FLESH&BLOOD 二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 9
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
天上の愛地上の恋 吸血鬼パラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 2
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 5
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
天愛×F&B 昼ドラ転生ハーレクインクロスオーパラレル二次創作小説:獅子と不死鳥 1
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 4
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 0
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 0
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
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2006年8月21日、オーストリア・ウィーン。ルドルフは、難産の末に二卵性双生児の男児を出産した。金髪碧眼と、黒髪翠眼の可愛い男の赤ちゃんだった。「おめでとうございます、ルドルフ様。」ユリウスはそう言って双子をルドルフに見せた。「可愛いな・・」ブロンドと黒髪の赤ん坊の頭を交互に撫でながら、ルドルフは口元に笑みを浮かべた。「名前は、いかがいたしましょう?」「そうだな・・ブロンドの方はルドルフ、黒髪の方はシャルロットでどうだ?」「ルドルフ・・あなた様と同じ名前ですね。でもシャルロットは女性の名前ですよ?」「いいじゃないか、元気に産まれてきたのなら性別の区別なんて関係ない。」ルドルフはそう言って、ルドルフJrに微笑んだ。ブロンドの赤ん坊は、紅葉のような手でルドルフの指を握った。 アフロディーテが死んでから半年、“キメラ”の猛毒による後遺症がルドルフの身体を徐々に蝕み、一時は昏睡状態に陥ったこともあった。しかし、ユリウスとジュリオ達の懸命な看護のお陰で、ルドルフの病状は徐々に回復していった。「産まれたの、ママ?」ルドルフが破水したという知らせを受け、イタリアから飛んできたジュリオは、そう言って病室に入ってきた。「ああ。こっちがルドルフ。私に似て可愛いだろう?」「うん。抱いてもいい?」ジュリオはそう言って、ルドルフJrをそっと抱いた。「暫くウィーンにいるね。家のことはパパと相談してするから、ママはゆっくり休んでね。」「ああ。」ルドルフは双子に授乳してから、眼を閉じて眠った。「どうしたんだ、眠れないのか?」 ユリウスがキッチンで1人、月を眺めていると、サリエルがそう言ってワイングラスを持ってきた。「ああ・・ルドルフ様は、もうすぐ眠りに就くかもしれない・・」「そうか・・アフロディーテは死んでしまったんだな・・受胎期のリスクは最後まで避けられなかったか・・」「そんなこと、百も承知だった・・だが、今わたしを悩ませているのは、子供達のことだ。」ユリウスはそう言ってワインを飲んだ。「ルドルフとシャルロッテは母親の顔を知らずに育っていく。あの子達にルドルフ様のことを説明できるかどうか、自信がない。わたしもいずれ朽ち果てる身だ。だから・・」「わかった。その時は俺とジュリオが子供達のことを育てる。それよりもユリウス、ルドルフの体調が回復したら、カプリ島の別荘に行かないか?ウィーンは何かと暑いだろう。」「考えておこう。」ユリウスはそう言ってワイングラスをシンクで洗い、寝室へと入って行った。「ルドルフ様、お体の調子はいかがですか?」「いい。毒が身体からなくなったようだ。」「そうですか・・ルドルフ様、イタリアのカプリ島へ行きませんか?太陽を浴びて、のんびりしましょう?」「ああ・・明日にでも・・行きたいな・・」ルドルフはそう言って静かに目を閉じた。「ルドルフ様・・子供達は、わたしが育てますから・・ゆっくりとお休みください・・」ユリウスはそう言って涙を流した。 数日後、ユリウスはジュリオ達とともに双子を連れてカプリ島へと向かった。蒼い空と海をバルコニーで眺めながら、ユリウスはワインを飲んだ。「ルドルフ様・・この空と海を、あなたと一緒に見たかった・・」ユリウスはそう呟き、ベッドに入った。イタリアから戻ったユリウスは、双子の育児に奮闘した。ジュリオ達の助けもあり、ユリウスは双子達の育児と仕事を両立しながら、楽しい日々を送った。ルドルフが眠りに就いてから2年後、ユリウスは双子と一緒にルドルフが眠るカプツィーナ教会へと向かった。「ねぇ、ママ何処にいるの?」「あそこにいるよ。」ユリウスはそう言って、白い棺へと向かった。「これはお祖母様とお祖父様が眠っているんだよ。そしてこれがママ。」「ふ~ん。」ユリウスの説明に、双子達は興味津々だ。「ねぇ、ママはいつ起きてくるの?」「ルドルフとシャルロッテがいい子にしてたら、きっと起きてくるよ。」ユリウスはそう言って双子に微笑んだ。「ねぇ、ママの棺にお花があるよ。」シャルロッテは母の棺を指した。そこには、誰かが供えた翠の薔薇の花束が置いてあった。「あれ、どうして翠なの?」「変なの~」シャルロッテは白い棺に駆け寄り、翠の薔薇を突いた。「駄目だよ、花を乱暴に扱っちゃ。それはママの薔薇なんだから。」「ママの薔薇なの?」「うん。大切な、大切な薔薇だよ。」ユリウスは双子の手を引き、カプツィーナを後にした。3人と入れ違いに、1人の男がカプツィーナ教会に入ってきた。「・・ルドルフ、久しぶりだな。」そう言ってサングラスをかけた男は、ルドルフの棺に向かって話しかけた。「やっと会えると思ったのに、さっさと眠っちまうなんてズルイぜ。」男は苦笑して、翠の薔薇を見た。「この花、お前が好きだった花だよな。」男は薔薇の隣に、スズランの花束を供えた。「また来るぜ、じゃあな、ルドルフ。」教会を出て男は空を仰いだ。夏の蒼い空が、男を優しく包んだ。―FIN―
2008年09月28日
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「ほんと、兄様って弱くなったわね。つまんないわ。」アフロディーテはそう言ってルドルフの手を踏みつけた。 ルドルフはサーベルを拾おうとしたが、それが手に届く前にアフロディーテに蹴飛ばされてしまった。「命乞いしたって今更聞いてあげないから。兄様はわたしと一緒に死ぬのよ。」犬歯を覗かせながら、アフロディーテはそう言って笑い、ルドルフに馬乗りになった。「さよなら、兄様。」日本刀の切っ先が、ルドルフの首筋に刺さった。だが、アフロディーテはルドルフを殺せなかった。「どうした、殺せないのか?」ルドルフはそう言ってアフロディーテを見た。「わたしを馬鹿にしないで!すぐに殺してやるんだからっ!」そう叫ぶも、アフロディーテの刀を握っている手は小刻みに震えていた。「アフロディーテ・・」「・・どうしてわたしを嫌うの、兄様?わたしは兄様の事大好きなのに!それなのにどうして兄様はわたしのことを憎むの!?」アフロディーテの涙が、ルドルフの顔を濡らす。「わたしは・・ただ兄様と一緒にいたかったのに・・兄様とユリウスと3人で、いつも一緒に暮らしたかったのに・・」(殺したくない・・兄様を殺したくない・・)「アフロディーテ・・」「アフロディーテ様・・」ユリウスとカエサルは、2人の様子を呆然と見ていた。「今からでも遅くないでしょう?仲直り、できるわよね?」「それは出来ないな。お前が私の上から退かない限り。」ルドルフはそう言って、アフロディーテに微笑んだ。「それじゃあ・・仲直りするのね、私達?」さっきまで泣いていたアフロディーテの顔が、突然明るくなった。「ああ。私は思ったんだ、心中よりも他にできることがあるって・・選べる道があるって。」ルドルフはゆっくりと立ち上がり、アフロディーテを見た。「お前はとても手強い敵だった。だがこれからは、心強い味方となる。」「兄様・・」ルドルフはアフロディーテに手を差し出した。アフロディーテは歓喜に満ちた表情を浮かべ、ルドルフの手を握ろうとした。その時、教会内に銃声が響き、アフロディーテの身体がグラリと揺れた。「アフロディ・・」 アフロディーテを抱留めようとしたルドルフの胸と腹を、クレメンティル夫人が放った銃弾が貫いた。「ルドルフ様!」ユリウスとカエサルは主の元へと駆け寄った。「化け物なんて、死んでしまえ!」クレメンティル夫人は、マシンガンを乱射した。銃弾はアフロディーテの身体を貫いた。ルドルフは一瞬何が起こったのかがわからなかった。ふと顔を上げると、虫の息のアフロディーテが自分に覆い被さっていた。「兄様・・無事で・・よかった・・」「アフロディーテ・・?」ルドルフはアフロディーテを抱き寄せた。アフロディーテは全身を“キメラ”に撃たれ、真紅の血を流していた。「しっかりしろ、アフロディーテ!」「ごめんなさい・・いままで・・人間達に・・酷いこと・・ばかりして・・ごめんなさい・・兄・・様・・を・・傷つけて・・ごめん・・なさい・・」アフロディーテはルドルフの頬を優しく撫でた。「大丈夫だ、お前は助かる!だから・・」死ぬな。「兄様・・わたしね、今度生まれ変わったら・・また・・兄様の・・弟として・・生まれ・・たい・・」兄様、泣いているの?わたしは兄様が大切にしている人間達を虐殺した化け物よ?それなのに、わたしの為に泣いてくれるの?ありがとう、兄様。わたしの為に泣いてくれて。わたしは、今まで誰かを傷つけて、泣かせてきた。いつも独りぼっちだった。初めはユリウスのことが好きだったけれど、兄様のことはもっと好きになったわ。兄様に振り向いて欲しくて、わたしはいろんな事をした。でも兄様はわたしを見てくれなかった。それどころかわたしを拒絶し、憎んでしまった。兄様に憎まれるより、わたしは兄様と心中して一緒に天国へ行きたかった。そうすれば兄様と一緒にいられるから。いつも笑顔で一緒にいられると思ったから。でもそんなの、はじめから無理だったのよね。だってわたし達は相容れない存在だもの。兄様が「善」ならば、わたしは「悪」。同じ顔をしていても、わたしと兄様は違う。だから、和解できない。そんなのはじめから解ってた筈なのにね・・兄様・・わたしの為に・・初めて・・泣いてくれた・・ありがとう・・「アフロディーテ!」兄様の声が聞こえる。「兄様・・ありがとう・・」そこでわたしの意識は、永遠の闇へと消えた。握っていたアフロディーテの手が、力なく床に落ちた。「アフロディーテ・・?」アフロディーテは、安らかな死に顔をしていた。「アフロディーテ様・・そんな・・嘘だ・・」カエサルはそう言って、呆然と主の死に顔を見た。「さようなら、アフロディーテ・・」ユリウスは静かに目を閉じ、涙を流した。「アフロディーテ・・」ルドルフはアフロディーテの頬を撫でた。アフロディーテの死により、長い戦いは終わった。本当は嬉しい筈なのに、喜ぶ筈なのに、何故自分は泣いているのだろう?心にポッカリと、大きな穴が開いたようだった。「ルドルフ様?」「行こう、ユリウス。」涙を流しながら、ルドルフはアウグスティーナ教会を後にした。
2008年09月28日
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「兄様、来てくれたの。それにユリウスまで。嬉しいわ。」アフロディーテはそう言ってゆっくりとルドルフとユリウスの方へと歩いて行った。「アフロディーテ・・」ルドルフは血を分けた双子の弟を見た。今日まで多くの人間を傷つけ、虐殺した弟。その弟の息の根を、この手で絶つ。「早く終わらせましょう、兄様。そしてわたしと一緒に死にましょうよ!」アフロディーテはそう言って、鯉口を切ってルドルフに突進した。「ユリウス、手出しはするな!」ルドルフはアフロディーテの攻撃に応戦した。「剣の腕が落ちたんじゃない、兄様?」アフロディーテはそう言ってせせら笑った。「ぬかせ!」ルドルフはアフロディーテの攻撃をかわしながら叫んだ。「まだ迷っているのね、わたしと心中することを?もしかして兄様、この期に及んでわたしと手を取り合おうなんて言うんじゃないでしょうね?」「そんなこと・・一度も思ったことはない!」ルドルフはアフロディーテを睨みながら攻撃を繰り出した。「そう・・ならどうして手加減するの?わたしを殺したくないんでしょう、兄様!」アフロディーテは蒼い瞳を光らせながら、ルドルフを射るような眼で見た。「忘れたの、兄様、わたしを拒絶したのは兄様よ。わたしは兄様と和解したかった・・でも兄様がそれを拒んだの。」アフロディーテの刃が、ルドルフの脇腹を掠めた。「わたし達は生きている間は和解できないわ。でも一緒に死んでしまえば和解できるでしょう?兄様もそれを望んでいるのでしょう?」「アフロディーテ・・」寂しげな光を宿すアフロディーテの蒼い瞳を、ルドルフは見つめた。「どっちみちわたし達どちらかが死ぬのよ。人生なんて儚いものよね?」アフロディーテは自嘲めいた笑みを浮かべると、攻撃を繰り出した。「ルドルフ様・・」激しい剣戟を繰り広げているルドルフとアフロディーテを、ユリウスは静かに見守っていた。 ユリウスは拳銃を内ポケットから取り出し、それに“キメラ”が入った銃弾を装填し、アフロディーテの頭部を狙って引き金を引こうとした。だがその時、拳銃が空を舞った。「アフロディーテ様に手を出すな。」「カエサル・・」ユリウスが振り向くと、そこには憤怒の形相をしたカエサルが立っていた。「お前の相手はこのわたしだ!」「・・わかりました。」ユリウスはカエサルが放り投げた剣を掴むと、その鞘を抜いて彼に突進した。 2つの剣戟が教会内に不協和音を響かせる中、ヴァチカンからやってきた男が影のように教会に入ってきた。彼の隣には、クレメンティル夫人が立っていた。「手筈はさっき説明した通りだ。」「わかったわ・・」クレメンティル夫人はそう言って、暗闇へと身を潜めた。彼らに気づいていないユリウスとカエサルは、激闘を繰り広げていた。「お前はアフロディーテ様を殺すつもりか?」カエサルはそう言ってユリウスの横腹を薙いだ。「アフロディーテはこの世の元凶。そしてわたしがアフロディーテを外に出してしまった。だから後始末はわたしがつける。」「それは自己満足な正義感に過ぎん!」憤怒の声をあげて、カエサルはユリウスに突進した。クレメンティル夫人は、目の前で繰り広げられている戦いを見つめていた。(なんと美しい・・)黒いドレスに身を包み、闇に溶け込んだ彼女は、ある作業に取り掛かった。取り出した箱の中には、“キメラ”入りの銃弾が装填されたマシンガンが入っていた。彼女はそれを持ち、標的に狙いを定めた。「もうおしまいかしら、兄様?」そう言ってアフロディーテは目の前で蹲っているルドルフを嘲笑った。「大したことないわね。今夜の兄様はとっても弱いわ。」アフロディーテはルドルフの手をハイヒールで踏みつけた。
2008年09月28日
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「準備はよろしいですか、アフロディーテ様?」カエサルはそう言ってアフロディーテの控室のドアをノックした。「ええ、いいわよ。」部屋に入ると、今宵一夜限り開かれるコンサートの為に用意したドレスを身に纏ったアフロディーテが、ドレッサーの前に座っていた。 醒めるようなロイヤルブルーの布地に、黒薔薇の繻子模様がアフロディーテの髪と瞳の美しさを引き立てていた。今夜のアフロディーテにはいつもの明るさはなく、まるで大親友の通夜にでも行くような顔をしている。アフロディーテが暗い顔をする理由は、カエサルにはわかる。今夜が自分の最後のコンサートとなることを、アフロディーテは知っているからだ。「アフロディーテ様?」「・・あら、いたの?気がつかなかったわ。」アフロディーテはそう言って無理に笑顔を作った。だがそんなことで簡単に誤魔化されるカエサルではなかった。「怖いのですか?戦いの先に待ち受ける永遠の闇が?」「馬鹿なこと言わないで。わたしはちっとも怖くなんかないわ。寧ろ嬉しいくらいよ・・」口ではそう言っているが、アフロディーテの手は小刻みに震えていた。「行きましょ、カエサル。もう開演の時間だわ。」「・・はい。」小さく震える背中をカエサルは見つめながら、その背中を優しく抱き締めてやりたい衝動に駆られた。「いよいよだな・・」ルドルフはそう言って、ミヒャエル門をくぐった。かつて自分が住んでいたホーフブルク宮は、現在は観光スポットとして一部の部屋が一般公開されている。アウグスティーナ教会もそのひとつだ。アウグスティーナへと向かうと、そこにはドレスアップした男女が次々と会衆席を埋めていくのが見えた。彼らはアフロディーテの歌を聴きにやってきたのだ。ルドルフも観客の1人だった。しかし能天気で平和ボケしている他の観客達とは違い、彼はただ1つの目的でここに来ていた。長い戦いを終わらせる為に、彼はここに来たのだ。自分の命と引き換えに。「ルドルフ様、そろそろ開演の時間です。」「ああ、わかっている。」ユリウスとルドルフはステージである祭壇の方を見た。その時、アフロディーテが裾の長いドレスを纏い、胸元には黒薔薇と真珠のネックレスで着飾ってステージに現れた。それと同時に、楽団が『アヴェ・マリア』を奏で始めた。天使の歌声が、教会内に響いた。歌っている時のアフロディーテの姿は、NYで見た時とは違い、少し青ざめていた。いつもは自信満々の光で満ちている蒼い瞳は、これから迎える死の恐怖に怯えているように見えた。(アフロディーテ・・)死を前にしても、美しい姿で立ち、美しい声で熱唱する歌姫。ユリウスの脳裏に、アフロディーテと地下牢の扉越しで初めて言葉を交わした時のことが浮かんだ。“あなた、誰?”鈴を転がすような声で自分に問いかけた声。ユリウスはその声を聞き、名もない扉越しの少年に名を与えた。春の女神の名を。それから歳月が過ぎ、少年は地下牢からユリウスの手によって外に解き放たれた。彼はいつも死を纏い、虐殺を繰り返した。だが彼は天性の歌声で名声を高めていった。だが彼は今夜死ぬ。扉越しに自分に名を与えてくれた少年と、血が繋がった双子の兄の手にかけられて。歌い終わったアフロディーテは、丁寧に観客達に向かってお辞儀をした。そしてゆっくりと顔を上げた。 アフロディーテの目に飛び込んできたのは、自分と同じ顔をした、真紅の軍服を纏った男と、濃紺の燕尾服を着た男の姿だった。
2008年09月28日
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「お帰りなさいませ。」 大学からルドルフが帰ると、濃紺の燕尾服に身を包んだユリウスがそう言って彼に頭を下げた。「よく似合っているぞ。」「馬子にも衣装ですね。」ユリウスはそう言って苦笑した。「夕食はどうなさいますか?今から作るとコンサートに間に合いませんし・・」「そうだな、外で食べよう。ユリウス、私が着ていく服はあるか?今夜はドレスを着て外に出かけたくないんだ。」「しばらくお待ちください。」ユリウスはそう言って寝室へと入っていった。クローゼットを開け、彼はその奥に仕舞われた金モールボタンの豪奢な真紅の軍服を取り出した。これはルドルフが皇太子時代に好んでよく着たものだ。ユリウスは軍服を傷つけないよう慎重にそれをクローゼットから取り出し、それを抱えて寝室を出た。「これは・・?」ユリウスが大事そうに抱えている軍服をルドルフは目を丸くして見た。「あなた様の為に、今日まで大事に取っておきました。手元に残っているのはこれだけでしたので。」ロシアへと発つ際、ルドルフは何着か軍服を持っていったが、長い放浪の旅の末にそれらは戦争や災害で失ったり、または生活費の足しにして売ったりして、手元に残っているのはユリウスが抱えている真紅の軍服だけだ。「生活が苦しくなっても、これだけは手離さなかったんです。あなたのお気に入りの軍服ですから。」「そうか・・ありがとう。」ルドルフはそう言ってユリウスの頬にキスし、寝室に入って軍服に着替えた。数分後、ユリウスは軍服姿のルドルフを見て、息を呑んだ。「どうした?」「いえ・・」「もしかして、見惚れていたんだろう?」ルドルフはそう言って意地悪そうな笑みを浮かべた。「よくお似合いです。やはり残しておいてよかったです。」ユリウスはコートを羽織ながらそう言って頬を赤く染めた。「もう行こうか。食事は外で適当に取ればいい。」「ええ。何を召し上がりたいですか?」「そうだな・・マクドナルドかバーガーキングにでも行きたいな。」「あなた様という方は・・」ユリウスは苦笑しながら、ルドルフと共に家を出た。「最後の晩餐はこの前したのに、今日またするとはな。」ルドルフはそう言って笑いながらコーヒーを飲んだ。「ええ。」ユリウスはポテトを摘みながら、それを口に放り込んだ。「そうだな・・見ろ、ユリウス。みんな私達に注目しているぞ。」そう言ってルドルフは周りを見渡した。店内には家族連れと10代の若者のグループだけしかおらず、空いているが、皆ルドルフとユリウスに注目していた。2人はこの場には似つかわしくない格好を、特にルドルフは軍服姿をしていたので妙に目立っていた。「それはそうでしょう。あなた様はこの場におられるだけでもオーラがあるのですから。」「いや、違うな。私達の恰好がおかしすぎるのだろう。特に私はまるで舞台俳優みたいな服を着ているし・・」ルドルフはそう言ってコーヒーを飲んだ。「食事が終わったら・・」「わかっている。」これが本当の、最後の食事だ。ここを出たら、自分達はもう2度とファーストフードを口にすることはないだろう。「ユリウス、お前は私に付いてきてくれるか?」「何をおっしゃいます。わたしはあなたの傍以外に居場所はありません。」ユリウスはそう言ってルドルフに微笑んだ。「長かったな・・昨夜、今までお前と過ごしてきた日々のことを夢に見た。ロシアやフランス、イタリア、ベトナム、そして沖縄での日々を・・だが一番夢に出てきたのは、私がここにいた時のことだった・・」昔を懐かしむような顔をしながら、ルドルフはそう言って昼間よりも一層静かに降り続ける雪を窓から眺めていた。「・・ルドルフ様、わたしはいつどんな時でも、あなたのお傍におります。」ユリウスはそう言って、ルドルフの手を優しく握った。「・・ありがとう。」ルドルフはユリウスの唇を塞いだ。2人は食事を終えて店を出た。「寒いな・・」「ええ・・」「でもこの雪を見るのは最後かもしれない。」ルドルフはそう呟き、静かに歩き出した。ユリウスも静かにその後についていった。
2008年09月28日
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2006年2月14日、ウィーン。「いよいよ今日だな・・」ルドルフはそう言ってカレンダーを見た。今宵、アウグスティーナ教会でアフロディーテがバレンタインデーコンサートを開く。そこでルドルフはアフロディーテを倒し、ユリウスと一緒に死ぬ。もう後戻りはできない。「ルドルフ様、あと少しで・・今夜で終わるんですね。」「ああ・・」脳裏に、これまでのことが走馬灯のように過った。いままでユリウスと過ごしてきた115年間のことを。初めて出会ったときのことや、アフロディーテが地下牢から解放されて戦いが始まったときのことなどが、次々と浮かんでは消えていった。「ユリウス、もし私が死んだら・・子供達を・・」「わかりました。」ユリウスはそう言って沈痛な表情を浮かべた。(この人はもう覚悟を決めている。)この世の元凶ともいえる自分達の存在を自分の手で消そうとしている。ルドルフの決意は固く、アフロディーテとの戦いに終りが訪れる時、ルドルフは闇の中へと消える。 光が当たらない暗闇へ。(ルドルフ様・・わたしは・・)「もう時間だから、大学へ行ってくる。」「行ってらっしゃいませ。」ユリウスはそう言ってルドルフに頭を下げた。大学へと向かうと、どこもかしこも雪で覆われていた。ルドルフは白い息を吐きながら、図書館へと向かった。本を読みながら、ルドルフはアフロディーテとの戦いのことを考えていた。(今夜、私は永遠にいなくなる・・ユリウスとこの子達を残して・・)そっと優しく、下腹を撫でた。すると、双子がお腹を蹴る感触がした。ルドルフは涙を必死に堪えた。バッグから便箋と封筒を取り出し、ルドルフは何かを書き始めた。書き終わったものを封筒に入れると、ルドルフは窓の外を見た。そこには、淡雪が舞っていた。「今夜も雪か・・」ルドルフは溜息を吐いて、図書館を出て行った。淡雪をそっと、掌に乗せる。するとそれは瞬く間にルドルフの体温で溶けていった。自分の命もこの雪のように儚く消えてしまうのだろうか。(せめて、この子達を産んで、その顔を見て死にたかったな・・)だがそんな小さな願いも叶えられない。自分は今夜、死にに行くのだから。(私はもう・・この雪を見ることはできない・・)大学を出る前、ルドルフは空を仰いだ。相変わらず雪は降り続いている。 これが最期に見る雪かもしれないールドルフはそんなことを思いながら純白の雪をじっと見つめていた。(この子達には色々な景色を見てほしい・・たとえ私がいなくても、私が生まれ育ったこの街で元気に育ってくれたら・・)いつか自分達が化け物と知ったとき、この子達は自分と同じように苦しむのだろうか?親としては、そんな姿は見たくない。(わたしは・・この子達を殺すしかないのか・・?)淡雪が降り続く中、ルドルフは己の決意が揺らぎ始めるのを感じた。 アフロディーテを殺し、自殺すると決意した以上、一度決めたことは変えてはならないとルドルフは思っていた。だがアフロディーテとの戦いを今夜に控え、ルドルフはユリウスと子供達、そしてアフロディーテ達と手を取り合って生きていけるのではないかーそんなことを思いながらルドルフは淡雪が舞い散る中、静かに歩き出した。
