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イラスト素材提供:十五夜様『お母さん、落ち着いて下さい。我々が現場に駆け付けた時、息子さんはもう・・』『言い訳なんて聞きたくない!お前達が息子を殺したんだろう!』女性はそう叫ぶと歳三を睨みつけた後、彼の髪を両手で鷲掴みにした。『息子を返せ、この人殺し!』『お母さん、落ち着いて下さい!』歳三は女性に顔を殴られ、そのまま気を失った。「土方君、大丈夫かい?」「ああ。さっきの人は?」「もう帰って貰ったよ。さっき入った情報なんだが、落盤事故の犠牲者の遺体がまた現場から発見されたよ。」「そうか・・」「落盤事故からもう一週間が経ったけれど・・まだまだ犠牲者が増えそうだね。」「樽崎興産は、事故のことについて何て言っているんだ?」「社長は新山一人に事故の説明を遺族達にするよう押し付けて、彼はソ連に向かったよ。全く、自分が経営する炭鉱で事故が起きたっていうのに、無責任だよ。」「ああ、そうだな・・俺の親父なら、事故後の対応を他人任せにせずに、現場に足を運ぶだろうよ。」歳三はそう言うと、診察室に置いてあるベッドから起き上がった。「今夜、落盤事故の犠牲者たちの合同葬儀があるんだが、君も行くかい?」「ああ・・」 その日の夜、落盤事故の犠牲者たちの合同葬儀が、新京市内の葬祭場で行われた。 樽崎興産の炭鉱で働いていた坑夫達は、朝鮮人や中国人が多く、犠牲者たちは20代から50代の、朝鮮人坑夫だった。喪服に身を包んだ歳三達が葬祭場に入ると、中には白い喪服姿の遺族達や、彼らの親族達が泣き叫ぶ声がこだましていた。『息子はもうすぐ結婚する予定だったのよ、それなのにどうしてこんな事に~!』『あぁ、悔しくて堪らないわ、息子と夫は日本人に殺されたのよ!』遺族達の怨嗟の声を聞きながら、歳三達は献花台に花を供え、犠牲者たちの冥福を祈った。歳三が葬祭場を後にしようとした時、乳飲み子を抱いて呆然と天を仰ぎ見ている白い喪服を着た若い未亡人が、葬祭場の隅に座っていた。その未亡人の姿と、千尋の姿が重なった。もし自分が不慮の事故で死んだら、千尋や子ども達は一体どうなってしまうのだろうか。あの未亡人のように、呆然と天を仰ぎ見ながら、夫の死が現実であることを受け止めようとしないのだろうか。「土方君、行くよ。」「わかった・・」葬祭場から出た歳三は、ホテルの部屋に戻って一人で酒を浴びるように飲んだ。「出ないなぁ・・」「大鳥先生、どうされました?」「土方君、電話に出ないんだよ。ホテルの部屋で寝ているのかなぁ?」「わたしが行きましょうか?」「済まないね、土御門君。君だってここに来て色々と忙しいのに。」「いいえ。土方先生には、兄の事で色々とお世話になりましたから、そのお礼を言いにいきたいんです。」大鳥の前に立っている青年は、そう言うと屈託のない笑みを大鳥に浮かべた。「すぐに戻って来ます。」「わかった、気を付けてね。」にほんブログ村
2014年04月30日
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イラスト素材提供:十五夜様 落盤事故の犠牲者たちの遺体は、近くにある小学校の体育館に安置された。坑夫達の生存を信じていた家族達は、変わり果てた姿となった夫や父親、息子達の姿を見て涙を流し、中には悲しみの余り気絶する者もいた。『どうしてうちの息子がこんな目に~!』『一体これはどういうことなんだ、ちゃんと説明しろ!』『うちの息子は何故死んだんだ!』一家の稼ぎ手を失った家族達は、事故の対応に追われている新山に詰め寄った。「事故については、原因を只今究明しているところでして・・」『息子を返せ~!』『この人殺し!』額の汗をハンカチで時折拭いながら、新山は遺族達にそう説明したが、彼らの怒りは収まらず、新山に向かって石を投げつける者も居た。『お前達の所為で息子は死んだんだ!』『うちの人を返せ!』『父さんを返してよ、人殺し!』遺体安置所となった体育館は、遺族達の怒号や泣き叫ぶ声が響いた。診療所では、落盤事故の負傷者達を歳三達が治療していた。「何とか落ち着きましたね、先生。」「ああ・・」額の汗を白衣の袖口で乱暴に拭いながら、歳三は溜息を吐いた。「これからどうなるのでしょうね、樽崎興産は?」「さぁな。百人も犠牲者が出たんだから、責任追及は逃れられないだろう。」「そうでしょうね。」「土方君、一段落してお茶でも淹れようか?」「頼む、大鳥さん。」診察室から歳三が出て来ると、待合室には患者の家族が長椅子で互いの身を寄せ合うようにして座っていた。『先生、うちの息子は!?』『安心してください、息子さんはもう大丈夫ですよ。』左足が痛いと歳三に訴えていた青年の母親は、歳三の言葉を聞くと安堵の表情を浮かべた。『先生、ありがとうございます!』『今は薬で眠っています。数日もすれば退院できるでしょう。』『ありがとうございます。』青年の母親は、何度も歳三に向かって頭を下げると、診療所から出て行った。 診療所の奥にある病室に入った歳三は、落盤事故の生存者たちは皆暗い表情を浮かべていることに気づいた。彼らは、坑道の出入口近くに居て辛うじて落盤事故発生時に坑道から外へと逃げ出せた。だが、彼らの同僚達は薄暗いトンネルの中で命を落とした。「土方先生、お茶がはいりました。」「ああ、有難う。」「今回の事故は、悲惨なものでしたね。」病室から出た鈴田は、そう言うと溜息を吐いて歳三を見た。「これから、生存者達の精神状態に気を配ってくれ。同じ現場に居ながら、どうして亡くなった仲間達を助けられなかったんだって、自責の念にかられる奴が今後出て来るだろうから・・」「わかりました。」 歳三が鈴田とともに事務室に戻ると、そこには髪を振り乱しながら一人の女性が大声で泣き喚いていた。『どうしてうちの息子を助けられなかったんだ、この人殺し!』彼女は、落盤事故で亡くなった青年の母親だった。にほんブログ村
2014年04月30日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 歳三と鈴田が自転車で落盤事故があった炭鉱に向かうと、事務所の前には、負傷者が担架に寝かせられていた。「一体何が起きたんですか!?」「突然坑道が崩れて・・中にまだ人が居るんです!」事務所の前に寝かせられている負傷者を診察していた歳三は、事務所に黒塗りの車が入ってきたのを見た。「社長!」「おい、一体何があった?」「落盤事故が発生しました。負傷者の数はまだ正確に把握できておりません。」「落盤事故だと!?」車から降りて来た樽崎興産社長・雄一郎は、そう言うと秘書を睨んだ。「ソ連の会社との取引を控えているというのに、よくも落盤事故を起こしてくれたな!この事故の所為で我が社の信用が落ちたらどうする!?」「申し訳ありません、社長・・」「事故の事は、まだ誰にも嗅ぎつけられていないだろうな?」「ええ。」「この事は誰にも口外するな、わかったな?」「わかりました・・」「樽崎社長、それは一体どういう意味ですか?」「何だ、貴様?」「わたしは土方歳三といいます。」「土方・・貴様が、あの土方の義理の倅か。診療所に新しい医者が赴任してきたという話を聞いたが・・まさか、土方の倅だったとは。」雄一郎はそう言うと、歳三を睨んだ。「あなたのお嬢さんが、先程診療所にいらしてわたしにサンドイッチを差し入れてくださいました。お嬢さんに、わたしの方から宜しくと伝えておいてください。」「わかった、伝えておこう。土方君、まさかうちの娘を嫁に貰おうなどということは考えていないだろうね?」「いいえ。わたしには日本に残してきた妻子がおりますので、そのような事は考えておりません、ご安心ください。」「そうか・・」「土方先生、来て下さい!」「では仕事に戻りますので、失礼致します。」歳三はそう言って樽崎に頭を下げ、彼に背を向けて患者の元へと戻った。「中には何人くらいの方が残っているのですか?」「そうですね・・まだ百人ほど中に取り残されています。俺は入口の近くに居て助かったんですが、他の皆は奥の方に居て・・」「これから、負傷者が増えそうですね。土方先生、一旦診療所に戻って、薬や包帯を補充しておきます。」「鈴田さん、宜しくお願いします。」炭鉱を出た鈴田の背中を見送った後、歳三は再び負傷者の治療にあたった。「何処か痛いところはありませんか?」『足が、足が痛い・・』朝鮮人の坑夫は、そう言うと左足に走る激痛で顔を顰めた。『もうすぐ消毒しますので、我慢してくださいね。』『中に居る人達は、無事なのか?』『それはまだわかりませんが、皆さんが無事であるよう祈っています。』歳三が坑夫と炭鉱の中に取り残された生存者の事を話していると、坑夫達の家族が事務所に押しかけてきた。「一体どうなっているんですか!」「二ヶ月前も事故を起こしたばかりじゃないですか!それなのに、また事故が起こるなんて・・この会社は、一体どういう管理をしているんですか!?」「皆さん、落ち着いて下さい!炭鉱の中に取り残されている皆さんのご家族は、必ず救出いたしますから・・」 落盤事故から数日後、歳三は炭鉱の中に取り残された百人余りの坑夫達が全員死亡したという報せを樽崎の秘書・新山から聞いて絶句した。にほんブログ村
2014年04月30日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「女将さん、ラーメンご馳走様でした。」「ありがとうございます。」「この店を始めたのは、いつからですか?」「そうですねぇ、8年前からです。主人と満州に移住してすぐのことで、その頃はまだラーメン作りではド素人で・・」「色々とご苦労されたのですね?」「ええ。でも主人と二人三脚で、今まで頑張って来ました。」『紅龍』の女将・美華子はそう言うと、カウンター席に腰を下ろした。「ご主人は今日、どちらに?」「主人なら、家で休んでおります。最近腰痛が酷くて、店にはわたし一人しか出ておりません。」「そうですか・・また、食べに行きますね。」「ええ、お待ちしております。」『紅龍』から出て診療所に戻った歳三は、待合室で数人の女性達が自分の方を見ている事に気づいた。「何か、わたしにご用ですか?」「土方歳三様ですわよね?」「ええ、土方はわたしですが、あなたは?」「初めまして。わたくし、樽崎由美子と申します。」振袖姿の女性はそう歳三に自己紹介すると、彼に風呂敷包を手渡した。「あの、これは?」「お昼、まだ頂いていないだろうと思いまして・・わたくしからの差し入れです。」「まぁ、わざわざ有難うございます。」歳三はそう言って由美子から風呂敷包を受け取ると、彼女は嬉しそうな顔をして友人達を見た。「それじゃぁ、わたくしはこれで。」「差し入れ、ありがとうございました。」 事務室に入り、自分の席に座った歳三は、由美子から渡された風呂敷包を解いた。藤製のバスケットに入れられたサンドイッチを見た歳三は、ふと長崎に残してきた千尋達のことを想った。「まぁ、美味しそうなサンドイッチですね。」「鈴田さん、おひとついかがですか?」「宜しいのかしら?」「ええ。お昼はもう済ませて来ましたから。」「それじゃぁ、遠慮なく頂きます。」鈴田はそう言うと、バスケットの中からサンドイッチを一個取り出してそれを一口頬張った。「美味しいですわね。このサンドイッチ。どなたがお作りになったの?」「樽崎由美子様という方がさっき待合室にいらして、わたしにサンドイッチを差し入れてくださいました。」「樽崎由美子様というと・・樽崎興産の社長のお嬢様ですわ。」「鈴田さん、彼女の事をご存知なんですか?」「ええ。樽崎さんといえば、満州や上海に大きな工場を持っていらっしゃる資産家の方ですよ。確か、土方先生のご実家も資産家でしたわよね?」「ええ・・北海道と九州に炭鉱を所有しております。」「そうですか。それでは、樽崎さんと土方さんは、商売敵ということになりますね。」「そうなりますね。」歳三が鈴田とそんな事を話していると、突然外から天が崩れ落ちるような轟音が響いた。「何だ!?」「土方先生、炭鉱で落盤事故が発生しました!」「怪我人は?」「詳しい状況はわかりません。」「そうか。鈴田さん、一緒に炭鉱までついてきてくれないか?」「わかりました。」にほんブログ村
2014年04月30日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「今日はあんたの所為で、朝からついてねぇ。」「それはこっちの台詞だよ。」自転車とぶつかった際についた顔の傷の上に絆創膏を貼りながら、大鳥はそう言って溜息を吐いた。「林田、来るかな?」「さぁね。」「大鳥先生、林田先生は今日お休みを取られるそうです。」「そうか。」看護婦から林田が欠勤する事を聞いた大鳥は、電話の受話器を置いて歳三の方に向き直った。「さっきの電話、聞いたかい?」「ああ。林田の奴、逃げやがったな。」「土方君、今度林田先生と会っても、彼と喧嘩しないようにね。」「わかったよ。」「大鳥先生、失礼致します。」看護婦の鈴田が事務室に入ってきたので、大鳥は彼女に歳三の事を紹介した。「鈴田さん、こちらは今日からここで働く事になった土方歳三先生。土方君、看護婦の鈴田君だ。」「どうも。」「初めまして、鈴田です。昨夜は大変でしたね?」「鈴田さん、あの中国人達はただ診療所に講義をしに来ただけです。」「その事はわたくし達も解っております。林田先生の対応が不味かった所為で、彼らは激昂した結果、あのような行動を・・」「林田は、今日休みを取っているが・・一体奴はどうするつもりなんだ?」「さぁ、それはわかりません。それよりも土方先生、間もなく開院の時間となりますから、準備の方を宜しくお願いしますね。」「わかりました。」 歳三はそう言うと、白衣をスーツの上に羽織った。「土方先生、もうすぐお昼ですよ。」「そうか・・それにしても、疲れたなぁ・・いつも、こんなふうに忙しいのか?」「いいえ。ただ、今日は何かと立てこんでいて忙しいだけです。」鈴田はそう言うと、歳三の前に茶を置いた。「どうぞ。」「ありがとう。」歳三は茶を一口飲みながら、自転車とぶつかった時に痛めた左手を擦った。「大丈夫ですか?」「こんなのかすり傷だ、大したことねぇよ。」「消毒します。」「いや、いい。自分でする。」救急箱から消毒薬を取り出した歳三は、左手にそれを浸したガーゼを押し当てた。「お昼、何にします?」「何処か近くで美味しい店はあるか?」「ええ。ここから出て右に曲がった所に、美味しいラーメン屋がありますよ。」「そうか、ありがとう。」脱いだ白衣をコート掛けの上に掛けると、歳三は事務室から出て行った。「ここか・・」 診療所から出た歳三は、鈴田から教えて貰ったラーメン屋『紅龍』に入った。「いらっしゃい!」「すいません、お勧めのラーメンを教えて下さいませんか?」「うちは味噌ラーメンが名物なんですよ。」「それじゃぁ、味噌ラーメンひとつお願いします。」「はいよ!味噌一丁~!」「味噌一丁~!」割烹着姿に姉さん被りをした女将は、歳三に笑顔を浮かべると厨房の奥に消えた。「味噌ラーメン、どうぞ。」「有難うございます。」『紅龍』の味噌ラーメンは、美味かった。にほんブログ村
2014年04月29日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「何するんだ!」「てめぇさっき、この診療所は日本人専用だとぬかしやがったな?」「僕は事実を言ったまでのことだ、それの何が悪い!」「てめぇ、また痛い目に遭わねぇとわからねぇのか!」歳三が再び拳で林田の頬を殴ろうとしたとき、大鳥が慌てて二人の間に割って入った。「土方君、暴力はだめだ!」「畜生、放せ!」「いい加減にしたまえ!」大鳥は暴れる歳三の頬を平手で打った。「今日はホテルに戻って、頭を冷やしたほうがいい。林田君、君も家に帰りたまえ。」「大鳥さん、土方を庇うおつもりですか?僕は、被害者なんですよ!」「そんなことはわかっている。詳しい話は明日、君と診療所の看護婦たちから聞こう。」「わかりました・・」歳三に殴られた頬を擦りながら、林田はわざと歳三の肩にぶつかって診察所から出て行った。「大鳥さん、済まねぇ・・つい、カッとなっちまって・・」「赴任初日から、散々な目に遭ったね。土方君、今夜は一杯付き合って貰うよ?」「わかったよ・・」その日の夜、大鳥とともに歳三は新京の駅にほど近い飲み屋で彼と飲んだ。「ったく、林田の野郎、ふざけやがって!明日会ったらタダじゃおかねえ!」「土方君、飲みすぎだよ・・」「うっせぇ、あんたが誘ったんだろう?今更ケチってるんじゃねぇよ!」ビール一杯ですっかり泥酔してしまった歳三は、大鳥に向かって管を巻きながら、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。「あ~あ、もう・・土方君、起きて。」「う~」大鳥は酔い潰れた歳三を店員に協力して貰いながら彼をタクシーに乗せ、ホテルまで送った。「土方君、起きて、朝だよ~!」「うるせぇなぁ、もう少し寝かせろよ。」 二日酔いで痛む頭を擦りながら、歳三がホテルのベッドでそう言って寝返りを打つと、自分の目の前に大鳥の顔が現れ、彼は思わず悲鳴を上げてベッドから転げ落ちてしまった。「そんなに驚くことないじゃないか?」「あんた、何処から入ってきたんだ?」「何処からって・・昨夜君が酔い潰れたから、ここまで僕が店から部屋まで運んできたんだよ?」「そうか。今、何時だ?」「もう9時過ぎだよ。」「へぇ・・って、もう遅刻じゃねぇか!」歳三はそう叫ぶと、ベッドから飛び起きてクローゼットの中からスーツとワイシャツを取り出した。「あんた、何で早く起こしてくれなかったんだ!」「だって君、何度も起きてって言ったのに全然起きなかったじゃないか!」「なんだよ、俺の所為だっていうのかよ!?」診療所へと向かう途中、大鳥とそんなくだらない会話を交わしていると、歳三は自分に向かって突っ込んでくる自転車に気付いた。「土方君、危ない!」歳三は咄嗟に自転車を避けようとしたが、間に合わなかった。「大鳥先生、おはようございます。」「おはよう。」「あの、その顔の傷はどうなさったんですか?」「ちょっと急いでいるときに自転車とぶつかっちゃってね。大したことないから気にしなくていいよ。」「わかりました・・あの、今日から新しい先生がいらっしゃると聞いたのですが・・」「ああ、彼ならもうすぐ来る筈だ。」大鳥がそう言って診療所の正面玄関を見ると、派手な音を立てながら歳三が診療所に入ってきた。にほんブログ村
2014年04月29日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「一体あそこで何が起こっているんだ?」「そんなの、知るか!」新京市内のホテルに泊まった歳三と大鳥は、ホテルのティーサロンで紅茶を飲みながら、診療所の状況がわからず混乱していた。「なぁ大鳥さん、怪我の方は大丈夫か?」「ああ。」「大鳥さん、土方さん、こちらにいらしていたのですか。」「島田君、久しぶりだね。さっき診療所に行ってきたんだが、中の様子が全くわからなかったよ。一体あそこで何があったんだい?」「詳しいことはよく解りませんが、看護婦たちの話によると、日本人の医者が事故で大怪我をした中国人の子供の治療を断ったことが、今回の騒動の原因だというんです。その医者は、その子供の親に、ここは日本人専用の診療所だから他所をあたってくれと言ったそうです。そしたら、その子供の親は激怒して、その医者を殴ったそうです。」「子供の治療を拒否した医者の名前は判るか?」「ええ、確か林田という方だと・・」「あいつか・・」歳三の脳裏に、東京の医学校時代に何かと衝突した林田の顔が浮かんだ。「これからどうしますか、大鳥さん。」「もう一度、診療所に行ってみよう。」「俺が行く。あんたは頭に怪我をしているんだから、部屋で休んでいろ。」「わかった。」その日の夜、ホテルで夕食を取った歳三は、再び診療所へと向かった。 昼間は若干人の気配がした診療所であったが、夜になると明かりが消え、人の声すらも中から聞こえなかった。歳三はそっと裏口のドアから診療所の中に入ると、待合室から男の怒声が聞こえた。「ここは日本人専用の診療所なんだ、お前たちが気軽に入れるような所じゃないんだ、出ていけ!」『なんだと!』『日本人は、俺たちに死ねっていうのか?』日本人と思しき白衣の男は、角材で武装している数人の男達に取り囲まれていた。「林田。」歳三が白衣の男に背後から声をかけると、男の背中が震え、彼はゆっくりと歳三に振り向いた。「土方、お前どうしてここに・・」「俺も今日からここで働く予定だったんだよ。おい、お前ぇ事故で怪我をした子供の治療を拒否したって本当か?」「ああ。」「その子供は今、何処にいる?」『うちの息子は、こいつの所為で死んだんだ!』少年の亡骸を抱えた父親と思しき男が、そう中国語で叫んで林田を睨んだ。『なぁ、あんたの気持ちはよくわかる。でもな、暴力で訴えても何の意味もねぇだろう?一旦、ここは退いてくれないか?』歳三はそういうと、男を見た。『そうだな。おい、一旦退くぞ。』『あっさりと引き下がるのか!?俺は嫌だね!』『俺の言うことがきけねぇのか!』少年の父親から睨まれた男は、バツの悪そうな顔をして角材を待合室の床に置くと、そのまま診療所の正面玄関から出ていった。男の仲間たちも、ぞろぞろと診療所から出ていった。『騒ぎを起こして、済まなかった。』少年の父親は息子の遺体を抱いたままそう言って歳三に頭を下げると、仲間の後を追って正面玄関から出ていった。「土方、助かったよ。一時はどうなることかと・・」「この、馬鹿野郎が!」歳三はそう林田に怒鳴ると、彼の頬を拳で殴った。にほんブログ村
