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ポチッ、ガシャン!!いまや、どこでも買えるペットボトル飲みきれば、ゴミ箱にポイ、ちょっと環境を気にしている人ならリサイクル回収に協力と、分別ゴミ入れにポイッリサイクルされるから大丈夫と、バンバンペットボトルの消費量は増え、十年前と比ぶれば、生産量は約3倍、回収率は10%程度から、6割近くまで改善?した。さらに、リサイクル率は5~6割と飛躍的に数字は伸びている。容器包装リサイクル法というものが制定されてから、この数字の増加が顕著になったわけだ。ここで問題、上記の数字を見て、改善したか否か私たちは、リサイクルという言葉にだまされているのかもしれない、基本的にゴミは爆発的に増えてしまった、それはそうだろう、リサイクルされるという名目が大義名分となり、ゴミを出すことに罪悪感がなくなってしまったのだ。分別しておけば、リサイクルされ循環型社会に役立ち、丸く収まるそんなわけねえだろ ペットボトルが爆発的に増え、回収率は約半分、さらにその半分がリサイクルされているわけだから、微々たる量でしかないわけよ。また、ペットからペット(帝人が頑張っているが、コストがかかりすぎ、熱量をかなり使用するので、逆に石油消費しすぎじゃねえの?)を作り出しているわけではないから、リサイクルされたといって、本当に役立っているかは疑問符でしょ少しは改善の方向に進もうとしているからいいじゃないかというあなた本当にいいのは、一升瓶持って、店頭で醤油入れてっていう社会に戻すことジュースだって瓶に戻して、本当の意味でのリサイクルに戻すことこれだけ車社会になったっていうのに、瓶の一本や二本、面倒くさいという理由で持っていかなくなった社会の末路は、悲劇的なものでしかない中国やインドがペット消費大国になってごらん、あっという間に、地球死亡*本日の日記は三人文殊さんの東洋町選挙に 関する記事を読み、仕方なく書いてあげました 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年04月28日
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人権を縛られる一族の答えは「天皇」である。私たちは何らかの職業に就業すると何らかの制約に悩まされる、あれに参加できない、これがしたくても出来ない。しかし、基本的に国家が本人の職業選択の自由を奪ってはいないし、お金が無いのはその人自身のせいでしかない。そう、日本国憲法では私たちの生き方を国家が縛ってはいない・・・天皇を除いて日本は「国民主権」を高らかにうたっている民主国家である、しかしながら地理の教科書や参考書には「立憲君主国」として色分けされているのが多い。これは明らかにおかしい、君主というものは行政権を行使できるし、統治権の一部も行使できる、国民主権とはまったく逆の概念である現憲法第一章第二条には最近大きく取りざたされた、「皇室典範」という言葉が出てくる、「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」。この「皇室典範」は、大日本帝国憲法下では憲法と同等の価値をもつものとされていたが、現憲法下では単なる法律でしかない。ここで前回前々回の話が生きてくる。 憲法>法律であり、ジョーカーが「公共の福祉」である皇室典範は純然たる法律だから、公共の福祉に反しない人権を制限することは出来ないのだが、ここでは堂々と特定の一族の人権を縛っていることになる。つまり天皇の人権を縛る(現憲法第一章を読んだことの無い人はよく読んでください)ことが「公共の福祉」と合致しているとされているのだ。「公共の福祉」という言葉は権力者にとって都合の良い言葉だ、なにかあれば、「公(おおやけ)のため」と大儀を掲げ、権力を行使することができる、実際地方では市長や町長が談合の結果・・・なんてことがまかり通っている日本国の権力者は誰(機構)か、その権力者を縛るものが憲法であることを再確認しておきたい 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年04月22日