2008年09月28日
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「ねぇカサンドラ、あの方とアフロディーテ様は心中する気だって本当なの?」ジュリアーナはそう言って姉を見た。「ああ、本気さ。そんなことはお前にとっては何も関係ないだろう?」カサンドラは煙草を吸いながら椅子に腰を下ろした。「明日はアフロディーテ様のコンサートね・・」ジュリアーナは憂いを帯びた表情を浮かべながら、フォークでケーキをつついていた。「そうだね。ジュリアーナ、今までいろいろあったけど、アフロディーテ様が勝利すれば、この世はあたし達のものさ。もうお前が辛い思いをすることはないんだよ。」「姉さん・・」ジュリアーナの脳裏に、悲しい記憶が過った。「姉さんはアフロディーテ様の味方なのね?」「まぁね。でもあたしはどうでもいいのさ。ただ、あいつがこの世からいなくなればそれでいいんだ。」「そう・・じゃあわたし、仕事に行かなきゃ。会えて嬉しかったわ、姉さん。」「あたしもだよ。」ジュリアーナは姉と抱き合い、カフェを去り、職場へと向かった。「遅かったわね。」「姉さんと会ってたのよ。」自分のデスクに腰を下ろすと、同僚がジュリアーナの言葉を聞いて目を丸くした。「姉さん!?あんたに姉さんいたの!?」「ええ。前に話したわよね?」「うん・・でも覚えてないわ。」同僚はそう言って、仕事を再開した。ジュリアーナはパソコンの電源を入れながら、明日のコンサートのことを考えていた。もし明日、アフロディーテが“あの方”に勝利したのなら、この世界は変わるのだろうか。憎しみと破壊に満ちたこの世界が、少しでも良くなるのだろうか?変る筈はないだろう。それよりもますますこの世界が酷くなるだけだ。ひとつ気掛かりなのは、ルドルフとアフロディーテの子供達のことだ。自分達の頃のように、迫害される日々を送るのだろうか。(人間は自分達とは違うものは迫害する。分かり合えることなんて、ないのよね・・)ジュリアーナは溜息を吐き、仕事を再開した。「じゃあ、あとお願いね~」そう言って同僚は飲み会へと向かった。(今日も残業か・・文句言わずに黙ってやるしかないわね・・)ジュリアーナは目の前に積まれた書類の山を見ながら溜息を吐き、仕事に取り掛かった。仕事が終わったのは朝の3時だった。強張った体をシャワーでほぐしながら、ジュリアーナはベッドに寝転んだ。その頃、アフロディーテはアウグスティーナ教会で最終リハーサルを行っていた。(兄様、明日が楽しみだわ。だって明日、兄様と一緒に死ねるんですもの。)チケットは半年前からもう完売している。明日、ここで自分は兄と死ねるのだ。大勢の観客の前で。(早く明日が来ないかしら・・)「お疲れ様でした、アフロディーテ。」カエサルがそう言ってミネラルウォーターを渡した。「ありがとう。」「いよいよ明日ですね。」「ええ、楽しみだわ。」アフロディーテは犬歯を覗かせながら笑った。「兄様と明日、死ねるんだもの。こんなに嬉しいことはないわ。」そう言いながら笑うアフロディーテを、カエサルは複雑な表情を浮かべながら見ていた。(たとえアフロディーテ様が死んでも、この世界は何も変わらない・・)彼も、ジュリアーナと同じことを思っていた。
2008年09月28日
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ウィーンへと戻ったアフロディーテとカエサルは、高級レストランで食事をした。「ここのステーキはとても美味しいのよ。知ってた?」「ええ。」カエサルはそう言ってアフロディーテを見た。「ねぇ、カエサル、わたしが死んだら、この子達をお願いね。」アフロディーテは下腹を優しく擦った。「その子達はわたしの子でもあります。」「そうね・・どんな子が産まれるのかしら?」「きっとあなたに似た、かわいらしい女の子でしょうね。」カエサルはそう言ってアフロディーテに微笑んだ。「ええ、そうね・・」寂しげな表情を浮かべながらアフロディーテは静かに頷き、ステーキを食べた。デザートが運ばれてくる間、2人は何も話さなかった。これが2人で過ごす最後の晩餐だということを知っていたから。「美味しかったわね、あそこのレストラン。もうお腹がいっぱいよ。」アフロディーテはそう言って溜息を吐いた。「アフロディーテ様、お話したいことがあります。」「なぁに?もしかして兄様と和解しろっていう話?それなら嫌よ。わたしは兄様に拒絶されたの。兄様はわたしのことが嫌いで、憎んでいるのよ。だからわたしは兄様と死ぬの。だってそれしか方法がないもの。」また雪が降ってきた。「足もとにお気をつけください。」カエサルはそう言って、アフロディーテの手を取った。「ありがとう。」雪降るウィーンの街を、2人は静かに歩いた。「バレンタインデーまで、あと3日ね・・」アフロディーテはそう呟き、カエサルの手を握った。シュティファニーから受けた傷が癒えたルドルフは、病院から退院した。「もう2月か・・」キッチンの壁に掛けてあるカレンダーを見ながら、ルドルフはそう呟いてソファに腰を下ろした。「お身体のお加減はいかがですか?」「大丈夫だ。ただ少しダルイが。」「お疲れなのでしょう。しばらくお休みになってください。」ルドルフが寝室へと向かうのを、ユリウスは静かに見送った。ユリウスはルドルフを傷つけたことを彼に謝ったが、ルドルフは許してくれなかった。「バレンタインデーまであと3日か・・」サラダを作りながら、ユリウスはカレンダーを見た。3日後、アウグスティーナ教会でアフロディーテのコンサートが開かれる。(ルドルフ様が死ぬ時は、わたしもお傍にいよう・・)いままでずっと一緒に険しい道を歩いてきた。だからゴールを迎えた時も一緒にいたい。ユリウスはそんなことを思いながら夕食を作っていた。「夕食ができました。」「そうか。」テーブルの上に所狭しと並べられたディナーに、ルドルフは目を丸くした。「これはいったいどういう風の吹きまわしだ?」「最後の晩餐ですよ、わたしとあなた様の。」ルドルフはユリウスの言葉に何も返さずに、静かに椅子に腰を下ろした。「あなたが好きなものを作ってみました。」「そうか。」2人の間に、重苦しい沈黙が流れた。「このステーキは、確かNYのレストランで食べたな。」「ええ。あの時エルジィとアナスタシアがあなた様の隣に座ると言って大騒ぎして、店から追い出されそうになりましたね。」「そうだったかな?」そう言ったルドルフは、ユリウスを見た。「ユリウス、あと3日だな。」「ええ・・」その夜、ルドルフとユリウスは愛し合った。互いの温もりを忘れぬように。
2008年09月28日
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吹き荒ぶ吹雪と濃霧の中、アフロディーテとカエサルはゆっくりと遠くに見える建物へと向かった。「あそこが、兄様の“墓”ね。」「ええ。厳密に言うならば、あの小娘の“墓”でもあります。」カエサルはそう言って足を滑らせ、転びそうになった主の手を取った。「ありがとう。」「アフロディーテ様、何故ここに来たいとおっしゃったのですか?もうあの事は歴史の闇に葬り去られております。それにあの小娘は黄泉の住人です。あなたが拘ることではないと存じますが?」榛色の瞳が、アフロディーテを見つめた。「ねぇカエサル、兄様はなぜここで、あの小娘と死のうとしたと思う?お前、そんなこと一度考えたことがある?」アフロディーテは前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、濃霧の向こうに見える“墓”を見た。「あの小娘と現世では結ばれないから、この世を儚んで自害したと、世間一般では言われております。」「そんなの体よく誰かが作り上げた陳腐なラブロマンスよ。兄様はあんな小娘のことなんて何とも思ってなかった。兄様は自分の死を以て、父様にドイツ皇帝・・あのガタイがいいだけで何の取り柄もない男の陰謀を知らせようとしたのよ。兄様は“暗殺”されたのよ、あいつらに。」あの日―兄がこの地で“死んだ”日、アフロディーテは狼狽し、悲嘆に暮れた。だが兄があの成り上がり者の小娘と心中するなど、ありえないと思った。そして知ったのだ、兄の死の真実を。あのドイツの熊野郎―ヴィルヘルムが放った者達によって、兄は殺されたのだ。だが、兄の“死”は馬鹿馬鹿しいラブロマンスへと変わってしまった。「真実は都合よく覆い隠されて、残ったのは陳腐なラブロマンスだけ。兄様は何の為に“死んだ”のかしら?」アフロディーテは溜息を吐いた。「アフロディーテ様、あなたは本当に、皇太子様のことが好きなんですね。」「さあ、わかんないわ。初めは大っ嫌いだった。わたしからユリウスを奪った糞生意気なガキだと思って、兄様のこと凄く憎んだわ。けれど外の世界に出て、分かったの。この世で家族と言えるものは、兄様とユリウスしかいないってことが。もちろん、お前もだけど。」アフロディーテはそう言って、カエサルに微笑んだ。「ありがとうございます。」「ねぇカエサル、兄様はわたしを殺してくれるのかしら?わたしと一緒に死んでくれるのかしら?もしそうだとしたら嬉しいわ。だって今まで、わたしは兄様に好かれた事なんかないもの・・憎まれた事は何度もあるのに、兄様に愛された事なんて一度もないの。」寂しげな笑みを浮かべながら、アフロディーテは静かに降り続ける雪を静かに見ていた。アフロディーテは深呼吸して、澄んだ声で歌い始めた。これは自分と、兄への鎮魂歌だ。(もうすぐわたしは兄様と死ねる・・これはわたしが兄様の為に歌う最後の歌・・)「もう行きましょうか、風邪をひきますよ。」「ええ、わかったわ。」アフロディーテはそう言って、“墓”に背を向けた。(さようなら、兄様・・わたし達は結局、解り合えなかったわね・・でもこれからわたしは兄様と一緒に死ぬんだもの。そんなこと気にしないわ。)その頃、ルドルフは静かに降る雪を見つめながら、溜息を吐いた。“あなたは産まれてくる子供達を、殺めるおつもりですか?”ユリウスに投げつけられた鋭い言葉の刃に、ルドルフは深く傷ついた。子供を殺すなんて、考えたことがない。だが、アフロディーテと決着をつける時、この子達は自分達のエゴに巻き込まれ、闇へと葬られる。(許してくれ・・)まだ見ぬ我が子に、ルドルフは詫びた。その時、天使の歌声が聞こえたような気がした。(気の所為か・・)ルドルフはゆっくりと目を閉じて、深い眠りに落ちていった。天使の歌声は、まだ聞こえていた。
2008年09月28日
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「子供達のこと?」ルドルフはそう言ってユリウスを見た。「あなたがアフロディーテと心中すると決めたことはわかっております。それに、あなたがそう簡単に一度決めたことを変えないことを。」「何が言いたい?私はオブラートに包むような言い方は嫌いだ。はっきり言え。」「では言わせていただきます。あなたは産まれてくる子供達を、その手で殺めるおつもりですか?」一瞬、時が止まったように感じられた。ルドルフはそっと下腹を撫でると、その手でユリウスの頬を打った。「私が・・殺せると思うか?いままでやっと、待ち望んできたお前との子を・・わが子を殺せると思うか!?それともお前は、自分の目的の為ならわが子を平気で手にかける人非人だと思っているのか!?」打たれた頬の痛みに、ユリウスは呻いた。「お前だけは・・そんなことは絶対に言わないと思っていた・・だがお前は私を裏切り、傷つけた。出て行け、お前の顔など見たくもない!」ルドルフはそう言ってユリウスにそっぽを向いた。「失礼・・いたします・・」ユリウスは病室を出て行った。その足で彼は、病院の近くにある教会へと向かった。遥か昔―ルドルフと出会う前からずっと愛用していたロザリオを取り出し、ユリウスは祭壇に向かい、天上におわす神に向かって静かに祈りを捧げた。(主よ、今日は大切な人を傷つけてしまいました・・言葉は時として人を励まし、時には人を深く傷つける刃となる・・そんなこと充分に解っている筈なのに・・わたしは今日、大切な人を傷つけました・・)天上にいる神は何も答えない。自分達は神に背き、多くの人間を虐殺した穢れた存在。この世に生きてはならぬ化け物。神が自分達の声など聞いてくれる筈がないーユリウスはそう思い、教会を後にした。「ユリウスさん?」背後から声をかけられ、振り向くと、そこには大きな買い物袋を抱えたソロモンが立っていた。「そうですか・・そんなことが・・」ソロモンはそう言ってコーヒーを飲んだ。「わたしは馬鹿なことを言ってしまいました・・あの方が・・ルドルフ様が、子供を道連れにして死ぬことなんて絶対にしない方だとわかっているのに・・。」脳裏に、ロシアでの悲しい記憶が甦った。初めて受胎期を迎えたルドルフは、ユリウスとの間に子供を宿したが、その子はこの世に生を享ける前に闇へと葬られてしまった。あれから半世紀以上経っても、あの時の悲しみは未だに癒えることがない。「あなたは、どうしたいんですか?」「わたしは・・ルドルフ様と一緒に死ぬつもりです。もしあの方が1人で死ぬと言い出しても、わたしはあの方と一緒に死にます。」「僕はあなたが羨ましい・・まっすぐにあの方を見つめ続けているあなたが。」ソロモンはそう言って溜息を吐いた。「あなたはいつもあの方と一緒だった。あなたは彼に影のように寄り添っていた・・僕はあなたになれたらどんなにいいのかと何度思ったことでしょう。」「ソロモン・・」ユリウスは目の前に座っている男の悲しく光るトルマリンの瞳を見た。「僕はもうお暇するとしましょう。あなたは1人で考えたいことがあるでしょうし。」ソロモンはそう言って椅子から立ち上がり、リビングを出て行った。(ソロモン・・わたしはあなたになりたいと何度思ったことか・・ただ純粋にルドルフ様を恋い慕い、自分の想いをぶつけてきたあなたが時々羨ましく思った・・いつも一緒にいるから、互いの距離が近すぎるから、見えないこともある本心を、ルドルフ様はいとも簡単にあなたの前ではさらけ出すことができた・・)ユリウスはコーヒーカップを洗いながら、静かに冬の空に浮かぶ月を見た。憂いを帯びた蒼い月が、静かにユリウスの顔を照らした。その頃、アフロディーテとカエサルはある場所へと来ていた。「ここが、兄様が“死んだ”場所ね?」そう言ってアフロディーテは霧の向こうに幽かに見える元狩猟館を眺めた。「はい。アフロディーテ様、どうしてこんなところに?」「気分転換よ。」アフロディーテはそう言って、黒貂の頭を撫でた。「行きましょうか、カエサル。」
2008年09月28日
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ルドルフは病院の集中治療室で眠っていた。「今のところ脈拍や呼吸には異常ありません。数日くらいで意識が戻るでしょう。」「そうですか。」ユリウスはそう言ってルドルフの主治医を見た。「それと彼の胎児のことですが・・」主治医は眼鏡のフレームを直しながら、ユリウスを見た。「来年7月が予定日ですが、長引く場合もあります。また、難産の可能性があります。」「そうですか・・胎児には異常は見られませんでしたか?」「解毒剤のお陰で、胎児には影響はありませんでした。しかし何か起こるかわかりませんから、気をつけていてください。」ユリウスは主治医の部屋を出て、ルドルフの元へと向かった。「ルドルフ様・・」ユリウスはガラス越しに、ルドルフを呼んだ。「あなたがご無事でよかった・・」そう言うと彼は泣き崩れた。数日後、ルドルフは集中治療室から、一般病棟へと移された。「どうですか、お体の具合は?」「大丈夫だ。少し悪阻が酷いがな。」ルドルフはそう言ってベッドから起き上がった。毒を射たれた左腕には、ケロイドのような醜い傷痕が残った。「あまり無理なさらないでくださいね。」「ああ。今は体調を整えなくてはな。それよりも、アフロディーテの動きはどうなってる?」「・・アフロディーテは、わたし達と戦うようです。」「そうか・・」ルドルフはそう言って窓の外に広がるウィーンの街を見下ろしていた。「お腹の子供は無事だそうです。それに、双子だとお医者様はおっしゃってました。ですが予定日が長引いて難産になる可能性があるそうです。」ルドルフは下腹を擦りながらユリウスの話を静かに聞いていた。「子供の性別はまだわからないのか?」「まだわからないと思いますよ。それは産まれてからのお楽しみということにしておきましょう。」「そうだな・・少し寝る。」ルドルフはそう言って目を閉じた。ユリウスはそっと、ルドルフの下腹を撫でた。妊娠初期を迎えたそこはまだ目立っていないが、これから大きくなり、やがて新しい命が産声を上げるだろう。その時、自分達はどうなっているのだろうか。ルドルフの決意を知っているだけに、ユリウスは産まれてくる子供達のことが気掛かりでならなかった。(戦いは避けられない・・わたし達は滅びるしかない・・けれども子供は?ルドルフ様は子供を道連れにするのだろうか?)ルドルフがアフロディーテを倒して自殺すれば、自分もその後を追うと決意した筈だった。だが生まれてくる子供達のことを考えると、それが最良の選択なのかとユリウスは考え始めていた。子供には何も罪がない。ルドルフに一度、子供のことについて話をしてみたが、それでもルドルフの決意は変わらなかった。“災厄の種は、この手で摘み取った方がいい。”(この子達は祝福されて生まれてくるんじゃないのか?ただ化け物として生まれてきたから、その命を絶つなんて、わたしにできるのだろうか?)ルドルフは今まで多くの人間を傷つけてきた。自分と同じような思いを子供にさせたくないという彼の気持ちは理解している。しかし本当にそれでいいのだろうかーユリウスはウィーンの街を見下ろしながら、子供達のことについて一晩中悩んでいた。「ルドルフ様、お話があります。」「なんだ?」「子供達のことです。」ユリウスがそう言った瞬間、ルドルフの表情が少し険しくなった。
2008年09月28日
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解毒剤をルドルフに注射したソロモンは、ルドルフの様子を見た。猛毒に侵された彼の顔は青紫色で、息はない。ソロモンは人工呼吸と心臓マッサージをルドルフに施した。微かに息をしている。(あとはこの人の生命力に頼るしかない・・)ルドルフにコートを着せ、ソロモンは彼の身体を抱きかかえて邸の中へと入って行った。その頃、あばら屋の中ではユリウスとシュティファニーが死闘を繰り広げていた。シュティファニーは剣の稽古をこれまで一度も出ていないらしく、攻撃が簡単に読めてしまう。「そんな剣ではわたしを殺すどころか、掠り傷さえ作られませんよ?」「お黙りっ!」シュティファニーはそう叫んでユリウスに突進した。ユリウスは彼女の攻撃を2本の短剣で受け止め、彼女の身体を切り裂いた。「ぎゃぁぁっ!」ドレスの布地が所々裂け、締まりのない脂身から真紅の血が流れる。「おのれ・・よくもわたくしを傷つけたわねっ!」シュティファニーは漆黒の炎を上げながらユリウスを睨んだ。あまりの熱さにユリウスは顔を歪めた。(なんとか・・彼女の弱点を掴めないか・・?)「どうしたの、急にやる気をなくしたのかしら!?」シュティファニーはユリウスが攻めてこないのをいいことに、次々と攻撃を繰り出した。「くっ」圧倒的な力だ。このままでは負けてしまう。今のシュティファニーは自分への憎しみでパワーが増している。(どうすれば・・)ユリウスが周囲を見渡すと、1本の注射器が転がっていた。そこには緑の液体が半分入っていた。あれをシュティファニーに射てば。いちかばちかやってみるしかなかった。ユリウスはシュティファニーの攻撃を避けながら、闇の中で注射器を拾い上げ、背中に隠した。「もう降参かしら?」勝ち誇った顔で、シュティファニーはそう言ってユリウスを嘲笑った。「わたしの負けです、シュティファニー様。ルドルフ様はあなたのものです。」「そうよ。はじめからそういう態度でわたくしに接すればいいのよ。そうしたらわたくしはお前を許してやったのよ。いい子ね。」すっかり気をよくしたシュティファニーは、剣を下ろした。ユリウスはその隙を突いて注射器の針をシュティファニーの頸動脈に射ち込んだ。「おのれ・・貴様ぁっ!」漆黒の眼窩に真紅の光が宿った。シュティファニーの全身から腐臭が漂い始め、彼女はもがき苦しみながら床を転がった。胸を掻き毟る彼女の手から、大量のハエが湧いて来た。「ル・・ド・・ル・・フ・・さ・・ま・・」シュティファニーの魂魄は粉々に砕け散った。「終わった・・」ユリウスはそう言って額の汗を拭った。「最後まで哀れな方だ・・」あばら屋を出ようとすると、何かがユリウスの足に当たった。それはシュティファニーが愛用していたロザリオだった。ユリウスはそれを足で粉々に踏み潰し、よろめきながらあばら屋を出た。邸が見えてきた時、携帯が鳴った。ソロモンからだった。「ルドルフ様は?」『今病院で治療を受けています。幸い命に別条はないようです。』ユリウスはそれを聞き、ほっと胸を撫で下ろした。病院へと向かうと、そこには疲れ切ったソロモンの姿があった。「彼女は?」「倒した。」「そうですか・・」それから2人は何も言わなかった。
2008年09月28日
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(ルドルフ様は一体何処に・・) 貴族達と歓談中、ユリウスはルドルフが何処へ消えてしまったのかが気になって仕方がなかった。「ちょっと失礼。」ユリウスはそう言ってバルコニーへと向かい、携帯を開いてルドルフの番号にかけた。だが、繋がらない。ユリウスは居てもたってもいられず、大広間を飛び出した。その時、1人の男とぶつかった。「すいません、急いでいますので。」「あの方を探すのでしょう?だったら僕も手伝います。」ユリウスが顔をあげると、そこにはソロモンが立っていた。「どうして・・あなたが・・」「あの女を見つけたんでね。あなたを100年以上前からずっと憎んでいる女をね。」ユリウスの脳裏に、狂気で醜く歪んだシュティファニーの顔が浮かんだ。「どうして・・あの時、わたしが倒した筈・・」「人の想いというのは厄介でね。想いや未練が強くなればなるほどこの世に留まることが多いんですよ。特に皇太子妃様の場合は、あの方への恨みつらみで100年以上も怨霊として生きているんですから。あなたに倒されても本懐を成就させるまで何度でも復活するでしょう。」ソロモンはそう言ってユリウスに液体が入った注射器を渡した。「これは?」琥珀色の液体が入った注射器を見ながら、ユリウスはソロモンを見た。「オルフェ兄さんが始祖魔族・・厳密に言えばあの方にしか効かない猛毒を作りましてね・・その解毒剤です。」「オルフェレウスが・・何故そんなものを・・」「わかりません。それよりもあの方を探しましょう。」ソロモンとユリウスが大広間を出た頃、シュティファニーは苦痛に顔を歪めている元夫を見た。「ふふふ、いい気味だわ。あなたはもっと苦しめばいいんだわ・・もっともっと苦しんで、のたうちまわって死ねばいいんだわ。」シュティファニーは笑いながらあばら屋の中でワルツのステップを踏んだ。ルドルフはおが屑の中に蹲り、額から脂汗を流している。「お前は・・これで・・満足か・・?」「いいえ、まだ足りないわ。あなたの苦しむ顔がもっと見たいのよ。」シュティファニーはそう言ってオルフェレウスから渡された銀製の剣を取り出した。「これでわたくしの長い苦しみは終わる・・」シュティファニーがルドルフに向って剣を振りおろそうとしたとき、1発の銃弾が彼女の手から剣を弾き飛ばした。「ルドルフ様から離れろ!」「おのれ・・よくもわたくしの邪魔を!」シュティファニーはそう叫んでユリウスを睨んだ。「わたしはルドルフ様を愛している!この想いは誰にも譲れない!」「人間の癖に魔族になったやつが、小癪な真似を・・」漆黒の炎を全身から出しながら、シュティファニーはゆっくりと立ち上がった。「お前のことは、最初から・・あの人と一緒に歩いていたのを見かけた時から気に食わなかったわ!だからお前にはここで死んで貰うわ!」シュティファニーはおが屑の中に落ちた剣を拾い上げ、その切っ先をユリウスに向けた。「わたしも、あなたに負ける気はしません。」ユリウスは短剣を上着の内ポケットから取り出し、鞘を抜いた。「そんなちっちゃいおもちゃでわたくしに勝てると思って?」「得物が大きいから勝てるという訳ではありませんよ、皇太子妃様。」ユリウスはそう言って笑いながらシュティファニーへと突進した。激しい剣戟が繰り広げられる中、ソロモンは床に蹲ったルドルフを外へと出した。懐中時計を見ると、解毒剤を与えなければならない時間からもう2時間経過している。(間に合うといいんだが・・)ソロモンは持っていたポケットチーフでルドルフの腕を軽く消毒し、注射針を刺し、解毒剤を彼の体内に注ぎ込んだ。
