全1075件 (1075件中 1-50件目)
9月26日(木)現代俳句(抜粋:後藤)(177)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(21)冬晴をすひたきかなや精一杯「心身脱落抄」と題した最後の句です。「そと咳くも且つ脱落す身の組織」「冬晴を我が肺は早吸ひ兼ねつ」「冬晴をまじまじ呼吸困難子」「冬晴を肩身にかけてすひをりしか」に続いています。ここには、もう技巧も見栄もありません。ぎりぎりの希ねがいをそのままつぶやくように吐露しているだけです。 (つづく)
2024.09.26
コメント(0)
9月25日(水)現代俳句(抜粋:後藤)(176)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(20)夜もすがら汗の十字架背に描き「汗たぎちながれ絶対安静に」と「三時打つ鳥羽とば玉たまの汗りんりんと」の間にさしはさまれた句です。長病みの床擦れ、しかも彼は脊髄カリエス患者です。激しく痛む背中に、深夜の寝汗が縦横に流れます。その描き出す十字が、そのまま十字架の苦患です。苦悩を吐き出したような作品です。 (つづく)
2024.09.25
コメント(0)
9月24日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(175)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(19)寒かん凪なぎの夜の濤なみ一つ轟とどろきぬ寒凪の夜の長い静けさと静けさとの間に、一つの大きな音響を描きました。ただ一つ、濤音をきいた胸の轟きだけが、いつまでも余韻を引いています。一切の雑念を棄て去って、夜の闇に濤音一つを描きだしました。静かな闇の中に一つ呼吸いきづく作者の感動があります。「の」の字でたたみかけて、「轟きぬ」と据えた調子の高さと強さとは無類です。 (つづく)
2024.09.24
コメント(0)
9月23日(月)現代俳句(抜粋:後藤)(174)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(18)まひまひや雨後の円光とりもどしまひまひは水面に忙しく輪を描きまわる黒い小虫です。その素早い動きは、日に映えて円光ともみえるでしょう。「円光」の語に茅舎らしい選択があります。円光とは後光であり、光背です。一小虫に負わしめては、円光も可憐味を覚えます。円光は、晴雨によって現われては消えます。小虫にとって、なにかだいじな落としものを取り戻した感じです。 (つづく)
2024.09.23
コメント(0)
9月22日(日)現代俳句(抜粋:後藤)(173)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(17)ぜんまいののの字ばかりの寂光土これは、ぜんまいに赤子を見てしまう芸術家の心の眼にほかなりません。一本一本のぜんまいが大地から赤子のようなのの字型の手をもたげているところ、そこに仏が遍満しているのです。これは詩人茅舎の心の贅沢です。見えないものまでも見る眼の働きがなければ、写生はあまりにも単調です。 (つづく)
2024.09.22
コメント(0)
9月21日(土)現代俳句(抜粋:後藤)(172)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(16)月光に深雪みゆきの創きずのかくれなし「深雪の創」と言ったのが生々しい。この風景のあらわな無惨さを強調するものは「創」という比喩です。その無惨さを身に引きつけて味わえばこそ、こんな生鮮な比喩もでてくるのです。観照の深さとはこれ以外のことではないでしょう。 (つづく)
2024.09.21
コメント(0)
9月20日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(171)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(15)雪の上ぽつたり来たり鶯うぐいすが雪の上の鶯に「ぽつたり」の語を得ました。不安定な倒置法にぴたりとはまっています。これは情景でも余情でもありません。はまっているのは、言葉です。言葉との格闘が情景や思想のすべてです。陰翳のない、くっきりと切り取られた一小景は、画家の眼と言うべきでしょう。 (つづく)
