F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
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PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
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天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
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薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
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PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
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黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
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YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
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薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
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名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
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※BGMと共にお楽しみください。―なぁ、聞いたか?―尾上の介錯を荻野がするってさ。 千尋が尾上の介錯をする事は瞬く間に屯所中に広まったが、総司が隊士達ににらみをきかせていたので、今回は何も言われなかった。「沖田先生、お話しとは何でしょうか?」「あなたを睨んでいた女の正体がわかりましたよ。」総司は、千尋に女の正体と、橘家の事件を話した。「そんな事が・・」「えぇ、だから・・」総司は千尋に、ある事を囁いた。「本日はお忙しいところ、わたくしのような者の為に時間を割いて下さり、ありがとうございます。」「いいえ、こちらこそ。新選組の土方様がわざわざこちらにいらっしゃるなんて・・」 一方、歳三が華の簪を届けに橘家へと向かうと、彼の姿を見た若い女中達が、少し浮足立った様子でヒソヒソと物陰で何かを話していた。「華様のお加減は?」「鈴世お嬢様があんな亡くなり方をされてしまってから・・床に臥せってしまわれて・・」「そうですか。では、華様にお伝え下さい、お姉様の仇は討ったと。」「はい、必ずお伝え致します。」園はそう言うと、歳三に向かって頭を深々と下げた。 「沖田先生、大変です!尾上が、脱走しました!」「そうですか、では荻野君、後は頼みましたよ。」「はい。」 新選組を脱走した尾上は、夜陰に紛れて実家がある大津へと向かっていた。 だが― 「何処へ行こうとしているのですか?」 突然土砂降りの雨に遭い、尾上が近くの店の軒先で雨宿りをしていると、そこへ千尋がやって来た。「ひ、ひぃ!」「何処へ行こうと、あなたはわたし達から逃げられませんよ?」「うぁぁ~!」 追い詰められた尾上は闇雲に剣を振り回したが、どの攻撃も千尋には当たらなかった。「無駄なあがきですね。」「うわぁ~!」 恐怖に満ちた表情を浮かべた尾上は刀を上段に構えて千尋に向かっていったが、その刃は彼に届く前に尾上は絶命していた。「良く出来ましたね、見事です。」「ありがとうございます。」尾上の返り血を浴びても、千尋は眉ひとつ動かさなかった。「尾上は荻野に粛清されたんだってな・・」「あんな綺麗な顔をして、恐ろしい・・」 道場の隅で隊士達がそんな話をしていると、そこへ斎藤がやって来た。「げ、今日の稽古指導は斎藤先生か・・」「何だか嫌な予感しかしねぇ・・」「そこ、私語を慎め!」斎藤がそう叫んで私語をしている隊士達を叱っていると、そこへ少し慌てた様子で道着姿の千尋がやって来た。「すいません、遅れました。」「素振りを千回してから、稽古を始めろ。」「はい。」千尋が道場の隅で素振りを始めると、そこへ貴助がやって来た。「よぉ、昨夜は帰って来るのが遅かったな。本当に尾上を粛清したのかい、あんた?」「えぇ。彼は闇雲に剣を振るいましたが、その刃はわたしには届きませんでした。」「・・一度だけでいい、あんたと戦いてぇものだな。」「わたしもそうしたいですね。」千尋と貴助がそう言って笑い合っていると、そこへ総司がやって来た。「二人共、楽しそうですね。何を話していたのですか?」「いえ、一度荻野と戦ってみたいなと思いまして・・」「そうですか・・では、今ここでやってみませんか?」「え?」「遠慮しないで、こちらへいらっしゃい。」総司はそう言うと、千尋と貴助を道場の中央へと連れて行った。「え、あの・・」「二人共、防具はどうしますか?」「胴だけでいいです。」「そうですか、あなたは?」「俺は全部で!」 千尋が胴だけをつけ、防具一式をつけた貴助と蹲踞(そんきょ)の姿勢で向き合った時、道場中の視線が二人に集まった。「ねぇ、どっちが勝つのか賭けませんか?」「趣味が悪いな、あんた。」「ふふっ。」総司は赤茶色の瞳を煌めかせながら、二人の勝負の行方を見守った。 先に仕掛けたのは、貴助の方だった。「ハァッ!」 気合と共に貴助は千尋の面を狙ったが、その前に千尋が貴助の胴をしたたかに打っていた。「なかなかやるな、あいつ。」「でしょう?」「総司、土方君が呼んでいるよ。少し機嫌が悪いみたいだから、早く行ってあげなさい。」 山南からそう言われた総司が副長室へと向かうと、歳三が仏頂面を浮かべながら何かを読んでいた。にほんブログ村
2020年07月11日
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※BGMと共にお楽しみください。「姉様、やっと見つけたわ。姉様の心を壊した奴を。」「それは本当なの、華?」「えぇ、だから姉様、わたしに任せて。」女―華は、そう言って姉の手を握った。「謎の女は、一体何者なんだ?」「さぁ。でも身なりを見た限り、良家の子女みたいですね。それに、彼女こんな物を落としていきましたよ。」 副長室で総司はそう言うと、女が挿していた簪を歳三に見せた。「これは?」「簪に、家紋が彫ってありますよ。」「そうか。」歳三は総司から簪を受け取ると、そこに彫られている家紋を見た。「これは・・」「知っている家紋なんですか?」「知っているも何も、こりゃぁ橘家の家紋だ。」「橘家って、あの旗本の?何でそんな家のお嬢様が荻野君を狙っているんですか?」「さぁな。明日、俺が橘家にこれを返しに行って来る。」「わかりました。ところで、尾上さんの処分はどうします?」「あいつは切腹だ。」「じゃぁ、介錯(かいしゃく)はわたしがします。」「いや、あいつの介錯は荻野にやらせる。」「本気ですか?」「あぁ。」「土方さんがそう決めたのなら、わたしは何も言いません。」総司はそう言うと、副長室から出た。「沖田さん、お久しぶりです。」「山崎さん、どうしたんですか?屯所に来るなんて珍しいですね?」「副長にご報告したい事があってな。副長は?」「土方さんなら副長室に居ますよ。」 副長室へと向かう山崎を見送り、総司が一番隊を率いて巡察で洛中に出ると、何やら三条小橋の辺りが騒がしかった。「何かあったのかなぁ?」「さぁ・・」 やがて、通りの向こうから揃いの羽織を着た男達がやって来た。「京都見廻組が、何でこんな所に?」「さぁ・・」「おや、誰かと思ったら新選組一番隊組長の沖田さんではないですか?」 突然背後から気取った声が聞こえたかと思うと、そこには京都見廻組隊士・佐々木只三郎の姿があった。「新選組がこんな所に何の用だ?」「それはこちらの台詞ですよ。」総司と佐々木の間に、静かな火花が散った。 一方、副長室に呼ばれた千尋は、歳三から尾上の介錯を命じられた。「わかりました。」 その顔には、迷いがなかった。「確か、こちらはあなた方の管轄外ではありませんか?あぁ、もしかして橘家絡みの事件とか?」「・・それを君に話す必要はない。」「そうですか、では勝手にあなた方についていきますね。」総司はそう言うと、佐々木達と共に事件現場へと向かった。 現場は総司の読み通り、橘家の母屋から少し離れた蔵の中だった。「お前・・お前の所為で姉様が!」 総司が佐々木達と共に蔵の中に入ろうとすると、昨日の巡察時に千尋を睨んでいた女がそう叫ぶなり、総司の頬を平手で打った。「あなたが何故わたし達を憎んでいるのかはわかりませんが、わたしを殴って気が済みましたか?」「うるさい!」「そこを退きなさい。」「わたくしを誰だと思っているの!?」 女が再び総司を殴ろうとしたが、その前に彼女は佐々木に腕を掴まれた。「落ち着いて下さい、あなたのお姉様のご遺体はこちらで・・」「さぁお嬢様、あちらへ・・」 泣き喚く女を、使用人と思しき男がそう言って宥め、母屋へと連れて行った。「あぁ、佐々木様・・あの、そちらの方々は?」「気にしないでください、勝手について来ただけですので。」「はぁ・・」「それで、一体ここで何が起きたのですか?」「実は・・」 橘家の女中頭・園は、橘家の長女・鈴世の身に起きた悲劇の事を話した。 鈴世には結婚を誓い合った相手が居たが、その相手に騙され、阿片漬けにされた挙句、数人の男達から辱めを受け、ここ数年位は蔵の中に引き籠ってしまっていたのだという。「もう、鈴世お嬢様は生ける屍のようでございました。鈴世お嬢様は、あそこで・・」園はそう言うと、震える指先で鈴世が息絶えた場所を指した。「これは酷い・・」 死体を見慣れている筈の佐々木や総司でさえ、鈴世の遺体は惨いものだった。彼女は熱湯を頭からかぶり、苦しんで暴れた挙句、懐剣で頸動脈を切って自害したのだ。 生前は美しかったであろう彼女の顔は、醜く焼けただれ、その表情は苦悶に満ちていた。「鈴世さんを騙した男は、どんな男だったのですか?」「よくは知りませんが・・新選組の方だったような・・」「成程・・」「おい、何処へ行く?」「屯所に戻るんですよ。鈴世さんをこんな目に遭わせた犯人の目星がつきましたから。」そう言った総司の赤茶色の瞳には、怒りの炎が宿っていた。にほんブログ村
2020年07月08日
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蔵で千尋が尾上に襲われた事は、瞬く間に屯所中に広がった。―あれが・・―絶世の美少年だな・・―そりゃぁ、手を出したくなるよなぁ・・ 時折ヒソヒソと自分が廊下を歩く度に囁かれる隊士達の陰口に、千尋は苛立っていた。 まるで彼らは、千尋に隙があったから襲われたからだと言わんばかりに、千尋に冷たい視線を向けて来る。「放っておきなさい。言いたい奴には言わせておけばいいのです。」「沖田先生・・」 朝餉の後、千尋が半分残した朝餉を膳ごと厨へと持って行くと、偶々そこを通りかかった総司がそう言って千尋を励ますかのように彼の肩を優しく叩いた。「それにしても彼らは随分と暇なようですし、これから色々と指導しなくてはね・・」 口調は穏やかなものだったが、総司の目は全く笑っていなかった。 この人を本気で怒らせては駄目だ―千尋はそう思った。「おい総司、お前の朝稽古が最近厳しいという苦情が来てるぞ?」「へぇ、そうですか。」「へぇ、そうですかじゃねぇだろ!先程隊士の親御さんから苦情の文が来たんだよ!」「幾ら部屋住まいの商家の次男坊だからって、親に甘やかされていますよ。うちは実戦訓練をしているんですよ。それなのに苦情なんておかしいですよ。」総司はそう言うと、溜息を吐いた。「まぁ親ってもんは子供が幾つになっても可愛いものなんだよ。」「そんなものなんですかねぇ・・まぁ、親の気持ちなんて一生わたしにはわかりませんけど。」「そうか・・」「じゃぁわたしはもう失礼しますね。」総司はそう言うと、巡察へと向かった。「荻野君、どうしたのですか?」「いえ・・先程から誰かに見られているような気がして・・気の所為ですね。」「まぁ、最近は変な輩が多いですからね。用心した方が自分の為になりますよ。」そう言った総司の目は、千尋を物陰から睨んでいる女に向けられていた。「荻野君、わたしは用事があるので、君は先に屯所へ戻っていなさい。」「はい、わかりました・・」 千尋を屯所へと帰した後、総司は千尋をにらんでいる女と対峙した。「あなたは一体何者なんですか?」「・・それは、あなたには関係のない事です。」「大いに関係あるんですよ。荻野君はわたしの部下なのでね。」総司の言葉を聞いた女は、彼を人気のない場所へと連れていった。「漸く、話してくれる気になりましたか?」「甘いわね。」女はそう言った後、口端を歪めて笑った。「へぇ・・あなたって、変なお知り合いが多いんですね?」「この男を始末しなさい。」女はそう渡世人風の男に命じると、雑踏の中へと消えていった。「待て!」「おい兄ちゃん、あんたの相手は俺達やで?」男達の中から、ぬっと大男が姿を現した。 総司を優男だと侮っていた男達は、無様に地面に転がった。「見掛け倒しとは、この事を言うのですね。」総司はそう言った後、屯所へと戻った。 一方、千尋を睨んでいた女は、ある場所へと向かった。そこは―「お嬢様、お帰りなさいませ。」「姉様は?」「あぁ、鈴世お嬢様は・・」「まだ、蔵に閉じ込められているのね?」「はい・・」「姉様の食事は、わたしが持っていくわ。」「わかりました・・」 女は女中の手から姉の食事を受け取ると、姉・鈴世が居る蔵へと向かった。「姉様、わたしよ。」「華・・その声は、華なの?」「そうよ、だからここを開けて頂戴、姉様。」 蔵の扉が開き、病的までに青白い肌をした女が姿を現した。にほんブログ村