2014年04月29日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 翌朝、歳三がホテル内にあるカフェで朝食を取っていると、そこへ大鳥がやってきた。「おはよう、土方君。昨夜は良く眠れたかい?」「まぁな。あんたと一杯付き合わなくて正解だったぜ。」歳三はそういうと、珈琲を一口飲んだ。「いやだなぁ、その言い方だとまるでいつも僕が君に無理やり酒を飲ませているように聞こえるじゃないか?」「事実だろう?東京の医学校を卒業した日の夜、俺の口に一升瓶を押し込んだのはどこの誰だったっけな?」「そんな・・まだ昔のことを根に持っているの?」「昔話はさておき、大鳥さん、あんたこんな朝っぱらから俺に何か用か?」「察しが良くて助かるよ、土方君。ここ、いいかな?」大鳥はそう言うと、歳三の前に置いてある椅子に座った。「満州の診療所のことなんだが、ある問題が発生してしまってね・・」「ある問題?」「こんな場所で声を大にして言えるようなことではないのだけれど、診療所に現地の中国人達が診療所を占拠したと、そこの診療所で働いている看護婦から今朝、電報を受け取ったんだ。」「それで、あんたはどうするつもりなんだ?」「電報だけじゃ状況がわからないから、さっそく満州に向かおうかと思っているんだ。」「俺も行く。」 朝食を終えた歳三は部屋に戻って手早く荷物を纏めると、ホテルをチェックアウトして大鳥とともに駅へと向かった。「一等切符、二枚。」窓口で汽車の切符を購入した歳三と大鳥は、満州行きの特急『満鉄号』に乗り込んだ。「何か飲み物でも買ってこようか?」「いや、いい。それよりも俺にあまり話しかけないでくれ。」「わかった。」 二人を乗せた『満鉄号』は、汽笛を鳴らしながら上海駅のホームから発車した。北上する特急の窓からは、広大な草原と地平線が見えた。「土方君、次の駅で降りるよ。」「わかった・・」新京駅で汽車から降りた歳三は、大鳥とともに中国人たちが占拠している診療所へと向かった。『日本人たちの横暴を許すな!』『日本人たちを叩きのめせ!』診療所の前には中国語で日本政府を批判した檄文やスローガンが書かれた横断幕が掲げられていた。「おい、誰かいねぇのか?」「誰もいないんじゃないのかな?」「そうか?さっき窓の方で人影みたいなやつを見たぞ?」歳三がそう言って窓の方を見ようとしたとき、窓ガラスが割れて火炎瓶が彼の足元に落ちた。「土方君、危ない!」大鳥が歳三の体を押しのけたのと、火炎瓶が炸裂したのはほぼ同時だった。「大鳥さん、大丈夫か?」「ああ・・」大鳥は額から流れる血をハンカチで押さえながら、火炎瓶が飛んできた窓の方を見た。そこには、誰も居なかった。「すぐにここから離れよう。」にほんブログ村
2014年04月29日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「土方君、遅かったね。」「ああ・・」「ねぇ、疲れたから少しあそこでお茶でも飲まない?」大鳥と中国茶の店に入った歳三は、そこで路地裏で見た少女が給仕係として働いているのを見た。「どうかしたの、土方君?」「いや、何でもねぇよ。」「いらっしゃいませ。」チャイナドレスの裾を翻しながら、件の少女が歳三達の元へとやって来た。「この店のお勧めは何かな?」「そうですねぇ、茉莉花茶(ジャスミン茶)がお勧めですよ。香りも味も楽しめますから。」「ねぇ、君は日本語を話せるの?」「ええ。そちらの方は、お客様のお連れの方ですか?」「そうだけど・・彼がどうかしたの?」「いえ、先程からわたくしの顔をじっと見ていらっしゃるので・・どうしたのかなぁと思いまして・・」少女はそう言うと、大鳥の隣に座っている歳三を見た。「あんた、さっき路地裏でチンピラを倒していただろう?」「ああ、あれですか・・あれは、チンピラから金を巻き上げられそうになったので、反撃したまでのことです。」「あの時使っていた薙刀はどうした?」「薙刀なら、自分の部屋に置いております。あんな物騒な物、お店には置けませんからね。自己紹介が遅れました、わたくし山寺碧と申します。」「土方歳三だ。それで、こっちの奴が俺の友人の、大鳥圭介だ。」「土方様に、大鳥様ですね。以後お見知りおきを。」少女―山寺碧は、歳三に向かって右手を差し出した。「こちらこそ、宜しく。」歳三は碧と握手を交わした後、自分達のテーブルに運ばれてきた茉莉花茶を一口飲んだ。「美味いな。それに、香りがいい。」「そうでしょう?他にも色々と種類がありますが、この店では茉莉花茶が一番人気なのですよ。」「へぇ・・あんた、何処に住んでいるんだ?」「このお店の二階に住んでおります。ちょっと訳ありで、店主の方にお世話になっているのです。」「そうか・・」「お二人は、観光で上海にいらしたのですか?」「まぁな。明日は、満州に仕事で行かなきゃならねぇから、ここで暫くゆっくりしていられねぇな。」「それは残念ですね。上海を訪れる機会がありましたら、またいらしてくださいね。」「ああ、わかった。」「そのロケット、素敵ですね。どなたからのプレゼントですか?」碧はそう言うと、歳三が首に提げているプラチナのロケットを指した。「妻からの贈り物です。」「まぁ、土方様はご結婚されているのですね・・あなたみたいな良い殿方を、放っておく女性など居ませんものね。」「よく言われる。」「土方君、そろそろ行こうか?」「ありがとうございました、またのお越しをお待ち申し上げております。」碧は店から出て行った歳三達を見送ると、店の奥へと戻った。「さっきの子、良い子だったね。」「ああ。わけありで店の二階で寝起きしているっていうのが気になるが・・」「土方君、今日は一杯付き合ってくれないか?」「遠慮しておく。」歳三は大鳥からの酒の誘いを断ると、ホテルの前で彼と別れた。にほんブログ村
2014年04月29日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「さっき、ホテルのロビーで飯沼の野郎に会ったぜ。」「へぇ・・」「あいつ、何を考えているのかさっぱりわからねぇ。甲府の事もあるし、あいつには用心した方がいいな。」「そうだね。満州へは、いつ発つの?」「明日朝一番の汽車に乗って行く。それまで、部屋で疲れを取ろうと・・」「だったら、僕が上海を案内するよ。」「あんたも色々と忙しいんじゃねぇのか?」「大丈夫、僕は暇だから。ねぇ土方君、暇なら僕の買い物に付き合ってくれないかな?」大鳥はそう言うと、歳三に微笑んだ。「なぁ大鳥さん、あんたまだ買うつもりなのか?」「うん、子ども達に色々と土産を買わないといけないし・・あ、これもいいな!」 上海の繁華街・南京路にある百貨店で、歳三は大鳥が買った紙袋を両手に提げながら溜息を吐いた。(買い物に付き合ってくれって言われてついてきたら・・体のいい荷物番を押し付けられただけじゃねぇか!)こんなことなら、ホテルの部屋で休んで居れば良かった―そんな事を思いながら歳三が溜息を吐いていると、突然少女の悲鳴が百貨店と通りを挟んだ所で聞こえた。「どうしたんだい、土方君?」「大鳥さん、これ頼むぜ!」大鳥に紙袋を押し付けると、歳三は悲鳴が聞こえた路地裏へと向かった。「金出しな、そうしたら悪いようにはしねぇから。」「嫌です、あなた方に出すお金など一銭もありません!」「何だとこのアマ、痛い目に遭わされてぇのか!」 路地裏へ歳三が駆けつけると、そこにはいかにも柄が悪そうな数人の男達に絡まれている少女の姿があった。歳三が彼らの間に割って入ろうとした時、男達の一人が少女に向かって拳を振り上げようとしていた。だが次の瞬間、その男の身体は宙を舞い、変な音を立てながら地面に倒れた。「てめぇ、何しやがる!」「それはこっちの台詞だよ、これ以上痛い目に遭いたくなかったらさっさと俺の前から消えるんだね!」「てめぇ、ふざけやがって!」仲間を少女に倒された男達が、彼女に向かって拳を振り上げようとしたが、少女は間髪いれずに壁に立てかけている薙刀を手に取り、彼らに応戦した。「そんな危ない物振り回したら怪我するぜ、お嬢ちゃん?」「そうかな?」少女はそう言って口元に不敵な笑みを浮かべると、二人の男達の脛を薙刀の柄で打った。「畜生、ふざけやがって!」「返り討ちにしてやらぁ!」男達が大きく拳を振り上げた時、その隙を狙った少女は彼らの後頭部を薙刀の柄で打った。男達は悲鳴もあげずに、そのまま地面に倒れて動かなくなった。「ふん、ただ威勢の良いだけのチンピラが、この俺様に勝てると思っているのか?」少女は倒れている男達に向かって唾を吐くと、薙刀を肩に担いで路地裏から去っていった。にほんブログ村
2014年04月29日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様(あ~、疲れた。)一週間の船旅を終えて上海に着いた歳三は、そう思いながら旅行鞄を抱えて“白鳥号”から降りた。「土方歳三様ですね?」「はい、そうですが・・あなたは?」「わたくしは大鳥様から頼まれてあなたをお迎えに上がりました、島田と申します。どうぞ、お車にお乗りください。」「はい・・」歳三は島田が運転する車で、上海市内にあるホテルへと向かった。「土方様は、上海は初めてですか?」「ええ。それにしても上海は騒がしい街ですね。」「そうでしょう。ここは英国やフランス、アメリカなどの列強国の租界がひしめき合っている魔都ですからね。それに、上海マフィアの抗争も最近激化していますから、決して夜道の一人歩きはしないようにしてくださいね。」「わかりました。あの、島田さんは大鳥さんとはお付き合いがあるのですか?」「ええ。彼とは、色々とお付き合いがありましてね、今は大鳥家の運転手をしています。」「そうですか・・」「さあ、ホテルに着きましたよ。」「ありがとうございます、島田さん。」宿泊先のホテルのロビーで歳三が寛いでいると、そこへ飯沼一家が通りかかった。「おや奇遇ですな、土方さん。あなたもこのホテルにお泊りに?」「ええ。美紀さんの姿を見かけませんね。彼女はどちらに?」「ああ、彼女なら一足先に満州に行きました。医学生の彼と一緒にね。」「ほう。美紀さんも隅には置けませんな。」「ええ、本当に。」飯沼はそう言って口元に笑みを浮かべたが、目は全く笑っていなかった。「それでは、わたしはこれで。」ロビーでチェックインを済ませ、部屋に入った歳三は溜息を吐いてベッドに寝転んだ。歳三が仮眠を取ろうと目を閉じようとした時、ベッドの傍に置いてある電話が鳴った。『土方様、ロビーにお客様がお見えです。』「わかりました、すぐ行きます。」部屋から出て歳三がロビーに向かうと、ソファには大鳥の姿があった。「土方君、久しぶりだね。」「何だ、客ってのはあんたか。」「そんな事言わなくてもいいじゃないか。」「俺は今朝、上海に着いたばかりで部屋で休みてぇんだ。用件なら手短に頼むぜ。」「わかった。満州で僕が医学生の育成に力を入れていることは知っているよね?」「ああ。」「その仕事を、君にも手伝ってほしいんだ。」「はぁ!?」大鳥の言葉に驚いた歳三は、拍子ぬけた声を出してしまった。「大鳥さん、今のは冗談だよな?」「冗談じゃないよ。」「あんたは俺に、半年間医学生のお守をしろっていうのか?」歳三はコーヒーカップをソーサーの上に置くと、そう言って自分の前に座っている大鳥を睨んだ。「そんなに怒らないでよ、土方君。」「怒るも何も・・そういう事は前もって説明してくれよ!」「済まない、ついうっかりしていて忘れてしまったよ。」大鳥はそう言うと、舌を出した。「しっかりしてくれよ、大鳥さん・・」にほんブログ村
2014年04月28日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様(飯沼には確か、息子と娘が居たな・・)「土方様、どうかなさいまして?」「いいえ・・美紀さんとおっしゃいましたね?わたしに何かご用でしょうか?」「ええ。土方様も、満州に行かれるのでしょう?」「そうですが・・もしかして、あなたも?」「はい。父の仕事の都合で、向こうの女学校に転校する事になりましたの。」「それは大変ですね。」「そうでもありませんわ。」「美紀、ここに居たのか。」デッキの出入口から声がして、歳三と美紀が振り向くと、そこには黒の燕尾服姿の青年が立っていた。「お兄様、こちらの方は・・」「あなたが、土方歳三さんですね。」青年はそう言うと、歳三を見た。「初めまして、飯沼隆一と申します。父から、あなたのお話は良く聞いておりますよ。」「そうですか・・」「美紀、お父様が中でお待ちだ。」「わかりました。それでは土方様、御機嫌よう。」隆一は美紀の背を押すと、そのままデッキから去っていった。「美紀、何故あの男に話しかけたりしたんだ?」「別にいいではありませんか。」「良くない。あいつは、お父様の商売敵なんだぞ。気軽にあいつに声を掛けたりするな、わかったな?」「わかりました・・」「お父様には、お前が土方と会ったことは秘密にしておく。」隆一はそう言うと、少し不貞腐れたような顔をしている妹を見た。「美紀、そんな顔をするな。」「わかりました。」 大広間に隆一とともに戻った美紀は、父の傍に一人の青年が立っている事に気づいた。「おう美紀、ここに居たのか。」「お父様、そちらの方は?」「ああ。こちらの方は、松本雄介さんだ。松本さん、わたしの娘の、美紀だ。」「初めまして。」「初めまして・・」「飯沼さんは、何故満州に?」「関東軍の仕事を手伝う為に、満州へ行くんだ。松本君は、何故満州に?」「向こうの診療所で働く為です。」「ほう・・では松本君は、医者の卵か何かかね?」「ええ。昨年東京の医学校を卒業したばかりの駆けだしですが、わたしは自分で出来る限りの事をしようと思っております。」「いい志だ。隆一、お前も松本君を少しは見習ったらどうだ?」「お父様・・」「松本様、わたくしと少しあちらでお話しませんこと?」「ええ、わかりました。」松本青年の手を取り、美紀が大広間から出て行くのを見た飯沼は、溜息を吐いて隆一の方に向き直った。「隆一、お前はいつまで親の脛を齧るつもりなんだ?」「お父様、そういう言い方はないでしょう。僕だって懸命に努力して・・」「口先だけでは何とでも言える。お前が賭博で作った借金の肩代わりをするのは、これで最後だ、わかったな?」飯沼はそう言うと、隆一に千円分の小切手を渡した。「すいません、お父様・・」「おや土方さん、あなたもこの船に乗っていらしたのですね?」「飯沼さん、お久しぶりです。」「土方さんも、満州の診療所でお働きになられるのですか?」「ええ、まぁ・・」「そういえば、先程医学生の松本君とお会いしましたよ。」「そうですか。ではわたしは部屋に戻りますので、これで失礼します。」歳三は飯沼に背を向け、大広間から出て行った。にほんブログ村
2014年04月28日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 六月、とうとう歳三が満州へと発つ日が来た。「あなた、お気を付けて行ってらっしゃいませ。」「ああ、行って来る。千尋、余り無理をするんじゃねぇぞ。」「わかりました。」港で歳三を見送りに来た千尋は、彼にロケットを手渡した。「この中に、写真館で撮った写真と、ピクニックの時に撮った写真が入っております。」「ありがとう。」「お父様、毎日お手紙を書くから、必ず返事を頂戴ね。」「わかったよ、凛子。」「満州から帰って来る時、沢山お土産買って来てね!」「ああ。龍太郎、勝次郎、家の中で男はお前達二人だけなんだから、しっかりと母さん達の事を守るんだぞ、いいな?」「わかったよ、父さん。」「女将さん、千尋達の事を宜しくお願い致します。」「あんたも、向こうで病気になるんじゃないよ。」やがて、出航を告げる鐘の音が港中に響いた。「じゃぁ、もう行くわ。」「あなた、これ船の中で食べてください。」千尋はそう言うと、藤製のバスケットを歳三に手渡した。「有難う、後で食べる。千尋、行って来る。」「どうか、お元気で・・」歳三は千尋達に背を向けると、上海行きの船に乗り込んだ。「お父様、行ってらっしゃい~!」「歳三さん、気を付けてねぇ~!」一等船室のデッキの上で歳三は千尋達に手を振ると、そのままバスケットと荷物を抱えて船室へと入っていった。 歳三の船室は、まるでホテルのスイートルームのような豪華な内装が施され、ベッドや調度品に至るまで全て一流の職人の手で作られた高級品ばかりだった。「土方様、失礼致します。」「はい。」「キャプテンの森井と申します。この度は“白鳥号”にご乗船頂きありがとうございます。午後7時にウェルカムパーティーを開催いたしますので、是非ご出席してくださいませ。」「わかった。」「それでは、失礼致します。」“白鳥号”キャプテン・森井が船室から出て行った後、歳三は船室の窓から美しい水平線を眺めながら、千尋が自分の為に作ってくれたサンドイッチを頬張った。 その日の夜、“白鳥号”の第一等船室の大広間でウェルカムパーティーが開かれた。仕事柄こういった華やかな場には何度も出ている歳三だったが、騒がしい場所は未だに苦手だ。歳三は人で溢れ返っている大広間から出て、人気がないデッキに出た。冷たい潮風が時折自分の頬を撫でるのを感じ、歳三は溜息を吐いてアスコットタイを緩めた。「そんな所で、何をなさっているのかしら?」「そういうあなたこそ、このような所で何をなさっておられるのです?」歳三はそう言うと、自分に話しかけて来た華族の令嬢と思しき女学生に声を掛けた。「別に。あなた、もしかして土方歳三様ではなくて?」「何故、俺の名を知っている?」「兄からあなたの事は色々と聞いておりますわ。」「兄?」「初めまして、わたくし飯沼美紀と申します。以後お見知りおきを。」「飯沼・・」女学生の口から飯沼の名を聞き、歳三の脳裏に甲府で会ったあのいけすかない男の顔が浮かんだ。にほんブログ村
