全5件 (5件中 1-5件目)
1
今年もあとわずかです。 初詣はどこ行こうかな、と今考え中です。 今年は、体力や気力が続かなかったり、自分の考えがまとまらず書けないなあと思っていたら、いつの間にかブログを書けない日が多くなっていました。 もうこんなことなら、ブログはやめた方がいいんじゃないか、と何度も思いました。 でも、やめるなら挨拶をしなければいけないし、と思いながら、決めかねていました。 それでも、また、書いてみたり、休み休みであっても、続けていこうと思い直したり、迷いの一年でした。 そんな続け方でも、ブログを読んでくださった方がいらっしゃるというのは、ありがたいことです。 今年も一年、ありがとうございました。 みなさんの2010年が、良い年でありますように☆ **************************今年最後は、鈴木秀子さんの本のメッセージから・・・「変わってはいけない。きみのままでいなさい。 きみが変わろうと変わるまいと、どうでもいいことだ。 私はありのままのきみが好きだ。 きみが好きなんだよ。」 「絶対幸福の尺度」鈴木秀子著より 変わっても変わらなくてもいい、そんなことはどうでもいいんだ、 ありのままのきみが好きなんだ、そんなふうに誰かを、そして 自分を思えたとき、何かが変わっていくのかもしれません。 自分を好きになる旅、来年はどこへとつながっていくのでしょうか。
December 30, 2009
以前、「エチカの鏡」というテレビ番組で、大津秀一さんという方の「死ぬときに後悔すること25」という本が、紹介されていました。 終末期医療の専門医、大津さんは、死と向かい合っている多くの患者さんが「こうしたらよかった」「こうしなければよかった」と悔やむ姿を見てきたといいます。 テレビでは、その、後悔する姿を映像で、再現していたのですが、自分もやってないことや、後悔するかもしれないことがたくさんあって、身につまされる思いでした。 その25の後悔をご紹介したいと思います。<真っ先に後悔すること>1)健康を大切にしてこなかったこと2)遺産をどうするか決めなかったこと3)夢を叶えられなかったこと4)故郷に帰らなかったこと<しておけば良かったと後悔すること> 5)行きたい場所に旅行しなかったこと6)美味しいものを食べなかったこと7)趣味に時間を割かなかったこと8)会いたい人に会わなかったこと9)自分の葬儀を考えなかったこと10)やりたいことをやらなかったこと11)人にやさしくしなかったこと12)心に残る恋愛をしなかったこと13)結婚をしなかったこと14)子供を産み育てなかったこと15)子どもを結婚させなかったこと<しなければ良かったと後悔すること>16)悪事に手を染めたこと17)たばこをやめなかったこと18)感情に振り回された一生を過ごしてしまったこと19)自分が一番と信じて疑わず生きてしまったこと <自分の死と向かい合ったからこそ後悔すること>20)死を不幸だと思ってしまったこと21)神仏の教えを知らなかったこと22)生前の意思を示さなかったこと23)残された時間を大切に過ごさなかったこと24)自分の生きた証を残さなかったこと25)愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと みなさんは、どの項目に「う~ん」と思われたでしょうか。 私は、18番目の「感情に振り回された一生を過ごしてしまったこと」というのが、心に残りました。 作者の大津さんは、この項目のところで、こう言われていました。「死という大きな問題を前に、今までいかに小さな事で感情を荒立てていたのかと、そういったことで後悔される方がいらっしゃいますね」 こんな患者さんがいたといいます。 ある日、一人の患者が、大津医師に、こう言いました。「今さら気づいたことなんだけど、今まで何であんな些細なことで腹を立てたりいらいらしたりしたんだろう」 死期を前にすると、今までの争いごとがとても小さなものに思えてくる。 現状と比較するときに、そうして過ごした時間がもったいないと後悔する患者さんが少なくないというのです。 自分も、日々、感情に振り回されてるなあと思って笑ってしまいました。 せっかく、生きているのに、腹を立ててばかりいないで、楽しくうれしい気持ちですごせたらいいのに・・・。 本当に当たり前のことなんですが、できてないんですね。 自分が死を前に何を思うのか。 いつかは必ず、死や病気など、自分ではどうすることもできない大きなものに、すべてをゆだねなければならないときがやってきます。 そうなれば、目に見えるものは、あまり意味のないものになってくるように思います。 