2024.09.20
コメント(0)
9月19日(木)現代俳句(抜粋:後藤)(170)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(14)とび下りて弾みやまずよ寒かん雀すずめ寒雀の姿態をよくとらえています。鞠のようにふくらんだ寒雀に「弾みやまずよ」の表現がおもしろい。写生の眼の確かさは対象への愛情と表裏をなします。茅舎はことに小動物への深い愛情を持っていました。 (つづく)
2024.09.19
コメント(0)
9月18日(水)現代俳句(抜粋:後藤)(169)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(13)ひらひらと月光降りぬ貝割菜美しい句です。貝割菜の畑に降りそそぐ月光、「ひらひら」という語がぴったり合って、こころにくいばかりです。ひらひらするもののなかで、茅舎の魂もさまようようです。この世の美しい浄土相を現出しています。 (つづく)
2024.09.18
コメント(0)
9月17日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(168)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(12)露の玉走りて残す小粒かな芋の葉のそよぎによる露の玉の動きを捕えたものです。「走りて残す小粒」と、あくまでも露の玉そのものへの興味に茅舎の心が動いています。茅舎の写生の確かさで、「かな」もよく据わっています。なみの写生俳句との違いははっきりしており、露の玉に赤子を見てしまう茅舎の眼力と人間味は、それと指摘できるのです。 (つづく)
2024.09.17
コメント(0)
9月16日(月)現代俳句(抜粋:後藤)(167)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(11)蝉せみの空松籟しょうらい塵を漲みなぎらし「蝉の空」の語は青空一面にみなぎっている蝉の声を脳裡に描かせます。そこに、松籟を点じ、日に映ゆる塵を点じます。そしてこれほどの清浄の風景を描き出すのは、清浄の魂ゆえでしょう。 (つづく)
2024.09.16
コメント(0)
9月15日(日)現代俳句(抜粋:後藤)(166)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(10)蟻地獄見て光陰をすごしけり無為の倦怠、孤独地獄、時間の流れだけが意識されるいるのでしょう。「光陰」はかりそめの語ではないでしょう。茅舎のような豊かな享楽する精神には、虚無への道はいつどこででも啓ひらけてくるのでしょう。光陰を意識するのは孤独の魂です。刻々の歩みが魂に苦悩の影を落します。それは苦い味わいでこの世の地獄をみつめさせるのです。「地獄見て」この「見て」を見逃してはならないでしょう。蟻地獄の小さな世界が、「地獄よりも地獄的」人生の地獄を媒介します。 (つづく)
2024.09.15
コメント(0)
9月14日(土)現代俳句(抜粋:後藤)(165)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(9)金輪際わりこむ婆や迎鐘「金輪際わりこむ婆」、鐘を撞こうとする群衆の中にもまれながら、必死の老婆の動作を描き出しています。「金輪際」:地の最下底。地の最下底から出て来たかのように、信心に凝りかたまった薄汚い一老婆の姿が大映しになります。 (つづく)
2024.09.14
コメント(0)
9月13日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(164)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(8)草摘の負へる子石になりにけり子守娘への愛情を詠み出します。負う子が寝入るとずしりと重くなるのです。それを「石になりにけり」とずまりと言い放ったのです。からかっているようでもありますが、茅舎の人間的な情愛の動きを見落としてはいけないでしょう。 (つづく)
