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1泊ミニ旅行の宿泊は、温泉ホテル「大船渡温泉」である。日帰り温泉としても人気があるらしい。1週間ほど前に予約したものの近所に夕食をとれる店がなく、夕食を追加で頼みたいと3日前に電話をしたら、その日から予約日まで施設の点検で休館だという音声案内である。ちょっと慌てたが宿泊は私たちが予約した日から再開、それ以外はその日の朝から電話を受け付けるということだった。当日、家を出る前に電話して追加の夕食をお願いして出発したのである。 これまで小旅行での夕食は、全て地元料理の店やレストランを探していて、一度も宿で食べたことがない。小食の私は日本旅館(温泉旅館も含めて)で出される夕食の種類、量の多さに圧倒されてきわめて苦手なのである。このホテルも海のもの満載の料理をうたっていて、いくぶん不安なのである。 ホテルにチェックインした後、妻と一緒に車で近所の下見に出た。このミニ旅行の最大の目的、大船戸湾に昇る朝日を撮る最適の場所を探そうというのだったが、ことはそんなに簡単ではなかった。大船渡湾は沿岸に人家の多い地形ということもあって太平洋から波が直激するような地域はたいてい高い防潮堤が築かれていて海べりに出るのを妨げていた。海で仕事するための出入り口(防潮門)はあるのだが、開いている所もあったものの、問題は設備の性格上いつでも開いているわけではないらしいということだった。日の出の方角に開いた場所という条件も加えると地元不案内な身では最適な場所を特定するというのはかなり難しいのだった。 諦めてホテルに戻って、4階の部屋に入って窓のカーテンを開けたら目の前に大船渡湾が広がっている。太平洋に開けた湾口もすべて視界の範囲内である。さっそく岩手県の日の出の時間、方角を調べ、方位磁石(というスマホアプリ)で調べたら、湾口に出ている岬にかかるもののほぼ部屋の正面から太陽は昇るらしい。暗い夜明け前に寒い外に出ることなく、ぬくぬくとしたこの部屋から写真を撮ることに決めて、夕食に向かったのである。 夕食は「漁師飯プラン」というのだが、他に選択肢があるわけでもなさそうだった。皿数、碗数は数えきれなかった(献立表では15の皿や碗が出たはず)。すべて海のものの料理だった。私としてはけっこう箸が進んだと思う。手つかずで残したものは一皿だけ、手を付けて残したのが2皿だった。妻は私が残したものも食べて、そのうえで食べ残した皿が二つほどあった。 部屋に戻ったが満腹すぎて2時間ほどテレビや居眠りでお腹がこなれるのを待って、それから大浴場の温泉をのんびり楽しんだ。10時半を回っていたので恐ろしく広い浴室にたった一人(妻も一人だったという)。 目が覚めたのは午前5時50分、寒くないようにしっかり着替えてカーテンを開ける。少し空が白み始めてきた。テーブルを窓近くに寄せて交換レンズを並べておく。太陽が昇るあたりの雲が色づき始めたころ窓を開けて撮影を始めた。妻は昨夜からの2枚重ね布団に潜り込んで寝ている。 小さな漁船が2隻、養殖棚のまわりで仕事をはじめている、一艘は明るく灯をともし、一艘は無灯火で。もう一艘の小舟はまっすぐ湾の外へ出て行った。昨夕、港で見た大きな漁船の出航は、季節のせいかこの時間にはなかった。 岬の先端あたりに太陽は登ってくるらしく、雲が輝き始めた。朝日といえども輝く太陽を撮るのは簡単ではない。レンズを変え、撮影条件を様々に変えながら撮影しているとあっという間に太陽が飛び出してくるように感じる。一通り撮り終えたころ、妻が朝風呂から戻ってきた。 窓を閉め、私も風呂に向かった。夕べは入らなかった露天風呂に体を入れて海を眺めると、海面から少し離れた太陽の光が海面に反射してまっすぐこちらに光の道を作っているのだった。これを撮らなきゃ、慌てて風呂を出て部屋に戻り、数枚そんな写真を撮った。烏の行水より短い温泉浴という経験は初めてである。 私としてはもうこの旅行の目的はほぼ完ぺきに達成したのだが、これからは妻に約束した道の駅巡りである。ゆっくりホテルを後にして向かったのは陸前高田市の「奇跡の一本松」のそばにある「道の駅 高田松原」である。 