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大阪で用事を済ませ、時間があるからと「ひのとり」で名古屋まで行くことになったが、其の前に万博記念公園に行くと云ふ、方向感覚の狂った旅の始まりであります。大雨の為、阪急千里線は運休してゐるから、千里中央経由で行くことにした。御堂筋線に乗るにあたり、あらかじめ「北急車」の時刻を調べてから乗る拙者は既に「頭おかしい人」の範疇に相違ない。千里中央から大阪モノレールに乗り換へ。万博当時、北大阪急行が会場までアクセスしてゐたが、閉幕と同時に廃止されてしまった。長い空白期間を経てモノレールが開通し、記念公園までのアクセスが実現した訳であります。駅ホームから「千里阪急ホテル」が見えた。泊まりたくても空室が無くて予約出来ない。近く再開発で閉館するらしいのだ。万博記念公園駅から太陽の塔がある公園へ向かう。結局、世界は晴れてしまって暑い々々。記念館の展示は面白い。会場の案内係を担当した御婦人の制服が、古臭いのか斬新なのか分からないところが半世紀と云ふ時間の経過を示してゐる。万博当時のマスクが展示されてゐる。材質的に繊細だったそうで、レプリカに交換されてゐるのだ。思へば、是ほどまでに人の記憶に残りやすい像は無いだろう。シルエットだけでも何なのか即分かる。岡本太郎先生は凄い人だ。もう一つの万博アクセス線~阪急千里線阪急千里線が運転再開したので、帰りは山田経由で梅田まで行く。株主優待使えて良かった!新1300系が北千里方面に快走して行くが、此処からちょっと行った処に阪急の万博西口駅があった。阪急も「エキスポ準急」を運転するなどして、万博輸送に活躍したのであります。タイムスリップしてまで見に行きたい!我々が乗ったのは5300系。上手く写せなかった(笑)。阪急を撮影するのは結構難しい。人多い、電車速い、ピカヽヽ光り過ぎ、だから。5300系は、昭和の阪急電車。重たいブラインドがまだ残ってゐた。是を使いこなせてこそ阪急沿線人だったのだが。車齢半世紀経ってもピカピカ。年齢を重ねても、逆に深みが出るやうな人間になりたいものだ。まかり間違っても、中共の認知戦ごときに操作されるやうな愚を犯さない程度にね。近く予定される大阪万博一つとっても要注意だ。知らぬ間にネガティブな世論形成が仕組まれ、乗せられてゐる可能性があるからだ。→関連ページ:大阪神戸ロマンチカ
2024.09.29
大阪在住時代を終えて四拾年、所用で大阪入りして御堂筋線を利用する際、北大阪急行の車両に乗る機会になかなか恵まれない。記憶を辿ると、中学か高校の頃に帰省した際、初代ポールスターに壱回乗っただけである。北急車に参拾年乗っていないことになるが、御堂筋線の八割近くが大阪メトロ車で占められている現状を考えれば仕方ない。「大阪ロマンチカ」を堪能すべく、今回は徹底的に北急車に乗りまくると決めた。(1)新大阪→難波僅か拾数分の乗車時間でも、少しでも愉しみたいのなら事前に調べるしかない。諸先輩方の様々なサイトを拝見させていただき、おおよその運用ダイヤが分かって来た。まず、朝八時台に箕面萱野から続けて北急車が来る。新幹線の到着時刻も其れに合わせて設定した。当日、新大阪へ着いて緊張のあまりお腹が痛くなってしまったが(笑)、続けて来たので大丈夫(笑)。伍月なのに紅葉満開のラッピング車に驚愕!車内広告も、箕面萱野延伸に連動して箕面市のPRになっている。北大阪急行は何時の間にか「箕面へ行く電車」となった。(2)天王寺→大国町所用を終え、天王寺で一泊した我々は、午前11時台の北急車に乗る予定であったが、嫁さんが近鉄百貨店に寄る必要が無くなったとのことなので、とにかく「来た電車」に乗ることになった。なので、北急車に乗ることは諦めたが、其処で奇跡が起きた。やって来た電車がそもそも北急車だったのだ!「引き」が強すぎたようだ。大国町からは四つ橋線に乗換えて西梅田へ。大阪メトロの終着駅をしみじみ眺めたのも初めての経験。西梅田から阪神百貨店に入って買い物時間であります。(3)梅田→箕面萱野帰りの新幹線まで時間があるので、ちょっと箕面萱野まで行ってみようと云うことになった。もちろん!北急車の出発時刻に合わせるのである。御堂筋線で、何時何分の電車に合わせて乗ろうとする人間もあまりいないだろうが、そうでもしなければ北急車に乗ることは至難なのだ。わざわざ時間を合わせた甲斐があった。何と!初代ポールスター8000系であります。参拾数年ぶりの乗車であります。昭和62年ローレル賞を受賞した輝かしい経歴の持ち主。地上区間に上がると、運転席のカーテンが自動で開いた。こんな処まで自動で開閉させるこだわりは、さすがローレル賞!ちなみに貫通路のドアが自動ドアだったのを初めて見た時は、衝撃的過ぎて萌え死ぬ直前だったな。江坂から北大阪急行線となるが、全区間電柱が無い軌道なので、視界が広く感じる。千里ニュータウンの丘陵地帯を走るため、想像以上に勾配がきつい。大阪メトロ車とは頻繁にすれ違う。箕面萱野駅に到着し、乗客が一斉に降車した直後に車内を少し撮影。関西に住んだことがある人は、是を見て阪急電車を連想すると思う。化粧板も更新され、新車のやう。ポールスター8000系のどアップ画像。久々の再会に、キスしたいくらいの気持ち。(4)箕面萱野→新大阪駅前で昼食を摂って、北急車運用と思われる時刻に合わせて駅に戻る。最後に出会ったのは、ラッピング無しのポールスターⅡ9000系。デビュー拾周年記念プレートを掲示しているが、まるで新造直後のようにピカピカ。新大阪駅まで、萌え死にしそうなほど幸せなひと時でした。ちなみに、平日は「新大阪-天王寺」の運転区間に北急車の割り当てが入っている。北大阪急行線を走らない運用があるのも萌えポイントかも知れない。北大阪急行の寫眞はこちらでも
2024.05.25
生まれて初めて豊橋駅を降りた。トヨタ博物館に行く途中に、少しでも名鉄沿線の雰囲気を嗅いでみたかったのである。早速見つけたのは豊橋鉄道の路面電車。元名鉄車が元気に活躍中であります。豊橋信用金庫の宣伝が地元愛を熱く訴えている!豊橋駅ペデストリアンデッキから見た東田本線の軌道。軌道に芝生が植えられているのは鹿児島市電を思い出す。しかも、ガス灯風の証明も設置され、街の顔として整備しようと云う意気込みが伝わる。走行中の白い車両も元名鉄車で、岐阜市内線を走っていた車両だ。豊橋が此処まで頑張っているのに、岐阜が出来なかったのは不思議である。豊橋鉄道の郊外電車(渥美線)も少し見学。駅舎も新しく、利用客も多い。さて、豊橋駅から名鉄電車で名古屋を目指す。名鉄の乗り場も独特で、実はJRの施設を間借りしているだけらしいのだ。なので券売機のスペースも狭いから切符買う為に長蛇の列に並んだ。ホームも一箇所しか無い。利用客が多いから、其処だけ混雑している。豊橋→長久手までの長い旅そして乗車するのも典型的なザ・名鉄の車両。急行一宮行であります。急行でも結構スピードを出すが、途中で特急に追い越される急急待避も魅力的。電車は名古屋に近付くにつれて混雑するばかりだが、金山駅で半分近い乗客が下車。名古屋の人の流れは全く分からない。名鉄名古屋から地下鉄東山線に乗換えたが、此処も大混雑。と思いきや、栄駅で一気に空いた。落差が激しくて戸惑うばかり。終点藤が丘駅は、バスターミナルを併設する立派なものだ。そしてリニモに乗換える。ジブリパークの影響で混んでいるのかと思えば、何だか貸切みたい。びっくりするほど標高が高くて、遠く名古屋市中心部のビル群を見下ろす感じであった。目的地のトヨタ博物館に到着!お目当ては旧東ドイツの伝説的ボロ車「トラバント」であります。詳しくはも御覧ください。
2024.03.30
近鉄の観光特急「あおによし(あをによし)」は、エリザベス女王が御乗車になった車両を改装したことでも有名。女王陛下が御乗車になったのは四十年ぐらい昔なので、車両も標準的なオレンジと紺色のツートンカラーで「スナックカー」と呼ばれていた時代の話である。スナックカーとは、軽食コーナーがあったからそう呼ばれていた訳だが、長らく近鉄特急の主力車両であった。時代が下るにつれて、スナックカーは廃車が相次いだが、王族も利用した名車を全廃するのはもったいないと思ったのか、観光特急に改造して再び近鉄の看板列車に返り咲いたのであります。奈良の鹿さんを眺めて時間を潰した後、我々は近鉄奈良駅発の「あをによし」に乗車することになった。近鉄奈良駅は、近鉄だけでなく阪神電車や京都市営地下鉄も乗り入れる国際路線。京都市営交通が110周年を迎えた記念ヘッドマークを掲げた電車に、多くの観光客が記念撮影していました。奈良の「地下鉄」を走るのは京都の地下鉄車両なのであります。いよいよ我々は「あをによし」初乗車!車体がキラキラ輝き過ぎて、目の前の景色が映り込んでいる。今回は乗車する車両にもこだわりがある。奈良方面一号車は、女王陛下が実際に御乗車になった車両でもあるのだ。もちろん、スナックカーと呼ばれていた当時は標準的な特急列車風レイアウトで、女王御乗車の際に特別な座席を設置したそうだ。二人組窓向きのシートは、やはり二人組でないと利用し難い。此処まで付いて来て呉れた嫁さんに感謝。シートはリクライニング出来ないが、包み込まれるような座り心地が素晴らしい。仕切りは無くとも、余裕があり過ぎるからプライバシーも保てる。車内も静粛だし、JR九州によくある、普通気動車を魔改造した観光列車とは次元がちょっと違う。やはり大英帝国の女王陛下が乗った車両だけに元々の造りが良いのだろう。残暑厳しい奈良にアイスは必須アイスクリームを買う為に売店へ向かう。途中にあったのが四人掛けシート。四人でワイワイ盛り上がるならいいけど、シートの形状からは居眠り出来ない構造。売店で買ったアイスクリームです。パッケージのデザインが、外装と全く同じ色彩なのが素晴らしい!アイスクリームで乾杯しながら、平城京跡地の光景をじっくり堪能。観光特急だが減速運転はやって呉れないのは、やはり奈良線が過密ダイヤだからであろう。近鉄・阪神・京都市交通局の電車が入り乱れる鉄ヲタには堪らない空間。天井の意匠も此の通り、凝りに凝っております。色々と愉しむ要素が多い列車だが、今回は近鉄奈良から近鉄丹波橋までの乗車だったので、あっという間に終わってしまった感じ。難波から奈良を経由して京都までなら、確かに乗り応えがある。列車の旅は、長過ぎても短過ぎてもいけない。記念乗車証をもらいました。出来れば車体の色に合わせたデザインにすればもっと良かった。青の交響曲のようにね。
2023.01.07
関西私鉄に乗りまくる企画二日目は、宝塚ホテルを出発し、今津経由で阪神本線・なんば線と乗り継いで近鉄奈良を目指すことになった。尼崎から乗った近鉄電車は鶴橋へ到着。此処で快速急行近鉄奈良行が来るまで待つ。直ぐに名古屋行特急がやって来た。主要駅停車の乙特急で、数年前に乗ったアーバンライナーだから懐かしい。ひのとりの増備でついに脇役に回ったが、贅沢なものである。さて、待ち時間が少し長い。韓国が憧れの国らしい嫁さんは、ホームから見える街並みを熱心にスマホに収めている。新大久保や鶴橋は聖地らしいのだ。憧れますかねー、まぁ人それぞれですけど。拙者はこっち憧れますがね(宝塚ホテル)。乗った電車は阪神車の快速急行近鉄奈良行。是がまたスペシャルな電車で、山陽・阪神・近鉄と、直通運転する沿線各地のイラストがびっしり描かれている。大阪ドームや阪神甲子園球場はもちろん、奈良のイラストも此のとおり。~恐らく三十数年ぶりの奈良公園~やはり鹿せんべい目当ての鹿さんが群れている。三十数年経っても同じ光景だから何とも懐かしい。数年前、宮島の鹿さんが「なんかくれー」と、まるでカツアゲみたいで怖かったことを覚えているが、奈良の鹿さん達は「せんべい」を我慢強く待っている雰囲気。めちゃくちゃかわいい鹿さん。確かにせんべいあげたくなる。でもオスの鹿さんは怖い顔している。彼は鹿せんべいに目もくれず、ひたすら奈良県庁の芝生の手入れをやっていた。みんなと離れているから、まだ群れを作れない若い雄かも知れない。さて、時間が来たので我々は近鉄奈良駅に戻るとする。是から新型特急「あおによし」に乗車するのである!
2022.12.17
関西私鉄を乗りまくる旅の第二日目、宝塚ホテルを出発した我々は、阪急今津線で今津駅まで向かい、阪神電車に乗り換えた。反対側ホームにやって来た電車は急行西宮行であります。この電車、どう見ても読売巨人軍の色彩で、虎党の評判がよろしくない。挙句の果てに株主総会で散々突っ込まれることに(笑)。急行西宮行が去った後、直ぐやって来たのは各駅停車高速神戸行。一昔前までは水色だったと記憶しているが、リニュアル後に随分と濃い青色となった。阪急電車がひたすらマルーンの色彩を維持している反面、阪神電車は色彩が自由過ぎて笑ってしまう。実は、来る電車来る電車、みんな色が違うと云う凄まじいことが実際に起きた。梅田方面の電車はなかなか来ないが、来たと思ったら山陽電車の直通特急と近鉄の奈良行快速急行が相次いで通過して行く。もちろん、色も形も全く違う電車だ。だから阪神本線は眺めているだけで面白い。そして、やって来た急行大阪梅田行は、何と!甲子園フォーエバーのラッピング車であります。今日は電車運がいい一日のようだ。尼崎駅に到着!我々は此処で降りて甲子園フォーエバー電車を見送る。阪神甲子園球場こそ、阪神電車が生み出した不動産の最高傑作ではないだろうか。我々は尼崎駅で阪神なんば線に乗り換える訳だが、乗り換える為には停車中の各停の車内を横切って向こう側のホームに移動することになる。電車を通路代わりにするところが関西の合理主義。停車中の電車は新型ジェットカー5700系であります。阪神電車で初めてのブルーリボン賞を受賞した傑作車両。通勤電車がブルーリボン賞を受賞するのは異例で、其れだけ素晴らしい電車だと云うこと。加速度に優れ、座席やドアの構造にも「速く快適に」のこだわりが詰まっている。阪神電車は、急行用と各停用と、それぞれ専用の車両を製造するのが伝統だ。そして奈良行快速急行がスペシャルな電車でした。奈良、大阪ドーム、甲子園、姫路など、電車にベタベタと沿線各地のイラストが貼られており、阪神電車は奈良から姫路まで網羅しています、と主張したいようだ。近鉄線や山陽電鉄本線との相互乗り入れで、確かに奈良まで行けるし姫路まで行けるようになっているが、何だか阪神電車が奈良から姫路まで路線を伸ばしたような図々しさが味わい深い。再び阪神本線に戻って、今度は古参の5000系ジェットカーに乗車。車齢は40年は経っていると思われるが、信じられないほどピカピカ。5000系も、次第に5700系に置き換えられていくと思われ、乗車出来るのは今年ぐらいで最後かも。大震災を生き延びた車両達も、次第に少なくなりつつある訳だ。武庫川線にも乗りましたよ!トラッキー仕様のラッピングです。武庫川線の車両もバラエティーに富んで凄いことになっています。タイガース仕様、トラッキー仕様、トラコ仕様、甲子園仕様と、四種類のラッピング車が用意されており、どれに当たるかはお楽しみ。乗客は全員阪神ファンと決め付けたような路線である。武庫川団地センターの敷地に飾ってある車両も見に行った。一昔前までの赤胴車であります。特急や急行は、みんな此の塗装だった訳ですな。何時の間にか、伝統的な赤胴車仕様は武庫川線だけになってしまい、廃車後は団地内に飾られて往時を偲ぶことができる貴重な資料となっている。以上、阪神電車の歴史をかなり網羅したような一日であります。鳴尾浜球場にも足を運びました~詳しくはこちら!