2024.09.13
コメント(0)
9月12日(木)現代俳句(抜粋:後藤)(163)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(7)生馬いきうまの身を大根でうづめけり「生馬」と「生」にアクセントがついているのがこの句の暗い悲しみをそそります。「身を大根でうずめけり」と何のうまれかわりか、畜類のかなしさが惻惻と響いてくる。読む時、「生馬の」で小休止があると見ます。切れるというより読む時の呼吸の上での瞬間的なためらいと言った方が適切です。「生き馬の身を、大根でうづめけり」ではなく、「生馬の。身を大根でうづめけり」です。 (つづく)
2024.09.12
コメント(0)
後藤瑞義 入選句(よみうり文芸) 電柱にわが影を消す猛暑かな 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 九月十一日 入選 橋本榮治 選)反省:「猛暑かな」ほ言い過ぎでしょう。「暑さかな」くらいでよかったのでは…。
2024.09.11
コメント(0)
9月11日(水)現代俳句(抜粋:後藤)(162)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(6)しんしんと雪降る空に鳶とびの笛「鳶の笛」は新造語でしょう。このような美しい造語を探し出すことは、詩人の務めでしょう。「鳶の笛」という用語はこれから一般化するでしょう。先人の創意をかりそめに思ってはいけません。降りしきる雪空に一点の鳶の笛を描き出した深い哀愁です。 (つづく)
2024.09.11
コメント(0)
9月10日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(161)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(5)しぐるゝや目鼻もわかず火吹竹「目鼻もわかず」という時、これは完全な軽みです。一心不乱に火を吹いている小僧か下女かの顔の形容ですが、目・鼻・口を一点集中させた顔の可笑しみを一語にして正確に捕えています。滑稽句です。 (つづく)
2024.09.10
コメント(0)
9月9日(月)現代俳句(抜粋:後藤)(160)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(4)御空より発止はつしと鵙もずや菊日和「発止と鵙や」という表現は、茅舎の独壇場です。鵙の動きを正確にとらえた句です。しかも菊花を添えています。芋腹をたゝいて歓喜くわんき童子どうしかな歓喜天は仏典にあるが、「歓喜童子」は茅舎の造語でしょう。この句はなんの説明も要しません。茅舎の童心を示す句です。 (つづく)
2024.09.09
コメント(0)
9月8日(日)現代俳句(抜粋:後藤)(159)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(3)秋風や薄情にしてホ句つくる「薄情」は自嘲と取ります。あえて自分を「薄情」と言ったアイロニー。「薄情」と言ったのは、彼のしんの強さです。だが誰も茅舎を薄情な男と思いはすまい。土性骨は強かったが、彼は心の温かい人でした。森を出て花嫁来るよ月の道お伽噺のような風景。狐の嫁入りかと思えそうで、可憐です。ナイーヴな心の弾みはこの句の調子にも出ています。これも茅舎浄土の一つです。 (つづく)
2024.09.08
コメント(0)
9月7日(土)現代俳句(抜粋:後藤)(158)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(2)露の玉蟻たぢたぢとなりにけり露の玉と蟻との出会いを想い描きます。「露の玉」、一粒のきわだった存在です。それが、一匹の蟻の通路に置かれていました。小動物の驚愕をとらえた「たぢたぢとなりきけり」の句にユーモアがあり、そして小動物への作者の微笑ましい愛情があります。 (つづく)
2024.09.07
コメント(0)
