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少し前に紹介した、「でっちあげ」について補足しておきたい 前回、最後の数行を衝撃的な書き方で終わらせたために、かなり混乱 してしまった方もいたようだ、そこでいくつか説明しておこう この事件の根幹を成す「血」の問題から簡単に・・・ この福岡で起きた教師による壮絶ないじめ虐待は、この児童がアメリカ人 の血を引いていたために、「穢れた血」とののしり執拗ないじめが行われた はずだったのだが、虐待の事実が限りなくゼロに近いだけでなく、母親の 妄言だった可能性があると指摘されている。 (事実なら、児童の曾祖父がアメリカ人・・・しかし、事実が疑われ始めて からは、児童の母の曾祖父がアメリカ人と変更され、いまでは黙秘 ) 児童のPTSDのカルテをつくる際に、児童の父母が家族歴を書いているの だが、母の父方の祖父がハーフで父はクオーター、さらに母の母は日本人で はあるが、フロリダ在住で英語しかしゃべれないと書かれてある。そして、 児童の母は、幼少時代から第一子が生まれるまで米国に在住していた・・・ しかし、裁判で不利になることから、弁護団はこの記載が嘘だと認め、変更し たのだ、それでも、この「外国人の血」が入っていることははずさなかった と・こ・ろ・が 訴えられていた、「福岡市」が詳細にこの母親の戸籍を調べ上げ、遡っても アメリカ人らしき人物は存在せず、さらにアメリカの学校ではなく、福岡市の 小中高に通っていたことを準備書面で提出した・・・ この「血」の事実がとても重要な問題で、PTSDの診断書を書いた医師も 児童がもっとも傷を負った外傷は「血の穢れ」という問題だったと証言して おり、異国人の血の話が嘘だったら、診断書もインチキということになる などなど、とにかく裁判で明らかにされる虚偽の数々がマスコミが最初に報道 した内容とかけ離れすぎてビックリする この本の最後の締めくくりである一審判決を受けて、原告側は教諭への控訴を 取り下げ、もう一方の福岡市とのみ控訴審を続けている状況だ その内容は、「でっちあげ」著者である福田ますみ氏本人により以下のページ に更新されている、興味のある方は、ぜひこの本を読み、さらに以下のページ を併読すべし 新潮社 「でっちあげ」 裁判追記 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年11月18日
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【ブリュッセル13日時事】オランダ・アムステルダム市当局は13日、「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク(1929~45年)の一家が第2次世界大戦中に隠れ家として使った同市内の家の裏庭に立つ樹齢150年を超えるマロニエの木が立ち枯れ状態となり、倒れる危険があるため、21日に撤去することを決めたと発表した。 ナチス・ドイツの迫害から逃れこの家に隠れ住んでいたアンネは、屋根裏部屋からこの木を見上げては、日記に何度も書いていた。アンネにとっては、自由の象徴でもあった。 [時事通信社][ 2007年11月14日8時23分 ] アンネリーズ・マリー・フランクは、1929年生まれで、没年齢は15歳、 1945年没である。 ナチスドイツのユダヤ人狩りを恐れ、一家はドイツ からオランダに移住した。 1940年には欧州大戦勃発、そしてオランダ はナチスドイツの電撃作戦により、陥落する。 彼女が残した日記はナチスによるユダヤ人狩りが激しくなる1942年から 1944年8月1日まで書かれたもので、ゲシュタポに捕まったのもこの年で あり、その翌年、強制収容所で命を落とした。 彼女の日記は、ゲシュタポへの恐怖が書かれているとはいえ、どちらか というと思春期の女の子が持つ感性、それも恋や女性へのステップアッ プといったものや、家族の人物評を赤裸々に記してあり、文学作品とし て秀逸であると慶次は思う。 隠れ家で生活するアンネは、この日記の後半で、自然の素晴らしさを書 いており、極限の状態が彼女の意識を自然に振り向かせたのだろう。 