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新年を迎え、あっという間に31日になりました。 この日は主が造られた日。この日を楽しみ喜ぼう。主の恵みは朝ごとに新しく、その真実は絶えることはない。今日も生かされているのは、主の憐れみと愛によると奇跡に感謝しつつ、恵まれた一ヶ月間でした。 年明けに沖縄へ行き、洗礼を受ける家族や久しぶりに出会う方々、教会での集会など聖霊に満たされてながらの奉仕でした。 11日には岐阜純福音教会の礼拝や新年聖会で説教。雪も少なくドライブも快適でした。 12日は、昨年終了生の国際結婚式&披露宴参加。新郎は4月より生駒聖書学院入学で献身者の道を歩みます。 13日より生駒聖書学院3学期始業式。ラジオ放送希望の声2月放送分録音。 猛声祈祷も午前5時30分よりスタート。集中授業や講師接待・・・・など充実した日々が続いています。 3月8日ー14日のイスラエル旅行も、参加者12名が備えられ準備も順調に進み、四ツ星のホテルも確保でき、すべてが守られている幸いに感謝しています。 明日から2月、暦の上では立春を迎えます。2日の月曜日より6日の金曜日まで浜松市舘山寺温泉で大会があり、神学生たちも火曜日より参加します。 お祈りください。2月11日(祭)午前10時30分 ヨベル聖会 院長メッセージ3月6日(金)午前10時 生駒聖書学院卒業式3月8日(日)-14日(土) 聖地旅行3月21日(祭)午前11時 ENO(エリム・ノーブレスオブジュ)の集い 参加費・昼食代 3,000円(豪華弁当)&講師著書;いのちの本音贈呈講師 里深太典紀グッドワーク研究所所長 「自分の病気を克服したいと願うすべての人への熱いメッセージ」 医学的にムリと言われたけれど・・・・ 祈っても、祈ってもらっても直らない・・・・ 失敗ばかりの人生・・・・なぜ?・・・・ 私たちは4つの聖言葉(みことば)で癒される! 2万5千人以上の健康相談を通じ、だれにも納得できることばで語る医学ジャーナリストによる講演の集いです。 参加申込みは、メール:elimyoshi@kcn.jp へ4月13日(月)生駒聖書学院入学式詩篇86:1 【主】よ。あなたの耳を傾けて、 私に答えてください。 私は悩み、そして貧しいのです。 86:2 私のたましいを守ってください。 私は神を恐れる者です。 わが神よ。どうかあなたに信頼する あなたのしもべを救ってください。 86:3 主よ。私をあわれんでください。 私は一日中あなたに呼ばわっていますから。 86:4 あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。 主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。 86:5 主よ。まことにあなたは いつくしみ深く、赦しに富み、 あなたを呼び求めるすべての者に、 恵み豊かであられます。 86:6 【主】よ。私の祈りを耳に入れ、 私の願いの声を心に留めてください。 86:7 私は苦難の日にあなたを呼び求めます。 あなたが答えてくださるからです。 86:8 主よ。神々のうちで、あなたに並ぶ者はなく、 あなたのみわざに比ぶべきものはありません。 86:9 主よ。あなたが造られたすべての国々は あなたの御前に来て、伏し拝み、 あなたの御名をあがめましょう。 86:10 まことに、あなたは大いなる方、 奇しいわざを行われる方です。 あなただけが神です。 86:11 【主】よ。あなたの道を私に教えてください。 私はあなたの真理のうちを歩みます。 私の心を一つにしてください。 御名を恐れるように。 86:12 わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。 86:13 それは、あなたの恵みが私に対して大きく、 あなたが私のたましいを、 よみの深みから救い出してくださったからです。 86:14 神よ。高ぶる者どもは私に逆らって立ち、 横暴な者の群れは私のいのちを求めます。 彼らは、あなたを自分の前に置いていません。 86:15 しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、 情け深い神。 怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。 86:16 私に御顔を向け、私をあわれんでください。 あなたのしもべに御力を与え、 あなたのはしための子をお救いください。 86:17 私に、いつくしみのしるしを行ってください。 そうすれば、私を憎む者らは見て、 恥を受けるでしょう。 まことに【主】よ。 あなたは私を助け、私を慰めてくださいます。
2009/01/31
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神のことばは生きていて力があることを、毎日アーメンと受け止める幸いを経験しています。今朝もチャペルで聖書を読み、神学生たちと賛美し祈り礼拝しました。感謝します。 創世記を読みました。 天使がアブラハムを訪れ、来年の今頃サラには男の子ができていると語りました。それを聞いたサラは笑いました。 「神にとって不可能なことがあろうか」と、言われたときサラは恐ろしくなり、笑ったことを否定しました。 「いや確かにあなたは笑った」と主は言われました。 聖書を読む限りサラが神のことばを聞いた記録はここ一箇所だけです。神のことばは生きていて力があります。そのかみのことばを聞いたサラの人生は変わりました。 アブラハムが信仰の父であるように、サラは信仰の母になりました。今日も神のことばをアーメンと受け止めるとき、あなたの人生に大きな変革が起こります。 主は約束されたとおりにサラを顧みて・・・ 神の約束は必ず実現します。神は15章で「あなたの受ける報いは非常に大きい」と語り、子孫が空の星のように増えると約束されました。 アブラハムはそれを信じて義と認められました。その後、信じきれずに理性の声に従い、失敗しつまずきました。99歳のときアブラハムと改名され、男の子が生まれると約束を与えられました。しかし、「17:17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」と、笑ってしまいました。サラも同じように笑いました! ローマ3:4 絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。それは、「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため。」と書いてあるとおりです。 神様は、不妊で子を宿すことのできなかったサラを顧みてくださいました。 イエス様はあなたのことを心にかけて顧みてくださいます。自分のことなんかだれも分かってくれないと「嘆かないで、イエス様!と主の御名を呼んでください。サラは90歳、人間の可能性は何一つ残されていませんでした。あるのはプライドくらいでした。しかし全能の神は顧みてくださったのです。 仰せられたとおりに=神は言われたとおりに実現してくださいます。ヨハネ3:16 永遠のいのち ヨハネ1:12 神の子ども 詩篇1:1-3 すべてエレミヤ29:11 神の計画 その時期に・・・神のグッドタイミング。全ての業には時があると伝道者の書3章書かれています。3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」 神のみこころにうちに定められたときがあります。神の計画ののときを確信できる人は幸いです。 その名はイサク 笑多君 神様のユーモア アブラハムはひれ伏して笑った。サラも笑った。そして神様も笑った。結果としてイサクが産まれた。 神は人の疑いや不信仰の笑いを超えて、ご自身の約束のことばを実行される。そして神のことばが成るとき、共に笑い心から喜んでくださる。主を喜ぶことは私たちの力です。今日も神の真実を心から喜び笑い、この日は主が造られた日。我らはこの日を喜ぼうと、聖霊による喜びで満たされていこう。 あなたの現実は喜べない、笑えないものであるかもしれない。しかし、イエス様は約束されました。ヨハネ16:20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。16:21 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。16:22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
2009/01/30
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今週は、集中授業のため火曜日から金曜日まで教授接待です。泊り込みの先生と今朝と明朝近くのモーニングサービスへ。お元気な先生で、吉野家の牛丼が大好きだそうで、朝から牛丼の朝食。さすがに同じ牛丼ではなく朝定食で御付き合いです。 昼食は学院食堂で美味しく召し上がっていただき、夜はホテルや自由にとっていただいています。お互いに牧師なので、いろんな相談を受けますが、プライバシーな話題は別として、共通した相談であることが分かります。 その相談の80パーセントくらいが、「自分がどう信じて生きるか」よりも、「自分以外の人をどうしたらよいか」ことばを替えると、「自分以外の人(主人・奥様・子供・親・部下・上司・隣人・教師・牧師等々数限りない回りにいる者)を、どのようにしたら自分の思い通りにできるか」という悩みに尽きるように思います。 自分の悩みは自分以外の人によってもたらされていると思っていると言っても過言ではありません。 だから悩みの大半は本気になればすぐ解決します。悩みを人のせいにしなければ良いのです。まわりの人を自分と同じ価値観にしたり、自分の考えや生き方を押し付けなければ良いだけのことです。自分の生き方に確信を持って、生きれば良いのです。 聖書にこんな話があります。イエス・キリストの復活の朝のできごとです。ペテロたちは漁に行きました。何一つ取れずにいると、湖の岸から船の右に網を下ろしてみなさい。との声が響きます。そのとおりにすると153匹もの魚が網にかかりました。余りに衝撃的だったからその数まで記録されています。 あれはイエス様だ!と叫ぶとペテロは着物を着たまま海に飛び込み、岸辺の焚き火までたどり着きます。 そのペテロにイエス様は、「あなたは愛しますか」と3度も同じ質問をし、「私の羊を飼いなさい。養いなさい。子羊も見守りなさい」と、使命を与えます。 さらにペテロがどのように死を迎えるかを語りました。それを聞いたペテロはすぐ側にいたヨハネのことが気になり、「イエス様。ヨハネはどうなるのですか」と聞きました。 その時イエス様は、「ヨハネが長生きし、たとえ死ななかったとしてもあなたには何の関係もありませんよ。あなたは人のことを考えないでわたしに従ってくれば良いのです」と答えました。 悩みや試練、問題やそのほかのことを誰かのせいにしないで、ありのまま受け入れて、すべてのことを感謝してみましょう。 イエス様にお祈りして、ありがとうございます。悩みは解決しました。感謝します!とにっこり笑ってみたらいかがですか。 あなたの悩みの元だと思っていた人(主人・奥様・息子・娘・嫁・姑・上司・部下・教師・生徒・隣人)もにっこりとほほえみ返してくれるかもしれません。 たとえそうでなくてもこちらはにっこりしているだけですから、何一つ損はしないことになります。お祈りしてにっこり笑ってみましょう。 次に大切なことは悪魔に機会を与えてはいけないことです。エペソ4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 ひどいことや悲惨な出来事が起こるとき、それを一番喜ぶのは悪魔・サタンです。悪魔はあなたが幸せでニコニコしているのが一番いやなのです。 憎しみと敵意のあるところ、不平不満、泣き言、悪口、文句の多いところにだけ悪魔は住むことができるのです。汚い所が悪魔の住処なのです。悪魔は人々の敵意や憎しみの感情が芽生えるようにいつも願っています。 現在の日本の道徳的破壊や殺人事件、経済の混乱、政治家の不正、それをテレビや新聞が大々的に報じ、全国津々浦々までそれを許せないという思いと、いやそれを快適にさえ思い、敵意と憎しみを持っているなら、それをほくそ笑んでいるのは悪魔・サタンと悪霊だけなのです。 悪魔はイエス・キリストの十字架によって滅ぼされました。悪魔に機会を与えてはいけないのです。悪魔の武器はあなたの思いをくらませることだけなのです。欺きが悪魔の手段です。 特にクリスチャンは神の聖霊を与えられ、イエス・キリストが心の中に住んでおられるので、だまされないように気をつけてください。 神から生まれた方、イエス・キリストがあなたを守っていてくださるので、悪魔はあなたに触れることもできないのです。 でも悪魔はあなたの思いを欺くことができます。エペソの手紙に書いてあることをシッカリと気をつけてお守り下さい。 またそのような思いをイエス・キリストの十字架の血によってきれいに洗ってもらいなさい。神様はきれいな人が好きです。きれいな心が好きです。きれいなところが好きです。掃除もきれいにしてみましょう。 最後に、コロサイ人への手紙 3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。 悪魔に打ち勝つ勝利の秘訣の第一は、イエス・キリストの御名です。天においても地においても一切の権威を授けられたその御名によって勝利できます。悪魔に抵抗し、あなたの足の下で悪魔を踏みつけてください。ローマ16:20 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。 イエス・キリストの血とみことばとあなたの証しのことばにより大勝利です。黙示録12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。 悪魔は感謝の心とことばと行いのあるところは嫌いです。すべてのことについて感謝するとき、そこには愛の神のほほえみがあります。 神様に喜ばれることを肯定的に実行してみましょう。 朝、目が覚めて寒くても、暑くても、ハレルヤ!と叫んで飛び起きてみましょう。 今日もまた天国の一日です! すべての事に感謝して、何事が起ころうとも、ありがとうございます。うまく行きました!感謝します!イエス・キリストの御名によって! ピリピ4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 そこから先は神の領域と確信して、光の春をほほえみつつ待ちましょう。