9月6日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(157)発行:昭和39年5月30日川端茅舎(1)金剛の露ひとつぶや石の上石の上に置いた一粒の大きな露の玉を見つめます。何か造化の精錬の力が一粒の露に凝集しているようであり、露は渾身の力をもってその存在に堪えています。露は生まれたばかりの赤子です。石上に凝ったたった一粒の露の玉が豊かな浄土世界を現出します。 (つづく)
2024.09.06
コメント(0)
9月5日(木)現代俳句(抜粋:後藤)(156)発行:昭和39年5月30日芝 不器男(5)寒かん鴉がらす己しが影の上におりたちぬ影と実体とが一つになって、寒鴉は地面に降り立ちます。離れていた二つのものが完全に一つになり、影が実体にかえった瞬間、そこには地面に降り立った寒鴉の不気味な姿態が、はっきりクローズアップしてとらえられます。蕭条たる冬景色です。「あっ」と声をひそめた感動です。正確な把握です。表現が正確なのは、感動が正確だということです。感動が正確なのは誤魔化しのないことです。 (つづく)
2024.09.05
コメント(0)
9月4日(水)現代俳句(抜粋:後藤)(155)発行:昭和39年5月30日芝 不器男(4)白藤や揺りやみしかばうすみどり白い藤波が風に揺れて一面の白が網膜に映ります。揺れ止むと若葉の薄緑がはっきりしてきます。白藤の揺れる色彩の微妙な変化をとらえて、印象鮮明です。「揺れやみし」でなく、「揺りやみしかば」としたのは、万葉調です。 (つづく)
2024.09.04
コメント(0)
9月3日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(154)発行:昭和39年5月30日芝 不器男(3)まのあたり天降あもりし蝶や桜草当時、万葉語(「天振りし」)の使用は一種流行でした。また作者は、「降りきし」などの表現では満足できなかったのです。桜草に降りて来た可憐な蝶が、この世のものと思えなかったのです。現うつし世の桜草に天国の蝶が降り来たったのです。作者の眼前に、現実の出来事としてそれは実現したのです。一瞬時の夢の実現、それへの詩人らしい驚きがこの一句を成したのです。 (つづく)
2024.09.03
コメント(0)
9月2日(月)現代俳句(抜粋:後藤)(153)発行:昭和39年5月30日芝 不器男(2)人入つて門のこりたる暮春かな原句は「人いれて門塀のこる遅日かな」でした。「人いれて」は門を擬人化しています。「入つて」と無心に突き放した効果には及びません。人が入って門が残ったのです。豪華な構えの門です。「門のこりたる」が、この風景の侘しい空虚感を描き出しています。 (つづく)
2024.09.02
コメント(0)
9月1日(日)現代俳句(抜粋:後藤)(152)発行:昭和39年5月30日芝 不器男(1)うまや路や松のはろかに狂ひ凧(たこ)芝不器男は、「彗星のごとく俳壇の空を通過した」:横山白虹大正十四年冬より俳壇に現れ、二十八歳で死亡しました。この作:広重の東海道五十三次図を思わせるいぶしのかかった美しさがあります。 (つづく)
2024.09.01
コメント(0)
8月31日(土)現代俳句(抜粋:後藤)(151)発行:昭和39年5月30日西島麦南(7)汗の瞳めに吾あ子こ溢あふれつつまろびくる前書き:「家族疎開地へ旅、仙台駅頭」(家族が疎開している所へ会いに行ったのであろう。:後藤)汗か涙かわからない、終戦となって無事で再会できた思いに、眼頭が熱くなっている。「溢れつつまろびくる」に弾んだ大きな感動と、父親の眼に大きく視野いっぱいにクローズアップされてきた子の姿とが表現されている。 (つづく)
2024.08.31
コメント(0)
8月30日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(150)発行:昭和39年5月30日西島麦南(6)昼寝ざめ剃刀かみそり研とぎの通りけり「昼寝ざめ」を見出だしたのは、作者の手柄です。昼寝覚めの物憂いうつろな心を、ひやりと覚ますような感覚が背筋を通り過ぎます。剃刀研ぎの呼び声が耳にはいっただけで、姿は見ているわけではないでしょう。茂吉の歌に「めん鶏どりら砂あび居たれひっそりと剃刀研人かみそりとぎは過ぎ行きにけり」の歌があるため、オリジナリティを主張するためには、残念なことです。 (つづく)
2024.08.30
コメント(0)
