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次のようなコメントを2月24日にいただきました。ということで、「嘉代子桜」を再掲いたします。 学習発表会 ちゃっぴ!さん 今、12才なんですけれど、いっつも8月6日と8月9になると思います。今度学習したことを発表する会が小学校であります。広島、長崎のような地獄絵図をまた自分たちが作らないようにしないといけませんね・・・(2007年02月24日 11時51分50秒)1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分毎年、綺麗な花を咲かせる昭和24年に寄贈された数十本の桜が存在する。その名は、「嘉代子桜」昭和20年、8月6日、広島に原爆が落とされ数十万という人々が地獄のような苦しみの中で命を落としていった日から3日後の8月9日のこと、プルトニウム型原子爆弾ファットマンを積んだボックスカーは第一投下目標都市小倉に到着するが、投下目標地点を目視できず何度も旋回、そのうち残燃料が少なくなり投下地点を第二目標都市長崎に切り替える。高度9000メートルからファットマンは手動投下され、約1分後、爆発・・・。中心温度は太陽と同じであり、人も物もただ影を残すのみ、何が起きたのかさえ分からずにこの世から姿を消す、爆心地から少し離れた位置にいた人々はその光と熱風で皮膚が火傷になり、顔をさわるとズルッと皮がむけたという。体中に火傷を負った人々は、水を求め川に飛び込み死んでいく、また水を求める人に飲み水を差し出すと、飲んでしばらくして死んでいく・・・まさに地獄絵に変わり果てた「長崎の町」。破壊された建物はいくらでも造りなおせるが、人、友とのつながり、家族、恋人、思い出は二度と戻らない、たった一発の爆弾に運命を翻弄される人々、その元凶をつくったのもまた人であるというアイロニー。体制を憎んでも仕方ない、相手国を憎んでも変わらない、戦争そのものを問題にしないとこの人類が抱える大きな矛盾に悩まされ続けることになるだろう。思想家も庶民も、右派も左派も、軍人も政治家も武力による解決法を望んではいない、ただ、外交努力の先に武力という解決法しか見出せない今の人類の限界がある。果たしていつになったら背中に銃を背負って学校に行く少女がこの世からいなくなるだろう、ゲリラ活動に悩まされる軍が市民を巻き込んでも仕方ないと爆弾を落とす日はなくなるだろう、あいつらが先に悪いことをしたから報復し続けるという屁理屈は人類が地球上から一切消え去るまで続くのだろうか。 昭和20年、長崎原爆投下の日、長崎県立高女の4年生で、学徒報告隊員として城山小学校にて仕事をしていて爆死された林 嘉代子さん。 御両親が小学校に寄贈した嘉代子さんが生前好きだった桜の苗木は今では立派に成長した。 平和も人類の努力によってつくりあげられ育っていくものだ、踏みにじる奴もいれば、引っこ抜こうとする奴もいるだろうその一方で水をあげ、肥料をまき、地道にあきらめず育て上げようとする人もいる。8月9日、嘉代子桜は、57回目の長崎のもっとも暑かった日を迎えている。 黙祷 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月25日
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「もし世界が100人の村だったら」というフジテレビ系列の番組が存在する。一例では、ガーナの幼き兄弟がカカオの実を取る仕事をしていても、彼らはそれがチョコレートになって売られていることは知らない。学校に行くこともなく、このカカオの仕事を死ぬまで続けていくしかない・・・。番組からは離れ、北朝鮮が自由取材が出来たなら、このような番組の格好の材料となる適材国のひとつとなろう。イスラエルの銃を背中に抱える少女も一人っ子政策のために戸籍すら存在せずに生きているか死んでいるかもわからない中国の子供たちだって存在する。果たして、このような番組はなんのために存在するのか、また、このような番組を見て、私たちはどうすればいいのだろうか。慶次にはひとつだけ確実に言えることがある、番組を見ながら、決して「あの人たちと比べれば・・・」などと考えないことだ。また子供にも洩らさないことだ。慶次がインドに行ったとき、片方の手首から先が無い子供がニューデリーのあちこちにいた。彼らは親に手首から先を落とされたのだ。 なぜかって?恵んでもらうためにだ、街行く人々がかわいそうにと何かを恵んでくれるという心理を利用するために親はこのようなことをするのだ。ロシアでのこと、空港に向かって歩いていると何人かの少女が慶次の目の前にかけより自分のシャツをめくりあげる行為をする・・・。 大馬鹿者の慶次はやってはいけないとわかっていながら小額のお金をそっと手渡してしまう、そのチップがあそこにいるロシアンマフィアの手に渡るとわかっていながら・・・。よろしいか、あの人たちと比べれば、私たちは幸せなどと考えるな、他者と比べて自分たちの優越感を認識するような下品な思考は持ち合わせるな。