2022.12.03
去る八月二五日、大阪ドームにて阪神-横浜戦を観戦するために大阪へ向かった。鹿児島空港から伊丹空港まで全日空のボンバルディア機に揺られて約一時間、伊丹空港から伊丹市営バスに乗り換えて阪急伊丹駅まで来た。本当に伊丹経由で大阪市中心部まで行く人間など我々くらいだろうが、要は阪急伊丹線に乗りたかっただけのこと。伊丹駅の立派な駅ビルの中で目を引いたのが池田泉州銀行イメージガールの有紗瞳様!「すみれの花定期預金」の宣伝が美しい!パンフレット貰いに店舗へ入ったら、衝撃の光景が!ラックにパンフレットが一枚だけ置いてあって、其の理由が表示してある。大量に持って行く人がいるから一枚だけ置いてる、無い場合は店員まで声を掛けて欲しい的なことが書いてあるのだ。是ほど人気がある銀行パンフレットも珍しいだろうが、其処が宝塚の威力たるもの。有難く一枚頂きましたぞ。伊丹駅から6000系電車に乗車。6000系も、いよいよ支線運用で占めるようになったようだ。塚口駅に着いて神戸線に乗ったら最新の1000系で、車内設備の進歩に目を見張る。さすが本線運用の車両はレベルが違う。車内レイアウトに、少し「関西私鉄らしさ」が薄れているが、阪急電車伝統の色彩は堅持している。阪急百貨店大食堂でゲミュートリッヒなひととき?阪急梅田駅へ到着し、一号線から九号線までずらっと並ぶ阪急電車を眺めながら阪急百貨店へ。うめだ阪急は大き過ぎて、まだ行ってない店も数多い。今回は「シャンデリアテーブル」で昼食を決め込んだ。拙者は勝手に「大食堂」と呼んでいる。何だか、昭和時代の阪急百貨店大食堂を彷彿とさせる雰囲気だからだ。シャンデリアは、旧コンコースに吊るされてあった本物。阪神間モダニズムの雰囲気をしっかり堪能する。カツレツを食してうーんゲミュートリッヒなひとときを感じたいところだが、どうもそうはなりませんでした。周囲は中年女性のグループでびっしり固められていて、もう煩いったらない。黙食なんて誰もやってない。まだ八月ですよ。えらい蔓延してた時期です。もう飛沫飛ばしまくりやがな。隣の二人組様なんか、延々としゃべってはるけど、食べ物の味分かるんでしょうかねぇ。しかもドーム屋根は音が良く響くんです。クラスター発生確実や、こらあかんと観念して店を出た。続いて阪神百貨店に移動であります。百貨店の建物も全館完成!素晴らしい!阪神側も着々と素晴らしくなってます。阪神タイガースのグッズショップへ行くと、場所も大きく変わっており、面積も格段に広くなっている。ゆっくり梅田を散策出来たのは参年ぶりだが、本当に素晴らしいことになってました!(大阪ドームへ向かうまでの長い道のりは、次の機会に書いていきます!)
2022.10.23
去る令和参年十月X日、博多座にて宝塚月組公演『川霧の橋』の観劇が実現することになった。鹿児島市から博多座に行くのに、肥薩オレンジ鉄道を経由して八時間くらいかけて行った訳だが、帰りは帰りで甘木鉄道やSL人吉に乗ったりして合計十一時間くらいかけて帰ることになった。鉄ヲタ全開の行程を振り返ると、【福岡市営地下鉄】薬院駅→天神南駅、天神駅→博多駅(ポポンデッタでNゲージで遊ぶ)【鹿児島本線】博多駅 11:40 → 基山駅 12:05【甘木鉄道】基山駅 12:32 → 小郡駅 12:39【西鉄天神大牟田線】西鉄小郡駅 12:47 →久留米駅 12:59(久留米駅ビルで「ごぼてんうどん」を食べる)【西鉄天神大牟田線:水都】久留米駅 13:33 → 柳川駅 13:50(約弐時間、柳川観光)【西鉄天神大牟田線】柳川駅 15:50 → 大牟田駅 16:04【鹿児島本線:SL人吉】大牟田駅 16:37 → 熊本駅 17:53【九州新幹線】熊本駅→鹿児島中央駅 気の遠くなるような長い行程の第一歩は、福岡市営七隈線から。七隈線に乗りたいばっかりに、薬院駅界隈のホテルに泊まったのである。なぜ七隈線に萌えているかと云うと、車両がとにかくユニークで、注目すべきは運転席。鉄道車両の多くは、乗務員室は壁で厳重に仕切られているが、七隈線は其れが無い。進行方向逆の場合は運転台をカバーで蓋をして、乗客が運転席に座れる構造になっているのだ。ぜひ名鉄パノラマカーみたいな展望を拝みたいと思ったが、残念ながらコロナ禍の謎ルールで、乗客は入れないようになっている。地下鉄二路線を乗り継いで博多へ到着。博多阪急の開店と同時に店内に入ると、「すみれの花咲くころ」がBGMで流れてテンションはMAXであります。アミュプラザ側のポポンデッタで、Nゲージで遊ぶことになっている。嫁さんとは暫く別行動だ。手持ちの阪急9300系の試運転を行う。何故かポイントレールで脱線してしまった。少し不安が残るが、拙者が自分で付けた室内灯がちゃんと点灯していたのでホッとする。実は、国鉄103系も一緒に走らせた。国鉄時代、労組が車体にスローガンを書き殴った「アジ電車」が走っていたが、それをNゲージで再現する予定なのである。キレイな車体では最初で最後の運転だ。これ、何の話か分からない方は、→こちらからどうぞ。甘木鉄道を経由した鉄道ラリー博多駅で薩摩藩の皆さんへのお土産を買って、11:40発の鹿児島本線快速電車に乗った。途中に気になる駅がある。南福岡駅である。南福岡駅と云う駅名も、よく考えたら妙なものである。そのそも福岡県内に「福岡駅」と云う駅は無いのだ。外国人観光客が、「福岡駅」を目指して富山県へ行ってしまったと云う笑い話があった。何故こんな駅名になったのかも訳があって、元々は雑餉隈(ざっしょのくま)駅であった。構内に南福岡車両区があって、多くの列車が発着していたらしい。昔の国鉄は、今より遥かに広域輸送が盛んだったが、他県の人間は「雑餉隈行」と云われても、何処へ行くのか分からないし、そもそも「読めない」と云う人が続出、結局「南福岡車両区がある駅だから南福岡駅にしてしまえば、何となく分かるんじゃないの?」と云うことになったらしい。 さて、電車は30分弱で基山に到着、ここから甘木鉄道に乗り換えるのだ。なんで甘木鉄道に乗るかと云うと、柳川へ行きたいが、西鉄との直接の乗換駅が無くて、どうせなら一生に一度は甘木鉄道に乗っておかないと人生損すると思ったから。そしてやって来た列車は、旧国鉄塗装仕様であります。何だか得した気分。乗車時間は僅かで、直ぐに小郡で降りなければならない。西鉄との乗換駅だ。西鉄小郡から西鉄久留米まで行って、西鉄久留米駅ビルでゴボ天うどんを食べた。あまりゆっくりしていられない。時間厳守の訳は、13:33発の特急が「水都」仕様だからである!来ました!「水都」であります。昨年は「旅人」にも乗ったので、目的は見事達成である。「水都」は、単線区間や複線区間を走り抜けて、あっという間に柳川へ到着。ここから少しだけ柳川観光。まあこんな景色が広がっておる訳です。何キロ歩いたかな。絶対に時間厳守なので、柳川駅まで戻るのに西鉄タクシーを使った。柳川から大牟田へ早めに移動して、大牟田で珈琲でも飲むことにした。嫁さんが「大牟田駅前のカフェ」を検索したら、たった一軒だけあると云う。スマホの画面の通り進んだら、これですよ!旧西鉄電車の保存車がカフェになっている!去年は屋根もなく、ただ静態保存されていただけだったが、まさかのカフェ開設とは。カフェ内は、全然違和感が無い素晴らしい出来具合ですよ。ちゃんと往時の雰囲気を壊すこともなく、令和の新しい価値観と調和している。(詳しい写真はこちらからどうぞ。)締めくくりは「SL人吉」時間厳守の訳は、SL人吉に乗車するためであります。鹿児島生活で最大の後悔と云えば、球磨川豪雨災害の前に肥薩線に乗る事が出来なかったこと。あいにくのコロナ禍で観光そのものを自粛せざるを得なくなり、悶々としているうちに豪雨災害が起きてしまい、肥薩線の熊本県区間~球磨川を走る最もおいしい区間がズタズタに寸断されてしまったのだ。鹿児島県内を走る「特急はやとの風」は、運行休止前にギリギリセーフで乗車出来たが、熊本側だけはどうにもならん!と諦めかけていたところに朗報が。SL人吉が、鹿児島本線を借りて特別運行を始めたのだ。秋の夕焼け空を浴びながら、列車はまったりと進んで行きます。長い長い旅も漸く終わりに差し掛かりました。肥薩おれんじ鉄道の「モーニング」、熊本電鉄のくまもん電車、博多座のタカラヅカ月組公演、博多のもつ鍋を囲んで参加者との有意義な時間・・・内容の濃い一泊二日の行程でありました。↑のサイトはこちらから・・
2022.02.06
去る令和参年十月X日、博多座にて宝塚月組公演『川霧の橋』の観劇が実現することになった。開演は16時、約1時間前に現地集合となったが、鉄ヲタと云う人種は、鹿児島から博多へ新幹線一本で向かうなどという事をしない。考えに考えた挙句、当日の行程は以下の通りとなった。【九州新幹線】鹿児島中央駅 7:03→出水駅 7:26(さくら542号)【肥薩おれんじ鉄道】便名:1便モーニング出水駅 7:54→新八代駅 9:39着【鹿児島本線普通列車】新八代駅 10:09→上熊本駅 10:50【熊本電鉄】上熊本駅 11:21→藤崎宮前駅 11:37・市役所展望台で休憩【熊本市電】市役所前電停 12:51→熊本駅前 13:08【九州新幹線】熊本駅 13:40→博多駅14:30(つばめ318号) 鹿児島中央駅まで市電に乗ったり、博多から地下鉄に乗ったりする時間も含めたら全行程8時間!肝心の宝塚観劇の前に早くもお腹一杯だけど、其れだけ内容の濃い一日であった訳であります。其れでは、旅の合間に撮った写真の幾つかを紹介するとしよう。まずは出水駅で新幹線から肥薩おれんじ鉄道に乗り換え。出水駅西口には蒸気機関車の展示があって、早くもテンションはMAXであります。一方、駅東口には鶴のオブジェがある。出水市は日本有数の鶴の越冬地でもあるのだ。しかも、出水麓と呼ばれる武家屋敷跡があることでも有名。残念ながら、直ぐに乗り換えせねばならないので、とても武家屋敷まで見に行けない。駅ホームの垂れ幕で雰囲気を味わっておく。旧鹿児島本線の鉄路を行くいよいよ肥薩おれんじ鉄道「第1便:モーニング」に乗車。車両は「おれんじ食堂」の特別車両で、我々が乗った便は朝食付きであります。群青色の車体が美しい!水戸岡デザインでリニュアルされた水俣駅を過ぎてから朝食が配られる。パン2個だけ?などと思わないでいただきたい。このパンがなかなか食べ応えがあるのであります。一つはおかずの入ったハンバーガーと、果物の入ったスイーツのパン。いずれも地元産の食材にこだわった品々。パンプキンスープに珈琲も飲んで、十分お腹一杯になった。車窓からは八代海が見えて来る。いい天気でしょ?是でも天気予報は曇り時々雨だった。内心、何時まで持つかハラハラしていたところ。単線の線路が延々と続く。実は、此の鉄路は旧鹿児島本線。門司や博多から鹿児島まで、在来線の特急が走っておった訳です。海岸線沿いを曲がりくねった鉄路が続く訳で、確かに景色は素晴らしいんだけど、恐ろしく時間が掛かったのだろう。現在では、其れを逆手に取って「ゆっくりと、ゲミュートリッヒな時間を過ごす」旅を愉しむことに価値が生まれている訳だ。愉しむ側も、心のゆとりがあってこそなのだが。肥薩おれんじ鉄道の写真は、ホームページ側にもあります。詳しくは→こちらからもはや奇蹟に近いタイミングおれんじ食堂での充実した時間も、やがて終わりが来てしまう。旅を演出して下さったアテンダントの皆様に感謝しつつ、終点新八代でJR九州の鹿児島本線に乗り換え。此処からは急に落差があって、乗った車両は如何にもJR九州的な地方都市近郊用通勤電車であった。まーだ新幹線に乗りませんよ!我々は熊本駅の一つ先の「上熊本駅」で下車をした。此処で降りるのは複数の訳があるのだ。まずは、此の数分後に「SL人吉」が通過することになっている!来たぁー!と「目薬片手に歓喜の声を上げそうになった」とは此のこと。SL人吉であります。ディーゼル機関車のフォローを受けての運転だが、ちゃんと煙を吐いての牽引である。実は、帰路にSL人吉に乗車する予定で、もちろん帰りも新幹線一本で帰る気なんか毛頭ないのである。上熊本駅を降りたもう一つの理由は、生まれて初めて熊本電鉄に乗ると云う目的があった為。やって来た電車は、旧営団地下鉄銀座線の車両だが、くまもんラッピングがどぎついまでに貼られているのであります。車内も此の通り、大変なことになっている。北熊本駅で藤崎宮前方面へ乗り換えるのだが、此の駅は熊本電鉄の運行拠点駅となっていて、御覧の通り電車が多数待機中。営団や都営など、東京の地下鉄車両がやたらと集まっているのであります。まるで趣味で集めたような状態。熊本電鉄のターミナルである藤崎宮前から少々歩いて熊本市中心部へ。市役所展望台から熊本城等を眺めて、今度は熊本市電に乗って熊本駅へ向かう(写真は上熊本駅で事前に撮っておいたものです)。ちょうど熊本市内を一周した訳であります。何と云う遠回りな行程であろうか!もちろん、熊本駅から博多まで行くのも「こだわり」があって、新幹線も800系に乗りたいばかりに、全駅停車の「つばめ」に乗るのである。なかなかディープな一日であります。肝心の宝塚の話は、また次の機会に。のサイトはこちらから・・
2021.12.26
特急「ゆふいんの森」に乗ることが目的だったので、別に由布院に行かねばならぬ訳では無かった。あくまで目的地は豊後森駅、駅近くに「豊後森機関庫跡地」があるから見ておきたかったのである。今回は完全に鉄道ヲタ的な旅なので、嫁さんの同伴はなくワンマンで出発進行!特急「ゆふいんの森」の車両は、一世と三世があって、拙者が乗車したのは一世の方だ。本当は三世に乗りたかったのだが、ダイヤの都合でどうにもならない。ただし、一世の特徴は平成初期のバブルカーのような独特の雰囲気を残しているところ。どうです、此の金キラ金の装飾!網棚が全部金と云うのが凄い。ちなみに三世の車内は、天然ナチュラルな雰囲気が色濃くなっている。時代の流れが、こんなところからも感じられる。先頭車両は展望が効く。ハイデッカー車なので、運転士の頭越しに前面展望が拝める訳だ。拙者は小田急ロマンスカーに乗ったことはあるけど、展望席に恵まれなかったので、展望席自体が初めてだ。お断りしておくが、拙者が座ったのは、列車の最後尾です。動画撮影しないから、後ろ向きでもいいのだが。豊後森は水戸岡先生の独壇場豊後森駅は、古い駅舎の風味を残しつつ、リニュアルされている。もちろん、拙者が尊敬する水戸岡先生のデザインである。デザイナーの個性を全面に打ち出すことに全く躊躇しないのがJR九州の面白いところだ。駅から徒歩10分程度の場所にある「豊後森機関庫跡地」~広大な敷地だが、記念公園となっている。展示されているのは9600型蒸気機関車。ちゃんと前照灯が点灯している。公園の設計は、もちろん水戸岡先生の監修である。もう街そのものがデザインされている感じ。使われなくなった建物は、機関庫ミュージアムとなっている。往時を再現したジオラマがあった。かつて久大本線の列車運行の要だった豊後森、最盛期は蒸気機関車25両、職員200名、乗降客5,800人を数えたそうだ。今の閑散とした雰囲気からは想像出来ない。公園に隣接している倉庫跡地は、カフェがオープンしていた。森のクレヨンと云う店で、此処でカツカレーを食す。公園が見渡せる素晴らしい眺望!目の前は久大本線のレールが敷いてあって、ほんの一瞬の出来事であったが、特急「ゆふ」の深紅の列車が目の前を通り過ぎて行った。カフェに併設の店舗では、お土産も買える。「豊後森機関庫ものがたり」は、地元の福祉施設の皆さんが製造したお菓子です。ちなみに、久大本線は、自然災害で何度も鉄路が寸断されている。最近の被害は、令和2年7月豪雨による橋梁の流出。復旧に八ヶ月を要した。九州の鉄路は、常に自然災害との闘いである。 豊後森の写真はホームページ版でも掲載しています。詳しくはこちらからのサイトはこちらから・・