2008年09月28日
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「もう誰にもこの時を邪魔させないわ・・あなたはわたくしが放つ毒矢で苦しみながら死ぬのよ。」シュティファニーはうっとりとした表情を浮かべながら、“キメラ”を矢尻に塗った矢を弓につがえ、構えた。「あなたは今までわたくしを苦しめてきましたわよね?そう・・初めて会った時からずっと・・いつもあなたに愛されたいと願っていたわたくしのその想いですらも、あなたは踏みにじった・・黄泉の闇の中で、わたくしはあなたに対する憎しみを新たに、そこから這い出してきましたのよ。」シュティファニーはそう言って狂気じみた声で笑った。「こんなわたくしを哀れな女だと思ってもいいのよ、あなた。あなたの所為でわたくしはこんなにも狂ってしまったの!あなたがわたくしをこんなに狂わせたのよ!」血走った目で元夫だった男を睨みながら、シュティファニーは毒矢を放った。毒矢はルドルフの肩を掠めた。矢尻に塗られていた緑の毒液が、ルドルフの白い肌を汚した。その時、肉が焼けるような臭いが鼻をついた。「っ・・」全身を高電圧の電流で焼かれたような激痛がルドルフを襲った。「“キメラ”という毒でね、とっても綺麗な人が私にくださったのよ。あなたをこれで殺せって。あなたを殺せばもう1人の王子様が助かるからって。」「誰に・・貰った・・」苦痛で顔を歪ませながら、ルドルフはシュティファニーを見た。「そんなこと、あなたには教えられないわ。それよりもあなた、わかる?わたくしの苦しみが。あなたに愛されず、宮廷では“フランドルの田舎者”と呼ばれて毎日中傷されて辛かったわたくしの気持ちが。あなたにはおわかりになって?」ルドルフの癖のある巻き毛を撫でながら、シュティファニーはほくそ笑んだ。「苦しめばいいわ・・わたくしがホーフブルクで味わった一生分の苦しみを、あなたも味わうといいわ・・」ルドルフは激痛に耐えかねて蹲った。「相変わらず綺麗な顔ね、あなた。苦痛に歪んでいるあなたの顔はもっと綺麗・・もっとわたくしにその顔を見せて頂戴な。」シュティファニーはルドルフの肩を押した。苦痛の呻き声があばら屋に響いた。「なんて愉快なの!こんな気持ちになったのは生まれて初めてだわ!」その頃、ユリウスは中庭でルドルフの帰りを待っていた。携帯に何度もかけたが繋がらない。(まさか・・ルドルフ様の身に何かが・・)嫌な予感がする。ユリウスはじっとしてられず、ルドルフを探そうとした。「あら、フェレックス様、まだそこにいらしたんですのね?」不意に背後から声がしてユリウスが振り向くと、闇と同化したクレメンティル公爵夫人が妖艶な笑みを浮かべながら彼を見ていた。「私の妻を知りませんか?」「いいえ、知りませんわ。それよりも皆様があなたとお話したいとおっしゃってますわ。さあ、邸の中へ入りましょう。」そう言ってクレメンティル夫人はユリウスの腕を掴み、邸の中へと入っていった。(ふふ、今頃あのルドルフとかいう生意気な女は、あの醜い化け物に殺されていることでしょう・・あとはこいつに妻殺しの罪を被せればいいだけ・・そしてわたくしは永遠に社交界の華として君臨し続ける・・我ながらいい作戦だわ。)黄泉の底から這い上がり、甦ったシュティファニーと彼女が出会ったのはほんの数時間前。“わたくし、ルドルフが嫌いなの。もしよければ、あなたが始末してくださらないこと?”利害が一致した夫人とシュティファニーは共謀し、夫人はルドルフを種ティファニーがいるあばら屋へと連れて行った。(ルドルフ様、どうぞご無事で・・)ユリウスはロザリオを弄りながら神に祈った。遥か昔、人非ざる者となり、神に背いたが、それでもユリウスはルドルフのことを神に祈らずにはいられなかった。「・・あの女が甦ったとは・・厄介な事になりましたね。」ソロモンはそう呟いてシャンパンを飲んだ。その頃邸の外れにあるあばら屋では、シュティファニーの不気味な高笑いが響いていた。
2008年09月28日
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「これはこれは、クレメンフェル公爵夫人。わざわざ私達に挨拶なさるために、こちらにいらしたのですか?ご苦労なことです。」ユリウスはそう言って作り笑いを浮かべた。「そんなつもりでここに来たのではありません。隣にいらっしゃるあなたの奥様にお話があって来ましたの。」クレメンフェル夫人の目がユリウスからルドルフへと移った。「私に?」「ええ、あなたに是非、お会いしたいという方がいらして・・少し奥様を借りても宜しいかしら?」「構いませんよ。」ユリウスはそう言ってルドルフに目配せした。“すぐ戻る”“何かあったら携帯を”「どうしましたの?気乗りしなければ別に構いませんのよ。」クレメンフェル夫人はそう言って意地悪く目を光らせた。「いいえ。」ルドルフは夫人にニコリと笑って彼女のあとをついていった。「お話ってなんですの?それにわたしにお会いしたい方っていうのはどなた?」夫人は何も答えない。「ねぇ、最近までウィーンを震撼させていた猟奇的殺人事件が解決したんですってね?」「ええ・・犯人は確か、20歳の大学生だと聞きましてよ。」適当な相槌を打ちながら、何故夫人は突然そんなことを言い出すのだろうとルドルフはいぶかしんだ。「あなたにお会いしたいんですって、その犯人が。」「でも犯人は今刑務所にいるんじゃなくて?こんなところにいる筈は・・」ルドルフは胸騒ぎがした。自分達は今どこに向かっているのか、わからなかった。「一体どちらへと向かわれているの?公爵様はこの事をご存知なのかしら?」ルドルフの問いに、夫人は何も答えなかった。ただ彼女はランプを持ち、行く先の闇を照らしながら歩いていた。2人は重苦しくも不気味な沈黙の中、ひたすら歩き続けた。 夫人が一体何をたくらんでいるのか、そして自分をどこに連れて行こうとしているのかをルドルフは考えていたが、やがて夫人の足が広大な邸のはずれにあるあばら屋の前で止まった。「こちらへどうぞ。」夫人はそう言って腐りかけ、朽ち果てる寸前の木の枝に掛っている鍵束を取り、その中のひとつをあばら屋の入口に挿し込んだ。重苦しい音とともに扉が開き、埃とかび臭い空気がルドルフの鼻を刺激した。「あなたがお会いしたい方を、お連れしたわよ。」そう言って夫人はランプをおが屑の中で眠っている人間に向けた。赤いフードを頭から深くかぶっていて、顔は見えない。「この方、どなた?わたくし、全然知らないわ。」「あら、そうなの?向こうはあなたのこと、よくご存じですって。」夫人はルドルフを赤いフードを被った人間の前に押し出し、ドレスの裾を翻して外に出て、入口に鍵を掛けた。「一体どういうつもりですの、ここをお開けになって!」ルドルフは叫んだが、夫人はすでに立ち去った後だった。「あなた、もうわたくしのことを忘れてしまったの?酷い人ね・・」赤いフードを被った人間は、ゆっくりとそれを取った。小屋に射し込んだ月光が、焼け爛れた右半身を仄かに照らした。「どうしたの、そのお顔は?わたくしと再会できたことを余り嬉しく思っていらっしゃらないようね?」シュティファニーはそう言って笑った。「お前は・・私に倒された筈・・」「黄泉の底から戻ってきて参りましたの。あなたに復讐するために。」シュティファニーの暗く淀んだ眼窩が、ルドルフを見据えた。ルドルフは恐怖と驚愕で顔をひきつらせて、震える手で携帯を取り出そうとした。だがそれはシュティファニーの手の中で粉々に砕け散った。
2008年09月28日
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T伯爵邸の園遊会を後にしたユリウスとルドルフは、M公爵主催の音楽会へと向かった。「まぁ、フェレックス様、ようこそ我が家の音楽会へ。どうぞゆっくりなさってくださいましね。」M公爵夫人はそう言って2人に微笑んだ。「クレメンフェル子爵夫人にはもうお会いになったかしら?彼女に気に入られたのなら、社交界でのあなた達の地位は安泰よ。」そう言って気のいい公爵夫人は若いカップルに微笑んだ。「申し訳ありませんが、彼女の機嫌を思いっきり損ねてしまいました。ですからこれから色々とご面倒をおかけいたしますが、何とぞ宜しくお願いいたします。」ユリウスは慇懃無礼な言葉を述べて、公爵夫人に頭を下げた。「あら・・それは大変ね・・あの人には気をつけた方がよくてよ・・」ユリウスが自分の友人であるクレメンフェル子爵夫人を差し置いて隣に立っている美しい彼の妻とともに園遊会の主役となったことは、もう彼女の耳に入っていた。わざとユリウスに鎌をかけ、彼らを笑いものにしてやろうという夫人の作戦は失敗に終わった。(侮れない方ね・・外見は天使のようにとても儚げなのに、本質は狡猾で聡明な狼のようだわ・・)公爵夫人は溜息を吐き、ゲストに出すための飲み物を取りに厨房へと向かった。「貴族というものは、誰も彼も意地が悪いな。」ルドルフはそう言って溜息を吐いた。「それはあなた様が一番よくおわかりになっておられるでしょう?」「まぁな。」 ホーフブルクや名門貴族の邸で毎夜開かれる舞踏会で、ルドルフは絶えず笑顔の仮面を被り続けて自分に媚を売り、陥れようとする貴族達に接した。 あの頃は別にあれも皇太子の仕事のひとつだと割り切っていて平気だったが、社会的地位も後ろ盾もない今となっては、こういう場所にいることが酷く気まずく思えた。周囲の紳士方の視線は常にルドルフに向けられており、彼らはルドルフの美貌や美しく完璧なプロポーションを語っていた。対して貴婦人達は、ルドルフの纏うドレスやネックレス、靴や白の長手袋に至るまで、それらがどこで購入したものなのかと、レースの扇子を扇ぎながら囁き合っていた。「ここは暑いですね。少し涼みましょうか。」「ああ。」 ユリウスの腕に自分の腕を絡ませたルドルフは、熱気でムッとする大広間を出て、純白の雪化粧を施された中庭へと向かった。大広間へと通じるドアを閉めて1歩中庭を出ると、冬の冷気がひんやりとルドルフとユリウスを包んだ。人々の体温や電気製品が発する熱によってムッとするほどの暑さだった大広間とは違い、ここでは誰かに話を聞かれることも、不快な視線を向けられることもない。「さっきのあの女、なんだか態度が変だったな。まるで私達に探りを入れているようだった。」「ええ・・以前言ったでしょう、わたしの成功を快く思っていない連中がいると。彼らの目からすれば、わたしは成り上がり者。彼らはわたしのことを良く思ってはいないようです。」ルドルフはそう言って溜息を吐いた。「栄光や名声が高まるほど、嫉妬されるということか・・」かつて自分が体験したことを、ユリウスがまた体験しているールドルフはなんだか複雑な気持ちだった。「お前はあいつらに意地悪されても、今までさんざん辛酸を舐めてきたからあれしきのことでへこたれないだろう?」「ええ・・わたしはノイズには耳を塞ぐ方なので。それよりもルドルフ様の方が彼らをあしらうことなど、簡単でしょう。」「まぁな。」2人は悪戯っぽい笑みを浮かべた。「あら、こんなところにいらっしゃいましたの。」取り澄ましたような声がして、クレメンフェル子爵夫人が近くの茂みの中から姿を現した。
2008年09月28日
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「ルドルフ様、起きてください。もう時間ですよ。」ユリウスはそう言って、ベッドの中で蓑虫のように丸まっているルドルフの身体を揺すった。「・・行きたくない。」ルドルフはそう言って頭からシーツを被った。「あなた様がお決めになったことでしょう?もう子供ではないのですから。」ユリウスは冷ややかな目でルドルフを見下ろした。「わかった。」ルドルフは欠伸をしながら、ベッドから出た。鏡の前で、寝癖を少し直すと、浴室でシャワーを浴び、ローブを羽織ってリビングに入った。「さっぱりなされましたか?」スクランブルエッグを皿に置きながら、ユリウスはそう言ってルドルフを見た。「ああ。昨日は大変だったぞ。変な男どもに絡まれた。」「そうですか・・ではボディガードを雇いませんと。」「それは必要ない。」ルドルフはコーヒーを飲みながら、郵便物に目を通した。個人向け国債や何故か学習塾のダイレクトメールが多く、ルドルフはそれらをほとんど目を通さずにゴミ箱へ捨てた。残りの半分は100年以上前からこの地に住んでいる貴族達からの晩餐会や音楽会、そして舞踏会の招待状だった。「今夜はT伯爵家で園遊会が開かれる。出席するか?」ユリウスは一瞬園遊会に出席するかどうか迷った。T伯爵はユリウスのプロジェクトに多額の融資をしてくれている。だが彼のことはあまりユリウスは好きになれなかった。「出席いたしましょう。」「わかった。あとM公爵主催の音楽会だが・・」ルドルフはその日大学から帰ると、園遊会や音楽会の支度に追われた。同じドレスを着まわすことなど出来ず、またそのドレスに合ったアクセサリーや小物をケルンストナー通りのブティックで購入しなければならなかった。さらに美容室でヘアメイクを美容師に施して貰う必要もあった。「まるで戦場だな、社交界で顔を出すのにこんなに金と時間がかかるとは思ってもいなかった。」胸元にダイヤの首飾りをつけ、上品なロイヤルブルーのドレスを纏ったルドルフは、そう言って溜息を吐いた。「コルセットは付けなくて済むからいいものの、こう毎回時間がかかるとなると、女ってものは厄介だな。」「ええ。やっとプラハ城での舞踏会の時のわたしの気持ちがわかってくださったようで、嬉しいです。」ユリウスはそう言ってにっこりと笑った。彼は決して自分が受けた屈辱を忘れない男だールドルフはそう思いながら、ユリウスのエスコートでT伯爵家の園遊会へと向かった。T伯爵家の園遊会は、名だたる名門貴族や資産家、そして名士達などが集まって賑わっていた。「ねぇ伯爵、今日はあのフェレックス様がいらっしゃるのでしょう?いったいどんな方なのかしら?」60代半ばの栗色の豊かな髪をした男に、黒髪の貴婦人がそう言って彼を見た。彼女の名はエイドリアーナ=クレメンフェル子爵夫人、ウィーン社交界を牛耳る貴婦人だ。「彼はとても魅力のある青年だ。私の娘は彼と会うのを楽しみにしていてね。」そう言ってT伯爵は、シャンパンを一口飲んだ。「この間雑誌で特集されていた記事を読みましたけれど、なかなか素敵な方ですのね。アンネ様となら、お似合いのカップルになりそうですわ。」クレメンフェル子爵夫人はそう言って上品な笑みを口元に浮かべた。「どんなに魅力的な男でも、所詮成り上がり者だ。この街では新興貴族ではなく、由緒正しい血を受け継ぐ貴族の我々が牛耳っていることを彼にわからせなければならない。」「おっしゃる通りですわ。あら、噂をすればなんとやら・・ユリウス様がいらっしゃいましたわ。」そう言ってT伯爵とクレメンフェル子爵夫人は薔薇のアーチの下を歩いてくる1組の男女を見た。男は濃紺のタキシードを上品に着こなし、女の方はロイヤルブルーのドレスを纏い、胸元は上品なダイヤの首飾りで美しい肌を見せている。2人とも優雅で上品なオーラを漂わせていて、その場にいた者達は2人の美しさにほうっと溜息をついた。「ユリウス様、初めまして。わたくしはエイドリアーナ=クレメンフェル。そちらにいらっしゃる美しい方はどなた?」子爵夫人はそう言ってユリウスの隣に立っている美女を品定めするかのような目つきで見た。「初めまして、子爵夫人。こちらは私の妻のルドルフです。」「まぁ、なんて美しい方なのかしら?」子爵夫人の顔が少し嫉妬で引きつったのを、ユリウスとルドルフは気づかなかった。「お前、あの女を敵に回したな。」ルドルフはそう言ってユリウスを見た。「そんなことどうでもいいです。それよりも園遊会を楽しみましょう。」園遊会では主役のT伯爵を差し置き、更に社交界のリーダー的存在であるクレメンフェル子爵夫人を無視したユリウスとルドルフは、ウィーン社交界に咲いた新しい華となった。「よくもわたくしを無視したわね・・ただでは済まさなくてよ。」 クレメンフェル子爵夫人は、そう言って人々の輪の中心にいるユリウスとルドルフを恐ろしい形相で睨んだ。
2008年09月28日
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昼休み、ルドルフはカフェテリアでカツレツ定食を食べていた。携帯を開くと、メールBOX にはユリウスからの受信メールが何通かあった。(・・少し独占欲強すぎるぞ、ユリウス。)ルドルフは溜息を吐きながら、ユリウスにメールを打った。『今食堂に1人でいる。』 これならユリウスは安心するだろうールドルフはそう思いながらカツレツをフォークで一口大に切っていると、図書館で会った2人の男がこちらに向かってくる。(しつこい奴らだ。)ルドルフはトレイを持って彼らが来る前に席を立った。「やはりつれませんね。」「何を言う、ああいうタイプは優しくされると弱いんだ。まぁ見ていろ。」シャルルは自信満々の表情を浮かべながら、ルドルフの方へと歩いていった。「お初にお目にかかります、皇太子様。」シャルルはそう言ってルドルフに微笑んだ。「何だお前は?」「シャルルと申します。こんなところでお会いできて光栄です。」「私の前から消え失せろ。」ルドルフはあからさまに不快な表情を浮かべて、シャルルの足をブーツの爪先で踏みつけた。「そうおっしゃらずに、わたし達とあちらでお話をしませんか?」足を踏まれ、その痛さでシャルルの美しい顔が少しゆがんだが、彼は笑顔を保ちながらルドルフに話しかけた。「お前達と話すことはない。」ルドルフはシャルルに背を向け、カフェテリアを出ていった。「つれないお姫様だな・・」シャルルはそう言って溜息を吐いた。「大した事ないですね、兄上。」エルンストは鼻でふふんとせせら笑いながら、ルドルフを追いかけていった。(全く、なんなんだあいつらは。確か黒髪の方はエルンストって言ったな・・私の部下だったか・・NYで溺死したと思ってたのに、生きているなんて・・それにしてもしつこいな。)ルドルフはオープンテラスの椅子に腰を下ろしながら、溜息を吐いた。「待ってよ、僕のお姫様!」噂をしたらなんとやらーチラリと遊歩道の方を見ると、そこには黒髪をなびかせながら、エルンストがこちらに駆けてくる。「しつこい奴だな。お前は私に嫌われていることに気づかないのか?」「気づいているけれど、君のことが諦め切れないんだよ。」(・・こいつ、駄目だ・・)「5分だけでいいんだ、僕と話しようよ。」「却下。」ルドルフは食べ終えたカツレツ定食を載せたトレイを持ち、カフェテリアへと戻っていった。「・・僕は諦めないよ・・絶対に。君の事をゲットしてみせるからね!」その日1日中、ルドルフはシャルルとエルンストの猛アタックにあい、へとへとになって帰宅した。「ただいま。」「お帰りなさいませ。大学の方はいかがでした?」「・・疲れた・・」ルドルフはそう言ってクッションに顔を埋めた。その頃アフロディーテは、ブログを書いていた。「何を書いていらっしゃるのですか、アフロディーテ様。」「そんなこと、お前には言えないわ。」アフロディーテはそう言って、記事をブログに投稿した。そこには、こう書かれてあった。“雌雄の時を決する日はもうすぐそばまで来ている。もう1人の王子様と会えるのが楽しみv”(兄様との和解という望みが潰えた今、わたしには兄様と戦う道しか残されていない・・アウグスティーナで決着をつけるわ!)最愛の兄と戦う決意を固めたアフロディーテは、ノートパソコンを閉じた。
2008年09月28日
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「ありがとう。」ルドルフはそう言って青年を睨んだ。「そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないですか。私はあなたを助けたんですから。」「お前・・私のことを狙ってたんだろう?カフェに毎日のように来ては、私にいつも話しかけていたな。私はそんなお前が気味悪くてカフェに行かなくなったんだ。だからもう、私に近寄るな。」ルドルフはそう言って青年に背を向けた。「・・つれないなぁ・・」青年は溜息をついてもと来た道を戻って行った。「どうだった、ジェファーソン?」木陰から、長身の黒髪隻眼の男が現れた。エルンストだった。「取りつく島もなし、でした。皇太子様に完全に嫌われてしまいました。申し訳ありません。」青年はそう言って頭を下げた。「謝らなくていいさ。皇太子さまは気難しい御方だ。皇太子様に好かれる方は数少ない。あの元男娼の司祭もその1人だ。」エルンストは歯軋りさせながら言った。イライラするときの彼の癖だ。「皇太子様のことを何としてでも落してみせます。」「分かった。じゃあわたしは兄上とともにキャンパス内を回る。」エルンストはそう言って兄の姿を探した。彼の2番目の兄、シャルルはキャンパス内のカフェで寛いでいた。「エルンスト、皇太子さまには会えたかい?」シャルルはそう言って末弟を見た。「いいえ。ジェファーソンは皇太子様に完全に嫌われてしまったようです。」「そうか・・“ウィーンに咲く孤高の蒼き薔薇”という噂はどうやらあながち嘘ではないようだね。」シャルルはマフィンを一口かじりながら溜息を吐いた。「“ウィーンに咲く孤高の蒼き薔薇”・・確かそう皇太子様に仇名を付けたのはパリ社交界の麗しきご婦人たちでしたね?」エルンストはそう言って昔を懐かしむように空を仰いだ。「皇太子様は魅力的な方だったからね。それよりもこれから2人で皇太子様に会いに行かないか?」「ああ。」エルンストとシャルルは同時に椅子から立ち上がった。2人のアイドルに会う為に。ルドルフは図書館にあるPCでネットをしていた。「この服いいな・・」ルドルフは画面を食い入るように見ていた。画面にはマスコミで特集され、品薄状態となっているワンピースが映っていた。「まぁ今の私にはこれよりも高価なものがあるからいいか・・」ルドルフはそう呟いてPCから離れた。「久しぶりだね、お姫様。」神経を逆なでするような声が聞こえ、ルドルフが振り向くと、そこにはNYの病院にいた男と金髪碧眼の男が立っていた。「奇遇だね、こんなところで再会できるなんて。一緒にお茶でもどう?」「断る。」ルドルフはそう言って2人の足をヒールで踏みつけ、図書館を去っていった。「つれないな・・まさに“孤高の蒼き薔薇”だな。」「ええ・・でも必ず落としてみせますよ、兄上。あなたより先にね。」「望むところだね、エルンスト。わたしの可愛い弟よ。」シャルルの蒼い瞳が、鋭くエルンストを射る。「ええ。」エルンストはシャルルを睨んだ。(皇太子様の御心は、わたしが絶対に掴む!)(もう兄上だけにいい思いはさせませんよ!今度こそ主役になるのはこのわたしです!)こうして、ルドルフを巡るエルンストとシャルルの、静かな戦いが始まったー
2008年09月28日
