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ブラブラ散歩で予想外に見かけて寄ることにした6月20日…… 正一位三宿稲荷大明神……三宿神社拝殿左に幟の行列…… 鳥居、鐘楼にお狐様……鳥居の扁額撮るの忘れた。傘やハンディータイプの消毒スプレー、挙句の果ては煙草とライターまで置き忘れてくる昨今。ボケが始まっているらしい。模型作りを再開して、手指を動かさないとダメかもね。 姿の良いお狐様……後方の高台は三宿の森緑地。多聞寺が存在したころは境内だったのかもしれない。 想像でしかないけど、多聞寺の境内社として存在した稲荷神社を継承しているんでしょう。根拠はなにもありません……為念。右に三宿神社本殿。 三宿神社本殿……かろうじて雨樋でつながっているけど、拝殿と本殿とは別建てでした。 コンパクトですが、横並びで2社合わせての姿が良いです。 稲荷神社の前から、女坂っていうのか? 主参道以外の石段がありました。 こんな感じ…… 神楽殿…… 鎮守の森って雰囲気充分でした。 思いがけず出会った三宿神社にさようなら…… 烏山川緑道を少し…… 何処の緑道も住宅に挟まっています。静かに歩きます…… したのやばし公園……烏山川に架かっていた橋で「下ノ谷橋」って書くみたい。川が流れているのだから、付近の地形は川に向かって緩やかに傾斜しています。谷って表現は当たっていますが、「上ノ谷橋」はあるのかしら? おもちゃ屋ではありません…… 注意書きも空しく、使って遊んでいるちびっ子はいませんでした。 さてさて、膝の具合は今一だけど、セコムのカメラセンサーにひっかかるからコピット高枝切りでもしようかな~
2020.07.21
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遠出はしたくなかったから、比較的近い太子堂あたりの玉川八十八ヶ所霊場のお寺を訪ねようと出かけた6月20日…… 三宿池尻の交差点まで北上して左折……もう少し先の三宿橋を左折しても良かったけどショートカット。ちょっと進めば「烏山川緑道」に出られるから……「烏山川緑道」……クネクネしながら西方向へ続いていますが、反対方向に行くと北沢川緑道と合流します。そこが目黒川の出発点[2019.5.25]に見てきましたっけ~ 暗渠になった緑道を行くと「ありゃりゃ???」……予期せぬ発見。予習のコースには未登録だった…… 三宿神社だって。社号碑の隣・毘沙門天とは御祭神碑なのかしら? 新しそうだけど玉垣を改修した折に建てたのかもしれません。氏子さんたちの心意気が伝わります。 鳥居をくぐって右に手水舎……水の隣に消火器? 後ろの石碑には「〇〇池」って彫られているけど、池があったのか? 池尻って地名があるから池があってもおかしくない。もう少し真面目に撮ってくればよかったと反省しきり。予想外に登場したものだからあわてていた私です。小さな神社ならいざ知らず、決めてきた場所を拝見する時間がなくなっちゃう…… 左に社務所……「大祓」のポスターはあったけど、社務所は無人みたいだった。そう言えば、茅の輪もなかったな~ 参道右は神輿庫でしょう。 燈籠があって二之鳥居……奥深い 立派な表忠碑……日露戦争の記録……「忠義を表す」って言われても戦争はダメです。命を賭した方々に合掌。 また燈籠……右に神楽殿…… 社殿は遠い……石段の上下に二対の狛犬 石段左に石碑……なんだか不明です。 また写真に虹が出ちゃいました。霊能写真みたいだと連れ合いが言うように、私もこんなの撮るつもりはないんだけど、アホスマホ…… カエルみたいな顔の狛犬…… やっぱり右は阿形で子連れ……第二次世界大戦の戦禍をくぐり抜けた物でしょう。 三宿神社……現社殿は昭和42年(1967年)の建築らしい。もともとは神社がなかった三宿の地、明治維新の一村一社制度によって創建したらしい。廃寺となった多聞寺の跡地で、創建当初の本殿は同寺の毘沙門天堂を転用したとのこと。多聞寺の本尊・毘沙門天は現在も引き継がれているそうだが、現在の御祭神は倉稲魂命のようです。毘沙門天は神社の御祭神には成り得ないから当然。「多聞」というと日本酒を思い出す私ですが、「正しい教えを多く聞いて、それを心にとどめる事」……愚かな私。ちなみに、同社北側に区立多聞小学校があります。関係があるかは不明ですが…… 社殿前の狛犬も比較的新しい。社殿左に赤い幟の境内社が見えます。 お賽銭を入れて、二礼二拍手一礼してパチリ……どうやら拝殿と本殿とは離れているみたい。 拝殿前から参道……長い長い…… と言うことで、今日はここまで。 セレコックスもらってこなくちゃね~
2020.07.20
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6月17日の散歩……あっちこっちよく行くな~ と我ながら感心…… 左から手水舎・神輿庫・貴船神社社殿…… 手水舎の右に絵馬掛け……なぜかハート形の絵馬もあった。 社殿右側から……赤い幟は三ツ木稲荷で、その後方に祖霊社。 品川貴船神社社殿……戦争で焼失し、現社殿は昭和42年(1967年)に再建された。『当社は元明天皇の御代和銅2年(709年)9月藤原伊勢人の勧請に依り創建せられ、当地方最古のお宮であります。』と書かれていた。 藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)は、鞍馬寺や東寺を創建した平安時代初期の貴族らしいが、何人かの方のブログを見たら、生誕は759年だと……境内の由緒書きと齟齬があるけど、なんでかしらね。誰か聞いてくれないかしら? 社殿扁額……御祭神は「高龗(たかおかみ)大神」「素戔嗚尊」「龗(おかみ)」ってのは、水や雨をつかさどる神霊・龍神だと。水に関係があるから「貴船」なんだろうな。 神輿庫……近代的で、いつでも誰でも拝見できるのはありがたい。 りっぱな神輿でした。転んだら屋根が折れる。 神輿庫から境内……左に社務所 こちらから来ないとダメでした。 二之鳥居…… そうそう、当地は荏原神社の旧鎮座地。荏原神社は目黒川沿いに歩いた折に、偶然立ち寄った。日記をひっくり返したら和銅2年(709年)の創建も、御祭神・高龗(たかおかみ)大神も一緒だった。と言うことは両社の出は同じということか…… 荏原神社を拝見した[目黒川2018.11.04]……何も考えずにあっちこっちを歩いているけど、繋がると楽しい。 参道……左は区立三木小学校。「三ツ木村」の地名が今も残っています。 社殿前に居ないと思ったら、やっぱりおいででした。子連れは阿形で、右に多く見られますが当社は反対みたい。 昭和7年(1932年)奉納 一之鳥居……古道・碑文谷道に面している。 立派な社号碑と鳥居……鳥居の扁額撮るの忘れた。後ろに何か? 大きな布袋さん……国際自動車の創始者が、建設した社屋に社運の礎として建立したもの。平成20年、社屋移転にともないここに遷座されたと。 平成20年は「kmホールディングス㈱」を設立し、タクシー全車両に電子マネー(Suica.PASMO.ICOCA)対応決済機を搭載した年だったようです。 布袋尊は中国後梁の禅僧で名は契批(けいひ)、号は長汀子(ちょうていし)…… 今日も間抜けな私。途中まで書いたのを間違えて全消去してしまい大きくタイムロス。だから縁起の書き起こしはやめた。 やっぱり南側のこの表参道から失礼しなきゃいけませんでした。一礼したからご容赦ください。 蛇足ながら、今日の東京都の新型コロナウイルス感染者数は過去最高の280人台になるようだ。増加する東京都を観光や仕事で訪れ、地元に帰って7月1日~14日に感染が判明した人は、東京圏3県を除いて43道府県のうち少なくても20道府県・41人だって。 東京都などでの感染者数をめぐり「市中感染が大幅に広がっている状況にはない」と、昨日の記者会見で表明した菅官房長官だが、どんな資料・根拠を渡されているのか? 死亡者こそ少なくなっているが拡散の危機。60代以上の感染も都内全域に散発しているようだから、私も一層用心しなければ……
2020.07.16
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戸越公園の北側を商店街を越えてぐるっと一回りした6月17日…… 古道・碑文谷道を東へ……左は西品川三丁目で、右は二丁目……新幹線の軌道は近い。 匂いがしたのでチョット曲がると玉垣…… 鳥居はないけど貴船神社の社号碑……どうやらまたしても裏口入社。クランクになっていた碑文谷道に沿って行けば表参道だった。 社号碑の側面に、天皇陛下御即位50年……当然のごとく昭和50年9月の寄贈 境内に踏み込んですぐ左…… 鳥居扁額に祖霊社…… 小さな社ではあるけど、ちゃんと石段が設けられている。手前左にあるのは文政11年(1828年)造立の道標。 正面に「西 めぐろ」ってある。写真でははっきりしないが『上部に梵字の種子で(サ)字が刻まれていることからみて、聖観音菩薩供養道標であることがわかる』そうだ。ちなみに左右には「左北品川 右南品川」となっている。西の目黒から歩いて来たら当然そうなるよね~ 「めぐろ」は平仮名なのに両サイドは漢字……読めたのかしら? もとは居木(いるき)橋村と品川宿の枝郷(えだごう)三ツ木(たぶん村)との境にあったと……居木橋ってのは以前目黒川沿いを歩いた時に通った[目黒川2018.11.02]が、現在の地名で言えば大崎、三ツ木は西品川になると勝手に推察する。でも、建てられた場所の現住所を記載してくれてもいいのにな~ お願いしますよ、品川区教委さん…… ちなみに品川宿は目黒川をはさんで、北品川宿と南品川宿とに分かれていたんだよね~ 祖霊社……『平城京遷都が行われたその前年の和銅2年(709年)、当貴船神社が創建して以来、貴船大神を崇め、神社を護持された祖先の御霊、並びに昭和41年に設立された貴船神社再建委員会の同委員、及び今日迄の総代・世話人の御霊を祀る。』……再建委員会は昭和41年に設立ということは、それまでは忘れ置かれていたのかもしれません。 立ち並ぶ幟は三ツ木稲荷神社となっているが、本社の右に鎮座する境内社のもの。 左に祖霊社があって…… 右には貴船神社社殿…… 満潮宮・三ツ木稲荷神社・大山袛社の合祀殿らしい…… 稲荷神社らしく朱色の鳥居…… 鳥居扁額……三木とあるが、三ツ木村の鎮守だったのでしょう。 お狐様もちゃんとおいででした。五重塔もあるし…… 石燈籠も新旧複数…… 戦後の再建でしょうが、重厚な造りになっています。 境内社の鳥居は南向きと東向きの2基……手水舎は使用可能でしたが私は遠慮させていただきました。 手水舎の正面に社務所…… と言うことで、社殿は明日です。 無事に歯医者に行って来られて良かった~ 電車も一週間前の同時刻より空いていました。雨だし、外出が少なかったのか? いやいや、やっぱり皆さん自粛傾向なのでしょう。 午前中の衆院予算委員会をちょっと見た。西村経再相は、「感染防止策の徹底を基本として」Go toトラベルは予定通り開始すると言うが、策を含めて具体的な根拠は示されない。 東京都は警戒レベルを引き上げ、最も深刻な「感染が拡大している」としたが、感染者を受け入れるホテルの部屋はほぼ埋まっていると。自宅待機者の数ははっきりしないが、そもそも感染症は入院して隔離が大原則だろう。個人のよんどころない事情ではなく、入れるホテルがないから隔離しないと思っている私。無症状だって罹患させるのだから、都民を守るためには早急にホテルを確保することを願う。 予算委員会に安倍首相の姿はなかったな~ 九州へは視察に行くけど国会には登場しない。担当大臣が答弁するからいいだろうと思っているのか? それなら視察も大臣が行けば済むこと……野党の質問に答えられないからか? 答えるつもりがないからか? 30万円の給付金は一律10万円になっちゃったり、イージス・アショアは撤廃になったし、これ以上 予定は変えられないとばかりにGo toトラベルは推し進められるんだろう。命あっての経済なんだけどな~
2020.07.15
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品川区豊町から戸越2丁目の寺社をブラブラした6月17日の続き…… 行慶寺の西側を南北に走る宮前商店街の道を北上……北上と言っても下り坂だけど。 宮前坂……行慶寺や戸越八幡神社へ向かう道だから宮前通りと呼ばれている。 振り返るとこんな感じで、大した坂じゃない。でも、歳をとってだんだん厳しくなってきた私……下りでよかった~ 戸越銀座商店街を越えて戸越1丁目に入ると変則交差点……これが困るんだな~ 変則交差点を右折して振り返るとこんな感じ。でもって、右手前を入ります。なんて道案内を書いても、行ってみようと思う人は誰も居ないでしょうが…… ここからじゃ分からないけど突当り手前の左…… あった……しかし、こんなとこによく行くよな~ と我ながら感心。 周防稲荷大明神……社号碑は昭和55年7月の奉納 手水鉢もしっかりと……使う使わないは別にして、あって欲しい。 最近建替えられたと思えるようにきれいな社…… 正一位……どこにでもあるんだけど、鎌倉時代に後鳥羽天皇が京都伏見稲荷を訪れた際、「分霊先でも正一位を名乗ることを許可」したことから広がったと。 なぜか正面に戸越八幡神社の印が押された絵馬が…… 詳細はまったく不明の周防稲荷大明神でしたが、地元氏子さんたちの崇敬を5基の鳥居が示しています。 この後、私は住宅街の道を東にクネクネ進みましたが、西には末広稲荷や法護稲荷など多くの小社が点在します。稲荷の分霊先は全国に約3万あると言われるから当然でしょう。これからも懲りずに小社も探してみましょう。《おまけ》モーニング帰りに…… ヒルガオでしょうが、花びらの縁がギザギザ……虫たちがかじるらしい。 クロッカスじゃないし、なんや? 頭上注意…… これはハイビスカスに違いない。 下を見たり上を見たりキョロキョロしながら探し物…… やっと見つけた10時01分……日々探していたんだけど、やっと会えた… ツユクサ(露草)……鮮やかな青が大好き。 万葉集の時代には「月草」と云われたと……『月草の うつろひやすく思へかも 我が思ふ人の 言(こと)も告げ来ぬ』 (大伴坂上家之大娘・万葉集 4-583) 露草のように変わりやすいのかしら? 私の思い人はなんにも言ってこない……ってところでしょうが、ツユクサで染めたものは色落ちしやすいんだって。思い人の心には、染料じゃなくて顔料でしっかり色を付けておかないとだめです。あまり付けすぎると嫌われるけどね。『沖縄の米軍 61人感染』だと…… 独立記念日前後に行われた大掛かりなパーティーには軍関係者のみならず日本人も参加していたと。軍関係者は基地外にも住んでいて、日常的に県民と接点があると言うから基地のロックダウンだけでは納まらないだろう。県民の命を守るためにも早急なPCR検査を含めた対応を願う。 日本政府は米国を入国拒否の対象国としているが、米兵は日米地位協定で対象外。中国武漢からの渡航制限は比較的早く対処したが、その後の欧州からの入国者から多数の感染が見つかった事実を忘れているのか。世界一の感染者数を誇る米国からの入国に際して、検疫や期間を置いた非接触体制は充分にとられていたのか。 Go toキャンペーンなんてやっても沖縄へは行かないかも。県民にしてみれば東京からも来てほしくないかも。いずれにしてもGo toコロナになりそうな政策は延期したほうがよさそうだ。
2020.07.12
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5月に、荏原七福神を含めて品川区の寺社を巡ったけど、同区にはまだまだ訪問先がたくさんあるので歩いてみた6月17日…… 戸越八幡神社参道途中の西の鳥居を出ると…… 近代的な庫裏・事務所…… 戸越八幡神社の旧別当寺……地続きだものね~ 八幡山成就院行慶寺……「成就院」? どこかで聞いた……「成就庵」? 行永法師が誉田別命の出現を見て庵をひらいたとされる、現在の一本杉元八幡神社あたりにあった成就庵が行慶寺の始まりだっと。その後、江戸に幕府が開かれて間もなくの寛永11年(1633年)、幕府より戸越の現在地に土地をもらった折に、寺号を八幡山成就院行慶寺と号したようだ。神仏分離が行われる以前は、同寺と八幡神社とは完全に一体だったということ。 門前の地蔵菩薩……右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠。お釈迦さまが亡くなってから56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまですべての人を教化する存在。 庚申塔……刀剣など武器を携えていますが、左手にぶら下がっているのは人間っぽい。三面六臂で忙しいだろう青面金剛。隣接して運営されていたルンビニ幼稚園(数年前に閉園)の園児たちはいたずらしなかったことでしょう。自然風化以外の傷みは見られません。久々にすごい青面金剛を見た。 お決まりのショット……一礼して入寺 正面が本堂で、こじんまりとしているけど整えられた境内。 中央やや右奥に十三重塔……よく目にします。たいがいは飾りのように見受けますが、そもそもは釈尊の遺骨・仏舎利や記念品を埋めたもの。 旅立ちの法然さま……浄土宗のお寺でした。母と別れ一人比叡山を目指して旅立つ勢至丸(法然上人の幼名)の平和を求めるお姿。時は久安3年(1147年)勢至丸15歳の春。寂しかったろうな~ 連れ合いも15の春から下宿通いだったらしい……こんなこと書くと怒られるな~ 本堂……本尊は木像阿弥陀如来坐像で区の指定有形文化財 高さ46㎝の寄木造りで、貞享(じょうきょう)元年(1684年)。脇侍の観音と勢至菩薩像は、太平洋戦争で残念ながら焼失。後に制作されたものが現在安置されていると。 植え込みの中にあるのは天狗の爪石と言うらしい。 本堂右側…… 萬霊供養(左)と慈母観音(右)……慈母観音は像高80㎝ほどで、昭和62年(1987年)建立。優しいお顔でした。 船形の石に半肉彫りにされた観音様……江戸時代の墓石でしょう。合掌…… 手水鉢……いい具合に苔むしてますが、正徳5年(1715年)に寄進。 本堂右側……奥が墓地でしょう。『天明3年(1783年)正月、剣客秋山小兵衛は駕篭で行慶寺へ向かった。行慶寺は、戸越村の鎮守・戸越八幡兼帯の寺で、杉並木の参道の西側にあった。本堂も庫裏も藁屋根で、深い木立に囲まれている。……』と、池波正太郎は戸越を時代小説「十番斬り(新潮文庫)」の舞台にしたと。今度読んでみようかしら? ありがたいことに灰皿……一服させていただきました。 でもって宮前商店街に出て、北へ……続きはまた今度……《おまけ》 今朝、モーニングに行って発見。テリー伊藤なのになんで唐揚げ? って思ったら、玉子焼き650円もありました。7月19日に来るみたいだけど、テリー伊藤を見てもしょうがないな~ 三密になりませんように願います。 前倒しで始めると言う「Go to キャンペーン」。観光需要を喚起する政府だが本当に大丈夫なのか? 観光地や宿泊施設は歓迎するかもしれないが、水害被災地には誰も行かれない。予算がいくらか知らないが、旅行客に還元するんじゃなく、施設に現金給付すればいい。もっとも雀の涙だから役には立たないか…… 今日の感染数は何人か? 警鐘を鳴らす専門家や医療関係者の声は都知事や大臣には聞こえないのか? もっとブツブツ言いたいけど、止めておく。