2020年07月03日
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芹沢達が長州の者達に暗殺されたことにより、それまで芹沢率いる水戸派と、近藤率いる試衛館派という二つの派閥がなくなり、壬生浪士組から新選組へと名を変えた隊内の淀んだ空気は一気に浄化したようにみえた。しかし―「なぁ、聞いたか?尾上達、また脱走を企てたらしいぞ?」「またかよ・・これで何度目だよ、あいつら。」 稽古の後、千尋が他の隊士達と井戸で身体を洗っていると、脱走を企てて失敗した隊士が蔵に監禁されていることを千尋の近くに居た隊士達が話していた。「まぁ、厳しい稽古についていけなくて、里に帰りたかったんだろうさ。」「そんなに脱走したけりゃぁ、はじめから入隊するなって話だよな。」隊士達はそう言うと、大きな声で笑った。そんな彼らの会話を聞きながら、千尋は井戸を後にした。「さっき、あいつらの話を聞いただろう?」「ええ。原田先生、尾上さんの処分はどうなるのでしょうか?」「まぁ、脱走を企てたんだから切腹は避けられねぇな。」原田左之助はそう言うと、千尋を見た。「何とかして彼を助ける方法はないでしょうか?」「あるとしても、鬼の副長がそれを聞きいれると思うか?」原田の問いに、千尋は首を横に振った。 歳三が定めた局中法度には、“局ヲ脱スルヲ不許”という文言が掲げられており、いかなる事情を抱えた者であっても、新選組からの脱走を企てた者は切腹に処するという厳しい掟であった。「まぁ、こればかりは俺達は何もできねぇよ。」「そうですね。」「荻野君、土方さんが呼んでいますよ。」「はい、わかりました。」総司に呼ばれ、千尋が副長室に入ると、歳三は相変わらず渋面を浮かべながら文机の前に座って仕事をしていた。「副長、荻野です。」「荻野か、そこに座れ。」「はい。」「尾上に後で昼餉を持って行ってやれ。」「わかりました。」「あいつは少しおかしくなっているから、何かあったら外の監視役を呼ぶんだぞ、いいな?」「はい・・」 尾上の昼餉を蔵へと運んだ千尋は、蔵の中から不気味な声が聞こえてくることに気づいた。「尾上さん、そこにいらっしゃいますか?」千尋が蔵に入ると、尾上は壁に向かってぶつぶつと何かを話していた。「昼餉、ここに置いておきますね。」千尋がそう言って尾上の前に昼餉の膳を置くと、突然彼は千尋の手を掴み、千尋を床に押し倒した。「何をなさいます!」目を血走らせながら、尾上は口端から涎を垂らして千尋を見ると、彼の着物を脱がそうとした。「誰か、来てください!」千尋の声に気づいた監視役の隊士が、慌てて蔵の中に入り、尾上を押さえつけた。「大丈夫か?」「はい・・」「もうここには来ないほうがいい。」「わかりました。」 蔵から出た千尋は、恐怖で思わずその場にへたり込んでしまった。人があんなに狂った姿を見たのは、生まれて初めてだった。にほんブログ村
2016年09月13日
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「うわ、急に降ってきやがった。」「そうですね。さっきまで晴れていたのに、急に降ってきたら洗濯物がなかなか乾かないから困りますね。」 千尋が佐助と洗濯物を取り込みながらそんなことを話していると、彼は何者かの視線を感じて振り向いた。 すると、前川邸の前に一人の女が立ち、じっと千尋達の方を見ていた。「佐助さん、すいませんが洗濯物の方を宜しくお願いいたします。」千尋は佐助に洗濯物を任せると、女の元へと走って行った。「あなた、わたくしに何かご用ですか?」「別に何も。ただ最近壬生浪士組に入隊してきた異人とのあいの子を見に来ただけさ。」女はそう言って千尋の顔を覗き込んだ。「あなただって異人とのあいの子でしょう?」「それ、誰から聞いたの?」「そんなこと、あなたには関係ないでしょう。」「そうだね。わたしはつね。君は?」「荻野千尋と申します。」「千尋君ねぇ・・その名前、覚えておくよ。」女―つねはじろりと千尋を睨むと、雨の中何処かへと消えていった。「さっきお前、変な女と話していただろう?」「ええ。」「もしかしてあいつ、長州の間者じゃねぇの?」「そうでしょうか?」「まぁ、間者ならあんなに堂々と姿を見せるわけがねぇな。」佐助はそう言うと、雨戸を閉めた。「本当にやるのか、土方さん?」「ああ。」「容保公直々のご命令とあっちゃぁ、無視するわけにもいかないからな。」「そうだな。」副長室では、近藤達が芹沢鴨暗殺計画について話し合っていた。「芹沢さん、今夜は沢山飲んでくれ。」「ふん、下戸の貴様が飲みに誘うなど、珍しい事をするものだな。」 島原の料亭で酒宴を開いた歳三たちは、そこで芹沢達を泥酔させた。「もうそろそろ寝ただろうな?」「ああ。」黒装束に身を包んだ歳三たちは、雨の中芹沢達が寝ている前川邸の中へと入った。「なぁ、今何か大きな音が聞こえなかったか?」「気のせいじゃねえか?」「そうだな。」大部屋で寝返りを打ちながら、千尋は雨音に混じって男達の怒号や激しい剣戟の音を聞いたような気がした。 翌朝、芹沢鴨たちが昨夜未明に何者かに殺害されたことを千尋達は知った。「下手人は、恐らく長州の者だと・・」「まぁ、芹沢さん達は最近色々と恨みを買っていたから、いつかこうなると思っていたんだよな。」 朝餉を食べながら同僚たちがそんな話をしているのを聞きながら、千尋が味噌汁を啜っていると、そこへ総司がやって来た。「おはようございます、荻野君。」「おはようございます、沖田先生。」「昨夜、芹沢先生が何者かに暗殺されたとか・・」「ええ、そのようですね。」その時、総司の顔が少し引き攣っていることに千尋は気づいた。(沖田先生は、芹沢先生が殺されたことについて何か知っている・・)にほんブログ村
2014年07月22日
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「女が壬生寺の境内に?」「ええ、あの灯篭のところに居りました。」千尋がそう言って女が立っていた場所を指すと、そこには女の姿は既になかった。「おかしいな、さっきはあそこに居たのに・・」「荻野君、女の事は屯所に戻ってから話しましょう。」「はい、沖田先生・・」千尋は首を傾げながら、総司とともに洛中へと向かった。―壬生狼や・・―早う京から去ね・・ 洛中を巡察していると、町民たちの冷たい視線が千尋達を刺した。浅葱色の山形模様の揃いの羽織を着た彼らは、遠くから見てもかなり目立っていた。町民たちは、江戸からやって来た田舎侍達に対して悪感情を抱いていた。「沖田先生、先ほどから視線を感じるのですが・・」「余り気にしないほうがいいですよ。わたし達は芹沢さんの所為ですっかり京の人々から嫌われていますからねぇ。」「そうですか・・」 芹沢達水戸派は、最近軍資金集めと偽り、商家から押し借りを繰り返してはその借金を踏み倒していた。更に、島原の角屋で芸妓の髪を断髪させ、営業停止にさせるなどの暴挙を働いた。「沖田先生、芹沢局長は最近巡察にも出てきておりませんが、一体どうなさったのでしょうか?」「芹沢さんは、京の治安を守るよりも、お梅さんと遊んでいる方が楽しいんでしょう。」総司は嫌悪で顔を歪めながら、吐き捨てる様な口調でそう言うと、千尋に背を向けて再び歩き出した。 芹沢が借金の取り立てに来た商家の妾に乱暴を働き、その女を自分の妾にしたことは千尋達平隊士の間でも周知の事実である。芹沢は商家から押し借りした金を、お梅という妾の着物代に使っていた。 そのお梅は、芹沢という強力な後ろ盾があるからか、近藤達試衛館派には尊大な態度を取り、彼らからは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われていた。「土方さん、あの女は芹沢さんの威を借りて好き放題していやがるぜ。」「そうだよ、あの女と芹沢さん達とどうにかしないと、会津藩が俺達のことを見限るかもしれないぜ?」 副長室にやって来た藤堂平助と永倉新八は、芹沢達の素行の悪さを歳三にぶちまけた。「平助、新八、お前らは何も心配するんじゃねえ。芹沢さん達のことは、俺と近藤さんが何とかする。」「何とかするって・・具体的にはどうするんだ?」「それはまだお前らには話せねぇ。だが、策は考えてある。」「そうか・・忙しいのに、邪魔をして悪かったな。」「お前ら、必ず門限までには屯所に戻れよ。」「わかった。」歳三は平助達が副長室から出て行くのを見た後、溜息を吐いて書類仕事の手を休めた。(芹沢さんを、どうにかしねぇとな・・)にほんブログ村
2014年07月21日
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「貴様、何者だ!?」「名を名乗るほどのものではないよ。」女はそう言うと、貴助の顔を覗き込んだ。淡い褐色の瞳が月光を弾いて金色に輝いた。美しくも禍々しい色だった。「桂先生を探っているのか?」「いいや。お前の飼い主には興味はない。あるのは、お前の潜伏先・・狼どもの巣さ。」女は淡々とした様子でそう言うと、貴助を見た。「わたしはあいつらに少し恨みがあってね。報復の機会を狙っていたところなのさ。」「報復だと?仲間をあいつらに殺されでもしたのか?」「似たようなものだね。それじゃぁ、縁があったらまた会おう。」女はクスクスと笑いながら、闇の中へと消えていった。(薄気味悪い女だったな・・) 貴助がそう思いながら屯所に戻ると、井戸の傍で千尋が顔を洗っていた。「千尋・・」「貴助さん、今までどちらに行っていらしたのですか?」「ちょっと野暮用にね。」「そうですか。」「なぁ千尋、お前こそこんな時間に何をしているんだ?」「暑いので、少しでも涼もうかと思って顔を洗いに来たのです。」「そうか・・なあ千尋、屯所に戻る途中、変な女に会ったんだ。」「変な女、ですか?」「ああ。髪は頭巾を被っていてよくわからなかったが、恐らく異人とのあいの子だな。瞳の色が淡い褐色だった。」「そうですか。」「その女は、壬生浪士組に恨みがあるって言っていた。気を付けた方がいいぞ。」「そうですか、わかりました。」貴助の言葉に頷いた千尋は、大部屋へと戻った。 翌朝、千尋が台所で朝餉の支度をしていると、そこへ総司がやって来た。「荻野君、おはようございます。」「おはようございます。貴助さんから聞きましたが、昨夜副長から怒られたようですね?」「ええ、浪士たちの遺体を路上に放置してしまったことで、土方さんからきついお叱りを受けました。」「そうですか。それよりも昨夜、貴助さんから妙な話を聞きました。」「妙な話、ですか?」「ええ。何でも、昨夜変な女に会ったとか・・その女は、壬生浪士組に恨みを抱いていると・・」「そうですか。その女の正体を、監察方に探って貰うことにしましょうかね。」「有難うございます、宜しくお願いいたします。」「わかりました。今日も一日頑張りましょう。」「はい。」総司は台所から出ると、副長室へと向かった。「土方さん、失礼します。」「総司、何の用だ?」「昨夜、荻野君から聞いた話があるんですけれど・・」「勿体ぶらずにさっさとその話とやらを俺に聞かせろ!」苛立った歳三はそう言うと、総司を睨んだ。「壬生浪士組に恨みを抱いている女が、貴助君の後を昨夜つけていたそうですよ。」「女か・・」「もしかして土方さん、その女に心当たりでもあるんですか?」「うるせぇ!」 総司とともに巡察へ向かう途中、千尋は壬生寺の境内で一人の女こちらの様子を窺っていることに気づいた。「どうしました、荻野君?」「さっき、壬生寺の境内に女が・・」にほんブログ村
2014年07月21日
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「笑っていられるのは、今の内だぜ!」男はそう言って千尋を睨みつけると、彼に向かって突進した。だが男の刃が千尋の喉元に届く前に、彼は千尋によって斬り伏せられていた。「わたくしを侮っては困りますね。」「この、ふざけやがって!」眼前で仲間を倒された男は、殺意に滾った目で千尋を睨むと、獣のような雄叫びをあげながら千尋に向かってきた。だが、男の刃が千尋に届く前に、総司が男を一撃で斬り伏せていた。「荻野君、彼らの後始末は奉行所の方たちにお任せしましょう。」「ええ。」千尋と総司は男達の血で汚れた切っ先を懐紙で拭うと、そのまま男達の死体を放置して屯所へと戻った。「おいおい、待ってくれよ・・」貴助は二人を慌てて追いかけながら、背後に何者かの視線を感じた。(何だ、今の?)「貴助君、どうしたのですか?」「いえ、何でもありません!」(気のせいだな。)貴助は我に返り、千尋と総司の後を追った。 路地裏に、一人の女が佇んでいることに気づかずに。「総司、さっき奉行所の方から苦情が来たぞ。」「へぇ、そうですか。」「そうですか、じゃねぇよ!お前と荻野が騒ぎを起こしたせいで、俺がお前らの尻拭いをする羽目になったんだからな!」「それはすいませんねぇ。」「てめぇ、後で副長室に来い!」「はぁい、わかりました。」 屯所から戻った総司は、歳三から雷を落とされた。「沖田先生、わたくしの所為でご迷惑をお掛けしてしまって申し訳ありませんでした。」「荻野君、あなたが謝ることはないですよ。」総司はそう言って千尋の肩を優しく叩くと、そのまま大広間へと向かった。「なぁ千尋、さっきはお前、凄かったなぁ。」夕餉の支度の為に台所に入った千尋は、そこで貴助に話しかけられた。「ええ。」「千尋は江戸に居た頃、何処かの道場に通っていたのか?」「薙刀の道場に通っておりました。」「へぇ、そうだったのか。」「貴助さん、何故そのような事をお聞きになるのです?」「いや、ちょっと興味があってさ・・」「早く夕餉の支度をしませんと、副長の機嫌が悪くなるばかりですよ。」「ああ、そうだな・・」「道場の事は、またあとでお話しいたします。」千尋はそう言うと、夕餉の膳を持って台所から出て行った。 その日の夜、大部屋を抜け出した貴助は提灯を持って屯所を出て、ある場所へと向かった。「貴助、来たのか。」「桂先生、壬生浪士組には大きな動きはありませんでした。」「そうか。それよりも、あの金髪の少年の事は何かわかったか?」「あいつは、母親が病で亡くなるまで京に住んでいたそうです。何でも、母親は異人とのあいの子で、祇園で芸妓をしていたとか。」「報告有難う。お前はもうさがっていい。」「では、俺はこれで失礼いたします。」 貴助が桂の潜伏先である旅籠から出て屯所へと戻ろうとしたとき、彼は自分を尾行している何者かの気配を感じて振り向いた。「何者だ?」「おや、ばれてしまいましたね。」 闇の中でクスクスと笑う誰かの声が聞こえたかと思うと、月明かりに照らされた一人の女が貴助の前に現れた。にほんブログ村