2009/01/29
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「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」(ローマ1:16) 天地創造のとき、地は茫漠として何もなく、やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていました。「光あれ」とのことばで光があり、神は光を良しとされました。21世紀の日本の霊的状態も、茫漠として何もないような状況に見えるとは言い過ぎでしょうか。霊的暗黒が地を多い、政治、経済、教育界とも混沌としています。キリスト教会の現実も宣教150を越えました。 韓国や中国、インドネシアやフィリピン、東南アジアの国々だけでなく、オーストラリアやアメリカ、ヨーロッパの国々、南アメリカやアフリカの諸国からも、キリスト教会で多くの人々が救われている報告が聞こえてきます。 「主よ。私はあなたのうわさを聞き、【主】よ、あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください」(ハバクク3:2)と今年も自らの祈りとしています。 今、日本に必要なのはイエス・キリストの救いです。福音の幅広い宣教です。茫漠とした世界に、神が、光よあれ!とことばを出されたように、イエス・キリストの十字架の福音を率直に語るときが来ています。アーメンと言えば救われるのです。信じるなら誰でも救われます。 昨日、41歳の男性がイエス・キリストを信じ、バプテスマを受けクリスチャンとして生まれ変わりました。 精神的に行き詰っていましたが、教会の礼拝に出席するうちにイエス・キリストを信じる思いが与えられ、生涯をクリスチャンとして生きる決心ができて洗礼式でした。 聖書のルカの福音書の言葉通りの喜びのときでした。 15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」 神のことばは生きていて力があります。天地創造のとき、神が仰せられた。そのようになった。神はそれを見て良しとされたとあるように、福音のことばが語られるとき、救いのわざがなされるのです。 救われたものが、二人でも三人でも主の名において集まるとき、キリストのからだである教会が形成されます。聖霊に満たされた教会が、日本全国津々浦々に誕生するときが来ています。 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」イザヤ6:8 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」ローマ10:13-15
2009/01/28
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寒さのさ中です。そんなとき内村鑑三の「春は来たりつつある」という詩をいつも口ずさみます。春は来たりつつある雪は降りつつあるしかし春は来りつつある寒さは強くあるしかし春は来りつつある春は来たりつつある春は来たりつつある雪の降るにもかかわらず寒さの強きにもかかわらず春は来たりつつある慰めよ、苦しめる友よ汝(なんじ)の艱難(なやみ)多きにかかわらず汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず春は汝にもまた来たりつつある 様々な試練や困難、健康のことやお金のこと、人間関係やどうしてか分からないようなことも起こってきます。 しかし、冬来来たりなば、春遠からじ!で、春はもう来たりつつあるのことばが響きます。 出口のないトンネルはありません。そのトンネルを立てて見ると、どんなに出口が見えないような長いトンネルでも、しっかりと光が差し込んできます。 長い忍耐が必要なこともあります。でも朝の来ない夜はないように、また夜明け前が一番暗いように、どんな試練や困難にも必ず解決や勝利が与えられます。 聖書のことば生きていて力があります。本音でアーメンと同意するとき、聖書のことばを体験することができるのです。詩篇84:1 天の神様。 あなたの神殿の美しさには、全くほれぼれいたします。 84:2 この神殿の内庭に入り、生ける神様のおそば近くに出ることを、私は夢にまで見ているのです。 84:3 雀やつばめでさえ、祭壇の回りに巣を作らせてもらい、ひなを育てています。 天の神様。私の王様。 84:4 神殿に住めて、常にあなたを賛美できる人は、なんと幸せなことでしょう。 84:5 神様から力をいただき、神様に従って歩むことを最優先したいと願う人は幸いです。 84:6 そんな人には、涙の谷も、祝福のわき出る泉となるでしょう。 84:7 彼らはいよいよ溌剌としてシオン(エルサレム)に向かい、一人ずつ呼ばれて、主にお目どおりを許されるのです。 84:8 ああ神様、私の祈りを聞いてください。 84:9 私たちを守る盾であられる神様、あなたが油を注いでお立てになった王をあわれんでください。 84:10 あなたの神殿で過ごす一日は、よそで過ごす千日よりもすばらしいのです。 悪の宮殿に住むよりは、神の家の門番になりたいと思います。 84:11 神様は、私たちの光であり、守り手であるからです。 神様は恵みと栄光を下さる方であり、ご自分の道を歩む者に、良いものを出し渋ったりはなさいません。 84:12 天の神様に信頼する人は幸いです。
2009/01/27
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昨日は富雄キリスト教会の礼拝で説教しました。 キリスト教の本質は、イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じるとき救われます。それ以上でもそれ以下でもありません。信じてバプテスマを受ける者は救われるとの約束にアーメンです。 イエス様は、「あなたがたが信じて求めるものなら、何でも与えられます」(マタイ1:22)と約束されました。信じて祈るなら聞かれる!与えられる!幸い、ありがたいですね。 説教が終わると、「ありがとうございます。直りました。感謝します」と、お祈りしたら足の痛みが直りましたと、美しく輝くお顔でほほえみながら話してくれました。 神様のお祈りを聞いてもらえただけでも幸いです。イエス・キリストお名前により祈るとき、どんな願い事もかなえられると聖書は約束しています。 心配しないで何事も感謝しながら願いを、「イエス・キリストのお名前によってアーメン」と祈れることは何と幸いなことでしょう。 祈ったら必ず忘れないで、「ありがとうございます。願いを聞いていただきました。(答えられました。与えられました。直りました)感謝します!」と告白してください。 自分の持っていた悩みが、閉じ込められていた鳥が自由になって大空に羽ばたくように、悩みも試練も問題も神様の愛の御手にお任せするのです。 本気で祈ったら問題のさ中にあっても平安が心を支配します。不安が残っているときは、まだ問題を自分でつかんでいて、手放していない証拠です。 全能の愛なる神様の御手にすべてをお任せし、平安な心で取り組んでみてください。そこにすばらしい奇跡の働きを見ることでしょう。 今日もまた天国の一日です!幸せを祈ります。ペテロの手紙第一5:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。 5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。 5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
2009/01/26
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今日は一月最後の日曜日なので、富雄キリスト教会礼拝に出かけます。 富雄キリスト教会は、奏楽(ピアノ・ドラム・ギター4人・クラリネット2人。キーボード)者と賛美リーダーもあり、そのうちにオーケストラ演奏の礼拝になるのではと楽しみです。 今年になって、ギターを奏するお兄ちゃん(小学3年生)のとなりで4歳の妹が大きな声で賛美するようになり、それを見習って3歳の孫も前で歌うようになりました。 小さな可愛い歌声に、礼拝が盛り上がり、いやしの天使のようだと礼拝が和み、集まりも増えてきているようです。二人の小さな天使の歌声を聞くのを楽しみに礼拝へ出かけます。 今日のメッセージは、信じる祈りで幸せに生きようと題して語ります。 マタイ21:21-22 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます」 祈りに信仰は欠かすことはできません。ですから第一に、ごく小さなからし種のような信仰が育つことを祈ってください。 マタイ 17:20 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません」 からし種がすばやく育ち、花開くように祈るとき祈りは力を得て、すばらしい効果を発揮するようになります。アーメン!ハレルヤ。 具体的に祈ること マルコ10:51-52 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか」「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」 収入が劇的に増えることや、驚くほどにすばらしい人間関係など何でも。毎日の祈りの中で、偉大なことを祈って欲しい!失望させるものを目にするたびに、それが奇跡的に変化して大きな幸いとなるように祈ってみましょう。 具体的に祈ることを決めたら、気持ちをこめてそれを心臓(ハート)の中心、胸のど真ん中(腹の底から)から祈ることです。 頭(理屈)で考えているだけでなく、本音で祈るとき不思議な奇跡的出来事が起こり始めます。 すばらしい自動車、美しい人間関係、結婚や就職、世界旅行、生活安定、自分にとって大事なこと、本音で必要なことを祈るのは、神の愛の約束に誠意を表す祈りなのです。 祈りをするときは自然に任せて、にっこり微笑み、自然に大きくアーメンと、祈りを優美な翼に乗せて、小鳥のように天に向けて羽ばたかせよう。 もし胸に不安感が残っているなら、問題をまだ手放していない証拠です。祈るとは、問題や試練をいと高き神の愛の手に委ね安心して、天からの答えを期待することです。 人格の変化を頻繁に祈ろう。真に賢く愛にあふれ、偉大な御霊の実に満たされ、喜びと感謝を惜しみなく与えるようも祈ろう! 全ての祈りを、イエス・キリストの名によりお祈りします。アーメン。 そして必ず、ありがとうございます。答えられました。感謝します。ハレルヤ!と感謝のことばを宣言してみてください。イエス・キリストの約束のことばヨハネの福音書14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
2009/01/25
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一番最初に聞いた聖書のことばは、マタイの福音書のことばでした。 「それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(16:24-26) 15歳のときでした。すごいと思ったのは、「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう」とのことばでした。 その全世界よりも尊いいのちが滅びて地獄に落ちないように、イエス・キリストが自分のいのちを十字架に身代わりとして死んでくださった! それまでに愛されている幸いを知り、16歳でアーメン信じます!と、イエス・キリストを心にお迎えし、バプテスマを受け手クリスチャンになりました。 イエス・キリストを信じる人生は、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」 今までの自分を捨てて、イエス・キリストに従う生活に変わることです。 「だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。 また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます」(マタイ16:16-17) と、イエス・キリストは教えました。イエス・キリストを信じる人生は、今までの生き方につぎはぎする倫理道徳的な生活ではありません。新しく生まれ変わった人生を生きることです。 新しいぶどう酒を古い皮袋に入れると、皮袋は裂けて、ぶどう酒は流れ出てしまい、両方ともダメになってしまいます。 イエス・キリストを信じることは、新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるようなものです。新し人生を活き活きと生きる生活なのです。 問題に出会ったり、試練に直面しているなら、古い自分を捨ててみることです。今までそんなことは考えてみたことも、やったこともないと古い自分(古い皮袋)に固執しないで、古いものは過ぎ去ったんだ。新しい自分(新しい酒)に変えられたんだ!と、聖霊に信頼して自我を捨てると、新しい展開が開かれます。 ようするに全ての問題は、ほかの誰かのせいにしている限り本質的な解決はありません。