2021.11.20
神戸電鉄粟生線を応援する映画のクラウドファンディングに応募したのが平成31年4月のこと。昨年末、待ちに待った完成品DVDが届いた。まずは映画の完成に、お祝いを申し上げたい。あれから約2年、拙者自身が鹿児島県に移住することになり、最近のコロナ禍もあって、そう簡単に神戸に行くことも出来なくなった。半分もどかしい気持ちだが、このDVDを見て、美しき播州の地に行って来た気分を味わうとするか。粟生行の電車(復刻塗装です)大手配給会社の映画じゃ無いから予算の制約もあるし、そりゃ手作り感も満載だ。その辺を割り引いて鑑賞するのは当然だけど、本気で感想を書け!と言われたら、やっぱり指摘したくなるのは「志染氏の金物店で90年前も龍神様を鋳造してたと云う不可解な話に、特段の伏線回収が無かった」こと。同じ感想を述べてる方がいらっしゃった。 では、どうすればスッキリするのか?拙者は勝手に妄想した。例えば・・・ 三希奈と青山は、一度無くした龍神様を無事回収した。ところが、宮司が「本物」であるはずの龍神様を検分したところ、どうも力が伝わって来ないと途方に暮れる。おかしい!本物なのになんで?と悩む三希奈。気功の先生に触らせたところ、龍神様にしては普通の石みたいだと指摘され、青山が志染氏に検分を依頼すると、是は機械で削った跡があり、明治以降の機械技術による鋳造と判明。志染氏の先祖が鋳造した偽物の可能性がでてきた。90年前に何があった?青山と志染氏は、当時を知る人間を探す旅に出る。 いよいよやって来た神事の日。氏子さん全員一致の賛同を得て、「神鉄復活」の祈願が決まる。ところが、宮司がいくら念じても龍神様は現れない。おかしい! フフフと笑う徳丸社長。それは偽物だ、本物は此処にある!と懐から出したものは何と!龍神様ではないか! 返してもらいたかったら俺の要求を聞け!と凄む徳丸・・・その時だ。 待ちなさい!車椅子に乗った老人が現れた。後ろには青山と志染氏の姿が。この老人こそ、90年前に起きた信じ難い出来事を知る人物であった。あの時、一体何が起きたのか? 90年前、龍神様の願いは、当時の権力者に独占されようとしていた。村人達は、決死の覚悟で龍神様を奪取(偽物と交換)する。その村のリーダーが徳丸氏の先祖であった。結局、村人達の願いが叶い、鉄道が開通することになった。首謀者の発覚を恐れ、龍神様は秘密裏に徳丸家が所有することになったのだ。 徳丸さん、先祖に倣って、あんたも世の為人の為に使うんだ!と諭す老人の諫言を振り切って、徳丸は龍神様を持ったまま逃亡しようとするが、三希奈の魔術から逃れられず降参する。 ラストシーン、三希奈は「父が運転士への夢を許してくれた」と青山に語る。あのお父さんがよく許したねぇと青山が驚く。神事の蔡、父が兼業を許してくれますようにってちゃっかりお願いしたの、フフフ。そりゃめでたしめでたしじゃ、なーんてね。粟生線に乗ったのはちょうど2年前!懐かしい!駅舎丸焼け事件の三木駅へ到着するところ小野まで来ると乗客は少なかった★小野市まで行って「アフタヌーンティーセット」を食べ突っ込みどころ満載のソロバン博物館を見学した様子はこちらから。・神鉄粟生線乗ってアフタヌーンティーセットを食べに行く・神鉄粟生線の旅~小野市そろばん博物館にて~そろばんと爪楊枝の関係性について考察したところで永遠に答えが出ない気もする
2021.05.04
誤解の無いように前もって申し上げておくが、此のコーナーは10月31日に長崎に行って来た時の写真。かなり前からステイホーム状態なので、過去の写真の整理整頓がやっと進んだだけの事である。其れにしても遅れ過ぎてて、年越しそばを「あごだし」で作った話とか、春ごろになるかも知れない(笑)。当日は長崎電気軌道の一日乗車券で、とにかく鉄ヲタ全開の旅となった。此のとおり、昭和感漂う古い車体が数多く健在で、圧倒的に単車で占められているのも長崎の特徴だ。鹿児島の方が連接車が多いかも知れない。鹿児島市在住なので、鹿児島市電との雰囲気の違いも見どころである。まずは、腹ごしらえにグラバー園の自由亭で珈琲とカステイラを頂く。詳しい写真とかは→こちらからグラバー園を出て、石橋電停から電車に乗る。此の路線も萌えるスポット。何で萌えるかと云うと、路面電車では珍しい単線区間があるから。大浦海岸通からが閉塞区間で、電車は一両しか入線出来ない。こんな光景、鹿児島市電では見たことがない。単線の線路はこんな感じ。長崎の街は、とにかく狭い。谷底みたいな土地に街があって、どうにも拡張出来ないから、川の上に道路を造ったり、かなり無茶な都市計画をしておる。此の「ごちゃごちゃ感」が見てて面白いのだが。出島―新地中華街間も萌えスポット。併用軌道ながら、ほとんど線路だけ、と云う道路。出島のカピタン部屋のすぐ横を電車が走り抜けるのだ。実は、1915年の電車開通当時の道幅だと云う。昔はクルマが少なかったから、是でも十分だったのだろう。生活利用者は通行出来るのだろうか?一般車が無秩序に入り込んだら、めちゃくちゃな事になるな。此のとおり、道路=線路と云う感じ。是を見たら、鹿児島市電は恵まれた線形だなと思う。建物の中を路面電車が走り抜ける長崎西洋館とかは、ホームページ側に画像を保存したので→こちらから。カラスのような「かもめ号」さて、帰路の旅も満喫したい。長崎駅は、此の通り新しくなっておる。隣は新幹線ホームで、どんがんどんがん工事中。我々が乗る列車は「かもめ」と云えども、是ぢゃ大牟田の炭鉱の煤煙をモロに浴びたようなカモメである。だから拙者は勝手に「黒いかもめ」と名を付けた。新幹線が開通すると、在来線の特急が長崎駅に乗り入れる光景は見られなくなるのだろう。「黒いかもめ号」の車内も黒っぽい色調でまとめてあって、ドアが真っ黒と云う発想は大胆なぶるいだと思う。JR九州は、部品を真っ赤に塗ったり真っ黒に塗ったり、何でもアリなのだ。荷物棚は開閉式となっていて、まるで航空機の機内を彷彿とさせる。新鳥栖までの長い時間を過ごすこととなった。さて、列車は長崎県を後に佐賀県に入ったのだが、驚いたことに気球があちこちで浮いている。確かに、平野部が続いているから、気球の離着陸に好都合なのかも知れない。ほー、と感心して見ていたが、かと云って佐賀駅で降りてまで見に行きたいとも思わぬから、やっぱり通り過ぎてしまった。新鳥栖から新幹線に乗ったら、もう帰って来た気がする。鹿児島まで相当の距離があるのだが、新幹線は速すぎて距離感が麻痺する。拙者は九州新幹線のN800系に好んで乗る。各駅停車でもいいから好んで乗るのは典型的な鉄ヲタだ。指定席の意匠が素晴らしくって、新幹線で和の雰囲気を感じるなどと、東海道新幹線では絶対に味わえない世界。長崎新幹線も洒落たデザインになるようで、ますます長崎県はパワーアップしそうな予感がする。↑のサイトはこちらから・・
2021.01.23
去る10月31日、生まれて初めて長崎を旅行することになった(当ブログは約2か月遅れとなっています)。鹿児島から一泊二日の行程で、ド定番の観光地を回って終わりそうだが、本州出身者は其れでも十分自慢したくなるのである。そして是から書くことは、行きと帰りが逆の順番になっていることを申し添える(11月1日に「白いかもめ号」に乗って帰ったことを、10月31日に「白いかもめ号」に乗って長崎に行ったように書いてる、と云うこと。何でそんな面倒臭いことをするのかと云うと、たまたま編集しやすいから、などと云う勝手な都合である)。さて、新鳥栖乗換で長崎本線に初めて乗ることになった。夕日、いや朝日を浴びてやって来た「白いかもめ号」は、こんな車両。車体が白いから勝手に名前を付けた。自由席は満席に近く、長崎本線の特急の利用者が予想以上に多いことに驚く。ところが、次の佐賀駅で大勢降りて行った。向こうのホームに「或る列車」が停まっているのを発見!降りた人達は、あれに乗り換えるのか、佐賀市に用事があるのか、どちらかになるのだろう。佐賀駅前の様子を目を凝らして観察したが、本当に特徴の無い街だという感想しか持ちえない。元々眼中にも無い訳で、やはり存在感の薄さは否めない県である。さて、長崎県に近付くと、列車は有明海のぐにゃぐにゃ曲がった海岸線に沿うように走って行く。例えば上の写真だが、海の向こう岸までぐるーっと迂回して走って行くのである。旧九州鉄道時代の線路だから、恐ろしく時間がかかる。長崎新幹線を造っている理由がよく分かった。ゆっくり走って呉れているから、景色はじっくり観察出来た。有明海の干満の差は激しく、舟が地面に着いてしまっているのが分かる。長崎新幹線の工事が各地で進む諫早に着いたら、此処は大工事をやっている。新幹線開業に合わせて再開発しているのだ。完成したら途中下車してみたい気がする。諫早を過ぎたら、列車は昭和時代に造った新線に乗り入れるから、高速運転する。長いトンネルを抜けて終点に近付くと、新幹線の高架橋が見えて来た。高架橋も凄いが、山の上まで家が建ち並んでいる光景はもっと凄い。やはり長崎の街は、車窓の段階で圧倒されるものだ。長崎駅界隈も大工事をやっている。5年くらい経ったら、もう一回行かねばならぬと思った。だから長崎は人間が集まる。佐賀県は素通りされるから気の毒であるが。長崎駅にも「アミュプラザ」がある。全く不案内だから、見た感じで小洒落たカフェに入ってサンドイッチを食べた。古めかしい銀のトレーがレトロな雰囲気を出して良い。ちいと見難いかも知れんが、左上の茶色いカップに、グラニュー糖がこんもりと積まれている。スティックシュガーではないのが前時代的で良い。(実は、自由亭の喫茶室でも砂糖はカップにこんもり積まれて持って来た。長崎は歴史的に砂糖がふんだんにあることを自慢したいようだ)。泊まるホテルは、グラバー園に近いホテルモントレ。この界隈も小洒落た雰囲気になっちゃって、オランダ通りと名が付いている。なのに英国領事館があるのだが、肝心の領事館も工事中。やっぱり5年くらい経ったら、もう一回行かねばならない。ホテルの部屋もこんな感じ。前時代的なデザインが良い。意匠からして、オランダと云うよりポルトガル?ホテル内のイタリア料理レストランの説明書きに、大航海時代ポルトガルのロマン云々って書いてあって、イタリアとポルトガルは違うやろ?と突っ込みを入れたくなる。ちなみに拙者ははじめから長崎名物トルコライスを食べに行くつもりであった。トルコライスなどと、もちろん日本人が勝手に考案した料理である。ホテルにほど近い、サッカーファンと思われる大将が営むトルコライスの店に入った。とにかく、味ご飯とパスタとトンカツが一つの皿に乗っかっておれば、トルコライスなのである。トンカツやパスタを、土耳古国民が好んで食すとは思えないが、そんなことはどうでもいいのである。此のトルコライス、味ご飯がとにかく美味くて、ソースが染みると味が分からなくなるので勿体ない。結局、何処を観光したのか是ぢゃ分からないが、観光して撮った写真はホームページ側に保存したので、此処ではB級の写真だけを並べて解説を加えた。どうもすいません。↑のサイトはこちらから・・
2021.01.09
9月の四連休~3日目の福岡市内は朝から快晴であった。今日は、生まれて初めて西鉄電車に乗るのだ。前もって「鉄オタ選手権・西鉄電車の陣」を見て予習をしておいた。タレントチームに山本高広氏が参戦!もちろん目薬片手に「キター!」はお約束である。ちなみに彼はキター九州市出身とのこと。昨日はキター九州市の門司港を散策して来たところである。西鉄福岡天神駅は、国鉄との接続が無い。完全に独立した世界を作っていて、駅名のネーミングセンスといい、関西以西の私鉄にありがちなターミナル駅だ。この個性的な雰囲気がたまらないのだ。最も個性的なのは発車案内表示器で、昔よくあった「発車標がパタパタ回っている」ところを、デジタルで再現している。これは鉄オタ選手権「西鉄あるある」でも出題された。出発を待つ各停筑紫行き。顔が左右非対称で、車体の配色も個性的だ。西鉄でなければ考えもつかない、そんな電車である。実は、この電車の奥に「レールキッチン筑後」が停車している。鉄オタ選手権で、高広氏扮する「坂上忍さん」が「この家買います!」とカマしたのが笑えたが。西鉄の新たな看板列車「旅人」我々は「旅人」で太宰府を目指す。西鉄の看板列車とも言える3000型で、クロスシートなので旅気分を味わった。福岡天神から太宰府まで直通する「旅人」は朝だけなので、時間に合わせてホテルを出たのである。「鉄オタ選手権」では、西鉄の難読駅の出題があった。雑餉隈駅を(ざっしょのくまえき)なんて読める訳ないし、漢字が合ってるか間違ってるかと聞かれても、さっぱり分からない。「旅人」は、小さな駅はどんどん通過してしまうから、雑餉隈駅の様子をじっくり観察する暇も無かった。どうやら高架工事中のようである。太宰府へ到着!折角なので太宰府天満宮に参拝することになった。見事な晴天!これぞ日本の原風景ですな!写真はホームページ側でも置いています。菅公歴史館も見学する。エアコンが効いてて暑さをしのぐには丁度いい。写真は、道真の左遷が決まって奥さんが泣いてるシーン。まぁ左遷されて此処まで来たから、今の時代に西鉄が儲けることが出来るのだが。広大な筑紫平野を気持ちよく走り抜ける西鉄二日市まで戻ってきた。此処から天神大牟田線で一路大牟田を目指す。西鉄の路線は、トンネルが一切無い。だだっ広い筑紫平野を気持ちよく走り抜ける。久留米を過ぎると、いよいよ牧歌的な雰囲気になる。時々単線区間があるのが特徴で、単線になったり複線になったりする様子を観察するのも面白い。単線区間でも、特急は高速運転出来るように工夫がされており、天神大牟田線の奥深さを感じることが出来た。西鉄の旅も此処まで!終点大牟田駅に着いた。大牟田駅西口では、旧大牟田市内線を走っていた204号が保存されている。大牟田にも路面電車が走っていたんですね!既に昭和20年代に廃止されてしまい、この車両は福岡市内線に移ったり、いろいろ紆余曲折を経て此処まで戻って来た訳であります。旧塗装も味があって良いが、古臭いからって復刻塗装扱いに留まるのが残念。時代を超えた色彩感覚を持ち合わせているのは、やはり阪急ぐらいなのだろう。↑のサイトはこちらから・・
2020.12.26