2014年07月20日
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行きつけの茶店で団子を食べながら、千尋は自分の隣に座る貴助を見た。彼と初めて会ったとき、彼は騒ぎを起こしていた新見を見事な体術で倒した。「どうしたんだ?俺の顔に何かついているのか?」「いいえ。あなたと会った時、あなたは見事な体術で新見先生を倒しましたね。その体術は一体どこで学ばれたのですか?」「自己流さ。それよりも千尋、お前はこの前京で育ったって言ったよな?」「ええ。母が祇園の芸妓をしておりましたから、わたくしは母が亡くなるまで京の置屋で育ちました。」「そうか。道理で物腰が穏やかだと思ったぜ。」貴助はそう言うと、千尋に微笑んだ。「貴助さんのお国はどちらですか?」「江戸かな・・正直言うと、俺はいつどこで生まれたのかさえもわからないんだ。」「まぁ、そうでしたか。要らぬことを聞いてしまいましたね。」「いや、いいんだ。それよりも、沖田さんは本当に壬生浪士組一の剣の遣い手なのか?女みてぇな顔をしているし、あんな細い身体で剣が握れるのかねぇ?」「人は見かけによりませんよ。沖田先生は、天然理心流の師範代を務めていらっしゃる方なのですから。」「天然理心流?聞いたことがない流派だな。」「何でも、局長が江戸で道場をやっていた時に門下生の方々に教えていらした流派だとか・・詳しいことは余りわかりません。」「そうか・・」千尋に沖田総司の事を聞いた貴助だが、彼は余り幹部たちについて詳しくないらしい。「なぁ千尋、お前を連れて行きたいところがあるんだが、今度お前が非番の時はいつだ?」「そうですね、明後日あたりです。」「そうか。」「わたくしを連れて行きたいところとは、何処なのですか?」「それはまだ教えるわけにはいかない。楽しみが半減するだろう。」「それも、そうですね。」「二人とも、そろそろ屯所に戻りましょうか?」「ええ。」総司とともに茶店を後にする千尋の背中を眺めながら、貴助は暫く二人の様子を見ることにした。 はやまった行動をとっては、すぐにこちらの正体がばれてしまう。そうなれば、桂が自分を間諜として壬生浪士組を潜入させた意味がなくなってしまう。(桂先生のご迷惑を掛けないように、俺が出来ることをするんだ。)「貴助さん、どうかなさったのですか?」「いや、何でもない。」「夕餉の時間に遅れたら、土方さんに怒られてしまいますよ。」総司はそう言って貴助に微笑んだ。その笑みはまるで、菩薩のように優しいものだった。こんな女みたいな顔をした男が、鬼神のように剣を振るうのだろうか―そんなことを貴助が思ったとき、突然三人の前に人相の悪い数人の男達がやって来た。「何ですか、あなた方は?」「壬生浪士組一番隊組長、沖田総司だな?」「ええ、そうですが・・」「幕府の犬め、死ね!」男達は口々にそう叫ぶと、三人に突然斬りかかって来た。間髪入れず、総司は鯉口を切り、男達の一人を斬り伏せた。「余り騒ぎは起こしたくないのに・・困った人達ですねぇ。」そう言って笑う総司の目は、狂気に満ちていた。「おのれぇ・・」「囲め、相手は二人だけだ!」仲間を殺された二人の男達は、総司と千尋を囲んだ。「これで逃げられねぇだろう?」「それはどうでしょう?」千尋はそう言うと、男達を見て笑った。にほんブログ村
2014年07月18日
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「吉田、わたしと話したいこととは何だ?」「最近江戸からやって来た浪士組とかいう輩が幅を利かせているという話を、聞いているか?」「ああ。だが、どうやら浪士組は水戸天狗党の残党どもと、百姓崩れの者どもとの間で派閥争いが起きていると、この前わたしが放った間諜から文が来た。」「仲間割れか・・将軍警護の為に上洛してきたとか聞いたが、奴らの心は一つではないようだな。」「そうらしい。だが、相手を深く侮っていては、いずれこちらが泣きを見ることになる。吉田、くれぐれもはやまった行動はするなよ。」「わかった。」吉田はそう言うと、座布団から立ち上がって部屋から出て行った。「貴助、お前に頼みたいことがある。」「頼みたいこと、ですか?」「ああ。お前が話していた金髪の少年と、親しくなって貰いたい。」「何故ですか?」「間諜を浪士組の中に潜ませてはいるが、いつ向こうにこちら側の動きが露見するのかは時間の問題だ。そこでだ、浪士組の隊士と顔見知りのお前が間諜として潜り込めば、向こうも警戒しなくて済むだろう?」「良い案ですね、桂先生。」「上手くやってくれよ、貴助。」「はい。」貴助はそう言うと、桂に深く頭を下げた。「この任務、必ずやり遂げてみせます。」「頼りにしているぞ。」桂はそっと貴助の肩を叩くと、部屋から出て行った。 翌日、千尋が八木邸の中庭で洗濯物を干していると、そこへ貴助がやって来た。「よう、また会ったな。」「貴助さん、お久しぶりです。」「俺、浪士組に入隊することになったんだ。これから宜しく。」「こちらこそ、宜しくお願いいたします。」 長州の間諜として壬生浪士組に潜入した貴助は、千尋に親しげに話しかけ、彼の警戒心を解いた。「これからあんたのこと、千尋って呼んでもいいかい?名字で呼び合うのも、堅苦しいからさ。」「ええ、構いません。」「じゃぁ千尋、お前ぇさんは京に来たのは初めてなのかい?」「いいえ。わたくしは昔、京に住んでおりましたので、少し土地勘があります。」「へぇ・・俺はまだ江戸から来たばかりで、全然土地勘がないから、よく道に迷うんだよ。」「沖田先生も、そう仰られます。まぁ、毎日洛中を歩いていれば、慣れてきますよ。」「そうか。」「荻野君、ここに居たんですか。おや、そちらの方は?」縁側から声がしたかと思うと、貴助は自分達の前に黒髪を背中で一括りに結んだ優男がやってくることに気づいた。「沖田先生、こちらはこの前、洛中でお会いした・・」「貴助さんですね。初めまして、壬生浪士組一番隊組長の、沖田総司です。」「改めまして、自己紹介させていただきます。貴助です。」「名字は何というのですか?」「実は・・俺は自分の名字を知らないのです。」「まぁ、そうなのですか。すいません、失礼な事を聞いてしまいましたね。」「いいえ。名字を知らなくても、俺には貴助という名があるだけで充分ですから。」貴助はそう言うと、屈託のない笑みを総司に浮かべた。「貴助さん、これから荻野君と茶店に行こうと思っているのですが、あなたも一緒に如何ですか?」「お言葉に甘えさせてご一緒させていただきます。」(こいつが壬生浪士組一の剣の遣い手と言われる、沖田総司か・・そんな風には見えないな。)にほんブログ村
2014年07月15日
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「何をなさいます!」貴助から突然抱きつかれた千尋は、そう叫ぶと彼の頬を平手で打った。「済まねぇな、いきなり抱きついちまって。」「謝らなくても結構です。それよりも、何故屯所に居るのですか?」「あんたらの後をついてきたら、ここに迷い込んじまったんだよ。」「そうですか。貴助さん、今夜はもう遅いのでお帰りくださいませ。」「わかった。」貴助はそう言うと、千尋に背を向けて屯所から出て行った。「荻野君、どうしたんですか?」「沖田先生、先ほど貴助さんを井戸の傍で見ました。」「ああ、あの昼間の方ですか?どうしてこんな夜遅くに貴助さんが屯所に居たのですか?」「それが、わたし達の後をつけてきたら、屯所に迷い込んでしまったと・・」「何だか、怪しいですね。」総司は低く唸りながら、首を傾げた。「もう寝ましょう、明日も早いですし。」「ええ・・」千尋は総司とともに、屯所の中へと戻った。 その頃、夜の洛中を歩いていた貴助は、とある旅籠の前で立ち止まると、その中に入った。「只今戻りました。」「貴助、帰って来たか。」 貴助が旅籠の中に入ると、一人の青年が彼の元へ駆け寄って来た。「先生、帰りが遅れてしまって申し訳ありません。」「いや、いいんだ。それよりも、今日は洛中で侍相手に大立ち回りをしたとか・・」「ああいう類の輩は、見ていると癪に障るので、一度懲らしめた方がいいと思いましてね。それよりも、昼間異人とのあいの子を見かけましたよ。」「異人とのあいの子だと?」「ええ。そいつは金色の髪と翠の瞳をしていて、まるで西洋の宗教画に描かれている天使のような美しいやつでしたよ。男なのが残念でしたが。」「そうか。」「それよりも先生、最近壬生浪士組なる者達が幅をきかせているとか・・」「ああ。だが奴らは所詮江戸からやって来た田舎侍の集まりだ。わたし達が恐れることは何もない。」「そうですね。」「貴助、少しわたしに付き合ってくれないか?」「はい、わかりました。」旅籠から出た貴助と青年は、島原にある遊郭に来ていた。「桂先生、お久しぶりどすなぁ。」「最近忙しくて余り遊びに来られなくて済まないね。」「いいえ。桂先生はこの国の為に頑張ってくれてはるんやから、うちらは何も言える立場やおへん。」 その遊郭の女将は青年と貴助に微笑むと、彼らを奥の座敷に案内した。「先生、これから来るお方はどなたなのですか?」「それは会ってからのお楽しみだ。それよりも貴助、お前がさっき話していたあいの子の少年のことを、詳しく話してくれないか?」「わたしがそいつと立ち話をしたのはほんの少しだけですよ。先生、何故そいつの事ばかり聞くんですか?」「少し興味がわいてね・・」青年―長州派維新志士達のリーダー・桂小五郎は、そう言うと窓の外に浮かぶ月を眺めた。「桂先生、お客さんどす。」「済まない、用事があって少し遅れた。」「何だ、先生が会おうとなさっていたのは吉田先生だったのですね。」「貴助、久しぶりだな。相変わらずお前は口が達者だな。」「有難うございます、吉田先生。」 部屋に入った吉田稔麿は、そう言って貴助を見ると桂の隣に腰を下ろした。にほんブログ村
2014年07月10日
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※BGMとともにお楽しみください。「いきなり何を言っていやがる。俺達は何もそんなことは・・」「微塵にも思っていないと言えるのか?まぁ、儂らのような武家の者に比べて、お前達は武士のふりをしている紛い物にすぎんからな。」芹沢から侮辱され、歳三は怒りで頬を赤く染めた。(こいつ、言わせておけば・・)歳三が黙って芹沢を睨みつけていると、彼は歳三に臆することなく歳三を睨み返した。「お前ともう話すことなどない、さっさとここから出て行け。」「言われなくとも、出て行ってやるよ。」歳三は座布団から立ち上がり、芹沢の部屋から出て行った。「トシ、大丈夫か?」「ああ。近藤さん、後で俺の部屋に来てくれねぇか?」「わかった。」 八木邸に戻った歳三が溜息を吐きながら副長室に入ると、そこには自分の句集を読んでいる総司の姿があった。「総司、勝手に俺の句集を読むんじゃねぇ!」「減るもんじゃないんですから、いいでしょう?」「良くねぇよ!」歳三が総司から句集を奪い返そうとしたが、総司は歳三の脇をすり抜け、何処かに逃げて行ってしまった。「ったく、あいつは俺に嫌がらせを毎日一回しねぇと済まねぇのかよ・・」彼が溜息を吐きながら文机の前に腰を下ろそうとしたとき、文机に文が置かれていることに気づいた。(何だ?)歳三がその文を開くと、そこには総司の字で、“余り無理しないでくださいね。”とだけ書かれていた。「馬鹿野郎、お前に心配されるほど、俺は落ちぶれちゃいねぇよ。」そう言った歳三は、口元に笑みを浮かべていた。「荻野君、少しいいですか?」「ええ、構いませんよ沖田先生。」「じゃぁ、失礼しますね。」 千尋が大部屋で読書をしていると、そこへ総司がやって来た。「沖田先生、それは?」「ああ、これは土方さんの句集です。あの人、下手な俳句をここに書き溜めているんですよ。」「そうなのですか・・少し、見ても宜しいでしょうか?」「ええ、構いませんよ。」総司がそう言って歳三の句集を千尋に見せようとしたとき、大部屋の襖が勢いよく開け放たれた。「総司ぃ、やっと見つけたぞ!」全身に殺気を漂わせた歳三は、鋭い眼光を光らせながら総司を睨みつけると、彼の手から句集を奪った。「あの、副長はどうしてさっき怒っていらっしゃったのでしょうか?」「土方さん、あの句集をわたしに奪われて大声でこの前朗読されたものだから、わたしになかなか句集を見せてくれないんですよ、酷いでしょう?」「そんなことがあったんですか・・」千尋は総司の話を聞きながら、何と答えたらいいのかわからずに、彼に愛想笑いを浮かべた。 その日の夜、喉が渇いた千尋が水を飲みに井戸へと向かうと、そこには昼間街中で見かけた謎めいた青年・貴助の姿があった。「あなたは・・確か、貴助さんでしたね?一体どうして、このような場所に居られるのですか?」千尋の問いに貴助は答えずに、いきなり千尋を抱き締めた。にほんブログ村
