全695件 (695件中 51-100件目)
座談会のまとめどころでなくなった。辺野古新基地反対運動を、一緒にやっていた市民が、罪もないのに、不当逮捕された! 人助けして、逮捕されるなんて、ありえない!ことの起こりは、こうだ。事実無根の罪で逮捕された彼(Nさん)は、合同労組で、労働相談をする人。半年ほど前に、タクシーの運転手をしているが、手取りが月2万円、生活に困窮している、と相談を受けた。話を親身に聞いたNさんは、生活保護の申請をすることにしたが、賃貸住宅が広い、という福祉課の申請受理できない理由を解決するため、転居を手伝った。ところが、この彼の家が、ゴミ屋敷で、片付けるには、ゴミのトラック何台もの搬出が必要だった。お金がないが、彼が、労働組合に加入し、長い付き合いをする、という前提で、費用は後から分割などで返済すればいい、と代金を立て替えた。家の片づけにも立ち会って、手伝った。ところが、片付け作業も最後になって、突然彼が、「片付けなんか望んでない。労組にも、入らない。」といいだし、そのまま、連絡がなくなった。Nさんは、半ばあきらめていたが、今年に入って、彼と連絡を取る機会があり、電話でゴミ搬出費用を、どうしたらいいか尋ねたところ、「脅迫された」と警察に告訴され、公安がAさんを現行犯でもないのに逮捕し、彼は、代用監獄に拘留された。数日前のことである。その間、直接関係ない7箇所が、ガサ入れされ、証拠と称していろんなものが押収された。曽根崎署に拘留され、8日には、拘留延長がされ、最長23日間、拘留可能だという。こんな、バカなことがあるか!! 彼は、やさしい人で、新参者のわたしなんかでも輪に入れてくれた。彼の周りに、新しいメンバーが顔をみせる。それを、公安が、彼にオーガナイザーとしての能力あり、と見なして、彼に目をつけ、今回のことを口実に、不当逮捕に及んだものと思われる。 みなさん!こんなことを許していいものですか!?詳しくは、関西合同労組のホームページを、観て下さい!!http://kansaigodo.no-ip.org/main/
2010年06月06日
コメント(2)
戦後史の転換点に琉球新報ダグラス・らミス 仲里 効 対談 露骨な植民地構造仲里普天間を通じて見えてきた問題は二つある。一つは日本の戦後の枠組みをどうするのか、という問題だ。本土メディアで米国を怒らせるという論調が主流を占める。これは、戦後日本が米国に従属してきたことを内面化している端的な現われだ。もう一つは、日本が構造的に沖縄を差別してきた問題が見えてきた。沖縄は日米合作の軍事的植民地だといえる。 「日本返還」は沖縄が日米合作の共同管理体制となっただけで、構造的に今も何も変わっていないことは、在日米軍基地を沖縄に封印していく過程に現われている。 ラミス平和日本のイメージを守るために基地を考えたくない場合、基地問題は沖縄問題だ。沖縄という植民地に基地があり、わたし達は平和日本に住んでいるという意識だ。日本の矛盾を、沖縄を利用して解決している。これが日本の植民地主義の構造だ。草の根運動が結実仲里日本は戦後、日本国憲法を抱きしめ、米国の傘の下で高度経済成長をとげた。一方、コインの裏側のように沖縄と韓国があり、違う時間を生きてきた。沖縄は日本のフレームから排除され、継続する戦争と継続する占領の中を生きてきた。現在も構造的に変わっていない。 沖縄からの異議申し立ては、日本の戦後の前提を組み直していくところまで視野に入れないといけない。普天間をめぐる問題は、特定の県のある場所へ移設することへ問題を矮小化することなく、二つの戦後を成立せしめた日米安保体制とは何か、というところまで議論を及ぼして行かなければならない。そうしなければ、従属的な日米関係を脱することはできない。 ラミス移設先が決まらないのは、鳩山首相のせいではない、辺野古の人たちが頑張ったからだ。彼らが周囲の支援を受けながら、数年間も座り続けたことで、国際関係がゆれている。米国と日本の両国の関係がおかしくなっている。草の根レベルでこれほどの結果が出ているのはすごいことだと思う。植民地を作るときに重要なのは、そこにいる人たちにキミたちは無力だと説得することだ。辺野古の人たちはそれを跳ね返した。 仲里座り込みをしている人たちを動かしている強力な根拠は、沖縄戦を体験したところから得られた、反戦や非戦の思想だ。米国による占領体験も精神的な根拠になっている。県内移設反対の運動が、これだけの広がりと深まりを見せている背景には、95年以降、新基地建設と絡ませて投下された振興策が虚像でしかなかったという、アメとムチの政策の無力さをはっきり認識してきたこともある。 沖縄に自己決定権仲里復帰運動の同化主義は国家の論理に回収されるが、沖縄に立脚し、沖縄の来るべき主体を、沖縄の意志と選択で発明してゆくことに、沖縄は動き出している。 ラミス植民地解放運動は、自己決定権があることを自分で意識することだ。地域の話を政府が聞くか聞かないかは別の次元であり、地域で反対運動を続ければ基地は置けない、という状況は辺野古でつくれた。 沖縄の主張、日本超え展開歴史的流れの中での位置づけ 仲里米国を従属的に内面化した日本をも相対化するものだ。 自己決定権を樹立しながら、その先をどう見据えていくか。沖縄の運動、主張をこれまでの枠組みを超えた形で、新たな地平を構築していくべきだ。 アジアの脱植民地・脱冷戦の流れに位置づけ、自己決定権の樹立から政治的な共同性を確立すべきではないかと思う。沖縄の主張は、日本の国内問題の枠を超え、東アジア規模の問題になってくるだろう。沖縄の矛盾を解決する構成力は何か。そこまでを、考えるべきだ。 「影響力」に自信持て歴史つくり直す好機ラミス県民大会の意義は、すごい力だと自らが自信を持ち、その次に何をやるかを考えることが一番大切だ。仲里沖縄の実践は米の覇権のもとで、冷戦体制と植民地主義の記憶を忘却した日本の戦後を同時にあぶり出す内実をもっており、東アジアの視点から言えば、非常に重要だ。階層や世代を超えて、沖縄の人たちが自己主張することは、歴史意識の潜勢力でもあり、大きな問題提起ともなりうる。
2010年06月05日
コメント(0)
『沖縄を踏みつけている、その足をどけろ!』 さよならニッポン!! やっと、日本が見えました。沖縄は米軍に踏みつけられていたのではなく、日本にも踏みつけられていたのです。 そして日本人が好む「抑止力」 とは、日本人の思考を抑止(停止)させ、沖縄に対する差別をやめない政治的力です。 それこそが、米軍にとってもっとも重要な軍事的効果かもしれません。 そのためこれから沖縄は自己決定権を求め、沖縄に対する不平等をなくすため行動します。 米軍基地問題は沖縄の問題ではなく、日本人一人ひとりの問題であると自覚しなければなりません。沖縄の未来と沖縄差別を続けないために。 琉球新報、「国連先住民会議と沖縄」 渡名喜 守太 より抜粋 琉球合併のプロセスは、そのすぐ後、韓国・満州の植民地化のモデルとなった。日本は最初に外交権を奪い、続いて内政権を奪って併合する、という手順をとった。併合後は、精神面の同化が強制される。 現在、沖縄外部の者によってなされている沖縄人の権利侵害には、 日本国家による主権簒奪(琉球処分)・同化政策沖縄戦による民族的集団的損害旧日本軍による住民に対する加害行為戦後の米軍による基地被害問題、「日本復帰」後の日本政府による同化政策・軍事基地の押し付け・土地の収奪・金のばら撒きによる依存体質の促進と倫理的廃頽外部資本による経済的搾取移住者による様々な権利侵害 などが挙げられる。 権利宣言と沖縄戦具体的には、日本軍の住民に対する加害行為、例えば、住民殺害、強制集団死、日本軍飛行場問題、八重山の戦争マラリア、食糧強奪に対しては、「生命・身体の自由と安全」沖縄戦書き換え、教科書検定問題などに対しては「同化を強制されない権利」 米軍基地被害に関しては、「生命・身体の自由と安全」、「軍事活動の禁止」、「「強制移住の禁止」、「環境に対する権利」 外部資本の進出リゾート開発や公共工事、住宅開発による自然破壊、文化財破壊、地域社会・共同体の破壊は留まるところを知らない。住民が手放した土地は日本の大資本に集積されていくのである。軍用地料、文化、自然、言語、土地、人まで、全て沖縄のものは日本人による搾取の対象にされている。これらは、日本の現行法制度では違法行為ではない。しかし、違法行為でないということが問題なのである。沖縄人の固有の権利侵害が合法化されている。 沖縄人に、権利侵害されている意識が皆無なのは、自分が沖縄人であるということを自覚せず、他の日本人と同一民族と錯覚しているからである。行き着く先は、日本人と沖縄人の経済的・社会的格差、沖縄社会の上流を占める日本人と下層を占める沖縄人の階層分化、民族としての沖縄人の消滅だろう。 反戦平和という土俵基地問題の骨格は、自己(日本)の安全のために沖縄を犠牲にするという沖縄戦と同じ構造である。沖縄が本当に基地被害や本土の防波堤にされることを拒否したいならば、彼らヤマトの自己安全保障論や日米同盟維持論の主張のなかで正否を論じるだけでなく、沖縄の自己決定権の実現の観点から、沖縄への基地固定・集中への反対はなされるべきである。また、反戦平和という倫理的価値からなされるべきである。問題の核心は、日本による沖縄人の自己決定権の剥奪と、沖縄人による自己決定権の実現なのである。「日本復帰」後、沖縄は、民主主義(多数決)の名で犠牲にされてきた。これらは結局、沖縄人に自己決定権がなく、沖縄に対する決定権を日本が持つために起きたのである。
2010年06月05日
コメント(0)
少し、かなしい。政権担当者が辞任して、かなしい、と思ったのは初めてだ。 5月25日以後、眼前に、見える壁がまたしても立ち上がったため、どちらを向いたら遠くが見えるか、わからなくなっていた。もともと、そうだったのか。政権は、日本の国家主権がアメリカにないがしろにされていることを広く知らしめて、「目覚めよ、日本人!」とだけ、いいたかったのか。これからなのか。これから、日本人は属国的地位から立ち上がり、対米独立を勝ち取るうねりを見せるのか。これだけ、民意がねじ伏せ、吹っ飛ばされて、国民から見えないところで、「辺野古移転」を閣議決定されることが、不逞なことだと、いまの日本は、アメリカによってそういう地位に貶められていると、国民を目覚めさせるための、政治的事件だったのか。日本に自治を取り戻すために、これがどうしても必要だと?25日の座談会のことから、まず整理する。本土の人間の心の中の差別構造が撤去できなければ、基地はなくならない。 戦後を平和だったと総括するなら、その時点でその人は、戦後を学びなおさねばならない。戦後の歴史認識は、平和とは何か、ということと、密に関係する。 沖縄を常に視座に入れた平和論であること。沖縄は、憲法九条の裏面である。人口の99%を占める本土の人間が、基地撤去に動かなければ、沖縄の基地問題は微動だにしない。 受け渡される加害と被害の問題は、戦後の日本では、戦争と平和の関係になる。日本が平和だ、という幻想に酔うためには、基地を沖縄に押し付け封じ込める必要があった。日本から差別を受けた沖縄には、戦後、一度も、平和はなかった。誰かから受けた加害を、より弱い誰かに転嫁することで、支配のヒエラルキーをつくる。戦争を仕掛けるほうの中にも、実弾に供する被害者が必要だから、被害とは思えないよう、加害者に仕立てる。でも戦争に駆り出される彼らは実は被害者で、彼らは侵略される人びとを、より下位のものと見なして抑圧する。人を人と思わなければ、差別はできず、戦争できない。沖縄差別も、仮想敵国も、ゴーサインには差別が共通する。 差異を認識する、差異を認める。自分と違う人を、尊重する。違う人どうしが、友達になる。それなのに、どこで違って、差別になってしまうのだろう。制度の問題なのだろうか。(一対一で、人を見れなくなったとき、何かのフレームで、何に所属するかで、人を判断したとき、差別がおこるのだろうか。この人は、何々大学出身です、この人の職業は何です、それだけでは、差別につながらない。)違うものに対する恐怖?体制内に取り込めない事に対する恐怖?排除。それなら、本来、我々庶民には必要ない概念で、法律を制定したりする支配層だけが関心を示すフレームだ。法律は、本来雑多で交じり合って生きている人々を、制度的に仕分けする。それぞれのカテゴリーに、利益を与えたり、与えなかったりして、反目するようにしむける。格差が固定して、差別が生まれたり、政策的に差別を教育されたりする。我々が取り込んで、彼らの体制維持を担う。強者にまじって(自分の弱さから目をそむけ)、安心したいから?遅れた人々、を救済する、と称して始められる侵略。 金城さんの、「礫」インタビューは、幾らかわたしには、衝撃的だった。これについて、記したいが、どういう形がいいのか。いつものように、写し書きがいいか、抜粋するか、要約するか。借りたDVDも4時間分ほど観た。
2010年06月05日
コメント(0)
ああ、日本は、独立国ではなかったのだ、と如実に分かる一ヶ月だった。主権(しゅけん)国家は,他国に支配(しはい)されたり干渉(かんしょう)されたりしない権利(けんり)(内政不干渉(ないせいふかんしょう)の原則(げんそく)),他の主権(しゅけん)をもつ国と対等である権利(けんり)(主権(しゅけん)平等の原則(げんそく))をもっている。 http://kariyatetsu.com/nikki/1240.php http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51409504.htmlなのに、平野サンは徳之島のあの人この人に的を絞ってはたらきかける。普天間の一部を徳之島に、という自分のシナリオに反するグワム・北マリアナからの「雑音」はカットして。これでは、沖縄の基地問題を解決するのが目的ではなく、鳩山首相にさえ「黙っててください」と言って、権力を握った気になって我を通そうとしているだけだ、と映ってしまいます。沖縄の人びとのために、すべての市民のために働いているとは、とうてい見えません。ふしぎな人です。ひとつだけ、合理的なことがあります。社会のほんのひとつまみの人びとを抱き込み、利益を供与してそのほかの人びとと対立させるのは、植民地での分断統治の常道で、植民地支配においては、それは合理的なことなのです。平野サンは、まさにそれをやっています。つまり、平野サンのふるまいは、中央目線で徳之島を植民地視していることの表れです。これまで、官僚や自民党の政治家が沖縄や六ヶ所を見ていたまなざしと、なんら変わりません。ご自分の行為が、徳之島という、ただでさえ政治に熱い共同体にどれほど深い傷を残すか、平野サンは考えたことがあるのでしょうか。不幸です。徳之島の人びとも、沖縄の人びとも、私も不幸です。徳之島や沖縄に住んではいない私は、それらの地域の人びとを差別的に扱って私の安泰を保護してくれるよう、政府に頼んだ憶えはありません。自分さえよければ差別主義者でけっこうです、と言った憶えはありません。
2010年06月05日
コメント(0)
未だに、信じられない。約束というものが、こんなに簡単に違えられるなら、曲がりなりにも、民主国家を外見上でも繕う国(アメリカと日本)が、政府機関が、沖縄の繰り返し決議される意思表示をなかったものとし、無視し、踏み付けにするなんて、期待はしてない、といっても、ゼロではなかった。何かの形で反映するのではないか、と思わせた。ところが、出てきたものは、なんだ。これは、なんだ。鳩山政権は、アメリカにゴーカンされて、言うことを聞く子どものようだ。政府に言うことを聞かせるには、何が必要だったのか。疑いようなく、政権はアメリカに服従したのだ。それが、よく見えた。従属とは、どういうことか、よく分かった。この屈辱感が、そうなのだ。あれだけ、沖縄が"運動"しても、無視された、誰に?または、アメリカの言うなりになった。なんでか。何か、弱みがあるのか。または、押し切られた。何が、足りなかったのか。国会に押し寄せる、百万の群集。鳩山の車を止めさせる、道路に溢れ埋め尽くすデモの群れ。合意なるものを、させない、アメリカからの特使の会場入り阻止。数という暴力の行使。ーそうなのか。それとも、「我々は、鳩山を支援する。アメリカはごり押しを止めろ!」といって、国会を10万人が取り囲めばよかったのか。政治の暴力に抵抗するのは、数の決起が必要だ。人口1%にしか過ぎない沖縄人と違って、我々には、それができるはずなのに。なぜ、そうならない。あまつさえ、安保は必要などと思ってしまうのか。基地はいらない、どこにも。と、日本人が決起する日は、作り出せるんだろうか。それぞれの自治体は、基地誘致に反対した。それを、つなげて、軍事同盟はいらない、軍隊は持たない、となぜ、ならないのだろう。なぜ、沖縄ならいい、沖縄に負担をお願いする、となるのだろう。言い換えれば、米軍は必要だ、といっているのと同じなのだが、日本人が、今回も、そう願って「沖縄に負担をお願いする」お願いをしているのか。そうなのか?わたしは、お願いしたことはないが。この、より根本的な、しかし、今回の流れの先に見える必然的な政治的問いを、なぜ、国民に問わないのか。 中央の政治の動きは国家間の力で決まるのかもしれないが、ー辺野古をみよ、2000日以上座り続け、基地を作らせなかった。国家権力が取り決めたことも、地域の自治、自決の前には、実現不可能だった。60年安保のような、ブームではなく、もっと、深く自らの体験に根ざした、歴史認識に裏打ちされた、行動が、簡単には挫折しない、胡散霧消してしまわない何かが、現実を揺るがすのだ。彼らはこう語っている、幼子を教え導くように話しかけなさい、と。沖縄戦を経た彼らの、地域での、非暴力の抵抗が、勝った、いまのところ。 沖縄は闘った、充分。今も。ヤマトよ、次は、自分のことだ。ましてや、安保は、「日本」国体護持を願ったヤマト支配層が、アメリカと結んだ条約だ。(沖縄はその国体護持のために、差し出された供物だった。)我々の父を、祖父らを戦場に駆り出し、アジアの民衆2000万を殺させた、その直系のヤツラが取り決めた。そんなもの、いらない、これを壊す、これは我々の責任だ、となぜ言わない?これが、我々の世代の、戦争責任の取り方だ、わたしはそうおもう。 誰も、戦争を止められなかった、そうだろうか。命を賭して止めようとした人々もいた。弾圧されて、壊滅させられたけど。抵抗の歴史は、ちゃんとあった。いつからだって、止めよう、といえる。今日からだって。わたしは、同意しないと言う。今なら、治安維持法下のような弾圧を受けずに言える。声を挙げる、限りなくゼロに近い歩みでも、一歩理想に近づく。こんなことはおかしい、と芯から思えば、説明できなくったっていい。沖縄が目の前にないから、他人事なら、いつ、自分ごとになるのだ。目の前に爆弾が落ちてきたときか?隣の人が、死んでからか。被害者にならないと、だめなのか。戦場が遠い、でも、加害者にされることは、自分へのダメージではないのか。 基地被害。基地からの被害。基地からの加害、侵略。外に向かう攻撃。 内で分断され、差別されるものと差別する側、抑圧される側とする側。そういう構造を、支配層は必要とするのだ。少数民族差別は、大多数の群集に、そっぽを向かれず、負担を見えなくし、隠蔽し、大多数の支持を得ておくために、必要なのだ。彼らは、常に、犠牲を必要としている。自分達の利益の矛盾を、誰かーそれは、大多数の人民からは、見えない人々でなければならないーに押し付けねば、収支が合わないようにできているから。自分達の姿を知りたければ、沖縄を見ればよい。沖縄という鏡に映った自分の醜い姿に驚愕するだろう。そういうふうにして、得た利益は、本当に、我々の、利益なのか。沖縄の基地は、戦争の足場だ。戦争は、我々の利益なのか。軍隊を置くことは、我々の利益なのか。軍事費を、軍需産業に、自衛隊に、アメリカの軍産共同体に、思いやり予算に、使うことは、我々の利益なのか?彼らは、何から何を守っているのか。沖縄戦は、如実に示したじゃないか。軍隊は、住民を守らない。では、何を?現行権力を。大多数の住民の利益にならない政治をしている権力。権力の主たる資本を。戦争に行って餓死したり、人殺しをさせられたり、逃げ惑ったり、人生を狂わせられるのは、彼らじゃなく、我々なのに、なんで、戦争を、「抑止力」などという虚構を、支持する。 やはり、そうであった、というのと、もともと政治など、期待していない、のと、政治に期待して待つのではなく、市民の運動として政府を動かすまでにならなければダメだ、というのが入り混じって。でも、どこかで期待してた。 沖縄の人は、こんなことで、うなだれたりしない。自決権を求めて、立ち上がろうとしている。