2014年04月27日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「あなた、本当に満州に行ってしまうのですね?」「ああ。」子ども達が寝静まった後、千尋は縁側で歳三と座りながら、溜息を吐いた。「そんなに溜息を吐くと、幸せが逃げるぞ?」「でも・・」「大丈夫だ、半年で帰ってこられるだろうから、腹の子が産まれるまで身体を大事にしろよ。」歳三はそう言うと、まだ膨らんでいない千尋の下腹を帯の上からそっと撫でた。「はい。まだ櫻子が一歳になったばかりですのに、また妊娠するなんて・・」「何も恥ずかしがるような事じゃねぇだろう?」「ええ、そうですけれど・・」「千尋、今度はどっちかな?」「さぁ、わたくしは五体満足に産まれて来るのならどちらでもいいですわ。」「そうか。悪阻の方はどうだ?」「双子を妊娠した時と比べて、酷くはありません。ただ、食事の支度をするのが億劫で・・」「女将さん達に、妊娠の事は言ったか?」「ええ。お腹の子が産まれるまで、姐さん達が食事当番をしてくださるそうです。」「そりゃぁ有り難てぇじゃねぇか。どんどん甘えておけ。」歳三はそう言って千尋に優しく微笑むと、自分の羽織を彼女に掛けた。「そろそろ冷えるから、中に戻ろうか?」「ええ。」 一週間後、歳三は写真館で撮った写真を眺めながら溜息を吐いた。「それ、この前撮ったやつかい?」「ええ。」「半年間も千尋ちゃんと離ればなれだと、何かと不安だろう?」「出来れば満州には行きたくはなかったのですが、どうしてもと大鳥さんから頼まれて、断れなかったんです。」「あんたが留守の間、千尋ちゃんの事はあたしらがしっかり面倒見てやるから心配しないで満州に行っておいで。」菊千代はそう言うと、歳三を励ますように彼の肩を叩いた。「お母様、明日の遠足のお弁当にはサンドイッチを作って下さらない?」「わかったわ。パンに挟む具は何がいい?」「卵とハムがいいわ。」「明日の遠足の用意、ちゃんと出来たの?」「ええ。」「今夜は早く寝ないといけませんよ。」「お休みなさい、お母様。」「お休み、凛子。」 台所で千尋は凛子の遠足に持って行くサンドイッチを作りながら、作業の手を止め、まだ膨らんでいない下腹をそっと撫でた。この子が産まれる頃には、歳三は自分達の元に戻って来てくれるだろうか。「どうしたんだい、千尋ちゃん?」「いえ、何でもありません・・」「歳三さんの事が、そんなに心配かい?」「はい。半年間もうちを留守にするなんて、一度もなかったので・・向こうで何かあったらどうしようかと心配で・・」「大丈夫だよ、きっと歳三さんはあんた達の元に元気な姿で帰ってくるよ。さてと、あたしも凛子ちゃんのお弁当作るのを手伝おうかね?」「まぁ、ありがとうございます。」 翌日、遠足から帰った凛子は千尋に笑顔を浮かべながら彼女に抱きついて来た。「サンドイッチ美味しかったわ、ありがとうお母様。」「そう。遠足は楽しかった?」「ええ。今度お父様と五人で行きたいわ。」「天気が良い日に五人でピクニックに行きましょうね。お弁当はお母様が作るわ。」 数日後、千尋達は長崎市郊外にある公園でピクニックへと向かった。「美味そうなサンドイッチだなぁ。全部お前ぇが作ったのか?」「ええ。お味の方はいかがですか?」「美味い。」「みんなで写真を撮ろうかねぇ、ピクニックの記念に。」「いいですね。」にほんブログ村
2014年04月27日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「今日は良い洗濯日和だねぇ。」「ええ。姐さん、今日お座敷はお休みですか?」「うん。ここのところ働き過ぎだから、たまには休まないと身体を壊しちまう。」『いすず』の裏庭で洗濯物を干しながら、千尋と菊千代がそんな話をしていると、勝手口の戸を誰かが叩く音がした。「すいません、誰か居ませんか!」「はい、今参ります。」洗濯物が入った籠を物干し竿の近くに置いた千尋が勝手口の戸を開けると、そこには軍服姿の青年が立っていた。「どちら様でしょうか?」「わたくし、仁科恭介と申します。土方歳三様はご在宅でしょうか?」「ええ、主人なら奥の部屋で休んでおりますわ。今呼んで参りますので、少々お待ち下さいませ。」歳三はそう言って青年に背を向けると、歳三が居る奥の部屋へと戻った。「あなた、お客様がお見えになりましたよ。」「俺に客?」「ええ・・仁科恭介様とおっしゃる方が、勝手口でお待ちです。」「わかった、すぐ行く。」歳三は口端に垂れた涎を袖口で拭うと、勝手口へと向かった。「お前ぇが、仁科か?俺に一体何の用だ?」「土方様、満州に居る大鳥様からこれを預かって参りました。」青年はそう言うと、歳三に一通の手紙を手渡した。「わざわざご苦労なこった。中で茶でも飲んでいくか?」「いいえ、それには及びません。わたくしはこれで失礼致します。」青年―仁科恭介はそう言って歳三に頭を下げると、彼に背を向けて去っていった。「あなた、そのお手紙は?」「大鳥さんからだ。」「まぁ、そうですか・・」部屋に戻った歳三は、ペーパーナイフで便箋の封を切り、中に入っていた手紙を取り出した。「大鳥様は、何と?」「満州の診療所が人手不足で、ぜひとも俺に満州へ来て欲しいってさ。」「まぁ、それは大変ですわね。どうなさるおつもりで?」「そんな事は、これから考える。」「そうですか・・」「ねぇ千尋ちゃん、最近浮かない顔をしているけれど、どうしたんだい?」「数日前、大鳥さんからお手紙が来て・・歳三様に、満州に来てほしいと・・」「大丈夫だよ、歳三さんはあんたや子ども達を置いて満州に行く筈がないじゃないか。」「そうですね・・」菊千代にそう励まされ、千尋は歳三が満州に行かないだろうと思い、少し安心した。だが―「満州に行くって・・それは、本当ですか?」「ああ。ずっと向こうに居る訳じゃねぇ。半年か一年くらいだ。」「まぁ、そんなに・・」「千尋、そんな顔をするな。俺が留守の間、子ども達の事を宜しく頼む。」「わかりました・・出発は何時ですか?」「六月だ。まだ時間があるから、子ども達には俺から話しておく。」 その日の夜、歳三は子ども達を部屋に集め、満州に行く事を話した。「お父様に、暫く会えなくなるの?」「ああ。凛子、お前はこの中で一番年上なんだから、弟達や妹の世話をちゃんとするんだぞ?」「わかりました・・」「龍太郎、勝次郎、お母様の事をちゃんと聞くんだぞ、いいな?」「はい、わかりました。」「半年なんてあっという間だからな。」歳三はそう言うと、今にも泣き出しそうな顔をしている娘達の頭を優しく撫でた。にほんブログ村
2014年04月26日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 1940(昭和15)年4月、長崎。櫻子が満一歳の誕生日を迎え、『いすず』では彼女の誕生祝いの宴が開かれた。「櫻子ちゃん、結構大きくなったねぇ。」「ええ。大きな怪我や病気をひとつもしないで良かったと思っております。」千尋はそう言って晴れ着姿の櫻子を抱きながら笑った。「ねぇお父様、写真館にはまだ行かないの?」「夕飯を食べてから行くよ。」「やったぁ!」 夕食を『いすず』で済ませた千尋と歳三は、子ども達を連れて丸山町にある写真館へと向かった。「はい、皆さん笑ってください~」「お父様、もう帰ろうよ。」「凛子ちゃん、後少しで終わるから辛抱してね。」「ねぇ、今日撮った写真はいつ出来あがるの?」「一週間後には出来あがるのですって。」「へぇ、そうなんだ。」写真館を出た千尋は、自分の隣を歩く凛子と手を繋ぎながら丸山町を歩いた。「凛子ちゃん、明日からまた学校が始まるわね。お勉強の方はどう、頑張っているの?」「うん。お母様、今度遠足があるからお弁当作ってくれる?」「わかったわ。凛子ちゃんが大好きなおかずを一杯入れてあげるから、楽しみにしていてね。」 歳三と再婚してから一年が過ぎ、千尋は継子である凛子を実の娘以上に可愛がった。凛子も、火事で母と姉を失った心の悲しみを、千尋の優しさで癒され、彼女を実の母親のように慕っていた。「凛子の奴、すっかりお前ぇに懐いているな。」「そうでしょうか?」「一年前、あいつをここに連れて来た時は、余りお前と話すどころか、目を合わそうともしなかったな・・」「ええ。でも凛子ちゃんはすっかり明るくなって、いつも学校から帰ると真っ先にわたしに学校の話をして、櫻子の面倒を見てくれるんですよ。」「下に弟妹が居ると、自然と面倒を見るようになるものなんだなぁ。」歳三はそう言うと、多摩に居る兄や姉達の事を想った。「大鳥さんから、お手紙は届きましたか?」「ああ。満州の診療所は、移住してきた日本人の患者達で連日賑わっていて、毎日目が回るような忙しさだとさ。あの人どこか抜けているところがあるから、満州行きが決まった時、大丈夫だろうかと思ったが・・うまくやってそうで良かったよ。」「そうですね・・時尾さん、暫く店を閉めて、実家にお帰りになるそうですよ。」「そうか。まぁ初めての出産に備えて実家に戻るんだから、仕方ねぇよな。」歳三は紙巻き煙草を咥えると、それに火を付けた。「まぁ、禁煙されたのではなかったのですか?」「まぁな・・ここのところ最近忙しくて・・」「責任ある役職に就かれると、色々と気苦労が絶えませんものね。」千尋はそう言うと、座卓から立ち上がった。「何処に行くんだ?」「お茶を淹れて参ります。煙草よりはいい薬になるでしょう。」「ったく、お前ぇには敵わねぇよ・・」千尋の言葉を聞いた歳三は苦笑し、まだ火がついた煙草の吸殻を灰皿に押し付けた。 縁側から時折部屋に射しこんで来る春の日差しを受け、歳三はいつの間にか壁に凭れて眠ってしまった。「あらら・・これじゃぁお茶を淹れても無駄になりましたわね。」千尋はそう言ってクスクスと笑いながら、寝ている夫の上に羽織を掛けた。にほんブログ村
2014年04月26日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「お母様、お父様がお帰りになられたの?」「ええ。みんな、お父様がお風呂から上がられるまで、お父様の鞄に触れてはいけませんよ。」「はぁい。」 風呂から歳三が上がると、奥の部屋で凛子と双子達が言い争う声が聞こえた。「勝手にお父様の鞄開けちゃ駄目だってお母様から言われたでしょう?」「だって中におみやげが入っているかもしれないじゃないか!」「別にちょっとくらい開けたっていいだろう!」「駄目なものは駄目なの!」「お前ら、何騒いでいるんだ?」 奥の部屋に歳三が入ると、そこには自分の旅行鞄を双子達から守ろうとする凛子の姿があった。「お父様、この子達が勝手にお父様の鞄を開けようとしていたの。」「何でお前らは、俺の鞄を勝手に開けようとしたんだ?」「おみやげが入っているかもしれないって、龍兄ちゃんが言ったから・・」「おい勝次郎、先にそう言いだしたのはお前だろう?」「二人とも、喧嘩をするのは止めろ。土産なら買ってきたぞ。」歳三は溜息を吐いて双子達を見た後、旅行鞄を開けて中身を取り出した。「お父様、ありがとう!」「ねぇ、これからこのベーゴマで遊んでもいい?」「夕飯が終わってから遊べ、わかったな?」「はぁい。」歳三が土産にくれたベーゴマを嬉しそうに双子達が眺めている姿を、凛子は羨ましそうな目で見つけた。「お父様、わたしにお土産は?」「ちゃんとお前にも、買って来たぞ。」歳三は旅行鞄から、赤いリボンが掛かった袋を取り出した。「これ、わたしが前から欲しかったテディベアだ!お父様、ありがとう!」「大事にするんだぞ。」「うん!」袋から真新しいテディベアを取り出した凛子は、笑顔を浮かべながらそれを抱き締めた。「みんな、お夕飯が出来ましたよ。」「お母様、お父様が僕達にベーゴマ買って来てくれたんだ!」「まぁ、それは良かったわね。後で仲良く二人で遊ぶのですよ。歳三様、この一週間色々とお疲れだったでしょう?」「まぁな。それよりもこっちでは何か変わった事はあったか?」「ああ、そういえば天草の病院で歳三様がお世話になった増谷先生からお手紙が届いておりますわ。」「そうか、後で読むとしよう。」「子ども達にお土産を買って来てくださって、有難うございます。」「お前にも土産を買って来たぞ。」「まぁ・・そんな・・」歳三は旅行鞄から長方形の箱を取り出すと、その蓋を開けた。 そこには、大粒の真珠のネックレスが入っていた。「こんな高価な物、頂けません。」「お前には、いつも綺麗でいて欲しいんだ。」歳三は真珠のネックレスを千尋の首に掛けながらそう言うと、彼女の頬にキスした。「どうだ?」「素敵ですわ・・ありがとう。」「なぁ、そろそろ俺の事を名前で呼ぶのは止めてくれねぇか?」「では何とあなたをお呼びすれば宜しいの?」「“あなた”って呼んでくれ。」「わかりました・・あなた。」千尋は歳三に微笑むと、彼の唇を塞いだ。「どうした?お前から俺にキスをするなんて、珍しいな?」「わたくしからのお礼です。」にほんブログ村
2014年04月26日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「あら、よくわたくしに気づいたのね。嬉しいわ。」そう言うと薄紫のドレスを纏った女性―伊東は、嬉しそうに歳三に向かって笑った。「何故、そのような恰好をされているのです?」「わたくしの趣味ですわ。土方様、一曲わたくしと踊って下さらない?」「わかりました・・」「それじゃぁ、行きましょうか?」歳三は渋々伊東の手を取ると、彼と踊りの輪に加わった。「みんながわたくし達の方を見ているわ。」「それはそうでしょう。」「満州行きの話、あなたが嫌ならばわたくしもうしつこくお願いしませんわ。」「それは有り難い。」「まぁ、あなたの代わりといっては何ですけれど、大鳥さんに満州に行って貰おうかしら?」「大鳥さんに?」「ええ。あの方も腕利きの外科医だし、語学も堪能ですもの。それに面倒見がいいから、きっと医学生達の育成にも力を入れてくださることでしょう。」伊東はそう言うと、歳三に向かって不敵な笑みを浮かべた。(こいつ・・一体何を考えていやがる?)「あら、もうダンスの時間が終わってしまったわ。それでは土方様、御機嫌よう。」「あなたとのダンスは、楽しかったです。」「まぁ、ありがとう。」伊東がパーティー会場から出て行くのを見た歳三は、壁に凭れかかって溜息を吐いた。「土方さん、大丈夫ですか?」「まぁな。それよりも斎藤、昨日内海とホテルのティールームで話をしたんだが・・」「その話はまた後にしましょう。」「そうだな。」パーティーは3時間後に終了し、斎藤は歳三を自分の部屋に招き入れた。「伊東とどんな関係にあるのかを、内海は何か言っていましたか?」「いや・・ただ奴とは付き合いが長いとだけ言っていた。」「そうですか。先程伊東と何を話されましたか?」「満州に行くのは、大鳥さんになるそうだ。」「大鳥さんが・・」「ああ。何だか俺の面倒な事をあの人に押し付けるようなかたちになっちまって、ちょっとあの人に申し訳ないと思っているんだ・・」「ご自分をお責めにならないでください、土方さん。」「内海の話によると、満州の治安は悪化の一途を辿っていて、満州に移住してきた日本人と現地の中国人達との間で諍いが絶えないそうだ。」歳三はそう言ってソファの上に腰を下ろすと、ネクタイを緩めて溜息を吐いた。「これから、どうなるのでしょうね・・」「さぁな。ただ、戦争にならねぇよう願うだけだ・・」「明日で、学会が終わりますね。」「ああ。長い一週間だったな。」「ええ、本当に。」 一週間後、歳三は横浜港から長崎行きの船に乗り、帰路についた。「ただいま。」「歳三様、お帰りなさいませ。東京はどうでしたか?」「別に。それよりも風呂に浸かりてぇんだが・・」「もうお湯は沸かしておりますから、どうぞ。」 玄関先で歳三の旅行鞄を受け取った千尋は、それを持って子ども達が待つ奥の部屋に入った。にほんブログ村
2014年04月26日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「わたしにお話とは、何でしょうか?」「実は、伊東さんからどうしてもあなたを満州に呼び寄せて欲しいと頼まれましてね・・」「何度も言いましたが、その話はきちんとお断りした筈です。」歳三はそう言うと、自分と向かい合わせに座っている内海を見た。「伊東さんは、一度狙った獲物はそう簡単に逃しません。どうやら彼は、あなたの事を見初めてしまったようです。」「伊東さんがわたしを見初めた?それは一体どういう意味でしょうか?」「言葉通りの意味です。あの方は、男色家なのです。まぁ、彼とわたしは長い付き合いになりますが、伊東さんはあなたの事を大層気に入ったみたいで・・」「それは困りましたね。わたしは満州に行く気など毛頭ないのですから、内海さんの方から彼を説得してくださいませんか?」「出来る限りの事はしてみます。」内海はそう言って珈琲を一口飲んだ後、歳三を見た。「わたしの顔に何かついていますか?」「いえ・・伊東さんがあなたを見初められたのも、納得がいくなと思いまして。あなたは、絶世の美女と謳われた楊貴妃よりも美しいですね。」「男に美しいと言われても、ちっとも嬉しくありませんね。」歳三はムッとした表情を浮かべながらそう言って内海を見ると、彼は少しバツの悪そうな顔をして俯いた。「申し訳ありません。わたしは思った事をつい口に出してしまう性分でして・・」「まぁ、昔からこの顔の所為で何度か危ない目に遭ってきました。東京の中学に通っていた頃は、色々と級友たちの間で変な噂を立てられたり、下駄箱に収まりきらないほどの恋文が毎日届いたり・・」「色々とご苦労されたのですね。」「ええ。わたしの学生時代の苦労話は隅に置いておいて、一体今満州で何が起きているのですか?」「満州は、今治安が悪化しています。8年前に起きた柳条湖事件から端を発し、昨年7月に起きた盧溝橋事件の所為で日中間の関係は悪化の一途を辿っています。満州には7年前から一攫千金を夢見て多くの日本人たちが移住してきていますが、日本人と現地の中国人達との間で諍いが絶えないとか・・」「そんな危険な場所に参る訳にはいきません。わたしの他にも、医者は日本全国に沢山居るでしょう。」「それもそうですが・・あなたのような語学に堪能な医者は、捜してもなかなか見つからないのだと伊東さんはおっしゃっているのですよ。」「とにかく、わたしは満州には行きたくなどありません。」「わかりました、もう一度伊東さんにその事をお伝えしてみます。貴重なお時間をわたくしの為に割いてくださり、ありがとうございました。」 ホテルを出た内海は、その足で伊東の自宅へと向かった。「まぁ、土方様には満州行きを断られたの?」「はい。治安が悪化している危険な場所に、わざわざ自分が行く必要がないと土方様がおっしゃいまして・・」「そう。あの方が嫌だとおっしゃるのなら、もう無理強いはしませんわ。余りしつこく迫ったら、あの方に嫌われてしまうもの。」伊東はそう言って手鏡で自分の美しい顔を見ながら溜息を吐いた。「ねぇ内海さん、今夜土方様が宿泊されているホテルで医師同士の親睦を深める為のパーティーが開かれるのですって。わたくしをエスコートしていってくださらないこと?」「ええ、喜んで。」「まだ夜まで時間があるから、ゆっくり今夜着るドレスを選ばなくちゃ。」伊東はそう言って手鏡をベッドのサイドテーブルに置くと、クローゼットの扉を開けて今夜パーティーで着るドレスを選び始めた。 その日の夜、歳三が宿泊しているホテルの宴会場「漣(さざなみ)」で、医師同士の親睦を深めることを目的としたパーティーが開かれた。「何だか退屈だなぁ・・」「土方さん、我慢してください。あと三分で終わりますから。」パーティーの主催者である医学校校長の長い挨拶を聞きながら、歳三は必死にあくびをかみ殺していた。 歳三はシャンパングラスを片手に斎藤と色々と雑談していると、そこへ薄紫のドレスを纏った女性が二人の前に現れた。「土方様、今晩は。」「伊東さん?」にほんブログ村
