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先の日曜日、沼津からわざわざ息子の見舞いに来てくれた友人夫妻を、「フーテンの寅さん」の舞台・葛飾柴又へ案内しました。河川敷に作られた駐車場からは、細川たかしの歌で一躍全国区になった、矢切の渡しが見えます。船頭さんが渡し舟の艪を操るのが見えます。前々日の26日が初庚申だったので、今日はそんなに込んでないのではないかと思ったのですが、けっこうな人出でした。帝釈天、映画では笠智衆演じる「御前様」の寺。本当は題経寺という日蓮宗の寺院ですが、帝釈天のほうが有名です。映画でもおなじみの山門と鐘楼の写真です。境内で、おみくじロボットを発見。200円を投入し、点滅するボタンを押すとかわいい獅子舞ロボが、おみくじを銜えてきます。ユーモラスな動きに思わずシャッターを押しました。寺から帝釈天参道へ。狭い参道は人の波です。柴又名物の草団子を売る店が軒を連ね、民芸調の小間物を扱う店も目白押し。なつかしい駄菓子屋さんもありました。露天では「のしイカ」作りの実演も。草団子は、映画のモデルになった「高木屋老舗」が人気。ミーハーな私は、この店で草団子を買い求めました。混雑を抜けて京成柴又駅へ。駅前にはトランクを持った渥美清そっくりの寅さん像が建っています。寅さんを偲ぶ地元の人やファンが募金して作ったとのこと。カメラを構える人が絶えません。庶民的で懐かしさを感じさせる柴又。いい町です。
2007年01月31日
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松江市で27日あった自民党県議の後援会集会で、柳沢厚生労働大臣は、少子化問題にふれた際、「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れつつ、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」などと発言しました。野党の辞任要求に、塩崎官房長官は「発言は間違いなく不適切だったが、直ちに訂正している。結果をちゃんと政策で出していくということが大事だ」と述べ、辞任の必要はないとの見解を発表。柳沢大臣も「これからの仕事を通じて、そんなことを思って政治をしているのではないことを理解していただきたい」と辞任を否定しました。すぐに訂正したとは言っても、普段からそんな風に思っているから本音がポロリと出てしまうのです。人間は、考えてもいないことを話すことはできません。女性の社会参加が進み、最近では女性の力をもっと生かそうと「ポジティブ・アクション」が重視されています。私の会社でも、私が東京都の「ポジティブ・アクション講習」参加し、女性の戦力活用や賃金・昇進差別撤廃に、ささやかな努力をしています。雇用機会均等というレベルよりさらに1歩進んだ「ポジティブ・アクション」。男の仕事場と言われている業界、職種に女性たちがどんどん進出できるよう、会社も社会も取り組みを強めている昨今、このような政治家がいるなんて、しかもそんな人が厚生労働大臣だなんて、信じられません。さっさと辞任しなさいと言いたい! また、そんな大臣をかばっている安倍内閣の水準も「お粗末!」。少しは恥を知ってほしいものです。女性たちは、もっと自分たちの社会的存在と、権利を主張しなくてはなりません。
2007年01月29日
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息子は来週からリハビリーのため転院します。若いというのは素晴らしいものでぐんぐん回復しているようです。その息子とその彼女につきあって、昨年12月鎌先温泉のついでに白石スキー場へ行きました。12月中旬オープンの予告は出ていたのですが、雪不足でクローズが続いていたのに行く直前になって一気に雪が降り、ギリギリ間に合いました。よほど普段の行いがいいのでしょう(私の!)。このスキー場は、もともと民間会社が運営していましたが97年に経営破たん。市に譲渡しようとしたが、市は当初その意思がなく、宙に浮いていましたが、市民やPTA、子供育成会、旅館組合など幅広い地元組織から存続の要望が強く出されました。市は様々な形態での経営を協議した結果、市が施設を所有し、スキー場の運営をNPOに委託する方式での存続を決定、99年にスキー場を管理運営するNPO法人不忘アザレアを設立しました。さまざまな経費削減や、スキー大会誘致、オフシーズンの自然観察会などイベント企画での集客を進めています。東北自動車道・白石ICから約15キロ、30分くらい。広い駐車場は無料。レストハウスもきれいで、ゲレンデはファミリーも安心して滑れる初級コースが沢山。しかもリフト料金が1日券3300円と格安。来場者数を想定して、収支を母ちゃんと試算するほど空いていました。マイナーな市民スキーだからでしょうか。思わず頑張れと言いたくなります!息子と彼女はボード、私と母ちゃんは短いファンスキー。ボードをはじめて間もない彼女は息子の手ほどきを受けながら滑っていましたが、運動神経が良いらしく、滑降のたびに上手になっていきます。すごい! 写真上は息子、下が彼女。 疲れ気味の私と寒がりの母ちゃんは、雪が振ってきたので途中からレストハウスへ。300席の内部は寛ぎやすく、通路も広くて快適。驚いたのはゲレ食(ゲレンデの食堂)にしては、どのメニューも格安です。かなりお勧めの穴場スキー場です。
