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毎朝、トンビが電信柱に留まって、長い時間鳴いている。夜になると、シカが鳴く。なんとなく人恋しい季節なのだろうか。もっとも、彼等の場合は人ではなくて同種のものたちが恋しいのだろうが・・・コメント欄に次のような書き込みがあった。【愛はイガグリみたいな人に突き刺されてながらも、貫けるかな。愛はイヤミの言葉を避けることなく、まっすぐすすめるかな。頑張っているけど、人に刃を向けたがる人達と、ずっと生活をともにしているのは疲れます。以前、ナチュラルサイトに、とてもマイナス波動を放つコメントがあったとき、kimiさん削除しましたよね。私はそのコメントに、とても不快感を感じてたからホッとしました。わざわざ、イガを撒き散らすような事をする人を、愛は、それでも包み込まなければなりませんか?愛だって、傷つけられる筋合いはないはず。愛に愛を返すなんていう美しい話でなくてもいい。せめて、普通に普通を返す事務的対応でもいいのです。イガをまとっている人に関わるのも、愛のキャパシティ内なんて、うんざりしてしまいます。】愛は傷つくだろうか。傷つくのは自我。愛は傷ついたりはしない。愛は何でも包み込まなければならない?「ならない」というようなことはない。愛は義務感で働くものではない。愛はただ包み込むだけ。無条件に包み込んでいるだけ。無理をして包み込むのは、キャパシティとは言わない。自分の気に入ることも気に入らないことも、そのまま包み込む。それがキャパシティ。見守るということ。相手の表面だけを見ない。表面の言動だけを見ていれば、包み込むことは難しい。自分の表面が反応するだけ。もっと深いところを見ていないと、包み込むことはできない。長い目で、その人の全存在を見守っていないと、包み込むことなどできはしない。どこに意識をフォーカスするか。意識のどの次元で生きるか。最終的には、自分の生き方が問われる。イエス・キリストでさえ、神殿の出店を壊したりした。神の庭を冒涜するものを許さなかった。愛の人が出店を壊すのもヘンな話。そうそう完璧に生きれるものでもない。別に神ではないので、完璧を期することもない。愛そのものではないので、愛のない行為もする。ありのままの自分からスタートするしかない。このように生きるべきだという規定は、どこにもない。愛に生きなければならないということもない。何も定めはない。いかに生きるのも自分の自由。自分で選べばいいだけ。愛の人生を生きるのもいいし、そうでなくても否定されることはない。ほとんどの人は愛の人生を生きてはいない。試行錯誤。それが実際のところだろう。愛に生きるための試行錯誤かもしれない。自我を克服するための試行錯誤かもしれない。苦しみを超えるための試行錯誤かもしれない。安心立命を得るための試行錯誤かもしれない。いずれにしても、人は試行錯誤の人生を生きている。神のように生きる人は、奇跡に近い。それは人類の手本のわずかな人たち。そういう手本を見ながら、多くの人はそのようになろうと日夜努力している。みんなその途上にある。まず、ありのままの自分から出発する。良いも悪いもない。人を認められなくて、非難したり、批判したりもする。裏切ったり、騙したりもする。そういう自分を誤魔化さないことだろうか。言い訳したり、自己正当化したりしないことだろうか。ありのままの自分を、そのまま認めることだろうか。ありのままに認める勇気があれば、変わる可能性が生まれてくる。事実から目を逸らし、言い訳をしている限り、変化することはあり得ない。直視すれば、醜い自分がいる。その醜さに耐えられなかったら、変わるしかなくなる。人のせいにしたり、社会のせいにしている限り、変化はやって来ない。自分自身と正面から対峙しない限り、変容は起きない。愛のないままでいいのなら、今のままでいい。もし愛の中で生きたかったら、愛の中で生きるしかない。そのための方法や手段はない。ただ生き方をチェンジするしかない。グズグズ言い訳をしている限りは、何も変わらない。黙って事実と共にいる時、人は変わる。ギリギリまで事実と共に踏みとどまる時、人は豁然(かつぜん)と変容する。最後の最後まで逃げない時に・・・愛は誰の中にもある。それを自我が押し留める。自分第一に考える自我が、愛の行為を妨げる。自我がなければ、人は愛の中で生きる。深い愛情に包まれて育った幼子は、愛の中に生きている。無邪気に周りに愛を振りまく。幼子のようでなければ人は天国に入ることはできない、とイエスは言った。天国は彼等のものであるとも。大人になると、幼子の無邪気さは消えてしまう。自分第一の計算が働く。身の安全。まず自分に意識が向く。そうなると、愛から遠くなる。無邪気さは遠い夢となる。無邪気に生きていた頃は、天国だったかもしれない。自分を意識すれば、地獄が待っている。自我を理解し、自我を超えていく。その先に、また無邪気さが待っているのかもしれない。天国は愛と共にあるのかもしれない。自我を超えないことには、愛はあふれないのかもしれない。「かく生きるべし」というようなものは何もない。それは道徳や宗教の中にあるだけ。それは人間がつくったもの。自然の中にあるものではない。自我を理解し、自我を超える。その先に愛はある。愛は何もしなくても、そこにある。自然にあふれ出す。遮(さえぎ)られることがなければ・・・『あるものを 自分大事で 抑え込む 愛はいつでも 裡に満ちてる』『愛がある 愛がないかは 計算の 中に自分が いるのかどうか』『目を逸らし 醜い自分を 隠す時 いつまで経っても 変化は起きない』『妨げる ものがなければ そのままに 愛はあふれて 流れゆくもの』これが637日目の心境です。* 明日の屋久島ナチュラルヒーリングのトップページに、ヒマラヤ水晶とゴールドルチルのスライ ドショーと「お譲りしますコーナー」がアップされます。 よろしかったら、ご覧ください。
2006.09.30
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朝から水晶の浄化に行く。昨日、アメリカと国内から水晶が届いた。日本からの3個は、自宅の水晶クラスターの上に置いておけば大丈夫そうだった。しかし、アメリカからやって来たものは・・・どうしても海で浄化したい気分になった。太陽の光だけで十分という気にはならなかった。それは大きなゴールドルチルのクラスター。長さが13cmもあり、重さは640gを超える。ルチルは完璧なゴールド。それは、それは、すばらしい。これまで見たことがないような美しさ。まるでチベットの仏像のような雰囲気。しかし、水晶本体は、あまり美しいとは言えない。なんとなく煤(すす)けているような、暗い灰色っぽい色合い。クリアーには程遠い。もし、この水晶がクリアーであったら・・・たぶん、340ドルでは買えなかっただろう。もしかすると、1万ドルを超えたかもしれない。それほどルチルはすばらしい。そのうちに写真に撮って公表するつもりだが、ほとんど別世界という感じ。仏教世界?黒と黄金の世界。ルチルの部分を見ていると、ほとんど異次元。チベット仏教のエネルギーを感じる。そのうちに、透明な水晶にこのようなルチルが入ったものを手に入れたいと思う。さぞかし美しいことだろう。そう思っていれば、きっと実現するだろう。価格は軽く百万円を超えるだろうか・・・アメリカから送られてきたもう一つのクラスターは、残念ながら自宅に置いておきたいという感じではなかった。ルチルの色がゴールドではなく、赤銅色。水晶とルチルのバランスもよく、ルチルの色がゴールドなら文句なしの一品。しかし、赤銅色のルチルには魅力を感じなかった。ネットの怖さ。実物を見ていたら、絶対に買わなかったもの。写真と実物があまりにも違いすぎた。お譲りしますコーナーに出しても、たぶん引き取り手は現れないだろう。日本人好みではないのだ。ラテン系の好みだろうか。そういう訳で、こちらはアメリカへ返品しようと思っている。返品もアメリカまでとなると、なかなか骨が折れる。しかし、みすみす400ドルをドブに捨てることもない。5万円近いお金があれば、別のルチルが買える。それに水晶も愛してくれる人の元へ行った方が幸せだろう。日本から来た3個は、照りのきれいな水晶だった。サイズは、4~5cm。価格は、6500円、8800円、25000円。こんなに小さいのに高いなーとも思う。しかし、海や川で浄化していると、キラキラ光ってきれいだった。はるばるブラジルから船に乗ってやって来た。採掘した人、仲買人、輸出業者、輸入業者、卸し、そして、アップしてくれたサイト。陸送や船舶関係者。多くの人の手を経て自分の元へやって来た。そういう意味では、この価格は高くないのかもしれない。コメント欄に次のような書き込みがあった。【生きたかった、皆と一緒に。戦いや、災害で、自分だけ生き残るのではなく、自分の秀でているところが、足が速いことが、頭が良いことが、体が強いことが、自分だけの「生」を守るものではなく、生は、自分だけ一人で生きるということではない。生は、人と、周りと、共に生きて、輝くもの。皆と一緒に生きるということは、全てを生かしあうこと。お互いを殺しあうことではなく、お互いの秀でているところ、お互いのために、共に生きていくために使いたい。人は、周りは苦しむものではない。喜び、依存でなく、ただ愛とともに支えあい、共に感動しあうもの。もう、災害も戦争も、必要はなく、なくても進んでいけるのでしょうか。私たちは愛ならば、愛だから、進んでいけるのでしょうか。書かせていただいてありがとうございます。今感じたことを、間違っていても、間違っていなくても、当たり前のことでも、そうじゃなくても、書くことが私にとって大切だと思いました。この場で書かせていただけることを、大変幸せに思います。】もう災害も戦争もなしで進んでいけるのだろうか。私達が愛ならば、進んでいけるはずだ。しかし・・・現実は、見ての通り。世界中で争いが絶えない。自然災害も後を絶たない。会社や学校や家庭の中でさえ、諍(いさか)いが絶えることはない。交通事故も殺人事件も詐欺も飲酒運転も日常茶飯事。政治がらみの汚職も公務員の収賄も続いている。人間関係の中で、言い争いがなくなる気配はない。窃盗や傷害や子供の非行も終わりそうにない。なぜ?人の本質は愛のはずなのに、なぜ争いがなくならないのだろうか。それは自分自身を振り返ってみればわかる。自分の意向と相手の意向が異なる。自分がやりたいことと相手がやりたいことが違う。意向ややりたいことが違っても、争う必要はない。しかし、お互いが自分の意向や主義主張を押し通そうとすれば、必然的に争いとなる。お互いの個性が違えば違和感を覚える。異質なものは自分に不安を与える。無意識のうちに、自分と異なるものを排除しようとする。排除される方は、もちろん黙ってはいない。自分の存在を主張して抵抗する。お互いの理解がない限り、争いは避けがたい。お互いを理解するためには、キャパシティがいる。異質なものを排除しないだけの包容力がいる。人はいろんな経験を積んで、異質なものでも包容できるようになっていく。小さなキャパシティでは、大きな違和感を受け入れることはできない。身の安全のために、すぐに排除しようとする。すべてのものを受け止めるためには、大きなキャパシティがいる。それは自分と異質な人に対してだけではない。非日常的な事件に対しても、人は拒絶反応を示す。自分が慣れ親しんでいないものに対し、人は距離をおきたがる。突発的な新しい事態に適応できないことも多い。すべてをありのまま受け止める。そういう基本姿勢がないと、つい拒絶反応を示してしまう。戦争や殺戮を拒絶する人は多い。しかし、事実から目を逸らしていては何も変わらない。すべての事実を直視するしかない。ありのままの自分自身を直視できない人も多い。惨めな自分を認めたくない。ありのままの醜い自分を白日の下に晒したくない。都合の悪いところは、いつまでも隠蔽しておきたい。誰からも良い人と思われていたい・・・事実ベースで生きれない。事実をありのまま受け止めるキャパシティがない。事実と共に生きなければ、世界を変えることはできない。ありのままの事実を受け止めるキャパシティがなければ、世界は変わらない。このままでは災害も戦争もなしに済ますことはできそうにない。人が自己中心的に生きている限り、今の世界は変わらない。人が人生に対して深い理解を持たない限り、世界の現状に変化はない。人の本質は愛。しかし、人は愛だけではない。愛以外の要素も持っている。愛は、理解する必要はない。愛は、そのままで愛として働く。愛は、理屈を超えている。だから、理解はいらない。しかし、愛以外のものについては理解がいる。理解がなければ、愛は妨げられる。愛の表現を妨げているものを明確に理解する必要がある。その理解がない限り、愛はストレートに表に出ることができない。あなたの本質は、愛。でも、あなたは愛そのものとして生きてはいない。なぜ?なぜ、あなたは愛として生きていないのだろうか。何が愛の発露を妨げているのだろうか。これは久しぶりのホームワークということにしよう。幸いなことに、しばらく仕事の予約が入っていない。そういう時は、ホームワークをやる時。自分自身をよーく見つめて答えてほしい。海で浄化していると、波が寄せては引いていく。波の勢いは同じではない。強くなったり弱くなったり・・・大波小波。海はすべてを包み込み、すべてを浄める。大きな大きな包容力。限りないキャパシティ。すべてを限りなく愛している。きっと、大きな愛が海をつくったのだろう。『本質が 愛と言うなら 愛のある 生き方できる はずではないか』『愛として 生きれないのは 愛がない からではなくて 愛が出せない』『出る愛を 引き留めようと する何か 愛の発露を 妨げるもの』『愛として 生きれば楽に 生きれると わかっていながら 実行できない』『あふれ出す 愛の思いを そのままに 素直に出せば 愛は流れる』これが636日目の心境です。【ホームワーク】テーマ:なぜ、あなたは愛として生きていないのだろうか。 何が愛の発露を妨げているのだろうか。締切:10月2日(月)午前8時。BBS欄に書き込んでください。参加は自由です。誰でも参加できます。但し、本や他人の言葉からの引用ではなく、自分の言葉で書いてください。大切なのは答ではなく、ホームワークを通して自分自身を見つめることです。
2006.09.29
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今日は、超ベタ凪。海には波がまったく見られない。ずーっと白い模様が見えているだけ。昨日の屋久島ナチュラルヒーリングのHPのアクセス数は290。これはダブりのない純粋な数。不思議なことに、光の写真がトップに掲載されると、アクセス数が急増する。なぜ?自然にそうなるのか、それとも見た人が友人・知人に連絡するのか。正確なところは、わからない。ただ、事実として、光の写真が載るとアクセス数が増える。それでは、いつも光の写真を掲載したら?残念ながら、そんなにいつも光の写真は撮れない。それは撮りたいと思って撮れるものではない。偶然?必然?どちらかわからないけれども、撮れる時に撮れるだけ。こちらとしては、たまたま撮れたという感じ。いつ撮れるか、まったくわからない。突然、それはやって来る。天の時、地の利、人の和。同じ時間でも、他の場所へ行ったのでは撮れない。同じ場所でも、時間が違えば、当然、撮れない。同じ時、同じ場所でも、気がつかないことには撮れない。同じ時に同じ場所を通りかかっても、気づかない人も多い。それでは記録することはできない。同じ時・同じ場所にいても、カメラがないと写真は撮れない。カメラがあっても、それなりの技術の裏付けがないと、的確な写真は撮れない。やはり、天の時、地の利、人の和が、すべてそろわないと光の写真は撮れないのではないだろうか。なかなか全部のタイミングがそろうことは難しい。すばらしい景色に出会う。急いでシャッターを切る。しかし、それですばらしい写真が撮れるとは限らない。帰宅してパソコンで見ると、泣きたくなるような写真の場合もある。絞りを変え、シャッタースピードを調節し、露出を何段階も設定して撮影する。同じ景色をいろんな露出で撮影する。コンパクトカメラのようにオートで撮ることは、まずない。一枚一枚光の状態をチェックしながら、微妙に絞りやシャッタースピードを変えて撮影する。一枚だけでジャストに決めることは不可能に近い。肉眼で見るのと、レンズを通して見るのとでは異なる。どのように写るかは、その時しだい。やはり、何段階か露出を変えて撮るしかない。何枚も撮って、やっと一枚、これは!というものが見つかる。それだけやっても、これは!というのがない時もある。後は運しだい。日頃の行いしだい?やはり、自分勝手、自己中心的に生きていると、光の写真は撮りにくいような気がする。波動が荒くなると、光に出会えない。波動が合わなくなってしまう。精妙に、こまやかに生きている方が、光と出会える機会は多くなるように思う。自分の力だけではどうにもならない。いくら努力しても、光に出会えるとは限らない。天の時、地の利、人の和。それらがすべてそろわないと、光の写真は撮れない。屋久島で、虹を見る人、見ない人。光を見る人、見ない人。それぞれ異なる。それはその時だけのことではなくて、これまでの生き方が問われているような気がする。日頃の行い。日々の生き方。やはり、人に誠実に、自分に正直に生きることだろうか。積み重ねがものを言う。別にこれまでの過去が重要な訳ではない。ずーっと積み重ねてきたことによって、今の波動が誠実で正直な波動になっているということ。これまでの生き方が波動として反映されているということ。基本は、今、今。いくら過去が立派でも、今の波動が乱れていては話にならない。しかし、その今の波動は、過去の積み重ねによって定着している。一朝一夕に変わりはしない。誠実で正直な生き方が波動をつくりあげる。日々の生き方にかかっている。いい加減にその場限りで生きていれば、それなりの波動となる。真剣に心から生きていれば、それなりのエネルギー場ができあがる。一時的、表面的には誤魔化せる。しかし、人は騙せても、天は騙せない。光は近づいては来ない。最終的には、日々の生き方が問われる。身の回りに起きる現象は、日々の生き方の結果。それ以外の何ものでもない。もちろん、過去世からの縁もある。しかし、それでさえ、今ここにその波動を持っているから起きること。もし、今ここにその波動がなければ、けっして現象化することはない。自分の持つ波動が現実化しているだけ。人生はそれ以外の何ものでもない。社会的な現象でさえ、今生きている人たちの意識の反映。それぞれが持っている波動を映し出しているだけ。日々、いかに生きるか。人生はそれに尽きる。奇跡はない。ラッキーはあり得ない。自分の波動がつくり出す現実。それしかない。光に会うには、自分の中に光がいる。『目の前に 起きる現象 ことごとく 自分自身の 意識の反映』『誠実に 自分自身に 正直に 生きるしかない 日々の生き方』『その場だけ 誤魔化すことは できるけど 天を誤魔化す ことはできない』『努力して 結果が出るとは 限らない 天地人が そろわなければ』『できるのは 日々誠実に 生きること 結果は後から ついてくるだけ』これが635日目の心境です。* 「634日目 - 水晶循環」も同時にアップしました。