自我を捨てて物事に対処すると、すべてのことが急展開していきます。 不可能は挑戦となり可能となるのです。自己主張ばかりしないで、時には自分を捨てて対処してみましょう。 夫婦生活も親子関係も、職場や学校での人間関係にも奇跡が起こること請け合いです。 今日もまた天国の一日です! 天国はイエス・キリストとともに生きる国です。クリスチャンはすでにイエス・キリストとともに死んだ(バプテスマを受けた)者です。 自我を捨てて新しい祝福(天国の幸い)を生きる一日を祈ります。ローマ人への手紙(リビングバイブル訳)6:1 では、神様がますます私たちを恵み、赦し続けることができるように、私たちは罪を犯し続けるほうがよいのでしょうか。 6:2 -3もちろん、絶対にそんなことはありません。 罪を犯さないでいられるようになったのに、なおも罪を犯し続けてよいでしょうか。私たちがクリスチャンになり、バプテスマ(洗礼)を受けてキリスト・イエスの体の一部となった時に、罪の支配力は打ち破られてしまったのです。 すなわち、キリスト・イエスの死によって、あなたがたの罪深い性質は打ち砕かれ、力を失ったのです。 6:4 罪を愛する古い性質は、キリスト様が死なれた時、バプテスマによって、キリスト様と共に葬り去られました。 そして、父なる神が、栄光の力でキリスト様を復活させてくださった時、あなたがたは、キリスト様のすばらしい新しいいのちを与えられ、そのいのちに生きる者となりました。 6:5 あなたがたはキリスト様の体の一部として、キリスト様が死なれた時、いわば、いっしょに死んだのです。 そして今は、キリスト様の新しいいのちをいただいており、やがてキリスト様と同じように復活するのです。 6:6 あなたがたの古い邪悪な欲望は、キリスト様といっしょに十字架につけられました。 罪を愛する部分は、打ち砕かれ、致命傷を負いました。 それは、罪を愛する体が、もはや罪の支配を受けず、二度と罪の奴隷にならないためです。 6:7 罪に対して死んでしまえば、どんな罪の誘惑や力からも自由にされるはずだからです。 6:8 罪を愛する古い性質が、キリスト様といっしょに「死んだ」のですから、確かにあなたがたは、キリスト様の新しいいのちを共有しているのです。 6:9 キリスト様は死人の中から復活し、もう二度と死ぬことはありません。 死には、もはやキリスト様を支配する力がないのです。 6:10 キリスト様は、罪の力にとどめを刺すために、ただ一度死なれました。 しかし今では、神様との絶えることのない交わりの中に、永遠に生きておられます。 6:11 ですから、あなたがたの古い罪の性質を、罪に対して死んだもの、反応しなくなったものとみなしなさい。 そして、その代わりに、私たちの主イエス・キリストによって、神様に対して生きる者、敏感に応答する者となりなさい。ガラテヤ人への手紙2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。リビング訳 2:20 私はキリスト様と共に十字架につけられました。 もはや、私自身が生きているのではありません。 キリスト様が、私のうちに生きておられるのです。 私のためにご自身をささげてくださった神の子を信じた結果、今、私の体のうちには、ほんとうのいのちが与えられています。
2009/01/24
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昨夜、アンビリバボーというテレビの番組を途中から見ました。 デューイ ―町を幸せにしたねこの物語 凍りつくような寒い1988年のある日の早朝、図書館の館長ヴィッキーは、本の返却ボックスのなかで、ぐったりしている子ネコを見つけ増した。凍えて死にそうになったネコ・・・アメリカの一地方の小さな町で起きた実話です! 赤茶色のフサフサした毛の、つぶらな瞳の子ネコは、このあと無事救い出され、そのまま、ここアイオワ州のスペンサーという町にある公立図書館に住むことになり、「図書館ねこ」として地域の人々に愛されます。 人が大好きな、「デューイ・リードモア・ブックス」と名づけられたこの子猫は、図書館に来る人々に挨拶してまわったり膝にのったりと、いつのまにかデューイ目当てに遠方から来る人も増え、その人気はアメリカ全体から世界へと広がっていきます。しかしなんといっても、図書館に勤めるスタッフとデューイの日々の交流が暖かく、やげて不況の町スペンサー全体を活気ある町へと変えていく感動の番組でした。 2006年に19年間生きたデューイは死にましたが、人間だと90歳近く生きたたことになるそうです。 図書館ネコ「デューイ」と言う日本語訳の本もあるので、読んでみたいなとも思いました。 つぶやかず、疑わず、不平や不満もなく生きることは、厳しい現実の中で不可能に思えますが、不可能はチャレンジとなり可能となります! 今日も天国の一日です!天国のことばを話しつつ、多くの愛と慰めを世界に広げていきたいものですね。 ありがとうございます!今日もまた天国の一日でした!感謝します!詩篇(リビングバイブル訳) 37:1 悪者をうらやんではいけません。 37:2 しょせん、草のようにあっという間に枯れ、消え失せる存在なのですから。 37:3 神様を信頼して他人を思いやり、親切にしてやりなさい。 そうすれば、この地に安住し、成功を収めることもできます。 37:4 神様を喜びとしなさい。 神様は心の願いをみな、かなえてくださいます。 37:5 自分のしようとすることをみな、神様にゆだねなさい。信頼する者を、神様は助けてくださいます。 37:6 あなたの潔白はだれの目にも明らかになります。 神様は、真昼の太陽のようにまぶしい正義の光をあてて、弁護してくださいます。 37:7 すべてを神様にゆだねて、大船に乗った気でいなさい。 神様が立ち上がられるまで忍耐して待つのです。 悪者どもの繁栄ぶりをねたんではいけません。 37:8 怒るのをやめ、憤りを捨てなさい。 くよくよ思い悩んではいけません。 自分が傷つくだけです。 37:9 悪者は滅ぼされますが、神様に信頼する者には祝福が降り注ぐのです。 37:10 もうしばらくすれば、どれほどひとみをこらそうと、悪者の姿は見あたらなくなります。 37:11 一方、神様の前に謙そんになる人は、ありとあらゆる祝福を受け、ここちよい平安にひたるのです。 37:12 -13神様は、ご自分を信じる人を陥れようとたくらむ者を一笑にふされます。 彼らのさばかれる日が近いのをご存じだからです。
2009/01/23
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娘と映画を鑑賞した。 人類が体験したことがない新型ウイルスが原因で起こる、感染拡大の恐怖と闘う人々の姿を描く、感染列島という映画でした。 あらすじは、救命救急医の松岡剛(妻夫木聡)のもとに1人の急患が運び込まれた。患者は、高熱、けいれん、吐血、全身感染を併発する多臓器不全を起こしており、これは人類が初めて遭遇するウイルスだった。 画面は、新型ウイルスの爆発的な伝播が現実の社会や人々に、どのような影響を与えるかをリアルなアプローチで問い続け、救命救急医役の妻夫木聡をはじめ、檀れいら実力派キャストが集結。ウイルスと人類の戦いという絵空事ではないような映画でした。 今、日本列島を政治の腐敗や経済不安、教育や道徳の低下、不正や偽装などのウイルスが席巻しているような時代です。何とかしてこの国が正義と公正の国になるよう、戦前苦く戻りするのではなく、平和憲法を守り主権在民の国になるよう祈ります。 イエス・キリストを信じるキリスト教精神が、聖霊により日本列島を覆うよう今日もできる限りの福音宣教を願っている。 イエス・キリストの十字架の愛の広がりが、世界中に豊かになるよう! 今日もまた天国の一日です!コリント人への手紙第二5:13 -14自分のことをこのように言うとは、気が狂っているのでしょうか。 もし気が狂っているとすれば、それは神様の栄光のためです。 もし正気であるなら、あなたがたのためです。 確かに、私たちは何をするにしても、自分の利益を求めるのではなく、キリスト様の愛に動かされて、しているのです。 キリスト様が私たちすべてのために死んでくださったことを信じる以上、自分が、今までの古い生活に対して死んだことも信じなければなりません。 5:15 キリスト様は、全人類のために死んでくださいました。 それは、キリスト様から永遠のいのちをいただいて生きる人がみな、もはや自分を喜ばせるためではなく、自分のために死んで復活されたキリスト様に喜ばれるように生きるためです。 5:16 ですから、世間の評判や、外見の良し悪しで、クリスチャンを評価するのはやめなさい。 以前、私は、その誤った考え方で、キリスト様のことを、単に自分と同じ人間とみなしていました。 しかし今では、その考えは一変しました。 5:17 だれでも、クリスチャンになると、内側が全く新しくされます。 もはや今までと同じ人間ではありません。 新しい人生が始まったのです。 5:18 この新しい出来事はすべて神様から出ています。 神様は、キリスト・イエスのお働きによって、私たちをご自分のもとに連れ戻してくださいました。 そして、この恵みによる神様との和解を、すべての人に勧める特権をも、私たちに与えてくださったのです。 5:19 つまり、キリスト様によって、この世をご自分と和解させ、その罪を数え立てずに、かえって、帳消しにしてくださったのです。 これが、人々に伝えるようにと私たちにゆだねられた、すばらしい知らせです。 5:20 私たちはキリスト様の大使です。 神様が、私たちの口から語りかけるのです。 あたかも、キリスト様がここで懇願しておられるかのように、お願いします。 どうか、せっかく差し出された愛を拒まず、神様と和解してください。 5:21 というのは、神様は、罪のないキリスト様に私たちの罪を背負わせ、それと引き換えに、私たちに恵みを注いでくださったからです。
2009/01/22
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オバマ新大統領が就任演説、国民に米国再生への協力促す1月21日3時30分配信 CNN.co.jp(CNN) 米民主党のバラク・オバマ前上院議員(47)は20日正午(日本時間21日午前2時)過ぎ、ワシントンの連邦議会議事堂で宣誓後、就任演説し、米国の現状について危機のまっただ中にあるがこれを克服し、将来も繁栄した強い国家であり続けるとの決意を表明した。 新大統領はこの中で、米国は戦時下にあり、経済は弱体化し、短期間で解決出来る問題ではないと国民の理解を求めた。その上でこれらの問題は必ず解決出来るとして米国民に奮起を促し、米国再生へ共に取り組むよう呼び掛けた。 経済問題では、景気刺激のための大胆かつ迅速な行動が必要と強調。政府の活動については、機能するかどうかが重要な問題であるとの認識を示した。 また、対テロ戦争の主戦場と位置付けるアフガニスタンの平和構築に全力を注ぐと主張。多宗教を尊重し、相互利益や敬意に基づきイスラム社会との新たな関係構築への希望を述べた。友人やかつての敵と協力しながら「核の脅威」のない国際社会を目指すとの考えも強調した。 イラク問題では、駐留米軍の撤退は責任ある形で進めるとも言明。地球温暖化の進行を押しとどめる決意も述べた。 米国が直面する試練や打ち出す対応策は新しいものかも知れないとしながらも、成功を生み出す勤勉、正直、勇気、忍耐、好奇心、忠誠や愛国心などの美徳は昔ながらのものとし、真実でもあると強調。米国の歴史を通して進歩を生む源の力にもなったとして、現在の試練に立ち向かうにはこの力が今こそ必要であると国民に呼び掛けた。 今朝の午前2時に目覚め、バラク・オバマアメリカ新大統領がリンカーン大統領愛用の聖書に手を置いて、就任の誓約を見ました。 その後、アメリカ発の黒人大統領への期待を待つアメリカ国民と、衛星中継で見入る全世界の前で19分間の演説に耳を傾け、朝5時までの短い眠りで、今日もまた天国の一日です!と元気よくスタートの一日です。 恐れと不安に満ちる世界を真に変えるイエス・キリストの救いを、聖霊に満たされて伝え続けようと決意する朝の祈りと礼拝のときでした。イザヤ書43:18 先の事どもを思い出すな。 昔の事どもを考えるな。 43:19 見よ。わたしは新しい事をする。 今、もうそれが起ころうとしている。 あなたがたは、それを知らないのか。 確かに、わたしは荒野に道を、 荒地に川を設ける。 43:20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、 わたしをあがめる。 わたしが荒野に水をわき出させ、 荒地に川を流し、 わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。 43:21 わたしのために造ったこの民は わたしの栄誉を宣べ伝えよう。
2009/01/21
