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篇77:11 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。 人生をどうにもならない定め=運命とせず、すべての現在に神の定め=摂津があることを感謝しよう。 現在=puresentが文字どおりプレゼント=贈り物となり、すべての事が益となる結果を見なくても、ありがとうございます。心からの感謝になります。 旧約聖書、新約聖書の奇跡の数々。2000年のキリスト教会の歴史、現代のクルスチャンたちの経験。自分の75年の人生、いや今年の経験だけでも、神の愛の奇しいわざに、心からの感謝でいっぱいです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。
2017/08/31
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ヨハネの黙示録21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。 大好きな聖書のことばです。 天国の門は、イエス・キリストの十字架=ヨハネ10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。"I am the door. If anyone enters by Me, he will be saved, and will go in and out and find pasture.その救いの門は、東西南北の3×4=12の門があります。どの門も一つの真珠から出来ていて、光り輝く門。 東に3つとは母の胎内や青少年期に救われる人々。私も16歳でアーメンと信じたので、東の門からの救いと思っています。牧師となる人々は、ほとんど10代でクリスチャンになったと言われています。昨日来訪の牧師は、65歳で牧師になり、生駒聖書学院には、40代以上の神学生もたくさんいますが・・・。若い日に救われることを祈ります。 西の門は、死の不安におびえる高齢者の備えられた救いの門。臨終の床でアーメンで安らかに笑顔で天の門へ。 南の門は心優しく、素直にアーメン信じます。幼子のような柔らかな心の持ち主が大勢います。沖縄への旅5連泊。握手し幸せを祈りアーメンと言ってくれた多くの出会い。フロントマンやレディたち。市場の売り子。中学校の校長や教頭、幼稚園や小学生。太平洋に沈む夕日を見ながら、アーメン信じます。まさしく南に大きく開かれた門。 北の門は、理知的で賢く、納得できなければ何も信じられえない人々、しかし、すばらしいことにキリスト教会には英知にあふれた医者や科学者、ノーベル賞受賞者も多くいます。その鋭い知性が、天地創造の造物主をアーメンと信じるとき、偉大な人生が展開して行きます。こざかしい理屈を捨てて、真の知性を与えられ、真の救いをアーメン人生です。ヨハネの福音書14:16 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/31
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主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。 あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。 地はあなたの造られたもので満ちています。 詩篇104篇24節 東側部屋から朝陽が射し込みます。 今朝は曇り空が広がり、朝陽が見えないが、34度との予報です。 南城市つきしろキリスト教会集会で、午後7時に説教。永田吉秀兄弟の体験談もあります。 ありがとうございます。 今日もまた天国の一日です。感謝です。
2017/08/30
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どうか、私たちの主イエス・キリストと、 私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めと、素晴らしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良い業とことばとに進むーよう、あなた方の心ー慰め、強めてくださいますように。 テサロニケ人への第二の手紙2の16、17 すばらしい天気のー沖縄の朝。雲間が切れ朝陽も輝く。 ありがとうございます。今日もまた天国の良い行いと良いことばの一日です。 感謝です。
2017/08/29
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先週、美容室出会った沖縄の男性と琉球新報ビルの喫茶店で待合せ。ホテルから遠いが、グッドタイミングの送迎。 ウエイトレスの幸せを祈り、アーメン信じますと祈ってれる。若々しく綺麗な女性。小冊子を渡す。彼が来てくれる。 自分の夢ー米ぬか天国燦々沖縄設立実現のため、菓子作りで働いている。 パンケーキと手作りケーキをごちそうになる。ありがとうと夢実現を祈って別れる。 30日の集会に御夫妻で来てくれる。嬉しい出会いの朝です。 ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした腕とをもって天と地を造られました。 あなたには何一つできないことはありません。 エレミヤ書32章17節
2017/08/28
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27日、日曜日の朝を那覇市のホテル10階で迎え、午前6時10分の輝きの朝日。 自動車だから朝3000歩 。 公園でホームレスの70代くらいの上品な婦人に会い、アーメン信じますと祈る。ホテル玄関の来て 、ありがとうと香りのよい花一輪をくれる。珍しい出会い。沖縄の女性ではない。 10時30分、うるま市サレム宮里教会で礼拝説教。 夕方はサレム浜教会で説教。お祈りありがとうございます。
2017/08/27
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沖縄の朝です。ハイアットリージェンシー那覇ホテル東側の部屋。朝日が綺麗。わたしの名を恐れるあなたがたには義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。マラキ書4章2節太陽は部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。その上るのは天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。詩篇19篇5節6節
2017/08/26
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笑顔の心十カ条=笑顔があれば自分が変わる。笑顔があれば相手が変わる。笑顔があれば運命が変わる1. ハイ。すみませんと素直に言える…笑顔の心 2. あなたのおかげですと感謝のできる…笑顔の心 3. はい、努力しますと前向きに言える…笑顔の心 4. 良かったですねとほほえみ合える…笑顔の心 5. お願いしますと信じていえる…笑顔のこころ6. 会えてよかったと感動できる・・・笑顔の心 7. 一歩、一歩と励まし合える・・・笑顔の心 8. 頑張りましょうと明るく言える…笑顔の心 9. 心をこめてと謙虚に言える…笑顔の心 10. ありがとうございますと常に言える・・・笑顔の心 笑顔があればより;福田純子著(1991年中経出版)ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/24
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マタイの福音書25:29だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。 有名なタラントのたとえの結論です。人間には異なったタラント=能力が与えられている。タレントという言葉はここからきている。ここでは5タラント、2タラント、1タラントを受けている。問題なのはタラントをどれでけ持っているかではなく、それをどのように使うかです。タラントの量は違うが、それをどう使うか。持っている能力を十分に用いれば、祝福を受けることができます。良い働きをしたら、その報酬としてさらに大きな働きが与えられる。働きへの報いは、休みではなく、より多くの祝福に満ちた働きです。 1タラントを与えられた者は、それを使わなかったので、叱られたのです。使ってみることが必要です。だれでも持っているものを着くと、さらに与えられて豊かになります。使わなければ持っているものさえ無くしてしまいます。 信仰も同じです。からし種のような信仰でも、信じ続ければ奇跡を起こします。すべてのことに感謝し始めれば、不平不満をぶつぶつ言うより早く、事態は好転します。雪の球を転がすように、まず1タラントが与えられていることを確信して、出来ることからやってみよう。高齢になっても大丈夫。祈りと信仰を持ち輝く日々を天国に行くまで、感謝して生き続けましょう。きょういくときょうのある高齢を活き活き生きよう。きょういく=今日行く。きょうよう=今日用。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます