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年が明け、大学の長い冬休みが終わろうとしていた。ルドルフは寝室にある鏡の前で悩んでいた。「どの服を着ていこうかな・・」クローゼットの中の服を次々に着替えながら、ルドルフは溜息を吐いた。「どうなさったのですか?」ユリウスがそう言って寝室に入ってきた。「いや、明日着ていく服がなかなか決まらなくてな・・」「そうですか・・パリで買ったこれとかはいかがですか?」「デザインがいまいちだな・・」「ではこれは?」「これも駄目だ。」ルドルフは皇太子時代から着ていた服をクローゼットの中にしまった。残ったのは、最近パリやNY、ミラノで購入した数着の婦人服だった。「このワンピースはいかがでしょう?あなたの体型にフィットしていらっしゃいますが?」ユリウスはそう言って群青色のワンピースをルドルフの胸の前で翳した。「色が地味すぎる。私はこっちの方がいい。」ルドルフはベッドの上に置いてある真紅のワンピースを手に取った。「そうですね・・そちらの方があなた様によく似合っていらっしゃいますね。」「じゃあこれにしよう。後はこれに合う靴やバッグ、アクセサリーを探さないと・・」その日1日中、ルドルフは1週間のコーディネートを色々と迷いながら決めた。「・・疲れた。」ルドルフはそう言ってベッドの上に寝転んだ。「それにしてもルドルフ様、何故女性の服などを持っていらっしゃるのですか?」「男性が妊娠していると言っても人間は信じないだろう。まぁ私は男だが、妊娠しているから女性で通した方が色々と都合が良いと思ってな。」「・・そうですか。ではプラハ城の舞踏会で私を女装させたことはそういう意味だったんですね?」ユリウスはニッコリと笑いながらルドルフを見たが、目は少しも笑ってはいなかった。「・・お前まだあの事を恨んでいるのか?」「当たり前です。私はあなたの気紛れの所為で、変な方に絡まれたんですからね。」(少し粘着質な奴だな・・まぁ、そういうところも魅力というか・・なんというか・・)昔のことはいつまで経っても覚えているというのは少々厄介だが、それもこれもユリウスと過ごしてきた時間が長ければ長いほど、楽しい思い出があるのだからいいということにしておこう。「それにしても、私が大学に行くことをお前は反対したな、何故だ?」「変な虫がついたら嫌ですから。」「お前は娘を持つ父親のようなことを言うな。」「わたしはあなた様を独占したいんですよ。これでも嫉妬深いんですよ?」ユリウスはそう言って悪戯っぽい笑みを浮かべた。「明日は少し帰りが遅くなる。」「寄り道しないでくださいね。」(いつの間にか独占欲が強くなったな、ユリウスは・・)少し粘着質なところといい、自分に対する独占欲が強くなったことといい、ホーフブルクで一緒に暮らしていた時期よりもユリウスは自分より強くなり、変わってしまった。翌日、ルドルフはウィーン大学へと向かった。「それじゃあ、行ってくる。」「行ってらっしゃいませ。メールくださいね。」「わかった。」ルドルフは自宅を出た。(ルドルフ様が変な男に言い寄られたらどうしよう・・でもあのルドルフ様のことだから、上手くあしらうだろうけど・・でも心配だ!)ユリウスはスープを掻き混ぜながらルドルフの貞操を案じていた。その頃、ルドルフは男子学生達に取り囲まれていた。「君、どこから来たの?」「初めて見る顔だよね、名前はなんていうの?」「カレシいるの?よかったから今夜一緒に飲みに行かない?」(なんだ、こいつらは?適当にあしらおう。)ルドルフは彼らにほほ笑みながら、左手薬指に嵌められた結婚指輪を見せた。「悪いが私はもう永久就職済みだ。」落胆している彼らに背を向けて、ルドルフは颯爽とその場を去って行った。「結婚してたのか・・」「そりゃそうだよな、あんなレベルの高い子、カレシいるかもって思ってたんだぁ~」「ショック・・」項垂れる男子学生達を尻目に、1人の青年がルドルフの後を追いかけていった。(これから色々と面倒なことになるな・・結婚指輪つけてきてよかった。)ルドルフは溜息を吐きながら、ルドルフは冬の遊歩道を歩いていた。その時、凍った水溜りにルドルフは嵌り、足を滑らせてしまった。「うわっ!」バランスを崩して転びそうになったとき、誰かが自分を抱き留めてくれた。「お怪我はありませんか?」ルドルフの目に飛び込んだのは、鮮やかなライムグリーンの双眸だった。
2008年09月28日
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「ジェファーソン、一体わたしに何をしに来た?こんな姿となった私を嘲笑いにでも来たか?」男は自嘲めいた笑みを浮かばせながら、黒髪の執事を見た。「皇太子妃様が、皇太子様に敗れました。」男の琥珀色の隻眼が、煌めいた。「皇太子妃様が、敗れただと!?それは本当なのか、ジェファーソン!?」「はい。皇太子様・・ルドルフ様はウィーンにいらっしゃいます。先ほど、会ってきました。」「あの方が、ウィーンにいらっしゃるだと・・あの方はきっと、わたしに会いに来てくれたに違いない!」それまで絶望で濁っていた琥珀色の隻眼が、希望に輝き始めた。「ジェファーソン、あの方はどこにいる!?あの方に一目でもお会いしたい!」「焦ってはなりません、エルンスト様。まずはお体を綺麗にいたしませんと。」ジェファーソンはエルンストを自宅に連れ、彼の身体に纏わり付いている汚れを落とした。「ジェファーソン、皇太子様は今どこにいらっしゃるのだ?」エルンストはそう言って煙草を吸った。「皇太子様は今、この家に住んでおられます。」ジェファーソンはルドルフの自宅の写真と住所が載ったメモをエルンストに渡した。「ジェファーソン、お前確かウィーン大に行くと言っていたな?目的は皇太子様にお会いするためか?」エルンストの言葉を聞き、黒髪の執事は何も語らずに紅茶を淹れた。「いいえ。わたしはどうやら皇太子様に嫌われているようでして・・あなた様の方が皇太子様に好かれていらっしゃるのでは?」流し目でジェファーソンはエルンストを見た。「あの方はわたしのことなど見ていらっしゃらない。あの方が見ていらっしゃるのはあの元男娼の司祭だけだ!」エルンストはそう言ってユリウスへの憎しみを露にした。「司祭様、ですか?」「ああ、お前はボルドーにいたから彼のことを知らないな。皇太子様といつも一緒に居た司祭が居たんだよ。名前をユリウスと言って、皇太子様に何かと纏わりついていた。」「一度お会いしてみたいですね。そのユリウスって方に。」「わたしは会いたくなどないね。」エルンストは紅茶を飲んだ。「先ほど旦那様からお電話がありました。」「父上から?」「はい。何でもシャルル様が、皇太子様にお会いしたいとおっしゃって・・」「兄上が皇太子様に?」エルンストの眦が少し上がった。「皇太子様はわたしだけのものだ!」エルンストは乱暴にカップをテーブルに置いた。「落ち着いてください、エルンスト様。ハーブティーをもう1杯、いかがですか?」「貰おう。」「かしこまりました。」黒髪の執事は優雅な手つきでエルンストのティーカップにハーブティーを淹れた。「ありがとう。お前だけだな、わたしに優しいのは。」エルンストはそう言って溜息を吐いた。「ボルドーでわたしはいつも自分に引け目を感じていた・・いつも周りから兄上達と何かと比べられ、父上や母上は兄上達のことばかり構って・・お前がいなかったら、私は悪の道に進んでいたのかもしれないな・・」「何をおっしゃいます、滅相もございません。わたしはただ、旦那様とエルンスト様達にお仕えしているだけです。」慈愛に満ちたライムグリーンの瞳で、ジェファーソンはエルンストを見つめた。「皇太子様とどこでお会いできるんだ?」「皇太子様の行きつけのカフェがございますから、そこでお会いできるかと。」「そうか。今日は疲れた、もう寝る。」エルンストはそう言って夜着を羽織り、寝室へと向かった。「お休みなさいませ。」ジェファーソンはエルンストに向かって深々と頭を下げた。翌日、エルンストはジェファーソンを従えてルドルフ行きつけのカフェへと向かった。だがそこにはルドルフの姿はなかった。「今日はいらっしゃらないようですね。」「そうか。」エルンストはがっかりした様子で溜息を吐き、来た道を戻った。「そんなに落ち込まないでください。皇太子様とはきっとお会いできますから。」落胆するエルンストを、ジェファーソンはそんな言葉で励ますことしか出来なかった。「エルンスト、久しぶりだな。」背後から突然声をかけられたエルンストとジェファーソンは、同時に振り向いた。「兄上・・」そこには、ブロンドの髪にブルーの瞳をした長身の男―エルンストの兄であるシャルルが立っていた。「シャルル様、何故ここに?」「決まっているだろう、皇太子様とお会いするためさ。」シャルルはそう言ってブルーの瞳を煌かせた。
2008年09月28日
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「それでは、行って参ります。」ユリウスはそう言ってルドルフの頬にキスした。「行ってらっしゃい。」ルドルフはユリウスを玄関ホールで見送った。「さてと、何するかな?」ジュリオ達はイタリアへ帰ってしまい、家事はほとんど終わらせてしまった。ルドルフは2階にある自分の部屋に入り、勉強机の椅子に腰を下ろした。大学は今冬休み中だし、かと言って1日中家にいるのもつまらない。(たまには外にでも出てみるか・・)ルドルフは本棚から1冊の大学ノートを取り出し、それをバッグにしまって部屋を出た。自宅を出たルドルフは、1軒のカフェへと向かった。美しいウィーンの街並みを眺めながら、ルドルフは心理学のノートを開いた。ウィーンに帰った時、ルドルフはウィーン大学に編入手続きをした。といっても今年度の学期は半分終わっていて、今は冬休み中なので、冬休み明けからルドルフはウィーン大の学生となる。ホーフブルクにいた頃、家庭教師達に囲まれた閉鎖的な教育を一方的に受けるのにほとほと嫌気がさし、外の世界をもっと学びたいと思ったルドルフは、皇帝に大学に行きたいと言ったが、却下された。だが今はこうして、自由を満喫している。ホーフブルクという金の鳥籠から解放され、ルドルフは思いっきりけのびをした。「失礼、隣に座ってもよろしいでしょうか?」突然声をかけられ、ルドルフは1人の青年を見た。黒髪にライムグリーンの瞳をした青年は、その瞳でルドルフをじっと見ていた。「構わないが。」「そうですか。」青年はそう言うとルドルフの前にある椅子にゆっくりと腰を下ろした。「心理学・・あなたは学生なんですか?」「一応な。今は冬休みだから、休み明けに晴れてウィーン大の学生になる。」ルドルフは心理学のノートを閉じながら言った。「そうですか・・学科はどこですか?」「経済学部だが?それよりも君、名前は?」「申し遅れました、わたくしはジェファーソン、ジェファーソン=リッツと申します。あなたはルドルフ皇太子様ですね?」「・・どうして、私の名前を知っている?」ルドルフはバッグの中から短剣を取り出した。「あなたと戦うつもりはありません。私はあなたに興味を抱きましたので、話しかけたまでです。」青年はそう言ってルドルフに微笑んだ。ルドルフは短剣をバッグの中にしまった。「で、お前も学生なのか?」「ええ。ソルボンヌ大からこちらに編入してきました。あなたと大学で会えるのが楽しみです。ではこれで、失礼を。」青年はそう言って颯爽と去っていった。(変なやつだな・・)ルドルフは経営学のノートを開きながらコーヒーを飲んだ。「ただいま帰りました。」「お帰り。」「今日は何をしていらっしゃったのですか?」「カフェで勉強をしていた。そこで変な奴に会ってな。」「変な奴?」ルドルフは昼間会った青年のことを話した。「確かに変な方ですね。あまり関わらない方がよろしいかと。」「そうだな。」数日後、カフェでネットをしていると、またルドルフの前にあの青年が現れた。「こんにちは。」「またお前か。私に何の用だ?」ルドルフはそう言って青年を睨んだ。「別にあなたに会いたかっただけです。」「目障りだ、失せろ。」青年は溜息を吐いて立ち去った。「もしもし、私です。エルンスト様はまだ見つけておりませんが、皇太子様を見つけました。」携帯を取り出し、青年は誰かと会話していた。「皇太子様ですか?あまり私は好印象を持たれていないようです。シャルル様が・・そうですか、なんとかしてみます。それでは。」(・・シャルル様にも困ったものだ。皇太子様に会いたいなど・・わたしは皇太子様に嫌われているというのに・・一体どうしようか・・)青年―ジェファーソンは溜息を吐きながら、ウィーンの街を歩いた。同じ頃、ウィーンの路地裏では、1人の男が死んだように動かなくなっていた。ゴミや埃で汚れた黒髪は真っ白になり、着ている襤褸布からは悪臭が漂っている。「クソ・・何故わたしがこんな所にいなければならないんだ?」琥珀色の隻眼を煌めかせながら、男はそう呟いて目を閉じた。「お探ししましたよ、エルンスト様。」青年はそう言って、主が愛してやまない男の元へと向かった。
2008年09月28日
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「ジュリオ、ヴィクトリア、お前達は下がっていろ。」「え、でも・・」ジュリオはそう言って上着の内ポケットから短剣を取り出した。「これは私とシュティファニーの戦いだ。他の者は手出し無用。わかったな。」「わかった・・」ジュリオは短剣を内ポケットにしまった。「シュティファニー、お前はいつまで私を憎み続けるつもりだ?」「あなたが死ぬまでに決まっておりますでしょう!」シュティファニーはキッとルドルフを睨みつけた。「・・哀れな女だ。」ルドルフはサーベルの鞘を抜きながら、かつて自分の妻だった女を見た。 ホーフブルクで宮廷貴族から蔑ろにされ、“力持ちの田舎娘”、“フランドルの田舎者”と呼ばれ、いつも中傷と嘲笑の的となっていた彼女を。挙句の果てに、自らの腹を痛めて産んだ実の娘にまでさえ嫌われてしまった彼女を。「お前はもう、この世に留まってはいけない。」「嫌よ!わたくしはあなたを殺すまでこの世に居続けるわ!」ルドルフを漆黒の炎が襲った。彼はそれをサーベルで一刀両断した。炎は瞬く間に消えていった。「負けるものかぁっ!」目を血走らせたシュティファニーは、次々と炎をルドルフめがけて撃った。しかしそれらは全てルドルフのサーベルで無力化していった。「わたくしが負ける筈ないわっ!」シュティファニーは攻撃を続けたが、それはルドルフを傷つけるどころか、ルドルフに届く前にあっという間に消えてしまう。「どうして・・そんな・・わたくしはあなたに負けたというの・・?」シュティファニーはガクリと膝を床につけた。「安らかに眠れ、シュティファニー。」ルドルフのサーベルが、シュティファニーの胸を貫いた。断末魔の悲鳴がリビングに響き渡り、シュティファニーの全身は黒い炎に包まれた。「いやぁ~、まだ死にたくないっ!あなたに復讐するまで、死にたくなぁいっ!」炎の中からシュティファニーは手を伸ばし、ルドルフの腕を掴んだ。「死ぬときはあなたを道連れにしてやるわ~!」焼け爛れ、原型を留めていない醜い顔が、ルドルフを睨んだ。その顔は上から放たれた一撃によって無残に潰れた。「しつこい方ですね。」ユリウスはそう言って槍を鞘にしまった。シュティファニーは漆黒の炎の中で灰となった。「最期まで哀れな女だったな。」ルドルフはサーベルを鞘に納め、再びソファに腰を下ろした。「ママ、怪我してない?」ジュリオがルドルフに駆け寄り、彼の身体を見た。「大丈夫だ。それよりも楽しい夜に水を差してしまってすまなかったな。」「また仕切りなおせばいいし。それにもう遅いし、僕達寝るね。お休み、ママ。」「お休み。」ルドルフはジュリオの額にキスをした。「私達も寝るとするか、ユリウス。」「はい、今夜は疲れましたから。」ルドルフとユリウスは、ゆっくりと寝室へと入っていった。その頃、アウストリア公爵邸では、この邸の主、リカルドがパイプをふかしながら暖炉の前に座っていた。「皇太子妃様は皇太子様に倒されました。」「そうか・・それを聞いただけで充分だ、下がれ。」「はい。」執事は静かに部屋を出て行った。(皇太子妃様は使えると思ったのに・・とんだ期待外れだったな。皇太子様のことを、あの方は最期まで愛していらっしゃったから殺せなかったのか・・)シュティファニーの魂魄をコントロールし、彼女をルドルフに殺させる計画は潰えた。ならばエルンストにルドルフを殺させるとしよう。ルドルフに心酔している彼ならば、出来るかもしれない。「ジェファーソン、いるか?」「はい、旦那様。」黒髪の執事が滑るように部屋に入ってきた。「あいつを・・エルンストを探せ。そして私の元に連れて来い。」「あなた様のご命令とあらば。」その夜の内に、黒髪の執事―ジェファーソンはボルドーを発った。遥か昔にアウストリア家を捨てたリカルドの末息子・エルンストを探す為に。「お父様、少しよろしいですか?」「入れ。」ブロンドの髪をなびかせた青年が部屋に入ってきた。「久しぶりだな、シャルル。」「皇太子様がウィーンにいらっしゃるというのは本当ですか?」「ああ。それがどうした?」「一度お会いしたいんです、皇太子様に。お父様のお力ならば、できますよね?」「・・考えてみよう。」「ありがとうございます、お父様。」
2008年09月28日
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数日後、ジュリオ達がイタリアからウィーンのユリウス達の元にやって来た。「初めまして、ルドルフ様。」 ヴィクトリアの娘達―ジュリアーナ、マルティナ、アネリーゼはそう言ってルドルフとユリウスに頭を下げた。「初めまして。会えて嬉しいよ。」ルドルフはそう言って3姉妹に微笑んだ。「お母様は、ルドルフ様は少し近寄りがたくて怖い人だっておっしゃってたけど、全然違いますね。」アネリーゼはニコニコと笑いながら言った。「・・そうか・・」ルドルフはそう言ってヴィクトリアを見た。「そ、そんなこと言ったかしら?何年も前のことだから、覚えていないわ~」ヴィクトリアはキッチンへと向かった。「クリスマスは一緒に過ごせなかったから、その分新年は派手にお祝いしようねっ!」「張り切りすぎだろお前・・」ルドルフが呆れ顔でそう言いながら紅茶を飲んだ。夕食はジュリオとヴィクトリア、そしてユリウスとサリエルが腕を振るった大皿料理がテーブルに並んだ。ルドルフ達はワインを片手に美味しい料理を摘まみながら楽しい夜を過ごした。「ねぇ、あの殺人事件の犯人は捕まったの?」「まだ捕まってない。だがあいつは・・シュティファニーは私を殺すまで殺人をやめないだろう。」「そう・・怖い人だね。」ジュリオはそう言ってワインを飲んだ。「その人はママのことどう思っているんだろう?憎んでいるのかな、それとも愛しているのかな?」「さぁ、わからないな・・どちらかというと、私への憎しみを糧に生きているような奴だ、あの女は。もうこれ以上は話したくない。」ルドルフはワイングラスを洗い、寝室へと入った。その頃シュティファニーは、ウィーンの街を歩いていた。(許せない・・絶対にあの人を許すものか・・絶対に!)暗闇の中でシュティファニーの狂気を帯びた瞳が不気味に光った。100年以上もの間、シュティファニーの魂魄はルドルフへの憎しみだけで生きてきた。この地でかつて味わった屈辱が未だに忘れられない。自分を“田舎者”呼ばわりした者達はもうこの世にはいない。だが、ホーフブルク宮での結婚生活でシュティファニーに残ったものは、屈辱と、ルドルフへの激しい憎しみだった。彼女は死してもなお、ルドルフを激しく憎んでいた。(あなたの息の根を止める日が来るまで、わたくしは一生あなたに付き纏ってやるわ!)シュティファニーは漆黒の炎を全身に纏いながら、ルドルフの自宅へと向かった。そっと窓から部屋の様子を覗くと、ルドルフとユリウスは楽しそうに彼らの家族と食事をしている。(許せない・・わたくしがこんなにあなたの所為で苦しんでいるというのに・・)怨讐の瞳が、闇夜の中できらりと光った。「ねぇ、なんか光らなかった?」食器を洗う手を止めて、ジュリオはそう言って窓の外を見た。「さぁ、猫かなんかだろ。」ルドルフはそう言って読みかけの本に再び目を落とした。その時、リビングの窓が派手な音を立てて砕け散った。「みんな怪我はないか!?」「ええ、大丈夫です。しかしどうしてこんな・・」ユリウスは粉々に砕け散った窓ガラスを呆然とした様子で見た。ザワリと肌が粟立った。「わたくしも仲間に入れてくださるかしら、あなた?」滑るようにリビングの中へと入って来たシュティファニーは、そう言ってルドルフにニッコリと微笑んだ。怨讐に満ちた彼女の瞳は、爛々と光っていた。「お前は呼んでいない。出て行け。」「そうですの・・冷たい人ですわね、あなたは。」シュティファニーはそう言ってルドルフを睨んだ。
2008年09月28日
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「いるんでしょう、出てきなさいよ!」シュティファニーはそう言って社長室のドアを荒々しく何度もノックした。中からは返事はない。「申し訳ありませんが、社長は今、誰ともお会いしたくないとおっしゃっておりますので・・」「嘘吐いても駄目よ、彼はここにいるんでしょう!?さっさと出てきなさいったら!」シュティファニーと秘書との会話をドア越しに聞いていたユリウスは、警備の者に彼女を追い出すよう電話した。「申し訳ありませんが、お引取りいただけませんか?」警備員はそう言ってシュティファニーの腕を掴んだ。「嫌よ、わたくしはあいつに会うまで帰らないんだから!何するのよ、離してよ!」追い出されまいと、シュティファニーは警備員の手に噛み付いた。「これ以上騒ぐと警察を呼びますよ?」ユリウスはそう言ってシュティファニーを見た。「あなたに話があって来たのよ!」「手短にお話願いますか?」「そんな簡単なことじゃないわ。じっくりあなたとお話がしたいのよ!」どうやらシュティファニーは何か自分に言いたいことがあるらしい。だとしたら何故あんな嫌がらせをしてきたのだろう。シュティファニーの話を聞くだけ聞いて、ユリウスは彼女を追い出そうと思った。「みんな、下がってもいい。」「ですが、社長・・」「お騒がせして済まなかったね。持ち場に戻りなさい。」秘書と警備員達は時折シュ亭ファニーの方をジロジロ見ながら、部屋を出て行った。「お話とは何ですか?」「あの人と別れてよ!あの人はわたくしのものなのよ!」「それは昔のことです。あなたはルドルフ様の妻でもなければ、誰のものでもありません。わかったのならお引取り願いますでしょうか?これ以上あなたが騒ぐと業務に支障を来たしますので。」「少しくらい、わたくしの話を聞いてくれてもいいじゃない!」「もうお話は済みました。お帰りください。」シュティファニーは舌打ちし、社長室を出て行った。「社長、大丈夫でしたか?」秘書がそう言って社長室に入ってきた。「大丈夫だよ、彼女はすぐに追い出したから。」「そうですか・・あの人、社長を刺すんじゃないかと思うくらい怖い顔してました・・もし社長の身に何かあったら、心配で・・」「彼女のことは気にしなくていい。」ユリウスは仕事を終えて帰宅した。「ただいま戻りました。」「おかえり。そういえばお前の秘書から電話があった。シュティファニーがお前のところに来たそうだな?」ルドルフはパスタを茹でながらユリウスを見た。「はい。あなた様を自分に返せと、凄い剣幕で迫られましたが、断りました。」「・・諦めの悪いやつだ。私とあいつとの結婚生活はとうの昔に終わっているのに。」ルドルフは鼻で笑いながら冷蔵庫から野菜を取り出した。「お珍しいですね、あなた様が料理などなさるなんて。」「急に作りたくなった。ジュリオからこれを送って貰ったからな。」そう言ってルドルフが取り出したのは、1冊の大学ノートだった。中を見ると、そこにはイラスト付きで料理のレシピが細かく書かれている。「これなら、あなた様にも作れる料理がありますね。」「どういう意味だ、それは?」ルドルフとユリウスは互いの顔を見ながら笑い合った。「シュティファニー様はいずれ、ここにも押しかけてくると思います。」「無視すればいい。お前はシュティファニーのことをどう思っているんだ?」「どう思っているとおっしゃられても・・わたしは彼女のことは何も知りません。けれども、あなたへの愛に執着する彼女は、とても哀れだと思います。」「・・そうか。」ルドルフはそう言ってコーヒーを飲んだ。一瞬、気まずい沈黙が2人の間に流れた。その時、ユリウスの携帯が鳴った。「もしもし?」『もしもし、パパ?急なお願いなんだけど、新年はそっちで過ごしていい?ヴィクトリア達がママとパパに会いたいって聞かなくて。』「ちょっと待ってね。」ユリウスはそう言ってルドルフを見た。「ジュリオからで、新年を一緒に過ごしていいかということですか?どうなさいますか?」「構わない。今年のクリスマスは2人だけで過ごしたから、新年は大勢で賑やかに祝った方が楽しい。」「そうですね。そう伝えておきます。」その夜、ルドルフは携帯を開いた。1通のメールが入っていた。知らないアドレスだった。メールを開くと、そこにはこう書かれていた。“あなたのことを待っています。出来たら返事ください”(迷惑メールだな。)ルドルフは即効にメールを削除した。
2008年09月28日