2014年04月26日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 客間の扉越しに両親が喧嘩をしている声を聞いた稔彌の身体が自分の腕の中で強張るのを歳三は感じた。「稔彌君、君のお部屋に行こうか?」「うん・・」歳三は稔彌を抱き、二階にある彼の部屋へと向かった。部屋の壁には、稔彌が描いたと思われる絵が飾ってあった。「この絵、君が全部描いたの?」「いつもひとりでいるから、絵をかくのがすきになったの。」稔彌はそう言うと、歳三を見た。「おじちゃん、おろしてくれる?ぼく、おじちゃんにみせたいものがあるの。」「わかった。」歳三が稔彌を下ろすと、彼は机の上に置かれているスケッチブックを取り、それを歳三に手渡した。「へぇ、上手じゃないか。これ、お父様やお母様には見せないのかい?」「みせたくないもん・・とうさまは、いつもかあさまのことをどなってばっかりいるから、きらいだもん。」稔彌は目に涙を溜めながらそう言うと、歳三に抱きついた。「稔彌君、君のお父様は色々と悩んでいるんだよ。だから苛々して、君の母様に当たっちゃうんだ。」「どうして?」「それは、おじさんにもわからないなぁ・・」「おとなでも、わからないことがあるの?」「そうだよ。稔彌君にはまだわからないけれど、大人でも、色々と悩む事があるんだよ。君のお父様やお母様だって、色んな悩みを抱えているんだ。」「ふぅん、そうなの・・ねぇおじさん、ぼくおなかすいた。」「わかった。じゃぁ下で何か食べようか?」「うん!」 歳三がスケッチブックを抱えた稔彌を抱きながら一階のダイニングに降りると、そこには吉田の姿はなく美彌子だけが座っていた。「まぁ土方様、稔彌の遊び相手をして頂いてありがとうございます。ご迷惑をお掛けしませんでしたでしょうか?」「いいえ、ちっとも。それよりも美彌子さん、これを見てください。」歳三はそう言うと、美彌子にスケッチブックを手渡した。「まぁ、この絵は・・」「全部、稔彌君が描いたものですよ。三歳でこんな繊細なタッチの絵を描ける子はそう居ませんよ。」「わたくし、母親失格ですわね・・稔彌が好きな物を知らないなんて・・」美彌子はハンカチで涙を拭った。「美彌子さん、稔彌君が不安がっています。」「申し訳ありません、みっともないところをお見せして・・」「吉田と何かあったのかは知りませんが、余り自分を責めないでください。稔彌君は普通の子とは少し違うだけですが、それがこの子の個性でもあるのですよ。」「そうですわね・・土方様、今日は来て頂いてありがとうございました。」「こちらこそ、お忙しいのにお招きくださってありがとうございます。」稔彌と美彌子とともに吉田家で昼食を取った歳三は、玄関ホールで二人に見送られながら吉田家をあとにした。「土方様、あちらでお客様がお見えです。」「ありがとう。」 歳三がホテルに戻ると、フロントのロビーに座っていた内海次郎が彼の姿に気づいて立ちあがった。「土方歳三様でいらっしゃいますね?初めまして、わたくしは内海次郎(うつみじろう)と申します。」「土方歳三です。内海さん、わたしに何かご用ですか?」「ええ。少し場所を変えましょうか?ここは、人目がつきますので・・」「わかりました。」歳三は内海次郎とロビーを離れ、3階にあるティールームへと向かった。にほんブログ村
2014年04月26日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「土方さん、どうしました?」「窓際のテーブル席に、伊東が誰かと居る。」「伊東さんが?」斎藤がそう言って窓際のテーブル席を見ると、伊東が誰かと談笑していた。「伊東さんは一体誰と話しているんでしょう?」「さぁな。それよりも斎藤、この店のお勧めはなんだ?」「ハンバーグです。ここの店のハンバーグは、肉汁がたっぷり入っていて美味しいんですよ。」「そうか。」歳三は伊東が誰と話しているのか気になった。「今日、吉田と会ってきた。」「吉田と?」「ああ。息子の事で相談に乗って欲しいと言われてな。」「そうですか・・」「まぁ、明日吉田の家に行って、あいつの息子に会ってみる。」「そうですね・・」歳三と斎藤が食後のデザートを味わっていると、店から伊東が長身の男と出て行くところだった。「あれが、この前お話した内海次郎です。」「あいつが・・」伊東の隣に立っている長身の男―内海次郎は、窓ガラス越しに歳三を見た。「どうかなさったの?」「いいえ・・」「さっきお話しした土方様の事だけれど・・あなたのお力添えで、彼を満州に呼び寄せられないかしら?」「わたしに出来る限りの事は致しましょう。」「ありがとう、あなたって本当に頼りになる方ね。」伊東はそう言って不敵な笑みを口元に浮かべると、内海に抱きついた。 翌日、歳三は吉田子爵邸を訪ねた。「土方歳三様でいらっしゃいますね?」「ああ・・」「若奥様と若旦那様が客間でお待ちです、どうぞ。」 老婦人に案内され、客間に入った歳三は、そこで美彌子と稔麿の一人息子である稔彌に初めて会った。「土方、紹介しよう。この子が、わたし達の息子の、稔彌(としや)だ。」「稔彌君、初めまして。」歳三が腰を屈めて稔彌に挨拶すると、彼は歳三と目を合わそうとせず、客間から出て何処かに行ってしまった。「済まない、あの子に悪気はないんだ。」「いや、謝らなくてもいい。稔彌君を捜して来る。」 客間を出た歳三が吉田子爵邸の中庭を歩いていると、誰かが自分に向かって石を投げつけていることに気づいた。「何処に居るんだ、稔彌君?」歳三はそう言うと、近くの茂みに稔彌が隠れていることに気づき、そっと彼の背後に忍び寄った。「つかまえた!」「なんでわかったの?」「おじさんも昔、お庭で君みたいに隠れんぼしていたから、君が隠れる場所が何処なのかわかるんだ。」「なんだぁ、つまんない。」稔彌を抱いた歳三が客間に入ろうとした時、中から吉田の怒声と美彌子の啜り泣く声が聞こえた。「お前の所為だ、お前の所為で稔彌が自閉症になったんだ!」「やめて、あなた・・」「うるさい!」にほんブログ村
2014年04月26日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「土方、確か君の亡くなった娘さん・・千穂ちゃんといったかな?その子は自閉症だったんだろう?」「何処でそんな事を知った?」「別にいいじゃないか。土方、頼むからわたしの話を聞いてくれ・・」「くどい!」歳三は邪険に吉田の手を振り払った。「土方さん、席に戻りましょう。」「わかった・・」 病院の会議室から出た歳三がトイレに向かうと、そこには吉田も居た。「俺をつけて来たのか?」「そんな訳ないだろう。土方、何処か人目のつかない場所で話そうか?」「ったく、わかったよ・・」「3時に、君が泊まっているホテルのティールームで会おう。」 ホテルに戻った歳三は、部屋で着替えを終えた後、吉田が指定したティールームへと向かった。「待ったか?」「いいや。何か頼むか?」「ああ。珈琲を頼む。」「わかった。」吉田は店員に珈琲を二つ注文すると、歳三の方に向き直った。「君に話したい事というのは、今年三歳になる一人息子の稔彌の事なんだ。」「千尋はあんたの家の乳母にはならねぇよ。」「もうその話は終わった。実は稔彌は、君の千穂ちゃんと同じ病気なのではないかとわたしは思っているんだ。」「千穂と同じ病気・・それって、つまり・・」「ああ、認めたくはないが・・息子が自閉症かもしれないんだ。昨日あの子は、中庭の池で素っ裸になって泳いでいた。それだけじゃない、あの子はいつも落ち着きがなくて、少しでもわたしが目を離すとすぐに何処かへ行ってしまうんだ。」「そりゃぁ、大変だなぁ。」「お願いだ、わたしに少し力を貸してくれないか?」「そう言われても、自閉症は必ず治る病気じゃねぇ・・一生付き合っていかなきゃならねぇもんだ。」「一生?じゃぁ稔彌は死ぬまであのままなのか?」「そうだ。最初俺と紗江子は、千穂の自閉症が大人になれば治るものだと思っていたんだ。だが、その考えが間違っていたことに気づいた。」歳三はそう言うと、珈琲を一口飲んだ。「なぁ吉田、お前これからどうするつもりなんだ?」「一度稔彌を精神病院に連れて行く。知り合いに腕のいい医者が居るんだ。」「へぇ、そいつはぁ誰だ?」「伊東さんの知り合いで、内海って人だ。」その名を吉田の口から聞いた歳三は、思わず珈琲カップを落としそうになった。「どうした?」「いや、何でもない・・吉田、奥さんにはこの事を話したのか?」「話していない。ただあいつには、稔彌がまともじゃないと・・」「自閉症は患者本人よりも、家族が辛い目に沢山遭うんだよ。見た目は普通だが、急に奇声を上げたり走り回ったりする千穂の姿を見て、俺と紗江子はその度に何度周囲の冷たい視線に晒されたことか・・」「わたしは、不味い事を美彌子に言ってしまったのだろうか?」「ああ。お前ぇの話を聞いただけじゃぁわからねぇから、明日にでもお前ぇの家に行く。」「わかった。今日は話を聞いてくれてありがとう。」吉田はそう言うと、伝票を掴んでティールームから出て行った。「斎藤、今夜は何処で食べるつもりなんだ?」「ホテルの近くに美味い洋食店があります、そこで飯を食いましょう。」ホテルの近くにある洋食店に入った歳三は、斎藤とともに奥のテーブル席に座った。「結構いい店だな。」「でしょう?」歳三が店内を見渡していると、彼は窓際のテーブル席に伊東が誰かと座っていることに気づいた。にほんブログ村
2014年04月26日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「中庭が騒がしいから何だろうと思って来てみたら・・美彌子、何故稔彌は裸なんだ?」「あの子が言うには、退屈だから池で泳いだと・・」「お前は母親の癖に、稔彌を止めようとしなかったのか!?」「申し訳ありません・・」「とうさま~!」吉田の顔を見て満面の笑みを浮かべた稔彌は、裸のまま彼に抱きついた。「汚い手でわたしに触るな!」邪険に息子の小さな手を振り払った吉田は、そう言って美彌子と稔彌を交互に睨み付けると中庭から去っていった。「菊、稔彌をお風呂場に連れて行って頂戴。」「かしこまりました、お嬢様。」菊はそう言うと、今にも泣き出しそうな顔をしている稔彌を宥めながら、彼の小さな手をひいて中庭から去って行った。「きく、どうしておとうさまはぼくやかあさまにつめたいの?」「それは、坊ちゃまが突飛な行動ばかりされて、お母様達を困らせるからですよ。」「とっぴってなに?」「坊ちゃま、余りお母様を困らせてはいけませんよ。」 浴室で稔彌の身体を洗いながら、菊はそう言って彼に微笑んだ。「あなた、今日のお帰りは何時頃になりますの?」「わからん。夕飯は外で済ますから、作らなくていい。」「わかりました・・お気を付けて行ってらっしゃいませ。」「美彌子、稔彌はいつもあんな行動を取っているのか?」「いいえ・・わたくしにもわかりません。」「一度あの子を精神病院で診て貰え。あの子はまともじゃない。」吉田はそう言って玄関ホールで自分を見送りに来た美彌子の方を一度も振り返らずに、子爵邸から出て行った。「土方様、またお会いしましたわね。」「どうも・・」「満州行きのお話、あれから考えてくださったかしら?」「伊東さん、その話は昨夜終わった筈だが?」学会二日目の朝、歳三は病院の会議室で伊東に満州行きの話を振られて彼にそう答えると、彼は怪訝な表情を浮かべた。「わたくし、昨夜一言もあなたの事を諦めるとは言っていなくてよ。」伊東はそう言って歳三の隣に座ると、そっと彼の内腿を軽く撫でた。「それよりも吉田君の息子さんの事、お聞きになった?」「ああ、その事ですか・・確か、今年の二月に産まれたばかりだとか・・」「あら、そんな筈がありませんわ。吉田君の息子さんは今年で三歳になるのよ。」「それは、本当ですか?」「本当よ。わたくし、一度吉田君の息子さんとお会いしたのだけれど・・あの年頃の子って落ち着きがないのかしら、わたくしと吉田君が話している間、ずっと部屋中を走り回っていましたわ。」「そうですか・・」「それでは、御機嫌よう。」伊東はそう言うと歳三に手を振って会議室から出て行った。「土方さん、おはようございます。」「おはよう。」歳三は斎藤に挨拶すると、後ろの方の席に座っている吉田の前に立った。「吉田、ちょっと話がある。俺と一緒に来い。」「話ってなんだい?ここでは出来ない話かい?」「お前ぇ、どうして俺と千尋に嘘を吐いた?さっき伊東の野郎から、お前ぇの息子の事を聞いたぜ。」「ああ、その話か。」吉田はそう言うと、口端を上げて笑った。「何が可笑しいんだ?」「別に。君と奥さんに嘘を吐いた事は謝るよ。土方、少しは僕の話を聞いてくれないか?」「お前ぇと話す事は何もねぇ。」にほんブログ村
2014年04月25日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「美彌子(みやこ)、今日の味噌汁の味は何だ!?」 吉田は自宅のダイニングで朝食の味噌汁を一口啜ると、そう叫んで味噌汁が入った器を美彌子に向かって投げつけた。「旦那様の為に、京風の味付けにしてみたのですが、お気に召しませんでしたでしょうか?」「朝からこんな不味い味噌汁をわたしに食わせて、一体どういうつもりだ!」「申し訳ありません・・」吉田から怒声を浴びせられた美彌子は、ただ彼に向かって平謝りするしかなかった。「お前という女は、本当に何も出来ないんだな!これだから、公家娘を貰うのは嫌だったのに・・」吉田はそう言って舌打ちすると、美彌子を睨んだ。「何を突っ立っているんだ、さっさと片付けないか!」「はい、わかりました・・」「若奥様、どうぞ。」「ありがとう。」女中から布巾を受け取った美彌子は、床の汚れを拭いた。「稔麿、あなた今日も美彌子さんに怒鳴ったんですってね?」「母上、何処からそのような事を聞いたのですか?」「それはあなたには関係ないでしょう。あなた、もう少し美彌子さんに優しく出来ないの?新婚だというのに、お前は美彌子さんに対して優しい言葉を掛けてやるどころか、いつもあの子に対して酷い事ばかり言って・・」「わたしだって、美彌子に毎日怒鳴りたくありませんよ、母上。でも、彼女の気配りが足りないから、いつも苛々してしまうのですよ。」「稔彌(としや)ちゃんがあんな風じゃなかったら、少しはあなたも美彌子さんに優しくしてあげられるのにねぇ・・」そう言って吉田の母・倫子(みちこ)は溜息を吐きながら珈琲を一口飲んだ。「若奥様、火傷の方は大丈夫ですか?」「ええ、大丈夫よ。こんなもの、冷やせば治るわ。」吉田に味噌汁を掛けられ、右腕を火傷した美彌子は、台所に戻ると火傷で赤く腫れた右腕を冷水に浸けた。「お嬢様、こちらにいらっしゃったのですか?」美彌子の乳母・菊は、主の赤く腫れた右腕を見て悲鳴を上げた。「まぁ、その火傷はどうなさったのです?」「若旦那様が、味噌汁を若奥様に・・」「お可哀想なお嬢様。吉田家に嫁いでからというもの、あの方はお嬢様に酷い仕打ちばかりなさる。もうこの家を出て、京の家にお戻りになられたら宜しいのに・・」「菊、わたくしがこの家から出ても、何処にも帰る場所がないということは知っているでしょう?」「それもそうですが・・」「それに、この家に稔彌を置いて出て行くことなど出来ないわ。」「お嬢様・・」菊の目が涙で潤んだのを見て、美彌子は幼少のころから自分を世話してきた乳母を悲しませてしまっていることに胸を痛めた。「若奥様、稔彌坊ちゃまがお部屋に居ません!」「まぁ、何ですって!ちゃんとあの子が行きそうな所は捜したの!?」「ええ・・」「お嬢様、わたくしも一緒に稔彌坊ちゃまを捜します!」 菊とともに台所から出た美彌子は、一人息子の稔彌を捜しに行った。稔彌は、中庭の池で素っ裸になって泳いでいた。「まぁ、稔彌坊ちゃま!何故そのようなお姿に?」「だって、たいくつなんだもの。」「いけませんよ稔彌、早く服を着て。」「いやだ、まだあそびたい。」「お願いだから、お母様の言う事を聞いて頂戴、稔彌!」「これは一体何の騒ぎだ!?」美彌子の背後から、憤怒の表情を浮かべた吉田が現れた。にほんブログ村
2014年04月25日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「土方君、何故君がここに居るんだい?」「それはこっちの台詞だ。」歳三はそう言って座卓から立ち上がると、吉田を睨んだ。「あら、土方様と吉田さんはお知り合いなのかしら?」「知り合いもなにも、土方君とは医学校時代の同期生でしてね。彼とは色々とありまして・・」「まぁ、そうなの。土方様、お客様がお着きになられたことだし、座ってくださいな。」伊東に軽く窘められ、歳三は舌打ちして座卓の上に腰を下ろした。「それで?俺達をこんな所に呼び出して何の用だ?」「実はねぇ、土方様と斎藤君にお願いがあってこちらに呼びましたの。」「お願い?」「満州は今、医師不足が深刻なんですってよ。腕が立つ医学生達を満州に行かせているんだけれど、みんな使い物になる前に帰国してしまうんですって。そこで、あなた方二人が満州に来てくれれば、助かるのだけれど・・」「断る。斎藤は新婚だし、俺には産まれたばかりの娘が居る。他を当たってくれ。」「あら残念。じゃぁもうあなた方にはお帰りになってくださって結構よ。」「それじゃぁ、ご馳走さん。」座卓から再び立ち上がった歳三は乱暴に上着を肩に掛けると、そのまま部屋から出て行った。「ったく、あいつと食うと飯が不味くなったぜ。」「そうですね。土方さん、申し訳ありません・・わたしが伊東さんの誘いを断っておけば・・」「謝るな。それよりも斎藤、伊東と結託している精神科医ってのは何処のどいつだ?」「確か、内海次郎という男です。病院の理事長の親族だとか・・」「へぇ、それじゃぁますます怪しいなぁ。」 神楽坂の料亭から出た歳三と斎藤は、そのまま宿泊先のホテルに戻った。 翌朝、二人がホテル内のレストランで朝食を取っていると、そこへ吉田が妻と思しき女性を連れてレストランに入ってきた。「おや、奇遇だね土方君。斎藤君も。」「おはようございます、吉田さん。そちらの方は、奥様ですか?」「ああ。妻の美彌子(みやこ)だ。美彌子、二人にご挨拶なさい。」「は、初めまして・・」吉田の妻・美彌子は、おどおどとした表情を浮かべた後、歳三と斎藤に向かって頭を下げた。「妻から聞きましたよ、息子さんをご出産されたとか?」「え、ええ・・」少し歯切れが悪い美彌子の言葉に、歳三は彼女に対して不信感を抱いた。「美彌子、もう行こう。」吉田はそう言って妻の華奢な肩を抱くと、歳三達に背を向けて彼らから離れたテーブル席に座った。「何だか吉田さんの奥様、様子が変でしたね?」「ああ・・妙におどおどしていて、まるで何かに怯えているようだったな。」歳三は珈琲を飲みながら、吉田夫妻が座っているテーブル席の方を見た。「美彌子、あの二人に余計な事を喋るんじゃないぞ、いいな?」「はい、わかりました・・」「それでいいんだ。」吉田はそっとテーブルの下で妻の太腿に爪を立てた。「もう出ようか?」「はい。」レストランから出た歳三は、斎藤の部屋に入った。「伊東の話、あれは本当なのか?」「ええ。伊東の悪事を裏付ける証拠をわたしは握っています。」「その証拠を俺に見せてくれないか?」「・・わかりました。」にほんブログ村
2014年04月24日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「土方さん、お久しぶりです。」「斎藤、久しぶりだな。」 学会が行われている病院の会議室で、歳三は斎藤と再会した。「時尾さんと結婚したんだってな?おめでとう。」「ありがとうございます。報告が遅れてしまって申し訳ありません。」「いや、別に謝らなくてもいいさ。今度千尋と三人でお祝いさせてくれよ。」「わかりました。時尾にそう伝えておきます。」「あら、誰かと思ったら斎藤君じゃないの?」「伊東さん・・」斎藤は、自分と歳三の前に現れた一人の医師の顔を見て少し顔を強張らせた。「そちらの素敵な方はどなたなのかしら?ぜひともわたくしに紹介させていただきたいものだわ。」斎藤から伊東と呼ばれたその医師は、斎藤から歳三へと視線を移した。(なんだ・・)ねっとりと絡みつくような伊東の視線を受け、歳三は肌が粟立った。「土方さん、こちらはわたしと同じ職場の病院で働いている伊東甲子太郎先生です。」「初めまして、土方です。」「あなたが、医学校を首席でご卒業なさった土方さんね?初めまして、伊東甲子太郎と申します。」伊東はそう言うと、歳三に微笑んだ。「土方さん、今夜お近づきのしるしとして一杯付き合っていただけませんこと?」「申し訳ありませんが伊東さん、わたしは下戸なものでして・・」「あら、残念ね。でも、下戸でも少しくらいはお飲みになられるでしょう?」自分をしつこく飲みに誘う伊東に、歳三は嫌なものを感じた。「伊東さん、いい加減にしてください。」「あらあら、わたくしとしたことが・・それではお二人とも御機嫌よう。」伊東はそう言うと、歳三に微笑んで会議室から出て行った。「斎藤、あの伊東って野郎は一体何者なんだ?」「あの人は、赤坂にある病院で外科医として働いているのですが・・かなりの曲者だそうですよ。」「へぇ・・」「噂によると、同じ病院に勤務している精神科医と結託して、健康な人間を病人に仕立てて閉鎖病棟に強制入院させているそうです。」「そうか・・」斎藤の話を聞きながら、歳三の脳裏に自閉症となった千穂が怜子によって精神病院に強制入院させられ、四肢をベッドに縛り付けられている姿が浮かんだ。「何だって伊東はそんな事を?」「さぁ・・恐らく、金目当てでしょうね。伊東とその精神科医が懇意にしている華族の方々が毎年多額の寄付を病院にしていると聞いております。」「へぇ・・」学会が終わり、会議室から出てきた斎藤と歳三の前に、再び伊東が姿を現した。「学会はもう終わりましたわね。」「伊東さん、しつこいですね。わたし達はあなたとは飲みに行かないとおっしゃった筈です。」「そんなつれないこと言わないで頂戴。一度だけでいいから付き合ってよ、ね?」結局二人は伊東に半ば押し切られるようなかたちで、神楽坂の料亭に連れて行かれた。「今夜は、特別なお客様をお呼びしているのよ。」「特別なお客様、ですか?」「ええ。もうすぐこちらに着かれると思うわ。」伊東はそう言って思わせぶりな笑みを口元に浮かべながら、猪口に注がれた酒を一口飲んだ。「お客様がお着きになられました。」「失礼致します。」襖が開き、部屋に吉田が入ってきた。にほんブログ村
