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米国の「核の傘」を選んだ日本は、核の傘の防衛機能と共に言うまでもなく威嚇作用も一緒に受け入れたことになる。ところが、核の傘は日本がその中に統合されていく重要なシステムでもあるにもかかわらず、国民的議論はまったくない。 過去十年にわたって日本と米国が追及し続けてきたのは、何よりもまず日本が「極東の英国」になるということだ。しかしこの構想に核抑止力がくみこまれていることはほとんど誰も気づいていない。 六ヶ所村の施設を計画通り45年間使用した場合にかかる費用を19兆円と試算している。実際に掛かる費用は試算の数倍になるかもしれない。毎年,約8トンの兵器級の高純度プルトニウム、核弾頭1000発分、が生産される。 日本の政府と官僚は核大国への道を選びその実現に向かって突き進んだ。そのため米国との結びつきは強まったが、アジアとの溝は広がった。2006年2月、米政府はGNEPのメンバーに日本を加えることにした。 米軍の心理作戦部隊は日本占領にあたって、日本をアジアから切り離して米国につなぎとめて置くためには、近代天皇制の核心は変更せずに戦後日本を天皇を中心にした国家として再構築したほうがいいと考えた。占領軍戦時情報局が作り出した天皇中心の日本人というアイデンティティが無批判に再生産された。その過程で、日本人が優秀な民族で他のアジア諸国とは違うという自己認識に根ざす差別や偏見も次々に生み出された。日本人の中に、日本人は優秀な民族で他のアジア諸国とは違うと思い込んでいる人が打数を占めている限り、いかなるアジア共同体も生まれないし、アジア連邦が成立することもないだろう。まして、そういう日本と中国との協力関係は成立しない。従って、天皇を戦後日本の中心に据えたことは、数十年前に米国務省が予見したとおり、まさに米国の利益にかなったのだ。ネオナショナリズム的発想は、日本をますます周囲から孤立させ米国への依存を深めるだけだ。 日本の軍事力強化と米国への従属がリンクし、またそれらが愛国心の強調(ナショナリズム)とリンクしていることは、日本の戦後政治のさまざまな場面で明らかになってきた。 反テロの風潮が広がると、ナショナリズムと外国人へ嫌悪感が高まり、結果として外国人やマイノリティが差別されることになる。「天皇を中心とする」非アジア的で特別な日本人というアイデンティティは、「日本に帰属しない」ものを排斥することによってのみ成立する。したがって、日本にとって差別は必然であり、さらに差別を再生産する。 アジア諸国は、アイデンティティと目的を共有しつつ、21世紀に対応できる単一の共同体の構築を目指して努力しているが、米国に押し付けられた戦後日本のアイデンティティが、その実現に大きく立ちはだかっている。 自然を破壊して搾取するばかりでなく、自然界と共存する持続可能な工業社会の新しい形を見つけなければならない。まさに資本主義と近代のパラダイムを根底から再考することが求められている。しかし残念なことに、日本政府が真っ先に発想するのはいつも兵士と武器により「国際貢献」だ。
2010年09月01日
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安保条約の位置づけは、憲法と教育基本法をも超越する国家としての日本の基本憲章と考えるのがもっとも分かりやすい。 1947年の文書は疑いなく「憲法」であり従って基本法であるが、1947年には存在していなかった文書である日米安全保障条約にも注目しなければ、戦後日本の政治体制を理解することは出来ない。平和主義と軍国主義という両極端を巧みに結びつけながら、日本国憲法は今日まで続いている。 日本は明らかに、二つの地域に分割されているのだ。それは「平和国家」としての日本本土と「戦時国家」としての沖縄である。 戦後の天皇制は、占領当局が占領政策を実行しやすくするために米国がつくった米国の制度である。 「ナショナリスト」が、天皇を中心とした有機的統一と称揚する、独自の日本文化とか・・いうものは、じつは、周到に準備されかつ意図的に日本人に植えつけられたものである。これらは19世紀後半の日本で、新興エリートが近代日本にふさわしいように念入りに創作した国家のアイデンティティだったが、戦後、米国の指示に従って再構築されている。