたしがしようとしていることは、今すぐには起こらない。ゆっくりと少しずつ、しかも確実に、実行に移される。 遅いように思えても、失望するな。必ず計画どおりになるのだ。忍耐して待て。ただの一日も遅れることはない。ハバクク2章3節これは主がなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(詩篇118篇より) 天国聖会には、受洗55周年を記念して、入院体験記を、「みたび輝くいのちを与えられて」と題して小冊子を発行します。ピリピ人への手紙1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。 1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。 1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。ご案内生駒聖書学院は、教団、教派を越えて、将来牧師や牧師夫人を目ざす兄弟姉妹に大きく門戸を開いてお迎えしています。 聖霊による信仰と知識、また聖書の実際的、実践的な学びができる神学校です。知性と良識だけではなく、聖書的信仰と聖霊に満たされながら学べます。 家族寮(2LDK)単身男女寮(現宇在単身赴任で学んでいる男性が3名もあります) ぜひ、将来牧師として活躍を願う退職後の皆様もお出でください。年齢・性別・学歴・国籍不問です。牧師、宣教師推薦状が必要です。心から生駒聖書学院ご入学をお待ちしております。03年度入学式=4月8日(月) 入学案内・願書等は下記あて、ご請求ください。 630-0243 生駒市俵口町951 生駒聖書学院 電話・Fax:0753-74-7622 elimyoshi@kcn.jp.
2012/11/11
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先日、鹿児島からサツマイモ(種子島ではカライモ)が贈られてきました。最近の主食は玄米ご飯とサツマイモです。 第二次世界大戦(太平洋戦争)が終わったのが、1945(昭和20)年8月15日でした。あと数日遅かったら種子島も、奄美大島のように占領されていたといつも思います。 戦争善を良しとする考えがあります。そう考えても戦争を良しとし、善としてはならないと信じています。 人のいのちは全世界よりもいのに、分からず屋の年寄りだけが戦争前の日本は、善だったと叫びそれに同調する大人(と思っている壮年たちが)再軍備や憲法改正を叫び立てます。 そして、若者たちを死に追いやります。国のためなんだから、死んで当たり前だと言う間違った教育をしてしまいます。戦前の日本は正邪の区別のつかない指導者が、国のために国のためにと叫び、若者を死に追いやり。女子供は泣き叫ぶ悲惨さを作りだしてしまいました。 戦後は遠く去りましたが、暴走老人や毒走政治家に、国のためにという大義名分に、気を付けなければならないる時代になりました。国民のことを考える本物の政治家を選びたいものです。 日本人の忘れた物がたくさんあります。その最大の忘れものの一つに、「飢え」があります。一部のエリートたちには(今、再軍備を叫び人たち)関係ないと思いますが・・・・。 戦争直後、ほんとの日本人は飢えていました。私は3歳11カ月でした。種子島の田舎にいたのに、コメのご飯を食べたことがありませんでした。わずかばかりの田んぼで取れる米は、供出語の家には何も残りません。 中学生頃までは、主食はサツマイモだけ、田舎でしたので野菜にことなくことありませんでした。今、考えると贅沢な食生活だと思いますが。 今は、コンビに行けば何でも食べる者があります。病気にってからはコンビニ食品は、塩分過多のためほとんど食べることができません。 子どもたちの舌は肥えて、贅沢になれ食のと乏しさを日本人は忘れてしまったように思います。日本で捨てられる食品だけで、1億人の飢えを満たすことができるそうです。 アフリカのケニアでは、飢えた子どもたちがトウモロコシ半分をかじりながら一日を過ごします。それもない子どもは飢え死ぬ者もあります。 大切なもの、人情や愛など多くのものを繁栄の背後に忘れているよう思う朝です。そして、決して忘れてはならないものは、平和憲法の素晴らしさです。すばらしい平和を祈りつつ、今日も過ごしています。ルカの福音書 6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。 6:21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。 6:22 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。 6:23 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。 6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。 6:25 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。
2012/11/10
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思い切って捨てれば、もっと幸せになれると思います。 7月、10月と入院続きで、退院した後もムリができず、礼拝や教室での講義以外、ほとんど書斎で過ごしているこの頃です。 それでも脳梗塞は少しは歩かないとのアドバイスもあり、家の周りや院内を毎日6000歩ほど歩きます。車も動かせず院外へは出歩くこともありません。 ときどき買い物を頼まれ、生共(往復2500歩)や近鉄百貨店(往復6000歩)まで、行くこともあります。生駒は坂の多い町なので帰り道が厳しく感じます。 昨日も姪(20代で看護師3年目)が来て、「叔父ちゃん!元気出してね。脳梗塞は怖い病気だから、じっと同じ姿勢ではだめよ。うっ血しないように動きもいれないと」と、書斎で机の前ばかりではダメと可愛いお叱りを受けました。 午後4時からは面談があり院長室へ。 聖書学院のメンテナンスを依頼している業者が二人見積もりの最終打ち合わせでした。来年度も多くの神学生を迎えるので、教室とチャペルを靴のまま上がれるように、またエレベーターも設置し大改装を計画中です。必要が満たされるようお祈りお願いします。 特に2003年は。