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夕刻、職場を出ようとした際に、ふと書棚に目を留め、家に持って帰ろうと思い立った本。数年前に買いながら途中までしか読まずにいた、辛淑玉著『怒りの方法』(岩波新書、2004年)だ。帰宅して目を通し始めたら、これが面白い面白い。日付変更線までに、99%読み切ってしまった。驚いたのは、私が去る2月25日のブログ「『怒り』の功罪」で書いていたことと、ほぼ同様の知見が、著者の辛氏によって披瀝されていたことだ。彼女の言う「怒りの方程式」である(60頁)。・自分を強いと感じる(+)×怒り(+)=願望(+)・自分を弱いと感じる(-)×怒り(+)=絶望(-)前者は、私の言う「勇気」に裏打ちされた「善き怒り」(価値を生む)、後者は、「臆病」が裏側にある「悪しき怒り」(自他共に不幸になる)と言ってよい。辛氏の指摘の中で重要だと思うのは、「怒り」が人間関係を切るためのものではなく、まともな人間関係へと組み替えていくために必要なものだ、ということだ。10年前の1998(平成10)年、終戦記念日に朝日ニュースターで「女性と戦争」という討論番組があり、辛氏も登場していた。これを録画した私は、政治学関係の授業で幾度となく学生と観たものだった。日本社会での辛酸を舐め尽してきた辛氏の、あのカラッとした楽観主義的「怒り」は、私にも多くのことを教えてくれる。怒りの方法(3月1日記す)
2008.02.29
「手続き」をきちんと踏まえることは、物事を決める際に重要だ。それを踏まえていない決定は、どうしても恣意的になるからだ。しかし、では「手続き」さえ踏んでいればいいのだろうか? 形式だけ整えて、内実を問わないで物事が決まっていくというのも、恐ろしいことではないか。また逆に、きちんと検討されなければならない問題や課題があるのに、そのための「手続き」が整備されていないばかりに、放置され、無視されていることも、多々ありはしないか。まして、内実に関する議論もなく、あるいはその議論についてのまともな情報開示もなされず、手続き的にもおかしい決め方をしておきながら、「ちゃんと手続き通りにやった」「皆も合意済みだ」等々と言い切る人がリーダー的立場にいるとしたら、そのメンタリティはいかなるものか? 開き直りか、自己欺瞞か、それとも心底「自分は正しい」と思っているのか…。「手続き」――古典的な問題なのだろうが、疑問は尽きない。
2008.02.29
今年はうるう年だから、2月が1日多い。その29日たる今日、午前中ダウンした。昨日の帰宅時から、疲労はにじみ出ていたのだが…。
2008.02.29
新年度の授業計画(いわゆるシラバス)の作成が、明日〆切である。午前中はこれに追われた。ふぅ。
2008.02.28
「なせば成る/なさねば成らぬ/何事も/成らぬは人の/なさぬなりけり」(上杉鷹山)「忍耐」こそ勝利者の条件道は必ず開かれる!一日一日を強気で勝ち越えよ!