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ラジオ放送希望の声メッセージ さあ、目を上げて さあ、目を上げて、あなたがいるところから北と南、東と西を見渡しなさい。 (創世記13:14) 大きな期待に、喜びに、心躍る毎日をお過ごしでしょうか。信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1) 信仰とは、望んでいることがらを、目に見えないものを、目標として設定することです。ビジョンをもつとは、信仰の目を上げて見ることです。 私たちは自分を見つめ、周りを見、横を見、下を見ます。そして、つぶやいたり、不平を言ったり、つまずいたりするのです。しかし、聖書は、「さあ、目を上げて、見渡しなさい」と勧めています。そうです!目を上げて、父なる神を見るのです。イエス・キリストを見ることが大切です。 ある時、キリストの弟子たちが船に乗って、ガリラヤ湖をこぎ渡ろうとしました。ところが途中で大風になり、船は波にのまれて、沈みそうになりました。その時、キリストは波の上を歩いて、弟子たちの船へと近づいてきました。弟子たちは幽霊だとおじ惑いましたが、キリストが「わたしだ。恐れることはない」と語りかけられました。 それを聞いた弟子の一人ペテロは、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と言ったのです。「来なさい」と言われたペテロは、波の上に足を下ろし、歩きだしました。ところが、彼はすぐキリストから目を離し、波を見てしまいました。その瞬間、ペテロは沈みかけ、「主よ。助けてください」と叫んだのです。 ペテロが主を見つめた時、嵐の海をさえ、歩くことができました。しかし、キリストから目を離した瞬間、沈みかけたのです。 今日、あなたは何を見つめて生きておられますか?自分の弱さや人の欠点、問題や悩みだけを見つめているのなら、沈んでしまいます。 さあ、目を上げて、神を信じなさい! 困難があり、悩みや戦いがあっても、その中から見上げる時、勝利は輝くのです。ペテロがキリストを見つめた時、嵐の海を歩くことができたように、あなたが今いる所で目を上げて信仰をもつなら、あなたも勝利者になれるのです。 もう一つは、北と南、東と西を見ることです。つまり、狭く見るのではなく、広く見ることです。大きく見ることが祝福をもたらすのです。今日、人のあら探しばかりしてはいませんか?自分の欠点ばかり見つめていませんか? 信仰なしに、ビジョンはありません。信仰なしに、祝福も成長もありません。信仰は「未来を先取りする」ことです。できると信じる心、できると考えることです。イエス・キリストは死にさえ勝利してよみがえられました。このイエス・キリストを信じる信仰こそ、世界で最も大きな力です。 ある種のハチは、羽の面積や空気の振動数などを調べると、力学的には飛行不可能のはずなのに、現実には平気で飛んでいるそうです。飛べないはずのハチが、現実には飛んでいるのです。面白いことですね。 あなたが、自分の現実や弱さを嘆いている間は、何も起こりません。しかし、イエス・キリストを信じて、できると信じるなら、何かが始まるのです。それが、神によって与えられた幻であれば、達成不可能と思える目標にも、信じることによって、到達できるのです。 イエス・キリストは、今日も生きておられる神です。信じる者に、大きな希望と目的を与えてくださる救い主です。あなたの心と体に、救いと解放を与え、あなたの人生を成功に導いてくださる勝利の主です。 いかがでしょうか。今日、あなたもイエス・キリストに、あなたの人生をゆだねてみませんか?そして、大きな希望をもって、人生を生きてください。 あなたの人生は変わります。無限の可能性があなたの前に広がり、開かれていくことでしょう。今の状態がどんなに惨めであっても、行き詰まっていても、必ず大きな祝福の門が開かれていくことでしょう。今夜より大阪エリムのリバイバル集会が、水曜より火曜日に変更なります。ぜひ毎週火曜日午後7時の集会へご参加ください。
2009/01/20
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先週は岐阜県各務原市の教会で礼拝と新年聖会でした。今年初めて会う教会員もあり、昨日はまだ正月の雰囲気が残る楽しい礼拝!感謝と幸いあふれるときでした。 朝9時の一部礼拝。少人数でみことばと賛美のときを過ごし、10時の学院教会(インターネット礼拝)メッセージ。 雨の中を大阪エリムへ、日曜日は高速料金もマイナス140円。すいているので少し早く着きコイン駐車場へ。日曜日も時間300円がいつも備えられているので感謝。 夕方はいつもより早く堺エリムへ。近所の花屋さんが結婚式の花を宣伝するため、キリスト教会内の式を撮影するため礼拝前に式場を設定し、牧師の司式もとのことでガウンを着け協力する。 撮影後、5名の方が礼拝に残り、イエス・キリストを信じる祈りをともにしてくださる。 帰宅するとメールに富雄キリスト教会の礼拝写真が入っており、小さな天使の歌声にいやされる!とのコメント。 三歳と四歳の女の子が可愛い表情で楽しそうに歌い、奏楽はギター片手の三年生のお兄ちゃん。みんなのほほえましい顔が目に浮かびます。 礼拝には中国から帰って来た方や、中国人、台湾人、韓国人や在日の方々の顔も多く、また数年前初めてクリスト教会の出席し、イエス・キリストを信じてバプテスマを受けた女性の参加もあり、幼子から高齢(87歳)まで、大賑わいの日曜日でした。 今日は午前中チャペル、オリエンテーションと授業と続き、今日もまた天国の一日です!と、元気に充実のときを過ごしています。詩篇指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデの賛歌 4:1 私が呼ぶとき、答えてください。 私の義なる神。 あなたは、私の苦しみのときに ゆとりを与えてくださいました。 私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。 4:2 人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、 むなしいものを愛し、 まやかしものを慕い求めるのか。 セラ 4:3 知れ。【主】は、 ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。 私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる。 4:4 恐れおののけ。そして罪を犯すな。 床の上で自分の心に語り、静まれ。 セラ 4:5 義のいけにえをささげ、【主】に拠り頼め。 4:6 多くの者は言っています。 「だれかわれわれに 良い目を見せてくれないものか。」 【主】よ。どうか、あなたの御顔の光を、 私たちの上に照らしてください。 4:7 あなたは私の心に喜びを下さいました。 それは穀物と新しいぶどう酒が 豊かにあるときにもまさっています。 4:8 平安のうちに私は身を横たえ、 すぐ、眠りにつきます。 【主】よ。あなただけが、 私を安らかに住まわせてくださいます。
2009/01/19
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創世記49:22 ヨセフは泉のそばの実り豊かな木だ。 その枝は伸びて垣根をおおう。 49:23 一度は、迫害する者に矢を射込まれ、ひどい手傷を負った。 49:24 だが、力あるヤコブの神様、イスラエルを守る羊飼い、また岩である方のおかげで、みごと敵を打ち負かした。 49:25 先祖代々お頼りしてきた全能の神様が、天の恵みと地の恵みをもって、おまえを祝福なさるように。 大勢の子孫に恵まれ、 49:26 山々には穀物と花が満ち、永遠に変わらない祝福があるように。 これが、かつて兄たちから追放されたヨセフの受ける祝福だ。祝福に定められた人生 あなたの人生も神の祝福の中にあります。天地万物創造の前にあなたは神の愛に選ばれていました。母の胎内に形造られる前に、祝福に定められていました。その大きな愛と選びを信頼するとき、もう過去を悔やむことはありません。 イエス・キリストの十字架により全ての罪や咎や過ちは赦され、その血潮に洗われて雪よりも白い心になり、神の子とされ永遠のいのちを与えられました。 ハレルヤ!今日も天国の一日です! イエス・キリストを信じる人生は、幸いで祝福された歩みです。詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。1:3 そのような人は、川の土手に植えられた木が、毎年欠かさず甘い実をつけるのに似ています。 その葉は決して枯れず、することなすこと、みな栄えます。 エレミヤ書17:7 【主】に信頼し、【主】を頼みとする者に祝福があるように。 17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。17:7 だがわたしを頼りとし、わたしを望みとする者は、祝福される。 17:8 彼は川の土手に沿って植えられた木のように、深く張った根で川から直接水分を吸収するので、暑さにもしおれず、長いかんばつでも弱らない。 葉はいつも青々と茂り、みずみずしくおいしい実をつける。 試練に直面した。試練は神様がこの人は大丈夫と信頼した人に与えられる恵みです。一度は、迫害する者に矢を射込まれ、ひどい手傷を負った試練の人生でした。 兄たちに憎まれ妬まれてエジプトへ奴隷として売られ、ヨセフは主人の家の仕事をさせられましたが、いつも神様が助けてくださるので、何をしてもうまくいくのでした。ポティファルの目にも、神様がヨセフに特別よくしておられることは明らかでした。おかげで、ヨセフは主人の気に入り、家の管理、財政を任されるようになりました。すると、どうでしょう。 神様がヨセフによくなさるので、ポティファルの家も祝福され、仕事は万事スムーズに運び、収穫も、羊の群れも増える一方でした。 試練の中でも回りに祝福を及ぼすことができる幸い!今日もまた天国の一日です!と告白するとき恵みが輝きます。 妻の讒言で牢獄の中へ・・・事態はさらに悪くなりました。ヨセフが主人の妻を誘惑しようとしたと訴えられ、主人は真相をよく調べもせず、すぐさまヨセフを捕らえ、牢に放り込んでしまいました。 王の囚人が入れられる牢です。 しかし、神様は牢の中でさえヨセフとともにいて、何かにつけてよくなさるのでした。それで、ヨセフは看守長のお気に入りになりました。 この男なら大丈夫と見抜いた看守長は、やがて、牢内の管理をいっさいヨセフに任せることにしました。 囚人全員のめんどうをヨセフが見るのです。それからというもの、看守長は何の心配もなくなりました。 万事ヨセフが取り仕切ったからです。 神様がついておられるので、何もかもスムーズに事が運ぶのでした。さらに、牢獄の中で夢を解き明かしてもらった献酌長官は、ヨセフのことを2年間も忘れていました。パロの夢の解き明かしのため牢獄を出されたとき、ヨセフは30歳でした。逆転の人生 アセナテと結婚し二人の息子が産まれるマナセ=神がすべての労苦と私の父の全家を忘れさせた。創世記41:51エフライム=神が私の苦しみの地で、私を実り多いものとされた。41:52 この二人の息子の名前にヨセフの喜びがある。一つは忘れる恵み、恨み、つらみ、憎しみ、妬みを越えて赦す幸いをヨセフは実行しました。食物を買いに来た兄弟と会ったヨセフは、「さあさあ、そんな所にいないで、ここへ来てください。」 そう言われて、一同はそばへ寄りました。 「お忘れですか。 ヨセフですよ。 あの、エジプトへ売られた弟ですよ。だけど、そのことで自分を責めないでください。 何もかも神様のお取りはからいだったのです。 私がここへ来るようにしたのも、ほんとうは兄さんたちでなく神様なのです。 こんなふうに兄さんたちを助けることができるようにしてくださった。もうこれで丸二年もききんが続きましたが、まだまだ収まりませんよ。 あと五年はこのままです。 その間は、種まきもできないし、収穫もありません。それでも私たち一族が滅びず、やがて大きな国になることができるように、神様が私をここに遣わされたのです。そうです。 決して兄さんたちのせいではありません。 神様のお導きです。 神様は私を王の顧問にし、この国の総理大臣にしてくださいました。父の死後なおも恐れる兄たちは、ヨセフに手紙を出しました。 「実は、父さんが死ぬ前に、言い残したことがあるのです。 われわれとあなたの仲を心配して、過ぎたことは水に流すよう言ってくれ、それだけが気がかりだ、ともらしていました。 われわれはあなたの父の神様に仕えるしもべです。 どうぞ、昔のことは赦してください。」 ヨセフは手紙を読むと激しく泣きました。兄たちも気が気ではなく、わざわざ出向いて来ました。 「手紙でも申し上げたとおり、われわれはあなたの奴隷です。」 そろってヨセフの前にひれ伏し、恐る恐る言いました。ところが、ヨセフの返事は意外でした。 「そんなにこわがらないでくださいよ、兄さん。 私だって神様じゃないんですから、さばくの罰するのと大それたことなんかできません。そりゃあ、あの時は、ずいぶんひどいことをするもんだって思いましたよ。 でも、そのおかげで、家族みんなが助かったじゃありませんか。 悪意から出たことでも、神様はちゃんと良いことに役立てられるんです。 私のような者が今日あるのもみな、神様の深いお考えがあってのことだったのです。 たくさんの人のいのちを救うためなんです。だから、心配なんかしないでください。 兄弟じゃありませんか。 今後のことは万事お任せください。 悪いようにはしませんよ。」 なんというやさしいことばでしょう。 もう心配はありません。 豊かに祝福される人生は、愛と赦しのあるところに常に注がれます。厳しい状況にあるとき、神の真実を覚え信じ信頼して進みたいものです。今日もイエス・キリストの十字架の元で、みことばと聖霊に満たされ変革とチャレンジに輝いて生きる、天国の一日を祈ります。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
2009/01/18