2007年01月25日
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東京12チャンネルで放映された「各地の自給自足生活者」を見ていて、なぜか違和感を持ちました。具体的に何が変だということではなくて、自分にはできそうもない生活だから、そのように感じたのかもしれません。紹介された方の生き方として「いいなあ」と感じたところも多々ありました。でも「これでいいのかなあ」と思ってしまう箇所も。地元に根付き、地元の方たちとの交流が生まれ、互いに影響を与え合う、という側面がないと、単に世捨て人でしかありません。ご当人にとっては、それはそれでいいのかもしれませんが…。私が釣りの拠点にしている、栃木県中三依に05年移住された家族も紹介されていました。家族がひとかたまりで生きていく。赤ちゃんの出産もご主人が自分でやる。自宅のログハウスも自分だけでやる…。ご近所との交流は全く描かれていませんでした。なにか寂しい気がしました。実際のところはもっと地元との融合があるのかもしれませんが、あの温かい中三依の人たちが番組に全く登場していないのです。V編集上の問題なのか、それとも…交流はないのか…。他人が気をもむことはないのでしょうが、自給自足生活…どうなんでしょうか?スローライフ、ロハス、自然回帰、自給自足…いろんな言葉がありますが、いずれにせよ世の中とのかかわりの中で、成立するものなのでしょう、きっと。
2007年01月22日
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バイク事故で骨折した右ひじ関節の手術が終わりました。全身麻酔で、2時間ほどの手術。術後、執刀医からレントゲン写真を見ながら、術式の説明をうけ、今後の治療計画を聞かされました。きれいに骨がつながっています。1年後金属を抜き取る手術を受けますがひじはまず安心です。左ひざは固定して自然治癒を待つわけですが、当分痛みが続いて歩行困難は続きそう。術後、麻酔が切れて、痛い痛いの連呼。筋肉注射と座薬投与で痛みが引いたようで、スヤスヤと寝入ってしまいました。
2007年01月18日
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6434人の方が命を落とした阪神・淡路大震災は1995年(平成7年)1月17日(火)の午前5時46分52秒、淡路島北部を震源とする大都市直下型地震です。あの日あの時間、私はラジオを聴きながら関越道を走っていました。そして第一報が流れました「神戸・京都地方で、かなり大きな地震があった模様です」。相次いで詳報が伝えられますが、被害状況はほとんど分かりません。急いで大阪・吹田の弟の家に電話。相当激しかったが大丈夫とのこと。神戸の友人宅に電話を入れましたが、電話は全くつながりません。大急ぎで会社に行き、テレビをつけました。そこで見たものは戦場のような惨状でした。2週間ほどたって神戸に行きましたが、倒壊した高速道路、家屋、傾いたビル、町全体が焦土と化した地区…唖然とするしかありませんでした。あれから12年、井戸敏三・兵庫県知事は今年の新年祝賀会で「昨年の兵庫国体を一区切りに、震災からの復旧と復興を成し遂げた」とあいさつ。県や神戸市は昨年から今年にかけ、住宅再建支援など被災者支援策の打ち切り方針を、次々と打ち出しました。 本当にそう断言できるのでしょうか。テレビでも報じ、新聞でも指摘されていますが、再建から取り残された人も少なくありません。いまだに復興住宅には約9000世帯、1万5千人が住んでいて、半数以上が65歳以上の高齢世帯、うち独り暮らしの人は40%もいます。 また、被災者が国や県などから借りている「災害援護資金」は、昨年9月末で約1万7000人が返済できず、滞納金額は275億円にもなっているそうです。被災後のマンションの復旧・建て替えは、建物を共有する住民の合意が難しく、被災マンションがいまだに再建途上で残されています。被災者の方を最後の1人まで見捨てないで救済して欲しいと思います。(写真は朝日新聞)
2007年01月17日