奇蹟の一本松は、大津波をかぶった松原でたった1本残った松の木である。今でも最上部にだけ枝葉を残し少し傾いて立っている。一帯は「高田松原津波復興祈念公園」になっている。 次に向かったのは宮城県に入って南三陸町の「南三陸さんさん商店街」である。ここも東日本大震災後、被害に遭った商店が寄り集まって店を並べる商店街としてつくられた施設である。道の駅と銘打っていないが、地元の魚ならここだろうと考えたのである。道の駅 高田松原とここで刺身や蒲鉾やワカメなどを買った。 そろそろ昼飯という時間になって妻が「昨日のうどんおいしかったね、またあそこに寄ろう」というのだが、三陸道で1時間も前に通り過ぎていたのである。妻の食欲には勝てず、三陸道を大谷海岸まで引き返したのである。 道の駅 大谷海岸で季節限定と銘打った「石鍋かきうどん」を再び食べて大満足の後、息子にお土産を買うのだと妻は道の駅の中を元気に歩き回るのだった。道の駅の予定は三か所だったが、ここから仙台までの運転は時間が伸びてしまったので、途中休憩をかねて昨日下調べした石巻市の道の駅 上品の里にも立ち寄ることにした。 道の駅 上品の里に入ると地元産の野菜売り場に白菜も並んでいて、そのなかの二つがとても大きく立派でゴロンという趣きで自己主張していた。わが家の白菜漬けがそろそろなくなりかけているので思わずその一つをバスケットに入れた。妻は安い「ひとめぼれ」を買うと主張した。食事担当は私なのだが、買い物の時には妻は突然主婦に完全復帰するのだった。ここでは野菜をあれもこれもという感じになった。大きな段ボール箱をもらい、駐車場までカートを借りて運んだ。 仙台に入ればいつものように夕食用の弁当を買って家に帰るだけである。真冬の海岸ドライブという以前には考えもしなかったミニ旅行が突然始まり、当然のように突然終わった(そんな感じである)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.20
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最初に訪れた神割崎は石巻市北上町、立ち寄った道の駅大矢海岸は気仙沼市本吉町、偶然入った唐桑半島休憩地は気仙沼市唐桑町である。町村大合併が行われたが、宮城県で生まれて県外で暮らしたことのない身には、北上町、本吉町、唐桑町という旧町名が馴染みで、いちいち石巻市や気仙沼市を先に付けるのは煩わしい。かといって、気仙沼市、石巻市だけではどの辺やら皆目見当がつかない。 私は栗原郡瀬峰町で生まれたが、今は群が市に変わった。「栗原市で民家の火事で一人死亡」などとテレビのニュースが流れても、行ったこともない旧栗駒町だったり一迫町だったりすると遠い話に聞こえてしまう。まあ、故郷はずいぶんと遠くなってしまった、ということである。 唐桑半島にある巨釜半造は当然ながら唐桑町にある。駐車場に着くと大きな野良猫の出迎えである。駐車場の前には食堂のような建物があるが周りをトタン板でしっかりと囲んで人の出入りができないようになっている。かなり以前から閉鎖しているようで、周りにはそのほかの人家は見えない。このノラ君はどこで餌を調達すのか心配になったがそれほど痩せてもいない。空腹らしく熱心にねだるのだが、あいにく飲料水しか持っていない。家のカリカリを持ってくればよかったと思ったもののどうにもならない。人家の少ない寂しい場所の旅には必需品のようだ。 ここでも妻を駐車場に残して緩やかなけっこう長い階段道を下った。複雑な岩組の海岸に寄せる冬の波は、ときには大きな飛沫を噴き上げるので、しばらくは飛沫のタイミング狙いでカメラを構え続けた。また、高さ16mの大理石の石柱「折石」も撮ったが、このネーミングは1896年の大津波で先端が折れたことによると案内看板にあった。 巨釜からすぐ近くの半造の駐車場に行ったが、こちらはけっこう長い散策路を歩かねばならないようだったので写真は諦めた。ここには小さいが立派なレストハウスがあったのでコーヒーを頼んだ。