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3月23日の桜見学…… 鵜の木松山公園を後にすると……ディズニーお好きなんですね。 しんせい児童公園……大田区鵜の木を北西に 大田区鵜の木を北西に……左には多摩堤通りが走っているけど、私は裏の道。 カフェ ポルカ……一年中クリスマスなのかな~ 寄ってみたかったけど「禁煙」の上に「CLOSED」でした。 鵜の木3丁目から西嶺町の変則五差路へ……何かあるぞ~ 多摩堤通りを歩かずに大正解!!!……偶然出会えると嬉しい。樹木もいいな~ 嶺西向庚申発見!!!……西嶺町26 四方除けのために嶺村集落の周囲に置かれた4基の庚申塔の内の1基ですね。 嶺白山神社境内の「嶺東向庚申塔」と御嶽神社の近くの「嶺南向庚申」は去年拝見しました。観蔵院の南側にある「嶺北向庚申」は、ここから300mほどの場所だけど、見過ごしていました。駄目だな~ 駒型の庚申塔……邪鬼を踏みつける青面金剛。 六郷用水が流れていた証にしているんでしょう……誰がエサをあげるのか? 可憐な花…… 六郷用水が流れていたあたり。遠くに桜…… この辺りから細い水路が顔を出します。女性の一人散歩が目立ちました。 満開…… 湧水を利用して、現在も人口の流れが造られています。右側は太田図書の敷地。 ここは昨年3月24日に逆から歩きました。 みなさん、見上げて写真を撮ってます。 密蔵院の桜……密蔵院は真言宗智山派だし、この日もお参りさせたいただいて境内を拝見しましたが、今日はここれでおしまい。《独り言》 鶏と海老の炒めランチ……昨晩、とても気分を害したことがあって、重い気持ちを引きずったままだったからでしょう、いつもは美味しい食事なのに今日は不味かった。休肝日を返上して飲んだウイスキーが抜けていないわけではないのに。生きていれば、たまにはこんな日もあるよねと自分に言い聞かせつつも、どうせなら食事は美味しくいただきたいもの。私より辛い思いをした連れ合いはどうだろうか? 明けない夜はない、止まない雨はない、なんて慰めにもならないけど、少しだけでも元気出してね。 こんな環境なら大丈夫でしょうが……地方自治体が独自に実施している宿泊割引などの観光促進策について、政府は4月以降、一人あたり最大7千円分の再生支援をすると。感染が落ち着いているステージ2以下の都道府県に限って観光業を支える狙いだと言うが、人が動けば増えることは実証済みなのに。ワクチン接種だって進んでいないんだから、「得だから行ってね~」と国民をあおる前に、土産物店を含めて観光業に直接支援はできないのか。変異株が急増しているのに、分科会の意見には耳を傾けず平気でいられる政府には腹が立つ。地方自治体の財政支援となるが、サーキットブレーカーとやらも厳重に準備されたし。ズルズル引っ張り続けるのが常だから……
2021.03.26
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1月31日のブラブラ…… 春雨寺(しゅんぬじ・俗称:はるさめでら)裏にある東海寺大山墓地を後にしようと思ったら鳥居……右方向にあった井上勝の墓から東海道線沿いに下ったあたり。「史跡 賀茂真淵墓」……賀茂真淵(かものまぶち)・元禄10年(1697年)~明和6年(1769年) 『万葉集』を研究し、国学を樹立した人だそうです。 石塀に囲まれていますが墓域の中にあり、国指定文化財だと。 お寺の墓地なのに鳥居があるのは、『明治期に神道そして国学者たちを大切にした明治政府の方針が影響していると思われます。』(賀茂真淵記念館HPより) 鳥居は明治16年8月奉納と彫られていました。 真淵が73歳の生涯を閉じた際、『弟子たちは、生前の真淵の言により、品川東海寺少林院後山に埋葬しました。大山墓地は、明治15年(1882年)、東海道線の開通によって移転したものです。この時、鳥居や周囲の壁が整えられました。』と…… 賀茂翁墳墓改修之碑と記されていますが、その文字だけは新しい。おそらく真淵の略歴を万葉仮名で刻んだ石碑に、移転に際して追記したのでしょう。歌人としても優れ、万葉調を復興した真淵にちなんだ碑でした。 石を並べた上に丸四角い自然石が載せられたお墓……『この角のない丸い石には、真淵の著書や書簡に述べられている「方円論」が反映されていると考えると納得がいきます。これは、方(けた)つまり角張っていること(人為)と、円つまり丸いこと(自然)を対比し、人為ではなく自然によるべきであり、円こそ大切と説く考えです。』(賀茂真淵記念館HPより) 左の墓碑「賀茂懸主大人墓」は、書画の技でも有名だった弟子の橘千蔭によるものだそうです。 JRの線路の向こうに……享保元年(1716年)には塔頭が17院に及んだとされる東海禅寺の広大な敷地も分断されたということです。 東海道線通過…… 右側は、リニア中央新幹線 北品川非常口・変電所を作っているらしい。リニア中央新幹線の首都圏に整備する非常口は9カ所だと。リニアよ、そんなに急いでどこいくの? 山手通りに出た所に…… 線路側にはこんな看板がありました。春雨寺山門から訪問した私ですが、墓地へはここから行った方がいいかも…… 官営品川硝子製造所跡……当然かつては東海禅寺の境内 転写するには字数が多過ぎる……挫折! 珪石……ガラスの原料だって。よく盗まれないと感心!「…明治18年(1885年)には西村勝三らに払い下げられて民間経営となったが、経営不振のため、明治25年(1892年)に解散した。」勝三氏の名前がありました。靴業界の先駆者は、ガラスにチャレンジして失敗したのね~ ちなみに、煉瓦造りの当時の工場の一部は、明治期の貴重な洋風建築として、愛知県犬山市の明治村に移築され、窯場跡から発掘された ビール壕等遺品と共に保存展示されているそうです。明治村って、社員旅行で行ったかもしれないな~ あまり覚えていないけど…… JRをくぐって東海寺に向かいましたが、続きはまた…… さてさて、何をしましょうか? 天気は良いけど、足が重い。駄目だな~
2021.02.09