仕事やお金、自分の肩書きや評価のことは、25のなかには、ほとんど出てきていません。 病気になると、自分が自分を守ってきた鎧のようなものは、すべてはがされる、というのを聞いたことがあります。 死を前に、裸の自分になったときに、自分が何を思うのか、そのことを考えながら、これからの時間を過ごしたいと思いました。*****************************************こんなひどいことが、と思えるようなことを通しても、人はいやされます。極限まで行くと、人の中心から、奇跡的な力が湧き起こって、人生にどんでん返しが起こります。火事場の馬鹿力というのに通じるかもしれませんが、予想もしなかった方法で人生が開けていくものなのです。 「絶対幸福の尺度」鈴木秀子著より
December 23, 2009
「宇宙(そら)の約束」というドキュメンタリー映画を見ました。 素晴らしい映画でした。 映画館でやっている映画ではなくて、自主上映で、全国に広がっている映画です。 これを見ると、ほっとして、自分はこれでいいんだってそう思えてきます。 私が受けた映画のメッセージは、上映会から帰る道すがら、いろんな言葉になって、私の心にわいてきました。 「もういいんだよ、変えようとしなくてもいいんだよ。あなたはあなたでいいんだよ」 「苦しみには意味があるんだよ。それは目には見えないけれど幸せにつながっているんだよ。 何があっても必ずその向こうに幸せが待っている。 すべてのことは、いつかくる「いい日」のために起こってるんだから、何にも心配いらないんだよ。 あなたは、今がどんな状況であろうと、一番いい方向へ向かって歩いているんだよ。 今の道でいいんだよ。 つかれたら、ゆっくり休みながら、歩けばいい。 できなかったことを悔やなくったって、できないことを責めなくったって、できることだけやっていけば大丈夫なんだよ。 何にも怖いことなんてないんだよ。 どんなことが起こっても、最後には必ず、あたたかい何かが、抱きとめてくれる。 目に見えない何かが、あなたを守り、あなたを見つめてくれていて、いつでも幸せを願ってくれているから、決して一人じゃないんだよ。」 映画は、山元加津子さんという養護学校の先生のお話がメインなのですが、山元さんの言葉、あたたかいんです。 重度の障害を持ち、体が思うように動かなかったり、重い病気で若くして亡くなる子どもたちと関わる中で、彼女は、人が病気や障害を持つことの意味、彼らの存在の意味、人が生きる意味について、語られています。 映画から伝わるものが、ぐるぐる頭の中をめぐって、ほとんど爆発しそうに(?)なってました。 私は、映画のDVDはほとんど買わない方なのですが、「ガイアシンフォニー」というドキュメンタリー映画が好きで、何度も自主上映会に足を運び、ついには、結構高かったのですが、DVDを買いました。 私にとってガイアシンフォニーは特別な映画だったのですが、同じぐらい特別な映画になったのが、今回の映画です。 たぶん、映画「宇宙(そら)の約束」もDVDが出たなら、買ってしまうんじゃないかと思います。 何度も繰り返して見たい映画です。 この映画は、シリーズでやっていて、これは、三本目の映画ですが、前の二本も、すごくよかったです。 どれも、心の深いところにじーんと響いて、涙が出ます。 こうした、あたたかい涙が出るのは、きっと、自分が魂で知っていることを思い出させてくれるからではないかと思っています。 ここから、映画の内容に少しふれますので、まっさらな状態で映画を見たいと思われる方は、ここまでにしてくださいね。 映画の中では、障がいを持つ子どもを持つお母さんも出てきます。 普通の子と違うことが受け入れられずに苦しんでいたそのお母さんは、何とか子どもが変わって欲しいと願い続けました。 でも、子どもを変えようとするのをやめ、「この子はこれでいいんだ」と思ったとき、別の人生が開けます。 彼女は、この子だからよかった、この子だから楽しい、と思うようになるのです。 このことは、子どもとのつきあい方だけのことではなく、自分自身とのつきあい方にも似ている気がします。 私自身、ブログで「ありのままでいいんだ」とか書きながらも、もっといい自分になりたい、とか、人生を変化させたいという欲や焦りのようなものを消すことができませんでした。 今も、今の自分を肯定したいという思いと、自分を変えていきたいという思いの両方があります。 その自分。 自分を完全に受け入れることもできず、変えることもできない自分。 そんな自分だとしても、その自分そのものを受け入れる。 