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あっと言う間に一週間が過ぎ、今日もまた天国の一日です!と、土曜日朝を迎えました。元旦礼拝後、4日は新年礼拝、5日より沖縄を走り回り、奇跡的な出来事や不思議な体験を聞く、暖かくすばらしい出会いのときでした。 11日の礼拝は、各務原市の岐阜純福音教会礼拝と新年聖会説教。カーナビに従わないで迷ったりしましたが、名神九速道路をスイスイ往復、恵まれた日曜日でした。 12日は、淀川栄光教会で昨春終了した韓国伝道師の結婚式。日本人の新郎で国際結婚、式も披露宴にも韓国語の通訳付きのバイリンガル。新郎は4月から生駒聖書学院入学で,二人とも牧師としての道を歩みます。 13日より生駒聖書学院3学期スタート、3月6日の卒業式までの短期間ですが、仕上げの学期です。朝の祈り会もスタートし、チャペルも元気になりましたが、インターネット配信がうまく行かず、アクセスすうる方々に迷惑をかけています。 昨日は3月19日(木)大阪上本町都ホテルでスタートするENO会の打つ合わせで、コンサルタントを訪問。様々なよいアドバイスを受け、帰りには健康食品の土産までいただき、これを使えば元気百倍若返りますとのこと。 今日も明日への準備とときですが、入院中の方お二人を見舞うことができればと思いつつの天国の朝です。 豊かな収穫を得る秘訣 創世記26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】が彼を祝福してくださったのである。 種を蒔くと喜びの収穫がある詩篇26:5-6 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。喜んで仕えることが偉大な人生。自分の仕事を愛している。働くとは、はたを楽にすること。そこから何がもらえるかではなく、そのことをとおしてどれだけ幸せを与えることができるか考えると楽しい。そのことが好きだと思うと、人の評価に関係なく喜んで働くことができる。仕事を肯定的に受け止めるとき、可能性は限りなく広がる。詩篇51:12 あなたの救いの喜びを私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。 豊かに蒔くとき豊かな収穫がある第二コリント9:6-10 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 全てが益になると神に信頼するとき豊かな収穫があるローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 全能の神に委ねて心配しないで感謝するとき豊かな収穫があるマルコ4:26-29 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです」
2009/01/17
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連日、イスラエルのガザ地区への攻撃ニュースが流れています。爆撃や戦争の愚かしさを人類はいつの日に止めるのでしょうか。 天には栄光が、地には平和がとイエス・キリストの誕生のとき告げられた天使の声が、全世界に実現する日を祈ります。 天の父なる神様。御名があがめられますように! 御国が来ますように。 みこころが天で行われるよう、地でも行なわれますよう! 有名な主の祈りを祈るとき、いつも宣言しています。ありがとうございます。御名が崇められました。感謝します。ありがとうございます。みこころが天で行なわれました。感謝します。ありがとうございました。みこころが地でも行なわれました。感謝します! その祈りが最初にささげられたイスラエル聖地旅行を計画したとき、最初の旅行社の見積もりは45万円+7万円(オイルチャージャーや入出国税等)でした。余りにも高すぎるので交渉すると貧乏人は案内しないとのこと。キャンセルしました。 いつもアフリカ航空券を手配する旅行社からの見積もりでは、全費用257600円でした。ホテルも四つ星です。日程は、3月8日(日)午後11時15分間空発。3月14日(土)午後6時40分に関空へ帰国です。 申込みは今月中です。参加希望があれば、株式会社アイエイシー・トラベル大阪梅田支店電話06-6442-8877(山田様まで) 3月までにはガザ紛争も落ち着き、平穏な中でのイスラエル旅行になると祈っています。 今朝は、東京から来た女性がイエス・キリストを信じてバプテスマを受けました。神学生たちの歌う賛美歌の声の中、「古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなった」
2009/01/16
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大阪上本町の都ホテル喫茶室で、月一度の集まりがあります。午後3時より5時までコーヒー代だけで喫茶室を用いて語り合う楽しいときです。 クリスチャンだけでなく、聖書に興味のある方や仕事上の悩みのある方々も参加されます。今日は嬉しいことに二人の新しい方も参加する予定で楽しみです。昨年11月にお会いした二人の方は、大阪エリム水曜集会に出席しています。 アーメンと信じるとき、イエス・キリストは心の中にお入りください、新しい人生を歩みだすことができます。信じてバプテスマを受けると救われます。イエス・キリストの約束です。 都ホテルでコーヒーを飲みながら、聖書のことばに質問や疑問にも答えながら、楽しいディスカッションの時間です。 今年の3月より、エリム研修会を都ホテルでスタートする予定です。こちらは定員30名で会費1万円、研修会終了後、食事をしながら楽しい交流の時間を持ちます。 3月19日(木)午後6時30分受付で研修会。午後7時50分より8時45分まで食事交流会です。 今までの集会と違うのは、ノーブレス・オブリジュの精神を啓発し、受けるよりも与える方が幸いですとの、イエス・キリストの教えを実践するチャレンジのときになると思います。 生駒聖書学院には韓国IT専門の牧師が来日し、今日と明日の2日間インターネット研修会があります。寒さのさ中です。心熱く燃やされて、今日もまた天国の一日です!喜びとともに前進する一日です!ハレルヤ。詩篇133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。 それはひげに、アロンのひげに流れて その衣のえりにまで流れしたたる。 133:3 それはまたシオンの山々におりる ヘルモンの露にも似ている。 【主】がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
2009/01/15
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昨日は生駒聖書学院の3学期始業式。いつものとおり神学生はバイキングレストランへ。2月放送分のラジオ録音があり、副院長と朝日放送スタジオへ。 駐車場への入り口で、奈良ナンバー25-25が登録されいなかったが、駐車場に空きがあり中へ入れてもらった。 担当のディレクターに連絡を取ると、明日3時ですよ!とのこと。時間を間違えてしまい、自動車ナンバーが登録されいなかったのです。朝日放送に36年通い、新社屋のなってからも半年が過ぎたが、録音時間を間違う失敗でした。 その足で、昨年5月交通事故で脊椎損傷、入院加療中だった男性が退院し自活療養になったので、見舞うことにしました。阪神高速から名神高速道路へ、大山崎インターから島本町に向かい、リフォームなった家を訪ねました。 脊椎損傷で下半身マヒを宣言されましたが、「イエス・キリストの名によって回復させてください!アーメン。ありがとうございます。回復しました!感謝します」と、宣言し続けまた。 回りから笑われ馬鹿にされても、痛みと苦しみと辛さの中でも、ありがとうございます。回復しました。感謝します!と奥さんと二人で言い続けたのです。 8日の日曜日には介護タクシーで、大阪エリムの礼拝に出席し、祈り続けた教会員の大歓迎を受けました。 リフォームなった家は快適な住まいに変わっていました。車椅子で家の中を動き回ることもできます。風呂も洗面所もホテル並みのリフォームされていました。 しばらく様々と信仰について話し、祈りをともにし夕方遅くの帰宅になりました。 今日は神学生たちは学期始めの清掃奉仕。外回りは霜がびっしりで大変ですが、美しい環境で3学期を過ごしたいと思っています。 午後からは今日はマチガイ無しのラジオ放送録音です。集会前には教会下の喫茶店でカウンセリング。そのあとで午後7時よりに集会です。 今日もまた天国の一日です!と感謝しつつの新しいスタートです。詩篇71:4 わが神よ。私を悪者の手から助け出してください。 不正をする者や残虐な者の手からも。 71:5 神なる主よ。 あなたは、私の若いころからの私の望み、 私の信頼の的です。 71:6 私は生まれたときから、 あなたにいだかれています。 あなたは私を母の胎から取り上げた方。 私はいつもあなたを賛美しています。 71:7 私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。 あなたが、私の力強い避け所だからです。 71:8 私の口には一日中、あなたの賛美と、 あなたの光栄が満ちています。 71:9 年老いた時も、私を見放さないでください。 私の力の衰え果てたとき、 私を見捨てないでください。 71:10 私の敵が私のことを話し合い、 私のいのちをつけねらう者どもが 共にたくらんでいるからです。 71:11 彼らはこう言っています。 「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて、彼を捕らえよ。 救い出す者はいないから。」 71:12 神よ。私から遠く離れないでください。 わが神よ。急いで私を助けてください。 71:13 私をなじる者どもが恥を見、消えうせますように。 私を痛めつけようとする者どもが、 そしりと侮辱で、おおわれますように。 71:14 しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、 いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。 71:15 私の口は一日中、あなたの義と、あなたの救いを 語り告げましょう。 私は、その全部を知ってはおりませんが。
2009/01/14
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教会員全員といっしょに今年も創世記から読み始めました。今日は37章ー39章で有名なヨセフ物語のスタートです。 ヨセフは12人兄弟の11番目。それぞれ母違いの10人の兄たちは、父のお気に入りのヨセフが憎くて仕方がありませんでした。 ヨセフは自分が見た夢を自慢そうに兄たちに語ります。 「あのね、ぼく、こんな夢を見たんだ。」 得意げに、ヨセフは言いました。 「みんなが畑で束をたばねていたんだ。 そしたらぼくの束が、いきなりすっくと立ち上がった。 それからどうなったと思う? 兄さんたちの束が回りに集まって来て、ぼくの束におじぎをするんだ。」「じゃあ何かい、おまえがおれたちの主人になるとでもいうのかい?」 兄たちはせせら笑いました。 「いつものことだが、なんて生意気なやつだ。 だいいち、あの夢が気にくわない。」 そう思うと、ますます憎らしくなるばかりです。 ヨセフはまた夢を見て、兄たちに話しました。「この前また夢を見たんだけどさ、太陽と月と十一の星が、ぼくにおじぎしたんだぜ。」 今度は父親にも話をしました。 父親はさすがに彼をしかりとばしました。「いったいどういうことかね。 母さんと兄さんたちだけでなく、わしまでが、おまえにおじぎをするのかね?」 誰が聞いても11番目が一番になるのは自分だという夢です。兄たちが憎まないはずがありません。 さらに父親はそのことを分かりながら、ヨセフに長袖の衣服を作って着せるのです。その当時の習慣では、長袖の衣服は長男用のものだったのですからたまりません。 10人の兄たちは、ついにヨセフを捕らえてエジプトへ奴隷として売り飛ばしてしまいました。 ごう慢で鼻持ちならヨセフでしたが、その試練の中で大きく神を信じる若者へと変えられて行きました。 エジプトでのヨセフのことを聖書は以下のように記しています。 さて、イシュマエル人の隊商に売り飛ばされたヨセフに、話を戻しましょう。 彼はエジプトに着くと、エジプト王に仕える役人の一人、ポティファルに買い取られました。 このポティファルという人は、親衛隊の隊長で、刑執行の責任者でした。買い取られました。 このポティファルという人は、親衛隊の隊長で、刑執行の責任者でした。 ヨセフは主人の家の仕事をさせられましたが、いつも神様が助けてくださるので、何をしてもうまくいくのでした。ポティファルの目にも、神様がヨセフに特別よくしておられることは明らかでした。 おかげで、ヨセフは主人の気に入り、家の管理、財政を任されるようになりました。 すると、どうでしょう。 神様がヨセフによくなさるので、ポティファルの家も祝福され、仕事は万事スムーズに運び、収穫も、羊の群れも増える一方でした。 喜んだポティファルは、全財産の管理をヨセフに任せることにしました。 ヨセフさえいれば、何の心配もありません。 といっても、自分が何を食べるかまで、ヨセフに決めさせたわけではありませんが……。 ところで、ヨセフはたいへんハンサムな青年でした。 そのころ、困ったことが持ち上がりました。 事もあろうに、ポティファルの妻がヨセフに目をつけたのです。 いっしょに寝ようと、うるさく誘いかけます。 しかし、ヨセフは耳も貸しません。 「だんな様は家のこといっさいを私にお任せになりました。 家では、私のすることに、決して口出ししたり、指図したりなさいません。 何もかも私の自由にさせてくださいます。 ただ奥様だけは別ですが……。 これほどまでにしていただいて、どうして、そんな大それたことができましょう。 だんな様ばかりか、神様にまで背くことなんかできません。」 ところが、彼女はあきらめません。 毎日毎日しつこく言い寄り、ヨセフが相手にしないと、なんとか彼の気を引こうとやっきになるのでした。 そんなある日のこと、ヨセフは家で仕事をしていました。 たまたま回りにはだれもいません。 この時とばかり彼女がやって来て、ヨセフの袖をつかみました。 「ねえ、ちょっと私の部屋に来てくださらない?」 とんでもないと、その手を振り払って逃げようとしたとたん、上着が脱げてしまいました。 ヨセフはそのまま家の外へ逃げ出しました。 そのうしろ姿を、残された上着を手にしたまま、彼女はじっと見つめていましたが、 とつぜん叫び声をあげました。 何事が起こったのかと、男たちが駆けつけると、彼女がヒステリックに泣いています。 「うちの人があんなヘブル人(イスラエル人)の奴隷なんか連れて来るからいけないのよ。 おかげで危ない目に会うところだったわ。 とてもひどいことをしようとするんですもの。 私、大声で叫んでやったわ。 そうしたら、あわてて上着を置いたまま逃げ出したのよ。」 