非情に思えるかもしれないが、比べることは常に弱者を探すこと、大人子供関係なく、コミュニティが出来れば「あの人~」と比べる弱さが生まれる。幹がしっかりしていない木々の枝葉は風に揺れ、しまいには幹ごと折れてしまうであろう。まず自分を見つめ、自分のできることをひとつひとつ仕上げていけ、幹がしっかりすれば感情を表に出しても流されることはないのだ。彼彼女たちがパンを食べることが出来た喜びは私たちには想像できない、それは比べることではないし、独立する事象でしかないのだ。などと自分自身に言い聞かせ書きつつ、コンビニの募金箱に小銭を入れてしまう偽善者の慶次であった。*「もし世界が100人の村だったら(フジテレビ)」で挿入歌として 流れるスティービー・ワンダーの名曲を別ブログで取り上げてみました。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月18日
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雲南省昆明市内の富民県で、同県林業局がペンキを使って山の岩肌数千平方メートルを「緑化」していたことが明らかになった。新華社は13日付で「周辺住民も当惑を隠せない」などと報じた。 現場は石の採掘場跡で、約10人の作業員が20日以上かけてペンキの塗布を行ったという。周辺は冬期であるために、低木などがくすんだ色を見せているが、「緑化作業」の対象地帯だけは鮮やかな緑色だ。 低木地帯と岩肌の境目では、岩石の灰色を少しでも出さないよう、低木の枝や葉にも丁寧にペンキが塗られており、放置された空き缶が転がっている。ペンキの成分の環境への影響は明らかになっていないが、除去するのは不可能だという。 新華社は「漫才のネタにもあった『ペンキで緑化作業』。失笑してしまうような話が、現実に行われていた」と批判。「それだけの費用があれば、山全体に植樹することも可能だったはずだ」という周辺住民の憤りの声を紹介している。 このニュースに接した中国人からは「森林を保護し、植樹などを率先して行うべき林業関連部門が、緑化の大切さを理解していない。レベルの低さにがっかりしてしまう」といった声も聞こえる。Yahooニュース この記事を読んだとき、笑いなど一切出ず、かたまってしまった慶次であった。*あまりのインパクトに、何を書いてもかき消されそう・・・ 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月15日
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東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、踏切から線路内に入り自殺しようとしたと思われる女性を助けようとして何度も線路内に飛び込んだ結果、電車と接触し、意識不明の重体になっていた警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長(53)が2月12日午後2時25分、入院先の板橋区内の病院で亡くなった。少し落ち着いたら、墓に花でも手向けに行こうと思う。 敬礼。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月13日
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今日の早朝、何気なくテレビをつけたら「テレビ寺子屋」に斉藤孝氏が出演、これがなかなか面白かったので、ここで簡単にご紹介するとしよう。本日の斉藤氏の話のテーマは大きく分けて2点、1)カリキュラム教育の未履修問題がいま起きているが、履修教育の今昔を比べ、今は子供たちに選択の余地を与えすぎではないのか。2)いじめというものは昔から存在するものであり、お釈迦様も書いている。嫌ではあるが、いじめっこについて行かないと遊んでくれる友人がいないなどというが、腐った人間についていくより独りになっても進んでいくことのほうがいい。2は今日書きたいことと外れるのでサラッと流す、氏は「うざい」「きもい」という言葉を子供が使うようになったら要注意と警鐘を鳴らす。いじめというものは「うざい」「きもい」「くさい」、少し前では「むかつく」、こういった言葉がキーワードで、この言葉を頻繁に使うようになったら、いじめる側かいじめられる側に入り込んでいる場合が非常に多いようだ。次に、自分の目標が見つかった人間はいじめない、というよりいじめている暇がない、そんなつまらないことを考えている暇がないというわけだ。またいじめられる側はいじめっこ達とつるんでいることで遊んでもらえるという場合がみられる、敢えて言う「悪友を断て」と。斉藤氏の講話は、すべての事象にあてはめて話しているわけではないので、ヒントとして捉えていただきたい。では本日のメインテーマ、1だが、これは正直「ハッ」とさせられた。