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前回のブログの答えだが、現憲法下と書いてあるのだから、「日本国憲法」 に書いてあったりする みなさん、ひねりすぎですぞ 正統派の受験問題は常に問題文に答えが書いてあるものです、正統派ぷっ では、憲法第九十八条一項を見て見よう、「この憲法は、国の最高法規であって その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」のだから、たとえば憲法に反する法律が制定されても、それは効力を持たない、ここ大事。 戦前の治安維持法のような法律が制定されたとしても日本国憲法の前では無力なのだ。 さらに憲法第十一条には、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。 この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、 現在及び将来の国民に与えられる」と書いてあるのだから、もう敵なしですな。 すべてですからね、す・べ・て! 例外は無いんですよ。 戦前の大日本帝国憲法は大きな欠陥があった、それは、「法律ノ範囲内ニ於テ」な どの但し書きが添えられており、法律で人権を縛ることができたのだ。 このアレルギーというか反省があり、法律で人権を縛る(国家総動員法など)ことは しないのが日本国憲法なのだ。 長々と前置きをしてきたが、そろそろ種明かし 憲法第十二条、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力に よって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならない のであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」・・・・ 公共の福祉 出てきた出てきた、答え「公共の福祉」、こいつは厄介な言葉である。 国民の人権を制限する法律や事件は、ほぼこの「公共の福祉」になんらかの関わり があると思っていい。当然だが、公共の福祉という概念は時代によって変遷する、 とても厄介な言葉である。 居住の自由が認められていても、ダム開発で村が水没するので、立ち退き命令を出 されたとする、当然だが、公共の福祉のために立ち退かなくてはならない・・・ これこそが、「公共の福祉」 まあ、ちょっと極端な例を出したが、公民は中学3年くらいで習うはず、この、 「公共」という概念をしっかり叩き込まなければならないでしょうな。 私たちはかなり強く基本的人権を日本国で守られているが、それは公共の福祉(互い の幸せ)のために利用するものであって、好き勝手に振舞っていいものではない。 「公」とはなんぞや、とてもよい議題だと思いますよ、学校の先生方、親さん。 P.S では、第二問、この無敵に近い基本的人権が大幅に制限されている人がいます だぁ~れ? 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年04月18日
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・国民主権 ・平和主義 ・基本的人権の尊重 上記3つは、日本国憲法の三大原則であるこの中でも、「基本的人権」は別格の扱いを受けており、世界的に見てもかなり上級の扱いを受けているのだ この国民の有する人権=[基本的人権]を現憲法下で抑制できるモノはただひとつしかない、それは・・・である 今日はここまで、・・・がわかったらコメント欄にどうぞ~ 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年04月15日
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日本が世界に誇る指揮者、「小沢征爾」の2002年ウィーンフィルハーモニーのニュー イヤーコンサートはいつ見ても素晴らしい。アジア人初の大抜擢であり、この後、 数十年はアジアからは出ないであろうと思われる・・・ ”板垣に脅かされた 満州国の皇帝になることを拒否したら断固たる処置をとると脅迫された それでやむを得ず屈服した” 満州国皇帝「溥儀」は市ヶ谷の法廷でこう答弁し、「板垣征四郎」の死刑は確定した。 この後、溥儀は「我が半生」の中で、この証言は事実ではなく、中国政府を恐れて真 相を話せなかったと書いている。また溥儀の家庭教師であったジョンストンが書いた 「紫禁城の黄昏(完全版)」には、満州国の素晴らしさが書かれていて、その全貌が いまでは読むことができる。