彼女は上着を手もとに置き、その夜、夫が家に帰ると、昼間の出来事を話しました。 「うちで仕事をさせていらっしゃる、あのヘブル人の奴隷ですけどね、きょう私にひどいことをしようとしたんですのよ。 大声をあげたから助かったものの、でなかったら、どうなったかわかりませんわ。 あの男ったら、あわてて上着を残したまま逃げ出したりして……。 これがその上着よ。」 夫がかんかんに腹を立てたのは、言うまでもありません。真相をよく調べもせず、すぐさまヨセフを捕らえ、牢に放り込んでしまいました。 王の囚人が入れられる牢です。 しかし、神様は牢の中でさえヨセフとともにいて、何かにつけてよくなさるのでした。それで、ヨセフは看守長のお気に入りになりました。 この男なら大丈夫と見抜いた看守長は、やがて、牢内の管理をいっさいヨセフに任せることにしました。 囚人全員のめんどうをヨセフが見るのです。 それからというもの、看守長は何の心配もなくなりました。 万事ヨセフが取り仕切ったからです。 神様がついておられるので、何もかもスムーズに事が運ぶのでした。 様々な試練に会いますが、やがてヨセフはエジプトの総理大臣になり、兄弟たちはヨセフの前に頭をたれ、ヨセフの夢で見たとおりのことが実現しました。 その晩年のすばらしい告白が創世記50章に記されています。 ところが兄たちは、急に心配になってきました。 父親が死んでしまった今、どんな仕返しをされるかわかりません。「ヨセフにはずいぶんひどいことをしたからな。 今度こそ仕返しされるかもしれないぞ。」 そこで、ヨセフに手紙を出しました。 「実は、父さんが死ぬ前に、言い残したことがあるのです。 われわれとあなたの仲を心配して、過ぎたことは水に流すよう言ってくれ、それだけが気がかりだ、ともらしていました。 われわれはあなたの父の神様に仕えるしもべです。 どうぞ、昔のことは赦してください。」 ヨセフは手紙を読むと激しく泣きました。 兄たちも気が気ではなく、わざわざ出向いて来ました。 「手紙でも申し上げたとおり、われわれはあなたの奴隷です。」 そろってヨセフの前にひれ伏し、恐る恐る言いました。 ところが、ヨセフの返事は意外でした。 「そんなにこわがらないでくださいよ、兄さん。 私だって神様じゃないんですから、さばくの罰するのと大それたことなんかできません。 そりゃあ、あの時は、ずいぶんひどいことをするもんだって思いましたよ。 でも、そのおかげで、家族みんなが助かったじゃありませんか。 悪意から出たことでも、神様はちゃんと良いことに役立てられるんです。 私のような者が今日あるのもみな、神様の深いお考えがあってのことだったのです。 たくさんの人のいのちを救うためなんです。 だから、心配なんかしないでください。 兄弟じゃありませんか。 今後のことは万事お任せください。 悪いようにはしませんよ。」 なんというやさしいことばでしょう。 もう心配はありません。
2009/01/13
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昨日は、各務原市の岐阜純福音教会礼拝と新年合同聖会(近隣7教会参加)に招かれ日帰りで出かけました。 名神高速での雪そ心配しスレッドタイヤも着装。時間もゆとりをもってナビをセットし早朝でかけました。 いつも通る道とは違う指示が出たので、自分の思い通り走り気がついたら道を迷ってしまいした。それからナビの指示通りに走行したのですが、かなり変な道へ迷い込んだみたいで、運転者もナビも?名神高速道路に出るのにものすごく苦労しました。 幸いゆとりを持っての出発だったので、高速に入って雪の規制で50キロ渋滞走行地帯もありましたが、午前10時には各務原の教会へ到着できホッとしました。 自分の思うままの生き方だけでなく、人生のカーナビの聖書と聖霊に導きに素直に従える2009年の日々を祈り朝の経験でした。 岐阜純福音教会ホームページを転載します。すばらしい教会の歩みです。 ピーター・ボルゲ宣教師夫妻が各務原に最初に足を踏み入れ、小さな教会堂を立てたのが1957年8月23日のことでした。以来夫妻は、各務原市のみならず近隣市町村のおいても子ども集会や天幕集会などを開き、精力的に伝道をを進めました。 人の思いを越えて働くことのできるお方が、一人一人を救い、神の家族を徐々に増やしてくださり、1970年には100名近くを収容できる新会堂が献堂されました。 1973年には、教会が全く無い奥美濃地方への伝道伝道へと主が導いてくださり、郡上郡白鳥町での伝道も始まって、1980年には岐阜純福音白鳥教会を献堂することができました。 教会が30周年を迎えた1987年、ボルゲ夫妻は近い将来における引退を決意し、小山大三師夫妻を招聘(しょうへい)しました。また神の恵みにより群れが増え、手狭になったため、この年、神は200名を収容できる第3番目の新会堂献堂へと導いてくださいました。 教会の少ない岐阜県において、神はさらに天幕の綱を張り広げさせてくださり、神の国の拡大を与えて下さるよう祈っていたところ、1993年に岐阜純福音教会養老教会設立へと導いてくださりました。さらに、1997年には、可児市大森に岐阜純福音教会大森チャーチを設立するよう導いてくださりました。 ハレルヤ! モーセが40年の間、神の家に忠実であったように、主イエス様は長年にわたって忠実に岐阜純福音教会を愛し、助け、建て上げてくださいました。これまでの主の救いの恵み、不思議なわざとしるしの数々に、心から感謝したいと思います。 礼拝も午後からの合同新年聖会もすばらしく、35年前に初めて韓国研修旅行へ行ったときの参加者との出会いもありました。 種子島の同じ教会で救われ、天に召された牧師の奥様との出会いもあり、ちょうど献身を決意し生駒へ来た後でクリスチャンになったことも分かり、懐かしい思い出もいっぱいのひとときでした。 今日は昨年春終了の聴講生、白先禮伝道師(淀川栄光教会)の結婚式に参加します。新郎は日本人で国際結婚です。新郎は4月から生駒聖書学院へ献身入学し牧師の道を目指す、すばらしい旅立ちの結婚式です。 永遠のいのちを与えられているので、今日もまた天国の一日です!と、充実の中を元気に過ごしています。お祈りありがとうございます。ハレルヤ!イザヤ書30:18 それゆえ、【主】は あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。 【主】は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。 30:22 あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け」と言うであろう。 30:23 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、 30:24 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。
2009/01/12
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元旦礼拝から4日の新年礼拝、そして沖縄訪問の奇跡の出会いが続きました。沖縄では5人家族全員が洗礼を受けクリスチャンホームが生まれました。 FM21祈りの小部屋放送では、教会塔上の十字架を見たとき、一日80本のタバコと毎日一升酒飲みから完全に解放され、キリスト教会へお礼に行き、イエス・キリストのことば「わたしは道であり、真理であり、いのちである」を聞き、「洗礼を受けクリスチャンになった46歳男性の体験に感動しました。 酒、タバコだけでなく喘息やヘルニアなど病気だらけの身体も直り、主治医が今までの診察はなんだったんだと驚き完治を宣言し、元気で幸せな結婚式を2ヶ月前に挙げました。 イエス・キリストを信じれば救われます。今日は岐阜県各務原市の岐阜純福音教会(小山大三牧師)の朝の礼拝と、午後からの聖会に招かれ出かけます。教会員の自動車会社が雪を案じてスレッドタイヤを装備してくれたので、名神高速も不安な走行できるので5時出発で日帰りです。小山牧師は著書も多く、特にSAMのポール・J・マイヤーの著書翻訳でも活躍中で、手元に「成功への25の鍵」があります。あなたの過去がどのようなものであれ、心に未来を持って、誰か他の人のために生きる存在になることこそが、あなたの遺産なのです。あなたの遺産は、あなたの言動、考え、計画のすべてをも向上させ、次の世代へと引き継がれていくでしょう。明日はあなたの未来です!と表表紙に紹介されています。初めて訪れる教会ですが、「天の虫けら」や「輝き・可能性への変身」などの著書を紹介してくれるとのことで、「雪よりも白く」や「ハレルヤと歌いつつ」も持参することにし、車に積み込みました。新しい出会いや交流を楽しみに、今日もまた天国の一日です!と、元気で今から岐阜へ向います。創世記26:12-13 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。26:12-13 その年、イサクの畑は大豊作でした。 まいた種の百倍も収穫があったのです。 まさに神様の祝福のおかげです。それからは裕福になる一方で、たちまち大金持ちになりました。詩篇 1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。
2009/01/11
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7日(水)の夜、南城市のつきしろゴスペル教会で集会があり、レンタカーで出かけました。太平洋に面した高台にある教会は、夜の闇の中に白い十字架がくっきりと美しく目だちます。 昨年8月の集会で、「イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。答えられました。感謝します!」と、祈りの秘訣を話しました。 牧師はその祈りで、12月25日に南城市佐敷文化センター(シュガーホール)で、チャリティー・クリスマスを計画しました。500名が入るホールです。その計画を聞き回りの驚きました。 ムリだ!できない!不可能だ!無謀だ!お金は?いろいろ聞こえてくる声を耳にしながら、「イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。チャリティーコンサートは成功しました。感謝します!」と宣言し続けました。 洗礼を受けた50歳の男性の半生(35歳のとき東京で脳腫瘍になり、奥様に子どもとともに逃げられ、沖縄に帰り見上げた十字架に引かれて教会を訪ね、イエス・キリストを信じて救われ、半身不随だが歩行器にすがりながら歩き、社旗福祉法人事務所で障害のある人々のために仕事をしている)を、「牧師が演じることになり、少人数の教会員総出で練習に励みました。 さらに沖縄で有名なクリスチャン家族、具志堅ファミリーの出演も決まり、さらに娘が吹奏楽員なので、中学の吹奏楽団が参加をしてくれることになりました。 直前に行なわれた沖縄教会合同のクリスマス会は300人参加だったので、ムリだ!集まらないのでは?との声が多くなり続けました。 しかし、「ありがとうございます!満席になりました。感謝します!」と宣言し続け、25日を迎えました。何と今度は雨になり失望しそうになりましたが、開演になると満席なり、チャリティー・クリスマスは感謝、感動の拍手は鳴り止まず大成功でした。 ところが会計が30万円の不足になり、「イエス・キリストの名前によって祈ります。30万円与えられました。」感謝します!」と、また宣言を始めました。数日後、わざわざの訪問客があり、感激しました。こレは少ないですが気持ちだけですと、封筒を手渡しすぐ帰って行きました。 何とその封筒には40万円が入っており、不足分は十分に満たされ、イエス・キリストの名による祈りの真実に、より深く感謝をささげました。 新聞にもチャリティー・クリスマスは報道され、主役だった50歳の男性は、社会福祉法人へ寄付した領収書を持って、歩行器を使って救われた喜びに輝きながらの集会参加でした。 神の真実の恵みが輝くつきしろゴスペル教会での、奇跡の証しに感動しつつ、レンタカーでホテルへ道を感謝と喜びに溢れて帰りました。今日もまた天国の一日でした!感謝します。マタイの福音書 7:7 求めなさい。 そうすれば与えられます。 捜しなさい。 そうすれば見つかります。 戸をたたきなさい。 そうすれば開けてもらえます。 7:8 求める人はだれでも与えられ、捜す人はだれでも見つけ出します。 戸をたたきさえすれば開けてもらえるのです。 7:9 パンをねだる子供に、石ころを与える父親がいるでしょうか。 7:10 『魚が食べたい』と言う子供に、毒蛇を与える父親がいるでしょうか。 いるわけがありません。 7:11 罪深いあなたがたでさえ、自分の子供には良い物をやりたいと思うのです。 だったらなおのこと、あなたがたの天の父が、求める者に良い物を下さらないことがあるでしょうか。
2009/01/10