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11月28日の散歩……最終回。ようやく終了。 ひげ文字で南無妙法蓮華経と書かれた高さ3m超の題目供養塔。裏面に、元禄11年(1698年)の年号と建立者・法春比丘尼・谷口氏の名が刻まれていました。題目供養塔は歌舞伎『浮世柄比翼稲妻(鈴ヶ森)』で有名らしい。歌舞伎はまったく無知だけど、白井権八と三浦屋小紫が登場するみたい。連れ合いは知っているかも…… 元禄11年は「江戸大火」の年。放火の大罪で市中引き回しの上、八百屋お七が火炙りの刑に処されたのは天和3年(1683年)3月29日。見せしめだったのだろうが、生きたままの火炙りは残酷過ぎた。サザエや蛤じゃないんだから。 政府はコロナ改正法案をまとめた。事業者が休業・時短要請に応じない場合に行政罰として50万円以下の罰金。感染者が入院を拒んだ場合には「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」と、刑事罰まで持ち出した。見せしめのように思えるのは私だけか。コロナ終息には国民一人一人の努力と協力とが必要不可欠だが、罰則ばかリで補償が見当たらない。入院したくても入れてもらえず自宅待機を余儀なくされている感染者が大勢いる。治療を受けられず自宅待機中に一人で亡くなった場合、政府はいくらの香典を払ってくれるのか。診てもらいたくても受け入れてもらえないことに対する罰金も準備したらいかがか。『世のあはれ 春吹く風に名を残し 遅れ桜の 今日散りし身は』 お七の辞世の句らしい……南無妙法蓮華経 東京都指定旧跡……削られている部分が気になります。『……髭題目を刻んだ石碑は池上本門寺25世貫首日顗(にちぎ)の筆によると伝えられるもので、元禄11年(1698年)若しくは元文6年(1741年)の建立とされます。……』となっていたはずです。もう少し丁寧にマスキングできないのかしら? 池上本門寺参道口に「中道院」なる寺院があります。『日蓮聖人の滅後、直弟子日頂聖人が開いた庵室を起源とする。もとは本門寺の南の谷の先にあり、いつの時代にか当地に移された。本門寺10世中道院日陽聖人がここに隠棲したので中道院とよばれるようになる。本門寺25世日顗聖人の庵室(場所は不明)の不二庵が日顗聖人没後の宝暦4年(1754年)中道院と合併。(日蓮宗HPより)』 以前訊ねた「中道院」は、日顗聖人と関連があったようです。また『…かつては、日顗聖人の法脈に連なる本門寺貫首の退隠後の庵室であり、現在はその位牌所となっている。』とのこと。寺名がなかった謎が解けました。よかったよかった…… しながわ百景でもありました。 奥に大経寺……「鈴ヶ森遺跡」と立派な石碑が立っていますが、東京都はお金があるんだな~ 「東京都文化財情報データベース」の解説文は訂正されていません。片手落ちって言うんでしょう。情報共有がなされていない証拠です。 25番……最後の道標発見!!! 納骨堂なのか? 勇猛院日健尊儀……と書かれています。50回忌記念に石柱柵を寄付された方々のお名前が刻まれているみたい。大正6年(1917年)4月10日。 勇猛院日健なる方は僧侶かと思いきや、渡辺健蔵と言う彰義隊隊士だと。明治に改元される慶応4年(1868年)4月、有栖川宮熾仁親王が一時入山した池上本門寺本堂への進入を試みたが捕まり、本門寺参道あたりの橋付近で斬首された人だと。でもって、この鈴ヶ森刑場に首が晒されたとされています。明治4年(1878年)に刑場は廃止になりましたが、渡辺健蔵が最後のさらし首人となったそうです。健蔵氏の死を悼む方々による碑でした。 細長くほんとうに狭い境内には、様々な石塔石仏が…… 左は「六十六部供養塔」……法華経を写経して全国66か国の霊場に納経する巡礼行、あるいはその行者を六十六部と呼ぶそうな。諸国を遍歴する行者たちの供養なのでしょうが、初めてお目にかかりましたので知識不足です。 右は「大震火災殃死者供養塔」……1923年の関東大震災で犠牲になった方のための供養塔と思われます。 六十六部供養塔の上に……お釈迦さまなのでしょう、東を向いておいででした。海を見ていたんでしょう。 小さな石仏たち…… 合掌……新しそうですが、今なお死者を悼む方が奉納されたものでしょう。 南無妙法蓮華経…… 馬頭観世音…… 境内の先端…… 先端の先はこんな具合……海岸通りはここから始まるのかしら? 境内裏側……「うしろすがたのしぐれてゆくか」(種田山頭火) 左に第一京浜が走っていますが、車道からは見えないように植え込み…… ふり返り、首を垂れて失礼した私でした。 さてさて、何をしようかしら?
2021.01.19
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11月10日の散歩……最終回 常徳院から乗泉寺世田谷別院前にもどり、世田谷線の踏切を渡ってそのまま都道を東へ。町名は宮坂から豪徳寺になっていました。ちなみに、この丸長さんのラーメン、安いよ~ 480円だって……バイクの向こうに岡持ち(おかもち)があるから出前をしてくれるようす。近所だったら良かったのにな~ 私が立っているのは都道423号渋谷経堂線。三差路を右方向に続きますが、なんで都道なのか不思議でなりません。そうそう、写真の右端に…… 地蔵堂発見!! 私が歩いて来た左(西)から、右(北)にクランクしている道を滝坂道と言うらしい。江戸時代に甲州街道が開設される以前、江戸と府中を結ぶ街道であったと。 世田谷城主吉良氏にとっても重要な街道だったが、城防御の観点からクランクにしたんだと。この場所の南側にあった世田谷城に、直線で攻め込まれることを嫌ったのでしょう。地蔵尊も車に突っ込まれても平気なように、頑丈にガードされています。 地蔵堂の後方だけ屏風のように残っている塀は、かつてあった住宅のものと思われます。家は建て替えられたようですが、小堂と共に現在もかつての面影を残しています。 地蔵尊造立は宝暦6年(1756年)……堂宇の右手には小さな馬頭観音があります。世田谷区ではあちこちで馬頭観音にお目にかかります。 世田谷城址公園前を通過……以前訪問したし、帰りを急いでいたので踏み込みませんでしたが、この日の訪問先は吉良氏が関係する場所が多かったです。さすが世田谷でした。 初代吉良氏が南北朝の頃(1336~1392年)、関東管領・足利基氏から戦の手柄によって武蔵国世田谷領をもらいうけて築城した世田谷城。以後、吉良氏八代、二百数十年の間、居城として栄え、吉良御所、世田谷御所と呼ばれたが、天正18年(1590年)豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたために廃城となりましたとさ……[2017.8.19訪問の世田谷城址] 烏山川緑道……ついて行けば芦花公園方面に出られるんでしょうが、途中で途切れちゃったりしているみたいだから迷子になるかも…… 地元住民の味方……日々仕事 お疲れ様です。 急いでいるのに遮断器に足踏み……世田谷線上町駅を通過した後、更に加速して超超高速参勤交代状態で帰途に着きましたとさ。しかししんどかった~《おまけ》 阿弥陀堂だより『雪が降ると山と里の境がなくなり どこも白一色になります 山の奥にあるご先祖さまたちの住むあの世と 里のこの世の境がなくなって どちらがどちらかわからなくなるのが 冬です 春 夏 秋 冬 はっきりしていた山と里の境が 少しずつ消えていき 一年がめぐります 人の一生と同じなのだと この年にしてしみじみと感じます』 先日、録画してあった阿弥陀堂だよりを観ました。2002年の公開だったらしく、寺尾聡さんも樋口可南子さんも若かった。「日本一のおばあちゃん女優」と称された、おうめ婆さん役の北林谷栄さん……若かりし頃、宇野重吉さんや、信欣三さんとともに3人で「文殊会」なるものを組むが、1940年に左翼的とみなされた同劇団は国策によって強制的に解散させられたと。ひどい時代も生きて来た北林谷栄さんだけど、宇野重吉さんの御子息と共演して楽しかったことでしょう。98歳まで長生きされたようです。ちなみに、幸田重長役の田村高廣さんも早くに亡くなりましたっけ。好きな役者だったのにな~ 皆様のご冥福をお祈りするとともに、直近の大雪でお困りの方々にもお見舞い申し上げます。
