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佐原さんComments
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心が不調である。4、5日前からはっきりした徴候は続いていたのだが、いつものように無視していれば何とかなるだろうという予想ははずれてしまった。早朝の犬の散歩から帰り、鉢植えの水やりも終えても、気分は回復しない。
テレビをつけてみる。どのチャンネルにしても音が煩いだけである。妻が起きてきて、犬を相手におしゃべりを始める。それも我慢できないほど煩く感じて、きつい声を出してしまった。
心理的状況を変えたくて、冷蔵庫から冷えた白ワインを取り出した。朝まで酒を飲むというのは若いときには数え切れないほどの経験があるが、朝から酒を飲むというのは、70年近い人生でたぶん初めてである。朝から酒を飲むというのは少し大げさで、ワイングラス一杯だけの飲酒である。
少しだけエネルギーレベルが上がって、金デモの写真の整理に取りかかることができた。ブログに使う写真を選び、サイズと組み合わせを決めた。フェイスブックに投稿する写真も選び、サイズの変更をした。そこで力尽きた。また、ワインを一杯だけ飲んだ。
ここまでは、7月11日の朝、8時10分までのことである。
夕方の5時、このブログの文章書きになんとか取りかかった。昼飯の親子丼を作った時以外は、どこかに深く沈み込んでいたようで記憶がない。昼食時にもワインを一杯飲んだ。
いま、パソコンデスクの前に座っている私は、右手にマウス、左手にワイングラスである。このまま「前に進め!」である。たぶん、酔い始めているのだろうが、本人は飲めば飲むほど白々しい感じが膨れていると感じている。
さて、時間を24時間巻き戻して、7月10日の金曜デモのことである。

集会@勾当台公園野音。(2015/7/10 18:47、50)
梅雨入りしても仙台はずっと雨が降らないし、今日は朝から太陽が照りつけてまさに真夏である。私に残された唯一の公的な仕事で自宅と県庁を往復した後に、また県庁前の勾当台公園に向かう。一日の歩数稼ぎにはなるが、多少過剰気味である。
まだ、日が高くて暑さが残っているので、早めに家を出てゆっくりとした歩調である。現職のころ、沖縄への出張で、沖縄の人を見習ってそのペースで歩くとあまり汗をかかないということを知った。久しぶりにやってみたが、微妙に調子がのらない。
フリー・トーク。(2015/7/10 18:42~19:02)
フリー・トークは、主催者の川内原発の核燃料装填が今日の早朝に完了したという話から始まった。一機でも動き出せばすべて決したかのような経済界の発言があるが、とんでもない。川内原発だって再稼働そのものは始まっていないし、まだまだ多くの原発があり、再稼働反対の運動は続くのである。
東北電力本店前の抗議活動や仙台市への抗議や働きかけの活動報告、関西電力が仙台新港に建設を計画している石炭火力発電所への反対運動の取り組みの報告が続く。関西電力の石炭火力発電所が首都圏にその電力を売り、地元には大量の二酸化炭素や硫黄酸化物、窒素酸化物を押しつけるという構図は、東京電力の福島第1原発が電力は首都圏へ福島には大量の放射能を、という構図とまったく同じである。
7月17日の金曜日には当然ながら金デモがある。しかし、その日には「安保法案ゼッタイ廃案! 衆議院採決を許さない! 7.17緊急県民集会」(元鍛冶丁公園18:00集会。18:30デモ出発)が同時に開催される。主催者のみやぎ憲法九条の会の人が国会の動きに絡んでの日程決定のいきさつや開催意義などの説明をされた。
金デモは錦町公園、県民集会は元鍛冶丁公園と集会場所は離れているが、開始時間が30分異なるので、その差に賭けて両方に参加したいと思っているが、どうなることやら。