2020.07.11
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昨日の続き……6月17日の散歩 戸越八幡神社社殿前…… 夏のこの時期は昔から疫病が流行ることが多かったけど、悪疫退散祈願の今年の黄色い幟が象徴するのは新型コロナウイルス。正に時は「夏越の祓」、「年越しの祓」と合わせて「大祓」と称すそうだが、「茅の輪くぐり」も登場済。厄払いと無病息災を祈り、左・右・左と8の字に3周くぐり抜けるのが一般的らしい。それでも時節柄か行列や三密を防止するために2周を推奨する神社もあるようです。 ちなみに、地域や神社で異なるようですが、『水無月の夏越の祓する人は 千歳の命のぶといふなり』などと、くぐる時の神拝詞(となえことば)があるそうです。今日も勉強しました。 形代(かたしろ)……「茅の輪くぐり」ともう一つ、大祓に欠かせません。名前と年齢を書いて体をなで、息を吹きかけます。知らず知らずに付いた罪やけがれを移し、祓い清めていただきます。私は、毎回 寒川神社にお世話になっています。「私は」と言っても、手続きは全部連れ合いがやってくれるんですが…… ちなみに「大祓形代流し」という神事もあります。「夏越大祓式」の翌月7月だそうですが、芦ノ湖とか伊豆の海だとかに形代を流す行事。文字通り、罪やけがれを水に流し祓い清めるものでしょう。だから形代は薄い紙……水に溶けることでしょう。(形代は各神社によって異なります。写真の形代は太子堂八幡神社のもの。社殿脇に同社発行の広報誌「ちんじゅのもり」があったので頂戴してきたら、中に挟まっていました。不要にしてしまいお詫び申し上げます。捨てずにおきます……) 福分け猿……きれいだと思ったら昨年の奉納。右には「幸せうさぎ」の像があったけど、ソファでくつろいでいる方が近くにおられたので省略。 戸越八幡神社社殿……威風堂々『当神は人皇百四代後柏原天皇の大永六戌丙年(1526年)8月15日。村内藪清水水源地からご神体が出現し、行永法師が草庵に奉安して、山城国(京都府)石清水男山八幡宮の御分霊を勧請して俱に祀ったのが、創立の起源であると伝える……』(同社HPより) 社殿前の狛犬……品川区指定有形文化財。延享3年(1746年)に、戸越村の村民がお金を出し合って奉納したもので、区内最古のものだと。 当時、各村落には庚申講が結成されていて、本村や平塚の庚申講が中心となって狛犬の造立を進めたことが銘文にあると。また、左右の台座に207名の人名が刻まれていて、当時の戸越村を構成していた村民のほとんどの氏名が把握できる貴重なものだそうだ。台座は見てこなかった愚かな私でした…… 社殿扁額……安政2年(1855年)に再建された社殿だそうですが、幾度も改築・修繕をしながら原姿をとどめています。 奉額……皇太子殿下御成婚記念。平成5年だから、発行された記念硬貨は5万円だったのかしら? たしか24Kだったような。 拝殿から本殿……御祭神は誉田別命「応神天皇」 ちなみに、応神天皇の御陵・恵我藻伏岡陵(えがのもふしのおかのみささぎ)は、仁徳天皇陵に次いで二番目に大きな古墳なんだと。 拝殿には多くの絵馬がかけられています。 春日社(社殿右)……御祭神・天兒屋根命(あめのこやねのみこと)=藤原氏の祖神で、国家安泰・産業繁栄の神。 社殿脇から本殿……細かな彫刻も施されていました。 稲荷社(社殿左)……御祭神・豊受姫命(とようけひめのみこと) 春日社とともに昭和41年(1966年)に再建。 衣食住の神で、商売繁盛・延命長寿の守護神……二礼二拍手一礼 鉄の門扉に何が書いてあるかと言えば「社殿の門だから、おみくじは結ばないで」とのこと……そんなことする人がいるんだな~ 茅の輪前から参道…… 左に神輿奉安庫と神楽殿…… 参道右にもいろいろ…… 花之屋福太郎ですって。開業宣伝をさせてもらっているのか? 大正天皇御大典記念碑が隠れちゃうよ~ 売り物か? 非売品か? 分からないものが境内にあふれていました。 戸越の地名の起こり……『江戸越へて 清水の上の成就庵 ねがいの糸の とけぬ日はなし』江戸を越える村というのでこの名が生まれ、トゴエと呼んだそうです。「とごえ村」の方が柔らかいかも…… ということで戸越八幡神社を失礼し、西の鳥居から行慶寺へ向かいましたが続きはまた今度……《おまけ》 根っこなのか? 幹なのか? 暇を売る店のテーブルに……雨の日が多いので西小山へはなかなか行かれず、今朝もこちらでお世話になりました。『東京都で新たに243人の感染確認 過去最多を更新(7/10)』だって……「若い人が多いから」とか「検査数が多いから」とか「医療機関はひっ迫していない」とか都合の良い言い訳のようなことばかり。逃げているとしか思えない都や政府の発言・姿勢にはうんざり。「対策対策」とばかり口にするが具体策は示されない。私は嫌いだが、彼らが良く使う「エビデンス」も開示しない。早くしないと取り返しが付かなくなるよ。急増は目に見えているのだから……
2020.07.10
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戸越公園からブラブラした6月17日…… カメさん広場……笠森稲荷を曲がったところにある小さな広場。 右がカメさん広場だけど、木々が生い繁っている所へ行きます。梅雨入りした6月11日の後だったけど、晴!!! 5月に訪問した[一本杉元八幡神社]つながりだったから、未訪問は許されない私です。 村社 八幡神社の社号碑は昭和8年12月…… 戸越八幡神社……こちらの起源となった現・一本杉元八幡神社の成就庵が戸越の地名の由来なんだと。由来の碑もあったけど、後編で……。ちなみに、八幡山行慶寺の開山念誉上人によって現地に八幡宮が建立されたのは文禄元年(1593年)とのこと。 しながわ百景でした。 ほぼ北に向かって奥へと続く参道……北には戸越銀座商店街がありますが、住宅街のど真ん中に鎮座しています。外からの騒音は一切なし。 立派な燈籠……北にある下神明天祖神社、蛇窪神社(上神明天祖神社)も大きかったし、この後寄った品川貴船神社を含めて界隈には神社が多数あります。幼少の頃 祖母に連れられてお邪魔した下神明駅近くの親類が、お祭りに連れて行ってくれたのはこちらの戸越八幡だったかもしれません。距離的には下神明天祖神社の方が近かったでしょうが、氏子の地域割りがあるのかと……遠い遠い記憶の残像だからあてにならないけど…… 途中に西へ向かう鳥居。別途寺だった行慶寺に繋がります。 右に社務所……お土産も多数販売中。 手水舎……『…アルコール消毒は勿論、石ケンにて丁寧に指先を中心に……』の貼り紙の下に石鹸が置かれていました。ルール違反かも知れませんが、私は手水はご容赦願いました。 風情の良い水盤……4体の石像が支えていました。 よっこらしょ…… さぞやお疲れでしょう。ごくろうさま……「がまんさん」なんて呼ばれることもあるそうだけど、たまに見かけます。[八雲氷川神社]もがまんさんが頑張ってましたっけ…… 参道奥の社殿までもう少し……右に神楽殿・神輿奉安庫、左側にも色々あるのでなかなか進まない私でした。 子持ちの狛犬……子持ちはたいがい阿形・口を開けているような? 凛々しいお顔で玉持ちの吽形狛犬……明治6年(1873年)奉納の一対。 拝殿前に、区内最古と言われるもう一対の狛犬がありますが、後編で…… 蛇足ながら、明治6年は政変の年。西郷隆盛らと大久保利通らとが対立し、負けた西郷隆盛はじめ多数の参議のみならず軍人や官僚が辞職した。その後、内治優先に反対する勢力によって国はぐちゃぐちゃになる。説明責任を果たさないあやふやな現政府・政権には危機感が漂っている。なににつけても、国民に対する丁寧な説明だけは厳守してほしい。 神楽殿……開けっ放しは珍しい。 ステキな書画……6月1日出来立てほやほやでした。 大黒天と恵比寿さんに迎えられているのは…… 教育勅語……明治天皇による原版の写しだそうです。金箔の天皇家紋入り。 読めるかと思って撮ってきたけど私には無理。どこぞの幼稚園児は暗記してたっけ……負けた~ 参道右側・神楽殿の前にはソファーやテーブルが置かれています。雨が降ったらどうするのか? なんてことはどうでもいいけど、くつろいでいる方もおられました。 寝てるのかと思ったら縫いぐるみだった。 と言うことで続きは明日……の予定……『河井前法相夫妻 起訴』……受け取った側の地方議員ら100人は刑事処分見送りと、政治と金の不信感を残しただけに、河井克行夫妻はなんとしても有罪にするだろう。受け取ったことも渡したことも双方が認めているのだから、夫妻まで無罪となれば国民の理解を得られないばかりか国家への信頼はゼロになる。いくら穏やか気質の日本国民であっても暴動が起きるかも…… 有罪の場合、違法行為によって当選して得てきた歳費は罰金で徴集されるのか? ほとんどが税金・政党助成金からなる1億5千万円はどうなるのか? 補選にかかる費用もバカにならない。コロナ禍の上に水禍が重なって、いくら予算があっても足りないのだから、お返し願いたいと思うのは私だけか? ブツブツはこれぐらいにしておこう。 何もできませんが、水害被害を受けられた方々にお見舞い申し上げます。
2020.07.09
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大田区や世田谷区と思い付きでフラフラしている私が、6月17日は品川区の戸越銀座周辺へ……三密回避で商店街は横切るだけ。 品川区立文庫の森……広い公園で、写真奥には池もあります。手入れをしていたこともあってか、立ち入り禁止区域もありました。私は入りませんが…… なんで文庫の森かって? 一言で言えば「旧三井文庫」だから。 戸越公園同様に、このあたり一帯もかつては肥後熊本細川家の下屋敷。1890年に三井財閥の所有となり、1918年に三井家編集室が日本橋からここに移転して三井文庫が発足。事務棟と書庫2棟が建てられたが戦後の財閥解体で、昭和26年(1951年)に部外者に売却され、国文学資料館として多くの学者や研究者が利用した。その後2013年に資料館跡地を整備して公園にした。まだ7年前なのね~ 第2書庫は現存するけど、中には入れないそうです。 豊町1丁目の文庫の森 北側から戸越2丁目の路地に入ると「オヨヨ!!!」 神社を見に来たのに正面が工事中。じきに分かるのだけど、たぶんこの駐車場も神社の境内だっただろうと…… 横からというのが正しいのか? 正面と言うのが正しいのか? 参道入り口……工事現場の隙間に立ち入らせてもらってパチリ。鳥居の扁額撮るの忘れた……普通は正面に社殿があるんだけど、ない。 突当りを直角に左に折れると社殿……真南に向いています。私の後方・駐車場が参道だったと充分に推察できます。鎮守様も大切だけど、土地を利用して商売繁盛につなげることも許して下さるでしょう。 笠森稲荷神社……両側に石灯篭とお狐様…… 左はなんだか恐い……睨まれてしまった。 右はけっこう穏やか……左右対になっての奉納だろうけど、違うのかしら? 狭いので台座の年号などは未確認。いたずらしてると思われたら困るし。 社殿を覆うのではなく、手前に屋根が設えてあります。参拝者への配慮か? ひょっとしたら仮拝殿ってことなのかしら? いずれにしても雨の日にはありがたい。 比較的新しい社殿です。地元の氏子さんたちが管理しているのでしょうが、篤い崇敬・信仰が伝わってきます。 しっかりと造られた流造(ながれづくり)の良い姿です。規模は桁違いだけど、現存する流造で最古のものは宇治市の宇治上神社本殿なんだって……世界遺産はどうでもいいけど行ってみたいな~ 遠いんだけど、まわりに寺社がたくさんあるし、三室戸寺なんてのも魅力的だけどコロナが終わらないとダメですね。 木彫もだけど、木目が美しい社殿でした。 境内に4基の鳥居。奉納幟も今年のものばかり。氏子のみなさまご苦労様です。 大きな神社も目立ちますが、戸越銀座商店街を挟んで左右には多数の小社があります。この日も周防稲荷なんて小社にも寄りましたが、続きはまた今度……
2020.07.07
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5月24日に[一本杉元八幡神社]なる社を見て、「戸越八幡神社の元宮」と知ったので、戸越八幡神社を含めて未訪問だった寺社をいくつか散策した6月17日…… 都立大崎高校の下をぬける道…… 大井町に行くには歩くけど、夜は怖いだろうな~ 追いはぎに会いませんように。 長いトンネルを使ってもよっかたけど、戸越公園内を素通り……回遊式庭園だけど先を急ぐので一周するのはパスした私。子どもたちは元気だな~ 以前も載せたからサラッと……[二葉2丁目鬼門除け地蔵尊]で書いたけど、品川用水はここ細川藩庭園の泉水用水だった。ここから南南東にある二葉の地蔵尊は近い。 様々な方の手に渡り、最後は寄付だって。相続税対策もあったことでしょう。池の面積だけで550坪…… 薬医門……なるほど「質実剛健」 最近お気に入りのショット……以前は撮らなかったはずだから…… ライオンズクラブ寄贈だって…… 戸越公園と彫られた大きな石は区が設置したのでしょうが、もともとあった石に彫ったのかしら? いくつか入り口はありますが、ここが戸越公園の正面口なんでしょう。 でもって公園の数ブロック北側…… 掲示板がなければ通り過ぎちゃいます。 6月の言葉 光いっぱいの朝 光いっぱいの世界 (東井義雄) コロナ禍と水害……光がおとずれますように……南無阿弥陀仏 7月の言葉は『私を見ていてくださる人があり 私を照らしてくださる人があるので 私はくじけずに こんにちをあるく (榎本栄一)』 東井義雄氏は教育者であり浄土真宗の僧侶。榎本栄一氏は仏教詩人とのことだが、お二人ともお生まれは兵庫県。 三木山 西教寺……『昭和2年(1927年)の創建。栃木県大田原市にある白旗山西教寺の住職・上島智證により、現在の品川区大崎中学校の近くで三木説教所として開設。昭和15年(1940年)に上島顕道が第二代住職に就任。太平洋戦争の昭和19年(1944年)、建物疎開により説教所は解体されたが、戦後まもなく現地に移転し、三木山西教寺として再出発した。』(同寺HPより) 西教寺……浄土真宗本願寺派・ご本尊は阿弥陀如来。 現本堂は昭和46年(1971年)の建立。本堂上部に掲げられた寺紋は下り藤……本山とする西本願寺の紋ですね。 近隣の小さな稲荷に向けて歩きますが、続きは明日……雨が上がっているから整形外科に行ってきましょう。《おまけ》 補助26号線……ここは完成したけどまだまだ未開通箇所が残ってます。
2020.07.06
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昨日に続いて宗圓寺後編……6月15日の散歩 宗圓寺山門をくぐって右……本堂は左側 左にある二体の石像は、いかにも武神っぽい毘沙門天と恵比寿さんでしょうか?……それより気になったのが手前の水盆…… 仏足石かしら?……仏陀は手の指も足の指も長かったそうだから、この足跡の指も長い。私は手も足も指は短い。九品仏浄真寺の仏足石は凸型だったけど、指は長かった。どちらも土踏まずはないみたい…… 石仏が並びます…… 板状駒型の庚申塔……三猿も頭部の角がおちて丸くなっているものの、手足の線はしっかりしています。上部の色が違って見える箇所がとても気になりますが、古いものなのでしょう。 寛文2年(1662年)……すっきり1面2臂だから聖観音なのでしょうが、さらっと置かれていることに感激!! 秀樹ではありません。左手にしているのは蓮華の蕾……と、勝手に思っています。 書院・庫裏……十三重塔 奈良県宇陀市大宇陀牧字垣内には、室町時代前期と思われる塔高4.15mの国・重要文化財である十三重塔があるらしい。見てみたいが連れ合いは知っているかも…… 小さい門があるから行ってみたら…… 石碑に不老の文字…… さしずめ不老門と言うのでしょう。 不老門をくぐると福禄寿がお出迎え…… 奥には大黒天……その他にも布袋さんや寿老人がおいででしたがワンカットの撮影は省略。七福神が一ヵ所に集まっているお寺だったのかもしれません。以前訪問した[品川寺(ほんせんじ)]もそうでしたが、他所にもあるのかしら? 今度調べてみましょう。そうだ、東海七福神も制覇してなかったな~ 奥は方丈(ほうじょう・寺の中にある住職の居所)玄関に通じているようだったので引き返します。 コンパクトな境内ですが心休まります。南無釈迦牟尼仏…… 表通りの高層マンションの足元でした。 国立医療センターへ向かう道をブラブラ帰った私でした。近隣駐車場に置かれた高そうな車を拝見しましたが、次回です。 蛇足:以前訪問した[奥澤神社]は八幡小学校発祥の地でした。一つ思いだして良かった~ あれから3年以上経ったんですね~《おまけ》 蒸し暑い日には冷たいものが欲しくなる……ビールじゃないよ~ 金魚って言うそうな……唐辛子を漬け込んだ焼酎の炭酸割。口に含んだ時はさほど感じないが、ゴックンしたあとで唐辛子の辛みがやってくる。せっかくなので唐辛子もかじっちゃいました。 アンケートに以前答えたら、忘れた頃に送られてきました。使えるのは食品だけらしいから連れ合いにあげましょう。今日も義母に付き添って氏神様へ……ちゃんと事前投票も寄ってくるかしら? 熊本や鹿児島はひどいことになっています。どうぞ皆さんご無事でと祈るばかりです。