海の景色が眺められるように窓際に高い椅子の席が用意されていたが、残念ながら二人の前には松の木の太い幹があるのだった。二人連れが同じようにコーヒーを飲んでいて、外にも二組ほどの観光客がいた。このレストハウスのコーヒーはとてもおいしいのだった。この二日の旅で何倍もコーヒーを飲んだが、ここのが一番だったと後で妻が強調していた。 コーヒータイムの休憩が入ったので、今日の最後のスポット「碁石岬」に向かうことにする。碁石岬は、県境を越えて岩手県に入り大船渡市末崎町にある。広い駐車場にレストハウスやインフォメーションの建物があり、道向かいには「世界の椿館」という施設がある。三陸復興国立公園の主要な場所らしく観光に力が入っているようだ。私(たち)は観光旅行だが興味は自然の方、自然の写真の方なので建物にはトイレ以外は入ることはなかったが………。 岬には遊歩道が巡らされていて、妻は林の中の遊歩道を歩きながら楽なところで海を覗き、私は岬の突端「碁石岬灯台」をまわり、碁石浜の見えるところまで下って写真を撮って引き返すというコースだった。 碁石岬に着いたのは午後3時半過ぎ、冬の日の傾くのは早く、岬の突端あたりからカメラの興味は傾いた太陽ということになった。とくに碁石浜の海に映える午後の日差しをどう撮るか、ああでもない、こうでもない、とけっこう遊べるのだった。 妻もそこそこ遊歩道や景色を楽しんだらしい。少し安心して、今日の宿泊先「大船渡温泉」に向かうことにする。大船渡温泉は大船渡湾に面しており、妻は温泉を、私は大船渡湾の夜明けをカメラ抱えて待ち構えるのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.18
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一月一日が誕生日の私は、2026年元旦をもって満80歳になった。妻は3カ月後に80歳になる。二人分を合わせて、子供たちが傘寿の祝いをしてくれた。その時、二人とも小遣いまでもらった。それを使ってどこかへ行こう、ということになった。 昨夏の百日咳で消耗した体力の回復に手間取ったこともあって、秋には日帰りのミニ旅行をなんとか2回こなしただけだった。体力もほとんど戻ったのだが、真冬ということでまったく考えていなかったが、カメラ心が疼いたのである。 昨秋に実現できなかったミニ旅行の一つの案に、三陸沿岸を北上しながら宮城、岩手、青森のリアス式海岸の写真を撮る、というのがあった。写真のことしか考えていないということや、三陸の観光地はたいてい崖を降りるとか階段で海辺まで行くという案内があって、足の弱った妻向きでないのが問題だった。 そこで、海べりのスポットには立ち寄るが妻の好きな温泉のあるホテル泊まりの1泊旅行にして、2日目は妻の好きな道の駅ショッピングをたっぷりと、ということで折り合いがついた。 初日の朝食も道の駅で摂ろうと出発したが、東北道から三陸道に入ると「むすび丸春日PA」に食事の看板があって、松屋が営業していてそれぞれラーメンと蕎麦で朝食とした。それでも朝食を予定していた道の駅「上品の里」に寄って帰り道での買い物の下調べをした。 この道の駅を出れば、あとは最初のスポット「神割崎」へ向かうだけである。途中、北上川の川岸を走るとあちこちに川面に白鳥が群れている。川幅が広くて白鳥までの距離が遠くて、点々と白いものが見える風景を撮るならまだしも、白鳥を撮るには持参の400㎜望遠でも無理である。「あんなに白鳥がいるよ!」などと妻と語り合いながらひたすらに道を急ぐのである。 シーズンオフそのものなので当然のように神割崎の広い駐車場には1台も止まっていなかったが、神割崎へ下る道の入り口近くにトイレがあってその前に1台駐車していた。もう2台ほどスペースがあったのでそこに駐車した(その車はすぐに若い人が戻ってきて出て行ってしまったが)。 妻を車に残して坂道を神割崎の前まで下った。大岩が真っ二つに割れていて、その隙間から太平洋の水平線が見え、岩の割れ目から波が押し寄せてくる。岩の隙間の幅に応じて波頭が高くなり、隙間を過ぎるとどーっと広がる様子などを写した。