自然に魅力を感じたアンネは、「生きる」という素晴らしさを再確認し 日記の後半では、家族に対する愚痴などが減り、悲観的な内容よりも、 前向きな、「生きる」喜びが書かれるようになる。 少し大人になったアンネは、強制収容所での過酷な生活のなかでも、 最後まで強く生きようと思ったに違いない 同じ年(1929年)、ベルギーで生まれた彼女は、5歳でロンドンへ、さら に10歳でオランダに移住し、欧州大戦のときには、ナチスに対しレジスタ ンスとして活動していた・・・彼女の名は 「オードリー・ヘプバーン」 彼女は「アンネの日記」映画化の際、アンネ役のオファーを断っている。 理由は、「 女優というのは、全く別の人格になりきって演じるものです。 アンネ・フランクは他人ではなく、私自身であり過ぎたためにもう一度 つらい体験をすることはできなかったんです 」 オードリーはアンネであり、アンネはオードリーだったのだ。 オードリーは晩年、ユニセフ活動を熱心に行い、内戦や紛争に苦しむ 子供たちに手を差し伸べ続けた。 朗読コンサートでは、あの「アンネの日記」を朗読し、ひとつの区切りを つけたのだ・・・しかし、その頃から彼女の体調は下降していった。 オードリー・ヘプバーン、享年63歳 慶次は、彼女の映画の中で、「ローマの休日」と「おしゃれ泥棒」が 大好きです 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年11月15日
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満州における人脈として、「二キ三スケ」を説明しておこう 「二キ三スケ」とは名前の一番後ろの漢字部分をとってもじった 言葉であり、満州人脈5人のつながりを示すものである 東條英機 (満州国参謀長)星野直樹 (満州国務長官) 松岡洋右 (満鉄副総裁)鮎川義介 (満州経済人)岸 信介 (満州経済官僚) 星野直樹は形式上置いていた満州人の総理大臣を実質的に操る立場にいた 満州国務長官であり、財政を一手に握っていた、大日本帝国大蔵官僚出身。 松岡は満鉄が単なる鉄道会社から満州経営の国策会社へと脱皮することに 積極的に関与し、この後、外相時代は国際連盟脱退を決めた男。 鮎川義介は日産を満州に移し、満州重工業開発株式会社総裁として辣腕を振るった経済人。 妖怪と呼ばれた、「岸信介」は先ほど、内閣総理大臣の職を辞職した安倍晋三氏の祖父である。 岸の回顧録として、満州時代に板垣征四郎参謀総長に講釈を垂れたとか、東條内閣総辞職の理由の引き金が岸によって引かれたときの様子といい、勇ましい話が多い(まわりの人々は法螺と断言している)、満州離任の際の挨拶は、「出来栄えの巧拙は別にして、ともかく満州国の産業開発は私の描いた作品である」と自慢げに語っている。 しかし、残念なことに、この自己回顧録はほとんどまわりからは評価されて いないし、大法螺吹きとまでいわれている。 満州国関東憲兵司令長官時代の東條に近づき、仲良くし、その後は東條に取り 立ててもらい、商工大臣にまで上り詰めた岸信介は結構口が軽いほうではあっ たが、満州時代のことはほとんど語っていない。 東條内閣時代、高松宮の側近だった細川護貞の「細川日記」には、満州から もたらされる黒い金(アヘンをも含めた闇の金)の分け前争いが東條内閣崩壊の理由のひとつだったと書いてある。 東條は派閥や政党の援助が無いのに、関東軍参謀総長から異例の大出世を遂げ ており、満州のフィクサーと呼ばれた甘粕正彦との関係は興味深いが、甘粕は 敗戦と共に服毒自殺をしており、すべては闇の中・・・ この時代、アヘンは戦略物資であり、イギリスの地球規模における戦略は恐ろ しいものがある。 その利権を握り、真面目すぎるがゆえに大日本帝国の未来のために自分が上に 行って、なんとかせねばと思いつめ、頑固なまでの狭い視野に陥った東條英機、 利権で遊んで暮らそうと考えた守銭奴の岸信介は首相になったり、日米安保の 話がよく出るが、基本は贅沢をして女をはべらせ暮らしたいという官僚楽天家。 実際、80歳で愛人を囲い、朝からステーキを食べていたと回顧録や証言で残っ ていたりする・・・ 次回は、「東條英機と石原莞爾」 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年11月14日