2020.07.04
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世田谷三十三ヶ所観音霊場が目的で西澄寺に続いてやってきた6月15日…… 環七と246の交差点……目指すは横断歩道を渡ったビルのすぐ後ろ…… いつも極力幹線道路を避けて歩くから目にできなかった。寺号碑がなぜ道路のこっちにあるのか? 悩ましい問題です。 旭小学校発祥の地……以前訪問した[金蔵院]や[医王寺]も小学校発祥の地だった。寺子屋の延長線上にあるのかしら? 金蔵院は目黒区で一番古い小学校・現在の八雲小で、医王寺は深沢小学校の発祥地でした。他にもあったような気がするけど思いだせない……悔しい~ ちなみに、医王寺は玉川八十八ヶ所霊場第34番札所であり、世田谷三十三ヶ所観音霊場第19番札所でもあったが日記には記載なし。当時はそれほど寺社に興味があったわけではなかったんでしょう。 宗圓寺山門……りっぱな瓦屋根…… 山門扁額……八幡山 宗圓寺……曹洞宗のお寺 お決まりのショット……斜めの松の木がアクセントとなって良い景色!! 天保元年(1317年)に寂した(亡くなった)方が開基し、寛永10年(1633年)喜山正存和尚が小さな草庵を中興したと。明暦の大火(1657年)後に浜町から築地に移転。さらに関東大震災(1923年)による被災をうけ、昭和4年(1929年)に当地にやってきたようです。西澄寺同様に、第二次世界大戦による被災はなかったのでしょう。 本堂から右の書院・庫裏へ続くみたい…… 世田谷区教委の説明に『若宮八幡宮の別当寺であった』とある。今の駒留八幡らしい……駒留陸橋の近くなのになんで寄らずにいたのか? そのうち行ってこよう。 本堂扁額……ご本尊は釈迦如来坐像 本堂前から山門…… 山門をくぐってすぐ左…… 世田谷区教委が言うところの『しょうづかの婆様』のお堂かしら? 疫病よけに霊験あらたかなんだって……まったく覗けませんでしたが、お賽銭入れて手を合わせてきました。 ちなみにウィキペディアによると、正塚婆(しょうづかのばば)・葬頭河婆(そうづかば)・姥神(うばがみ)・優婆尊(うばそん)とも呼ばれる「奪衣婆(だつえば)」ってのは、三途川で亡者の衣服をはぎ取る老婆の鬼なんだと。怖い顔をした老婆の木像が祀られているのかもしれないな~ 地蔵菩薩……錫杖(しゃくじょう)と宝珠を携えています。 延享元年(1744年) 徳川吉宗の時代だわな~ 世田谷上馬引沢村の文字も……上馬って地名は今も健在なんだね。 と言うことで今日はここまで。続きは明日……《おまけ》 コロナ禍によって始めているお弁当。気にはなっていた焼き肉屋さん。今度 買ってみようか思案中の私です。その気になったら頼めるように電話番号をメモ代わりに撮っておきました。
2020.07.03
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6月15日のブラブラ…… 下馬2丁目から三軒茶屋1丁目の住宅街にきました。 看板ありました。浄土真宗なのねと事前に確認出来てありがたい。 ありゃりゃ……こちらも植木屋さんが入っているみたい。 正蓮寺山門……浄土真宗本願寺派と表札にありました。石造りの柱に屋根を架けてあります。作りにくくないのかしら? いつものカット……なぜか斜めってる…… 白龍山と号する正蓮寺。明暦3年(1657年)竹岡長円が白金台町にて創建。道路拡張にともなって明治43年(1910年)当地へ移転したと。ご本尊は阿弥陀如来。 まばら舞良戸(まいらと)っていうのか、引き違いの戸板と内側の障子や白い漆喰壁とのコントラストがきれいです。雨戸が用いられるようになる前に多用された外装建具の典型です。 本堂左に…… 手水盆が植木鉢になってました。 屋根の下に欄間……こだわりをお持ちなのでしょう。植木屋さんが作業中だったのでささっと失礼しました。 この日最後の訪問先へ向かう途中、上馬1丁目のバイク屋さん。レトロ感たっぷりの2階とアルミサッシの1階とのアンバランスが楽しいです。 コロナのせいでしょう…… 戦前から営業を続けてこられたようです。ワンタンと炒飯、食べてみたかったな~ 残念ですが、龍華さんおつかれさまでした。《おまけ》 昨日の午後、雨があがったので都知事選の事前投票に行った。入場整理券を出したら「○○さんですね?」と受付の女性が私の名前をフルネームで読み上げる。「はい」とは答えたが、管理者が数名いる面前で、なぜ個人情報を聞こえよがしに口にするのか? 前回の区長選挙や去年の参院選挙では聞かれなかったように、しばらく前から廃止されたと思っていたのに…… 他人になりすましていたとしても、聞かれたら「はい」と答えるはずだし意味がない。免許書など身分証明書を提示するんじゃない以上、正確な確認などできはしない。にもかかわらず平気で名前を読み上げる現行制度は廃止しなさい。 投票所前の掲示板も半数の候補者しか貼られていなかった。新聞を見れば良いのだろうが、せっかく立候補したのならこんな場所には最低限貼るべきじゃないかしら? 蛇足ながら、投票用紙記入台に貼られた候補者一覧だが、どういう順番なのか? 届け出順でもなく、あいうえお順でもなかったような。決めては行ったけど間違えちゃいけないから確認しようとして探しちゃった私でした。 京都の金閣寺が焼失したのは、ちょうど70年前の今日だと……水上勉の「金閣炎上」は読んでないな~ 連れ合いが持っているかも……
2020.07.02
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日輪山西澄寺の山門になっている旧武家屋敷門をはじめ、本堂や薬師堂などを拝見した続き……6月15日の散歩 正一位稲荷大明神……本堂左に静かに鎮座 平川稲荷……残念ながら不明 伏見稲荷大社本殿や千本鳥居のみならず、古くから神社仏閣に多用されてきた「朱色」は魔力に対抗する色ともされているんだと。でもって、朱の原料は硫化水銀からなる鉱物で、丹とも云われ昔から木材の防腐剤として使われてきたそうです。 ちなみに、「丹」には「丹誠」「丹念」なる言葉があるように「まごころ」という意味もあります。でもって、中国の伝承で不老不死の「丹薬」を作る錬丹術というのもあるそうだけど、仁丹はこんなところから名付けたのかしら? 「丹薬」には硫化水銀も使われたらしいけど、仁丹には入っていないでしょうね……と、つまらないことを勉強してしまった。 丁寧に祀られていました。 苔むしたお狐様…… 小狐が欠損してしまったのか? 修復してあげたいのはやまやまなんだけど…… 昭和7年の石碑。弘法大師像がないのは少し寂しい私……南無大師遍照金剛…… 石碑-稲荷大明神-薬師堂…… 本堂の左脇から… 梅の実……小梅ですがオレンジになりました。 本堂の右から書院・庫裏につながる石橋が架かっていました。橋の下は池ですが、ウロウロは遠慮…… 他所より移築されたのかもしれませが、焼夷弾落ちなかったようです。二度と戦争がありませんように…… 見上げると首が痛くなるほど高い木…… 緑に囲まれた広い境内……この先が東の門みたい。植木屋さんは大変だ~ 書院・庫裏を振り返る……古刹感を満喫できるこんなお寺が近くにあったとは知らなかった。ちなみに、なんで古い寺に「刹」を使うのか? 調べたらサンスクリット語の音写なるものが出てきたから、詳細は今度暇があったら…… 広い駐車場にポツンと…… 観世音菩薩……交通安全とありました。 観世音菩薩……総体は聖観音だけど、千手観音、十一面観音、馬頭観音などなど「観音経」には三十三身が示現(姿を変えてこの世にあらわれる)すると説かれています。だから観音霊場は33ヶ所あるとし、同寺も世田谷三十三ヶ所霊場の札所の一つでした。 東の門……車でお越しの方はこちらから…… 西澄寺の紋でしょう…… 武家屋敷門から始まり、とてもスケールの大きなお寺でした。合掌…《おまけ》 探し物をしていたら出てきました。ご縁が多くあるようにと50円玉を入れてくださってます。10年以上前のことだったかしら? 頂戴したサイン入り写真は日々枕元に飾ってあります。 さてさて、今日は何をしようかしら?
2020.06.29
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日輪山 薬王院 西澄寺 真言宗智山派 玉川八十八ヶ所霊場第52番札所 世田谷三十三ヶ所観音霊場第16番札所 6月15日の散歩……昨日の続き 山門となっている重厚な武家屋敷門をくぐると、正面に本堂。 左から……納骨堂……たぶん…… 大空の日も 静やかに西澄寺 佛尊まつるきよらかに……たぶん…… 銅像と薬師堂…… 三田村慧壮和尚像……昭和29年造立。明治25年(1892年)、荒廃し無住職だった同寺に入山して復興させた僧のようです。 薬師堂扁額……きれいに磨かれた額のガラス……植木屋さんが写っています。 薬師如来が安置されているのでしょう。如来坐像の両脇に脇侍の菩薩がおいでのようだから三尊構成? 参道の右…… 水盆…… 地蔵菩薩三尊……左の台座には六十六部供養佛……六十六部ってのは初耳でしたが、日本全国の66か国を巡礼してそれぞれの霊場に写経した法華経を1部ずつ納める修行者のことだそうです。66部を写すことも大変だけど、歩くのは至難の業です。台座脇には明和9年(1772年)の文字が読めましたが、お疲れさまでした。 鐘楼堂に上る石段の反対側には水子地蔵尊もおられましたが、この日は省略しました。 鐘楼堂……第2次世界大戦で供出されたが戻ってきたと。仏の御加護でしょうが、戦争はいけません。 西澄寺本堂……降向和尚が紀伊国高野山釈迦院より下錫して天正年(1574年)開山と、「猫の足あと」さんにあった。先の銅像・三田村慧壮和尚も高野山より第10世の住職として当山へ、ともあったけど、いつから智山派・智積院になったのか? 大正11年(1922年)改築のようですが、武家屋敷門の移築と同時期と推察します。 本堂扁額……「西澄密寺」って書いてあるのか? 真言密教だからな~ 即身成仏……精進していないから私には無理。 大正14年……本堂改築後の奉納。 御本尊は大日如来。 本堂前から見た境内…… 世田谷区 名木百選・コウヤマキ(高野槇)……本堂左、薬師堂の脇の大木は御神木かしら? ブロックを積んだような植木はカット済。 高野槇……すごい大木でした。隆向和尚が開山の折に高野山より移植したとも伝えられているようですが、樹齢はゆうに400年越え。奥に稲荷社がありますが、今日はここまで。 雨は上がったけど蒸し暑い。憂鬱な私とは大違いで、連れ合いは義母に付き添って近くまで出て行きました。今日もご苦労様……
2020.06.28
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半分以上訪れた世田谷三十三ヶ所観音霊場だけど、制覇を目指してとりあえず近場の未訪問二寺を訪ねた6月15日…… 氷……駒沢通りに出る直前の路地で発見!!! こんなところに喫茶店があったんだ~ 何度も通っているけど氷の幟がなかったら気付かずにいた。 蛇崩川緑道……駒繋神社はすぐ近く。でも、この日 緑道は歩かず…… 220SEだって……1960年ぐらいの車らしい。可愛いテールフィンが付いているけど、アメ車以外にもあったのね~ 龍雲寺通りに出る直前…… 訪問先は西澄寺なんだけど、院号を看板にしてるんだと思って素通りした私……バカですね~ 住宅と思えたのがお寺だったとは…… なぜか初めて歩く道路……裏通りは通ったはずだけど…… バス停の真ん前……来寺者にはありがたい。 日輪山 西澄寺……昭和26年の寺号碑 院号は薬王院 左に都重宝 武家屋敷門…… ゆるやかに上って行く参道……とっても良い景色に心ワクワク。 両脇は墓地みたい…… 弘法大師……真言宗だからひょっとしたらと思ったらありました。石碑の側面に「玉川八十八ヶ所霊場第52番札所」……世田谷三十三ヶ所霊場16番と同時にGetです。Getと言っても何も集めている訳じゃないんですが……足跡を残しているだけ。 馬頭観世音……なんで松ぼっくりが乗っているのか? 反対側に古そうな手水鉢…… 読めるかと思って撮ったけどダメでした。荏原郡下馬までは何とかなるけど…… スマホの広角 便利です。 武家屋敷門……大きそう…… 大きすぎて山門全体像は納まりません。 阿波徳島藩主蜂須賀家の中屋敷門を移築。江戸時代末期の建築だって…… 両番所附石垣出屋根庇造と呼ばれる構造らしいけど、端に出っ張っているのが番所。六畳もあるんだって。私の作業場兼寝床と同じ広さ。 両開き戸とは別に、片開きの潜り戸があります。刀を差した武士が出てきそう…… 25万石の大大名・蜂須賀家にふさわしい門なのでしょう。蜂須賀家の家紋ではないようですから、お寺の紋かしら? 二間の両開き戸から見る本堂……植木屋さんが作業されていました。時節柄でしょう、あちこちでお見掛けしました。ごくろうさまです。 重厚な造りですが、現存している貴重な門です。 提灯を下げるのでしょう。門前に置かれたところを見てみたいものです。 ということで、丁度時間となりました。続きはまた今度……《おまけ》 二葉のラーメン……たま~に食べたくなるんだけど、3密が怖いから行ってないな~ 昨年大晦日に年越しそば代わりに食べたきり。写真眺めて食べたつもり…… 今日は何を食べようかな~ 仕事もしないのにそんなことばかり考えてちゃダメだわな。
2020.06.27
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6月5日、用事の帰りに行人坂で勢至菩薩石像を見つけたので、ついでに大圓寺もちょこっと…… 阿弥陀堂……スロープも新しくなっていたし、土足でもOKらしいので正面のガラス越しに拝見しました。2年半も前のことなのに、スロープの違いを覚えている自分に感心する私です。[2017年11月17日訪問時の大圓寺] 扁額は「無量壽」とでも読むのかしら? 昭和18年3月31日ってことは戦禍を逃れたのでしょう。そうでなければ仏像も残ってないわな~ 阿弥陀三尊……中尊阿弥陀如来は大きくて厳しかったけど、両脇侍・観音菩薩(右)と勢至菩薩(左)はご尊顔を拝せました。『かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな』 社会評論も執筆し、経済的に女性が独立する女権主義を提唱するなど、先日引用した石垣りんの先輩といってもいいのかもしれない与謝野晶子が詠みました。でも、おっちょこちょいなのかしら? 鎌倉の大仏は釈迦ではなく、阿弥陀如来なんだけど…… 左足を垂下した半跏の姿でお座りの中尊阿弥陀如来像は例が少ないとのこと。もっとしっかり拝見すればよかった。 前回はアップで撮った記憶がなかったのでパチリ…… 西運の巡礼姿を線刻したのかしら?『八百屋お七と 吉三(西運)江戸時代、本郷駒込町に住む八百屋の娘お七は、天和2年(1682年)の火事の際、避難のためしばらくの間近くの円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓の吉三に恋したという。お七が16才、吉三が18才でした。 しかし、短い避難生活のこと、やがて離れ離れになってお七は吉三に会いたさゆえに乱心し、自宅に火を放ったのです。大事には至らなかったものの、当時は放火は火あぶりの大罪。お七は江戸中引き廻しの上、大井・鈴ヶ森の処刑場で火刑に処せられました。 その後、恋人吉三は剃髪し、西運と名を改めて、お七の菩提を弔うために念仏を唱えながら諸国巡礼を行脚しました。その後、江戸に戻った西運は、大圓寺の坂下にあった明王院(現ホテル雅叙園東京)に阿弥陀三尊仏を祀り、身を寄せながら隔夜日参一万日という念仏行を始めました。浅草寺までの道のりを雨の日も雪の日も休むことなく、鉦(かね)をたたき念仏を唱えながら、一万日の行を27年と5ヶ月かけて成し遂げました。その夜、お七が夢枕に立って成仏した事を告げたのですが、そのお姿が今現在も阿弥陀堂に祀られているお七地蔵になります。……』疲れた~ 一回一誦……摩尼車っていうのか、一回まわすことで般若心経を一巻唱えたことになるらしいです。このショットも前回なかったかと…… 小さいお地蔵様たち……合掌してさようなら。《おまけ》 お客さんが一人だったから三密にならないので、昨夕「木と」さんにちょこっとお邪魔しました。前回と同じ「キュヴェ・エス(右)」一杯だけと思ったんだけど、左のも試しちゃいました。異なる二種を快く同時に出してくれる良いお店です。ウニに海苔は合わないと軍艦にしなかったり、イカに海苔を敷いてと頼むと嫌な顔をするどこぞのお寿司屋さんとは大違い…… オレンジワインなんて初めて口にしましたが、人気があるらしいです。一口含んで最初に感じられたのはアプリコット? オレンジじゃない。ブドウで作るんだから当たり前か~ なんて思ったら、次の瞬間、しっかりブドウが立った。渋みもあってなかなか飲みごたえのあるワインでした。赤、白、ロゼにオレンジ……次はどんなのが登場するんだろうか? 家族にお土産を持って帰りましたとさ…… なんて花だっけ? 今朝モーニング帰りに咲き誇っていました。 二日で100人を越え、増加傾向にある東京都コロナ感染者数。今日は何人になるのか? 財政が苦しいから2次が訪れても休業要請は難しい。命と経済と両立は無理なんだろうな…… しかし蒸し暑い……何をしようかしら?