2006.09.28
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朝、パソコンを開くと、太陽ルチルが飛び込んできた。いつもチェックするサイトの中に、輝くばかりの太陽が。こんな太陽は見たことがない!というぐらい、すごいルチルの量。さっそくオーダーする。つい先日、別のサイトで太陽ルチルを見たばかり。続いてアップされるとは・・・なんとなくそういう予感はあった。しかし、今回のは超ゴージャス。ただ残念なことに、ナチュラルポイントではなくてポリッシュ。その点だけ少し気にかかるものがあったが、あまりのすごさにオーダーしてしまった。たぶん、これを逃すと、当分、このレベルのものにはお目にかかれない。そんな感じのルチルだった。これでアメリカから4個、カナダから2個、日本国内から4個、合計10個のゴールドルチルが届くことになる。トータルで25万円超?よくそんなお金があったものだ。ところが、あった。10月に4泊5日の宿泊コースの予約が入っている。その代金が振り込まれていた。お金があると、すぐにルチルを買ってしまう。お金がなくなると、またどこからか入ってくる。ほとんど自転車操業。よく生きているものだと思う。以前は、貯金がなくなることは恐怖だった。ところが、屋久島へ来たら、それが日常になってしまった。貯金ゼロでも、何ともない。なんとか生きていけている。不思議な感じがする。明日の保証は、ない。明日以降のことは、わからない。お先真っ暗?でもない。お先真っ白?どちらかというと、その方が近い。先のことは、まったくの白紙。暗くもなく、明るくもない。何もない。イエスは、明日のことを思い煩うなかれと言った。それは正解。明日は明日の風が吹く。明日は明日が決めてくれる。実は、昨夜も水晶を購入した。それはブラジル産のクラスター。めったに入荷することのない、きらめくように透明な水晶。次回いつ出会えるかわからない、今回出会えた人は幸運としか言いようがないとまで書かれていた。しかも、12cm近いサイズなのに、1万円以下と割安だった。このサイトは、いつも質の良いものを良心的な価格で提供する。ここも毎日チェックを入れているところ。アップされた4点は即日売り切れた。たくさんの水晶がやって来るということは、たくさんの水晶を出す必要があるということ。味わい、楽しみ、次へ回す。どんどん回転させる。新しいエネルギーを導入する。その後、水晶の写真を撮った。お譲りしますコーナーに出す予定の水晶たち。これまでも何回も撮影しているが、もう一つ納得できない。朝、昼、夕、夜と時間を変えて写真を撮っている。しかし、まだ完了感がない。朝から太陽が勢いよく出ていた。撮影には最適の天気。気がつくと撮影枚数は400枚を超えていた。パソコンで確認してみると、これでOKという感じ。水晶たちは、撮影するたびに美しくなる。今回お譲りする水晶の多くは、あまり見られることなく本立ての中にしまわれていた。それに光が当たった感じだろうか。いろんな角度から見て、水晶の美しさを引き出す。これまで気づかなかった固有の美しさが発見される。やはり、よくよく見て、味わうこと。お譲りしますコーナーに出すと決めてから、いつも机の上に置いてある。いやでも目が行く。そうすると、新たな発見がある。見ること、愛でることが、水晶を更に美しくする。それは、美しい女性が周りから美しいと言われて、更に美しくなるのと似ているかもしれない。愛されれば、美しくなり、可愛くなる。もちろん、逆のこともある。無視されれば、美しさは薄れ、醜さが顔を出す。何でも愛してあげることだろうか。何日も何日もかけて、千数百枚の写真を撮った。その中から百枚ほどを選んで、ぴあのさんへ送った。スライドショーと水晶の解説用に。掲載予定は、10月1日(日曜日)。場所は、屋久島ナチュラルヒーリングのHP。掲載数は、ヒマラヤ水晶5組とゴールドルチル水晶10組。1日と2日は全員の予約を受け付け、ダブった場合は抽選。3日以降は先着順。最初から先着順にしなかったのは、早い者勝ちになるから。最もふさわしい人のところへ行ってほしいと願っている。水晶と波動が合う人に。価格は購入した価格以下。店頭やネットの相場より、かなり安いと思う。しかも、引き取り手が決まったら、屋久島の海と川で浄化する。その後、朝の太陽のエネルギーを充電する。今回は満月も近いので、満月が見えるようなら月光浴もさせたいと思っている。これで、ほぼ完璧だろう。これだけのエネルギー状態で発送されたら、価格は激安?別に商売をするつもりはないので、これでいい。手にした人にエネルギーが届けばいい。水晶によって、手にした人が何らかの刺激を受ければいい。その人にとって、今、最も必要とする刺激を・・・これからも水晶を買い続け、また誰かに流していくことになるだろう。それは水晶を媒介にしたエネルギー交流とも言える。今の自分に合う水晶は役に立つ。水晶の持つエネルギーに刺激されて、自分の中のその部分が活性化する。毎日見ていれば、影響を受ける。前回のお譲りしますコーナーで行き先が決まった水晶たちは、旅立って行った。海と川で浄化され、何度も太陽のエネルギーを充電され、どんどんきれいになった。大切に扱うと、水晶も輝き始める。水晶も生きているのだ。『流れ来る 水晶自体も エネルギー どんどん流して 活性化させる』『縁あって 届く水晶 大切に 感じ・味わい 愛(め)でて育む』これが634日目の心境です。
2006.09.27
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朝、振り込みのために近くの郵便局へ行く。すると、ATMが故障していた。仕方がないので本局へ行くと、こちらも故障中。窓口もストップしている様子。取り敢えず、屋久島縄文水の工場の湧き水を汲みに行く。すると、町内放送があった。携帯電話も一般電話も全島的に繋がらないらしい。原因を調査中とか。水を汲んで、自然食の店に買い物に行く。すると、店主曰(いわ)く。核爆発が起きて、その電磁波のために電話が使えない・・・エッ!?しばらくして、それは冗談とわかる。一瞬、本気にしてしまった。その後、何かあった時に情報操作されたら、どうにもできないという話になる。確かに、携帯も一般電話も使えないとなると、正確な情報を得ることはできない。残るはテレビとラジオだけ。インターネットが使えないというのは、かなり大きい。電話回線も携帯も使えないのでは、メールの返事を送れないことを伝えることさえできない。完全に孤立してしまう。なかなかすごい体験をさせてもらった。昼過ぎにテレビを付けたら、鹿児島で工事中に種子島と屋久島方面の電話線を切断してしまったらしい。そのせいで、飛行機も6便が欠航したとか。これで電気が止まったら、万事休す?残るはラジオだけ?これから何が起きるかわからないので、よいシュミレーションかもしれない。ネット依存は危ないということだろうか。普通の携帯ではなくて、衛星携帯が必要かもしれない。それでさえ、磁気が乱れればどうしようもないが・・・まあ、心配しても仕方がないけれども、いろいろあるものだ。コメント欄に次のような書き込みがあった。【Kimiさんは何故、日記を書こうと思い、そして本を出版したいと思われたのでしょう?いまさらながらの質問していますが、改めて伺ってみたくなりました。私は途中からの読者ですが、始めは無食から始めたとされるこの日記。ヒマラヤの仙人たちのように、直感的に食べないことも可能と感じていた。けれど、でも、4年後消えてしまうなんて勘弁して欲しいと思う自分もいながら読み進めてきました。そして、今は、クリアな水晶のように研ぎ澄まされたスピリチュアルな世界だけでなく、 物質世界に生きる人間としてのゴールドルチル・Kimiさんも見せてくれている。これらも全てKimiさんの中の愛の根源がなせる表現なのかな。いずれにしても、ここに表現されるいろんなKimiさんを、私は驚きながら眺めています。ああだこうだ言いながら。そして色んな発見をしながら。そして、地球に足をついて生きる人間として、同時にスピリットとして、トータルに生きる、それを地上で表現するということはどのような事なのかしらと感じた今日の日記なのです。】なぜ日記を書こうと思ったのか。それは光で生きることを実践しようと思ったから。その記録を日記として書こうと思っただけ。なぜ本を出版したいのか。書き始めると、スピリチュアルなテーマが多くなり、かなり方向が変わってしまった。今の人類にとっての課題、それは思考から自由になること。思い込みワールドから抜け出すこと。クリアーな意識の中で生きること。そのことを明確に書き表して、本として出版したい。今の人類の意識構造を明らかにする。それは人類の意識がシフトするのに役に立つ。だから、本にして出版したいと思っている。元々、そのつもりで今生は生まれてきている。そのために長い時間をかけて準備してきた。それがやっと文章化されつつある。それをまとめて本にする。それはきっと人類の役に立つことだろう。ヒマラヤ水晶のような透き通るようなピュアーな意識もある。ゴールドルチルのような、この世的な豊かな意識もある。人はいろんな意識の集合体。それらをトータルに生きることができるかどうかが問われている。肉体の快楽だけに囚われれば、己の真実を見失う。食欲や性欲も否定はしないが、それだけに振り回されては、あまりにも物質的になってしまう。感情だけでは、不安定。感情に翻弄されては、ジェットコースターのようなめまぐるしい人生になってしまう。そうかといって、思考をメインにすると、過去に縛られる。思考は過去のデータベース。その組み合わせが思考。それはコンピュータとあまり変わらない。それらを超える意識もある。四次元以降の意識も多数存在する。しかし、それらの意識に囚われると、この世がお留守になる。しっかりと地球にグランディングできない。肉体も感情も思考も、それ以上の意識も、すべて統合する。それが人間存在。地球と宇宙に同時に存在する人=霊止(ひと)。その辺りを明確にしたい。肉体や感情や思考のプロセスを明らかにする。今の意識がどのようにしてできあがっているのかを明確にする。そして、もっと自由に生きることができることを提示する。三次元・物質次元だけの存在ではないことを明白にする。多次元存在であり、同時に地上に生きるものであることを確立させたい。宇宙的な存在として、地球に生きるとはどういうことかをはっきりさせたい。日記を書き始めて、文章化することによって、それはより明確になってきている。自分だけで本能的にわかっていることと、それを文章化し、一般化することは明らかに異なる。日記に書き表し、ネットで公開することによって、宇宙的なエネルギーは地球に定着する。今の人類の意識構造を客観的に見つめ、明確にすることは、人類の意識を変える。自分の意識構造が明らかになることは、自分自身からの自由を意味する。その理解がない限り、人は過去の自分の奴隷に過ぎない。自分というイメージ。それは実態のないもの。単なる思い込み。そのことに人類は気づいていない。その点を明らかにし、クリアーにする。そうすることによって、人類の意識は変わる。人類の意識が変われば、地球も変わる。時代が変わる。宇宙的な流れの中で、事は進んでいる。単なる個人的な行動ではない。銀河系の流れ。太陽系の流れ。そして、地球の流れ・・・そういう流れの中で、この日記は書かれている。もちろん、すべてが見えている訳ではない。どちらかというと、遠くと近くが見えているだけ。その中間は、まだ霧の中。この世に生まれれば、手探りで生きていくしかない。何も信じない。すべて事実ベースで確認しながら進む。それは科学者と異ならない。誰にも頼らない。自分の手と足で事実を把握する。試行錯誤の連続。この世に生きるとはそういうこと。チャネリングはない。何かを鵜呑みにはしない。自力。自立。自分自身に依って生きる。訳のわからないものには頼らない。自分で一つ一つ確認しながら進む。一歩一歩、ゆっくり着実に。何十年もかけて・・・そのこの世の歩みが、今、結実しようとしている。試行錯誤の結果が、花咲こうとしている。まだまだ蕾。これから本になり、花開くことだろう。クリアーなヒマラヤ水晶は、人の意識をクリアーにする。それははっきりしている。では、ゴールドルチルは?まだ、明確になりきっていないところがある。これから徐々にはっきりしてくるだろう。どうして、こんなに集めたがるのか・・・たぶん、それは第七チャクラと第三チャクラを結ぶものだから。宇宙的なエネルギーを思考を使って明確に表現するのに役に立つから。やがて、更に明確になるだろう。『人類の 意識構造 明らかに することにより 時代が変わる』『新しい 時代の波を 受けながら 時代を開く 文章を書く』『力まずに 事実ベースで 着実に 地上の生を 味わい生きる』『ゆったりと 地球・宇宙と 繋がって この世の生を 楽しみ味わう』『多種多様 意識はあれど 大元の 意識はひとつ すべて貫く』『それぞれに 元の意識の 宿りおり 複雑多岐に 別れ花咲く』これが633日目の心境です。* 「632日目 - ずーっと、いつも幸せ?」も同時にアップしました。
2006.09.26
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トンボがたくさん飛んでいる。網戸を開ければ、家の中にも入って来そう。トンボの飛び方は、三次元的ではない。突然、場所を移動する。なんとなくUFO的。屋久島ナチュラルヒーリングの掲示板に、次のような書き込みがあった。【うーん、「恋したい」ときめく恋、切ない恋、ラブラブハッピーな恋、情熱の恋、禁断の恋??私は、熱しやすく、冷めやすい。好きでもどこかで疑う。いつも、いつも、人は裏切るから。傷つきたくない、ハッピーなままで居たい。(無理、無理・・・)ハァー・・・ずーっと幸せなんてあるのかしら?kimiさんいつも幸せ?人を好きになる?愛する?信じる?何処までが本当に信じていいこと、信じすぎて裏切られたら・・どうする。。自分が裏切るかも・・・いかん。。考えすぎた思考回路が・・まわるマワル、ハッピーの心ブルーの心永遠にまわる。】ずーっと幸せ?いつも幸せ?そんなことがあるのだろうか。人を好きになる。愛する。そこまでは何も問題はない。信じる?どこまで本当に信じていい?信じすぎて裏切られたら?自分が裏切るかも?信じるとはどういうことだろうか。ずーっと自分を愛してくれると信じる?この人は自分を裏切らないと信じる?二人の愛は永遠だと信じる?でも、でも、そんなことが・・・?どこかで疑う。人は裏切るから。傷つきたくないから。ハッピーなままでいたいから・・・人は裏切る。人は他人の期待を裏切る。人は他人ではないから。他人の思う通りにはならない・・・信じるとは何だろう?期待すること?願うこと?それとも、思い込むこと?人はどうして信じたがるのだろう?裏切られたくないから?もう傷つきたくないから?自信がないから?人はありのままの事実と共に生きることはできないのだろうか。信じなければ生きていけないのだろうか。相手は裏切るかもしれないし、裏切らないかもしれない。そんな不安定な状態に耐えられないから信じようとするのだろうか。裏切らないという保証があったら、この人と結婚する?傷つけられないという保証があったら、この人と深く付き合う?結局、保証がほしいのだろうか。保証がないと、今一歩が踏み出せないのだろうか。もちろん、保証はある。君を一生大切にするから!僕の君への愛は一生変わらない!!言葉の保証はいくらでもある。しかし・・・事実は、それから何ヶ月も経たないうちに人の心は変わる。口先の保証は何の役にも立たない。安全を約束されていたのに、しっかり裏切られ、傷ついてしまう。保証はあってなきがごときもの。この世は不確定。不確定だからこそ、人は何かを信じようとするのだろうか。少しでも安定するために。自分を安心させるために。今、今を生きることはできないのだろうか。なぜ先の保証を求めるのだろうか。今、幸せならばそれでいいのではないだろうか。ずーっと幸せでいたい?いつも幸せでいたい?それは思考が求める架空のものだろうか。それは欲望だろうか。目の前の事実と共にいる。幸せも不幸せもない。ただ、ありがとうと感謝して生きる。それ以上に何を求めるのだろうか。永遠の保証がほしいのだろうか。いつも変わらぬ幸せの保証がほしいのだろうか。いつも幸せならば、幸せと感じることはないだろう。不幸せがあるから、幸せもある。幸せとは、そういうもの。淡々と事実と共に生きる。いつも幸せとか、裏切られないとか、架空の幻想を抱かない。今の事実を大切にする。今を味わい、今を生きる。意識を先に飛ばさない。今、今、今・・・意識が先へ飛ぶと、架空の世界に迷い込んでしまう。自分の期待や願望の中に入り込んでしまう。この世に変わらぬものはない。永遠に続く恋愛もない。ただ、意識が深まった時に、変わらぬ生きたものに出会うことができるかもしれない。それでさえ固定はしていない。生きている。愛は生きている。永遠に変わらぬものはない。外に変わらぬものを求めている限り、努力は徒労に終わる。自分の外に変わらぬものはない。自分の内でさえ刻々に変化している。それらの変化を含めて、すべてを見守る。大きく、大きく見守る。その見守る意識でさえ、固定したものではない。固定したものは死んだもの。見守る意識でさえ生きている。生きながら、すべてを見守っている。固定した永久不滅のものを求めるのは、思考の思い込み。自分の安全を願う思考の願望。不安定な現実と共に生きていけない思考の弱さ。しっかりと事実ベースで生きていくことだろうか。もう一度自分自身を見つめ直して、生きていくことだろうか。周りの現象も、人の心も変わる。変わるものは、変わるままに。動くものは、動くままに。それを固定させようとするのは、自我の我が儘。自分勝手。静かに自分自身を見つめ、生きることだろうか。安定を求める自分。傷つくことを恐れる自分。裏切られたくない自分。それもまた自分。そういう自分もありのままに認め、そういう自分と共に生きていく。裏切る人も、裏切らない人も、すべてを見守って生きる。信じようとする自分も、裏切られることを恐れる自分も、そのまま認め見守る。すべてを見守り生きる。幻を追い求めないで・・・『裏切られ 傷つくことが 怖いから 永久(とわ)に変わらぬ 愛を求める』『幸せが 続くことだけ 願ったら 幸せ壊れる 恐怖の虜』『固定した ものを求めて 安定を 得たいと願う それは幻想』『永遠に 変わらぬものを 求めるは 欲というもの 思考のゲーム』『変わらない ものを求める 心こそ 理解するべき 恐れの源』『今・今に 意識ないから 先のこと あれこれ思い 心乱れる』『関わりは 常に生き物 変わりゆく その時々を 味わうしかない』『幸せは 感謝しながら 味わえば ふとした時に やって来るもの』『変わるもの 移りゆくもの すべからく 見守りながら 事実と生きる』これが632日目の心境です。