個人的な好みで言えば割れた岩よりも回りの岩礁の景色の方が気に入ったのだが………。 神割崎の写真を撮っているとき男性(たぶん40歳くらい)が下りてきて、景色を一眺めして帰っていった。私が車に戻ると駐車場から出てきた車の中から笑顔で会釈してどこかに走っていった。回りをぶらぶらしていると言った妻は車でスマホをいじっていた。次は唐桑半島の巨釜半造の行くことを告げて車を出した。 再び三陸道に乗ってしばらく走ったら「道の駅 大谷海岸」の看板があった。昼を回っていたのでそこで昼食を摂ろうということに予定を変更した。ここでの昼食は二人一致して「石鍋牡蠣うどん」ということになった。中太うどんの鍋焼き風に二人とも大満足だった(このおいしさがずっと後を引くことになるのだが……)。 大矢海岸から三陸道を気仙沼市の唐桑半島にある巨釜半造に向かう。巨釜と半造はちょっとだけ離れているらしくナビでは最初に巨釜に向かうことにした。海沿いの道を走っていると海側にPの看板があったので入ってみた。その駐車場から階段を下ると小さな漁港があった。なんという漁港かわからなかったが、あとで地図を見ると「唐桑半島休憩地」という名前で出ているところらしい。 小さな漁港で漁船や漁具の写真を撮ってみたいと思っていたが、そういう場所はほとんどないのだった。東日本大震災の後、人の住む海岸縁には高い防潮堤が築かれていて、地図に不案内な旅人が走っている車の中からそんな漁港を見つけるのは難しいのだった。偶然ながら唐桑半島休憩地に立ち寄って数枚の写真を撮れたのはとてもラッキーに思えたのだった さて、今度こそ巨釜半造に向かうのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.16
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荒町の昌伝庵と泰心院へ行き、次には仙台東照宮と、寺と神社へのカメラ散歩が続いて、その流れで陸奥国分寺薬師堂へ行くことにした。その足で新寺小路の松音寺も廻ろうと考えた。どちらもかなり以前に犬連れの街歩きで行ったことがあって、きちんと写真を撮っておきたいと思ったのである。それに、どちらも乗り換えなしで行ける地下鉄沿線の隣り合った駅の近くにあって数時間で回るのは便利だということもあった。 陸奥国分寺薬師堂は文字通りの地下鉄「薬師堂」駅から直ぐに参道に出られる。陸奥国分寺は奈良時代、聖武天皇の詔で全国に創建された国分寺の一つで、地上の建物は失われて遺跡として残っている。伊達政宗がその講堂跡に薬師堂を建て、その西隣に伊達藩7代宗村が准胝観音堂を建立して今に至っている。 長い参道の仁王門をくぐれば正面は薬師堂、右手に鐘楼がある。広い寺庭には大きな桜の木が何本もあり、春にもう一度来られたらと思った。冬のカメラ散歩は他の季節のためのロケ地探索でもある。 薬師堂の西隣にある准胝観音堂は、周囲の石碑、石仏が印象的だった記憶がある。石仏が多いが、中には松尾芭蕉などの立派な句碑などもある。同じような姿の観音像を刻んだ小さな石仏に目を魅かれたが、何という仏様か判然としない。右手に蓮華を持っている勢至菩薩を見たような記憶があるのでそれかもしれないなどと考えたのだが、ここは准胝観音堂なので石仏は准胝観音と考えるのが妥当だと気づいた(家に帰って調べてみたら、准胝観音の十八臂とも言われている腕を省いた形のようである)。 薬師堂駅から一駅の「連坊小路」駅に移動し、松音寺までスマホナビを片手に歩いた。以前の街歩きのとき、道路から見る山門までの道の雰囲気がとても感じが良かった寺である。犬連れの散歩なので寺内に入ることは遠慮して通り過ぎただけだったが、ずっと心に残っていたのである。 寺内には誰もいなかったが、山門の写真を撮っていると、女性が一人入ってきて本堂でお参りをしていた。その本堂の横には鐘楼があり、その下をくぐって道を渡ると墓地があった。また、山門の横に大きな岩があり、そのてっぺんに小さな木が芽生えていた。大きく育つのは難しいかもしれないができるだけ長くそこにへばりついて生き抜いてほしい、などと思いながらシャッターを押した。 