2020.06.26
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雨が降りそうだったけど、コピッと出かけた5月28日…… 左の大岡山清水窪弁財天を出てすぐ……電信柱に北千束1-32 神社発見!!! 妙徳稲荷神社と言うそうな……玉垣も石段もあっていかにも地域の稲荷らしい。 石段を上がってすぐ左に…… 奉納鳥居は4基……幟には「妙徳稲荷大善神」 扉全開の社……残念ながら由緒は不明です。 癒し系のお狐様……足を乗せているのは何? 厚いから厚揚げかしら? 凛とした顔立ちでマリ遊び? 向こうには鉄板製賽銭箱。 屋根もしっかり銅板葺き……コロナが怖いから鈴は鳴らしません。 榊もフレッシュ、鏡もピカピカ……小さな稲荷でも人々に見守られています。 狭い境内だけどベンチ……灰皿欲しいな~ 社のわりに大きな倉庫……掃除道具などが納まっているのかも。 隅っこに洒落た石灯篭…… 弁財天の森を見下ろす所にあります。 稲荷と弁財天の間の道を西に進むと幟発見!! 新鮮刺身の幟……「魚篤(うおとく)」刺身専門店って貼ってあるけど、本シシャモ、銀鱈西京漬け、更には鉄火丼や海鮮ちらしなんてのもあるみたい。興味あったけど、雨の予感がしたので撤収。傘を持たずに外出すると降られる私です。持ってると降らないのにね~ 環七・南の交差点から大岡山商店街。このうなぎ屋さんの先を左折すると魚篤があります。古い知り合いのMさん、暇があったら覗いてみたら? 今朝は「売上貢献してきたら」と連れ合いの言葉に背中を押され、雨上がりを待って3日ぶりに西小山に行きました。入店時にはお客さん一人。ナポリタンお願いしますと言ったら、「ハイ!!!」といつもになく気合の入ったマスターの声。1時間ほどの滞在中に来店したお客さんは3~4人。感染を気にせず過ごせる私にとっては快適だけど、お店は辛い。私の出勤時間は、明日も降りませんように…… ということで、今日はこれでおしまい。
2020.06.23
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環七を大岡山駅方向に少し下がったところに鎮座する弁財天……5月28日の散歩 境内西側に並ぶ祠群……残りの三つ……それぞれ立派な造りです。 三徳大明神……天地人、NHKの大河ドラマにあったっけ? 儒教の四徳は仁義礼智……五常は仁義礼智信……陰陽五行説ではそれぞれが木金火水土に対応するんだけど、学生時代はもっぱら陰陽五行・木火土金水(もっかどごんすい)だった。中国を学んだわけじゃないけど…… 韓国の国旗の真ん中にある円は「太極」と言い、宇宙の根源を表すそうだ。青が陰で、赤が陽。万物は陰陽により調和統一するとの考えなんだって。 五行相当表には色もあって、五行・木火土金水に対応する五色は青赤黄白黒。色の順番は少々違うけど、北条氏康の軍旗はこの五色。なんや関係ない事を書いてしまった…… 三社大口真大神…… 標高1000m以上で景色のよさそうな三峯神社も行ってみたいけど遠いな~ 突き当り、弁財天の左側…… 天国蔵五柱五成大神…… 五柱五成には「ごしゃいなり」とフリガナが……最高権威を持つ稲荷神だって…… 中野区本町に、五色の幟をはためかせた五柱五成神社というのがあるみたい。 五柱五成から池の向こうに弁財天…… 二つの赤い橋の交わるところから向こうはアパートかしら? それとも岸田家後裔(こうえい)のお住まいかしら? 帰ろうと思ったらポツンと目に入りました。 清水窪延命水子地蔵尊……きちんと御供養なさっておいでです。合掌… それぞれに札書きが添えられていたのでありがたかったです。 左の木々の中にそれぞれの祠があり、傾斜地になっています。池から湧き出た水はどちらを通って洗足池まで運ばれるのか? 左が正しい参道入り口です。道路は東に向かって若干下り…… 先に進むと直進は登りだから、水路は右方向だろうと推察……今度 暗渠跡が確認できるか見てきましょう。 近くにあるはずの神社を探して上ったのですが、引き返しました。頭の中の地図が逆さまになっていた情けない私でありました。続きはまた今度……《おまけ》 なんや何や??? 平目の昆布〆……先日おいしく頂きました。昆布〆用の昆布らしいですが、指で裂いて一緒に食べるとこれまた美味。河豚の昆布〆をやってみると言った折に頂戴したことがありますが、硬い出汁昆布よりも扱いやすく良かったです。流石 プロだけあって、いろいろと使い分ける主であります。いつもごちそうさま~ 昨日は休肝日だった私……さてさて、今日は何を飲もうかな~
2020.06.22
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一昨日の続き……5月28日訪問 弁財天と向かい合うように鳥居……しっかり燈籠もあります。 本当はこちらから伺うのが正しいんでしょう。私は裏口入社だったけど…… 前の写真で鳥居をくぐってすぐ左へ…… 繁殖するドクダミを見ながら……毒がありそうだけど、「毒矯」毒を抑えるって意味に由来するとか。民間治療薬に使われて来たらしい。赤ひげ先生も使ったかも? 天大国主之命……境内西側に複数の祠や石碑が並んでいます。 天大国主之命から右方向に細い参道…… 奥まで続きます。 馬頭観世音……膝が痛かったから合掌してきた。 逐一 説明書きがあってありがたい。 まだまだ…… 天五色大天空神…… あと数祠あるのですが、続きは明日……《おまけ》 昨日、三宿から太子堂あたりを回ってきましたが、世田谷区内はこんな状態。ホリエモン新党の三枚並びはありませんでした。《おまけ2》 MIRIE'S……訪問したことはありませんが、「家庭的な料理でワインを楽しむ店」って勝手に思ってきました。コロナ禍の影響かは不明ですが、閉店みたいです。頑張ってこられたのに残念ですね。 (「また再開するかも」と、先日あるところで耳にしました。真実は不明です。悪しからず……6月24日加筆) ありゃりゃ……醤油屋さんも閉店。人の多い駅そばには行かないようにしていたので、さっき通ってビックリ。 こちらも来月閉店だって…… 経済対策も重要だけど、毎日陽性が発見される東京。人出も車も増えたなと、昨日の道中もはっきり感じた。3密は回避して生活しているけど、より自粛しないとダメかしら? 電車通勤のみなさまのご健勝をお祈り申し上げます。
2020.06.21
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日記を再開しだした2016年10月以前のブラ散歩で見かけたんだろうと、思いだしたから感を頼りにフラット探してみた5月28日…… 環七からちょいと入った大田区北千束1丁目の住宅街…… 突き当りに雰囲気あり……なんでしっかりしたガードレールが設置されているかと言えば、先は崖!! 突っ込んだら落ちるよ~ 狭い石段…… ちょいと下がるとこんな感じ……確かに見覚えある。 そこそこ下りると池の上に祠……弁天池ってことか? 池の長さ約20m。 橋はやっぱり赤い……朱色になるのか? 下りきるとこんな感じで左は殺風景……正面にしっかりした鳥居があるから、また裏口入社した私。 下りてきた方を振り返る……左にも橋があって、奥にも祠があるらしい。 鬱蒼とした杉の森で昼でも天日を見ることができなかったこの地に、岸田家先祖が江戸時代初期に祀ったと……白蛇の姿もあったと……霊気がものすごく強かったと……パワースポットかいな?『旧大森区史によるとこの地は大古大森海岸の入り江の奥に当たり、更に低地にあたる洗足池や小池などは当寺の海の名残であると記されている。』海だったんかいな~ 庵ビリーバブルってか? 五色の旗らしきには「天(あま)八大龍王神」……清水窪弁財天昇格改称 清水窪弁財天……清水窪ってのは昔々のこの一帯の呼び名だが、400年前の村民が訪れたと思うと感慨深い。 東京の名湧水57選……他に、目黒不動尊、田園調布せせらぎ公園、旧六郷用水跡、岡本静嘉堂緑地など近場はみんな行った。『ここから湧き出る水は洗足池の源流となり、かつて千束の谷が田畑であった頃、用水として水田を灌漑していた。』ってことは、南にある洗足池まで繋がっているの? 今も少しは湧いているみたいだけど、暗渠があるんかいな? 知らんかった~ 弁財天……オン ソラサバタエイ ソワカ 仏教に取り込まれて弁財天となったが、元はヒンドゥー教の女神・サラスヴァティー。芸術や学問などの女神ともなっているけど、元は水の女神……なるほどなるほど、洗足池弁財天ともつながった。 流れ落ちているのはポンプで循環させているはず。写真を撮ったら止まっちゃった……運が良かった。お賽銭入れたものね~ 奥にも祠が覗いてる…… もう一つの橋向こうに複数の祠が並んでいたけど、続きは次回……《独り言》『我が党所属であった現職国会議員が逮捕されたことは大変遺憾だ。かつて、法相に任命したものとして責任を痛感している。国民のみなさまに深くお詫び申し上げる……』……通常国会の閉会を受けて、昨晩行われた安倍晋三首相の冒頭発言を聞いて怒り心頭で血圧が上がった私。「責任を痛感」は飽きるほど聞かされ耳にタコが出来ているし、反省の姿など伺ったこともなく慣れっこになっているが、「我が党所属であった現職国会議員」と過去形で呼んで名前も出さない。買収容疑で逮捕直前の前日(17日)に離党したから「我が党所属であった」は事実だが、無責任過ぎる。「離党したから関係ないよ」と聞こえたのは私だけか。 河井夫妻は買収行為を否定していたのだから、潔白なら辞任などするな。党に迷惑がかかると考えての辞任だろうが、嫌疑を払拭できる実証・確信があるなら、本人たちを信じて受理しないのも党の在り方ではないのか。説明責任をほったらかして歳費をもらい続けてきた夫妻も、ふざけている。 離党はするが議員辞職はしない。有罪と決まったわけではないからかもしれないが、少なくとも党本部から1億5千万円にのぼる巨額かつ異例な選挙資金を提供されたことは事実だろう。「人の金・税金を勝手に使いやがって」と怒っている国民に対して、本人、首相や自民党は丁寧に説明する義務があることを忘れてならない。 秘書が地元有権者に香典を渡したと報じられ、約1ヶ月で経産相を辞任した自民党・菅原一秀衆院議員。閉会間際の16日、「認識が甘かった」と公選法に抵触する可能性を認めて謝罪。メロンや蟹は調べられていないのか記事にはなっていないが、特捜部にはきちんと捜査をして刑事責任を問うてもらいたい。でも、こっちは不起訴かもしれないな。 運動員に法定限度以上の報酬を支払った自民党・谷川弥一衆院議員の書類送検も伝えられるが、国会議員ってのはおいしい商売なんだろう。一部の議員であっても、法を守らない輩に国政など任せられない。政治に不信感を抱く私の為に、公認した政党にも丁寧な説明と対処を願う。
2020.06.19
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大井町駅そばの蔵王権現から、あっちこっち彷徨った5月14日の最終回。 品川区二葉から豊町に入ると、それっぽい雰囲気…… 公園があって……14時18分……お腹空いた~ この白黒壁は珍しいかも…… 到着~ 大雲山 東照寺……曹洞宗のお寺のようです。『昭和16年(1941年)、原田(大雲)祖岳老師により福井県小浜・発心寺専門僧堂の東京出張所「大雲会道場」として発足する。昭和18年4月22日「東照寺」として認可される。その後、一度戦災で完全に焼失したが、大雲会員の総力により再建され、二世・半鐵牛老師及び現住職により増改築を重ね現在に至る。』(同寺HPより) 原田(大雲)祖岳老師……明治から大正は卒業校である曹洞宗大学林(現駒沢大学)の教授を務め、その後同寺開山のみならず複数の寺院を歴住されたそうです。世寿92歳…… 山門扁額…… ご住職らしき方が洗車をなさっておられたし、入りずらかったのでこちらで失礼……曹洞宗はまったく無頓着な私なので…… 山門脇にお堂…… 南無子安延命地蔵大菩薩…… 坐禅……左右の足をしっかりと絡めてロックする座り方を「結跏趺坐(けっかふざ)」と言う。昔は出来たけど、今は無理だな~ 痛さは我慢できるかもしれないけど、両方の足をあげるのは理学的に無理となった私。略式の「半跏趺坐(はんかふざ)」で勘弁してもらいましょう。残念ながら半跏思惟のポーズじゃダメなんでしょうね。 ちなみに、手の組み方は右の手が下のようです。左手を上にして、両方の親指の爪と爪とを軽くあてて卵形をつくるやつ……あれを「法界定印(ほっかいじょういん)」と言うそうです。 帰路に向かうと標識……この辺りも変則な路地が多いので、駅から坐禅にやってくる方々にはありがたいでしょう。私もいつか体験してみるかな~ ピシピシ叩かれそうです。《おまけ》 クチナシ……でしょう。8時23分 35万筆の署名を受けても森友問題の再調査を拒否。 電通への再委託。「安全だ安全だ」と言い続けてきたイージス・アショア 秘書が選挙区内で香典を配ったなどとされる疑いで経産相を辞任した菅原一秀氏は、公職選挙法に抵触する事例があったと認めた。メロンや蟹はまだだけど…… 秘書が懲役刑を受けた途端に離党届を提出した河井克行・案里夫妻。 黒川前検事長と賭けマージャンをした産経新聞社員は出勤停止4週間の懲戒処分。監督責任で、編集局長ら3人も減給処分で、社長は一部であるが報酬を自主返上。 検察庁法を含む国家公務員法改正案だが、閉会する今国会でいったん廃案にする政府。 北の南北連絡事務所爆破など気がかりな問題も山のようにあるのだが、説明ができないから閉めるしかない国会。口なし、ってやつだ。《おまけ2》 6kgのヒラメ……今日あたりは美味しい昆布〆を提供してくださるでしょう。 いつもごちそうさま~
2020.06.17
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下神明天祖神社前の四間通りを北西に1ブロック進んだ5月14日…… 交番の影に何か発見かも……前方にはJRの線路…… 二葉二丁目鬼門除け地蔵尊……と言うそうな……立派なお堂です。 交番の脇だから賽銭泥棒はいないことでしょう。 いたずらしていると思われては心外なので、ささっと…… 何の鬼門除け?……江戸時代初期につくられた品川用水。玉川上水を水源として、武蔵野市から分水されて三鷹・世田谷・目黒を流下して品川に入るのだけど、当初は戸越の細川藩庭園の泉水池用だったとか。まぁ、その後 農業用水としても利用されてきたのだから許してあげるけど、品川区小山の朝日地蔵尊近辺から桐ヶ谷・大井・戸越などの分水路が生まれます。私の勝手な想像ですが、水路の鬼門除けとしてこれらの地蔵があるのかもしれません。西五反田の子別れ地蔵脇も分水路があったと、以前聞いたような? 先月撮った平塚橋の碑はまさに品川用水路……バラバラに歩いていますが、結構つながりがあるようです。 新幹線通過……見上げていたら遮断器が下りちゃいました。 これは横須賀線かしら?……電車はよくわからない。 湘南新宿ライン……たぶん……《おまけ》 こんな器があったようです。 茶碗蒸し……少なくなっちゃって可哀そうな連れ合いの分。 いつも美味しく作ってくれますが、その都度 創意工夫をしてバージョンアップしています。写真は最近の出汁の素……奉納したときに頂戴したスルメは良い出汁がでます。熱々のうちは感じにくいですが、冷めてくると如実にイカが生きてきてとっても美味しいです。連れ合いは「伏見稲荷出汁」と称していますが、正一位だもの美味しいわな~ またよろしくね~ 一日の長いお勤めが終わり、歯磨き前に連れ合いが楽しみにしている缶ビール……シールを集めて送ったら約束通り届きました。どんなのかはまだ試してないみたいです。早くやってみそ~ イージス・アショア配備計画停止……周辺住宅などへ落下させないためには大幅な改修が必要だなんて、今になってなにを言っているのか!!! どれだけの時間とお金かけてきたのか!!! 配備の賛否は別にして情けなくて仕方ない。森・加計・桜、検事長定年延長、電通、終息しないコロナや諸外国状況も抱えているはずだが、国民への説明はなく国会閉会。説明責任とは口先ばかり……約束はいつ果たされるのか? さて、今日は何をしようかしら? 散歩は昨日したから、膝の薬でも貰いに行ってきましょう。
2020.06.16
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昨日の続き……5月14日の散歩……もう一ヶ月も経っちゃった~ 小市郎稲荷から見た境内……参道が工事中の為にこちらに置いているのでしょう。 社殿左と稲荷の間に…… 斎田……って言うそうです。神に供える米を栽培する田を指すのでしょうが、説明では「神田」と表記されていました。 田植は済んでいました。刈り取られた稲は、社殿、神酒所、神輿に捧げると……ちゃんと育ちますように…… 斎田から見た境内……御神木がきれいな木陰を作っていました。 今日と同じような空だけど、さほど暑くはなかったな~ 立派な狛犬……昭和8(1933年)年に奉献 さすが大狛犬……良いお顔……体高1.4m、総高4mは区内最大だって。 昔も今も、消防団のみなさんご苦労様です。 二之鳥居までは行かれそう……嘉永6年(1853年)奉納の燈籠……古い古い……ペリー提督が黒船を率いて浦賀沖にやってきた年。 ふり返って一礼…… 手水舎…… 手押しポンプは現役みたいです。 玉垣築造記念……氏子さんたちの崇敬ぶりが伺えます。 二之鳥居……まだ続く参道…… ここでまた一礼…… 小さい狛犬……左は玉、右は子持ち……参道はここまでしか歩けませんでした。 側道から社殿方向…… 作業の方々、ご苦労様です。 堂々たる社号碑・鎮守天祖神社…… 延長1200mの四間通りに面しています。右に2ブロックいくと烏枢沙摩明王の東光寺ですが、相慈寺によったからグルっと回ったようです。この後 左へ進みましたが、続きはまた今度…… さてさて散歩に行こうかしら? 暑いけどな~
2020.06.15
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大井蔵王権現を皮切りにフラフラした5月14日…… 大照山相慈寺を後にして、同じ町内・品川区二葉1丁目をトボトボと…… じきに見つかりました。でも、ここからは入りません。 こちらは車の通用口かしら? 少し進むと参道は工事中で立ち入り禁止…… 辛うじて脇から入社……立派な阿吽の狛犬がお出迎え 御神木・榧(かや)の向こうに稲荷社……樹齢600年以上……想像のできない様々な時代を生きてきています。 前に、小山八幡神社・椎の木で「幹廻り」「幹囲り」と書いた品川区教委にクレームを付けたけど、こちらは『目通り幹周』と正しい表記でした。 二葉交番裏には兄弟木と言われた榧があったと……この後、二葉交番前を歩きました。 下神明天祖神社……天照大神を祀る神社は、主に神明社、神明宮、天祖神社と称されます。こちらの正式名称は「天祖神社」ですが、先日載せた近隣の蛇窪神社・上神明天祖神社と区別するために下神明天祖神社と称されることが多いそうです。大井町線の下神明の駅名由来でもあるはずです。 社殿扁額……『大荏原総覧には「その鎮座期は不明なるも徳川六代将軍家宣の時代より社として崇拝された」とあり、正保年間(1644~1647年)、村が立会川の上流域と下流域とに分かれるに伴い、社も分立し、現在の社名が制定されたと云われています。(同社HPより)』……蛇窪村が上蛇窪村と下蛇窪村とに分かれた時、両村の鎮守として分社した可能性も考えられます。あまり深く調べない私ですが、故あって分けたはずの村名・町名なのに現在は両社とも品川区二葉……住民ではありませんが、なんかしっくりしないな~ 蛇足ながら、昭和2年(1927年)大井町線が開業した当時、戸越公園駅は蛇窪駅としてスタートしたそうです。細川家の下屋敷だったけど所有者が点々とし、東京市立公園の開園後に品川区に移譲されたあたりで戸越公園駅となったんでしょう。 御祭神……天照大神・応神天皇・天児屋根命(あめのこやねのみこと) 天児屋根命は、天照大神が天野岩屋にお隠れになったとき、祝詞(のりと)を奏した神。スイカが奉納されていましたっけ…… 社殿前から参道……表通り・四間通りまで長い参道です。沢山止まっている車は工事関係の方々のでしょう。四間通りは道幅が四間(約7.2m)だったから。蛇窪神社脇の道は三間通りでした。 神楽殿…… 御神木-狛犬-神楽殿……二之鳥居前にも一対守っています。 小市郎稲荷社……村を開墾した名主の屋敷神だったと。 鳥居扁額……「正一位」……伏見稲荷大社 イチョウの木も立派でした。 立会川緑の旧跡ってところには石碑があるそうな。見てこなかった~ 同家の北西に祀られた戸越伏見稲荷もあるそうな。今度探してみましょう。 奉納鳥居と幟がたくさん…… 頭をぶつけないように…… 御祭神は宇迦之御魂神……お賽銭を入れるところだけ口が開いていました。 愛らしいお狐様……古そうには見えないけど、台座には文政3年(1820)という文字があるみたい(同社HP)。私は見えなかったけど…… 巻物だろうけど、くわえにくそう…… 社殿扁額……もちろん鈴紐は使用禁止。 お狐様の数も半端ない……豪徳寺の招き猫を思い出しました。 慶應3年(1867年)に元の鎮座地から厳正寺跡地(二葉2-1付近)に遷された後、明治42年(1909年)にこの境内に遷されたと……いつまでも村の鎮守でありますように。 ということで、今日はこれでおしまい。後編はまた次回……
2020.06.14
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昨日の続き……5月24日の散歩 旗の台1丁目石造庚申供養塔の後方に…… 石碑…… 札場の跡…… 札場とも呼ばれる高札場は、江戸時代に高札が掲示された場所だと。法度(法令・禁令)などを板札に墨書きして、人々の目にふれさせたとのこと。指名手配の人相書きなんかも貼られたんでしょうね。昭和41年まであったとされる樹齢400年の大欅は見てみたかったな~ 札場跡石碑の後ろ……右を走る通りは中原街道。『中原街道は江戸城の虎ノ門から相模国(今の神奈川県)平塚郊外の中原に通じる街道で、相州街道または小杉道とも呼ばれていました。品川区内では東五反田の桜田通りから西五反田・平塚橋・旗の台を通り、大田区に入って洗足池方向に向かい、丸子の渡し(今の丸子橋付近)で多摩川を越す道筋です。現在は広い道幅ですが江戸時代の中原街道の道幅は3間(約5.5m)ほどでした。(品川区HPより)』……現在も、平塚橋から星薬科大学正門前を通り、西五反田6丁目あたりの旧中原街道は面影が残っています。戸越地蔵尊・旧中原街道供養塔群・子別れ地蔵が道筋に見られます。 木霊稲荷神社(こだまいなりじんじゃ)……別名を不思議稲荷とも称うとのこと。朱色に縁どっているのは鳥居を表現しているのかも?(あくまで私の推論) 西暦1500年頃、伊勢外宮 豊受大神の姫・別名 久々能智(くくのち)神と、正一位伏見稲荷大明神 宇迦之御魂大神を勧請。 扁額……「木霊(こだま)」とは、かつてあった東京都認定史跡天然記念物の樹齢350年ほどの大欅をさすようです。あれれ? 郷土の会には400年ってかいてあったんだけど、どちらが正しいのやら…… この地の守護神を木霊大明神と称したそうです。 お狐様……知恵の象徴、巻物をくわえています。 こちらは御神徳の象徴である玉……稲穂や鍵をくわえているお狐様も見かけますが、伏見稲荷大社は巻物と玉が多いです。 一応 手水鉢もあります。『おみくじの 吉 ふところに 春のかぜ』……味わいがあっていいですね~「たいぞう」とあるのは、芳根総本家 当主第24代 芳根鋭蔵さんのことでしょう。人違いでなければ、国のため、地域の為にご活躍なさった方のようです。 中原街道ぞいに大きなタイヤの山…… もっと大きいの……275 80R22.5だって!!《おまけ》 雨上がりの空に……青空はしばらくお預けかと思ったら……8時35分 忌野清志郎は「雨上がりの夜空に」……「バッテリーはビンビン」だったはずなのに、早すぎました。 円融寺仁王門から山門……こちらから撮ったことがなかったはずなので…… 前回2016年の時も20名ほどの候補者がいたから、やっぱり大きな掲示板が必要なんでしょう。マック赤坂氏は出馬するのかしら? 港区議だから出ないかな~ さてさて、何をしようかしら?