2017/08/24
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ヨハネの黙示録14章13節書きしるせ。今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。 彼らはその労苦から解放されて、休むことができる。 彼らの行いは、彼らに、ついて行くからです。イエス・キリストの十字架が、死の原因の罪を取り除き、その復活は、死を超え永遠のいのちを与え、天国の保証です。ありがとうございます。今日もまた天国の1日です。感謝してます。
2017/08/24
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忖度=この言葉が、今年の流行語大賞になるかも? 皮に「忖度」と刻印されたまんじゅうまで発売され、生産が追いつかないほどの人気だそうだ。 森友学園の発言に端を発し、急速に広がり、今年初めて知った単語です。 意味は、(相手の気持ちを)おしはかること。推測。「意向をーする」 「『忖』はりっしんべんで分かるとおり、人の心を推測すること。 『度』は、『たく』と読む場合は『はかる』ことです。つまり『忖』『度』ともに『はかる』で、特に『忖』は『心を推測する』という意味があります」 わかったようでわからない言葉です。 聖書の言葉は、わかりすぎるほどハッキリしています。 神は愛です。 人間は罪人で、罪の支払う報酬は死です。 イエス・キリストが人類の罪のために十字架に死に、墓に葬られ、3日目に復活し、今も生きている救い主で主です。 そのことをアーメンと信じ、バプテスマを受けると罪赦され、神の子とされます。神の子ですから、神と同じ命=永遠の命を与えられ、天国へ行くことができます。死を恐れない平安が与えられ、幸で喜びの人生です。 忖度という推測ではなく、ハッキリした聖書の言葉の宣言に、アーメンと答えながらの日々です。 ヨハネの福音書10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。 14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。 ありがとうございます。今日また天国の一日です。感謝してます。
2017/08/24
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ヨハネの黙示録7章17節なぜなら御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、彼らの涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。 家内が天国へ行って2年3ヶ月。今週は25日から31日まで沖縄へ。三十年前初めて沖縄へ行き、多いときには年間8回もでかけた。2012年だけ、脳梗塞で行けなかったが、今年もうるま市や、山城市など教会巡回です。宿泊は国際通りのハイアットリーゼンシー那覇ホテル連泊です。今回は30代男子が同行してくれる沖縄旅です。詩篇103:1-5 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
2017/08/23
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エペソ人への手紙2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。 アーメンと信じ、バプテスマを受けてクリスチャンになりました。11月24日で ちょうど60年。 9月2日誕生日で76歳。後10日です。 金曜日から沖縄へ行き、31日帰宅すると、1日からしばらく誕生祝いが続くので、体調に気をつけながらの毎日です。 4日は9月入学・始業式で、恒例のバイキングレストラン行きもあります。 イエス・キリストの十字架により救われた神学生たちとともに、イエス・キリストの救いの福音を伝えることをミッションとして、今日も命生かされています。
2017/08/23
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ヨハネの黙示録5章13節また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。御座に座る方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。アーメン。アーメンありがとうございます。今日もまた天国の1日です。感謝してます。
2017/08/21
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創世記1:31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。 天地創造のその日。こうして夕があり、朝があった。 朝の来ない夜は、天地開闢以来、朝の来ない夜はない。 詩篇24:1 地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。 33:5 地は主の恵みに満ちている。 人生にはさまざまなことが起こります。何事が起ころうとも、地は主の恵みに満ちている。朝ごとに新しい真実の愛を覚える。 今朝も目覚めて息をしている。ありがとう。おはようございます。イエス様、感謝します。 朝顔が41輪も咲き、神様を讃えている。聖霊の助けは豊かにあり、幸せがいっぱい。わき上がる喜びで、主が造られた良い日を楽しむ。笑顔は輝き、救いの福音を伝える。 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。エペソ人への手紙2:10
2017/08/21
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エレミヤ17:7 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。 17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。 主に信頼する祝福4つのことを受け入れる自分自身=全部受け入れる=良い贈り物相手=過去のできごと=現在起こっていること=自分自身のことだから全部受け入れる 他人や過去。自然現象をコントロールしようとするのは、勢力と時間の無駄です。 ストレスが堪りに堪ります。思いきって受け入れてみる。 そして。このことを明確に識別する。混同すると対処法を間違えると大変。 恐れや不安、不平不満、文句ぶつぶつで、悪魔だ悪霊だとおののく。 人のせいにして、憎んだり恨んだり、果ては呪ったりです。 ではどうしたらよいのか。 自分自身に、現在起こることは、愛の神様のプレゼント。過去も現在も未来も含めて、最善を与えてくださったと、全面的に受け止める。 2.十字架と復活の主が、すべてを引き受けてくださる。マタイ11:28最初に聞いたみことば。心からありがとうで逆転勝利。と聖霊に満たされる 自分ではコントロールできないことは、相手との関係=家族、親戚、友人知人、 学校や職場の人間関係、教会の人間関係もそうです。 過去のできごとや自然を支配すること。これをやろうとすると大変です。之は現実に不可能です。時間の無駄です。思い切って受け入れるのが最高です。受け入れると自分が対処すべきことに変わってきます。 受け入れると、イエス様が重荷を取り、聖霊の助けにより知恵もああ照られて、すべ点呼とをアーメン。ありがとうございます。祈って感謝して、神の栄光が輝きます。焦らず、ジタバタしないで、平安でゆとりを持って生きることができます。 3.いつまでも実を実らせる祝福 ミッション=自分の使命と価値観 自分は何のために生きているのか。 ガラテヤ2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」 自分の価値観=十字架に命を捨てるほど愛されている。イザヤ書43:4高価で尊い。わたしはあなたを愛している。ヨハネ3:16 3.いつまでも実を実らせる祝福人生 詩篇1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 ビジョン=ミッションが達成された時の理想的な状況 生駒聖書学院教会&生駒聖書学院&日本ペンテコステ教団 全世界福音化と日本のリバイバル イエス・キリストの再臨を待つ。 ありがとうございます。候もまた天国の一日です。感謝してます。 エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 29:11 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