2020.12.20
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渋谷区や港区なんてところを散歩していたから、久々に世田谷区を訪問した11月10日…… 実相院から北に向かうと、都道427瀬田貫井線の拡張・延長工事みたい……だけど、進行方向には区立桜木中学校や勝光院が横たわっている。どないすんねん? 工事中の道へは行かず、西へ左折……初めて歩く地域。 こんな変則な道に…… 庚申塔(右)とお地蔵さん(左)が向かい合っていました。 こちら側が世田谷区桜1丁目・お賽銭箱かと思ったら手水盤だった。……向かいのお地蔵さんは桜2丁目。 桜1丁目の庚申塔……唐破風笠付きの立派な庚申塔。左肩の「享保10年(1725年)」が辛うじて読めます。赤い布をめくるわけにはいかないので詳細は不明ですが、おそらく青面金剛以外にも三猿などが描かれていることでしょう。 桜2丁目のお地蔵さん……なんでお地蔵さんかって? 蓮台に立ち、舟形光背を背負っているようだから。台石には何やら書かれていますが、摩耗が激しいので読めません。でも、やっぱり200年以上はここに立ってこられたことでしょう。 庚申塔が見つめている方へ進むと…… アルファロメオ GTV TB……1997年頃の車みたいです。左右フェンダー上部にまで回り込んだボンネット(エンジンフード)が面白い。他車でこんなのあったかしら? アルファロメオの先に…… 桜2丁目11…… 今は暗渠だけど川があったんでしょう。何川かしら? 歩いてみたかったけど、進入禁止!!……つまらないな~ ちなみに、道路の反対側には見当たりませんでした。どうなっているのやら……《おまけ》 シクラメンがやってきました。 世田谷区長賞だって……この紫は見たことありません。 朝日新聞朝刊の見開き広告……鬼滅の刃は知らない私。しかし1億冊突破はスゴイな~ と言うことで、今日はこれでおしまい。ブツブツ書きたいけど止めておきます。健康に悪いものね~ 代わりに予防の電気治療に行ってきます。
2020.12.04
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南麻布を歩いた9月30日の最終回です。 右(北東)から青木坂を下り、写真前方(北北西)に向かう道。60mほど先の右に新富士見坂入り口…… 兵庫屋酒店……サラリーマン時代に幾度も前を通ったけど、奇麗になったような。あれ? 店先の柵の後ろにベンチがあるじゃないの。感染予防で「屋外角打ち」にしたのかしら? こんな店はなかったな~ ブティックには興味なし。 広尾サクラの木……テイクアウト専門店!だって。どの町もどんどん変わっていきます。 右に広尾稲荷神社の屋根が見えて……(広尾稲荷は以前訪問したので当日はスルー) 神社本殿後ろのこんな所に……まったく気付かずにこの日まできました。興味がなかったからでしょう。 広尾の庚申塔…… 3基ともにとっても塔身が太い笠塔婆型…… 手水盤らしきにも三猿……十二支=「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」庚申の「申(さる)」から信仰に結び付いたと。あるいは「厄が去る(サル)」なんて語呂合わせもあったと。 庚申の「庚」はなんなのか?って……十干(じっかん)=「甲(こう・きのえ)・乙(おつ・きのと)・丙(へい・ひのえ)・丁(てい・ひのと)・戊(ぼ・つちのえ)・己(き・つちのと)・庚(こう・かのえ)・辛(しん・かのと)・壬(じん・みずのえ)・癸(き・みずのと)」 この十干と十二支の組み合わせで年月日を表現してきたんですね。1番目「甲子(きのえね)」・2番「乙丑(きのとうし)」・3番「丙寅(ひのえとら)」……57番「庚申(かのえさる・こうしん)」……60番「癸亥(みずのとい)」ということでした。 左:元禄9年(1696年)・中央:元禄3年(1690年)で、右は年代不詳ながら2基より古いだろうと……そうだろうね~ 一番摩滅が激しいものね。 60日ごとにやってくる今年の庚申の日はすべて終了しました。最後は11月13日金曜日=一昨日でしたね~【三尸(さんし)虫】……人の頭に潜んで首から上の病気を招く「上尸」・腹に潜んで内蔵の病気を引き起こす「中尸」・足に潜んでいて下半身の病を招く「下尸」。三匹の侍ならぬ、三匹の虫でした。 工事をしていたので架設の柵なんでしょう……マンション敷地を通り抜け…… 広尾ガーデン前……かき氷が呼んでました。 どこの何という車か分かりませんが、改造するの大変でしょう。でも格好良いですよ~ と言うことで、朝からぐずぐずしていたのでこれでおしまい。 明日からは10月21日の散歩です。
2020.11.15
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9月22日の散歩……終盤です。 室泉寺を下って明治通りに出ると…… 幾度も車で前を通過したけど、お寺だとはちっとも思っていなかった。 駐車場の入り口を入ってすぐ…… 右奥にあるのは「花供養塔」……『花は天地自然の美しき心を姿色香にあらわし、人の世の喜怒哀楽につけてその人の心を和らげ慰め励まし無量の福楽を与え来れるものなり。その花を己が商とすることを天職と思い、花を愛し、花と天地自然に感謝しつゝ生花を商う願心の施主横山サダ及び同業の有志相寄りて人々の心を慰め散り行ける多くの花の命に感謝し慰霊せんものと、渋谷山福昌寺の聖域をトし、茲に供養塔を建立し、併せて施主家の家門興隆同業有志各家の繁栄、業界の発展を祈念するものなり。昭和丙辰51年4月吉日 花供養塔建立教会』 阿弥陀石棺仏……『石棺仏とは、古墳時代の石棺を転用して、そこに仏像を彫り込んで路傍に立て庶民が礼拝の対象としたものです。本石棺仏は、古墳時代中後期頃の家型石棺の蓋を利用しており、その内側は長方形に彫り窪められています。中心部に表されるのは蓮台上に立つ阿弥陀如来像で、船形光背を負い、来迎印を結ぶ姿が浮き彫りにされています。現存する阿弥陀石棺仏の多くが座像であり、このような立像は稀な例になります。この石棺仏の材質は、兵庫県高砂市・加西市付近を産地とする播磨竜山石と考えられます。石棺物が彫られた時期は、その像容や年紀を持つほかの作例から見て、南北朝時代頃と推定されます。現状は石棺蓋の上端部に物が奉置されるような窪みが穿たれていますが、阿弥陀如来像や蓮華座に破損や摩滅等がほとんど見られず、保存状態は比較的良好です。