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5日の早朝、生駒駅空のラッシュにもまれ関空へ。家内に寒いからコートを着て出かけたらと言われたが、スーツのままで出かけた。関空へ着くまでスーツ姿の方とはひとりだけ出会い、ほかの方はみな暖房着い身を包んでの出勤姿。 沖縄へ着くと暖かい空気が流れる。レンタカー会社へ行きそのままうるま市石川へ。80歳の方がなかみ汁を作って待っておられる。 なかみ汁は、豚の胃,小腸,大腸を使った吸物です。沖縄のお汁は具だくさんなのでごはんのおかずになります。なかみをきれいな形に切ることと,何度も湯がいて汁を濁らなくさせることがコツ。見かけがグロテスクで,くさみのある材料を上等な吸物に変身させるためには,ティーアンダが欠かせません。 80歳の方の料理するなかみ汁はほんとうに美味しいが、どんぶりいっぱいにごはんまで添えて出されると、もう見ただけで満腹になる。さらに目の前には寿司が山盛りの並べられている。食べなさい!食べなさいで歓迎は嬉しいが、ごはんだけは下げてもらう。やっとなかみ汁を食べ終わると、さあっと丼が引かれもういっぱいのお代わりが前に出される。 食べながら聖書の話をし、質問などに答える。幸いなことに80歳の母親、60歳の長男、50代の長女とバプテスマを受けてくださる。次男と次女はすでにクリスチャンなので、祈りが答えられてことに感謝の笑顔がこぼれる。 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)の聖書の約束が、この家に成就し実現したことを喜び、那覇市内のホテルにyチェックインしたのは午後11時前でした。 今回は、アパホテル那覇で築2年の新しいホテル。駐車場は3日間で3千円。部屋へ入り大浴場へ直行。グッスリと朝まで熟睡。 6日は朝のうちにアイリスと言うエステサロンに社長を訪ね、久しぶりの交友に感謝し祝福を祈る。 それからFM21のラジオ放送録音へ。録音が終わり43歳の男性運転で、昼食にロハス・レストランへ。 この男性は、毎日タバコ80本、酒一升、オートバイが好きで、夏はサアーフンと40歳まで遊びまわっていた人生でした。 オートバイで走っていたら突然目の前の丘に白い十字架が見えました。その瞬間不思議な気持ちになり、酒一升、タバコ80本からスカッと解放されました。その日から一本も吸わず、いっぱいの酒もいらなくなりました。 その白い十字架の教会へお礼に行き、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6)とのイエス・キリストの言葉を聞き。洗礼を受けてクリスチャンになりました。 外見は良い身体をしてますが、喘息もちで胃にも潰瘍があり体もガタガタでした。しかし奇跡的に体のすべての病も完全にいやされ、若返ったような身体になりました。そのような奇跡的な体験を聞きながらの昼食交わり、幸いなときでした。ローマ人への手紙1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、 1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。 1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。 1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。 1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。 1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。 1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。 1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
2009/01/09
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恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。・・・わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:1-4)アメリカ建国後まもなくのことです。ひとりの旅人が疲れ切って、ようやくミシシッピーの川岸に着きました。しかし、渡りたくても、橋がかかっていません。真冬だったので、川の面には氷が張り詰めていました。「この上を渡ることができるかなぁ?この氷は大丈夫だろうか?私の体の重みを支えることができるだろうか?暗くなってくる。早く、向こう岸へ行かなければ」。散々ためらった後で、彼は恐る恐る氷の表面を、四つんばいになって渡りはじめました。やっと半ばまで来た時です。後ろの方で歌声がしました。もやの中から、一人の男が四頭立ての馬車に乗って、氷の上をやってくるではありませんか。彼はびっくりして、立ち上がりました。氷は大丈夫だったのです。彼は四つんばいを止めて、対岸まで渡っていきました。あなたはキリストをもう、試験済みですか?人生のあらゆる分野において、喜びにも、悲しみにも、成功にも、失敗にも、健康にも、病気にも、どんな時にも、イエス・キリストは信頼するに余りあるお方です。キリストを信じる者を、主は支えてくださり、対岸へ無事に届けることができるお方なのです。しかもこの保証は、絵に描いた餅ではありません。聖書が語っています。とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。(申命記33:21、口語訳)神は真実な方です。神の約束に、うそ、偽りはありません。また神の約束が忠実に果たされることを体験した無数の人々の証明があります。キリストを信じる者に与えられる神の愛の保証は、私たちの人生にゆとりと確信をもたらします。あなたは今日、絶対に変わらないものをおもちでしょうか?どんな嵐がやってきても、問題が起こっても、揺るがない確信をおもちでしょうか?イエス・キリストは、全人類の問題、病気、罪を背負って十字架にかかり、三日目に死にさえ勝利して復活された、真の救い主です。キリストを信じる人生は、この地上での保証であり、永遠に続く天国への保証なのです。神がともにいます時、新しい勇気と力が与えられます。イザヤが言ったように、恐れることなく、生きることができるのです。何が起こっても、驚き惑うことなく、歩むことができるのです。神とともに歩む人生を経験してください。もっと聖書を知りたい方、救いを求めたいと願う方は、ぜひご連絡ください。教会へお出かけください。心からお待ちしています。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5:24)
2009/01/07
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わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、あなたに告げよう。(エレミヤ33:3) 神様はすばらしいことばを語りかけてくださっています。 「わたしを呼び求めよ」。 ちょうど、赤ちゃんが自分の要求を親に告げる時に声を上げるように、そして母親がその声の調子で子どもが何を求めているかが分かるように、神様はあなたの求めに答えてくださいます。 では、どのような時に、神様を呼び求めるのでしょうか? 「苦難の日はわたしを呼び求めよ」(詩篇50:15)とあります。「苦しい時の神頼み」とよく言います。私はそれでも良いと思います。神様は私たちが苦しんでいる時、助け出してくださいます。また、その苦しみを通して、大きな祝福を与えてくださるのです。苦しさの中から救いを見出し、輝かしい喜びの人生を生きはじめる人は多くいます。 共産圏で、信仰のために牢獄に入れられていた一人のクリスチャンが、釈放されました。彼の告白を読んでみましょう。 ――私の姿はみっともなくて、見られたものではありません。強制労働収容所で、私は地下の労働に従事していました。思わぬ事故に遭って、背中が曲がってしまったのです。私は家族の下に帰りました。息子がしげしげと私を眺めて尋ねました。「背中に何を背負っているの?」返事に詰まった私に、息子はこう言いました。「神様は愛だもの。人を醜い姿にするはずがないよ。お父さんは背中に箱を背負っているんだよ。その箱の中には、天使の羽がつまってあるんだ。ある日、この箱が開けられて、お父さんはその羽で、天に飛んでいくんだよ」私は喜びのあまり、泣きだしてしまいました。―― これは一人のクリスチャンの真実のあかしです。 すべての人が、何かしら醜いものをもっています。肉体的あるいは精神的なハンディキャップを背負って生きているのです。恥ずかしいこと、醜い姿・・・。私たちが限られたこの世の生活の観点からだけ見るならば、それはみな醜く見えます。しかし、一度でも、そのことで真剣に神に祈り求めるならば、神はあなたの重荷を、天使の羽の入った箱に変えてくださいます。いいえ、変えてくださるのではなく、あなたがその事実に気づくのです。 主イエス・キリストは言われました。 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28) イエス・キリストの下に来てください。イエス・キリストはあなたの重荷を取り除き、新しい天使の羽のある人生をくださいます。 神様はすばらしい方です。あなたがたが神様を呼び求める時、あなたは救われます。そればかりではなく、あなたの知らない、理解を超えた祝福をくださいます。なぜなら、イエス・キリストは、あなたのすべての問題を、悩みを、病気を、罪を解決するために、十字架の上に死んでくださり、そして三日目によみがえって、今も生きておられる、真の「救い主」であるからです。 ただ、あなたの心を開いてお迎えするならば、イエス・キリストは来てくださいます。あなたがどんなに罪に汚れていてもです。また、どのような苦しみの中にもがいていても、弱くても、一人ぼっちでも、「イエスさま、私はあなたを信じます。私の心の中に来てください」と祈る時、救いは訪れます。 聖書の約束のことばです。 主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。(ローマ10:13)
2009/01/06
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イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。(黙示録1:5、6) アメリカに、優れた将軍で、天才的な文学者としても有名なルー・ウォーレスという人がいました。 彼は過激な無神論者でした。大学をはじめ、方々で無神論の講演をして、多くの人に影響を与えていました。 ある時、彼は数人の友人に誓いを立てました。それは「キリスト教をこの世界から失くすために、キリストを否定する本を書く」という誓いでした。それから5年間というもの、ルー・ウォーレスはキリストを否定するため、夢中になって調べはじめたのです。キリストが生きたイスラエルへ行き、キリストに関するあらゆる研究をしました。また、ヨーロッパやアメリカのほとんどの主要な大学の図書館を回って、キリスト研究を重ねました。 こうして5年間が過ぎ去り、やがて彼は、資料の山に囲まれて、キリスト撲滅論の第一章を書きはじめました。心の中には、キリストへの激しい憎しみが渦巻いていました。 第二章まで書きすすんだ、ある夜のことでした。突然、彼はペンを投げ出しました。そして、いすから崩れ落ちるようにひざまずき、イエス・キリストに向かって叫んでいました。「わが救い主よ!わが神よ!」と。十字架に釘付けされながらも、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と叫び祈るキリストの声が、ずっとルー・ウォーレスを悩ませつづけていたのです。 彼の心を変えたもう一つの理由は、復活の出来事でした。三日目に、キリストの体は墓から消えていました。それを境として、弟子たちの中に一大変化が起こっています。あの臆病でおどおどしていたキリストの弟子たちが、大胆不敵になりました。そして山をも崩しかねないほどのエネルギーを爆発させて、「キリストが復活した」と叫びはじめたのです。考えられない大逆転です。 弟子たちはキリストの復活に、文字どおりいのちをかけていたのです。炎も剣も獅子の牙も、彼らはもはや恐れませんでした。こうして、30年、40年、弟子たちの伝道活動は変わることなく続きました。やがてついには、全員が殉教の死を遂げたのです。 「父よ。彼らをお許しください」という十字架の祈りのことばとともに、この復活の出来事が、ルー・ウォーレスを苦しめつづけていました。そして、その夜突然、彼はキリストが救い主であり、神であることが分かったのです。それは一瞬にして目が開かれるような経験でした。とにかく、彼の心は素直になって、キリストを信じることができたのです。 イエス・キリストを信じた彼は、書きかけの原稿を破り捨て、新しくペンを握りなおしました。そこで書かれたものこそ、キリスト時代を扱う文学作品としては、比類のない最高傑作と言われてきたあの「ベンハー」という小説だったのです。彼は自分の体験した奇跡とも言える出来事をベンハーに託して、全世界に発表したのです。 恨みと憎しみに燃えたぎるベンハーが、ただただ復讐の鬼と化してエルサレムの郊外をさまよっていました。丘に急ぐ大勢の人々に出会い、ついていくと、ちょうど一人の男が荒削りの生木を組んだ十字架を背負い、ヨロヨロと引かれていくところでした。その顔には石が飛んでき、ローマ兵のむちがうなりを上げていました。 やがて男は十字架の上に押し倒され、両手両足に太い大釘が打ち込まれました。それがすむと、十字架は丘の上にまっすぐに立てられました。その時でした。十字架の上から、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです」と祈る男の声がしたのです。 この祈りにベンハーの心は砕かれていきました。敵メッサラへの復讐心から解放され、ベンハーは「自由」を獲得したのです。それは憎しみの束縛から「愛の自由」への解放でした。 聖書は力強く語っています。 イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。(黙示録1:5、6) あなたも、イエス・キリストを信じて、本当の自由をぜひ体験してください。
2009/01/05