8月29日(木)現代俳句(抜粋:後藤)(149)発行:昭和39年5月30日西島麦南(5)映画館出て春陰の影に遭ふ真っ暗な映画館で、文字どおり影を失っていたのが、まだ日中の街に出て、ふと自分の影を意識したのです。「春陰」はまず「花曇」と思っていて間違いありません。語感としては、「春陰」のほうが陰性です。「遇ふ」に軽い驚きがこもっています。一種の錯覚をとらえた心理的な句です。しかし、句柄が重いのです。もう少し、「軽み」があるほうが救われるでしょう。 (つづく)
2024.08.29
コメント(0)
8月28日(水)現代俳句(抜粋:後藤)(148)発行:昭和39年5月30日西島麦南(4)海女あま葬はふる砂丘さきうの南風みなみ夕なぎぬ海女の死を悲しむというより、行きずりの旅人として一句を手向けることによって、葬儀を華やかなものにしたという感じです。ただの海女の埋葬であり、南国の明るい大自然のほかは何もその式を荘厳するものはありません。だがそれだけで充分です。志摩か安房か南伊豆かでしょう。南からの海風が凪た夕べの一時です。「海女」「砂丘」「南風」「夕凪」と、一句に投げ込みながら、材料過多の混乱からまぬかれて、調べが太く一本に通っています。 (つづく)
2024.08.28
コメント(0)
8月27日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(147)発行:昭和39年5月30日西島麦南(3)墓掘はかほりの膚はだ土くさき二月かな「墓掘の膚」というだけでは満足しないで、さらに「土くさき」と駄目押しをしないではいられない作者です。それがまだ凛冽たる「二月」であるので救われます。「炎暑」だったら堪ったものではありません。 (つづく)
2024.08.27
コメント(0)
8月26日(月)現代俳句(抜粋:後藤)(146)発行:昭和39年5月30日西島麦南(2)襟巻えりまきや畜類ちくるゐに似て人の耳この句には、ブルジョアの俗物性に対する抵抗が強く出ています。耳の立った狐の顔をぶら下げて歩いている有閑婦人で、狐のような顔をして澄ましているのでしょう。作者はその耳に目をとめ、畜類に似た感じを受け取ったのでしょう。ユーモアというより、反骨と憤りとがこもった句です。 (つづく)
2024.08.26
コメント(0)
8月25日(日)現代俳句(抜粋:後藤)(145)発行:昭和39年5月30日西島麦南(1)痩やせて人のうしろにありし裸かな前書き:徴兵検査、身長五尺一寸体重十一貫この句は徴兵検査風景であり、痩せた裸を人前にさらした自嘲も含まれているが、そのような屈辱を男に与える軍部への憎しみが、やはり吐露されています。俳句は絶叫しません、大勢の壮丁の中で、ひとり孤独の反骨を抱きながら、しおしおと人のうしろにあるのです。軍国時代の日本で、こういうみじめさを味わった人は、ほかにもたくさんおるでしょう。再び青年に味あわせたくない風景です。 (つづく)
2024.08.25
コメント(0)
8月24日(土)現代俳句(抜粋:後藤)(144)発行:昭和39年5月30日山口青邨(4)雪深く南部なんぶ曲家まがりやとぞ言へる 作者の来書によれば、曲家の意味は、その語感からだんだん落ちぶれてゆく家の感じでも使うようになったといいます。「曲る」とは「傾く」意で、東北の農家には、軒・柱・壁など傾いた家が多いので、この句の場合も、傾いた家・落ちぶれた家という意味もこめてよいだろうと作者の説です。作者にそう言わせるものは、貧しい郷里への哀憐の心でしょう。封建性が強く忍従の精神に富み、周期的な冷害飢饉の宿業を負った東北農民の暗い悲しい生活の翳は、この句から感じ取れます。「雪深く」と言い、「とぞ言へる」と結んだところに、作者の詠歎の調べは充分打ち出されています。 (つづく)
2024.08.24
コメント(0)
8月23日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(143)発行:昭和39年5月30日山口青邨(3)お六ろく櫛くしつくる夜なべや月もよく前書き:「木曾藪原宿にて」「夜なべ」は秋の季語です。お六櫛はお六という女性が作り始めたすき櫛を言い、名前からして軽いユーモアがあります。作者のリズムも軽く、「つくる夜なべや月もよく」と何か弾んだ心に乗っています。木曾というと、何か民謡めいた調子を打ち出してきます。「月もよく」にそういった鄙びた鼻唄でも聞こえて来そうな気味合いがあります。 (つづく)