2014年07月08日
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青年と目が合った千尋は、総司とそのままその場から立ち去ろうとしたが、不意に彼に手を掴まれた。「あんた、綺麗な顔をしてんなぁ。」振り向くと、そこには自分に笑顔を浮かべる青年が立っていた。「先ほどの体術、お見事でした。どこで会得されたのですか?」「なぁに、あれは勝手に本を見て、俺が自己流で学んだものさ。それよりもあんた、異人とのあいの子かい?」「いいえ、異人とのあいの子は、わたくしの母です。」 江戸の荻野家に住んでいた頃、女中達から時折蔑みの視線を送られたことがあったが、青年のようにあからさまに不躾な質問をぶつけるような者はいなかった。初対面の自分に対し、無礼な態度を取る青年に怒りを感じるどころか、千尋は少し拍子抜けしてしまった。「そうかい。あんた、名は?」「そちらからお名乗りするのが礼儀では?」「あぁ、こりゃぁ済まねぇなぁ。俺ぁ貴助(きすけ)っていうんだ。」「荻野千尋と申します。」「それじゃぁ、またな千尋!」青年―貴助はそう言うと、千尋に向かって手を振った。「何だか面白い人でしたね。」「ええ。あの方、町人ではなさそうです。」「そうですね。先ほどの体術といい、喉元に刃を突きつけられても毅然な態度を取っていた様子といい、恐らく武家、それも名家の御出身のようですね。」 総司と千尋が貴助の正体を互いに推理しながら屯所に戻ると、前川邸の方が何やら騒がしかった。「どうしたんでしょうね?」「総司、やっと帰って来たのかよ!」「平助、前川邸の方で何かあったの?」「それがさぁ、芹沢さんが借金の催促に来た菱屋の妾を部屋に連れ込んで手籠めにしたんだよ。」「何てこと・・それで、その方は?」「女は悲鳴を上げて家からさっき裏口から出て行ったさ。まったく、芹沢さんは商家に押し借りをしては町民から嫌われているっていうのに、これじゃぁますますあの人の所為で壬生浪士組の評判が悪くなる一方だ。」「土方さんはどちらに?」「土方さんなら、近藤さんと一緒に芹沢さんの所へ抗議に行ったよ。」「そうですか・・」総司はそう言うと、前川邸に向かった。「芹沢さん、何てことをしてくれたんだ!」「まぁそう怒るな、土方。痴情の縺(もつ)れに口を挟むなど、無粋というものだ。」「痴情の縺れだと!?借金の催促をしてきた商家の妾を手籠めにしただろうが!」歳三はそう言うと、芹沢を睨んだ。「ただでさえあんたの所為で、壬生浪士組は町民たちから嫌われているんだ!それなのに、ふざけたことをしやがって!」「おい土方、芹沢先生に対して何と無礼な口の利き方を・・」「新見、お前は下がっていろ。」「ですが先生・・」「近藤、お前も下がれ。土方と二人で話したいことがある。」「わかりました。」近藤はそう言うと、心配そうに歳三を見た後、部屋から出た。「俺と話したいことってなんだ、芹沢さん?」「土方、貴様は何やら大きな勘違いをしているようだな?」「勘違いだと?」「そうだ。貴様はもしや、わし達を出し抜いて会津藩に取り立てて貰おうなどと企んではおるまいな?」にほんブログ村
2014年07月06日
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「荻野、一本!」「また荻野が勝ったぞ!」「凄いな、あいつ。」 隊士達は道場で稽古をしながら、千尋を見ていた。「おいてめぇら、さぼってんじゃねぇぞ!」「まだ鍛え足りねぇようだなぁ。」「ふ、副長・・」隊士達はその後、歳三から厳しい稽古を受けた。「荻野君、剣の腕が上達しましたね。」「いいえ、わたくしは沖田先生の足元にも及びません。」「そんなに謙遜しなくてもいいですよ。それよりも、わたしこの前いいお店に行ったんですけれど、荻野君もどうですか?」「お言葉に甘えてご一緒いたします。」 稽古が終わり、千尋は総司とともに祇園の「鍵膳」という甘味処へと向かった。「この店の名物は、黒蜜入りの葛きりが美味しいんですよ。」「そうですか。ではわたくしもそれをお願いいたします。」「へぇ。」「沖田先生は、甘い物がお好きなのですね。」「ええ。江戸の菓子も美味しいですが、京の菓子は見るだけでも楽しめますね。」「そうですね。沖田先生、今日はこんな素敵なお店に連れて来てくださって、有難うございます。」「礼など要りませんよ。その代わり、わたしの買い食いにこれから付き合ってくださいね。」「わかりました。」 鍵膳で葛きりを堪能した後、千尋と総司が店から出ると、何やら通りに人だかりができていた。「何でしょう?」「行ってみましょうか。」二人が野次馬を押しのけると、道の中央に一人の侍の前にひれ伏す若い娘の姿があった。「どうか、堪忍しておくれやす。」「刀の鍔が当たっただけで、あないに激昂するやなんて・・」「ほんま、壬生狼は怖いわぁ。」若い娘を怒鳴りつけている侍は、よく見ると水戸派の新見錦だった。「新見先生・・」「止しなさい、荻野君。ここで騒ぎを起こしたら、わたし達の印象がますます悪くなります。」「ですが・・」千尋は何とかして若い娘を助けようと、野次馬の中から飛び出そうとした。その時、新見と若い娘の間に、突然一人の青年が割って入って来た。「若い娘さんにそう怒鳴りつけなくてもいいだろう?そんなんじゃ、男が廃るぜ?」「何だ、貴様!」「別に俺ぁ名乗るほどの者でもねぇさ。」青年はそう言って笑うと、新見を睨んだ。紺の着流しを纏い、肩に木刀を担いでいる青年は、自分の喉元に刃を突きつける新見の前でも泰然とした態度を取っていた。一体彼は何者なのだろう―千尋がそう思ったとき、突然新見の身体が地面にたたきつけられた。「おのれ・・」「さっさとここから立ち去りな、俺にこれ以上痛めつけられる前に。」口元に笑みを浮かべながら新見にそう言い放った青年の目は、全く笑っていなかった。「覚えておれ!」新見が去って行った後、青年は地面にひれ伏している若い娘の手をとった。「気を付けて家に帰りなよ。」「おおきに、助かりました。」若い娘は青年に向かって頭を下げると、そのまま通りの向こうへと消えていった。「あの人、身のこなしが軽いですね。」「そうですね。只者ではないことは確かですね。」千尋がそう言いながら総司の方を見ると、彼は青年と目が合った。にほんブログ村
2014年07月05日
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「誰です、そちらに居るのは?」「バレた!」「だからやめろって言っただろうが!」 外の茂みからがさがさと騒がしい音が聞こえたかと思うと、その中から数人の男達が出てきた。「うるせぇぞてめぇら、一体何の騒ぎだ!?」「副長・・」「あの、これは・・」「言い訳は副長室で聞く!てめぇら、さっさと俺について来い!」 千尋が風呂から上がると、彼は総司に呼ばれて副長室に向かった。「副長、荻野です。」「入れ。」 副長室に入った千尋は、歳三の前で正座している数人の男達と目が合った。「こいつらが、先ほどお前が風呂に入っているのを覗いていた。」「まぁ、そうでしたか・・それが、どうかなさいましたか?」「今、俺がこいつらに何でお前の裸を覗いていたのかって聞いていたところだ。」千尋が男達を見ると、彼らは一斉に俯いた。「この前の相沢達の騒ぎといい、今回の騒ぎといい・・隊内の風紀が乱れて困るな。」「土方さん、このままだと埒が明かないので、荻野君をわたしと斎藤さんの部屋に連れて行っても宜しいですか?」「好きにしろ。」「では荻野君、行きますよ。」「はい・・」 副長室から総司とともに出た千尋は、その足で総司の部屋に向かった。「もう遅いから、お休みなさい。」「はい・・沖田先生、あの人たちはどうなるのですか?」「それは、土方さんが決めることですから、わたしにはわかりませんね。」総司はそう言って千尋に微笑んだ。「あなたが京に来たのには、深い事情があるのでしょうね。」「深い事情などありません。ただ、家に居場所がなかっただけです。」「そう。わたしも、九つで試衛館の内弟子になったのは、家の事情で口減らしの為に出されたようなものです。」「そんな事情があったのですか。」「人は誰しも、他人には口外できないような秘密を抱えていますよ。わたしと同室の、斎藤さんも色々と事情を抱えていますからね。」総司はそう言って千尋の隣に横になると、そっと千尋の手を握った。「荻野君、これから辛いことがあったら何でも隠さずにわたしに言ってくださいね。悩みや苦しみを一人で抱えるよりも、二人で分かち合った方が楽になるでしょう。」「はい・・」「さてと、もう寝ましょうか。」「お休みなさいませ、沖田先生。」「お休みなさい、荻野君。」 斎藤が副長室から出て部屋に入ると、彼は総司と千尋と手を握り合いながら寝ている姿を見て思わず笑ってしまった。「おはようございます、沖田先生、斎藤先生。」「おはよう、荻野君。昨夜は良く眠れたようですね?」「ええ、沖田先生のお蔭です。」 翌朝、総司と斎藤が井戸で歯を磨いていると、稽古に向かう途中の千尋はそう言って二人に会釈をし、道場へと向かった。「お前と荻野君は、まるで実の兄弟のように仲が良いな。」「斎藤さん、もしかして荻野君に妬いているんですか?」「何を言う。」 斎藤はそう言って総司を見ると、彼はクスクスと笑いながら井戸から去っていった。にほんブログ村
2014年07月03日
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「千尋ちゃん、あんた珠代ちゃんからあの子の両親の事を何か聞いてないか?」「いいえ。」 亡き母・珠代が生きていた頃、千尋は一度も彼女から自分の祖父母にあたる彼女の両親について何も聞いていなかった。「珠代ちゃんはなぁ、異人とのあいの子やったんや。」篠は千尋の顔を見ながらそう言うと、茶を一口飲んだ。「もしかしたら、あんたのことを探してはる人というんは、あんたの母方のお祖母さんかもしれへんなぁ。」「もしそうだとしても、何故今更になってわたくしのことを探しに来たのでしょうね?」「それは、うちにもわからへんわ。それよりも千尋ちゃん、いつまで京におるつもりなん?」「わたくしは、江戸にはもう戻りません。」「そうか。珠代ちゃんの墓参りにはもう行ったんか?」「いいえ。今度しのさんが母の墓に案内してくださることになったので、その時に母の墓参りに行こうかと・・」「そうした方がええ。なんやこの年になって長生きできてよかったわぁ。こうして千尋ちゃんが成長した姿を見られるんやからなぁ。」「わたくしも、女将さんと久しぶりに会えてよかったと思っております。」 篠と取り留めのない話を一時間ほどした後、千尋は『大和屋』の前で彼女と別れ、屯所へと戻った。「随分と遅かったですね。」「少し人に会っていたものですから・・」「あなたが会っていた人というのは、この前ここへ来ていた女の方ですか?」「いいえ、違います。わたくしが会っていたのは、昔お世話になっていた祇園の置屋の女将さんです。」「そうですか。失礼な事を聞いてしまいましたね。」 玄関先で千尋を出迎えた総司は、そう言うと彼に頭を下げた。「沖田先生、わたくしに何かご用でしょうか?」「ええ。先ほどあなたに江戸のお兄様から文が届いたので、それを渡そうと思ってあなたの帰りを待っていたのですよ。」「有難うございます、沖田先生。」 総司から道貴からの文を受け取った千尋は、大部屋の隅でそれに目を通した。そこには、兄の子を授かったお英が、“不幸な事故”に遭い子を流してしまい、そのことでお英が由美子から激しく詰られたということが書かれてあった。(酷い・・)ついこの前まで、お英が子を授かったことを知った千尋にとって、子を失ったお英がどんな気持ちでいるのか、容易に想像が出来た。そして、お英を流産させたのは由美子の仕業に違いないと、彼はにらんだ。「どうした、そんなに怖い顔して?」「佐助さん・・」千尋は我に返り、自分の背後に立っている佐助に気づいた。「さっきあんた、鬼みてぇな恐ろしい顔をしていたぜ?何か実家の方であったのかい?」「いいえ、何でもありません。」「あんたみてぇな可愛い子ちゃんには、怒り顔よりも笑い顔の方が似合うぜ。」「男に可愛い子ちゃんというのはいただけませんね。」佐助の言葉を受けた千尋が思わず顔を顰(しか)めると、彼は大きな声で笑った。「もうちょっと肩の力を抜いたらどうだい?」「そうですね・・」 夕餉の後、千尋は湯船に浸かりながら溜息を吐いていた。“もうちょっと肩の力を抜いたらどうだい?”(肩の力を抜く、かぁ・・) 人の顔色を窺う癖をどうすればなくせるのだろうかと思いながら千尋が湯船から上がろうとした時、外で何か物音がした。にほんブログ村
2014年07月02日