こういう、揺れている自分だから、いいんだ。 こういう自分だから、人生があっちこっち横道それて、おもしろいんだ。 そう思ったらいいのかなと思ったのです。 もし、迷いがない人間なら、この映画を見ることもなかったと思います。 悩んでるから、素晴らしい映画や、素敵なお話、本にも出会えて、感動することがしょっちゅうです。 どんなことも、どんな状態も、これからの、いいことにつながっているんだ。 全体から見ると、私が私であることは、大切なことなんだ。 そのことを忘れないでいたいと思います。*************************子ども達が教え続けてくれること。それは自分が自分であることの大切さです。たとえば、どこの国のどんな状況に生まれようとも、得意なことが何で、不得意だったりできなかったりすることがどんなことがあろうとも、どんな自分であろうとも、大きな宇宙が、自分をその姿、かたち、そして、その状況においてくれたということには、きっときっと大きな意味があるはず。・・私が私であることが、一番いいことだったから、私は今の私に生まれたんだ・・そのことだと思うのです。そして、「自分のこと好きでいていいんだよ」ということだと思います。 書籍「宇宙(そら)の約束」 山元加津子著より
December 21, 2009
映画「トウキョウソナタ」を見ました。 去年上映された映画で、今日は、家族について考えるシンポジウムがあり、その中で上映されたのを見ました。 感動するとか、暖かい気持ちになる、という映画ではありませんが、自分の家族と照らし合わせて、胸に突き刺さる映画だと思います。 家族の映画なので、自分が父親の立場なら父親の立場で、母親なら母親の視点で、妻や夫という視点でも見れるし、子どもという立場から子どもの目線でもみれるわけです。 それぞれ見る人によって、映画の見え方が違ってくると思いますが、家族について悩んだことがある人なら、共感できると思います。 私は、特に、男性の生きづらさ、苦しみについて、少しですが、気づかされた気がします。 ストーリーは、ある家族の父親が会社をリストラされるところから始まります。 父親は、そのことを家族に言えないでいます。 母親は、孤独感、さみしさを抱えながらも、それを言えずに、淡々とご飯を作り続けます。 息子達も、それぞれの悩みを抱えながらも、家族には言えません。 家族みんなが、「本音を言えない」でいるわけです。 だから、互いに、相手の状況や気持ちが理解し合えません。 家族内には、緊張感が漂っています。 それぞれの問題は大きくなり、家族は崩壊していくかにみえるのですが・・。 私がこの映画を見て、思いだしたのが、アルコールや薬物の依存症の問題に関わっている、あるセラピストの言葉でした。 問題のない家族なんてない。 家族に、困った問題があることが問題なのではなく、問題について、家族の中で話せないことが問題なのだ、と。 要するに、家族のなかで、問題について、思っていることを自由に話せること、感情について話せること、このことが健康な家族かどうかの分かれ目だというわけです。 ポジティブな感情だけでなく、ネガティブな感情についても、つらいとか悲しいとか、腹が立ったとか、そういう感情についても、話すことが許されていることが大事だというのです。 「そんなこと言ってはいけない」「そんなことを感じてはいけない」というルールが、家族内にあれば、問題があることそのものより、その見えないルールがあることの方が、苦しみになるのです。 私の思う、「たのしい家族」とは、何も問題のない、完璧な家族のことではなく、困ったことがあっても、そのことを自由に話せる家族であって、「たのしくない家族」とは、それぞれの人が、本当の感情を出せない家族です。 感情を出せない家族とは、平気じゃないのに平気なふりをしなくてはいけなかったり、楽しくないのに楽しそうに振る舞ったり、怒っているのに笑っていたり、嘘ばかりつかなくてはいけない家族です。 本音を話したときに、家族の中に、それを「間違っている」と否定したり、そう感じるべきではないと言う人がいるとき、次からは、話せなくなってしまいます。 家族に対しては、愛するが故に、相手にこうあってほしいという期待をしてしまい、自分と異なる意見や感情を言って欲しくないという気持ちになることもあるでしょうし、自分の都合のいいように相手の気持ちを判断したくなることもあると思います。 家族だからこそ、互いの気持ちを自由に言い合えなくなるし、聞けなくなることもあるのだと思うのです。 家庭の中に、本当の気持ちを言っても、家族から愛されるし、尊敬もされる、そういう安心感がなければ、本音は言えないような気がします。 