2017/08/20
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ヨハネの黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。ドアの前に立って、扉をノックするキリストを描いた聖画があります。不思議なことに、そのドアは外から開けることができず、内鍵を開けないと開きません。イエス・キリストを信じる人生は、心の戸を叩くキリストの訪れに、アーメン。お入りくださいとお招きすることです。ある婦人は、なかなか決断ができないから、蹴破ってでも救ってほしいと叫びました。イエス・キリストは、だれよりも柔和で優しい紳士です。静かにノックし続けます。アーメン。どうぞお入りくださいと、心にお迎えください。ヨハネの福音書1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/19
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箴言10:11正しい者の口はいのちの泉。 ハイ。ということばは、いのちの泉がわくことばです。美しいことばです。 名前を呼ばれ、ハイお元気に返事した子ども時代を思い出します。単なる出欠の確認だけでなく。ハイという返事で、その人の体調や気持ちまで伝わります。 名前を呼ばれるとは、その人がそこに存在している証拠です。 ハイと返事することで、「私は私として、確かにここにおります」と、答えているのです。 聖書で愛の神様が、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4と宣言しています。 その宣言に、アーメン。ありがとうございます。ハイ。感謝しますと、素直に返事できる幸を、今朝も思います。 16歳の時、イエス・キリストが十字架に命を捨ててまでも、愛してくれたことを聞き。アーメン。信じてクリスチャンになりました。もうすぐ60年になります。 聖書のことばに、ハイ。アーメンと答え。大きな平安と幸を受け続けています。 素直な神の子どもとして、すべてのことに感謝し、ありがとうございますと、受け止めています。 私ヨハネの第一の手紙3:1-3 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いまたちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
2017/08/19
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詩篇65:2 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を、赦してくださいます。幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。 16歳まで祈ることを知りませんでした。無神論で見える形のものは、それがいくら壮大であっても、芸術性が高くても、金銀宝石で飾られていても、人間が作ったもの、自分が作ったものに手を会わせても意味がない。それはほんとうです。大人から見たら可愛いげのない子どもでした。中学生の時、家の宗教調査が社会科の時間にあり、家の宗教も知らないと教師や同級生に笑われました。無神論で共産主義者の父に5年育てられた中学時代のことです。 16歳で肉眼で見ることも、手で触れることもできない、唯一で真の愛の神、天地万物の創造者、全知、全能、遍在、永遠、不変の神を知り、イエス・キリストの十字架の救いを、アーメンと信じ祈ることを体験しました。 祈りを聞かれる神。罪とがを赦して、親が子どもが背いても、どろどろになっっても、近寄せ、抱きしめ、愛しているよ、大好きと言うより以上に、良いもので満ち足りる人生を与えてくださいます。祈りは生きる力、日々の奇跡への感謝。活き活き生きる、最高の道。絶えず祈る恵みに感謝。祈りの道には花が香り、麗しい実も結実し続ける。ありがとうございます。 祈りを聞かれる幸い。いつも十字架の救いに守られる恵まれた幸い。嬉しい。楽しい。喜びと平安。永遠のいのちを与えられ、この地上の人生だけでなく、死後も継続する素晴らしい天国の暮らし。良いもので満ち足りる感謝の毎日。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2017/08/18
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ヨハネの黙示録3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。 ABCラジオ放送を43年継続中。 43年前、名神高速木曽川を通行中、義之君。ラジオ放送をしてみないか。と声をかけられた。電波量が一ケ月5万円+諸経費=6万円.瞬間的にできないと思った。でもそのことばを口にする前に、一ケ月くらい祈ってからの返事で良いとのこと。できないということばは舌の上に会ったが、口にせず飲み込んだ。あの時、できないと言っていたら、ラジオ牧師ではなく、ここに書くこともなかった。 出来ませんと言っても、だれにも非難されないし、何も言われれることもなく、当然のことだった。 開拓教会で一ケ月の献金が5万円もない、牧師給もなく働きながらの生活。話し下手でもあり、ラジオ放送など考えたこともない。 祈りは不可能の扉を開く。福音を広く伝えたい願いはある。話し下手でも、何であれ良い知らせを伝えるために召された確信はある。イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じ救われた。その中で良い知らせを伝えるために、生駒聖書学院に導かれ、奈良市富雄キリスト教会牧師。 祈りツツ聖書を開いた。見よ!ということばが目に飛び込んだ。その箇所を見ると、わたしは、あなたの行いを知っている。 見よ。わたしは、だれもとじることのできない門を、あなたの前に開いておいた。アーメン。ありがとうございます。ラジオ放送の門が開かれました。感謝します。その聖書のことばにしがみつき、しっかりと信じての43年継続のラジオ放送伝道です。 少しばかりの力=アーメンと言うだけの力で、奇跡の扉は開きます。神のことばを守り、天においても地においてもいっさいの権威あるイエス・キリストのお名前を信じる限り、不可能は可能となり、神のご計画は前進します。 毎週水曜日朝4時35分~45分;ABC1008Khz。早朝ですが毎週レスポンスのハガキが届きます。今月は、30秒に祈りが世界を変える贈呈中です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/18
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十字架上に死に、墓に葬られたイエス様は、3日目の日曜日の朝、死を打ち破り復活しました。 その復活の朝、恐れに支配され閉じこもっていた弟子達の部屋に現れ、シャローム=おはよう。平安があるように。弟子達の恐れは去り、聖霊を受けて全世界に福音を伝え、現在に至っています。 今日も、おはようで一日をスタートしています。 人だけがことばで生きている生き物です。ことばで人を知り、自分を知り、ことばで世界とつながります。ことばで愛を受け止め、感じ合います。 幸に生きるためには、幸のことばが必要です。それは特別のことばではなく、一日の始りにおはようと、元気で言うだけで良いのです。おはようと元気な声があるだけで、家の中に太陽が射し込むように明るくなります。 朝は誰にでもやってきます。世界中どこにでも朝は訪れます。 41年ほど前、白夜のスエーデンで朝を迎えました。ベッドの脇の壁掛けに、カーテンの隙間から朝陽が射し込み、Fresh as the morning, as sure as the sunrise. =主の恵みは朝ごとに新しい。思わず、ハレルヤ。おはようと起きました。 今は独り暮らしです。朝の目覚めと共に、イエス様おはようございます。天のお父様。おはようございます。 水まきで朝顔や機影に咲いている花々にもおはよう!新しい世界の始りです。 朝の来ない夜はない。朝は誰にも訪れます。信仰と希望と愛の朝です。 哀歌3:22-23 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。あなたの真実はそれほど深い。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/18