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ふぅ、大きなため息をつきながら、おもむろにベンチから立ち上がり 目の前の石を蹴り上げた。石は勢いよく川に飛び込み、真円の波紋を 果てしなく描き続けた。続いて先ほどよりもう少し小さめの石を蹴り 込んだ。波紋は当然乱れ、不規則な楕円運動は慶次のこの事件に対す る動揺とシンクロし、得体の知れない恐怖感が全身を覆った・・・ 平成15年6月27日、朝日新聞にひとつの記事が掲載された、それは「小4 の母、曾祖父は米国人、教諭、直後からいじめ」という見出しで、小さい ながらも地元のローカルニュースで取り上げられ始めた(福岡)。 その後、10月9日号の「週間文春」が、「「死に方教えたろうか」と教え 子を恫喝した史上最悪の殺人教師」と教師の実名入りで強烈な記事として 掲載する。 平成15年5月当時、福岡県の公立小学校の男性教師が家庭訪問の際、男児の 髪の赤いことに目をつけ、母親に、「○○くんは純粋ではないのですよね」 と切り出した、そして曾祖父がアメリカ人であることを聞きだすや、「血が 混じっているのですね」と延々とアメリカ批判を続けた。 母親が、「それは差別ですか、学校では差別はいけないと教えているのでは」 と抗議すると、「私も人間ですから」と開き直り、「建前であって、ほとん どの人間は心の中で差別意識を持っているのです」と言った。 さらに教諭は、「日本は島国で純粋な血だったのに、だんだん外国人が入り 穢れた血が混ざってきた。悲しいことに今では純粋な日本人は減っている」 と母親にとうとうと話した。 これを別の部屋にいた児童が聞いていて、翌日、「穢れた血」の意味を辞書で 調べ、母親に「僕の血は汚いと?皆と同じ赤いのに、なんで汚いと?」と聞くようになったという。 この家庭訪問の翌日から、教諭の児童に対する言語を絶するいじめ虐待が始 まった。 授業終了後、「10数える間に片付けろ」と告げるやいなや、早口でカウントし片付けられないと、ランドセルや筆箱をゴミ箱に放り込んだ。 さらに罰として、教諭の考えた刑罰からひとつを選ばせ、虐待を加えた。 児童は仕方なくピノキオと小声でつぶやくと、教諭は喜々と児童の鼻を力 いっぱいつまみ、身体を振り回した、結果、児童は鼻血を大量に出血し 服を血だらけにして帰宅した。 ミッキーマウスのときは、耳が引きちぎられるほど、引っ張られ、両耳がちぎれ、傷口が化膿した。 この刑罰は毎日、帰宅のときに児童たちの前で行われ、教諭はニヤニヤ笑い ながら、「穢れた血をうらめ」などと罵詈雑言を児童に浴びせつづけた。 学校から帰宅した子供のランドセルの中があまりに乱雑だったので、母親が叱って問い詰めたところ、児童は教諭による虐待を告白する。 この常軌を逸した教諭の仕打ちに母親は意を決して、学校側へ担任交代の抗議 をしたところ、保留の回答だった、次いで翌々日、夫婦そろって学校側へ抗議 をするが、またも保留、代わって監視役をつけるという措置を講じた。 しかし、教諭は監視の目を盗み、拳で男児の頭を殴るなどの行為を続けた、 ここにきて、学校側は教諭を担任からはずした。 その後、この教諭が児童に自殺強要をしていたことが判明する、「血の穢れ ている人間は生きている価値がない。早く死ね、自分で死ね」と脅し、その 結果、児童は自宅マンションから投身自殺を図ったことさえあるというのだ。 福岡市教育委員会は、調査の結果、教諭が児童に対しいじめと虐待を行って いたことを認め、8月、教諭に対し停職6ヶ月の懲戒処分を言い渡した。 しかし、この一連の虐待で、児童は重度のPTSD(外傷後ストレス障害) と診断され、大学病院の精神科閉鎖病棟に長期入院する事態となる。 ここに至り、男児の両親は教諭と福岡市に対し、5800万の損害賠償を求める 民事訴訟を福岡地裁に起こした。 この異常ともいえる教諭のいじめ虐待事件に、550人という大弁護団が結成 された、そして、12月5日、マスコミ注視のなか、第一回口頭弁論がおこな われた・・・ 昼間は心地よかったそよ風も、陽の傾いてきたこの時間には少し肌寒い。 街灯の明かりが灯り、空は深い海の底へと沈んでいく。 