2008.02.28
先週19日(火)に起きた、イージス艦「あたご」と漁船の衝突事故。今日、イージス艦の艦長が自らの責任を認め、行方不明の方の自宅を訪れて謝罪した。最新鋭の装備を備えた「軍艦」が、民間の漁船と衝突とは…。(2月28日記す)
2008.02.27
1990(平成2)年に創立されたヨーロッパ科学芸術アカデミー。その創立者の1人にして会長の、医学博士のフェリックス・ウンガー氏によれば、同アカデミーでは2002(平成14)年1月に「寛容憲章」を発表。その中で、「寛容の精神の6定義」をうたっているという。1.寛容とは、個人が進んで他者の尊厳を擁護しようとする心である。2.寛容は、人間の尊厳に対して義務を持つ価値観としてあらわれる。3.寛容は、他者を理解し、他者の異なるあり方を尊重する能力を必要とする。4.寛容は、安定した立脚点を前提とする。5.寛容は、どのような文化的環境の人にとっても保護・尊厳・自由に役立つものである。6.寛容を保障し、さらに発展させることは、教育の核心的要素であり一般的義務である。そして、寛容の対極にあるのは、他者に対して「悪魔」との烙印を押すこと(他者の悪魔化)である――。
2008.02.27
依頼を受けていた書評原稿。昨日なんとか仕上げて、しかるべきところに送ったが、今日、「無事届きました」との連絡あり。一安心である。去年の秋は、英文での書評書きで手こずったが、今回は日本語でよかった。
2008.02.27
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しばらくかかったが、アンドレア・センプリーニ著、三浦ほか訳『多文化主義とは何か』(白水社文庫クセジュ、2003年)をようやく読了。すべて理解したとは言い難い。多文化主義とは何か
2008.02.27
妻とのささやかな挙式から、今日で半年となった。結婚していきなり、夫がここまで体調を崩すとは、妻も想定していなかったろう。「この半年、長かった」と妻に言わしめてしまう私は、申し訳ない限りである。大阪での生活が長かった妻にとって、寒暖の差が激しい三島での日々は、「冷蔵庫の中にいるようなもの」らしい。2月の後半は、夫婦で交互に体調を崩している。青天の続いた三島も今日は午後から雨模様となったが、春の近いことが救いである。
2008.02.26
「怒りは善悪に通じる」という基本的なことを、ここ数日ずっと考えてきた。「悪への怒り」「正義の怒り」を、なくしてしまってはならない――それはその通りであり、人は通常「自分の怒りは正当な怒りだ」と思うだろう。しかし、「怒り」がいつの間にか「憎しみ」に変質してしまうと、それは「悪しき怒り」となり、自分の心身をさいなむ。「善き」怒りと「悪しき」怒りとの境目はあまりに微妙であり、自分の一念でコントロールすることは極めて困難と言える。思うに、「怒り」が「勇気」に裏打ちされていれば、それは「善き怒り」になるのだろう。反対に、「怒り」の裏側に「臆病」があると、それは「悪しき怒り」になるのではないか。生命力が落ち、自分を守るのに精一杯だというような、そういう時の「怒り」は、少しも前向きなものではなく、むしろ「うめき」に近い。自己防衛からくるそうした「うめき」は「憎しみ」を伴いやすい。そして、怒りを誰かにぶつけたとしても相手には通じない(もしくは、要らぬ敵を作る)し、結果的に自分がすり減るだけである。全く何の価値も生まない。いくら「心」が強くても、根本の「生命力」そのものが弱っていれば、「怒り」は善き方向へは向かない。憎しみへと変質しない「怒り」の持続のためには、生命力旺盛な「たくましき楽観主義」以外にないのだろう。「悲観主義」からくる自己防衛は自滅への道であり、その意味で、「臆病」は「諸悪の根源」と言っても過言ではない。結局、自分が、強くなる以外にない。「何があっても負けない」とは、想像以上に深い一言である。(2月26日記す)
2008.02.25
パソコンに向かう時間が減った。
2008.02.25
昭和56(1981)年に大騒ぎになった「ロス疑惑」。すでに最高裁で無罪の決着がついたかに見えていたが、サイパンで三浦元社長が逮捕されるとは…。真実はいずこにあるのか。(2月25日記す)
2008.02.24
BS2で、22時から『篤姫』第8話「お姫様教育」を観る。大奥は「地獄」だ…。そして、ペリーの浦賀来航。日本史が揺れ始める。(2月25日記す)