2006.09.25
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昨日、いつも水晶を購入しているサイトから、近々、ゴールドルチルをアップするとメールが入った。今朝、起きてパソコンを起動すると、急にアップすることになったので見てほしいとメールが届いていた。今回はかなりクオリティの高いものらしい。さっそくサイトを開いてみる。新しいゴールドルチルが4点アップされていた。以前から何度もリクエストしている、黒いヘマタイトからゴールドルチルが六方向に放射しているものもあった。いわゆる太陽ルチル。一番大きなものは、なんとなくイマイチ。でも、他の三点は、とても美しいゴールドが輝いていた。さっそく三点をオーダーする。これだけきれいなら、他の人もオーダーするに違いない。早い者勝ちになってしまう。しばらく待っても確認メールが来ないので、こちらから連絡のお礼も兼ねてメールを送る。やはり、良いものを手に入れるには、いろいろと心遣いがいる。かなり長く待った後で、確認メールが届いた。希望した三点は購入できた。予想した通り、太陽ルチルが出ていた一点はオーダーが殺到したらしい。でも、以前から何度もリクエストしているので、優先的にこちらに回してくれたようだ。やはり、日頃のコネクションがものを言う。しばらくすれば、美しいゴールドルチルポイントが三個届くはずだ。太陽ルチルの水晶は、日本ではめったに見かけない。海外のサイトでも、ほとんど見かけることはない。それほど貴重なもの。ラッキーと言うべきだろう。今、アメリカから海を渡って3個のゴールドルチルが自宅へ向かっている。航空便だが、7~10日もかかる。こちらも写真で見る限り、すばらしいゴールドルチル。かなりのサイズがあるクラスター。実物を見ない限りは何とも言えないが、ある程度は期待できそう。今年は、よくゴールドルチルが手に入る。もちろん、毎日めぼしいサイトをチェックしているということもあるけれども、それ以上に流れがあるような気がする。かなり強くゴールドルチルを意識しているので、それが結果的に引き寄せているのかもしれない。嬉しいというか、ありがたいというか・・・今年と来年は、自分にとって天中殺の裏側に当たる。ということは、しっかりとこの世的に生きれる時期ということになる。ちゃんと大地に足をつけて、グランディングして三次元を生きれる。10月と11月も、一年の中ではそのような時期に当たる。ここのところ立て続けにゴールドルチルがやってくるのも、それに関係があるような気がする。この世的・三次元的なエネルギーが高まっている。逆に言うと、スピリチュアルではなくなっている。4月や5月頃の天中殺の時期に比べれば、明らかにスピリチュアルではない。あの時期は、天のエネルギーに満ちている。逆に言うと、地に足が着いていない。宇宙的なエネルギーばかりで、しっかりグランディングできないのだ。その点、裏天中殺は、しっかりグランディングできる。去年の11月頃は、あまり日記を書いていない。三次元的になってしまったのだろうか。今年は毎日書くつもりだが、最近の日記は三次元的なものが多い。逆に言えば、しっかりグランディングした日記ということになる。日記は去年から書き始めた。裏天中殺に差しかかる頃に始まった。なぜ?たぶん、宇宙的なエネルギーをきちんと三次元に定着させるために。天中殺の時期に始めれば、あまりにも宇宙的過ぎて、三次元には応用しにくいものとなっただろう。天中殺の時期は、時間があって空間がない。そのため、三次元的にはうまくいかない。この世に宇宙的な新しいエネルギーを定着させるには、今の時期がよかったということだろう。たぶん、ゴールドルチルも、その役割の一端を担っているのではないだろうか。宇宙的なエネルギーを地上に定着させるのに、鉱物は役に立つ。特にゴールドルチルは、宇宙と地球を繋ぐもの。まさにピッタシなのだ。来年中には本を出す必要がある。できるだけ早く出版した方がいい。きちんとそういう方向を意識していれば、そのように運ぶだろう。天地人の流れと共に生きていくしかない。10月が近づくにつれて、三次元的になってきている。それはそれで楽しい。この世を満喫できる。楽しい出会いもあれば、ステキなゴールドルチルもやってくる。それでこの世に浸りっきりになると、自分の本質を忘れてしまう。この世を楽しむことも大事。でも、それがすべてではない。宇宙も地球も共に楽しむ。それが人間存在というもの。この世のことも、あの世のことも、宇宙のことも、時期時期がある。タイミング、流れがある。その流れと共に生きるしかない。流れに逆らうことは、自我の生。自分の思うようにしようとすることは、自我そのもの。宇宙の流れ、地球の流れの中で、自由意志を活かすしかない。宇宙の流れや地球の流れに逆らうことは、全体から分離して孤独に生きること。天地人の流れを知らない無知な行為。それでは、やがて行き詰まる。天の時、地の利、人の和。それらがすべて一致した時、偉大なことが起きる。奇跡としか言いようのないことが実現する。流れと共に生きるしかない。『ある金は みんなルチルに 消えていく 嬉し恥ずかし ルチル貧乏』『天地人 流れと共に 生きるしか 他に道なし 時代と共に』『自分だけ よければいいと 思う時 皆から離れ 孤独な人生』『天の時 地球の流れ 人の縁 それらと共に 自然に生きる』これが631日目の心境です。
2006.09.24
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トンビが近くの電信柱の上に留まって、長い間、鳴いていた。なかなか可愛い。彼はいつも自宅の上空を飛んでいる。好きだよッ! 夕方、買い物に行った。最初に行った百円ショップで、知り合いに会う。共通の知人が家を建てたと言う。前の家はどうしたの?旦那が住んでいる。エッ? 二人は別れたの?そう。別れて自分で家を建てたの?そういうこと。すばらしい!ホントに。二人は正式に離婚したの?そう。どこに家を建てたの?平内。平内のどの辺り?おおぞら高校の近く。牧場のそば?そう、牛の臭いがするところ。すごいところに家を建てたんだね。なかなかいいところだよ。広いの?kimiさんところと同じぐらいかな。土地は?250坪。広いね。土地は前から持っていたらしいよ。すごい!おおぞら高校ができて、電気や水道が通ったので家を建てたらしいね。うまくいってるね。今日、新築祝いに行ってきたところだよ。女手一つですばらしいね。本当だね。知り合いとはそこで別れて、次は日曜大工の店へ行く。すると、また別の知り合いに会った。こちらは同じ地区に住んでいるけれども、人里離れたところにいるので、めったに会うことがない。珍しく夫婦でお買い物の最中だった。先程の家を建てた知人の話をする。彼等もよく知っている人。二人とも驚いていた。ところで、ガイドの仕事の方はどうですか。旦那さんが聞いた。まあ、なんとか生きていける程度だね。それがいいですよ。奥さんが相槌を打つ。その奥さんの話し方が、なんともやさしい。とても正直な人なので、微塵の嘘もない。彼等は30代半ばだろうか。ずっと一緒に暮らしていて、最近、正式に籍を入れた。古い民家を借りており、その奥は森と山というすばらしい環境のところに住んでいる。二人とも老人ヘルパー関係の仕事をしているが、たいして収入はなさそう。それでも心豊かに暮らしている。穏やかで、ゆったりしたペース。なかなか好感が持てる暮らし方。お金、お金という生き方ではない。まったく価値観の違う世界に住んでいる。自然と共に、ゆったりと暮らしている。外から屋久島へ来た人は、わりとそんな感じの人が多い。自然が好きで屋久島へ来たのだから・・・自分の家を建てるのもいいし、借家でゆっくり暮らすのもいい。いずれにしても、自然の中で自然と共にマイペースで生きていく。とても豊かな生き方だ。お金に追われ、経済至上主義の中で自分を見失って生きるのとは、天と地ほどの違いがある。お金はなくても、やさしさがある。それが何よりもすばらしい。あたたかく、心やすらぐ。とても幸せな気分になれた一時(ひととき)だった。『お金より やさしい言葉 一言(ひとこと)で 人の心は あたたかくなる』『お金より 自然と共に やさしさに 包まれながら 生きる幸せ』これが630日目の心境です。
2006.09.23
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朝9時にホテルに迎えに行く。今日のお客さんは、女性三人組。三人ともギャル以上、おばさん未満。三人は住んでいるところも違えば、職業も異なる。どうしてこの三人が一緒に?博多の行きつけの居酒屋で意気投合したらしい。三人とも独身。福岡、兵庫、川崎から集合したとのこと。一人は、産婦人科の医師。もう一人は、元NHK職員で、これから家の跡を継いで僧侶になろうとする人。最後の一人は、劇団員。個性もキャラクターも、三人三様。よくぞこの三人が集まったもの。それぞれの人と話をしていると、まったく話題が異なる。一緒にいて飽きることがない。行き先は、木霊の森と、もののけ姫の森。ほとんどの時間を木霊の森で過ごす。もののけ姫の森は付け足し。やはり、誰もいない空間は圧倒的。まったく波動が異なる。三人は、お腹か空いていないとのことで、結局、昼食抜き。霧が立ちこめる木霊の森は、プラーナが充満。三人はお昼の代わりに、仙人のように霞を食べたのだろうか。お互いにモデルになりながら、たくさんの写真を撮り合っていた。その中には何枚か木霊ちゃんも写っていた。劇団に所属する女性は、元同僚からこちらを紹介されたとのこと。紹介してくれたのは、以前に二日半ほど屋久島を案内した女性。彼女はステキな木霊の写真を撮ったらしい。それをポストカードにして、いつくかの縁のあるお店に置いてあるとか。ちゃんと木霊ちゃんには目も付いているらしい。別に商売をしている訳ではなくて、ステキな写真なので、お店の人に勧められてポストカードにした様子。今回来た女性は、一枚100円のポストカードを12枚買ったら、すぐにさばけてしまったとか。都会の人が癒されるのは嬉しいことだ。人の縁、出会いというのは面白い。いろんな人に会うのは楽しい。特に自分と波動が合う人に出会えると嬉しくなる。それは何物にも代え難い喜び。朝の9時過ぎに出発して、ホテルに戻ったのは、もう辺りが薄暗くなった7時半近かった。楽しいままに森に長居してしまった。三人は超満足。こちらも十分楽しませてもらった。お金に不自由しなくなっても、ガイドは続けてもいいなと思う。出会いは楽しい。いろんな人に出会えるのは、楽しい限り。出会いを楽しみ、味わって生きる・・・『人の縁 出会いの不思議 魅せられて 自然の中で 出会い楽しむ』これが629日目の心境です。
2006.09.22
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昨日は肉体が疲れていて、10時頃に寝てしまった。おかげで、朝4時前には目が覚めた。目が覚める直前、夢を見た。10cmぐらいあるアメジストが何本も・・・まるで花のように咲いている。濃い紫色。まだ白くて小さいのもある。それらを手で摘む。簡単に取れる。その紫のアメジストは、平和の象徴という感じだった。それは屋久島にあった。もちろん夢の世界。現実にあるかどうかは知らない。しかし、ステキな夢だった。外はまだ暗い。メールをチェックするためにパソコンをつける。そのままルチルのネットサーフィンになってしまった。2時間ぐらいやっただろうか。もちろん海外のサイト。ものすごいルチルが一個あった。スモーキーだけれども、形といい艶といい、ほぼ完璧。ルチルもビッシリ入っていた。これまでにこんなものは見たことがないとサイトの管理人も書いていた。確かにすばらしかった。しかし・・・値段もすばらしかった。わずか6.7cmなのに、なんと2400ドル。軽く25万円を超える。とても手が出ない。ない袖は振れない。いや・・・ない訳ではない。打ち出の小槌が。そう、伝家の宝刀、クレジットカードがある。カードを振れば、何でも買える。但し、その後に恐怖の支払いがやって来る。もう一つ適当なルチルを発見した。こちらは75ドル。これなら余裕で買える。ブラック水晶に近く、透明ではない。しかし、サイズが12cmもあり、金のルチルが走っている。取り敢えずは、こちらをオーダーすることになるだろう。新月が過ぎたら・・・朝から天気が良かったので、水晶の浄化に出かける。行き先の決まった水晶が3個。この水晶たちを浄化する必要があった。それだけでなく、こちらに届いて、まだ浄化していない水晶も4個あった。3個はカナダから届いた割安お買い得ルチル。もう1個は、一昨日届いたゴールドルチルポイント。この1個も代引きで7800円と、高くはなかった。その割には、クリアー!サイトを探して探して、やっと見つけたもの。しかも、写真が美しくなく、ほとんど埋もれているという感じだった。これではネットでは絶対に売れない。というぐらい写真が悪かった。しかし・・・買って、正解。極めてクリアーな水晶に、きれいなゴールドルチルが放射していた。但し、値段相応に形はかなり崩れている。これで形が完璧なら、5倍以上はするだろう。それでも、現在のルチル事情からすると、明らかにお買い得。これからは海外から、どんどん購入するつもりでいる。丁寧に探せば、まだまだ発見できるだろう。そういう意味では、楽しみがある。お金が続く限りは・・・譲るもの3個と、新しいもの4個。それに次回のお譲りしますコーナーに出品する予定の15組を加える。もう少し持って行けそうだったので、パソコンや机の前に置いてあるものを追加する。みんなで大ザル4個分。それでも、まだかなりの水晶が残ってしまう。一度に浄化できる程度の数でいいのでは?明らかに持ち過ぎ。そういう訳で、まだまだお譲りしますコーナーを続けなければならない。海はベタ凪。ちょうど大潮で干潮に近く、いつもより大幅に潮が引いていた。ゆっくり大ザル4個を海に浸ける。1個1個、手でこすって磨く。海で30分ぐらい浄化して、川へ向かう。川の水は海より、かなり冷たい。きりっと引き締まる感じ。ここでも1個1個、手で丁寧に洗い浄める。特に、送ることが決まっている3個は、より丁寧になる。全部の水晶を1個1個浄めていると、それだけで30~40分ぐらいはかかってしまう。その間、他の水晶は水で浄化されている。太陽エネルギーを充電しながら浄化。ピカピカに浄化して、キラキラ状態で送るつもりでいる。全部が手で浄化される頃に、全体の浄化も完了。海と川の合計で1時間半ぐらいだろうか。ものすごい陽射しで、首筋が熱い。浄化している間は、こちらも足を水に浸けている。それでも暑い。自宅に帰り着いて、水晶を太陽に当てる。今日は時間が足りないので、ひとまず乾かすだけ。充電は、改めて後日おこなう。しかし・・・浄化した水晶は、ピカピカ。持っていかなかった水晶と歴然と違う。一緒に置きたくない。そこで、持っていかなかったものは、大きな水晶クラスターの上に置いて浄化することに。それでないとバランスが取れない。送ることが決まっている3個は、もう一度、早朝の太陽に当てて充電してから送る。お譲りしますコーナーに出す15組についても、最終的には、もう一度浄化するか充電する。いずれにしても、ピカピカのハイエネルギー状態にして送り出す。屋久島のエネルギーで輝く水晶を手にしてほしい。送ることが決まっている3個は、人から見えないところに置いた。お譲りしますコーナーに出す15組も、人の息のかからないところに置いた。机の上に出しておくと、お客さんがつい触ってしまう。触らなくても、息がかかるだけでも、水晶はその波動を吸収してしまう。浄化されてきれいになっていればいるほど、すぐに影響を受ける。もちろん、触った本人は浄化される。近くにいるだけでも浄化される。しかし、水晶の方は浄化のやり直しをする必要が生じる。それほど、水晶は敏感。心して扱う必要がある。あまり自然での浄化ができない人は、水晶クラスターを手元に置いておいた方がいい。クラスターの上に置けば、水晶は浄化され、ニュートラルに戻る。自宅にもクラスターが何個かある。太陽が出ない日は、この上で浄化する。自宅には100個近い水晶が置いてある。それらの水晶は定期的に海と川で浄化され、太陽や月で充電されている。その結果、ここを訪れる人は自動的に浄化されることになる。本人が気づこうと気づくまいと、自然に浄化されている。人が来て水晶に負担がかかっている感じがすると、すぐに太陽光に当てる。毎日見ているので、ケアーに抜かりはない。持ち主が見て楽しむだけでも、エネルギー状態は違ってくる。愛情を持って接すれば、水晶も輝く。水晶は繊細。こちらが繊細であればあるほど、水晶の繊細さも研ぎ澄まされる。透明な水晶を見れば、見ただけで心身が浄化される。それほどのクオリティをヒマラヤ水晶は持っている。ルチルはパワーをくれる。パワーだけでなく、宇宙と繋がる感性も。針が細ければ細いほど、アンテナとしての機能は高い。ゴールドルチルは、金星のエネルギー。高貴な愛のエネルギーなのだ。気がつくと、水晶だけでなく、自分自身も浄化されていた。海から帰って、スラスラと日記が3本も書けてしまった。精神状態は、スッキリ、さわやか。クリアーで、軽い・・・たまには人間も浄化した方がよさそうだ。『屋久島の 海と川とで 浄化され キラキラ光る 水晶となる』『水晶を 浄化している つもりでも 自分自身も 浄化されてる』『海と川 太陽・緑 空の青 すべての自然が 祝福している』これが628日目の心境です。* 「626日目 - ナチュラル」「627日目 - 脱皮」も同時にアップしました。
2006.09.21
