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大阪で用事を済ませ、時間があるからと「ひのとり」で名古屋まで行くことになったが、其の前に万博記念公園に行くと云ふ、方向感覚の狂った旅の始まりであります。大雨の為、阪急千里線は運休してゐるから、千里中央経由で行くことにした。御堂筋線に乗るにあたり、あらかじめ「北急車」の時刻を調べてから乗る拙者は既に「頭おかしい人」の範疇に相違ない。千里中央から大阪モノレールに乗り換へ。万博当時、北大阪急行が会場までアクセスしてゐたが、閉幕と同時に廃止されてしまった。長い空白期間を経てモノレールが開通し、記念公園までのアクセスが実現した訳であります。駅ホームから「千里阪急ホテル」が見えた。泊まりたくても空室が無くて予約出来ない。近く再開発で閉館するらしいのだ。万博記念公園駅から太陽の塔がある公園へ向かう。結局、世界は晴れてしまって暑い々々。記念館の展示は面白い。会場の案内係を担当した御婦人の制服が、古臭いのか斬新なのか分からないところが半世紀と云ふ時間の経過を示してゐる。万博当時のマスクが展示されてゐる。材質的に繊細だったそうで、レプリカに交換されてゐるのだ。思へば、是ほどまでに人の記憶に残りやすい像は無いだろう。シルエットだけでも何なのか即分かる。岡本太郎先生は凄い人だ。もう一つの万博アクセス線~阪急千里線阪急千里線が運転再開したので、帰りは山田経由で梅田まで行く。株主優待使えて良かった!新1300系が北千里方面に快走して行くが、此処からちょっと行った処に阪急の万博西口駅があった。阪急も「エキスポ準急」を運転するなどして、万博輸送に活躍したのであります。タイムスリップしてまで見に行きたい!我々が乗ったのは5300系。上手く写せなかった(笑)。阪急を撮影するのは結構難しい。人多い、電車速い、ピカヽヽ光り過ぎ、だから。5300系は、昭和の阪急電車。重たいブラインドがまだ残ってゐた。是を使いこなせてこそ阪急沿線人だったのだが。車齢半世紀経ってもピカヽヽ。年齢を重ねても、逆に深みが出るやうな人間になりたいものだ。まかり間違っても、中共の認知戦ごときに操作されるやうな愚を犯さない程度にね。近く予定される大阪万博一つとっても要注意だ。知らぬ間にネガティブな世論形成が仕組まれ、乗せられてゐる可能性があるからだ。→関連ページ:大阪神戸ロマンチカ
2024.09.29
所用で大阪入りした。親戚の方々と姫松の喫茶店で談笑した後、本日は梅田で宿泊となる。どうせ泊まるなら、閉館前の新阪急ホテルを選んだのであります。阪神スナックパークで、イタリア人共が発狂すること保障済みの大阪ナポリタンを食べた後、いよいよ新阪急ホテルへ到着!そうか!ホテルの下はバスターミナルになっているのかと、今更気付いた。梅田界隈の複雑さは、もはや迷宮と云えよう。バスターミナルから発着する、世界一美しい空港バス=阪急観光バス。鹿児島在住時代、伊丹空港へ行く際に利用しました。ところで、ホテル閉館後にバスターミナルはどうなるのだろうか?ホテルにてチェックイン。ロビーに飾ってあるのは、宝塚大劇場で使われた緞帳であります。其処が如何にも阪急系のホテルだ。部屋も未だに「鍵」なのが味わい深い。ホテル閉館のお知らせも付いていた。このヘンの意匠が是またクラシック。レトロさをたっぷり味わいながら寝させていただきます。翌日は万博記念公園へ明け方の梅田は集中豪雨であった。フリーwifiがあるから、スマホで「モーツァルト:レクイエム」を聴きながら、今日は何しようかなと思案。六時半に朝のレストランへ。旅行すると野菜不足になるから、サラダ2種類、コーンスープにフルーツポンチ、もう野菜ばっかり選んだ。コーンスープが目が飛び出るほど美味いから、3回おかわりしました。結局晴れてしまいました。だから太陽の塔もこのとおり。阪急京都線・千里線が大雨で不通だと云うから、千里中央経由で到着であります。帰る頃に千里線が動いていた!山田から梅田まで株主優待券を使わせていただきます。ダイヤが多少混乱していたが、無事梅田まで到着!5300系~準急の表示が美しい。通過識別灯の「片目ウインク」もまた関西の私鉄らしくて味がありますな。東京の皆さん、電球が切れてるんじゃ無いですよ。
2024.09.14