親戚への「転居のお知らせ」ハガキが完成した。決まり文句として、「お近くにお越しの際には是非お立ち寄り下さい。」と書く訳だが、近くて大阪、遠い人は北海道だ。そう簡単に鹿児島までお越しになれないよな、と思うと何だか可笑しい。 このハガキを「幸せを運ぶ黄色いポスト」から投函しよう!という企画を考えた訳である。その郵便ポストは、JR最南端の西大山駅に設置されているのだ。この西大山駅、ほとんど秘境駅と言っていい存在で、鹿児島中央から汽車で向かうとすると、どうしても11時過ぎになってしまう。それでは時間の有効利用が出来ないので、旅の帰りに寄って行くことにした。何処を回ったかは前回詳しく書いた。(→その内容はこちらから)指宿駅から乗合自動車で長崎鼻やフラワーパークを巡ったのだが、そこから西大山駅へ向かう手段は徒歩しかないのである。周囲は畑が広がり、家なんか一件も無い。果てしなく続く一本の道をひたすら歩くのだ。左手にずっと開聞岳が見えていた。開聞岳が見える限り、何処に居ても絶景スポットなり。指宿枕崎線の踏切へ到達。ここまで40分くらい歩いたろうか。さすが秘境という感じだが、実は駅前は結構賑わっていた。駐車場があって、観光客がクルマや観光バスでわんさか訪れているのだ。これらの観光客を列車が運べないのが実に不思議だ。駅前は観光スポットを意識してか、お花が植えられていて、何だかそこには愛が感じられる。駅前に物産展のようなお店がある。限りなく観光客しかいなくて、生活利用者はいないのではないか。やはり南の果ての秘境駅に相応しい雰囲気を持っている。そしてお目当ての黄色いポストは、駅入口のすぐ横に立っていた。周囲には花が植えられており、九州っていつからこんなメルヘンな世界になっちゃったのか、と可笑しかった。ここで「転居のお知らせハガキ」を投函した。(ちゃんと配達されるよね?)そしてやって来る列車はこんな感じ。生活利用者は少ないのに、実に生活臭漂う列車だ。もちろん我々は指宿駅まで列車を利用する。観光客もそれなりに乗車したようだ。ちなみに運転本数は両手で数えられる程度なのである。我々が乗った列車は、5時間ぶりにやって来た列車なり。そして旅の締めくくりは「指宿の玉手箱」指宿で時間調整して、鹿児島中央駅への帰路は「指宿のたまて箱」に乗車だ。ツートンカラーの既成概念を覆した配色が小気味いい。水戸岡アート炸裂な作品だ。とにかく40分の徒歩行軍に疲れたのか、拙者も嫁さんも車内で爆睡だった。ロマンスシートが心地よ過ぎたのだ。職場の皆さんへのお土産を選ぶのは苦労した。鹿児島の人に鹿児島のお土産を選ぶのは難しい。指宿限定のマンゴーのお菓子で行くことにした。フラワーパークで手に入れたものだ。鹿児島中央駅で売ってたらズッコケるけどね。
2019.11.30
神鉄粟生線小野駅から準急新開地行に乗って、そこから神戸高速を乗り継いで三宮に出る。すっかり日も暮れちまい、さんちかで夕食&職場へのお土産購入などでいい時間になってしまった。神戸市中心部の観光をする時間も無かったが、今回の旅行は神鉄粟生線に乗ることが大きな目標だったから、まあよし。今度来る時は神戸阪急ビルが完成した後になると思う。大阪への帰りの電車は、神戸三宮駅から阪神電車で大阪難波まで。阪神といえども実際に乗ったのは近鉄のクロスシート車だったので、帰りも少しだけ旅気分を満喫した。高架化が進む阪神本線、尼崎での梅田行電車との接続、そして旧西大阪線の風景、留置線に停車中の近鉄特急・・・いろいろ見させていただいて満足。平成最後の4月30日は、阪急の新型京とれいん「雅楽」に記念乗車。大型連休とあって、早くから並んでも座れたのは嫁さんだけだったが、車内で坪庭も見れた。お客さんがみんな楽しそうなので、株主として少しホッとする。関西私鉄の世界は競争が厳しい。京阪のプレミアムカーが予想外に好評なので、京とれいんの一編成くらいで対抗できるか不安だが、阪急京都線の特急は有料座席が必要なほどの乗車時間ではないし、梅田から座って乗れる可能性を考えると、敢えて指定席車を付ける必要は無いのだろう。この日の詳しい写真は→こちらからどうぞ。最後の愉しみは、梅田の百貨店巡り令和元年初日は、大阪から帰る日となった。親戚の皆さんに挨拶を終えて、最後は梅田の阪神百貨店や阪急百貨店で買い物とか食事とか。銀座の百貨店なんかわざわざ行く気もないけど、阪神百貨店と阪急百貨店は行くだけで面白い。阪神百貨店は、片側半分が既に完成している。全部完成したら壮観だろうなと期待も膨らむ。タイガースグッズを物色し、そしてモロゾフで昼食。新しいだけあって、全てがキラキラしている。サンドイッチとパフェのセットがお得感あったので、二人で同じものを食べる。このサンドイッチが美味い!こんな美味いサンドイッチ久しぶりに食べた。食塩も美味くて(笑)。パフェと共に出て来たコーヒーをマジマジと見つめる。なぜここのコーヒーは細かい泡が残っているのか。ドリップコーヒーを自分でやっているけど、さすがにカップに注ぐ際は泡が残っていないので、これはちょっと不思議だった。ちなみにこのお店は、となりの阪急百貨店やJR大阪駅がよく見える場所で、百貨店の建物も微妙に展望が効く構造になっているようだ。続いて阪急百貨店に移動する。コンコースを飾る宝塚の大きな広告を目にしたとき、昨年見に行ったエリザベートのことを思い出させた。あれは本当に素晴らしい思い出となっている。阪急百貨店の地下でコーヒー豆(阪急百貨店限定大阪ブレンド!)とか、新幹線で食べる弁当(551の豚まん弁当!)を買っておいた。この選択は正解だった。新大阪駅の混雑が尋常ではなく、売店のレジは長蛇の列を成していたのだ。全日程を終え、新大阪駅から東海道新幹線グリーン車に乗り込む。これから東京まで四時間の長旅である(?)。思えば行きはサンライズ出雲で岡山まで行って、九州新幹線車両に乗って広島まで行って帰って来て、神戸電鉄やら阪神やら阪急やら、そしてシメはこだま号で東京へ帰るという、怒涛の日々だった。付き合ってくれた嫁さんには改めて感謝。
2019.06.16
引き続き小野市そろばん博物館にて。時代を感じさせる古いそろばんの数々。というか、衝立に付属しているそろばんが理解し難い。常にご破算の状態となっているため、永久に計算が不可能なのだ。まぁ国際宇宙ステーションに持って行けば、無重力なのでご破算になることは無い。つまり、無重力状態の宇宙空間でのみ使えるそろばんということになる。作った本人はちっとも意識していないのに、後で考えたら変にスケールがデカく感じることって結構あるものだ。続いて、様々な機能を持ったそろばんのコーナー。電卓付そろばんは、既に博物館級の一品になりつつある。そろばんは長きに亘ってビジネスパーソンの大事なアイテムだった。急に電卓が普及したところで、これまで愛用していた物を手放すことに不安を抱く人々が数多く存在したのである。電卓も押し間違いが起きては元も子もない。だからってそろばんで検算するというのもある意味凄い。続いてこちらは「大きなそろばん」のコーナー。特大のそろばんは長さ3メートル近くある。国家予算も桁が違うであろう時代において、何を計算さすねんという感じ。ソ連の算盤というコーナーも微妙である。なぜ表示がロシアではなく、もうこの世には存在しないソ連なのだろうか。これがかえって憶測を呼ぶ。旧ソ連時代、電卓の普及が西側諸国に追いつかず、代わりに近隣諸国の算盤を真似して使うしか無かったという説。あるいはロシアには元々算盤が存在したのだが、この博物館が出来たのが旧ソ連があった時代で、ソ連崩壊後もプレートが交換されることもなく今日に至るという説。以上二つの説が考えられる・・。人類は、計算していると背中が痒くなる生き物である(?)日中交流による中国そろばんの逸品特別展なるコーナーもあった。両国の国旗を担いでいるパンダが何とも不自然で不気味である。という拙者も「パンダ描け!」といきなり言われたら結構微妙になってしまうと思う。中国といえば、普通それ食わねーだろって物を食べたり、そんなことを実践する必要が果たしてあるのかって事を敢えてやるような国だから、そろばん一つとっても、あっと驚くような珍品なんだろうと期待したところ、驚くというより、さっぱり意味分かんねーという感じ。この細長い棒みたいな品は、「そろばん付き孫の手」というやつ。なぜその組み合わせに至ったのかよう分からん!だって孫の手に電卓を付ける必要を感じるかって。さらに表示板をよく見ると、「つまようじ入れが付いている」という文字が。はて?と思った。中国のことを笑ってられない。さっき見た日本製そろばんの展示を見直してみた。すると、「そろばん付きつまようじ入れ」という製品があるではないか!そろばんとつまようじ、何か切っても切れない縁があるのかと思案を巡らせてみたが、さっぱり思いつかない。拙者が意地悪な国語の先生だったら、「算盤と爪楊枝、この二つの品物の関係性について、諸君の思うところを自由に述べよ」という作文問題とか出したりして。小野市当局も、ここまで面白いネタを秘めていながら、なんかこう活かされていない現実を改められないのであろうか。観光客は嫁さん含めてたった二人~再び無人の商店街を通って神鉄小野駅へ戻ることにした。 旅の続きはまた次の機会に・・・連休中のネタがまだ書き終わらない。
2019.06.09
樫山駅徒歩8分にある喫茶店でアフタヌーンティーセットを食した後、次に来る普通小野行に乗った。先ほどは昭和の復刻塗装車であったが、今度の電車は最新型の6500系。田圃や畑が広がる粟生線に似合わぬ、超都会的なデザインだ。車内は誰が見ても阪急電車としか思えない意匠で、神戸電鉄が阪急系の会社であることを改めて印象付ける雰囲気である。電車は、やはり田圃の中をトコトコ走ること10分、終点小野駅に着いた。ここで乗客のほぼ全員が改札口へ向かう。この先はさらに運転本数が激減し、粟生駅に発着するJRの電車に接続するタイミングしか運転しない。粟生線の乗客が減るにつれて、最小限度の運転しか行えなくなった訳である。それでもこのような阪急電車を思わせる美しい電車が走っているだけ感激する。やっぱり縫いぐるみが運転席に鎮座しているし、もう神戸電鉄最高!駅名表示も阪急に類似したデザインだ。葉多はそのまま「ハタ」でいいらしい。関西は思わず首をひねるような駅名が多い。北海道生まれの嫁さんは粟生を「あお」と読めなかった。ビジュアル的に「くり?」と反応してしまうのだ。階段を上がって改札口を出たが、ここも無人駅である。それなのに、何と小野駅は立派な駅ビルがあるのだ。拙者は東京在住だが、最寄駅の駅舎とは比較にならないほど立派な駅である。人っ子一人いない、まるで人類滅亡後の地球小野駅を降りたのは理由があって、商工会議所内のそろばん博物館を見たかったからである。スマホで検索すると、商店街を通り抜けた先に、市役所や商工会議所があることが分かった。その通り進むことにする。あいにく雨も強く降って来た。商店街のアーケードがあれば助かる、と思って商店街に入口まで進んで、拙者は思わず息を呑んだ。なぜって、誰もいないからだ。アーケードは電灯も消えたまま。ほとんどの建物はシャッターが閉まっている。 全国的に商店街が寂れつつあるのは承知していたが、ここまでの寂れっぷりはどうだろう。シャッター通りなどという甘いもんじゃない。ほとんど廃墟としか言いようがない雰囲気。言葉を替えれば、人類滅亡後の地球みたいだ。 でも歩いているうちに、営業している店も見つけた。たばこ屋さん。中でおっちゃんとおばちゃんが阪神戦の中継を見ていた。恐らくサンテレビであろうか。1件、非常に立派な和菓子屋さんがあって、そこだけ明るくてキラキラ光っていた。いつお客さんがやって来るのだろうか。途中に、戦国武将と姫君の「顔の部分だけくりぬいて顔入れて記念写真撮るやつ」があった。ここは昔、城下町だったことは承知している。商店街をどうにか活性化しようと努力してみたものの、徒労に終わったと思えるところが痛々しい。廃墟と化した建物をよく見てみると、明治大正あたりからあったと思われる、古い商家の建物が時々見られた。歴史的な建物なのに、活用は出来ないのだろうか。むしろ暗くなるだけのアーケードなんか無くていいような気がする。あのような古民家を引き立てるのは、昭和30年代か40年代のアーケードよりも、青い空や赤い夕焼け空ではないのか。まぁ今現在はどしゃぶりの雨なので、アーケードの存在は有り難いのだが。商店街にこだわることなく、まず歴史的な景観を守ることを前提に、住宅への転用も容認し、とにかく空き家率を上がらないようにすれば・・・などと部外者が勝手なことを申し上げても仕方ないのであるが。 長い長い商店街を通り抜け、ようやく商工会議所があるであろう地点まで来た。雨はますます強く降っている。目の前の光景を見て、嫁と顔を見合わせた。なんか水没してへん? 駐車場らしき所へ来たら、大丈夫ここは水没してない。祝日のためか、駐車場もクルマが一台も無い。大きなそろばんのモニュメントがあった。「そろばんのまち 播州小野」~ロマンは感じるが少々苦しい。そろばんの良さは一部で見直されていることは承知しているが、もう主役にはなれない。電卓すら、パソコンのエクセルやスマホに仕事を奪われつつあるのだ。時代の流れが速過ぎる。 さて、我々は商工会議所の建物に入った。別に玄関から水浸しになっている訳でなく、結局あの光景は「そういう設計だった」としか言いようがない。で、玄関は真っ暗でトイレに入ったらそこも真っ暗。悪いけど電気つけさしてもらった。そろばん博物館なる部屋はかろうじて灯りが灯っていて、職員とみられる人が一人でパソコンを前にカタカタ仕事をしている。もちろん客は誰もいない。というか、さっきから観光客は拙者と嫁の二人だけなのだ。 一応、撮影の許可をもらって展示室へ入った。出迎えてくれたのは、そろばんを重ね合わせて作ったと思われる御神輿とお城。お城は小野藩の城郭ではなく、姫路城であるのが微妙なところ。そろばん玉五万個を使っており、二十三桁そろばんに換算すると四百三十四丁分になるのだという。さすがそろばん博物館だけあって、いちいち計算しているのである。そして、奥の展示室は大小様々なそろばんが並べてあった。案外突っ込みどころのある展示品の数々については、また次の機会で。
2019.06.06