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「どうなさいましたか、アフロディーテ様?」部屋に戻ってきたアフロディーテの顔を見て、カエサルはそう言って主を見た。「なんでもないわ・・少し疲れたから、休むわ。」アフロディーテはカエサルの脇をすり抜けようとした。「皇太子様と、何かあったのでしょう?」カエサルはアフロディーテの腕を掴んだ。「・・兄様ね、お前と和解するつもりはないって。コンサートに来てくれるのはわたしと決着をつけるためだって・・」アフロディーテはそう言って堪えていた涙を流した。「わたしね・・今度こそ兄様と和解できると思ってたの・・色々と人間たちにひどいことしたわたしを兄様が簡単に許してくれる訳ないと思ってたの・・兄様はわたしとは違って、人間を大切にするから・・でも今度こそ本当に、仲直りできると思ってたの・・」「アフロディーテ様。」“私はお前と和解するつもりはない”レストランで氷のような冷たい拒絶の言葉をルドルフから投げつけられた時、アフロディーテが抱いていたルドルフとの和解の望みは粉々に砕け散った。「ショックだったわ・・あんなこと言われて・・わたしは兄様に心底憎まれているのね・・」この世で血を分けた唯一の家族であるルドルフから拒絶され、アフロディーテはひどいショックを受けていた。「わたし・・兄様と手を取り合いたいって思ってた・・過去のことを水に流して、ユリウスとお前と一緒にいつか暮らせるだろうと思ってたのに・・」「アフロディーテ様・・」カエサルがアフロディーテをそっと抱き締めた。「もう・・無理なのね・・兄様と和解するのは・・わたし、本当に1人になっちゃった・・」 アフロディーテはフラフラとした足取りで寝室へと入り、ベッドの中で声を押し殺して泣いた。その頃、ユリウスは仕事が一段落してほっと溜息を吐いた。「ふぅ~、疲れたぁ~」長時間パソコンに向かって仕事していた為、肩や背中の筋肉が強張っていた。時計を見るともうランチタイムを過ぎている。ユリウスは社長室を出て、会社内にあるカフェテリアへと向かった。ランチタイムを過ぎたカフェテリアは、閑散としていた。ユリウスはクリームチーズとサーモンのサンドイッチとコーヒーを買い、それを食べながらメールをチェックした。ルドルフから1通、メールが入っていた。『アフロディーテとランチ。アフロディーテとは和解するつもりはないことを伝えた。』ユリウスはそのメールを見て、溜息を吐きながらサンドイッチを食べた。(和解はもう無理だ・・ルドルフ様はもう、決意を固められたのだから・・) サンドイッチを食べ終え、コーヒーをタンブラーに移して社長室に戻ると、困った顔の秘書が自分の姿を見るなり駆け寄ってきた。「どうしたんだ?」「それが・・社長宛にお手紙が・・」「手紙?」秘書から手紙を受け取り、ユリウスはその場でそれを読んだ。そこには自分に対する罵詈雑言が書き連ねており、卑猥なイラストが描かれてあった。「どうしますか?警察に連絡を・・」「質の悪い悪戯だ。気にすることはない。」 それからというもの、ユリウスのところには嫌がらせの手紙やメールが毎日来るようになった。ユリウスは手紙を開かずに暖炉へと焼き捨て、メールは開かずに削除した。「社長、失礼いたします。」秘書がそう言って社長室に入ってきた。「あの、社長にお会いしたいという方が・・」「どんな人だい?」「社長の昔のお知り合いだという方がいらっしゃって・・社長を出せとおっしゃって・・」自分の知り合いを自称する人間は、1人しか見当たらない。「今日は帰って貰いなさい。」「はい。」秘書が出て行った後、数分位女性の怒鳴り声が廊下に響き、遠ざかっていった。「社長、あの人はどういった方なんですか?社長のことをとても憎んでいらしたようですけれども。」「昔色々あってね。でもわたしにとってはもう過去のことだよ。」ユリウスは涼しい顔でそう言って、仕事を再開した。「・・わたくしを馬鹿にして・・もう許さないわ、ユリウス!」シュティファニーはユリウスの居る社長室を睨みつけながら、大股で立ち去っていった。何者かのユリウスに対する嫌がらせはおさまるどころか、一層エスカレートするばかりだった。ユリウスは嫌がらせの犯人を知っていたが、何事もなかったかのような顔をして仕事をしていた。そのとき、社長室のドアが荒々しくノックされた。
2008年09月28日
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「兄様がわたしに会いたいって、本当なの?」アフロディーテはそう言って従者を見た。「ええ。何でも、お話したいことがあるとかで。」ルドルフが自分に話したいことがある。それはきっと、自分と仲直りするということなのだろうか?100年以上も憎しみ合い、いがみ合って来た。アフロディーテは心の支えだったユリウスをルドルフに奪われ、その憎しみと嫉妬だけで生きてきた。だが最近気づいたのだ、自分の、ルドルフに対する想いを。ルドルフのことが憎くて生きていたのではなく、ルドルフのことが好きだから、ルドルフに自分のことを見て欲しくて今まで生きてきたのだということを。違う環境で育てられたとはいえ、血を分けた双子の兄。ユリウスに向ける愛情の半分を、せめて自分に向けて欲しかった。だがルドルフはそうしなかった。それどころかますます自分に冷たくなった。(兄様はわたしのことを嫌いなのかしら?わたしは兄様のことが大好きなのに・・)アフロディーテはルドルフの決意を知らない。だから突然ルドルフが会いたいと言って来たのは、自分と仲直りして、これまでのことを水に流すつもりなのだと思い込んでいた。ドレッサーの前に座り、マスカラを塗りながら、アフロディーテはルドルフと漸く仲直りが出来ると思うと胸が弾んだ。(やっとわたしの気持ちに気づいてくれたんだわ、兄様!)やっと長い間深まっていた溝が埋められるーアフロディーテはそう思いながら部屋を出た。ルドルフはタイトな黒いコートに身を包んでいた。「お久しぶりね、兄様。お話って何かしら?もしかして、わたしと仲直りに来たの?」瞳を希望で輝かせながら、アフロディーテはそう言ってルドルフを見た。“これまでのことは水に流そう”そんな言葉を期待していた。だがー「私はお前と和解するつもりはない。」ルドルフの口から出た言葉は、自分に対する完全な拒絶だった。さっきまで仲直りできると思い、浮かれていた気分は一気に空気を失った風船のように萎んでいった。今度こそ、ルドルフと和解できると思っていたのに。その想いはまたしても叶わなかった。鼻の奥がつーんとしてくる。(ここで泣いたら駄目・・)「・・兄様ならそう言うと思ったわ。ここじゃあ何だから、あそこのレストランで話しましょう?あそこのパスタは絶品なの。」 気を取り直し、アフロディーテはルドルフと共にホテル内のイタリアンレストランへと向かった。「お前は連続猟奇殺人事件の犯人が誰だか薄々気づいているな?」ルドルフはそう言ってパンを一口ちぎった。「ええ。あの女よ。多分オルフェに操られているんだと思うわ。あの女は粘着質で執念深いからね。それよりも兄様、アウグスティーナ教会でのバレンタインデーコンサートには来てくれるの?」「勿論行く。お前とは決着をつけたいしな。」そう言った兄の瞳は、暗く冷たい深海のように、どこまでも冷たかった。2人の間に、しばし気まずい沈黙が流れた。その間流れているのは、ピアニストによる幻想即興曲の生演奏と、暇を持て余した貴族のご婦人達の他愛のない会話だけだった。(兄様はわたしのことなんて何も考えていないのよ・・わたしと和解することなんて考えていない・・兄様はそういう人なんだから。)自分はなんて馬鹿なんだろう。ルドルフが仇敵である自分と和解することはないことを、知っているのに。やがて2人の元に、このレストランの自慢のパスタ、ツナと温泉卵のカルボナーラとオニオンスープが運ばれてきた。「美味いな。」パスタを一口食べながら、ルドルフはそう言ってふぅと息を吐いた。「ユリウスはどうしているの?今日も仕事なの?」「ああ。でももうすぐプロジェクトが軌道に乗るから、これからゆっくり休みを取れると言っていた。」「そう・・じゃあ今度ここで3人で食事しましょう。色々と話したいことがあるし。」「わたしは、お前に話すことなど何もない。」 ピシャリとアフロディーテの想いを撥ねつけるような口調で言うと、ルドルフはアフロディーテにそっぽを向いた。「そ、そうよね・・わたしは邪魔者だものねv」顔から血の気が引き、青ざめていく。顔を強張らせながらも、アフロディーテは必死に笑みを浮かべた。それからは、まるで拷問のような長い沈黙の中、2人は食事を終えた。「じゃあ、またね。携帯のメルアド教えてくれる?」「構わないが。」ルドルフとアフロディーテは携帯のアドレスを交換し、レストランを出て行った。「今日は・・会えてよかったわ。」 ルドルフはその言葉には何も反応を示さず、硬い表情を浮かべてアフロディーテに背を向けて歩き出した。 その背中を見送りながら、アフロディーテは涙が溢れ出そうになるのを必死に堪えていた。
2008年09月28日
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「・・ルドルフを取り逃がしてしまったわ。」シュティファニーはそう言って俯いた。「あの人の甘い言葉についコロリと騙されてしまったわ・・」「次の機会を狙えばいい。」オルフェレウスはそう言って唇をかみ締めているシュティファニーの肩を叩いた。「そうね、お休みなさい。」部屋を出て行くシュティファニーの太い背中を見送ると、オルフェレウスは舌打ちした。「あの女なら使えると思ったが・・マイヤーリンクで自殺した小娘より使えないな・・。」 115年前、オルフェレウスはルドルフの追っかけをしていた“男爵令嬢”マリー=ベッツラに傀儡の術をかけた。“ルドルフを殺して、自殺しろ。そうすればお前は悲恋の末に死んだ女として世に名を残す。”マイヤーリンクでマリーは自殺したが、ルドルフは殺さなかった。彼女は使えなかったが、少なくともシュティファニーよりは利用価値があった。何故なら彼女の、ルドルフに対する恋慕は激しいものであったからだ。名ばかりの爵位を金で買い、何とかして上流階級の仲間入りをしたいという野心家のマリーは、次期皇帝であるルドルフをものにしたかった。トルコ出身の母親に似て艶やかな黒髪をしたエチゾチックで愛らしい容貌をしていた彼女であったが、人を踏みつけてまで上に行こうとする性格であった。だからマリーは、オルフェレウスの術に簡単にかかってしまったのだ。(わたしはあの女の本心を知っていた・・ルドルフを手に入れ、いずれは帝国の女王となる彼女の夢を。プライドが高くて何かとベルギー王国王女という昔の地位に固執するシュティファニーよりも扱いやすかった。シュティファニーはルドルフの殺害目的でこの世に留まっているが、心の底ではルドルフへの愛を求めているのだ。シュティファニーの本心を知っているオルフェレウスは、諦めが悪い彼女に吐き気がした。ルドルフとの結婚生活はとうの昔に終わった筈なのに、21世紀の世になってもそんなことを思っているとは、呆れてしまう。ルドルフへの憎しみを利用し、彼女を焚き付け、様々な悪事をさせることは簡単だが、彼女にルドルフ殺害の命は下せない。彼女はルドルフよりもユリウスを殺害するだろう。(あの女は厄介だ・・)今まで自分は、人間達を見えない糸で操ってきた。 人間達は、いつの間にか自分達がオルフェレウスの操り人形となっていることも知らずに、悪事を重ね、自滅していった。シュティファニーもその中の1人だと、オルフェレウスは思っていた。だが彼女にはユリウスを殺すという強い意志があった。このままでは彼女を操るどころか、彼女の激しい憎悪に自分が振り回されてしまうーオルフェレウスは危惧感を徐々に抱いていった。「あいつを始末するしかないな・・」ワインを飲み干し、黒いコートを纏ったオルフェレウスは、静かに部屋を出て行った。その頃ルドルフは、夜寝る前にネットで殺人事件について調べた。 あるHPでは、犯人の手口や犯行日時、さらには被害者について詳細に書かれてあった。そのページによると、最初の事件が起こったのが2003年1月20日、ウィーン郊外のマイヤーリンクで、男性の刺殺体が発見された。 検死解剖によると、死因は腎臓を刺されたことによる出血性ショック死。防御創はないことから、顔見知りの犯行だと思った警察は、被害者の交友関係を洗ったが、なしのつぶてだった。最初の事件から2週間後、ウィーンの裏路地で男性の刺殺体が発見され、それ以降2年間、猟奇的殺人事件が今もこの街を震撼させている。被害者の共通点は、金髪蒼眼で、女性関係が派手、そして既婚者であったことだ。(私を狙ってシュティファニーは私と似た男達を殺した・・私がウィーンに居るとわかった以上、ここに必ず押しかけてくる。多分、ユリウスの会社にも・・)ルドルフはそのページを閉じ、アフロディーテのブログを見た。コンサートのことについては何も書かれていない。だが気になる一文が、載せられてあった。“ウィーンに居る猟奇的殺人事件の犯人、早く捕まって欲しい。まぁ、犯人はわかっているんだけどね。”アフロディーテは事件の犯人がシュティファニーだと薄々勘付いているようだ。気が向かないが、一度アフロディーテと会わなければ。ルドルフはノートパソコンを閉じ、ベッドに入った。翌日の昼、病院の帰りにルドルフはアフロディーテに指定されたホテルのロビーでアフロディーテを待った。約束の時間から10分過ぎた頃、ブロンドの巻き毛を揺らしながらカエサルを従えたアフロディーテが悠々とした足取りでルドルフが座る席へと歩いてくる。「お久しぶりね、兄様。お話って何かしら?もしかして、わたしと仲直りしたくて、わたしに会いに来たの?」そう言って自分を見つめるアフロディーテの瞳は、双子の兄と仲直りできるかもしれないという希望に輝いていた。(これでやっと、兄様と仲直りできる・・)
2008年09月28日
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ルドルフは舌打ちしそうになりながらも、どこか出口はないかと辺りを見渡した。閉められているドア以外に出られるところは窓だけだ。だが目の前には狂った女が1人いる。一体どうすれば・・(なんとかシュティファニーの気を逸らさないと・・)ルドルフはシュティファニーに気づかれないよう、バッグの中を探った。「わたくしはいつも耐えていましたわ・・あなたや皇妃様達の冷遇に。そして宮廷人達の嘲りに。あなたが毎夜ホイリゲや娼館で夜遊びをしているという噂を聞く度に、腸が煮えくりかえりましたわ。皇帝陛下はあなたの夜遊びをご存知なのに、何もおっしゃってくださらない。皇妃様はわたくしのことを“二瘤ラクダ”と詩の中で中傷し、いつもウィーンを留守にしていた癖に、あなたが死んだ時はその責任をすべてわたくしに押し付けましたわ。ねぇあなた、わたくしがホーフブルクでどんなに辛く、孤独な日々を送っていたことか、わかりもしないでしょうね。だってあなたはあの元男娼の司祭と、いつも乳繰り合っていたんですものね!」シュティファニーはブツブツ言いながら、注射器の針をルドルフの首筋に押し当てた。針で皮膚が傷つき、ルドルフの象牙のような滑らかな肌に傷をつける。「なんて肌理が細かい肌ですこと。ドレスがとてもお似合いですわ、あなた。」シュティファニーがうっとりとした表情をしながら、そうっとルドルフの頬を撫でた。彼女に触られた途端、ルドルフはゾッと肌が粟立った。「あなたがもし、女としてお生まれになっていたのなら、社交界の華となっていたでしょうね・・欧州一の美女と謳われた皇妃様の美貌を受け継がれたんですものね・・あなたが女だったらどんなによかったか!愛されない辛さと、醜い嫉妬に苦しまずに済めたのに!ああ、あなたから受けた仕打ちを思い出すと今でもあの時の憎しみや怒りが思い出されるわ!」シュティファニーの全身から、漆黒の炎がゆらりと上がった。「でもわたくしはもう惨めな思いはしなくて済むの、あなたを殺せば全てが終わるんですもの。」シュティファニーは爛々と目を光らせながら言った。「一息には殺しはしませんわ。わたくしが味わった思いを、ゆっくりと時間をかけてあなたに味わって欲しいのよ。」ルドルフは一歩、シュティファニーから後ずさった。だがもう逃げ場はない。「シュティファニー、済まなかった、許してくれ。」「あなた・・?」ルドルフはシュティファニーに頭を下げた。「私はいままでお前にこんな苦しい思いをさせていたなんて、気づかなかった・・お前が怨霊となったのも全て私の所為だ。今からでも、やり直せるだろうか?」蒼い瞳でルドルフに見つめられ、シュティファニーの頬が少し赤くなった。「あなたはわたくしを・・愛してくださるの?」「ああ。今度はお前を大事にするよ、世界中の誰よりも。」シュティファニーはルドルフに笑顔を浮かべて注射器をルドルフの首筋から離した。(今だ!)ルドルフは彼女の顔目掛けて催涙スプレーを噴射した。シュティファニーは両目を押さえながら床に蹲った。その隙にルドルフはドアを蹴り倒し、ハイヒールを脱いで大広間へと走っていった。「捕まえて!あの女を早く捕まえて頂戴!」シュティファニーの金切り声が、長い廊下に響く。「ユリウス、どこだ!?」「ルドルフ様、ご無事でしたか!」「さっさとここを出るぞ!」ルドルフとユリウスは追っ手を撒きながら漸く自宅に戻れたのは数時間後のことだった。「やはり罠でしたね・・あの招待状の送り主はカエサルではなく、シュティファニー様だったのですね。」「いや、違う。シュティファニーは単なる駒だ。招待状の送り主は彼女を体よく利用している。シュティファニーが私に対して深い憎しみと恨みを持っていることを知っている奴だ。」 ユリウスの脳裏に、ブタペストのとある貴族の邸で見た狼のような雰囲気を纏った男の姿が浮かんだ。「今日はお疲れでしょう、浴室にお湯を張ってまいります。」「ああ、すまないが頼む。」 ウェストを締め付けているコルセットを器用に外しながら、ルドルフは自分への激しい憎悪で醜く歪んだシュティファニーの顔を思い出した。 彼女とは政略結婚で結ばれたが、結婚した当初は故郷から遠く離れた国へ嫁いだ彼女のことを気遣いもした。だが次第にシュティファニーの異常とも思われる束縛に嫌気がさし、時が過ぎるうちに彼女への愛情が冷めていっただけのことだ。シュティファニーだってそんなことをわかっていた筈だ。もう過ぎ去った事にルドルフは拘らない。 ただ心配なのは、シュティファニーはルドルフと違って自分から受けた屈辱と憎悪を今も引きずり、それを活力にして生きている。もしかしたら、彼女はユリウスに危害を加えるかもしれない。(厄介な女だ・・)ルドルフは溜息を吐き、ローブを羽織って浴室へと入っていった。「お湯は少し温めにいたしました。」「ありがとう。」ルドルフはゆっくりと湯船に浸かり、目を閉じた。
2008年09月28日
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「お前はとっくの昔に死んだはずだろう?」ルドルフはそう言ってシュティファニーを見た。「肉体はね。でも魂魄は未だ滅びておりませんの。あなたに復讐するために!」シュティファニーは瞳をカッと見開いた。ルドルフはかつて自分の妻だった女を見た。 ベルギーのラーケン宮で初めて彼女と会ったとき、ルドルフはあまり彼女に好感を抱かなかった。「あなたはわたくしを初めから・・ラーケン宮でお会いした時から疎ましがっておりましたね?わたくしはあなたに一目会ったときからあなたに心を奪われたと言うのに・・」シュティファニーはそう言って憎しみに満ちた目でルドルフを睨んだ。「あなたとそのご家族―特に皇妃様と皇女様は、わたくしを憎んで、疎ましがり、そして蔑ろにして冷淡な態度を取りました。そして宮廷人たちも。わたくしをいつも“ベルギーの田舎者”と呼び、余所者扱い・・わたくしはいつも孤独でしたわ。でも妊娠してあなたに優しくされ、男子を産めば周囲にわたくしの存在が認められると思っておりました・・けれども天はわたくしに味方しなかった。」「お前は一体、何が言いたいんだ?」ルドルフはイライラした様子でヒールの爪先で絨毯を蹴った。「あなたに復讐しに来たとおっしゃったでしょう?それと、あなたが寵愛する司祭様にも。」シュティファニーの視線が、ルドルフからユリウスへと移った。「あなたは薄汚い男娼だったくせに、よくも司祭になれたものだわね。その上、わたくしの夫を誑かすなんて・・なんて人なんでしょう!」ユリウスは右頬に鋭い痛みが走るのを感じた。手でそこに触れると、ぬるりと生温いものが手を汚した。「シュティファニー様、わたしが一体何をしたというのですか?」「とぼけないで!あなたはわたくしの夫と恋仲であったことを、わたくしが知らないとでも思ったのかしら?わたくしは女官達の噂で知ったわ、あなたと夫の関係を!」シュティファニーは口角泡を飛ばしながらユリウスに迫った。「あなたを絞め殺そうとしたとき、わたくしはこれで邪魔者がいなくなり、夫に愛されると思っていたわ・・けれども彼は、あなたを傷つけたわたくしを半殺しの目に遭わせた・・その時わかったのよ・・彼が愛しているのはわたくしではなく、あなただということを!」シュティファニーはそう言って隠し持っていた注射器の針をユリウスの首筋に押し当てた。「ユリウスから離れろ!」ルドルフがバッグの中から銃を取り出し、それをシュティファニーに向けた。「あなたがわたくしを愛してくださるというのなら、この方をお離しいたしますわ。」「私はお前のことなど愛していない。」「そう・・では彼には死んでいただかなくてはね。その前にあなたと2人きりでお話がしたいの。よろしいかしら?」「私と?」「ええ。」ルドルフはチラリとユリウスを見た。「わたしに構わず、行ってください。」「わかった。」ルドルフとシュティファニーは大広間を出て、人気のない部屋に入った。「話とはなんだ?」「あなた、わたくしの為に死んでくださいますか?」そういったシュティファニーの目は、狂気で煌いていた。「あなたの存在自体がわたくしを苦しめるの。だからここで死んでくださらない?」緑の液体を入れた注射器を持ちながら、シュティファニーはゆっくりとルドルフの方へと近づいていった。ルドルフは逃げようとしたが、ドアが開かない。(クソッ、どうすれば・・)
2008年09月28日
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「どうしたんだ、ユリウス?顔色が悪いぞ?」ユリウスが帰ってきたのは、午前3時を過ぎた頃だった。「・・なんでもありません。」ユリウスはそう言ってルドルフの隣に倒れこむようにして横たわった。「仕事が忙しいらしいな。過労死するなよ。」「ええ、わかっています。ですが社員達は家庭を犠牲にしてでもこのプロジェクトに賭けているんです。身体が辛くても我慢しないと・・」「そんなに働くと自律神経に異常をきたしてしまうぞ。」ルドルフはユリウスの黒髪を梳きながら言った。「お前の身体が最近心配でならない。人間とは違って少し丈夫とはいえ、無理をすると身体を壊すぞ。」「そうですね・・このプロジェクトが終わったら、チロルで休暇を取りましょう。」「ああ。」ルドルフとユリウスはその夜、2人とも夢を見ずに、眠りの淵へと落ちていった。2人が目を覚ましたのは、正午前だった。「遅刻だ・・」ユリウスはそう言って頭を押さえた。「よく寝ていたな。」湯気の立つコーヒーをマグカップに入れたルドルフが、寝室に入ってきた。「おはようございます。これから出社いたしますので、くれぐれも戸締りの方を・・」ユリウスがパジャマを脱ごうとすると、ルドルフはその手を掴んだ。「会社の方には私が連絡した。みんなお前の身体を心配していたぞ。」「そうですか・・」寝室を出て、ユリウスは郵便物のチェックをした。住所登録は済ませたので、ダイレクトメールや公共料金の支払い明細などがあった。その中に、1つだけ変わったものがあった。ローズピンクの封筒に、“ユリウス=フェレックス様へ”とだけ書かれており、差出人の名はない。(なんだろう?) 封を切り、ライムグリーンの封筒を開いてみると、そこには流麗な文字でこう書かれてあった。“12月25日に、T番地21区にあるわが屋敷にて、舞踏会を開きますので、ご出席いただければ幸いに思います。―K-”「どうした?」ユリウスは黙ってルドルフに招待状を見せた。「K・・カエサルか?」「さぁ、わかりません・・差出人の氏名や住所すら、書いていないのですから。」ルドルフはその招待状を見たとき、嫌な予感がした。「クリスマスか・・あと3日しかないぞ、どうする?」「罠かもしれませんが・・出席することにしましょう。」「そうだな・・」ルドルフはその日一日中、招待状のことが頭から離れなかった。(招待状を出したのは一体誰だ・・?カエサルなのか?)夜になっても、なかなか眠れなかった。 パソコンを立ち上げてアフロディーテのブログをチェックしたが、招待状や舞踏会のことなど一切書いていなかった。あの招待状は自分と、ユリウスだけに送られてきたものだ。一体誰が、どんな理由で招待状を送ったのだろう・・そんな事がルドルフの頭の中をグルグルと廻っていた。数日後、盛装したルドルフとユリウスは、T番地21区にある屋敷へと向かった。屋敷には、富裕層や古くからの貴族などが集まり、盛況だった。ルドルフは鷹のように辺りを見渡しながら、招待状の送り主は誰だろうと考えていた。眉間に皺を寄せているのは、昔のことをまだ根に持っているユリウスに女装をさせられているからだろう。(一体誰なんだ、私達に招待状を送ったのは?)「ルドルフ様、そろそろ帰りましょうか。」「ああ・・」そう言ってルドルフがドレスの裾を摘んで大広間を後にしようとしたとき、誰かに肩を掴まれた。「ご無沙汰しておりますわね、あなた。」ユリウスとルドルフは目の前に立つ1人の女を驚愕の目で見ていた。遥か昔、政略結婚で自分と結ばれた女。出身地と、野暮ったい容姿から宮廷人から蔑まれ、嘲笑われ、帝国の後継者を産む事もできなかった女。「シュティファニー様、どうして・・」(彼女はとっくに死んだ筈・・)「どうしてですって?それはあなた達が一番良くわかっているのではなくて?」 そう言ったシュティファニーの瞳には、ルドルフとユリウスに対する激しい憎しみが宿っていた。