2020.06.12
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相慈寺・昨日の続き……5月14日のブラブラ…… 本堂前右にもお堂・社が3つありましたが、左側もこんな具合…… 手水舎があって…… 奥に2社……お狐様がいないから稲荷ではなさそう。ちゃんと札書きをみてくれば良かったと反省するけど、遅いわな~ 右はどうやら「弁財天」かもしれません。昨日少し触れた頭脳の守護神「脳天大神」は、金峯山寺初代館長・故 五條覚澄大僧正が霊威感得したもので、大僧正が瀧のある修行場所を探し求める中、現在、大神が鎮座されている谷で行場の開発に取り組んだと。ちなみに、現在鎮座しているのは金峯山寺の塔頭 龍王院とのことです。 でもって、脳天大神のご真言は「オン ソラソバテイエイ ソワカ」……インド伝来の神・弁財天と同じ。ソラソバテイはやっぱり古代インドの代表的河神で、水には諸龍が住むと言われ同様に脳天大神も龍体に密接な関係があるため、このご真言としたとのこと。だから弁財天が祀られていてもおかしくないと思った私でした。(間違っていたらごめんなさい) 開山碑……残念ながらよく読めませんが、創建は昭和27年みたいです。 大照山相慈寺本堂……お詣りさせていただきました。 宗派は「金峰山修験本宗」……ここでは「峯」じゃなくて「峰」になってます。「金峰山寺東京別院」……しっかり謳われています。総本山にお詣りしたつもり…… 御本尊は、大日大聖不動明王、金剛蔵王権現、役行者神変大菩薩、脳天大神、愛染明王、孔雀明王……さすが東京別院です。 本堂扁額……不動堂と称すんですね。 不動堂前から……転ばないように下ります。 不動堂下…… 狭いながらもたくさん楽しませていただきました。 でもって次なる神社を探しに…… この日の散歩の独り反省会で、蔵王権現・金峯山・役行者がつながり、ある程度理解できました。「なんでまたいでこないの?だめですよ~」と連れ合いから言われた東光寺の烏瑟沙摩明王……「どこでみたんだっけな~」と気になっていましたが、今見つけました。品川区の「海雲寺」役行者の像もありましたが去年の3月でした。《おまけ》 円融寺裏・真公稲荷わきの桜の木……すっかり緑になりました。9時56分 直に梅雨入りみたいだから、こんな青空も当分の間見られないかも……モーニングに行くのもシンドイ季節になります。そうそう、今朝は帰りに武蔵小山の東急ストアに初めて寄りましたがガラガラで助かりました。近くに業務スーパーがあるからなのかしら? ぶら下げて歩いてくるには少々辛いけど、今度から頑張ってみようかしら?
2020.06.10
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大井蔵王権現神社からウロウロしてやってきました……5月14日 品川区二葉2丁目の住宅街……左の三間通りと、右の立会道路の真ん中の道 ありましたがビックリ!!! 普通っぽくないお寺…… 脳天大神……ご本尊の一つでもあり「首から上の守り神」ようするに頭の神様。受験生に人気があるかもしれません。 大照山相慈寺の表札……同寺準公式ブログによると「金峯山寺東京別院 大照山相慈寺不動堂」というのが正式名称みたい。大井蔵王権現神社で勉強したばかりですが、こちらも金峯山寺繋がり……修験道のお寺で役行者も関係しますが、その辺は後編にして……今日は本堂右前だけ。 左は水子地蔵尊みたいで、その脇は御神木かしら? 奥に社が3つ…… 御神木の足元に……他所にも置かれていました。 地蔵堂って呼べばよいのかしら? 左から、一願不動明王・子育地蔵菩薩・延命地蔵菩薩 一願不動明王……一回で願いが叶う分けじゃなく、一つの願い事を熱願すれば成就するってこと。何事も、願いながら修練を積まないと成就できません。 お稲荷様……鳥居の鈴は「しばらくの間ご協力ください…」と、使用禁止。ありがたい心配りです。 お狐様も鎮座……鎮座とは言わないか~ 重厚で立派な社です。 鏡もピカピカ……両サイドにもお狐様が勢ぞろい。 天龍観世音菩薩と書かれています。 右は菩薩の守護神かしら…… 天龍観世音菩薩とのことなので、龍に乗って迷える私たちを救いにくるお姿と思いきや、龍は見当たりませんでした。養玉院如来寺には門前におられましたっけ…… 観世音菩様はいつも優しいお顔……後編はまた今度…… グズグズしていたら遅くなってしまったけど、さてさて今日は何をしましょうかしら……
2020.06.09
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4日間に分けて訪問してきた荏原七福神……最後の一か所となりました。5月14日…… 品川区二葉1丁目……5月8日に訪問した蛇窪神社は二葉4丁目……湘南新宿ラインや新幹線を間に挟んでいるから別住所かと思いきや、二葉ってのも結構広域です。 写真の左は銭湯・大盛湯。直前に訪問した関東森稲荷の近くにも銭湯がありました。東光寺とは反対方向なのですが、頭の中の地図が間違っていたようで迷子になり発見しました。入り組んだ道路ではあったけど「大丈夫」と過信した私……仕方なくスマホに活躍してもらいましたが、地図を印刷しておくべきだったと反省。 天台宗 東光寺……なんとか到着……寺の周囲がすっかり住宅で埋め尽くされているので、山門を探すのが一苦労。疲れた~ 誰かに聞けば良いのですが、これが歩いてないんだな~ コロナ禍のせいです。 東光寺山門……比叡山で天台大師の教えを広めた最澄(さいちょう)……一人一人自分自身を輝いた存在にすれば、その輝きが周りも照らし素晴らしい世界が生まれる「一隅を照らす」も教え。「一億総活躍」なんて道筋も教えもなく思い付きのように口にする誰かとは大違い。 戦没供養塔……従軍看護婦さんだけでなく、軍馬・軍用犬・伝書鳩の文字……二度とないことを願います。 なるほど……蛇窪がなくなった時点で寂しいですが、下神明から二葉へと変わった理由が知りたいものです。 参道に小さな石仏……石の隙間から生える元気な草 時代も正体もわからずに撮っている私…… 境内……保存樹・椎の木 椎の木の足元に……ペット葬もなさるのかしら? 静かにお座りです…… 久遠山不動院東光寺 本堂……戦国時代・天文13年(1534年)什上人によって創建されたお寺。現在の本堂は文化10年(1831年)に浄権大僧都の再建で、梵鐘の同年 浅草田町の上総屋吉兵衛らが寄進したものだと。立会川も近くを流れ、のどかな風情が漂っていたことでしょう。「上総屋吉兵衛」で検索したら石鹸が出てきました。関係があるのかは不明です。 御本尊は阿弥陀如来とのこと。 毘沙門天……賽銭箱の向こうに分かりやすく置かれていました。 上杉謙信、武田信玄や徳川家康も毘沙門天に戦勝祈願をしたそうです。 7つのスタンプを集めてクリアファイルをもらおう!……もう、とっくに売り切れ。元旦から7日ぐらいまでは賑わうんでしょう。 本堂から山門……作業をされていたので邪魔をしないように……ご苦労様です。 参道の途中 左に東司(とうす)……トイレがあります。 トイレを守護する烏瑟娑摩明王(うすさまみょうおう)が祀られている様子。『おまたぎ』をまたいで御参りください……と書かれているように、中央にある「おまたぎ」という便器をまたいでお参りすると下の世話にならないと言われるらしい。靴を脱ぐのが嫌だったからお賽銭だけ入れてここから失礼しました。 中央の厨子に納まっているのが烏瑟娑摩明王でしょう。提灯は「烏瑟沙摩大明王」……「娑」と「沙」どちらが正しいのかしら? 三間通り……東光寺は右の建物の後ろ。ちなみに、この道を反対方向に歩けば蛇窪神社脇の商店街・蛇窪共栄会に行かれます。道がつながって良かった~ 路地があったから行ってみる私…… 大好きな風情ですが、他人は通っちゃだめでした……失礼しました。 ということで、今日はこれでおしまい。おまけもありません。昨日の衣替えで少々お疲れ気味かしら? 連れ合いにも手伝ってもらったんだけど、歳だわな~
2020.06.08
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品川区大井1丁目の蔵王権現神社を後に、大井2丁目の住宅街をウロウロ……5月14日 何とかたどり着いた。碁盤の目のような区画じゃなく、道が曲がったりもしているので探すの一苦労。頭に入れたはずだけど、やっぱり地図を出してくるべきだった。 鳥居2基……保存樹のイチョウやケヤキが茂っていて、村の鎮守の雰囲気が良く出ていました。 住宅街の真ん中にあるからもう少し小さいかと思ったら、そこそこ立派な神社。 境内左手にある記念碑……「元森區…」とあるから、昔は森地区だったんでしょう。右の樹はイチョウ。 関東森稲荷神社……創建など由来は不明ですが、江戸時代からこの雰囲気だったのでしょう。以前大井町駅・青物横丁を歩いた折、南品川にある同名の神社を見落としたことを反省会で発見した私。機会があったら拾いに行ってみなければ…… なんとも味がある扁額…… これ何なんだろう…… しっかり施錠されて……残念! 三峰神社……秩父にあるのは「三峯神社」…読めはするけど違うのかしら? 役小角が金峯山で修行したと昨日書いたけど、彼は三峯山でも修行をしたらしい。修験道の山なのね。 三峰神社前から境内…… 境内右側には感謝碑……「小林久吉君森區ノ為メニ此館ヲ建設セラル……大正13年」……「館」が何かは分かりませんが、ご尽力されたんでしょう。 手前の太いのはイチョウで、奥はスダジイだって。 社殿右側…… 井戸の名残かしら? 社殿真後ろに……本殿なのかな? 社殿横から……木々が覆いかぶさって正に鎮守の森。 静かな村の神社でした。 手前は大正13年、道路側は昭和10年の鳥居で、木はケヤキ。大正13年ってことは、これも小林久吉さんが奉納したのでしょうかしら。 さてさて、今日は掃除機をかけて、衣替えでもしましょうかしら? 膝はまだ完璧じゃないけど、頑張ってみるか?
2020.06.07
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荏原七福神なるものを知り、残り2つの七福神を訪ねた5月14日…… 大井町駅のほど近く、ビルが立ち並ぶ立会道路……目指すは写真右の大イチョウ。12時45分、サラリーマンのみなさんはランチ帰りかしら? 大井蔵王権現神社……平安時代から厄除け火伏の神として、権現さんの愛称で親しまれてきたと。現在の地に落ち着くまでは多くの遷座を経てきたそうです。 疫病や火事が流行った江戸時代、この地域は権現さんの天狗のおかげで無事だったことから、天狗に感謝した地域住民が祭礼で太鼓を叩くようになり「大井権現太鼓」が生まれた。権現神社を守護するのは「赤熊天狗」らしく、一年おきの「天狗祭り」では天狗神輿がかつがれると……白粉を塗り、紅をさし、女物の襦袢を着た若衆が厄を祓いながら街中を練り歩くと……見たいような見たくないような……でも、ご苦労様です。 山岳仏教・修験道の本尊である蔵王権現は、役小角(えんのおつの)が金峯山(きんぷせん)での修行中に示現したと伝えられる。正式名称は金剛蔵王権現と称し、奈良県吉野郡吉野町吉野山(吉野の連続…)にある「金峯山寺」本堂には大きな三体が秘仏本尊として安置されているらしい。連れ合いは行ったことあるかもしれません。国宝はおろか、本堂や仁王門は世界文化遺産だそうです。 そうそう、天狗は修験道と結びつきが深いから登場したんでしょう。 社殿扁額……社殿内は拝見できませんでしたが、神棚右奥に「蔵王権現」と彫られた石堂が安置されていると…… 荏原七福神の一つ「福禄寿」が祀られています。 幸福(特には子孫に恵まれる事)の「福」・身分や財宝など金銭に恵まれる事の「禄」(禄を食むなんて言うわな~)・そして、長寿の「寿」……この三つを福禄寿は意味するそうです。 なんとかお目にかかれました。 ビルに挟まれて、見過ごしてしまいそう。短い距離だけ緑道風になっています。 池上通り方向へちょっと歩いて…… 大井2丁目の住宅街へ…… 土地勘のない私ですが、どこへいってもこういう静かな裏道は好きです。 ということで今日はこれでおしまい。なんとなく力が入らない、だらしない私でした。明日は元気が戻るでしょう。
2020.06.06
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1ヶ月ほど前になってしまった5月8日の散歩……最後の訪問先 蛇窪神社参道前を北に少々…… 今度は東に向かう住宅街……奥に赤い幟発見! 平成4年に新設したという駐車場はとても広かった~ 常説山 丸山寺……通称は「まるやまでら」のようですが、正式名称は「がんぜんじ」と呼ばれる。読みやすいものね~『昭和3年(1928年)3月13日の創立。開山常説院妙一尼。開基龍昇院日限。 小西法緑。昭和6年、下神明(蛇窪)より現在地へ移転。(日蓮宗東京都南部宗務所HPより)』……蛇窪神社も訪問してよかった~ ※「法緑」ってのは、享保年間(1716~35年)にはほぼ確立した檀林(だんりん)出身僧の同窓組織で、小西檀林は飯高・中村両檀林とともに関東三大檀林と称され、多くの高僧や学匠を輩出した。「檀林」ってのは、仏教における学問所で、宗派を超えた研究がなされていたらしいけど、きっと派も分かれていたことでしょう。これ以上は調べません。『丸山寺の由来は、芝増上寺境内の丸山稲荷を熱烈に信仰していた妙一尼が医師から見放された重病を奇跡的に全快し、同寺に霊感を得て丸山講を設立。 後に日限が池上厳定院40世山田日芳上人の弟子となって丸山教会を公称。しかし第二次大戦ですべてを焼失。防空壕の中で辛うじて難を免れた祖師像を現在までに二度修復彩色する。昭和23年仮本堂建設。昭和45年庫裏を拡張。平成元年丸山寺と寺号公称。(日蓮宗東京都南部宗務所HPより)』 本堂扁額……御本尊は大曼荼羅……日蓮聖人像じゃないのね~ 本堂と庫裏は、平成4年に新らしく建立したようです。 本堂左の道路わきに……本堂入り口に「開運丸山稲荷大善神」の幟があったから、こちらが丸山稲荷でしょう。毎月第二日曜日には丸山稲荷、28日には鬼子母神様のおまいりを行っているそうです。 勧請元は増上寺の丸山稲荷なのかしら? 増上寺の稲荷は、日枝神社とともに江戸城の裏鬼門を封じているそうです。芝丸山古墳なんてのもあるみたい……日枝神社もでかいんだよな~ いつかブラブラ行ってみるか~ 正しさを身に着けること……大変だけど努力します……南無妙法蓮華経 近所のお家の玄関先に……相撲は中止。プロ野球はどうなるのかしら? 巨人の二人でおさまればいいけど、無観客と言っても選手間でのクラスターは止めてね~ こんな道……左に赤いの見えました。 目的地正面は二葉公園……品川区二葉4丁目…遊具は封鎖されていませんでした。 道を挟んで、こちらは品川区豊町 由緒は分かりません。個人所有なのでしょうが、きちんとお手入れされていました。 しっかりとした造り……素晴らしいです。 手水舎には奇麗な水がはられていました。井戸水で冷やしたスイカ、子どもの頃は美味しかった。 どうやって撮ったか不明……二度とできません。 豊町のお稲荷様と地蔵様でした…… 今日は五目焼きそばにしようと昨晩から思っていた私。シネマカフェ(中華)は11時30分開店だけど、30~40分早く行って系列の暇を売る店(喫茶店)で新聞を読むのがルーティン。モーニングをスルーして空いたお腹を抱えて出かけたけど、暇は閉まっていてガッカリ。西小山へ行く選択肢もあったけど、満員だったらなお辛いから一旦家に引き返して出直し。再訪して焼きそばを食べ、帰りにながまるさんで一服……アイスコーヒーも頂戴してしまいました。料金も払わずご馳走さまでした。 今日はノンアルデー……寂しいけど我慢我慢……
2020.06.04
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昨日の続き……5月8日の散歩 社殿左側から社務所方向……社殿前の二本の木は御神木なのでしょう。 社殿前から参道、鳥居に向かって……鯉のぼりがユラユラ…… 手水舎……おみくじはひかないので社務所には近づきませんでしたが、七福神のスタンプがあったんですね~ 手水舎と御神木の間の由緒書きの足元に「土搗石(つづきいし)」ってのがあったみたいです。竹箒とゴミ袋しか目に入らず気付かなかったけど『江戸時代より武蔵国荏原郡上蛇窪村に伝わる石で、村内で住居や納屋などの普請がある度に村人が交替で手伝い歌を歌いながら敷地を固めた石で、別名オカメサンと呼ばれ大正7年頃まで使用したもの(同社HPより)』だそうです。 昨日、社殿の改修は昭和中期だろうと推察したのですが、平成の大改修の一環で、本殿及び手水舎は平成10年、社務所は平成15年、神輿庫は平成16年に建て替えられたそうです。浄財をご寄付される氏子の方々があっての寺社です。 狛犬……大正5年(1916年)11月奉納……戦禍を耐え抜いたんですね。 車にカバーがかけられているのは、弁天社以外にも改修工事があるからでしょう。 蛇窪神社の大鳥居をくぐって境内左に…… 稲倉魂神(うかのみたまのかみ)……稲倉魂命と称するのは日本書紀。古事記では宇迦之御魂神。別名、稲荷大明神、稲荷大神……つまらない事だけど、「こじき」と入力したら「乞食」が最初に出た。ほとんど死語なのになんでやねん。 京都伏見稲荷大社のご分霊をお祀り……全国に3万社あると言われる稲荷信仰の原点は稲荷山。稲荷大神様がお山に鎮座されたのは、奈良時代・和銅4年(711年)2月初午の日だって。すでに1300年を越えました…… 手水舎はありますが、使われていないことでしょう。私も使いません。最近は小さな消毒液スプレーを持参しています。『神は人の敬によって威を増し 人は神の徳によりて運を添う』「神はひとから敬われることによって霊験があらたかになって益々その威力を発揮する。また人は、神を敬うことによってより良い運を与えられる」……鎌倉幕府第3代執権の北条泰時が貞永(じょうえい)元年(1232年)に定めた武家法「御成敗式目」に記されていると。ちなみに、蛇窪地域の開拓を命じたのは北条泰時の弟・北条重時だって……日本史は明るくない私です。 御神徳は衣食住を司り、家業繁栄・家内安全を昼夜の別なく御守護くださっています。 お狐様集合…… なんとも個性的な神狐像……真鍋勝氏の建立だそうですが、見られなかった白蛇様も同氏の作のようです。 こんな愛らしいお狐様には初めてお会いしました。 社の上にも、さらに屋根があったのでありました。 お辞儀をしてさようなら……《おまけ》 昨日の昼下がり、氷を買いに近くまで……2ヶ月ほど休んでいたグレゴールは再スタートの初日。火曜と木曜は11時からやりますと聞いていたので素通りするわけにもいかず、ちょいと黒ビールを一杯。サーバーから注ぐ生ビールは苦手な私です。 一杯で帰ろうと思ったけど、ご祝儀だと思いもう一杯。でもビールじゃなくてウーロンハイ……こんなグラスで飲むのは初めてだけど、なかなか良いかもしれません。手元がくるうと倒しちゃいそうで怖いけど…… 焼きカレーを食べながら、同じグラスでバーボンソーダを飲んでいたお客さんもグラスが欲し気だった。「これはダメですが、別のならあげますよ」と店主……家にあるらしいけど、本当に持ってくるか? 他人事ながら楽しみです。 そうそう、「ビールだけで作るカレーなんです」と店主は自慢げに豪語していたし、お客さんも「美味しい」とは言っていたけど、果たしてどうなのか? 次回があったら試してみましょう。不味かったらお金払わないものね~ WEISSBIERってのは、小麦から上面発酵で作られたビールのことだって。上面発酵ビールは、発酵が進むと麦汁の上部に酵母が浮き上がる性質の酵母を使ったビールで発酵温度は15~20℃くらい。一方、下面酵母ビールは文字通り逆で、発酵が進むとタンクの底に沈降していく酵母を使うんだと。発酵温度は約10℃で、日本のビールのほとんどがこっちだそうです。(サッポロビールより) 換気は充分で席も密着していないから安心だけど、これでクーラーかけてるから電気代は大変でしょうが、緊急事態が再度出されないように最大限の留意が必要です。 連れ合いは今日も義母に付き添って近くまで出かけました。日頃に感謝して、昨日瓶の黒ビールをお土産に持ち帰りました。今晩 飲んでね~