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農夫が湯気が立ち上がるのを見つけ、持っていた鎌の先で突いてみると、突然湯が吹き出した、というのが鎌先温泉の名の由来です。鎌先温泉 湯主一條旅館は、鎌先温泉でもっとも古く、その名のとおり600年以上湯主を務めてきた格式ある宿です。昨年12月、徹夜続きの体を休めに行ってきました。またも、息子と彼女同行です。東北自動車道・宮城白石ICから30分ほど走ったところにある鎌先温泉。その一番奥にある風格のある旅館です。急坂を登りきると左側に本館。大正末期から昭和の初めに造られた一部4階建ての木造建築で、釘を一切使っていないそうです。右に別館。客室や温泉はすべてこちらの建物。到着していきなり部屋ではなく、茶寮「都路里」に案内されます。茶菓子と深みのある煎茶をいただき、ちょっと一息。この間に宿泊カード記入など手続き。女性はお好みの浴衣と帯を選びます。男子用はサイズが違うだけ。それにプラスして着替え用の浴衣を1枚ずつ渡されます。心憎いサービスです。部屋に案内され、早速大浴場&露天風呂へ。きれいで明るい浴室。この日雪はあまりなく雪見露天とはなりませんでしたが、お湯は長湯には適温。大浴場はちょっと熱めでいい気持ちでした。但し母ちゃんは熱い湯に入れないため露天風呂オンリーだったそうです。夕食は、本館で。畳の部屋にテーブルを置いたレトロ感いっぱいのお部屋。料理長の意気込みが伝わる、見た目も味も贅沢な会席です。汲み上げ湯葉に始まって、和風と洋風のオリジナル料理が次々と。私たちはタラバガニステーキのコースに、追加オーダーで仙台牛陶板焼きを頼みました。どれもおいしいのですが、湯葉を取ったあとの豆乳を使った、宮城ポークの豆乳しゃぶしゃぶ(地物野菜添え)は特にすばらしい。写真は献立の前半。最後に粕汁と宮城ひとめぼれのご飯が出ました。ご飯だけでもパクパク食べられるほどおいしく。ガッチリとお替りしてしまいました。大満足の夕食で、明日の朝ごはんにも期待が…。食後は木造の本館内を見学。なぜか50年近く前に泊まった吉野山の旅館を思い出しました。本館は食事処だけでなく、湯治のお客様も宿泊しているとのこと。部屋は6畳、暖房はエアコンではなく、オイルヒーターと火鉢だそうです。夜は、600年前から湧き続けている「鎌先の湯」へ。茶色の湯花が出る濁ったお湯と湯揉みしたような、やわらかい肌ざわり。怪我・火傷・腰痛・慢性皮膚炎などによく効く、自家自噴泉かけ流しの薬湯です。お風呂はこのあと夜中と朝にも入りました。心なしか肌がつるつるになった気がします。朝食も豪華。こんなに食えるのかというほどのおかずが並んでいます。昨夜のお替りのせいか、お櫃のご飯はテンコ盛り。とにかくご飯がおいしくて、お櫃を空にしてしまいました。もちろんおかずは全て頂きました。ちなみに私は、山盛りご飯を5杯も食べてしまいました。チェックアウトは11時。食事のあとのんびりできて助かります。これだけのもてなしを受けて、料金は格安。息子が精算書を見て「わ~!良心的!!」と感動していました。お湯といい、料理といい、従業員の皆さんの接客態度といい、申し分ないお宿でした。今度は子供抜きで、母ちゃんと2人で行きたいと思います。
2007年01月14日
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1月11日は鏡開きの日。当社でも恒例になっています。昔の鏡餅は、11日にもなるとひび割れてカチンカチンで、金づちで叩き割り、手で細かくしていました。もともとが武家の風習だそうで、切るは切腹に通じるということで木槌などで割っていたのだそうです。実際のところ包丁なんかで割れる状態ではありませんでしたが・・・。いまどきの鏡餅は、パックに充填されたものでパックを取り外しても中身はカチンカチンになっていません。手ではちぎれませんが金づちを使って割るには弾力がありすぎ。結局包丁で切ることに。この日、会社中の鏡餅が集められ、若い社員が延々と餅切り。手が痛いので軍手をはめて行います。切った餅はコンロで次つぎと焼いていきます。同時にお汁粉の準備。あんこは、四谷にある鯛焼きの有名店「わかば」の物を使います。大きな寸胴なべに入れて、水で溶きながら温め、適宜砂糖と塩で味を調えます。出来上がったお汁粉は、午後3時ごろ全社員に配るのですが、中には「今食べると酒がまずくなる」ということで食べない人もいます。24時間操業の会社なので、夜番用も準備しなくてはいけません。けっこうな作業量で、実働部隊の若い社員たちは、食べる前に匂いでお腹いっぱいになるようです。大の甘党である私は、このときとばかり大食い。今年も3杯、餅は6個ペロリ。ついでに「わかば」の鯛焼きも頂きました。そのうち糖尿病でしょうか?