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朝8時にホテルへ迎えに行き、もののけ姫の森と太鼓岩へ登る。別にこんなに早くホテルを出ることもないのだが、ここのホテルの仕事は下請け。こちらから時間の指定はできない。でも、早く行けば森は空いている。早い森も悪くはない。歩き出して間もなく、帰りの人たちに会い始めた。ずいぶん早くから来ているのだろうか。20歳前後の男の子たちは、歩いているのではなく走っている。元気、元気!こちらのお客さんも若い女性二人。かなり歩ける。もののけ姫の森から太鼓岩まで楽勝だった。太鼓岩で昼食。ガスがかかっていて、屋久島の中心部の山々は見えなかった。1時間近く太鼓岩でリラックス。人が混んできたので、腰を上げる。帰り道は、少し雨に降られた。しかし、さしたることもなかった。二代大杉と弥生杉を見たが、それでも時間が余ってしまった。抹茶のソフトクリームを食べて、ホテルに着いたのは3時半過ぎ。こんなに早かったのは初めてだろうか。なにしろスイスイ歩く人たちだった。コメント欄に次のような書き込みがあった。【台風で脱皮できたら、私も脱皮したい。人間の脱皮は、何で脱皮する?体験?経験?試練?時間?私も脱皮中?今日も試練に疲れました・・・】屋久島は台風で脱皮した。それでは、人は何によって脱皮するのだろうか。日常の惰性のままでは、脱皮できそうにない。何か刺激がいる。きっかけがいりそうだ。何がきっかけになるのだろうか。それは人によって異なる。しかし、共通するものもある。それは自分を見つめ直すということ。惰性のままに生きていたのでは、自分を見つめ直す機会はない。病気になったり、事故に遭ったり、特別な人に出会ったり・・・きっかけは様々。しかし、そのきっかけを元に、これまでの自分の人生を見直すことになる。過ぎ来し方を見直せば、ハタと気づくこともある。自分はどんな人生を歩んできたのか、ゆっくり振り返ってみると、自分が見えてくる。日常に流されていては、自分は見えない。反応人生が過ぎていくだけ。脱皮するには、立ち止まるしかない。イモムシのまま這いずり回っていたら、いつまで経っても脱皮は起きない。サナギになって、じっと自分を見つめる時間がいる。常に動き回っていたのでは、自分のことはわからない。静かに自分を振り返る時、何かが起きる。静かに自分自身と共にある時、何かが起きる。これまでの日常とは違う何かが・・・それには、独り静かな時間がいる。自分自身とだけいる時間が。自分を振り返るのもいい。でも、何もしないのも、またいい。ただ自分といる。何もしないで、ただ自分自身といる。それが何よりもすばらしい。別に瞑想と言うほど改まることもない。ただ自然に自分自身といる。自分と一緒にいる。何もしないで、ただ自分といる。目的も、期待も、方向性も、何もなく、ただ自分と一緒にいる。その時に、自分自身に還る。自分自身。ただの自分自身。自分自身というすべて・・・自分と一緒にいれば、自分という限りない存在が開く。それは無限。限りなく開いていく。限りなく脱皮していく。三次元のこの世的な意識だけではなく、多次元の意識が開いてくる。それは三次元の意識にとっては、まさに脱皮。完全に別の次元の意識にシフトすれば、アセンション。どこの次元で生きるか。特に定めはない。自分の生きたい次元で生きればいい。自分の生きたいように生きればいい。ただ、多次元を理解できれば、それだけ自由に生きることはできる。広い視野と、深い洞察の中で生きれる。自分自身を振り返る。自分の人生を見つめ直す。そして、自分自身と共にいる。その先に脱皮やアセンションはある。日常の惰性の中には、脱皮もアセンションもない。日々、自分自身を見つめる中で、意識の扉は開く。静かに自分自身といるといい。いかなる目的もなく、ただ静かにしているといい。そうすれば、意識は限りなく深まっていく。『三次元 物質次元の 日常の ままに生きれば 人は変わらぬ』『振り返る ことがなければ 人生は 惰性のままに 流れてゆくだけ』『もう一度 自分自身を 見つめれば 自分のことが わかってくるもの』『目的も 方向性も 何もなく 自分自身と 共にいてみる』『ひたすらに 自分自身と いてみれば これまでにない 意識が開く』これが627日目の心境です。* 「626日目 - ナチュラル」も同時にアップしました。
2006.09.20
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朝から木霊の森と、もののけ姫の森へ行く。ほとんど木霊の森で過ごす。もののけ姫の森は、付録という感じ。木霊の森は誰もいない。もののけ姫の森は観光客だらけ。雰囲気というか、波動がまるで違う。もののけ姫の森は、人の波動が残っている。毎日毎日、たくさんの観光客が訪れる。今では屋久島随一の観光名所になってしまった。ルートは二本。楠川歩道と原生林歩道。たくさんの人と行き交う。人がたくさん通ると、自然ではなくなる。道に人の波動が染み込んでしまう。インディアンなら、何日前に人が通ったとわかるだろう。木霊の森では、それが明らかにわかるはずだ。しかし、もののけ姫の森では・・・もう人の波動だらけで、何日前とかいう問題ではない。獣道でもなく、人の道。それは縄文杉も同じ。人がたくさん行くと、雰囲気がまるで違ってしまう。木霊の森には、たくさんのキノコが生えていた。赤、白、黄色・・・チューリップ?青があれば信号?青は白谷雲水峡にあった。白谷雲水峡もキノコの季節を迎えていた。森は完全に秋バージョン。キノコにそっくりの真っ赤なイチゴのような花も咲いていた。名前は、ヤクシマツチトリモチ。昔は、この根株で鳥餅を作ったらしい。最近は、たくさんキノコの写真が撮れている。意外と屋久島には、いろんなキノコがある。注意して見ていると、なかなか楽しい。これらのキノコは、そのうちに屋久島ナチュラルヒーリングのトップページを飾ることになるだろう。木霊の森は、台風で多くの枝が落ち、様子がかなり変わっていた。基本的には、行く度に違う。それが自然。こちらの気分も行く度に違う。一期一会。里はものすごく良い天気だったが、森は曇っていた。時々、小雨も降って、木霊の写真を撮るのにはちょうどよかった。横になってお昼寝もでき、木霊の写真も撮れるというのは、なかなか贅沢。普通は、どちらか一方の場合が多い。森からホテルへ帰る車の中では、ほとんどスピリチュアルな話をしていた。ここまで話すことはめったにない。多少は話すこともあるが、自分から話すことはない。自然な会話の中で、自然に話題に出るだけ。こちらのHPを見てくる人は、スピリチュアル系の人も多い。自然にそのような話になることもある。しかし、改めて話すことはない。それは当たり前のこと。自然なことなので、自然に話せばいい。ナチュラル&スピリチュアルが、こちらの基本スタンス。自然の中で自然に生きる。自然と共にスピリチュアルに生きる。それがナチュラルなこと。今の都会暮らしや物質オンリーの暮らしは、不自然。時代は確実に自然の方へ向かって動いている。自然と共に生きる。それが自然な流れ。自然も物質もスピリチュアルも共存する世界。同時に存在する世界がナチュラル。時代は、そういう方向へ向かって流れている。『ことさらに スピリチュアルに 振る舞わず 自然と共に 自然に生きる』『物質も スピリチュアルも 共にある この三次元で 統合される』これが626日目の心境です。
2006.09.19
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台風一過。すばらしくさわやかな一日。昨日の嵐が嘘のよう。今日は・・・昨日とは、違う。今日は、昨日までの屋久島とは違う。今日は別の屋久島。もう昨日までの屋久島はない。あるのは、まったく違う屋久島。まるでタイムスリップしたような・・・別世界にいるような感じ。アセンションも、こんな感じだろうか。鈍感な人には、昨日と同じ。何も変わっていない。しかし、敏感な人にとっては、別世界。まるでミニミニアセンションしたような屋久島。まったく世界が変わってしまった。記憶の意識で見れば、これまでとまったく変わらない。しかし、新鮮な感覚で感じれば、ぜんぜん違う屋久島がある。実は、台風が来る度に屋久島は変身しているのかもしれない。台風が来る度に脱皮し、新しい屋久島になっているのかもしれない。本当は、台風と共にアセンションしている屋久島なのかもしれない。人は、ただそれに気づかないだけなのかもしれない。記憶というメガネをかけて見ている限り、屋久島は昨日のまま。これから先も変わることはない。記憶とは、イメージ。自分の世界。それは事実ではない。それは幻想。自分だけのイメージ。記憶の世界に住んでいるだけ。リアリティの世界では、昨日の屋久島はもうない。あるのは新しい屋久島。たぶん、それがアセンションだろう。意識が古いままでは、アセンションは難しい。古い意識はイメージの世界で彷徨うだけ。イメージの世界は、いつまでも変わらない。それは事実と関係なく存在する。本人が気づかない限り・・・事実ベース。繊細な感性ベースで生きない限り、リアリティと共に生きることはできない。ただ過去の記憶やイメージと共に生きることができるだけ。一生、リアリティを感じることなく・・・アセンションは、繊細な感性と共にやってくる。感性に見合ったアセンションがやってくる。日常の惰性のままに生きれば、アセンションはいつまでも夢。感性を研ぎ澄まして生きるしかない。過去の屋久島は、もうない。あるのは、新しい屋久島。『よく見れば 昨日の屋久島 ここになし あるのは今日の 新しい島』『記憶から 物事見れば いつまでも 変わることなし 自分の世界』『新鮮な 感性もって 眺めれば キラキラ光る 今があるだけ』これが625日目の心境です。
2006.09.18
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朝から猛烈な風と雨。最も激しい時は、一歩も外に出れない状態だった。当然、船も飛行機も全便欠航。屋久島へ来る予定の人は、鹿児島空港まで来て、着陸できずに羽田へ引き返したらしい。台風13号。直撃ではなかったが、かなり近くを通った。別段被害はないが、一日中、家が揺れていた。元々ここは風の強いところなので、台風の時はすさまじい。今回もゴミをストックしておくボックスが吹き飛んでしまった。ちゃんと石の重しを置いてあるのだが、石ごと吹き飛んでいた。しかし、夕方には風も弱くなり、外に出ることができるようになった。そして、台風の後の静けさがやって来た。外に出れないので、懸案だったポストカードを作製した。ホテルへ納めるものが70枚ほど残っていた。せっかくの機会なので、新しいものも8枚ほど試作してみた。今、屋久島ナチュラルヒーリングのHPで連載している光シリーズの中からピックアップしたが、なかなかステキなのができた。ポストカードを作ること自体は楽しい。但し、採算は合わない。趣味として作るのならいいが、ビジネスでは成り立たない。膨大な時間と、多量のインクを消耗する。印刷すればビジネスとして成り立つのかもしれない。本当に喜んでもらえる人にだけお分けする。そういうのがいいのだろう。ホテルの方はやめて、そういう感じにしたいと思っている。調子が出てきたので、もっと作りたいと思ったら、用紙がなくなってしまった。一袋100枚入りではなくて、55枚入りだった。かなり割高なポストカード用紙を使っている。ポストカードと同時に、最近ネットで発見したゴールドルチルもプリントアウトした。ステキなゴールドルチルを発見すると、まるで宝物でも見つけたように大切に専用フォルダーに保管する。すべてを手に入れることは不可能なので、それらの写真を見て楽しむ。プリントアウトしてあると、それだけで幸せな気持になれる。ゴールドルチルのネットサーフィンをしていた時、アメリカのサイトでステキなルチルを発見した。どうしてもほしくなって、英文でメールを出した。その返事が返ってきた。3個申し込んだら、1個は在庫があるが、1個は既に売れているとのこと。残る1個は、在庫があるかどうか調べて報告すると。メールはすごく便利。アメリカでも国内でも、まったく変わらない。ただ、日本語と英語の違いだけ。手紙に比べ、アッという間に返事が来る。本当はブラジルのサイトを見たかったのだが、ヒットしなかった。ブラジルは何語?ポルトガル語?それとも、スペイン語?さすがにポルトガル語やスペイン語は手が出ない。中国や台湾のサイトは漢字なので、なんとなくわかる。しかし、漢文でのオーダーはできない。なんとなく意味がわかるのが精一杯。アメリカのサイトでさえ、日本で買うのに比べたら三分の一くらいの値段。運賃や保険代を引いても半額以下だろう。元々はブラジルで採れるもの。この価格には、アメリカまでの輸送費+アメリカの業者の利益が含まれている。ブラジルから直接買えば、さぞかし安いことだろう。日本の業者は、アメリカやドイツなどのミネラルショーに仕入れに行く人も多い。そうなると、更に運賃と業者の利益が上乗せされる。原価はいくらなの?と聞きたくなる。ブラジルの鉱山での原価は?タダ!元々は地球に存在するもの。タダのものに、採掘するための人件費や機械代や利益がプラスされる。そこから中間業者を通るたびに輸送費がかさみ、利益が上乗せされる。最終消費者の手元に届く頃には、軽く10倍にはなっているだろう。ルチルにも流通革命が必要かも?インターネットの時代なのだから、ブラジルの業者がネットで直販してもいいだろう。もしかすると、既にあるのかもしれない。こちらが探し出せないだけなのかもしれない。この日記をお読みの方で、もしご存じの方があったら教えてほしい。ゴールドルチルの質の良いものは、国内のサイトにはほとんどない。あったとしても、かなりの高額。これからは海外のサイトをメインに探すことにしよう。クレジットカードさえあれば、簡単に買える。多少のリスクはある。しかし、インターネットの時代。狭い日本にこだわることはない。地球規模で生きればいい。質が良くて安いものが手に入ったら、十分に味わう。そして、次の人へ回す。今生は商売をやるつもりはない。ということは、良質で安いまま縁のある人へ届くことになる。ただ単に良質で安いだけでなく、屋久島のエネルギーで更に純化されているに違いない。ピカピカのハイバイブレーション状態でお届けする。きっとステキな循環になることだろう。楽しい循環・・・『ピカピカの ハイエナジーで 満たされて ゴールドルチル 日本を巡る』『エネルギー 高めて送る どこまでも もらった人が 輝くように』これが624日目の心境です。
2006.09.17
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今日は台風かと思ったら、朝のうちは晴れていた。またまた超スローな台風になっている。今年の台風は遅い。さすがに午後からは風が強くなり、曇ってきた。今日はフェリーが欠航し、午後からは高速船も欠航気味になっている。明日、明後日は、フェリー、高速船とも欠航の可能性が高い。フェリーが三日間欠航すると、屋久島の生鮮食品は底をつく。しばらくは絶海の孤島暮らしとなる・・・朝、太陽が顔を出したので、水晶の写真を撮った。今月末に15組の水晶を、HPの「お譲りしますコーナー」に載せようと思っている。ゴールドルチルが10組、ヒマラヤ水晶が5組。小さなものはセットにしたので、かなりの数になる。それなりに美しく撮れた。でも・・・完全には満足できない。夕方、譲る予定の水晶たちをよーく見ていた。すると、これまで気づかなかった美しさに気づく。ある角度から見ると、光っていたり、きれいな段になっていたり・・・それは、これまで気づかなかった美しさ。譲ると決めて初めて気づく美しさ。まだまだ質を極めていないということ。量に偏っていたということ。もっとしっかり味あわないと・・・いろんな角度から眺めているうちに、もう一度写真を撮りたくなった。ちょうど夕陽が出て来た。パソコンの前に移して写真を撮る。朝とはまた違った写真が撮れた。かなり撮影のコツがわかってきた感じ。もう一度、朝、挑戦してみたい。美しい写真を撮りたい。元々が美しいのだから・・・昨日、台湾のchachaさんからメールが届いた。次回「譲りますコーナー」を設ける時に、自分のゴールドルチルも載せてもらえないかというもの。ルチルの写真が添付されていた。少し暗い感じがしたので、もっと明るく撮った方がいいと返事をした。すると、彼女からまたメールが届いた。手にした人が、写真よりも実物がいいと喜んでもらえるので、そのようにしたいとのこと。確かに!ネットで買い物をしていると、届いた時に写真よりも実物が落ちるとガッカリしてしまう。そういう意味では、あまり美しく撮りすぎると過度の期待を抱かせてしまう恐れがある。こちらも、そのことは気になっていた。だから、あまり美しく写すのを控えていた。でも、でも・・・最近、少し考え方が変わってきた。というのは・・・できるだけ美しく写してあげよう。その水晶が持っている最大値を引き出してあげよう。そういう感じになっている。なぜ?そのものが持つ美しさを最大限引き出してあげる。本来持っている可能性を限界まで解放する。それがそのものを生かすということではないだろうか。可能性を最大限花開かせてあげる・・・手元に届いた時、きっと写真と違うと感じるかもしれない。それは、朝陽や夕日に映える景色と、真っ昼間の景色との違いみたいなものだろうか。風景写真は、朝夕が一番美しい。それは写真を撮る人にとっては常識。朝陽、夕陽に浮かぶ景色は最高。強い光が当たれば、人の肌でさえ美しくなる。紅い夕陽が当たると、表情は更に美しくなる。それと同じようなものだろうか。いろんな角度から水晶を見てほしい。写真よりも美しくないと思うのであれば、まだその水晶本来の美しさを見出していないということ。まだまだ美しい可能性が残されているということ。更に深く味わってほしい・・・最近は、そういう心境になっている。だから、極力美しく撮ってあげたい。それは女性を撮る時も同じ。子供を撮る時は、できるだけ可愛く撮ってあげたい。その子の個性が生きるように撮ってあげたい。水晶も何ら変わらない。できるだけその水晶が持っている美しさの可能性を引き出してあげたい。可能な限り美しく撮ってあげたい。ただそれだけ。それ以上でも以下でもない。水晶をよくよく見ていると、その美しさに気づく。美しさを感じると、その美しさを写真に撮りたくなる。そして、その美しさを分かち合いたくなる。それは水晶に限らず、すべてに共通している。この世の真理も同じ。真理は美しい。実にシンプル。そして、深淵。その感覚を共有したい。共感したい。ただそうしたいだけ。理由はない。美しさを共有したいのと同じ。美しいものを所有するもの楽しい。でも、共有することは、更に楽しい。楽しいと言うより、喜びに満ちている。共有・共感に優るものはない。共鳴・共振に優るものはない。それが幸せと言うもの。『美しい ものをそのまま 美しく 撮ってあげたい 可能な限り』『本来の 水晶が持つ 美しさ 可能な限り 引き出して撮る』『見る角度 光の具合 背景で どんどん変わる その美しさ』『じっくりと 味わい見れば それぞれに 個性・輝き 美しさがある』『美しい ものを感じて 表現し 共有・共感 共鳴・共振』これが623日目の心境です。
2006.09.16