スマホの地図を見ると、松音寺の近くに栽松院という寺があったので行ってみることにした。山門には「千躰観音」と書かれた大きな提灯が下げられていた。山門をくぐると樫の木が斜めに参道の上に伸びていて、その枝葉に注意せよという案内があった。伊達政宗が目印にした白樫の木だという。本堂の脇に千躰観音を納めたお堂があり、その近くに桜が咲いていた。四季咲きの変異種だという。仙台の1月では早いと思われる梅も咲いていた。松音寺ではロウバイの花も見ていて、仙台の春も近いと思わされた寺廻りになった。 栽松院から地下鉄「五橋」駅まで歩いていく途中で妻に「急いで帰って昼食を用意する」と電話したら、「無理しないで外で食べておいで」ということになった。すぐそばの店でラーメンを食べたが、このごろは、外で食べるラーメンはどこでもおいしいと思うようになったのがいい。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.14
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筋トレ散歩を1月16日に再開して19日にも出かけることができた。何とか普通にこなせることを確認したので、家族それぞれの都合を勘案してこれから差し当たって春4月までは月曜に筋トレ散歩、金曜に長いカメラ散歩をやろうと計画した。 計画の初日は1月26日の月曜日だったが、夜のうちに少し雪が降っていた。それでも陽が射していたので9時ごろ家を出た。亀岡神社に着いて見上げれば、石段は真っ白に雪をかぶっている。これでは仙台城跡の日陰の道も雪は解けていないだろう。そう考えて筋トレ散歩は中断した。6年前、こんな日の筋トレ散歩で仙台城跡の下り坂で転んで左手首を骨折したことがある。かなり慎重に歩いていたのに転んでしまったので、歩かないことが最大の予防だと考えるようになっている。 慎重に判断したことは何も問題はないのだが、使わなくなった時間は退屈だろうし、体力維持も必要だろうと考えて、とにかくカメラを持って平地だけでも歩こうと考えた。カメラに400㎜望遠レンズを装着して、近所の平地(坂道はタブー)を歩き回って鳥を写そうと思ったのである。「筋トレ散歩」変じて「鳥撮り散歩」である。 広瀬川の堤防に出て岸を下りながら水辺でハクセキレイ、セグロセキレイ、オナガガモ、マガモを撮った。これまでは一眼レフ3000㎜相当の望遠を誇るニコンのP1000というカメラで撮っていた鳥たちだが、ニコンのミラーレスZ8に装着した28-400㎜の望遠ズームでとても良く撮れるのだった。鳥との距離にもよるが、あの重いP1000はもう少し離れた鳥用にと使い分けることができそうだ。 500mほど下ったところから引き返し、上流の河川敷公園まで歩いた。堤防や公園ではジョウビタキ(雄)、ヒヨドリ、キジバト、アオジ、カケス、ツグミなどを撮ることができた。アオジは初めて撮る鳥だったが、後ろ姿だけを見せて飛び去ってしまった。また、昨年はジョウビタキの雌しか写せなかったが、今年はなぜか雄ばかりを見かけている。 鳥撮りとしてはとてもいい散歩になったので、次の日(27日)にも同じコースを歩いた。その時写した鳥たちもほとんど同じメンバーだったので、写真は日付で区別していない。 鳥撮りは日によってはまったく鳥に出合えないこともあって、計画や予定を立てにくい。何も考えず、暇なときにふらりと出かけるのがいいのかもしれない。張り切って出かけた日に限って鳥がいない、そんな経験の記憶が多いのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.09