2024.08.23
コメント(0)
8月22日(木)現代俳句(抜粋:後藤)(142)発行:昭和39年5月30日山口青邨(2)外套ぐわいとうの裏は緋ひなりき明治の雪明治のころの黒ラシャの外套には緋の裏がついていました。子供のものばかりでなく、大人のものも、あるいは陸軍の陸軍の将校のもそうでした。明治風ダンディズムでしょうか。裏地の緋色、降る雪の白が、明治の風俗版画のようなけばけばしい色彩美をかなでます。乗合馬車でも走っていそうな風景です。雪までが明治のものは懐かしかったと彼は言います。彼もまた長髪を振り乱した明治の学生だったのでしょうか。彼は明治二十五年の生まれです。 (つづく)
2024.08.22
コメント(0)
8月21日(水)現代俳句(抜粋:後藤)(141)発行:昭和39年5月30日山口青邨(1)銀杏いてふ散るまつただ中に法科はふくわあり前書き:大学の庭にて青邨葉、工学博士、東大工科の教授です。銀杏は東大の名物です。「まつただ中に」とずばりと直線的に言い切ったことは、「法科」という近代建築物の印象によく映発し合っています。単純で印象明快です。 (つづく)
2024.08.21
コメント(0)
8月20日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(140)発行:昭和39年5月30日富安風生(11)萩はぎ枯れて音といふものなかりけり冬庭か枯れ野の蕭しょう条じょうたる景色を枯れ萩という一つの景色で示しているのです。天地音絶えて、物は枯れつくして、「眺めてふもの」もないのです。「萩枯れて」は実であり、下十二字(音とふものなかりけり)は虚です。この実のイメージによって、虚の詠歎が裏付けられ、生きてくるのです。 (つづく)
2024.08.20
コメント(0)
8月19日(月)現代俳句(抜粋:後藤)(139)発行:昭和39年5月30日富安風生(10)きびきびと万物(ばんぶつ)寒に入りにけり一つ年を取るということは、一つ寒を送迎することです。自然の万象も、座右も品々も、これから寒にはいろうとする構えの中にあります。何か凄愴(せいそう)の感があります。もちろん誇張ですが、作者自身がけなげな覚悟のほどを決めているのですから、万物はその主観を反映するのです。 (つづく)
2024.08.19
コメント(0)
8月18日(日)現代俳句(抜粋:後藤)(138)発行:昭和39年5月30日富安風生(9)八十やそ谷たにも八重りんだうも秋深し前書き:「鹿野山神野寺」(上総の名山)「八十谷」「八重りんだう」の頭韻が快的です。谷の秋色も、真近の竜胆の紫にも、秋の色の深まる気配が深いのです。可憐な「八重りんだう」を配して「八十谷」の奥深い大景を描き出したのがよいのです。 (つづく)
2024.08.18
コメント(0)
8月17日(土)現代俳句(抜粋:後藤)(137)発行:昭和39年5月30日富安風生(8)棗なつめはや痣あざをおきそめ秋の雨風生は生活の日常些事に感を発することが多いのです。この句は家の庭に日夜眺める小さな棗の実に、愛憐の心を通わせているのです。さほどうまい果実でもないし、子供のいない夫婦だから、生らせたまま放置してあるのでしょう。初秋のころ熟してきて赤褐色の斑点が現れてきたまま秋雨に濡れているのです。日ごと眼をやる身近な小さいものへの、淡い中にも滲み透るような愛情があります。 (つづく)
2024.08.17
コメント(0)
8月16日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(136)発行:昭和39年5月30日富安風生(7)胡麻ごま干して札所ふだしょ寺てらにはあらざりし前書き:讃岐路「胡麻干す」で九月の季となります。四国遍路の八十八箇寺の札所にもはいらない由緒のない小さな寺が、なりわいとして境内に胡麻を干しているのです。なりわいの鄙びたささやかな様子があわれなのです。旅人の眼に触れたのは干す実景であり、ほのかな旅愁がこもっているのです。 (つづく)
2024.08.16
コメント(0)