2008.02.24
夜、I田宅へ。自分がこの21年間で、どの程度「成長」したのかは知らないが、ともあれ自分の軌跡をお世話になった方々に語ることも、一つの恩返しだろう。(2月25日記す)
2008.02.24
昨日もいいかげん風が強かったが、今朝も烈風のすさまじい音で目が覚める。新聞によれば、関東では昨日が春一番だったとか。それにしても、新聞を取りに行こうと玄関のドアを開けようとしたら、風圧で容易に開かなかった。北側からの、強烈な風であった。
2008.02.24
久々に、生命力がどん底まで落ちた夕刻。思えば、留学中も、その後も、時としてこうした落ち込みに襲われることがあったものだ…。それはともあれ、妻が小学校勤務時代に理科の教材用にと録画した、5年ほど前の NHK スペシャルの続きを見る。6億年前に全球凍結していた地球。生命体は海の奥底でバクテリア状となって、ひっそり生きのびていた。しかし、地球そのものは絶えず活動している。海底火山の噴火などで二酸化炭素が増加。凍結している海に吸収されない二酸化炭素はそのまま大気中にたまり、今日的に言う地球温暖化がおこる。マイナス50度だった大気の気温が、今度はプラス50度にまで上がり、一気に地球上の氷が解け始める。そして海面から、300ヘクトパスカルという強大なハイパー・ハリケーンが発生。海の底までかき回し、眠っていた生命体を一気に水面上に押し出す。この機を逃さなかった光合成物質は、一気に光合成で酸素を作り出し、地球は大気中の酸素が20%もあるという惑星に変貌していった。そして、バクテリア状でしかなかった生命体は急速に巨大化。今日の人類の祖先たるべき、脊椎動物の原型が登場し始める…。次回はいよいよ、大陸大移動らしい。それにしても、こうした生命の壮大なドラマを見ていると、自分の落ち込みなどひどく小さなことのように思える。そもそも、何か特定の原因があって落ち込んでいるわけではない。生命力そのものが落ちているがゆえに落ち込んでいるのだから…。(2月24日記す)
2008.02.23
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去年(2007年)、著者の松下圭一氏から贈られた『市民・自治体・政治――再論・人間型としての市民』(北海道自治研ブックレット No. 1、公人の友社)を、昨日・今日とで読了。薄いブックレットながら、マス・デモクラシーの今日的課題については重厚な内容である。
2008.02.22
1年間の受験戦争を戦い抜いてきた Kさんの息子さん。今日までに一通りの結果が出たようだ。ともあれ、激闘の末に出た結果に対して心から「お疲れ様」と言いたい。そして、知的にも精神的にも深まる4年間になることを、願わずにはいられない。
2008.02.22
昨日は私が日中具合が悪かったが、夕べから今日にかけては妻の具合が悪い。2人してダウンしたらど~する? 夫を事故で亡くしたマリー・キュリーの話を目にしつつ、1日1日を大事に生きて行かなければならない、と思う。それにしても、目先の小さなことにいちいち腹を立てる自分ではなく、同じ怒るなら大いなる怒りを抱く自分でありたいものだ。「偽装社会」とでも言うべき、モラルハザードの著しい時代に、筋を通そうと思えば、オロカモノに対して腹が立つ。しかし、オロカモノと同じレベルで戦ってもすり減るだけである。そんなことで具合が悪くなっていたのでは、とうていモノにはなるまい。小善人であっては負けだ。力ある、大いなる大善人を目指さなければ。
2008.02.22
多くの方々から、大激励を受けまくる午後であった。感謝せずして何とする?富士宮の N楽氏。私の具合が悪そうだということを、どこから伝え聞いたのか、会議の合間にお電話をくださる。私の今の実情をかいつまんで率直にお話しした。清水町の O田氏。私の表情が精彩を欠いていることを、敏感に見抜いたらしい。サンダビーダ要塞でまさか彼に缶コーヒーをご馳走になろうとは。われらが地元の H野氏。長時間にわたって私の状況を聞いてくださった。また、私が寝ている間、K田氏がどれだけ動いてくださっているかも伺う。伊東から来てくださった I葉氏も、私が去年大いに痩せたことをご存知なので、随分と心配なされた。文系と理系の違いはあるが、同じ学術者の F海氏。かっぱえびせんを持参してくださり、今の日本の学術界の「劣化」を語り合う。また、特殊日本的なものの見方・考え方の弊害についても…。自分が「本物」かどうかが問われる。自分の「志」が本物なのかどうかが――。(2月22日記す)