この阿弥陀石棺仏は、和歌山県那珂郡から運ばれて来たものと伝えられ、昭和25年頃に造園業を営む東光園が入手して当寺に寄進したもので、東京では本例のみという珍しいものです。渋谷区教育委員会』……だそうです。 福昌寺山門……僧桂岩嫩(慶長2年・1597年入寂)によって当地に開山されたとのことですが、詳細不詳でごめんなさい。本堂へは建物内の石段を上がっていくようなのでこちらで合掌して失礼しました。南無釈迦牟尼仏…… 扁額……渋谷山 福昌寺・曹洞宗の寺院で、御本尊は阿弥陀如来みたいです。 曹洞宗の源はお釈迦様だから、御本尊は釈迦牟尼仏・釈迦如来かと思いきや……『阿弥陀仏は十方諸仏の本師本仏』、地球では最高位のお釈迦様も大宇宙からみたら阿弥陀仏が上。一切の諸仏が師と仰ぐ阿弥陀様を御本尊としたのでしょう。 近代的で大きな建物が立っていましたが、後方が広い広い墓地みたいです。 敷居が高い……塀が高かった~ 渋谷橋……明治通りと駒沢通りとの交差点……左端に路地があります。 路地を入って、渋谷区広尾…… 疲れていたけど、もうちょっとだけ頑張りました。続きはまた今度……《おまけ1》 新型ビールサーバー……グレゴールに導入されていました。 撮影日10月18日時点ではまだ稼働していませんでしたが、ここで生ビールの瓶詰めをするそうです。日持ちがするから持ち帰り用だとのことですが、瓶のデポジットが高そうです。ロシア製のサーバーだったと思いますが、まだ日本には2~3台しかないそうです。しっかり設置費を回収できる売り上げがあると良いですね。《おまけ2》 昨日はちょこっと散歩……「三友軒」は頑張って営業を続けていました。連れ合いと一緒に入ったのは、2016年6月19日。もう4年以上も経ってしまいました。 三友軒でお昼を食べて、大食いの雷王さんの為に西小山で唐揚げのお土産を買って訪問した「雷王模型店」……閉店のお知らせが貼ってありましたが、寂しいです。手を合わせてきました。 私道の入り口に……模型店の目印の幟旗が立っていた土台がポツンと……当然だけど玄関前の愛用の自転車もありませんでした。 昨日は洗足池の往復を何分で出来るか? にチャレンジ。超高速参勤交代状態で歩けば80分と読んだけど、90分かかっちゃいました。復路でこんなの買ったし、重かったから良しとしておきましょう。近所の酒屋から姿を消していますが、何だか飲みたくなったので……オールドはラベルが変色してましたが、味は大丈夫でした。昨晩確認済みです。店頭在庫は希薄だったから早く買わないとなくなるでしょう。 オールド・1,680円税別 リザーブ・2,280円税別 今日の空……10時16分 冬が来る前の、散歩には良い日です。
2020.10.26
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まだ引きずっている9月22日の散歩…… 吸江寺を右にして北東への道……下って行く正面の樹木…… 常陸宮邸らしい……広大な敷地でどこが玄関かわからない私。行ってみても撮影禁止だろうからここで引き返しました。 引き返したこんな場所……直進すれば國學院大學。 前の写真の右に…… 常盤松の碑……渋谷氷川神社の神域にあったとされる神木「常盤松」の場所は見てきました。 説明書きによると二人の常盤が存在するんですね。平治の乱(1159年)で敗れた義朝が帰路に暗殺されたことを、京に上って常盤御前に伝えたのは金王丸と言われる。義朝のみならず、頼朝とも深くかかわった金王丸がいたから常盤御前伝説となったようです。 碑は、嘉永6年(1853年)に島津藩士によってたてられたと……黒船が浦賀に来航し、ニューヨークでは万博が開幕、将軍も12代家慶から13代家定に継がれた時代。世の中の変わり目を肌で感じた藩士たちが、伝説を残したのかもしれません。 ちなみに、常盤御前がこの地を訪問した記録はないそうです。あえて確証を探さなくても良いように思うのは私だけかしら? 探すなら赤木さんが残したとされる森友のファイル…… 篆書体(てんしょたい)と言うらしいけど、全く読めません。 白松(はくしょう)……常盤松の碑と向かい合って……プラタナスのような木肌。 めずらしい松なんだって……中国では樹齢800~1300年のものが確認されるほど長寿の象徴らしく、神聖な木として宗教施設にも植栽されるって。見たことがあっただろうか? 今度から留意しておきましょう。 白松があったのは「渋谷区郷土博物館・文学館」……「白根記念」と枕が付いていますが、渋谷区議だった故白根全忠氏が寄贈した宅地・邸宅をもとに開館したのが始まりとのことです。 興味は充分あったんだけど、屋内ってのに抵抗があって断念しました。入館料100円を惜しんだわけではありません。為念…… 脇の道から行こうと踏み込んだら…… 石像・石碑……手前の「五輪塔」は、正徳3年(1713年)につくられたお墓。 二番目「傘屋の碑」は、江戸時代のもので、金王八幡宮から寄贈。 こういう説明書きがあると本当にありがたい。 植え込みやポールが邪魔で、じっくり拝見できないのが残念…… 亡くなった大名の奥方の供養に建てた「聖観音(寛文10年・1670年)」……ゴミの中から良くぞ見つけてくれました。成仏できることでしょう。 右の小さいのは奥方供養ではなさそうです。 好きな路地を歩き…… 広尾3丁目交差点……信号はちゃんと守ります。この辺りも駒沢通りって言うのかしら? ひたすらたどって歩けば、連れ合いも迷子にならずに来られますよ。 山種美術館……「Cafe 椿」ってのでお茶されてました。「和菓子・お抹茶セット」1,300円・「珈琲」750円…… アウディ R8……散歩は極力 大通りを避けるからかもしれないけど、公道で目にしたのは初めて。V8か? V10か? いずれにしても高いんだろうな~ ドイツレベルの同車のプラモデルは知っていましたが、プラッツって会社が「R8 GT3」出しているそうな。すっかり浦島太郎だから、もう作れないだろうけど…… と言うことで、今日はここまで……昨日の散歩のせいか、足が少し重いです。
2020.10.22