2014年04月24日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「ええ。櫻子はまだ手が掛かる月齢ですし、お断りしようと思っております。」「その方がいい。双子達の世話は俺や女将さんたちがしてくれているが、櫻子はまだ乳飲み子だ。吉田の息子がどうなろうが、知ったこっちゃねぇ。」歳三は吐き捨てるような口調でそう言うと、溜息を吐いた。「歳三様、ひとつお聞きしても宜しいでしょうか?」「何だ?」「吉田様とは、一体どのようなご関係だったのですか?この前吉田様がこちらに居らした時、歳三様はとても嫌そうな顔をしていらしたので、気になってしまって・・」「あいつとは、医学校時代の同期だったが、あいつと俺の関係は余り良くなかった。吉田の実家は名のある子爵家で、あいつの父親は医学校に多額の寄付をしていたんだ。その所為か医学校の教師どもは吉田の機嫌を取る事ばかりに必死になって、あいつが試験で落第しねぇように試験問題を見せたり、小論文の問題を見せていたりしていたんだ。」「まぁ、それは許されない事ですわ。他の医学生の方は、吉田様に対してどんな態度を取っていらしたのですか?」「吉田の周りには、あいつの実家に媚を売ろうとする取り巻き達しか居なかった。殆どの医学生達は、俺みてぇに吉田の事を軽蔑し、あいつを相手にしなかった。俺の後輩だった奴らも、吉田の事を嫌っていたな。」歳三はそう言った後、少し冷えた茶を一口飲んだ。「俺は吉田の事なんざ気にも掛けずに、毎日勉強ばかりしていた。試験が終わった後、学校の教室の前にある掲示板に試験の成績が張り出されるんだが、いつも一番は俺だった。その事で一度、吉田を懇意にしている教授から説教されたことがあるんだ。」「どのような事を言われたのですか?」「“少しは吉田に手加減して、彼に一番を取らせろ”と言われたのさ。俺はそんな馬鹿馬鹿しい事は出来るかとその教授に向かって啖呵を切って、そいつの部屋から出て行った。その後だ、吉田の親が俺の家に抗議の電話を入れたのは。 息子を試験で勝たせようとしないのは、お宅の教育が悪いからだ―そう親父は吉田の親から受話器越しに言われて、親父は“あなたのご子息が馬鹿なのは、お宅の教育が悪いからでしょう。”と返して電話を切っちまったそうだ。」「まぁ、そんな事があったのですね。」吉田と歳三の関係が余り芳しくないものだと知った千尋は、明日吉田家の乳母の話を正式に断ろうと決めた。「吉田様、わざわざお忙しい中お呼び立てしてしまって申し訳ありません。」「いいえ、こちらこそ千尋さんに無茶なお願いをしてしまって、申し訳ないです。今日わたしに会いに来て下さったのは、昨日のお話のお返事をしにいらしたのでしょう?」「ええ。大変心苦しいのですが、今回のお話はお断りしようと思っております。まだ下の櫻子は手がかかる月齢なので、吉田様のご子息のお世話まで手が回らないと思います。」「わかりました。東京で療養している妻にはそう伝えましょう。」「では、わたくしはこれで失礼致します。」長崎市内のホテルのロビーで吉田と会い、彼の頼みを断った千尋は、彼に頭を下げるとそのままホテルを後にした。「千尋、吉田の頼みはちゃんと断って来たか?」「ええ。それよりも歳三様、明日は東京で学会がおありなのでしょう?」「ああ。一週間東京に行くから、留守を頼む。」「わかりました。」子ども達が寝静まった後、千尋は台所で歳三に吉田の頼みを断った事を話した。「なぁ千尋、最近体調はどうだ?」「何も変わった事はありませんが・・それがどうかなさいましたか?」「いや・・この前、お前ぇの中に沢山出しちまったから、もしかしたらデキちまっているんじゃねぇかと思ってな・・」「まぁ・・」歳三の言葉を聞いた千尋は、羞恥で顔を赤く染めた。「行ってらっしゃいませ。」「ああ、行って来る。」 翌朝、千尋と子ども達を長崎に残し、歳三は学会に出席する為に東京へと向かった。にほんブログ村
2014年04月24日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「千尋ちゃん、昨夜はどうだった?」「どうといわれましても・・」「夫婦二人きりの時間を過ごして、楽しかったかい?」「ええ。」「あんたの兄さんは、いい男だねぇ。ああ、兄さんじゃなくて旦那様だったね。」菊千代はそう言うと、台所の前に置いてある柱時計を見た。「あんた、もうすぐ仕事の時間じゃないかい?」「すいません・・後の事をお願いできますか?」「わかったよ。気を付けて行っておいで。」「行って参ります。」 着替えを済ませた千尋は台所の勝手口から外に出て、職場である『白虎』へと向かった。「女将さん、遅れてしまって申し訳ありません。」「まぁ千尋さん、そんなに謝らなくてもいいわよ。これからお店を開けるところだから、来てくれて助かったわ。」「何かお手伝いする事はありませんか?」「流しの近くに置いてあるお茶碗を布巾で拭いて欲しいの。」「わかりました。」割烹着をかけた千尋が台所の布巾で洗った茶碗を拭いていると、店に吉田が入ってきた。「いらっしゃいませ。」「ここに土方千尋さんという方が働いていると聞いたんだが・・」「まぁ吉田様、わたくしに何のご用ですか?」千尋がそう言ってカウンター越しに吉田に声を掛けると、彼は口端を上げて笑った。「君に、ひとつ頼みたい事があるんだが・・」「何でしょう、わたくしに頼み事というのは?」「実はわたしの妻が、二月に息子を出産してね。でも乳の出が悪くて、このままだと息子が死ぬかもしれないんだ。」「まぁ、それはお気の毒ですね。奥様は、どうなさっておいでですの?」「妻は乳の出が悪い事を気に病んでしまって、東京の実家に戻って療養しているよ。千尋さん、一度妻に会って、あなたが息子の乳母となることについて彼女と話し合ってくれないだろうか?」「まぁ・・」突然の吉田の申し出に、千尋はどう返事をしたらいいのか困ってしまった。「吉田様、この事はわたくし一人だけでは決められないので、後で夫と相談させていただきます。」「わかった。お昼がまだだから、ここで食べて行こうかな。」吉田はそう言って千尋に微笑むと、茶を一口飲んだ。「ねぇ千尋さん、吉田さんのお話、お受けするの?」「それはまだ決めておりません。吉田様の奥様を助けてさしあげたいのははやまやまですけれど、わたくしにも子ども達がおりますし・・」「そうよねぇ、急に乳母になってくれって言われても、即答できないわよねぇ。」 吉田が『白虎』から出て行った後、千尋は時尾と吉田の乳母となる事を話していた。「時尾さん、明日お休みを頂けないでしょうか?」「わかったわ。お店の事は心配しないで。」「ありがとうございます。」 『白虎』を出て一度家に戻った千尋は、奥の部屋で仕事をしている歳三の前に正座した。「歳三様、お話したい事がございます。」「何だ?」「実は先程、吉田様が『白虎』にいらして、わたくしに息子の乳母になってくれと頼まれました。」「それは、本当なのか?」にほんブログ村
2014年04月24日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様性描写有です。苦手な方はご注意ください。「お前ぇ、飲み過ぎじゃねぇか?」「そんなに飲んでいませんよ、歳三様ったら大袈裟なんだから。」歳三とホテルで食事をしながら、千尋はついワインを飲み過ぎて泥酔してしまった。「もう帰りましょうか?」「ああ、そうだな・・」千尋が椅子から立ち上がろうとすると、彼女は身体を左右に大きく揺らしながらテーブルに倒れ込んでしまった。「大丈夫か?」「ええ・・」「このまま帰るのは無理そうだから、部屋を取るか・・」千鳥足の千尋を支えながら、歳三は昇降機に乗り込んだ。「ここでじっとしていろよ?」「はぁい、わかりました。」 ロビーで部屋の鍵を受け取った歳三は、ソファに横たわっている千尋を横抱きにして、そのまま部屋へと向かった。「ったく、こんなに酔っ払うまで飲んぢまって・・お前がこんなに酒癖が悪いなんて思ってもみなかったよ。」千尋をベッドの上に寝かせた後、歳三はそう彼女にこぼすと溜息を吐いた。「歳三様、何処に行かれるんですかぁ~?」「フロントに水を貰いに行くだけだ、すぐに戻る。」「嫌だぁ、行かないでぇ~!」千尋はそう叫んでベッドから降りると、歳三の腰にしがみついた。「おい、離れろ!」「嫌ですぅ、一緒に寝ましょうよ~!」千尋は歳三をそのままベッドの上に押し倒した。「おい千尋、しっかりしろ!」「何言っているんですか、わたくしはしっかりしていますよ~!」完全に呂律が回っていない状態で何を言う―歳三がそう思いながら千尋を見ると、彼女は突然帯紐を緩め始めた。「おい、何していやがる?」「何だか暑くってぇ・・」千尋はそう言うと、帯を解いてあっという間に襦袢姿になった。「歳三様も脱いでください~!」千尋の手がズボンのベルトに掴むのを見た歳三は、彼女の手を慌ててベルトから退かせた。だが千尋は再び歳三のベルトを掴んでそれを外すと、ズボンのチャックを下ろして下帯の上から歳三のものを触った。「ねぇ、しましょうよ~!」「ったく、仕方ねぇな・・」歳三は千尋を抱き寄せ、彼女の唇を塞いだ。千尋はアルコールの所為で興奮しているのか、襦袢を脱ぎ捨てて全裸になって歳三の上に跨った。「今日のお前ぇは大胆だな?」「だって、いつも子ども達の事が気になって二人でこんな事出来なかったから・・」歳三が千尋の股間に顔を埋めて彼女の膣を舐めると、そこから甘い蜜が溢れ出て来た。「お願い、歳三様のものが欲しい・・」「お前この前子ども産んだばかりだろう?何でお前のものは嫌らしい汁でびしょ濡れなんだ?」「焦らさないでぇ・・」「俺ももう限界だ。」歳三は乱暴にネクタイを外してシャツを脱ぎ、下帯を解いて全裸になると、千尋の上に覆い被さった。その日の夜、千尋と歳三は激しく互いの身体を貪り合った。「おはよう、千尋。」「おはようございます、歳三様・・」「今更恥ずかしがるこたぁねえだろう?」「でも、恥ずかしい・・」千尋はそう言った後、シーツで顔を隠した。にほんブログ村
2014年04月23日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 歳三と結婚した千尋は、彼との間に出来た三人の子ども達と、歳三と先妻・紗江子との間に出来た娘の凛子を分け隔てなく育てた。はじめは継母である千尋に警戒し、余り彼女に心を開かなかった凛子だったが、次第に千尋の優しさに触れ、凛子は千尋のことを“お母様”と呼ぶようになっていた。「凛子ちゃん、最近明るくなったねぇ。」「ええ。長崎に来た時、あの子は私に対しても心を閉ざしていて・・これからどうなるのだろうかと思っていましたが、凛子が元気になったのは、千尋のお蔭です。」歳三はそう言うと、庭で凛子と遊んでいる千尋を見た。「千尋ちゃんは、よく出来た子だよ。自分の子ども達を育てるのも大変なのに、血が繋がらない継子にも気を遣って・・傍から見ると、千尋ちゃんと凛子ちゃんはまるで本当の親子のようだねぇ。」菊千代はそう言って茶を一口飲んだ。「すいません、どなたかいらっしゃいませんか?」「わたくしが出ます。」中庭で凛子と遊んでいた千尋が玄関先へと向かうと、そこには一人の青年が立っていた。「あの、どちら様ですか?」「すいません、わたくしはこういう者です。」青年はそう言って千尋に微笑むと、彼女に一枚の名刺を手渡した。「九州医大のお医者様が、うちに何の用でしょうか?」「実はわたくし、東京の医学校で土方さんと同期生でして・・土方さん、ご在宅でいらっしゃいますか?」「少々お待ち下さいませ。」青年から受け取った名刺を握り締めながら、千尋が奥の部屋に戻ると、歳三が双子達と遊んでいた。「歳三様、東京の医学校の同期生の方がお見えになっております。」「何処のどいつだ?」「先程、名刺を頂いたのですが・・」千尋が歳三に青年の名刺を渡すと、歳三の眉間に皺が寄った。「そいつはまだ玄関先に居るのか?」「ええ・・」「お前は奥で待っていろ。」「わかりました。」 歳三が玄関先へと向かうと、そこには東京の医学校で同期だった吉田稔麿が立っていた。「やぁ、久しぶりだね、土方。さっきの方は、君の奥さんかい?」「てめぇ、ここに何しに来やがった?」「別に。君の顔が見たくなっただけさ。君、再婚したのかい?」「ああ。何も用がねぇんなら、帰ってくれねぇか?」「相変わらずつれないな、君は。せめて茶を一杯くらいくれないか?」「てめぇのその図々しさは昔から変わってねぇな。さっさと帰らねぇと、塩撒くぞ!」「わかったよ、帰ればいいんだろう?」吉田はそう言って舌打ちすると、そのまま『いすず』から出て行った。「歳三様、お話は終わりましたか?」「ああ。なぁ千尋、今夜は子ども達を女将さんに預けて二人で食事に行かねぇか?」「まぁ、そんな・・女将さんにも予定があるのですから。」「千尋、別に遠慮なんか要らないよ。あんたの子ども達はあたしにとっちゃ実の孫みたいなものだからね。たまには夫婦二人でゆっくりしておいで。」「それじゃぁ、お言葉に甘えさせていただきます。」 その日の夜、千尋は歳三とともに長崎市内のホテルで夕食を取った。「何だか、こうして歳三様と二人きりで過ごすのは久しぶりですね。」「ああ。こうしていると、昔の事を思い出しちまうな。」「ええ。遼太さんは、お元気でしょうか?」「あいつは、死んだ。」「そうですか・・」「千尋、一杯付き合え。」「ええ。」にほんブログ村
2014年04月23日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「そろそろ、凛子ちゃんの学校の事を決めねばなりませんわね。」「ああ。俺は、凛子を活水女学校に行かせようと思っているんだ。」「そうですか。義兄様がお決めになられたのなら、わたくしは反対致しません。けれど、凛子ちゃんが学校に馴染めるかどうか・・」「そうだな、それが一番心配している事なんだ。あいつはここへ来てから、一言も喋っていないし・・」「お医者様は、焦らずに凛子ちゃんを見守ってやるべきだとおっしゃっておられたのでしょう?凛子ちゃんに早く喋るよう無理強いしては、逆効果になりますわ。」千尋が歳三と凛子の学校について部屋で話していると、突然奥の部屋から櫻子の泣き声が聞こえた。「おい、どうした?何があったんだ?」「凛子ちゃんが、いきなり櫻子ちゃんの髪を引っ張ったんだよ!」千尋と歳三が奥の部屋へと向かうと、そこには泣き叫ぶ櫻子を必死にあやしている菊千代と、網代籠の前で座り込んでいる凛子の姿があった。「凛子ちゃん、どうしたの?」千尋は、凛子の両足の間から尿が滴り落ちていることに気づいた。「姐さん、櫻子の事を少し宜しくお願いしますね。」自分の服が汚れるのを構わずに、千尋はそう言って凛子を抱き上げると浴室に向かった。「今、綺麗にしてあげますからね。」水で濡らした手拭いで凛子の身体を優しく拭きながら、千尋はそう言うと彼女に微笑んだ。「ありがとう・・おかあさん。」「凛子ちゃん・・」 その日の夜、千尋は凛子と一緒に風呂に入った。「わたし、櫻子ちゃんが羨ましかったの・・わたしのお母様は、もう居ないから・・」「そう。凛子ちゃんは寂しかったのね。でもこれからは、わたしが凛子ちゃんのお母さんの分まで凛子ちゃんを愛してあげますからね。」千尋は母を亡くした凛子の悲しみを知り、かつて自分が母を亡くした幼い頃の自分の姿と彼女の姿を重ね合わせていた。「まぁ、可愛らしいこと。」活水女学校初等科の入学式に出席した千尋は、着物に袴姿の凛子を見ながら嬉しそうに目を細めた。「お母様、早く来て~!」「はいはい、そんなに手を引っ張らなくても、お母様は何処にも行きませんよ。」西陣の帯を締め、加賀友禅の訪問着に身を包んだ千尋は、凛子と手を繋ぎながら入学式が行われる講堂へと向かった。「お友達と仲良くお勉強するのですよ、いいですね?」「わかりました、お母様。」そんな二人の姿を遠くで眺めながら、歳三は思わず頬が弛んだ。「凛子はすっかり、お前に懐いているな。一体どんな魔法を使ったんだ?」「何も魔法なんて使っておりません。ただ凛子ちゃんの傍に寄り添っていただけですわ。」 入学式の日の夜、千尋は凛子の七五三の晴れ着を縫いながら、そう言って歳三を見た。「やっぱり、女の子には母親が居ねぇと駄目なんだなぁ。」「そんな事はありませんよ。わたくしは母を亡くしましたが、お父様がわたくしに母の分まで沢山の愛情を注いでくれました。それに、義兄様もわたくしを妹として愛して下さいました。」千尋は針仕事の手を止めると、そう言って歳三に抱きついた。「どうしたんだ、いきなり抱きついて来て?」「義兄様・・歳三さん、わたくしと結婚して下さいませんか?」「ああ。お前を一生、幸せにするよ。」 歳三と千尋は、新緑薫る五月に浦上天主堂で結婚式を挙げた。純白のウェディングドレスに身を包んでいる千尋の隣には、満面の笑顔を浮かべた歳三が立っていた。にほんブログ村
2014年04月22日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 櫻子を抱いた千尋が玄関先へと向かうと、そこには小さな女の子を連れた歳三の姿があった。「義兄様、その子は?」「こいつは俺の娘の、凛子だ。」「凛子ちゃんっていうのね、こんにちは。」千尋はそう言って玄関先で腰を下ろし、凛子に笑みを浮かべたが、凛子は千尋に対して警戒心をあらわにして歳三の背中に隠れてしまった。「千尋、凛子は母親を亡くしたばかりなんだ。気を悪くしないでくれ。」「わかりました。義兄様、凛子ちゃんは何処に寝かせますか?」「俺達と同じ部屋でいいんじゃないか。」「そうですね。」その日、凛子は初めて千尋と彼女の子ども達とともに夕食を囲んだ。「とうさま、りゅうにいさまがぼくのことぶったぁ!」「ぶってなんかいないもん!」「二人とも、食事中に騒ぐのは止めなさい!」卓袱台を挟んで喧嘩をする双子達を千尋は厳しく叱ると、夕食に箸をつけていない凛子の隣に座った。「どうしたの、お腹空いていないの?」千尋の問いに、凛子は無言で立ち上がって部屋から出て行ってしまった。「俺が様子を見てくる。」歳三はそう言うと、凛子の後を追った。 凛子は中庭にある石灯籠の前に蹲って泣いていた。「凛子、こんな所に居たら風邪をひくだろう。みんなと一緒にご飯を食べよう。」歳三がそう言って凛子の手をひこうとした時、彼女は歳三を睨みつけたかと思うと、彼の手の甲を噛んだ。「凛子!」凛子は歳三の脇を擦り抜けて厠に入ると、内側から鍵を掛けてそこに閉じこもってしまった。「凛子ちゃんは?」「あいつなら、厠に閉じこもっちまった。一体何が気に喰わないんだか・・」「義兄様、凛子ちゃんを怒らないでやってくださいませ。あの子は、辛い思いをしてきたのですから。」「わかってるよ・・」夜になっても、凛子は厠から出て来なかった。 部屋で千尋が子ども達と寝ていると、突然歳三が彼女の乳房をまさぐってきた。「何をなさいます、おやめくださいませ。」「いいだろう、減るもんじゃねぇんだから。」歳三はそう言うと、千尋の乳首を指の腹で擦った。「あぁ、だめぇ・・」千尋の乳首の先端から、母乳が滴り落ちた。歳三は千尋の乳首を咥えて勢いよく彼女の母乳を吸った。二人が暫く布団の中で乳繰り合っていると、千尋の隣で寝ていた櫻子が目を覚まして空腹を訴えた。「まぁ、起こしてしまったわね。」「俺もお前のおっぱいを吸ってやろうか?」「わたくしをからかわないでくださいませ。」千尋はそう言って歳三の頭を平手で軽く叩くと、布団から出て櫻子に授乳した。凛子は、父の隣で横になりながら、千尋が櫻子に授乳をする姿をじっと見ていた。「凛子ちゃん、朝ごはんが出来ましたよ。」 翌朝、布団の中に包まって寝ている凛子にそう声を掛けた千尋は、そのまま彼女を起こさずに歳三達が集まる部屋へと向かった。「凛子はどうした?」「まだ寝ております。暫く経ったら起きてくると思いますよ。」千尋の言葉通り、歳三達が朝食を食べ終える頃に凛子が部屋に入ってきた。「凛子ちゃん、お味噌汁熱いから食べる時は気を付けてね。」千尋がそう言って凛子の前に味噌汁が入ったお椀を置くと、彼女は胸の前で両手を合わせた後、箸を取って味噌汁を啜り始めた。「今日は、朝飯を食べてくれたな。」「ええ。」洗い場で凛子の茶碗を洗いながら、千尋は彼女が少しずつ自分に対して心を開き始めていることに気づいた。にほんブログ村