「いまでは」と書いたのは、以前は岩波新書がこの「紫 禁城の黄昏」を部分削除し、出版していたのだ。岩波の社長はバリバリの左翼、中国 様に都合の悪いことや、大日本帝国に有利なことは確信犯的に隠したのだ。 それはまた今度書くとして、板垣に話を戻そう。板垣征四郎はA級戦犯として死刑に なった陸軍大将である。日露戦争にも従軍した板垣は陸軍きっての中国通であり、19 29年、高級参謀として満州に赴任後、満州国建設にひた走る。 彼と異端児「石原莞爾」のコンビは、満州事変を起こし、満州に傀儡政権を建てるこ とに成功する、当時の帝国主義国家の植民地支配の一歩先をいく、この大日本帝国の 間接統治はその後、欧米各国がアジアや中東で模倣することとなる。 満、蒙、鮮と日、漢が協力し、「五族協和」のもとアジアを豊かにしようという計画 は、石原莞爾の終末大戦争に直結している。東亜+欧州対アメリカ+ロシアの最後の 戦争こそが雌雄を決する人類最後の戦争という思想だ。この物語は夢と消えた・・・ 板垣は満州国の執政顧問として、満州国建設の中心人物となり、東亜の新秩序建設へ 邁進していった。 ・・・「小沢征爾」・・・その名前のとおり、彼は「板垣征四郎」の 「征」と「石原莞爾」の「爾」を貰い受けた満州生まれの日本人。 征爾の父・開作はなにを思い、この名前をつけたのだろうか? 満州とはいかなる国だったのか、一度、見たかったな。 *ちなみに現在のEU(欧州共同体)は、大東亜共栄圏をヒントに 模倣したものであります。 「読むなら完訳版!!お願いだから完訳版!!学校図書も完訳版!!」
2007年04月04日
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フランスの詩人にポール・ヴァレリーという人がいる。この人の言葉を引用しちょっとした日記を書こうと思っていた矢先、毎日のようにお邪魔させていただいている「神秘家さん」のブログでヴァレリーの言葉が紹介されていた 神秘家さんは著者としての心構えを説くヴァレリーを書いていた、慶次はまた違う言葉を紹介し、まったく異なった話を書こうと思う 「頭の中で死を考えているのだが、死ぬときの状態を想像して、常にそのリハーサルを行い、のっぴきならぬ指令を実行する影武者を養っている。自殺の動機は、必ずしもはっきりとした死の願望ではなく、死の方法に対する魅力である。憤死を考える者は水死をしないし、山で死のうとする者は睡眠剤によって自致することはない by ヴァレリー 」 天才≒狂人とする自殺者の心理を彼は上のように表し、続けて 「彼らの自殺には美学があり、美しい滝や壮大な噴火口などを選択し、大詰めを入念に仕組もうとする心遣いがある」とヴァレリーは叙述している。 三島由紀夫は、美しい自然との死を選択はしなかったが、自分の美しいとした行為により命を絶った。ヴァレリーのいうように、三島は「憂国」や「豊饒の海」などで何度も大詰めをリハーサルしていたのだ。 幼い頃から体が貧弱で病弱な三島はボディービルや武道で自分の肉体改善に走る、最終的にそのコンプレックス克服は「武士道」という形に終結し、切腹という死を美学として彼は選んだ。 このように書くと2つの反応が返ってくるだろう、一つ目は、三島由紀夫を右翼活動家と捉える人々からの反応だ。 三島は皇国復活のために一命を投げ打ったのだ、憂国の心を行動に変え、日本を目覚めさせようとしたのだ。 二つ目は三島を作家と敬愛する人々からの反応だ、三島の自殺を血なまぐさい現実世界でもっとも汚く醜い政治に利用するな、彼の死はひとつの劇であり、それはエロティシズムであり、ひとつの完成した作品である。 どちらも、誰かに聞いたわけではない、慶次の中のふたつの仮面がこう言っている。 三島が切腹して数年後のある日、ルバング島である陸軍少尉が発見された、名前を「小野田寛郎」。 小野田さんは、母国日本に帰国後、米国の傀儡政権でしかない日本国に幻滅し、愛想を尽かし、ブラジルに渡った。 三島の見た日本と、小野田さんの見た日本は、もしかしたら同じ風景だったのかもしれない・・・ *次回は、小野田寛郎さんについて少し書こうと思います、次回がいつかは知らぬ まあ、一杯馳走いたす 一 夢 庵 風 流 日 記
2007年04月01日
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