がんばれ粟生線映画製作プロジェクトというクラウドファンディングに参加したからには、やっぱり神戸電鉄粟生線に乗っておかねば人生半分損するというものである。ということで大阪滞在1日目は、きっちり乗り鉄をカマすこととなった。なにせ神戸電鉄に乗るのは初めてなのだ。興奮して前夜から寝つけなかったというからまるで子供と同じだが、前の日にサンライズ出雲に乗って3時間しか寝ておらず、睡眠負債は溜まる一方なり。さて、旅の始まりは阪急梅田駅から。神戸線新開地行の車内で発車を待っていると、となりに到着したのは華やかなラッピング車。ただでさえ阪急電車は芸術的だが、その美しさを損なわないラッピングデザインがこれまた素晴らしい。新開地駅は神戸電鉄のターミナル駅なのだが、阪急や阪神と比べると少し時代に取り残された寂しい雰囲気を感じる。日中の粟生行は1時間に1本しかないので、時間厳守で行動せねばならない。ホームに降りて感激!これ復刻塗装車だよね。しかも運転席に縫いぐるみが堂々と鎮座している。運転席に縫いぐるみ~こんな鉄道会社は世界広しと言えども神鉄ぐらいではないか。新開地を出発した電車は、やがて険しい山岳地帯に差し掛かる。予想を超える急勾配と急カーブの連続である。線路の横は切り立った崖が続き、そこからは崖っぷちにしがみつくように建ち並ぶ住宅が目を引く。本日はあいにくの天候でありまして、少々霧も立ち込めており、マチュピチュというか天空の町状態である。これは凄まじい光景だよな。登り坂を登って登って着いたのがすずらん台駅。有馬方面の線路が分かれる神戸電鉄の一大ジャンクションだ。いよいよこの電車は粟生線に入る訳だが、乗客はロングシートにサラリと埋まった程度はいて、とりあえず乗ってる人がいることに安堵する。この先に「アフタヌーンティーセット」があるってほんと?粟生線に入った電車は再び急勾配を登って行くが、しばらくすると今度は下り始めた(笑)。どんどん下って行くと、田園風景広がる盆地に下りて行くのがはっきり分かって、これは登山電車みたいだと思った。さて、本日は嫁さん同伴である。ご婦人を連れて行くとなれば、やはり小奇麗な食べる所ぐらい押さえておかなければならぬ。こんな時に便利なのがスマホという奴で、小野市まで行ったと仮定してどこか食べるところを検索した。すると意外なものが見つかった。樫山駅徒歩8分に長井珈琲という店があり、2時からアフタヌーンティーセットをやってるという。拙者はすぐに、去年ユーハイム直営のカフェで食べたアフタヌーンティーセットを思い出した。一人弐千円はしたが、満足の行くものだったのだ。ところが、長井珈琲のセットは一人980円だという!これは行くしかない。ところが、車窓の光景からして、とてもアフタヌーンティーセットにありつけるような雰囲気ではない。さすがに不安になって来た。列車はとうとう樫山駅に到着、我々以外に3人くらい降りた。当たり前のごとく無人駅である。でもお花が綺麗に植えられていて、小さいながらも愛が感じられる駅である。駅の案内放送は地元高校の放送部が製作しているそうで、こういう所にも愛が感じられる。やっぱり粟生線を廃線にしてはならないのだ。駅前は商店が一件も無い。スマホの地図に示されたとおり、道路沿いを進んでいく。周囲は田圃と農家が点在しており、ここはもう大阪近郊区間ではなく「播州」という名に相応しい雰囲気である。テレビで秘境駅みたいな所を降りて食べる店を探す番組があったような気がするが、あれとそっくりだな。などと思っているうちに、えらく立派な店を見つけた。どうもこれらしい。良かった!ちゃんと営業していた。店内に通されたが、東京では絶対に考えられない、ゆったりとしたテーブル配置で、どんな格好しようが隣とぶつからないのが素晴らしい。そして、お目当てのアフタヌーンティーセットを注文したところ、出て来たのはこんな感じ。果物にワッフル、コーヒーゼリーにケーキ、そしてコーヒーはデカいカップになみなみと注がれていて、しかも1回おかわりも出来た。これで一人980円とは驚きだが、お陰様でゲミュートリッヒなひとときを過ごせた訳だ。さて、いい時間になったので、我々は樫山駅へ戻り、次に来る電車で小野駅を目指すこととする。続きはまた今度・・・。
2019.05.25
4月28日の早朝、サンライズ出雲が岡山に到着した。そこで降りて新幹線ホームへ上がったら、えらい混雑している。乗り継ぐ予定の新幹線は、6時51分発みずほ601号鹿児島中央行き。九州新幹線の車両である。サンライズ出雲が定刻どおり着かない可能性を考え、指定席は取らなかった。だから自由席となるのだが、ホームは列車を待つ人で長蛇の列。そこへやって来た列車も超満員だ。果たして乗れるのか?という感じだが、東京の通勤電車はいつもこんなもんでしょ的な感覚で無理に体をねじ込んで乗る。デッキのドアに押し付けられてる感じである。さて、次の広島駅まで34分なのだが、同じ姿勢で突っ立っているのは案外苦痛だ。列車は猛スピードだから、何駅を通過しているのか景色で推定するしかない。福山通運の建物が目立ち始め、農家の瓦屋根が赤茶けた色ばかりになれば、いよいよ広島へ来た!という雰囲気である。呉線の227系電車広島駅へ到着、ドアが開いたら圧力で外へ放り出された。そしてホームは大混雑である。駅のコインロッカーで大きな荷物を預け、我々は在来線の呉行列車へ乗り換え。広島を発着する列車はどれも都会的な新型電車になっていた。あのセンスのかけらも無い黄色い電車は見当たらない。どの電車も赤いラインが特徴的で、まるでカープ、カープ、カープひろっしまっ・・・だよね。227系はクロスシート車なので、ここでやっと朝ご飯(菓子パン)を口に出来た。電車は瀬戸内の海岸沿いを呉へ向かう。大小無数の島々が浮かび、その隙間を船が行き交う光景は正に瀬戸内海だ。大和ミュージアムの戦艦大和呉では、大和ミュージアムやてつのくじら館などを見学、合間に湾内の観光船に乗ることも出来た。大急ぎの観光だったが、それなりに充実。 詳細はのリンクから。呉から広島駅に戻り、そこから広電で原爆ドーム前へ さつきの花がよく咲いており、荒涼とした負の世界遺産と不思議な対照を成す。それよりも不思議な対照だと思ったのは、広島市内と呉市内の雰囲気の違いだ。これが同じ県内でわずか20キロに隣接する都市とは思えない。確かに大和ミュージアムも平和を祈念してはいる。海上自衛官だって誰も戦争を欲していないだろう。いや、今日の広島市民が平和に暮らせるのも、実はアメリカの核の傘があり、自衛隊の防衛実務によって外交上の均衡を実現しているからであり、そのような現実を認識するなら呉市内を見学するのは無意味ではない。 さて、平和資料館がリニュアルしたというので、資料館に行ってみたら、入口で長い行列を作っている。帰りの新幹線を意識せざるを得なかった。館内は大変な混雑だ。警備員が立ち止まらないでくださいと呼びかける。人波に押されながらの見学となった。前に訪問した際は、東館が閉鎖されていて、被爆前の市内ジオラマが見られなかったが、今度はジオラマのたぐいは全て無くなっている。有名な被災者の様子を表現したジオラマも撤去されたのはニュースになった。作り物を極力排し、写真や実物展示を重視する意図は理解できるが、結局なんだったのか分からなくなることは無いのか。被爆者の遺品は説得力があるが、昨日どこかで起きた火事で亡くなった方の遺品だって悲惨であり、程度の差が分からない人もいるだろう。そういえば、拙者の年代は小学生の時分、原爆を理解する手始めとしてはだしのゲンの映画を見させられて見事トラウマになった。史実に誤りが多いとされながら、作り物でも意味は十二分に伝わっていたのだ。あのマンガも図書館から追放されかけてるそうで、かと言ってあのマンガを超えるモノって他にあるのか?原爆ドームの横に最近建ったらしい、素晴らしい展望台付ビルに観光客がごった返しているのを横目に見ながら、再び広電に乗って引き揚げるとする。広島駅で新大阪行きの新幹線(みずほ何号か忘れた)に乗ったが、ここはきっちり指定席を取っていたので大丈夫。九州新幹線の指定席が2列+2列であることを知った。これは素晴らしい!随所に木目調の装飾がなされ、グリーン車並みの豪華さなのだ。山陽新幹線区間は九州新幹線の車両に乗った方がいいみたい。ただし指定席でね。
2019.05.19
ゴールデンウィークは大阪の家族親戚を訪問する予定だが、大阪へ行くついでにどこか寄り道するのは定番となっている。そういえば「この世界の片隅に」を見たばっかしに、広島県呉市に行っておきたくなった。寄り道する場所じゃねーよという感じだが、やりようによっては十分寄り道と成り得る。サンライズ出雲を使うという手だ。この列車は早朝に岡山に着く。岡山から新幹線を乗り継いで広島→呉と乗り継げば、朝から観光してその日に大阪まで戻れるのだ。運のいいことに、連休直前に原爆資料館がリニュアルオープンするという。時間を許す限り広島市内も大急ぎで回ることになった。このおバカな企画に嫁さんが乗ってくれた。その理由はサンライズ出雲にあった。どうもこの列車はご婦人ウケするらしいのだ。しかしながら、繁忙期に切符を取るのは至難と言われていたので、一か月前の当日は非番だった嫁さんにみどりの窓口まで行ってもらった。駅員は、てっきりこの人は出雲大社へ良縁祈願でも行くのかと思っていたのか、最終目的地が呉と聞いて「なんでやねん」というリアクションだったらしい。夫が軍艦ヲタで付き合わされているだけと釈明するのも面倒臭かったというからまことに申し訳なく思う。そして目出度く切符を取ることが出来た!取れた切符はB寝台ソロの下段を二つ。第一希望はサンライズツインだったが、瞬殺だったらしい。どうせ興奮して眠れないだろうなーと覚悟を決めていたが、出発日の前夜から既に寝つけなかった。まるで子供である。連休初日は、部屋の掃除をしたり準備したりで忙しかった。出発は夕方五時半だ。あの赤い夕陽を追いかけて西へ旅立つ~子供みたいにはしゃいでいる訳だ。まずは新宿へ出て夕食する。新宿駅でいよいよ「東京―呉」の重々しい切符を改札機へ入れた。ガラガラの中央線快速電車もまた、非日常の光景ってものだろう。東京駅で朝食のパンとかを買って待合室で出発時間を待つ。9時40分頃、東海道線ホームへ上がると、既にサンライズはホームに停車していた。まずは車体を背景に嫁さんの記念撮影をして、そして列車に乗り込む。サンライズ8時間30分の旅ドアを開けると、すぐに前はベッドである。入口付近にスリッパが置いてあった。靴と床に置ける手荷物を入口付近に置いたら、それでもう床は塞がってしまった。入口付近の天井は立っていられる高さだが、ベッド部分の天井は低い。上段の寝台があるからだ。それでも一応個室なので、まぁ落ち着いた時間を過ごすことは出来そうだ。気付いたら列車は動き出していた。ネオンまばゆい東京都心を後に、列車は東海道線をひたすら西へ向かう。車掌の検札は案外すぐに来た。これで一安心、それから嫁さんが遊びに来た。といっても客室は狭くて、飲み物片手に乾杯するのも困難な感じ。岡山着が6時30分頃なので、前もってメールすることにした。個室なので、片方がグーグー寝たまんまだと起こせない訳だが、どうせ早く目が覚めるだろう。というか眠れるかどうか・・・。もちろん部屋に目覚まし時計の装備がある。冷暖房のパネルもあった。本日はけっこう寒いので暖房をかけることになってしまった。車端部にラウンジがあったさて、列車は横浜-熱海-沼津-富士-静岡と、案外停車駅が多い。既に寝不足なので、明日のことを考えて少しでも寝ておきたいが、やはり眠れないものだ。小田原を過ぎるとカーブが多い性か、車体が左右によく揺れる。体も一緒になって左右にゴロゴロ揺れた。国電のロングシートでも眠くなる時があるのに、寝台に寝てて眠れないとはバカだ。それでも拙者が眠りについたのは静岡あたり、目が覚めたのは米原で運転停車しているとき。滋賀県内はまだ暗かったが、大阪府内に入ると東の空も少し明るくなってきた。淀川を渡り、阪急百貨店の建物を過ぎたら大阪駅。ホームの光がまばゆいばかりだが、まだ誰もいない。その後、阪神間を快走して三宮や神戸を通過する際の夜景が何とも美しい。神戸の夜景がこんなに美しいとは新たな発見だった。 姫路を過ぎたらすっかり明るくなってしまった。もう眠れる訳はない。相生を過ぎると、列車は田園地帯を走っていく。既に岡山県に入ったようだ。車内には小さなラウンジがあって、早朝は誰もいなかったから、そこでしばし時間を過ごす。東京駅で買ったパンはここで食べようか、新幹線で食べようか迷ったが、結局新幹線で食べることにした。パン食べるどころでは無かった話は、この次ということで。とうとう列車は岡山駅に到着、ここで降りる乗客はかなりいるらしい・・・と思ったら、サンライズ瀬戸と切り離し作業をする光景を撮影するために、みんな降りてるみたいである。自撮り棒が林立する光景に圧倒された。出雲大社に良縁祈願のご婦人・・・というイメージもあっさり崩れた。乗客は自分を含めてオッサンばっかりみたいなのだ。 さて、切り離し作業が終わると瀬戸号が先に出発する。乗客が慌ただしく列車に乗り込んで行く。なんか一部で大騒ぎしている。乗り遅れた乗客がいるらしいのだ!知らんわ!そして出雲号も出発して行った。我々は新幹線ホームへ向かうこととする。
2019.05.12
がんばれ粟生線映画製作プロジェクト~この話を発見したきっかけも、三宮から谷上経由で三木に至るような、ある意味遠回りな経緯があった。神戸電鉄粟生線が危機的だという話は前から存じ上げていた。阪急阪神HDの株主として、関連会社の動向はチェックしていて、神鉄の鉄道事業が全体として黒字化したという報道があったので、しばらく大丈夫だろうと安易に考えていたのだ。三木駅が火事で丸焼けになったことなど、東京に居ると全く聴こえて来ない。さて、今度の連休は大阪の家族親戚を訪問することになっているが、新しい京とれいん雅楽でも乗ったろ、と阪急の情報を集め始めていたら、北神急行を神戸市へ譲渡することで合意したという報道を知った。おや?北神弓子はどうなんだろ?と興味本位であちこちサイトを渡り歩いて、久しぶりに粟生線活性化協議会の駅長ブログへ到達したところ、三木駅の火事で粟生線が運休となったことから、いよいよ地元の危機意識が高まり、映画製作のプロジェクトが始まったことがやっと分かった。プロジェクトの内容は、motion galleryというクラウドファンディングのホームページで見ることが出来る。それこそカメ止めとかこの世界の片隅とか、超名作を生み出したクラウドファンディング~概要はぼんやりと承知したつもりでいたが、どんなものかマジマジと拝見させていただいて、何だか面白そうな世界がまた一つ垣間見えて来た感じ。金額によってリターンが設定されており、例えば参千円出せば出演者・スタッフと三木市名所めぐりが出来る、壱万円出せば台詞付き出演権がもらえる、五千円出せばメイキング写真付DVDをもらえる、などなど。参加者もまたリアルに製作に参加するんだなーというところが、東宝の株主になるのと大きな違いと言える・・・。肝心の映画ストーリーはどんな感じ? もうそのまんま引用すると・・・ 兵庫県三木市。神戸に隣接するのどかな町。三木は、古くから金物の町として知られ、高品質な大工道具が海外でも人気を集めている。その三木市にある竜神神社には、90年に一度行われる神事があり、その御神体に願いを祈れば、必ず実現するという。 主人公である神社の宮司の娘は、竜神三希奈。高校2年生。宮司の父親にも、神社にも興味がない三希奈は、刺激のない田舎町から出て都会で一人暮らしをしたいと思っている。 そんなある日、三希奈は、幼馴染で鉄道マニアの青山から「俺、もうすぐ死ぬんだ」と衝撃の告白を受ける。死ぬ前に一度だけ、デートしてほしい。そう言われた三希奈は、渋々遊びに出かける。小さい頃は一緒にたくさん遊んだなと思い出に浸るも、青山の命は長くない。