2014年04月22日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「歳三さん、あなたにお話があるの。」「何でしょうか、お義母さん?」 歳三が紗江子の実家に向かうと、彼は紗江子の母・優香子に呼ばれて彼女の部屋に入った。「あなた、再婚する気はなくて?」「いいえ。凛子の事がありますし、再婚はまだ考えておりません。」「あらそう・・あなたには、千尋さんという方がいらっしゃるんですものねぇ。再婚なんて、したくないわよねぇ。」「お義母様、言いたい事があればはっきりとおっしゃってください。」「あなた、凛子を引き取るつもりなら、千尋さんと再婚なさい。」「お義母様、わたしと千尋との関係が露見した時、あんなに紗江子に離婚を勧めたではありませんか?それなのに、何故今になってそのような事をおっしゃるのです?」「実はね、上の息子夫婦がわたくし達と同居する事になったの。息子の嫁・・和代さんは、凛子とは一緒に暮らしたくないそうよ。」「そうですか・・」「紗江子があんな事になって、息子は・・直喜はわたくし達のことを心配してくれて同居するって言ってくれたけれど、和代さんは姪っ子の世話をするのは嫌だと言い張ってねぇ・・」「そういう事情ならば仕方がありませんね。凛子はわたしが引き取ります。」「早いうちに、千尋さんと再婚なさい。母親が居ないと、女の子は何かと大変だからね。」「わかりました。」優香子の部屋から出た歳三は、凛子が居る子ども部屋へと向かった。「凛子、入るぞ?」歳三がそう言ってドアをノックすると、凛子がノックを返してきた。彼が子ども部屋に入ると、室内は足の踏み場もないほど散らかっていた。「凛子、もう朝飯は食べたのか?」ベッドで寝ていた凛子は、歳三の言葉に首を横に振った。「腹減っただろう?父様が何か作ってやろうか?」歳三がそう言って凛子の肩に触れようとした時、彼女は激しく咳込んだ。「どうした、凛子?」娘の小さな背中を擦った歳三は、彼女が喘息の発作を起こしていることに気づいた。「お義母様、凛子が発作を起こしました!」「まぁ、何ですって?」 喘息の発作を起こした凛子を、歳三は車で病院へと連れて行った。「環境の変化に上手く適応できずに、ストレスを抱えてしまって、それが発作を引き起こしてしまったのでしょう。」「先生、娘は最近母親と姉を失ったショックで話せなくなってしまったんです。」「今のままでは、娘さんは一生話せなくなるかもしれません。思い切って環境を変えることが大事です。」「そうですか・・」病院から帰宅した歳三は、優香子に凛子を長崎に連れて行く事を話した。「そう・・父親のあなたと一緒なら、あの子の病気も少しはよくなるでしょうね。」「お義母様、短い間でしたが凛子の事を面倒見てくださってありがとうございました。」 数日後、歳三は退院した凛子を連れて帰宅した。「そうか、凛子を連れて長崎に行くのか。千尋は、その事を知っているのか?」「ええ。今朝千尋から手紙が届きました。凛子の為に、力になってやりたいと・・」「歳三、余り焦るんじゃないぞ。」「わかっています、お義父さん。」 その日の週末、歳三は凛子を連れて長崎へと向かった。「ここが、お前と父様が暮らす家だよ。」歳三に手をひかれ、凛子が『いすず』の玄関先に立っていると、奥から赤ん坊を抱いた若い女性が出て来た。「義兄様、お帰りなさいませ。」にほんブログ村
2014年04月22日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「歳三、起きろ。」「今、何時ですか?」「もう10時半だ。お前、昨夜はウォッカをラッパ飲みしていただろう?」「すいません・・」「お前が今、辛い思いをしているのはわかる。だがな、お前よりも凛子の方がもっと辛い思いをしているんだ。」篤俊はそう言うと、歳三の肩を叩いて書斎から出て行った。「坊ちゃま、朝ごはんはお召し上がりになりますか?」「ああ。」「そうですか。ではお茶漬けを作って参ります。」ダイニングルームで二日酔いに苦しんでいる歳三の前に水を入れたグラスを置くと、睦は台所へと向かった。「ねぇ睦、あんたこれからどうするんだい?」「なんですか文代さん、藪から棒に。」「若奥様が亡くなられた今、あんたが坊ちゃまと再婚すればいいんじゃないのかい?」「まぁ、冗談は止して下さいな。わたしは坊ちゃまと結婚するつもりはありませんし、坊ちゃまには千尋お嬢様がいらっしゃるのですから・・」「千尋お嬢様と、坊ちゃまは出来ていたのかい?」「ええ。若奥様から少しお話をお聞きしましたが、千尋お嬢様と坊ちゃまとの間に三人もお子さんが居るんですって。」「へぇ~、坊ちゃまは聖人君子のような方だと思っていたけれど、やることはやっていたんだねぇ!」女中達はゲラゲラと下品な笑い声を台所に響かせながら、それぞれの仕事に戻った。「社長、お久しぶりです。」「山崎君、久しぶりだね。」歳三が遅い朝食を取っていると、ダイニングに遠山青年を連れた山崎が入ってきた。「奥様の事はお聞き致しました。余り気を落とさないでください。」「ああ。俺は、自分の事よりも凛子の事が気にかかって仕方がねぇんだ。あいつは、火事で紗江子と千穂を失ったショックで話せなくなっちまったんだ。」「それは・・お辛い事ですね。」「昨日、紗江子の実家に行って凛子と会ったが、あいつは俺の事を避けていた。俺は、あいつに嫌われちまったのかな・・」「時間が経てば、凛子ちゃんの心の傷も癒えることでしょう。それまで、焦ってはいけません。」「わかったよ。」歳三はそう言って茶漬けを平らげると、山崎の隣に立っている遠山青年を見た。「遠山、仕事の方はどうだ?」「はじめは慣れないことばかりで大変でしたが、山崎さんが懇切丁寧に仕事を教えて下さって、今はもう仕事に慣れました。」「そりゃぁ良かった。だがな、仕事に慣れれば、ちょっとしたことでミスをすることがある。一度でも気を抜くんじゃねぇぞ、わかったな?」「はい、肝に銘じます。」「ではわたくしたちはこれで失礼致します、社長。」山崎と遠山青年は土方本家を出ると、車で会社へと向かった。「山崎さん、この間先輩達が社長は長崎で女を囲っているという噂を耳にしましたが、それは本当なのでしょうか?」「ああ。社長が囲っている女は、社長の義理の妹の千尋様だ。」「義理の妹、ですか?」「社長とは血が繋がっていない兄妹になるが、複雑な事情があって千尋様は土方本家の娘として育てられた。」「じゃぁ、社長の奥様が亡くなられた今、千尋様が社長の後妻となられるのですか?」「それはわからないな・・」にほんブログ村
2014年04月22日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「兄さん、大変だよ!」「菊千代さん、どうしたんですか?」「さっき、東京から電報が届いて・・兄さんの家で火事が起きて、奥さんと上のお嬢ちゃんが焼死したって・・」「それは、本当なのですか!?」菊千代から電報を受け取った歳三は、甲府の家で火事が起き、紗江子と千穂が焼死した事を知った。「千尋、済まねぇが俺は東京に戻らないといけねぇ・・」「わかりました。お気を付けて行ってらっしゃいませ。」 数分後、旅行鞄を提げた歳三は、東京行きの船に乗った。「歳三、帰って来たな。」「義父さん、凛子は?」「あの子は、紗江子さんの実家に居る。甲府の家で火事が起きた時、凛子は学校に行っていって無事だったが・・千穂ちゃんが熱を出して、紗江子さんは千穂ちゃんの面倒を見る為に家に居て・・」「そうですか・・義父さん、凛子に会ってきます。」 紗江子の実家へと向かった歳三は、紗江子の両親から衝撃的な事実を知った。「凛子が一言も話せない?それは一体どういうことですか?」「あの子は火事のショックで、口が利けなくなってしまったんだ。」「凛子は、俺が引き取ります。」「それは駄目だ。凛子は、わたし達にとって大切な孫だ。君は長崎の千尋さんの元に帰りたまえ。」「そんな・・」「紗江子から、千尋さんがまた君の子を産んだ事を知ったよ。紗江子は千尋さんの事を許してはいたが、君と離縁したがっていた・・」「それは、本当なのですか?」「ああ。歳三君、凛子はわたし達が責任を持って育てる。だから、もうこの家には来ないでくれ。」舅の残酷な言葉を受け、歳三は暫くその場に呆然と立ちつくしていた。 母と姉を火事で失った凛子は、精神的なショックを受けて言葉を話せなくなってしまった。「凛子ちゃん、夕食が出来ましたよ。」ドアの外から祖母の声が聞こえ、凛子は一枚のメモをドアの下に滑らせた。“食べたくない”「凛子の様子はどうだ?」「あの子、夕食はいただかないそうよ。あなた、このままだとあの子死んでしまうわ。」「焦ってはいかん。凛子が言葉を取り戻すまで、気長に待つとしよう。」「ええ・・」 紗江子と千穂の四十九日の法要を終えた歳三は、その足で凛子の元へと向かった。「凛子、お父様だよ。」凛子は熊のぬいぐるみを抱き締めたまま、祖父母の傍から一歩も動こうとしなかった。「凛子、おいで。」そう言って歳三が凛子を抱きしめようとすると、彼女は突然泣き出した。「歳三さん、今夜はおうちにお帰りになってくださる?」「はい・・」帰宅した歳三は、篤俊と書斎で酒を飲んだ。「歳三、凛子の事だが・・」「あの子は、心を閉ざしてしまいました。俺は、あの子が俺に助けを求めようとしている時に傍にいなかった。あの子はきっと、俺の事を恨んでいるのでしょうね・・」「そんな事はない。自棄を起こすな。」「自棄など起こしていませんよ。」歳三はそう言うと、グラスの中に注がれていたウォッカを一気に飲み干した。にほんブログ村
2014年04月21日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 千尋が産んだ女児は、櫻子(さくらこ)と名付けられた。「まぁ、可愛らしい子だね。」菊千代はそう言うと、網代籠の中で眠っている櫻子の頬を指で突いた。「双子ちゃん達は、どうしているんだい?」「歳三様が、二人と遊んでくださっています。」「ねぇ千尋ちゃん、仕事の方はどうするんだい?」「暫くお休みいたします。」千尋は会津若松市出身の時尾が営む小料理屋・白虎で働いていた。「まぁ、女将さんもわかってくださるだろうさ。」「ええ・・」「ごめんください、時尾です。」「あら、噂をすれば来たね。」 産室で千尋が産まれたばかりの櫻子に授乳をしていると、そこへ時尾が入ってきた。「あら千尋さん、可愛い赤ちゃんね。」「時尾さん、お仕事の方なのですが、暫くお休みしても宜しいでしょうか?」「いいに決まっているじゃないの。今はゆっくりと休んでね。」「ありがとうございます。」「とうさま、おうまさんやって~!」「おうまさん!」「おいおい二人とも、もうお馬さんは出来ねぇぞ。」産室の外から賑やかな声が聞こえたかと思うと、歳三に跨った双子達が産室に入ってきた。「まぁ二人とも、お父様を困らせてはいけませんよ。」千尋がそう言って双子を睨むと、彼らはバツの悪そうな顔をして俯いた。「助かったよ、千尋。あいつらと遊ぶのは楽しいが、腰が痛くて堪らねぇ。」千尋の隣に腰を下ろした歳三は、そう言って痛む腰を擦った。「お父さんに久しぶりに会えて、嬉しいんだろうねぇ。」「そうですね。」「兄さん、東京のご家族には櫻子ちゃんの事を伝えました?」「ええ。紗江子に先程、電報を出しました。」「そうですか。ねぇ歳三さん、少し外でお話しません?」「はい。」「歳三さん、これから千尋さんをどうされるのですか?」「どうされるとは?」「このまま、千尋さんを妾として囲っておくつもりなのですか?」「千尋は、俺の家庭を壊すつもりはない、たまに長崎に来てくれるだけでいいと俺に言ってくれました。その言葉を、俺は信じたいと思います。」「千尋さんは、あなたに心配を掛けさせたくないからそう言っているんですよ。本当は、歳三さんとずっと一緒に暮らしたいと思っているんです。」「時尾さん・・」「他人の事に口を挟むなんて図々しいかと思うかもしれませんが、これだけは聞いて下さい。三人のお子さん達の将来の為にも、千尋さんとの事を真剣に考えてください。」「わかりました・・」 翌日、千尋が奥の部屋で櫻子の襁褓(むつき)をかえていると、歳三が部屋に入ってきた。「すまねぇ・・」「いいえ、もう終わりましたから大丈夫ですよ。歳三さん、どうしたのですか?」「いや、お前ぇに渡したい物があって、来たんだ。」「わたくしに渡したい物。」「ああ。」歳三はそう言うと、ズボンのポケットから指輪が入った箱を取り出した。「これは・・昔、歳三さんがわたしに贈ってくださった物ですよね?」「ああ。なぁ千尋、お前ぇとは籍を入れることは出来ねぇが、形だけでもちゃんとしてぇんだ。」歳三は千尋の左手の薬指に、ダイヤモンドの指輪を嵌めた。「ありがとうございます、歳三さん。」「お前の笑顔が見られて、良かった。」歳三と千尋が抱き合っていると、菊千代が何やら慌てふためいた様子で部屋に入ってきた。にほんブログ村
2014年04月21日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 3年後―1939(昭和14)年春、長崎。 天草での任期を終えた歳三は、病院で世話になった草田看護婦長や増谷医師らに港で見送られながら、千尋達が住む長崎へと向かった。「とうさま!」「かあさま、とうさまがきたよ!」旅行鞄を提げた歳三が『いすず』の玄関先に姿を現すと、奥の部屋から3歳になる龍太郎と勝次郎が彼の元へと駆け寄ってきた。「二人とも、元気にしていたか?」「ねぇとうさま、おみやげは?」「おみやげはないんだよ、すまないね。」「何だ、つまんないの!」「二人とも、お父様を困らせてはなりませんよ。」千尋は玄関先で騒いでいる双子達をそう窘めると、歳三の前で三つ指をついた。「お久しぶりでございます、歳三様。」「千尋、そんな事をしたら腹の子に障るだろう?」「ですが・・」「とうさま、ぼくたちといっしょにあそんでよ!」「あそんでよ!」「わかったよ。」歳三は双子達に半ば急きたてられるようにしながら、奥の部屋へと向かった。部屋に入ると、窓の近くに千尋が産まれて来る赤ん坊の為に縫った襁褓(むつき)が置かれていた。「狭い所で、申し訳ありません。」「いや、いいんだ。それよりも、腹の子の具合はどうだ?」そう言うと歳三は、千尋のせり上がった下腹を撫でた。「順調です。お医者様のお見立てによると、お腹の子は女の子だとか。」「そうか。余り無理をするなよ?」「はい。今お茶を淹れてきますね。」「いや、いい。俺が淹れてくる。」歳三はそう言って奥の部屋から出ると、台所へと向かった。「あらぁ兄さん、久しぶりだねぇ。」「ご無沙汰しております、菊千代さん。」「さっき双子ちゃん達に会っただろう?最近あの子達やんちゃになってねぇ、少しあたし達が目を離すとどっかにいっちまって、困ったもんさぁ。」「そうでしょうね。千尋の様子はどうですか?」「双子ちゃん達を妊娠している時と比べて、少し落ち着いているように見えたけど・・出産は人それぞれだからねぇ。」「そうですか・・」「東京のご家族には、千尋ちゃんの事を知らせたのかい?」「ええ。妻には数日前、手紙を出しました。妻は自分の事のように大層喜んでおりました。」「できた奥さんを貰って、良かったねぇ。」「ええ。」歳三が菊千代とそんな話をしながら千尋達が居る部屋へと戻ると、千尋が苦しそうに下腹を押さえて呻いていた。「どうした?」「産まれるかもしれません・・」「あたし、産婆さんを呼んでくるよ!」「とうさま、かあさましんじゃうの?」「母様は死なないよ。今母様は、赤ちゃんを産もうとしているんだよ。」千尋が苦しげに呻いているのを見て怯える双子達に、歳三はそう言って彼らを落ち着かせた。 その後、産婆と共に戻ってきた菊千代に身体を支えられ、千尋は産室に入った。「ねぇ、まだあかちゃんうまれないの?」「まだかかると思うよ。お前達が産まれた時、三日もかかったんだぞ。」隣室から母の呻き声を聞いた双子達は、無事に赤ん坊が産まれて来るよう願った。「元気な女の子だよ!」千尋が元気な女児を産んだのは、彼女が産室に入ってから二日後のことだった。にほんブログ村
2014年04月21日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「あなたは、一生土方歳三の愛人として生きてゆくのですか?」「それは、あなたには関係のない事です。」「綺麗な簪ですね。」直樹は千尋の髪を飾っている紅珊瑚の簪を触った。「この簪は、どなたからの贈り物ですか?」「歳三様からの贈り物です。」「あなたは、本当に土方さんの事を愛しておられるのですね。」「ええ。」「あなたが土方さんと共に生きることを決めたのなら、僕は何も言いません。」直樹はそう言って溜息を吐いた後、ソファから立ち上がった。「御機嫌よう、お元気で。」「御機嫌よう。」ホテルから去って行く直樹の背中を、千尋は静かに見送った。「ただいま戻りました。」「直樹、千尋さんと会ってきたんだろう?良い返事は貰えたのかい?」「母さん、今回の縁談はなかったことにしていただきたいのです。」「あんた、それ本気で言っているのかい?」「はい。」「まぁ、あんたにあの子は勿体ないと前から思っていたんだよ。あんたはまだ若いんだ、縁談がひとつ壊れたことくらいで、どうってことないさ。」 直樹から千尋との縁談が壊れた事を知った芳枝は、そう言うと煙管を口に咥えた。「お義母様、夕飯の支度が出来ました。」「あらそう。じゃぁ、お部屋に運んでおいて頂戴な。」「わかりました。」兄嫁・蕗子(ふきこ)が部屋に入って来ると、先程まで上機嫌だった芳枝の顔色が突然曇った。蕗子と芳枝の仲が、あまりよくない事を直樹は知っていた。 直樹の兄であり、“やませ”の跡取りとなる筈だった勇太郎が不慮の事故で亡くなり、未亡人となった蕗子は幼い娘を抱えて実家に帰ることも出来ず、そのまま夫の実家で暮らしていた。「蕗子さん、あんたもう実家に帰ったらどうだね?勇太郎が死んで、もうあたしらに義理立てする必要はないだろう。」「いいえ、お義母様。わたくしは、“やませ”の若女将として粉骨砕身お義母様に尽くすおつもりでおります。」「それが、あんたの本心かい?」「はい・・」「言っておくけれど、あたしはあんたの事を今日から“やませ”の女中として扱うから、そのつもりでいるんだね?」「はい、わかりましたお義母様。」「口の利き方に気をつけな!あんたとはもう嫁姑の関係じゃなくなったんだ。これからはあたしの事を、“女将さん”とお呼び!」「はい、女将さん・・失礼致します。」 蕗子が部屋から出て行った後、直樹は芳枝を見た。「母さん、義姉さんに余り辛く当らないでください。」「あの女は男を産まなかったんだ。もう嫁でも何でもないよ。」「母さん・・」「直樹、あたしはあんただけが望みなんだよ。勇太郎が死んで、この“やませ”の跡を継ぐのはあんただけなんだ。」芳枝はそう言うと、直樹の頬を撫でた。「あたしを余り失望させないでおくれ。」「そうかい、山瀬様との縁談を断ったのかい・・」「おかあさんの顔に泥を塗るような真似をしてしまい、申し訳ありません。」「謝るのはあたしの方さ。あんたの気持ちを解っていながら、あんたに山瀬様との結婚を無理強いしちまったんだからねぇ。」千尋から直樹との縁談を断った事を知ったきよは、そう言うと煙管の中に溜まっていた灰を火鉢の中に捨てた。「あんた、その簪はどうしたんだい?」「義兄様・・歳三様がわたくしに買ってくださいました。」「あんたの髪によく映えるね。大事にしな。」「ええ。」にほんブログ村
