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5月に入って晴天が続いた。鉢植えの植え替え、花苗の植え付けで忙しかったが毎日の水やりも気が抜けなかった。先日の台風の影響で夜分に雨が降るというので、その日の朝も翌朝も水やりを控えたのだが、ほんの地表面を濡らしただけの雨だったらしく、かえって水不足にしてしまった。雨なんかあてにしてはいけないのである。
今日あたりから天気が崩れるというので、家を出る前に予報を確認したら、だいぶ夜が更けてから一時的に小雨が降るという。安心して家を出たのだが、5分ほど歩くと、嫌な風が吹き出した。降りそうな気配がありありなので、家に戻って折畳み傘をザックに放り込んだ。
肴町公園、集会の始まり。(2015/5/15 18:38)
肴町公園、雨が降り出した。(2015/5/15 18:56)
少しばかり遅刻をして肴町公園に着いたら、ハンドマイク、トラメガ、デモグッズ一切合切を積み込んだ脱原発カーがまだ到着していなくて、肉声だけの集会が始まったところだった。
フリー・トーク中。(2015/5/15 18:41~47)
今日も元気、チョモランマさん。(2015/5/15 18:49)
主催者の挨拶の後、フリートークが始まった。大声を張り上げて二人目のスピーチが終わった頃に、脱原発カーが到着して、その後の人はマイクを通して話すことができた。
最初の告知は先週と同じく、「フォーラム仙台」で上映されている鎌仲ひとみ監督の映画『小さき声のカノン〜選択する人々』が好評のため、5月29日まで延長上映されることになったということ、上映時間が16:20からと変更されたこと、さらに21日の上映後に元仙台日赤病院内科医の岡山博さんの講演があるということだった。岡山先生は、子どもの内部被ばくの問題などで積極的に活動されているお医者さんである。
女川原発再稼働反対と原発政策からの撤退を求める12,253人分の署名を宮城県に提出したという報告もあった。これで、反対署名は120,684筆に達したという。
『日本の原発』上映の告知もあった。5月24日(日)の 仙台メディアテークでの上映会
のほかに、新たに6月20日(土)に10:00から泉病院友の会ホール、13:00から長命ヶ丘市民センターで上映されることになったということだ。
告知はもう一つあって、「これからの原発問題を考える」と題する東北大学の長谷川公一教授の講演会が6月13日(土)18:30から仙台市戦災復興記念館4階第1会議室で開催されるということだった。
最後のスピーチでは、東北電力が女川第2原発の機器点検で存在しない機器を点検したという虚偽報告をして、安全点検そのものをやっていないのではないかという疑念が湧かざるをえない報道があったが、第1、第3原発でも同様の虚偽報告がなされていたということや、それに対する規制委員会や宮城県の「女川原発の安全性に関する検討会」のいい加減な対応への批判がなされた。
集会が始まって、ほどなくして雨が降り出した。予報よりははるかに早い降り出しである。庭の草木は喜んでいるだろうが、私はカメラが心配で早々に傘を広げた。3月末から4月初めにかけて、何回か雨にたたられたデモがあったが、その後はずっと好天に恵まれていた。雨が降るも降らないも、確率としてはこんなものだろうと諦めるしかない。
肴町公園を出発。(2015/5/15 17:02)

一番町に入って。(2015/5/15 17:07)
コーラーの二人。(2015/5/15 17:09)
肴町公園を出発して、細い道を東進して日本銀行仙台支店の裏を過ぎて一番町に入る。いつもとは逆に一番町を北進して広瀬通りまで進む。このコースでは、一番町はあっという間に歩き終わって、広瀬通りを左折する。
一番町から広瀬通りへ左折。(2015/5/15 17:10)
広瀬通りから晩翠通りへ左折。(2015/5/15 17:10)
青葉通り交差点手前(晩翠通り)。(2015/5/15 17:23)
デモは左折を繰り返して進む。一番町から左折して広瀬通りを西に向かって歩き、晩翠通りに出たら左折して青葉通りまで歩く。青葉通りも左折して、後はまっすぐ解散地点まで仙台駅方向に向かって歩くのである。
青葉通り(晩翠草堂前付近)。(2015/5/15 17:26)
青葉通り、一番町を越えて藤崎デパート前を行く。(2015/5/15 17:30)