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江戸から上洛してから半月以上が経ち、千尋は漸く京での生活に慣れてきた。「荻野君、何処かに出かけるのですか?」「ええ。」「気を付けて行ってらっしゃいね。」「はい、わかりました。」 屯所を出た千尋は、その足でかつて自分が住んでいた祇園の置屋『大和屋』へと向かった。 三条大橋を渡り、花見小路を通ると、千尋は祇園の風景が少しも変わっていないことに気付いた。「あら、誰かと思うたら千尋ちゃんやないの。」 背後から突然声がして千尋が振り向くと、そこには宮川町の芸妓・しのが立っていた。「しのさん、お久しぶりです。」「まぁ、随分と綺麗になったなぁ。あんたの亡うなったお母さんによう似てはるわぁ。」しのはそう言って千尋に笑うと、彼を近くにある甘味処へと連れて行った。「しのさん、『大和屋』の皆さんは元気にしておられますか?」「篠さんなら、元気にしてはるえ。それよりも千尋ちゃん、あんた江戸で暮らしていたのと違うの?」「色々と事情がありまして、京で暮らすことになりました。」「へぇ、そうなんや。そういえばなぁ、あんたに会いたいて言う人が、この前うちのお座敷に居たんえ。」「その方は、男の方ですか?」「女のお客様やったわ。お座敷には普通男のお客さんしか居てはらへんから、珍しいなぁと思うて色々と聞いてみたら、そのお客さん、あんたのことを探しているみたいでなぁ・・」「そうですか。しのさん、その女性の年恰好とかはわかりませんか?」「余り長いことそのお座敷に居てへんはったさかい、詳しいことはわからへんかったわ。」「そうですか。」「珠ちゃんのお墓参りには行ったん?」「いいえ、まだ行っておりません。母の墓が何処にあるのかさえ、知りませんし・・」「何やったら今度、うちが珠ちゃんのお墓に案内してあげるわ。」「まぁ、有難うございます。」甘味処の前でしのと別れた千尋は、『大和屋』へと向かった。「御免ください。」「どちらさんどす?」 廊下の奥から出てきたのは、若い舞妓だった。「あの、女将さんにご用があるのですが、女将さんを呼んできては貰えませんでしょうか?」「しずちゃん、誰か来たんか?」「おかあさん、お客様どす。」「千尋ちゃんやないの。」玄関先で千尋を出迎えた篠は、そう言うと彼に優しく微笑んだ。「お久しぶりです、女将さん。」「まぁ、会わん内に綺麗になって・・立ち話も何やさかい、奥でお茶でも飲みながら話でもしようか?」「はい。」「しずちゃん、うちの部屋にお客様を案内しおし。」「わかりました、おかあさん。」先ほど千尋に応対した若い舞妓は篠の言葉を聞いてさっと立ち上がり、千尋を篠の部屋へと案内した。「千尋ちゃん、あんたはてっきり江戸で幸せに暮らしていると思うてたんやけど・・何で京に居るん?」「それには色々と事情がありまして・・それよりも女将さん、さっき宮川町のしのさんから聞いたのですが、わたくしを探している方がいらっしゃるとか・・」「ああ、その話か・・」千尋の言葉を聞いた篠は、そう呟くと深い溜息を吐いた。にほんブログ村
2014年07月01日
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「ゆい義姉様、こちらの方は?」「千尋さん、こちらの方はわたくしの知人の、正宗様です。正宗様、こちらはわたしの義弟だった、千尋さんです。」「初めまして、ゆいからはよくあなたのお話を聞いています。」そう言って千尋に笑顔を浮かべたゆいの知人・正宗は、精悍な顔をしていた。彼と会った時、千尋はゆいには新しい恋の相手が出来たのだと勘で解った。「では千尋さん、わたくし達はこれで失礼いたします。」「ゆい義姉様、久しぶりにお会いできてよかったです。どうか正宗様とお幸せに。」千尋の言葉を聞いたゆいは少し顔を赤く染めながら、彼に微笑んだ。「千尋さんには隠し事は出来ませんわね。」 茶店の前でゆい達と別れ、屯所に戻った千尋は、江戸に居る兄夫婦に手紙を書いた。『道貴兄様、お英義姉様、お元気でお過ごしでしょうか?今日、ゆい義姉様と京でお会い致しました。ゆい義姉様は知人の正宗様と金毘羅参りをされている途中で、京見物にやって来たそうです。正宗様とゆい義姉様・・ゆい様は、わたくしが傍目から見ても夫婦にしかみえませんでした。あんなことがあって、わたくしはゆい様のことを心配しておりましたが、彼女が幸せを掴めたことに安堵いたしました。道貴兄様も、お英さんと新たな幸せを掴んでくださいませ。 千尋より』 千尋の文を読み、別れた妻・ゆいに新しい恋人ができたことを知った道貴は、彼女の事を想った。彼女は、自分の事を恨んでいないのだろうか。「道貴様、どうなさいました?」「何でもない・・」「そうですか。」お英は、夫が義弟の文を握り締めていることに気付いた。「また、千尋さんからお手紙が届いたのですね?」「ああ。あいつは京で、ゆいに会ったそうだ。」「そうですか・・」「あいつにはもう、新しい恋人がいるそうだ。」「それは、良かったですね。わたくしの所為で、ゆい様は・・」「もう、終わったことだ。それよりもお英、身体は大丈夫か?」「はい。」「余り無理をするなよ。」「わかっております。」道貴は、お英の少し膨らんだ下腹を愛おしそうに撫でた。「お英さん、ちょっと来て!」「すぐに参ります、お義母様。」 由美子に呼び出され、お英は荻野家の台所に向かった。「何の用でしょうか、お義母様?」「ここの棚、汚れているようだから雑巾で拭いて頂戴。」「わかりました。」お英は戸棚の汚れを拭こうと、踏み台に足を掛けた。その時、彼女は踏み台から足を踏み外し、固い三和土(たたき)に下腹を強く打ち付けた。「お英様、大丈夫ですか?」女中が台所に入ると、下腹を押さえて額から脂汗を流しているお英の姿があり、彼女は苦しそうに呻いていた。「誰か、お医者様を呼んで・・」「お英様、血が・・」お英は粘ついた血が内腿を流れてゆくのを感じ、意識を失った。「先生、お英は・・」「腹の子は、残念だったな。」「そんな・・」にほんブログ村
2014年06月30日
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「由美子さん、お聞きになりましたわよ。あのような女を嫁として迎えるなんて、あなたも大した神経の持ち主ねぇ。」「あら、わたくしはあの人の事を荻野家の嫁として認めたことはありませんよ。」由美子は友人から道貴とお英の結婚について話を振られると、彼女はそう答えて花鋏を手にした。「それもそうよねぇ、いくら元は武家の出だからといっても、芸者をしていた女が武家の妻が務まるはずがないわ。」「そうね・・」由美子の部屋からそんな話し声が聞こえ、お英はそっと彼女の部屋の前から離れた。「お英、どうした?」「いいえ、何でもありませんわ。」「また母上から何か言われたのか?」「お義母様がわたくしの事を嫌っているのは存じております。ゆいさんとのこともありますし・・」「それはもう終わったことだ。」道貴はそう言うと、お英を抱き締めた。「今わたしの妻は、お前だけだ、お英。」「あなた・・」 道貴がお英と結婚して二月が経った頃、彼女は道貴の子を身籠ったことに気付いた。「道貴様、お帰りなさいませ。」「どうしたお英、今日は何か嬉しいことがあったのか?」「ええ。今日産婆さんのところに母と行きましたら、あなたの子を身籠っていることを知りました。」「そうか、良かったな。母上も、これでお前の事を認めてくださるだろう。」「ええ・・」由美子はお英から妊娠したことを告げられても、彼女に笑顔を見せなかった。「お英、もう部屋で休んでいろ。」「わかりました。お休みなさいませ。」 江戸に居る道貴から、お英が妊娠したという文が届いたのは、蒸し暑い夏が始まる頃であった。「荻野、お前に客だ。」「わたくしに客ですか?」「ああ、何でも綺麗な女の客だ。ありゃぁ良家の奥方様だな。」「その方はどちらに?」「八木邸の玄関に居る。」「有難うございます。」兄の文を読み終えた千尋が部屋から出て八木邸の玄関へと向かうと、そこには旅姿のぬいが立っていた。「ご無沙汰しております、千尋さん。」「ぬい義姉様、お久しぶりです。お元気そうで、何よりです。何故、義姉様が京へ?」「ねぇ千尋さん、久しぶりに会ったのですから、何処か人目のつかない所でお話しませんこと?」「ええ、わかりました。」 ぬいとともに千尋は茶店に入ると、ぬいは茶を一口飲むと千尋を見た。「わたくしが京に居るのは、知り合いに誘われて金毘羅参りに行く途中なのです。」「まぁ、そうですか。」「千尋さん・・あの方は、どうされていますか?」「道貴兄様は、あの方と結婚されました。」暫し、二人の間に沈黙が流れた。「そうですか・・」「ゆい義姉様、そのお知り合いの方は今どちらに?」「それは・・」「ゆい、ここに居たのか。」 二人の前に、突然一人の男が現れた。にほんブログ村
2014年06月29日
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道貴からの文には、彼が元武家出身の芸者・お英と結婚したことだけが書いてあった。(道貴兄様が、あの方と・・) 義姉・ゆいと道貴が離縁する原因となったお英と道貴が結婚したことを知り、千尋は動揺した。あの気位の高い由美子が、彼女を嫁として受け入れたのだろうか。「兄さんからの文には、何が書いてあったんだい?」「結婚したとだけ、文には書いてありました。」「へぇ、めでたいことじゃねぇか。祝いの品でも贈ってやんな。」「そうですね。」荻野家の事情を知らない佐助は、呑気にそんな事を言いながら、味噌汁を啜った。 朝餉を食べた後、千尋は道貴の結婚祝いの品を買いに、洛中の簪屋(かんざしや)に向かった。「何かお探しですか?」 千尋が店の暖簾(のれん)をくぐり店内に入ると、店の奥から店主が出てきた。「女性に結婚祝いの簪を贈りたいのですけれど、数本選んでいただけませんか?」「かしこまりました。」店主はそう言うと、店の奥へと消えた。 千尋が店内の商品を見ていると、暫く経って店主が数本の簪を持って店内へと戻ってきた。「お待たせしました。結婚祝いのお品はこちらになっております。」「有難うございます。」千尋は簪の中から、薬玉がついたものを選んだ。「これを頂きます。」簪を購入した後、屯所に戻った千尋は、道貴に手紙を認(したた)めた。『兄様、このたびはご結婚おめでとうございます。義姉様に似合いそうな簪を贈ります。 千尋』 京から贈られた千尋の文を読みながら、道貴は溜息を吐いた。お英と結婚してから一月しか経っていないが、由美子は未だにお英を荻野家の嫁として認めていない。 彼女が芸者をしていたという経歴を持ち、道貴と最初の妻を離縁させた原因であるということを由美子は知っていた。それ故に、どうしても由美子はお英に対して辛く当たってしまう。「道貴様、わたくしで本当に宜しかったのでしょうか?」「何を言うんだ、お英。わたしがお前を妻として迎えたんだ。母上の事は気にするな。」道貴はそう言ってお英を慰めたが、男である自分にとって、嫁姑の関係はわからないことが多い。「兄上、いつまであの女をそばに置いておくおつもりですか?」「紀洋、それはどういう意味だ?」「あの女は、義姉上をこの家から追い出したのですよ。よくそんな女と夫婦になれましたね?」紀洋はそう吐き捨てる様な口調で言うと、部屋から出て行った。「申し訳ありません、道貴様。わたくしの所為で、道貴様がお辛い目に・・」「気にするな、お英。その簪、似合っているぞ。」「有難うございます。」『千尋、結婚祝いの簪を贈ってくれてありがとう。お英が大層喜んでいたよ。道貴』(兄様、お英様と末永くお幸せに。)にほんブログ村
2014年06月28日
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千尋が歳三とともに大部屋に戻ると、相沢と彼の仲間である三人の隊士達は布団の上で正座して俯いていた。「荻野から話は聞いた。お前ら、こいつの寝込みを襲おうとしていたそうだな?」「はい・・申し訳ありません。」「謝るくらいで済むんなら、罰なんざ要らねぇんだよ。」歳三はそう言うと、相沢達を睨んだ。「お前らの処分は後で言い渡す。それまで、大人しくしておくんだな。」歳三はそう言って相沢達を睨むと、大部屋から出て行った。「相沢、だから止そうと言っただろう?」「そうだよ、いくら荻野が気に入らないからってあいつの寝込みを襲うなんて、まともじゃないぜ?」相沢の仲間達はそう言って相沢を責めると、彼は憤然とした表情を浮かべながら彼らを睨みつけた。「お前らとはもうこれきりだ。」相沢は、仲間に背を向けると布団に包まって寝た。今回の事件で、相沢達に除籍処分が下った。「トシ、あいつらに除籍処分なんて、厳し過ぎないか?」「甘ぇよ、近藤さん。今回のような事がまた起こったら、こっちの監督責任を問われるんだぜ?会津藩に伝わらなかっただけでも良かったじゃねぇか!」「う~ん、そうだなぁ・・」近藤はそう言って唸ると、両腕を組んだ「まぁ、男ばかりの集まりで荻野君みたいな可愛い子が居たら、つい手を出したくなっちゃいますよねぇ。」「おい総司、何寝ぼけたことを言っていやがる。そんな暇があったら、新入りの隊士に稽古でもつけろ!」「わかりました。」総司は近藤と歳三に頭を下げ、副長室から出て道場へと向かった。「総司、遅かったな。また土方さんに呼ばれていたのか?」「ええ。原田さん、稽古はどうです?」「まぁまぁだな。お前が目を掛けている荻野ってやつ、可愛い顔をして結構強いぞ。」「そうですか。」「あと、魚屋の倅も江戸で道場通いをしているからか、腕が立つ。あの二人は将来が楽しみだな。」「そうですね。」総司はそんな事を原田左之助と話しながら、新入隊士達が稽古に励む様子を眺めていた。「沖田先生、わたくしに稽古をつけてくださいませ。」「わかった。手加減はしないから、そのつもりでいてね。」「はい、宜しくお願いいたします。」 千尋は竹刀を構え、総司に向かって突進した。総司は千尋の攻撃をかわし、間髪入れずに竹刀を千尋の胴に叩き込んだ。「稽古をつけていただき、有難うございました。」「荻野君、これからも精進してね。」「はい。」 稽古が終わり、千尋が井戸で顔を洗っていると、そこへ佐助がやって来た。「昨夜は災難だったな?」「ええ。相沢さん達は今どちらに?」「あいつらなら、俺達が起きる前に江戸に帰っちまった。まぁ、あんな騒ぎを起こしておいて、俺達と合わす顔なんざねぇんだろうさ。」「そうですか・・何だか、相沢さん達に悪いことをしてしまいましたね。」「そんなに自分を責めることはねぇよ。悪いのはあいつらなんだから。」「そうですね・・」 千尋が佐助とともに朝餉を食べていると、総司が千尋に一通の文を渡した。「あなたに、江戸のお兄様からお手紙が届いていますよ。」「有難うございます。」にほんブログ村
