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佐原さん
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7月1日に自宅前を流れる広瀬川の鮎釣りが解禁になった。勤めていたころは、解禁日は休暇を取って釣りをしていたが、今年はまだ竿を出していない。偶然、小さな用事がいくつか重なったためだ。
かつて鮎釣りに夢中になって、トーナメントにも出ていた。たまたま東北大会で優勝したことがあって、岐阜の長良川の全国大会に出た。それがきっかけになって、シードやら招待でのトーナメント参加、釣り具メーカーのインストラクターとしての釣りなどもあって、土日と年休はすべて鮎釣りという時期もあった。助教授、教授と仕事の役割が変わって、それもいつの間にか終息したのだが、定年退職こそかつての鮎釣りの復活と思い込んでいた。しかし、二度とあの時代の情熱は戻らないのだった。
3日前、今年の竿おろしの予定だった。前日に釣り仕掛けの準備も終え、当日の義母の介護の段取りも妻と相談していた。ところが、目が覚めると吐き気におそわれた。それから二日間、吐き気と下痢でひっくり返っていた。
今日の朝、何とか釣りができそうな体調だったので川に入ったのだが、3日前から川に沈めていたおとり鮎が2尾とも死んでいた。すっかり気落ちして、今日の釣りを諦めた。まもなく7月も終わろうというのに、私の季節の巡りは限りなく不調なのである。



元鍛冶丁公園から一番町へ。(2017/7/21 19:01~19:04)
大遅刻だった。元鍛冶丁公園に着くと、すぐにも出発するようにデモの列が並んでいた。急いでカメラの準備をしていると、近づいて声をかける人がいた。顔を上げると、初めて会う人だが良く見知った顔があった。
フェイスブック上の知人の金浦さんという方で、東京のデモの写真をたくさん投稿している人だ。仙台と違って、日本の統治機関が集中する東京ではじつに多種多様なイシューで政治意思を表明するデモがある。そのほとんどを取っているのではないかと思えるほどの多さで投稿される写真付き記事を、私はいつも注目して見ていたのである。日本の権力機構の象徴のような東京の空間に、さまざまな人々がいわば自分たちのヘテロトピアを構築しようとする運動の報告のように思えるのである。
私の写真記事は、たまにはほかの政治イシューのデモのこともあるがたいていは金デモのことばかりである。お互いに「写真記事を見ています」と挨拶したのだが、デモの列が動き出したのでほとんど会話ができなかった。デモのスタッフからスピーチもしていただいたと聞いたが、どんなお話をされたのか、残念ながら知る由もない。




一番町(広瀬通りまで)。(2017/7/21 19:05~19:10)
35人のデモが一番町に出て広瀬通り交差点にさしかかると、はす向かいで仙台市長選の候補者の選挙カーが停まっていて、選挙演説の真っ最中だった。デモは選挙演説を邪魔しないようにサイレントデモと化した。
交差点で信号待ちをし、交差点を渡り、選挙カーから少し離れるまで聞こえていた選挙演説は、候補者が完全無所属を強調するばかりで、つい「だからどうした」と合いの手を入れたくなるのだった(もちろん無言で通り過ぎたが)。
仙台市長選挙の結果がどうなるのかは、当然のことながら政治的問題として大いに気になるのだが、今朝がた、もう一つ選挙結果を気にしなければならないようなことがあった。敬老の日に113歳になる義母を市長が訪問したいがどうか、という問い合わせがあったのである。
昨年、仙台市最高齢から宮城県の最高齢になったのだが、3年ほど前から敬老の日のお祝いの訪問を遠慮させてもらっていた。今年は県知事ともどもぜひということだった。義母の様子を見ながら検討させていただくということになっているが、市長さんが誰になるかは、こんなことでも大いに気になるのである。やはり、私が投票する人に来てもらう方が嬉しいに決まっている。ちなみに、義母は社会党一辺倒だった。