多数の日本人が、自分達だけが特別で優秀な人間だと思い込まされ、アジア人と一体感をもてない状態に置かれているかぎり、日本が普遍的な価値を世界に示すことはないだろうし、世界のもう一つの極として米国の脅威となることも決してないだろう。天皇制の維持は、米国の世界一極支配への暗黙の保証になっている。 自民党の憲法草案には、米政府の利益と要求が1946年に負けず劣らず反映されている。従って、自主憲法制定は外国政府の指示に従って外国の利益のために行なわれるものであり、また国民の権利を制限し国家権力を強めるという点で例のない改正案である。 06年になると数百人の東京都の教師が懲罰の対象になっていた。・・それは戦前戦中の「転向」に相当する現代の思想統制で、国家権力への服従の強要だった。 日本政府はいまや、米国にとって都合の悪い憲法9条に対する国民の信頼を挫き、同時に、将来の戦場で必要な心理的意味づけにも十分注意を払わねばならなくなった。・・その過程で愛国心の強制が避けられなくなっている。 日米両政府にとって72年まで米軍の施政下にあった沖縄の存在理由は、日本国憲法第9条で禁じられている「戦力」の保持と「武力による威嚇又は武力の行使」だった。 復帰は沖縄にとって三度目の「処分」だった。 沖縄返還協定で、日本は米国に相当な額の戦争支援金を払うと約束した。日本は核兵器移転費用の名目で、3億2000万ドル(およそ3300億円)を米国に支払った。米国の世界軍事支配を支援しようとしていたのだった。ほかに、1億1200万ドルを「通貨変更」に備えて、25年間無利子でニューヨーク連銀に預託することも含まれている。これこそ、米ドルを基軸通貨として日本がドルを下支えする世界金融システムの始まりだった。さらに2億5000万ドルが機知の維持と沖縄の防衛のために5年間に年賦で支払われることになっていた。どちらも本質的には米国への中世をしめる日本の「朝貢」であり、沖縄返還には直接何の関係もなかった。日本は下落するドルを支え、ベトナム戦争は無論のこと、アジアにおける米国の立場を最大限に支持すると約束した。だから米国は基地の縮小を平静に受け入れたのだ。 「思いやり予算」で、米国防総省は日本というドル箱からほぼ30年で累計2兆円近くを搾り出したことになる。 96年4月のSACOで、普天間は「返還」されるのではなくむしろ在日米軍「再編成」の一環であり、まもなく移転は基地の拡充を意図したものであることが明らかになった。SACOの「普天間返還」合意は沖縄にとって四度目の「処分」だった。 1997年4月に「米軍用地特措法」を改正して、・・「一つの地方公共団体のみに適用される特別法」は、「その地方公共団体の住民の投票において過半数の同意」を得なければ国会はこれを制定することが出来ないーという憲法95条の規定に明らかに違反していた。 1997年の住民投票が出した答えは基地建設「反対」だった。 復帰以後、沖縄に流れ込み続けた資金は、沖縄と本土の生活水準の差を埋めることが出来なかった。 2004年4月19日の日の出直後に、政府の調査船が辺野古沖に現われて工事を始めた。「公告及び縦覧」が終わるまでは当該事業を実施してはならないという規定(環境影響評価法第31条)に違反していた。 2005年10月、辺野古で反対派の封鎖が続いていることを確認した小泉首相は、・・辺野古における二度目の基地建設計画は、1996年の海上ヘリポート案と同様消滅した。沖縄はー厳密に言えば、辺野古と言う漁村はー日本という国との闘いに再び勝利したのだ。 8000人の米海兵隊員は沖縄から撤退するが、05年から06年に掛けて日米両政府が合意した「統合運用体制」と「相互運用」の下で、米軍の役割を自衛隊が代わって果たすだけなので、全体として軍事経費はほとんど変わらない。 沖縄県では、本島の土地の20%と空域の40%は既に米軍の手にあって県の権限が及ばない。さらに海面の権利まで奪う法律は、・・沖縄の歴史や文化の否定に等しい。 たとえ、補助金の地方自治体の負担が5%であっても、いずれにせよ負債は増え続ける。沖縄にとってそれこそが問題だった。負債が増えれば増えるほど中央政府にますます依存せざるを得ず、そうなると政府に対抗して県民の利益と環境を守ろうとする自治体の活力も奪われる。現実には沖縄に限らず、日本中で地方自治はますます制限されている。憲法を擁護しようとする沖縄と憲法を批判し変更しようとする政府ー相矛盾する二つのビジョンがこれほど激しくぶつかったことはない。