2014年06月27日
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朝餉を食べた後、千尋は屯所を出て壬生寺の境内で薙刀の稽古を始めた。 江戸で道場に通っていた頃は熱心に薙刀の稽古に精を出していたが、京に来てからは色々と忙しく、稽古をする時間すらなかった。久しぶりに薙刀の稽古をすると、滴り落ちる汗とともに、己の内側に溜まっていた鬱屈とした感情がなくなっていくのを感じた。「朝餉の後、急にいなくなったと思ったら、こんなところにいたのかい?」「佐助さん、あなたも稽古にいらしたんですか?」「まあな。部屋に閉じこもるよりも身体を動かしてねぇと、余計な事を考えちまうからな。」佐助はそう言って腰にさしていた木刀を抜くと、素振りを始めた。 千尋が薙刀の稽古を終えて屯所に戻ると、副長室の方から怒鳴り声が聞こえた。「芹沢さん、あんたまた騒ぎを起こしたんだってな!?」「ふん、そんなに目くじらを立てることはなかろう。わしは気に入らん相手を殴っただけだ。」副長室の襖から少し中を覗いた千尋は、中で歳三が鉄扇を持っている男と対峙していた。「こっちはまだ京に入って日が浅いんだ。それなのにあんたが色々と面倒な事を起こすから、何の関係もない俺達まで町民から白い目で見られているんだ!」歳三がそう言って鉄扇を持っている男を睨むと、彼は欠伸をして副長室から出て行った。「トシ、落ち着け。今芹沢さんと騒ぎを起こしたら、厄介なことになる。」「ったく、あの人はあんたが何も言わないのをいいことに好き放題しやがって・・芹沢さんは浪士組を潰す気か!?」「あの人にも困ったものだよ。」 千尋が井戸で身体を洗っていると、そこへ自分に絡んできた相沢がやって来た。「何かわたくしにご用でしょうか?」「別に。暑いから水浴びでもしようと思っただけだ。」「そうですか。ではわたくしはこれで。」 その日の夜、千尋が大部屋で寝ていると、誰かが自分の枕元に立つ気配がした。「なぁ、こいつ起きてねぇだろうな?」「相沢、こんなことをして大丈夫なのか?」「バレなければ大丈夫だろう。」「そう言うけどなぁ・・」千尋が暫く寝たふりをしていると、誰かが千尋の布団を剥がした。「あなた方、何をしているのです?」自分の寝込みを襲おうとしている隊士達は、千尋が起きていることを知りバツの悪そうな顔をした。「なぁ、このことは見逃してくれよ・・」「そうは参りません。」千尋はそう言って布団から起き上がると、そのまま大部屋から出て副長室へと向かった。「副長、荻野です。よろしいでしょうか?」「入れ。」「失礼いたします。」 千尋が副長室に入ると、歳三は文机の前に座って書類仕事をしていた。「荻野、こんな夜中に何の用だ?」「先ほど、わたくしの寝込みを数人の隊士達が襲おうと・・」「それは本当か?」歳三は千尋の言葉を聞くと筆を置き、文机の前から立ち上がった。「そいつらは今、何処にいる?」「大部屋に居ります。」「案内しろ。」にほんブログ村
2014年06月26日
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「土方さん、お話とは何でしょうか?」「総司、さっきあの新人と何を話していたんだ?」「家族の事を話していただけですよ。土方さん、もしかしてあの子に嫉妬しているんですか?」「馬鹿野郎、誰があんな餓鬼に嫉妬するか!」総司の言葉を聞いた色白の男―土方歳三はそう言って顔を赤く染めた。「中庭で土方さんが新井田さんに怒っていたのを、あの子見ていましたよ?まぁ今回は彼が悪いですが、怒るのならもうちょっと場所を考えてくださいね?」「ったく、お前ぇは最近俺に対して生意気な口を利くようになったな、総司?」「わたしはもう、子供じゃないんですよ。」「そうかい。」「それじゃぁ、わたしはこれで失礼します。」総司は歳三に頭を下げると、副長室から出て行った。「トシ、総司にまたやられたな。」「ああ。あいつは最近、俺に対して生意気な口ばかり利きやがる。」「トシ、総司はあいつなりに俺達の仲間入りをしようと必死に頑張っているんだ。あんまり怒らんでくれ。」「あんたはいつも総司に甘いから、あいつは益々つけ上がるんだよ。」歳三はそう言って溜息を吐いた。「トシ、総司の事が心配なのはわかるが、過保護過ぎるとあいつに嫌われるぞ?」「わかったよ・・」歳三は再び溜息を吐くと、そのまま書類仕事を再開した。 その頃大部屋に戻った千尋が江戸から持ってきた書物を読んでいると、そこへ一人の青年がやって来た。「お前、異人とのあいの子なんだってな?」「ええ、そうですが、あなたはその事をどちらからお聞きになったのですか?」「誰でもいいだろう。」「よくはありません。あなた、お名前は?国はどちらです?」「うるさい!」青年はそう千尋に怒鳴ると、大部屋から去っていった。「あいつのことは、放っておいた方がいいぜ。沖田先生に直接声を掛けられたあんたのことが気に食わねぇのさ。」千尋の左隣で寝ていた男がそう言って布団から起き上がった。「あの方は、一体どなたなのですか?」「相沢っていって、貧乏御家人の三男坊さ。武家の出といっても、あいつみたいに部屋住みの身じゃぁ、実家では邪魔者扱いされちまうのがオチさ。あんたもそうだろう?」「ええ。わたくしは妾の子ですから、義理の母に幼い頃から疎まれてきました。あなたは、何故浪士組に?」「俺ぁ、魚屋の次男坊で、毎日ブラブラと遊び歩く暇があったら、何かでかいことをして名を残してぇと思って、浪士組に加わったってわけさ。」男はそう言うと、千尋に微笑んだ。「あんた、名は?俺ぁ佐助っていうんだ、宜しくな。」「千尋と申します。」「ここで会ったのも何かの縁だ、宜しく。」「こちらこそ、宜しくお願いします。」 夕餉の時間となり、千尋達平隊士は土方達幹部隊士らと同じ大広間で夕餉を取ることになった。「それにしても、京の冬は寒くて仕方がねぇや。あんなに薄い布団で寝ていちゃぁ、風邪をひいちまう。」「そうですね。」千尋がそんなことを佐助と話していると、千尋は総司と目が合った。千尋が総司に会釈すると、総司は千尋に優しく微笑んだ。「沖田先生、天然理心流の免許皆伝の腕前なんだとさ。女みてぇな顔をして、結構剣の腕は立つって話だぜ。」「まぁ、そうですか。」「あんたは、剣術をやっているのかい?」「いいえ、わたくしは薙刀をやっております。佐助さんは何を?」「俺ぁガキの頃からお武家さんの真似をして、江戸では剣術道場に通っていたさ。まぁ、剣術の腕は大したことはねぇがな。」佐助はそう言って笑うと、味噌汁を美味そうに啜った。にほんブログ村
2014年06月26日
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千尋が為三郎を母親の元へと送り届けて部屋に戻ろうとしたとき、中庭の方から怒声が聞こえた。「一体これはどういうこった!?」「落ち着け、トシ。そう怒鳴っても何の解決にはならんだろう?」何だろうと思いながら千尋がそっと中庭の方を見ると、そこには二人の男達が立っており、さらに彼らの前には一人の男が土下座していた。「今更江戸に帰るだと!?理由を言え、理由を!」長身で長い黒髪を背中で一括りにしている色白の男が、怒りで頬を赤く染めながら土下座している男にそう詰め寄ると、彼は悲鳴を上げて色白の男から後ずさった。「こら、逃げるんじゃねぇ!」「トシ、俺があとで言って聞かせるから、今日のところはこれくらいにしてやってくれないか?」「まったく、あんたは甘ぇよ!」色白の男は、顔が大きい男にそう言って舌打ちした。その時、千尋と男の目が合った。「おい、何見ていやがる?」「申し訳ございません、中庭で声が聞こえたものですから、どうしたのだろうと思いまして・・」「お前ぇには関係のねぇことだ、さっさと失せろ。」「トシ、やめないか。済まないね、今トシは機嫌が大層悪いんだ。わたしに免じて許してやってくれ。」「わかりました。ではわたくしは、これで失礼いたします。」千尋がそう言って男達に頭を下げ、部屋に入ると、そこには先客が居た。「君が、荻野千尋君?」「はい、そうですが・・あなたは?」「はじめまして、わたしは沖田総司。土方さんと一緒に試衛館のみんなと江戸から来たんだ。」「沖田様、何故わたくしの名をご存じなのですか?」「さっき、為坊から君の話を聞いてね。」「為三郎君とはお知り合いなのですか?」「まあね。」「沖田様、さっき中庭で騒ぎがあったようですが・・」「ああ、あれ?土方さん、最近ピリピリしているから、余り気にしなくていいよ。」「そうですか・・」「荻野君は、何処の生まれなの?」「わたくしは、京で生まれましたが、病で母が亡くなり、父が居る江戸に長い間住んでおりました。」「ふぅん、そうなんだ。君は不思議な色の瞳と髪をしているね。」「よく言われます。」総司と打ち解けた千尋は、彼と互いの家族の事を話した。「わたしには、二人の姉が居てね。年が離れた姉たちは、わたしの事を本当に可愛がってくれていたんだ。」「そうですか。わたくしには二人の兄が居りますが、わたくしに優しくしてくれたのは、上の兄だけでした。」総司に家族の事を話しながら、千尋は江戸に居る道貴の事を想った。「わたくしは、父が京の芸妓に産ませた妾の子なのです。母が亡くなった後、父の元に引き取られたわたくしは、義理の母から息子として扱われたことなど一度もありませんでした。」「そうか・・君も色々と辛い目に遭ってきたんだね。わたしだって、家の事情で9つの時に試衛館の内弟子として入門して、いつも兄弟子達やおかみさんから虐められていたよ。」「まぁ、それは何故ですか?」「内弟子といっても、使用人のような扱いだし、それに近藤さんにわたしが可愛がられているのを兄弟子達は快く思っていなかったんじゃないかな。今ではそんな風に思えるけれど、入門したばかりの頃は辛いことが多くて、家に帰りたいと何度思った事か。」「そうですか・・」「今は、わたしは一人じゃないから幸せだよ。」総司がそう言って千尋に優しく微笑んだ時、二人の元にあの色白の男がやって来た。「総司、近藤さんが呼んでる。」「わかりました、すぐ行きます。」にほんブログ村
2014年06月23日
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将軍警護の為に上洛したといっても、千尋達の身分はあくまで京都守護職を任命された会津藩御預かりの身であり、正式な幕臣ではなかった。 それゆえ、千尋達が滞在している八木家や前川家の者達は、表面上は彼らに対して愛想よく振舞ってはいるものの、自分達の事を迷惑がっていることを千尋は知っていた。 突然見知らぬ男達が大勢家に押しかけては酒を飲み騒ぎ、部屋を占領したのだから彼らの気持ちは判らなくはない。上洛するまで期待に胸を膨らませていた千尋だったが、八木家での息苦しい生活をしながら、自分は何故京に来たのだろうと思いながら毎日溜息を吐いていた。(わたくしは、本当に京に来てよかったのだろうか・・) 千尋がいつものように、壬生寺の境内で溜息を吐いていると、そこへ一人の男児がやって来た。「兄ちゃん、何してるん?」何処の子だろうと千尋が俯いていた顔を上げると、子供は自分達が滞在している八木家の子供だった。「別に・・」「暇なら、一緒に遊んで。」「えっ」子供は有無を言わさず千尋の手を掴むと、彼を友人たちの元へと連れて行った。千尋ははじめ彼らとどう遊べばいいのかわからず戸惑っていたが、次第に彼らと打ち解けていった。「ぼっちゃん、お名前は?」「うちは為三郎いうねん。兄ちゃんは?」「わたくしは、千尋というのですよ。」「千尋兄ちゃん、これからよろしくな。」「ええ、宜しくね。為三郎君、もう日が暮れるからおうちに一緒に帰りましょう?」「うん。」千尋が為三郎の手を握りながら彼とともに壬生寺の境内から出ようとしたとき、為三郎が小石に躓いて転倒し、彼は膝を擦りむいた痛みで泣いた。「膝の怪我、見せてごらんなさい。」為三郎の膝を見た千尋は、擦りむいた箇所が血で滲んでいることに気付いた。「為三郎君、立てる?」千尋の問いに、為三郎は首を横に振った。「千尋兄ちゃんが、家まで背負ってあげる。」「そんなこと、できん・・」「じゃあどうするの?このままおうちの人が迎えに来るまで、ここで待っているの?」為三郎に意地悪な質問をぶつけてしまったなと千尋は後悔したが、千尋の言葉を聞いた彼は無言で首を横に振った。「家まで、送ってくれへん?」「わかった。落ちたら危ないから、じっとしているんだよ、いいね?」「・・うん。」 為三郎を背負いながら千尋が八木邸に戻ると、家の中から血相を変えた為三郎の母・雅が出てきた。「まぁ、うちの子が迷惑をお掛けしてしもうてすいまへん。」「いいえ。為三郎君は膝を擦りむいてしまっているので、早く彼を手当てしてやってください。」「おおきに。」雅は何度も千尋に礼を言いながら、為三郎の手をひいて家の中へと戻っていった。「為三郎、後であの兄ちゃんにお礼言いよし。」「わかった。」にほんブログ村
2014年06月22日