2020.06.03
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大田区東馬込から区界を歩き品川区二葉にやってきた5月8日…… 電信柱の案内は大助かり…… 商店街の街灯照明は白蛇なのでした……今さら気付く私です。上を見て歩かないからな~ 立会道路と並行している三間通りの商店街……昔々は蛇窪と呼ばれていた地です。 商店街をちょいと曲がると…… 玉垣あった……広そうな駐車場 荏原七福神の幟もあります……これが目的だった私ですが、悲しい結末に…… 真新しい鳥居……令和元年12月建立。 鳥居扁額……コンクリートではなく、れっきとした檜材 鎮座700年記念事業が行われている最中でした。運が悪かったかも…… 社号碑……そもそもの旧社名は神明社……村社に昇格して「天祖神社」に改名されたときの碑みたい。昭和15年(1940年)奉納。別称だった「蛇窪神社」を通称表記に格上げしたのが令和元年5月1日。 ※ タイトルを(上神明天祖神社)としたのは、二葉1丁目にも天祖神社があるため。訪問済みなので後日載せますが、そちらを下神明天祖神社とします。 社号碑の脇に……御大典紀念……明治45年(1912年)7月30日・大正天皇が即位されたのを記念した碑。 参道……なんで敷物があるのか、この時には理解していない私でした。 狛犬、手水舎から社殿へ…… 蛇窪神社社殿……神明社の名の通り「神明造り」……鯉のぼりはこの時期だけ。 鎌倉末期の創建……元享2年(1322年)この辺り一帯が大干ばつに見舞われた際、大森にある厳正寺(ごんしょうじ)第2世法密上人が、厳正寺北西にある龍神社で雨乞いの断食祈願をした。すると大雨が降り危機が救われた。これに感謝して神社を勧請したのが始まりとの事。 社殿は昭和20年の空襲で焼けてしまったのでしょう。再興は昭和中頃でしょうか? 御祭神 主神 天照大御神 配祀 天児屋根命(あめのこやねのみこと)・応神天皇 社殿右側にあったので行ってみたけど…… 弁天社改修工事中だって……白蛇さまの祠も撫で白蛇も拝見できませんって…… 昭和29年(1954年)に造られたという弁天池と厳島弁天社……七福神の弁財天も見られずガッカリガックリ。 社殿提灯も蛇窪…… 仕方なく社殿左側に行ったけど、工事の為の車…… 社殿後方の本殿…… なんでここに? 弁天社改修のために避難してきたのかしら? 神輿蔵が並び、手前が消防団格納庫……鎌倉時代、この辺に清水が湧き出る洗い場があり、白蛇が住んでいたと。時移り、いつのまにか洗い場がなくなり、白蛇はやむなく戸越公園の池に移り住む。あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「早くもとの住みかに帰して」と懇願。この話を聞いた宮司は現在の駐車場に池と弁天社を建立し、石祠に白蛇を祠ったと。(同社HPより) 最終的に1954年から現在の社殿右後ろになったということですが、駐車場は必要ですものね~《おまけ》 今朝モーニングに行く途中……大きなユリが、これまた大きく歩道にはみ出ていました。花粉が洋服に付いたらしつこいです。古い知り合いのMさんも見たことでしょう。 よく見かける木ですっが、コンペイトウがなるとは知らなんだ~ 雨が降ってきそうな空模様でしたが、傘にはならないな~ と、帰路を急いだ今朝でした。
2020.06.02
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東馬込から西大井あたりと、区界をウロウロ……5月8日 英倫寺の少し北西の五差路……立っているのは区界の道で、正面の細い住宅から左は大田区だけど、右の煉瓦造り(朋優学園高校)は品川区…… 大田区側の道を入ると「真言宗・玉川73番札所」……1~2月は盛んに訪問したけど、玉川88ヶ所霊場ちょっと久しぶりかも…… 車の通りにくそうな細い道だけど、「電信柱の案内」を信じてきたらありました。 東照山鏡王院……寺紋でなく「宗紋」だとすると、桔梗っぽいのできっと智山派の寺院でしょう。金色の紋章がなければ普通のお家みたい……見過ごしたかも。 ちなみに、明智家の家門も桔梗紋でした。めったに見ないNHK大河ドラマを見ている私ですが、光秀は「水色桔梗」を使ったみたいです。 中延で昭和11年に創建し、同22年に当地へ移転された新しいお寺のようです。 職人さんたちがおいでだったので、素早く撤収した私…… コロナ禍の影響です…… 御本尊は釈迦如来とのこと。 本堂前・左に境内社…… 本堂前・右……塀越しに撮らせていただきました。 健照地蔵尊…… 品川区立原っぱ公園……鏡王院を後に北に向かいます。 横切るのは立会道路……右は大井町、左は荏原町・旗の台・西小山、そして碑文谷八幡宮まで行かれます。次に目指す蛇窪神社はまた今度……《おまけ》 モーニング帰り、とっても奇麗だったのでパチリ……紫やクリーム色などもありました。 今日はさほど暑くなくて助かりますが、何をしましょうか?
2020.05.31
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養玉院如来寺を後にした5月8日…… 坂越えが待っていました。右側手前は住宅でだけど、奥まで如来寺の墓地。 坂の頂上から西へ向かう住宅街……車のほとんど通らないこういう道は歩きやすくてありがたい。 立っている場所は品川区西大井で、坂の下からは大田区東馬込……真っすぐ進めば北馬込……私は下りませんが、品川と大田の区界が少しわかった日でした。 右は中学校……坂下から登校する生徒は足腰が強くなるでしょう。ちなみに冨士見台中学校と言うくらいだから、やっぱり富士山見えるんだろうな~ 学校は来週から始まるのかしら? ありました…… 英倫寺……山号を篠谷山、院号を清泉院と称すそうです。(浄土宗東京教区HPより) 浄土宗のお寺だから御本尊は阿弥陀如来でしょうが、本堂が良く分からないから…… 脇の鳥居へ…… 豊川稲荷? と思いきや…… 豊川吨枳尼真天……[だきにしんてん]と読むらしい。 愛知県の豊川稲荷大本殿に祀られているのが豊川吨枳尼真天。稲荷と呼ぶから神社かと思いきや、なななんと!!! 圓福山妙嚴寺と称す曹洞宗の寺院。ということは、英倫寺には二つの宗派が存在することになるんですね。不思議…… お狐様もおいででしたが、情報がないのでこれ以上はわかりません。 家内安全・身体健全・無病息災・商売繁盛・交通安全……私は、コロナ終息だけ祈ってきました。 三つ葉葵……だよね~「月影杏葉(つきかげぎょよう)」と呼ばれる浄土宗の宗紋とは違いますが、私などの知らないことがたくさんあるのでしょう。 3密は守るんじゃなくて避けるんだから「厳避」の方が良さそうだけど……断じてケチを付けているのではありません。命は大切にしましょう。合掌《おまけ》 一昨日、散歩のついでに久々の墓参り。 気にはなっていたので、Rさんのご自宅前でも手だけ合わせてきました。 お墓の塀際にありました……連れ合いが「きれいですよ」と言っていた場所。これだけ咲いたらスズラン奇麗だったでしょう。しかし、よくこんな場所を見つけたもんだ……感心感心。 テイクアウト・メニュー…… 上段……「ドイツ直送」を謳いたいんだろうけど「パンで作るホットドック」ってのはな~ パンじゃないホットドックってあるのかしら。 下段……「あらぴー」……個人的なことで恐縮ですが、名前が嫌いです。ソーセージが高級なのかもしれないけど、ちょっと高いよ~ 私には…… しばらく休んでいたグレゴールも来週から営業再開。週二日(火曜・木曜たぶん)は昼からやるらしいっす。こういち君、瓶ビールちゃんと冷して頑張ってね~ 西小山のポエムも今日から再開していました。久々のホットドックおいしかった~(サラダは定量の半分です) 見たことありそうでなかった花……「パンで作るホットドック」など、つまらないものに目がいってしまう悪い癖の私でした。 さてさて今日は何をしようかしら? ノンアルは守ります……厳守です。
2020.05.30
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東馬込からブラブラしてきた5月8日……昨日の続き…… 如来堂から境内……モミジかカエデか? 新緑も清々しいけど、紅葉の季節はもっと風情が良い事でしょう。 釈迦堂右前に古い手水鉢……古くないか~ でもって、小さな小さな祠があった……不明……何も祀られていないようでした。 仕方ないので如来堂左へ…… 萬霊塔……大正12年(1923年)5月建立。よく見かける三界萬霊塔同様に、この世の生命あるものの霊を宿らせ、すべての精霊に供養することの大切さを教えるもののようです。 弥勒菩薩……私の大好きなポーズは「半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」と言うそうな。このポーズの時は天での修行中なのでしょうが、未来仏としては弥勒如来と称します。 朽ち崩れてしまったのでしょう…… 南無阿弥陀仏…… 右に本堂、左が如来堂……緑のアーケードが心地いい。 如来堂左脇には石仏が並んでいます。後方が墓地みたい。 本堂…… カエルのベンチ……頑張って支えている感がでています。 フクロウのベンチ……割れると困るので座りません。 明王堂……平成10年(1998年)新築みたいです。 扁額……不動明王が安置されているのかしら? 大日如来の化身だと言うけど似ても似つかない忿怒の相……『教化(きょうか)しがたい者を折伏(しゃくぶつ)して救済しようとするため』だそうです。 ※ 教化=人を教え、よい影響を与えて善に導くこと。 ※ 折伏=悪行や悪法を威力を持ってくじき、仏法に従わせること。折伏してもらわないとならない政治家や官僚が後を絶ちません。 大日如来は最近お会いしていないけど真言密教の教主。奈良県にある円成寺には国宝の大日如来が安置されていると……連れ合いは知っているかも…… 明王堂左に手水舎…… 日本庭園のような参道を下ります。 山門手前…… 鐘楼…… 山門を入ったところにも石仏と燈籠……観世音菩薩かしら? 平成元年(1989年)に落慶とのこと……喜ばしい限りです。 なんとも清々しい気持ちにさせていただいた同寺に御礼申し上げます。また再訪したい一寺でありました。次は連れ合いと行かれたら良いですね。
2020.05.27
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大田区東馬込から一山超えて品川区西大井へやってきた5月8日…… 帰命山如来寺 養玉院…… 寺号碑は「大佛 如来寺」山門には「天台宗 養玉院」???『如来寺は寛永年間(1624~44年)に木喰但唱(もくじきたんしょう)が芝高輪に創建した寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が安置されているところから、俗に高輪の大仏と呼ばれ、明治41年(1908年)に現在地に移転しました。 養玉院は寛永12年(1635年)に創建された、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えていますが、寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。元禄11年(1698年)に下谷坂本に移って養玉院と改め、この頃対馬の領主宗家の菩提寺となりました。大正12年(1923年)如来寺と合併して、現在の場所に移りました。(天台宗東京教区の公式サイトより)』ということで、二枚看板なんですね~ 龍神に乗って人々を救いにやってくる観音菩薩……山門前右……いきなりすごい彫り物に出くわしました。 山門は閉まっていたので、隣から失礼します。 こちらも、しながわ百景でした。「千燈供養会法要」は8月13日のようです。境内が提灯で埋め尽くされる景色は神秘的でしょう。言葉通り提灯は約千個みたいですが、コロナが終わっていますように…… 大井の大佛石碑……参道は長そうです。 庭園風情の中をくねりながらゆるやかに上って行きます。 まだまだ…… 連れ合いが読んでくれるでしょう……私 無知なので…… 荏原七福神の布袋尊……「おん まいたれいや そわか」弥勒菩薩の化身だって聞いたことがあるけど……おっと、真言宗じゃなくて天台宗は「おん まいたりや そわか」でした。本物の発音は知らないですが……ちなみに布袋さんが背負っている袋は堪忍袋ともいわれると…… 晴れていたし、緑の木々に囲まれて気持ちが良かった。遥々やってきた甲斐があったというものです。 やっと到着……本堂と手前は客殿かしら? 五智如来 歸(帰)命山……かつての寺標かしら? しかし、みごとな庭園・境内です。 本堂……寛永5年(1628年)頃建立。養玉院の本堂だったものを大正12年下谷坂本から移築。瓦葺だったが現在は銅板葺。 本堂扁額……大雄宝殿 品川区指定有形文化財「木造念海和尚像」「石造線刻地蔵菩薩坐像」が安置されていると。「木造念海和尚像」は養玉院二代和尚の肖像彫刻で、高さ50.5㎝、制作年度は寛文11年(1671年)、仏師・長五郎の作。「石造線刻地蔵菩薩坐像」は高さ267㎝、幅85㎝の安山岩の表面に、結跏趺座(けかふざ・座禅の形)する地蔵菩薩が線刻されている。制作年度は慶安4年(1651年)とのこと……もちろん残念ながら拝見できませんでした。「木造釈迦如来及び両脇侍像」「木造阿弥陀如来立像」「木造天海僧正坐像」「絹本着色阿弥陀三尊来迎図」……などの区指定文化財が安置されていると。 左本堂、右如来堂 本堂正面に無量光殿……屋上に、養玉院創立当初の阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂があると言う。なんで石段を上らなかったのかしら??? こんなの撮ってる場合じゃなかったのに……まぁ、阿弥陀堂も閉まっていたでしょうが……諦めの早い私です。 如来堂……当初寛永年間(1624~44年)如来寺の本堂として建立されたが、現在のお堂は宝暦10年(1760年)の再建。明治末の移転に際して現場に縮小されたとのこと。それでも立派なお堂です。 仁王像が守っています。なんで金剛力士って言うかって? 「金剛杵(こんごうしょ)」って仏敵を退散させる武器を持っているから…… 楽天でも売っているけど凶器になりそうなのもある。大丈夫かしら? 阿吽の1体・吽形像……凛々しい! 如来堂扁額……瑞應殿(ずいおうでん) 木造五智如来坐像が安置されていると……『寛永12年(1635年) 入仏如来寺創立と同時に本尊として木喰但唱(もくじきたんしょう)が造立したものだが、薬師如来を除いて火災で焼失し、他の四体は延享3年(1746年)ころの再興』と同寺HPには書かれています。区教委の解説とは一部年代が異なりますが、気にしないようにします。 如来堂正面にあったので…… 行ってみたけど暗証番号でロックされた鍵付き……断念……残念……くぐる際に頭をぶつける事必至です。 悔やまれるので、正面にまわって1枚だけ……これが精いっぱいでした。 堂内にむかって右から薬師如来、宝生(ほうしょう)如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来……いずれも像高3mにも及ぶと。如来ばかり5体は壮観なことでしょう。 ちなみに七福神・布袋尊とスタンプもこの堂内にあるようでした。スタンプ集めはしないので私には影響しませんが…… というところで今日も時間になりました。続きは明日……
2020.05.26