慶次の頃もそうだが、物理や化学、地学に生物、日本史、世界史、地理に政経、数学も代幾に微積などなど、溢れるほどたくさんカリキュラムを勉強させられたわけだが、今はこれらの履修項目が減らされ、さらに未履修まで存在する学校が存在しているわけで、正直馬鹿生産拠点と化した学校である。ここからは斉藤氏の例えである、カリキュラムというものは必要な栄養素であって、あれが嫌いこれが嫌いと言っている子供の言うことを聞くものではない、つまり食物の好き嫌いを言う子供に「野菜を食べないと駄目カルシウムも取らないと駄目」と諭すように、教科も子供が数学が嫌い(苦手)だからやらなくていいよと甘やかすものではないと。昨今の大学受験は3教科や2教科で受験できる低能大学も存在するようで、こんな偏ったシステムにあわせる必要は無い。慶次は思う、果たして受験科目3教科にしたからといって、その専門性が特化し、深い学問を学べ、スペシャリストが産まれたかといえば・・・はっきりいって疑問符。では、教科を以前のようにただ単純に戻せと言うのも芸が無い、教科を料理に例える以上、調理人に求められることもあるわけだ、調理人=教師である。素材を揃えて、それを調理して美味しく提供すれば、それに客は飛びつく、この構図を教育に適用すると、必須教科という素材がある、しかしこれをただ暗記しろ、計算せよ、朗読せよ、これでは意味が無い、いかに噛み砕いたり、興味がわくような授業に展開させていくかが調理人たる教師の役目だ。今の教育は「冷凍食品」を解凍することなく子供達の前に提供しているにすぎない。この苦言はおもしろい、工夫というものはしてもし過ぎるということはない、うまい料理をつくる調理人に高い評価が集まるように、工夫している教師を査定することも必要かもしれない、教師の切磋琢磨も必要と慶次は考える。余談だが、家庭で学校の大切さを教えることも必要であろう、席でジッと授業を受けられない児童、生徒が激増しているようだが、蹴りでもぶっ込んでおとなしく座らせろ。 いまでは生徒を廊下に立たせるだけで「虐待」とかほざくPTA・・・。P・・・パープリンT・・・たわけものA・・・アホこんな風に揶揄されないようにしてくれ、PTAよ。食べ物の好き嫌いを言う子供の健康を心配して苦言を呈すのと同じようにある程度の万遍ない学問へのアプローチは必要なものと割り切ってみませんかこれを読んでくれた勉強嫌いな生徒諸君、基礎学力はどうしても時間が必要であり、成果があらわれるまでにタイムラグが存在する。我慢して地道に精進する期間と考え頑張って欲しい、来年、受験する方をはじめとする、すべての学徒たちに幸あれ*パソコンや携帯が勝手に変換してくれるからといって漢字の読み書きを おろそかにすべきではないぞよ。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月11日
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ええっと、閉鎖しま・・・せん・・・ぷっ。大切ということでもないのですが、先月に別ブログを立ち上げまして、そのお知らせをここでさせていただきます。ベスト・ヒット懐かしのミュージック勝手に自分の好きだった懐かしの音楽をアップしている趣味の世界です、まあ、暇だったら一度くらい覗いてみてくださいよ、まだ開設して一ヶ月程度、曲数も少ないですが、一日一曲をペースにまったり楽しんでいます。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月07日
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千葉市稲毛区宮野木町の神社「甲大神(かぶとおおかみ)」の敷地内にある、樹齢300年近い「ご神木」を含む樹木が昨年12月、隣接地で住宅販売を手がける業者によって誤って伐採され、神社側と業者の間でトラブルになっている。業者は神社側に謝罪し、代わりの木を植えることを申し出たが、伐採された中に千葉市指定の保存樹木2本などが含まれていたこともあって神社側はこれを受け入れず、千葉北署に器物損壊容疑などで被害届を提出する事態に発展している。 ■市の保存樹木も■ 無人の甲大神を管理する「検見川神社」(宮間秀夫宮司)によると、伐採されたのは、いずれも市の保存樹木に指定されているクスの木とシイの木、さらに神が宿るとされ信仰対象となっていたオガタマの木など、計約20本の樹木。 伐採した住宅販売業者(千葉市中央区)では、「宅地開発を予定している林の樹木を伐採する際、住宅の日当たりに影響する神社の木も伐採してかまわないと、土地を買った業者から聞いていた」と釈明、さらに「伐採に立ち会った同神社の神主の了承を得た」と主張している。 これに対し神社側では「以前から伐採の話は聞いていたが、枝を払うだけだと認識していた。木そのものの伐採を認めた覚えはない」と反論。確認を求められたとされる神主も「どの木を伐採するか具体的に聞いていたわけではない」と話している。 