2010年06月05日
コメント(0)
8.15集会に向けての座談会・第2弾 だ! 5月23日 今日!近鉄若江岩田駅北 きらり6F イコーラム開会 2:00~DVD上映会(内容は、おたのしみだよ~ん)囲む会 3:00~
2010年05月23日
コメント(0)
このままでは、第三次世界大戦になる。市場の奪い合いグローバル化して資本主義の矛盾を引き伸ばし、引き伸ばし、して今は、中国、ブラジルに、安い労働力目当てで、日米欧の資本が、それも金融資本が、資本投下おこなっている。あるところまでは資本家同士が協調しあって市場を形成するが、協調では立ち行かなくなったとき、市場の占有をめぐって、戦争が起こる。資本は拡大再生産の運動を止めるわけに行かず、資本主義は、戦争に行き着く。資本家支配層は、民衆を敵だと認識して、怖れている。民衆が、100万単位で立ち上がって自分達を打倒することを、極度に恐れている。日本帝国主義は、第二次世界大戦でメチャクチャやって、原爆落とされて、戦後は、民衆が立ち上がって、戦争直後は、革命期だった。その後も、余韻は続き、これに対し恐怖と危機感を抱いた資本家階級は、徹底的に、民衆を立ち上がれないようにした。教育では、沖縄戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争を教えない。戦後史を教えない。それに対し、教師側も、それらの教育を勝ち取るための闘いをできなかった。公務員の給与をあげて、闘えば、生活を失う、というようにもって行った。在日韓国朝鮮人を対象として、政治活動を行なえば、強制送還、という入管法を作った。在日、沖縄、部落、を見えないようにした。現在、日本の民衆は遅れている。沖縄が10万人で立ち上がっても、ヤマトでは、数百、数千がやっと。 まず、沖縄の声、在日の声、を聞き、知らねばならない。 自分が、いかに彼らを踏みつけにして、その上に生きているか、を知った上で、自分を変え、彼らと共に、現状を有らしめている権力から、自分達の歴史、教育、認識、思想を闘い取ること。 彼らの置かれている、惨状は、8.15から始まっている。8.15を彼らの目で観返すこと。国民運動であった60年安保ですら、雰囲気、で終わっている。天皇陛下バンザイ!だった日本人が、民主主義バンザイ!に変わった。血の犠牲を払ってでも勝ち取ってきたものがあったか?憲法?では、権力をそれによって、封じ込め、縛ることができてきたか?逆に、権力が作った法律によって、民衆が封じ込められてきたのではないか?(権力がそういう法律をいくつもいくつも作ってくる、というのは、彼らの危機感の現われである。我々には、そういう危機感すら、ないのではないか。)今、戦争に向かって、自ら加害の立場に突き進んでいるこの日本の現状、これを変えるには、闘ってきた在日、沖縄、部落、彼らをもっと知らなければならない。彼らの闘い。朝鮮戦争は、その後の日本の社会のあり方を決める重大な事象だが、日本学校で教えたか?何も教えていない。朝鮮学校では、教えた。彼らは、日清日露に始まる、日本の資本の帝国主義を、我々よりよく知っている。例えば、「朝鮮特需で日本経済が立ち直った」というフレーズ。だから「戦争は必要だ」になっていないか、日本の一般大衆では。イラク戦争、湾岸戦争に日本が参戦しているのは、石油利権の確保のためだが、そういう論理を超えられないー世界では、1000万規模の反対運動、デモ、集会が起こったが、日本では、せいぜい数千レベルーこの差。 沖縄にしても、「沖縄の痛み、おっしゃることをよく分かりました。でも、安保は必要です。」という座席から立ち上がらない日本人。 日本の人口の圧倒的多数、99%を占める、日本人が立ち上がらなければ、日本は変えられないことを、自覚するなら、「運動」は、必要だ。 在特会や、右翼街宣は、今までは金をもらってする、うっぷん晴らしだったが、今は、自分から会費を払って参加する者が現われている。この動きを、軽視してはならない。危険である。左派も、運動体による費用丸抱えで参加していたが、思想を自らが得るためには、自ら考え行動する人になるには、自腹を切って参加すべきだ。自腹を切って参加したい、そういう運動を作り出したい。 そんな話をしました。
2010年05月19日
コメント(0)
数日前に引用した、「ジブチに海上自衛隊基地」。NATOに日本を組み込む、という枠組み。名古屋自衛隊派兵違憲勝利はなんだったのか。ジブチに日本が結ばせた、不平等条約、というか、地位協定。被害者であるだけでなく、(それは、ちがうだろ?沖縄の人のように被害を自分のことと感じているか?)、今度は、加害者。沖縄の人に、長年押し付け、味わわせて来た被害を、今度は、日本軍が、直接、わたしたちが、ジブチの人に味わわせる。九条を護る、って、いまのこの状態、憲法があってもなくても同じの、傍若無人、政府。もうすぐ、5月18日だったか、始まる、改憲手続法。自衛隊自身の肥大化、日米安保さえなくなれば、日本の軍国化に歯止めが掛かる、と思うのは、甘いのか。いや、ないほうがいいに決まっている。五月4日のハト訪沖後も、鳴り止まぬ抵抗の声、いや、しおれたりせず、粘り強く、いっそう高く響く沖縄の声。もうなんだか、容量オーバーです。いや、憲法は、「政府に守らせる」もので、そのためには、「不断の努力」がいる、と、すでに、書いてある。「守らせるため、不断の努力せよ。」と。今の事態、お見通しだ。守らないやつには、守らんかったんか~、で終わらず、まもらせるための鉄槌をくらわせる。連休が、緊急手術や、レーザー治療で埋まっていたから、沖縄や基地のこと、整理できてないのかな。中之島祭、って言うのにも、ちょこっとだけ、顔を出しました。「辺野古に基地を絶対作らせない大阪行動」は、3日で600筆以上、署名を集めました。10万人の人出があったそうだから、これくらいは、多いほうじゃない、そうです。5.23の学習会に、金城馨さんは、来てくれるかな。日曜日、ナンバアクションに旗ざおやら、固定台やら、担いで(キャリヤーでしょ!)動いたので、そっちで疲れちゃった。沖縄基地闘争は、「世界一危険な普天間基地、即時閉鎖。沖縄での米軍基地たらいまわしを、させない!」を、一致点にして、闘う予定です。そうです、辺野古沖案をごり押ししようとする自公政府より、今の方が、まし、と。一番つらい目に遭ってきた沖縄の人たちが言っています。だから、あきらめずに、運動を作り出そう、と。もう一度、沖縄の人の、生の声を聞いて、その声に、応えなければ。
2010年05月12日
コメント(0)
【転載歓迎】 署名のお願い 「米海兵隊は撤収を」 http://henoko.ti-da.net/e2858978.html今日も辺野古では静かに座り込みが続いています・・・第一次集約を5月20日に行います。どうぞ多くの方に広め、署名へのご参加お願いいたします。(辺野古浜通信)一般署名http://form1.fc2.com/form/?id=501657米海兵隊は撤収を --【普天間基地問題についての第二の声明】-- 賛同署名 5月5日現在2416筆下記声明に賛同される方は最下段に署名をお願いします。なお、この賛同署名は総数公表とし、個々のお名前は公開しないものと致します。------(開始:2010年4/23日、 第一次集約:5月20日 )--------------- 米海兵隊普天間飛行場は、住宅密集地の中にある世界でもっとも危険な基地として、すみやかな閉鎖、撤去が求められてきた。旧自民党政権は、普天間の移設先として、北部名護市の辺野古(キャンプ・シュワブ沿岸部)に代替基地を建設することを米国との間で「合意」したが、それは、沖縄の中に新たな巨大基地を建設することに他ならず、沖縄県民はあらゆる機会にそれに反対する意思を表明してきた。 2009年秋の政権交代と、民主党の「国外、最低でも県外(移設)」という選挙での訴えが、沖縄県民に希望を与え、状況を大きく変えた。2010年1月の名護市長選挙では、辺野古への移設に反対する稲嶺進候補が勝利した。2月には、これまで移設を容認してきた自民党、公明党を含め、沖縄県議会が全会一致で「普天間基地の県外移設」を求める意見書を採択した。また県内41市町村長全員が県外・国外を主張している。保守が擁立した仲井真弘多県知事も「県内(移設)は厳しい」と語り始めた。沖縄は、いまや"オール沖縄"で「県内移設」反対を明確にしたのである。 しかし、2010年5月まで「決断」を先送りした鳩山政権は、県外移設の可能性を真剣に追求することなく、キャンプ・シュワブ陸上案や勝連半島沖埋め立て案など、「県内」を軸に決着することを図り、動き始めている。 私たちはこの政権の動きを深く憂慮し、以下のように声明する。(呼びかけ人のうち18人は、2010年1月に発表した本土の学者・知識人声明の呼びかけ人である。沖縄でもすでに学者・知識人による海兵隊撤収要求の共同声明が出されており、その意味でこれは合同での第二の声明ということになる)(1) 私たちは、辺野古陸上案(キャンプ・シュワブ内)、勝連半島沖案はもちろん、すべての沖縄県内移設に反対する。これ以上沖縄に過重な負担をかけてはならない。沖縄の意思を無視してはならない。沖縄の環境を破壊してはならない。(2) 民主党は、衆議院選挙で「国外、最低でも県外」を訴えた。また名護市長選では、辺野古移設反対を主張する稲嶺進候補を推薦し、勝利させた。鳩山政権が、県内移設で決着させるならば、それは明確な公約違反であり、国民・県民への裏切りといわなければならない。鳩山政権は、仮に現在の日米安保体制を前提にするとしても、まず県外移設の可能性を徹底して追求すべきである。(3) 県外でも県内でも移設を受け入れる地域がなかった場合、現在の普天間飛行場をそのまま継続使用するという案が出ているが、それは許されない。周辺住民の生命と暮らしを脅かしているこの危険な基地は、すみやかに閉鎖されなければならない。(4) 県外移設を追求した結果、どの地域も受け入れないということならば、日本国民には海兵隊の基地を受け入れる意思がないということを意味する。必然的に米海兵隊は日本から全面的に撤収する以外にない。日本国民には、米海兵隊の存在なしに、東アジア地域の平和と安定を構築する積極的な役割を果たす意思があるということである。米国は、日本国民の意思を尊重しなければならない。(5) そもそも政権が奔走し、メディアが関心を集中させたのは、「基地用地」探しばかりであった。いま考えるべきことは、本当にそのようなことなのだろうか。むしろ冷戦時代の思考法である「抑止力」とか「敵」とか「同盟」といった発想そのものを疑い、その呪縛から逃れることが必要なのではないか。国際社会に「共通の安全保障」や「人間の安全保障」といった考え方が現れ、冷戦の敵対構造を解体していく大きな力になった。私たちは、米軍基地の代替地をタライ回しのように探すのでなく、米軍基地を沖縄・本土に存在させ、米軍に勝手気ままに使用させている構造こそを問わなければならない。日米安保条約は、冷戦時代の遺物であり、いまこそ、日米地位協定、ガイドライン(日米防衛協力の指針)などを含めて、日米安保体制を根幹から見直していく最大のチャンスである。その作業を開始することを、日本政府、そして日本国民に訴える。
2010年05月06日
コメント(0)
排外主義ー戦後の民主主義が生んだのではないか。日本人自身、排他的だったから、在特会のような排外主義の集団ができるのではないか。 8.15で戦争が終わったというが、そうか?8.15よりあとも、沖縄では、戦争は続いていた。6.13で日本軍の組織的戦闘は終わるが、それは、戦争をやめよ、という指令を出す責任者が居なくなったことを意味した。9月まで、日本本土の防波堤になって、抵抗を続けたため、沖縄戦の引き伸ばしによる、沖縄人の戦争被害は増大した。 50年代まで、沖縄の支配形態は、アメリカ国防省と国務省の力関係によって、決まった。 アメリカ支配を安定させるために、支配から利益を受ける、アメリカの言うことをきく一握りの層を、植民地内に、アメリカは形成する。それが、民族資本である。これと、一般民衆を対立させ、分断する。基地建設によって、鹿島など本土の資本が受注し、鹿島の下請けとして、こくば、などが民族資本として形成された。屋良朝苗=台湾の皇民化教育を指導した人 が、戦後の沖縄の親日派であり、復帰を訴えて68年から復帰後も76年まで行政主席などの要職にあった。皇民化、同化政策で、戦前の支配を行なった人が、排除されず、戦後の行政の中核に居続けた。復帰運動は、日本を同胞だと思った、自治労・教師などが中心になって闘われた。戦前の指導層、支配層がそのまま、戦後も居座った、というのは、本土と同様の構図である。 では、沖縄人としての主体性は? これでは、復帰運動とは、「支配者を換えてください。」 アメリカにとっては、日本が直接の支配をして、アメリカは間接支配=アメリカは日本を支配、するほうがやりやすい。 アメリカは、ベトナム戦争で力を削がれている。68年に世界で起こった独立運動が沖縄でも起こって、沖縄が、アメリカから独立してしまったら、基地が持てなくなる!復帰運動に、独立運動が吸収されるほうが、アメリカには有利。復帰運動とは、要は、植民地の復帰運動だった。それに気づいて、69年復帰阻止を、荒川あきら らが行なった。 復帰の前に、1、日本がなぜ、沖縄をアメリカに直接支配させたのか、質す。2、その前の、日本の沖縄に対する、直接の暴力への謝罪もさせる。 が必要ではないのか。人類館事件が意味したこと沖縄人には、自らが、植民地化された民族、という概念がない。遅れた、未開の民族が植民地化された、と沖縄人が思っているので、沖縄は、植民地化された、と思いたくない。"一等国民"としての日本人に復帰しよう、というエネルギーが噴出する。この時期を生きた人に、いさ川さん。定職に就かず、復帰運動と労働運動に一身をささげた。 野村浩也:無意識の植民地化 広島修道大学 平和と戦争は、明確に区切れるものなのか。平和は守られるべきものなのか。平和を守る運動、という。戦争さえ、いつも、「平和を守るため」、といって行なわれた。平和を守る、つもりだったのは、戦前もそうだったのではないか。平和を望んで、八紘一宇などという標語が掲げられた。そして、平和の扉を開けるつもりで戦争に行き着いた。戦前の戦争に、無念の思いを抱いた人々は、多かったのではないか。まともな精神では、8・15で途切れる、ということはないはず。戦前の無念を、晴らさねばないのではないか。なぜ、平和を望んで、戦争に至ったのか、を解明することで。 この数年で、九条の会がたくさんできた。平和を護る。憲法九条を護る。その、平和運動が、実は、戦争への精神的足がかりになっていないか。精神的には、平和を護るためなら、武器を取って戦う、となりうるのではないか。戦争は、「平和を守る」ものだから、といわれれば、そのための戦争は、もうすぐ。 こうなるのは、平和は、護るもの、という思考停止があるのではないか。 戦争できる精神を作り上げ、それができたら、実際に武器を持って立つのは簡単。平和運動、護る平和の会が、いっぱいできるということは、それだけ、戦争が人々のなかに準備されているのではないか。 思考停止は、ファシズムにつながる。我々の中に、戦争=暴力、と平和は両方、あるのだから。平和を鍛える、などが、より良いのではないか。レイシズム(民族差別)がないと、戦争できない。相手を人間ではない、と思わないと、殺せない。 差別があるところに、戦争が生まれる。 なぜ、連帯しようと言うヤマトに、沖縄が、じゃ、今まで連帯できていなかったことから始めよう、沖縄に基地負担を押し付けることを、やめてほしい、基地を本土に持って帰って欲しい、沖縄差別をやめて、謝罪して欲しい、と望むと、その者は、ヤマトから排除されるのか。平和運動でさえ、排他的でなかったか。 4、28 下島氏の講演 「世界」連載中 平和を鍛える 戦争と平和 文明開化を提唱した明治にできた制度、天皇制は、日本の歴史、民族を冒涜していないか。天皇制こそ、自虐的ではないか。 アメリカは、当初、天皇を戦犯として、処刑する予定だったが、やめた。処刑は、天皇の犯罪性を誰の目にも明らかにし、そのことに目覚めた日本人が一気に、戦前体制を打ち破ろうとするだろう。革命情勢を前に、アメリカは、戦犯天皇を処刑するのを、日本革命が起こることを防止するために、取りやめた。結果、戦争犯罪はうやむやにされた。 沖縄が目覚めなければならないのと同じに、日本人も目を覚まさなければならない。 異論もあると思います。-特に、九条の会、について。でも、こういう見方、感じ方、もあるんだ、ということは、驚きでした。長く、九条にまもられ、その矛盾を押し付けた沖縄を、沖縄の犠牲を見ないできたヤマトを、外ー沖縄ーから、みたのなら、また、今後もそうあり続けるならば、確かにそうです。変わらなければならない。九条の会、というならば、沖縄に基地を押し付けては、いけない。これ以上、沖縄を差別した上で、その事に触れずに、九条を語ることは許されない。どこにも基地を置けない、ならば、本気でアメリカと、安保と、ぶつからなければならない。
2010年05月05日
コメント(0)
09年 「遺伝子の記憶 -琉球、沖縄、OKINAWA」 ~出会いから出会い直しへ~伊佐眞一 現在、日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中している。64年前、沖縄は日本が始めた侵略戦争の敗戦後の「日本の独立」と引き換えに、アメリカに捧げられ、米軍の支配下におかれた。そのため、沖縄は、日本が望んだ形(天皇のメッセージ)でアメリカの植民地となり、OKINAWAと呼ばれる軍事基地の島となった。 第二次世界大戦後、ヨーロッパや日本の植民地にされた国々で植民地解放や抵抗運動がおこり、独立する。当時、沖縄では支配者として君臨するアメリカの存在は誰の目にも明らかであった。当然、反米・反基地闘争が起こり、次第に激しくなっていく。そのとき沖縄から日本はどう見えたのだろう。遺伝子のイタズラか、「あわてん坊の、春が来た お祭り提灯ぶらさげて・・煤けた窓から 覗くものは テルテル坊主か 風鈴か・・」、いつの間にか日本復帰運動の滝へと流れていった。 その結果、1972年沖縄は、念願の祖国?日本に復帰した。しかし、米軍基地はなくならなかった。それどころか減りもしなかった。沖縄人は滝底にたたきつけられた。沖縄は「祖国」に生贄にされたに等しく、その口惜しさのあまり、時間の崖っぷちに立ったまま動けなくなった。それでも政治は新たに時間を刻んでゆく。あれから37年。今も米軍支配が続いている。このことは、一体、何を意味しているのか。今、沖縄自身が気づかなければならない。植民地からの解放ではない日本復帰運動は、そもそも米軍支配からの脱却にはならなかったということ。それだけではなく、日本がアメリカと並んで、(同盟を結び)沖縄を植民地支配しているということを。 日本は祖国ではない。沖縄の支配者である。それが現実である。思えば、祖国というべき沖縄は130年前(1879年)に琉球処分という名で軍事力によって明治国家に組み込まれた。400年前(1609年)、薩摩藩によって琉球王国は侵略された。そのことを私たちの沖縄遺伝子は覚えている。このことは日本人の遺伝子にも刻み込まれているはずである。(ママ) 政治は忘れてしまったかのようだ。いや、そうではない。政治とは権力を持った者達が、常に「正義」を語り、「不正義」を働き、「時間」を刻む。その「正義」すなわち「不正義」に民衆は苦しめられ、怯え、馴らされ、そして歴史の記憶から消されてゆく。しかし、それは政治によって消されただけなのであり、・・ 権力が作ったメガネは、自分には都合が悪いものは見えなくなるように作られているのである。ならば現実を直視できたとき、それぞれの出会い直しが始まったとき、暗く重い沈黙の時間の記憶の扉が動き、対等で平等な未来が切り開かれてゆくと信じたい。 09年 ~要石~C.ダグラス・ラミス 沖縄は「太平洋の要石」だといわれる。要石とは、崩れ落ちそうな左右の石積みの対立している重さをアーチを固定する力に変える石だ。沖縄を要とするアーチは、軍事的ではなく、政治的なものだ。米国の日本における基地体制は、いろいろな矛盾する勢力をつなぎ、成立している。沖縄はその対立している勢力をアーチにする要石だ。 ここでごく一般的な一人の日本国民、例えば、ヤマトタロウさんを考えよう。彼は現状維持派で、平和憲法も日米安保条約も支持している。では、その憲法と安保という矛盾が、なぜ一人の人間の中で共存できるのか。その答えが沖縄である。米軍基地の75%を(「遠い」)沖縄に置くことで、ヤマトさんは自分が平和主義者であると想像できるし、米軍に守られているとも想像できる。従ってヤマトさんが沖縄から最も聞きたくないのは、米軍基地の県外移転のことだ。それにはアーチを崩す力があるからだ。だからヤマトさんは反論する。「平和を愛する人は、基地移設の話をするべきではない。沖縄の基地は世界中の軍事基地同様、移設ではなく廃止にすべきだ。」 もっともである。しかしこれはこの文脈では、「全世界が平和になるまで、基地は沖縄に残る」との意味になる。このように、日本の平和主義の気持ちはアーチを固定する力に変えられる。またヤマトさんは言う。「本土に基地を置く場所はない。」 しかし、これも地理ではなく、政治的な意味である。「基地を置こうとすれば住民が反対する。」 なるほど、住民が反対している場所に基地は置けない。そうなら、沖縄こそが置けないところだ。 「だったら基地をどうするのか。」 しかし、それは沖縄が解決すべき問題ではない。それは彼自身の考え方の矛盾から生じているからだ。 ゲーツ米国務長官は来日して、オバマ政権は在日米軍基体制にチェンジを絶対許さない、それには辺野古が要だといった。 なるほど、要石にはまた要がある。しかし、辺野古野住民は既にそれを抜いた。これからどうなるかが、興味深い。