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大井町から大森に向かった8月31日…… 九頭龍権現水神社を後にして、よっこらしょと池上通りに向かって西に坂道を上ります。 一息ついた頃、左の白い壁は来迎院(らいごういん)ですが…… 右の三角地帯に…… お堂が3つ…… 来迎院石造念仏供養塔……昔は向かいにある来迎院の境内だったのが、道路で分断されてしまったと。JRをくぐって海側に向かう道のせいですが、暮らしが便利になるためには失われるものも少なくありません。 3棟並んだお堂の右側には舟型の地蔵菩薩が2基。明暦2年(1656年)と万治2年(1659年)造立。お堂の左にある笠塔婆型の塔には南無阿弥陀仏が彫ってあり、寛文7年(1667年)造立で、いずれも区指定有形文化財。「三基」と書いてあるから、当然中央のお堂かと思っていたら違いました。ちゃんと読んでいれば無理してでもアップを撮ってきたのに……ダメだな~ 中央のお堂には3基……両脇は庚申塔でしょうが、右の笠型はなかなか立派です。 不動明王でしょう…… 一番左側のお堂には石仏3体と石塔……左の小さいのは頭部を修復したのでしょう。立派なお堂に保護されていますが、ぞうぞ壊れませんように。 三角地帯の先端にはポツンと石灯篭…… 向かいの来迎院山門から見るとこうなります。予想していなかった石仏・石塔に会えてよかった私でした。《おまけ》 一昨日、久しぶりにMaanaさんにお会いしたのでパチリ。いつも最高の笑顔をありがとう。10/24にアコースティック・ライブやるみたいです。きっと良きステージになるでしょう。 今日の空……8時26分 円融寺仁王門から 今朝の喫茶店……ありがたいけど経営は大変でしょう。「ぐるなび」や「食べログ」など、飲食店のグルメサイト離れが加速していると。コロナ禍でお客が減り、従業員も減らしているのだからサイトへの手数料をねん出するのは厳しいだろう。そんな中で始まる「GoToイート」……飲食店の支援策と思いきや、サイト予約を通じて飲食店にお客が来ると、昼で一人50円~100円、夜だと200円の送客手数料をサイト運営会社に払うんだと。なかなか感染者数の減らない東京も明日から「GoToトラベル」の対象になるが、「イート」を含めて事業の仕組みが適切か再検証をした方が良いのでは? 外国からの入国者数も増やすようだが、コロナウイルスによる世界の死者は100万人を越えた。感染者は3300万人に達し、今年1月以降の9カ月弱で世界の約230人に一人が感染したことになる。まだまだ増えるであろうコロナ禍をしっかり意識した政策を求める。 夏の花じゃなかったんだ~ と、帰りに撮ってみました。 さてさて、散歩に行ってきましょう。
2020.09.30
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昨日、歯医者に行った帰り、九品仏名号題目道標ってのを見逃していたので自由が丘で降りてちょっとだけ歩きました。何度も近くを歩いていましたが存在を知ったのが後でしたから、ワンポイントだけの訪問はなかなか面倒で置き去りにしていた私です。 自由が丘駅前ロータリーにある揚まんじゅう御門屋の脇の細い路地を入ると鳥居がありました。目当てに行ったわけではなく、たまたま日陰だったから入ってみた私。偶然に感謝です。連れ合いは知っているかもしれないな~ 豊川稲荷大明神……『自由が丘界隈に商店が急速に建ち並びはじめた昭和9年(1934年)、街の振興のために縁日をやろうと、有志の人々が赤坂の豊川稲荷より分霊し、ここに祀ったものという。戦中戦後の物の無い時代を除いて、昭和33年ころまで、毎月1日・11日・21日の縁日には駅前からずらりと露店が並び、商店や住宅街の人々の憩いの場となっていたという。』(目黒区HP・めぐろの道より) 神社はどこか?探したけど見つかりませんでした。どうやら写真右あたりにあったそうですが、交通量の増加に伴って縁日もなくなり、現在はこの鳥居だけが残されているようです。 ゴリデリ……地域限定のデリバリー代行・買物代行らしい。いくつかの飲食店からの出前配達……とんかつ、いくら丼、ステーキ、焼肉、ハンバーグ、焼きそばにカレー、タピオカやお酒などなど一度の注文でまとめてお届け。3,000円以上で配送料無料だって。 お年寄りにありがたいのが買物代行。コンビニ・ドラッグストアで買物をして届けてくれるんだと。500円(税込)かかるけど、足腰が弱っている方や雨の日には優しいサービス。5kgのお米を下げて歩くのはしんどいものね~ 運べる容積はトイレットペーパー12ロールが4個分らしいです。しかし、なんでゴリラなのかしら? でもって横丁を曲がるとこんな風情…… とってもレトロ……オリオンビールってことは、沖縄料理かしら? 自由が丘横丁……二つの長屋に屋根を付けて無理やりくっつけた。ガード下を思わせる懐かしき風情です。みなさん22時までの営業に協力されているみたい。結構濃密かもしれません。 繁華街をよけて自由が丘3丁目のこんな道……坂の名前があってもいいと思ったら…… 谷畑坂(やばたざか)……『旧衾(ふすま)村の字「谷畑」にあることから谷畑坂と呼ばれた。この坂下はかつて湿地で鷺草(さぎそう)が自生していた。またこの道は、二子道(現、目黒通り)から九品仏方面への道として耕地整理以前から現在に近い形で、直線的にあった古道であった。』(目黒区教委)……写真方向が二子道(現、目黒通り) ふり返って鷺草が自生していた坂下から九品仏方面に下って行きます。「自由が丘」って「丘」を名乗っているけど低いんです。 谷畑坂を北へ…… 目黒通りの直前……目黒通りを越えると、八雲や深沢、呑川緑道に向かって結構な下り坂です。太鼓坂、化坂や結構厳しいしどめ坂なんてのがありましたっけ。 暑い中、飲まず食わずでここを目当てに行ってきた変なオジサンです。 九品仏名号題目道標(くほんぶつみょうごうだいもくどうひょう)……寛保4年(1744年)建立。正面に「左 九品佛 江」とあるように、江戸から病気平癒祈願などで九品仏浄真寺へ参詣する人々のための道標。たぶん、少し北側の二子道(現、目黒通り)沿いにあったことでしょう。 注連縄も毎年変えているようです。 高台座付丸彫地蔵像塔……と、目黒区教委は表現しています。正面が道標で、右面に「南無妙法蓮華経」、左面に「南無阿弥陀仏」、背面に「為進誉昇安楽邦居士二世安楽也」と彫られています。南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏が同居していますが、この碑を建てたのは九品仏浄真寺にゆかりのある浄土宗の信者さん。当地・衾村には日蓮宗信者が多かったため、南無妙法蓮華経の文字も刻むことを承諾させられたみたいです。 私は確認できませんでしたが、上に鎮座している地蔵像の台座には、明治19年(1886年)9月吉日施主延命寺とあるそうですが、何処の延命寺かしら? セコムステッカーは目に入っていたけど、監視カメラ設置ですって。厳重に保管管理されていました。 ちなみに、区内に残る道しるべは江戸時代建立が大半で、年代が分かっている最古のものは宝永3年(1706年)建立の大聖院「みかえり阿弥陀道標」だと。大聖院は去年訪問したけど目に入らなかったみたいです。残念……こうして再訪問場所が点在していきます。次回の歯医者の帰りに覗いてきましょう。忘れなかったら…… でもって一番新しいのは、昭和3年(1928年)に建てられた甘藷先生墓道道標……目黒不動裏の不動公園との間の道ばたにあったのでした。《おまけ》 今日の空……9時14分 昼頃一旦降った雨は上がったけど、怪しげな雲模様……13時59分 もう一雨くるかもね~ さてさて何をしようかしら?