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今日も朝から雨が降っている。夏とは思えないくらい気温も低くなってきた。とは言っても、25度以上はあるのだが。まだTシャツで暮らしている。台風が近づいている。週末は荒れるかもしれない。三連休で屋久島へ来る人は気の毒かも。こちらは連休とかは、まったく関係がない。昨日、今日と、ゴールドルチルのネットサーフィンを続けている。もう国内にはないので、海外のネットを見まくっている。それでも、良いのが見つかるのは100回に1回ぐらい。海外でも、なかなか良いものはない。しかし、国内では絶対に見られないようなものも、たまにはあったりする。こんなルチルもあるのかと驚いてしまう。リッチになったら、ブラジルへ買い付けに行きたい。やはりブラジルに行くのが一番たくさん見れそう。但し、治安が・・・研磨された美しいものなら、台湾や中国へ行けば、いくらでもある。しかし、無研磨のナチュラルなものは、中華圏にはほとんどない。そういうものは、やはりブラジル。だいぶ先の話・・・屋久島ナチュラルヒーリングのHPに次のような書き込みがあった。【最近は、色んな事がありすぎて、思考回路がオーバーヒートしてしまい、無気力。これじゃダメダメと、能天気な私が、応援してもかなり熱しているらしく、冷めない。ようやく落ち着いたかと思うと、また次の試練が待っている。最近は、心身から「心地よいなぁー」のエネルギーが出ない。人に会うと、笑顔で答える(仕事だから)。でも仕事は、好き。全身全霊で心地よさを感じたいのです。皆さんは、どのようにしてますか?kimiさん、屋久島の森に1度行きたいですねー。結局、自分で決めなきゃいけないんだけどねー・・・ブルーの私を楽しんでるのかも・・最近そんな感じもしてきた。kimi さんの滝の写真、水の流れが写ってる写真は、パソコンからでもエネルギーを多々感じ癒される。大好きだ 。】ブルーの時もある。やる気がない時も。何をやってもうまくいかない時もある。人生いろいろある。調子が良い時は何も問題はない。そのペースで進めばいい。でも、調子が悪い時、どうする?それが問題。いろんな対応の仕方がある。静かに待つ。というのも、ベーシックなやり方。ジタバタしない。ジタバタすれば、アリ地獄か底なし沼。ジリ貧となり、どんどん状況は悪化する。そんな時は、静かに時が過ぎるのを待つ。そうすれば、やがて状況が変わる。なぜ変わるのか?それはすべてが変化しているから。もし土星の影響でいろいろ抑圧されているとしたら、土星が通り過ぎるのを待つという手もある。じっとガマン。しかし、実際は・・・何をやってもうまくいかない時は、自分の中のネガティブなものが解放されている時。だからこそ、ジタバタしない。ただ静かに解放されるままにしておく。東洋的な占いで言えば、五黄殺や暗剣殺の時、これまで溜まっていたものが出てくる。天の時、地の縁によって、蓄積されていたものが解放される。逆に言うと、それは解放のチャンスでもある。ネガティブなものが出てくる時は、溜まっていたものが解放されていると思えばいい。実際そうなのだから。天の時、地の利、人の和。時が来て縁を得てカルマが解放される。それは解き放てばいい。何も問題はない。静かに落ち着いていれば何も問題はない。心を乱し自分を見失えば、更なるカルマをつくってしまう。落ち着いていること。常に自分自身であること。しっかり自分にグランディングしていること。静かに落ち着いていると、カルマは静かに解放される。自分のその時の波動に応じてカルマは解放される。荒れた心では、荒々しい解放となる。石のように硬い心では、固まった心を砕くような劇的なことも起きかねない。すべては今の自分の波動しだい。心静かに安定していれば、カルマを恐れることはない。何が起きても、ただ流れていく。たいした傷を残すこともない。傷つく準備ができている人だけが、しっかり傷つく。ただそれだけのこと。自分の心しだい。静かに自分自身を見守りながら生きる。いついかなる時も変わらない基本スタンス。肉体の状態を見守り、感情を見守り、思考を見守る。自分の行動を見守り、想いを見守る。人格を見守り、自分の存在を見守る。見守る意識は・・・見守られるものとは異なる。見守る意識こそが、遙かなる意識と繋がっている。それは無限。限りなし。カルマも天変地異も、何も恐れるに足りない。無限の時から眺めれば、ほんのわずかな時。ほんのわずかな苦しみ。思い込みによって増幅されただけの苦しみ。苦しむことも、悲しむことも、傷つくこともない。そういう次元にいて、すべてを見守り、すべてと共に生きる。静かに、ゆったりと生きる。ブルーの日は、静かに整理整頓する。部屋を片づけ、これまで溜まっていたものを処理する。これまでの人生を振り返り、自分自身を見つめ直す。すべてを整理整頓する時。ブルーの日は、解放する時。間違っても新しいものを獲得しようとしない。いくらもがいても、やって来るのはブルーなものだけ。動けば動くほど、虚しくなるだけ。手放す。身軽になる。自分自身を整理整頓する。それがブルーの日の基本的な過ごし方。身軽になれば、また新たに動けるようになる。ゆっくり休めば、しっかり充電される。ブルーの日も悪くはない。これまで乱雑になっていたものを整理する時。心も体も物も整理整頓し、身軽になってリフレッシュ。新しい旅立ちに備える。潮が引ききれば、また満ちてくる。そういうリズムがある。時々は嵐が来て、溜まっていたものを一掃する必要もある。自然のリズムと共に生きる。すべてを見守りながら生きる。ゆっくり心静かに生きる。何も問題はない。すべては自分の波動しだい・・・『ブルーの日 ジタバタしないで 心身に 溜まっていたもの すべて手放す』『ブルーなら ブルーのままに 整理する 部屋を片づけ ゆっくり休む』『災いが 降りかかる時 災いを 自分の中から 解放している』『カルマさえ 波動しだいで どうにでも 変わってしまう 現れ方が』『晴れる日も 曇る日もある 人生は どんな時でも 見守り生きる』これが622日目の心境です。
2006.09.15
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今日は朝から一日雨が降っている。こんなに雨が降るのも久しぶりな気がする。それほど雨の少ない屋久島だった。昨日の日記を書いた後、なんとなくゴールドルチルをネットサーフィン。再確認したのは、ほとんど質の良いものがないということ。2~3時間、いろんなキーワードを入れて探しまくったけれども、これはというのは一個だけ。しかも、157500円もした。それは縦横が12cm×12cm、高さが8cmもある巨大なクラスター。このクラスターと同じようなものを仕入れようと思っても、最近ではなかなか手に入らないと書かれていた。確かに、このレベルのものは見かけない。これまでに一つだけ見つけたが、それは50万円近くした。ゴールドルチルのポイントも、ほとんど質の悪いものばかり。一つだけ、これなら買いたいと思ったものがあったが、既に売却済み。良いものはみんな売り切れている。本当に、本当に良いゴールドルチルがない。いくら探してもない。万一見つかっても、非常に高価。国内に限れば、後は幸運を祈るしかないという状態。ラッキーならば良いのが手に入るでしょうというレベル。品質の良いものは皆無に近い。ルチルを探していて、ステキなスモーキーエレスチャルを発見。一万円以下だったので、即、購入。まるでガーデン水晶のように美しい。実物が届くまでは何とも言えないが、ネットで見る限り掘り出し物かも?現金はなくてもカードがあるので、すぐに買えてしまう。ほとんど水晶中毒?新しいものを買ったら、古いものは手放す。どんどん所有物が増えると、貪欲になってしまう。それでは謙虚さが消える。物がたくさんあることは、豊かとも言える。しかし、必要以上に集めすぎると、物に埋もれてしまう。自分自身が物質的になり、本来の自分自身を見失う。力ずくで物を集めようとすると、支配的になる。暴力的になり、独裁的になる。やはり、流れがあるので、流れを見極めて集める方がいい。力ずくでやると何事も無理が生じる。物は少なければ少ないほど、謙虚に生きれる。少ないことを気にすれば、卑屈になる。しかし、少ない物を感謝して大事に使えば、豊かに生きれる。幸せは、絶対量ではない。いかに分かち合うかということ。絶対量はあまり関係ない。量が多くても少なくても、奪い合えば幸せとは言えない。たとえ量は少なくても、お互いに分かち合えば幸せに生きれる。多ければいいというものでもない。物が豊かになって心が貧しくなるケースは珍しくない。自然の流れと共に感謝しながら生きれれば、それに優る幸せはない。自分の心に正直に、心の望むままに生きれれば、それが最高の幸せだろう。無理とは、自我の別名。自然のままに。自然の流れのままに。感謝しながら生きる。それが幸せへの一番の近道。『独り占め しようとすれば 争いの 世界となって 幸せ遠い』『幸せは 物の量より 分かち合い 少ない物も 分ければ幸せ』『多くても 奪い合ったら 地獄界 分かち合うのが 天上世界』これが621日目の心境です。* 「620日目 - 量と質」も同時にアップしました。
2006.09.14
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屋久島の里の方では、彼岸花が咲いている。自宅ではナンバンギセルが咲き出した。もう季節は秋の気配。午前中、お客さんがあった。屋久島の知り合いと、岐阜から来たその友人。友人の方が水晶に興味があり、こちらの水晶を見たいとのこと。自宅にあるすべての水晶を見てもらう。感嘆!感激!感動!水晶に詳しい人は、みんな喜ぶ。これだけあると壮観。専門店へ行っても、なかなかこれだけのものはない。量は兎も角、質的にこれだけのものがそろっているところは少ない。二人はかなり長い時間、水晶を楽しんでいた。特にヒマラヤ水晶が気に入ったようだ。それもスペシャルのベスト3を。これだけのクオリティのヒマラヤ水晶は、めったに見られない。サイズは、そんなに大きくはない。値段的にも、そんなに高いものではない。しかし、これだけの質のものを手に入れるのは至難の技。ほとんど幸運に近い。最後にポストカードを二人で31枚求めて帰っていった。岐阜の女性は、屋久島の彼女から送られてきたポストカードをボロボロになるまで持ち歩いていたとのこと。それはモッチョム岳に架かる虹のポストカード。こちらもとても気に入っている一枚。彼女が選んだ21枚は、こちらの好みとほぼ一致。気に入ったものが見つかると、実に嬉しそうに歓声を上げる。こちらも嬉しくなる。光に満ちたものを選んでくれた。ポストカードにしておいてよかったと思う。ホテルで売れるものは、縄文杉やもののけ姫の森など定番のものばかり。光に満ちたものは、あまり売れない。木霊の写真も売れない。つまらないから、もうホテルに卸すのはやめようかと思っている。やはり、写真をわかってくれる人に渡したい。それはお互いの喜びとなる。感性を共有できるのは、とても嬉しい。わかり合えるというのは、この上なく嬉しいこと。水晶も数が多すぎて、みんなに目が行き届かないので、もう十分に堪能したものは必要な人に譲りたいと思っている。近々、大幅に整理するつもり。屋久島ナチュラルヒーリングのHPで、引き取り手を募集する。価格は原価以下。別に水晶で儲けようという気はない。必要のなくなったものを必要としている人のところへ届けたい。価格はそんなに高くなくてもいい。屋久島のエネルギーと共にお届けする。自分で毎日見て楽しめる範囲。じっくり、ゆっくり味わえる範囲。それ以上はいらない。どんどん回す。回転させ、動かすことによって、すべてが活性化する。お金はその媒介物。お金そのものに価値がある訳ではない。絶対価値ではなく、交換価値があるだけ。欲を出せば、キリがない。欲を出せば、苦しくなる。自分が満たされること。それは量ではなくて、質、いかに深く味わうか。いかに大切に扱うか。いかに喜びを以て接するか。それが幸せを決めていく。いくら量を集めても、幸せにはなれない。いかに質を高めるか。人生はそれにかかっている。量は限りがある。質は無限。『限りある 量を競って 争えば 互いに苦しく 辛くなるだけ』『諸々の 量は有限 質無限 質を極めて 量はほどほど』『量よりも 質を高めて 生きる時 質は無限に 深まりゆくもの』『繊細に 研ぎ澄まされた 感性で 味わい尽くす 無限の質を』これが620日目の心境です。
2006.09.13
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昨日は、朝から木霊の森へ行った。お客さんは、カメラマンのペアー。まだ若い二人。助手から独立して間もないらしい。木霊の森は、霧がかかったり、雨が降ったり、太陽が出たり・・・とても変化に富んでいた。まるでプロのカメラマンに木霊の森の様々な姿を見せるかのよう。重たい三脚をセットして、かなりの時間をかけてセッティング。それから、団体の集合写真を撮るような大きなカメラで撮影。デジカメや古いメカニカルなカメラなど、四台を動員。デジカメには木霊ちゃんがたくさん写った。一昨日はぜんぜん写らなかったのに・・・撮影しながら歩くので、ものすごく時間がかかる。大きなカメラの構図を決めるのにも時間がかかり、太陽の光を待つのにも時間がいる。本当はもののけ姫の森へも行く予定だったが、木霊の森だけにすることに。これだけ超ゆっくりなのは初めて。一昨日は赤だけだったキノコが、黄色いのも出ていた。本当に森は秋。シカやサルが姿を現す。サルが通った後には、赤いキノコが無惨な形になっていた。どうもかじった様子。美味しくなかったのか、そのまま捨てられていた。いろいろな天気と、それに伴う様々な景色の変化を堪能して帰路へ。道の途中で、雨に濡れた木の葉に太陽が当たって、超きれい!そこで、急遽、写真撮影会。光のグラデーションがすばらしい。不老長寿の水を汲んで帰る途中、山の向こうに虹が出た。あまり濃くなく、虹を写そうとすると手前の山がシルエットになってしまう。カメラマンのペアーは、虹よりも下の方から湧き出す雲に興味があるらしく、大きなカメラをセット。なかなか気に入った写真が撮れた様子。雲が下の方から湧いて、どんどん移動していく。それに夕陽が当たって、きれいになった。里の景色が見えたり、隠れたり・・・こちらもたくさん写真を撮った。写真撮影会のような一日だった。プロのカメラマンと行動を共にしたのは初めて。高いフイルムを使っているので、一枚を撮るのにもすごい時間をかける。その点、デジカメはいい。気軽に、いくらでも撮れる。二人は、次の日は海で釣りをして遊ぶつもりとか。海と山で、かなり楽しんでいる様子。若くて、これから有名になろうとしている二人。経済的には大変らしいが、苦労しながら成長していく姿は、なかなかすばらしい。下から湧く雲を撮影している時、プラナー(生命素)がたくさん見えた。お客さんの目にも見えた。彼女は、長い間、それは目の錯覚だと思っていたらしい。子供の時から見えていたとか。降った雨が太陽に照らされ、山の間から雲が湧く。それがこちらに近づいてくると、アクビが出る。雲の中はプラナーがいっぱい。新鮮なエネルギーに出会って、体内の空気の入れ換えが自然に始まる。森に霧がかかると、途端に雰囲気が変わるのもこのせいだろうか。生気に満ちたエネルギー状態となる。仙人が霞(かすみ)を食べて生きているというのも、きっとこのことだろう。この生命の素を体に入れているのだ。プラナーは、三次元のものではない。三次元半ぐらいだろうか。肉眼でもよく見える。これだけでも生きていけるのかもしれない・・・『キラキラと 雲と同時に プラナーも 湧いて心身 リフレッシュされる』これが619日目の心境です。
2006.09.12
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昨日は、3泊4日の旅の最終日。まず木霊の森へ行く。カッパのズボンだけを着用して行ったが、ほとんど雨は降らなかった。緑の世界の中で、ゆっくり時間が流れる。日常とはまったく異なる空間。誰もいない自然の中で、時は止まる。日常が止まり、時間が止まる。ただ緑の世界がある。ゆっくりペースで、森の中を歩く。木霊の写真は撮れそうにない。天気が回復してしまった。しかし、とてもさわやか。木霊の森は、とてもクリアーな空間。空気が澄み切っている。何種類もの沢の音が聞こえる。それを聞き分けることができる。静かな、静かな空間。真っ赤なキノコが生えていた。他にも真新しいキノコがあった。森はもう秋なのだろうか。水量は相変わらず少なかった。借りた登山靴とカッパを返して、お土産屋さんに寄る。ここも混んでいた。白谷雲水峡の駐車場も満員だった。夏休みが終わって一時期減っていた観光客が、また増えている。屋久島の場合、1~2月の真冬以外は常に観光シーズン。お昼を食べ忘れたので、オニギリを買う。食べるところに困り、自宅で水晶を見ながら食べることに。ゴールドルチルや屋久島水晶を見てもらう。自宅に何個の水晶があるのだろうか・・・数えてみたら、100個近くあった。よく集めたものだ。これでも既にかなりの数は引き取られている。いったいいくつ買ったのだろう?もう自分でもわからない。それでも投資金額は100万円ぐらいのもの。たいしたことはない。食事と水晶見学が終わって、抹茶のソフトクリームを食べに行く。それから、屋久杉の木工所へ。木霊のストラップや屋久杉の箸などを購入。驚いたことに、木工所の入口には大きな木霊がたくさん飾ってあった。まるで「もののけ姫」の映画に出て来るのとそっくり。これから木霊のストラップをメインとして売り出したい様子。そのうちに記念撮影ポイントになるかも・・・あれ?どこかで見たような・・・お客さんの目の前に出されたのは、こちらのHPの「木霊の写真館」をプリントアウトしてスクラップにしたもの。え?勝手にプリントアウトしていいの?ちゃんと断ったから。誰に?パソコンの前で。ガーン!知り合いだから、何も言えない。まあ、屋久島とは、そんなところ。著作権も何もあったものではない。屋久島だけで許されること。最後に宿に忘れ物を取りに行って、空港へ。日曜日の最終便は満席だった。また屋久島に来ることを約束して、お客さんは帰っていった。こうして3泊4日の旅は終わった。今回は、とても盛り沢山のツアーだった。夜まで働いたもの・・・普通、夜までガイドすることはない。今回は特別。どうしても天の川を見たいと言われ、宿が自宅のすぐ近くだったので特別サービス。その代わり、朝はゆっくりとなった。宿泊コースの場合は、自由に調整できる。一日コースや半日コースでは、決まったところへ行くだけとなる。それがほとんどの屋久島のガイドがやっていること。温泉へ連れていくガイドも少ない。しかし、宿泊コースの場合は、トータルでコーディネイトするので、かなりの我が儘にも対応できる。オリジナルの屋久島の旅を楽しめる。もちろん、その分、料金は高い。自分に合ったコースを選べばいい。今回は、夜の星空見学が特徴的だった。結果的に月光浴となったが、すばらしいロケーションだった。流れ星を3個も見ることができた。東の空から上がる月も、西の空に沈む夕陽も見れた。川で泳ぎ、海で泳ぎ、滝も温泉も体験した。シカにもサルにも熱帯魚にも会えた。光のスポットライトも見れたし、濁った川も見れた。最後に抹茶のソフトクリームも食べられた。とても、とても盛り沢山の旅だった。いつもの倍ぐらいの密度があった気がする。やはり、ナイトツアーが大きかったのだろうか。強烈な印象として残っている。『星を見て 満月を見て 夕陽見て 海で泳いで 滝で浄まる』『東天に 登る満月 海照らし 黒やまぶきに 野山を染める』『西空に 沈む夕陽は 赤々と 別れのテープ 波間に投げる』これが618日目の心境です。