創立者レオナ―ド・W・クート師来日100年記念の年になるので、4月29日に大聖会を計画中です。新年度の計画に覚えていただければ幸いです。 また同じ時間に、新しい小冊子、右脳・左脳内出血&交通事故、そして今回の脳梗塞からの癒しの体験をもうすぐ発行するので、編集者が校正原稿を持ってきてくれました。11月24日が受洗56年になり、その恵みに感謝しての出版になります。その前日が天国聖会なので、ご参加のお土産になればと証しを書きました。今回は交通事故現場の写真も入れ、特に自動車がどれくらい破損したかも写真で紹介されています。その中から無傷で助け出されただけでもきせきだなあと、校正をしながらでも思い感謝しています。 また、お読みいただけたら幸いです。 詩篇34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。 34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。 34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。 34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」 34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。 34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
2012/11/09
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生駒聖書学院は、教団、教派を越えて、将来牧師や牧師夫人を目ざす兄弟姉妹に大きく門戸を開いてお迎えしています。 聖霊による信仰と知識、また実際的、実践的な学びができる神学校です。知性と良識だけではなく、聖書の信仰と聖霊に満たされながら学べます。 家族寮(2LDK)単身男女寮(現宇在単身赴任で学んでいる男性が3名もあります) ぜひ、将来牧師として活躍を願う退職後の皆様もお出でください。年齢・性別・学歴・国籍不問です。牧師、宣教師推薦状が必要です。心から生駒聖書学院ご入学をお待ちしております。03年度入学式=4月8日(月) 入学案内・願書等は下記あて、ご請求ください。 630-0243 生駒市俵口町951 生駒聖書学院 電話・Fax:0753-74-7622 elimyoshi@kcn.jp
2012/11/09
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今朝は、説教学講義。メラビアン効果について神学生たちと学びます。 メラビアン効果とは?話しの聞き手は、話してのどこを見て印象を持つかについて、心理学者のメラビアンのことばから来ています。言葉=7パーセント耳(語調・音声)=33パーセント目〈態度・表情〉=55パーセント(第一印象・インパクト)話は言葉だけでなく「言葉以外の要素」=「非言語的要素』が大きく相手に影響を与える。ということです。 「そのためにも、語り手は、「せめてあしふくぜ」くらい気をつけたらよいと、話し方の本にあり、神学生たちに今朝、紹介しようと願っています。 目の前にいる人との対面が最大のコミュケーションの魅力です。そのためには、「せめてあしふくぜ」背筋=肩の力を抜く、アゴを引く、背を伸ばす、全体に自然体。目線=話す前に全体に目を配る、ひとり一人に目を合わせる、穏やかに、明るく。手の位置=後ろ手で組まない、気になる癖を直す、両脇にたらす、必要な時にゼスチャーとして使う。足=体重を両足に均等にかける、両足を大地にしっかりとつける、膝を伸ばす下腹に軽く力を入れる〈腹式呼吸〉服装=場にあった服装を心がける(TPO)癖=自分の振る舞いの癖を知り直す、自分のことば癖を知り直す。 生駒聖書学院は現在、教団、教派を越えて、将来牧師や牧師夫人を目ざし、信仰と知識、実際的、実践的神学校です。知性と良識だけではなく、聖書の信仰と聖霊のお働きを受ける実践的な学び舎です。校です。ぜひ、生駒聖書学院にご入学をお待ちしております。 入学案内・願書等はご請求ください。 630-0243 生駒市俵口町951 生駒聖書学院 電話・Fax:0753-74-7622ローマ人への手紙12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。 12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、 12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。 12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。 12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。 12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。 12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
2012/11/08
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今朝、院長室へ降りて行くと、種子島で小学時代をともに過ごした懐かしい友の名刺があり、驚きました。種子島へ行っていたらしく、種子島土産の甘納豆も置かれていました。 脳梗塞のことも伝わっていたらしくお見舞いまであり、申し訳ないと思いました。種子島を出て20代に、大阪市職員の道が備えられましたが、ブラスト関係の職場に就職返るし、周囲から非難されたりもったいないと市役所勤務を勧められたりしました。 ブラストは砂や鉄などの金属を圧縮空気やモーターの力を使って高速でとばし、製品を加工する方法です。主にエアーコンプレッサーなどの圧縮空気を使ってノズルから研削材を飛ばす加工法を(エアーブラスト)、モーターの動力を使って羽根から飛ばす方法を(ショットブラスト)、水中ポンプや圧縮エアーを使って液体に混ぜた研削材を飛ばす加工法を(ウエットブラスト)と呼んでいます。 その仕事場を見た瞬間、これだと思ったそうです。それから50年、いろんなことがありました。最大の危機は、片腕と頼む経理担当者に1億円を持ち逃げされ、一家心中まで追いつめられました。 