2020.08.27
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8月2日……足慣らしのブラブラ…… 西湖飯店……イタリアンの2階。何となく呼ばれたので撮っておいたけど「上海蟹のお酒漬け」なんてのを食べされてくれるみたい。紹興酒で漬けるんだろうが、そこそこ本格的な中華が期待できそうです。上海蟹、高いんだよね~ 渡り蟹でも美味しくつくれる。昔、尾道向島に仕事で行った時、ふらっと入った割烹さんで地の渡り蟹の蒸したのをだしてくれた。奇麗とは言えない海を見ていたものだから、ちょっと抵抗があったんだけど身も内子も大変美味しかった。 初めての訪問地に出張に行くと困るのが晩酌のお店探し。やっこを頼んだらカラシが乗ってきたり、ワンタンって言ったのに水餃子がでてきたり(オーダーミスじゃなく、「当店のワンタンはこれです」だって)…… 尾道のお店は正解だったな~ 入って「お酒込みで1万円で足りますか?」と尋ねたら、「どうぞどうど」と笑顔で迎えてくれた。好き嫌いを聞いてくれて量は少なめに品よく数品、お酒の肴を供してくれた。まだ健在で続けておられることを祈ります。ちなみに、一万円でおつりがきました。 池尻稲荷神社のすこし東方向……バレエ学校ってのはあちこちにあるんだな~と私。 ゆるい上りの途中に…… 池尻庚申塔…… 鳥居に玉垣まであるとは想像外…… 池尻庚申堂……地元の方々が丁寧に管理されている様子がうかがえます。 庚申堂扁額……左隅に「常圓寺」の文字……記憶にあるけどな~ 格子戸の内側に金網がはられていて撮るのに一苦労……額? 掛け軸? に描かれているのは何だったのかしら? やっぱり青面金剛なのかな~ 区内で確認されている205体の中の2体で、延宝8年(1680年)と元禄5年(1692年)に造立された庚申塔とのこと。残念ながらどちらが古いか識別不能。入りきらなかったけど、右下には赤い頭巾のお猿さん。 池尻庚申会のみなさんが管理保存をしておられるようです。 おっと『…お祭りは毎年4月15日目黒常円寺の住職により先祖の供養と参拝者の幸せを祈りお経をあげ盛大に行われている。……』と書かれています。世田谷区の常円寺は思い浮かばなかったんだけど、都立大学駅ちかくの常円寺だったようです。区をまたいではるばるこられるのは住職のお知り合いがおいでなのかも……浄円寺のご住職とは一言交わしたことがありますが、とてもやさしい方でしたっけ。 庚申堂の左に…… 地蔵菩薩でしょうか? よだれかけをめくれば年代が読めたのですが、遠慮しました。合掌…… 南無妙法蓮華経……享和3年(1803年)建立ですが題目塔なのか?お墓なのか? 比較的近くに、山門前に庚申塔がならんでいた寿福寺がありますが、こちらの庚申会の皆さんは天台宗ではなく、日蓮宗を希望したのかもしれません。あくまで私の推測ですが…… 庚申堂の前に……切られちゃった古木が残念ですが仕方ないのでしょう。 無縁法界……明治41年(1908年)建立・南無妙法蓮華経 手水盤の右に常夜灯の足元……大正元年(1912年)12月10日建設 正面の銘文は、永代常夜灯……たぶん… ここに灯りをともしたんでしょう。 常夜灯の上に……御幣(ごへい・神祭用具・ひらひらした紙をつけたも)を持った猿が立っています。 御幣猿とでも呼ぶのでしょうか? セメントじゃなくて石を削ったみたいです。 玉垣も新しそうだし、維持管理費が大変でしょう。私はお賽銭少しでごめんなさい。《おまけ》 今日の空……10時47分 少々雲には覆われているけど蒸し暑い。 連れ合いは義母にせがまれてお蕎麦屋さんへ。毎日ごくろうさま……
2020.08.25
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近くは歩いていても、見落とした場所を探した6月24日……4つ目・最後の訪問先へ…… 朗惺寺を後にするとスナック「チュウチュウ」だって…… こんな広い通りはなかったはずだけど、区画整理をしたんでしょう。 最近も歩いたパンダハウスの前…… よく通る三角地帯の手前……写真左のお店……Ile de Manger(イルド マンジェ)というフランス料理店らしい。「ロティサリーチキン」ってのがウリのお店らしい。ロティサリーオーブンってやつで、鶏一羽を丸ごと串にさしてクルクル回転させながら炙り焼きにするそうで、時間は約40分かかります、ですって。 昔 千葉で仕事をしていた時に同僚に誘われて佐原に鰻を食べに行きました。「注文が入ってからさばき始めるから時間がかかるけど美味しい」とのことで、到着予定の1時間ほど前に電話で予約。到着した時にはまだ出来ていなかったから、肝焼きでビールを飲んで待ったような気がします。午後の仕事もあったはずだけど、大丈夫だったんだわな~ フランス国旗……通称トリコロール=フランス語で3色の意味の通り、青・白・赤の3色旗は、フランス革命下、国王の色(白)とパリ市の色(青・赤)が結びついて生まれたんだって。 青:白:赤=33:30:37と、赤の割合が一番大いのは、風でたなびいた時に端の赤の幅が狭く見えちゃうから。白は元々他の色よりも太くみえるから抑え目らしいです。よく考えられていて、陸海空で統一されていた仕様ですが、現在は海軍のみがこの割合の幅で、その他は均等らしいです。今日もつまらないことを調べる私です。 フランス国旗を右折してすぐ……外階段と木に隠れているから気付かない お猿橋庚申堂…… 延宝2年(1674年)に旧戸越村槍ヶ崎の人々が建てたものだと。 お猿橋庚申堂……もとは碑文谷道のほとりの「お猿橋」付近に建てられていたそうだけど、お猿橋って現在のどのあたりなのかしら? 品川用水を渡るお猿橋って橋があったらしいけど、品川区教委も不親切だな~ まぁ、少し南東にある朝日地蔵尊のそばを通って平塚橋へと続いていた品川用水だから、現在の場所とはさほど離れていなかったでしょう。 町内の方々のご尽力……ごくろうさまです。 「只今満室です」と、シティーハウジングの貼り紙……庚申堂も満室です。 以前もこのショット撮ったけど、真っ白だったのが色変わりしてました。 5月24日……まだ咲き始めだったんですね。1ヶ月経っても枯れず、なおきれいになっていることに驚きました。《おまけ》 朝の気温が昨日より優しく感じたのでモーニングに行きました。サラダは半分……早かったし(8時21分)お腹はこんなので充分。朝刊が休みだったから寂しかったな~ 9時10分の空……帰って来たのも早かった~ 散歩行きたいけどやっぱり暑いな~
2020.08.17