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私のカメラ散歩は、朝昼晩の3食の食事の用意に間に合うように2、3時間で戻ってこられる場所に限られる。早朝や夕暮れにも出かけることがあるが、やはりその条件は変わらない。先日は何とか昔歩いた荒町の商店街を思い出して行ってみたのだが、3つの寺を見ただけだった。ただ漫然と歩いてもカメラ心をくすぐる何かが見つかるような気がしないし、近場にめぼしい場所も見つからず困っている。 前回は寺廻だったので、今度は神社にしようとごくごく安易に仙台東照宮に行くことにした。徒歩では1時間ほど要する場所なので、地下鉄、JR仙山線と乗り継いで仙台駅から一駅の「東照宮駅」から散歩開始とすることにした。帰りは、東照宮から地下鉄北仙台駅まで歩くと散歩らしい距離になる。 仙台には60年以上住んでいるが東照宮には足を踏み入れたことはない。近くを何度も通ったことがあるし、愛犬がいたころには東照宮の周囲を回ったのだが、犬連れなので境内に入ることはなかった。 東照宮駅を出るとすぐに宮町通りに出る。仙台東照宮は仙台伊達藩2代藩主忠宗によって創建され、宮町はその時に由来する町である。宮町通りをまっすぐ北に進み大鳥居から長い緩やかな石段を上って随身門をくぐると拝殿前に出る。金曜日の午前10時過ぎ、ポツポツとだが参詣客が絶えない。 拝殿の後ろに本殿が控えているが、唐門と透塀に囲まれている。東照宮には金ぴかのイメージがあるが、中学3年の修学旅行で見た日光東照宮の記憶によるものだろう。とはいえ、実際に日光東照宮が金ぴかだったかどうかの記憶はないのである。 仙台東照宮は落ち着いた雰囲気の神社だが、本殿の建物には金張りの装飾があった。考えてみれば、寺や神社が金色に施されていることは普通にあることで東照宮に限ったことではない。 本殿を写し終えれば帰るだけなのだが、本殿の裏から外に出ることができた。妻は幼いころ近くに住んでいて「東照宮の裏山で遊んだ」と言っているが、もう裏山はすべて住宅街になっている。裏の道は、愛犬と歩いた道でもある。イオという名の犬のことを思い出して切ない気持ちで道を急いだ。 東照宮の周りを半周するように坂道を降りるとJR仙山線の踏切に出る。ちょうど電車が通りかかったので「撮り鉄」でもないのにシャッターを押した。「撮り鉄」さんのようにひたすら追いかける被写体というものが私にはない。というよりいろんな対象を撮ってみたいのである。高齢ながら初心者なのでまだまだ執着するようなものが見つからないということだ。 踏切を過ぎて線路の上の空を見上げたら、あっと思ってカメラを向けた。たぶんこの空の色が今日の散歩で「カメラ心」をいちばんくすぐった被写体だったかもしれない。 北仙台駅の近くの歩道橋からまっすぐ西に向かう道も撮った。この道の先、低い丘陵の山裾にわが家がある。イオと歩き回った日々のことが重なって少しばかり感傷的な気分で地下鉄北仙台駅の階段を下りたのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.08
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平地を歩くカメラ散歩はシャッターを押すたびに休憩が入るので何の問題もなくこなしているが、衰えた脚力を回復するにはそれほど効果がないのではないか、そんな不安がある。少し気が急いて春まで待たず筋トレ散歩に出ようと思った。 亀岡神社の石段の上り下りと仙台城跡天守台までの坂道の上り下りというコースは十年以上も続けたコースで、カメラを持って出かけたことも何度となくあった。今さらカメラでもないかと思ったが、途中棄権がありそうなしばらくぶりの再開なので、その時にはカメラ散歩でぶらぶら歩けるようにカメラを持って家を出た。 いつもの筋トレ散歩よりはゆっくり家を出たが、外は真っ暗である。神社の石段を半分ほど上って振り返ると、各部屋に灯りのともる高層住宅の向こう、東の空が明るみ始めた。小雨がぱらついているが、東から南の方の空は晴れあがっているようだ。石段は2度ほど息継ぎ休憩を入れて何とかのぼりおりを完了した。 青葉城跡に向かう途中、南の空に細い月が浮かんでいる。もしかしたら大手門跡の脇櫓と月を一緒に写せるかもしれないと考えたが、脇櫓の背後は仙台城跡になっていて月は城跡よりも低くてまったく見えないのだった。 天守台までの坂道をゆっくり大股で上がっていったが、8割ほど登ったあたりで諦めて引きかえし、三の丸跡(仙台市博物館)への道を下った。