何が何でも基地を建設するという政府の決意は、それに抵抗する地域社会に対する容赦ない抑圧を生んだ。貧しいからこそ互いに助け合い、支えあってきた人間関係を基地問題と、それにまつわる「カネ」はズタズタに引き裂いたのだ。 自治政府の原則と権利を追及することによって沖縄が自立する道を検討し始めた。 沖縄独立の目標は,政府側が考える「日米両国の利害のために周辺地域と世界を射程に収める重要な軍事基地」という沖縄の役割とは真っ向から対立する。 日本本土も現在、日本を「極東の英国」として本格的な同盟関係を築こうとする米国の圧力に直面している。また自民党と結びついた勢力はこうした日米同盟を強化しようとしている。現在の沖縄は将来の日本本土の姿であり得るし、あるいは本土も既に沖縄化しつつあるのかもしれない。そうなれば1945年以来分離されていた「平和国家」日本と「戦争国家」沖縄は再び統合される。そして沖縄は日本の先頭走者として米国への軍事依存とアジアからの孤立という道を突き進むことになるだろう。
2010年09月01日
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資産と言っても本当は使用できない抽象的な意味の資産でしかない。日本の外貨準備は米政府の財政・軍事や文化的覇権を支える税金の一種だ。 1987年のブラック・マンデーのあとの数週間にわたって国際金融システムの信用を支えたのは日本の資金だった。第一次湾岸戦争の資金は主として日本から調達している。アジア金融危機からアフガニスタンやイラクへの侵攻に至るまで、ドル建て証券を買い続ける日本は、既に25年間もドルの世界的価値をーつまりその延長線上にある米国の覇権をー中心になって支え続けている。 「思いやり予算」で現在日本は約4万人の在日米軍将兵一人当たり毎年15万ドル(1500万円)もの経費を負担している。 日本は沖縄北部に米海兵隊用に新基地を造ると約束している。建設に関わる追加経費は少なくても一兆円になろう。 ミサイル防衛システムに付けられる値段票は2兆円前後になるだろう。 日本の国債発行残高が異常な状態なのは米国との特殊関係によるところが大きい。 米国で財務省証券や債権・数式への需要が低迷したときに日本が30兆円以上を米市場に投入した 外国に奉仕すればするほど、ナショナリストの外見と言説が必要になる。従って、・・レトリックやシンボリズムのレベルのネオナショナリズムであり、・・ 日本は原理主義の世界に引きずり込まれている。そこは、国際法を無視して拷問や暗殺、市民や宗教施設などへの無差別攻撃、格による威嚇や先制攻撃など、数々の犯罪に直接関与しても責任を問われない超法規的世界である。 救う会、家族会、拉致議員連盟、つくる会、日本会議、有力メディア、これらの団体の統一スローガンは北朝鮮と拉致問題だった。彼らは、・・着実に日本をネオナショナリズムの方向へ動かし、米国の世界支配構想への従属を深めていった。 日本の政策は、北朝鮮体制の転覆を主張するチェイニー副大統領やワシントンのネオコンの意図とほぼ一致するようになった。 97年の日米「新ガイドライン」合意に基づく周辺事態法が99年に国会を通り、・・03年のイラク特措法を経て、04年に有事法が成立している。05年~06年には、日本は米軍基地と在日米軍の再編に合意した。 日米二国はまた21世紀になっても自国を崩壊させようとしていると、自らを正当化することが出来る。北朝鮮にとって、他にこれほど役に立つ要素は見当たらない。一方米国は北朝鮮の「軍事的脅威」を前提に、日韓の軍事基地を維持して東アジアにおける軍事的優位を確保したり、ミサイル防衛技術を売り込むことが出来る。米国にとってもこれほど役に立つ要素は見当たらない。 日本が(米国の)「ニュー・アジアン・センチュリー」を選ぶのか、それとも「共通の家」という東アジア共同体を選ぶかはひとえに、次の諸点にかかっている。まず朝鮮半島との間で植民地時代の府の遺産を清算できるか、次に国家意識の大枠を作り直せるか、そして世界一国支配の超大国との関係を再調整できるか、またもしできるとすればそれらはいつごろになるのかー。
2010年09月01日