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ヨハネの黙示録3:4 しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。 白い衣=7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。その衣を小羊の血で洗って、白くした。 種子島で育ち、屋久島の雪を見るたびに、よしゆきという名前だたので、ゆき=雪のように白い心になりたいと思った。 高校生になり、西之表キリスト教会で、イエス・キリストの十字架の血が、すべての罪を消し去りきよめ、雪よりも白くすることを知り、アーメンと信じ洗礼を受け11月24日で60年。日々、十字架の血汐で=御子イエスの血がすべての罪からきよめる恵みに生かされています。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/17
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いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。テサロニケ人への手紙5:15-17 すべてのことに感謝できると、いつも平安で幸いです。 不通、・・・だから感謝します。良かったから、癒やされたから、与えられたから・・・だから感謝! しかし、感謝は条件着きでなく、すべてのことを心からありがとうと、無条件に感謝することです。・・・にもかかわらずと理由付けることもなく、アーメン。ありがとうございます。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/17
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詩篇62:1ー2 私のたましは黙って…ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、我が岩、わが救い、わがやぐら。わたしは決してゆるがされない。 何と確信にあふれた詩篇のことばを、そのまま自分の確信として告白できる幸い。 西部開拓時代、ミシシッピー川沿いを、旅人が向こう岸へ渡ろうとしました。氷を見るのが初めてで、さらに上流へ。勇を鼓舞し四つん這いになり、川の中ほどまできました。陽気な歌声と共に、カラカラカラと馬車が通過。旅人はすくっと立ち上がり、堂々とゆっくり川を越えて行きました。 試練や困難の川を、万人が越えなければならない、死の川の流れ、氷の上ではなく、イエス・キリストは十字架の上で死の力を味わい、3か目に復活することで、死の力を打ち砕き、天国へ行く道を備えました。 十字架と復活の救いを、アーメン信じますと受け入れ、イエス・キリストを心にお迎えすれば大丈夫です。試練や困難、病や貧困、そして死の川をも確信と平安豊かに越えて、永遠の天国まで、ゆるがされることなく行くことが出来ます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。
2017/08/16
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マタイの福音書22:36-40 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」 聖書の中心は愛です。愛とは神への愛が基本です。唯一の天地創造の唯一の神に対する全面的な愛です。心と思いと知力を尽くして愛することです。感情も思想も行動を支配する動機は愛です。 神の愛は豊かに注がれているので、人はだれでも神を愛することができる存在として、生かされているのです。この世に生を受けたのは神の愛を受けた証拠です。その具体的な愛を十字架に仰ぎます。神はそのひとり子イエス・キリストを世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御イエス・キリストを遣わされました。ここに愛があるのです。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。その事を聞いて、イエス・キリストの救いと神の愛をアーメンと信じ、種子島の海岸で洗礼を受け、11月24日で60年になります。その愛を受ける時、隣人を愛する人生がスタートしました。聖書の教えは、神を愛し、隣人を愛しなさい。その愛は、好きか嫌いかではなく、神への献身と、人への具体的な奉仕をともなう、全人格的な意志的な愛です。不可能ではなく、与えられた聖霊によって、神の愛が心に注がれているから、神の愛を受け取り、自分自身を愛するように、隣人を愛することができるのです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/16
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ヨハネの黙示録2:19 「わたしは、あなたの行ないとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行ないが初めの行ないにまさっていることも知っている。 信じることは行いが正しくなることです。正しい行いで数われるのではなく、アーメンと言えば救われます。 16歳の時、種子島で聖書のメッセージを聞き、イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと受け入れました。その日の午後、教会前の海岸で洗礼を受け、その日から今日も救われた平安と幸せに生き、11月24日で60年になります。 事実、信じる者は、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神様の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、信じる者は新しくされ、神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い行ができるように、キリスト・イエスにおいて造られたからです。アーメンと信じるだけで、その善い業を行って歩むのです。 愛は必ず行動します、信仰にも行いが伴います。奉仕することを喜び、働くこともはたを楽にすることを知っているので、ほかの人の幸せに仕えます。望みの忍耐で失望しないで楽しく生きることができます。 人は知らなくても、愛の神様が全部見てくださり、分かってくださいます。しかも、クリスチャン生活が続き、天国へ召されるまで、その行いは継続し、豊かになっていきます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/16
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15歳の時、イエス・キリストのことばを聞いた。種子島高校1年生だった。アメリカ人のアル・ハモンド宣教師が、放課後の教室で英会話クラスを開いており、誘われて出席した。 1枚のプリントに、 "Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest. "Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls."For My yoke is easy and My burden is light." と書いてあった。 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 イエス・キリストの招きのことばです。 16歳の11月24日に、十字架と復活の福音を聞き、洗礼を受けてクリスチャンになり、今年で60年を迎えます。 その約束の言葉どおり、アーメンと信じるだけで救われ、休み=ほんとうの平安です。何事があろうと、起ころうと常に幸で平安です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/16