三希奈は、家の神社のご神体に願えば、青山が助かるのではないかと思いつく。 いけないことだとは知りつつも、青山の命を救うためにご神体を持ち出す三希奈。青山と待ち合わせをして、願いを伝えようとした時、ご神体が川に落ちて流されてしま・・・・いとも簡単に「俺もうすぐ死ぬんだ・・・」という設定が安易過ぎてちょっと心配だけど、このベタベタ感で人を油断させといて大どんでん返しをカマす作戦じゃな?都会暮らしに憧れる神社の跡取り娘ときたら、君の名は。の三つ葉を彷彿とさせるが、オマージュを意識されるのならかえって嬉しい。巫女さんつながりでリアル北神弓子の出演はあるのか?とか妄想も膨らむ。翔んで埼玉みたいなノリはハードル高いけど、「説教くさい映画は誰も見たくありません。エンターテイメントとして成立する映画を目指します。」と宣言しているから、一体どんなオチがつくのか興味津々だ。そして肝心の資金調達額だが、百万円の目標金額に対し、当時は約45万円程度集まっていた。さあどうする~拙者としては兵庫県三木市まで出向く必要があるリターンは不可能だし、とにかく完成品を見たいから、五千円出せばメイキング写真付DVDをもらえる、のコースを選ぶことにした。ということで!人生初のクラウドファンディングに参加することになりましたぞ!お題は、「神様、わたしの鉄道をまもって。」さて、五千円の入金を済ませ、motion galleryのホームページに下手クソな応援コメントを入力して、そして数日経ってメールがいろいろ届いていることが分かった。気が向いたらメールをチェックする、というのは昔からの悪い癖で、こんな輩にラインとかフェイスブックとか無理な話である。溜まったメールを読ませていただいた。プロデューサー様からの挨拶、近況報告とか、そして最近チラシが出来ました!とのこと。「現在、印刷もいたしておりますが、ネット上での情報伝達などにも使っていただけるとありがたいです。」という表現に悩んでしまった。こっちはブログやホームページしか無いから、画像貼り付けしか思い浮かばない。著作権のことがどうも気になって仕方ないが、チラシというなら思い切って貼っちゃう!こんな感じです。主な配役はオーディションで既に決まったようです。さすがヒロインの方はヒロイン然としてますね。鉄道マニアの青山君は拙者の分身みたいな存在じゃな。みんなガンバレー!さて、拙者が実施可能な口コミといえば、室町時代とほとんど変わらない口コミそのまんま。とりあえず拙者がお仕えしている公方様に事の次第を報告申し上げた。公方様ときたら鉄道趣味を極めておられて、神戸電鉄の車体は最近買ったよ、ツートンカラー(グリーン&グレー)に塗るからな!とおっしゃるもんだから、これまた恐れ入りました。
2019.04.07
いよいよ大阪観光も最終日となった。去る8月29日に名古屋経由で大阪に到着して、本日は9月1日。中身濃すぎた性もあるけど、リニア館行ったネタ、タカラヅカのネタ、大阪歴史博物館のネタ、いろいろ書くのに1ヶ月半以上かかってしまった。ネットを前にして江戸時代並みのスピード感なので、リアルタイムにインスタとかフェイスブックとか拙者は絶対無理々々。さて、最終日は東京に帰るだけなんだけど、締めに阪急百貨店で昼食。祝祭広場近くのカフェでオムライスとかパンケーキとか。嫁さんとシェアする前提で頼んだけど、店員さんは嫌な顔一つせず、「シェアするならパンケーキは4枚ぐらいがちょうどいいですがよろしいですか?」とフォローしてくださって、何だかほっこりした気持ちになった。小林一三翁が、ライスだけ頼んでソースを付けて食べる客でも嫌な顔一つせず丁寧に頭を下げたという伝説をふと思い出す。 こんな訳で、大阪の百貨店は気兼ねなく過ごせるし、結局入ったからには何か買うことになる。「はんきゅうでんしゃ」のクリアホルダー400円だけじゃない。新幹線で食べる弁当もデパ地下で買ってしまった。奈良の柿の葉寿司だ。午後1時半の昼下がりにもかかわらず、デパ地下の混雑ぶりはさすが阪急うめだ本店である。あらかじめ新幹線で食べる夕食を買っておくということは・・・ぷらっとこだまのグリーン車で4時間の長丁場を想定しているのである。ビッフェどころか自販機すらナシ。近いうちに廃車だからやる気ナシ感漂うこだま号~そりゃ安く使える訳だ。もう何回「のぞみ」(または「ひかり」)に追い越されたのかも分からなくなるほど追い越されまくった。ここでふと、「こだま号ばかり乗ってると無駄に年をとる?」と妙なコトを考えた。どういう趣旨の噺かというと、ちょっと相対性理論な意味合いにおいて、ということである。 「チコちゃんの番組」に出演した佐藤勝彦教授が、タイムマシンなんて既に我々の身近にあるんですよ!という説明が目から鼻に抜けるほど分かり易かった。これを拙者流に講釈するとなると、「ぷらっとこだまを愛用する貧乏人は、のぞみ(またはひかり)に乗ってるエグゼクティブ野郎より無駄に年をとっている・・・あー虚しい」、という自虐ネタとなる。 さて、こだま号が三島駅でひかり号の通過待ちをしている、とする。こだま号の車内にある「室内灯」の光線が床に到達するまでの「時間」に焦点を当ててみよう。そんなの一瞬で到達するに決まっとる訳だが、光とて一定の速度を持っている。仮にM秒で到達するとしようか。ここで「ひかり号」が通過した。ひかり号もこだま号と同じ車体で、室内灯の光線が床に到達するのも同じM秒なのは当たり前だと思われるだろう。ひかり号のグリーン車に乗るエグゼクティブ野郎から見て、室内灯の光線が到達するのは確かにM秒である。さて、通過待ちの「こだま号」から「ひかり号」の室内灯はどう見えるのか。通過するのも光の速度も一瞬の出来事なのだが、実は少しだけ光線が斜めに見えている。実際は気が遠くなるほど僅かな斜めだが、それでも直角三角形の斜辺になっとる訳だから、光線が床に到達するのにM秒では足りず、M+N秒かかる。つまり、通過待ちをくらってる拙者は「ひかり号のエグゼクティブ野郎」よりもN秒無駄に年をとってる=反対に「ひかり号のエグゼクティブ野郎」はM+N秒の時間をM秒しか過ごしていない→それだけ若くなっている=少しだけ未来に行ってる、ということになる。 佐藤教授によると「東京から博多までノンストップで10億分の1秒未来へ行ける」レベルだというから、こだま号とひかり号の相対論的な時間差なんて微々たるものだ。ところが、宇宙船レベルの話になると、「音速のこだま号に対する亜光速のひかり号」の時間差はとんでもない大きなものになって行く。速度が速ければ速いほど、時間が遅れて進んでしまうのだ。もっとも、時速数万キロに達する人工衛星に装着される時計は、相対性理論による時間のズレを考慮した設計になっていて、そうしないとカーナビも正確に作動しないという! こんな下らないハナシが出来るほど、こだま号の旅行はヒマなのである。とっくに日も暮れて、ライトアップされた東京宝塚劇場が車窓から見えた。長い旅もようやく終わりである。リニア新幹線への期待、近鉄特急の優雅な旅、タカラヅカを生んだ華麗なる阪急電車、感動的だった「エリザベート~愛と死のロンド」、大大阪時代へのノスタルジー・・・まことに多くのモノを観させていただいた。留守中、仕事を肩代わりいただいた同僚の皆様には心から感謝だ。ゴンチャロフ製菓製造の宝塚のお菓子は、ハナシのネタとして重要な働きをするであろう!
2018.10.20
大阪歴史博物館「大大阪時代コーナー」を見てまわり、東京がなんぼのもんや的な気分を堪能し、そろそろお腹も減ってきた。福島に551蓬莱のレストランがあるのを最近知るに及び、本日の夕食は551に決まり!ということになった。谷町4丁目から谷町線で東梅田へ。ホリプロマネージャー南田の「谷町線口まね」のネタを思い出して笑いそうになる。プシュゥーッ!とドアが閉まって出発する間際の「ナァー!」という絶叫はまさに大阪メトロ車独特の警笛である。梅田から福島まで僅か一駅だが、せっかくだから阪神電車に記念乗車だ。神戸行、御影行、芦屋行・・・と案内された味わいのある旧阪神梅田駅。これはもちろん大阪歴史博物館のジオラマである。プラットホームへ出ると・・・電車は何だか阪急電車みたいな感じ。というか、昔の電車はみんなこんな感じだった訳だ。長くて2両編成というのが時代を感じさせる。まぁ、今の阪神電車も長くて6両なんやけど。いよいよ阪神電車に乗って出発!福島駅を降りて551蓬莱のレストランへ向かったが、初めて行く場所なので非常に分かりにくい!住宅やオフィスが混在する街の一角にあるので、現地までスマホの地図が頼りだ。ようやく探し当てたが、店内は結構お客さんがいましたね。拙者は角煮のついた炒飯、嫁さんはラーメン、最後は豚まんで締め。もう十分過ぎるほど蓬莱を味わったという感じ。京阪中之島線に記念乗車レストランを出て通りをそのまま南下すると、橋を渡って京阪中之島駅まで行ける。中之島の夜景を堪能し、そして京阪電車に記念乗車だ。京阪電車はこれまた懐かしい5000系。この車両の特徴は、ラッシュ時は5扉だが、閑散期は3扉に変換できるところ。余裕で3扉なのは、中之島線が閑散路線だから?それにしても京阪電車の色彩感覚は独特であり、美しい。これぞ関西私鉄ワールドだ。ドアを閉鎖して座席が用意されている。その時だけ天井から降りてくる仕組みなのだ。シートの色も何となく京都というか、和の味わい。このまま阿倍野まで行って欲しいところだが、惜しくも天満橋でお別れ。再び谷町線に乗り換えて、出発進行!「ナァー!」
2018.10.13
大阪旅行X日目、スタート地点はこれまたマニアックで、旧南海平野線平野駅跡地から。地下鉄谷町線平野駅から徒歩数分、閑静な住宅地の中に遊歩道が整備されており、その終端こそが旧平野駅だ。昔はもっと栄えていた商店街らしき街角に位置しており、往時の賑わいをちょっと想像してみた。当時はこんな電車が走っていた。上町線が、カラフルな入道雲の広告塗装だったのに対し、平野線は渋いダークグリーンの車両だった。天王寺駅前電停では、上町線と平野線の車両が同じホームに並んで停車しており、重厚な塗装の平野線が一種独特のオーラを放っていたのを覚えている。随分と昔の話だ。遊歩道は線路跡地らしく整備されており、雰囲気は抜群。さて、ここから鉄分多めの大阪観光を再開!残念なことに、遊歩道は阿倍野まで続いているはずもなく、我々は谷町線でさっさと地下鉄に乗って天王寺へ。ついでに阿倍野ハルカスの池田泉州銀行で用事を済ませ、ミオで670円の串カツ定食を食べる。さらに谷町線に乗って谷町四丁目下車、大阪城を見学す。大阪城と大阪歴史博物館はセット券がお得周囲はほとんど外国人観光客で、日本人を見つける方が苦労する。天守閣に登って周囲の眺望を確認してみた。城郭の敷地が広大なので、周りの高層ビルも案外小さく見えてしまい、従って大阪城がやたらと高層建築に感じてしまう訳だ。 大阪城の内部は近代的な資料館だが、大坂夏の陣のミニチュアが素晴らしい!徳川方を散々苦しめた真田幸村の姿はぜひとも見逃さないでいきたい。暑いなか、広大な城郭を歩き続けてヘトヘトだが、休憩所に相応しいのが大阪歴史博物館。涼しいし、座るところ居眠りできるところ沢山ある。そして、中国人も考えてることは同じらしく、大抵のソファは就寝中の人間で埋まっている状況。しかし!ここはジオラマが面白くて疲れも吹き飛んでしまった。 もうね、博物館にありがちな話なんだけど、みんな顔同じやで、と突っ込まれるためにあるようなお人形さん。古代難波宮の様子ですな。 中世の大坂~遥か西欧からやってきたと思われる宣教師が街をゆく。恐らく様々な南蛮文化を伝えていったのだろう。大坂が国際都市として発展する予兆を感じさせる場面である。 大坂の陣などの戦火を経て、天下の台所として繁栄する大坂市中。江戸からやってくる商品のしょぼさから「下らないもの」と揶揄する言い回しが始まったのもこの時代(諸説あり)。今でも大阪の親戚に「東京いうてもこんなんしかありませんで」と謙遜するのが挨拶の定番。 コラオッサン!どの口が言うとんねんワレ・・・と因縁つけるチンピラ二人組。怖い物見たさに近寄る子供を母親が制止してる。向こうには我関せずと尺八を吹く虚無僧の姿も。こういうドラマ感あるジオラマ超好き。いよいよ「大大阪の時代」コーナーへ。戦前の大阪市が日本最大の人口を誇り、経済の中心だった。実は大阪の方が凄かってん!という大阪人の思いを世界に訴える感満載の展示コーナーで、事実上、この博物館の中心的存在。もっとも大阪生まれの拙者も大いに賛同していて、阪急梅田の立派さを引き合いに出して「東京がなんぼのもんや」を語るのが常套手段だ。 そういえば、551の豚まんを食べたくなってきた。夕食は福島のホーライ直営レストランへ行こうかね。福島まで阪神電車で行きたいが、そうそう、この博物館で大昔の阪神梅田駅のジオラマを発見!詳細はまた次の機会に書いていきたい。
2018.10.07
大阪へ遊びに行く途中、今年は名古屋で寄り道をした。といっても限られた時間なので、「リニア館」などを見学する。リニア館という名前はついているけど、展示場の大半は過去の名車、珍車がズラリと並べられており、レトロ趣味な拙者はSLや木造の電車、優雅な食堂車などに気を取られて、リニアのことなんか忘れてしまっている。名古屋駅に戻ったが、ただ新幹線に乗るのは面白くない。そういえば近鉄の名阪特急(アーバンライナー)に乗ったことが無かったので、記念乗車することになった。名阪特急は、2時間という長い乗車時間のこともありデラックスシート車がある。3列のゆったりしたシートだ。近鉄のデラックスシートは、去年の「青の交響曲」でも拙者的に好評だったので、調子乗って今年もデラックスシートに乗っちゃう!2時間という時間を有効活用するため、昼食に「みそかつ弁当」を買い込んでおく。車内でゆっくり弁当を食べて、のんびり景色を眺める・・・リニア新幹線では味わえない旅の楽しみなのかもしれない。確かに!伊勢中川から大阪線に入ると、車窓はみるみる分け入っても分け入っても青い山、となる。そのまんまに「青山」の名前が付く駅をいくつか通過する。この界隈は普通列車が極端に少なく、すれ違うのは大抵特急である。すれ違う度に姿形の違う特急と出会うのも近鉄らしい。 名張とか榛原(=はいばら・・・これまた難読駅名)を過ぎると家も増え始める。大和八木まで来たらすっかり大阪近郊区間という感じ。すれ違う電車も頻繁になり、全てが賑やかになってくる。大阪上本町駅に到着!ここは古くから近鉄の大阪側ターミナル駅だ。アーバンライナーは地下化された難波線に直通するけど、大阪線の大半の列車は昔からの「櫛形ホーム」から発着。近鉄百貨店とホテルが鎮座する大阪上本町駅~ターミナル然とした、いかにも関西私鉄らしい光景だ。大阪上本町、というネーミングもこれまた関西風である。JRや地下鉄が「天王寺」なのに、近鉄だけが「大阪あべの橋」なんていい例だ。いずれも近鉄王国の大阪側ターミナルであることを強調するためと思われる。この、東京とは一風ちがう関西私鉄の個性がたまらん!