家族でも、時には嘘をつくことも必要かもしれません。 でも、自分の気持ちに嘘ばかりつかなければいけないとしたら、やはり、苦しい家族だと思います。 人間関係で、自分に正直になる、このことは、難しいことですが、家族、特に親子や兄弟は、失敗しても失敗しても、普通の人間関係のように、簡単に離れるわけにはいかないので、なんどもチャレンジできると思います。 自分にとって、原家族は、修行の場かなあと思っています。 家族には、CMで流れるような、やすらぎや暖かいだけのものではなく、苦しみや葛藤も、おなじぐらいあることが多いのではないかと思います。 もちろん、本当に、全員が仲が良くて、あたたかくて、安心できる、幸せな家族もあると思いますが・・。 家族は、喜びなのか、苦しみなのか? 兄弟の葛藤についての映画は、「ゆれる」が心に響きました。 また、「手紙」という映画でも、兄弟の問題について、考えさせられます。 どちらも、家族であるが故の苦しみ、けれど、そこにある希望について、描かれています。 映画の中で、家族については繰り返し、取り上げられています。 それだけ、人にとって、家族は、大切なテーマなのだと思います。 今は、血のつながりではなく、人と人とのつながりで、助け合って暮らす、様々な形の「家族」もあります。 家族とは何なのか?これからの家族はどうなっていくのか。 考えさせられました。
December 19, 2009
テレビで、マイケル・ジャクソンのドキュメンタリーを見ました。 映画「This is it」も見ました。 マイケル・ジャクソンは、ファンというほどではないのですが、昔、アルバムを聞いたことがあります。 私がいちばん好きだった曲は、「ユー・アー・ノット・アローン」という曲です。 「一人じゃないよ。」 「君は、一人じゃないんだ」 そう言われている気がして。 ♪ユー・アー・ノット・アローン(日本語字幕つき) ドキュメンタリーでは、マイケル・ジャクソンの孤独っていうものを感じました。 地球環境を癒そう、子ども達を救おう、彼は、ボランティアにも熱心だったと知りました。 けれど、いちばん癒すべきは、自分自身だったのでは、とも思いました。 自分のことと重ねてみているだけかもしれませんが・・。 睡眠薬がないと眠れなかった、マイケル・ジャクソン。 私も、薬なしでは眠れない時があったので、明日を生きることへの不安、仕事で失敗することへの不安、孤独、その恐怖感で毎晩目が冴えてきたことを思い出します。 安心して生きたい、幸せを感じて眠りにつきたい。 どうしたら、そうできるのか、その当時は全く分からなかったのですが、今の自分は、そのことを少しだけ分かってきたような気がします。 生きるというのは、本当に大変なことだと感じています。 みんな、いろんな事を抱えて、思うにまかせぬ人生を、どんな苦しいときでも、悲しいときでも、生きていくのですから。 心理学者の河合隼雄さんが言われていたのですが、「ふたつよいことさてないものよ」という言葉を思い出します。 ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがある。 しかし、悪いことや嫌なことがあるときも、それに見合う「よいこと」があるものだ。 そんなことを本の中で書かれていました。 どんな悪いことの中にも、いいことが隠れている。 悪いだけのことはないのだ。 落ち込んだときは、そう考えることにしています。 人生の苦しみ、大変さがあっても、それに見合った良いことが、必ずあるのだと、そこから喜びがあふれでてくるのだと、そんなことを思ったりしています。 華やかにみえる人生にも苦しみが、一見、苦しいだけにみえる人生にも大きな喜びが、地味にみえる人生の中にも大きな幸せが・・、人生というのは、不思議なものだと思います。 マイケル・ジャクソンさんは、いろんな苦しみから解放され、あちらの世界で、母親の胸で眠る子どものように、安らかな眠りにつかれていることと思います。 もしかして、やっぱり、歌ったり踊ったりされているのかな。 マイケル・ジャクソンさん、ありがとう。*******************************世の中なかなかうまくできていて、よいことづくめにならないように仕組まれている。このことを知らないために、愚痴を言ったり、文句を言ったりばかりして生きている人も居る。その人の言っている悪いことは、何か良いことのバランスのために存在していることを見抜けていないのである。 「こころの処方箋」河合隼雄著より
December 17, 2009
全5件 (5件中 1-5件目)
1