博物館庭の東の土手から眺めると、まだ太陽は顔を出していなくて、朝焼けの優しいグラデーションが美しかった。真っ赤な派手な朝焼けは苦手だが、こういうのはとてもいい。 博物館の庭を抜けると、五色沼の水面に二の丸跡の白塀が反射して逆さに移っている。数えきれないほど歩いた道だが、こんな写真を撮ったのは初めてである。これでもうひたすら帰うるだけと歩き始めると、樹々の間、仙台市街の向こうに太陽が姿を現した。輝く太陽そのままでも良かったが、太陽の丸さを写したくていろいろと撮影条件を変えて撮ってみた。 筋トレ散歩再開は8、9割でとん挫したが、まずは石段登りができたことで満足することにした。期待していなかったカメラの方は、数が少ないが結構気に入った写真が撮れた。日の出・朝焼けの写真は何度も撮ったが、今日の日の出は昨日の日の出とは違うのだ、そんな当たり前のことをあらためて気づいたのもラッキーだった。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.03
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体調不良とそれが引き起こしたらしい気持ちの不調とで「筋トレ散歩」は休んでいた。それでも筋肉の衰えが怖くてできるだけ歩こうとカメラ散歩には出かけたいとずっと考えている。平地でシャッターチャンスに促されて歩くと比較的楽に歩けるのである。とはいえ、歩いていける散歩コースはほとんどなくなった。一昨日のように雪が降ったことで近所でも楽しいカメラ散歩ができたのだが、そんな偶然は期待できない。 地下鉄やバスで出かけられて、朝夕晩の食事の用意に支障がないように数時間で戻って来られる場所を考えてみるが、カメラ心をくすぐる場所が思い当たらない。なんとか思いついたのは「荒町」である。ずいぶん前に仙台七夕の時期に荒町商店街の七夕を見に行って、素朴な七夕を飾る雰囲気のいい街だったことを思い出したのである。 地下鉄を乗り換え南北線「五橋」駅から荒町の通りに入る。街の雰囲気はむかし歩いた時とは様変わりしていて、ポツポツと店はあるものの商店街というイメージはかなり薄くなっていた。シャッターを押したいと思う場所が見つからない。地図を見るといくつか寺や神社がある。前に歩いたときは愛犬連れの街歩きだったので、山門や鳥居をくぐって入ることはしないようにしていた。今日はカメラだけの連れなので一番近い「奕葉山昌傳庵」という曹洞宗の寺に入ってみることにした。 山門の前には禅宗の寺らしく「不用葷酒入山門」という石碑がある。ところが山門の柱に掛かっている文言は「いろは歌」の後半部分だったことが分かって少し驚いた。「有為のおく山けふこえて」と右の柱にあり、左の柱には「浅き夢みし酔ひもせず」とある。寺の山門にこのような文言を掲げるということが普通にあることなのかどうか私にはまったく知識がないのだが、こうやって寺の入り口で読むと、意味不明と言われているいろは歌に深淵な人生の意味が隠されているように思えるのだ。 この山は、越えていく(乗り切る)ことが人生にとって大切な意味がある「有為のおく山」なのだ。その山を今日は越えることができ、日ごろの夢がかなったが、決してその成功に酔うことはない。そんな風に人生を生きなさい。そういうことではないのか、などと考えた。 山門をくぐって本堂の前に行くと、階段に鬼瓦や蓮華鉢、「山上に山あり山また山」という東北大学医学部教授だった黒川利雄さんの座右の銘を彫った石板などが置かれていた(飾っていたのかもしれない)。本堂の上には死んだ者に花を供えることに意味を説く言葉が掲げられていた。小さなお寺さんだが何かとても新鮮なのだった。 次に向かったのは満福寺にある毘沙門堂である。寛永年間に立てられたという唐門の奥に毘沙門堂があり、さらにその奥に満福寺の本堂がある。毘沙門堂には3組ほどの参詣者がいた。奥の本堂前の庭には蕾の膨らんだ植木があり、冬真っ最中の仙台ではとても魅かれる被写体だった。毘沙門堂の前には松の大木があり、毘沙門堂のカラフルな幕との取り合わせをカメラに収めた。 