2006.09.11
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昨日は、朝から屋久島一周に出かけた。まず滝巡り。龍神の滝は、まずまずの水量で迫力があった。千尋の滝は、少な目の水量。展望台から、原方面を見渡す。広々として気持ちがいい。モッチョム岳の真下へ行って記念撮影。ここは観光客は来ない。モッチョムが上から迫ってくる。屋久島一の岩峰。黒牛の牧場へ行く。しかし、牛たちはいなかった。その代わり、すばらしい海の景色が開けていた。何枚も写真を撮る。栗生の集落まで車を飛ばし、脇道へ入る。知る人ぞ知る小谷ヶ滝へ向かう。川の水は汚れていた。こんなにすばらしい天気なのに・・・どうも上流で豪雨があったようだ。そうでなければ澄んだ水が流れているはず。ルートと言えないルートを歩く。途中で沢登りのグループと出会う。あちらはヘルメットにライフジャケット+地下足袋の完全武装。こちらはハイキングスタイル。濁流の感じからすると、彼等の方が正解。こちらがイージーな感じ。30分ぐらいで小谷ヶ滝に到着。ものすごい水量。滝壺は濁り、ちょっと怖い感じ。しかし、迫力満点。しばらく、高い岩の上で滝を眺める。いつもの澄んだ滝壺なら裸で泳ぎたいところ。でも、今日は危険。こんな日もある。30分ぐらい滝を眺めて、帰路に就く。沢登りの連中は、川に飛び込んだりしながら登って来る。ちゃんとガイドが付いているので安心。人数は4~5人。猛烈に暑くなったので、大川の滝へ涼みに行く。滝壺の前で滝のミストを浴びる。最高に心地よい。お客さんは昼食。こちらは昼寝。ここも滝壺は濁っていた。やはり局地的な集中豪雨があったのだろう。小一時間程涼む。体が冷えたところで、熱帯魚と泳ぎに行く。タイドプールは、かなり潮が引いていた。しかし、残念なことに水は少し濁り気味。いつものような透明感はなかった。たぶん川の汚れた水が流れ込んできているからだろう。それでも熱帯魚が見えないほどではない。たくさんカラフルな熱帯魚が泳いでいた。しかし、今日は大潮のせいか流れが速い。干満の差が激しいのだ。早めに切り上げて、シャワーを浴びる。まだまだ予定がぎっしりつまっている。立神岩を見ながら西部林道に入る。途中で海の上に光のスポットライトが現れた。美しい!何度か西部林道で下車して楽しむ。シカもサルもたくさんいた。美味しい水もあった。しかし、少しだけ時間が遅い。森の中は薄暗い感じ。西部林道を抜けると、白砂の永田いなか浜が見える。夕陽は?残念ながら雲の中に隠れてしまった。永田岳も雲の中。波打ち際を裸足で歩く。夕陽の見えない夕焼けを眺める。足だけ砂に埋める。貝を拾う。空が薄暗くなる頃、宿へ向かう。宿は今年4月にオープンしたばかり。その割には繁盛していた。空港から歩いて5分の便利さが受けたのだろうか。料理はパンやデザートに至るまで、奥様の手作り。管理栄養士をしていたらしく、バリエーションに富んだ食事が楽しめる。料金は少し高めだが、部屋は美しい。なにより自宅から近くて、こちらにとっては最高の宿。もうすぐ空港の前に温泉ホテルができる。もう建物がかなりできてきた。これが完成すると、いつでも温泉に入れるようになる。楽しみにしているのだが・・・滝は人を浄める。一日に四ヶ所も回れば、かなり浄化されたことだろう。その上、海で泳ぎ、波打ち際も歩いた。浄化しまくりの一日だった。『滝めぐり ミストを浴びて 心身は 浄まり尽くし ピカピカになる』これが617日目の心境です。
2006.09.10
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昨日は、朝の10時頃からヤクスギランドへ行った。高度が高くなるにつれて、天気は悪くなった。普段歩いていないお客さんなので、80分コースにする。コースを歩いている間、ほとんど人には会わなかった。河原で遊んだりもしたが、雨模様で足下が滑りやすかったので、早々に引き上げる。杉で造った休憩所で昼食。外はかなりの雨。天柱石は見えなかった。帰り道、たくさんのサルが道路に出ていた。生まれて間もない子ザルもいて、お客さんは大喜び。里に近づくにつれて、天気は回復。一周道路に出る頃には、すっかり晴れていた。温泉へ向かっていたのだが、途中で気が変わって、誰もいない滝へ。一周道路から脇道に入り、急なガケを下って海に出る。石だらけの海岸をしばらく歩いて、川が海に流れ込んでいるところまで行く。そこから少しだけ川を遡ると、滝がある。高さはないが、かなりの幅がある。滝壺は広々としている。誰もいない。とても静か。島の人でも知っている人は、そんなに多くはない。きれいな空間が広がっている。ここはかなり深いので、泳ぎに自信がない人には向かない。本当は裸で泳ぎたかったのだが・・・流木を探して浮き袋代わりにする。これさえあれば安心して泳げる。ところが、お客さんは、これがあっても流されてしまう。結局、滝壺の近くまでは行けなかった。それでも別世界の中で、十分に楽しめた。かなり長い時間、岩の上で寝そべってのんびりしていた。ちょうど木陰になっていて、風が心地よかった。気がつくと、水着が乾いていた。川で体が冷えたので、尾之間温泉へ行く。途中、モッチョム岳に夕陽が当たって、きれいだった。まだ5時前だったので、温泉は空いていた。屋久島の川の水のように透明な源泉が、豊富に湧き出していた。体が温まったところで、夕陽を見に行く。しかし、夕陽には1時間以上時間があったので、シドッチ神父上陸の記念碑がある教会へ行く。ここからの景色が好きなのだ。モッチョム岳を始め、雄大な山々が楽しめる。まだ時間があるので、ほとんど車が通らない林道を登って、高台へ行く。ここからの眺めがすばらしい。この辺りに家を建てたい。毎日、朝陽も夕陽も見ることができるだろうか・・・夕陽を追いかけて、どんどん西へ向かう。中間の集落まで来て、やっと海に沈む夕陽に正対できた。海面に長い長い夕陽の帯が掛かる。こんな景色は大阪では見れない!初めて美しい夕陽を見たとのこと。雲も少なく、ほぼ完璧な夕陽。地元の人が3人ぐらい釣りに来た。毎日来ているとのこと。最後の最後に雲があり、海に直接沈むところまでは見れなかった。直に海に沈む太陽は、なかなか見れない。下の方には雲があることが多い。ごく希に直接海に沈むと、お椀型の太陽になる。タイミングが合えば、そのような夕陽にも出会えるが、めったにない。宿からかなり遠いところまで来てしまったので、夕食に遅れないように飛ばして帰る。途中、東の海から月が上がった。その美しいこと!水平線の近くにある月は、大きくて黄色い。まるで太陽のようだ。急遽、海岸へ下りて、写真を撮る。こんな月は見たことがない!というぐらい美しかった。でも、暗くて写真はうまく撮れなかった。お客さんのデジカメには、月がブレブレに動いて写っていた。7時半に宿に着き、一旦、夕食休憩。9時から星を見に行く。今日はなんとしても星を見るために、永田いなか浜まで行くつもりでいた。ところが、9時になると自宅からでも星を見ることができた。昨夜と同じ近くの海岸で十分だった。海岸は満月が明るく照らし出していた。波の白さがはっきりわかる。種子島の灯りも今夜はクリアー。国際線の飛行機が、ライトを点滅させながら何機も行き交う。マットを広げ、星空を眺める。しかし・・・月があまりにも明るすぎて、星の数が少ない。実際は天の川もあるのだろうが、ぜんぜん見えない。なにしろ満月の明かりがすごすぎる。それでも大阪から来たお客さんは感動気味。この数の星でさえ、大阪では見れないらしい。屋久島では、これでは星が出ているとは言えない。ああ、満天の星を見せてあげたい・・・しばらく仰向けになって夜空を眺める。こちらが目をつぶっている間に、お客さんは3個の流れ星を見たとのこと。2個目は長く長く尾を引いていたらしい。流れ星も生まれて初めての体験。初めて尽くしの一日となった。何事にも囚われなければ、何も問題はない。サラサラと流れて行けば、今を生きることができる。心に引っかかりがあると、人生は苦しくなる。今の目の前の事実と共にあれば、感動があるばかり。過去や未来に囚われない。何にも執着しない。サラサラと今の現実を生きる。目の前の事実だけを意識する。思い煩うことをやめ、静かに周りを見つめる。何も問題はない。事実に即して生きていくだけ。まったく問題はない。悩みも苦しみもない。囚われなければ、悩みや苦しみは一切ない。囚われてしまうと、それが悩みや苦しみとなる。執着するかしないか。囚われるか囚われないか。ただそれだけのこと。明日はどうなるかわからない。小さな子供たちは、明日のことを思い煩うことはない。毎日、いきいきと生きている。大人だけが明日を思い煩い、暗く重たい顔で生きている。事実と共に誠実に生きていく。今に意識をフォーカスし、過去や未来に意識を遊ばせない。過去を悔いず、未来を恐れない。今ここを生きる。今ここには、後悔も恐れもない。ただ事実がある。後悔や恐れや不安は、過去か未来にある。今ここにはない。何も考えなければ、悩みもない。囚われて考えすぎれば、悩みとなる。さわやかに、滞りなく、サラサラと流れていく。いつまでも過去にこだわらない。次々と完了させて、今に生きる。『次々と 完了させて 今ここに 意識フォーカス サラサラ生きる』『明日のこと 思い煩う ことにより 悩み苦しみ 果てることなし』『移りゆく 現象すべて 掴まない 流れのままに 流れと共に』これが616日目の心境です。
2006.09.09
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昨夜は、結局、月も星も見ることはできなかった。厚い厚い雲が覆っていた。ほんの一瞬だけ月が出たが、見る間に雲に隠れてしまった。はたして今夜は見れるだろうか。昨日は午後1時10分に空港に迎えに行った。飛行機は10分遅れで屋久島空港に着陸した。お客さんはすぐにわかった。かなり目立つ感じの人だった。まず益救神社へ行って、ご挨拶と旅の無事を祈る。それから登山靴とカッパをレンタル。屋久島縄文水の工場で、湧き水を補給。時間が中途半端なので、いつも水晶を浄化している場所へ行く。少し波打ち際を歩いて、白い線の入った石を拾う。海はぜんぜん冷たくなかった。それから、川へ行って泳ぐ。ここは夏の間は地元の子供たちが泳いでいるところ。もう夏休みも終わったので、誰もいない。ミニミニ滝があって、やはり滝の近くは波動が違う。水は最高に澄んでいた。川の水は冷たかったが、とても気持ちがいい。心身共に浄められる感じ。あまり長い間入っていると冷えるので、早々に上がる。それでも、入る前と後では、清々(すがすが)しさがまったく違う。スッキリさわやか!それから隣のビーチへ移る。いつも水晶を浄化するところは石の浜だが、隣は長い砂浜が続く。もし夜の天気が良かったら、星を見に来るつもりのところ。砂浜に腰を下ろすと、正面に種子島がぼんやり見える。のんびり時間が流れる。気がつくと、砂の上に横になって雲を眺めていた。夜にまた来るつもりなので、早めに引き上げる。まだ時間があったので、自宅の裏の水晶のある海岸へ行く。ゆっくり探すと、小さな小さなクラスターがたくさん見つかった。でも、小さすぎて取ることはできない。ただ歓声を上げながら、眺めて楽しむ。眼下は海なので、景色もすばらしい。宿が自宅から車で数分なので、とても楽。ぎりぎりまで時間を有効に使える。宿に5時半前に送り届けて、一旦自宅へ戻る。風呂に入って、夕食を摂る。8時半に宿に迎えに行くことになっていた。しかし、食事の後、時間があったので横になったら、つい眠ってしまった。8時48分に電話が鳴った。スミマセン!昼間の砂浜へ行ってみたが、厚い雲があるばかり。星も月もぜんぜん見えない。一瞬だけ、月が出たが・・・見えたのは、船の灯りだけ。遠くかすかに見え隠れする。漁をしているのだろうか。星や月は出ていなくても、とても明るかった。懐中電灯の必要がないくらい。風も冷たくはなく、Tシャツでもまったく問題はなかった。しばらく雲を眺めていたが、月も星も出そうにないので諦めて帰る。まだ二夜ある。なんとか天の川が見れるといいのだが・・・今ここを生きると、何も煩わしいことはない。後先をいろいろ思い煩うと、心が悩ましくなる。今ここは、極めてシンプル。何もない。ただ目の前のことがあるだけ。必要以上に思考を使わずに、今の事実と共に生きる。その事実が自分の望む通りのものでなくても、その事実と共に生きる。そう思い定めれば、不平不満もない。ただ事実がある。事実と共に生きることは、極めてシンプルな生き方。これまでの人間的なドロドロはない。ドロドロは思いの世界。思いだけがドロドロをつくりだす。事実は極めてシンプル。思いがあれこれ複雑にする。冷静に今ここを生きれば、何も問題はない。問題が起きたら、対処すればいいだけ。それは、これまでの生き方と根本的に異なる。極めてシンプルな生き方。人間的なドロドロのない生き方。ドロドロは人の思惑の世界。思惑を超えれば、ドロドロはない。思いに翻弄されないで、シンプルに生きる。感覚・感情・思考を超えて生きていく。それらを否定しないで、それらと共に生きていく。それらに翻弄されないで生きていく。今ここの目の前の事実と共に生きていく。『今ここの 事実と共に 生きていく 余計な心配 一切しない』『明日のこと 思い煩う ことをやめ 今ここだけに 意識フォーカス』『冷静に 見守りながら 今ここに 意識定めて 今を生ききる』これが615日目の心境です。
2006.09.08
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今日の屋久島は、明るく晴れている。しかし、山の方は少し雲がある。朝、水を汲みに行く。水はとても少なかった。だんだん減ってきている。ここのところ雨が降っているのに・・・これは8月の雨の降らなかった時期の影響だろうか。そうだとすれば、かなりタイムラグがある。相当地下深く浸透して出て来ていることになる。本当のところは・・・何とも言えない。久しぶりに沢ガニがいた。赤くて大きいのが二匹。こげ茶色が一匹。これだけだと可愛かったのだが・・・なんと、アブ君もいた。これがしつこく付きまとう。こちらは水を汲んでいるので自由に動けない。それをいいことにチクッ!痛いッ!今年はよくアブに刺される。日頃のおこないが悪い?心当たりはないけど・・・でも、今日はちょっとだけだったので、腫れるほどではなかった。一昨日の雷で、安房の方ではかなりの被害が出たらしい。知り合いは、パソコンとファックス電話が壊れてしまった。夜9時頃に自宅に帰ってみると、電話のモジュールが粉々に吹き飛んでいたらしい。電話回線を伝って雷がパソコンとファックス電話にやって来たようだ。電気は停電していたが、それはブレーカーが飛んでいたから。電話もブレーカーみたいなものを設置してもらえないのだろうか。この近所でやられた時も電話回線を通してだった。NTTさん、離島も大事にしてよ!パソコンもファックス電話も、買ってからまだ数ヶ月しか経っていない。ADSLが導入されるということで揃えたもの。これで壊れたら泣いてしまう。ファックス電話は買い換え。パソコンは修理に出すと5万円くらいかかるらしい。雷は保証の範囲外と言われたとか。屋久島は雷が多い。特に今年は被害が多発している。知り合いは、これから自宅にいない時はコードをモジュールから抜くと言っていた。現在のところ、それしか対策はない。いちいちそんな面倒なことを・・・と思ってしまう。少なくとも、雷が鳴ったら電源を切り、モジュールから抜く。そのくらいのことは、ご近所でもやっている。でも、そうすると、なかなか思うようにパソコンができない。それくらい雷が多い。自然現象なので、どうしようもない。それに雷自体は悪いことでもない。空気は浄まるし、辺りはクリアーになる。今のところ、雷が鳴ってもパソコンを開いている。いくら守られているといっても、それはやり過ぎ?新聞配達の人は、雷が鳴ったら、すべての電源を抜くとか。テレビが壊れたら、すぐには買い換えられないから・・・貧しい屋久島。暮らしは厳しい。それでも何とか生きている。自然だけは最高にすばらしい・・・今日から3泊4日の宿泊コースのお客さんがやって来る。彼女のリクエストは、夕陽と天の川を見ること。熱帯魚と一緒に泳ぎ、波打ち際を歩くこと。そして、砂に埋まり毒抜きをすること・・・もちろん、森や滝へも行く。その上でのリクエスト。しかも、海に関しては、すべて夕方を希望。日焼けしないために。もう一つあった。それはkimi宅の水晶を見ること。なかなか厳しいリクエスト。特に夕方の海が・・・宿は空港の近く。ということは、島の東側に当たる。当然、夕陽は見えない。夕陽を見るためには、車で一時間近くドライブする必要がある。帰りは暗くなる。夕食は遅くなる。それに天気が・・・天気が良くても雲があれば夕陽は見れない。なかなか自然は・・・今の時期、天の川は天気さえ良ければ見ることができる。しかし、ここ数日は満月。昨夜も月が明るすぎて星はあまり見えなかった。天の川ではなくて、月光浴に切り換える?飛行機の誕生日割引で来るので、屋久島で誕生日を迎えることになる。何回目かは知らない。年齢はまったくわからない。電話の感じでは、まだおばちゃんにはなっていないような・・・誕生日に天気が良ければ、夜の砂浜で星を見るのもいいかもしれない。星が見れなくても月光浴はできる。種子島の灯りを見ながら、ロマンチックな誕生日となることだろう。それもこれも天気しだい。今の予報では微妙なところ。どんな旅になるかは、お客さんの波動しだい。お客さんの波動に見合った旅になる。お客さんの波動がガイドと調和するようであれば、更に楽しくなる。やはりお互いに影響を受ける。お互いの波動が調和的であれば、旅は盛り上がる。共鳴・共振すれば、いやでもハイテンションになる。それはお互いの波動しだい。こちらサイドから言わせてもらえば、お客さんしだい。やはり、波動が合う人とは自然に盛り上がるし、そうでない人とはそれなりとなる。それは自然なこと。意識的にやっているのではない。意識としては、いつも普通。でも、自然に反応は違っている。こちらのHPを見て予約されるお客さんは、こちらの趣旨を理解されているので、とてもやりやすい。スピリチュアル系の人も多く、波動が合う人も多い。