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当日一番の目的地・玉川八十八ヶ所霊場の一寺へ向かった6月20日…… 住所は、世田谷区三宿から太子堂に……緑の木がいっぱい見えてきた~ 目的地に到着……「せたがや百景」に選ばれている「円泉寺とケヤキ並木」 山門の手前・路上に…… かつて東京都の天然記念物に指定されるほどのケヤキ(欅)の大木だけど、4mほどの高さで伐採されちゃいました。樹齢は700年ほどだったとか……残念……中が空洞だからでしょう、てっぺんに雨よけの蓋がしてありました。 以前、大田区の嶺白山神社に御神木・タブノキの祠に祀られた鳥居がありましたが……[2020.03.14嶺白山神社] こんなに神秘的なのは初めてでした。 幹の内部に2基の江戸前期庚申塔……いつからこのような形で安置されているかは分からないけど、今日まで長いこと道行く人々の安全を見守ってきたことでしょう。そして明日からも…… 脇には聖徳太子の碑……後方の円泉寺境内には聖徳太子を祀った太子堂があり、それによって地名が生まれたと。また「郷学所」が設けられ、世田谷区教育発祥の地だそうです。「郷学」という用語には多様な教育機関が含まれるようだけど、区教育発祥ということは庶民教育を指すのでしょう。 手水盆まで置かれていました。 カーブミラーが設置されているように、T字路にあります。突っ込まれないように石柱でガードされてもいますが、どなたも壊さないでくださいませ。 入れないかと思ったら…… 聖王山法明院円泉寺……後でも載せますが、とにかく大きなイチョウでした。黄色の時期にも訪問したい一寺であります。 ということで、本堂や太子堂は明日以降です。《独り言》 一日の感染者数が過去最多(約800人)を記録し、大阪府、愛知、福岡、埼玉でも一日の新規感染者数は過去最多を更新した昨日(22日)、GoToトラベルが幕を開けた。 同日、東京都小池知事は「明日からの4連休は、感染拡大を食い止めることができるかどうか重要な期間」とし、外出はできるだけ控えてほしいと第2波を前提に伝えた。大阪府吉村知事も、感染者数だけを見ればと前置きしながら「第2波に入ってきていると」評価し、この4連休はリスクの高い環境は避けるよう、小池氏同様により一層の警戒コメントを発した。 日本医師会は「県境を越えた移動や不要不急の外出を避けて、我慢の4連休にしてはもらえないか」と、やはり感染第2波を念頭に強く外出自粛を呼びかけた。すでに急増している感染者数がさらに激増すると、感染症の医療崩壊だけでなく、通常医療を含めた医療提供体制が崩壊することは経験済みであり、当然のことだ。 ところがどっこい分科会・尾身会長は「今と緊急事態宣言を出したときとは状況が違う」「今の東京の状況は、感染数が爆発的に増加している状況ではない。むしろ緩やかな増加傾向と考える」とおっしゃる。呑気に聞こえるのは私だけか?「今の方法で最大限頑張る」とも言うが、今の方法ってのは「手洗い、マスク、三密を避ける」ことを求めるもの。「それでも(感染者が減少)できなかったら、次のレベルに行くということだと私は思う」って……減少できなかったら国民がルールを守らなかったと言いたいのだろうが、その時になって次のレベルでは遅すぎる。拡大している都府県では、すでに病床数やホテルの部屋を増やす努力はしているが、間に合わないことは想定しないのか? 聞き及ぶ範疇でも医療機関の受け入れ数は上限に近い。 GoToトラベル開始により、新しい生活様式に謳った[感染が流行している地域からの移動、感染が流行している地域への移動は控える]の実践例は消えたことになる。政府も、キャンペーンの対象にはならないが東京都からの移動を制限するものではないと言うが、いったい誰を、何を信じて生活しろというのか。頭の悪い私には理解不能。 安倍首相は、この4連休は山梨の別荘に行く予定だったが止めたと聞く。国民の目を意識したのだろうが「感染対策と経済再会を両立させる」方針にそって前倒ししたトラベル開始。感染対策を行いながら旅行に行けと言った安倍首相。矛盾していないか? 国民に観光業界に貢献するよう呼びかけたのだから、自ら出かけてゴルフ場や飲食店にお金を落とし、帰りに土産物をたくさん買うのが言い出しっぺの役目でしょう。警護も含めて付き合わされる職員のことを考えれば行かない方がいいけど、何に付けても中途半端な思い付きが目立つ。 昨日、西村経再相は「分科会として現在の制限を当面維持すべきというご意見を頂戴した」とし、8月1日から予定されていたイベントの開催制限緩和を延期表明した。イベントの制限は緩和せず、なぜGoToトラベルは了承したのか? 国会閉会後、人任せばかりですっかり顔を見せなくなった安倍首相だが、こっちを向いてしっかりと根拠を挙げた丁寧な説明をされたし。 またブツブツ書いてしまったが、今日の東京は300人越えだって……日本も危ない!!!
2020.07.23
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6月17日の散歩 最終回…… 品川貴船神社から東に少し……と言っても西品川3-16の住居表示は変わらない。 大正6年銘道標……変則な四つ角にありました。大正6年(1917年)に建てられた比較的新しい道標で、高さは1m弱かしら? 左が貴船神社で、右は百反通りを越えると大崎駅西口。 正面には「マエ オホヰ道」、左には「マエ ヘビクボ道」と刻まれています。建立時の場所は違っていたのだが、大井や蛇窪の方向は正しい。さほど離れていた分けではなさそう。 正面右は「マエ オホサキテイシャバ道」、全く撮りようのなかった後ろには「マエ キリガヤ道」となっていて、四方向共に間違いはありません。 ちなみに写真左に移りこんでいる朱色の太い柱……社会福祉法人トット基金を扱うトット文化館なんだって。黒柳徹子氏の「窓際のトットちゃん」の著作権を受領して1981年に設立し、通常の事業所に雇用されることが困難な方々を支援していると。大切な事業です。 蛇足ながら「トットちゃんのパン」を製造販売していた洗足駅前の「ロンシェール」も何年か前に閉店しちゃいました。食べられない黒柳さんも寂しいでしょう。同店へは連れ合いと一緒に行ったっけ……『三ツ木台地から目黒川に下る四ツ辻に建てられたもの…』とあるが、なんで現在の住所を併記してくれないのか? 道路ではなくなっていたとしても「何丁目何番地付近」ぐらいあっても良いのに。史跡だろうに…… ブラブラ帰路について見つけた……約60年弱昔のこと、祖母に付いて何度かお世話になったお店(のはず)。もうずいぶん前に店は閉めたはずだけど、看板だけは健在。下神明駅からガードを2回くぐることは記憶にあるが、どのあたりだったかはすっかり浦島太郎。訪問時、ご家族がお祭りに連れて行ってくれたんだけど、下神明天祖神社? 戸越八幡神社? はたまた貴船神社だったのか? 昔々の遠い記憶が微かに甦った日でした。《おまけ》 めったに見られなくなった栗……頭に落ちてきたら痛いよな~ (2020.7.17・12:40) 1兆3500億円を旅行者にばらまくGo toトラベル……観光業を営む皆様のご心痛には言葉もありませんが、地方自治体の裁量で直接の支援をする選択肢はなかったのか。月々増える失業者、内定取り消しの大学生などなど困っている方々は少なくない。コロナも終息どころか拡大中。観光支援事業なんて名称は立派だが、詳細・基準は不明確なままスタートさせる。無責任極まりない政府にブツブツ言いたいけど、こんなとこで止めておきます。
2020.07.18