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15歳の時、イエス・キリストのことばを聞いた。種子島高校1年生だった。アメリカ人のアル・ハモンド宣教師が、放課後の教室で英会話クラスを開いており、誘われて出席した。 1枚のプリントに、 "Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest. "Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls."For My yoke is easy and My burden is light." と書いてあった。 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 イエス・キリストの招きのことばです。 16歳の11月24日に、十字架と復活の福音を聞き、洗礼を受けてクリスチャンになり、今年で60年を迎えます。 その約束の言葉どおり、アーメンと信じるだけで救われ、休み=ほんとうの平安です。何事があろうと、起ころうと常に幸で平安です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/16
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マタイの福音書21:21-22イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」 祈りには躍動する力があります。イエス・キリストのことばを、間違って受け取ると失望する。しかし、正しく理解すれば大きな力と祝福を受ける。 祈りによって山を動かすことができる。信じて祈れば答えられる。この言葉どおりに山を動かした者はいない。祈りは不可能はないと言って、誰かが死なないように、熱烈な信仰で祈ったが、その通りにはならずに天国へ召された。つまずくことも、失望することもありません。祈りは安易な逃げ道ではなく、何もかも神に押しつけることでもなく、祈りはちからです。祈るとき力であり、山のような困難があっても、挑戦し乗り越え山を移してしまうことができる。祈る者は何もしないで待つのではなく、祈って働くとき、新しい力は与えられ、神にはすべてが可能であり、イエス・キリストがともにおられるなら、不可能と思われることも可能となります。疑い躓く暇や、不平不満、泣き言や文句を言う口があったら、信じて祈り信仰のことばを告白し、実行してみよう。必ず山は動き、信じて祈った通りに実現します。 祈りは現実逃避ではなく、現実を受け入れ、それを変えて行くすばらしい能力を、与えられる秘訣です。長年のクリスチャン生活で、山が海に入るように、困難を乗り越える能力も与えられ、大きな恵みを与えられ続けています。 1999年11月に東京で左脳内出血、その時の体験「ハレルヤと歌いつつ」を再版発行します。 2012年7月堺市で運転中に右脳内出血と交通事故=天国から追い返された牧師として発刊中。10月に小脳内梗塞。左右真ん中とバラスの取れた人間になれたと感謝です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/15
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今日、8月15日は、終戦記念日=戦争をしない国へ1941年9月2日生まれだから戦前派。4歳17日前に終戦。終戦があと一日でも遅れていたら、種子島も占領されていたかもと思います。 戦後日本とは、とにかく戦争だけはしない。平和憲法の国として、それだけでやって来まました。海外へ出て行って人を殺したり、殺されたりはしないと72年平和を貫いてきました。 天皇は象徴となり、元天皇ほど平和憲法護持者はいないほどに、平和を希求しています。ところがいつの間にか憲法違反でありながら、内閣と政権党は戦争法案を強行採決し、日本最大の願いが議会で葬られてしまいました さらに憲法改正論が幅を利かせ、不思議なことに、NHKはじめ報道各社がほとんど詳しい情報を報道せず、戦前の大本営発表のような雰囲気まで漂ってきている最近です。 天皇は2年前の新年感想で、「本年は戦後から70年という節目の年に当たります。多くの人が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っています」と述べています。ところが聖戦だった。韓国や、中国、東南アジアを植民地支配から脱させたから、八紘一宇は正しかった。自虐思考では民族の誇りが消えてしまうと、日本会議という団体、作家や評論家に日本精神を講義してもいる。恐ろしい集団が取り巻きを集めて、憲法改正で平憲法=戦争放棄の第九条を変えようとしています。戦争好きな殺人国家への道、いつか来た道を歩もうとしています。核を持て、殺人兵器を作り。武器輸出で経済向上をと、恐ろしい国に動き始めている時代です。 戦争は終わりました。もう一度などと言わないで、平和憲法で71年続いた平和を、さらに継続できます。戦争の脅威をあおることばに篭絡されないで、終戦=戦争は終わったことを強く認識し、ほんとうの終戦記念日にふさわしい8月15日です。 日本と地球世界の平和を祈ります。
2017/08/15
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ヨハネの黙示録2:17 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』 7つの教会への勧めと叱責。同時に称賛と勝利者への報償エペソ教会=勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。スミルナ=勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。ペルガモ=わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。テアテラ=勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。また、彼に明けの明星を与えよう。サルデス=勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。フィラデルフィヤ=勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。ラオデキヤ=1 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。オリンピックたけなわです。人生のチャンピオン目指して、今日も勝利を得る最善の日です。ハレルヤ。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/15
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ヤコブの手紙1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。 すべてが良い贈り物、特に、救われていることは最高の贈り物。そして救われているのに、現在Present起こるさまざまなことも,すべてプレゼント=Presentです。 特に自分に関わることは、すべてを感謝で受け留め、ありがとうございます。 贈り物として受け取れば、何ごとも感謝でコントロールでき、不思議な喜びを体験できます。 自分でコントロールできない、すぐ感謝できないようなこともあり、そんなことが多いのが人生かもしれません。コントロールできるものとできないもの、この2つは明確に識別できれが大丈夫です。しかし混同し対処法を間違えてしまうと、恐れ、不安、不平不満、文句ブツブツで、悪魔だ、悪霊だとおののき、人の性にして恨んだり憎んだり、自然現象を恐れたりで、人生が不幸になりまくります。 自分自身の現在起こることを、愛の神様のプレゼント、自分に最善を与えて下さったと受け止めることができます。イエス・キリストの十字架と、聖霊の助けによって心からありがとうございますと受けとめます。 自分の現在を感謝でコントロールできます。 反対にコントロールできないものとは、他人との関係、過去のできごとや自然現象です。 コントロールできない他人をコントロールしようとしたりすると大変です。 コントロールできない過去にいつまでも捕らえられてしまうと、トラウマの虜になります。 他人や過去。自然をコントロールしようとするのは、現実に不可能です。コントロールできないものをコントロールしようとするのは、時間の無駄です。精神的なストレスが溜まりにい溜まります。 思い切って受け入れるのが最高です。受け入れると自分が対処すべきことに変わって行きます。 受け入れると、イエス様が重荷を取り、聖霊の助けにより力が与えられ、すべてのことをアーメン。ありがとうございます。聖書の約束と祈りと共に感謝出来るようになれます。御霊の実は自制~セルフコントロールです。イライラせず、焦らずジタバタしないで、ゆとりの気持ちが明るくなります。 どんな時でも、平安で幸せです。喜びと楽しみがついてきて嘆きと悲しみは逃げ去ります。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/15