2010年05月03日
コメント(0)
8.15集会のための、プレ学習会を開く。5月23日。テーマは、「沖縄を知るためのミニ集会」。話して頂く方を紹介してもらうため、5月2日、沖縄文庫にお邪魔した。関西沖縄文庫、金城馨さん。目を開かれること、たくさん。「沖縄から見る」ことは、自分の姿を客観的に見ることである。 自分のとったメモは、どこか甘い、と感じる。うまく、話された言葉を、捉えきっていない、と。反芻していたら、頂いたビラに書かれた文言が、ほぼそのまま同じ趣旨である。以下、抜粋と引用。そのあと、私のメモを比較のため載せる。 04年 ドーカシチャッタ ワタシタチ? 沖縄人は日本人だと、誰が最初に叫びだしたのだろう復帰運動は沖縄人が日本人になるためのものだったのか30数年前、沖縄人は日の丸を力の限り振っていたその何十年前から振っていたのだろうか 1903年、博覧会で沖縄人が陳列されていた見世物にされた同胞を見た沖縄人は怒り叫んだ同じ陳列された他の民族とは違うのだ我々は日本人だ と 思いは沖縄戦へとつづきそして、日本人になりたくて なれなかった沖縄人がいた 戦後すぐ、沖縄人は日の丸を振る元気をなくしていた反基地、反米闘争に沖縄人は魂をぶつけて闘った 日の丸はなくてよかったそれでも日の丸を大事に抱え歩く 沖縄人がいたしかし、だらりぶらぶらさせているしかなかった 異民族支配からの脱却 突然、誰かが叫んだ日の丸はにわかに元気を取り戻し、ひとりでに頭上でなびくようになった力を取り戻した日の丸は反基地、反米闘争の先頭に踊り出て走りはじめた誰もそれをとめられないついていくしかなかったのか祖国日本あこがれの本土、日の丸の国へ復帰した沖縄ドーカシチャッタワタシタチが生まれた やがて復帰運動のエネルギーは文化運動ー沖縄ブームへと変化し、エイサー、うた三線は沖縄人が日本人に認めてもらいたいと願い日本人になるためのものとなったのかまるで政治運動では成し得なかったものを文化運動で果たそうと・・・日の丸からバチに持ち替えて 復帰から32年経った今、隠された国家主義(日本人化)は、沖縄の文化や自然を奪い取る沖縄に憬れ、癒しを求める日本人が現われてきたドーカ同化シチャッタワタシタチがどんどん生まれてくる・・・ 08年 軍命は続いている ~軍事的「捨て石」としての沖縄~野村浩也・・沖縄戦当時に発令された軍命、・・この場合の「軍命」とは、沖縄人が強制的に「捨て石」にされただけでなく、戦後27年間、日本国が独立するための「捨て石」として米国に差し出された。そして、その後も、引き続き、安保の「捨て石」にされたまま現在に至っている。つまり、植民地主義的に搾取され続けているのだ。よって、「軍命」は、決して過去のものではない。それゆえ、沖縄戦の死者の怒りは、沖縄人のなかに生きつづけているのである。・・そもそも日本軍にとっての沖縄戦とは、「本土防衛」のための「捨て石」作戦であった。「日本人のために喜んで捨て石になれ」と強制することによって、日本軍は、いたずらに沖縄人側の被害を拡大したのである。・・日本人が「本土決戦」を逃れることのできた大きな要因の一つこそ、沖縄戦の長期化に他ならないからである。つまり、日本人は、沖縄人を「捨て石」にして、4人に1人の沖縄人の命を犠牲にすることによって生き延びたといっても過言ではないのだ。そして、「集団自決」の強制や日本人による沖縄人虐殺も、このような「捨て石」作戦の一環として実行されたのだ。他者を捨て石にする行為は、差別に他ならない。「捨て石」作戦を実行した日本軍の行為は、沖縄人に対する差別なのだ。その意味で、沖縄戦によって、「本土決戦」をのがれた日本人もまた、沖縄人差別によって生き延びたといっても過言ではない。そして、このような組織的な沖縄人差別を具体化したものの一つが、日本軍沖縄守備隊参謀長が発した以下の命令なのである。「沖縄語で会話した者は、スパイとして処刑する。」この命令のなかの「沖縄語」を「大阪弁」や「日本語」に置き換えてみれば、その常軌を逸した差別性と犯罪性は明白であろう。・・同じく「集団自決」の強制も、沖縄人を「捨て石」にする組織的な差別に他ならない。即ち、「日本人のために喜んで死ね」「すすんで死を選べ」と強制したのだ。文科省が教科書検定で実行したように、この事実から日本軍の「強制」を削除すれば、日本軍そのものの差別性と犯罪性を隠蔽することが可能となり、結果的に「殉国美談」に仕立てることも容易になる。それは、犠牲者を再度「捨て石」にすることによって日本軍を美化する行為であり、今回の検定じたい、犠牲者をもう一度差別するものなのだ。そして、過去の日本軍を美化することは、「未来の日本軍」を正当化する。その意味で、今回の検定は、安保や自衛隊の増強および改憲の策動とも結びついている。日本軍による「集団自決」強制を教科書から削除した文科省の行為は、沖縄人を「捨て石」にする差別を隠蔽する政治であり、隠蔽によって「捨て石」化は繰り返すことになる。「捨て石」化という差別を隠蔽することは、同時に、その差別の実践主体を隠蔽することでもあるからだ。そして、沖縄人は75%もの在日米軍基地を押し付けられることによって、今も、「日本人のために捨て石になれ」と強制されている。では、この場合、「捨て石」化の実践主体とは、一体、誰なのか。言うまでもなく、一人ひとりの日本人に他ならない。日本人とは、安保の負担としての米軍基地を過剰なまでに押し付けることによって、沖縄人を「捨て石」にしている張本人なのだ。この事実を隠蔽して、「捨て石」化を繰り返すのではなく、過去の「捨て石」化から学ぶ事によって、「捨て石」化を必要としない社会へ変革していく事こそ、1人ひとりの日本人が果たすべき責任といえるだろう。その方法の一つは、米軍基地を沖縄から日本に持ち帰ることなのである。
2010年05月03日
コメント(0)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/nato-5500.htmlより、引用2010年5月 3日 (月)日本軍、アフリカの角で、アメリカとNATOに合流Stop NATO2010年4月25日Rick Rozoff日本海軍の北川敬三二等海佐は最近AFP通信と話し、ともあれ第二次大戦後、日本最初の海外軍事基地を、アフリカの角、ジブチに開設することを明らかにした。北川氏は海上自衛隊と呼ばれている日本海軍のPlans and Policy Section所属で、この配備の責任者だ。AFPは、前例のない配備の特徴を強調する日本将校の発言を引用している。"これは国外で唯一の日本基地で、アフリカでは最初のものとなります。" [1]軍事施設は、経費4000万ドルを要し、来年早々、日本軍兵士を収容する予定だ。ジブチは、紅海とアデン湾の合流点、動乱の起きているイエメンの対岸、同様に紛争に苦しんでいるソマリア北西部と国境を接する位置にある。この国をイエメンから隔てている狭い海域は、スエズ運河、紅海、アデン湾とアラビア海を経由する、地中海とインド洋間を航行するあらゆる海上交通の通路だ。数カ国の大国とあらゆる同盟軍、つまり、アメリカ、NATO、欧州連合、中国、ロシア、インド、イランその他によるアデン湾への海軍配備は、上記航路における民間艦船の自由通行を保証し、国連のソマリアへの世界食糧計画援助を保護することを狙ったものだ。特に、この二番目の懸念が、2008年に、この地域の軍用艦艇を所有する諸国に対し、身代金目当ての、船舶と乗組員のだ捕鎮圧を要請する、国連安全保障理事会決議1838成立をもたらした。対海賊任務だ。ところが、アフリカに軍事基地を設置することに関する彼の国の関心を説明する上で、上記の日本海軍将校は、より直截だ。北川はAFPに"我々は海賊と戦うためと、自衛の為に、こちらに展開している。日本は海洋国家であり、20,000隻の船が毎年航行するアデン湾での海賊の増加は気がかりである。"とも語っている。「自衛」という用語は偶発的なものではない。1947年の日本国憲法第9条は、明確にこう述べている。"日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。"そこで、第二次大戦後の時期、日本の軍隊は、日本国自衛隊(JSDF)と呼ばれてきた。憲法はまた明確に日本国外での軍事力の展開を禁じており、政府見解は"武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されないと考えている。"と述べている。それにもかかわらず、冷戦後の年月で、第二次世界大戦後元枢軸国による軍事力行使に関するあらゆる禁令が無視され、[2] 2004年2月、アメリカとイギリスのイラク侵略後間もなく、戦闘に従事しない役割とは言え、日本はイラクに600人の兵士を派兵した。日本の海軍、日本海上自衛隊は、アフガニスタンにおけるアメリカの、限りなき自由作戦を支援する為に、2001-2007、再度2008年1月から今年の始めまで、燃料と水を供給し、憲法のもう一つの基本的教義、文書で集団自衛と呼んでいるものへの参加禁止に違反している。これに関する(政府見解の)該当部分は下記のとおりだ。"わが国は、主権国家である以上、国際法上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条の下で許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている。"ところが2007年防衛白書は、"国際平和協力活動"なる条項で、更なる軍隊配備の可能性を残しておいた。 この融通無碍で曖昧な言い回しの精神で、日本は2008年にアフガニスタン戦争支援を再開し、今やアフリカ大陸に軍事基地を確保した。後者のプロジェクトを統轄する日本人当局者は、"キャンプは我々の要員と資材を収容するために建設される。現在、我々はアメリカ軍基地に配備されている。"とも語った。北川司令は"我々はイエメン、オマーン、ケニヤとジブチに軍隊チームを派遣した。2009年4月にジブチを選んだ。"と補足した。一年前、共同通信は、外務省当局者が、2009年4月3日"日本とジブチは、ソマリア沖における現行の対海賊任務期間に、アフリカの国に駐留する日本海上自衛隊と関連職員の行動条件と法的地位を規定する、日本軍駐留に関する地位取極に合意した"ことを確認したという発言に言及した [3]協定は、同日に東京で、日本の浜田靖一防衛大臣とジブチのマハムッド・アリ・ユスフ外務大臣によって調印された。日本がアデン湾に二隻の駆逐艦を配備する一ヶ月前だ。二ヶ月後、日本は、二隻の新鋭駆逐艦、4,550トンのはるさめと、3,500トンのあまぎりを、アフリカの角沖に配備した。また昨年7月 日本のマスコミは"アメリカが....日本に、本格的軍事活動を遂行するための自前の施設を建設するよう依頼し"当時ジブチに駐留していた"陸上自衛隊とMSDF[海上自衛隊]の隊員およそ150人は、空港近くのアメリカ軍の宿舎で暮らしている。"ことを明らかにした [4] 日本軍は海上自衛隊のP-3C哨戒機用滑走路と、兵舎を建設する計画を発表した。アフリカの角における、ロシア、中国、インドとイランの艦船は、自国と他国の船舶を保護し、彼らの任務は、対海賊作戦で、所定の期間に限定されるものと理解されているが、日本とアメリカとNATO同盟諸国は、アフリカ大陸における武力紛争に使用すべく、この地域に恒久的な陸、海・空軍基地を設置した。2001年始め、アメリカはジブチ政府と、旧フランスの外国人部隊の基地キャンプ・レモニェにアフリカ最初の主要な米軍事基地を設置する交渉を開始した。(つい最近まで、ペンタゴンはLemonierと表記していた。)これは、アデン湾の海賊との戦いがアメリカとNATOがこの地域に展開する口実となる数年前のことだった。ジブチは(1975年に、スペインのフランコ将軍による黙認のもと、モロッコに奪取された西部サハラを除き)1977年、フランスにより、その独立を認められたという、アフリカ大陸で最後に独立を達成した地域だ。人口は900,000人に満たない。フランスは依然、世界で同国最大の海外軍事基地をジブチに擁しており、およそ3,000人を駐留させている。2003年にペンタゴンがキャンプ・レモニエに転入、接収して以来、アメリカは同基地にアフリカの角共同統合機動部隊(CJTF-HOA)を設置し、アメリカ軍の全四部門、陸軍、空軍、海軍と海兵隊から、2,000人と推計されるの兵士を駐留させている。アフリカの角共同統合機動部隊の作戦地域は、ジブチ、エチオピア、エリトリア、ケニヤ、セーシェル、ソマリア、スーダン、ウガンダとイエメンを包含しており、次第にインド洋の島嶼国家コモロ、マダガスカルとモーリシャスも包含しつつある。以下、中略。ソマリア沖の日本駆逐艦と、第二次大戦後の年代における、日本最初のジブチ海外軍事基地は、北米とヨーロッパの東京の同盟者たちの地政学的計画と一致している。最も完全に具体化された計画は、北米の外に、四半世紀最初のアメリカ地域統合軍、アメリカ・アフリカ軍の創設だ。海賊、アルカイダの同盟者や他の脅威が、連中を正当化する役割を果たし終えたずっと後になって、ペンタゴンとNATOと日本は、アフリカに彼らの軍事拠点を保有するわけだ。関連記事:省略出典:省略記事原文のurl:rickrozoff.wordpress.com/2010/04/26/japanese-military-joins-u-s-and-nato-in-horn-of-africa/----------
2010年05月03日
コメント(0)
http://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/e277ded563a28548af98e8ee4b50cdde「イラクで航空自衛隊は何をしていたかー憲法9条第一項違反の実態」 『イラクで航空自衛隊は何をしていたか -憲法9条1項違反の実態-』 緊急出版---------------------- ■「イラク空輸」の大半は米軍を中心とする多国籍軍兵士の輸送 憲法記念日の前日5月2日は、航空自衛隊によるイラク空輸活動を憲法違反と判断し、平和的生存権の具体的権利性を認めた歴史的判決(08.4.17名古屋高裁)が確定して2周年をむかえます。この日にあわせて「イラク派兵差止訴訟」原告・弁護団有志チームがブックレットを刊行しました。 『イラクで航空自衛隊は何をしていたか-憲法9条1項違反の実態-』 (せせらぎ出版 定価600円 「名古屋高裁判決」全文収載) 概要・申込用紙(PDFファイル)http://dl.dropbox.com/u/2067020/kuuji/tirasi.pdf表紙画像(PDFファイル)http://dl.dropbox.com/u/2067020/kuuji/hyosi.jpg 昨秋、9月24日付で、航空自衛隊「イラク航空隊」の「週間空輸実績(報告)」が全面開示されました。5年ごしの情報公開請求をへてようやく実現した全面開示でしたが、これによって、2004年3月~08年12月まで、5年間にわたったイラクへの輸送活動の実態を知ることができるようになりました。 たとえば、5年間に輸送した人員は46,263人。うち米兵は23,637人、軍属を含む米軍人員は28,679人を占め、豪軍兵士やその他の多国籍軍兵士をあわせると30,117人となり、全体の65%を占めていたことがわかります。陸上自衛隊撤退後は、この割合が84%にものぼります。 名古屋高裁は、少なくとも戦闘員をバグダッドに輸送した活動について9条1項違反であるとの判断を示しました。これに該当する兵士輸送数はおよそ7,700人。バグダッドへの輸送を開始した陸上自衛隊撤退後の兵士輸送数の44%、すべての人員輸送数の3割を占めています。 ブックレットでは、そうした実態を、グラフや図表をふんだん使って解析していきます。 ■わたしたちの「責任」を問わずに歴史を前にすすめることはできない イラク戦争が国際法違反であることは、国際的コンセンサスです。その前線において、いかなる犯罪や非人道的行為、人権蹂躙がくりかえされたかについても、すでに多くのメディアや刊行物、ドキュメント映画やDVDが伝えるところです。 民間人にたいする無差別攻撃・殺戮をおこなったこと、首を絞め、頭を壁に叩きつけて住民を殺したこと、イラク人の死体を冒涜したこと、市民の出生証明書をことごとく廃棄したこと、国際的に使用が禁止されている爆弾や化学兵器、残虐兵器を使用したことなどについても、多くの帰還兵の証言によって明らかにされています。 わたしたちは、それらの違法・非人道的行為に、空自の輸送活動を通じて加担しました。その結果、イラク市民に甚大な被害と犠牲をもたらしました。その「事実」を知ることなく、「責任」を問うことなく、歴史を前にすすめることはできません。 開戦直後、この戦争をまっさきに支持した小泉元首相は、06年9月26日に退任するまで「決定は正しかった」という姿勢を翻しませんでした。首相の国際認識はどのようなものだったのか、閣僚や政府の法律専門家たちのあいだでどのような議論が交わされ、どのような経緯で自衛隊の海外派兵が決定されたのでしょう。 アメリカが「対テロ戦争」の主戦場をアフガニスタンへと移し、日本の支援のあり方が問われている今、そうした事実の解明と検証が急いで行われなければなりません。現政権にその責務を果たすことを強く求めていくためにも、まず、わたしたち自身が憲法違反の実態を知ることが大切だと思います。 朝鮮戦争当時、国鉄で砲弾弾薬を輸送し、掃海艇を北朝鮮上陸のため出して、一隻沈没、乗員は死亡させている。町工場も、爆弾を作った。兵士も出ているが、国連軍兵士として扱われず、「密航」、そして、「個人の犯罪」!、戦死しても何の保障もなかった。看護婦も日赤から出した。佐世保は、爆撃するジェット戦闘機の基地であったし、岩国は長距離爆撃機の集積地となった。沖縄では、基地のために土地が強制収用され、更に多くの基地に変えられた。日本全体が前線基地であった。これが参戦でなくてなんだ。 戦後平和憲法下で日本が参戦したのは、イラクが最初じゃない。
2010年05月03日
コメント(1)