2008.02.21
生身の人間であるから、いつもいつも強い自分ではあれない。それでも、なおかつ――体も強く!頭も強く!心も強く!特に、「心」が強くないと、すべてを無駄にしてしまう。チャンスも活かせず、可能なことまで不可能にしてしまう。
2008.02.21
午後、ある同僚と長時間語り合う。期せずして、両者のキーワードが「建設は死闘、破壊は一瞬」で一致することを発見する。一度破壊されたら、再建は困難を極めるのだ。その困難さの最大の要因は、「破壊されている」という自覚のなさなのだろうが…。自分は、「師子王の心」を持っているだろうか。自分が強くなるしかない。あくまでも、強く。どこまでも、強く。一歩、前へ。懲りずに、前へ…。
2008.02.20
幾人かの同僚と話す中で、仕事上の諸問題にはおそらく、少なくない共通のパターンがあるのだな、と思う。・お偉いさんが、現場の実態を知らない。・誰がどこで物事を決めているのか、ハッキリしない。・どこからどこまでが、誰の責任なのか、曖昧なものがいきなり飛んでくる。・原理原則も納得できる説明もなく、思いつきで方針が打ち出される。・特定の人間にのみ、仕事が集中する。・意見があっても、誰に対して、どこに対して訴えればよいのか、分からない。…等々。人の上に立つ者が、現場を知らないというのは、あまりに古典的な問題でありながら、常に再生産されているのだろうな。「生きた智慧」というのは、すべて現場にあるというのに。
2008.02.20
BS-i の番組『夢列車』を観る。特集は、「鉄道発祥の地 霧の都ロンドン」。いきなり私を驚かせたのは、ロンドンのセント・パンクラス駅が去年(2007年)の11月にリニューアルし、ウォーター・ルー駅に替ってユーロスターの発着駅になったという事実だ。セント・パンクラス駅――隣にあるキングス・クロス駅は、エディンバラに行く IC に乗るために留学初期からよく利用したが、セント・パンクラス駅に初めて厄介になったのは、1994(平成6)年7月、初めてシェフィールドの地に向かう時だった。あの頃は、建物の外面だけはたいそうなのに、内部は拍子抜けするくらいがらんどうで「見かけ倒し」だと思ったものだった。しかし、ここ数年ずっと改装工事が続いていて、去年の夏にもかなりの変貌ぶりをちらりと目の当たりにしてはいた。だが、それが11月に完成し、ヨーロッパで一番長いシャンパン・バーがあるようなおしゃれな駅に生まれ変わったとは…。こりゃ、行かなきゃ。
2008.02.19
ガイダンスの午前中2ラウンドを終えて、昼食を取るべく学食に行くと、もう半年もお邪魔していない長泉町のサイトウスタジオの方々と一緒になる。社長さんは抗がん剤投与のため、すっかり痩せてやつれてしまわれていた。にもかかわらず、仕事は続けざるを得ないとは…。もっとも、寝たきりの方が辛いということもあるだろう。4月末まで薬は飲み続けなければならないらしい。ちなみに、長泉町にある国立がんセンターは、直接的にがんの疑いがなくとも CT をとってくれるのだそうな。「ぜひ行け」と勧められたドラゴン山田であった。
2008.02.19
学年末のガイダンス三昧の1日。学生にとっても、悲喜こもごもであろう。
2008.02.19
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下書き
2008.02.18
セルビア共和国のコソヴォ自治州が、前日17日(日)に独立宣言。アメリカや多くの EU 諸国は承認の方向。セルビアやロシアは反発。NATO による空爆より約10年、悪夢の再来にならないという保証はあるか…。(2月19日記す)
2008.02.18
こっ、これが噂の河津桜かっ! 雲ひとつない快晴の空の下であった。
2008.02.18
NHK 大河ドラマ『篤姫』第7話「父の涙」。家族のもとを離れ、いよいよ本家島津家の姫として養女になる於一…悲喜こもごもである。(2月18日記す)
2008.02.17