2014年04月21日
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六時間目は、家庭科だった。「あ~あ、俺だけ一人で数学の補習かよ・・」「平助、そんなに落ち込まなくても・・」課題のフィナンシェを作りながら、千尋はそう言うと落ち込んでいる平助の肩を叩いた。「千尋、昼休みに土方先生の所に行ったんだろう?二人きりで何の話をしたんだ?」「それは、秘密。」「何だよ、教えてくれよ~」「平助、口を動かすよりも手を動かしたらどうだ?」平助の隣に立っていた斎藤一は、そう言って平助を睨んだ。「これ、土方先生喜んでくれるかなぁ?」 放課後のHR前、千尋はそう言いながら家庭科の授業で作ったフィナンシェを見た。「美味そうだなぁ・・」「平助にも後で一個あげるから・・」「サンキュー。」放課後、千尋は教室に残り、数学の補習を受ける平助に付き合った。「すまねぇな、千尋。お前にまで残って貰って・・」「いえ、いいんです。土方先生、これ家庭科の授業で作ったんで、食べてください。」「ありがとう、丁度小腹が減っていたところだったんだ。」笑顔を浮かべながら歳三が千尋からフィナンシェを受け取るのを見た平助は、二人の関係はまだ続いているのではと思った。「おい平助、何ボサッとしていやがる。さっさと課題のプリント解け!」「はいはい、わかりましたよ・・」「ったく、お前ぇは暇さえあればすぐにサボろうとしやがるから、気が抜けねぇな。」歳三はそう言うと、木刀を床に打ちつけた。「先生、プリント全部解けたぜ~」「おう、平助よく頑張ったな。もう帰っていいぞ。」「じゃぁ、さようなら~」平助は補習から解放され、ショルダーバッグを肩に掛けて教室から出て行った。「先生、僕に何か話があるって・・」「ああ。なぁ千尋、お前は俺の事をどう想っているんだ?」「どうって・・先生の事を一人の男として尊敬しています。」「それだけか?」「ええ・・」「嘘吐くんじゃねぇ。お前ぇは昔から、嘘を吐く時に鼻に皺を寄せるだろう?」「そんな・・」「千尋、正直に言え。俺の事をどう想っているんだ?」「僕は、今でも土方先生の事を・・歳三さんの事を好きです。」千尋は歳三にそう言うと、歳三に抱きついた。「歳三さんは、琴子さんのものになったけど・・それでも、僕はあなたの事を諦められません!」「千尋、よく言ったな・・」歳三はそう言うと、千尋の唇を塞いだ。「お帰りなさい、随分遅かったのね。」「ああ。生徒の補習に付き合っていて、少し遅くなっちまったんだ。」「へぇ・・あなたって、そんなに生徒思いだったのねぇ。」夕飯前に帰宅した歳三を、琴子はそう言って彼に冷ややかな視線を送った。「どうした?」「別に。明日高校の同窓会があるから、美砂の世話を宜しく頼むわね。」「わかった。」この頃、琴子は美砂の世話を歳三に任せては、外出ばかりしている。「ありがとう、それじゃぁお休み。」琴子はそう言って歳三に背を向けると、寝室から出て行った。 翌朝、歳三は美砂の泣き声で目を覚ました。「どうした?」何処か美砂の様子がおかしいことに気づいた歳三は、彼女を近くの総合病院に連れて行った。にほんブログ村
2014年04月20日
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「僕に聞きたいことって、何ですか?」「お前・・実の母親に連絡を取った事はあるか?」「いいえ。僕、あの人とはもう親子でも何でもありません。それが、どうかしたんですか、先生?」「実はな、昨日俺の家にお前の実の母親から電話があったんだよ。」「えっ・・」千尋が驚愕の表情を浮かべるのを見た歳三は、内心臍を噛んだ。「嫌がらせが今後も続くようなら、警察に言おうと思っているんだが・・」「好きにして下さって結構です。僕は、あの人とは何も関係がありませんから。」「そうか。」「先生、お昼まだですか?お弁当、作ってきたんですけど・・」「ありがとう。」千尋は歳三の言葉を聞いて嬉しそうに笑うと、鞄から弁当箱を取り出した。「美味そうな弁当だな・・いつもこれ、お前が作っているのか?」「ええ。中学の時から、自分の弁当は自分で作っています。母から“今時の男の子は家事が出来ないと駄目だ”って言われているので・・」「ふぅん、そうか。千尋、進路の事なんだが・・」「まだ、決めていません。大学に進学するか、それとも就職するのか・・両親と話し合って、時間を掛けて自分で進路を決めたいと思います。」「わかった。俺達が色々進路の事を言っても、最終的に決めるのはお前だからな。」歳三はそう言うと、千尋が作ったミートボールを食べた。「美味いな、これもお前の手作りか?」「いいえ、冷凍食品です。いつもお弁当のおかずは全部手作りの物にしようと決めているんですけれど、時間がなくて・・」「冷凍食品の方がいいさ。何も全部手作りのおかずに拘らなくてもいいんじゃないか?」「そうですね。」「料理教室には通っているのか?」「いいえ、全て独学です。本屋でお弁当のレシピ本とかを買って、それを見ながら色々と作っています。最近では、お菓子作りにハマっています。」「へぇ、そうか。」「こんな事をしたら、先生の奥さんに悪いですよね・・」千尋はそう言うと、俯いた。「お前、まだ琴子の事気にしているのか?」「ええ・・」「あいつの言う事をいちいち真に受けるんじゃねぇよ。あいつは、お前に嫉妬しているだけなんだから。」歳三はそう言って千尋を慰めると、彼の頭を撫でた。「先生、それじゃぁまた。」「ああ。」 昼休みが終わり、数学準備室から出た千尋が教室に戻ると、平助が一冊の週刊誌を持って千尋の元へ駆け寄ってきた。「なぁ千尋、これお前の兄さんだろう?」「うん・・」平助に見せられた週刊誌のゴシップ記事には、真紀と若手俳優Sの熱愛疑惑が書かれていた。「この記事に書かれてあること、本当なのかな?」「嘘っぱちだよ、こんな記事。」「だよなぁ。」平助はそう言うと週刊誌を閉じて、それをゴミ箱に捨てた。「なぁ千尋、今日の放課後カラオケにでも行かねぇ?」「いいね。」「おっしゃぁ!」「平助、今日の練習サボるんじゃねぇぞ!」「え~!」「てめぇ、数学の宿題忘れた癖に練習サボる気か?」歳三はそう言うと、平助を睨んだ。「平助、頑張れ・・」「あ~あ、俺一人だけ数学の補習受けるのかよ・・」「荻野、お前も付き合え。」「え、僕もですか?」「ああ。まだお前には話があるからな。」「わかりました。」にほんブログ村
2014年04月20日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様(この野郎、わざと俺を挑発していやがるな。)「山瀬様、申し訳ありませんが、そのお話はまたの機会にしていただけないでしょうか?」「わかりました。では千尋さん、僕はこれで失礼致します。」直樹はそう言って千尋の手を握って居間から出ると、『いすず』から出た。「母さん、ただいま戻りました。」「あら直樹、あんた一体何処へ行っていたの?」「千尋さんに会ってきました。それに、千尋さんの義理のお兄様にもお会いしてきました。」「そうかい。それで、千尋さんはあんたと結婚するって言ったのかい?」「いいえ・・暫く時間をくれと言われました。」「ふん、そんな事だろうと思ったよ!あの雌狐、あんたを散々焦らしてあんたを袖にするつもりなんだろうねぇ。」「母さん、そんな事は言わないでください。千尋さんにだって色々と事情があるのですから・・」「ふん、東京の資産家の妾になっただけじゃないか!直樹、その千尋の義理の兄さんとやらの顔は、ちゃんと見て来たんだろうね?」「ええ。かなりの美男子でした。男の僕が嫉妬するほどの。」「へぇ、そんな色男だから、あの雌狐はころりとその兄さんとやらに孕まされたんだろうねぇ。」“やませ”の女将・芳枝は、そう言うと煙管の中に溜まっていた灰を火鉢の中に捨てた。「母さん、千尋さんとの事は僕に任せてください。余計な口出しはしないでください、いいですね?」「わかったよ。」「千尋、これなんかどうだ?」「まぁ、これも可愛いですね。」千尋は雑貨店の中で、可愛い簪を手に取りながらどれを買おうか迷っていた。「どうした?」「この二つ、どちらも可愛いのですが・・お金がないし・・」「遠慮するな、俺が二つとも買ってやるよ。」「まぁ、いいのですか?」「いいに決まっているだろう。」帰宅後、千尋は早速歳三に買って貰った簪を髪に挿した。「あらぁ、可愛い簪だこと。兄さんに買って貰ったのかい?」「ええ。何だか双子を産んでから外出するのが久しぶりで、帰りが遅くなってしまいました。」「たまには気晴らしに外出してもいいじゃないか。双子達はあたしと女将さんがみてあげるからさ。」「まぁ、ありがとうございます。」「それよりも千尋ちゃん、縁談はどうするんだい?」「縁談は、お断りしようと思っています。山瀬様はいい方ですが、わたくしが想うのは、義兄様ただ一人です。」「そうかい。あんたがそう決めたのなら、あたし達はもう何も言わないよ。」 数日後、千尋は直樹と長崎市内のホテルで会う事になった。「すいません、お待たせしてしまいましたか?」「いいえ、今来たところですから・・」「僕にお話とは、何でしょうか?」「大変申し訳ないのですが・・今回の山瀬様とのお話は、なかったことにさせていただきたいのです。」「そうですか。今朝あなたからお手紙を頂いた時、あなたからお断りの返事が来るだろうと思っていました。」直樹はそう言うと、少し冷めた紅茶を一口飲んだ。「ひとつだけ、お聞きしても宜しいでしょうか?」「何ですか?」「あなたは、これからどうなさるおつもりなのですか?」「それは、どういう意味ですか?」にほんブログ村
2014年04月19日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「そうかい、千尋ちゃんが産後鬱にねぇ・・あの子、双子ちゃん達が生まれてからずっと寝ずにおっぱいやったり、一晩じゅうあやしていたりしていたから、疲れが溜まったんだろうねぇ。」 歳三から千尋が産後鬱に罹っている事を知った菊千代は、そう言うと溜息を吐いた。「暫くこちらに滞在しますので、宜しくお願い致します。」「うちは女ばかりだから、助かるよ。」その日の夜、龍太郎の夜泣きが聞こえた歳三は布団から出ると、龍太郎を背負って裏口から外に出た。「あんまり泣いたら、母ちゃんが起きちまうだろう。」背中を揺らしながら歳三がそう言って龍太郎をあやしていると、彼はいつの間にか眠ってしまっていた。「すいません、お休みのところを起こしてしまって・・」「いや、いいんだ。お前ぇはまだ寝てろ。」「はい・・」 双子の世話は、歳三が思っていた以上に大変なものだった。毎晩二人が同時に泣き始めると、歳三は龍太郎を背負い、勝次郎を抱きながら外で彼らをあやしていた。「義兄様、昨夜もありがとうございました。」「礼を言われるほどのことはしてねぇよ。それよりも千尋、少し痩せたんじゃねぇか?」「ええ・・あの子達を産んでから、少し食欲がなくて・・」「そうか。」歳三達が居間で朝食を取っていると、玄関先から誰かが戸を叩く音がした。「すいません、誰か居ませんか?」「はい、ちょっとお待ちくださいな。」「こんな朝早くから、誰だろうねぇ?」「さぁ・・」歳三が味噌汁を啜っていると、居間に一人の青年が入ってきた。「千尋、こちらが山瀬直樹さんだよ。」「まぁ、山瀬様・・初めまして。」「こちらこそ、初めまして千尋さん。朝早くから伺ってしまって、申し訳ありません。」「いいえ・・あの、わたくしに何かご用ですか?」「ええ。千尋さんと結婚を前提にしたお付き合いをしたいと思いまして、こちらにご挨拶に伺ったのです。」「まぁ・・そうですか・・」「千尋さん、そちらの方は?」老舗料亭“やませ”の次男坊・直樹は、そう言うと歳三を見た。「こちらの方はわたくしの義理の兄の、歳三様です。」「初めまして。」「どうも、土方歳三です。」そう言って直樹と歳三は握手を交わしたが、二人は互いに睨み合ったままだった。「あなたが、双子達のお父様ですか?」「ええ。事情があって千尋達とは離れて暮らしていますが・・俺にとって千尋は、妻同然の存在です。」「あなたのお噂は色々と聞きましたよ。東京に妻子がありながら千尋さんを孕ませて、長崎で囲っているとね。」直樹の言葉の端々には刺があった。「そうですか。まぁ事実なので否定はしませんが・・」歳三は当たり障りのない言葉を選びながらそう言って直樹を見た。「歳三さんとおっしゃいましたよね?僕は、真剣に千尋さんを妻として“やませ”に迎え入れるつもりです。ですからあなたは大人しく、千尋さんを諦めてください。」「そんな事は出来ません。」「あなたには東京にご家族がおられるのでしょう?それだけで充分じゃありませんか?」そう言うと直樹は、歳三を睨んだ。にほんブログ村
2014年04月19日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「さっき、菊千代さんからお前の縁談の事を聞いた。縁談を、受けるのか?」「わかりません・・女将さんや菊千代姐さんが、わたくしの事を気に掛けてくださることは知っています。」「俺の所為だな・・お前に辛い思いばかりさせちまって・・」「いいえ、わたくしが決めた事です。」千尋はそう言うと、歳三に抱きついた。「わたくしが、義兄様を愛してしまったからいけないのです。義兄様に家庭がある事を知っていて、わたくしが義兄様を想うのをやめなかったから、このような事に・・」「千尋、せめて俺が天草に居る間は、俺と一緒に住まないか?」「それは出来ません。もう義兄様にご迷惑をお掛けしたくはありません。」千尋はそう言うと、歳三に向かって頭を下げた。「千尋、双子の戸籍のことだが・・」「どうかあの子達を、土方家の子にしてくださいませ。わたくしは一生日陰の身として生きる覚悟を決めております。ですが子ども達には、そのような辛い目には遭わせたくはありません。今あの子達は、己が置かれている立場というものがわからないかもしれませんが・・大きくなれば、いつしかわたくしと義兄様の関係を知ることになりましょう。その時が来たら、あの子達に包み隠さず、わたくしが真実をお話しします。」「そうか・・お前がそう決めたのなら、俺はもう何も言わねぇ。」歳三は暫し黙りこみ、何かを考えるようにして天を仰いだ後、そう言って千尋の方へと向き直った。「俺は暫く休暇を取ることにした。千尋、俺が暫く双子の世話をしてもいいか?」「ええ、構いません。」千尋がそう言って歳三を見た時、奥から双子達の泣き声が聞こえた。「義兄様、失礼致します。」 自室に戻って双子達の授乳を終えても、千尋は未だに乳房が張っているのを感じた。乳首はまるで岩のように硬くなり、まるでそれだけが別の生き物のように見えた。千尋がそっと乳首に触れると、そこからまるで電気が走ったかのような鋭い痛みを感じた。「どうした、大丈夫か?」「義兄様・・」突然歳三が部屋に入ってきたので、千尋は胸の前で両手を組み、歳三に背を向けた。「お願いです、ここから出て行ってくださいませ。」「何か俺に隠していることでもあるのか?」「いいえ・・ただ・・」千尋が組んだ両腕の隙間から母乳が零れ出しているのを見た歳三は、そっと彼女を自分の方へと振り向かせた。「いつからだ?いつからこんな症状が出ているんだ?」「双子達を産んでから、ずっとです。毎回双子達に授乳した後、母乳が溢れ出てしまって・・乳首が痛くて堪らなくて・・斎藤先生がおっしゃるには、乳腺炎に罹っていると言われて・・」「そうか。お前がこんなに辛い思いをしていることに気づいてやれなくて済まなかったな。」「義兄様に心配を掛けたくはなかったのです。ちゃんと自分で、双子達を育てたかった・・ただそれだけなのです。でも、もう限界です。」千尋はそう歳三に弱音を吐くと、嗚咽を漏らした。母親が悲しんでいることを敏感に感じ取ったのか、布団の上で仲良く並んで寝ていた双子達が目を覚まし、激しく泣き始めた。「あらあら、一体どうしちまったんだい?」「女将さん、すいませんが勝次郎を暫くあやしてやってくれませんか?」「わかったよ。」その後歳三とともに千尋が精神科を受診すると、千尋が産後鬱に罹っていることがわかった。「この病は、心の病ですので、患者さんのご家族や、周囲の手助けが必要です。すぐに治るものではありませんから、気長に付き合っていかなければなりません。」「わかりました。」「この時期はお母さんにとって一番大変な時期です。慣れない育児による不規則な生活で、心身のバランスを崩しやすいのですよ。」にほんブログ村
2014年04月19日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「最近どう、よく眠れているの?」「いいえ。毎晩双子達の夜泣きが激しくて、二人を一晩じゅう抱いてあやすのが精一杯で・・」そう言った千尋の顔に疲れの色が滲んでいる事に気づいた時尾は、風呂敷包みを解いて机の上にクッキーの缶を置いた。「これ、どうぞ。」「まぁ、クッキーですか。頂いても宜しいんですか?」「勿論、構わないわよ。今日お邪魔したのは、千尋さんとゆっくりお茶を飲みながら女同士の話をしたいと思って来たの。」「それでは、わたくしがお茶を淹れますね。」千尋はそう言って嬉しそうな顔をすると、台所へと向かった。「うわぁ、美味しそう・・」「このクッキーね、日曜学校の先生から作り方を教わって、わたしが焼いたのよ。千尋さんの口に合うといいんだけど・・」「まぁ、ありがとうございます。」 時尾が焼いたクッキーを一口齧った千尋は、チョコレートの甘みが口の中に広がるのを感じた。「どう、美味しい?」「ええ。」「ねぇ千尋さん、最近悩んでいることとかない?」「実は・・これは悩み事なのかどうかわかりませんが・・」千尋はそう言うと、少し恥ずかしそうに俯いた。「誰にも言わないから、聞かせて頂戴。」「実は、母乳の出が良すぎて、困っているんです。双子達は毎日お乳をよく飲んでくれていて有り難いんですが、双子達がお乳を飲んだ後でも、母乳が止まらなくて・・」「まぁ、それは困ったわね。お医者様には、その事を相談したの?」「いいえ。余りにも恥ずかしくて、相談できません。」「それはそうよねぇ。男の方に母乳の事を気軽に相談できないわよね。余った母乳はどうしているの?」「いつも流しに捨てています。でも、捨てた後でまたおっぱいが張って苦しくなって・・時々胸にしこりのようなものを感じることがあるんです。」「千尋さん、今度斎藤先生にその事を話してみたらどうかしら?」「そうしてみます。」 翌日、千尋は斎藤が勤務する病院の産婦人科へと向かった。「今日はどうされました?」「母乳の出が良すぎて、時折胸に痛みを感じることがあるんです。」「そうですか。では触診を行いますので、ブラウスを脱いでいただけませんか?」「わかりました。」ブラウスを脱いだ千尋が診察台の上に横たわると、斎藤はそっと両手で彼女の乳房を押し始めた。「先生、どうでしょうか?」「そうですねぇ・・恐らく、乳腺炎でしょうね。暫く様子を見ましょう。」「乳腺炎って、治るものなのですか?」「ええ。それよりも、わたしは荻野さんの精神状態の方が心配です。最近、良く眠れていますか?」「いいえ。双子達の育児に必死で、自分の時間なんて食事の時間以外は全然とれていません。」「そうですか。余り根詰めないようにしてください。産後数週間のこの時期は、ホルモンバランスの急激な変化の影響で、鬱状態となられる産婦さんが多いですから。」「はい、わかりました・・」 病院を後にした千尋が『いすず』に帰宅すると、玄関先には見慣れぬ男物の革靴が置いてあった。「ただいま戻りました。」「千尋ちゃん、あんたの兄さんが来ているよ。」「義兄様が?」千尋が客間に入ると、そこには背広姿の歳三が掛け軸の前に座っていた。「千尋、久しぶりだな。」「義兄様、ご無沙汰しております。どうして、長崎にいらしたのですか?」「お前に会いたくなって、来たんだ。」にほんブログ村