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今月に入って荏原七福神なるものに気付かされたので、追っかけてみた5月8日の散歩…… 荏原七福神は品川区なんだけど、周辺の寺社も歩きたくて、とりあえず環七を辿って大田区東馬込まで一直線に……新幹線のガード下手前を左折します。手ぶらではあっても少しはアップダウンのある環七を来たから既にお疲れ気味の私…… 左折したはいいけど、いきなり石段かよ~ 見た目以上に辛そうだ……自転車も一緒に上れるようになっているのはありがたいでしょうが、シンドイな~ 振り返ると……新幹線の下の湘南新宿ラインよりも遥かに高い……山王あたりも含めて大田区は起伏が激しから、買い物に行くのも住民の方々は大変でしょう。 石段が終わったと思ったらまた上り……なんでやねん!!! 「この先車両行止り」の訳は後で分かります。よっこらしょ…… あったあった…… 馬込諏訪神社……東京都にも10や20はありそうな諏訪神社なので、馬込諏訪神社としておきます。 鳥居扁額……長野県の諏訪湖周辺に4ヶ所の境内地を持つ神位・正一位の諏訪大社が全国各地にある諏訪神、諏訪明神、諏訪大明神などとも呼ばれる諏訪神社の総本社です。いつか行ってみたいな~ 多摩川諏訪神社に行ったのは1月でした。もう5月……時の流れは早いな~ 御祭神・建御名方命(たけみなかたのかみ) 厳重にガードされていました。 石畳敷の参道脇に、可愛らしい花が自生していました。自分で言うのも変ですが、こんなの撮るのは変わり者なんでしょう。 説明書きもなかったので、詳細は不明です…… 馬込諏訪神社から、ほんの少し北上したら「この先車両行止り」が判明しました。 高い高い……前方は寺院……この地点から広大さが伺えます。 自転車が欲しいと幾度も思うのですが、こんな場面では邪魔になるだけなんだよな~ でも、まだ迷っている私です。 下から見たら、大した石段じゃないんだけど…… 下道に到着してこの日の目的だった荏原七福神の寺院を目指しますが、続きはまた今度です。《おまけ》 昨日、またMaanaさんにお会いしたので、いつものように記念写真!! 相変わらずの笑顔、ありがとうございました。時節柄、握手はなしです……お元気で~《おまけ 2》 すし太一……祐天寺境内の裏側・南側の住宅街にあるお寿司屋さん。 少し前に連れ合いとお袋がバラチラシのテイクアウトをテレビで観たようで、連れ合いがチラシ好きのお袋の為に先日買いに行きました。コロナの時節柄、昼は持ち帰りで営業しているらしく「今度、ニギリ食べたいわ~」と言う義母の要望に応えるべく、予約をしておいた連れ合いが先ほど引き取りに……でもって、方向音痴の連れ合いに付き添って私が最短距離の近道案内をしてきました。 でもって、私もご相伴にあずかりました。昼から大贅沢でした。 漢字を覚えなくちゃね~ 河豚と信じてきたのですが「鰒」なんて一字もあることに驚き…… 結論として、大変美味しく頂戴しました。鮪は本マグロのDNAが感じられたし、赤貝は少しもゆるんでいない剥き立て感充分、車エビやウニも全てのネタは文句の付け所がありません。左の巻物はヒモキュウ、隣は玉子ですが一筋の干瓢が味を引き立てていました。シャリの大きさも、握り加減も程よく絶品のお寿司……久しぶりでしたが大変美味しかったです。近かったらカウンターで食べてもいいんだけどね~ 贅沢贅沢ですね~
2020.05.25
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昨日の続き……5月5日の散歩 社殿前から……左に社務所、右に神楽殿。 神楽殿…… 手水舎手前から、後方に神楽殿と社殿…… 井戸なのかしら?…… 偶然のようにiPodから流れているのはブルージーな「古井戸」……昭和54年(1979年)、渋谷公会堂の泉谷しげる+古井戸のコンサート「唄の市番外編」……あの頃僕も若かった…… 手水舎は木の柵で囲われているけど…… 手を伸ばせばなんとか使用可能……腰を曲げて、少々かがみこむのでギックリ腰に注意! 絵馬殿……昭和3年(1928年)に造営。 完成時には参道の北側(おそらく現在の社務所側)にあったけど、旧社殿が空襲で焼失したため、終戦直後に曳家(ひきや・そのままの状態で移動)して昭和37年まで仮社殿の役割を果たした。同年、現社殿の造営着手に伴い、この場所に二度目の曳家をされて残っています。戦災を逃れた貴重な神社建築として、平成25年 国より「登録有形文化財」として登録されています。 文化財登録の絵馬などがかけられているそうですが、とにかく鉄柵に阻まれて拝見できませんでした。 北参道から失礼することに…… こちらから訪問したら「ちいさそうな神社」と思ったでしょう。 正面の鳥居とは対照的に木造……木目がいいので朱色に塗らない方がいい。 こちらも、百景でした。 鶴岡八幡の北参道を出ると…… ムムム……個人所有・管理かしら? 立派な石灯篭に…… 立派な祠……きちんと生花も…… 野村肥後守源綱定……とあります。私にはわかりませんが合掌。この後 中原街道に出て碑を二つ見てきましたが、また今度……《おまけ》 連れ合いに焼いてもらいました。毎日 手間をかけてすまないね~ ごちそうさまでした。しかし喫茶店がないのは困るな~ 朝、7-11で買ってきました。「食べ応え抜群!」とあるように、これでお腹いっぱいになった小食の私です。 新聞記者らと賭けマージャンをしていた黒川弘務東京高検検事長……辞表を出したらしいが、訓告処分ってのが気に入らない。法律に違反した犯罪や事件を調べて起訴するのが仕事の検察。それもN0.2が賭博罪を知らないはずはない。知っていて罪を犯す愚か者に退職金なんて払わないでよ。辞表など受理せず、免職が妥当。そもそも、自分で賭博を認めているんだから即逮捕でしょうに。 新型コロナウイルスに感染し、退院して自宅療養中だった松村理治・金沢市議が、休業要請解除前にパチンコをしに行ったと。 検事だの市議だの、民の模範となるべき人たちはギャンブルが好きなようだが、強引に成立させたカジノ法の進捗状況はどうなっているのか? 「観光客を呼び込み、財政難を改善しよう」なんて思惑もあったが、外国からの集客はコロナがなくなるまで無理だろうからずーっと先延ばしにすればいい。 ただ、その後が伝わってこない収賄容疑で逮捕された自民党・秋元司衆院議員の白黒は早く結論付けてよ。選挙資金をばらまいた河井議員夫婦の逮捕・起訴もある。「桜を見る会」の告発状を受け取っている東京地検……とにかく検察には正義を貫く仕事を願っている。 また書いてしまった。
2020.05.22
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旗ヶ岡子育地蔵尊から立会川を通って品川区旗の台をブラブラ(5月5日) 東急大井町線荏原町駅前の法蓮寺を出て、仲通りを少しだけ上ると…… 旗岡八幡神社……東向き… 存在感充分な大鳥居……こんな立派な神社が近くにあるとは知らなかった~ 狛犬は文化5年(1808年)奉納……背後にあるのは空襲を免れたという絵馬殿。高床式っていうのかしら? 柵で囲われていて絵馬はかすかにしかのぞめませんでした。 200年以上前から守っているんですね~ 背後は北参道の鳥居 社殿……社殿前にも新しい狛犬… 長元元年(1028年)、上総・下総で起こった平忠常の乱を治めるべく、同3年(1030年)に朝命に奉じた甲斐守源頼信公が同地へ赴く際、一族郎党と共にこの地に宿営した時、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し戦勝を祈願したのが発祥とのこと。(同社HPより) 御祭神……誉田別命(応神天皇)・比売大神・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后) 鎌倉時代(1185~1333年)中期、当時の領主となった源氏の庶流荏原左衛門尉義宗公(1231~1285年)は八幡大神を崇拝すること厚く、まず社殿の造営を志し、源家重代の守護神としてのみならず地域の人びとに鎮守としての御神徳の発揚に努力された。さらに、日蓮宗に帰依し朗慶上人と称した義宗公の二子徳次郎は、その館に法蓮寺を開山し当神社の別当として守護に当たったと……神仏混合・神仏混淆の時代の象徴でしょう。 社殿後方へは進入禁止……何か蔵のようなものがあったけど…… 社殿左に神輿蔵……とても新しい 神輿も新調したんでしょう。 ピカピカかつ丁寧・精巧… 耕地整理記念碑……神輿蔵の左 社務所も新しい……昭和20年5月の空襲がなかったら、今どんな姿を見せてくれたことか…… 社殿からみた境内……江戸時代には2代将軍秀忠をはじめ多くの武家の崇敬を受け、毎年2月15日には各地から集まった武士たちにより弓の競射が行われたそうです。 さてさて、今日はこれでお終い……「なんで~ つまらんな~」と連れ合いから言われちゃいますが、力が入らないから終わりだよ~ 賭けマージャンの黒川辞任もブツブツ言いたいけど、止めておきます。
2020.05.21
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5月2日に「小山八幡神社」と「摩耶寺」で荏原七福神なるものを知ったので、残りを訪問するべくブラブラ歩いた5月5日…… 旗の台駅から立会川の緑道というか児童遊園を歩き、荏原町駅・大井町線北側です。緑道は、鉄道を越えると南側へも第二京浜方向に顔を表します。8日の散歩では反対方面を歩いたので、道がどうつながるのか少し理解できました。 法蓮寺山門……右は日建聖人記念碑・明治35(1902年)年4月28日・日蓮宗開宗650遠忌に際して、とのこと。 以前、大田区にある御嶽神社が駅(池上線御嶽山駅)にとても近いと書きましたが訂正します。私の知る限り、こちらの寺院が最も駅そば……まさに駅前の言葉にピッタリの立地でした。 記念碑の反対側に……日蓮宗のお寺……「天保の改革」にあい、以降寺運衰退の止むなきに至った。数代を経て第45世 常慎院日朝上人は当寺の再興に全身全霊で打ち込まれ、見事な伽藍(がらん・寺院の建物の総称)と枯山水の有名な庭園を造られたが、昭和20年(1945年)5月の大空襲により灰燼(かいじん)に帰した。(同寺HPより) 荏原七福神の一つ……ありました!!! 恵比寿さん……清廉で商売繁盛・福徳をもたらすそうです。「小山八幡神社」「摩耶寺」では大黒天も寿老人もお目にかかれませんでしたから嬉しい私。 法蓮寺本堂……先に書いた通り昭和20年の戦災で焼失後、昭和41年(1966年)5月に再建されたそうです。建坪総面積約166坪…… 本堂扁額……文永年間(1264~1274年)創建。日蓮大聖人の直弟子六老僧のひとり日朗聖人の弟子・九老僧越中阿闍利朗慶上人にて開山。 鎌倉時代中期に、この地の豪族 荏原氏の居館を寺としたのが始まり。旗岡八幡神社(地続き・この後寄りました)とともに源治氏ゆかりの寺として「八幡山」の山号が付けられたそうです。 本堂内……正面に日蓮大聖人。その後ろに大曼荼羅御本尊。手前には八幡菩薩が安置されているそうですが、見えませんね~ 本堂から……大井町線通過~ 踏切の向こうが商店街 本堂左……江戸時代、11代将軍・徳川家斉は鷹狩の際、人柄の良い住職を慕ってたびたび立ち寄った。将軍がどんな人柄を気に入ったかといえば、住職は将軍が相手の相撲でも手加減しなかったそうです。昔も、媚びへつらう忖度家来が多かったんでしょう。 総本山は身延山久遠寺……直接の本山を池上本門寺……境内面積約1212坪 恵比寿さんの後ろから見た本堂…… 平和祈念戦没者鎮魂供養塔……本堂右……本当に平和を祈ります。 永代供養塔……境内内山門脇 しながわ百景 No.81でした。 頻繁に下りる遮断器……自粛中だったから人も車も少なかったから良いけど、通常は困るでしょうね~ 踏切とは反対方面に仲通りを北上……続きはまた今度です。 喫茶店が休みなので、朝は7-11でカツサンドを買ってきて食べました。連れ合いが上手にトースターで温めてくれたから撮っておいて《おまけ》にすれば良かった。
2020.05.19
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「とりあえず、明日から29日まで休業します」と、西小山の喫茶店ポエム……営業時間を短縮し、席数も減らして努力してきた。開店準備から9時までは人件費削減もあって、マスター一人で営業を続けてきたからお疲れもあるのでしょう。 しばらくは行かない町なので、撮ったか載せたか忘れてしまった近くの神社を見て帰ってきました。 きっと何年も歩かない場所だったのでしょう。「オヨヨ!!!」であります。隣接していたビルは空き地になっていました。道路拡張なのか、歩道わきまで続いていた複数の鳥居もなくなっちゃいました。目黒区原町1丁目……近辺ではこのような建て直しの情景をたくさん目にします。 幟は正一位下山稲荷大明神……鳥居、6基ぐらいはあったんだけどな~ 扁額は下山稲荷宮…… お狐様大集合……倉稲魂命が祀られているのでしょう。不謹慎ですが、お狐様は3密です。 稲荷前をほんのちょっと進みます。この道をついていくと藤城清治のアトリエ……以前、連れ合いと歩いたはずなんだけど、その時以来だったのかな~ 西小山で鶏の唐揚げ買って、雷王さんに差し入れ持って行った時だったかしら? フルーツパーラーってことは、果物店を兼ねた喫茶店ってことだよね? 入ってみたかったな~ 山下稲荷から100mほど先を右に曲がると、また赤い幟…… ちなみに、この道を辿っていくと藤城清治事務所そばで先ほどの道とぶつかります。知らないうちは不思議に思っていましたが、双方が左右に湾曲しているから当然なんですが……歩き始めたころはこの界隈の路地もよくブラブラしました。 東伏見稲荷大明神……アパートの階段と自転車置き場に囲まれていますが、社殿の土台石はすごいです。幟は令和2年……今年の奉納です。 東伏見稲荷……関東の稲荷信仰者たちが、参拝に便利な東京に伏見稲荷大社のご分霊を奉迎してそのご神徳に浴したいとの熱望に京都伏見稲荷大社が応え、昭和4年(1929年)西東京市東伏見に鎮座したそうです。伏見稲荷直系はよくお目にかかりますが、東は気付きませんでした。御祭神は倉稲魂命or宇迦之御魂神でしょうが、古事記や日本書紀での表記が異なるからめんどうです。本家伏見も東も、佐田彦大神と大宮能売大神が宇迦之御魂神の両脇に祀られています。 載せたかどうか古い日記を調べてみたけど、結局見つかりません。下山稲荷の旧姿が残っていなくて残念な私でした。また探してみよ~っと!《おまけ》 昨日、ある方からちょうだいしました。5月場所は中止になってしまったので、幻の番付表……「照照あがってきたか~」などなど、昨晩 連れ合いは楽し気に呟きながら見入っていました。 今日は雨だし、なんとなくブルーだからこれでお終いにするけど、『検察庁法の改正案を含む国家公務員法の改正案について政府与党は今国会での成立を見送る方針を固めた』と一部メディアが伝えた。国家公務員法まで反対している訳じゃないのになんでやねん。検察庁法改正案だけ外したらいいのに。重ねてきた審議を全部無駄にするんかいな。 勝手な推測だけど、15日のインターネット番組で「黒川氏と2人で会ったことはない」と語った安倍首相。実は18年12月11日に当時法務事務次官だった黒川氏と官邸で面会したことが報道各社の首相動静から見つかっちゃった。言い訳するのが面倒になったから全部「や~めた」ってしたのだろう。「2人であったことはないけど、3人だったらある」とか、「あの時の黒川氏は法務事務次官。東京高検検事長としての黒川氏とは会ったことがないと言った」とか、さらに国民から批判を浴びることはやめたんだろう。賢い選択だけど、もっと早く決断すれば良いのに……いやいや、そもそも勝手に任期延長したことが間違いであって、そのことを深く真摯に反省なさることを望みます。 また書いてしまった……トホト…
2020.05.18
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荏原7丁目から東に立会道路を越えて6丁目……5月2日 こんな住宅街にあるのかしら? と半信半疑…… 民家の間にありましたが、鳥居がなかったら気付かなかったでしょう。 葛原神社……葛原(かつはら)で良いみたい。 7段ですが石段を上ります。手すりはありがたいですが、コロナだから触れないように……最近は小さいスプレーを持ち歩いていますが……『江戸時代は妙見社と呼ばれ、中延の鏑木家の鎮守として祀られていた。鏑木家は千葉氏の末流で祖先が弘治2年(1556年)下総より中延に移住した時に妙見社を勧請したといわれている。』(しながわ観光協会) 御祭神は葛原親王とのこと。葛原親王? 千葉氏の祖である桓武平氏の祖桓武天皇(737~806年・天皇在位781~806年)の第三皇子らしいです。日本史は嫌いなので詳細は調べません。 妙見社としていたころは妙見菩薩を祀っていたのでしょう。明治の神仏分離で御祭神を変えたのかも…… 菩提樹……社殿右前に…… 妙見菩薩を本尊としていたから、仏教に関係のある本樹が植えられたと推定されると「品川区HP(指定文化財)」にありました。『ボダイジュはシナノキ科の……原産は中国…』と書かれていますが、「クワ科でインド原産」のボダイジュもあるようです。葉の形状などから見きわめられているのでしょうから、「このボダイジュは…」と書き初めてくれるとうれしいです。 蛇足ながら「しながわ観光協会」も「品川区HP(指定文化財)」も、幹は『四本』と書かれていますが、この看板は『三』に修正されていました。情報の共有ってのは難しいのかもしれませんが、正しい情報をいち早く共有することは緊急事態時にも役立つんだけどな~ 樹高約10mとのこと……高い高い…… こじんまりとした境内ですが、手入れは充分に行き届いています。 手水舎に近づいて、こちらの狛犬にオヨヨ!!! こんな前傾姿勢の狛犬さんにはお目にかかったことがありません。 左右一対のバランスを考えると、これもありです。 この日2日に荏原七福神なるものを知ったので、5日・8日と昨日も歩き、一応七か所制覇してきましたが、「歩きすぎですよ」と連れ合いが言うように、右ひざに水がたまったかもしれません。セレコックスを飲んだから落ち着いていますが、今日は歩かないようにしましょう。なんて言っても今朝もモーニング行ったっけ……行って良かったです「明日は休みます」と聞けたから。明日は何を食べようかな~
2020.05.15
