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そのなかでお釈迦様はこの様にアーナンダよ、わたしは、今、空性の住処に多く住していると
2020.01.26
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来ることも無く、行くことも無く、とどまるところもなくこのことは、常にそこにありどこでもあり、はじめから有りと読めます。無いというのは、常に有るものの裏側というか、同時にというか有るものであり死ぬことも無く、生まれることも無い当然生きるとか死ぬとか言うもので無いことがわかります。しかしはいこれですと出すこともできないしつまりわかるけどこれを認識できない
2020.01.24
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その処とは涅槃(ニッバーナ)についての記述ですがこれはゼロ(零)の事を言っています。地 水 火 風 とは当時考えられていた物質の表現です。実は零は存在できないというかリンゴの例えで言えば、リンゴが有ります。それを取り去ると、リンゴがゼロになるのですが実はそのときにはリンゴをおいていた机が有ります。机を取り去ると、机はゼロになるのですがそのとき床がありますこのように延々とどこまで行っても有る問いとして世界はなぜ有るのかという有名な論争があります。ゼロつまり無い(無)というものを作り出したというか、発見、定義したように私には見えてしまうのです。リンゴが取り去って、リンゴは無い これは誰でも理解できます。すべてこのことから有るというものには、無が存在できてしまうことに気がつきます。リンゴが有る、机が有る、床が有る......... 有るはいろいろな形を持っていますが無いはすべて同一に見えます。この無はからっぽ(空)と言われているものと考えます。
2020.01.22
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比丘たちよおよそ地も無く、水も無く、火も無く、風も無く虚空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく現世も無く、来世も無く日と月との二つもないその処(領域)がある。さらに、比丘たちよ、そこには、来ることも無く、行くことも無く、とどまるところもなく死ぬことも無く、生まれることも無いとわたしは説くそれは安立しておらず、起こっておらず、絶対に所縁(把握される側)とならないそれこそが苦のおわりである。
2020.01.21
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原因は身体を調べてもわからないのだけどなにか不安というか、身体の不調を感じると言う症状があります。ものすごく多く ある意味ハッキリわかっている病気の数十倍の人が悩んでいると思われます。自分もそれに悩まされてきたとも言えます。
2020.01.13
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嫌いな人、嫌っている人しあわせでありますようにこの文言この様な人は誰にもあります。わたしもこの様な人に対して○○さん ありがとうございます。と無条件で、言葉を発するのはむずかしいでしょうからつぶやいてみてください。その感情が如何にネガティブなものであっても思いついたとき行ってみてください。はじめは何も変わらないでしょうし、引っかかっているものがあるはずですからでもそれは少しずつ変わっていくはずです。
2020.01.12
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ニミッタとは何かこれは実は誰にも見えるものでは無いかと思っています。特別なものでは無くリンゴの話目の前にリンゴがおいてあります。それを見ています。そのリンゴはどこにあるのか目の前のそこでは無く、リンゴは見ている自分の頭の中にあります。手を伸ばしてリンゴをつかむ、リンゴは確かにあるその触覚も実は自分の頭の中にあります。面白いというか、そうであるなら、なぜにこれほど生き生きとリンゴが見えているのかねと思うところです。手を伸ばしてリンゴをつかんでがぶりと食べる、美味いとその味もその触覚も口の中にあるリンゴの感触もすべて自分の頭の中にあります。さて頭の中にリンゴが映像のように(というかもっと生々しく、超仮想現実とでも言うか)存在しているならそれは何によって作られているか 光によって構築されているはずです。映像だから ある意味オンとオフの点滅目を閉じて暗黒なのも 作られた暗黒といえるとおもいます。その根底にはこれを作り出すものが常に生きているなら存在している なにかが目を閉じて リンゴを前に持ってきて 目を開ける 一瞬の内にその姿が生々しく構築される視覚の色は光の3原色を感じる視細胞で認識されます。しかしそのリンゴの色は様々な色の集合体です。3原色の色の情報から一瞬にそのリンゴの様々な色を作り出した恐ろしいほどの脳の働きです。ある意味夢の中に常に暮らしているとでも 作り出された世界に暮らしているとでも
2020.01.06
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