2008年09月28日
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「ルドルフは見つかったか?」オルフェレウスはそう言って赤いフードの女―シュティファニーを見た。「いいえ、見つからないわ。あの人はわたしのことを避けているんだわ・・」シュティファニーは大きな尻をアンティークの椅子に無理矢理収めながら、サラミソーセージのようなでっぷりとした指先でクッキーを6個掴み、それを全部口の中に放り込んだ。「ルドルフはウィーンにいる。ユリウスと一緒にな。」「その名前をわたしの前で言わないで!」シュティファニーはそう叫んで両手で両耳を塞いだ。「何故ユリウスを嫌う?」「あいつは・・わたしから全てを奪ったわ!夫を奪い、娘を奪い、そして幸福さえも奪った!憎くて憎くて仕方がないわ!」シュティファニーは紅茶を飲み、コーヒーカップを乱暴にソーサーの上に置いた。中に入っていたミルクティーが溢れ、純白のヴェネチアンレースに茶色い染みを作った。「落ち着け。ユリウスは見つかったのだから、彼を見つけたのならルドルフを見つけたのも同じだ。じっくりと策を練ろう。」「ええ、そうね・・」シュティファニーはそう言ってクッキーを頬張った。「クリスマスにここで舞踏会を開き、ユリウスとルドルフを招待する。そこでお前はルドルフをこれで殺せ。」オルフェレウスはシュティファニーに緑の液体が入った瓶を手渡した。「これは?」「ヴァチカンで開発された始祖魔族を殺す猛毒『キメラ』だ。どんな液体にも溶け、摂取した数分には全身に毒が回り死に至る。これをルドルフのワインに入れるのだ。」「・・わかったわ。」シュティファニーは少し躊躇った後、毒液が入った瓶を受け取った。「ありがとう、これでわたしは天国へ行けるわ。」シュティファニーが部屋を出て行った後、彼女と入れ違いにカサンドラが入ってきた。「あの女、本当に使えるのかい?」「さぁな・・だがルドルフを憎んでいるというのは同じだとは思わないか?」オルフェレウスはそう言って紅茶を飲んだ。「まぁね。ルドルフさえ死んだら、アフロディーテ様の天下さ。正義の味方ってあたし昔っから大嫌い。」カサンドラはそう言って煙草を吸った。「わたしはこれからアフロディーテ様の様子を見てくる。お前はどうする?」「そうだねぇ、あたしはネットでもするかね。それか、ルドルフに黒魔術をかけようかね。」真紅の口紅で彩ったぷっくりとした唇を上げながら、カサンドラは部屋を出て行った。(あの女は使える・・あいつはルドルフを憎んでいる。今も、昔も・・)オルフェレウスがシュティファニーを見つけたのは2年前。ブリュッセルの街を彷徨い、路上で蹲っている彼女の魂を見つけたオルフェレウスは彼女にルドルフに復讐したいかと持ちかけた。シュティファニーはオルフェレウスの誘いに乗り、かつて辛酸を舐めたウィーンでルドルフに似た男達を惨殺した。彼女の猟奇的な殺人は、まだ終わらない。自分を不幸にした夫―ルドルフをその手に掛けるまで。(あの女の夫への憎しみを利用し、私達はルドルフに確実に近づける。あの女に会えたことに感謝しなければな。) 口端を上げ、冷たい笑みを浮かべたオルフェレウスは、コートのポケットから1枚の写真を取り出した。それはベトナムで所々に破れ、真紅の返り血で汚れた蒼いアオザイを纏い、紅蓮の炎をバックに真紅の瞳を煌かせているルドルフが写っていた。「待っていろルドルフ・・お前の息の根はわたしが止める。お前がアフロディーテ様を斬る前に。」オルフェレウスはそう言ってナイフをルドルフの顔に突き立てた。悪魔の哄笑が、瀟洒な屋敷内に不気味に響き渡った。
2008年09月28日
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ルドルフはある記事に目を留めた。“ウィーン市内で連続猟奇殺人事件が発生。犯人未だ捕まらず。”(ウィーンで殺人事件か・・物騒になったものだな・・)ホーフブルクに住んでいた頃のウィーンも、何かと物騒だった。 当時は民族独立の為のデモや抗議活動、そしてテロなどがウィーンの街を覆っていた。だが今は違う。1人の人間の屈折し、陰鬱とした思いや耐え難いストレスなどがある日突然爆発し、それが無関係の人々を襲っている。(早く犯人が捕まればいいが・・)ルドルフはそう思いながらノートパソコンを閉じ、コートを着て病院へと向かった。「久しぶりですね。」診察室に入ると、眼鏡越しにトルマリンの瞳でソロモンが熱っぽくルドルフを見つめた。「ああ。知っているか、今ウィーンで起きている・・」「連続猟奇殺人事件でしょう?何でも被害者は9人で、全員金髪蒼眼の男性ですって。犯人はブロンドに蒼い目をした男に振られた女でしょうかね?」ソロモンはそう言って新聞を折り畳み、ルドルフの血圧を測り始めた。「血圧、脈拍は正常です。故郷に戻ってきてストレスが減ったようですね。」「ああ。今まで各国を放浪して、気が休まるときがなかったからな。」「そうでしょうね。僕はもうとっくに故郷を捨てた身ですから、どんなところにも適応できる流浪の民ですよ、あなたとは違ってね。」ソロモンはフッと笑いながら、ルドルフの下腹を見た。「胎児の様子は順調のようですね?」「ああ、ただ悪阻が酷くてな。ホテルに居たころはよく寝込んでいた。それに何故か私は目立ってしまうし・・」「傍目から見たら、あなたはどこかの国の王女様か、セレブのようですものね。産まれついた高貴で優雅なオーラは、そう簡単には消せやしませんよ。」「そのオーラを、今消す努力をしているところだ。」「消さないほうがいいですよ。それはあなたの魅力のひとつなんですから。それよりも、脂っこい食べ物はあまり摂らないように。」「ユリウスといい、お前といい、口煩い奴だな。」ルドルフは溜息をついてソロモンを睨んだ。「もうすぐお昼ですね、どこかで食べましょうか?」「ああ。お前の奢りならな。」「・・ちゃっかりしていらっしゃることで。」ソロモンはそう言って溜息を吐いた。「お手をどうぞ、お姫様。」「ありがとう。」ルドルフとソロモンは互いの顔を見て笑い合った。「それにしてもユリウスさんはいけませんね、こんなに美しい伴侶を家に1人置いてけぼりにして、自分は仕事だなんて。」ソロモンはそう言ってコーヒーを飲んだ。「ユリウスは今仕事で大きなプロジェクトを抱えていてな、最近忙しいんだ。昔は電話ボックスによく駆け込んで連絡を取ろうとしてたが、今はこれがあるから便利だ。」ルドルフはそう言って携帯を開き、ユリウスへメールを送った。『今ソロモンとランチ中。』ユリウスはメール着信音がしたので、携帯を開いてルドルフのメールを読んだ。「ソロモンとランチか・・」 今頃、お互いに愚痴を言い合いながらコーヒーを飲んでいるのだろうかーそう思うと急になぜか寂しくなった。空腹を覚えたユリウスは、コートを着て会社の近くにあるスターバックスへと向かった。コーヒーを飲み、時折サンドイッチを摘みながら仕事をしていると、すぐ傍で誰かが自分の耳元で囁いた。「この泥棒猫。」ユリウスはすぐさま振り向いたが、近くのテーブルにはランチタイムを過ごすOLやサラリーマンや学生がいるだけで、ユリウスの傍には誰もいなかった。(気の所為か・・)ノートパソコンを弄りながらコーヒーを飲んでいると、背後から強い視線を感じた。誰かが自分を見ている。ユリウスは気味が悪くなってサンドイッチを持ち帰って会社へと戻った。社長室に入ったとき、それまで纏わりついていた嫌な気配が急に消えた。その夜、ユリウスはルドルフに残業するので家に帰れないとメールを送り、仕事に向かった。その頃、ユリウスの会社から少ししか離れていないところの路地裏で、1人の男性が悲鳴を上げていた。「助けてくれ、命だけは・・」男の叫びは虚しく闇夜に響いた。赤いフードを被った女は優雅な手つきでゆっくりとそれを外した。ボサボサのブロンドの髪をなびかせ、女は獲物に微笑みながら一気に仕留めた。やがて男は力なく地面に崩れ落ちていった。「・・この人も違うわ。」 そう言って元ベルギー王国王女、そして元オーストリア=ハンガリー帝国皇太子妃・シュティファニーは溜息を吐いて再びフードを被り、闇の中へと消えていった。
2008年09月28日
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「何だろう?」ルドルフはそう言いながら黒い封筒の封を切った。「っ痛!」封筒の中に入っていた剃刀がルドルフの指先を傷つけた。「ルドルフ様、大丈夫ですか!?」ユリウスが慌てて救急箱を持ってきた。「ああ・・ちょっと切っただけだ。それにしても一体誰がこんなものを・・」ルドルフはそう言って黒い封筒を見た。すると1枚の便箋がルドルフの膝の上に軽い音を立てて落ちた。そこには、血文字でこう書かれてあった。“積年の恨み、今こそ晴らす”「警察に届けましょう。」「ああ・・」数分後、警察がやって来た。「誰かに恨みを持たれている可能性はありますか?」もうすぐ定年を迎えそうな眼光の鋭い刑事がそう言ってルドルフを見た。「いいえ、ありません。」「そうですか・・今後このような悪質な嫌がらせが続くようなら、またご連絡してください。」「ご苦労様です。」ルドルフはそう言って刑事に頭を下げた。「気味が悪いですね、ルドルフ様。」「ああ・・今日はもう休もう。」一体あの手紙を送ってきたのは誰なんだろうールドルフはそう思いながら目を閉じた。翌朝、ルドルフはリビングでワッパチーズセットを食べた。だが昨日の手紙のことが気になり、食欲が進まず、オニオンリングを半分残してしまった。「オニオンリング、いただいてもよろしいですか?」「ああ。ユリウス、あの手紙を出したのは誰なのかわかったか?」「さぁ・・心当たりがありませんね。もしいたとしても、わたしには敵が多いので見つけ出すのは困難ですね。」ユリウスはそう言ってコーヒーを飲み、溜息を吐いた。会社を設立し、レジャーや食品など、様々な事業に成功し、初めは古びたアパルトマンに電話1台だけだったユリウスの会社は、今やウィーンを初め、世界60の国と地域に支社を持つ大企業へと成長した。それに比例して、競争相手が自然と多くなった。その中でユリウスに恨みを抱くものもいるに違いないが、一体誰なのか見当がつかない。ただひとつわかるのは、誰かの悪意の刃が、自分達に向けられていることだ。「わたしはこのまま出社いたしますが、ルドルフ様はいかがなさいますか?」「そうだな・・アフロディーテのコンサートのことを色々と調べてみようと思う。それと、病院にも行く。」「何かあったら携帯に連絡を下さい。あとこれを。」ユリウスはそう言ってアクアブルーのポケベルをルドルフに渡した。「では行ってまいります。」「行ってらっしゃい。」ルドルフは、ユリウスの頬にキスした。(ルドルフ様が心配だ・・)ユリウスは腕時計を見た。もうすぐ会議の時間だ。ユリウスはアウディのエンジンを掛け、会社へと向かった。走り去っていくアウディを見送ったルドルフは、リビングのソファで寝転がりながら、ネットをしていた。(アフロディーテのコンサートに関する記事は、まだないか・・)ルドルフがパソコンを閉じようとしたとき、あるニュースが目に止まった。その頃、昨夜ルドルフ達の家に来ていた刑事―名をキングリーという―は、ウィーンのスラム街へと足を踏み入れた。「刑事、こちらです。」まだ警察学校を卒業したばかりの若い制服警官がそう言ってキングリーを尊敬の眼差しで見た。「またか・・これで9件目か・・」2003年からウィーンを震撼させている連続猟奇的殺人事件は、未だ未解決のままその犯行はますますエスカレートしている。キングリーはこの美しい街が何者かによって振り下ろされた悪意の刃に傷つけられていると思った。
2008年09月28日
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「ルドルフとアフロディーテはまだ暗殺できていないのか!?」法王はそう言って枢機卿達を睨んだ。法王に睨まれた枢機卿達は一斉に俯いた。「アフロディーテは聖バレンタインにアウグスティーナでコンサートを行うそうです。」枢機卿の1人が法王にアフロディーテのブログを見せた。「そうか・・そこには必ずルドルフが現れる。この際2人とも始末してくれよう・・」法王はそう言って狡猾な笑みを浮かべた。「ただ今戻りました。」買い物袋を両手に抱えたユリウスが、リビングに入ってきた。「お帰り。今日は何を作るんだ?」「そうですね・・タコライスなどはいかがですか?ヘルシーで栄養分たっぷりですし。」「私はバーガーキングのワッパーを食べたいんだが・・」ルドルフがそう言った瞬間、ユリウスの顔が強張った。「あなたは妊娠中なんですよ。それにお医者様から血圧が高いと言われてるでしょう?何故あんな脂質とたんぱく質と炭水化物で出来た物を食そうとおっしゃるのですか?」「タコライスにはもう飽きた。」「それならばコブサラダはいかがでしょう?」「それも飽きた。ユリウス、私の健康に気を遣ってくれているのは嬉しいが、たまには私の気持ちも考えてくれ。」「・・では仕方がないですね。」ユリウスは渋々と買い物袋の中を冷蔵庫に入れて、ルドルフと共にバーガーキングへと向かった。「お前は何を食べたい?」「コーヒーだけでいいです。あなたはワッパーの単品でよろしいんですよね?」「え~と、ワッパーとワッパチーズのセットを・・」「ワッパーでよろしいんですよね?」ユリウスはそう言って、笑顔を浮かべたが、目は笑っていない。「・・ワッパーだけでいい。」ブスッとした表情でルドルフは席を探した。「ルドルフ様、今回はわたしが折れましたが、明日からはヘルシーな食生活に戻っていただきますよ。あなたは今、大事な身体なんですから・・」「わかったわかった。そんなにしかめ面するな、美人が台無しだぞ。」ルドルフはそう言ってワッパーにかぶりついた。「ルドルフ様、真面目に聞いておられるんですか!?」「私はいつも真面目にお前の小言を聞いているぞ。」そう言いつつもルドルフはMDをバッグから取り出し、イヤホンを両耳に装着した。「全くもう・・」ユリウスは溜息を吐いてコーヒーを飲んだ。ルドルフはさらにオニオンリングとワッパチーズを注文し、テイクアウトした。「まさか今からお食べになるんじゃないでしょうね?」「いいだろう、たまには。」「いけません!」「・・じゃあこれは朝食にする。」ルドルフはリビングに入り、冷蔵庫に注文したワッパチーズセットを入れた。そしてテーブルの上を見ると、先ほどそこにはなかった黒い封筒が置かれてあった。「ユリウス、郵便は受け取ったのか?」「いいえ。まだ住所登録もしておりませんし・・それは?」ユリウスの視線がルドルフからその指先に摘まれている黒い封筒に移る。「さっき、テーブルの上に置いてあった・・不吉な手紙だな、黒い封筒とは。」ルドルフはそう言ってポケットからペーパーナイフを取り出し、封筒の封を切った。
2008年09月28日
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ウィーンに帰郷してから数日後、ルドルフとユリウスはホテルをチェックアウトしてタクシーを拾った。「どこへ向かってるんだ?」「それは着いてからのお楽しみですよ。」ユリウスはそう言って笑った。「さぁ、着きましたよ。目を閉じてください。」ルドルフは言われたとおりに目を閉じた。「段差がありますよ、気をつけてくださいね。」ユリウスはルドルフの手を握りながら言った。「ああ・・」ユリウスとルドルフはゆっくりと玄関ホールへと入っていった。「もう目を開けてください。」ルドルフがゆっくりと目を開けると、そこにはどこか懐かしいアンティーク家具が置かれたリビングが広がっていた。「ここは・・」「お忘れですか?あなたが昔、私との逢引き用に買い求めた家ですよ。」「・・そんなもの買ったかな?」ルドルフはそう言ってフッと笑った。家や土地を数え切れぬくらい買い漁った時期があったので、いちいち覚えていない。「あなたがわたしの誕生日にくださった家ですよ。」ユリウスの言葉を聞き、ルドルフの脳裏にある記憶が甦った。ルドルフとユリウスがホーフブルクに住んでいた頃、ルドルフはユリウスの30歳の誕生祝にこの家を買ったのだ。「ここは何かと面倒なことが多い。どうだ、家具もお前好みにしてみたぞ。」ルドルフはそう言ってユリウスの嬉しそうな顔を見たかったのだが、当のユリウスは、「こんな高価なもの、わたしには分不相応です」と酷く困惑していたことを思い出した。「・・ああ、思い出した。確かお前はこんなもの要らないと言ってたな?」「いえ、そんなことは申しておりません。ただ、“分不相応だから”と言っただけです。」「そうだったか?」「ええ。その話は置いといて、これからどうしますか?寝室の方はあの頃のままですよ。」「それにしても、よく残っていたな。」ルドルフは少し壁紙が剥げかけたリビングを見渡した。「家の外観やインテリアは、今にはない貴重なものですからね。それよりも買い物に行ってまいりますから、寛いでいてください。」ユリウスはそう言ってリビングを出て行った。「懐かしいな・・」ルドルフは家中を歩きながらそう呟いて溜息を吐いた。この家の中で唯一変わっているのは、最新の液晶型テレビと、DVDデッキだけだ。それ以外、何も変わっていない。ルドルフはスーツケースからノートパソコンを取り出し、電源を入れた。初期画面とセキュリティシステムの画面が表示された後、ルドルフはインターネットに接続した。Googleで「アフロディーテ」と検索すると、アフロディーテの公式ブログに辿り着いた。ルドルフはアフロディーテのブログを閲覧した。そこには、こんな事が書かれていた。来る2006年2月14日、アウグスティーナ教会でバレンタインデーコンサートを開催予定ですvみんな来てねぇ~(^0^)「来年の2月か・・あと2ヶ月しかないな。」ルドルフはそう言ってブログを閉じた。「兄様、わたしのブログ見てくれたかしら?」「ええ。それよりもアフロディーテ、皇太子様とはどう決着を着けるおつもりですか?」「フフッ、それは秘密よv」アフロディーテはそう言ってノーとパソコンを閉じた。その頃、ヴァチカンではある会議が開かれていた。
2008年09月28日
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ルドルフは便座に腰を下ろしているフランツを見て拍子抜けし、サーベルを下ろした。「父上、一体ここで何をしてらっしゃるんですか?」「何って・・出しているのさ。」フランツはそう言って恥ずかしそうに俯いた。「リビングにおいでください。お茶の用意をいたしますので。」ルドルフは気まずそうに浴室から出て行った。(父上、どうしてトイレなんかに・・)コーヒーを淹れながら、ルドルフは便座に腰を下ろしていた父の姿を思い出した。いくら幽霊とは言え、あんな無防備な姿で自分に会うなんて。ルドルフは恥ずかしさで顔を真っ赤にした。ホーフブルクに居たころ、他人に隙を見せず、常に完璧だった父の姿は今や遠いものとなってしまったようだ。(幽霊でもトイレに行くのだろうか?いや、待てよ・・沖縄で普通に草食べてたし・・)複雑な気持ちでコーヒーを淹れていると、用を足したフランツがリビングに入ってきた。「ふぅ、すっきりした。」「父上・・頼みますからそんな事おっしゃらないでください。コーヒーを召し上がられますか?」「いただこうかな。ルドルフ、お前肌荒れが酷いな。寝不足なのか?」「ええ、悪阻が酷くて・・そんなことよりも父上、どうしてあんな賊のような真似をしたのです?」ルドルフはそう言ってコーヒーカップ越しにフランツを睨んだ。「いやぁ~、フロントに行くのも気がひけるし、それにこの身体だったらお前の部屋に直行できるかな~と。」頭を掻きながらそう言うフランツを見て、ルドルフは溜息を吐いた。(父上はずいぶん変わられた・・)「そうですか・・」「わたしがお前のところに来たのは言うまでもない、アフロディーテとお前のことだ。」フランツの蒼い瞳が急に険しい光を放った。「私はあいつを斬ります。」「和解することは、考えていないのか?」「いません。」ルドルフは飲み終わったコーヒーカップをシンクに持って行きながら言った。「あいつはもう、手に負えません。外に解き放たれた時から、あいつは沢山の人々を虐殺してきました。そして私も・・」コーヒーカップを力強く洗いながら、ルドルフは俯いた。「お前はいつも、手のかからない子だと思っていた・・だが違ったんだな。」フランツはゆっくりとソファから立ち上がり、ルドルフの隣に立った。「お前はいつも自分の感情を押し殺して、強がって・・いつも歯を食い縛って耐えてきたんだな、深い孤独に。」ルドルフを見つめるフランツの瞳には、深い悔恨が宿っていた。「わたし達はお前のことを解っていたつもりでいた・・だがそれは大きな間違いだった・・わたしは一体、お前のことを本当に理解していたんだろうか・・最近そう思ってしまうんだ。」フランツはそう言って俯いた。「父上・・」「済まないな、ルドルフ。」フランツはルドルフを抱き締めながら涙を流した。「父上、何を謝ることがあるんですか?私は父上の子であることを誇りに思っております。ホーフブルクにいた頃から、ずっと。」「・・また来るぞ。」フランツはそう言って部屋を出て行った。「アフロディーテと和解しろ、か・・無理に決まっているのに・・」ソファに寝転びながら、ルドルフは溜息を吐いてテーブルに置いてあった携帯を手に取った。メールBOXを開くと、ジュリオからのメールが1通あった。『ママ、元気?悪阻で辛いってパパに聞いたけど、あんまり無理しない方がいいよ。それに根詰めないでね。あと、好きなものは我慢しなくていいよ。我慢すると余計ストレス溜まるから。グランパ達によろしく。―G―』ルドルフは返信ボタンを押した。『ジュリオ、心配してくれてありがとう。アドバイス参考になった。好きなものは我慢しないつもりだ。ユリウスが最近煩いから、あいつが留守の間に好きなフレンチフライを山盛り食べてやろう(笑)』送信ボタンを押し、ルドルフは携帯を閉じて目を閉じた。「サリーちゃん、ママからメールが届いたよ。」ジュリオはルドルフからのメールを見ながら言った。「元気そうか?」「うん。でもママはストレスは溜め込んじゃうからね・・パパにも言わないんだよね、本心を。僕だってそうだし。」ジュリオはそう言って携帯を閉じた。「ジュリオ、もしかしてお前、俺に隠し事でも・・」「さぁ、それはどうかなぁ?おやすみv」悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ジュリオはリビングを出て行った。その頃、ルドルフとユリウスが宿泊するホテルから2ブロックも離れていない別のホテルで、アフロディーテはノートパソコンを立ち上げていた。
2008年09月28日