福岡地裁最大の301号法廷、午前11時、被告側のいじめ教諭と福岡市担当者 5名 vs 原告側の正義の鉄槌を下すために立ち上がった夫妻と大弁護団。 しかし、教諭の圧倒的な不利な状況では代理人すら見つからず、この口頭弁論は15分で終了、教諭は認否を保留した。 「ザ・ワイド」、「スーパーモーニング」などの全国メディアも注視する いじめ虐待教諭問題は、教諭に弁護人が着く、第二回以降変化を見せる。 原告側は従来どおり、教諭の態度と福岡市の対応のまずさを指摘し、攻勢 をかける・・・しかし・・・ みなさん、PTSDの診断結果がまったくの信用にならない紙切れだったら どうしますか? 教諭の体罰によって怪我をしたということですが、児童の 前で行っていたはずが、そんなところを見た児童がいない、そして鼻血が出 たり、耳が化膿したのに、病院の診断書ひとつないとわかったらどうします か? そして、そして、そして・・・ この夫妻の主張する「異国人としての血の穢れ」から、執拗な体罰を受けた ことの根幹を成す、曾祖父がアメリカ人であることがまったくの嘘であり、 この母親が、まったくの妄言を語っていたとしたらどうしますか? 大手マスコミが飛びつき、徐々に全国拡大していき、いつの間にか、「自殺 強要」までした鬼教師と祀り上げられてしまった教諭は、たしかに優柔不断 な回答をして、自分の立場を悪くしているが、それでも、ここまで裏を取ら ずにセンセーショナルに報道していくマスコミとは恐ろしい。 そして分が悪くなると、いっせいに引き上げ、知らぬ存ぜぬのマスコミ様! 究極のクレーマー夫妻と、無責任なマスコミの対応をぜひとも感じて欲しい P.S この本が出版される前に書かれたブログを検索してみると、 文春のように、教諭の実名をあげ、糾弾に必死な記事が多いです。 私たちがいかに大手マスコミや週刊誌の記事内容を拠り所として 左右されているかよくわかります。 責める気はないのですが、誤った記事とわかったときには、すぐに 修正と謝罪の言葉を、ブログとはいえ、載せるべきでありましょう。 福田ますみが取材を通して刊行した、「でっちあげ(新潮社)」この中では、いかにマスコミがいい加減な取材でモノを書き、書いたあとは知らぬ存ぜぬという、緩みきった体質と無関心さ、そしてなにより、親は善、教師は悪というレッテルを貼り付けていることから発する、現代の歪んだ社会体質が描かれている。 ぜひ、御一読をはなはだ口惜しきこと(いきなり担任になった女性教諭の自殺)こちらを書いたときに思ったのですが、校長がまったく役立たず、親に誠意を見せることが解決への道と勘違いし、ただひたすら謝罪を担任に促します・・・まるで日本外交と同じです。まず、現在どのような事実が起きているのかを客観的に検証することが必要ではないでしょうか。産経が【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(2)「お前ら全員辞めさせる」というコラムを書いていますが、これも一読して欲しいと思います。 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年11月09日
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■中学生とえんこう「100回超」 ついに金払えなくなり ■取り立て受け家族通報 函館の容疑者逮捕 函館中央署は5日、函館市美原4丁目、ストーブ修理業五十嵐勉容疑者(30)を児童ばいしゅん容疑で逮捕した。同じ中学生と100回以上ばいしゅん行為を重ねた結果金が払えなくなったといい、中学生の家族が容疑者宅に「取り立て」に来たことから、容疑者の家族が110番通報して発覚した。 五十嵐容疑者は「ホテルには行ったがセイコウイはしていない。14歳以下とも知らなかった」と容疑を否認しているという。 調べでは同容疑者は今年4月7日午前2時ごろ、渡島支庁八雲町のホテルで函館市の中学生(当時14)を相手に、金を払う約束でセイコウイをした疑い。同中学生とは昨年10月、携帯電話の出会い系サイトで知り合ったという。中学生は調べに対し、同容疑者とは1回1万円以上の約束で、これまでに100回以上会ったと話している。 今年7月に会った際、同容疑者が金を払わなかったことから、中学生が家族に相談し、家族が容疑者宅に出かけて口論となり、容疑者の家族が110番通報した。 asahi.com 北海道最初に読んだとき、???出会い系サイトを利用し、中学生をばいしゅんした30歳男の事件かとボーッと眺めてしまった・・・「取立て」???親が取り立てに行ったのかよ!!なにがなんだかわかりましぇん 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年11月06日