一番町(広瀬通り~青葉通り)。(2017/7/21 19:12~19:16)
吐き気と下痢に悩まされながら寝込んでいた二日のあいだ、とても退屈なのだが、本を読む気力はない。今読んでいるのは『デリダ、ルーマンの正義論――正義は〈不〉可能か』 [1]
というタイトルの本で、私はルーマンが苦手なのだが、デリダという名前に惹かれて買ったのだ。
しかし、ほとんどルーマン派の学者の論文で、わたしにはあまり面白くないのである。我慢して読んでいれば、何かが見えてくるかもしれないとわが身に言い聞かせて読んでいたということもあって、けだるい気分ではまったく読む気が起きない。
それでユーチューブで探した歌をポツポツと聞いて時間を過ごした。その中に加藤登紀子さんが歌う「美しき5月のパリ」もあった。1968年の5月革命のことを歌ったと言われている。1968年、パリばかりではなく東京でも私が住んでいた仙台でも学生たちの闘いはあった。
1968年5月、私は22歳と5か月、大学院の学生だった。いま思い返せば、私は闘ってなどいなくて、ただ立ちすくんでいただけだった。若いときのことはあまり思い出したくはないのだが、そんなふうにしか思い出せないのである。
一枚の印象的な写真がある。1968年5月6日のパリ、一人の若者が投げた石礫がはっきりを写っている。この写真の主役はあの石礫である。発煙弾で煙る街路の向こうに壁のように並んでいるのは機動隊という権力システムである。
ジル・キャロン
《サン=ジャック通りで舗石を投げる人、1968年5月6日》
1968年、ヴィンテージ・ゼラチン・シルバー・プリント、
30×20cm [2]。
かつてこの写真を見ながら、「私は石を投げる人間になりたかったのか、投げる人を撮る人間になりたかったのか」と自問したことがある。結局、私はそのはざまで立ちすくんでいただけだった、というのがその時の答えだった。
加藤登紀子さんが訳した「美しき5月のパリ」は次のような詩句で終わっている。
ほこりをかぶった 古い銃を取り
パリの街は今 再び生まれる
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris
歌え 自由の歌を 届け 空の彼方に
この五月のパリに 人は生きていく
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris
ユーチューブにはフランス語で歌っているものもあって、それを聞いていると最後が違っているように聞こえる。私はフランス語はまったくわからないので、ネットで朝倉ノニーさんという人の翻訳を見つけた。「 ああ!パリの美しき5月
」という歌は、Jean-Frédéric Brossard(別名Evgen Kirjuhel)という人の作詞、作曲で、歌詞の最後の部分は次のように訳されていた。
まもなく日が昇ろうとしている
仕事場は地雷の原にある。
蘇った反乱が
くたばった古い世界を葬る。
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris
おのおのが完全に自分をそこに委ね
自分の運命と
人類の運命に責任を持ち得る
社会を僕たちは築きあげるだろう。
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
「ああ! パリの美しき5月」の最後は、「ああ!来たるべきパリの5月」で終わっているのだ。パリの5月革命は成就されなかった。日本の学生叛乱も成功しなかった。思想や文化状況に大きな変化をもたらしたが、政治的に得たものは少ない。
しかし、「過ぎ去ったパリの5月」があったけれども、「来たるべきパリの5月」もあるのだ。1968年5月に「石を投げた人」、「石を投げる人を撮った人」、「そこで立ちすくんでいた人」それぞれは、その時心に抱いていたヘテロトピアを「来たるべき5月」のために育ててきただろうか。私の残りの人生で、それぞれのヘテロトピアが見えてくるといいな、そんなことを寝床のなかで考えていた。病んだ体で、すこしばかり感傷的になりながら……。




青葉通り。(2017/7/21 19:17~19:26)
[1] グンター・トイプナー編著(土方透監訳)『デリダ、ルーマン後の正義論――正義は〈不〉可能か』(新泉社、2014年)。
[2] 『ポンピドゥー・センター傑作展――ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで――』(朝日新聞社、2016年)p. 163。
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