荒町の通りから細い路地に入ってぐるぐる回ってみたがめぼしい被写体を見つけられずまた荒町の通りに向かうと道向こうに寺の山門が見えた。泰心院である。山門に近づくと年数を経た柱の表情に驚いた。この山門は、200年以上も前に建てられた仙台藩の藩校「養賢堂」の正門を移設したものだという。確かに柱の飾り彫りを見てもとくに仏教に由来するような彫りは見られなかった。 三つの寺を見終えると荒町を通りすぎてしまった。今日は南北線五橋駅から東西線連坊駅まで歩く予定だった。連坊駅近くまで歩いてもシャッターチャンスはなかった。お寺周りだけではカメラ散歩としてはいくぶん不満で、もう一度五橋駅まで引き返しながら荒町を丁寧に歩くことにした。シャッターチャンスに恵まれなくても、せめて鍛錬不足の脚には役に立つだろうと考えたのだ。 予想通り、シャッターを押すことなく五橋駅に着いてしまった。まあ、おとなしく帰るしかない。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.02
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暮れから正月にかけて疲れ切ってしまうのはここ数年の習いのようになっている。その疲れがようやく収まりかけた12日の朝、夜の間に降った雪で外が真っ白になっている。慌てて雪掻きに飛び出したが、5㎝も積もっていなくて雪掻きというよりただ雪面に箒の跡を残すだけの作業をした。 朝から晴れあがっているのに気温が低いので、浅い雪も解ける気配がない。ゆっくり朝食をとってからカメラを持って家を出た。じつのところ、雪が降るのを待っていたのである。ちょっと雪は少ないが、雪景色は雪景色だろうとちょっとばかり気負いこんでいた。 いつも歩いていてもうカメラを向けるものもなくなってしまったような道が、ちょっとの雪でそれなりに新鮮に見える。青葉山公園に向かう途中の案内看板にも始めてカメラを向けた。雪をかぶったベンチは、サイモン&ガーファンクルの「ブックエンドのテーマ」のイメージが強く、老人にはたまらなく切なく迫ってくる。もっとも、この国には街中の広場のベンチというのはほとんどないが………。 地面は雪で白く、青空を背景にする木々だってほれぼれするほど美しく思える。その木々の向こう、地下鉄の車両が広瀬川を渡っていくのが見えて、どんどんカメラ散歩が楽しくなってくる。 広瀬川大橋の石灯籠には小さな氷柱(つらら)ができていて、その向こうに仙台城跡の大石垣の急斜面も雪で白くなっているのが見える。仙台城のお堀だった長沼沿いの桜の老木の向こうに朝陽が上がって、桜の幹に張り付いた雪を輝かせている。ときどき強く吹く西風で雪煙が舞い上がる。 五色沼は水面の4分の1ほどが凍り、氷面には木々の影、水面には朝陽が写り込んでいる。ときおりの風で水面にさざ波が立つと、映り込んだ太陽の表情が変わる。 大手門後までの坂道を上がり、二の丸跡の大きな木々に間の狭い「三太郎の小径」に入ると木々の写真を撮っていた女性とすれ違った。その女性は私の前に小径に入って引き返してきたらしく、途中から誰も通った跡がない雪道になった。誰も通っていない雪道を歩くのは子供のころから嬉しくて、こんな年になっても同じ気分になるのが妙な感じがする。 そろそろカメラを終わりにしようかと思ったころに歩道の植え込みに山茶花が咲いているのを見つけた。赤い花に白い雪である。花の位置が高くていいアングルで撮るのに苦労したが、何枚か撮ることができた。 山茶花の脇を通り過ぎる人を花の背景に入れようと少し無理な姿勢でシャッターを切って、今日のカメ ラ散歩は終わった。 雪の少ない仙台でももう何回かチャンスはあるだろうと期待するが、春に近づけば近づくほどあっという間に雪が消えるのが心配になっている。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2026.02.01
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