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福田首相(自民党総裁)と民主党の小沢代表の党首会談で、民主党が連立政権に参加した場合、小沢氏が副総理格の無任所相に就任することで合意していたことが4日、明らかになった。 両党首は連立政権の17閣僚の配分を自民党10、民主党6、公明党1とすることでも合意、「大連立」を前提に話し合いが行われていた。 関係者によると、2日の党首会談では、民主党に割り当てる閣僚ポストとして小沢氏の副総理、国土交通相、厚生労働相、農相が挙がったという。副総理は内閣法に法的な位置づけはなく、あらかじめ首相臨時代理に指名された閣僚を指してきた。政府は、首相臨時代理を組閣時に5人指名しているが、臨時代理順位の1位を無任所相の小沢氏とする方針だったと見られる。 このほか、自民、民主両党間に設置する政策協議機関のメンバーに民間人も参加することが話し合われた。(2007年11月5日3時0分 読売新聞)政界は一瞬先は闇・・・名言である小沢が自民党との大連立を狙っていたことは、前々から語られていた小泉元首相が首相を退任する際に、自分が辞めたら、小沢が自民党の分裂工作を図るから気をつけろと言っていたが、逆に小泉自身も民主との大連立(民主分裂)を狙っていた節があり、このへんも興味深い安倍元首相は小泉旋風の300議席を譲り受けたが、結局、脇があまく自滅していった、それを小沢は見越しており、安倍政権のときは、アクションを起こさず、民主の力を蓄えることに専念し、近々おこなわれるであろう解散選挙の戦略を練りに練っていたことだろうその後、福田政権が発足、テロ対策法にゆれる自民側の足下と民主党が意外にも、候補者が集まらず、次回の総選挙の際に一議員一区を達成できないかもしれない不安と、自身も叩かれている金問題が焦点となることを避けたいということと、なんといっても、もし自分たちが衆議院でも勝ってしまったら、政権を担うことになる、しかし、今のメンバーで国家を運営することに対する不安が小沢にあったのではないかここは大連立を図り、民主党議員に閣僚経験を積ませたい・・・そして、小沢の本音、自分は首相はやりたくない、フィクサーでよい若き頃、史上最年少で首相になるチャンスが訪れたときも、豪腕小沢は逃げた、いや彼にとって、首相というポストは魅力がないのかもしれないさて、小沢はこの後どうするのか?民主の一部を引き連れて旗揚げするのか、そうなると自民にも引き抜き工作を仕掛けるであろう、なにはともあれ民主党は大打撃を受け、政界混乱、自民党瀬戸際だった状況は一転した、いつもこうなのよね~自民と民主が水面下で調整していることはわかりきっていることだけど、ここまで法則発動されると、子供にすら茶番だってわかってしまうこの後、小沢と小泉の動きは要注意 民主党の小沢代表が4日、開いた辞意表明会見での全発言は以下の通り。(別に質疑応答での全発言) 民主党代表としてけじめをつけるに当たって私の考えを述べたい。福田総理の求めによる2度にわたる党首会談で、総理から要請のあった連立政権樹立を巡り、政治的混乱が生じた。民主党内外に対するけじめとして、民主党代表の職を辞することを決意し、本日、辞職願を提出し、私の進退を委ねた。 代表の辞職願を出した第1の理由。11月2日の党首会談において、福田総理は、衆参ねじれ国会で、自民、民主両党がそれぞれの重要政策を実現するために連立政権をつくりたいと要請された。また、政策協議の最大の問題である我が国の安全保障政策について、きわめて重大な政策転換を決断された。 