8月15日(木)現代俳句(抜粋:後藤)(135)発行:昭和39年5月30日富安風生(6)水草みずくさ生おふ風土記ふどきの村をたもとほる「水草生ふ」は三月の季題ですが、古今集など古歌にもたびたび使われています。その歌ことばとしての古さが「風土記の村」によくかけ合っているのです。「風土記の村」は関東でいえば、さしずめ常陸の水郷でしょう。「水草生ふ風土記の村」というのが、この人らしいたいへん気の利いた表現です。ことに「水草生ふ」は何か枕詞か序詞めいた感じでなだらかに次の言葉を誘いだしてきます。また具体的にここが水郷らしいイメージを生み出して来ます。 (つづく)
2024.08.15
コメント(0)
8月14日(水)現代俳句(抜粋:後藤)(134)発行:昭和39年5月30日富安風生(5)籠こにさせるものゝ意こころに秋深し「田中家小集」と題して作られたなかの一句です。紅葉か、菊か、何かの秋草かが籠にさしてあったのです。あわただしい戦時下の都会に住んでいて、気づくこともなかったが、ふとこの家の籠にさした草木にふかまる秋草を感じとったのです。ふとこの家の籠にさした草木に深まる秋意を感じ取ったのです。おそらく、色の濃い鮮やかな植物でしょう。何という名か示していませんが、それは部屋の中に、露や霜に染まった深秋の野山の色を現わしていたのです。「ものゝ意に」とは洒落た言いようです。 (つづく)
2024.08.14
コメント(0)
8月13日(火)現代俳句(抜粋:後藤)(133)発行:昭和39年5月30日富安風生(4)よろこべばしきりに落つる木この実みかなこの句は軽妙な趣があります。「よろこべば」はおおげさですが、あえてそう言い切ったところに作者の稚気というものです。何を喜んでいるのかわかりませんが、読み終えてさて振り返ると、しきりに木の実が落ちるのを子供のように手を拍うっているようです。 (つづく)
2024.08.13
コメント(0)
8月12日(月)現代俳句(抜粋:後藤)(132)発行:昭和39年5月30日富安風生(3)みちのくの伊達だての郡こほりの春田かな「の」の畳みかけによって、感動を高めてゆくやり方です。「みちのくの」と大きく始まり、「伊達」の「郡」のと引締め、収縮して、「春田かな」とぴたりと打ち止めています。「春田」は、紫雲英などが一面に咲いている華やかな田です。この句の「かな」は、軽い、無造作な「かな」で、こういう「かな」を旧派の宗匠は「吹流しのかな」と言っています。きわめて無欲に、即興的、瞬間的にこの「かな」を用いたのでしょう。 (つづく)
2024.08.12
コメント(0)
8月11日(日)現代俳句(抜粋:後藤)(131)発行:昭和39年5月30日富安風生(2)一もとの姥子うばこの宿やどの遅桜 姥子は箱根でいちばん鄙びた温泉場です。ここに描かれているのは一本の遅桜だけです。いや、それは描かれたとさえいうことはできません。提出されたと言えば言えるでしょう。しかしそこには作者の選択があり、判断があり、認識の刻印があります。そこから沁みでてくる滋味を、読者は舌頭に三転すればよいのです。 (つづく)
2024.08.11
コメント(0)
8月10日(土)現代俳句(抜粋:後藤)(130)発行:昭和39年5月30日富安風生(1)稲いねかけて天あめの香か久山ぐやまかくれたり 稲架かざのかげに、見えていた香久山の山がかれたのです。姿は隠れても、その美しいイメージはいっそう明らかに脳裡に焼き付いているのです。軽妙なとらえ方の中に、大和国原の農村の秋を描き出しています。参考:「春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香久山」「ひさかたの天の香久山このゆふべ霞たなびく春立つらしも」(万葉集) (つづく)
2024.08.10
コメント(0)
8月9日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(130)発行:昭和39年5月30日高野素十(13)揚羽あげは蝶てふおいらん草さうにぶら下る細密な描写ではなく、且つ詠歎的でもありませんが、描写的であることには間違いありません。庭先の嘱目で、なんらの主観的な感情を託さないで、ささやかな情景に対しています。「揚羽蝶」と「おいらん草」とのコントラストに、濃艶なものがただよい出ています。素十は背後の生活的な翳は、全部遮断しています。生活と芸術とを完全に分けています。 (つづく)
2024.08.09
コメント(0)
全1075件 (1075件中 1-50件目)