勾当台公園を出て行く。(2015/7/10 19:08)
集会中に少しずつ気温が下がってきた。仙台のいいところは、日中がどれほど暑くても朝晩が涼しいことである。
快適な夏の夕方、デモは街に繰り出す。このような夕べの味わい方があることを誰彼となく教えたくなる。「デモと夕暮れ」、あるいは「黄昏どきのデモ人」って人文的にも絵画的にも素敵だとは思いませんか?
先週とはすこしばかり違って、全天ほとんど雲がないので夕焼けがそれほど目立たない。空色から藍色へと少しずつ変化するばかりである。
勾当台通りを渡る。(2015/7/10 19:12)
定禅寺通りから一番町へ。(2015/7/10 19:18)

一番町へ入ったデモの先頭と最後尾。 (2015/7/10 19:19、20)
今日のデモは60人。先週よりもさらに増えた。先頭は、電動車椅子の人である。けっこうスピードが出るので、あっさりと後続と離れてしまうが、少しずつデモのスピードに合ってくる。
ふだんあまり考えないで歩いているが、デモの進むスピードはデモ独特のスピードである。デモは、「立ち止まってはいけない」という規制に引っかからない程度にぎりぎり遅く歩く方が望ましい。その辺は、急がせたいお巡りさんとゆっくり進みたいデモ人との呼吸で決まりそうなのだが、できる限りゆっくりと進み、街を行く人々にアピールするのがいいのだ。
今日のコーラー。 (2015/7/10 19:21、22)
夕闇は濃くなっていく。 (2015/7/10 19:22)

それぞれのアピール。 (2015/7/10 19:23~31)
中央通り入口前、通過。 (2015/7/10 19:29~31)
デモはいつものように賑やかで元気だ。しかし、正直に言えば、集会中もデモのときも、あまり人と話す気分ではないのだった。もともと社交的ではないのだが、こういう精神状態の時はことさら話すのが辛い。
長い人生でこんなことを何度も繰り返せば、何事もないように挨拶する術は身につけたが、まったく楽しくはないのだ。目の前のことどもから逃げ出さずに対処することができれば問題ないはずなので、さしあたって逃げ出さないで耐え抜くというのが経験的な知恵である。その程度で何とかなってきたので、病気までは進んでいなくて気質の問題なのだと自分では思っている。
そんな気分の時によりによって辺見庸さんの文章を読んだりするのである。エマニュエル・レヴィナスとかプリモ・レーヴィ、そして辺見庸などなど、その文章を読むと自分の精神がいかにフワフワと軽いものだということを思い知らされる思想家がいるのだ。
底知れないほど低級な、ドブからわいたような、およそ深みなどまったくない力に、げんざいがやすやすと支配されていること。
私たちが置かれている政治的情況をみごとに切り取って見せた一節である。辺見さんの文章は、いつでも現実をひたすら見据えたすえの深い絶望を経たうえで、いっそう勁い精神で言葉を紡ぐのである。
誤解のないように書いておくが、私の心の不調はけっして現在の政治的情況のせいではない。単なる個人的な情緒の問題に過ぎない。「ドブからわいたような」政治家のために私の心が左右されるなどあり得るはずがない。ちっぽけなプライドとはいえ、そんなことを自分に許すことはけっしてない(はずだ)。
青葉通りへの信号待ち。 (2015/7/10 19:32)



ゴールまで15メートル。 (2015/7/10 19:41~42)
お疲れさまでした。 (2015/7/10 19:42)
デモの中で声を張り上げる。デモの列を追い越してカメラを構えて待ち受ける。そんなことの繰り返しで私のデモの時間は進んで行く。
デモは私の健康法だとずっと言いつのってきたが、身体ばかりではない。心にとっても健康方法の一つになりそうな気がする。もう一つ、政治状況への怒りが回復のエネルギーになりそうな気配が出てきた。
[1] 辺見庸「1★9★3★7 『時間』はなぜ消されたのか ㉑」『週間 金曜日 1045号』(株式会社金曜日、2015年6月26日)p. 34。
「3月17日 脱原発みやぎ金曜デモ」 学術… 2023.03.18 コメント(5)
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