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「命の授業」「命の授業2」という動画を見ました。 「株式会社ぷれしーど」さんの発行のメルマガで、紹介されていた、この動画。 腰塚勇人さんという、学校の先生が、自身のスキーの事故による頚椎骨折という大怪我の経験から語るメッセージ。 生きていることの意味・・。なぜ、自分は死なないで生かされたのか。 腰塚さんは、考えるのです。 心に響きます。 私もふと考えました。 今まで、交通事故にあったり、バイクで転んだりしたことがあるのに、大事に至らなかった。 考えてみると、忘れてしまっているようなことでも、一瞬の差で危ないところを助かったり、そうした幸運が数限りなくあります。 「もう限界だ」と思ったところに、人に助けられたこともありました。 生きていて欲しい、生きていて欲しい。 あなたに生きていて欲しい。 今まで、神様のその言葉を、聞こうとしなかったけれど、本当に耳を澄ませば、そして、今までのことを振り返ってみれば、その言葉が、聞こえてくるような気がするのです。
June 25, 2009
図書館で「水木サン大全」というDVDを借りてきて見ました。 これは、水木さんと荒俣宏さんとの対談なんですが、笑えるお話が満載で、こういうDVDが図書館にあるというのが、何かおかしかったです。 今まで、何度か水木さんのことは書いていると思いますし、同じようなお話かもしれないですが、彼の言葉を書いてみたいと思います。 「生まれたときから、幸せ思考に秀でたのかなあー。 今から考えますとね」 「だから、自分の嫌なことはやらないし、学校へ、だいたい一時間遅れて いくのが普通になるのは、結局、周りの規定に従わなかったですよ。 こういうことがいいことだ、こういうことが悪いことだという、 その規定に従わなかったから、幸せになれた」 「いろんなことに縛られて、あくせく一生送るのは、 ばかばかしいことです。 それを修身とか、何かっていう学科で教えるから、 幸せになれるわけない。 ああいうものから離れないと、なかなか幸せになれない」 「なぜ自分の好きなことやらんのかと思ってましたね。 自分の好きなことをまずやるべきですよ。 それで、負けたら仕方がないけど、自分が好きなことで 戦争しなきゃいかんと思いますよ」 「あるいは、いろんな本なんかで恐怖心を植えつけられるのかな。 妙な本を書いて飯食ってる人は、そういう恐怖心を与えるのが 得意だから、それで、動けなくしてしまうんです。 ・・・だから、ばく進あるのみですよ」 「あまりものすごく期待しちゃいけないということじゃ ないですかねー。 世の中のすべてのことが分かって、願望しちゃいけないものが 願望しなくなったということじゃないですか? だから、ないものをほしがる傾向があるわけですよ、 40ぐらいまではねー。 ないものを、それはないんだということが分かれば、 分からないのに欲しがる傾向があるから・・。 それは、世の中の偉い人なんか、本に書いたりして 妙な考えを植えつけられたりしてかえって不幸になる。 幸福になる本読んで、かえって不幸になるという感じが 多いですからね」 「水木サン(自分のこと)は、毎日がおもしろい。 感度が違ってきた、見る感度が違っているせいかな」 「見飽きたからという感じは一つもない。 自宅から会社に行くわずかな間も楽しいわけです。 私はマンネリにならないの、新鮮な感じ」 「日本は、おかしいです。 私はこれから、ゲラゲラ文明を繁殖させにゃいかん。 陰湿すぎますよ。ゲラゲラ文明でいかなきゃ。 というのはね、南方の土人がね、ゲラゲラ文明なんです。 何も昨日のことを煩わない、くよくよしない。 昔の日本人は、教養と称して、陰惨な文明を残しすぎたんじゃ ないですかね」 私がおもしろいな、と思ったところの抜粋なので、 話の脈略がはっきりしないで、わかりにくいとは 思いますが、書き出してみました。 以前は、水木さんと言えば、ゲゲゲの鬼太郎の作者としか、 認識がなかったですが、最近、幸せに関する発言をいろんな メディアに発表しているので、注意して、水木さんの記事や 本を読み始めました。 水木さんは、子供の頃から、学校のために、決まった時間に 起きることはしなかったといいます。 遅くに起きてきて、ゆっくりと朝ご飯を食べてから、 ゆうゆうと学校に出かけます。 親や先生に叱られても、全く意に介さないので、 次第にみんな何も言わなくなります。 授業に遅れていくので、勉強も出来ず、父親からは、 「低脳」と言われていたのです。 戦争中は、兵隊であったときでさえ、上等兵の言うことを 聞かないので、いつも殴られていました。 南方で、現地の人と接触してはいけないと言われても、 無視して現地の人たちの中に入って、食べ物をもらったり、 深く交流します。 会社に勤めたときも、すぐにクビになるけれど、くさらず、 これ幸いと好きな絵を描いて家で過ごしていました。 周りの言うことを全く聞かないで、 好きなことを続け、超人的な努力で、絵で食べていくことに 成功します。 自分の心に反すること、嫌だと思うことは絶対しない、 徹底的に自分のやり方を貫く。 水木さんの言葉に、いつも刺激を受けています。 ***************************** どんなに努力して、頑張っても、ダメなときはある。それなら、最初から「ダメなものはダメ」と気楽に構えていた方がいいんじゃないですか。戦争中もそうでした。・・・「もう、どうしようもない」と死を選ぶ者もいました。でも、とにかく、生きていればやり直すことは出来る。死んだらおしまいです。私は生きることを第一に考えました。 水木しげる 「日刊ゲンダイ」2009.1.1より