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2010/04/post_ade6.htmlから、引用。 核抑止という言葉に飼いならされてしまった我々は、この言葉との共生を強いられているという状況の不条理さに対する感受能力を失ってしまっています。これは重大な状況です。核爆弾を、「ヒロシマ」、を絶対悪として直ちに退けるかわりに、核抑止という政治的イデオロギーのもとで、核爆弾と共に生きることを我々に強いてきた責任をレオ・シラードは背負わなければなりません。「ヒロシマ」と「アウシュヴィッツ」の区別を導き入れた責任と言ってもいいでしょう。略・・ 現在の具体的な世界状況に投射してハッキリ分かりやすく言えば、これは、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に"ヒロシマ"の苦しみを与えてやる」という脅しをかけることに等しいのです。オバマ政権のこの核戦略見直しは、圧倒的な核兵器の脅威を振りかざしてイランを脅そうという、実に恐るべきものなのです。そして、これが核抑止というイデオロギーの直裁な表現の一つであることをはっきり認識しなければなりません。しかし、アドルノの有名な言葉を「頂門の一針」と認識する知識人たちは(前回のブログ参照)、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に"アウシュヴィッツ"の苦しみを与えてやる」と誰かが言い換えたとすると、この発言を、ナチ・ホロコーストの記憶にたいする、決して許すことの出来ない冒涜と考えることでしょう。この非可換性は何処から来ているのでしょうか?一つの「皆殺しの思想」の記憶は、人間が詩を書くことすら難詰するまでの力を持ち続けるのに、もう一つの「皆殺しの思想」は核抑止論という形で、グローバルな外交政策として容認されて今日に至っているということです。第二次世界大戦における戦略爆撃作戦-これこそがこの大戦の全面的特徴であった-の歴史的結果としてもたらされた良心の痛みの喪失オッペンハイマーが「良心の痛みの喪失」という、彼らしい、穏やかな言葉で嘆いている人間精神の荒廃あるいは欠陥の象徴として、核兵器だけでなく、第二次世界大戦における戦略爆撃作戦一般が挙げられていることに注目しましょう。
2010年05月03日
コメント(0)
わが故郷の川 鯉が遡上する。ゆっくりと、川底のあぶくを呼吸しながら。満ち潮に押されて、ときに横腹をみせて。橋の上、母と子の自転車が止まる。 小さいとき、わたしはこの川を棺おけだと思っていた。両肩を切り立ったコンクリで固められ、足をかける凹みすらない垂直の壁で区切られ、はるか下、黒々と見上げる。捨てられたもの全てを浮かべ、水はどんなだったか忘れた黒い流れ。不服の泡をぶつぶつと、どれだけあるか分からないほどのヘドロの底から、人間界に送り出す。 自分が落ちる姿、手を伸ばしても途方なく消し去る真っ黒な水面。足は?足は着くだろうか。橋を行き、戻りするたび、吸い込まれる。のぞいてはいけない、のぞいてはいけない。あれは、川の魔物だから。 昔、この運河は、木肌をささくれ立てた丸太を幾重も浮かべ、どうだ!と周囲を誇らしげに見回した。今も残る材木屋さんの、玄関先に積み上げられた木の匂い。わたしの記憶のなか、屋根より高い板は、幾重も並び立って空を指した。 それから、何十年、運河は役割を奪われ、沈黙した。 長いこと、お荷物と扱われた川が、いま、鯉を乗せ、5月のゴールデンウイークには、ごいを群れして挙がらせ、しんと冷えた一月は、月光の輪を、渡り鳥にくぐらせる。
2010年05月03日
コメント(0)
第二次世界大戦以降、グアムにおける米軍基地の存在は、チャモロ人の言語と文化の存続、自分たちの政府を確立する権利、祖先から受け継いできた土地を所有する権利に破滅的な影響を及ぼしてきました。米軍が私たちの島の約30%を占領しているにも関わらず、私たちはその軍隊の最高司令官たるアメリカ大統領や、そのほかのリーダーの選挙に参加する権利さえ持ってはおらず、私たちの生存のための基本的人権は、この米軍基地の存在によって脅かされてきたのです。グアムにおける米軍の存在は、核廃棄物やそのほかの発癌性廃棄物による私たちの土地と周囲の海の汚染をもたらし、その結果チャモロの人々の間で癌の発生と癌による死亡の数が増えています。また、米軍基地への依存を強制されているために、他の経済的な選択肢がほとんど残されておらず、その結果チャモロの人々の息子や娘たちは生まれ育った土地を離れることを余儀なくされます。チャモロの若い人たちには、まともな収入を得られる仕事が足りないため、若い人々の一部は米軍に志願します。軍に入れば明るい将来があると勧誘されるからです。しかし、第二次大戦以降にアメリカが闘ったすべての戦争、つまりベトナム戦争でも、湾岸戦争でも、現在の「テロとの戦争」でも、チャモロの人たちの戦死者の数は、人口比ではチャモロ以外の人々を上回っています。では、チャモロの人たちは、自分の息子や娘を戦争で失ったときに、何を得たのでしょうか? 私たちが二十数年をかけて育て、将来への希望を託してきた命を失ったときに、何を得たのでしょうか? わずかなお金と、アメリカの国旗と、戦没者墓地の1つの区画だけです。失われた命はどうなるのでしょうか? どうすれば取り戻せるのでしょうか?私たちはどうすれば失われた生活を取り戻せるのでしょうか? 生まれ育った土地から出ていくしかなかったチャモロの人々が帰ってくるために、そしてこの人たちが帰って来られるための基盤となる土地を取り戻すためには、どうすればよいのでしょうか? この島の米軍の存在が拡大するなら、人々が帰ってくることも、土地を取り戻すこともできなくなります。グアムは自治権のない領土、あるいはアメリカの植民地ですから、私たちには何の権限もありません。現在の米軍基地拡張計画、これには日本の国会で60億ドルの支出が承認されていますが、私たちはこの拡張計画を止めるいかなる法律上の手段もないのです。ここで、あなたがたの税金が何のために使われるかについてお話ししておきましょう。この軍事基地拡張計画の重大さを、よりわかりやすく説明するためです。アメリカはすでにグアム島の約3分の1を占領していますが、さらに2014年までに沖縄からグアムに17000人の海兵隊とその家族を移転させることを計画しています。さらに、この計画のほかに、アメリカ海軍はその関連施設、兵站能力、上陸施設の拡張を開始しています。海軍基地への核兵器搭載空母や戦闘用資材輸送艦、潜水艦、水上戦闘艦、高速輸送船の寄港を支援するためです。アメリカ空軍は、アンダーソン空軍基地における全地球規模の情報収集、監視、偵察のハブとしての機能を強化するために、戦闘機、爆撃機、空中給油機、無人偵察機などあらゆる種類の航空機を配備することを計画しています。陸軍は、グアムに弾道ミサイル防御タスクフォースを配備することを計画しています。グアムでは、今後5年間に、19000人の兵士と20000人の家族、20000人の外国人契約労働者がやってくることになります。グアムの人口は現在、173000人ですが、今後5年間に合計59000人、つまり34%の人口増加となります。このように人口が急増すると、62900人のチャモロ人は、私たちの生まれ育った島で、少数者となってしまいます。それでなくても私たちは現在、アメリカの教育方式を強制され、チャモロの言語や歴史よりも英語とアメリカの歴史を勉強するよう強制されており、私たちはそれに対して私たちの文化と言語を守るために闘っています。グアムの軍事化の目的の1つには、日本人や沖縄の人々に対する米軍の負担を軽減することがあります。それならば、グアムにも同じような敬意が払われるべきです。しかし、グアムはいまでもアメリカのものであり、私たちがアメリカへの依存をやめ、自分たちの文化と言語を守るための経済的、社会的な基盤を作り出していく権利は、意図的に無視されているのです。グアムの社会における軍事基地の負担は数倍にも増大するでしょう。軍はすでに軍事基地に関連する建設工事の契約の発注を開始しています。正式な計画が決定も承認もされていないにもかかわらずです。環境への影響の公式の調査についても、私たちには何も知らされていません。これほどの大規模な人口増加と軍の拡張がグアム島の人々に及ぼす社会的、文化的、政治的影響を想像してみてください。それにもかかわらず私たちは、その計画の内容について正確なことを知らされていません。なぜなら、アメリカ国防総省は2年間で大急ぎで実施した環境影響調査の結果をまだ発表していないからです。しかも、もっと屈辱的なこととして、この調査ではチャモロの人々の意見はほとんど聴取されていないのです。私たちはこの計画のプロセスからほぼ完全にシャットアウトされており、現在に至るまで一度も、基地拡張に賛成するかどうかを尋ねられていません。 私たちは、軍の拡張は私たちの苦しい経済を助けるといわれてきました。しかし、そうなることを証明する何の具体的な根拠もありません。明らかなことは、アメリカ国防総省もグアムの政府も、このかつてない規模の軍事力強化の必要性を説明するのに多くの困難に直面しているということです。その大きな理由は、計画のプロセスに大きな不安定要因があることです。グアムはこの軍事力強化のための施設・設備に関わる巨大な負担を負うことを期待されています。グアムの政府は、外国人労働者が流入すれば、緊急医療サービスや医療施設、水光熱、交通網、住宅の拡充が必要になると報告しています。国防総省もグアムの政府も、この島のインフラは軍の増強に伴うニーズの拡大に対応するには不十分であると言っています。たとえば、島の中心部の下水道システムについて言えば、すでに多くの開発事業が実施されていますが、処理能力の限界に達しています。昨年行われた議会の公聴会で、グアムの知事はインフラの整備のために61億ドルが必要であると証言しました。この費用は、国防総省が算定した基地内部における計画に必要な150億ドル、つまり日本の国会が一部負担を決定した費用には含まれていません。アメリカも日本も、グアムにおいて必要とされるインフラ整備の費用を負担することは考えていません。グアムの政府は現在5億ドル以上の赤字を計上していますが、アメリカ合衆国のニーズを満たすために、さらに膨大な債務を負うことになります。この債務はチャモロの未来の世代に受け継がれることになります。この世代は、この債務に何の発言権も持っていなかったにも関わらずです。この軍事基地強化の計画のプロセスの中で、私たちの意見が聞かれることもなかったし、私たちに敬意が払われることもなかったことから考えれば、この計画が私たちによい影響をもたらすと想像するのは不可能です。海兵隊が沖縄から追い出されるのは、その存在が良い影響をもたらさなかったからです。グアムでならよいことがある、ということがありえるでしょうか? 私は皆さんに、皆さんの政府がこの動きを支持することに反対するよう訴えます。皆さんには発言権があり、皆さんの政府はそれを聞かなければなりません。今年の前半にアメリカのヒラリー・クリントン国務長官が日本に来て、みなさんの国との間で、海兵隊をグアムに移転するという協定に署名した場に、私たちはいませんでした。私たちには発言権がなかったのです。再び私たちの尊厳と権利が損なわれたのです。しかし、この計画を止めるのに、まだ遅すぎることはありません。私たちは協力して、チャモロの人々と日本の人々が、この協定に反対して闘う必要があります。私たちが、私たちの共有する歴史から何かを学んだとすれば、それは、戦争と軍備拡張がすべての人々を傷つけるということです。この歴史を繰り返してはなりません。この美しい国に招待していただいたことに、もう一度お礼を言います。皆さんの心には純粋なやさしさがあり、皆さんの人間性には深い誠実さがあります。私はみなさんと手を携えて、グアムと日本と、沖縄と全世界に公正さを実現するために、これからも闘っていきたいと思います。
2010年04月25日
コメント(0)
京都行動ホームページ、09.10.14より、引用。http://kyoto-action.jugem.jp/?page=52009.10.14 Wednesdayグアム先住民族から日本人へのアピールAさんが、「戦争あかん!基地いらん!09関西のつどい」に行ってきた報告をしてくれました。活動家であり、グアム大の教員でもある若いビクトリアさんの声は秋空に透き通るように美しいスピーチでしたが、その内容は大変重いものでした。グアム移転と基地拡張がもたらす生活と尊厳の破壊のみならず、大宮島と名づけた軍事占領下における、チャモロ人に対する日本人の殺戮・レイプなどの戦争の記憶はなお今日のものであって、賠償謝罪責任の問題もさっと触れられておられます。そのスピーチのファイルが届きました。-----------【集会概要】「戦争あかん!基地いらん!09関西のつどい」と き:10月12日(月曜日 体育の日)午後1時からところ:大阪城野外音楽堂(地下鉄、JR森ノ宮駅下車)資料代:500円集会終了後デモ(大阪城堀の縁を通って京橋まで)主催:同つどい実行委員会(06-6364-0123中北法律事務所、または06-6575-3131全港湾大阪支部)----------------グアムにもアメリカ海兵隊はいらない私たちも、戦争と基地に反対する沖縄・日本の人々と同じ思いですビクトリア・レオン・ゲレロ(チャモロ・ネーション)10月12日、大阪で開催された「戦争あかん! 基地いらん! 09関西のつどい」での発言今日、みなさんの前でお話しする機会を与えていただいたことに感謝します。それは私にとって大変に光栄なことであり、みなさんが私たちの島について、また、みなさんと私たちを結びつけている共通の災いについて関心を示していることに敬意を表したいと思います。私はチャモロの草の根の団体、「イ・ナシオン・チャモロ」、チャモロ・ネーションを代表してここに来ました。チャモロ・ネーションは、グアムの先住民であるチャモロの人々の民族としての存在を宣言するために、1991年に設立されました。チャモロ・ネーションは、私たちの島におけるチャモロの人々の4000年の歴史を誇りとし、私たちの島、私たちの水、空気、精神性、言語、文化、人権を守ることを誓っています。私は私たちの女性リーダーであるデビー・キナタから、ここでみなさんにお話しするよう言われました。[キナタさんは、一昨年のこの集会で発言された方です]彼女からのみなさんへの連帯の気持ちを伝えておきたいと思います。私はまた、私たちの島で今も続く植民地支配と軍事化と日々闘っている私の家族・親戚や先輩達の声や考えを代表して発言したいと思います。日本とアメリカ合州国とグアムを結びつけている歴史について話すのは、簡単なことではありません。それはグアムの人々にとって、今も忘れられない災いの苦痛に満ちた記憶で彩られています。1つの民族が、自分たちが起こしたのでもない戦争の犠牲になり、しかもそのことについていまだに歴史の教科書にも記述されず、犠牲に対する補償も受けていないのです。しかし、私は、この歴史は語られなければならないと思っています。今私たちの島で何が起こっているかを正しく理解するためにもです。それは私個人にも非常に関わりのある歴史でもあります。私の名前は、私のおばあちゃんの妹、ビクトリア・サン・ニコラス・イバネスにちなんで付けられました。この人は、第二次大戦のグアムでの戦闘の中で死にました。私たちの島が日本によって占領されていた時です。彼女はわずか4歳でした。しかし、彼女の精神は、私のひいおばあちゃんのナナン・ビハがそう願ったように、私の中で生きています。ひいおばあちゃんは私の母に、最初の娘にはビクトリアという名前を付けてほしいと頼みました。その戦争と、そこで失ったものの記憶が、いつまでも生き続けているようにです。私が今この日本に来て、このお話をしていることに、私は言葉にできないぐらい強い力を感じています。第二次大戦の中で多くのチャモロ人が死にました。1941年12月8日にアメリカ合州国が私たちの島を、日本帝国の軍隊の前に何の防備もない状態にして撤退した後のことです。グラムはわずか2日間で日本に占領されました。アメリカは一戦も交えることはありませんでした。しかもアメリカ海軍の司令部はチャモロの人たちに、戦争がチャモロの海岸に押し寄せていることを知らせませんでした。チャモロの人たちには、アメリカは世界最強の政府だから、グアムはいつでも守られているのだと説明していたのです。しかし、チャモロの少女、タン・アルフォンシナさんを守ったのはアメリカではありませんでした。1944年7月19日に彼女は暗い、湿った洞窟で、おにいさんの体の下に隠れていました。当時13歳だった彼女の痩せた背中に日本兵の銃剣が突き刺さり、彼女は激しい痛みを感じました。彼女はじっとしていました。痛みをこらえて、死んだふりをしていました。このとき彼女の近くでは、彼女のいとこや、友達や、家族が残忍にレイプされ、殺されていました。彼女の19歳の兄、盾となって彼女の命を守ったニコラスさんは銃弾と日本兵が洞窟に投げ込んだ手榴弾によって殺されました。65年後の今、タン・アルフォンシナさんや、私のおばあさんの妹のビクトリアや、そのほかの多くのチャモロの年配の人たちが受けた苦痛を、アメリカ合衆国はいまだに全面的には認めていないのです。グアムは合衆国の下院に議決権のない議員を選出できるのですが、グアムから選出された下院議員たちは皆、第二次大戦中にグアムの人々が経験した災禍に対する補償を要求し続けてきました。アメリカは日本に対してそのような補償を免除する一方、チャモロの人々に対する補償をいまだに行っていません。また、世界を変えたこの戦争の中でグアムが担わされた役割について、完全には認識していません。先週、アメリカの議会は再び、第二次大戦中のチャモロの人々の犠牲に対する補償に道を開く法律の制定を拒否しました。チャモロの人々は、私たちの犠牲や私たちが体験したことが、正当に認識されるべきであることを長年にわたって説明しようとしてきましたが、徒労感と苛立ちが増しています。アメリカはチャモロの土地そしてチャモロの人々を、常に自分たちの好きなように利用しており、私たちは年々自分たちの尊厳と権利が失われているのを感じています。
2010年04月25日
コメント(0)
4.25沖縄県民大会に連帯する京都集会 沖縄県民大会は、9万人が集った。http://www.ustream.tv/recorded/6427598まだまだ多くの県民がこちらに向かって来ています。いまや人々の輪は会場の外に広がっています。 京都では、「辺野古に基地を絶対作らせない大阪行動」の人たちも合流して、三条大橋で集会・デモが持たれた。集会で印象的だった言葉を。京都沖縄県人会の発言。普天間の米軍飛行機・ヘリは、40年使用され、老朽化している。しかも、イラク・アフガニスタン戦争を経て、通常の2.5倍の飛行距離を飛んでいる。100年分を飛んでいるのだ!ヘリはたまたま堕ちたのではなく、堕ちないのが不思議なのだ。 関連して、琉球新報記事 本土復帰から08年度末まで普天間飛行場所属機の事故は87回発生。1年当たり約2・3回発生していることになる。07年6月の米海兵隊の公表では機体の平均使用年数がCH46E中型ヘリが39年、KC130F空中給油機が46年と老朽化が進んでおり、墜落の危険性が高まっている。 騒音問題も深刻で、年間発生回数は多い地域で2万回超。低周波騒音に悩まされる住民も多く、08年3月に判決が言い渡された普天間爆音訴訟の一審判決は騒音が忍耐の限度を超えているとして違法認定し、国に損害賠償を命じた。◆民間地覆う危険区域 クリアゾーン内に市民約4千人 普天間飛行場を「世界一危険な米軍基地」と言わしめる理由として「クリアゾーン」問題が挙げられる。クリアゾーンとは米軍機の離着陸の安全確保のためとして土地利用を禁止した区域であり、米軍のAICUZ(航空施設整合利用ゾーン)プログラムに基づく。滑走路両端の延長部分に長さ約900メートル、幅約450~690メートルの台形状の区域だ。 宜野湾市が2007年に入手した米海軍省作成の「普天間飛行場マスタープラン」(1992年版)では、クリアゾーンの存在が明らかになったばかりか、基地をはみ出して、普天間第二小学校や上大謝名公民館など18の公共施設、さらに約3600人の市民の住む地域一帯にまで及んでいることがあらわになった。デモでは、わたしは始めての経験をした。沿道の人々から、拍手とエールを受けた!