伊豆市役所天城支所での用事を終え、河津七滝方面へ抜けると、有名なループ橋に出た。かなり標高の高い所を走っている天城(いわゆる「天城越え」)から、一気に下界に降りてくるために、よく考え出された橋だと、初めて走ってそう思う。杏里の歌「ラスト ラブ」の歌詞に、ループ橋という言葉が出てくるが、まさかこの河津のことではあるまいな。それにしても、三島では降らない雪がこの辺りでは降っているというのが、残雪でよくわかる。(2月18日記す)
2008.02.17
これから、車で天城へ向かう。河津方面に行くのは、記憶違いでなければ1973(昭和48)年5月、小学1年生の時に、福島県から出てきて訪れて以来のはずだから、35年ぶりということになる。
2008.02.17
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下書き
2008.02.16
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何かと不安定だった一日。篠原一著『歴史政治学とデモクラシー』(岩波書店、2007年)を、また少し読み進める。歴史政治学とデモクラシー
2008.02.16
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下書き
2008.02.15
夕方の職場での小さな勉強会を終えて、帰宅してニュースを見ると、目をくぎ付けにするような報道がなされていた。ある大学でマウスを使った実験で出た結果だそうだが――疲労した状態が長期間続くと、脳下垂体が破壊され、内臓に障害が現れたりホルモンのバランスが崩れたりして、最終的に過労死に行き着くかもしれない…と。げげ~、自分に当てはまりかねないじゃんか!最近は行っていないが、鍼灸の S山師に胆嚢やすい臓が弱っていると言われ続け、黄疸まで出ていると言われた私だ。もしこのニュースの通りであれば、おそらく、脳下垂体が破壊されていた可能性が大である。破壊「された」と言うか、無理をし過ぎたのは自分なのだから、破壊「した」のだろう。考えてみれば、シェフィールド留学を中断して八戸に赴任した1996(平成8)年以来、12年間、私はほとんど休みなく戦い続けてきた。もっとさかのぼれば、無茶をする生活は1991(平成3)年のエディンバラ時代以来、17年間も続けてきたことになる。こりゃ、脳下垂体も相当破壊されているだろう。マウスの実験では、1日の過労で破壊された脳下垂体は5日の休息でもとに戻ったらしいが、17年間という年季の入った破壊は、そうそう簡単に「戦後復興」しないかもしれない(涙)。ともあれ、過労死するようなジャパニーズ・ビジネスマンが大嫌いだったはずの私が、過労死でもしたのでは、悪い冗談以外の何ものでもない。生きて、なすべき使命を果たすためにも、きちんと休まなければ――。しかし、休んだら休んだで「こんなことしていていいのだろうか」という心が働いてしまい、精神面では落ち着いて休んでいない――となると、根はもっと深いことになる…。
2008.02.15
相変わらず、体調が良くなったり悪くなったり、不安定ではあるが、ともあれ晴天の中を出勤。私の怠慢と能力不足ゆえにずっと滞っていた、アンドリュー・ドブソン『環境と正義』訳出作業に、この春には決着をつけなければならない。共訳者の丸山先生にも出版社にも、迷惑のかけ通しなのだから。まずは、下訳を全ページ印刷するところから着手。今月中は他に多々やることを抱えているから、訳文の総チェックは3月いっぱいかけてやることとなろう。
2008.02.15
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『伝説巨神イデオン』第38話「宇宙の逃亡者」。物語もここまで来た。スペース・ランナウェイ――「何で宇宙をさすらうなんてバカなこと、あたしたちしなくちゃなんないのよ!?」とのシェリルの悲痛な叫びは、ギジェの死によって絶望へと変わる。物事・出来事のあらゆる原因と結果が清算される「因果地平」とは…。(2月15日記す)
2008.02.14