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祭壇の方をじっと見ていたオーストリア=ハンガリー帝国皇帝・フランツ=カール=ヨーゼフは、妻に呼ばれて彼女の方へと振り向いた。「なんだい、シシィ?」「全然聞いていなかったのね、わたくしの話を。ルドルフがとうとうにウィーンに帰ってきたのよ、ユリウスと一緒に。」エリザベートはそう言って夫を見た。「あの子は随分と逞しくなったわ・・色々と辛い目に遭ってきたようだけれど。」「ルドルフは強い子だと思っていた。だが、違った。」フランツの脳裏に、ブタペスト近郊の村で起きた虐殺現場が浮かんだ。ユリウスからの電報を読み、村に駆けつけたフランツが見たものは、血の海の中で呆然と佇むルドルフの姿だった。「父・・上・・?」虚ろな蒼い瞳で、ルドルフは自分を見つめた。「ルドルフ、一体何があった?」「私が・・これを・・全部・・」ルドルフはそう呟いて、ユリウスの腕の中で気絶した。彼は知ってしまったのだ。自分があのアフロディーテと同じ、化け物だということをーあれからルドルフは変わった。以前よりも皇太子らしくあろうとし、前よりも冷たく、刺々しい雰囲気を纏うようになっていった。当然周囲からは恐れられ、敬遠された。当人はそんなことを気にも留めようとはしなかった。冷たい鎧を纏い、己の本性から身を守ろうとしているかのように。「シシィ、アフロディーテとルドルフはこれからどうなるんだろう?」「さぁ・・でもルドルフはアフロディーテを殺すって・・ジゼルは必死に止めようとしたんだけれど、駄目だったみたい。」エリザベートはそう言って美しい顔を曇らせた。「わたくしがいけなかったのよ・・あの時お義母様にもっと抵抗していれば・・」姑にルドルフ達を取り上げられた時、もっと自分が抵抗していれば、アフロディーテはあんなに歪んだ性格にはならなかった筈だ。そしてあんな惨劇も起きなかった。全て自分が意気地なしだから起きたのだーエリザベートはいつもそう思っていた。「悪いのは母とオイゲンだ。アフロディーテがもし、皇族として生活を送っていたのなら、あの子はきっと無差別に虐殺や殺戮を好む性格になりはしなかっただろう・・理性の欠片もなくしてしまったあの子は、もはや御者がいない馬車に等しい。」「そうね・・ルドルフとアフロディーテが何とか和解できる方法はないのかしら?」各国を放浪し、皇后・妻・母の役目を捨てた身勝手な自分でも、我が子に対する愛情は深い。ルドルフとアフロディーテは自分にとって、かけがえのない息子達だ。2人とも死なせるなんてできない。なんとか2人が和解できる方法はないのだろうか。「わたしがルドルフに話をしてみよう。」フランツはそう言って壁の向こうへと消えていった。 滞在先のホテルの最上階に位置するスイートルームで、ルドルフはキングサイズのベッドの中でこれからのことを考えていた。アフロディーテを殺した後、ユリウスと子ども達のことをどうするのか。自分は死ぬことしか考えていなくて、自分の死後、残された家族のことなどに一切頭が回らなかった。(何を迷っているんだ、私は・・もう決めたんだ・・アフロディーテと心中すると・・)目を閉じようとしたとき、浴室の方から微かな物音がした。「誰だ?」 ヴァチカンの刺客かールドルフは壁に立て掛けてあったサーベルを掴み、鞘から刀身を引き抜き、それを構えながら浴室へと向かった。「何奴!」浴室の扉を開けると、そこにはトイレの便座に腰を下ろしているフランツの姿があった。
2008年09月28日
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カプツィーナ教会は観光客で賑わっていた。 中国人や韓国人、アメリカ人観光客などが居たが、それ以上に目立っているのは日本人観光客の多さだった。何故キリスト教徒、しかもカトリックでもない日本人観光客がこの教会を訪れるのだろうか?ルドルフは怪訝そうな顔をしながら、皇帝夫妻の棺の前に立った。(父上、母上、帰って参りました・・)皇帝夫妻の棺の間に、自分の棺を見つけた。中には何も入っていない。だがそこには数人の若い日本人女性が棺に白薔薇の花束を供えていた。「マイヤーリンクは、他殺説と自殺説があるらしいよ。」「あたしは他殺説を信じるな~、だってマイヤーリンクで死んだマリー=ベッツラとは上手くいってなかったって本に書いてあったもん。」「だよね~、それに皇帝と不仲だったっていうし・・」「そもそもカトリックの国で自殺なんて有り得ないよねぇ?」髪を金色に染めた彼女達はそう言ってルドルフの“棺”から離れ、ルドルフをチラリと見た。「綺麗な人だね~」「パリコレのモデルじゃない?それともハリウッドスターとか。」「それともどこかの国の王女様かな?」「それ有り得ない。SPとか付いてくんじゃん。それにマスコミも。」彼女達は賑やかに喋りながら教会を出て行った。「ユリウス、やけに日本人観光客が多いな。」ルドルフはそう言って教会を見渡した。「なんでも日本で皇妃様の生涯を描いたミュージカルが大ヒットして、ハプスブルク人気が高まっているとか。」「そうか・・なんだか複雑な気持ちだな。」ルドルフは再び皇帝夫妻の棺の前に立った。(父上、母上、今まで私をお守りくださり、ありがとうございました。アフロディーテとは、必ず決着を着けます。)脳裏にホーフブルクで過ごした日々のことが浮かんだ。公務に忙しかった父。宮廷の足かせを嫌い、放浪の旅を繰り返す母。陽気で何かと自分に優しくしてくれた姉。太陽のような明るさで自分を和ませてくれた妹。そしてー地下牢に幽閉されていた双子の弟。 自分やユリウスがマリア=ヴァレリーと共に王宮庭園で午後の紅茶を楽しんでいるとき、弟は薄暗い地下で1人寂しく刺繍をしていた。弟の人格を歪めてしまったのは、あの心理学者と、自分と弟を引き裂いた祖母だ。だが2人はもう鬼籍に入っている。今更彼らを謗り、罵っても、何の意味もない。ある意味化け物でありながら人間としてーしかも皇族として何不自由のない生活を送ってきた自分は幸せだったと思う。宮殿という黄金の牢獄に入れられ、貴族という名の魔物たちに囲まれても。ルドルフはそっと下腹を擦った。ユリウスとの間に産まれてくる新たな命は、その誕生とともにある意味、「希望」の象徴となることだろう。自分の死と引き換えに。彼らの成長が見られないのは残念だ。せめて自分の胎内に宿っている間は、精一杯この子達を守り、慈しんでやろうと思う。(父上、母上、親不孝な私をお許しください。私はもうすぐ死にます。)ルドルフは皇帝夫妻の棺に薔薇の花束を供え、彼らの元を去ろうとした。“おかえり”今のは空耳だろうか。「お別れは、お済になりましたか?」「ああ。」ユリウスの翠の宝玉は、少し悲しみで曇っていた。彼は知っているのだ、自分の決意を。「参りましょう。」ルドルフは皇帝夫妻の棺に背を向けて歩き出した。その時、誰かが自分の髪を撫でるのを感じた。“おかえりなさい、わたしのルドルフ”「母上・・?」振り向くと、そこには誰も居なかった。「ルドルフ様?」「・・なんでもない。」 ホテルへと向かう途中のタクシーの中で、ルドルフは教会で聞いた母の声のことを考えていた。あれは一体何だったのだろうか?空耳だったのだろうか?観光客が途絶え、闇に包まれたカプツィーナ教会は、荘厳な雰囲気に包まれていた。フワリ、と白い浮遊体が皇帝夫妻の棺の上に浮かんだ。それは徐々に人の形をしていった。ダイヤの星飾りをつけた、艶やかな黒髪の美女が、煌びやかな金毛勲章を付けた豪奢な軍服を纏った男をじっと見た。「フランツ、やっとルドルフがウィーンに帰ってきたわ。」 そう言って美女―ルドルフの母であり、欧州一の美女と謳われた流浪の皇妃・エリザベートは自分の夫であるフランツ=カール=ヨーゼフを見た。
2008年09月28日
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アメリカン航空NY発ウィーン行きのファーストクラスで、ルドルフは最後の戦いの時が迫り来るのを感じた。(この手で、アフロディーテを斬る。)ルドルフはじっと自分の両掌を見た。100年以上もの間、この両手を罪のない人々の血で汚してきた。脳裏に、いままで自分が殺めてしまった者達の姿が浮かんだ。ホーフブルクで虐殺に巻き込まれた貴族達。ブタペスト近郊の村で自分の暴走の犠牲となった村人達。ベトナムで惨殺された屈託のない笑顔が似合っていた少女。そして、NYで塵芥の扱いを受け、濁流の中へと消えていった子供たち。彼らの命は、自分が奪った。自分が居る所為で、彼らは奪われる筈がなかった命を奪われてしまった。(私が・・やらなければ・・)自分がしなければいけない事。それはアフロディーテを斬ること。もう引き返すことはできない。ルドルフはしばらく両手を見つめた後、毛布にくるまり眠った。目を開けると、飛行機はウィーン国際空港に着陸していた。「ルドルフ様、よく眠っておられましたね。」ユリウスはそう言ってルドルフを見た。「ああ。最近色々とあったからな・・」ルドルフはそう言って、出てきた荷物を取った。「久しぶりの故郷ですね、ルドルフ様。」「ああ。ここを離れたのはいつの頃だったのかな・・」最後に故郷を離れたのは父の死を看取った後。世界が混沌と破壊の渦に巻き込まれていた頃。長いときが経ち、ルドルフは久しぶりに故郷の空気を吸い込んだ。「これからどういたしますか?」「そうだな・・父上と母上に挨拶でも行くか。」癖のあるブロンドの髪をなびかせながら、ルドルフはユリウスと共に空港を出てタクシーを拾った。「カプツィーナへ。」「わかりました。」運転手はそう言って優雅なハンドルさばきで空港のタクシーターミナルから出て行った。「お客さん、ウィーンは初めてで?」「いや、事情があって長い間離れていてね。漸く帰ってきたところだよ。」「そうですか・・それにしてもご主人はお優しいそうな方ですねぇ。」運転手はルドルフの隣に座っているユリウスをチラリと見ながら言った。「多少我が儘なところはありますけど、可愛いです。」ユリウスはそう言って頬を赤く染めた。「幸せそうだねぇ。新婚かい?」「いいえ、もうすぐ10年になるんです。やっと妻に赤ちゃんができたんですよ。」ユリウスは適当な嘘を吐いて誤魔化した。ルドルフとは100年以上も連れ添っていて、尚且つ何人も子供を産んでいるという事実は、常人にとっては信じ難いものだろう。「いいねぇ~、うちの女房なんか、最近俺に冷たくってさ。子供達も独立して、夫婦2人っきりで毎日が息苦しくて・・出来ることなら新婚時代に戻りてぇよ。」運転手はそう言って溜息をついた。彼の愚痴を聞きながら、ルドルフはウィーンの街を見た。多少街の景色は変わっているが、ルドルフとユリウスがホーフブルクで暮らしていた頃とあんまり変わらなかった。タクシーがシュテファン寺院の前を通った。中世の御世から威厳ある姿で建っているこの教会は、ウィーンの象徴でもある。(やっと帰ってきた、ウィーンに・・私の街に・・)ウィーンで生を享け、育った。だが故あって放浪の旅を続けていた。地中海の紺碧の海を見ても、ロンドンのテムズ川の流れを見ても、ルドルフの心には常にドナウの流れとウィーンの街があった。ここにしか、自分の居場所はない。「ルドルフ様、着きましたよ。」「ああ。」タクシーから降りたルドルフは、両親が眠る教会へと、静かに足を踏み入れた。「お幸せにな、お2人さん!」運転手はクラクションを派手に鳴らしながら2人の前から去っていった。「参りましょうか、ルドルフ様。」ユリウスはそう言って手を差し出した。「ああ。」ルドルフはその手をしっかりと握った。
2008年09月28日
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地の底から響いているような轟音と激しい揺れの中、ルドルフは必死に病院から脱出した。「ルドルフ様、こちらへ!」ユリウス達がルドルフに向かって手を振っている。ルドルフは全速力でユリウス達がいる方へと走った。「なんとか間に合いましたね・・」「ああ・・」先ほどまでルドルフがいた場所では、窓という窓から炎が噴き出している。「早くここを離れましょう。」「地下通路にいた子ども達は?」ルドルフの言葉にユリウスは首を横に振った。「・・そうか。」ルドルフが病院をしばらく見つめていると、病院は轟音を響かせながら崩壊した。「早く乗って!」ルドルフは我に返り、車に乗り込んだ。 全身泥だらけとなったユリウス達が、マンハッタンのマンションへと着いたのは深夜の2時半だった。「シャワー浴びてくるね。」ジュリオはそう言って泥だらけのナース服を脱ぎ捨て、全裸になって浴室に入った。「ルドルフ様、御髪を梳いてもよろしいですか?」「ああ。」ユリウスは櫛で腰まで伸びたルドルフの髪を優しく梳いた。「爪が伸びていますね、後で切りましょうね。」「ああ、頼む。それよりもシャワーを浴びたいんだが・・」「ジュリオが入っています。」「それでもいい。部屋を泥だらけにしたくないからな。」ルドルフはそう言うと浴室に入った。「ジュリオ、入るぞ。」「いいよ。」一足先にシャワーを浴びたジュリオがそう言ってルドルフに微笑んだ。「バスタブにお湯張っておいたよ。酷い匂いがするよ、ママ。」ジュリオはそう言って鼻を摘んだ。「ありがとう。」ルドルフはシャワーのコックを捻り、全身に温かい湯を浴びながら身体を洗った。全身から半年分の黒い垢が流れ、汗と返り血とともに排水口に流れていく。身体を洗った後、ルドルフはバスタブに浸かり、目を閉じた。目を開けると、そこは懐かしい王宮庭園の中だった。(どうして・・私は・・)「ルドルフ。」懐かしい声がして振り向くと、そこには姉のジゼルが立っていた。「姉上、どうしてここに・・」「ルドルフ、久しぶりね。あれからもう100年以上も経つのね。」ジゼルはそう言って弟に微笑んだ。「ええ・・でももうすぐ終わります。後少しで・・」「ルドルフ、無理をしないでね?」「はい・・」ルドルフはそう言って涙を流した。「アフロディーテのことは任せたわ。あなたがアフロディーテを救ってあげて。」「ええ・・私はアフロディーテを倒して、自分も死にます。」ルドルフは下腹をそっと撫でた。 ユリウスとの愛の結晶が、この身に宿っているとしても、アフロディーテを倒して自分も死ななければならない。自分達は混沌と破壊、死しかもたらさない魔物。滅んだ方がいいのだ。「本当に、それでいいの?あなたは本当は、生きたいって思っているんじゃないの?」「私はこれまで生きたいと思ったことはありません。あの日から・・アフロディーテがこの世に解き放たれた日から、私は常に死に向かって歩いてきました。私とアフロディーテの戦いの所為で、いつも多くの人々が死んでいきました。今日も私の所為で、何の罪もない子ども達が・・」ルドルフはそう言って俯いた。「ルドルフ・・」ジゼルはそんな弟を辛そうに見た。「あなたの気持ちは分かるわ・・アフロディーテはわたし達とは違って、皇族としてである前に、人間的な生活を何ひとつ送ってなかったんだもの。あの子は常に本能のままに動いてきたわ。でもアフロディーテの気持ちも分かってあげて?あの子は誰にも愛されずに、誰にも必要とされずに育ったのよ。」「そうであっても、アフロディーテがしたことは許されることではありません。だから姉上、私はこの手でアフロディーテを討ちます。」ルドルフはそう言ってサーベルに手を伸ばした。「そう・・あなたの心はもう決まってしまったのね。それなら仕方ないわ・・」ジゼルはそう言ってルドルフの手を握った。「これだけは忘れないでね、ルドルフ。どんなことがあっても、自殺なんてしないで。あなたの命は、あなただけのものじゃないのよ。」「わかりました、姉上。」ジゼルはルドルフに微笑んだ。「じゃあね、ルドルフ。」庭園を去っていくルドルフを、ジゼルは姿が見えないまで手を振った。「ん・・」どれくらい寝ていただろうか?ルドルフはバスタブから上がり、バスローブを巻いて浴室を出た。「お風呂はどうでしたか?」「良かった。ユリウス、爪を切ってくれないか?」「わかりました。」ユリウスはルドルフの爪を切った。「バスタブで姉上と夢で会った。」「そうですか・・ジゼル様はなんて?」「私がアフロディーテと戦って、アフロディーテを殺して自分も死ぬということを言ったら、姉上は自殺なんて考えるなって言ってくれた。」「本当に、アフロディーテを殺した後自殺するおつもりですか?」「ああ。私達にはもう、それしか残されてないから。」ルドルフはそう言って髪を弄った。「ウィーンに行く。チロルへもだ。」「私も、お供いたします。」ユリウスはそう言ってルドルフの髪を撫でた。数週間後、ルドルフはコロンビア大学へと向かった。「そうか・・君のような優秀な人材が去るのは惜しいね。」「すいません、ご迷惑をお掛けした挙げ句、退学なんて・・」「事情は聞かないよ。人には誰だって言えない理由がある。オーストリアに戻るそうだね。」「はい。」「そうか。身体に気をつけるんだよ。」教授はそう言ってルドルフに微笑んだ。「あなたと会えて、光栄に思います。」ルドルフはそう言って、部屋を出ていった。「挨拶は済みましたか?」「ああ。行くか。この街とはお別れだ。」ルドルフはコロンビア大学の校舎を見ながらタクシーに乗り込んだ。数時間後、ルドルフはウィーン行きのファーストクラスで、読書をしていた。活字を目で追っていたが、脳裏にはホーフブルクでの幸せな日々が浮かんでいた。―ルドルフ、どんなことがあっても、自殺なんてしないで。あなたの命は、あなただけのものじゃないのよ。ジゼルの言葉が、何度も何度も脳裏に浮かんだ。ウィーンでーオーストリアで自分達に待ち受けるものは何なのか、わからない。だが、これだけは言える。アフロディーテを殺して、自分も死ぬ。それしか、自分達に残された道なのだから。(すいません、姉上。私はもう、後戻りはできないんです。)飛行機は、ウィーン国際空港へと降り立とうとしていたー-第13章・完-
2008年08月16日
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病院内に仕掛けられた爆弾は、一斉に爆発した。廊下や病室、ナースステーションが、瞬く間に紅蓮の炎に呑み込まれていく。「クソッ、ここから脱出しないと・・」そう言ってヴァチカンの“追跡者”・セオは舌打ちした。この建物が崩壊しない内に、安全な所に逃げなければ。セオは痛む足を引きずりながら、病院の出口まで来た。その時、マシンガンの銃弾が彼の全身を貫いた。「くそう・・」セオはそう呟いて床に倒れた。その拍子に携帯電話が床に落ちた。『セオ、よくやった。』「猊下、何故・・何故ですか?」『ルドルフはまだこの建物内にいる。だが彼はもうじき死ぬだろう、お前と共に。』「そんな・・わたしは猊下にいつも尽くして参りました・・それなのに・・」『所詮、お前は私にとっての駒に過ぎなかったのだよ。』氷のような冷たい法王の声を聞き、セオは絶望に襲われた。「最初から・・わたし達を・・見捨てるおつもりだったんですね・・」『今更それを聞いてどうする?私がどういう人間か、わかっているだろう?』法王は自分の利益になりそうな人間しか使わない。そしてその人間が役目を終えたら、ゴミのように捨てる非情な男だ。セオはいままで歩んできた人生を思い出した。孤児だった自分を育ててくれた法王。愛情深い父親の姿はかりそめで、真の姿は欲深く、冷酷な男だ。『さらば、セオ。汝の魂が安らかにならんことを。』セオは法王の言葉を聞けなかった。その頃、ルドルフは病院の屋上へと向かった。人の気配を強く感じる。(どこにいる・・) そう思いながらルドルフが日本刀を構えていると、背後から白衣を着た男が襲いかかってきた。「何者だ!」「我は“追跡者”・アルフォンス。その首貰い受けるぞ、ルドルフ!」白衣の男はそう言ってサーベルを振りかざした。激しい剣戟の音が、屋上に響いた。同じ頃、地下通路ではジュリオに右目を潰されたエルンストが喘いでいた。「あいつ・・絶対に覚えていろ・・今度見つけたらただじゃおかない・・」なんとか起き上がると、胸ポケットにしまっていた携帯が鳴った。『エルンスト、皇太子は殺したか?』「いいえ。後少しのところであいつの仲間に邪魔をされました。」『そうか・・ウィーン行きの航空券を用意してある。』「わかりました。いつも感謝いたします。」『勘違いするな、お前はただの駒。それだけのことだ。』「わかってますよ、そんなことは。」エルンストはそう言って携帯を閉じた。「こんな不潔な場所にはいられないな・・家に帰ってシャワーを浴びないと・・」白衣に付いた泥を払いながら、エルンストは出口へと歩いていった。 フランス・ボルドー郊外に建つ壮麗なシャトーの中にある一室で、ある男が暖炉の前に座っていた。「ご主人様、エルンスト様から連絡は・・」「あった。片目を潰されたが、なんとか生きている。」「左様でございますか・・では気がかりなのはベルナルト様ですね。」「あいつのことは放っておけ。あいつはこのアウストリア家を見限った男だ。利用価値すらない。」そう言ってリカルド=アレキサンドリウス=フォン=アウストリアは暖炉の火を見つめた。「早く皇太子を殺さなければ、世界は混沌と破壊に満ちることとなる。」「では私もお手伝いを致します。」黒髪の執事はそう言って主を見た。「そうか・・有り難いな。お前がもしわたしの息子であったらよかったのに。」リカルドは溜息を吐き、ソファに身を沈めた。病院の屋上で、ルドルフは“追跡者”と死闘を繰り広げていた。「なかなかやるなっ!」ルドルフはそう叫んで“追跡者”の腹部に穴を開けた。「おのれ・・」“追跡者”は吐血し、床に倒れた。「早くここを出ないと・・」 屋上から病院の正面玄関へと降りたルドルフが自動ドアから出ようとすると、轟音が病院内を包み、激しい揺れが彼を襲った。
2008年08月16日
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「目が、目がぁぁっ!」エルンストは右目を押さえ、悲鳴を上げながら床に転がった。「こんなんじゃ、あんた達に殺された子ども達の仇討ちにはならないけれど、僕の溜飲が下がったよ。」ジュリオはそう言ってエルンストに背を向けた。「行こう、ママを探そう。」「ああ。」その頃、ルドルフとアフロディーテは死闘を繰り広げていた。「もうそろそろ終わりにしましょう、兄様。もうすぐ爆破されてしまうわ、何もかも。」「ああ。」ルドルフはそう言って日本刀を構えた。「行くわよ!」アフロディーテがそう叫んでルドルフに突進しようとしたとき、轟音が地下通路中に響いた。「何・・?」「なんだ?」ルドルフとアフロディーテは、轟音が近づいてくるのを感じた。「どうやら勝負はウィーンでつけることになるわね、兄様。」アフロディーテはそう言ってルドルフに背を向けた。「待て!」「ルドルフ様!」ユリウスはルドルフの方へと駆け寄った。「ユリウス、どうしたその格好は?」「詳しく説明している暇はありません。それよりもルドルフ様、もうすぐこの地下通路は浸水します。」「ああ・・ジュリオ達はどこにいる?」「ママ、ここだよ!」ジュリオはそう言ってユリウス達に手を振った。「早くここから脱出しよう。」ユリウス達は地下通路を出ようとしたが、濁流が4人を襲った。「手を離さないで!」ユリウス達は互いの手をしっかりと繋いだ。子ども達の悲鳴が濁流と共に呑み込まれていく。濁流は4人を病院の外に押し出した。「みんな、無事か?」「うん、何とか・・」全身泥まみれになったジュリオはそう言って咳き込んだ。ルドルフは呻きながら、ゆっくりと起き上がった。「ルドルフ様?」ユリウスがルドルフの肩を叩くと、ルドルフはゆっくりと振り向いた。その目は、真紅に染まっていた。「・・ちょっと行ってくる。」ルドルフはそう言って、元来た道を戻った。「お待ちください、ルドルフ様!」ルドルフは地下通路から病院内へと潜入した。(この病院のどこかに・・あいつが、オルフェレウスがいる!)オルフェレウスの気配を感じながら、ルドルフは彼の姿を探した。(気のせいだったか・・)そう思い、ルドルフが病院を出ようとしたとき、ルドルフめがけて矢が飛んできた。「久しいな、ルドルフ。」「オルフェレウス!」ルドルフはそう言ってオルフェレウスを睨んだ。「この病院はもう爆破される。それが何故だかわかるか?利用価値がなくなったからだ。」「利用価値?」「ああ。この病院は、新薬による人体実験場として使われていた。それともうひとつ、我々魔族の餌場にもなっていた。アフロディーテは毎日喜んで患者達の血を啜っていたよ。」「お前達は、なんということを・・」ルドルフは日本刀を構えた。「ルドルフ、お前は私達とは違うと思っているだろう?だがお前は私達と同じ、魔族だ。人を堕落させ、殺し、喰らう化け物だ。それが何故わからぬ?」「わかりたくなどないっ!」ルドルフはそう叫んで、オルフェレウスに突進した。その時、轟音が病院内に響いた。「ウィーンで会おう、ルドルフ。」オルフェレウスはそう言って煙のように姿を掻き消した。
2008年08月16日