2018.09.08
大阪旅行最終日、お墓参りのついでに橿原神宮でも参拝することにした。お墓が近鉄南大阪線の線路にちょっと近いから、空いた時間を有効活用したかっただけのこと。だから吉野までは行けない、せめて橿原神宮ぐらい行っておこう!と云う訳だ。此処でちょっとしたネタ作りも兼ねて、帰りに青の交響曲(シンフォニー)に乗ってみよう!と思い立った。とは云っても、近鉄が誇る特別列車だから事前に予約でもした方がいいと思って近くのJTBへ聞きに行ったら、「販売手数料がかかります、近畿日本ツーリストさんの方が得ですよ」と言われた。まさか他社を案内されるとは思いも寄らなかったが、言われたとおり近ツーさんへ聞きにいったら「発売は一ヶ月前からです。一ヶ月前が平日なので、ネットで申し込んだ方が確実です。『しまかぜ』はおかげさまで即完売であることが多いんですが、青の交響曲はそこまでではないです」と、鼻高々な感じの説明に苦笑いを催す。そのとおり近鉄のホームページを見ると、結構簡単に買えることが分かったが、テーブルの付いたツイン席はネットで買えないんだって。先に買っておきたいから、まぁ普通の席でもいいやとネットで券を買っておいた。二人で1,440円~デラックス料金込みでこの値段が安いのか高いのかよく分からない。さて、橿原神宮の参拝も終えて、帰りに考古学博物館の埴輪などを見て、畝傍御陵前駅から普通列車に乗って橿原神宮前駅に戻って来た。乗車に際し、ネットで買った際にプリントした紙とクレジットカードを持参のこと、と注意書きがあったので、アテンダントに提示するのかと思ったが、それらしきコトは何も無かった。デラックス車両のみ、JRに例えるとオールグリーン車と云う豪華さを誇るものの、南大阪線を走るだけあって実態は庶民の電車!指定された席へ行くと、お婆さんが勝手に二人分の席を占領してる。「えらいすんまへんなぁ」とお婆さんは立ち去った。早くも「一体どないなってんねん」と云う展開。ラウンジカーへジェラートを食べに行ったら、明らかに酔っぱらったオッサンがバーカウンターの兄ちゃんに絡んでいる。お陰さんでジェラートを食いながら、兄ちゃんが社会人になって近鉄特急のラウンジカー担当になったいきさつまで全部聴かせてもろたわ(笑)。ネットで予約できなかった席は確かにグレードが高い。なるほどねぇ。自席へ戻ったけど、大阪あべの橋まであと20分くらいしかない。此のまま東京まで行ってくれたら最高なのだが。お土産は「忖度まんじゅう」に決まり!東京の御家人衆に配るお土産を考える。沢山有り過ぎて何を選んでいいか悩むのだ。前もってネットで調べていたが、「面白い恋人」は既にネタとして使っているし、「大阪城の恋人」みたいな如何にも便乗商法的なものはかえって面白くない。何でもいいが、「大阪環状線の恋人」って意味分かんねーよ!京都の舞子はんをパッケージに用いた「白塗りの濃い人」は鋭い!と思ったが、新大阪では売って無かった。当たり前か。で、結局選んだのは、籠池理事長ネタに便乗した「忖度まんじゅう」~商標登録出願中ってんなもん出願するかぁ!と突っ込みたくなる。青の交響曲に乗ったまま東京まで行って欲しかったが、新幹線もグリーン車だからいいや(ただし「こだま号」のグリーン車!)~時間だけやたらとあるので、それこそビッフェでも連結していれば時間そのものを愉しめるんだけど、こだま号は車内販売も無ければ自販機も無い。だから新大阪駅で事前に買い込んでおく。 夕食はホウライの豚まん、シューマイ、チマキまで買い込んで完全なホウライ祭り状態。ホウライ特有の刺激臭が周囲一帯を汚染する訳だが、車内は気持ち悪いくらい誰もいないから遠慮なく。橿原神宮から東京までの長い旅もようやく終わりだ・・・。
2017.09.09
大阪在住の親戚宅を訪問することになった。約弐年ぶりのことで、行ったからにはディープな大阪を堪能してやるぞ!と意気込む。東京からの新幹線だが、前回利用した「ぷらっとこだま」が拙者的に好評だったから、今回もきっちりグリーン車を予約しておく。四時間と云う長丁場だが、グリーン車なら長く乗っていても苦痛にはならない。むしろ気に入った席は長く乗っていないと元を取れない気がする。札幌在住時代、全日空の株主優待でプレミアムクラスに乗ったことがあるが、滞空時間が短か過ぎて損した気になったものだ。拙者はだいぶ気長な性格らしい。グリーン車~ほとんど貸切状態東洋経済のネットニュースがやたらと「一流の人と二流以下の違い」「鉄道ネタ」を取り上げる傾向にあるが、恐らく「ぷらっとこだまのグリーン車で有り難がっている人間は云うまでもなく二流以下だ。何故ならばエグゼクティブは時間を常に料金に換算する」などと分かり切ったようなことをドヤ顔みたいな文章で述べるんだろなと、勝手に妄想している時間もたっぷりある。とにかく時間だけあるから、ゆっくりと朝食をいただき、洗面室でゆっくりと歯を磨く。昔みたいにビュッフェでもあれば時間をもっと楽しめるだろうが、今流行りの「コト消費」を東海道新幹線に求める客はいないようだ。レゴで作った阪急梅田駅は圧巻新大阪に到着後、直ぐに梅田へ出て昼食場所を探す。今回は阪急三番街~此処で食べるのは三十数年ぶりかも知れない。地下街に人工の川があって、水の流れを眺めながら食べることが出来るのは昔と変わっていない。川の流れる街は涼を求めるに最適なり。三番街の街外れにホビーショップが集まっている所があるが、昔もそうだった気がする。行ってみると、レゴの専門店があった。レゴブロックで作った阪急梅田駅などを見つけて興奮の坩堝に!作者の執念が伝わってくる。レゴ人形もある程度の種類があるのだろうが、カツラと服の組み合わせを極力バラけるようにしたのだろうし、無数のベージュの柱を均等に揃える作業を延々と続けたのだろうし、黒光りする床の部品を延々と貼り続けたのであろう。お疲れ様でしたとしか云いようがない。 極論すれば神戸はこうなんだと云う作品。三宮駅には山陽電車もちゃんと発着し、阪神電車は地下だから見えないだけだろうが、JR線は存在すら全否定。天王寺までわざわざ大阪スカイビスタに乗っていく貸切状態の大阪スカイビスタ梅田から天王寺まで行くとなると、普通に御堂筋線や谷町線を使えばいいだけだが、大阪の地上の風景を知らない嫁さんのために、わざわざ大阪スカイビスタを予約した。弐階建のオープンデッキバスで、予約した時は「北海道出身の嫁さんが暑さで参る」と云うことをすっかり忘れていた!案の定、あまりの暑さの性か「予約は4人だけですので好きな席に座ってください」と云う閑散ぶり。乗客には「冷えピタ」が配られた。バスは御堂筋をそのまま南下していく。道頓堀では微妙に高い位置から景色を堪能。横から見ても上から見ても、暑苦しい大阪そのものだ。「冷えピタ」は早くもホッカイロ状態。松屋町筋で下寺町の風景を眺める。スーパー玉手的なド派手な光景は一切ない、大阪らしからぬ落ち着いた街並みだ。それもほんの一瞬のことで、バスは再びごちゃごちゃした繁華街に差し掛かり、通天閣の前を通り過ぎて天王寺駅前へ到着。嫁さんは天王寺動物園のホッキョクグマ状態であった。
2017.09.03
嫁と大阪の家族・親戚宅を訪問した帰り、連休なのでゆっくり帰って構わない訳で、どこかへ寄り道するかそのまま帰るかいろいろ考えていた。そこで面白いものを見つけた。新幹線「こだまのグリーン車」が安く使えるというのだ。 拙者が小学生の頃は、大阪へ行くのに「こだま」をよく使った。実家から小田急で小田原まで出て、そこから「こだま」で大阪へ向かったのだ。当時、「ひかり」は東京‐名古屋間がノンストップだった。今は東京(といっても多摩の山奥)に住んでいるから、東京駅から「のぞみ」を使うのが当たり前になっている。 もはや片道4時間の長旅をわざわざ選択する必要は無いのだが、グリーン車なら長く乗っていても悪くないか、と考える。 とりあえずJR東海ツアーズの店舗を訪ねてみた。店舗もあらかじめ調べる必要がある。新宿店は平日しか営業していない。得するためには行動力が必要なようで・・・。 カウンターで説明を聞いたが、商品名「プラッとこだま」は「企画旅行」であって「切符」ではない、ということ。つまり、指定された列車以外は一切利用不可。解約はキャンセル料が発生するなど、様々な制約がある訳である。そもそも、座席数に限りもある。嫁と席が隣になれるかを確認してから購入しておいた。料金は「新大阪→東京11,800円」という、グリーン車ではあり得ない値段だ。乗車当日~乗ってみたらこうだった さて、大阪からの帰り道、とりあえず新大阪駅へ着いた訳だが、改札へ入るところから普段と違っている。あらかじめ指定された有人改札で確認を受けることになっている。購入時も改札時も「有人」で、逆に人の手間をかけているのが「?」である。 「企画旅行」には飲み物引換券がついている。改札内の売店で指定のマークが貼ってある店で飲み物を入手。我々が乗った列車は、昼過ぎに出る列車。果たして「こだまのグリーン車」に乗る人が、どれほどいるのか興味深かった。主に近距離利用が中心の「こだま」で、グリーン車が3両も連結してあるのは、前々から不思議だった。車内の様子はこんな感じ。シートがゆったりしているのはさすが。空席が目立ったが、車両中央付近の席を中心にさらっと埋まった感じ。我々と同様、みんな服装はラフで、エグゼクティブ感ゼロ(笑)。早くも、暖かそうな毛布にくるまって寝台列車モードのお客さんも。みんな「プラッとこだま」「そうじゃなきゃ使わない」ということ? 座った感じだが、居眠りも困難なほど窮屈な5列シートとは格段の違いだ。これなら長時間居るのも悪くない。車内は間接照明で暗いが、本を読みたければ読書灯を使用すればいいのだ。 時間だけやたらとあるので、もちろん昼食も車内で。大阪からの帰りといえば、やっぱり「ホウライのシュウマイ」だ。昼食用に買ったチマキと豚まんを堪能する。ちょうどその時、車掌が検札に来た。車掌の爽やかすぎる笑顔は何を意味するのか。今気が付いたが、となりの人も斜め前の人も、ホウライの紙袋を持っている。こんなホウライだらけのグリーン車も珍しかったのか? ホウライのシュウマイは、「シュウマイと言えば○○軒と思い込んでいる人生半分損した東京人にドヤ顔を見せたい」ための必需品(あるいは「買って来い!」と強要されるが故・・・)でもあるため、紙袋もつい大きくなって目立つのだ。 昼食を終え、あらかじめ買った雑誌や席に置いてある雑誌を読んだり居眠りをしているうちに時間は案外すぐに過ぎた。富士山は初冠雪だそうで、ちょっとだけ雪を被っている。もう何回「のぞみ」に追い越されたかも忘れたが、熱海から予想外の展開が。中国人観光客がドヤドヤと乗り込んできたのだ。これで静かな空間は一変(これまでの静けさは、何だかネットカフェの静けさを連想させる)・・・なぜか中国人は、こんな所でも大声を出し、走り回る。しかしながら・・・この光景を見て考えられるのは、1.旅行会社がご丁寧にグリーン車まで手配してくれた。2.グリーン車に乗る程の距離でも無いが・・・ということも特に考えずにグリーン券を買った。3.別途料金がかかる、というのも知らないだけ 何だかよく分からないけど、まぁ何でもアリっぽいところが「こだまグリーン車」・・・車販も無し、アテンダントなんかいる訳無し、上質空間なのに逆にB級スポット的空間に思えてくるんだから不思議である。
2015.10.12
これちゃんと走るのか?と懸念していた。いつ買ったかも忘れたKATO製の6300系だ。Bトレのレイアウトだけでは物足りず、正規の規格である阪急電車を買ってしまったが、公私とも多忙になり、線路を買う計画が棚上げに。そのまま年数だけが過ぎていった、という訳だ。 嫁と京王百貨店に行ったときのこと。阪神グッズを買った帰り、鉄道模型売り場に「貸しレイアウトコーナー」を発見する。そうか!ここで走らせればいいんだ!と思った。畳の部屋なんかに線路敷いたってしょうがない。ここで思う存分遊べばいいんだ。 貸しレイアウトを見ると、新幹線やグリーン車を連結した長大編成の東海道線がビュンビュン走っている。待てよ、こんなところで6300系の4連をチマチマ走らせても虚しいな、と思った。鉄道界のジェンヌなのだから、立派な運転会をせねばならない。 いろいろ迷っているうちに、KATOから9300系8連セットが発売された。これは買うしかないでしょ!よし!役者は揃った。京王百貨店で運転会だ!と意気込む 嫁と買い物がてら新宿へ行く。貸しレイアウトの予約時刻まで間があるので、ルミネで時間を潰した。ルミネは、ほとんど女の園である。レストラン街でパンケーキでも食べることにしたが、入った店は99%女性ばかり。明らかに彼女に付き合わされてそうな男子が一人だけいた。とても男一人で入る勇気は無い。 まぁ拙者も、嫁といるから普段入れない店に入れるのである。甘党である拙者にとって、パフェやワッフル、パンケーキは大歓迎で、おかげさんで遠慮なくこうしたモノを口にすることが出来るようになった。 時間なので、京王百貨店に移動しようとしたら、パンケーキの上に載ってたアイスが効いたのか、お腹を壊してしまう。子供の時分と同じことを、まだこの歳でもやってるのだ。予約時間が迫り、急いで京王百貨店へ。店内に入って、年齢層が急激に上昇しているのを感じた。店内の喫茶コーナーは、我々の母親世代の方々ばかり・・・お父さんはどうしているんでしょうか・・・。いよいよ貸しレイアウトコーナーへ。お客さんも多数見ているので、これ結構緊張する。まずは6300系4連から。走るか不安だったが、さすがに大丈夫。 4連ということは・・・もう主役を降りて嵐山線の運用、というイメージである。だからのんびりと周回させる。6300系を待避線へ移動させて、続いては、9300系の登場だ。ここから本気モードね。ところが、駅から出発した途端、あっさり脱線・・・脱線すると大変。脱線箇所まで行って直さないといけない。運転してる他のお客さんの邪魔になるので、詫びを入れて作業する。ところがねぇ、脱線の復旧は意外と難しい。特に9300系は、連結器が実物に似せていて、ちょっと持ち上げたら外れるような従来の連結器じゃない。車両を持ち上げたら、となりの車両も持ち上がって車輪が外れてしまうのだ。 何とか復旧するも、同じところでまたも脱線。さすがに冷や汗かく。こういう時に限って見物客がたくさんいるんですよ。あの阪急電車、なにやってんねんという感じですかなぁ。もたもたしてて近鉄特急にビュンビュン抜かれる他のお客さんが「前やってた人も、ここで脱線してましたなぁ」と言った。車両の性じゃない?線路の性?6300系は無事に一周したよね。9300系は駄目というのは、よう分からん! 脱線すると分かれば、もうそこは走れない。仕方ないから一周せず、お寺の前のところで折り返し運転。なにやってんスかねぇ・・・。これは車両に問題があるのか検証しなければならないから、次回は他のコースを走らせようかと思う。相模太郎ポータルサイト~阪急を愉しむ~こちらもぜひご覧下さい。 ・阪急のモダニズム ・宝塚大劇場のある風景 ・震災そして復興へ ・映画「阪急電車」の世界 ・Bトレのレイアウトを作る