お寺さんでお盆の恒例行事があるので、横濱から汽車を乗り継いで大阪入りした。喜連瓜破でお墓参りを済ませてから堺のお寺さんへ向かうのだが、法要の開始まで時間が相当ある。谷町線阿倍野駅で降りて、阿倍野ベルタへ入り掛けた処にレトロな喫茶店があったので、其処で一服。まるで時間が止まったやうな「ハットケーキ」を食べる。此処から懐古趣味炸裂な一日の始まりであります。此処から堺までは、阿倍野電停から阪堺電車に乗ればよい。やって来た電車は何と昭和32年製!帝国車両の製造であります。電車は住吉さんの横を通り抜け、古びた住宅街の中をのんびり走ってゆきます。大和川に架かる橋を通過。阪堺電車で此処まで下ったのは初めてであります。まるで絵画のやうな光景。妙国寺前で下車~晩夏の太陽が容赦なく照りつける。新旧の融合が愉しいそして法要も無事終わり、親戚の方々と姫松電停前の喫茶店で一服することになった。拙者は子供時代の僅かな記憶を辿ってみる。此の店は、祖父と何回か行ったことがあるのだ。店内に中2階の客席がある変わった構造だったから覚えていた。約四十数年ぶりの来店であります。建物の外観こそレトロだが、時代が進んだ一面もある。四十年でケーキも進化したのだろう!ピスタチオのケーキは、全く初めて食べる味だ。コーヒーカップのデザインも話題となった。サマーブレンドとのことだが、何だか紅茶のやうな風味。此処でしか味わえない経験をさせていただきました!姫松交差点で解散後、我々は再び阪堺電車に乗って、まずは天王寺へ。御堂筋線・四つ橋線と乗り継いで、西梅田から阪神百貨店に入った。夕食は、最新式のフードコート「阪神百貨店スナックパーク」で、超レトロな「大阪ナポリタン」であります。溶岩並みの熱々プレートが、パスタに程よい具合に焦げ目をつける。魚肉ソーセージも付いて、まさに昭和感爆発の一皿。伊太利人が卒倒すること間違いなしだ。さて、本日は新阪急ホテルで一泊の予定だが、閉館まで秒読みとなり、もはや旧阪急ホテル。寝る間際までレトロな大阪を愉しむとしよう。
2024.09.08
伊勢佐木にある喫茶店で、ボストンクリームパイなるものを食した。文字通りアメリカのボストンで生まれたお菓子で、繊細な模様が素晴らしい。ヤンキー共が、いちゝゝこんな細かい装飾に凝るとは意外である。此処でふと思い出したのは、人間は何故に足が入らないやうな後部座席を作るのかと云ふこと。伊勢佐木から数キロの処にある日産自動車のギャラリーを見て、暫し考え込んでしまった。日産シルビアの後部座席は、富永愛さんでなくても座るのは無理である。がんばれ台湾!さて、日産自動車のギャラリーからさらに数百米の処にある地下街に、台湾飯店がある。中共の陰湿な嫌がらせに耐え忍んでゐる台湾を応援するためには、かうした店を利用したくなる。初めて台湾カステラ(グゥ ザァオ ウェイ ダン ガァオ、と読むらしい)なるものを食した。長崎のカステラと食感が大きく異なり、本当に台所用スポンジみたい。飲み物は鉄観音~まるでビールのやう。なんで泡を立てられるのか不思議で不思議で考え込んじゃう。でもやっぱり不思議なのは、座れないほど狭い後席。昔乗ってた軽自動車(ラパン)だって、富永愛さんが座れるぐらいの広さがあったのであります。アパホテルのカレーは不思議に美味い所用で相模原(富永愛さんの故郷)へ行ったときのこと。サンマルクカフェで一際目を引いたのがアパホテルの社長さん。例のカレーを詰めた訳ですね。さう云へば、アパホテルを使わなくなりました。狭いけど安いから良いかと利用してゐたが、近頃インバウンド需要の性で値上がりが著しい。今夏、お寺さんの法要で帰阪する予定だが、どうせお金出すなら新阪急ホテルにしようか?と云ふことになってしまう。いろゝゝ税金のこととか調べてたら、不思議なことが分かった。例の「狭い後席」の件!後席が無いスポーツカーだと税金が高くなる国がある、あるいは会社の経費で落とせない国がある、だから「座れなくても知ったこっちゃない」レベルの後席を装備するらしい。明らかに営業車ではないのに、経費で落とそうと云ふセコい連中の為にやってる訳だ。思へば、後席でも富永愛さんが座れるぐらいの余裕があった初代ソアラなんか、シビレるやうな凄いクルマだったな。→トヨタ博物館にありました!続いて相模原駅で久々ヴィドフランスに立ち寄った。久々なので、ついゝゝ何種類も食べちゃう。国電でテクヽヽ横濱まで戻り、再び日産ギャラリーを覗いて思わず絶叫しそうに。日産プレーリー!しかも三列シート!足が全く入らない三列目をわざわざ作る必要があったのか?税金関係ないよね?此のクルマ、足が入らない謎の三列目シートの本家かも知れない。
2024.09.01
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