2007年01月12日
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今朝8時ごろ、SUZUKIのスカイウェーブに乗って息子が走行中、事故に遭いました。教習場や交通安全講習で常に注意されている典型的な「右直事故」です。直進していた息子のバイクとの距離感を見誤った、もしくは他に注意が行ってバイクを見落とした軽4輪トラックが、いきなり右折行動。息子は急ブレーキをかけましたが停止できず、衝突したものです。4輪は助手席側ドアを大破。息子は衝突の衝撃で2メートルほども撥ね飛ばされ路面にたたきつけられました。右腕のひじ関節を骨折し、左ひざの大裂傷。全身打撲状態です。左すねの骨が細かいひびが入っている疑いが強く、今後精密検査します。右ひじは折れた骨同士が離れすぎているため炎症が引き次第手術し、金属で固定します。写真のように、バイクの前部は原型をとどめないほど潰れています。衝撃の激しさが分かります。講習会でも、バイクは4輪に比べ小さいために実際の距離より遠く感じるので、右折の際は絶対注意するよう指導されています。また、車体が死角に入りやすくちょっとした不注意で重大事故につながるとも強調されています。今回息子のバイクのタイヤ痕は8メートル。教習場で習う、危険認識から実際にブレーキ操作するまで1秒、この間もバイクは前に進みます。これを空走距離といいます。ブレーキが利いて停止するまでを制動距離、この2つを合わせて停止距離といいます。息子の場合、時速50km程度のスピードと仮定して計算すると、息子が危険を感知ししたのは、空走距離14メートルにブレーキ痕8メートルをプラスして22メートル手前ということになります。衝突の1.5秒ほど前です。この瞬間ともいえる時間内で、不安定な2輪車が目前に迫った4輪をかわそうとすれば、対向車線に飛び出すか、転倒させるかしかないでしょう。つまり、4輪が急に右折行動を起こしたら回避できない可能性が高いのです。きちんと訓練を受けたバイク免許所持者でも、このようなケースでは30メートル以上手前(2.5秒くらい前)でないと、停止できないとされています。4輪を運転する皆さん! バイクにはくれぐれも注意しましょう。また、バイク(原付も)運転の皆さん、4輪からは実際より遠くにいると錯覚されやすい、実際より遅く感じられやすい、死角に入りやすいことをよく認識して、「右直事故」を回避しましょう。たまたま、大学が休講だった(息子の)彼女が1日中息子の運び込まれた病院で待機し、付き添ってくれたのが、とても健気で、親としては大変嬉しく感じました。
2007年01月10日
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長野の友人宅で用意してくれたおせち料理は、ちょっと豪華。愛知県蒲郡の「千賀」の板前が腕を振るったもの。一の重から三の重まで全46品。見た目も味もなかなかのもので、おいしくいただきました。この料亭のこのおせち、テレビの「芸能人格付け」という番組にも登場していました。足りない品は奥さんが手作り。数の子と青豆の和え物(長野特有?)、紅白の酢蓮根……凍み豆腐入りのお雑煮もご当地風。昔、私の実家では29日ごろから正月準備が本格化。28日に餅米を洗い、29日は朝から餅つき。その日の午後からおせち料理の下準備を始め、30日、31日はてんてこ舞いで調理します。なぜか私は、子供のころからおせち料理の助手。ずっと働いていました。母親の話では「これからの男は料理くらいできて当たり前だ」とのこと。黒豆をしわにならないよう見張る。ごまめ(田作り)を炒り、砂糖しょうゆを絡める。身欠きニシンの昆布巻き作業、膨大な量の野菜の下ごしらえ…そして最後は1人1枚ずつの鯛の塩焼き、七輪で1匹ずつ、きれいに形をつけて焼くのがすごく難しく、胸ビレ、尾ビレなど焦がさないのも大変。寒風のなか付きっ切りでした。父親が大酒飲みで、甘いおせちはダメということで、黒豆なんかも変わった味付け。生姜のみじん切りとこんにゃくのみじん切りが入って、しょうゆとみりんがベース。全く甘くないのです。それがおいしくて、私の大好物。沢山の品数をたっぷり作っていたと記憶しています。とんでもない貧乏暮らしでしたが、おせち料理と餅には全力投球でした。母としては「1年の計は元旦にあり」ということで貧乏脱出の祈りを込めていたのでしょうか。今でも、当時の献立はたいてい作れると思いますが、実際は生協などに発注して済ませます。もう何年も正月は長野なので自前でおせちは準備しませんが…。
2007年01月10日