June 19, 2009
あじさいを見に、柳谷観音という所に行ったついでに、大山崎山荘美術館に寄りました。 ついでだからと思ったのですが、思った以上に、きれいで何度もシャッターを押していました。 大山崎山荘美術館は、ここから入っていきます。 山荘のカフェで、ワインケーキを食べました。 しっとりしておいしいケーキでした。 本当に気持ちのいい場所です。いい風が吹いていました。
June 19, 2009
京都の西、善峰寺に行ってきました。 以前、西国巡礼で行ったことがあったのですが、こんなに山の中だったのか、と驚きました。 バスから降りると、緑のにおいがし、水の音が聞こえてきます。 小さな川が流れていたので、見てみると、バスの運転手さんが、川のそばで何かを見ています。 「何かいるんですか?」と声をかけると、「沢ガニがいるんですよ」とのこと。 よくみると、小さなカニが、川を横向きに歩いていました。 なんだか、とってもうれしい気持ちで、山門に向かって歩き始めたんですが、階段がきつい・・・。 やっと、門にたどり着きました。 境内に入ってからも、階段や坂が多いです。 でも、街を一望できる景色。素晴らしかったです。 新緑が輝いています。 あじさい、少し早かったみたいで、一面に、と言うわけには、いきませんでしたが、所々に咲く一つ一つのお花がきれいでした。 あじさいの写真、多すぎるので、このへんで・・・。 あじさいって、近くで見ると、すごくきれいだなあと思います。
June 13, 2009
六月の花・・・というと、あじさい。 少し前ですが、菖蒲とあじさいを見てきました。 嵐山から一駅ほどの所にある、梅宮大社というというお寺です。 小さなお寺なんですが、季節ごとにいつも何かしらお花が咲いているのでよく行きます。 咲き始めのあじさいは、色が淡くてやさしい感じがして好きです。
June 12, 2009
最近感じているのは、「存在」というものの大切さです。 今日は、自分の誕生日だったのですが、家事をして習い事に出かけて、ごくごく普通の一日を過ごしました。 その中でしみじみ感じたのは、私の存在を気にかけてくれていて、祝ってくれる人がいるって、本当にうれしいなあということですね。 うれしさを胸の中で何度も反すうしていました。 そして、「話したいなあ」と思う、お友達がいるということも本当にうれしいなあと思います。 その人がいるというだけで、たとえその時は実際には話さなくても存在が支えになることも感じています。 私はお友達は少ない方だと思うし、その時々で疎遠になったり、方向が別々になったりして、いろいろあるなかで、今、気持ちを分かち合える人がいることが奇蹟のように思えます。 今日の習い事の時でも、同じクラスにいいなあと思う人がいて、自分より20歳ぐらい年上の女性なんですが、別にそんなに個人的に話すわけでもないんですが、教室に入ってその人がいると、いるっていうだけで、毎回、何となくうれしい気持ちになります。 人間って、生きているだけで、そこにいるだけで価値があるんだと改めて感じています。 いてくれてありがとう。 生まれてきて、生きていてくれてありがとう。 この世に存在してくれてありがとう。 大切な人には、もちろん、自分自身に対しても、こうした言葉を言いたいと思います。 前に、中井俊巳さんという方のお話を聞きました。 その中で、小学5年生と中学二年生の子供達に実施した調査で、「生まれてこなければ良かったと考えたことがある」、という項目に「はい」と答えている子が三分の一もいるという話がありました。 自分はこの世にいなくてもいい、誰かも必要とされていない、誰からも愛されていないんだ。 子供がそう考えてしまうとしたら悲しいと思います。 中井さんは、子供は「愛されている実感」があることが大事だといいます。 子供達には、「大好きだよ」「宝物だよ」「いつも味方だよ」「お母さんお父さんの子に生まれてくれてありがとう」という言葉をかけてあげてください、と。 大人同士でも同じだと思います。 思ってても言わなければ、相手には分からないのです。 「愛されていない」「大切に思われていない」、そう思うところから、人は傷ついたり、腹を立てたりするような気がしています。(私は、ですが・・) 私は、夫には、割合言えるのですが、親に対しては十分ではないですね。 今日は、親に電話をして「生んでくれてありがとう」「いてくれてありがとう」と言いたいなあと思っています。 それから、自分が、自分自身の親になって、「生まれてきてくれてありがとうね」と言えたらと思います。 必ずしも言えないときもありますが、出来る範囲でですね。 今日は、特に、私という存在を大切に思ってくれている人にいてくれてありがとうっていう気持ちを伝えたいです。 そして、自分に対しても「いてくれてありがとう」「存在していてくれてありがとう」と言いたいと思っています。 どんなあなたであっても、いてくれるだけでいい。 そこにいてくれて、生きていてくれてありがとう。 生きているならそれで十分だよ。 自分を愛することはそこから始まる気がしているのです。*********************私には 私自身にしてあげたい事がまだ山ほど残っています。 ひろはまかずとし