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・「貴ばるるも驕らず」――自分が尊重されても傲り高ぶらない。・「委ねらるるも専らにせず」――権限を委ねられても、自分一人で勝手気ままにはしない。すべて、周りとよく相談する。・「扶けらるるも隠さず」――人から助けられたことを隠し立てしない。その恩義を忘れない。・「免ぜらるるも懼れず」――人事で交代があっても、驚かず恐れない。いい人材を伸ばし、後輩の成長を喜んでいく。「指導者の道は、多くの人の声を聞くことにある。皆の意見や報告を、きちんと聞くことだ。皆の目を自分の目とし、皆の耳を自分の耳としていくのである。多くの人の声を尊重してこそ、智者となることができる。そうでなければ、やがて誰も正しい意見を言わなくなる。その結果、邪な人間がはびこり、国の害になってしまうのである。」国だけでなく、あらゆる団体・組織に言えることだろう。この視点から見れば、「智者」でないことになる人間は少なくあるまい。人を育てる「指導者」か、人を利用しようとする「支配者」か、その違いもこのあたりにあろう。「驕れる者はみずから墓穴を掘り、自分勝手な者は禍の種をまく」「よく戦う者は怒らず、よく勝つ者は懼れず」。至言である。(2月15日記す)
2008.02.14
1990(平成2)年2月のロンドン・ベルリン渡航時の日記を読み返すと…、バレンタインデーである2月14日が、ベルリンをぐるっと回った日であったことになっている。そぉか、この日だったのか。3年前の1987(昭和62)年に初めて訪れた旧体制下の東西ベルリンにショックを受け、その後「壁崩壊」のニュースに接し、今度は「ここまでベルリンは変わるか」というショックを受けたあの日。それが、18年前の今日であったとはね(水曜日だったようだ)。あの日の夜、ホテルで1日を振り返って、見たこと・感じたことを何としても書きとどめておこうと、ある種の執念を持って、ペンダコを作りながら日記にボールペンを走らせたものだった。ノートブックで8ページの日記である。
2008.02.14
Jフォン→ボーダフォン→ソフトバンクと変わってきた私のケータイ。ボーダフォンのメルアドのまま使ってきたが、今日、ソフトバンクをドメインとするアドレスに変更した。その変更が大変だった。画面上で「ユーザーID 発信がオフになっているからできない」とされ、しかもそのユーザー ID 発信なるものの設定について取扱説明書には一切書かれていない。結局、ソフトバンクショップに行って、説明を受けて、ようやく変更と相成った。やれやれ。
2008.02.14
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『伝説巨神イデオン』第37話「憎しみの植民星」。すでに、救いのない話になりつつある。シェリルの妹・リンの、まったくと言っていいほど無意味な死。と同時に、他の移民星の同胞が連れてきた異星人の攻撃によって生活を根こそぎにされた、アジアン星の生き残りの人々…。「それにしては、『スペース・ランナウェイ イデオ~ン♪』って楽しそうな歌じゃん」とは妻の言。
2008.02.13
会議は踊る、されど進まず――これは、北は北海道から南は九州・沖縄まで、あるいは世界中で、繰り広げられている悲喜劇なのだろうか。複数の人間が集まって、話し合いをして、それがまったく不毛なものとなり、少なくない人が反対している意見が可決され、本来議論すべきことを指摘する発言者には誰も援護射撃をしない…。それにしても、例え話だが、「1たす1は2ですよね」という当たり前の話が通じないお話合いとは、一体どんなだ? 終わってる。マッキー(末期…汗)である。「1たす1は5でも6でもあり得る」などと屁理屈を言う人間が複数いて、しかも彼らは「自分は正しい」と確信して疑わない。冗談のような話だが、しかしこのような人間は現実にいるのだ――。それにしても、5時間の会議はないだろう。
2008.02.13
いつの時代にも、権力を握っている人間は偉いのだと錯覚する「裸の王様」はいるものだ。だが、権力を付託された者は、付託した者に対して責任を負うものだ。物事がうまく行かず、悪い結果が出た場合には、権力を付託された人間が自ら結果責任を負うのだ。ところが、これが逆転しまうと、権力を付託された者が付託した側に対して「俺の言うことを聞け」「俺が満足する結果を出せ」等と責任を取らせようとする。何を勘違いしているのだ? しかし、最大の問題は、本来は権力の源泉のはずの「付託した側」が、そうした勘違いをしている無能な人間を罷免できない(しようとしない)ことだ。そして、誰もが「何をしていいか分からない」状態のまま、事態が悪化するに任せてしまう…これを世間一般では「のーてんき」と呼ぶのではないか?