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今日7日は、七草がゆを作って食べる風習があります。平安時代から続く年中行事の一つで七日節句とも言われています。前日の6日、野に出て若菜(七草)を摘む光景が百人一首にあります。「君がため春の野に出て若菜(七草)摘む わが衣手にゆきはふりつつ」という和歌がそれ。正月七日に七草がゆを食べると無病息災で1年を過ごせるといいます。寒さを乗り越えて芽を出す草たちの元気にあやかるという意味ですね、きっと。最近では、栄養分析の結果それぞれの草が健康食品として有効で、餅を食べすぎ酒を飲みすぎた胃腸に良いといいます。昔の人の生活の知恵でしょうか。七草とは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種類。ちなみに、ナズナはぺんぺん草、ゴギョウは母子草、スズナは蕪、スズシロは大根のことです。わが家でも、毎年七草がゆを作ります。と言っても、若菜を摘む野原があるわけではないので、近くのスーパーで調達。今年はJAくにさき西部の北崎農園さんの物を使わせてもらいました。新鮮な七草がたっぷり入って398円。わが家は、七草がゆに餅を細かく切って入れ、仕上がり時に溶き卵を落とすやり方。今年もさっぱりとおいしく出来上がりました。日本の風習、節句を大切にするというのは何とはなしに気持ちのいいものです。
2007年01月07日
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元旦のブログ画像です。遅くなりました。上信越道横川SAで迎えた初日の出。無粋な鉄柱など立っていますが、それでも太陽の偉大さに知らず知らず合掌。佐久市内に向かう農道。振り返れば冠雪した浅間山が新年の陽光を受け輝いていました。堂々とした風格。何事にも揺るがない山容に畏敬の念を禁じえません。
2007年01月06日
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24時間フル稼働で年がら年じゅう慌しい当社の仕事始めは毎年曜日に関係なく1月4日21時、夜番から。今年も社長と私は夜番メンバーに年頭所感を発表するため出勤しました。そして本日朝9時からは営業、管理関係も含めた全社(昼番の)朝礼です。社長からは事業方針の概要説明。私はメンタル的な話。「今年は「照千一隅此則国宝」。中小企業ではあっても、破綻すると顧客先各社に重大な影響を与えてしまうノウハウを持って活動している当社は、まさに「一隅を照らす」存在である。当社で働く社員は、それぞれが自分の持ち場を堅持し、業務遂行に邁進して全社の安定的稼働を支えている。君たち自身もまた「一隅を照らす」者であって、会社の宝だ。君たち一人ひとりが会社を支え、顧客先各社を支えていることに自信と誇りを持ち、同時に責任を果たす決意を更に固めよう」といった趣旨のことを話しました。引用した言葉は、伝教大師・最澄の「山家学生式」の一節が原典で、かつては「照于一隅此則国宝」と読んで<一隅を照らす(人こそが)これ即ち国の宝なり>という意味だとされていました。30年ほど前に、薗田香融という古代仏教の学者さんが、原典は字から見て「照千一隅」だと発表。学会では論争になりました。先生によると、この言葉の出典は「史記」。戦国時代、魏王の「自分は宝として直径1寸の球を十個持っていて、この玉で24台の車の前後が照らせる」という自慢話を聞きた斉の威王が「私はそんな宝物は持っていないが優れた武将を持っている。彼らは国の一隅を守り(守一隅)敵を寄せつけず、国内の治安もバッチリだ。彼らは国全体(千里)の広い範囲を照らしている(照千里)。この人材こそが私の宝だ」と言ったという故事に基づくことを明らかにしたのです。「照千一隅」は「一隅を守るは千里を照らすなり」という意味で、すべての人がそれぞれの分野で全力を尽すこと(守一隅)が、国全体を照らすこと(照千里)になるという考えを示したものだというのが今の学界の定説だそうです。千であれ干であれ、最澄の言葉の重要性はいささかも揺るぎません。
2007年01月05日
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元旦の初日の出は、上信越道・横川SAで迎えました。氷点下4℃、身も引き締まる寒気の中、紅色から赤、そして金朱に染まる東天に朝日が姿を現します(写真は後日掲載)。神々しさに思わず手を合わせる人々。原初からの太陽崇拝が私たちの潜在意識のなかで息づいているのでしょうか。西の方を見ると、冠雪した上信の山々が朱色に輝いていました。本年もブログ更新頑張りますので応援お願いします。
2007年01月01日
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