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「パパ、どうしたんだろ?さっきから怒ってるような気がする・・」ジュリオはそう言って、険しい顔をしているユリウスを見た。「子ども達のことが余りにもショックだったんだな。そっとしておいてやれ。」「うん・・」ユリウス達は、地下通路へと向かっていた。「ここから地下に入れる。」そう言ってユリウスが地下への階段を降りようとした時、警官達の足音が聞こえた。「いたぞ、あそこだ!」ユリウスはマシンガンを乱射した。「さぁ、行こう。」警官達の死体にも目もくれず、ユリウスはそう言って階段を降り始めた。「パパ・・なんだかおかしいよ・・」ジュリオはそう呟きながらユリウスに続いた。地下通路は薄暗く、視界が悪かった。「ルドルフ様はどこに・・」そう言ったユリウスは、何かにつまずいて転んだ。「どうしたの?」「ああ、何かにつまずいたらし・・」ユリウスはそう言ってその場で吐いた。「どうしたの、パパ?」ジュリオがユリウスの足元を懐中電灯で照らすと、そこには半ば腐敗した人間の頭―子どもの頭が転がっていた。「ひどい・・」「恐らく人体実験で失敗し、処分された子どものものだろう。ユリウスが殺したあの医師は、この地下に子ども達の遺体を捨てていたらしい。」「人間じゃないね、そいつ。」「ああ。でもあいつはそれなりの罰を受けた。」「誰かいる!」ユリウスの声で、サリエルとジュリオは振り向いた。「誰だろう、こんなところにいるのは?」「ルドルフとアフロディーテではないな・・だとしたら誰だ?」「さぁ・・」サリエルとジュリオがそう言い合っていると、足音が聞こえた。「誰だ?」「また会えたな。」そう言ってエルンストが2人を睨みつけた。「あんた、どうしてここを?」「どうしてって?ゴミを捨てに来たのさ。」エルンストはそう言って黒いゴミ袋を持ち上げた。その中身は想像がついた。「ここの病院にいる奴らは、獣ばかりのようだね?」ジュリオはそう言って短剣を取り出した。「残念だが君らと遊んでいる暇はないんだよ。」「どういう意味?」「もうすぐここは爆破されるんだろ?だったら早くゴミを処分しないとね。」エルンストはそう言って鍵束を鳴らした。サリエルはエルンストの背後に手枷足枷を嵌められた子ども達が歩いてくるのを見た。「あいつらを、どうするつもりだ?」「ここに置いておくのさ。逃げないように、ちゃんと柱で縛ってね。」淡々とした口調で、エルンストは言った。それを聞いたとき、ジュリオは激しい怒りを感じた。「パパがキレるのもわかるよ・・あんたみたいな屑がいるから、何の罪もない子ども達が犠牲になったんだ!」ジュリオはそう言って、エルンストに突進した。「遊んでやる暇はないって言ったろう?」エルンストはジュリオを突き飛ばした。ジュリオは壁に激突し、気を失った。「ふん、他愛ない。」エルンストは鼻を鳴らして子ども達を柱に縛り始めた。「助けてぇ」「ここから出してぇ」「怖いよぉ」子ども達の悲鳴を聞き、ジュリオはゆっくりと立ち上がった。その瞳は、真紅に染まっていた。と同時に、地下通路に強風が吹き荒れ始めた。「あんただけは・・許さないっ!」ジュリオはそう言って、エルンストを睨みつけた。彼の全身から、激情の炎が燃え上がっていた。「僕に構うな!」ジュリオはエルンストに突進し、彼に短剣を振りかざした。真紅の血が、ジュリオの白い肌に飛び散った。
2008年08月16日
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「武器を捨てて、跪け!」居丈高にリーダー格と思しき警官がそう言ってユリウス達を睨んだ。「彼らの言うとおりにしてくれるかな?」背後から壮年の、長身の医師が立っていた。どうやらこの病院の責任者らしい。「ひとつ、質問に答えてください。檻に入っている子ども達は、人体実験の実験体として使われたのですか?」ユリウスはそう言って医師を見た。「そうだ。我々は新薬開発の為、日々研究していた。だが動物実験をしてもやがて限界が来る。実験体として成人の男女が欲しかったが、それではすぐに警察に目をつけられてしまう。」「だから・・だから子どもを?子どもを新薬開発の実験体にして・・その子達の親は知っているのですか、我が子がこんな酷い扱いを受けていることを?」「親だと?」医師はそう言って笑った。「この子達には親などいないよ。この子達は孤児院で暮らしているか、ストリートチルドレンか、戦災孤児ばかりだ。身元を保証してくれる大人など最初からいないんだよ。」「だからと言って・・こんな残酷なことが許されるとでも・・」ユリウスはそう言って拳を握り締めた。「この子達は何の利益も生まないが、実験体としては莫大な利益を生む。それに、不死身の身体を手に入れられるのだから、こいつらにとっては嬉しいこと以外何もないだろう?」医師はそう言ってまた笑った。ユリウスは目の前に立っているこの男が憎かった。まるで子どもをゴミのように扱っているこの男が。脳裏にミハエルの涙が浮かんできた。自分達に捨てられ、ミハエルは孤児院で厄介者扱いされていたのだろうか?檻に入れられ、生きた屍となった子ども達のように。そんなことがあってはならない。「子ども達をここから出してあげてください。もうすぐこの病院は爆破されます。」「そいつらは失敗作だ。あとは廃棄処分するだけだ。」冷淡な口調でそう言い捨てた医師は、警官に向き直った。「こいつらを全員、始末してくれ。」「ですが、子どもを・・」「こいつらはもうゴミだ。」警官は一瞬躊躇ったが、部下に命令を下した。部屋にマシンガンの銃声と、子ども達の悲鳴が響いた。「助・・け・・て・・」 警察の一斉射撃を受けた子どもは、全身から血を流しながらユリウスのナース服の裾を掴んだ。「助・・け・・て・・まだ・・死に・・た・・く・・」パタリと力なく手が床に落ち、子どもは息絶えた。それを見た瞬間、ユリウスの中で激しい怒りが渦巻いた。「よくも・・子ども達を・・」ユリウスの怒りに呼応するかのように、窓ガラスがガタガタと揺れ始めた。「な、なんだ・・」先ほどまで得意気に話していた医師は、怯えた表情で辺りを見渡している。「許さない・・お前のような奴は絶対に!」ユリウスはそう言って真紅の瞳を光らせた。「ひぃぃっ!」轟音とともに、窓ガラスの破片が医師の全身に突き刺さった。「目が、目がぁぁっ!」両手で顔を押さえながら、医師は床を転がった。蛍光灯がバチバチとスパークし、激しく揺れ始めた。「許さない、お前だけは!」部屋は紅蓮の炎に包まれた。 医師は這うようにして部屋から逃げようとしたが、足に機械のコードが絡みついて、動きを封じられてしまった。機械から1メートルも離れていないところで、蛍光灯が火花を散らしていた。高電圧が医師の全身を直撃した。医師は凄まじい悲鳴を上げた。「見ないほうがいい。」サリエルはそう言ってジュリオの両目を塞いだ。医師は激しく痙攣しながら、悲鳴を上げた。「許して・・くれぇ・・」 髪は焼き焦げ、皮膚は激しく焼け爛れ、口から血泡をふいていた医師は、そう言ってユリウスの足首を掴んで命乞いをした。だが、そんなことをしてももう遅かった。自ら招いた災いによって、医師は生きたまま高電圧で焼かれ、壮絶な最期を遂げた。「行こうか。」ユリウスはそう言って部屋を出た。「うん・・」 炭化した医師の遺体を横目で見てそれを跨ぎながら、サリエル達はユリウスに続いて部屋を出て行った。廊下を歩いている間、ジュリオは込み上げてくる激しい吐き気を必死に堪えた。
2008年08月16日
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「やっと見つけたわ、兄様。楽しく殺し合いましょうv」そう言ってアフロディーテはレイピアを構え、再びルドルフに突進してきた。ルドルフはアフロディーテの攻撃をかわしながら、部屋を出た。「逃げるなんて卑怯よ、兄様!」アフロディーテはルドルフに逃げる隙も与えず、次々と攻撃を繰り出してくる。「アフロディーテ、何故わたしがNYにいるとわかった?」「忘れたの?わたしたちは双子よ。」アフロディーテはそう言って、ルドルフの鳩尾を蹴った。「うっ!」ルドルフは蹲り、激しく咳き込んだ。「兄様、随分と弱くなったわね。昔はとても強かったのに。」「五月蠅い!」ルドルフはアフロディーテに突進した。「やぁぁっ!」「ふんっ!」激しい剣戟の音が、地下通路に響いた。「兄様には死んで貰わないとね、わたし達の娘達の為にも。」アフロディーテの言葉を聞いたルドルフは、動きを止めた。「今・・なんと言った?」「あら、知らなかったの?わたしね、カエサルの子を妊娠してるのよ。」アフロディーテはそう言って、愛おしそうに下腹を撫でた。「そんな・・まさか・・」「その“まさか”よ、兄様。兄様だって、ユリウスとの子を妊娠しているのでしょう?だってさっきからその子達の心臓の音が聞こえるもの。」ルドルフの脳裏に、「死」と言う言葉が浮かんだ。両方とも子どもを産んだら、どちらかが死ななければならない。「わたしは生きたいの。生きて、この子達と暮らしたいの。だから兄様、死んでくれる?」アフロディーテはニヤリと笑いながら、レイピアを構えた。「・・ここで、お前を倒す!」「望むところよ!」 一方、ユリウス達はマシンガンを構えながら敵の様子を窺っていた。「ルドルフは?」「まだどこにいるのかわかってません・・多分地下でしょう。」「そうか・・それよりも爆破まであと1分30秒しかないぞ、どうする?」「それはこれから考えます。」「地下から脱出した方が良さそうだな。エレベーターを使うのはこの状況では無理そうだ。」「そうですね。」ユリウスがそう言ったとき、敵の攻撃が始まった。ユリウスはマシンガンで応戦した。廊下の隅で凄まじい爆発音がし、爆風でユリウスは一瞬耳が遠くなった。「大丈夫か?」「ええ・・連中は本気らしいですね、こんな所で手榴弾を使うとは・・」ユリウスは敵の様子を探るために壁から出た。「お姉ちゃん、どうしたの?」5,6歳位の男児がそう言って無邪気にユリウス達に近づいてきた。それが合図のように、小児病棟から沢山の子ども達が走ってきた。「子ども達がこんなに沢山・・それに皆健康そのものだし・・」「一体何のために、これほどの数の子どもを・・」サリエルがそう呟いたとき、先ほどの男児が口を開いた。「せんせいたちが3階のおへやでおちゅうしゃ打ってくれるの。みんなそれ打てば強くなれるって、せんせいたちが言ってた。」「・・行ってみる価値はありそうだな。」「ああ。」ユリウス達は男児に連れられ、3階のある部屋に入った。「これは・・」入った瞬間、ユリウス達は絶句した。そこには医師達によって薬を打たれ、生きる屍となった子ども達が猛獣のように檻に閉じ込められていた。「人体実験場だ。あいつらは幼い子どもを攫い、幾度も怪しげな薬を打っては実験を繰り返していた。」「何のために?」「考えてもみろ、ここにはアフロディーテとその従者がいた。アフロディーテは世界中の人間を自分と同じような化け物に変えたがってる。」サリエルの言葉を聞いたユリウスは、全てを悟った。「・・許せない、何の罪もない子ども達を・・」ユリウスはそう言ってマシンガンを構え直した。その時、ドアが乱暴に開け放たれ、数人の警官達がユリウスを包囲した。「武器を捨てて跪け!」
2008年08月16日
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「後少しでエレベーターだ。」ルドルフ達は廊下を走っていた。爆破まであと3分、時間がない。「子ども達はどうするんだ?」「今は助けている時間はない!」サリエルはそう言って、ユリウスを抱きかかえ直した。「ユリウスはどうしたんだ?」「気を失った。すぐに気が付くだろう。」「そうか・・」ルドルフがそう言ったとき、マシンガンの銃弾が飛んできた。「伏せろ!」ルドルフ達は床に伏せた。その間も警官達はマシンガンを撃ちまくっている。「一体彼らはどこから・・」「わたしたちが呼んだ。血に飢えた化け物を始末しろとな。」背後から低いバリトンの声が聞こえてきた。ルドルフ達が一斉に振り向くと、そこには警官を従えた壮年の男が立っていた。右目には黒い眼帯を付け、黒衣を纏っている。「ヴァチカンからの刺客か。」ルドルフはそう言ってメスを構えた。「いかにも。」黒衣の男はルドルフを睨め付けながら言った。「そうか・・では容赦はしない。」ルドルフは男に突進した。両手に短剣を持った男は間合いを詰めてルドルフに次々と攻撃を繰り出してくる。ルドルフはその攻撃を避けるのに精一杯だった。「ふん、そなたの腕はそんなものか?」「うるさい!」ルドルフはそう叫んで、メスで男の胸を刺した。「おのれ・・」男はそう言って血を吐いた。だが男はルドルフの両足の付け根を短剣で刺した。「ルドルフ様!」「う・・」両足から血を流しながら、ルドルフはユリウスに抱き留められた。「これで逃げられまい。」男はニヤリと笑って、警官達の輪の中へと戻った。「あいつらを殺せ。」ユリウスはルドルフを担いで元来た道を戻った。彼の後ろをマシンガンの銃弾が追いかけてくる。隙を突いてユリウスは警官からマシンガンを奪い、気絶させた。「武器は確保しました。早く脱出を・・」「そうはさせないわ。」アフロディーテが廊下の向こうから姿を現した。「お前と兄様はここで死んで貰うわ。」アフロディーテはそう言って犬歯を覗かせてニヤリと笑った。「通報したのは君なのか、アフロディーテ?」「いいえ。でもあなた達を始末するように彼らに言ったのは、このわたしよ。」「どうして、ルドルフ様を・・」「わたしは、兄様が憎いのよ。」レイピアの刃先をルドルフに向けながら、アフロディーテは言った。「もうここで決着を付けましょう、兄様。」「そうだな。」ルドルフはそう言って短剣を構えた。「そんな得物でわたしに敵うと思っているの、兄様?」「お前こそ、そんなばかでかい剣で私に敵うと思っているのか?」「兄様がその気なら、仕方ないわね。」2人は互いに睨み合った。「はぁっ!」「やぁぁっ!」ルドルフとアフロディーテは同時に地面を蹴った。目にも止まらぬ速さで2人は死闘を繰り広げた。その時、廊下が激しく揺れ、2人が立っている床が崩れだした。「ユリウスッ!」「ルドルフ様ッ!」 悪魔の口のようにポッカリと開いてしまった穴に呑み込まれぬように、ルドルフはユリウスの手を握ろうとしたが、後少しのところで届かずに、ルドルフは奈落の底へと落ちていった。「ルドルフ様~!」薄暗い地下に優雅に着地したアフロディーテは、兄の姿を探した。「兄様、どこぉ~?」「う・・」落ちた衝撃で全身を強く打ったルドルフは、通路を這うように進んでいった。やがて彼は、武器庫と思しき部屋に入った。ルドルフは壁に掛けてあった日本刀を取った。「兄様、見ぃ~つけたぁv」アフロディーテはそう言ってルドルフに突進してきた。
2008年08月16日
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「ルドルフがNY市内の病院にいるだと?それは本当か?」そう言って、法王は1人の枢機卿を見た。「はい・・彼らが今、向かっております。」「その必要はない、“プロジェクトA”をアフロディーテが実行させた。」「では・・病院にいる者は・・」「助からぬだろう。」法王は冷酷にそう言い放ち、部屋を出て行った。その頃ジュリオとエルンストは、なおも死闘を繰り広げていた。「そろそろ終わりにしようか。」「そうだね!」ジュリオはそう言って短剣を構えた。「行くぞっ!」「やぁっ!」2人とも同時に地面を蹴った。空中で激しい剣戟を繰り広げる中、あと一撃で決着がつくという時―突然廊下が揺れ、爆音によって窓ガラスが粉々に砕け散った。「何だ・・」「一体、何が・・」ジュリオはそう言って、短剣をしまった。「命拾いしたね。」「それはあんたの方だろ?」廊下の向こうから悲鳴が聞こえた。「ママ・・」ジュリオは殺戮を繰り広げるルドルフの姿を確認すると、廊下の向こうへと駆け出して行った。「勝負はまたつけよう。」エルンストはそう言ってジュリオに背を向けた。ルドルフはまた新しい獲物を仕留めていた。「ママ、ここはもう爆破されるよ、さぁ逃げよう。」ジュリオはそう言ってルドルフの手を掴んだが、ルドルフはその手を振り払った。「ママ、どうしたの?」ルドルフは唸り声を上げてジュリオを突き飛ばした。「ママ、一体どうしたの?僕がわからないの?」ルドルフは犬歯を剥き出しにしながら唸った。「お願いだよ、ママ、正気に戻ってよ!」だがジュリオの声はルドルフには届かない。「ママったら!」イライラしたジュリオは、ルドルフに頭突きした。「痛いな、ジュリオ!何すん・・」ルドルフはそう言ってジュリオを睨んだ。「元に戻ったんだね。」ジュリオはルドルフに微笑んだ。「もうすぐここは爆破される。早く逃げよう。」ユリウスを抱えたサリエルが、そう言ってルドルフを見た。「ああ。」ルドルフはそう言って時計を見た。病院が爆破されるまであと5分しか残っていなかった。「ルドルフ兄様がいるわよ、カエサル。」「皇太子様が?」「ええ・・ユリウスと一緒にね。」「そうですか・・」カエサルはそう言って廊下の向こうを見た。「お前はここで待ってて。わたしは兄様と決着を付けてくるわ。」アフロディーテはドレスの裾を摘んで廊下の向こうへと消えていった。
2008年08月16日
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ルドルフは血の海の中にいた。 象牙のような滑らかで美しい肌は真紅に染まり、腰まで伸びたブロンドの髪には返り血が所々ついている。ルドルフは鋭い爪に付いた返り血を舐め、フッと笑った。「ひぃっ・・」悲鳴がして振り向くと、恐怖で顔をひきつらせた看護師が腰を抜かして床にへたり込んでいた。ルドルフはニヤリと笑い、看護師に近づいていった。「殺さないで、お願いっ・・」ロザリオをまさぐりながら、看護師は必死に命乞いをした。だがその言葉は今や狂気に陥ったルドルフには届かない。ルドルフはゆっくりとメスを持って看護師の方へと歩いていく。「誰か、助けてっ!」ルドルフの顔に真紅の血が飛び散った。彼はもう、理性を失っていた。エルンストに投与された特殊な麻薬により、ルドルフは始祖魔族としての本能―人の血肉を啜り、喰らうこと―しか考えられなくなっていった。「お姉ちゃん、何してるの?」無邪気な声がして振り向くと、テディベアを抱えた女児がルドルフを興味深々に見ていた。「お姉ちゃん?」美味しそうな子だ。ルドルフはゆっくりと女児の方へと歩いていった。無邪気な笑顔を浮かべていた女児の顔が、恐怖に引きつった。「ママ、助けて、ママ~!」ルドルフはメスを女児に振りかざした。「やめてください、ルドルフ様!」ユリウスはそう言って恋人を見た。ルドルフは唸り声を上げてユリウスに襲い掛かってきた。「早く逃げなさい、早く!」半べそをかいている女児に向かってユリウスは怒鳴り、棍棒でルドルフの攻撃を防いだ。「ルドルフ様、無駄な殺生はおやめください・・ルドルフ様・・」ユリウスは必死にルドルフに訴えかけるが、ルドルフにはユリウスの言葉は届かない。「わたしが・・わからないのですか・・」ルドルフはユリウスの鳩尾を蹴った。「うっ!」ユリウスが蹲った隙に、ルドルフは女児に襲い掛かった。幼い悲鳴と骨が折れる嫌な音が廊下に響いた。「ルドルフ様、おやめください!」ユリウスは堪らずにルドルフを止めにかかった。ルドルフは真紅の瞳をぎらつかせ、ユリウスの顔を鋭い爪で引っ掻いた。その拍子にユリウスのナース服の胸ポケットから、短剣が落ちた。ルドルフはその短剣を拾い、ユリウスの右目に刃を突き刺そうとした。その時―「いたぞ、あそこだ!」「化け物め、これでも喰らえ!」警官がそう叫んでルドルフに向けてマシンガンを撃った。ルドルフは警官を次々と血祭りに上げていった。「ルドルフ様・・」ユリウスは狂ってしまったルドルフを呆然と眺めながら、涙を流した。「ユリウス、ルドルフは見つかったか?」「ええ・・」ユリウスはそう言って気絶した。「どうした、ユリウス!しっかりしろ!」サリエルはユリウスを抱きかかえ、小児病棟を出た。廊下の向こうではルドルフが次々と突入してきた警官達を血祭りに上げている。(ルドルフ・・一体どうしたというんだ?) あまりにも変わってしまったルドルフを目の当たりにして、サリエルは呆然とするしかなかった。その頃、精神病棟の廊下ではジュリオとエルンストが、死闘を繰り広げていた。「なかなかやるね、でもこれでお終いだよ、お姫様!」エルンストはそう言って、メスでジュリオの棍棒を切り裂いた。「クソッ、ここまでか・・」ジュリオは舌打ちしながら、ガーターに留めつけてあった短剣を抜いた。「そんなもので、僕に立ち向かおうとでも言うのか、この愚か者め!」「いちいちうるさい奴だなっ!」ジュリオはエルンストに突進した。「やぁぁっ!」「はぁっ!」激しい剣戟の音が廊下に響き渡った。「ねぇ、この病院爆破しない?あいつら気に食わないわ。」アフロディーテはそう言ってカエサルを見た。「この病院は人体実験場としても使われていましたし・・」カエサルはそう言って起爆スイッチを押した。「30分後に爆発します、ここから出ましょう。」「ええ。」アフロディーテは優雅な足取りで事務室を出て行った。
2008年08月16日
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「わたしはいつもお前のことを想っていたわ、ユリウス!なのにお前はルドルフ兄様のことばかり!いつもいつも兄様のことばかり話して、わたしのことなんか見てもくれなかったわよね!?」アフロディーテはそう言ってレイピアでユリウスの胸を突こうとした。ユリウスは寸でのところでアフロディーテの攻撃をかわした。桃色のナース服の布地が、ビリッと裂けた。「君は一体何を言ってるんだ、アフロディーテ?」「お前、まだ気づいていないのね、わたしの気持ちに!」憎しみで顔を歪ませながら、アフロディーテは次々と攻撃を繰り出す。それを全て棍棒で受けとめながら、ユリウスはアフロディーテの様子がおかしいことに気づいた。(いつものアフロディーテじゃない・・一体何を考えて・・)「戦いの最中にボーッとしないでよ!」アフロディーテはそう怒鳴ってユリウスの肩を刺し貫いた。「うっ!」ユリウスの肩から真紅の血が飛び散る。「お前には、ここで死んで貰うわ!」アフロディーテはユリウスに膝蹴りをし、あっという間に床に組み伏せた。「死ね!」アフロディーテはレイピアをユリウスに振り下ろそうとした。だが、なかなか振り下ろせない。(どうして?どうして殺せないの?)ユリウスを心底憎んでいる筈なのに、殺せない。脳裏に、初めてユリウスと出逢った時のことが浮かんだ。薄暗く狭い地下牢で、誰も自分に話しかけようとするものはいなかった。 家族の愛情や人間としての教養、そして皇族としての生活・・何ひとつ人間らしい生活を送れなかった。そんな中、1人の男の子―ユリウスと出逢った。彼は自分と初めて友達になってくれた子だった。“君、名前は?”“名前・・ない”“そう・・じゃあ僕が付けてあげる!君の名前はアフロディーテ、ギリシャ神話の女神様の名前だよ!”“ありがとう・・”今まで「名前」なんてなかった。勿論、自分に名前を付けてくれようとした人もいない。それまでアフロディーテは深くて冷たい孤独の闇の底にいた。自分に一筋の光を与えてくれたのは、ユリウスだった。自分に名前を付けてくれたのも、自分と友達になってくれたのも、ユリウスだった。(ユリウス、どうしてルドルフ兄様の所へ行っちゃったの?わたしはユリウスのことが大好きで、いつもユリウスのことばかり考えていたのに・・それなのに、どうしてユリウスはルドルフ兄様のことばかり考えているの?どうしてルドルフ兄様と一緒にいるの?どうしてルドルフ兄様のことばかり見てるの?どうしてルドルフ兄様のことを愛しているの?どうして、わたしはお前を愛しているのに・・)「アフロディーテ?」気が付くと、アフロディーテは涙を流していた。「どうして・・涙なんか・・」アフロディーテは急いで涙を拭った。「お前が悪いのよ・・わたしを愛してくれないから・・わたしを・・見てくれなかったから、涙なんか出たのよ!」アフロディーテはユリウスから離れた。「お前の命は助けてあげる。お前はわたしのことを見ないけど、それでもわたしはお前のことが好き。ウィーンで決着を付けましょう。」アフロディーテはドレスの裾を払い、精神病棟を去っていった。(アフロディーテ・・)アフロディーテはレイピアを引きずりながら、廊下を歩いていた。(どうして泣いてるんだろ?何も悲しいことなんかないのに・・)何故、ユリウスを殺せなかったのだろう?いつもルドルフのことばかり見ているユリウスを、正直言って憎いと思ったことが何度かあった。だが、アフロディーテはユリウスのことを完全に憎みきれなかった。それは、ユリウスのことを愛しているからだ。初めは自分のものだけにしておきたいという独占欲からだった。だがいつの間にかそれがユリウスへの深い愛へと変わっていった。(馬鹿ね・・今更、ユリウスを愛していることに気づくなんて・・もう遅いのに・・)あの頃にーユリウスと初めて出逢った時に戻れたら、どんなにいいだろう。だがもう遅い。あの頃にはもう戻れない。何も知らずに、孤独だが幸せだった世界には、もう戻れない。両手を罪のない人々の血で染めてしまった。それはどんなに拭っても拭っても消えない。自分に残されているのは、ウィーンで、ホーフブルクで、ルドルフと決着を付けることだ。(さよなら、ユリウス・・わたしの・・1番好きだった人・・)アフロディーテは顔を上げ、まっすぐ前を向いて歩き始めた。
2008年08月16日
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