2015.09.23
大阪の家族・親戚宅は阪堺電車の沿線なので、いつも「ラッピング電車」の話題になる。大阪といえば、スーパー玉手のような「どぎつい看板」が多いが、阪堺電車の宣伝もかなりどぎつい。 要務先へ向かうため電停へ行くと、やってきたのは「マッサンの電車」だった!例の朝ドラ「マッサン」のラッピングを施しているのだ。車内は、登場人物の紹介やらストーリーの解説やら、マッサンの宙吊りばかりである。「マッサン」の大阪編も今年中に終わり、舞台はいよいよ北海道の余市だ。ちなみに、うちの彼女の出身があの街なのである。 電停を降りて、デジカメで撮ったのがの写真。場所を選べなかったのでうまく写せないな・・・。 帰りに住吉さんに寄った。住吉大社の参道は、昔の面影をとどめた場所なので、「マッサン」のロケに多用されている。印象的だったのは、住吉酒造の一人娘優子(相武沙季)が花嫁衣裳に身を包み、人力車に乗って嫁入りする場面だ。大正時代の雰囲気を気軽に再現できるからって住吉さん使い過ぎや、と思っていたが、人力車と石畳がよく似合っていることもあり、あれは名場面に仕上がっていたと思う。 参道近辺は、出店の準備が急ピッチで行われている。物資搬入のトラックが頻繁に出入りしていて、お正月シーズンの規模の大きさがよく分かる。 境内は、あちこちに「入口」「ここからは入れません」等の特大の垂れ幕がぶら下がっている。お正月の混雑はすさまじいらしく、「身動きできない」というより「人波に流されて立ち止まれない」のだそうだ。阪堺電車もこれで1年分稼ぐなどと言われている。いつかお正月の住吉さんも経験してみたいものだ。 閑散とした境内を後に、南海本線住吉大社駅へ行く。そういえば面白いニュースを聞いた。南海本線に隣接している阪堺電車「住吉公園駅」だが、朝ラッシュ時のみ数本が乗り入れるダイヤに変わり、「大都会の秘境駅」「日本一終電の早い駅」と話題になった。阪堺電車上町線は、住吉公園発着を削減し、「あびこ道」や堺市内へ直通するようになったのだ。幼い頃の記憶は、上町線のイメージといえば、「住吉公園行き」であり、住吉さんとの位置関係も理解していなかったが、南海本線から住吉さんまで歩いてすぐだし、その目の前の「住吉鳥居前」電停で上町線の電車に乗れるので、あまり問題も無かったのだろう。
2014.12.31
札幌在住時代の思い出は、日々遠くなっていくばかりだ。たまに道新(北海道新聞)のサイトを見ることもあったが、その習慣も日を重ねるごとに少なくなってしまった。 ところで、余市出身のウチの彼女から拙者好みのネタ提供が。実家に帰る際、SLニセコ号に乗ったというのだ。ネタ作りに加えて、SLの運行を今年度限りで休止するというから、今のうちに乗っておいた、という訳である。さて、送られてきた貴重な画像はこちら。客車内は、銀河鉄道999の雰囲気 札幌駅から小樽までは人口密集地を走るので、列車はディーゼル機関車が牽引するという。そして、小樽駅で機関車の付け替え作業をする訳だが、作業が完了して出発するまで数十分かかるそうで、その間に駅のホームは記念撮影する人々でごった返していた、という訳だ。 で、このSLニセコ号も少し残念なところがあって、終始ディーゼル機関車のフォローを受けての牽引らしい。まぁ、詰める石炭や水の制約などもあるのだろう。 ニセコ号の客車内には売店もあって、各種グッズを販売しているという。オリジナルワインをいただいた。自宅Barにて一杯やる。 こんな「いい営業」しているSLニセコ号が、なぜ運転を取りやめてしまうのかが残念でならない。道新によれば、新型ATS装置の装着が出来ない等、技術的な問題を抱えていたらしい。
2014.11.16
かつて三宮駅といえば、阪急電車が出入りする神戸阪急ビルがランドマーク的存在といえた。1936年に完成したモダンな駅ビルは、阪急百貨店や映画館が入居。建物から阪急電車が出入りする光景から、「阪急電車のお城」などと言われたのである。 ところが阪神淡路大震災で建物が大きな損害を受け、後に解体を余儀なくされた。それからどうなったかというと、3階建の暫定ビルで細々と営業する有様で、「お世辞にもターミナル駅とは言い難い」 状況のまま今日に至っている。中途半端な状態の三宮駅ビル数年前か、かつての神戸阪急ビルのミニチュアが期間限定で販売されたことがある。1万3千円ぐらいの値段で、しかも阪急梅田駅などの限られた場所のみで販売された。にもかかわらず、あっと言う間に完売したそうだ。 神戸阪急ビルを懐かしむ人がいかに多いかを証明する出来事だった。だいたいが、駅ビルのミニチュアが飛ぶように売れるだなんて、阪急でしかあり得ない現象ではないか。 神戸阪急ビルのミニチュアが手に入らなかった悔しさからか、拙者は自分の 「阪急レイアウト」 に、駅ビルから電車が出入りするシーンを組み込んでみた。いつの日か、「阪急電車のお城」 が復活することを祈願して・・・。ビルから出入りする光景にこだわってみたそして待ちに待った明るいニュースが!神戸阪急ビルが再開発で復活!そんな明るいニュースが聞こえてきた。神戸新聞社によると、高さ100メートル級の高層ビルに建て替えるというのだ。 数年前の報道では、阪急神戸線が神戸高速鉄道の新開地へ直通するのをやめて、神戸市営地下鉄と相互乗り入れする、そのため三宮駅を地下化した後に神戸阪急ビルを建て替える、なーんて話だった気がする。 神戸市営地下鉄と相互乗り入れというアイデアも面白い。阪急神戸線から新開地方面へ直通する乗客は、あまり多くはないようだ。新開地や山陽電鉄線への輸送は阪神電車に任せて、神戸市営地下鉄沿線の住民は確実に阪急神戸線へ誘導する、これで阪急阪神の統合メリットも活かせることに?神戸高速鉄道線から三宮駅へ入線する神戸線特急昔の駅ビルは、電車の線路の上にも建物があった。今度の再開発は、線路の上に建物は作らないという。将来、地下化工事をする可能性も考慮したのだろう。 で、肝心なのはビルのデザインだ。神戸新聞によると、震災前と全く同じという訳にはいかないが、雰囲気は受け継ぐという。そうこなきゃ阪急じゃない!阪神間モダニズムという、沿線独特の雰囲気はぜひ継承してもらいたいと思う。相模太郎ポータルサイト~阪急を愉しむ~こちらもぜひご覧下さい。・阪急のモダニズム ・宝塚大劇場のある風景 ・震災そして復興へ・Bトレのレイアウト ・映画「阪急電車」の世界
2013.07.07
鉄道ジャーナル2月号の表紙を飾っていたのは、マルーンの塗装が美しい阪急電車。「関西私鉄2013~積極策で攻めに転じる」と云う題を見て、迷わず買った。拙者は現在札幌市在住。阪急電車に揺られて学校へ通っていたのは随分過去の話だが、映画「阪急電車」のヒット、阪急百貨店うめだ本店のリニュアルオープンと、阪急にまつわるニュースは遠く北海道の地でも聞こえてくる。耳を澄ましているのは拙者だけかもしれないが・・・。大阪百貨店戦争は阪急うめだ本店の一人勝ち? 建て替え前後で大きく変わる鉄道ジャーナル2月号では、昨年11にリニュアルオープンを果たした阪急うめだ本店にまつわるエピソードに、かなりの誌面を割いていた。小林一三先生が日本で初めて電車駅ターミナルに百貨店を建設した話に始まり、増築に次ぐ増築、そして全面建て替えに至った経緯・・・懐かしい写真も楽しめたが、阪急うめだ本店の強みとは何か~鉄道雑誌を超えて流通界にも踏み込んだ内容に息を呑んだ。えらい気合が入った誌面である。聴こえてくるニュースを整理すると、とにかく阪急うめだ本店が圧倒的な勢いであり、JR三越伊勢丹は惨敗を喫したということだ。拙者なりの私見はと云うと、確かに大阪の百貨店戦争は熾烈だが、おかげで大阪への一極集中が加速しているのではないか、と云うこと。その見本が阪急百貨店である。神戸阪急を閉店しただけでなく、長らく京都側ターミナルであった河原町阪急まで閉店してしまった。経営資源をうめだへ集中させているのがみえみえである。百貨店を閉めることは、もはや阪急にとってターミナルとしての役割を終えたことを意味する。阪急京都線のダイヤに関する記事を読んで、河原町駅が「梅田行電車の出発駅」だけの存在になってしまったことをより強く感じた。「梅田への道」~えらく的を得たコトバかつて阪急京都線と云えば、2扉クロスシートの特急がノンストップで京阪間を快走していた。ところが、新生JR西日本が時速130キロの新快速をデビューさせたことで、都市間連絡列車としての競争から脱落、かつての京都線のクィーン的存在だった6300系電車は、嵐山線で寂しく余生を送っている。嵐山線で余生を送るかつての京都線特急車~車体はピカピカだ阪急に残された選択肢は、沿線住民を確実に拾って行くことしか無かった。練りに練ったであろうダイヤ改定の積み重ねの結果が、「沿線住民を確実に梅田へ運ぶ」と云う「梅田への道」の完成である。それは、阪急百貨店うめだ本店への集中と表裏を成すところが味わい深い。誌面上の「梅田への道」と云う指摘は、まさにドンピシャと云えよう。関西の鉄道があまりにも便利で快適であるが故に、大阪への一極集中を助ける結果になったのではないだろうか。厳しさを増す関西経済、JR西日本との競合~阪急電車を取り巻く環境は相変わらず厳しい。しかしながら、誌面から強く読み取れたのは、私鉄のトップブランドとして君臨してきた色艶は、未だに色あせていないことだ。ここでしか見られない、独特の上品さ、格好良さは、これからもしっかりと継承して行って欲しいと思う。最後に、松尾大社に参拝し、嵐山まで行った時の寫眞などを御覧くださいませ。
2013.02.11
おはようごいす。今日の山梨県は快晴!ふんじゃ、甲州弁でラジオ体操第一やるじゃんけ、と云うのは冗談。今回の旅は、五緒川氏の名著「キャンユースピーク甲州弁?」を片手に、可能な限り甲州弁でお届けいたします。大月駅で富士急行線に乗り換えた。やって来たのは、昔京王線を走っていたとおぼしき車両。近未来の世界を見に行くはずが、逆に昭和へタイムスリップだ。実験線の最寄らしい禾生(かせい)駅に着いて、二両編成の電車から降りたのは拙者だけ。駅員のお姐さんに切符を渡し、実験線とおぼしき高架橋目指して歩いている人間も拙者だけ。高架橋を見て「架線」が無いことに気付く。リニア新幹線は、理論上「給電」する必要がない。電磁石が敷かれた「軌道」が車体を浮かし、推進させる。全て「軌道」が導くから、運転席も無いのだ。従来の鉄道とは根本的に違うのだ。さて、山梨県立リニア見学センターに着いたが、見学者も拙者だけ。とにかくだあれもいなかったのである。土曜日なのに誰も来もしない理由は、実験線が延伸工事を行っているから試験走行を行っていなかったから?そんなこと、何も考えないで見学に行っている自分もバカだが(当時の話です)。とにかく、置いてある展示物をこぴっと見学するじゃんけ、と向かった先には「リニア車内見学」と書かれた実物大車両が。中へ入ってみたら、早くも「なんじゃこりゃ」と幻滅。車内のざっくりとした感じを作ったようだが、座席も汚れていて、しかもかなりしょぼい。こぴっと見学しようにも無人運転だから肝心のコックピットが無い!館内の眠たい展示物と、謎のド演歌カセットテープを発見中央新幹線で使われる技術だが、超電導リニアともJR式マグレブとも言われる日本独自の規格だ。車体を10センチも浮かして高速走行する訳だが、低速では浮かないので、時速150kmまでゴムダイヤで走行するという。緊急「着地」してもタイヤが破損しないよう、戦闘機に装着できるほどのタイヤが使われるという。こういう話をすると「へぇー」となる訳だが、見学センターの展示からは「いまいち、凄さが伝わらない」のも事実。やっぱり本物に乗らなきゃな。当時の実験線は、たった15.4km~これで500キロ近い速度を出して、終点でちゃんと停まるんだからすごい。此処から先、嫁さんとのヤリトリを甲州弁でお届けします。「おまん、こっちんこうし!おぼこさん来るよ!」「今日は試験運転やってないずら」「えべえべ言うから来てみたら、がとう面白くもねえじゃんけ」「何ちんぶりかいてるだ!下の階降りるど!」(で階段降りかけたら左脚くじいて)「痛たたた、痛うてうっちんじもうわ」と、暫く「ちんちんばっこであいく」ハメに。 意味分かります? こっちんこうし=こっち来てぇ えべ=一緒に来い ちんぶりをかく=すねる うっちんじもうわ=死にそうだ ちんちんばっこ=片足けんけん です。おぼこさん→「キャンユースピーク甲州弁?」によると、山梨県では東海道新幹線の顔がお蚕さん(おぼこさん)に似てるからって、そう呼ぶ人がいたとかいないとか。 もちろん、この会話は作り話でございます。当時、拙者は結婚してなければ今の嫁さんと出会ってもいません!こうしてフザけてると「わにわにしちょ!」と怒られる。素晴らしいね、甲州弁は。最後に、見学センターのお土産コーナーを物色する。山梨県の特産品が並んである訳だが、ひときわ目を引いたのは、ド演歌と思われるカセットテープ。「高石省三:リニア賛歌」~パンチパーマ姿の高石省三氏~昭和レトロなファッションを見ても、こりゃ近未来とはかけ離れた雰囲気だ。それもそのはず、当時から20年前~「1990年製作」のカセットテープなのだ(CDでないところが泣かせる)。で、結局そのカセットテープを買ってしまった。まるでタイムカプセルを手に入れた気分になる。この壮大な実験線も、ある種のタイムカプセルなのかもしれない。技術は日々進歩しているのに、夢は20年前のままなのだ。さて、実験線のふもとの田園地帯を散策してみた。相模川の源流である桂川の清らかな流れを見て、すがすがしい気分になる。郷土資料館となっている瀟洒な洋館を発見~これは明治か大正時代か?帰りの電車は、レトロ調に塗り直された「富士登山電車」が連結されていた。この界隈は、新と旧が見事に混在している。そして数年後、橋本でこんなもの見つけた!相模原の実家へ行ったときのこと。横浜線に乗るのも久しぶりだし、橋本駅を降りるのも久しぶり。アリオ橋本のポポンデッタを見に行ったら、ちゃんとアリオ橋本のミニチュアがあった。そして、リニア新幹線も!リニア新幹線の車体は、まるでBトレインショーティーみたいだ。横の学校の体育館はいかにも昭和ロマン漂う。そう遠くない将来、ここにリニア新幹線の駅が出来ることをさり気なくアピールしている訳だが、駅は全て地下になるから、こんな光景は一切拝めない。だが、リニア新幹線の開通で橋本界隈が劇的に変化するのは確実であろう。次ページ:8年後、もうちょっと本気な「リニア館」を見学しました。フリーページで作成しています!
2010.05.16
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