首相が決断した1点目は、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は国連安保理、もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に参加することに限る、したがって特定の国の軍事作戦については、我が国は支援活動をしない。2点目は、新テロ特措法案はできれば通してほしいが、両党が連立し、新しい協力体制を確立することを最優先と考えているので、あえてこの法案の成立にこだわることはしない。 福田総理は以上の2点を確約された。これまでの我が国の無原則な安保政策を根本から転換し、国際平和協力の原則を確立するものであるから、それだけでも政策協議を開始するに値すると判断した。 代表の辞職願を出した第2の理由。民主党は、先の参議院選挙で与えていただいた参議院第一党の力を活用して、マニフェストで約束した年金改革、子育て支援、農業再生を始め、国民の生活が第一の政策を次々に法案化して、参議院に提出している。しかし、衆議院では自民党が依然、圧倒的多数占めている。 このような状況では、これらの法案をすぐ成立させることはできない。ここで政策協議をすれば、その中で、国民との約束を実行することが可能になると判断した。 代表辞任を決意した3番目の理由。もちろん民主党にとって、次の衆議院選挙に勝利し、政権交代を実現して国民の生活が第一の政策を実行することが最終目標だ。私も民主党代表として、全力を挙げてきた。しかしながら、民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続けている。次期総選挙の勝利はたいへん厳しい。 国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。 政権への参加は、私の悲願である二大政党制に矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考える。 以上のような考えに基づき、2日夜の民主党役員会で福田総理の方針を説明し、政策協議を始めるべきではないかと提案したが、残念ながら認められなかった。 それは、私が民主党代表として選任した役員から不信任を受けたに等しい。よって、多くの民主党議員、党員を指導する民主党代表として、党首会談で誠実に対応してもらった福田総理に対しても、けじめをつける必要があると判断した。 もう一つ。中傷報道に厳重に抗議する意味において、考えを申し上げる。福田総理との党首会談に関する報道について、報道機関としての報道、論評、批判の域を大きく逸脱しており、強い憤りをもって厳重に抗議したい。特に11月3、4両日の報道は、まったく事実に反するものが目立つ。 私の方から党首会談を呼びかけたとか、私が自民、民主両党の連立を持ちかけたとか、今回の連立構想について、小沢首謀説なるものが社会の公器を自称する新聞、テレビで公然と報道されている。いずれもまったくの事実無根。党首会談、および会談に至るまでの経緯、内容について、私自身も、そして私の秘書も、どの報道機関からも取材を受けたことはなく、取材の申し入れもない。 それにもかかわらず事実無根の報道がはんらんしていることは、朝日新聞、日経新聞を除き、ほとんどの報道機関が、自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担っているとしか考えられない。それによって、私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを決定的にダウンさせることを意図した明白な中傷であり、強い憤りを感じる。 このようなマスメディアのあり方は、明らかに報道機関の役割を逸脱しており、民主主義の危機であると思う。報道機関が政府与党の宣伝機関と化したときの恐ろしさは、亡国の戦争に突き進んだ昭和前半の歴史を見れば明らかだ。 また、自己の権力維持のため、報道機関に対し、私や民主党に対する中傷の情報を流し続けている人たちは、良心に恥じるところがないか、自分自身に問うてもらいたい。 報道機関には、冷静で公正な報道に戻られるよう切望する。 asahi.comいろいろ言っているけど、要は民主党単独で政権運営は無理そこまで力が無いと言いたいんでしょうなえっ? 自民党? しぶといよ、この政党は
2007年11月05日