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年末から暖房機が動かなくなり10日間ほど暖房のない日が続いている。幸い小さなヒーターがあり、ホッカイロを買い書斎の寒さをしのぐ。 それでも神学生&開拓伝道時代に比べたら天国の日々と感謝!今朝から沖縄へ行くので暖かい日を4日間過ごし、帰宅したら修理も終わり快適な書斎で過ごせるのが楽しみだ。 化粧品会社設立で祝辞を述べるため、1998年初めて沖縄へ行った。翌日、新会社でイエス・キリストのことを話す機会が与えられ、20名ほどがアーメン信じますとイエス・キリストを信じてくれた。99年に20名近くがバプテスマを受け20年が過ぎた今、伝道師になった者もおり、それぞれが沖縄の教会に所属し恵まれたクリスチャン生活を送っている。 その中のひとりが今春新店舗を建築中で、土地と建物の祝福を祈り、家族が全員バプテスマを希望しているので、関空より今朝出かけることにしています。午後から夜にかけてうるま市までレンタカーで行き、那覇のホテルへチェックインするのは午後11時過ぎになる。 明日は10月に結婚した夫妻の祝いを兼ねて昼食をともにし、FM2001で祈りの小部屋のラジオ録音。懐かしい出会いや、イブコンサートに来られた上原令子さんや教会訪問が続きます。 水曜日は学院卒業生の教会訪問、食事交わりなど夕方まで動き回り、つきしろゴスペル教会で夜の集会説教。可愛い5名の子どもたちと出会うのも楽しみです。 木曜日に夕方帰宅し、愛娘の誕生日なので夕食をいっしょに過ごすことにしています。 金曜日は東京から新年度入学希望者の面接など、新しい祝福の新年のスタートの日々です。 昨日は、夕方の堺エリムの礼拝でこのブログにアクセスしてくださっている青年との出会いがあり、すごく嬉しい経験でした。すでにクリスチャンでしばらくお話しも聞くことができ、新しい年が今までにないような祝福の「日々、毎日が天国の一日&天国のことばの日々であるようともに祈る幸いでした。 祝福を受け継ぐ者として、ふさわしく祝福を与える人生を今日も輝いて過ごせることは幸いです。 今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。ペテロの第一の手紙 3:7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。 3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。 3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 3:10 「いのちを愛し、 幸いな日々を過ごしたいと思う者は、 舌を押さえて悪を言わず、 くちびるを閉ざして偽りを語らず、 3:11 悪から遠ざかって善を行い、 平和を求めてこれを追い求めよ。 3:12 主の目は義人の上に注がれ、 主の耳は彼らの祈りに傾けられる。 しかし主の顔は、 悪を行う者に立ち向かう。」 3:13 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。 3:14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。 3:15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。 3:16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。 3:17 もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。
2009/01/04
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希望の輝きで迎えた09年です。今日は一年最初の日曜日、真の神を礼拝して、一年のスタートができるのは幸いです。すでに一年の計は元旦にありで、今年は例年になく大勢のクリスチャンとともに、元旦礼拝からのスタートでした。 今日はデボーションの創世記12章1-3節を紹介します。 12:1 【主】はアブラムに仰せられた。 「あなたは、 あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、 わたしが示す地へ行きなさい。 12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、 あなたを祝福し、 あなたの名を大いなるものとしよう。 あなたの名は祝福となる。 12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたをのろう者をわたしはのろう。 地上のすべての民族は、 あなたによって祝福される。」 アブラハムの召命の記録です。7つの祝福が約束されています。 あなたを大いなる国民とする。 あなたを祝福する。 あなたの名を大いなるものとする。あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福するものは祝福される。あなたをのろうものはのろわれる。地上のすべての民族はあなたによって祝福される! 聖書で数字の7は完全数で使われます。神の召しに従いさえすれば、完全な祝福が与えられる約束です。 アブラハムがエスカレーターに乗るようにスムーズに導かれたわけではありません。また彼が完璧な人格者であったわけでもありません。創世記12章から25章までの彼の物語を読めば、その苦難や試練、さまざまな苦悩に気づきます。 しかし彼はどんあ時にも神を信じ、神を信頼し続けました。最高の名誉は神を信じたことです。新約聖書のローマ人への手紙4章に彼の信仰が記されています。4:2 もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。 4:3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。・・・・4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。 4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。 4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。 4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、 4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。 4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。 この新しい年、アーメン信じます!と、イエス・キリストの十字架を仰ぐとき、アブラハム以上の祝福の人生を体験できるのです。 ガラテヤ人への手紙3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。 新しい年の初めに、イエス・キリストを信じて祝福の人生へ踏み出しませんか。すべてののろいから解放された祝福の日々が広がっています。それは時代がどうで在れ関係なく、与えられる呪いのない祝福の人生です。 今日もまた天国(のろいが何一つない状態)の一日です!と日々告白しつつの幸せな祝福です。 その祝福を与えられたのは、地上の全ての民族があなたによって祝福されるためです。ひとりの祝福が全世界の祝福になるのです。あなたの幸せが世界を明るくし、幸せにするのです。 ペテロの第一の手紙 3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。 3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 3:10 「いのちを愛し、 幸いな日々を過ごしたいと思う者は、 舌を押さえて悪を言わず、 くちびるを閉ざして偽りを語らず、 3:11 悪から遠ざかって善を行い、 平和を求めてこれを追い求めよ。 3:12 主の目は義人の上に注がれ、 主の耳は彼らの祈りに傾けられる。 祝福を受けるのは、その祝福を与え続けるためです。受けるよりも与える方が幸いであるとのゴールデンルール(黄金律)に生きる、天国の幸せを体験し続ける新年の祝福を祈ります。
2009/01/04
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今日もまた天国の一日です!天国のことばで目覚め、ゆとりの朝を迎えています。 正月でも毎日の日課は変わらず、常にチェンジとチャレンジの日々です。今年も聖霊と聖書のことばに満たされ、奇跡と変革のチャレンジと願っています。奇跡は毎朝の経験です。朝目覚めたことを奇跡と信じて、生きていることを感謝しています。 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い!」(哀歌3:22-23) 「神様のあわれみは決してすたれない、ということです。 私たちが全滅しなかったのは、神様のあわれみのおかげです。神様の真実は限りなく、その恵みは朝ごとに新しくなります」(ビングバイブル訳) これは【主】のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、【主】が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。(詩篇118:23-24) 「これこそ神様のなさることで、人の思いをはるかに越えています。きょうこそ、主がお造りになった日です。 さあ、この日をぞんぶんに楽しみましょう」(リビングバイブル訳) 元旦の朝は大チャペルに大勢のクリスチャンとともに礼拝の幸い。家族連れも多く、十分に用意したお年玉が足りなく、孫の分は礼拝の後になってしむほどだった。 昼からはゆっくりした気分で、雪もチラホラの道をゆとりの一万歩。昨日は箱根駅伝の中継を聞きながら、午後は年賀の挨拶やゆとりの一万歩。夜は久しぶりに早く就寝。 今日はもう明日の新年礼拝の備えが始まる。毎日、充実のときが流れていく09年の3日目の朝です。 4日の礼拝を終え、5日から8日まで沖縄訪問。11日(日)岐阜純福音教会礼拝と新年聖会。12日は結婚式に招待され祝辞。13日より生駒聖書学院3学期スタート。午後はラジオ放送希望の声録音でスタジオ入り。14日は水曜リバイバル集会。目まぐるしいような日々が始まる新しい年です。幸い2日間ほどのゆとりが与えられ、新しい力を受けながら元気で生かされてます。今日も奇跡の日!ありがとうございます。天国の一日です!感謝します!ハレルヤ。イザヤ書40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。リビング訳40:27 ああ、ああ、神様は苦しみを見て見ぬふりをしているから不公平だなどと、どうして言えるのですか。40:28 まだわからないのですか。 全世界を造った永遠の神様は、絶対に疲れたり、ふらついたりしません。 神様の理解の深さを推測できる者は、一人もいません。40:29 神様は疲れた者に力を、弱い者に活力を与えます。40:30 若い人もくたくたになり、若い男もまいってしまいます。40:31 しかし神様を待ち望む者は、新しい力がみなぎり、わしのように翼を張って舞い上がります。 いくら走っても疲れず、どんなに歩いても息切れしません。
2009/01/03
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鏡をきれいに磨く!ことばをきれいに磨く!心をきれいに磨く! 幸せな人の毎日の生活です。元旦礼拝でも天国のことばを語ろう。今年もまた天国の日々です! 天国のことばは、聖書の明るい言葉です。詩篇幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 家の中だけでなく、学校でも職場でも、友達同士でも、いつも前向きに明るい天国のことばが語れたら、幸せが回りに溢れます。 ことばを美しくすると心もきれいになります。幸せに輝く一年を喜び迎えた元旦でした。 新しい年の2日目の朝、昨日とは打って変わり晴れやかな太陽が輝いています。元旦礼拝は例年より家族連れも多く、牧師恒例のお年玉タイムのときは、幼児から高校生までが次々と出て来て、一番小さい孫のときには袋が全部なくなり、家で渡すことになりました。孫が出て来たのが一番最後で感謝でした。 そのあとで祝福の祈りのとき、新年の祝福の祈りで、結婚や事業の成功、健康や健やかさが与えられたり、イエス・キリストを信じる決心をし、すばらしいクリスチャンとして活躍するようになったり、大きな祝福が毎年具体的に与えられています。 「イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。答えられ、与えられ、解決し祝福されました!感謝します。ハレルヤ」の喜びに包まれ、感謝に輝きながら、新年に歩みだしました。 三人の孫と、東京から来た子どもたち三人も加わり、にぎやかな昼食会。普段は家内と娘の静かな暮らしの我が家。にぎやかな笑い声が弾け、一歳の孫も嬉しそうに声を上げて笑う。 ジュースを飲み、御節を食べ、特に海老が好きなのであっという間に食卓の上がきれいになる。男の子が餅を食べたい!きな粉餅が大好き!回りの姉妹たちも食べたいという。 子守を家内たちに任せ、インターネット礼拝メッセージのためチャペルに向う。先ほどまでの恵まれた礼拝の雰囲気が残り、創世記から7-8分のメッセージを語り、ひとりでも多くの方にアクセスして欲しいと祈りました。詩篇103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 私のうちにあるすべてのものよ。 聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、 あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。リビングバイブル訳103:1 私は心から神様をたたえます。103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。
2009/01/02
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