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ゆいと離縁した道貴は、自分の部屋にひきこもってしまった。「兄様、朝餉の時間です。」「朝餉は要らないと、母上に伝えておいてくれ。」「わかりました。」千尋がそう言って道貴の部屋の前から離れ、広間へと戻った。「千尋、道貴はどうしたのです?」「朝餉を食べたくないとおっしゃいました。」「まったくあの子は、何時まであの女の事を引きずっているのやら・・」由美子は溜息を吐きながら、千尋を見た。「千尋、あなたが来てからこの家がおかしくなってしまったのよ。あなたさえこの家に来なければ・・」「やめんか由美子、今回の事は道貴達の問題だ。千尋に責任を押し付けるな。」「あなたはいつもこの子のかたをお持ちになるのね。まぁ、無理はないでしょうよ。」由美子はそう言って千尋を睨むと、広間から出て行った。「母上の言う通りだ。お前はうちの疫病神だ。早くここから出て行けばいいのに。」「紀洋、止めんか!」春貴が拳で膳を叩くと、紀洋は無言で広間から出た。「お父様、わたくしはこの家を出て行こうと思います。」「千尋、由美子達のことは気にするな。」「ですが・・」「父上、少しお話があります。よろしいでしょうか?」「わかった。」「わたくし、薙刀の稽古に行って参ります。」千尋がそう言って広間から出ると、中から春貴と道貴の話し声が聞こえた。「道貴、今回の事は残念だと思うが、いつまでゆいさんのことを引きずってはならんぞ。」「わかっております父上。今回の事はすべてわたしの不甲斐なさが招いたことです。」「お前、あの芸者とはどうするつもりなのだ?」「お英さんとは、別れます。今回の事で、彼女も傷つけてしまいました。」千尋はそっと広間の前から離れ、自室に戻り身支度を済ませて道場へと向かった。「先生、おはようございます。」「おはよう。道貴はどうした?」「兄様は暫く稽古を休まれるそうです。」「そうか。千尋、後でお前に話があるんだが、いいか?」「はい。」 稽古が終わった後、千尋は正臣に呼ばれて彼の自宅へと向かった。「先生、お話とは何でしょうか?」「千尋、お前上洛する気はないか?」「上洛、ですか?」「ああ。近頃京では不逞浪士どもが幕府の要人を暗殺しているらしい。」「まぁ、そんなに治安が悪いなんて知りませんでした。」「近々、大樹公が上洛されるという噂がある。その警護の者を幕府が募っているそうだ。」「そうですか・・」「道貴から聞いたが、お前はもともと京で生まれ育ったのだな?」「ええ。母を労咳で亡くしてから、今の家に引き取られました。」「そうか。千尋、上洛の事を、少し考えておいてくれ。」「わかりました。」 1863(文久3)年如月。 徳川第14代将軍・家茂公が上洛することになり、幕府がその警護をする者達を募っているという噂を聞き、千尋は小石川にある伝通院へと向かった。そこには、農民や町民といった様々な身分の男達が集まっていた。 男達は浪士組と名付けられ、江戸を出立し上洛した。まだ肌寒い如月の末に、彼らは京に到着した。千尋は、多摩の試衛館という道場を営む男達と水戸から来た芹沢という男達とともに、壬生にある八木邸に暫く滞在することになった。にほんブログ村
2014年06月21日
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「兄様、わたくしが茶店で見かけた方は、何処のどなたなのですか?」「あの人は、深川の芸者で、お英さんという方だ。」「その方とは、どういった関係なのですか?」「お前はわたしとお英さんが疚(やま)しい関係があるのではないのかと誤解しているようだが、わたし達はそんな関係ではない。」「では、どういった・・」「お英さんのご実家は、荻野家と同じ武家だった。だが、お英さんのお父上が病で亡くなられてから生活が困窮し、お英さんは家族を養う為に芸者になったんだ。」「そうですか・・このことは、義姉様には伝えなくても宜しいのですか?」「伝えるとしても、わたしから直接ゆいに伝える。だからお前は、何もしなくていい。」「わかりました。お休みなさいませ、兄様。」「お休み、千尋。」翌朝、千尋が薙刀の稽古に向かうと、道貴と正臣が隅の方で何やら話し込んでいた。「先生、兄様、おはようございます。」「おはよう、千尋。」「兄様、先生とさきほど何をお話していたのですか?」「ああ、それは後で話す。」「わかりました。」 薙刀の稽古を終え、千尋は道貴に連れられて茶店に入った。「先生に、お英さんのことを話していた。」「そうですか。先生は何と?」「“お前が彼女の力になりたいという思いは理解できるが、中途半端な同情は相手を傷つけるだけだ”と叱られてしまったよ。」道貴はそう言って茶を一口飲むと、溜息を吐いた。「これから、お英さんとはどうなさるおつもりなのですか?」「彼女とは別れる。先生の言う通り、わたしの中途半端な同情が密かに彼女を傷つけてしまっているのかもしれないし、ゆいの事も傷つけているかもしれない・・そう思うと、お英さんと別れた方がいいと思ってな。」「そうですか。兄様がそうお決めになったのなら、わたくしは何も言いません。」茶店から千尋と道貴が出ると、二人の前にあの女性が現れた。「道様、お久しぶりでございます。そちらの方は?」「ああ、これは末の弟の、千尋だ。」「初めまして、お英さん。」「お英、お前と二人きりで話したいことがあるが、今いいか?」「ええ。」「兄様、わたくしは先に失礼いたします。」「気を付けて帰れよ。」 千尋が帰宅すると、何やら家中が騒がしかった。「しずさん、何かあったのですか?」「千尋様、お医者様をお呼びくださいませ!」玄関先に腰を下ろした千尋に向かって、ゆい付の侍女・しずが何やら慌てふためいた様子で彼の元に駆け寄って来た。「お嬢様が・・懐剣で喉を突かれて・・」「千尋、道貴は何処にいるのです!?」「知りません・・」「嘘をおっしゃい!あなた、道貴があの女と会っていることを知っているのでしょう!?」由美子はそう叫ぶと、千尋の胸倉を掴んだ。「奥方様、わたくしは何も知りません・・」 懐剣で喉を突き、自害しようとしたゆいは、一命を取り留めたものの、精神のバランスを崩し、実家に帰ることになった。「お可哀想なお嬢様・・お嬢様がこうなってしまわれたのは、道貴さまの所為ですわ!」 ゆいが実家に帰る日、しずはそう言って道貴を睨んだ。「ゆい、わたしは・・」「旦那様、わたくしと離縁してくださいませ。もうわたくしは、あなたの妻には相応しくありません。」 道貴はゆいと結婚してから半月も経たぬうちに、彼女と離縁した。にほんブログ村
2014年06月21日
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「千尋、どうした?最近稽古に身が入っていないぞ?」「申し訳ありません、先生・・」「心に迷いがあるときは、何をやってもうまくはいかぬ。少し頭を冷やすことだな。」「はい、先生。ではわたくしはこれで失礼いたします。」千尋はそう言って正臣に頭を下げると、道場から出た。 道場から出ると、朝は青く澄んでいた空が、黒雲で覆われていた。傘を持ってきていないことを悔やみながら千尋が自宅まで歩いていると、やがて空から雷鳴が轟き、土砂降りの雨が降って来た。千尋はたまらず風呂敷を頭の上に置きながら、近くにある茶店に入った。「いらっしゃい。」彼が茶店に入ると、看板娘の里宇(りう)がそっと千尋に手拭を差し出した。「かたじけない。」「最近急に雨が降って来て、困りますよねぇ。」「ええ。」「今、温かいお茶をお淹れ致しますね。」千尋が隅の席で座って濡れた髪を手拭で拭いていると、茶店に一組の男女が入ってきた。「道様、今日は酷い雨に遭われましたね。」「ええ。」「最近ご結婚されたとか?わたくしに会っていることが奥様に知られたら、面倒な事になるのでは?」「妻には事情を話せばきっとわかってくれます。」道貴はそう言うと、女の手を握った。「道様、わたくしはこれで失礼いたします。」女が席を立つ気配がし、千尋は女の顔をチラリと見た。 女は、天女のような美しい顔をしていた。女の顔を見た途端、千尋の胸がざわついた。「兄様。」「千尋、お前もここに来ていたのか?」「ええ。先ほど兄様と話していらした女の方は、どなたなのですか?」「それは、お前でも言えん。」「何故です?あの方とやましい関係にあるからですか?」「今は話せない。」「義姉様は、兄様があの方と逢引されていることを薄々勘付いておられますよ。」「そうか・・千尋、今日見たことは誰にも言わないでくれないか?」「兄様・・」「お願いだ、千尋。」「わかりました。」「有難う、千尋。」 茶店から出た千尋と道貴は、互いに黙ったまま帰宅した。「お帰りなさいませ、あなた。」「ただいま。」玄関先で自分と兄を出迎えてくれているゆいの顔を、千尋はまともに見ることが出来なかった。「千尋さん、どうなさったのです?」「義姉様、申し訳ありませんが、夕餉は要りません。」「そう・・」 部屋に入った千尋は、布団にくるまって眠ろうとしたが、なかなか眠れなかった。兄とあの女がどんな関係なのか、知りたかった。「兄様、今お話ししたいのですが、宜しいでしょうか?」「ああ、いいぞ。」「失礼いたします。」千尋が道貴の部屋に入ると、彼は蝋燭の灯りの下で書物を読んでいた。「それは、何ですか?」「これは、エゲレスの書物だ。」「日本の書物とは、帯丁が全然違いますね。」「エゲレスは、今勢いがある国だ。何せあの清国を一発で叩きのめしたくらいだからな。」道貴はそう言うと、『クリスマス・キャロル』に再び目を落とした。にほんブログ村
2014年06月20日
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「道貴兄様、お話とは何でしょうか?」「千尋、お前はこれからどうするつもりなんだ?」「どうするとは・・それはどういう意味ですか?」「わたしが嫁を貰ったら、母上がお前をこの家から追い出すのではないかと思ってな・・」「奥方様でも、そのような事はなさる筈が・・」「母上は、心底お前を憎んでいるんだ、千尋。」「そんな・・」「千尋、お前はもうここに居てはいけない。」「兄様・・」「わたしは、お前のことが憎くて家を出ろと言っているのではない。お前のことが心底心配だから心を鬼にして家を出ろと言っているのだ。」道貴はそう言うと、千尋を抱き締めた。千尋はそんな兄の優しさに触れ、涙を流した。 桜田門外の変から一月が経った頃、道貴は結婚した。相手は、名のある旗本のご息女で、ゆいといった。「お義母様、これからどうぞ宜しくお願いいたします。」「ゆいさん、こちらこそどうぞ宜しく。」白無垢を纏ったゆいは、そう言って由美子に微笑んだ。「道貴さん、あちらの方は?」「ああ、あれはわたしの末の弟の、千尋だ。千尋、こっちに来なさい。」「はい、兄様。」女中達に交じって給仕をしていた千尋は、道貴に呼ばれて広間に入り、新郎新婦の前に座った。「初めまして、義姉様。千尋と申します。」「まあ、不思議な色の瞳をしておりますわね。」ゆいはそう言うと、千尋の翠の瞳を覗き込んだ。「ゆい、余り千尋のことを見るな。困っているじゃないか。」「まぁ、申し訳ありません・・千尋さん、これから仲よくしましょうね?」「はい、義姉様。」 ゆいという家族が増え、荻野家は急に賑やかになった。由美子は、ゆいのことを大層気に入り、色々と彼女のことを気に掛けては、観劇に誘ったり、彼女の為に茶菓子を買ってきたりしていた。 千尋は、はじめ嫂(あによめ)に対して警戒心を抱いていたが、徐々にゆいとも打ち解けていった。そんなある日のこと、薙刀の稽古から帰った千尋は、突然ゆいに部屋に呼ばれた。「義姉様、お話とは何でしょうか?」「千尋さん、あなた道貴さまのことをどう思っていらっしゃるの?」「義姉様、何故わたくしにそのような事をお聞きになるのです?」「最近、道貴さまの様子が変なのよ。いつも上の空で、わたくしの話にも生返事ばかりなさって・・」「まぁ、そんなことが・・」「ねぇ千尋さん、道貴さまに何を悩んでいらっしゃるのか、聞いてくださらないかしら?」「わかりました。」ゆいの部屋から出た千尋は、道貴の部屋に入ると、そこに道貴は居なかった。「奥方様、道貴兄様はどちらに?」「さぁ・・わたくしに聞かれてもわかりませんよ。」由美子はそう言うと、千尋を睨んだ。 このまま家に居ても仕方がないので、千尋は家から出て道場に向かうことにした。 道場まであと少しというところで、千尋は道貴が一人の女性と連れ立って歩いているところを見た。彼に声を掛けようとした千尋だったが、今声を掛けてはならないと思い、そのまま道貴が女性とともに雑踏の中へと消えてゆくのを静かに見送った。(兄様、あの方はどなたなのです?)にほんブログ村
2014年06月19日
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「兄様、どうかなさいましたか?」「いや、何でもない。千尋、今日も薙刀の稽古に行くのか?」「ええ。」「外は寒いだろうから、少し厚着をしておけ。」「わかりました。」その日は、季節外れの大雪が降っていた。(雪か、参ったなぁ・・)千尋は溜息を吐きながら番傘を広げ、家から出て道場へと向かった。「先生、こんにちは。」「千尋、こんな雪の中、よく来てくれたな。」正臣はそう言うと、千尋に微笑んだ。「春だというのに、こんなに大雪が降るなんて、何かの予兆かもしれませんね。」「ああ、そうだな。千尋、今日は稽古を早めに終わらせるから、後で家に来い。」「かしこまりました。」薙刀の稽古の後、千尋は道場に隣接する正臣の自宅へと向かった。「奥方様、こんにちは。」「あら、千尋さんいらっしゃい。」千尋が正臣とともに玄関先で草鞋を脱いでいると、正臣の妻・雪が部屋の奥から現れた。「今日は雪が朝から降っておりますね。」「ええ。そうだ千尋さん、今瑠璃の桃の節句の宴があの子の部屋で開かれているのよ。千尋さんも宴に出てくださらないこと?」「男のわたくしが、お嬢様の宴に顔を出したら、お嬢様が気を悪くされるのではありませんか?」「そんなことないわ。あの子は、あなたのことが好きなのだから。」「それでは、奥方様のお言葉に甘えさせていただくことにいたします。」千尋の言葉を聞いた雪は、彼に笑顔を浮かべると、娘が居る部屋へと彼を案内した。「瑠璃、千尋さんが来ましたよ。」「千尋さん、いらっしゃい!」 千尋が雪とともに正臣の娘・瑠璃の部屋に入ると、美しい振り袖姿の瑠璃は千尋の顔を見ると座布団から立ち上がって彼の元へと駆け寄って来た。「瑠璃ちゃん、こんにちは。その着物、とても似合っていますよ。」「主人がわざわざ、この子の為に一流の職人に頼んで作って貰ったものなのですよ。」「まぁ、そうでしたか。先生は、瑠璃さんのことを大層可愛がっておいでなのですね。」「ええ。この子が嫁に行く年になったら、あの人がどうなってしまうのか心配だわ。」雪はそう言って苦笑しながら瑠璃の髪に簪を挿していると、部屋に正臣が入ってきた。「雪、暫くわたしは出かけて来るから、留守を頼む。」「あなた、どちらへ行かれるのですか?」「どうやら桜田門外で、彦根の井伊家老が水戸の脱藩浪士たちに襲われたらしい。」「まぁ・・」「雪、わたしが帰って来るまで、家の戸締りはしっかりとして、怪しい者は絶対に家の中には入れるなよ。」「わかりました。あなた、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」「先生、わたくしも参ります。」千尋はそう言うと、正臣の後を追い、彼とともに外に出た。「さっきの話は、本当なのですか?」「ああ。うちの門下生の一人が、桜田門外の前を通り過ぎようとしている井伊家老の籠を水戸の脱藩浪士どもが襲っているのを見たそうだ。」「これから日本はどうなるのでしょう?」「さぁ・・それはわたしにはわからん。ただ、井伊大老が死んだことで、日本は動乱の渦に巻き込まれてしまうのかもしれん。」「そうですか・・」 1860(安政7)年3月3日―この日、徳川幕府の大老であり彦根藩藩主・井伊直弼は、桜田門外で水戸の脱藩浪士らに襲撃を受け、命を落とした。この事件は、“桜田門外の変”と呼ばれた。にほんブログ村