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以前歩き始めた頃を振り返り「そう言えばあのあたりに寺社があったな~」と思いだし、洗足駅方面からやってきた5月2日のことです。まだまだ電車やバスは乗りたくないし、歩いて行かれる範囲は限られるので辛いですが感染拡大防止に協力します。 標高35mに鎮座する小山八幡神社から下りてきました。 摩耶寺(まやじ)山門……かつては直前にお邪魔した小山八幡神の別途寺でありました。 山門は鉄柵にしっかりと鍵がかかっていたので脇から失礼します。 摩耶寺本堂……日蓮宗の寺院で、仏母山(ぶつぼさん)と号し、建立は寛文7年(1667年)、開山は立法院日了と伝えられているそうです。山号「仏母山」が示すように、お釈迦様の生母・摩耶夫人が祀られているとのこと。 ただ単に小山八幡神社に次いで訪れただけなのですが、この寺院も「荏原七福神」の一つであると知らされました。本堂に祀られているのでしょうが、あいにく読経の最中……法要が行われていたのでしょう……閉じられた扉からは拝見できませんでした。現本堂は昭和53年(1978年)10月完成のようですが、あまり目にしない近代的な建築でした。 本堂扁額……天保12年(1841年)……美しすぎる…… 本堂前から山門…… 境内……本堂の奥に…… 摩耶堂……天保年(1830~1744年)に建立 延宝6年(1678年)に造られた精巧な彫刻で極彩色に塗られた高さ36.9㎝の「木造摩耶夫人立像(もくぞうまやぶにんりゅうぞう)」が安置されているそうです。品川区指定有形文化財ですが、通常は非公開。 摩耶堂扁額…… 頭には冠をいただき、飛雲(ひうん)の台座にのる本像は高さ61㎝の厨子に納められていて、誕生仏を前に配しているとのこと。一目 拝見したいものです。「木造摩耶夫人立像」は、碑文谷法華寺(現・円融寺)に奉安されていたものを円融寺が元禄年間に日蓮宗から天台宗へ改宗したとき、此処に移したそうです。円融寺さんも、日蓮宗もさまざまありました。今後未来永劫、政治が介入しませんように…… 題目塔かしら……獻燈・灯明もあるし、背丈はさほどでもないけど笠塔婆かもしれません。 境内から山門…… 参道からは外に出られませんが……右に発見…… 庚申塔……屋根で保護されています。 小山庚申講……年代は不明ですが、ものすごく良く描かれています。 摩耶寺山門前……道路には出られませんが、せっかくなので下までおりて撮りました。 小原鐵五郎(てつごろう)顕彰碑……従三位勲一等『貸すも親切 貸さぬも親切』と彫られていますが、いったいどんな人物か? 明治32年(1899年)荏原郡大崎村の農家に生まれ、大正8年(1919年)大崎信用組合(城南信用金庫の前身)に入職。昭和20年、戦争で被害を受けた城南地区の15の信用組合が合併して城南信用金庫が設立され、昭和31年(1956年)に同信金の3代目理事長に就任。「大企業を富士の頂だとしたら、それを支える中小企業の広大な裾野があってこそ成り立つ。その中小企業を支援するのが信用金庫」との理念のもとに日本経済をけん引してきた人物のようです。「銀行は利息を得るためにお金を貸すが、我々組合は、先様のところへ行ってお役に立つようにといってお金を貸す。たとえ担保が十分であり、高い利息を得られたとしても、投機の為の資金など先様にとって不健全なお金は貸さない。貸したお金が先様のお役にたち、感謝されて返ってくるような生きたお金を貸さなければならない。」と…… 投資用不動産への資金を不適切に融資していたスルガ銀行……『貸すも親切 貸さぬも親切』をしかと噛みしめなさい。 近隣に住みながら「荏原七福神」は知らなかった私……この後、残りを探し求めるであろうことは必至です。三密にならぬよう、マスクもしながら散歩をしてみましょう。
2020.05.14
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裏口入社をしてしまった八幡神社(5月2日)の後編…… 境内社(稲荷神社)前から表参道の鳥居……鳥居右に手水舎 数多くの木々の緑がまぶしかった……大きく深呼吸……近くに人はいないから大丈夫…… 社務所と左は授与所……コロナウイルスの影響で、お休みしている寺社が多いです。 当然こちらも使用中止…… 表参道からの境内……正面拝殿、左が稲荷神社で右に神楽殿。 後で位置確認できるように撮っておくスマホの広角は便利です。『創立年月は不詳ですが、社伝に鎌倉幕府の頃、口伝では長元3年(1030年)には旧小山村本村の氏神として崇敬されたと伝わります。』(しながわ観光協会より) 扁額……何となくスッキリし過ぎ… 御祭神は誉田別命。 拝殿前から表参道の鳥居と右に手水舎……本当はあそこから入社すべきでした。 神楽殿……風格があります。 秋の祭りは、山谷八幡神社と合同で行われるとの事。 [山谷八幡神社]いつ行ったっけ? と思ったら2017.12.12……さほど寺社には興味がなかったようで、拝見の仕方が雑でした。でも、つながりのある二社を訪問出来て良かったし、軋轢があって分離したと伝えられる山谷八幡神社ですが、仲良くして嬉しいです。 景色が良さそうと思ったら…… 区内随一の高台・標高35m。地名「小山」の由来が理解できます。しながわ百景らしいです。 西側に裏参道……右の玉垣は社殿を囲っています。 右の木は「小山八幡神社のシイ(2)」……推定樹齢約150年……(1)より50年若いだけあって、傷んでいる個所はないみたいです。 昨日のシイ(1)の説明で『目通りの幹廻り』なる表記……常用漢字表外だし生徒にもやさしいから「幹回り」としたほうが良いんじゃないかしらと、合点がいかなかった私。 ところがどっこい、このシイ(2)では『目通り(目の高さ)幹囲り』ときた……目通りに(目の高さ)と注釈を入れたのはいいが、「幹囲り」はないだろう。「囲」は音訓ともに「まわ(り)」などとは読まない。そもそも、樹木の幹のまわりの寸法を『幹囲(かんい)』と言うのだから、わかりやすく正確に書くなら『目通り(目の高さ)幹囲(かんいと読み、幹まわりの寸法)』とする方が良いでしょう。教育委員会さんも忙しいでしょうが、小学生でも読めるようにルビをふってくれても良いかも…… 一応、裏参道の外からパチリ……西側に2ヶ所と東の表参道から入社できることになります。 表参道の鳥居から失礼しました。 標高35m……さすがに下って行きます。 最初の石段をおりて振り返る…… また次の石段を下りると……良かった~ 下から上らなくて…… しながわ百景は区制70周年にあたる平成29年にリニューアルされたようで、なくなった場所もありますが同社は健在です。ちなみに新顔として「天王洲エリアの水辺の風景」や「目黒川の桜」なんてのが加わったようです。 表通りに出てきたところで今日は終了です。 大方書いたところで誤ってブラウザーを閉じてしまい、大失敗……書き直しには力が入らず多々省略……情けない私でありました。(教委に偉そうなことを言いましたが、誤字脱字はご容赦くださいませ。)
2020.05.10
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洗足と西小山との中ほどに寺社があったな~ と思い出し、久しぶりにそちら方面を歩いた5月2日…… 品川区小山の厳島神社から東へ荏原7丁目あたり……遠くに視認 玉垣 見えました…… 玉垣の角から先は行き止まりで墓地らしいけど、見晴らし良好…… 裏口入社らしいけど…… 正面を探すのが面倒だったので失礼することに……「小さな拝殿やな~」と思ったら、提灯に大黒天…… 扁額はこれ……祀られているであろう大黒天様を見たかったけど、靴を脱ぎたくなかったので断念しました。多摩川七福神は目につきやすい所にあったんだけどな~『荏原七福神』……知らなかった。福徳円満で財宝をもたらすそうだけど、コロナ終息の神にもお詣りしないとな~ 大黒社? 甲子神社? から社殿方向……手前に稲荷神社がありそう…… ふり返ってパチリ……八幡神社社殿の左奥から入社した私でした。 社殿前境内……ゆったりした境内です。 社殿左に稲荷……鳥居から稲荷社前まで屋根が付けられています。雨の日には助かりますが、こういうのは初めてお目にかかりました。 一応お詣り……お賽銭がま口持って行ったものね~ 手洗いはパス…… 燈籠にお狐様……フル装備のお稲荷様 悲しいかな…… なんとかしてあげて~ 二礼二拍手一礼…… 稲荷社の右後方…… 見事な樹です。 小山八幡神社のシイ(1)……『俗に西小山八幡と称されている当社の境内には、常緑樹のシイの木数本の他、サクラ、ケヤキ、イチョウ、サワラ、ソロなど数多くの樹木があり、豊かな鎮守の森をなしている。本樹は、当社では最も大きいシイの木で、樹容も立派であるが、頂部に枯れ損じがある。目通りの幹廻り2.85m、樹高13m、推定樹齢約200年で、区内でも貴重な樹木である。平成12年3月31日』……ちなみに(2)は後編で…… 本殿……椎の木を撮ったついでに…… 拝殿……裏口入社をしたので順番がおかしくなりましたが、八幡神社社殿正面は残念ながらまた明日…… この日、本当に久しぶりに向かった洗足駅ですが「顔だけ見に寄ってみようかな」と思いながらも遠慮してしまったRさん宅……一昨日「亡くなりました」と、師匠が連絡をくれました。まだまだ若いのに残念です。ご苦労も多かったでしょうが、ゆっくりお休みくださいませ。《おまけ》 今朝のホットドックはロングタイプ……「野菜半分」ってお願いしたので軽めだけど、バランスは良いです。 昨年11月26日、この喫茶店で偶然にRさんと遭遇しましたっけ。コーヒーをご馳走してあげて少々おしゃべりして……「元気でね」と言って別れた、それが最後になってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。雷が鳴ったら、思いだしますよ。《おまけ2》 函館居酒屋ながまるさんの『焼とり弁当』……引取の時間に合わせて調理……お持ち帰り8個完成~ あっという間に調理してしまう主の手際にはいつも感嘆! 海苔の下に温泉卵を入れてあるとのこと……卵入りはまだ試してないから今度お願いしてみよう。でも、早くしないと売り切れる可能性大です……売り切れると困るから、今日は電話番号載せません。ケチな私でごめんなさい。
2020.05.09
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あまりに天気が良いので、足腰強化でちょこっと近場を散歩……5月2日 洗足駅から東へ向かう 私的には軽井沢通りと呼んでいる[延山通り]をちょこっと入ったあたりの寺社を訪ねるべく出発。公共交通機関を使わずに歩ける範囲…… 森の喫茶店……こんな店あったっけ?…… キッシュってのはあまり得意でないけど、カレーパスタは興味があります。でも休みなんだな~ 洗足図書館……もちろん休業…… 東急目黒線を越えて、方向感覚を頼りに以前見た玉垣を目指して歩いたら……止まれの「れ」の先に[弁天橋]とあったので戻った私……この場所の左に…… なんや、神社!!!あったんかいな!!!……知らんかった~ 小山厳島神社…… 門扉は閉ざされていましたが『飛べないカモが居ます。扉が開いていると、歩いて車道に出てしまいます。車を避けられません。』……閉めてくださいということだったので入社禁止ではありませんから失礼しました。 太鼓橋……厳島神社には付き物…… 左側……亀が一匹……アップは失敗… 右側……この鉄柱が何なのか? 不明……鴨は見えなかったです。 住宅に囲まれながらも立派な社殿ですが、云われは不明……洗足駅あたりは何度も歩いたけど、この道は初めてでした。 社殿扁額…… 全国に500社ほどあると云われる厳島神社……総本社は廿日市市……柿の木坂は駅まで三里の舞台……深沢弁天社同様に御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ)でしょう……たぶん、おそらく……詳細不明で悪しからず。 鳥居奉納の記念碑と、水盤(昭和6年)……???弁天橋入り口の赤い鉄柵には「昭和28年1月建立」って書かれていたけど、橋はずいぶん遅かったのね~ 社殿から鳥居……外の道路にも橋があるということは、この池から水が湧き出し、川となっていたのかもしれませんが、不思議な場所でありました。 さてさて天気が良いから散歩してこようかしら?
2020.05.08
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深沢2丁目緑地あたりを歩いた際、「このへんに庚申塔があったよな?」と思ったのだが、過去の記憶が蘇らず当日は断念。でもって出直した4月29日…… 深沢4丁目の住宅街……正面突当りは学芸大学付属世田谷小学校……4~5年前に歩いたであろうこんな道を「どこだっけな~」と、うろうろ探しちゃいました。 あった!あった!! よかった~!!!『明治初年、三島大社の流れを汲む深澤神社が村社に昇格し、旧深沢に八つある氏神を合祀することになり、中村八幡神社もその合祀された内の一つでした。しかし、後に不幸が続いたことがあって中村八幡神社を祀り直すこととなり、昭和13年に御霊分けをし現在の地に新社殿を建てました。地元では「はちまん」神社と呼んでいますが、古書をひも解くと「やはた」神社と読むそうです。この神社の祭神は、第15代応神天皇と同一視され、天皇が神として祀られると「やはたの神」になり「やはた」が正式のようですが、通称の「はちまん」でもよいのではないでしょうか。』(「玉六情報No.110」身近なまちづくり推進協議会・玉六後方部会・より) なるほど……先日書いた深澤神社での記述と年が異なるようですが、つながりのある本神社も訪問出来てよかった私です。ちなみに、昔 深沢は中村と称されていたそうです。 中村八幡神社……庚申塔だけが記憶にあって、鳥居は思いもよりませんでした。 昨日 連れ合いが借してくれた雑誌によると、この鳥居は「明神系・中山鳥居」と言うらしい。シンプルに木を組み合わせた神明系と、神仏習合の影響を受けて以降の曲線的で装飾の多い明神系とに大別されるそうです。 雑誌借りた雑誌は『一個人(No.117)』……「日本の神様と神社入門」(保存版特集)と表記されているからか? 10年前の発行だけど物持ちが良い。ちなみに『一個人』は「いちこじん」じゃなくて「いっこじん」と読むらしい。フムフム…何となくわかる気がする。連れ合いは好きそうだ…… 遷座日・昭和59年12月8日…… 3基あったようですが…… 左の狛犬……顔が欠けちゃっていて可哀そう。 燈籠……『一個人』によれば、灯りをともす燈籠は祭などで神様がお出ましになる際の目安だそうです。役立つな~一個人…… 右の狛犬……修復が痛々しいけど、左右で顔立ちが異なるように見えます。 帰りは呑川緑道を……花壇の柵にとまっていました。上手いもんだな~ 遊具が規制されているか確認した深沢1丁目緑地……写真の左すみが次の写真 見落とすところでした。 共同洗い場だって……24m四方の大きな洗い場が昭和の初めまであったって。三田家を初め、農家の方が野菜などを洗ったんでしょう。 洗い場の正面・北側……こんな路地あったっけ~ 入ってから、途中で左にも…… 曲がらずに進んで……右の石段を上ると…… 静か静かな住宅街……進むと…… 石段があって、まだ奥に…… コの字を描くように歩いて表通りに出ましたが、人影まばら……みなさん自粛でしょうか? 足腰強化だと自ら選択したからしょうがない…… 柿の木坂の家 詞:石本美由紀 曲:船村徹 歌:青木光一『春には 柿の 花が咲き 秋には 柿の 実が熟れる 柿の木坂は 駅まで三里 思いだすなア ふる里のヨ 乗合バスの 悲しい別れ……』 ちなみに、モデルになった坂はここではありません。広島県廿日市市の明石峠付近の坂らしい。《おまけ》 先日訪問した荏原の寺社(まだ未掲載)で「荏原七福神」を知ったので、昨日は中延方面の恵比寿さんを拝見に散歩の途中です。太い排気パイプも見られますが、院内感染防止の為に、まずテントで検査をするのでしょう。日夜頑張って下さる医療に携わるみなさまに感謝します。
2020.05.06
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一昨日の後編です……4月14日の散歩 社務所の方=車の入って来られる南西から見た境内…… これで帰ろうと思ったのだけど、左隅が目に入りました。御神木らしきに目を奪われていたからウッカリするところでした。 社殿右手に鳥居発見!!! 入り口に「深沢弁天社御改修記念碑」…… あれが「深沢弁天社」かしら? 参道右手に「深沢弁天社由緒」……御祭神は市杵島姫命……『永禄年間、伊豆三嶋大社の末社で弁財天として名高い厳島神社から勧請したものと伝えられております…』と彫られていました。(昭和47年10月) 参道左側には「復興記念碑」……こちらは昭和50年7月 深沢弁天社……弁天様とも称されて芸事上達の信仰もあるそうな。三嶋厳島神社は北条政子が勧請したとされるけど、先の由緒書きによると『彼女の命により文覚上人が江ノ島の聖地に勧請したのも三嶋弁財天』だそうです。江の島は良く知らないけど、江島神社・中津宮(なかつみや)のことなのでしょう。 市杵島姫命(いちきしまひめ)は、天照大神 直々に神勅(しんちょく・命令)を授かったとされています。 弁天社の左側に奥に向かってこんなの……帰ろうと思ったら… 弁天社参道だって…… 奥まで行くとこんなの…… 曲がって……下りると…… ひょっとしてこっちが本物かしら? 神池にかかる弁天橋…… 橋の向こうに石を積み上げた洞穴…… 祠……奥社・奥宮ということなのでしょうか? 商売からはリタイアしていますが、お賽銭納めてきました。 手水舎……どうみても沈下しています。 フェンスの向こうは三島公園……この神社から名付けたのでしょう。子どもたちの声は聞こえてきませんでした。頑張って自粛しているんでしょう。 弁天社の後方に当たります……赤いのは紅葉ではありません。これから緑になります。 奥社を上ってきましたが、気付いて本当に良かった良かったと胸をなでおろし、これで「おさらばえ」でありました。 帰りは呑川緑道……八重咲の桜は残っていましたが… ソメイヨシノはすっかり終わり…… 緑が目に眩しい季節になりました。 麦とろ屋さん……暖簾は出ていますが営業時間の短縮……この時は10時~18時30分だったけど、現在は11時~16時30分のようです。 ちなみに、学芸大学駅界隈で組合に加盟している飲食店は本日一斉休業らしいです。私は足を踏み込まないのでわかりませんが、人出の多い商店街の対策とのこと。みなさん、本当にご苦労なさっています。《おまけ》 空いてる……車 来ない! 空いてる……人もいない……8時03分 空いているからと安心しているわけではありません。今頃は賑わっているんだろうから近寄りません。昨日の午後、散歩の帰りに遠くから見たら結構な人出でした。そうだ、洗足の裏道で思わぬ発見をしたのは厳島神社でした。また今度のネタです。
2020.05.03
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