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マタイの福音書20:29-34 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。この二人の男は、待っていてチャンスをつかみました。イエス・キリストのうわさを聞き、最初は自分には関係ないと思ったかもしれない。しかし、好機が来た来た。彼らの座っているところを通られたのだ。チャンスだ。彼らは叫んだ。ゆるがない希望をもっていた。群衆は彼らを黙らせようとした。信仰があった。理論的でも神学的体系もなかったが、幼子のように素直に、恐れずに大きなことを求めた。お金ではなく、彼らが一番必要なことを願った。二人は感謝の心で、イエス・キリストに従う人生を選んだ。 愛を受けるのは素晴らしいが、すばらしい愛に恩返しをするのは、少なくても感謝にあふれて誠実に行きて行ければと思う朝です。 奇跡なんかないとひねくれるより、今生かされている、目覚めたことが奇跡。そう思えば、すべてのことに感謝できます。 恵みの愛との朝に生かされ 主イエスの十字架仰げば いのち輝き奇跡の日々に 輝く笑顔で ありがとう感謝ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2017/08/14
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ヨハネの黙示録2:10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。スミルナ教会は、試練の中のキリスト教会です。苦しみや辛いことを体験したくないのが人間です。しかし、聖書は信じる人生に苦難があることを教えています。それは金や銀などが、精錬されるように必要なのです。高校野球やオリンピック報道にある通り、選手たちは厳しい練習に耐えて、栄冠をつかみます。その厳しい鍛錬に感動します。クリスチャン人生、受けようとしている苦しみを恐れてならない。恐れのない人生を、神の愛は約束しています。 見よ。悪魔はあなた方を試すために=悪魔・サタンは試す者です。すでにイエス・キリストの十字架によって打ち滅ぼされたのですが、その欺きと試みる力をふり絞って問題を起こし続けます。あなた方は10日の間苦しみを受ける。限定された期間で、永遠に続く試練はありません。しっかりと、イエス・キリストを信じ続ける幸いです。 死に至るまで忠実でありなさい。そうすればわたしはあなたにいのちの冠を与えよう。2000年に及ぶキリスト教会の歴史は、死に至るまで忠実な殉教者の記録です。 忠実=まじめであること。また、そのさま。実直。本気。誠実。ギリシャ語でpistos ピストス=忠実な・信じている。頼できる、忠実な、頼みになる、信頼もしくは信仰を起させる。 何事があれ、まっすぐに十字架と復活の福音をアーメン一筋に、平安で人生です。ペテロの第一の手紙5:7-11 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/14
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いかに楽しいことでしょう/主に感謝をささげることは/いと高き神よ、御名をほめ歌い、朝ごとに、あなたの慈しみを/夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは。 詩編92:1-2 楽しき祈りよ=聖歌248番 1.楽しき祈りよ 憂(う)きこの世離れ 御座(みくら)に近づき 神と語らしむ 悩みて在(あ)りし日 ここにて幾たび 試(こころ)むる者の 罠(わな)より逃れし 2.楽しき祈りよ 汝(な)が羽(はね)は運ぶ 乾(かわ)ける心を 我が主の御前(みまえ)に 御言葉(みことば)唯一(ゆいつ)の 手掛(てがか)りとなして 求むるこの身に 安きを持たしむ ※持たしむ・・・保たせる 3.楽しき祈りよ 我が目は見渡す ピスガの嶺(みね)より 天(あめ)なる御国を この身は間(ま)も無く 肉の衣(きぬ)を脱ぎ 叫(さけ)びつつ登らん 「さらばや 浮き世」と ありがとうございます。楽しい祈りのある今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/14
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マタイの福音書20:20-28 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます。」と言った。イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2017/08/13
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黙示録2-3章には、7つの教会に書かれたことばがあります。 幽囚のパトモス島でヨハネが見た幻=そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会=当時存在した7つの教会が、歴史と現在も存在している教会を象徴的にも預言している。 七つの星は、教会に仕える天使=へブル1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。また、英語でministerと言う様に、教会に仕える牧師をさし、教会の星と言うこともできます。星が一番輝くのは、暗い夜です。終末の時代に輝く、キリスト教会と牧師でありたいと祈り願いながらの夏です。 7つの教会それぞれ問題があり、叱責されています。当時のエペソ教会は、最高に整えられた教会であり、エペソの教会当ての手紙は、霊的にも質的にも最高の手紙です。しかし、その教会への手紙でっす。2:2-7 「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行ないを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』 初めの離れることなく、イエス・キリストを信じ、神を愛し、隣人を愛する、全き愛の人生を生きたく願います。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/13
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楽しみと喜びの日々 イザヤ書61:10 わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。 アダムとイブは、エデンの園で神の言葉に従わず、罪を犯し、ふたりともイチジクの葉で腰を隠しました。着物の歴史の始りです。その日以来、人間は衣服で身を飾り、栄耀栄華を求め続けています。 しかし、そのいずれもイチジクの葉のようで、しおれ萎み枯れ果てます。 神様は、羊の皮衣を着せました。象徴的には紙の子羊イエス・キリストが十字架に犠牲となり、アーメンと信じる者を救ってくださる余型となりました。 今も同じです。宗教の衣、哲学や科学、倫理道徳、教育や政治、経済などあらゆる分野で幸を求めています。 しかし、それらはどんなに華美に見えても、イチジクの葉っぱです。見よ。彼らはみな、衣のように古び、しみが彼らを食い尽くす。 十字架によりすべての罪が赦され、良きよりも白い衣を着る幸い。正義の外套をまとう喜び。頭には栄冠を、花嫁のように宝玉で身を飾る。 イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、 また、私たちを王国=王とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。 黙示録1:5-6