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ナイ・ドクトリンの基本原則は1996年4月のクリントン・橋本会議で確認され、「日米安全保障共同宣言」に成文化された。これが拡充されて1997年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」になり、1999年の「周辺事態法」の成立に至った。 予想される「第二次朝鮮戦争」に備えて、「第一次」朝鮮戦争(1950年~53年)のときに日本国内で享受した施設利用と行動の自由を、再び可能にしておくことであった。「ガイドライン」で日本は、そのような場合には完全に米国の戦闘態勢に統合されることに同意している。 一方、属国を受け入れる家庭で日本政府は、国民に対して国家意識やアイデンティティの象徴を強調する必要に迫られ、あたかもこうした象徴が主権と不可分であるかのように説明し、・・1999年には「国旗及び国歌に関する法律」が採択され、格上げられたアイデンティティの象徴が法律で認知された。 イラクは米国の満州であり、日本がかつて中国全体を変革しようと考えたように、イラクは米国が中東の変革に乗り出すための出発点となるはずであった。日本の前例のように、イラク侵攻は米帝国没落の始まりになる可能性が大きい。 世界規模の米軍再編の意図は、・・その一方で米国の兵力を削減し、同時に同盟国により多くを負担させることだった。そして全体構想の中で日米関係に米英協力を超える役割や費用の分担方法が検討され、日米の兵力をその基底で「合併」させるという結論に至った。 交渉は2005年11月に「在日米軍再編に関する中間報告」としてまとめられ、・・ この合意によれば日本は、「米国の地域及び世界の軍事目的」に全面協力する。 キーワードは、「相互運用性」と「統合運用体制」だった。 海兵隊グアム移転費の6割、6100億円を負担する。今後十年で日本は更に2兆6000億円を負担する事になる。 ミサイル防衛の費用だけで日本の負担は1兆円以上になるという。 米国は世界唯一の超大国として一極支配を目指し、先制攻撃と核兵器の使用をいとわない。日本はこの超大国と戦略目標を共有した。その結果、かろうじて残っていた日本国憲法の平和主義は実体を失い、在日米軍の行動を日本と極東の防衛に限定する安保条約第6条も意味を失った。
2010年09月01日
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属国 米国の抱擁とアジアでの孤立ガバン・マコーマック凱風社 以下抜粋 1990年6月、日本は米国に対し10年間で430兆円を公共事業に投資すると約束した。 小泉政権の特質すべき点は、「都市型貧困層と、低賃金に甘んじて食から食へ漂流しそこから脱出する望みもない若年労働者」を生み出したことだ。 王国の背景には帝国が隠れていた。郵政民営化は常に、日本に政策変更を迫る米国の要求リストの上位にあって、数十年に渡って米国が日本に要求してきたものである。「構造障壁イニシアティブ」(SII)と名づけられて1989年に始まった。ある政府関係者はそれを「第二の占領」に等しいと表現した。 郵政民営化はブッシュ政権が待ち望んだ金脈であり、米政府のイラク派遣を支え帝国の政策に協力する、更なる大きな一歩だった。 自民党は、・・ある意味で原理主義的な政党に姿を変えた。そして、憲法と教育基本法を改定し、ケインズ流土建国家ーすなわち富を地方に再配分する「日本」方式を、ハイエク流ネオリベラリズムに基づく米国型原理に置き換える方向を明らかにした。自民党の政策となったのは、日米同盟を絶対優先事項に設定し、そこに規制緩和と企業の合理化と労働者のリストラを盛り込んだもので、異論や反論の余地はなかった。 全体として見れば、自民党はかつてないほど財界の影響下に置かれた。財界は一丸となって小泉流ネオリベラリズム「改革」への指示を表明した。 冷戦中ワシントンから東京に与えられた各種の助けや励ましによって、日本では労働運動・学生運動・市民運動など市民の力が、おそらく世界中どの資本主義社会より大幅に、失われていた。小泉はこれに助けられた。連合加盟組合員は約700万人だが、その3.5倍に相当するおよそ2500万人は、パートタイマーや契約労働者、あるいはフリーター、ニート、失業者、生活保護受給者であり、彼らを代表する議席は国会にはない。 「選挙改革」も今では、実際に腐敗を減らしたのではなく、むしろ改革への道をふさいだと見ることが出来る。
2010年09月01日
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