2014年06月18日
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ある日の事、千尋がいつものように庭掃除をしていると、そこへ道貴がやって来た。「おはようございます、若様。」「ここで何をしている?」「庭の掃除です。」「このような仕事は、お前がすべきことではない。」道貴はそう言うと、千尋の手から箒を取り上げた。「ですが・・」「千尋、お前はわたしにとって大切な弟だ。母上やわたし達に気兼ねなどするな。」「若様・・」「その“若様”と呼ぶのも止めろ。」「では、どうお呼びすれば・・」「“兄様”と呼んでくれればいい。千尋、わたしはこれから薙刀の稽古に行くのだが、お前も一緒に来ないか?」千尋の返事を待たずに、道貴はそう言うと千尋の手を強引にひき、自分が通っている道場へと向かった。「道貴、今日はお主、一人ではないようだな?その童は誰の子だ?」「先生、この子はわたしの弟の、千尋と申します。千尋、先生にご挨拶しろ。」「初めまして、千尋と申します。」「不思議な髪と瞳の色をしているな。」道貴の薙刀の師匠・遠藤将臣は、そう言うと千尋をじっと見た。千尋は恐怖のあまり、道貴の背中に隠れてしまった。「おや、怯えさせてしまったかな?」「申し訳ありません、先生。この子は今まで一度も外の世界を知らずに生きてきたものですから・・」「そうか。」道貴の言葉を聞いた正臣はそれ以上何も言わずに、道貴に薙刀の稽古をつけた。「先生、有難うございました。」稽古を終えた道貴は、額の汗を拭いながら稽古を見学していた千尋を見た。「千尋、お前もやるか?」「宜しいのですか?」「いいに決まっているだろう。」「千尋と言ったな?こちらへ来なさい。」「はい・・」正臣とともに道場の隅へと向かった千尋は、壁に薙刀用の木刀が掛けられていることに気付いた。「まずは、これを構えてみなさい。」正臣から薙刀用の木刀を渡された千尋は、余りの重さに倒れそうになった。「重いです・・」「はじめの内は慣れんが、次第にその重さにも慣れて来るだろう。まずは素振りから始めてみなさい。」「はい・・」 それから千尋は、道貴とともに毎日薙刀の稽古に行った。「先生、千尋はどうですか?」「あの子は筋がいい。」「有難うございます、先生。」「あの子がどういう経緯(いきさつ)でお前の家に引き取られたのかは知らんが、あの子に優しくしてやれ。」「わかりました。」 1860(安政7)年、弥生。「道貴兄様、失礼いたします。」「千尋か、入れ。」14歳になった千尋が道貴の部屋に入ると、道貴は読んでいた書物から顔を上げて千尋を見た。「兄様、わたくしにお話とは何でしょう?」「千尋、お前はこれからどうするつもりだ?」「まだ、将来のことは考えておりません。」「そうか・・実は、わたしは近々妻を娶ることになった。」「おめでとうございます、兄様。お相手の方はどなたです?」千尋がそう言って道貴を見ると、彼の顔が少し曇っていることに千尋は気づいた。にほんブログ村
2014年06月17日
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千尋は由美子に連れられ、女中部屋へと向かった。「今日からお前達と一緒に働くことになった千尋よ。千尋、挨拶なさい。」「千尋です、宜しゅうお頼申します・・」「何ですか、その言葉遣いは。“どうか宜しくお願いいたします”とおっしゃい。」「どうか宜しくお願いいたします。」千尋がそう言って女中達に頭を下げると、彼女達は互いの顔を見合わせて何かを囁き合っていた。「ねぇ、あの子かい?」「荻野様が京の女に産ませた子っていうのは?」「何だか、あたしらとは全然違う顔をしているねぇ。」「そりゃぁ、母親が異人とのあいの子だから、その血を濃く受け継いでいるんだろうさ。」 庭で掃き掃除をしている千尋を遠巻きに眺めながら、荻野家の女中達はそんなことを囁き合っていた。「あなた達、まだ仕事が沢山残っているでしょう!」「申し訳ありません、奥方様!」「まったく、どうしようもない人達ね・・千尋、庭の掃き掃除が終わったら、廊下の拭き掃除を頼みますよ。」「はい、奥方様・・」 江戸の荻野家で千尋が暮らし始めてから七日が過ぎた。由美子は千尋を使用人と同じような扱いをし、食事も使用人達が座る土間でとらせた。「母上、あいつは誰ですか?」「ああ、あの子は京からやって来た千尋という子ですよ。紀洋(のりひろ)、食事の最中に話すなど、行儀が悪いですよ。」由美子はそう言って千尋の顔を覗き込もうとする次男・紀洋を叱ると、春貴の方を見た。「由美子、千尋を女中部屋に寝かせているそうだな?」「ええ。あの子は結構使いものになると思いますよ。」「仮にもあの子は、わたしの息子だぞ?」「あなたにとってあの子は血が繋がった息子でも、わたくしにとっては京からやって来た厄介者にしか過ぎません。」由美子はそう吐き捨てるような口調で春貴に言うと、彼の部屋から出て行った。 翌朝、千尋が門の前で掃き掃除をしていると、そこへ一人の少年がやって来た。「お前、父上が妾に産ませた子なんだってな?」そう言って千尋の反応を楽しむように彼を見た紀洋は、千尋が俯いて何も言わないことに苛立ち、千尋の腕を抓(つね)った。突然紀洋から腕を抓られ、千尋はまるで火がついたかのように泣き出した。「紀洋、お前この子に何をした!」「何もしていません、兄上。こいつが急に泣き出したんです。」「本当か?嘘だったら承知しないぞ。」稽古帰りの荻野家の長男・道貴はそう言って弟を睨むと、泣いている千尋の小さな頭を撫でた。「お前、名は?」「千尋、と申します。」千尋はそう言ってしゃくりあげながら、総髪姿の青年を見た。「千尋、か・・良い名だな。」「有難うございます。」「わたしは道貴だ。」これが、道貴と千尋の出会いだった。にほんブログ村
2014年06月16日
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千尋が『大和屋』の男衆(おとこし)とともに京を発ち、江戸へと旅立って二月余りが経った。「千尋ちゃん、もう少しやさかいお気張りや。」「へぇ・・」千尋は苦しそうに息をしながら、男衆のしわがれた手を握り締めた。「ここや。」「ここが、うちのお父ちゃんの家なん?」男衆とともに、千尋は一軒の武家屋敷の前に立った。白亜の塀が屋敷の周りを取り囲み、正門の前には立派な屋根瓦が飾られていた。「すいまへん、誰か居まへんやろうか?」「はい、ただいま。」屋敷の奥から、一人の女中が出てきた。「どちら様でしょうか?」「うちは、祇園の置屋の、『大和屋』から来たもんどす。うちの芸妓の、珠代が労咳で亡うなりましてなぁ。女将に命じられて、珠代の子供をこちらさんに引き取ってくれるようお願いしに来ましたんや。」「暫くお待ちくださいませ。」女中はそう言うと、千尋を見て一瞬顔を強張らせ、再び屋敷の奥へと消えていった。「奥方様、京からお客様が来ております。」「京から客ですって?」 自室で歌を詠んでいた荻野春貴の正室・由美子は、そう言うと女中を見た。「その客というのは、何者なの?」「何でも祇園の『大和屋』という置屋から来たと申しております。」「そう・・」由美子は、春貴が京の芸妓を妾にし、彼女との間に一子を成したことを知っていた。京からやって来た客というのは、その芸妓の子に違いない。「奥方様、どうされますか?」「客人をわたくしの部屋に通しなさい。」 屋敷の正門前で待たされていた千尋は、女中に呼ばれて男衆とともに由美子の部屋に入ると、座布団の上に座っている女性がさっと立ち上がった。「あなた、名は?」「千尋と申します。」「遥々京から江戸へとやって来たそうね。」「はい、そうです・・」「あなた、その恰好は何ですか?髪を桃割れに結って、女子の着物を着て・・」「申し訳、ございません・・」由美子は千尋の恰好をそう咎めると、彼は蚊の鳴くような声で由美子に謝った。「しず、その子を部屋へ連れて行きなさい。」「はい・・」女中に手を引かれ、千尋は由美子の部屋から出て違う部屋で男物の着物に着替えさせられた。「本当に、この恰好をしていると女子に見えるわねぇ。」女中はそう呟きながら、千尋の髪を飾っている櫛を外した。それは、亡くなった母の形見だった。「その櫛、どうするんですか?」「これは、処分致します。」「これはお母ちゃんの形見なんどす、捨てんといて。」「それはわたくしが決めることではございません。」女中はそう言うと、千尋の手から櫛を奪い取り、部屋から出て行った。「奥方様、あの子の着物はどういたしましょう?」「着物も櫛も、全て燃やしてしまいなさい。あの子の母親が身に着けていた物など、見たくありません。」「かしこまりました。」女中は千尋の着物と櫛を竈に入れ、それに火をつけた。千尋は見知らぬ家の部屋の片隅で膝を抱えながらすすり泣いていた。そこへ、由美子がやって来た。「何を泣いているのです?お前には沢山仕事があるのですよ。」にほんブログ村
2014年06月15日
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1846(弘化3)年・八朔。 この日、京の町屋で一人の女が男児を出産した。「珠代ちゃん、元気な男の子や!」「まぁ、可愛らしいこと・・」疲労困憊した女は、そう言って生まれたばかりの赤子を見た。赤子は、自分と同じ翠の瞳をしていた。「うち、長年産婆として沢山赤さんを取り上げてきたけど、こないに綺麗な赤さんを見たのは初めてやわ。」産婆はそう言うと、赤子を見た。「珠代、生まれたんか?」「へぇ。男の子どす。」「そうか・・あんたが産んだ子やったら、うちの跡取りになったのになぁ。でも、丙午の年に生まれた女は気性が激しく夫の寿命を縮めるさかい、この子が男に生まれてよかったかもしれんなぁ。」 祇園の置屋『大和屋』の女将・篠は、そう言って珠代が抱いている赤子を見た。「あんたの旦那さんは何て?」「あの人にはうちが子を身ごもったことは知らせてません。お母さん、うちはこの子を一人で育てます。」「阿呆な事を言ったらあかんわ。あんたと荻野様は、夫婦同然の関係やないの。それやのに・・」「荻野様には、江戸に残してきた奥様とお子さんたちがいらっしゃいます。後生どすお母さん、どうかこの子のことを荻野さんには黙っておいておくれやす。」「あんたがそんなに頼むんやったら、うちは断れんわ。」「おおきに、お母さん。」「この子の名は、決めているんか?」「へぇ。千尋と決めております。」「千尋か、ええ名やな。」 7年後―1853(嘉永6)年・水無月。 ペリー率いる米国艦隊の黒船が浦賀に来航した頃、京では労咳に罹っていた珠代が、篠と姉芸妓達に見守られながら静かに息を引き取った。「可哀想に、まだ若いのに労咳で逝ってしまうやなんて・・」「千尋ちゃんはまだ7つやのに、お母さんが亡うなったことも知らんで、呑気に猫と遊んで・・お母さん、あの子はうちで引き取った方が・・」「それはあかんえ。あの子には父親が居るんやさかい、あちらで引き取って貰うんが筋というもんや。」「せやかて、あの子が荻野の家に引き取られたら、奥方様があの子をどないに扱うのか、想像できますえ?」「うちは、千尋のことを実の孫やと思うてるし、出来る事ならあの子を引き取りたいと思うてる。けどな、ここは男子禁制や。」篠はそう言うと珠代の部屋から出て、中庭で猫と遊んでいる千尋の前に立った。「千尋、あんたのお母さんがさっき亡うなったえ。」「お母ちゃんが?」「あんたは、江戸のお父ちゃんのところに行くのえ。」「うち、もうここに居たらあかんの?」「そうや。」篠の言葉を聞いた千尋の両目に涙が溜まるのを見て、彼女は胸が少し痛んだ。「そないな顔をしても、あんたをうちに置くわけにはいかん。すぐに支度をして、うちから出て行きよし。」心を鬼にして、篠はそう言うと千尋に背を向けて彼の前から去っていった。「うちはもう邪魔になったん?」「千尋ちゃん、うちらはあんたのことを邪魔やなんて思うてないえ。」「江戸に行っても元気でな。」 千尋は男衆とともに、実の父親が居る江戸へと旅立っていった。にほんブログ村
2014年06月14日
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