2017/08/13
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マタイの福音書20:1-16 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/12
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ヨハネの黙示録1:17-18 彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。すべてのものごとには、はじめがあり終わりがあります。文語訳では、最先=いやさきなり、最後=いやはてなり。ギリシャ語では、α=アルファーで、Ω=オメガである。 日本語は、あで、んです。英語ではAで、Zです。 十字架の上にいのちを捨て、全人類を贖い、墓に葬られ、3日目の朝に復活されたイエス・キリストこそ、最初であり、最後であり、生きている真の神です。その救い主をアーメンと信じるとき、新しい人生が始まります。今までがどうであれ、だれでもキリストにあるならその人は新しく造られた人になり、永遠の天国人生まで守られます。 種子島で16歳の時、アーメンと信じて救われました。イエス・キリストによって、新しく生かされ、朝ごとの恵みに生かされています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/12
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四つの良い贈り物 現在=Presentは贈り物Presentです。 プレゼントはありがとうございますと受け取ると、贈り主にも喜ばれ、受けたほうも嬉しく幸です。 四つの贈り物、一つは自分です。もう一つは隣人。三つ目は過去のできごと。四つ目は現在です。現在は英語では文字通りプレゼントです。この四つをアーメンと受け入れると、すべてを受け入れる幸が生まれます。 この世に生まれて今があります。主の恵みは朝ごとに新しく、生きているのは大きな恵みです。 イエス・キリストの十字架の救いを受けると、あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛していると、神に愛されていることが分かり感動人生です。 自分を愛するから自分を愛するように隣人も愛し尊敬します。 おぎゃと生まれて今までの過去を受け入れ感謝できます。現在起こる出来事を、神の愛のプレゼントとして感謝で受け止めます。 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。エレミヤ29章11節。 神の愛の計画の中にいるので、寸分の狂いもなく、神のなさることは、すべて時にかなって美しいから幸です。 それだけでなく、神を愛するだけでなく、神のご計画に従って召されたので、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを知っています。 だから何事があろうと、すべてのことは自分のためであり、それは、恵みがますます多くの人々にも及び、感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになる幸です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/12
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マタイの福音書19:27-30 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。イエス・キリストをアーメンと信じ、従う者に与えられる豊かな祝福のことばです。 必ず祝福があるということばです。何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。イエス・キリストは、そんな気持ちで従ってくるのか、従う意味が何も分かっていないと叱責も非難もしないで、素晴らしい祝福を約束しました。具体的にわたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。その百倍を受けない者はありません。マルコの福音書10:29-30 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。 物質的な祝福だけでなく、究極の勝利と栄光が約束され、永遠のいのちを受けます。イエス・キリストを信頼し、信じ続ける恵みの日々です。今日も明日も,天国目ざして前向きに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2017/08/11
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ヨハネの黙示録1:51-6 また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。 FBで、聖書のことばを毎朝アクセスでき、聖書のことばにアーメンで恵まれています。 詩篇付きの文語訳新約聖書を15歳の時読みました。16歳で洗礼を受けクリスチャンになり、聖書が魂の糧であり、いのちの食物と知りました。でも意味も良くわからずの時、詩篇119篇に出会いました。わかき人は何によりてか、その道をきよめん。御言葉=みことばにしたがいて慎むのほかぞなき。われ心をつくして汝をたづねもとめたり。願わくは汝の誠命=いましめより迷ひいださしめ給ふなかれ。われ汝に向かひて罪を犯すまじき為に、汝の言を心のうちに蓄えたり。119:9-11 新改訳=119:9-11 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。その日以来、神学生生活、聖書学院教授、牧師生活を続け、9月2日にはアブラハムの年齢になります。 高貴で幸喜、光輝で香気にあふれ、好奇心豊かに、好機のチャレンジ期を祈り願っています。 私を愛して、十字架の血によって、すべての罪から解き放ち、雪よりも白く洗いきよめ、その聖書のことばにより、王国=王であり祭司として、人々の幸せに仕えるように生きる恵みです。 聖書のことばに、アーメンと応答するとき、その通りになる有難い奇跡の日々です。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。 書斎の南側、空地を畑にと借りたので、朝5時過ぎから耕している。草ぼうぼうの庭が、キレイ畑になる。秋の植え付けに備えての準備です。マタイの福音書13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。 信仰生活も同じ=13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」 ジャンル:ウェブログ
2017/08/11
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受け入れるから前進できる 事故や災害などが人生には起こります。それは世の常です。 57歳で左脳内出血。70歳で右脳内出血と交通事故、その2ヶ月後に小脳内梗塞。73歳の時、妻が天に召されました。昨年交通事故で顎と頬を20針の手術も経験しました。 目の前の現実=Presentに立ちすくむほどです、しかし、イエス・キリストを信じ、聖書の言葉に養われるとき、それらすべてを神の贈り物=Presentとして、 100パーセントありがとうございますと受け入れました。 受け入れたくないことを、アーメンと感謝して受け入れることは難しいことです。 しかし、思いがけないことが起こって、そのまま何もしないでいても、現実は変わりません。ありのまま受け入れて、ありがとうございますと、すべてのことを感謝すると、自分自身を解放できます。 痛みや苦しみがなくなるわけではありません。それもそのまま神様からのプレゼントとしてありがとうございますと受け取ると、不安や焦り、いらだちが消えて感謝が溢れてきます。 アドナイ・シャローム。大丈夫です。平安ですと気持ちが落ち着き、聖霊の助けと慰めが広がります。ありがとうで大丈夫です。 すべてが益になりプラスになる恵みです。何事があろうと、逃げたり、止めたり、堕落したりせず、問題や障害を怖れず前進出来ます。不思議に祈ると内側に力がみなぎります。 十字架上で死に、墓に葬られ、3日目に復活されたイエス・キリストが、共に会ってくださり、新しい可能性の扉を開いてくださいます。 黙示録3:8 見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