2010年04月25日
コメント(0)
済州島4.3事件62周年在日本四・三事件犠牲者慰霊祭 詩の朗読四月よ、遠い日よ。金時鐘 抜粋・・育んでくれた郷里が銃剣にしだかれていた時、慟哭が層を成して打ち沈んでいた時、ようやく手にした解放までが暴圧に身悶えていた その時、深手を負った済州住み処の故郷打ち捨ててひとり命ながらえた卑怯な男。記憶が毬栗となった四・三も六十年骨髄に沁みた呪文となり日ごと夜ごとひとりごちできた果てもない願い。・・ 証言1945年 8月15日 解放1948年 4月3日 「済州島4.3事件」勃発 5月10日 単独選挙 これに前後して、避難入山するもの多数 政府による討伐隊、済州島各地で住民銃殺1949年 武装隊の民家襲撃1950年 6月25日 朝鮮戦争勃発 弱い人、力のない人を助けるのが国のはずだと思う。だのに、いままでどれだけの人が国のために、血を流してきたか。人間のための思想が必要だ。日本に来ても、何十年も眠れなかった。襲われて殺されるのではないかと、眠れなかった。 慰霊の舞チャン・チヘ(張智恵)在日3世
2010年04月25日
コメント(0)
4.24阪神教育闘争62周年記念集会民族学級の60年と展望2010 4月24日KCC会館に参加した。(いつものように、途中から、主なシンポジウムは済んでいたけど。) 主催 民族教育ネットワーク 朝鮮差別も、沖縄差別も、結局、日本側の問題だ。一世が、大変な思いをして、ハギハッキョ(我らの学校)=民族学校 を創設した、という。彼らが「大変な思い」をしたのは、日本人が差別したからだ。沖縄が基地を抱え続けているのも、本土の人間が、沖縄に肩代わりさせているからだ。六ヶ所が放射能被害に遭うのも、都市部の人間がホっかむりしているからだ。名指しされない本土の人間の罪。責任を免れてきた。知っているのに、免罪者として振舞う。どこに免罪符を買ったのか。押し付けてもよし、とするのは、意識する、しないに関わらず、我が中に差別があるからだ。そこにある問題は、彼らの問題ではない、根幹は常に「押し付けている」側の問題だ。同様に、「北朝鮮」問題は、仮想敵を必要とする「われわれ」の問題だ。幼児虐待が幼児の問題ではなく、暴力を振るうほうの問題なのとおなじだ。 隣に金さんがいて、藤原さんは元韓国のひと、という環境で育ったわたしは、みんな交じり合って地域の特色が作られる、と思っていたので、取り立てて、「在日」というくくりを、人々の上にしたことがなかった。する必要もなかった。差別を身近に感じたことがない。だから、彼らが「民族」という言葉の意味が、ホンとは、よく分かっていない。される側ではなかったからだろう。 でも、彼らが、「出自」をアイデンティティとして必要としているなら、それはそうなのだろう。わたしも、海外でマイノリティとして生活したら、「日本の文化」「日本の文学」を、アイデンティティのためと意識して、学習するのだろうか。そうだなあ、学校で、朝鮮の歴史を学んだこと、僅かだもの。「日本史」はあっても。住んでいるから習った、で済むことではないんだなあ。現代史に至っては、韓国併合までしておきながら、その前、最中、その後のこと、ほとんど何も習ってない。しかも、ヨーロッパ人がやった黒人奴隷貿易のように、帝国主義のなか、強制労働=奴隷労働の労働力として日本につれてきたんだなあ。彼らのアイデンティティを、我々が、「破壊した」んだなあ。だから、彼らが彼ら自身の「アイデンティティ」の回復に必死になるのは、当たり前だなあ。きたくて来たわけではないんだもの。そのこと=歴史に目をつぶって、彼らの言葉を理解することは、できない。 現在、在日という言葉に、積極的な意味を与える発言があったので、記載しておきます。「同化、帰化の中では、日本の社会が、新しいものを生み出すことはできない。同化しない存在が、既存の日本社会に変化をもたらす。そこに、在日の果たす役割があるのではないか。」1943年から53年までの、日本の「戦後革命期」に、在日韓国朝鮮人が果たした役割は、ー1947年2・1ゼネストーまさにそれだった。
2010年04月25日
コメント(0)
2010年4月22日 (木)引用です。 http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-ec9c.html 4・25沖縄県民大会のうねりと共に いよいよ沖縄の読谷で開かれる「普天間基地を『国外・県外』へ」「私たちの意志を日米政府に示そう!」と掲げた県民大会が目前に迫ってきました。 大会の公式サイト「うまんちゅ揃って県民大会」http://taikai425.ti-da.net/によれば、離島を含む各自治体の実行委員会がたちあがり、東京、大阪、京都など日本各地でも連帯する集会が企画され、海外でもワシントン、ハワイなどでの取り組みが紹介されています。正に「うねり」が始まっています。 先日、4月6日、首相官邸前座り込みを行った沖縄代表団による内閣府(首相)への申し入れの場で、知花盛康さんは、「政府が誤ると、沖縄の民衆の怒りのマグマは、かってのコザ騒動を超えて爆発するぞ!」と体全体に怒りを露わにして官僚に叩きつけられました。 昨日、国会で行われた党首討論で鳩山首相は、「昨年12月、移転先の決定を先送りした判断に触れて『もし辺野古に決めていれば、どんなに楽だったか』と漏ら」(今朝の朝日新聞記事)したと伝えられています。判るはずもないと言ってしまえばそれまででしょうが、本当に事態が判っていません。 昨年8月30日の政権交代、60年にわたる自民党支配の打倒は、「もう我慢ならない」という民衆の決起によって勝ち取られたものです。この間、危機に駆られた日本帝国主義総体が、強烈な右からの揺さぶりを政府にかけていることは事実ですし、本来保守の亜流である民主党がグラグラになり、「東アジア共同体」「日米同盟の深化」の道へと後戻りを始め、また「在特会」に象徴される暴力的な右翼の跋扈、跳梁が始まっていることも事実です。しかし、自民党の無残な解体状況が示されるように、私たちの国は明らかに「後戻りしてはならない道」を歩み始めたのです。 それは「もう我慢ならない」というあの8・30を引き起こした力です。沖縄の昨年11月の2万1千人の県民集会、1月の名護市長選の勝利、勝連半島への巨大基地建設への蠢きに対するうるま市のみなさんの決起、そして4・25県民大会の前倒しと島ぐるみの決起は、先日4・18の徳之島1万5千の決起、そして岩国での米軍艦載機部隊の厚木からの移駐に反対する5千~1万の市民集会(5月23日実施)の呼びかけと、「米軍再編」を真正面から見据えた決起が続々と始まるうねりを生み出しています。 2004年8月12日、宜野湾市の沖縄国際大学に岩国基地から飛来した米軍海兵隊の輸送ヘリコプターCH-53D(右写真)が墜落、炎上しました。機体の破片は、周辺の住宅に飛び散り、赤ちゃんをあやしていた母親のすぐそばにも飛び込み、負傷者や死者が出なかったことが不思議とさえ言われました。しかし、その現場は武装した米軍によって封鎖され、日本の警察も消防も近づくことが出来なかったのです。これが世界有数の経済大国と言われる日本の主権の実態です。 昨年11月には、読谷で、酔っぱらった米兵によって男性が轢き殺され放置されたまま米兵は基地に逃げ込みました。起訴が行われるまで、日米地位協定に遮られ警察は事情聴取さえ出来なかったのです。 こんなことは無数にあります。ここには、沖縄には人権が今もなお存在しないことを物語っています。沖縄の皆さんの怒りは、「もう我慢できない」という怒りは、知花盛康さんが言われたように、最早おしとどめることが出来ない「怒りのマグマ」となってぐつぐつと煮えたぎっているのです。これと8・30の事態が結びついたのです。 明治政府による琉球処分は、参政権がヤマトよりもはるかに遅れ、奈良原知事による専制支配と杣山処分に象徴される「開墾」に名を借りた農地、森林の強奪が、沖縄県民の戦前の凄まじいまでの差別と貧困を強制し、しかも沖縄戦の悲惨な犠牲を生み出しました。それもヤマト、日本軍による。そして戦後65年にわたる米軍支配です。 沖縄のみなさんが「もう我慢ならない」と言われる時、こうした130年に及ぶ歴史の総体を指し示し、私たちヤマトの人間に問うておられるのです。そして、その壮絶ともいえる歴史の中から、今、「日米同盟の深化」を沖縄のこの現実の上に語ろうとする日本政府、そして私たちに「もう我慢ならない」と突きつけておられるのです。 政府が言い、マスコミが流布してきた「普天間基地の移設」という問題の立て方は、こうした沖縄の人々の想いをすり替えようとするものに過ぎません。だから、相も変わらず「キャンプシュワブの中」か「辺野古の沖合い」などと言うプランが、あるいは「普天間基地の継続」が、これでもかと言わんばかりに出てくるのです。沖縄の皆さんが「我々を愚弄するのか」と怒られるのは当然です。 8・30からこの半年余りの沖縄をめぐる問題の核心は、沖縄の皆さんが訴えておられる「普天間基地の即時閉鎖」(移設先など問題にしているのではない!)と、少なくとも「これ以上の新基地は受け入れられない」「米軍基地は撤去すべき」ということなのです。「基地依存」という言葉がありますが、これこそ自民党政府が、ヤマトが垂れ流してきた沖縄への差別を象徴するデマゴギーです。沖縄の経済の中で米軍基地の存在による影響は、すでに5%をすら割り込んでいます。膨大な基地の土地が解放されれば、もの凄い影響が、沖縄の平和な町づくりが、生きて行く道筋が生まれるのは明らかです。 私たちは「もう我慢ならない」という沖縄のみなさんの地響きをともなううねりと共に歩む中から、岩国をはじめとした平和な暮らしを求める人々との繋がり、原子力発電の愚を繰り返して貴重な自然と住民の暮らしを破壊しようとする上関や福井(もんじゅ)のみなさんと繋がり、何よりも、国の農地強奪、農業破壊に抗して44年勝利的に闘い抜く三里塚の農民と共に、8・30で始まった「後戻りしてはならない道」を歩もうではありませんか。 三里塚反対同盟が、萩原進さんと市東孝雄さんが、この4・25県民大会に参加されることは、共に農地強奪を強制される中から、「国策」を押し付けられる中から立ちあがった、日本の戦後史を画する巨大な二つの闘いが合流することであり、決定的に重要な意味を持っています。沖縄のみなさんのうねりを共にさせていただくとともに、この決定的に重要な節目を共にすることが出来ることをかみしめながら、4月25日の県民大会に参加したいと思います。
2010年04月23日
コメント(0)
引用です。http://kyoto-action.jugem.jp/から。何か持っていこうと、下絵をかいてみた。4.25沖縄県民大会に連帯する京都集会のご案内 にちじ 4月25日(日)開会17:00 デモ出発18:00ばしょ 三条河川敷(三条大橋西詰)沖縄の基地問題をとりまく状況が、大きく変わるかもしれない!そんな期待を背負って動き出すかに見えた鳩山政権は、しかしいまや、口を開けば「県内移設」を唱えるばかり。「キャンプ・シュワブ陸上案」、「ホワイト・ビーチ沖案」...新聞やテレビを通して伝わってくる情報は、なんだかもう、アメリカには逆らえないんだから仕方ない、あきらめろとでも言っているかのよう。でも、本当にそうなんだろうか。なぜ、また沖縄に?このような政府側の動きに対し、沖縄ではこの間、さまざまな形で反対の意思表示がなされている。今年に入ってからだけでも、1月には名護市長選挙、2月には沖縄県議会による意見書の全会一致での可決、3月には名護市議会をはじめとする県内の各市町村自治体での県内移設反対決議...そして4月25日には、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」が開かれる。県内移設に反対する集会では初めての超党派で、10万人規模の参加を目指すという。生活に米軍基地の存在が深く入り込んでいる沖縄に暮らしながら基地を拒否することは、たぶん、身近に基地のない私たちの想像をはるかに超えて難しい。それを切実に、身をもっていちばんよく知っている人々が、それでも、拒絶の声をあげている。基地に反対し続けてきた人たち、受け入れてきた人たち、内心は基地のない沖縄を望みながらもさまざまな事情から表立って言えずにいた人たち...さまざまな立場のウチナーンチュが、それぞれの思いをもち、それぞれの怒りをもって、一つの場所に集まろうとしている。この文章のはじめに「沖縄の基地問題」と書いたけれど、本当はこれは「日本」の問題で、私たち一人ひとりの問題だ。それを選んでいる/いないに関わらず、<沖縄に基地をおしつけること>を選ばされてしまっている私たちが「もうおしつけることをやめたい」といわなければ、この問題は終わらない。だから、私たちはここから声をあげよう。きれいごとじゃなく、今、それが必要なことだから。この期に及んで「県内移設やむなし」なんて言わせてる場合じゃない、これ以上、沖縄に基地の負担をおしつけたくない!同じ思いでいるあなたの声が、状況を変える力になります。25日、よければ、一緒に。
2010年04月22日
コメント(0)
4月18日 「どうするアンポ」DVD上映 と 60年安保改定を闘った方を囲む会 昭和25年 朝鮮戦争 昭和32年(1957年)ごろから、「アンポカイテイ」が話題になり、地域で小規模な学習会がたくさん持たれるようになった。奈良女子大の学生が、労働組合に来て、話しをしていったり、それを聞いた組合員が、他の繊維工場に昼休みに、話をしに行ったりして、輪が広がった。地域の会所で小集会をしていると、通りがかりのおっちゃんが参加したりして、あちこちの職場に、一人、二人と、関心を持つものが増えていった。 S35年(60年)、1月15日 岸 渡米反対する市民に阻まれて空港へたどり着くことができず、ヘリコプターで脱出。街中では、子どもが、「アンポ、反対、反対、アンポ」 と声を出して遊んでいた。安保改定反対リレーマラソンが行なわれると、高校生が飛び入りで参加したり、奈良から、国会前デモに参加するためのチャーターバスに、毎回、学生が数人ずつ、「一緒に連れて行ってくれ」と飛び乗ったりした。毎回、バスは、東京市民に拍手で迎えられた。 S35年(60年) 6.15 樺美智子さん死亡その後、国会前デモ規制法が通って、デモできないことになったが、憲法で護られた『請願権』をつかって、隊列を組んで国会へ行った。「申し入れ」はダメだが、「請願」は、相手方も、蹴るわけには行かない。 安保の発展形が、反対運動を作る間もなく成立されられた「有事7法案」 討論60年安保は、改定されてしまったが、何が足りなかったと思われますか。 国会議員の数。ただし、このとき、国民の声を聞かない政府より、民衆の力のほうが、勝っておった。国民の声に反することをすることは、リスクを負う、と権力側は十分悟ったはずだ。 このころは、マスコミも、まじめに報道しておった。だから、国民全体に、「ムズカシイことはわからんが、アンポは悪いもの」という、大筋の合意があった。今は、権力が報道の力を十分理解し、コントロールしている。だから、こういう、ムーヴメントが起こりにくい。 70年アンポも盛り上がった。本来なら、安保には10年ごとの改定が義務づけられており、2010年も、60年安保と同様に、市民のムーヴメントが起こらなければならないはずなのに、それが今ちっとも話題にならないのは、そういう権力側の戦略に押し込められている。 それに代わるものが、沖縄普天間返還・辺野古問題なんだと思う。 最近の戦場で殺された日本人には、武装した護衛がついていた。護衛でさえ、武装して付くと、銃撃の対象となる。非武装だと、撃ってこないし、撃ちかえさない。だから、銃撃されない。死なない。非武装こそが、戦争にならない道だと、国民全体がわかっていた。 政治闘争としてストを打つと、民間企業の労働者でさえ処分されたが、経済闘争とリンクすると、処分されない。労働条件の改善や、賃上げ要求のストは、労働三権に基づく権利なので、企業経営側が処分できない。が、労使間契約関係にない、政治闘争としてストを闘うと、労使契約に違反したとして、経営側が処分する。法的根拠としてはそうだと、彼らは言う。憲法に、思想信条の自由が謳われてるけど、なんで処分されるの?憲法は、国家権力を縛るもの。法律は、国民に課せられたもの。だから、我々としては、法律だけ守ればいい。国は、憲法に書いてあっても守らないから、国が憲法を守らなかったら、国民が「不断の努力をし」て、国に守らせる闘争をしなければならない。 8.16は解放の日だったはずだった。8.16までの継承と検証も大事だが、8.16以後、なぜ、世界は、日本は、平和と解放に向かわなかったのか。その中核に、安保を見る。 交流会沖縄では、今まで、辺野古が、島民全体の議論になることはなかった。98年少女暴行を転機とした島民集会、教科書検定を許さない10万人島民集会、が今までの流れ。辺野古では、04年のウミンチュの反撃、団結が転機になっている。それまで、北部振興策のカネばら撒きで分断されていたウミンチュたちが、再度、結集した。その結果、辺野古沖案が頓挫し、V字案に変更された。今、沖縄は、島ぐるみで、普天間・辺野古闘争に立っている。ヤマトンチュウも、いままでになく、沖縄に連帯しつつある。 次は、5月23日、返還闘争以後、現在にいたる沖縄を語ってもらう。辺野古に関するDVDは多くでているので、選んで上映会をする。 情報4月24日(土) 韓国併合100年 今こそ平和と友好に向けて、ともに学び理解しあうために。1時から。奈良県解放センター(0742-62-5501)。在特会の暴挙が見られます。 4月25日(日)2時から。生野区観音寺(06-6741-1921)にて、済州島4.3事件62周年 慰霊祭在日の方の4・3体験者の証言会があります。
2010年04月19日
コメント(0)
辺野古新基地建設に関しては、基地を積極的に受け入れる自民党・公明党の政権があり、それを容認する沖縄県知事、名護市長がいて、それでも合意から12年間かけて、なにもできませんでした。なぜできないのか。沖縄県民にとっては、新しい基地を作るということは、抵抗感があることなのです。鳩山新政権には、新しい基地が建設できるかのような、錯覚があるようです。たとえ政権が変わっても、前からできないのですから、できないのですよ。 キャンプ・シュワブの陸上案が出てきました。しかしキャンプ・シュワブの陸上地域にも基地を作ることはできません。一つだけ例をいいます。96年のSACO合意の中で、北部訓練場の一部が返還されることになりました。その場所には複数のヘリパットがあります。返還する地域にあるヘリパットと同数のヘリパットを、他の地域に建設することになったのです。その建設予定地で環境アセスメントの手続きに入ったところ、1,000種類以上の希少動植物が発見されたのです。そのために建設予定地を、住民が住んでいるところに近い場所に変更しました。キャンプ・シュワブの陸上地域でも、環境アセスメントを行えば次々と希少生物が見つかるでしょう。普天間基地の代替施設の予定地として海が選ばれたのは、海は希少生物の種類が少ないのです。 共和党政権が続けば、ラムズフェルド国防長官によって、こうした計画が続くのであろうと考えていました。しかし民主党政権に変わった今は、日本が自分たちの主張を明確にすれば、米国側にも通せる環境があるのではないでしょうか。少なくても、グアム移転の段階で押しとどめるべきです。 グアム移転が実施された後に沖縄に残るのは、中型ヘリ部隊が1個中隊・12機、攻撃ヘリが数機、汎用ヘリが数機で、20機前後くらいではないでしょうか。そのヘリコプターの役割は、ジャングル戦闘訓練施設での訓練や、そのほかの演習で使われるのではないでしょうか。これらの部隊はMEU構成ではなく、輸送部隊ですから、それほど激しい訓練は行わないでしょう。MEU構成の部分は、アンダーセン空軍基地を中心に、年間2万回の飛行訓練を重ねて、そしてそれぞれ任務に発つという、そういう部分ができあがろうとしていると思うのです。 ここはやはり、米海兵隊に沖縄を諦めてもらう以外にないと思うのです。その代替を日本のどこかに置くというのなら、違う形でどっかに置くかということになるのでしょう。少なくとも、沖縄に戻すべきではないと思うのです。しかし国内的にも、米国の内にも、海兵隊の中にも、沖縄に戻りたいという声は大きくあって、だからこうした計画が、米海兵隊の中で、第3海兵遠征軍の中で、自分たちの頭作りとして議論されていると思うのですね。 確かに、10,000人の実戦部隊がいて、将軍がいないということは不思議な話です。将軍がいない沖縄に、10,000人が戻ることはないでしょう。しかし将軍も戻して、主要機能も戻していくという考え方が、基本的にあるようです。ですから、ここが踏ん張り所です。私の話は以上です。■ 「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない」のTOPへ■ 「STOP!! 米軍・安保・自衛隊」のTOPへ■ 「平和フォーラム」のTOPへ
2010年04月18日
コメント(0)
次に最近入手した、第3海兵遠征軍の資料について説明します。この資料は2009年の9月に『コマンドブリーフ』として作られました。おそらく第3海兵遠征軍の中で共有されている認識でしょう。先ず現状です。現在、25,000人の海兵隊員と海軍兵士が第3海兵遠征軍に所属しています。展開している地域は、沖縄、キャンプ・フジ、韓国、ハワイです。そこに米軍再編計画の中で、グアムが入っていきます。 最初に「合意実施計画」を見ると、沖縄には31MEU(司令部部隊)・第4海兵連隊・普天間基地の第36海兵航空群・戦闘兵站連隊・基地支援が残ることになっていました。一方のグアムには、HMH航空中隊と記載してあります。これは大型ヘリコプター中隊のことです。 次は「合意実施計画」に「アセスメント」の内容を反映させて宜野湾市が作成した図です。31MEU・第36海兵航空群・歩兵大隊などがグアムに移転することになっています。ですからグアムに移転する人員は増えています。 さらに次は「海兵隊に望ましい配置」です。これを見ると、一度はグアムに移転した第1海兵航空団の司令部も、航空団司令官の将軍も沖縄に戻ってくることになっています。米軍再編合意では、沖縄からグアムへの海兵隊の移転は2014年です。しかし辺野古新基地の完成予定は、2014年ではありません。新基地の建設には時間がかかります。ですから部隊はグアムへ移っているわけです。グアムのアセスの評価では、移ってくる部隊をきちんと評価しているのです。ですから普天間基地に所属するヘリコプター部隊が、グアムに移転している状態で、しばらくはいけるのです。 では辺野古を作ったらどうなるか。辺野古を作ったら、第1海兵航空団の司令部まで戻ってくる、将軍も戻ってくるのです。色んな部隊まで戻ってくるのですよ。これが、米国が考えている望ましい、あり方なのです。グアム住民に対しては、沖縄の海兵隊はグアムに行っているのだけど、戻すのですよって、言っているのですね。日本政府は6,000億円もお金出して、基地負担の軽減をさせているわけです。それをもう一度、辺野古に基地を作ると、将軍も迎えて、海兵隊航空団司令部を作って、さまざまな部隊を受け入れるのです。も入れて。そういう構図で良いのか。