業者側は、伐採後に神社から抗議を受けて「木を切る際に改めて伺いをたてるべきだった」と謝罪、「同じような木を植える」と神社側の代理人を務める弁護士を通じて申し出た。業者は神社側から「原状復帰を求める。少なくとも樹齢100年以上の木を植えてもらいたい」との要求書を弁護士から受け取ったとした上で「和解に向けて話が進んでいるものだと思っていたが、まさか被害届を出されるとは」と困惑している。 また同神社では「神が宿るご神木は神社に不可欠な存在で、新たな木を植えたからといって解決する問題ではない」と話し、「原状復帰ができない以上、神社にふさわしい樹齢300年近い木を植えるなど、誠意を見せてもらいたい」と求めている。 (2007年1月27日 読売新聞) この話、昨日テレビでも放映されていたが、神社側は「敷地から飛び出した枝を伐ってもよい」と言ったそうで、それがどこでどう伝わったのか業者側にとって邪魔とされる木々をすべて伐採してしまったということのようだ。 慶次には、この記事を読んで腑に落ちない点がいくつかある、まず市の保存樹木2本は、神社側云々ではなく、市と業者の問題に発展するのではないか? さらにもう一点、伐採した神木のことだが、これを伐ってしまったのは仕方がない、この業者が精霊の怒りを甘んじて受けるしかない(命を落とそうが知ったことではない)、それよりも一方の神社側が神社にふさわしい高樹齢の木を持ってこいという主張は理解できない・・・。 「日本の習俗vol.5杜とカミ」で書いたが、四季の移り変わりによる落葉から新葉への変遷、そして樹木そのものの生死こそが杜が生きている証であり、これこそが神道に眠る「蘇り」の信仰の重要部分ではないのだろうか。 伐られたものは仕方がない、他から持ってきて体面を保つようなことをする前に今すぐにでも、新たな苗木を植えるべきである。神社は永遠なる聖地、神官が死んでも神社は続く。100年後には立派な神木が育つことであろう。 その上で、この業者には会社が続く限り神社に対する協力をしてもらうことが謝罪につながると思う慶次であった。 そういえば地球環境に警鐘を鳴らしている米国元副大統領アル・ゴアが来日していたようだが、彼に日本の鎮守の森文化を誰か話してくれただろうか。検見川神社公式ホームページ 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月05日
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台湾・台北の故宮博物院の広場で3日夕、観世流能楽師・梅若六郎さんが舞う「楊貴妃」が上演された。 中国歴代皇帝の文物を集めた故宮の大改装(リニューアル)を記念したもので、三味線などを女性だけで伴奏する異色の演出が披露された。薪能形式で、呂秀蓮副総統らが火を入れた。 4日の上演には、中国楽器「二胡」の伴奏も加わる。台湾で本格的な能の上演は初めてといい、市民は、三味線などのリズムに合わせたテンポの速い日本の伝統芸能を楽しんだ。 梅若さんは上演にあたり、「日本人が考えた美の究極の楊貴妃を、能という形で台湾で表現してみたい」と語った。読売 梅若六郎といえば、ベルギーでも能を公演し、海外に能を積極的に紹介している能楽師、沼津でも御用邸能の舞台に連続出演中である。 ここで簡単に「能」について書いておこう、能は現存世界最古の舞台芸術である。 ターニングポイントとして能ではなく新興勢力の幸若舞を贔屓にしていた信長が天下を取れずに、能大好きな豊臣秀吉が天下を収めたことと徳川幕府が能を武家式楽と定め、接待・饗応・儀式の公式芸能にした、この二点。 単なる大衆芸能であった能であったが、結城座が足利義満をスポンサーに得、さらに上記の流れが「能」を伝統たらしめたのだ。 神楽(かぐら)と呼ばれるもっと古い芸能がある、これは八百万の神への舞いであった。さらに大陸から「雅楽」と呼ばれる形式ばった華やかな芸能が流入してくるが、日本人はみやびで形式ばった雅楽よりも、歌あり音楽あり舞いありなんでもありの散楽を好んだ。 また、声明(しょうみょう )というものがあった。これはお経の唱和、楽器演奏、舞踊などの僧侶達の芸事であり、非常に庶民の間で好まれた。 この3要素「神楽、散楽、声明」が時を経て交じり合い、日本の数々の芸能-今様(いまよう)、催馬楽(さいばら)、宴曲(えん きょく)、郢曲(えいきょく)、風流(ふりゅう)、白拍子(しらびょうし)、 田楽(でんがく)、申楽(さるがく)などを生み出した。 その中で、頂点に立ったのが、能の創世者、大和猿楽結崎座の観阿弥清次なのだ。 ちょっと話がかたくなってきた、実は「能」は見るのもいいが、舞うほうが断然おもしろい!! また、機会があれば書きましょう。*「能」に興味を持たれた方、もともと能好きな方は、zakzakさんのブログへ! 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年02月04日
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