2017/08/11
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マタイの福音書19:23-26 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。城壁に囲まれた町には、門が二つあることが多かった。大きな門は商人や通行人が出入りする正門。正門が閉じられた後、見張り人がいる小さな門があり、この門は低くかがんでやっと通れる小さな門を針の穴と呼んでいた。イエス・キリストは、人でさえやっと通れるような門を、大きなラクダは通れない.そのように、富んでいる者が神の国に入るのは難しいとたとえました。 富が人を天国から締め出すのではなく、富が罪なのではない。しかし、富は危険である。イエス・キリストの救いは、自分に欠けたものがあることを認めることから始まる。どうしても富や財産が多くあり、お金にも困らず、地位や名誉や家柄を誇り、あるいは一代でおお金持ちになったら、神よりも金だと執着し、自分が罪人だとか、天国へ行く資格がないなどとは考えないで、傲慢になりやがて来る死の恐れに支配されこの世を去るのです。では金持ちは救われないのか。イイエ。神にはどんなことでもできます。意地っ張りを突っ張るのではなく、へりくだって狭い門=アーメン信じますで救われ、神の栄光お為に、豊かな富を活用し、受けるよりも与える方が幸いである。ゴールデンルールの愛を実行するのです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2017/08/10
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ユダの手紙1:16-19 彼らはぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます。その口は大きなことを言い、利益のためにへつらって人をほめるのです。 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。 終末時代に、聖書は警告を与えており、読めば読むほど現代がその兆候を示しています。テモテの第二の手紙3:1-5 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。マタイの福音書24:3-14 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。そのような時だからこそ、ユダ1:20-25 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/10
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コリント人への第二の手紙1:19-20私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり。」と同時に「否。」であるような方ではありません。この方には「しかり。」だけがあるのです。 神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。 イエス・キリストには、しかり=肯定のイエスだけがあるのです。 神の約束=聖書の約束の言葉がことごとく、イエス・キリストにおいてしかり=全部成就しました。 イエス・キリストを信じるとき、アーメン=しかり、そのとおり真実です。誠です。アーメンで救われ、人生のすべてにアーメンと言えるのです。 左右脳内出血、小脳内梗塞、2度の交通事故、家内の召天などが起こり、身体の不自由、心の痛みにも襲われました。 しかし、そのすべてをアーメンと受け止めました。その時、現在=Presentを、贈り物=Presentとして受け止めたのです。 起こった出来事を、受け入れることにより、受け入れたくないことが、あらゆる良い贈り物として、自分も取り巻く状況も、すべてがありがとうございますと、感謝に変わりました。 受け入れると、苦しみの原因から解放され、不安や迷いや恐れからも解放されます。 解放されているので心は自由です。悪魔や悪霊だと霊的な問題も、信仰が不足だとか、罰やたたりなどの呪いをもたらす気持ちもなく、これで大丈夫。シャローム平安に何時も守られます。もはや何事があろうと怯むことなく前進出来るし、可能性の扉がドンドン開かれて行きます。 祈りがさらに答えられ、聖霊様の助けと臨在がいつもあります。 強がりでも頑張りでもなく、すべてにありがとうございます。恵みの中にどっぷりの日々です。お祈りに支えられています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/10
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;ヨハネの第三の手紙1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得=恵まれ、繁栄し、成功しているようにすべての点でも幸いを得=恵まれ、繁栄し、成功し、また健康であるように祈ります。 三拍子そろった祝福人生を、聖書は約束しています。人間は、三位一体の神の御姿に似せて造られました。 霊と魂そして肉体を持っています。健全な精神は健全な肉体に宿ると言います。しかし、霊的に満たされないと、心の中は空っぽです。思想や主義主張、高級と思われるような趣味、生き方、宗教や道徳的修養を積んでも、創造者である父なる神を持たない霊はむなしく孤独です。イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じるとき、聖霊が死んでしまっていた霊に、新しい息吹を与え、人は新しく生きることができます。アバ父と呼ぶ霊です。ローマ書8:9-11 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。アーメン。信じます。心にイエス・キリストをお迎えすると、三拍子そろった平安と幸せを体験できます。ありがとうございす。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
2017/08/09
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豊かな恵みの 今日も天国まことの幸い 平安満ちてみことばたくわえ 口ずさみつつ流れのほとりの 植木のように日照りのときにも 枯れることなくたされ続けて 生気にあふれ ありがとう感謝で賛美を口に豊かな実りの恵みの日々を主イエスの十字架信じた日より復活の主イエスは世の終わりまで聖霊注がれ輝く笑顔福音語れば救いはあふる アーメン
2017/08/09
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マタイの福音書18:21-22 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。 人間関係は愛です。そして愛は赦しです。愛のあるところに赦しがあり、赦しのあるところに愛があります。ルカの福音書17:3-4 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」ペテロは、覚えてますよ。7度まででしょうかと言いました。聖書で7は完全の意味があるので、イエス・キリストは完全に赦しなさいと教えました。7度までは赦すけれども、8度目は赦さいぞ、という意味ではありません。七度を七十七倍するまで、完全な徹底した赦しです。 教えただけでなく実行された尊い愛の姿を、十字架上に見ます。ルカの福音書23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 全人類のすべての罪や呪い、病や貧しさ、死と滅びを赦し引き受け、死なれました。その神の愛の赦しをアーメンと信じているのがクリスチャンです。 愛は赦し、赦しのあるところに愛があります。赦しのあるところに平和があり、平安、喜び、希望、すべての幸せが輝きます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2017/08/09
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