会社経営、借金、5人の子どもの養育、でもその時、奥様のひと言で救われました。「何もない種子島から出てきたのですから、全部なくなってもともとです。私は大丈夫です。あなた、また一から出直しましょう」 それから数10年、今でもブラスト工場で後継者となった長男とともに働き、工場も数か所に増え、懐かしさの故郷種子島に家も建築し、奈良と種子島の住まいとを行き来しながら、優雅にお暮らしです。 生駒生駒聖書学院の近くにお住まいがあるので、今朝はお礼を兼ねてお訪ねしようと思っています。 懐かしい種子島の味をいただきながら、お土産の袋を見いると何と、高校時代同級生の有名な菓子舗のお菓子でした。今年は種子島を訪ねることができなかったけれども、不思議な出合いに感謝する朝です。 また先月行われた九州ラーメン党記念のDVDと、濱田龍郎記念館に行くのDVDも、種子島原人さんから届いており、メール時代の便利さにも感謝しています。 今年は、脳内出血や、小脳梗塞で入院続き立ったり、車も動かせず生駒聖書学院内と教会だけの生活ですが、友あり遠方より来る!また楽しからずやと、楽しく与えられた使命を果たしつつ、安静の中で日々健やかに守られています。お祈りありがとうございます。コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。
2012/11/07
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朝の目覚めとともにザアーという音。大雨の夜明けでした。熟睡していて真夜中のカミナリのも気付かずでした。 チャペルが終わり挨拶。昨夜はすごかったですね。言われてキョトンとしていると、ビックリした顔をされ、あのすごいカミナリ気がつかなかったのですか。とあきれ顔をされました。 夜は熟睡で、イエス様が病んでいる所に手を触れて癒され、そのいやしに感謝して、眠りながら主に癒されたことを夢の中で感謝し続けていました。 脳梗塞で入院した夜から、いやしの約束のみことばを告白し続けています。退院後も、目が覚めるとすぐ聖書のことばを告白します。知っている限りのすばらしい約束を言いながら起き出し、朝の祈りとチャペルの時間です。 今日は大阪中央バプテスト教会の牧師と副牧師を迎えて、集中講義を定しています。昨年からお願いしていましたが、日本語で十分話したいのが、今月になりました。現在は2名の3年生が大阪中央バプテスト教会からの神学生です。 生駒聖書学院は現在、18名が学んでいます。教団、教派を越えて、将来牧師や牧師夫人を目ざし、信仰と知識、実際的な訓練を受けつつ学んでおります。 生駒聖書学院は、知性と良識だけではなく、聖書の信仰と聖霊のお働きを受ける実践的な神学校です。ぜひ、新年度を生駒聖書学院にご入学をお待ちしております。入学案内・願書等はご請求ください。630-0243生駒市俵口町951生駒聖書学院電話・Fax:0753-74-7622ヨハネの福音書 15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。 15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。 15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。 15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。 15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。 15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。 15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。 15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
2012/11/07
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先週からヨハネの福音書のデボーションが始まりました。 ヨハネの福音書だけでも、キリスト教のすべてを理解できると言っても良いくらいの素晴らしい福音書です。 日本語(新改訳)聖書は1800ページあります。ひと言で表現すれば、聖書は真の神からの、人類への愛の手紙です。 全聖書66巻を凝縮すれば、ヨハネの福音書3章16節になります。3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。3:16 "For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life. この聖書のことば、ヨハネの福音書3章16節で多くの方を天国の救いに導くことができました。 神学生時代、ヨハネの福音書3章16節を覚えていただけで、殺人事件を起こして大阪を逃亡していた青年を信仰告白へ導き、救われたこの青年は自ら曾根崎警察署へ自主。そして刑務所で服役し、更生しました。 初めて救いに導くことができ、このことが今日までの牧師として務めをはたし、アーメンと言えば救われす!の原点になっています。 また、多くの臨終にある方々と息を引き取る寸前に、ヨハネの福音書3章16節が永遠のいのちをもたらすきっかけになりました。 そしてさらにヨハネの福音書3章16節を凝縮すると、ヨハネの第一の手紙4:8 神は愛です。になります。神はいです。限り合い愛なる神にぜん人類は愛されています今日も愛なる神の愛の手に導かれながら歩める幸いを感謝します。ヨハネの第一の手紙 4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。 4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。 4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。 4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。 4:15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。 4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。 4:17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。 4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。 4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 4:20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。 4:21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