しかし、ホテルの下請けだと、そうはいかない。普通のお客さんが、普通のガイドと思って車に乗ってくる。こちらも普通のガイドをすることになる。それなりには楽しいのだが、盛り上がりには欠ける。共振・共鳴とまではいかない。コースも一般的なものだし、かなり抑えたガイドになる。やはり、波動しだいだろうか。お互いの波動が調和し、共振・共鳴すれば楽しい。それはあらゆる人間関係についても言える。友達関係も仕事関係も家族でさえ・・・お互いの波動が調和する出会いは、幸せだ。ただ一緒にいるだけで楽しい。何かを一緒にやるのは、付け足し。波動が調和していること自体が幸せなのだ。しかし、そうだからといって、いつも調和的な人とばかり付き合っていたのでは、キャパシティが大きくならない。いろんな人と出会うことで、キャパシティは育つ。違和感を感じることで、自己限定にも気づける。人間関係で揉まれることによって、人格も磨かれる。そういう意味では、自然にどんな人とも付き合えばいい。自然の流れで出会えばいい。自分で選り好みしない方がいい。必要な人に必要な時に出会うと思っている方がいい。その方が無理がなく、自然な感じ。自分で選り好みしていると、小さく固まってしまう。自我が強まり、自由ではなくなる。自然のままに、選り好みせずに出会う方がいい。時々、波動が調和する人と出くわす。それは天からのギフトのようなもの。ありがたく感謝して楽しむ。この世は物質ベース・肉体ベースの世界。だから、いろんな波動の人に出会える。天使のような人から悪魔のような人まで。こんなにバラエティに富んだところはない。そういう意味では、とてつもなくすばらしい世界。波動があまりにも違いすぎると、親しくなることはできない。類は友を呼ぶ。あるいは、類を以て集まる。やはり、波動の似た人がお互いに親しくなる。共鳴・共振できる人と一緒にいたくなる。それは自然なこと。それでも、それだけにこだわると偏狭になってしまう。自分よりも波動の高い人と出会えなくなってしまう。更に波動をシェイプアップする機会をなくしてしまう。やはり自然のままの方がいい。いろんな波動の刺激を受けると、自分が活性化する。この世は面白い。いろんな人に出会えて楽しい。苦手な人もいるかもしれない。そういう人に対しては、ゆっくり見守っていればいい。自動的に反応しないことだろうか。相手を見守り、自分の反応を見守る。今生は、特に沢山の人に出会えるような気がする。これまでの地球人生の総決算なので、これまでに縁のあった人たちと出会える。たぶん主要なメンバーには全部会えることだろう。それを味わい、楽しんで生きよう。いろいろあるけれども、それもまた楽しむしかない。『最近の 雷様は おヘソより 電話の方が お好みらしい』『様々な 人に出会って 様々な 刺激を受けて 今日も楽しい』『冷静に 見守りながら 生きてれば 苦手な人も 共に過ごせる』『共鳴し 共振すれば それだけで 他の何より 幸せそのもの』これが614日目の心境です。
2006.09.07
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ここのところ、屋久島は不安定な天気が続いている。雷が鳴り、雨が降り、陽射しが照る。天気予報はまったく当てにならない。不思議な感じになっている。今日の屋久島ナチュラルヒーリングのトップの写真は花だった。名前がわからないので、手元にある花の本で探した。5~6冊探したが、結局、見つからなかった。こういうことも、たまにある。花の本を見ながら、なんと沢山の花があることだろうと改めて驚く。 もしかして、この世は天国?何百、何千という花がある。地球全体では万を超えるだろう。こんなに沢山の種類の花があるところが他にあるのだろうか。少なくとも太陽系にはありそうにない。銀河系を探せばあるのかもしれない。宇宙全体では、沢山あるのかもしれない。でも、私達が住む地球には、これだけの花がある。たぶん人類の数よりも花の方が多いだろう。一人に一本ずつプレゼントしても、有り余るほどの花がある。なんとすばらしいことだろうか。しかも、野に咲く花たちは、タダ。無料でいくらでも見れる。映画館みたいに料金はいらない。自然の大劇場は年中無休。年中無料。花だけではない。鳥たちも沢山の種類がいる。虫もいろんな音色で鳴いている。それにルチルを始めとする水晶や鉱物たち。これも実に多種多様。それだけではない。海に行けば、沢山の熱帯魚。貝も色とりどりのものがある。まだある。そう、朝陽や夕陽の美しさ。雲の多様性。そよ風の心地よさ。それに、それに・・・夜空の星々。もう数え上げたらキリがない。それほどすばらしいものに取り囲まれている。これが天国でなくて何だろう。ただ、そのすばらしさに気づけるかどうか。気づかなければ、天国に住んでいても無味乾燥な砂漠と変わらない。花も、観察すればするほど、そのすばらしさがわかる。ルチルも、見つめれば見つめるほど、その精妙さが感じられる。深く見ていけばいくほど、美しさは限りなく深まっていく。自然の妙。自然のすばらしさ。ここは天国?どこに苦しみがあるのだろう?苦しみはどこにも見当たらない。少なくとも自然界の中には苦しみはない。もちろん、自然の中にも痛みはある。動植物も痛みを感じている。しかし、それは苦しみではない。苦しみと痛みはどこが違うのだろうか。痛みは肉体的な五感で感じるもの。それは快感と同じように事実として存在する。甘い、渋い、にがいなどの味覚と同じもの。肉体的な本能として存在する。しかし、それは苦しみではない。甘いものを食べて苦しむ人はいない。それと同じこと。痛いのを嫌がったりすると、苦しみとなる。痛いだけでは、苦しみではない。いやだ、いやだと思ったり、また痛みが来たらどうしようと思ったりすると、苦しみとなる。肉体の感覚に思考が加わると、苦しみが生じる。もちろん、もっと快感を味わいたいとか、もう一度あの感覚を楽しみたいとか思えば、そこから欲望が生まれ、羨望や失望などの感情も生まれてくる。思いの世界を介入させれば、この世は即座に地獄となる。花は美しい。鳥の声も、虫の音もすばらしい。水晶はきれいだし、熱帯魚はカラフル。ここはまるで竜宮城?と思えるほど美しさに充ち満ちている。しかし、天国に住んでいると思っている人はほとんどいない。地獄?とまではいかなくても、苦界と思っている人は多い。思いの世界に生きれば、苦界となる。快を求め、苦を避けようとすれば、悲喜交々(こもごも)の世界が展開してくる。希望と失望。欲望と落胆。喜びと悲しみ。喜怒哀楽の人間世界となる。思いのない純粋な意識で自然を見つめれば、この世は天国に近い。すばらしいものに充ち満ちている。もちろん、自然は荒れる時もある。稲妻が光り、大雨も降る。台風が来て、巨木を薙ぎ倒す。地震もある。自然は穏やかとは限らない。しかし、それでも自然は美しい。限りなく美しい。朝陽や夕陽を見るだけでも美しい。花を見ているだけでも、この上なく美しい。この世は、思いなしに眺めていれば、即、天国となる。それほど美しいものに取り囲まれている。思いだけが地獄をつくりだす。思いの世界の他に地獄はない。どこにも地獄はない。ただ思いの世界にのめり込み、自分を見失う時、人は地獄を見る。純粋な感性をなくした時、人は地獄の住人となる。天国は、目の前にある。地獄は、心の中にある。心の中以外に地獄はない。思いの世界にのみ苦しみは存在する。苦しみから離れるのは簡単なこと。思いなしに周りを眺めればいい。そうすれば、周りは限りない美しさに充ち満ちている。『目に映る 自然はそのまま パラダイス 心の中に 地獄はあるだけ』『欲望の 業火に焼かれ 天国に 住んでいながら 地獄の住人』『目の前の 幾千万の 花や鳥 見ているだけで 幸せになる』『あれこれと 思い煩い 天国を 地獄に変えて 一喜一憂』『移りゆく 景色眺めて 楽しめば この世はそのまま 天国となる』『移りゆく 自然のままに 折々の 鳥・花・蝶を 眺め楽しむ』これが613日目の心境です。
2006.09.06
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今日の屋久島は、曇っている。それほど暗くはなく、明るい曇という感じ。昨日のゴールドルチルのお祭り騒ぎが過ぎて、なんとなく気が抜けた感じ。昨日の屋久島ナチュラルヒーリングのアクセス数は、この日記のアクセス数よりも多かった。もっとも、楽天ブログのアクセスカウンターは信じていいのかどうか・・・かなり疑問があるので、正確なことは何とも言えない。今日も屋久島ナチュラルヒーリングのアクセス数は伸びている。こちらは信頼できる。同じ人がダブらないように自分でセットしたので、訪問した人の純粋な数が出る。楽天も、こういう感じにしてほしいものだ。ルチル・コレクションのスライドショーは、たいへん好評だった。こちらが太陽を浴びながら写真を撮った労苦と、ぴあのさんの努力が報われた感じだろうか。もっとも、美しい写真を撮ること自体は楽しい。対象が水晶であれ自然であれ、美しいものを撮る時はワクワクする。時間を忘れて撮っている。お譲りしますコーナーの5個のルチルのうち、3個はリクエストがあった。予想通りのものもあれば、意外なものもあった。11番は、すぐに引き取り手が現れるだろうと思っていた。それはその通りになった。意外だったのは、14番。写真写りがイマイチだったので、これでは引き取り手は現れないだろうと思っていた。ところが、3人の方からリクエストがあった。そのうちの一人は屋久島在住の人で、実際に手に持ってみてのリクエスト。実際に手に持ってみると、水晶の感じがわかる。14番は、とてもやわらかい波動をしている。ルチルも繊細。自宅に届いた時よりも、ずいぶんやさしくなった。何度も浄化したり、充電したりしたからだろうか。もう一つ意外だったのは、15番。こちらもすぐに引き取り手が現れると思っていた。ところが、リクエストはゼロ。なぜ?少し金額が高かったからだろうか。もう少しいろんな角度から見ないと、この金額では即断できないということだろうか。15番は、14番と比較すると極めて強烈。14番を気に入った屋久島の人は、15番は頭が痛くなるとか。それだけ強い波動がある。エネルギーの強い人でないと、きついかもしれない。はたして引き取り手が見つかるだろうか。もう一つ引き取り手が見つからなかったのは、13番。真っ二つに折れているもの。金額も高いし、折れてもいるので、これはリクエストがなくても不思議ではないと思っていた。リクエストがなければ、もうしばらく自宅で輝いてもらうことになる。12番もリクエストが来ている。この水晶は、写真よりも実物の方が落ち着いている。やさしく、やわらかい感じ。ルチルの線は、極めて繊細。繊細で長いルチルが集まっている感じ。お譲りしますコーナーのルチルは、別のところへ集めた。ゆっくり眺めて、名残を惜しんでいる。もう3個は旅立つことが決まった。別れるとなると、なんとなくさびしくなるもの。この3個は、超お買い得。絶対的に価格が安い。質は高い。しかも、屋久島のエネルギー満載で届く。既に何度も何度も浄化と充電が繰り返されている。その上、最後にもう一度浄化し、充電して発送する。ニュートラルな状態で届くはずなので、すぐに馴染んでくれるだろう。今回リクエストされた方は、これらのルチルが似合っている。リクエストされた方とルチルを感じてみると、それがよくわかる。もう締め切って、すぐに発送してもいいと思うくらい。誰のところへ行くのか、それは抽選となる。今、最も必要としている人のところへ。このルチルが最も役に立てる人のところへ。人とルチルとの出会い。オークション方式でやったらというような書き込みもあった。しかし、お金だけの問題でもない。やはり、その人との縁や相性がある。お金を高く出せばいいというものでもない。高いお金を出すということは、それだけほしいという情熱はわかる。しかし、お金の価値観は人それぞれ。沢山持っている人にとっては、貴重さが薄れる。あまりない人にとっては、少ない金額でも価値は高い。そういう質を無視して、量だけで競うと弊害も出て来る。お金のある人は何でも手に入る。お金がない人は、ほしいものでも手に入らない。お金がすべてではないので、そういう訳にはいかない。金額については、世間の相場なども参考にしながら、その水晶が持つ価値に見合った額を、こちらで決めさせてもらっている。金額以上の価値はある。最低価格だけを決めて、オークションで競った方が高額になるかもしれない。でも、高ければいいというものでもない。特にネットの場合は、実物を触って見れないので、なかなかハンディがある。自分の直観に頼るしかない。閃きは大事だろう。すばらしいルチルとの出会いがあるといい。まだスライドショーを見てない人もあるだろうから、一応、9月10日まではリクエストできる体勢にしておく。その後に抽選で引き取り手を決める。抽選と言っても、最も必要な人に行くように意識しながら抽選する。はたしてどうなるだろうか。今回のスライドショーと、お譲りしますコーナーは、けっこう楽しめた。また気が向いたら、残りのルチルやヒマラヤ水晶のスライドショーを作製してもいいかなと思っている。もちろん、お譲りしますコーナーも設ける。自宅に眠らせておいても仕方がない。まだ、だいぶ眠っている水晶がある。大小様々。形も様々。色も様々。もうあまり高価なものはないので、安い金額が表示されることだろう。1万円以下のものは、縁のある人に無料であげようと思っていた。しかし、縁のある人が自宅に現れるのを待っているのも時間がかかる。そこで、すべてお譲りしますコーナーに掲載することにする。必要な人がリクエストしてくれれば最高。やがて、今回のスライドショーに登場した残り10個のルチルたちも、順次、誰かに引き取られていくことだろう。いつまでも持っていたいとは思わない。そのルチルを本当に必要とする人が現れたら、譲るつもりでいる。そのルチルが合った人に引き取られるのは、とても嬉しいこと。花嫁を送り出す父親の心境だろうか。その人も水晶も幸せになってほしい。いろいろ楽しめそうな水晶の秋・・・『水晶が 求める人に 届くのを 見届けるのは なぜだか嬉しい』『水晶の 新たな旅立ち 見送るは 嬉しくもあり さびしくもある』これが612日目の心境です。
2006.09.05
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昨夜遅く、屋久島の知り合いから電話がかかってきた。ポストカードを至急20枚作ってほしいと。ホテルあかつきに泊まっているお客さんがご所望らしい。今朝取りに行くので、よろしくとのことだった。そういう訳で、朝からポストカード作り。リクエストがあったのは、縄文杉の下をヤクジカが歩いているもの15枚。苔の雫の下に虹色のクモの糸がかかっているもの5枚。いずれも手元には1枚の在庫もなかった。まずプリンターのクリーニング。最近は少し紙の裏側が汚れる感じだったので、これではポストカードは印刷できない。プリンターをきれいにして、印刷開始。依頼されたものは順調にできあがる。せっかくなので、在庫のないものもプリントする。いつもは黒インク以外は空のインクタンクがプリンターにはセットされている。普段使うのは日記の校正のための黒インクだけ。カラーインクをセットしておくと、まったく使わなくてもなくなってしまう。印刷準備の時にカラーインクも多少噴射されるらしい。その結果、使わなくてもやがて空っぽになる。カラーインクは1本千円。それが7本も入っている。黒インクが減るのは仕方がない。実際に使っているのだから。しかし、まったく使わないカラーインクまで減るのは・・・そういう訳で、カラー印刷したい時は、インクの入ったタンクと入れ替える必要がある。けっこういろいろ大変なので、カラー印刷には少し気合がいる。それに微妙な色の違いや、ズレやカスレ、ゴミの付着など、かなり神経を使う。やる時はまとめてやらないと、そんなにしょっちゅうはやっていられない。10時過ぎに取りに来てくれた。依頼したのは、どうも国会議員らしい。名前を聞くと、それなりに有名な人だった。東京オリンピックを経験した世代なら、誰でも知っている名前。国会議員のわりには、なかなかのセンス。虹色のクモの糸は、とてもステキな写真。これを選ぶなんて・・・ところが、彼女が持ってきたホテルに置いてあったものと、印刷したものとが違う!同じシーンなのだが、角度が違う。クモの虹も微妙に色や太さが違う。その上、全面印刷だった。どうも試し刷りしたものをホテルに卸したようだ。試し刷りなので、原版は既に破棄されていた。別のものがポストカードとして保存されていた。困った!オーダーされたものと違うものをプリントしてしまった。彼女が持ってきたものは、苔の雫がかなりアップになっている。こちらがポストカードとして印刷したものは、苔の雫も虹の糸も小さい。さて、どうしよう?取り敢えず、できたものを渡し、もしホテルにあったものがよいのなら、再度作って渡すことにした。明日の朝、屋久島を発つらしいので、まだ間に合う。それから、ホテルにあるのと同じものを新たに作製して、印刷した。微妙にクモの糸の感じが違う。どちらが良いとも言えないのだが・・・ポストカードは、あまり積極的に作りたくはない。頼まれれば、やむなく作る。かなりの時間と労力がいる。インク代やハガキ代が高いので、ほとんどボランティア。リクエストがあると、嬉しいには違いないのだが・・・今日は、ポストカードを作製する前に、ゴールドルチルの解説を書いて、ぴあのさんへ送った。ほとんど昨夜のうちにできていたのだが、最終的に完成したのは今朝になった。屋久島ナチュラルヒーリング のトップページの中に、ゴールドルチル・コレクションの入口が設けられている。朝から、かなりのアクセス数。先程、ぴあのさんから連絡があり、解説もアップされたようだ。ご丁寧に、写真と隣り合わせで解説が読めるようにできている。なかなかの親切設計。本当は、実物の方が更に美しい。でも、今回は写真がわりときれいに撮れたので、写真だけでも十分楽しめる。よかったら、HPをのぞいてみてほしい。ゴールドルチルがどういうものか、はっきりとわかるだろう。ぴあのさんや、えっちゃんは2番目のルチルがお気に入りのようだ。えっちゃんに至っては、予約済のシールを貼りたいらしい。本人はまったく譲る気はないというのに。最後の5個なら譲ってもいいのだが・・・自分の中で十二分に味わい尽くされたものは、必要としている別の人のところへ行くのがいい。必要のないものを、いつまでも持っていても仕方がない。物はできるだけ動かす方がいい。その物が持っている波動を有効に活用する。所有し、味わえば、それなりの刺激を受ける。それを有効に活用し、順に回すことだろうか。回す時は、無料でもいいし、有料でもいい。その時その時で決めればいい。いつまでも物を独り占めにしない。いつまでも使わないのに所有していることは、結果として物を殺すことになる。物は有効に活用する。順次回して有益に使う。必要な物がどんどん回ればいい。お金が回ってもいいし、物が回ってもいい。回転、循環、螺旋・・・動いている限りは新鮮。腐ることはない。滞(とどこお)れば、腐ってしまう。生かして使えるものが、死んでしまう。情報を流し、必要な物を必要なところへ回す。その中で儲けてもいいし、儲けなくてもいい。商売としてやってもいいし、ボランティアでも構わない。お互いに感謝し合いながらやるのであれば、どのようなやり方をしてもいい。結局、自分が播いたものが自分へ還ってくる。自分にふさわしいものが、自分に還ってくるのだ。どれだけの物を、どれだけの期間所有するか。物にもよるし、個人差もある。一概に言うことはできない。一人一人が自分で判断するしかない。十分に味わい、楽しんで、手放す。同じことをいつまでもやっていても仕方がない。飽きたら次へ行く。物も同様。楽しみ、味わい、手放す・・・物も、お金も、知識も、思い出も・・・地位や名誉や財産も・・・楽しみ、味わい、手放す。何ものにも執着しない。ただ楽しむ。ただ味わう。今、今を・・・先のことを考えて、ストックしようとする。しかし、いくらストックしても安全とは言えない。いくらあれば安全?そんなものはない。明日、交通事故に遭うかもしれない。突然、癌の宣告を受けるかもしれない。何があるかわからない。いくらストックしても、絶対安全という保証はない。ほどほどに、楽しめる程度に。盗られるのを心配するほどなら、持ち過ぎかも。物が増え過ぎると不自由になる。お金も知識も記憶も・・・何でも同じ。過ぎたるは及ばざるが如し。身軽に動ける程度。自由に活動できる範囲。多過ぎると何であれ重たくなる。何もないのが一番軽いが、この世を生きていると、そうもいかない。ほどほどに軽やかにいきいきと回転させていく・・・『楽しんで 味わい抜いて 次々と 回していけば 物も幸せ』『物が持つ 波動感じて 刺激され 潜在していた ものが出てくる』『使わせて もらっています ありがとう 使っているだけ 所有はしない』『生きている 間自由に 使わせて もらっているだけ すべて借りもの』『死ぬ時は すべて返して 何もなく 裸のままで 死出の旅立ち』『所有せず 今あるものを 楽しんで 次から次と 回していくだけ』『物は物 誰の物でも ありはせぬ ただ使わせて もらっているだけ』これが611日目の心境です。