2010年04月18日
コメント(0)
次に米国の資料に基づいて、宜野湾市が作成した図を説明します。この図は、沖縄に駐留している海兵隊の全体図です。黄色の枠がグアムへ移転する部隊です(第18海兵航空管制群司令部ならびに第36海兵航空群)。青の枠は岩国に移転する部隊です(大52空中給油中隊)。普天間基地の1個中ヘリ中隊には色が着いていないのですが、基地の管理部隊がグアムに移転することを考えれば、この部隊も当然、グアムに行くことになるでしょう。 次の図は、沖縄周辺の米軍の訓練区域です。これだけの区域・海域・空域があるために、米軍は沖縄に来て訓練を行っています。いまマリアナで同じようなことが実現されようとしています。「マリアナ・アイランド・レンジ・コンプレックス(マリアナ諸島複合訓練場計画)」です。アセスが終わって、最後の評価書が出る段階です。この間のドキュメントで見る限り、海兵隊の最大の関心事は、グアムへ移る部隊の演習環境、演習訓練環境を如いかに整えるかなのです。 海兵隊総司令官は09年6月4日の議会証言で、「訓練や施設の要求を調整し、適切に計画・実施されれば、グアムへの移転は即応能力のある前方態勢を備えた海兵隊戦力を実現し、今後50年にわたって、太平洋における米軍の国益に貢献する」としています。要するにグアムを整備する。マリアナ諸島複合訓練場計などのよってテニアンもサイパンを整備し、グアムの中の演習場に含めてしまう。そういう計画が動いているってことです。 http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/100317_ginowancity_mayor.pdf「沖縄からグアムへの、海兵隊移転について」宜野湾市長 伊波洋一 「沖縄からグアム及び北マリアナ・テニアンへの海兵隊移転の環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフト」
2010年04月18日
コメント(0)
ラムズフェルド国防長官のイニシアチブのもとで、沖縄の海兵隊をグアムに移していく、グアムで迅速な対応が出来る部隊に変えていく--そういうのを掲げていると思います。2010年に発表された『QDR』(4年ごとの国防体制見直し)は、「グアムを西太平洋地域における安全保障に係わるハブにする」としています。こうした計画の一環として、グアムと同時にマリアナ諸島全体で、「レンジコンプレックス=複合演習場計画」が進んでいます。これによって、沖縄で実現できなかった演習環境を、テニアンなども含めたマリアナ地域で実現する計画が着々と進んでいるのです。 次に、海兵隊司令官のジェームズ・コンウェイ大将の、09年6月に上院議会の軍事委員会で証言について説明します。その中で彼は、「日米再編合意の最大の成果が8,000名の部隊のグアムへの移転だ」といっています。それは「約8,000人の海兵隊員の沖縄からグアムへの移転は、沖縄の海兵隊が直面している民間地域の基地への侵害(インクローチメント)を解決するため」だというのです。実は「インクローチメント」というのは、住民による基地への侵害を言っているのです。住民が自分たちへ近づいてきている。基地との間に住民と摩擦が起こってくる。このことが、米国での基地問題と表現されています。普天間基地のような一番厳しいところ、他の所もそうですが、基地と住民がとにかく近づきすぎているところ。演習基地とですね。それを解決することが目的だときちんと書いてあるのですよね。そのあと、グアムへの移転というのは、演習場などを適切に配備して、見直されれば、最大限の効果を持ち、そして今後50年にわたって、西太平洋におけるアメリカの国益に貢献するというところまできちんと書いております。 『グアム統合軍事開発計画』(2006年7月)では移転する海兵隊は9,700名でした。それが『国防総省グアム軍事開発計画報告書』(2008年9月)では、10,550名になりました。さらに『環境影響評価書』(2009年11月)では10,060名です。これが一番の現状の数値でないでしょうか。沖縄の海兵隊員は、08年9月末で12,402名です。このうち10,600名がグアムに移ります。ですから沖縄に残るのは1,800名くらいです。
2010年04月18日
コメント(0)
日米合意では家族9,000名が移転するとされています。しかし復帰から現在までの間で、沖縄にいる軍人の家族の数が9,000名を超えたことは、4回しかありません。平成6・7・12・13年ぐらいですね。家族の数は、もともとは少なかったのですが、日本の思いやり予算で基地の中に色んな施設が作られるようになりまして、大変住み心地のいい施設になりました。また海兵隊自体も同伴計画を作りました。家族を同伴させるとコストも安くなりますし、負担もなくなるのでどんどん増えたのですが、いまは少なくなっています。そこには戦争の影響もあります。海兵隊の隊員数ですが、過去最大の時には22,000名くらいまで行ったことがあります。しかしその後は減少して、現在は12,400名くらいです。普天間基地の中ヘリ部隊は常駐部隊で家族もいます。ですから家族に対しても、住宅を維持する、また家族が通勤などするための措置をしなければなりません。米軍が辺野古の周辺にどのような環境を作るのかはわかりません。しかし辺野古に移る部隊は、単身者の部隊をイメージしているでしょう。家族9,000人を移転させるのであれば、沖縄に家族を伴って駐留している常駐部隊は、すべてグアムに移転すると考えられます。
2010年04月18日
コメント(0)
その前に、沖縄海兵隊の抑止力について説明します。31MEUが沖縄にいないと、抑止力が機能しないという意見があります。またある学者さんは、「31MEUを台湾に派遣する際に、沖縄からは1日でいけるが、富士演習場などにおいていては3日かかる、致命的になる」という話をしています。しかし実際には、31MEUは1年のうち半分は沖縄にいません。日本にもいません。どこにいるかというと、オーストラリアやタイなどで、安全保障条約を担保するための演習・訓練に参加しているのです。2006年の資料では、1月から5月のうち3か月は海外での訓練に、また9月から11月はオーストラリアとフィリピンに出ていました。この他にも、人道支援・地震・災害の訓練や対処も行っています。とにかく、1年の半分はいないのです。 さて、普天間基地のヘリ部隊がグアムに移転する論拠を示します。 2006年5月のロードマップ合意は、8,000名の海兵隊員と9,000名の家族がグアムに行くとしています。しかし、具体的にどの部隊が移転するのかは不明といわれてきました。そこで私は、米軍作成の資料を検討しました。それによって普天間基地の部隊が、グアム移転の対象に入っていることが判明していると思います。 2006年の7月に、『グアム統合軍事開発計画』が発表されました。これは米太平洋軍司令部が作ったものです。この中にはアンダーセン空軍基地に、最大67機の回転翼機(ヘリコプター)が入ってくると書かれています。 2007年7月に、沖縄県中部の市町村長がグアム調査に行きました。その時にアンダーセン空軍基地の副司令官は、「65機から70機の海兵隊の航空機を受け入れることになっています」と話をしていました。さらに、「1,500名の海兵隊航空団の兵員を、アンダーセン空軍基地で受け入れる。家族を持っている人は、別の家族住宅地区で受け入れる」という話でした。 2008年9月に発表された『国防総省グアム軍事計画報告書』には、グアムに移転する部隊のリストが掲載されています。これらは全て普天間基地の部隊です。この中に、「中型ヘリコプター中隊」(Marin Medium Helicopter Squadron)という記載があります。この中ヘリ中隊を、外務省や防衛省は、「岩国基地の部隊だ」といっていますが、おかしな話です。 またこの調査では、グアム政府から資料をいただきました。その資料は米軍からグアム政府に提示されたものです。そこには、グアムに移転する部隊の名前として、31MEUが記載されているのです。揚陸艦のエセックスも書かれています。
2010年04月18日
コメント(0)
http://www.peace-forum.com/mnforce/2009/03kaisetu/100228.htm伊波洋一さん(宜野湾市長)の講演テーマ:普天間基地のグアム移転について●会議名称 沖縄等米軍基地問題議員懇談会●開催日 2010年2月18日(木)17:30~●開催場所 衆議院第1議員会館・第3会議室(はじめに) 沖縄等米軍基地問題議員懇談会では、宜野湾市長の伊波洋一さんを招いて講演会を開催しました。伊波さんの講演は、11月26日、12月11日に続いて3度目です。今回の公演では、米国が普天間基地所属部隊の移転先をグアムとしていること、また普天間基地の代替施設を辺野古沖合に建設してしまえば、一旦はグアムに移転した海兵隊が再び沖縄に戻ってきてしまう危険性があることを、米国政府の資料から解説してもらいました。以下は伊波さんの講演を要約したものです。 宜野湾市長の伊波洋一です。 お手元に資料をお配りしています。この資料の後半部分は、12月11日の議員懇談会で配布したものと同じです。ここでは「沖縄からグアム及び北マリアナ・テニアンへの海兵隊移転の環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフト」を説明しています。本日はこのドラフトを基に話をさせていただきます。 米国では2002年から、地球規模の基地見直しが行われています。米国政府内では、ラムズフェルド国務長官の下で、「沖縄の海兵隊はどこへ行くべきか」という議論が行われて、グアムが選ばれました。 その理由の一つは、海兵隊の基地を予測不可能な状況がどこで起きても柔軟で迅速な対応が可能な場所に置く――という戦略があります。その点で沖縄には、日米安保条約の制約や憲法の制約があります。そもそも沖縄の海兵隊は、日米安保条約のためだけにいるわけではありません。西太平洋における5か国との安全保障条約、日本・韓国・フィリピン・タイ・オーストラリアとの安全保障条約を実践するためにいるわけです。沖縄の海兵隊の31MEU(第31海兵遠征隊)の一番大きな役割は、1年間に予定されているこれら各国との合同訓練です。31MEUは、長崎県の佐世保基地に配備されている揚陸艦エセックスに乗船して、フィリピンに行ったり、韓国に行ったり、タイに行ったり、オーストラリアに行ったりしているのです。1年のうち半年は、沖縄・日本にはいないのです。 この時に、普天間基地所属のヘリコプターが24機、エセックスに乗り込みます。これらのヘリコプターは、出動直前の2~3週間に、ものすごい訓練を普天間基地で行うのです。その訓練が、一番大きな住民への被害を作っているわけです。 こういう部隊の機能がグアムに移転するということが、今回のアセスで明らかになっております。 アセスメントの騒音評価では、グアムへの37機のヘリコプターの移転を前提にしています。このうち2個中隊・24機(1個中隊は12機)は、新型のオスプレーです。2個中隊のうち1個中隊は、現在は岩国基地に駐留しているCH-53大型ヘリコプターが機種変更して配備されると思われます。この部隊は輸送用です。 さらにオスプレー1個中隊(12機)、UH-1汎用ヘリコプター・3機、AH-1攻撃ヘリコプター・6機、CH53E大型ヘリコプター・4機が移転対象として上げられています。これらのヘリコプターはMEU(海兵遠征隊)構成と呼ばれています。MEU構成では、中型ヘリ1個中隊と、UH-1・AH-1・CH53Eなどヘリコプターがセットになっているのです。 MEUは沖縄や米本土のキャンプ・ペンドルトンをはじめとして、いくつかの基地に配備されています。そのMEUには必ずMEU構成のヘリコプター部隊が所属しています。そうしてグアムの環境影響評価書によれば、グアムに移転してくる部隊には、このMEU構成のヘリコプター部隊が入っていることが明らかなのです。 環境影響評価書の中では、アンダーセン空軍基地周辺の環境影響評価として、MEU構成の24機を対象として、年間で19,000回の飛行を想定した評価が行われているのです。一方で、岩国から来ると思われるCH53Eの代替のオスプレーは、環境影響評価の対象にはなっていません。このオスプレーは輸送用ですから、アンダーセン空軍基地で集中的に訓練をする必要はないと考えられているのです。 また環境影響評価書には、海軍基地のアプラ港に揚陸艦のエセックス(現在は佐世保基地配備)が来ること、そこで物資を搬入することなども書かれています。こうしたことも、海兵隊が沖縄からグアムへ移転することの裏づけになっています。今後はグアムをハブとして、韓国・フィリピン・タイ・オーストラリアなどに行くことが、ほぼ確定しているのです。私の見解に対して、普天間基地のヘリコプターはグアムには行かないという意見があります。そうではなくて、普天間基地の部隊がグアムに行くのだということを、資料を使ってお話します。
2010年04月18日
コメント(0)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-27c6.html『マスコミに載らない海外記事』さん、から引用 アメリカの傀儡、あやつり糸を自ら切断アメリカ政府にタリバンとの妥協を邪魔されたカルザイは、あからさまに、パトロンに逆らいはじめた Eric Margolis 2010年4月11日"Toronto Sun" かつて、ヘンリー・キッシンジャーは、アメリカの敵であるよりも、アメリカの同盟者でいるほうが、より危険だ、と発言している。 最新の例が、かんかんに怒ったワシントンのパトロンと極めて面倒なことになっているアメリカがしつらえたアフガニスタン大統領ハミド・カルザイだ。 元アメリカのCIA "協力者"で、かなり無力なカルザイを、タリバンを打ち負かしそこなっていると、オバマ政権は非難している。ワシントンは、昨年の選挙で、票を不正工作したとして、カルザイを非難した。その通りなのだが、そもそも、アメリカは西欧の占領に反対する全ての政党を排除し、事前にアフガニスタン選挙の不正工作をしていたのだ。 イスラム教世界中で、独裁者や、いんちきな選挙を支持しているワシントンには、カルザイを、汚職と投票の不正操作で、こきおろすという図太さがある。しかも同時に、ペンタゴンは、パキスタンの完全併合をたくらんでいる。 オバマ政権は、カルザイをやめさせたいと考えていることを隠そうとはしていない。"とんでもない傀儡め! とんでもない傀儡め!"という、ワシントンの叫び声が聞こえるかのようではないか。 アメリカが票の不正操作をしたと非難して、カルザイは反撃に出た。彼は米軍に、余りに多くのアフガニスタン人一般市民の殺害を止めるよう繰り返し要求している。 次に、アメリカは、居もしないアルカイダやらタリバン対策の為ではなく、エネルギーが豊富なカスピ海盆地地域を支配するために、アフガニスタンを占領しているのだと断言して、カルザイは爆弾宣言をしたのだ。カルザイは、タリバンは"西欧による占領に抵抗している"と発言したのだ。アメリカは間もなく、アフガニスタンに、100,000人の兵士と、更に40,000人のNATO軍兵士を駐留させることになっている。 カルザイは、自分はタリバンに加わるかもしれないと半ば冗談さえ言った。 ワシントンは卒倒した。カルザイに対して、意地の悪いプロパガンダ・キャンペーンが解き放たれた。オバマ政権の代弁人で、アフガニスタン戦争の熱心な支持者であるニューヨーク・タイムズは、ひたすら、カルザイ打倒と、彼を言いなりになる将官にすげかえることを呼びかけている。 カーブルで、国連の仕事を首になった、アメリカ人の自己宣伝男、ピーター・ガルブレイスがしゃしゃり出て、カルザイは麻薬中毒で、しかも気が触れていると、マスコミに触れ回った。 この醜悪で喜劇的な口喧嘩の背後には、アフガニスタンとワシントンとの間で拡大しつつある相違がある。31年におよぶ戦争で、およそ300万人が死亡し、更に何百万人もが難民となり、ゾッとするような貧困にあるアフガニスタン人は平和を渇望しているのだ。 過去二年間、カルザイと彼の盟友の軍閥は、サウジアラビアで、タリバンと和平交渉を行ってきた。 カルザイは、アフガニスタン戦争を終わらせる唯一の方法は、アフガニスタンの多数派であるパシュトゥーン族と、その戦闘部隊タリバンに、参政権を与えることだと知っている。タリバンとの政治的妥協が、唯一、かつ不可避な解決なのだ。 しかし、ワシントンのネオコンや他の強硬派の、誤った助言を受けているオバマ政権は、大国としての面子を保ち、アメリカが戦略的なアフガニスタンの主導権を握ったままで、いられるような合意を押しつけるため、アフガニスタンにおける軍事的勝利を"勝ち取る"(その意味が何であれ)のだと決心している。 そこで、アメリカは、現在70億ドルというアメリカからの支援金を、受け取っているパキスタンに、進行中のカーブルとの和平交渉に関与している、パキスタンに身を隠していたタリバン幹部を逮捕させ、カルザイの和平交渉を邪魔したのだ。 それで、カルザイが激怒する番となった。そこで彼は、アメリカのパトロンに、あからさまに逆らい、自立した姿勢をとり始めたのだ。あやつり人形が自分のつり糸を断ち切りつつあるのだ。 カルザイが最近身につけた大胆さは、インドと中国が、アメリカ/イギリス/NATOによるアフガニスタン支配にとって変わろうと、熱心である事実によるものだ。インドは、資金と、武器と工作員をアフガニスタンに注ぎ込み、政府軍を訓練している。中国は、より慎重に、アメリカ政府の地質調査によれば1兆ドルの価値があるとカルザイが語っている、最近発見されたアフガニスタンの鉱物資源開発に進出しようとしている。 アフガニスタンにおける、1980年代の敗北の痛みを感じているロシアは、アフガニスタンでのアメリカの辛苦をほくそえんで眺めており、少なからず復讐を切望してもいる。モスクワも、アフガニスタンには野心を抱いているのだ。 本コラムは、カルザイにとって、最善の選択肢は、アメリカの監督から距離をおき、全ての外国占領軍の撤退を要求することだと、以前から主張してきた。 もちろんリスクを伴う事業だ。キッシンジャーの警告を忘れぬよう。カルザイは死んで終わる羽目になりかねない。しかし、国民的英雄となって、全ての民族集団が受け入れられる、独立アフガニスタンを率いる最高の候補者となりうる可能性もあるのだ。 真に人気があり、まっとうで民主的な同盟者ではなく、言いなりになる子分を探し求めるという同じ失敗を、悲しいかな、アメリカは犯しつづけているのだ。 2010 The Toronto Sun 記事原文のurl:www.torontosun.com/comment/columnists/eric_margolis/2010/04/09/13530691.html ご近所のでんきやさん、子どもさんが跡を継いで、60周年!一緒に、お祝いします。大型店、安売り店より、きめの細かい、痒いところに手の届く、あたたかいサービスの、おかあさんがやさしい、子どもさん(私が家庭教師で小学校の頃、教えた、双子ちゃん!)の成長を喜んで、お父さんが電気敷設の技術を子どもに身をもっておしえながら、一家そろっていっしょに仕事なさってる、とっても大事な、電気屋さんです。 強力な労働組合を破壊するために、国鉄を解体し、日本全体を、暮らしにくい不沈空母にしたたてくれた「大宰相」は長期傀儡政権を維持できた。日本をぶち壊したライオン首相も長期傀儡政権を維持できた。植民地では、属国のためでなく、宗主国の為になることをすれば政権が与えられる。 一方、自立したエネルギー外交を目指した田中角栄、ロッキード事件で追われた。以来、日本の与党幹部には、「言いなりになる子分」しか、いないもののようだ。 今の民主党、自民党、公明党、あんたの党、けつまずけニッポンの幹部を、そしてそれを支持するマスコミ、国民の皆様を見ていると、カルザイ大統領が、アフガニスタンの人々が、立派に見えてくる。 本コラムは、民主党にとって、最善の選択肢は、アメリカの監督から距離をおき、全てのアメリカ基地の撤去を要求することだと、以前から主張してきた。もちろんリスクを伴う事業だ。キッシンジャーの警告を忘れぬよう。鳩山首相・小沢幹事長は引退させられて終わる羽目になりかねない。しかし、彼らが国民的英雄となって、全ての県の人々から受け入れられる、独立日本を率いる最高の指導者となりうる可能性もあるのだ ろうか? 2010年4月13日 (火) アフガニスタン・パキスタン | 固定リンク |
2010年04月14日
コメント(0)