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広島に1945年8月、世界初の原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツ氏が1日朝、米オハイオ州コロンバスの自宅で老衰のため死去した。92歳だった。友人で元代理人のジェリー・ニューハウス氏が朝日新聞の取材に語った。 同氏によると、ティベッツ氏は心臓の持病に苦しみ、2カ月前から衰弱していた。原爆投下に批判的な人々の抗議活動を恐れて葬儀や墓石を希望せず、遺灰を海にまいて欲しいと言い残したという。 ティベッツ氏はイリノイ州クインシーに生まれ、37年陸軍航空隊に入った。原爆開発の「マンハッタン計画」にかかわり、母親の名前から爆撃機にエノラ・ゲイと名付けた。 同氏は生前、原爆投下の正当性を疑っておらず、「投下は戦争を終結させるためだった」「(投下された原爆は)大きな戦争を抑止してきた」と朝日新聞の取材に語っていた。原爆投下60年の05年にも地元紙の取材に「(任務を受け)人々を殺すことになると知っていたが、できるだけ早く(戦争の)大量殺害を終わらせるため任務を全うすることしか頭になかった」「(後悔は)とんでもない」と答えている。 同氏は45年8月6日未明、エノラ・ゲイの機長としてマリアナ諸島のテニアン島を離陸し、広島に同日午前8時15分、史上初めて原爆「リトル・ボーイ」を投下した。 asahi.com原子爆弾 ~ヒロシマ・ナガサキ~ひろしま
2007年11月02日
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建国間もない満州は新京に赴任した東條英機とその一家、関東憲兵司令官 としての東條は満州の複雑な警察機構を憲兵も含め刷新した 軍人以外の取り締まりは出来なかった憲兵を、民間まで取り締まる「官警 統一」で解決し、東條は辣腕を振るった そして、昭和維新を掲げた2.26事件が起こる、これは東條と対立した皇道 派が起こしたクーデターであり、これに対し、東條は「反乱軍」と断定し 満州国内に存在する皇道派に同調する輩を逮捕し、満州は平穏を保ち、事 件の影響は皆無であった この収拾能力が軍中央で評価された、また、憲兵司令官の彼は、部下に厳 しく、それでいてよく意見を聞いた、この頃の満州が一番憲兵に対する非 難が少なかったころである そしてこの辣腕ぶりが国内の憲兵たちの尊敬を東條が一心に集める結果と なったのだ、この後、評価を高めた東條英機は板垣征四郎の後任として関 東軍参謀長に就任した 就任間もなくシナ事変が勃発、関東軍は参謀長東條を指揮官として北支へ 特設兵団を派遣、これこそが「東條兵団」である <東條兵団> 昭和12年7月、シナ事変が勃発、チャハル作戦を命じられた東條英機が率い る兵団を「東條兵団」と呼ぶ 東條兵団の進撃は電撃作戦ともいわれ、補 給部隊が間に合わず、米が食べれず粟飯ばかりの日が続いた 東條軍参謀長は常に食事は兵と同じものを出すように担当者に命じていた 少しでもご馳走が出ると、「これは兵食どおりか」と念をおしたという 東條兵団では、強盗、ごうかん、略奪などの事件があると峻烈きわまる措置をとった、現地で日本軍が信頼されるために厳しく対処し、軍法会議送りに したのだ、また東條は占領地の文化財保護にも努めた、雲岡石仏などは好例 四個旅団を率いて戦った東條英機の指揮官としての評価は高い 部下に対し深い愛情を示し、戦場において積極的に陣頭指揮をとり、糧食の 補給がなくとも兵と苦楽をともにした東條という男 なんだか指揮官として当たり前のことのように思うかもしれないが、当たり 前のことほど難しいことはない、実際、世界の指揮官でこのような実直なこ とが出来た人物は数えるほどしかいない 名指揮官「東條英機」・・・政治家になったばかりにA級戦犯として汚名を おびたまま絞首刑となったが、軍人のままだったら、後世に名将として名声 を残したかもしれない人物だった 次回・・・満州と東條 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年11月01日
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