青葉通り、東二番丁通り(国道4号)を渡る。(2015/5/15 17:36)
青葉通り曲った頃から雨足が強まった。デモの列の前に出るために、カメラを前抱きにして傘を低くして縮こまるような姿勢で歩道を歩きながら、ふと人間性善説とか性悪説などという言葉が頭をよぎった。
集会のスピーチを聞きながら、極めつきの悲惨な結果をもたらした福島の原発事故の後でも、原発の安全点検結果をでっち上げて恬然として恥じない東北電力の反倫理的な企業行動の悪辣さに腹を立てていたせいであろう。
しかし、性善説とか性悪説で人間を考えるというのはあまりにも単純で愚かである。東北電力の人間が集団的に性悪説で説明できる人間たちであるわけがない。いわば、日本の社会に特徴的な「立場主義」のもたらす結果だろう。企業の人間は、いつのまにか「企業の論理」を「個人の倫理」としてしまう。自らが生きるために拠って立つべき論理と企業の論理をすり替えてしまうのである。そこには「個人の責任」という視点が欠落する。
思えば遠く、日本の近代は未完のまま出発し、日本人の精神はときとして中世に行きつ戻りつしながら彷徨っているようだ。「近代の自我」が未発達のまま現代を生きているのだと思う。「法を遵守し、個の責任を自覚し、社会に参画する」と言えば、多くの日本人は大いに賛同するだろうが、実際にはそれを実行できるだけの精神・思想的な基盤がない。
「近代の自我」の問題が端的に表れているのは、第二次世界大戦の戦後処理としての責任の取り方だろう。日本では、全員に責任があるという言い方で誤魔化して、誰一人自ら進んで責任を取ろうとはしなかった。それどころか、戦勝国によって戦争犯罪者として処罰された人間を国家神殿とまがうような手段で顕彰している。挙げ句の果てに、安陪自公政権が誕生したこのごろでは、どんなささやかな事柄においても日本は間違っていなかったと言って憚らない人間がたくさん公的な場に登場している有様だ。
日本の現状から見れば、ドイツの戦後処理はまったく対照的だ。反対称なのである。国家として責任を果たそうとするばかりではなく、つい最近に至っても、大統領がギリシャ国民に対して「個人としても強く責任を感じる」と発言してドイツの戦争犯罪を謝罪している。政治家ばかりではない。政治家を批判する立場にある哲学者・思想家としてカール・ヤスパースは、こう述べている。
われわれはドイツ人としての罪の問題を明らかにしなければならない。これはわれわれ自身の問題である。外部から来る非難をどれほど聞かされ、この非難を問題として、かつはまた自分を映す鏡としてどれほど活用するとしても、このような外部からの非難とは無関係に、ドイツ人としての問題を明らかにするのである。
近隣諸国からの非難に青筋建てて反論している日本の政治家のあれやこれ、評論家のあれやこれの顔を思い浮かべては、彼我の差、深いギャップに愕然とする(私だけではないだろうが)。自らの責任を深く考えようとする人間たちに「自虐史観」だとか「反日左翼」のような「レッテル貼り」だけで批判したつもりになっている。「われわれの罪の問題」にまったく無自覚な、典型的な前近代的な日本人像ではある。
国家であろうが企業であろうが、組織の犯罪はそこに組みする人間によって遂行される。その個人個人が自己責任を自覚し、形あるやり方で責任を負うことの積み重ねで、近代民主主義社会の正義や倫理が確立されていくのである。個人責任に盲目であったり、意識的に回避したりすることを見逃してしまう社会では、企業の正義や社会的責任はもとより、国家の正義・倫理が育ち、確立されるはずがない。
日本は、国家の一部を滅亡の危機にさらした東京電力ですらその責任が問われない社会なのである。日本には「近代」が成立していない。「未完の近代」のままである。私にはそうとしか思えないし、ずっとそう思っている。どう考えたって「後進国」なのだ。たぶん日本人にはそういう(無自覚の)自覚があるからこそ、最近、マスコミでは「日本はスゴイ」論的なことがらが多く発信されている。ほんとうにスゴイ人間は、自分はスゴイなどとチンピラやくざのようにはスゴまないものなのに、まるで虚勢を張ってキャンキャン吠えまくる臆病犬のようだ。
[1] カール・ヤスパース(橋本文夫訳)『戦争の罪を問う』(平凡社、1998年) p. 75。
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