June 9, 2009
バラ園めぐり。 今回は、5月の終わり頃に出かけた、花フェスタ記念公園の写真です。 バラって、こんなにきれいだったのかとその迫力に圧倒されました。 これは、私が一番、いいなあと思ったバラです。 色がきれいだなあと。 バラのトンネルをくぐるのは気持ちがいいです。 ピンクのバラばっかりですね。やはり、ピンクが好きなのかなあ。 黄色のバラもありました。 ポピーのお花畑です。 お花を見ていると、時間を忘れてしまいます。
June 7, 2009
昨日、「西の魔女が死んだ」の著者、梨木香歩さんが、書かれていたことを思い出し、その記事を読み返してみました。 知らないうちに、自分や他人に「変わること」を強要することってあるかと思うのですが、梨木香歩さんのお話は、「変わる」ことに対する、とても大切なことが書かれているように思ったので、書いてみます。 そこには、命に対する信頼のようなものが、感じられ、ほっとさせられるものがありました。 「植物ってね、どんな状況にあってもそこで何とか生きようと思って努力するんですよ。 ”ここは気に入らないからもうやめた”というんじゃなくて、もうどうしても発芽できない場合もあるけれど、場合によっては何千年も待つことがある。 本当に何もないような砂漠でも、ちょっと雨が降るといっせいにいろんなものが芽吹くという話を聞いたことがあります。 いつでも、何かの機会があれば、光に向かって伸びようとする。 しかも自分が世界を変えようとするのではなく、世界の中で自分が生きていこうとするというのかな。・・・・・・積極性と本当に謙虚な感じが植物には相反することなくあるんですよね」 そして、彼女の作品の中に出てくる「変容」という言葉について、彼女は次のように語られています。「たとえばキノコというのは、菌糸体が地面の中でどんどん、どんどん伸びて増えていって、ある種のストレス、たとえば秋になってすごく寒くなるとか、急に雨が降って湿度が高くなるとか、つまり今までと違う環境にさらされて、その菌糸体がもうこのままでは、この方法では増殖していけないってなったときに出てくるものなんですよ」「そういうせっぱ詰まった状況になって、どうしても変わらざるをえなくなっちゃう、それが”変容”なんです」「つまり変容というのはその生物にとっての非常事態、最後の最後の手段なんですね。だから、必要でないときは変容なんてしなくていいし、しょっちゅう変容する必要はこれっぽっちもないと思っているんです。これってニートの問題もすごく関係があると思うんですけど」 少し前に、私の家の庭に、ガーベラの花が咲きました。 その花は、4年ほど前に鉢から地植えにしてからから、一度も咲きませんでした。 それで今年になって、やはり葉っぱばかり茂っていて、「もう咲かないなあ」と思って引っこ抜いたんです。 ところが、しばらくして、つぼみをつけ始めました。 根っこが残っていたんです。 その後、ガーベラは、何年かぶりに、とても大きな花を咲かせました。 ガーベラは、命の危機を感じたのでしょうか。 昨日、NHKのドラマで、「ツレがうつになりまして」を見ました。 その中で、漫画家の妻の方の変化に、目をひかれました。 売れない漫画家として、現状に流されていた妻は、うつになった夫が会社を辞め、経済的な不安がでてきたため、本気になって漫画を売り込み始めます。 彼女は、「変わった」のです。 変わる必要のあるとき、人は、自然に変わります。 変わらなければ、将来どうなるの?と、不安になるときがあります。 でも、そうではなくて、将来何かあったときは、その時に、ちゃんと変われるんではないでしょうか。 人には、生き物には、そういう強さ、生命力がちゃんと備わっていると思うのです。 どんな人にも、非常時を生き抜く強さが、眠っています。 そう信じたいのです。 自分から苦しむ必要はないのではないでしょうか。 苦しい状況は、自分から飛び込まなくても、必要ならば向こうから来るのであって、それは必ず自分の力で乗り越えられる。 そして、そのあとには、「自己の変容」と「より深い生きる喜び」という贈り物が待っていると思っています。 心配しなくても、地球の生き物としての「力」があるように思うのです。 ************必要でないときは変容なんてしなくていいし、しょっちゅう変容する必要はこれっぽっちもないと思っているんです。 梨木香歩(作家) 「ダ・ヴィンチ 2008.8」より
June 6, 2009
すっかり、ブログから遠ざかっていましたが、その間に、あるバラ園に出かけました。 その時の写真を・・。 花を見るのに疲れたら、ぼんやりベンチに腰掛けたりして、過ごすのも好きです。 最近、決めなきゃいけないのに決められないことがあり、そのことが気がかりででした。 それなのに、動けなくて、すこし悩んでいたのですが、なんとなく、気持ちが楽になってきて、今日、ブログに向かうことが出来ました。
June 5, 2009
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