2008.02.13
約2か月ぶりに行ったぞ、散髪に!
2008.02.13
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『伝説巨神イデオン』第36話「さらばソロシップ」。コントロールしきれなくなったソロシップとイデオンを捨てる決意をしたクルーたち。しかし、それを奪おうとする地球連合軍、およびそこに襲いかかってくるバッフ・クラン総軍の先発隊。三つ巴の戦いの中、主人公たちは結局ソロシップに戻らざるを得ない。「俺たちは、本当にイデに取り込まれちまったんだな…」とはコスモのつぶやき。観終わった後、「う~ん」とうなる以外に言葉がなさそうな様子の妻であった。(2月13日記す)
2008.02.12
組織として最悪なのは、誰が、いつ、どこで、どのようにして物事を決めたのか、まったく分からないまま事態が推移していくことだろう。会議はおびただしく開かれる、話し合いはなされている、意見も出されている。なのに、ある会議体と他の会議体との関係がまったくあいまいで、出された意見も実は「誰も検討しない」。その結果、「何も決めない」まま物事が決まっ(たことにされ)ていく。しかも、建前上は「手続きを経た」ことにされてしまうから、始末が悪い。現実には、誰も物事を決めていない「不作為」でしかない。
2008.02.12
最近、極力休むよう心がけているので、仕事の〆切当日になって帳尻を合わせるというパターンが増えてきた。従来の私であれば、先々のことを考えて早めにすべて終えておこうという心配症の人間だったから、考えられないことだ。今日もまた、ある仕事の〆切である。もたもたしていられない。決着をつけなければ「後ろからバッサリ」だ。
2008.02.12
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地域の discussion meeting から帰宅した妻と、深夜に観る『伝説巨神イデオン』第35話「暗黒からの浮上」。以前にも書いたことだが、妻は、昔イデオンにハマった私という人間を知るために、イデオンを一緒に観ているのであって、イデオンそのものを知ることが目的ではない。もっとも、嫌々ながら観ているわけでもなさそうで、それなりに興味は示している様子だ。しかし、私がなぜ中学3年の1981(昭和56)年あたりからイデオンにハマったのか、そもそも私が小学生~高校生時代にどのようにアニメーションと関わって思考形成をしたのか、それを後追いするのは自分でもなかなかしんどいことではある。妻からすれば、私のように、特定のものにとことんハマってこだわって追及する人間は、これまでお目にかかったことがないのだそうな。妻にとっては、そうしたこだわりは男性特有のものであって、女性では考えられないとか。しかし私の言い分からすれば、とことんこだわるものを持っている女性を少なからず知っている。こだわり。執着。これは恐らく、私の子供時代から変わらない傾向性なのだろう。それが向けられる対象は、年齢に応じて変わってきているとしても…。まぁ、そうでなければ研究者になどなっていないだろう。ただし、この性癖が悪く出ればただの「オタク」になることも、十分に自覚している私。(2月12日記す)
2008.02.11
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