『闇の奥』の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷藤永 茂 著三公社 非常におもしろかった。コンラッド「闇の奥」(『地獄の黙示録』の下敷き、種本)は、取るに足らない(言い回し大仰な)欺瞞の書、としか感じなかった。こちらを読むためにある、といっていい。 「歴史の臨界点」などというのは、生易しすぎる。ここに、悪行の限りを尽くしてきた「ヨーロッパの心」が、貪婪が、むき出しになっている。「文明」だの、「進歩」だの、「民主主義」だのと言った修辞、プロパガンダを駆使し、「白人の重荷」=アメリカの正義を吹き鳴らして、事実を歪曲してきた。それら残虐行為の隠蔽、蓋いを剥がれて。 眼前に展開されている、アメリカ帝国主義ーイラク、アフガン侵略ーが、1885年ごろから20年間のベルギー王によるコンゴ収奪、古くはアメリカによる黒人独立国家ハイチへの侵略、キューバとフィリピンを侵略した米比戦争、と同一の虚実をもってる。ベトナムのミライ虐殺は、すでにフィリピン、スピーディ・エクスプレス作戦で実施されている。非戦闘員の虐殺は、イラクの誤爆に始まったことではない、アメリカの伝統である。 1500年から350年間続けられた、イギリス、ポルトガルなどヨーロッパ諸国による奴隷貿易が、アフリカを、徹底的に破壊した。リバプールは、その中心地、罪業の都市である。その後、レオポルド二世とその民間委託会社による、コンゴ中流域からの、ゴム収奪。そのために練り上げられたシステム、公安軍による村々の襲撃と、女子どもの人質化、奴隷労働。アウシュビッツのホロコーストのたった40年まえのことである。数百万単位の黒人が亡くなった。知っていましたか?アフリカの未開を、ヨーロッパ人が啓蒙する、と称して、資金を集め、軍隊を組織して、交易ーというより、奴隷労働を強いて収奪するー今と同じでしょ?「白人が黒人に加えてきた極悪非道の悪業の数々」を、「白人が黒人、黄色人種、非白人に加えてきた極悪非道の数々」と言い換えてもいい。『その背後にある動機も全く同一であり、それは抜け目なく巧みに工作され、詭弁を操って力説され、新しい装いをつけて世に披露されている。』 その直後から始まる、欧米列強のアフリカ分割。奴隷貿易は、「人道的見地」から止められたのではなく、需要がなくなったから。次に、アフリカ、特にコンゴ上流域に資源を目的にした領土戦争が、白人の治安保護や、蛮行からの防衛を口実に仕掛けられる。マタベーレとマショナを侵攻したセシル・ローズ、トランスバールの金鉱山を掌握するための第二次ボーア戦争、カタンガ地方のウラン鉱山採取権につながる独立後の戦争。ボーア戦争では、ゲリラに対し徹底的な焦土作戦がイギリス側から実施され、三万の農場が焼かれ、強制収容所で三万のボーア人非戦闘員と、白人間の抗争に巻き込まれた二万人の黒人が死んだ。60年の独立以降も、採鉱利権を手放さなかった多国籍企業による奴隷労働は続き、持ち込まれる武器によって激化する内戦、ネオ・コロニアリズムのもと、資源を収奪され搾取され続けるコンゴ、アフリカ。 アンポによる支配、と私は言ったが、これも、アングロサクソンによる植民地支配、大英帝国以来継承された施策の一部と見て、彼らの本意を推し量るべきだろう。 だからといって、「白人クラブ」につらなる、いまの日本政府、アジアに対して行なってきた日本の植民地政策の罪が軽減されるわけではない。ただ、その類似性に驚く。三光作戦、朝鮮植民地化、言いがかりをつけての戦争、強制労働と収奪、誰がやっても、植民地政策と、帝国主義、拡張政策を続ける限り、同じような悪業にたどり着く。 『この数百年、見事に機能し続けている「ヨーロッパ」というシステムそのものが問題なのである。わが日本もその中にあり、中国もインドも、今や、そのシステムの有力メンバーである。』今の日本も、インドネシアや、フィリピン・トヨタでやってる。 オバマの「非核演説」も、アングロサクソン伝統の国家的欺瞞の典型である。裏で、行なわれる非道こそが、実体である。イラクでは、教育・技術を担う層を根こそぎにして未来への力を断ち、恒久的な巨大基地が造営された。中南米に行なっている不安定化=スマートパワーによる政権の転覆がいくつも持ち上がり、アフガンでは更なる戦争が進行中である。知ってて見なかったコンゴの闇の実体。収奪のシステムの破綻は始まっている。それに、ヨーロッパの第一次世界大戦のような、破局が、用意されているのか。わからんが、私たちの生活様式を維持するため、いけにえにされてきたアフリカを見ることから、始めようと思う。
2010年04月11日
コメント(0)
次の、『戦争と平和を考える集い』 の準備に、集まってきました。 5月に、沖縄普天間返還問題は、決着するだろうか。政府は、公約とした「沖縄県外」をカタチだけでも整えようと、鹿児島県徳之島への訓練施設の移転を含む機能分散をいったり、佐賀空港への全面移転をほのめかしたり、グアムが取りざたされたり、話は紛糾するばかりだ。キャンプシュワブ(辺野古内陸)案や、基地機能分散、では、沖縄の怒りは収まらない。今日のナンバアクションで、オキナワンと思われる高校生が、「オ!」と見留めて15人くらい、一気に集まって署名した。今、沖縄は、一つにまとまっている。文字通り、島ぐるみだ。決着しないのではないか。徳之島も、沖縄と同じような差別構造に置かれた地域だ。これをよしとするなら、問われるのは、ヤマトンチュウの差別意識だろう。そもそも、「高尚な平和理念の実現のために、犠牲になってきた」沖縄に、これ以上の苦しみを続けさせてよいのか。 人口1%の沖縄に、基地の苦しみの75%を押し付けてきた、我々が、問われているのである。沖縄が苦しみをなめてきたその根本には、アンポがある。沖縄が今の苦境から脱出するには、これを粉砕する以外、本来の道はない。本土側で、沖縄を支援する集会が多数持たれているが、方向性を今だ、打ち出せないでいる。なぜか。アンポの問題を避けて通れないのに、それをはっきり提示していないからではないか。今は、チャンスではないのか。ヤマトンチュウに、その覚悟ー本気で政府と対抗するー気概があるのか。鳩山政権が迷走することで、本土側につけた火種ーじぶんとこに基地を持ってこられていいのかーは、基地被害を自分の身に引き寄せて考えるチャンスを与えた。自分に押し付けられて嫌なものは、他人にも押し付けてはならない、という単純な教え、そのためには、基地がなくなることだよねえ、という方向、そのためには、考えようよ、アンポの存在。この方向で、まとまれないだろうか。戦後65年にわたる、沖縄の差別の歴史を我々は引き受けねばならない。我々の、問題なのだから。押し付けてきたのは、我々だ。同様に、いまだ清算されていない朝鮮、在日朝鮮人に対する差別。国の、高校無償化からの朝鮮民族学校の排除を、撤回させられなかったーこの事実も、いまだ多くの日本人が、差別意識を捨て切っていないためだ。沖縄差別と同根だ。沖縄が体現するアンポと、日本の平和。カードの裏表のように、切り離せない。見ないで済ませてきたアンポ、戦争。戦後を通じて、我々の培ってきた歴史認識は、一歩でも、真実に近づけたのか、-8.15とはなんだったのか。新しい差別の歴史に過ぎんかったのか。決着を求められているのは、我々のほうだ。具体的には、1、沖縄戦を体験した方の体験談を座談会形式で聞く。2、60年安保を闘った人の話を聞く。3、朝鮮高校の先生を招いて、聞く。(4、生駒トンネル工事に強制連行され、亡くなった多くの朝鮮人の方々の遺骨を収集しておられる人があるので、その方の話を聞く。)これらの一つと、『どうする、アンポ』DVD上映会を併設して、矢継ぎ早に、勉強会を開く。 知り合いを訪ねて、取材するもよし、ということでまとまりました。 で、次回は、4月18日、3:00~。お花見も終了、という頃合。1、に関連して、大正区の「おきなわ文庫」という、お店を紹介していただきました。ここの店長さん(沖縄の物産を販売)が、はなし好きな方で、沖縄のことを、いっぱーい!語ってくださるそうです。Jr大正、下車、大正大通りを行き、「ザ飲み屋」を左、の右手。『かじま屋』さん、と看板が出ているそうです。バス停、小林、ちしま公園近く。10時AM~8時PM、火曜日定休日。 5.15に沖縄に行け~と勧められましたが(返還記念日)、ムリ!誰か、オジイやオバア、知ってる人いない?沖縄を眼前に!とゼッキョウしていたところ、ここがいいよよ、と教えてもらいました。
2010年04月04日
コメント(0)
敗戦を終戦と言い換えた65年前から、この国では、どこか狂っておかないと、生きてゆけない。まともでは、まとものままでは、生きてゆけない。足元からおかしいのだ。おそらく、その根っこに、「日米安保」がある。 『どうするアンポ』ばらばらだった、いろいろなこと、辺野古、沖縄の人々の苦しみ、米兵犯罪、イラク戦争、自衛隊派兵、原子力空母配備、横須賀、岩国、米軍再編、構造改革、いろんな密約、対米隷従、なんで、政府は二枚舌か、なんで、我々の生活は、段々苦しくなるのか。5兆円に上る巨大な軍事費、削られる福祉費、米軍軍事費の肩代わり、思いやり予算、警察さえ被害民を加害者あつかいする、市場開放、雇用破壊。これらが、つながってゆく。 日本の再生を高らかに謳った憲法に正面から敵対する条約が、九条誕生の直後からあった。同時にはこの世に成り立ち得ない、二律背反の中身を持った宣言が、憲法までをも縛り、戦後の日本を常に分裂させ、統合できない不条理に人々を追いやってきた。 知っているのに知らないふりをしなければ、成り立たないことば。なにか違うと、つねに受信し続けねばならない毎日。刹那的で、悲鳴の軋みを上げるか、白痴の仮面をつけて日々を渡ってゆくか。社会意識全体が分裂している。または、上部権力機構が、主権者たる下部構造に理不尽を押し付ける。権力の二枚舌、正しくあらねばならないはずのひと、ものが、「ウソなんかついたモン勝ち、」と白々しく居直る国。その根っこに、日米安保の取り決め、政府の沈黙、隷従の根拠となる、膨大な密約がある。わずかに、「アンポ」の苦しみを我がことと受けざるを得なくなった人たちー沖縄、基地や米兵被害者,だけがーほんとは日本人全員のことなのにー、ありのままを知ってしまった人たちが、正気の道を、政府に、米軍に、アメリカに、抵抗のこぶしを振り上げてきた。人のかなしみに、知らん振りして、嘘の平穏を楽しめる気の狂った社会。彼らが、裁判や、座り込みで訴えるとき、わたしたちにも真実へのルートが見える。もう、彼らの犠牲なしに、自分達自身で、扉を開けるときだ。
2010年04月04日
コメント(0)
自衛隊、ハイチ派兵防衛省・自衛隊は、PKO法のPKO五原則を無視して派兵が強行した。インド洋撤収後の派兵先を探していた防衛省・外務省が望む切れ目ない海外派兵が継続自衛隊派兵だけは米国の軍事占領に協調するために優先して決定された。 二月下旬から北部方面隊第五旅団(帯広市)を中心とした派兵部隊の二次隊三五〇人が派兵される。ハイチPKO=国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)に参加し、十一月末まで派兵される計画だ。PKO部隊だけではなく、派兵部隊の輸送・補給のために海上自衛隊五四〇人、航空自衛隊二百人が動員され、航空自衛隊C一三〇輸送機はマイアミとハイチの輸送を行う。 派兵部隊はブルドーザーなどを持ち込むだけでなく、軽装甲機動車、小銃、拳銃、機関銃で武装している。さらに小牧基地所属のKC七六七空中給油機が海外での初の実戦任務につく。東チモール派兵(〇二年~〇四年)以来の規模で、PKOとしては初の中南米派兵となる。 一月十六日、海上自衛隊は八年間も続いた旧・新テロ特措法でのインド洋給油から撤収。二月六日インド洋派兵部隊が帰還し、入れ違いでハイチ派兵部隊が出発した。 今回、防衛省・自衛隊は、PKO法のPKO五原則を無視して派兵が強行した。インド洋撤収後の派兵先を探していた防衛省・外務省が望む切れ目ない海外派兵が継続された。五原則さえ無視 「PKO五原則」では、紛争当事者間の停戦合意、受け入れ国などの同意などが必要であり、停戦監視などが主要な任務である。反政府勢力と政府の対立で政情不安が続いてきたハイチPKOへの参加がPKO参加五原則を充足するかどうかは、政府自身が「議論のあり得るケース」と説明していた。ところが、防衛省は武力紛争を「国または国に準じる組織による計画的な武力行使」と限定的に解釈。「現地で紛争は発生していない」と強引に解釈し、停戦合意は不要とした。 だが、これまでも衝突などで任務遂行中のハイチPKO要員五七人が死亡している。現地情勢、これまでの政府見解との矛盾は完全に無視された。地震発生直後の救援チーム派遣が遅かった日本だが、自衛隊派兵だけは米国の軍事占領に協調するために優先して決定された。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~mmr/glocal/index.htm 「グローカルのホームページ」 さん から引用
2010年04月01日
コメント(0)
引用 その7 アメリカの核戦力は「抑止力」ではない こう述べた不破氏は、「核抑止力」などとさかんにいうけれど、51年の旧安保条約の時代をふくめ、米国は日本の基地を使って計画してきた核戦争計画の相手は、50年代の中国やベトナムなど、核をもっていなかった相手ばかりだったではないか、と指摘しました。 「日本を基地にしたアメリカの核戦力は、『抑止力』ではなく、『戦争力、侵略力』です。『抑止』という聞こえのいい看板のもとに、日本を、攻撃的、侵略的な核戦争の足場にする、これが『核密約』だということをはっきり見る必要があります」 不破氏は、この大もとはいまも変わらないことを強調しました。 「アメリカの軍事戦略のもっとも危険な特徴は、その基本が、核先制攻撃戦略だという点にあります。先制攻撃とは相手にやられないうちに先に攻撃する、という戦略。そしてその先制攻撃に、必要な場合には、核兵器も使うというのです。 いま世界では、核保有国がまもるべき最小限の基準として、 --非核保有国には核攻撃はしない、 --相手が誰であれ、先制的な核兵器の使用はしない、 という態度を求める声が世界的に起こっていますが、アメリカはどうしてもそれに応じようとはしません。それは、核先制攻撃戦略をとっているからです。 そのことを考えても、被爆国日本の国土を、こんな危険な戦略の足場にする核密約の存続を許すわけにはゆきません。 私は、みなさんとともに、日本政府が、ごまかしの議論はもうやめにして、日米間に核密約があったことをはっきりと認めてこれを廃棄する立場を明らかにし、『非核日本』への道を進むことを強く要求したいと思います」http://blog.goo.ne.jp/urmt/e/f91f745698390b6c8c1d210bff4f2ee5 「未来を信じ、未来に生きる」さん から引用
2010年04月01日
コメント(0)
引用 その6 ケネディは63年11月に暗殺されますが、あとを継いだジョンソン政権は、64年、北ベトナム攻撃の戦争を開始します。この戦争は、結局、アメリカの大敗に終わるのですが、アメリカは、その間、軍事的な失敗や危機が起こるたびに、核兵器による戦局の打開を何回も計画します。ベトナム駐留米軍の総司令官だったウェストモーランドは、戦後、"核兵器を使っていれば戦争の成り行きは違っていただろう"と残念がった、とのことです。当時、核兵器の使用という場合、最大の戦力は航空母艦ですから、このときも、日本は核戦争の最前線の拠点という位置にあったのでした。 このように、核密約というのは、核兵器を積んだ軍艦が時々日本に入ってくるというだけの話ではないのです。核密約50年のあいだに、日本は核戦争の前進基地として、何度、戦争の瀬戸際まで引き込まれたか分からないのです。とめどなく広がる拡大解釈 不破氏はその上で、「最初のうちは日本の対応を心配しながら、という気配のあったアメリカだが、何をやっても大丈夫だとなると、厚かましくなった」と述べ、「密約」の拡大解釈が始まった経過に話を進めました。(1)沖縄「核密約」(69年)とは 69年の沖縄返還交渉では、佐藤栄作首相とニクソン大統領のあいだで、新たな核密約が結ばれました。その時、沖縄返還と核兵器の撤去が合意され、日米共同声明が発表されましたが、同時に、「重大な緊急事態」が起き、核兵器を再び沖縄に持ち込むことが必要になったときには、日本は、事前協議で核持ち込み(地上配備)を認めることを約束したのです。「再持ち込み密約」です。 不破氏は、この密約で重要なことは、再持ち込みのために、沖縄の「現存する核兵器貯蔵地を......いつでも使用できる状態に維持」しておくことが明記されていることだと指摘しました。 「核兵器というものは、核弾頭を持ち込んだだけでは使い物になりません。核兵器を維持・管理し、使用できる状態にするシステムが必要です。アメリカは、この密約で、そういうシステムを沖縄基地に持ちつづける権利を手に入れたのです」「政府が発表した密約調査報告では、"時間がたったから密約の意味はなくなった"などと書いていますが、核兵器を管理・使用するシステムを維持する権利は、いまでもアメリカの手中にあるのです」(2)核空母の「母港」化受け入れ(72年) もう一つの重大な拡大解釈は、72年に横須賀を空母ミッドウェーの母港にしたい、というアメリカの申し入れを受け入れたことです。日本政府(田中内閣)は、「母港化というのは、乗組員の家族が日本に来るというだけのこと。核兵器を積むことはありえない」といって、これを受け入れました。しかし、これは、日本に申し入れる前に、アメリカの政府内で大問題になったことでした。国務長官が、"密約があっても、母港化までは無理だ"と懸念をとなえたのです。母港なら最低3年は居座るものを、「立ち入り」「寄港」とは言えないからです。それを、国防長官が"密約でやれる、大平との合意もある、心配は要らない"といって押し切ったのですが、国防長官の見通したとおり、日本政府(この時も外相は大平氏でした)は、なんの異論もとなえないで、受け入れたのでした。ミッドウェーは横須賀「母港」に結局11年も居座り、その後も、たえず、より新鋭空母に交代して今日にいたっています。
2010年04月01日
コメント(0)
引用、その53、核密約下の日米関係史 この核密約は、アメリカの権利を規定した大事な合意文書ですから、アメリカ政府は、これをたいへん重視して、秘密文書ではあっても、軍事や外交で日米関係にかかわる人びとは、必ず読んで仕事をするように、きちんとした管理態勢をとっているようです。 ところが、日本では、違いました。国会内での政党間の闇取引について、以前は、国対の関係者のあいだでは、"墓場まで持ってゆく"ということがよく言われました。60年にアメリカと密約を結んだ岸信介首相や藤山外相は、政府間の密約も同じようなものだと考えたのか、内閣がかわったときに、次の内閣にひきついだ形跡がないのです。
2010年04月01日
コメント(0)
未来を信じ、未来に生きる さんより引用、 その4 次の重要なポイントはその中身です。不破氏は、「討論記録」の条項(表(1))にそって詳しく解説しました。「討論記録」の冒頭にある「1節」は、公表する予定の、「事前協議」についての交換公文の内容です。これだけ読むと、日本での米軍基地の使い方は、すべて事前協議にかかるかのような印象を受けますが、これはあくまで発表用の文章で、それがどう運用されるかの「実施要領」は、秘密条項である「2節」で決められる、という仕組みになっています。 「2節」の頭には、「交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された」とあります。実施要領も、たがいに「了解」しあった合意文書であることは、明白です。ここには、四つの項があって、前半の二つは、交換公文の規定の説明で、A項では核兵器の持ち込み(地上配備)、B項では日本からの戦闘作戦行動が、それぞれ事前協議の対象になることが規定されています。この部分は、ごまかしの名目をつけて日本政府は後で公開しました。 くせ者は、次の二つの項で、そこでは、何が事前協議の対象にならないかが、規定されているのです。C項では、アメリカの飛行機や艦船の日本への出入りは、「現行の手続き」どおりにする、現行とは、これまでどおりということで、事前協議の対象にせず、アメリカの自由勝手にまかせる、ということです。D項は、戦闘作戦行動にかかわることで、米軍が日本から移動することは、アメリカの勝手ですよ、ということです。 つまり、表向きは事前協議の条項があっても、実際は、核兵器を積んだアメリカの軍艦の日本寄港もこれまでどおり自由勝手、核を積んだ爆撃機の日本基地利用も天下御免、「移動」という名目がつけば、日本を拠点に戦争地域に出撃することも自由にできる、こういう表と裏の二重底の仕組みを、日米の合意でつくりあげてしまったのです。 不破氏は強調します。「これは、アメリカにたいして、軍艦や飛行機に積んだものなら、事前協議なしで日本に核兵器を持ち込む権利があることを、日本が認めたことです。だから、この密約があるかぎり、アメリカの軍艦や飛行機が核兵器を積んで日本に入ってきても、日本政府は文句をつける権利がないのです」--------------------------------------------------------------------------------
2010年04月01日
コメント(0)
『未来を信じ、未来に生きる』さんより引用、 その3 核密約(討論記録)を読む二つのポイント ここで、不破氏は、「核密約」の二つのポイントを丁寧に解説しました。 ポイントの一つは、核密約「討論記録」が、政府が結んだ条約だということです。1月6日、この文書を取り交わした日に、マッカーサー大使が本国政府に打った電報は、「藤山氏と私は、本日、以下のそれぞれについて、二つの英文の原本に頭文字署名をし、取り交わした」として、署名した文書の最初に「討論記録」をあげています。しかも、電報は続く部分で、これをそのコピーも含めて「秘」文書として指定することも約束しあった、としています。こうして文書で合意を確認しあったものは、名前がどうであっても、まぎれもない条約なのです。だからこそ、マッカーサー大使は、核密約をふくむ一連の文書の全体を「条約を構成する文書群」として本国に報告しました。
2010年04月01日
コメント(0)