2006.09.04
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今日は朝から太陽が顔を出した。手元にあるゴールドルチルの写真を撮る。屋久島ナチュラルヒーリングのHPの方で、みなさんが見たがっているので。強い光が当たらないと、ゴールドルチルはきれいに写らない。いろいろ撮ってみて、部屋の中で撮るのが一番いいと気づいた。陽射しが当たる部屋の中。そうすると、バックが暗くなって水晶が際立つ。ゴールドルチルは、きれいに撮れた。しかし、ヒマラヤ水晶はイマイチだった。こちらはもう少し研究の余地がある。まあ、今日はゴールドルチルがメインで、ヒマラヤ水晶はついでだから・・・300枚以上の写真を撮って、その中から美しいものを16枚選んで、ぴあのさんに送る。15個のゴールドルチルと、全員集合の一枚。集合写真は、それぞれの大きさをわかってもらうために。それを元に、ぴあのさんがスライドショーを作製してくれることになっている。先程、見本が送られてきたが、なかなかすばらしい出来栄え。これから音楽を探すとのこと。明日にでもアップされることだろう。こちらは、この日記が終わったら、個々のルチルの解説を書く予定。全員集合の写真の上に番号を打ち、解説しやすいように工夫した。その後、値段を付けようと思っている。値段?何の値段?当初は持っているゴールドルチルを紹介するだけのつもりだった。でも、写真を見ながら、面白い遊びが始まった。自分は、どれくらいゴールドルチルに執着しているだろうか・・・基本的に執着はしていないと思っている。何ものにも執着はない。でも、愛着はある。愛着と執着と、どこが違うの?最終的には、すべて手放せる。でも、大事にしているものもある。それが愛着というものだろうか。もしスライドショーを見た人から譲ってほしいと言われたら?自分は何を譲るだろうか。何を譲りたくないだろうか。譲りたくない順番に写真を並べてみた。逆から見れば、譲ってもいい順番に並んでいることになる。特に最後の5個は、今すぐにでも譲っていいという感じ。5個の内の4個は、ポリッシュされたポイント。残り1個は、自然のままのクラスター。最近は、ポリッシュ=研磨されたものに興味が薄れている。確かに美しい。でも、自然のままの方が自分の好みに合う。美しくない部分も含まれているが、自然の造形はすばらしい。そういう意味で、ポリッシュされた4個のゴールドルチルポイントは、ほしい人があったら譲ってもいいという感じになっている。但し、今はプアーなので、無料という訳にはいかない。リッチであれば、無料でもいい。でも、今はそうではない。元々が高価なものだし、新しいゴールドルチルを買うためにも資金がいる。そういう訳で、譲ってもいいものの値段を検討する必要が生じた。ほしい人がいるかどうかはわからない。でも、写真を見てほしくなる人がいるかもしれない。なにしろ美しい!このレベルのルチルクオーツをネット上で見つけ出すことは、ほとんど不可能に近い。こちらは常に目を皿のようにしてゴールドルチルを探している。しかし、良いものはほとんどない。あっても、すぐに売れてしまう。少しでもゴールドルチルに関心のある人なら、既にご存じのことだろう。詳しい説明は別のところでするけれども、なかなかこれだけのゴールドルチルはない。 本当はどこかにあるのかもしれないが、ネット上には出て来ない。明日以降のゴールドルチルのスライドショーを、ぜひ見てほしい。ここのところドロドロの話が続いた。美しくない割には、コメント欄は盛況。何なんだ、これは?とも思うが、まあ、それもいいだろう。しかし、連日ドロドロが続くと、そのうちにこの日記を読みたくなくなるだろう。やはり美しいものを読みたい。美しいものは、心を浄めてくれる。人の心を幸せにしてくれる。という訳で、今日は美しい話をしよう。ゴールドルチルは、別名、「ビーナスの髪」「キューピットの矢」「エンジェルヘアー」などと呼ばれる。なぜだろう?それはゴールドルチルの繊細な針が、恋愛の繊細な感性と似ているからだろうか。もし手元にゴールドルチルのエンジェルヘアーがあったら、ゆっくり眺めてみるといい。 それはそれは美しい。その繊細さ。その微妙さ。そのこまやかさ。それは恋する乙女の繊細な感性とそっくり。それは美しい。それは清らか。それは純粋。それは汚(けが)れを知らない。純粋に相手を思う気持ち。純愛。初々しい乙女の愛。それがエンジェルヘアー。ビーナスのように美しい愛。その愛がキューピットの矢のように相手に刺さる。キューピットの矢には紅い糸が付いている。二人は離れられなくなる。ゴールドルチルの繊細な針を見つめていると、心はどんどん純化されていく。心は乙女のように純粋になる。忘れていた初々しさを思い出す。初恋の初々しさ・・・ゴールドルチルの太い針は、タイチンルチルと呼ばれる。それは金運の方に関係がある。多くの人が金運を求めてタイチンルチルを買う。しかし、エンジェルヘアーのルチルは、そんなこの世的な波動ではない。もっともっと純粋。天上的。時には、そういう繊細なルチルを手にして、じっくり眺めてみるのもいいだろう。忘れていたものを思い出すかもしれない。心の奥深くにあるピュアーなものを・・・『ルチルの矢 刺されば心 洗われて 天使と乙女の 恋が始まる』『繊細な ゴールドルチルの 針の先 この世を超えた 次元と繋ぐ』これが610日目の心境です。* 自宅にも繊細なエンジェルヘアーのルチルがあった。 でも、既に誰かの手に渡っている。 誰だっけ? でも、もう1~2個あるような・・・
2006.09.03
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今日の屋久島は、朝から雨が降ったり止んだりしている。かなり涼しい。山の方はすっぽりと雲に覆われている。お昼前に、エアメールが届いた。カナダからの小包だった。中身は、だいぶ前にオーダーしたゴールドルチル。すごく値段が安かったので、ほとんどダメ元でオーダを出していたもの。ところが・・・開けてビックリ!とても、とても美しかった。確かに、形としては六角形ではない。でも、そのゴールドがとても美しいのだ。それに何と言っても値段が・・・一番小さいのが、1600円。真ん中のが、2000円。一番大きいのでも、4500円。日本で買うのと一桁違う。この程度だったら、いくらでも買える。最も大きいもののサイズは、長さ10cm、幅7cm、高さ5cm。これで45ドル。小さいけれども、きれいなゴールドルチルがたーくさん入っている。まるでガーデン水晶のような趣。真ん中のサイズのものは、本当に目を見張るほど美しい。ルチルがぎっしり詰まっている。中央には大きなヘマタイトもある。これで20ドル?信じられない・・・最も小さいものでも、ヘマタイトからゴールドの太い線が放射している。これで1600円。安いなぁー。海外は、こんなに安いのだろうか。それに引き替え、日本の高いこと。高いだけでなく、量も質も限られる。このルチルがカタログに掲載された時、買うかどうか少しだけ躊躇した。というのは、写真がぜんぜん美しくなかった。特にゴールドの色が死んでいた。でも、価格があまりにも安いので、ダメ元で買ってみようという気になった。外れor大穴。そんな感じだったが、結果は大穴。これはかなり楽しめそう。特に大きなガーデンクオーツ風は、いろんな角度から楽しめる。オーダーするのは、遠慮して三個だけにとどめておいた。いくら安くても、一人で全部買い占めるのは気が引けた。でも、写真が悪いせいか、まだ残りの二個は売れ残っていた。そこで、残りの二個も改めてオーダーすることに。売れ残っているものであれば、誰に遠慮することもない。どんなに良いものでも、できるだけ一人占めは避けようと心がけている。腹八分にとどめる。他の人にも手にするチャンスを与える。自分さえよければいいというのでは、心が貧し過ぎる。独り占めしない。分かち合う。共有する。それが基本スタンス。屋久島ナチュラルヒーリングのHPでは、12月に屋久島を訪れる予定の人が二人いて、屋久島訪問の話題で盛り上がっている。kimiガイドはモテモテ?やっとゴールドルチルの効果が現れて、モテモテになってきたのだろうか。モテモテの次は、リッチ。リッチの次は、精力○倫?その先は・・・その先は、カルト教団?夢のハーレムが待っているのだろうか。なんとなく、その直前で夢が覚めるような気もするのだが・・・本当は、今日はドロドロ音頭の次を書くつもりだった。書こうと思ってパソコンの前に座ったら、郵便配達の人がやって来た。そこで、急遽、テーマが変わってしまった。ドロドロからピカピカに変身してしまった。昨日のドロドロ音頭の方も、かなり盛り上がっている。満月を一週間後に控え、みんな興奮気味なのだろうか。満月の夜に、泥を体中に塗って裸で踊る。踊って汗びっしょりになって、そのまま川か海に飛び込む。それでドロドロはすっかり浄化される!なんとなく先日のヨガのグループに似てきた?裸で滝で泳いだり、裸でドロドロ踊りをしたり・・・紙一重?いや、神一重?いやいや、髪一重!髪の毛が不足気味な外は、至って若く見えるのだが・・・髪様募集中!もしかして?髪の毛が減って、限りなく頭がピカピカに近づきつつあるのは、ルチルのせい?ヤバイ!このままでは頭が光り輝いてしまう!光り輝くのはスピリットだけにしてほしい。皮膚もピカピカでもいいけど、頭だけはやめてほしい。髪様!どうか、お願い!禿げている人は精力絶倫と言われる。やはり、ルチルと髪の毛とは相関関係があるのだろうか。ルチル=モテモテ=精力○倫=頭ピカピカ?ヤバイ!それはヤバイ!それだけはヤバイ!ルチル効果が現れるのはいい。しかし・・・禿頭のカルト教祖にだけはなりたくなーい!ハーレムもいいが、髪様も大事!やはり、人は信心深く生きないと・・・髪様!髪様!オーマイゴッド!おっと、間違えた。オーマイヘッド!今日はヘンな日記になっている。みんなの興奮が移ったのだろうか。でも、こういう日記が意外とウケる。「こんな日記好きです!」なんてコメントが来たりする。日頃真面目に書いている日記は何なんだ!と叫びたくなる。どうも、みんな人の弱味に共鳴しやすいようだ。ま、いいか、人間らしくて。と書くと、えっちゃんあたりが、そういうところがいいとか何とか書いてきそう。えっちゃんだけでなく、みんなこちらの弱点に惹かれるらしい。なにしろ、いつも偉そうなことを書いているので、その方が身近に感じられるのだろうか。なんとなく安心できる?私と同じだった?どうも完璧ではないところがお気に入りのようだ。まあ、いいか。それが事実だから。完璧だったら、もう人間卒業。ゴールドルチルも必要ない。まだまだ、しばらくは人間が楽しめる。モテモテ、リッチ、精力○倫、カルト・・・まだまだ夢がある。夢から覚めたら髪の毛が一本も残っていなかったりして?それは悪夢というもの・・・『ハーレムの 夢を見てたら 髪の毛が 抜けて輝く 悪夢に変わる』これが609日目の心境です。
2006.09.02
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朝、水を汲みに行った。水はものすごく少なくなっていた。夏の日照りが効いたのだろうか。蜘蛛が朝陽を浴びて美しかった。あまりにも美しいので見とれていたら、一匹の虫が飛んで来て蜘蛛の巣にかかった。その途端、蜘蛛が移動して食べてしまった。その素速いこと。その姿からは想像もできないくらい速かった。口に入れると、すぐにまた中央の定位置に戻った。605日目の「ドロドロ」日記について、次のような反応があった。【あのぉ...「ドロドロ」という文字が怒涛のごとく記述されていますね。すみません、この4文字に拒否反応が起りました。どういう反応かなぁ...「ドロドロ」がハートを満たしてしまいそうに思う恐怖?】一方、別の反応もあった。【太鼓の音のように、ドロドロ♪ドロドロ♪ドロドロ、ドロドロ・・・・♪・・・にぎやかなお話は悩めるお話への返歌なんだけど、どうもkimiさんのこんなお囃子に聞こえますね。♪ハ~~~、行っちゃえ!行っちゃえ! ドロドロなんかー、行っちゃえ!行っちゃえ!!♪えっ?どっかへ放り投げるんじゃなくて、>余計な思いを持たないで、ドロドロと生きればいい。・・・なんですか?そうですね。♪少しっ位のドロドロなんか、平気!平気!気にしないで、楽しく生きよう!平気!平気!~~~♪って言うお囃子なんですね。じゃあ、私も掛け声かけよう。ヘイキ!ヘイキ!タノシク、タノシク♪・・・】あまりシリアスに受け止めると、重たくなってしまう。しかし、ドロドロばかりで、笑い出す人もいるかもしれない。いろんな受け止め方がある。ドロドロばかりを見ていると、自分がドロドロそのものになりそうな人は、あまり美しくないものは見ない方がいいかもしれない。できるだけ美しいものを見た方がいいだろう。美しいものを見て、その美しいものと共鳴し、共感し、自分の中の美しいものを呼び覚ますといい。自分の中の光を高めてから、醜いものと対面するという方法もある。別に醜いものから逃げている訳ではなくて、今はその方がいいというだけ。ある程度のエネルギーがないと、自分の中の醜いものと対峙することはできない。自分の中に醜いものに負けないだけのエネルギーが満ちてから、対峙しても遅くはない。その方が醜いものに呑み込まれる恐れは少ない。いろんなアプローチがある。道は一つだけとは限らない。今の自分に合った道を行けばいい。無理をすることはない。まず光によって自分に充電するのも一つの方法。美しいもの、光に満ちたもの、エネルギーに溢れたもの・・・そういうものに意識をフォーカスする。美しい自然や水晶たち。ハートフルな人々。まずプラスエネルギーを自分に十分充電してから、自分の中のネガティブなものに向かってもいい。ドロドロに拒否反応が出る人は、その方がいいかもしれない。いつかは自分の中のドロドロと対峙しなければならなくなる。でも、最初から全面対決することもない。出て来た時に、一つずつ直面すればいい。少しずつ、一歩ずつ進む。無理をすることはない。自分に合ったペースでやればいい。もし、自分の中のドロドロを笑い飛ばすことができたら、笑って見守っていればいい。呆れ果てて、ギブアップすればいい。そして、ゆっくり見極めていけばいい。自分の中の醜いものを直視すれば、見つめる度に内側から光が輝き出す。それを繰り返すことによって、だんだんと光は強くなる。直面する勇気があったら、最もストレートで最も速い道。しかし、それにはそれなりのエネルギーがいる。そのエネルギー、その勇気を、このサイトではバックアップしたいと思っている。無理のないように自分のペースでやればいい。誰に強制されるものでもない。自分の人生、自分流にやればいいだけ。自分の中の醜いものに直面すればするほど、内側の光は強くなる。やがて、意識のフォーカスが醜いものではなくて、光の方に向くようになる。光ベースの人生となる。光として生きるようになる。今は、ややもすると醜いものにフォーカスが向きがちかもしれない。不注意だと、それに全面的に呑み込まれて自分を見失うこともあるだろう。だから、ドロドロが怖いのだろうか。まだ全面対決するのは早過ぎるということだろうか。意識が光側になったり闇側になったりするのかもしれない。まだまだブレがあるということ。まだ安定しないということだろうか。まあ、無理をしないで、気楽にドロドロ踊りでも踊るといい。サァー、ドロドロ音頭に合わせて、ドロドロ踊りを踊りましょう!なに?そんなことをしたらドロドロそのものになってしまう?ヤマタノオロチみたいに踊るんだけど・・・ドロドロ、ドロドロ、ドロドロおんーどーッ♪明るく楽しくやれば大丈夫だよ。サァー、踊った、踊った・・・『ドロドロと 泥と汚れに 呑み込まれ 真っ暗闇で 自分がいない』『ドロドロに 意識のフォーカス 奪われて 光失い 辺り真っ暗』『続かない いつの間にやら ドロドロに 呑み込まれてる 見ること忘れ』『真剣に ドロドロ見つめ 負けないで 意識のフォーカス 光に向ける』『ドロを見る ドロドロになって ドロを見る ドロドロに負けず ドロを見守る』『ドロドロを 怖がらないで 直面し 笑い飛ばして 大きく包む』『ドロドロを 笑い飛ばして 唄うなり 踊るなりして 楽しく生きる』『見つめれば 光り輝く 自分から 内なる光 強くなるだけ』これが608日目の心境です。* 「607日目 - 縄文杉」も同時にアップしました。
2006.09.01
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