2月17日(土)
旅と自己表現 岡井隆
鑑賞:角川春樹句集「補陀落の径」(13)
角川雑誌「短歌」(昭和60年3月号)より
3.永遠指向のこと(8)
羽曳野 の流され 白鳥 瞑 れば
風花の流され王ぞ羽曳野は
風花や 日本武尊 の丘に 佇 つ
羽曳野の 睡 りの深き鴨の陳
「流され王」「流され白鳥」の「流され」とは、どこから、どこへ流離なのであろう。むろん、それは「故郷=ふるきくに」から「異郷=どこにもない理想郷」への流離である。それは、(今までの文脈をたどればわかるように)永遠への旅が、この流離の本質である。それと同時に、「瞑れば」と瞑目して作者が思いうかべているのは、父のイメージであろうし、父から追われて流れていく白鳥の伝説的なイメージにほかなるまい。
だから、春樹氏が、「流され王」というとき、それは、まちがいなく、日本武尊なのであるが、運命としては、父と子のオイディプス型の関係幻想が、ここに揺曳していて、かならず、そこから唄口がしめって来ているのを忘れてはならない。
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