2014年04月19日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「縁談の相手は、“やませ”の次男坊の、直樹さんだ。あんたの事を以前お座敷で見初めて、嫁に貰いたいんだとさ。」「直樹様は、わたくしが未婚の母であることをご存知なのですか?」「ああ。“やませ”の女将さんも、あんたの事情を承知の上で、息子の嫁として来て貰いたいって言っているんだよ。」「少し、時間を頂けないでしょうか?」「わかった。それじゃぁ、先方にはそう伝えておくよ。」きよはそう言うと、部屋から出て行った。「“やませ”さんといやぁ、ここいらじゃぁ老舗の料亭じゃないか。千尋ちゃん、兄さんの事は放っておいて、この縁談を受けたらどうだい?」「姐さん、それは出来ません。」「あんた、兄さんに義理立てでもする気かい?東京に奥さんや娘さんが居る限り、あんたは一生日陰の身として生きて行くしかないんだよ!」「わかっています、そんな事・・」菊千代の言葉を受けて千尋は項垂れながら、そう言うと俯いて唇を噛み締めた。「まぁ、こればかりはあたしが何を言ってもどうにもならないから、暫く一人でゆっくりと考えたら?」「わかりました。」勝次郎を抱いた菊千代から部屋から出て行くと、千尋の腕に抱かれていた龍太郎が目を覚ましてぐずり始めた。千尋は彼の背を優しく叩きながら、縁談を受けようかどうか迷っていた。「土方先生、長崎からお手紙が届いておりますよ。」「ありがとうございます、増谷先生。」 翌朝、歳三が増谷家で朝食を取っていると、増谷医師が歳三に千尋の手紙を手渡した。「その手紙は、どなたからのものですか?」「長崎に居る義理の妹です。妹といっても、彼女とは血が繋がっていませんがね。」「そうですか・・」歳三が珈琲を飲みながら千尋の手紙に目を通すと、そこには『いすず』の女将から縁談を勧められたことが書かれていた。(千尋に、縁談かぁ・・)自分が紗江子と離縁しない限り、千尋は一生日陰の身だ。だが千尋は、歳三の家庭を壊そうなどという邪な事を一切考えていない。だからこそ、今の関係が維持できているのだ。「どうしました、土方先生?」「いえ、何でもありません。」「そうですか。わたしはもう出ますから、家の戸締りを宜しくお願い致しますね。」「はい、わかりました。」増谷から遅れて病院に出勤した歳三は、院長に休暇届を出した。「暫く、長崎に行きたいのですが・・」「そうですか。余り長く休まれては困りますが、今回は大目に見ましょう。」「ありがとうございます、院長。」その日の夜、歳三は長崎行きの船に乗った。「それじゃぁ、行って来るよ。」「姐さん、お気を付けて。」お座敷へと出掛ける姉芸者達を玄関先で見送った後、自室に戻った千尋は夕食を取った。 台所で洗い物をしていると、部屋から双子の泣き声が聞こえた千尋は、洗い物を中断して部屋に戻って彼らに授乳した。双子を出産してから三週間が経ち、千尋は母乳の出が良すぎて時折乳房が張って痛みを感じることがあった。こんな悩みを誰かに打ち明けようにも、千尋は男性である主治医にそんな事を相談できなかった。「ごめんくださぁい。」「すいません、少々お待ち下さいませ。」龍太郎の授乳を終えた千尋は、ブラウスのボタンを留めると玄関先で客を迎えた。「時尾様、新年明けましておめでとうございます。」「千尋さん、新年明けましておめでとうございます。もう正月から三週間も経っているのに、新年の挨拶なんて変よね?」小料理屋「白虎」の女将・時尾はそう言うと笑った。にほんブログ村
2014年04月18日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様「尊の母の、すみれと申します。」 そう言って応接室のソファに座っていた遠山青年の母・すみれは、歳三の姿に気づくとソファから立ち上がり、彼に頭を下げた。「遠山君のお母様でしたか・・わざわざ鹿児島からいらしてくださり、ありがとうございます。」「いいえ、こちらこそ息子がいつもお世話になっております。あの子はまだ世間知らずなところが少しありますから、どうか宜しくお願い致します。」すみれはそう言うと、風呂敷包みを歳三に手渡した。「これ、うちの畑でとれた野菜です・・お口に合わんかもしれんですが、どうぞ。」「ありがとうございます。」「それでは、わたしはこれで失礼します。」すみれは、再び歳三に頭を下げると、そのまま第一外科の医局室から出て行った。「土方先生、新年明けましておめでとうございます。」「増谷先生、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。」「さっきの女性の方、どなたですか?」「東京の会社で雇った遠山君のお母様です。彼女から野菜を頂きました。」「これはとても美味しそうな野菜ですね。早速今夜の夕食に使います。」増谷医師はそう言うと、風呂敷の中に入っている野菜を見て口元を綻(ほころ)ばせた。 その日の夜、増谷医師が作った牛鍋を囲みながら、歳三は彼に遠山青年の事を話した。「その遠山君という子は、きっと土方先生の人柄に惚れたんでしょうなぁ。あなたには、何処か人を惹きつける力がありますからね。」「そうでしょうか?」「それにしても、遠山君は偉いですね。妹達を女学校に行かせたい為に、大学を休学してまで土方先生の会社で働きたいとは・・とても妹思いの優しいお兄さんなのですね。」「ええ。彼の実家は貧しい農家で、遠山君の話を聞くと、多摩の実家の事を思い出してしまうのです。」歳三は卵を掻き混ぜる手を止め、そう言って増谷医師を見た。「わたしは生まれてすぐ、遠縁の裕福な親戚に養子に出されました。多摩の実家で実の兄姉達と会った時、とても嬉しかった・・今までわたしを育ててくれた義理の両親には深く感謝していますが、それよりも、血が繋がった兄姉達が居るということが、こんなにも心強いことなんて知りませんでした。」「羨ましいですね。僕は一人っ子なので、学校で兄弟の話で盛り上がる同級生達の姿を見て、自分だけのけ者にされたような気がして寂しかったなぁ・・」増谷医師は、そう言って溜息を吐いた。「それにしても、まだ寒いですねぇ。」「ええ。長崎では雪が降ったとか。」「そうですか・・」「土方先生、葡萄酒でも飲みましょうか?」「いいですね。」 その頃、長崎・丸山町にある『いすず』では、千尋が双子の男児の育児に日々悪戦苦闘していた。「千尋ちゃん、勝っちゃんはあたしが見ておくから、少し休んだらどうだい?」「すいません、姐さん・・」「謝らなくていいよ。双子を育てるのは大変なんだから、あたし達が千尋ちゃんに協力しないとね。」「ありがとうございます、助かります。」「それにしても、あんたの兄さんはいつ長崎に来るんだい?」「それはまだ、わかりません。義兄様は、天草でお仕事がありますし・・」「双子ちゃん達の戸籍は、兄さんの家の戸籍に入ることになっているんだろう?そうなったら、千尋ちゃんはどうなるんだい?」「姐さん、もうその話は止めましょう。」千尋は菊千代にそう言うと、龍太郎をあやした。「千尋、あんたに縁談が来ているよ。」「わたくしに、縁談ですか?」にほんブログ村
2014年04月18日
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「先生、おはようございます。」「おう、おはよう。」 翌朝、歳三が出勤すると、校門の近くを歩いていた生徒達が歳三に気づいて彼に挨拶しながら次々と校舎の中に入っていった。「土方先生、おはようございます・・」「おはよう、荻野。」「昨夜、またあの人から電話があったそうですね・・それに、例の“プレゼント”も。」周囲の生徒達に聞こえないような声で、千尋はそう言うと歳三を見た。「何でお前がそんな事を知っているんだ?」「昨夜寝る前に、先生の奥さんから電話が来て・・これ以上自分の家庭を引っ掻き回さないでくれって言われました。」「そうか・・」琴子の奴、余計な事をしやがって―歳三は内心妻に向かってそう毒づくと、千尋の肩をそっと抱いた。「お前は何も心配するな、千尋。あの人がこれ以上うちに嫌がらせをするつもりなら、こっちだって考えがある。」「そうですか・・余り無茶しないでくださいね。」「わかったよ。千尋、昼休み時間あるか?」「ええ。」「じゃぁ、いつもの場所に来い。」「はい、わかりました。それじゃぁ、失礼します。」千尋は嬉しそうに笑うと、歳三に頭を下げて校舎の中へと入っていった。「千尋、おはよう。」「おはよう。」「なぁ、数学の宿題やった?やってたら、少し見せてくれねぇか?」教室に入った千尋が自分の席に座ると、隣の席の藤堂平助が千尋にそう話しかけて来た。「おい平助、いつもお前千尋の数学の宿題写してんじゃん!千尋、嫌な事は断ってもいいんだぜ?」平助の言葉を聞いた彼の友人・吉田がそう言って平助にヘッドロックをかました。「だってさぁ・・」「だってもクソもねぇよ。まだ二時間目まで時間があるだろうが、さっさと宿題しやがれ!」「朝っぱらから煩せぇぞ、お前ら!」教室に入った歳三がそう怒鳴って平助達の方を見ると、平助は数学の宿題を必死にやっているところだった。「平助、また数学の宿題忘れやがったのか!」「だってよ~、なかなかゲームがクリアできなくてさぁ・・」「ったく、お前ぇはゲームと勉強、どっちが大事なんだ!?」歳三はそう平助に怒鳴った後、出席簿を教壇に叩きつけた。「もうすぐ受験シーズンなんだから、みんなたるんでんじゃねぇぞ、わかったな!」朝のHRを終えた歳三が教室から職員室へと戻ると、自分のデスクの上に郵便物が山積みになっていた。「おはよう、トシ。」「おはよう、勇さん。」郵便物をチェックしながら、歳三が親友であり誠学園校長兼理事長の近藤勇に挨拶した時、彼は指先に鋭い痛みを感じて顔を顰(しか)めた。「どうした、トシ?」「畜生、またあの女か・・」剃刀で切った指先をティッシュで押さえた歳三は、耳元で朱莉が自分を嘲笑う声が聞こえたような気がした。 昼休み、千尋が歳三のいる数学準備室へと向かうと、右手の人差し指に絆創膏を巻いた歳三が回転椅子に座って煙草を吸っていた。「先生、その怪我どうしたんですか?」「ああ、郵便物チェックしていたら、紙で切っちまってな・・大した怪我じゃねぇから、心配するな。」にほんブログ村
2014年04月17日
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「てめぇ、いい加減にしないと警察に突き出すぞ!」『あら、そうすればいいじゃない。でも、あなたはわたしが何処の誰なのか知らないでしょう?』女は受話器越しに歳三を挑発しながら、クスクスと笑った。その笑い声が、歳三の癇に障った。「てめぇ、一体何が目的でうちに嫌がらせをしていやがる?」『あんたがうちの息子を・・千尋を誑(たぶら)かした癖に、女を孕ませて結婚した事が気に喰わないから、あたしはその腹いせにあんたの家に素敵なプレゼントを贈っただけでしょう。母親として、当然のことをしたまでよ!』女のヒステリックな叫び声の後、無機質なダイヤルトーンの音が歳三の耳朶(じだ)に響いた。電話の相手は、真紀と千尋を産んで精神を病んだ彼らの実母である朱莉(あかり)だと、歳三は気づいていた。 朱莉の実家は裕福な資産家で、両親の束縛から逃れたいが為に上京した彼女は、バイト先のスナックでロシア人の男と出会い、彼の子を妊娠した。だが男は、朱莉が妊娠を告げると失踪してしまい、未婚の母となった彼女は実家に戻り、真紀と千尋を産んだ。 誰もがその名を知っている会社の社長令嬢である朱莉が未婚の母となったことを、町の住民達はあれこれと噂した。東京に行き、何処の誰ともわからぬ子を妊娠して未婚の母となった娘に対して、朱莉の両親は彼女を家から勘当した。頼れる親戚も友人も居ない朱莉は、慣れぬ双子の育児に対して徐々に神経を消耗してゆき、クリスマス・イヴの夜に二人を児童養護施設の門前に捨てて姿を眩ました。 その後、朱莉は駅のホームのベンチに座り込んでいるところを駅員に発見された。朱莉の両親は警察から連絡を受けて朱莉を警察署まで引き取りに行ったが、彼女が精神を病んでいる事に気づき、人里離れた山奥にある精神病院に彼女を入院させた。赤ん坊だった真紀と千尋は、すぐに養子に出され、現在まで彼らが実母と接触する機会は皆無に等しかった。 それなのになぜ、今になって朱莉が実の息子である千尋の事を知ったのか。誰かが、朱莉に千尋の事を話したのではないか―そんな事を歳三が思っていると、再び玄関のチャイムが鳴った。「はい。」『週刊トゥデイです。土方さんはかつて、宮下真紀選手の弟さんと、交際していたそうですね?』「誰から、そんな出鱈目(でたらめ)な情報をお聞きになったのですか?」『そんな事、言える訳ないでしょう?情報源の秘匿は、マスコミの義務ですからねぇ。』どこか湿り気のある、嫌らしい声がインターホン越しに聞こえて、歳三は少し吐き気を催した。「今は忙しいので、どうぞお引き取り下さい。」『わかりました、また伺いますね。』週刊トゥデイの記者と名乗った男がマンションから出て行った後、買い物を終えた琴子が帰宅した。「ただいま。」「お帰り。」「ねぇ、もしかしてまた例の物が届いたの?」「ああ。」「警察に届けた方がいいんじゃないの?事件が起こってからじゃ、遅いんだからね。」琴子はそう言うと、歳三を睨んだ。「何だ?何か俺に言いたい事があるのか?」「あたし、思うんだけど・・最近、うちに変な荷物を送ってきているのは、あなたと昔付き合っていた子じゃないの?」「馬鹿なことを言うな、千尋がこんな陰湿な嫌がらせなんかするかよ。」「あなたって、いつもあの子の肩をもつのね。まぁ、あなたがあの子を疑いたくないっていうのは、わかるけど。」にほんブログ村
2014年04月17日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 予定日よりも一ヶ月早く千尋が産気づいたのは、正月三箇日を過ぎた1月7日のことだった。「先生、まだ産まれないのですか?」「初産は時間がかかりますから、気長に待ちましょう。千尋さんの場合、双子ですから通常の出産よりも二倍時間がかかりますね。」「そうですか・・」菊千代は斎藤の話を聞いた後、千尋が籠っている陣痛室の扉を不安げに見つめた。「痛い、痛い~!」陣痛室のベッドの上で、いつ終わるともわからぬ苦しみに千尋は耐えていた。「荻野さん、気を確かに持ってくださいね!」看護婦達に励まされながら、千尋は額に汗を滲ませながら陣痛と戦った。「もうそろそろ分娩室に移動しましょうね。」「はい・・」 看護師に両脇を支えられながら、千尋はベッドから降りて車椅子で分娩室へと向かった。「千尋ちゃん、しっかりするんだよ!」「姐さん・・頑張ります。」「先生、あたしがこの子の出産に立ち会ってもいいでしょうか?」「申し訳ありませんが、産婦様の分娩に立ち会えるのは、近親者の方のみとなっておりまして・・」「あたしはこの子の実の姉のようなものです、どうかお願いしますよ、先生!」「・・わかりました、特別に許可しましょう。」「ありがとうございます、先生!」 菊千代とともに分娩室に入った千尋は、三日三晩陣痛に苦しんだ末、元気な双子の男児を出産した。「千尋ちゃん、良く頑張ったねぇ。」「ありがとうございます、姐さん・・」「可愛らしい赤さんだこと。」 千尋が双子の男児を出産したという報せが東京の歳三の元に届いたのは、その日の晩のことだった。「母子ともに健康ですって。」「そうか・・良かった。」「あなた、子ども達の名前を考えて下さいました?」「ああ。」 翌日、千尋が病室で休んでいると、菊千代が歳三の手紙を携えながら病室に入ってきた。「歳三さんが、あんたの子ども達の名前を考えてくれたってさ。」「そうですか・・」菊千代から封筒を受け取った千尋が、封筒の封をペーパーナイフで切ると、その中から二枚の半紙が出て来た。 そこには、歳三の字で双子達の名前が書かれてあった。「龍太郎と勝次郎ねぇ・・良い名前だねぇ。」「ええ。」「じゃぁ、行って来る。」「あなた、お気を付けて。」「お父様、今度はいつお帰りになるの?」 歳三が天草へと帰る日の朝、千穂はそう言うと寂しそうな顔をして歳三を見た。「千穂が女学校に上がる頃になったら、東京に帰って来るよ。だからそれまで、お母様と凛子と仲良くしておくれ。いいね?」「わかりました。」千穂はハンカチで涙を拭いながら、紗江子達と玄関先で歳三を見送った。「土方先生、新年明けましておめでとうございます。」「草田さん、今年も宜しくお願い致します。」 天草の病院へと戻った歳三は、看護婦の詰所で草田に新年の挨拶を済ませた後、第一外科の医局室に入った。「土方先生、お客様です。」「新年早々、わたしに客ですか?」「ええ、女性の方です。」にほんブログ村
2014年04月16日
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イラスト素材提供:十五夜様ライン素材提供:ひまわりの小部屋様 歳三はふと、怜子が死ぬ間際まで寝ていたベッドを見た。そっとベッドのシーツを彼が撫でると、そこにはまだ怜子の体温が感じられた。(俺はどうして・・母さんにあんな事を・・) 千尋を女衒に拉致させ、長崎の芸者置屋へと売った事を知った歳三は、怜子への激しい憎悪の念に囚われた。怜子と絶縁して以来、歳三は彼女に娘達の写真を一枚も送ってやらなかった。“奥様は、坊ちゃまにずっと会いたがっておりました。”怜子はずっと、歳三に己が犯した罪を謝りたかったに違いない。だが、歳三は彼女を赦さなかった。その結果、怜子は歳三と最期まで和解出来ずに逝ってしまった。「坊ちゃま、失礼致します。」「睦っちゃん、入ってくれ。」「はい・・」怜子の部屋に、姉さん被りをして襷がけをした睦が入ってきた。「奥様のお部屋を、お掃除に参りました。」「そうか。じゃぁ俺も手伝うよ。」「まぁ、いけません。」「母さんとは喧嘩別れをしてしまったから、せめて母さんの部屋だけでも綺麗にしてやりたいんだ。」「わかりました。では、鏡台の中を整理して頂けませんか?」「わかった。」 怜子の鏡台の引き出しを開けると、そこには怜子が生前愛用していた香水や化粧水が入った壜がしまってあった。「睦ちゃん、これどうする?」「それは置いておきましょう。わたくし達が勝手に処分する訳にはいきませんし・・後で若奥様に聞いてみます。」「わかった。」歳三が引き出しを閉めようとした時、一枚の写真が絨毯(じゅうたん)の上に落ちた。 それは、歳三が五歳の七五三の時に写真館で撮った家族写真だった。家紋付きの羽織を着た歳三の右隣には、色留袖を着た怜子が慈愛の目で彼を見つめていた。その左隣には、大礼服姿の篤俊が立っていた。「まぁ、懐かしいですね。」「睦っちゃん、この写真を知っているのか?」「ええ。時折奥様が時折鏡台の引き出しからその写真を取り出して、暫く眺めていらっしゃるのを見ました。」「俺は・・本当に母さんに、酷い事をしてしまったんだな・・」「どうかご自分を責めないでくださいませ、坊ちゃま。きっと奥様も、坊ちゃまのお気持ちを解って下さっていると思います。」怜子の葬儀はカトリック教会でしめやかに行われた。雨の中、墓地で歳三は紗江子達とともに怜子の棺が地中深く埋められるのを眺めていた。(母さん、どうか安らかに眠って下さい・・)「今年の正月は、寂しいものになってしまったな・・」「ええ、お義父様。」「せめて千尋がこっちに来てくれれば、寂しさが紛らわせるんだが・・身重の身で長崎から東京に来いと言うのは、今の千尋にとっては酷だろう。」「お義父様、千尋さんには菊千代さんがついていらっしゃいますから、安心してくださいませ。」「ごめんください、誰か居ませんか?」「はい、今参ります。」玄関で郵便配達夫から速達を受け取った紗江子は、そのまま歳三が居る書斎に向かった。「あなた、今宜しいでしょうか?」「いいが・・どうした、何かあったのか?」「ええ。先程千尋さんと同居されている菊千代さんから速達が届きまして・・千尋さんが、産気づかれたそうですわ。」にほんブログ村
2014年04月16日
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