2012/11/05
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「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」 イエス・キリストを信じる人生は、神ともにある人生。マタイの福音書は百獣の王ライオンがシンボル。 ヨハネう福音書は鳥類の王者ワシがシンボル。 クリスチャンンはイエス・キリストとともに、地上では王者のように生きる恵みが与えられている。また、全宇宙ではワシのように天駆ける王者として、永遠にすべ治める権能が与えれている。天においても地においてもすべての権威が与えられているのです。 イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である」(黙示録1:5-6) クリスチャンは、どおどするな!びくびくするな!勝ち得て余りある人生です!ハレルヤ!「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ1:3) 脳には古い脳=動物脳=自律神経を司り、身体をコントロールする機能を持つ脳があります。心拍、呼吸、消化などを無意識に司っています。 人間には新しい脳=人間脳があります。物を考えたり、判断したり、意志、あるいは志を与える使命を持っています。人間が他の生き物と異なるのは、この新しい脳があることです。 神のかたちに象って創られた。古い脳はあたらしい脳に従う。古い脳は反応するだけです。 イエス様は、あなたの信じるようになると教えました。このことを真実に実現するためには言葉にして出すことが近道です。良い口癖(信仰のことば)を口ににすることをお勧めします。すべてのものことばによってできたからです! せっかくだから良い口癖を!否定語、消極的語を捨てて年末まで生きてみませんか。、 苦労話も良い加減に止めて、今日もまた天国の一日です!と朝ごとに、日ごとにい続けましょう。身に着けるためには、継続=定着=自信=確信になるまで、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 退院して院内を歩いていると、背筋を伸ばして!とか、胸を張って!とかの声が天から聞こえてくる思いがしました。 胸を張ることを意識すれば、自然と背筋が伸び、姿勢も正されます。今朝は意識して院内と家の周りを胸を張って、いやされた恵みを感謝しつつ歩いて見ました。 今回は10日目の退院だったので、少しムリがあり先週は熊本と沖縄をキャンセルしただけでなく、月曜日授業も休みました。木曜日授業と金曜チャペルメッセージは語ることができました。 胸を張って姿勢を良くすることは分かっていても、気がつくと背筋が曲がり、猫背になって肩も落ち、いかにも病気上がりですよと、身体でアピールしているように見えます。 昨日の朝は降り注ぐ秋の朝日を全身に浴びて、久しぶりに院内から外を歩き、畑の手入れをしていら方とも挨拶したり、神様からの降り注ぐ天からの祝福を、胸いっぱい頂くような朝のひと時でした。 ヤコブの手紙1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
2012/11/04
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退院して院内を歩いていると、背筋を伸ばして!とか、胸を張って!とかの声が天から聞こえてくる思いがしました。 胸を張ることを意識すれば、自然と背筋が伸び、姿勢も正されます。今朝は意識して院内と家の周りを胸を張って、いやされた恵みを感謝しつつ歩いて見ました。 今回は10日目の退院だったので、少しムリがあり今週は熊本と沖縄をキャンセルしただけでなく、月曜日授業も休みました。木曜日授業と金曜チャペルメッセージは語ることができました。 胸を張って姿勢を良くすることは分かっていても、気がつくと背筋が曲がり、猫背になって肩も落ち、いかにも病気上がりですよと、身体でアピールしているように見えます。 今朝は降ri注ぐ秋の朝日を全身に浴びて、久しぶりに院内から外を歩き、畑の手入れをしていら方とも挨拶したり、神様からの降り注ぐ天からの祝福を、胸いっぱい頂く朝のひと時でした。 これから明日の朝礼拝(学院教会午前10時)と、大阪エリム礼拝(午後2時)に備えてる時を過ごします。 また、今日午後からの沖縄県南城市つきしろゴスペル教会献堂式の祝福を祈ります。ヤコブの手紙 1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。 1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。 1:19 愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。 1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。 1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。 1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。 1:23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。 1:24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。 1:25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。 1:26 自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。 1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。