核密約問題は、アンポ問題である。アメリカの戦略=侵略=先制攻撃の核配備拠点としての日本利用、そのための安保、だから。そして、それに、唯々諾々と従い続ける日本政府。 以下、『未来を信じ、未来に生きる』さん から引用。 その22、日米安保条約と核密約朝鮮でベトナムで台湾海峡で。日本を拠点に核攻撃を準備 不破氏は、核密約の本当の意味をつかむには、日米安保条約の歴史を見る必要がある、として、まず最初の安保条約(51年)下の日本の状態をふりかえりました。 53年に成立したアメリカのアイゼンハワー政権のもとで、同年には朝鮮で、54年にはフランスとベトナムの戦争で、58年には台湾海峡で、アメリカの政府と軍部は何回も核兵器の使用をくわだて、そのたびに、日本を拠点にした第7艦隊の空母が、問題の海域に出動してゆきました。これらは、すべてアメリカの公式資料に記録されている事実です。 たとえば、54年のベトナム戦争の最終段階、ディエンビエンフーに集結したフランス軍が包囲されて全滅の危機にさらされた時、米政府が2度にわたってベトナム軍への核攻撃を提案しました。フランス政府もそれを受け入れたのですが、結局は世界の世論を恐れて不発に終わりました。ディエンビエンフーの敗北後、野党の党首マンデス・フランス(次のフランス首相です)は、「核攻撃の日取りまで決まり、原爆を積んだアメリカの艦船はすでに航行中だったではないか」と米仏両国政府の危険な計画を糾弾しましたが、原爆を積んだ艦船とは、第7艦隊に属する2隻の空母でした。当時、第7艦隊は横須賀を拠点の一つとしていました。 不破氏は、「当時は、日本への核兵器の持ち込みも、日本の基地からの出撃も勝手放題というのが、安保条約下の実態だった」と語ります。 しかし、こんな状態では、日本が独立国だといっても、世界では通りません。同じ安保でも、もっと独立国の体裁をととのえよう、ということで、日米両政府が一致して、58年に始まったのが、安保条約改定の日米交渉でした。「事前協議」と核密約の抱き合わせに安保交渉の焦点があった このとき、日本が「独立の証し」だといって主張したのが、日本の基地の使用について「事前協議」の制度を設けることでした。"基地は貸していても、戦争に使ったり、核兵器をもちこむような時には、事前に日本政府と相談する。これなら名実ともに独立国だといえる"。こういう仕組みです。 この時のアメリカ政府は、まだアイゼンハワー大統領の時代です。「事前協議」の制度をつくるのはいいが、日本政府といちいち相談しないと基地を使えないようでは、日本に基地をおいておく意味がなくなる、「事前協議」の仕組みはあっても、実際の基地の使い方はこれまでどおり自由にやれるような道を見つけだそう、こういう考えで交渉をはじめました。実は、安保改定交渉のいちばんの核心の一つは、この問題の解決にあった、といってもよいでしょう。 交渉は58年10月から始まりましたが、記録によると、アメリカの交渉担当者のマッカーサー大使は、「事前協議」といっても、軍艦や飛行機の日本への出入りは従前通り協議なしでゆきますよ、という話を、交渉の最初の段階から持ち出しています。 不破氏は、「この交渉で合意したことを文書にしたのが『討論記録』という合意文書です。『討論記録』という名前にしたのは、日本側の注文で、それが万一明るみに出たときにも言い逃れをできるように、ということだった。合意ができたのは、59年6月で、マッカーサー大使は、そのとき、『今日、完全な合意ができた』という報告の電報を本国政府に打ち、新しい安保条約や事前協議の取り決めとともに、『討論記録』も、合意した文書のリストにあげている」と語りました。 その後、いろいろな追加的な交渉があり、新条約調印の月である60年1月6日に、日本政府を代表する藤山愛一郎外相とアメリカ政府を代表するマッカーサー大使とのあいだで、「討論記録」など三つの秘密文書を互いに頭文字署名をして、それを公式に取り交わしていたのでした。
2010年04月01日
コメント(0)
核密約 「未来を信じ、未来に生きる」サンより、引用。 その1 日本共産党の不破哲三・社会科学研究所所長が、20日に神戸市での「非核『神戸方式』決議35周年記念のつどい」でおこなった記念講演を詳報します。--------------------------------------------------------------------------------1、核密約問題が「非核の日本」への焦点となっている政府の密約調査の結果は... 不破氏は、冒頭、「米軍部が日本を拠点にアジアでの核戦争を最初に企てたのは、朝鮮戦争のさなかだった。それから約60年、国民が待望してきた『非核の日本』を現実のものにする展望が、私たちのたたかいいかんで手にできる時代がやってきた。そのためには、日本をアメリカの核戦争の計画にしばりつけ、アジア最前線の基地にしてきた『核密約』の鎖を断ち切ることがどうしても必要だ。そこに『非核の日本』に道を開く最大の関門がある」と語りました。 では、鳩山内閣の「密約」調査の結果はどうだったのか。不破氏は、「私たちも政府に資料を提供してきたが、発表された調査結果を読んで、たいへん失望した」と述べ、「政府の調査結果の核心」として、次の3点を指摘しました。 第一は、私たちが10年前に国会で政府に示した「核密約」の諸文書が、まぎれもない日米両国政府が取り交わした文書であることが、確認されたこと。 第二は、岡田克也外相自身が、安保条約改定から今日までのあいだに、この文書にもとづいて核兵器を積んだアメリカの軍艦が日本に寄港していた可能性は否定できないと、政府として、「核持ち込み」の事実を認めたこと。 第三。これがいちばん肝心だが、そこまで認めながら、報告書は、あの文書は「密約」ではないと言い張り、政府も、だから、廃棄する必要もないし、アメリカ政府とあらためて交渉するつもりもない、つまり現状のまま黙ってほうっておく、という態度を明らかにしたことです。 不破氏は、「鳩山由紀夫首相も岡田外相も『非核三原則』を口にはするが、核問題での日米関係を変えるつもりはない、日本が核戦争計画にしばりつけられている現実には指一本ふれない、これではこれまでの自民党政治となにも変わりはないではないか」と指摘しました。
2010年04月01日
コメント(0)
あつこばのブログ http://atsukoba.seesaa.net/さんより引用 しかも、「軍民併用」を謳って、軍事施設であることを覆い隠す。自衛隊+米軍、の、恒久的一大拠点をつくるつもりらしい。これは、明らかに、軍拡だ。今後200年に禍根を残す。
2010年04月01日
コメント(0)
このひと、いいな。すっきりするな。すがすがしいな。 http://ameblo.jp/subsist/theme-10006918613.html
2010年03月29日
コメント(0)
その4ところで、この、アメリカ合州国という巨大なカルト教団じみた国家は、常に刺激と娯楽を求める我々の心の間隙を、カメラ映えする瓦礫、他国の救助隊や国連軍を画面の外に追い遣ってまで撮影された米兵たちによる勇敢な活躍を描くドラマ、甘美なヒロイズムとより深い感動を与えるストーリー、まやかしの正義と臆面もない偽善、等々でもってじつに巧みに埋める術を官民総力をあげて開発しているようです。外国人である我々の意識構造でさえも合州国の存続にとって最も都合の良い形に整形し、肥大化させようと、ありとあらゆる機会を捉えてアプローチしてきます。昔、ワシントン特別区から川を渡ったアーリントンで、兵士たちによって摺鉢山にまさに掲げられんとする星条旗のモニュメントを見たとき、殺された側の日本人であるにも拘らず、不覚にも感動してしまいました。そんな自分に戸惑い、呆れ、観光客ならぬ観客であった自分に気づき、この国は国民に対して合州国民であると言う満足感や感動を与え続けるため、常に戦争していなければならないのではないか、国全体が中毒にかかっている、まるでギアツが描いた劇場国家の超拡大版ではないか、全世界の市民をも巻き込んだ視聴者参加型番組を放映し続けている、と、そのときは合州国がまき散らすとんでもない害毒にまでは考えが及ばず、ただ、妙に感心してしまったことを思い出します。最新鋭のハイテク兵器で武装したスーパー・ヒーローによるスーパー・パワーの行使、しかも相手はいつも、強大な合州国とは比較にならないほど矮小な国力しか持たない弱小国で、兵力といえばまともな武器さえ持っていない『農民』『行商人』『学生』ですらあるのですから負けることは許されません。記憶違いでなければ確かデモクラシー・ナウで放送されたと思いますが、ソマリアの漁師さんたち有志によって結成された沿岸警備自警団が自国沖で繰り広げられる欧州の漁船団による大量密漁や放射性廃棄物等海洋汚染物質の不法投棄を監視し、どの国の沿岸警備隊でも実施している領海侵犯に対する臨検、逮捕・拘束、罰金の科料をしたところ、海賊行為だと騒ぎ立てられ、多国籍海軍で編成された大艦隊まで展開されている。もちろん弱い者苛めに関しては(じつのところ不様に負け続けているものの糊塗された)数々の実績を誇り、日々そのノウハウ改良に余念のないスーパーパワーの合州国による肝いりで艦隊編成です。もう、怒るどころか呆れるを通り越してしまいました。大国どもは一体全体この世界をどうしたいのやら。もしかして、世界中を資源マフィアや金融資本という貪欲な強者のためだけに『解放』して、人類が長年月かけて築き上げた『文明社会』や『文化的生活』を破壊し、自らが頂上に立つことを前提に、弱肉強食のきわめて野蛮な原始自由主義社会(リバタリアニズムや自由至上主義などというお洒落な言い方が流行っているようですが、私は『原始自由主義』と勝手に名づけています)を実現したいのでしょうか。 引用、おわり「私の闇の奥」様 の「ハイチとは我々にとって何か」シリーズのその5に寄せられたコメントを、引用させていただきました。アメリカが中南米に対してとる植民地政策は、日本にも、大枠で当てはまるように思います。
2010年03月27日
コメント(0)
「ハイチとは我々にとって何か」5 より引用その3ここで、なぜ、私がエクアドルのラファエル・コレアを似非反米左派と疑っているのか、簡単に説明します。ベネズエラのチャベス大統領を嵌めるための妙なアーカイブが出てきたFARCナンバー・ツー暗殺事件やブラジル開発銀行へのモラトリアムなど一連の疑惑と南米経済の混乱を招こうとした事件にエクアドル政府が深く関与していることからも伺えますが、地図を見るともっと分りやすい。コロンビア、ペルーという親米右派政権国家に挟まれているエクアドルは、基地の使用期限が切れた米軍に対して撤退要請し、あっさりと要請を受け入れた米政府・軍は、エクアドルを引き払って「ベネズエラ、ブラジルの両国と国境を接するコロンビア」で数万人規模の兵力を大展開することになりました。ちなみにエクアドルの国内通貨は米ドルで通貨発行権は合州国です。中南米では日々の生活でさえ味方だと思っていたら足元を掬われてしまうことなど日常茶飯事ですが、逆のケースもまた存在するようです。この地にある国々は帝国主義の犠牲者と言うより、国民の多くが直接、間接に加害者でもある人々によって作られている国が殆どですので、政治情勢に関する分析はかなり困難です。例えばブラジル政府が最後まで匿っていたホンジュラスのセラヤ大統領は、右派として当選しながら左派に変身しています。過去にはブラジルのヴァルガス、クァドロス、ゴラール、アルゼンチンのペロンらも不十分とはいえ当時では精一杯の左旋回をしている。コロンビア最高裁によって発表された大統領多選禁止判決、元国防相の立候補や大統領が関わったという汚職疑惑などの報道に接したとき、最大限の善意でもって解釈すれば、コロンビアのウリベにしても次回選挙で再選されて長期政権への足掛かりを得たところで左旋回・反米化する手筈だったのかもしれません。アメリカ帝国主義の傀儡として子々孫々蔑まれるよりも民衆のために立ち上がった人民の指導者として歴史に残り、たとえドン・キホーテと呼ばれても伝説として語り継がれたい、という名誉欲に駆られ易いポピュリスト政治家の行動原理については、米国務省やらシンクタンクなどによって分析済みでしょうから、ウリベがこの南米伝統の打算的イベリア騎士魂を発揮する前に芽を摘み取ったように思えてなりません。しかし、なかには打算的ではない人たちも存在する。 フィデル・カストロやエボ・モラレス、ウーゴ・チャベスの三人に対して、なぜ、アメリカ合州国はあんなにまでヒステリックに攻撃するのだろう、どれも小国なのに、と、以前から不思議に思っていましたが、藤永先生のブログを読み進むにつれてものごとの核心が見えてきたように思えます。『神に祝福されたアメリカ合州国の為には限りなく強欲であれ。(富を収奪して豊かになるという)目的達成の為にはいくら恥知らずであっても構わない。私利私欲の追求は美徳である。我利我利亡者など存在しない。存在するのは我利我利聖者だ』という教義を基本とするカルト・アメリカ教にとって、三人のように私利私欲がなく、国民の為に平気な顔して身を捨てている指導者ほど疎ましい存在はないということです。アメリカ政府は拉致したアリスティド大統領に対しても、どうせバナナ共和国の土人だ、買収できない筈はない、と、荒野でイエスに幻の王国を見せた悪魔さながらの様々な約束をしてみせたかもしれません。効き目がなければ抹殺するか閉じ込める。今の隔離・幽閉状態がそうではないでしょうか。チャベス氏が国連でブッシュ演説の後に登壇したとき「硫黄の匂いがする」と十字を切ったのは、氏に対しても合州国による悪魔的オファーがあったことを仄めかしていたのかもしれません。合州国の支配者たちは「(モノ、金、地位、名誉、権力、その他諸々で)買収されない人間がいるなんて信じられない。買収されない人間なんて人間ではない。彼らはきっと悪魔の化身に違いない」とまで真剣に思っているのではないでしょうか。とくにフィデルのような無欲のご隠居さんは向かうところ敵なしですから、彼らの目にはこの上なく恐ろしい存在として映るのでしょう。
2010年03月27日
コメント(0)
「ハイチとは我々にとって何か」5 よりその2ハイチ大地震による犠牲者増大の主要因は、藤永先生が指摘されたように、キューバやベネズエラ、ブラジル等近隣諸国による救助隊派遣や救援物資搬入をほぼ完璧に足止めしてしまった米軍による武力の誇示を目的とする速やかな展開と占領です。米軍は救助活動のために現地に入ったわけではありません。それでも北米のジャーナリストは現地の人の声として「ブラジル軍を中核とする国連軍は救助活動もせず、銃で小突くばかりで暴力的だった。米軍が進駐してきて安心した」などと報道していました。2004年から1200人規模の部隊をハイチに常駐させているブラジルは、合州国(このほうが良いですね)の使いっ走りだと思っていたのですが、現在の中道左派政権は救助活動でベネズエラ、キューバ両国と連携していたらしく、救援物資を積んだ機をカラカスで待機させ、ブラジル空軍の空挺隊輸送機5機を含めた7機が数度にわたって米軍管制空域を一斉に『侵犯』するなど、異様な緊張下で伯国外相と米国務長官との直接交渉が行われた模様です。合州国は、ハイチ大地震というあまりにも不幸な災害を利用し、自国民を満足させながら洗脳を深化させることと同時に、ブラジル、ベネズエラ、キューバに対して強大な力を見せつけました。とくに、部隊を派遣しているブラジルの現政権に対する揺さ振りと攻勢のための「材料」としてハイチの不幸を使ったのではないかとさえ勘ぐってしまいます。二期目の任期を来年一月一日(実質今年度末)で終えるブラジルのルーラ大統領は一昨年来80%以上という高支持率を維持しています。しかし、オバマ就任あたりから展開され始め、拡大されてきたメディア各社による巧妙な世論誘導で、今年はチリと同様の政権交代が起こる可能性が大きくなっていることも無視できません。チリでは実質的にクリントン米国務長官の肝いりで仕掛けたとみられる巧妙なプロパガンダ戦術がメディア展開され、任期末まで圧倒的な支持を得ていた中道左派のバシェレ大統領によって指名された後継候補が敗れ、親米右派の「大富豪」が勝ったことで結果的に政権転覆しています。ブラジルでも『労働者党』を中核に『ブラジル共産党』から『ブラジル民主運動』まで糾合した中道左派連立政権の政策に対する支持率が75%、大統領に対する支持率が83%であるにも拘らず、次期大統領選に関するメディアによる世論調査では、『民主主義者たち』(旧軍事独裁政権の流れを汲んだ親米右翼の自由戦線が気味の悪い冗談としか思えない党名に変えただけ)と『緑の党』(決選投票になれば保守派へ合流。ご多分に漏れず、この国でも植民地主義者の隠れ蓑。法務相が懸念していると口を滑らせたのですが、資金はUSAID/CIAと欧米資本→NGO→党。環境政党であるのに右派や保守派と政策連合を組んでいます)の推す『ブラジル社会民主党』(看板に偽りあり。社会民主主義とは縁遠い新自由主義路線。最近の言動から、党の重鎮カルドーゾ元大統領はロン・ポール顔負けのリバタリアンに転向した模様)所属のサン・パウロ州知事が不思議なことにいつもリードしています。もし政権交代となれば、ブラジルでは再び北米資本への隷属が強いられるネオリベラル路線が復活するでしょうし、合州国にとってはキューバに続いてベネズエラを封じ込め、チャベス政権転覆のための軍事侵攻さえ可能となる絶好の布陣が得られます。実際問題として、中南米諸国を政治的に「解放」するという大義名分を声高らかに謳い上げ、バナナ共和国にはバナナ共和国としての身の程を弁えさせ、支配者が誰であるのかを知らしめる、という、オバマ─クリントン・ドクトリンに則った「スマート・パワー」による政治介入(彼らにとっての植民地管理)は、中南米諸国にとって思った以上に手強い様相を呈してきました。南米で暮らしていると自分が「殺される側」にいることを緊々と感じます。と同時に、日本や北米にいた頃の自分が「殺す側」の論理に搦め捕られていたことも、今更ながらに再確認させられます。さて、ホンジュラスのクーデター(事変が発生したとき、体良く拉致・誘拐され、追放されたハイチのアリスティド大統領のことを真っ先に思い出しました)、ハイチ再占領、エクアドル似非反米左派政権との談合によるコロンビアの実質占領及びベネズエラ、ブラジル国境地帯を睨んだ米軍基地移設、チリにおける中道左派から親米右派への政権交代、と、一連の「出来事」でもって合州国の覇権力を存分に見せ付けてきたヒラリー・クリントン米国務長官ですが、先日、ブラジルを含む中南米5ヶ国を訪問していました。外相会談、クリントンによる表敬訪問及び外相も混えた会談の直後、ルーラ大統領はイランに対する制裁強化に同意しない旨を表明し、翌々日、合州国の農産物補助金政策への制裁措置として米国製品に対する関税率の大幅引上げを発表しました。そして、翌週にはイスラエル及び中東各国を訪問しています。ルーラ氏は本気で、ロシア・東欧まで含んだ欧米諸国が資源価格の上昇や財政赤字の粉飾と景気回復の為に願ってやまないイスラエルによるイラン爆撃と誘発されるであろう戦争を止めさせようとしてるのかもしれません(合衆国政府は取って付けたような強い調子でイスラエルを批判していますが、大義名分を声高に表明してみせるお得意のポーズではないでしょうか。不吉な出来事が起こる前兆のようで薄気味悪い感じさえします)。この一見奇妙な反応と行動から、クリントンの恫喝外交プラス仲間に引き込もうとした姑息なやり方に対して、普段はきわめて温厚なブラジル政府が「激怒した」ことは容易に伺えます。オバマとヒラリー(クリントン夫妻は中南米を選挙運動で生じた借金のカタにしてしまったと噂されています)が、中南米各国や中国、メキシコ、ベネズエラ、ブラジルにパワーを見せつける為に大地震に遭ったハイチの悲惨な状況を利用し、それが故に数十万人単位で瓦礫に埋もれた被災者に対する救助活動が大幅に遅れ、二十二万人余の死者が出たことを考えれば、ブラジル政府が大国のエゴを綺麗事で取り繕おうとする合州国のやり方に対して怒りを顕わにしてもおかしくはないし、むしろ足りないくらいです。普通の神経を持っている人なら誰もが憤慨する。
2010年03月27日
コメント(0)
「ハイチとは我々にとって何か」その5 より引用その1 http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2010/03/post_aa35.htmlコメントはじめまして。ブラジル在住の須衛野と申します。こちらでハイチ大地震がどのように報道されたのか、また、どのように見えたかを列挙してみます。・ブラジルのカトリック教会系NGO主催者である小児科医Zilda Arnsさんがハイチで活動中に被災し、犠牲者となったことで、発生直後からメディア各社が競って情報収集に奔走し、現地の様子が逐次報道された。・ハイチ駐留国連軍の中核をなしているサンパウロ師団の連隊から犠牲者が多数出たために、発生翌日には国防相が現地入りしようとした。しかし、いち早く展開した『米軍』によって空港使用が規制されて現地入りが大幅に遅れた(ベネズエラと中国は規制前にハイチ入りしている)。・米軍下請けの占領代行者でしかないブラジル軍を主体とする駐留軍兵士たちは、被災者救出に使用する重機どころかツルハシもスコップも扱えず(人殺しの訓練を受けてはいても人命救助訓練はたいして受けていなかった模様)、ブラジルで消防隊による救援部隊が急遽編成されて現地へ派遣された。しかし、米軍の管制によって着陸を拒否される。伯国外相から米国務長官へ再三にわたる要請(抗議)の末、発生から3日目に現地入り。・現地で最も早く展開したのはキューバ留学組の医師・看護師たちによって編成された医療団とベネズエラからの救援物資配布部隊、中国の救助隊であった模様。しかし、米軍による空港及び港湾使用規制によってブラジルやベネズエラ、キューバからの後続救助隊の入国はままならず、ドミニカ経由による入国も国連軍(聞き間違いでなければパキスタン部隊)により拒否される。 ・発生3日目あたりからCNNやBBC、カナダの放送局の報道素材がブラジルの民放各社で放映され始め、2週間後まで自前の素材を流していたのは大手5社のうち2社であった。ちなみに民放各局の主要なスポンサーは米国等外国資本(GM、フォード、ユニリバー製品、etc.)が大半を占めている。・CNNの提供映像を用いて報道された暴動や略奪発生に関しては、現地駐留部隊の司令官により、暴動は発生しておらず平穏で住民は協力している、と、再三にわたる否定があったにも拘らず、何度も報道される。ブラジル派遣部隊司令官が電話取材で「何年もかけて築き上げ、醸成してきたハイチの人々との良好な関係と国連軍への信頼が米軍によって破壊されつつある」と言うコメントを出すが、(国営の連邦貯蓄銀行とブラジル石油公社がメインスポンサーである)民放1社が夕方のニュースで一度放送したのみ。他局は該当部分をカットして放送した。・米海兵隊のヘリコプターが大統領宮殿の庭へ強行着陸した。ブラジルの民放2社は被災市民たちの憤慨した様子や「どうやら国旗を星条旗に変えたほうが良さそうだ」と肩を竦めて皮肉混じりのコメントをする市民の様子を伝えた。他社は無視。・米メディアによって撮影されたヘリからの救援物資ばらまきと人々が奪い合うシーンを何度も流す放送局がある一方で、秩序を保って配給の列に並び、捜索や復興で助け合う被災者の様子を特集番組(国営のブラジル銀行がメインスポンサー)で放送した民放が1社(ブラジル派遣軍の宣伝目的或いは米国メディアへの対抗か)。・米国、カナダ、フランスにブラジルを加えた四ヶ国でハイチの復興を(寡占)推進していこうという呼び掛けに対し、ブラジルの大統領府と外務省はベネズエラ、キューバ等近隣諸国を入れた援助国拡大会議を要求。後に、カナダとフランスが提案したとして報道された。・3月19日、ボリビア経由でブラジルに入国したハイチ人14名が連邦警察へ出頭して難民申請を行い、受理された。法務相による認定待ち。政治亡命か経済難民であるのか現在のところ不明。
2010年03月27日
コメント(0)
全695件 (695件中 51-100件目)