2012/11/03
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イエス様は祈りについてたくさん教えてくださいました。 まず第一の秘訣は、「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」(マタイ6:8) 全知、全能の愛なる天の父なる神が、お願いする先から必要を知ってくださるというのです。 だから私たちは神様にお願いするとき、ことごとに感謝の心で求めることができるのです。 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピ4:6)とあるとおりです。心配をすするより感謝が先なんですね。すべてのことに感謝することが大切です。心配事が無くなり良かったと言うのではなく、あるがままで感謝できれば最高です。 お願いする先から必要を知っておられる愛なる神に、大胆に求めることは幸いです。 「 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」(マタイ7:7-8) この約束を実際的に体験したのは、20歳の時でした。神学校3年生の夏のことでした。毎日の戸別訪問で靴に穴が開きました。お金もなくだれにも言えず、穴の開いた靴で歩きまわっていました。 あるお家でどうぞお上がりくださいと招かれれました。上がることができず、教会に帰ると跪いて求めました。その夜郵便で靴を買うお金が届きました。その日以来、自分の必要だけでなく、仕事を求める人や、悩みの解決を求める人、様々な求めを持つ方々とともに祈り、必要がことごとく与えられる神の愛の御業を体験し続けました。 今日もなお病の癒しも与えられ、家内ともども健康に守られている恵みが与えられています。 神様。ありがとうございます。イエス様のお名前による祈りに答えてくださり感謝します。 すべてをご存知の愛なる神様に、イエス様のお名前によって求めてください。必ず神様の最善の答えと解決があります。 もう一つ大切なことは、「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません」(マタイ6:123-15) 人を許す心を持つことです。 人はいつも自分が正しいと思っています。だから神様にごめんなさいと言えません。特に人に対してはごめんなさとも言わないし、人を許すことばをだすこともありません。ゆるすよ!でも忘れませんよというくらいが関の山です。人を裁いたり、ゆるさない気持ちのあるままで祈らないで、ゆるす気持ちを持ち祈ることができるよう祈ります。必ず祈りは聞かれること必定です。 「また「立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」7旅を70倍するほどのゆるしの心で、十字架の無限の赦しを受けたことを忘れずに、祈りの答えをいつも受け続けたいものです。今日もまた天国の一日です!ごめんなさい。ゆるします。愛しています。ありがとうございます。感謝します。イエス様のお名前によって祈ります。と素直で率直な祈りを、アーメンと祈り続けましょう。 ヨハネの第一の手紙 5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。 5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
2012/11/02
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自分が小脳梗塞になるなんて考えても見なかった。インターネットで脳梗塞について調べて見ると、以下の様な症状が前兆とあることが分かった。 手や腕の症状としては 食事中に急にハシを落とした ハシがうまく使えなくなった 字がうまく書けなくなった 茶碗を落としたりする足の症状としては 急に足が動かなくなり、立ち上がれなくなった。歩けなくなった。 歩行に際しつまづく 足先がひっかかって階段が上がれない 片方のスリッパが脱げ易い 段差に片足が引っ掛かる まっすぐ歩いているつもりなのに、片側へ寄って行く 足がもつれる 体がふらつく顔面や言葉の症状 口から食べ物をボロボロとこぼす。 顔の半分がゆがんだ(顔面神経麻痺)。 ろれつ困難となり、うまくしゃべれない。 頭の中で分かっているのに、口に出して言えない。目の症状 片目だけ幕がおりるように急に見えなくなった(これを一過性黒内障と言います) 視野の半分が急に見えなくなった 上記のような症状があったら気をつけるよう書かれていた。発見が早ければ直ぐ治るので、気を付ける方が良い。 幸い発見が早かったので退院も早く、今日はひさしぶりに授業で講義することができ、明日は金曜日朝チャペルでメッセージを語れるようになりました。 今日から11月、今月は自動車運転もできずおとなしく院内だけの生活です。脳梗塞予防として散歩を欠かせず、家の周囲と院内を歩くことに止め、それでも昨日は孫の誕生日でもあり、駅前まで3500歩ほど歩き、もう少しで一万歩まで歩くことができた。 じい!大丈夫と幼い5名の孫たちに囲まれ、楽しい夜のひと時でした。イザヤ書 55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。―― 55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 55:10 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。 55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。 55:12 まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。 55:13 いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」
2012/11/01
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