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戸越銀座通りの周辺をブラブラした6月17日……商店街は横切っただけ…… 商店街の北側を並行して走る住宅街の道を東へ……わかば児童遊園は賑わってました。天気よかったものね~ 進行方向の右は南に下って上る。私の背中は区立大崎中学校で、坂道の突き当りは戸越公園の表玄関・薬医門。まっすぐだから連れ合いも迷子にはならない。 坂は下らず少し東に歩くと……左は品川区豊町…… こちら側は西品川3丁目……ここはまったく頭になく、偶然出くわしました。ラッキー!! 三角地に鎮座する……地元の住民がよく承知している古道の道筋だって。 西品川三丁目石造庚申供養塔……わずかな向きの変化・移動はあるけど、建立以来の位置から大きくは動いていないんだって。 六臂で天邪鬼を踏みつけ、下には三猿。左下の手にしているのは人間っぽい。行慶寺はいかにも青面金剛だったけど、これは何か頭に乗っている。馬頭観音かもね~ 延享4年(1747年)造立……江戸時代の人々も手を合わせていたと思うと、本当に感慨深いです。合掌……『…地元でのかかわりや経過を記した記念碑(紀念碑)がそえられている供養塔は貴重である。』と…… これが紀念碑なのね……狭いから写真撮るのに一苦労 なるほど、記念碑じゃなくて紀念碑…… 左が碑文谷道……品川宿から碑文谷円融寺(旧・法華寺)や目黒不動へと、多くの参拝客を導いた道。 以前品川宿の寺社を訪問した帰りは、少しだけ北側(写真では右方向)の百反通りを使ったけど、江戸時代はJRの車両基地なんてなかったから横切れた。この地点から東にある品川貴船神社に寄ったけど、また今度……しかし、知らないうちに碑文谷道は結構制覇していた私でした。 縦置きは嫌いなので倒しておきます。『此庚申様ノ御尊像ハ今ヲ去ルコト百八十五年前延享四年三月吉日地元有志ノ建立ニ依ルモノナリ 然ルニ奉安ノ御堂久シキ歳月ヲ経テ荒廃セシニ依リ昭和六年九月当昭明会役員協議ノ上其再建ヲ企テ多数信者ノ奉納金ヲ以テ工事ニ着手シ昭和七年五月二十五日落成セルモノナリ 昭和八年十一月吉日建 品川区西品川三丁目 昭明会』 せっかく撮っておいたので写してみましたが、誤字脱字はご容赦ください。疲れた~《おまけ》 黄色いユリ…… 白いユリ……カサブランカって言うのかしら? 「祝福」という花言葉とは裏腹に、猫にとって中毒を引き起こす危険性がある成分が含まれていると。ウンチしにくる野良猫防御になるかしら? 似てはいるけど水芭蕉ではなさそうです。 さてさて今日は迎え火……お墓参り行ってこようかしら……
2020.07.13
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近場の世田谷三十三ヶ所観音霊場を尋ねに出かけた6月15日…… 西澄寺を後にします……東の門から出ても良かったけど、後ろ髪を引かれていたからもう一度境内を戻って…… 左に曲がっていく龍雲寺通りを右にそれます。 右角のお店「THE HANGEDMAN'S BAR 十二」が気になった私……鮮やかなプリントTシャツがぶらさがっていたから洋品店と思いっきやBARだって。デヴィッド・リンチの絵(20/30・26/30とあったから版画でしょう)が飾れているみたい。彼の監督作品エレファント・マンは観たな~ 1980年だって……ずいぶん昔のこと。 住宅街を三軒茶屋方向へ……前方に三茶のビルの頭が見えるから、連れ合いでもたどり着くかしら? 近づくとビルが隠れちゃうから、やっぱり無理かな~ なんて思いながら、私は左へ…… 左折したらすぐ……消火器の脇…… 石橋地蔵尊…… 度々 住宅の隙間にポツンと見かけますが、この地蔵尊はそこそこの土地付き。 石碑も設けてもらって……石橋ってのは地名ではなく、近くを流れる蛇崩川に架けられた石橋に由縁するんじゃないかしら。以前訪問した青葉台4丁目の石橋供養塔碑は三田用水に架けられた橋だったから。しかし、我ながらいろんな所へ行ったものです。 宝暦4年(1754年)10月28日の文字があった。船形光背の板地蔵だけど、庚申供養塔なのかもしれません。私の勝手な思い込みかもしれないけど…… なぜかオロナミンC……賽銭箱あるんだから置かなくても良いのに。今日みたいに風が強いと1円玉吹き飛ぶよ~ 同居人…… 写真を撮っていたら「こんにちは~」と、近所の奥さん。ニコニコ顔だったけど、「よくこんなの撮るわね」と思われたに違いない。お賽銭入れてきたし、不審者じゃありませんよ~《おまけ》 遊歩フジ……電動カート。免許証は要らないらしい。歩行速度に近いから、歩く感覚で乗れるかもしれない。フル充電での連続走行距離は約28㎞。 速度は0.5~6.0㎞/hで、ダイヤルを回して選択。この方は、ほぼMaxで乗って来たようだ。登坂可能角度は10°……ということはtan=0.176だから17%ぐらいの坂は登れるが、それ以上の坂の上に住んでいる方は使えない。偶にでも20%越えに出くわしたら困るから、私は乗りません。と言うより40万円弱だから買えないけど…… キャッシュレス決済ポイント還元が終了した。買い物をすると5,000円分のポイントがもらえる「マイナポイント」なんてのが始まったけど、私ら年寄りにはチンプンカンプン。マイナンバーカード普及が目当てなら、カード取得時に5,000円くれれば良い事なんだけど…… レジ袋有料化も本格稼働。海洋投棄はならないが、ゴミを捨てるのに便利だった。有料でも良いけど、自然にやさしい素材の袋にすれば良いのにな~ お金を払わせば消費量が減るだろうじゃなくて、根本を考えてよ。 10万円は配り終わっていないのに、議員さんたちはしっかりボーナスもらったって……それも去年より多いんだと。医療機関を初め、減額の世の中にあっておかしくない? 拘留中の河井克行・案里夫妻にもそれぞれ約319万円が当然のように支払われた。逮捕されただけで容疑者の段階だけど、保留にはできないのかな? この半年間、何の仕事もしてなかったんだから、普通の会社ならボーナス無しの査定が当然。 なんてグダグダ書いてもつまらないからやーめた。 やっと雨が上がった……何をしようかしら?
2020.07.01
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先日6月5日、ちょっとした用事のついでに行人坂を通ったら…… 大圓寺の外に祠……何度も通っていたのに見過ごしていた。いったいどこに目を付けていたのか??? 上りばかリ歩いていたから足元だけ気にしていたのかもしれない。この日は下りだった。結構な坂なんだな~ これが…… 勢至菩薩……って書いてあるんだろう。 浄財を入れて合掌……お初にお目にかかります。 勢至菩薩石像……蓮華座の上で右ひざを立てて座っている。宝永元年(1704年)の物のようだが、大圓寺阿弥陀堂にも明和7年(1770年)に造られたとする勢至木像が安置されている。遠目だったが当日は拝見できたので、明日載せてみましょう。 西運(さいうん)という僧が目黒不動尊と浅草観音に毎日参詣し、往来の途中で人々から受けた寄進により、目黒川の両岸に石壁を築き、雁歯橋(がんしきょう)を架けたことが、台座に書かれていると……雅叙園脇にある現在の橋名は太鼓橋。私のこの日記のトップページ先頭の写真は太鼓橋からとった雅叙園。 祠の脇に小さいの……守っているのかしら? ちなみに、雅叙園のある付近一帯はかつて「夕日の岡」と呼ばれ、夕日に映える紅葉が見事で、品川の海晏寺とともに江戸中に知れ渡っていたと……(目黒区HP) 海晏寺に行ったのは去年3月でした。もっと前かと思ったんだけどな~《おまけ》 品川独自給付金……昨日の散歩で見かけました。 公明党は高校の授業料も軽減を提言……品川区いいな~ 財政に余裕があるのかしら? そうそう、特別定額給付金が振り込まれたみたいです。後で通帳の記帳してみましょう。 一つの掲示板に貼ってありました。背中に背負ってる「極悪非道連合」ってのは馴染めない年寄りの私だけど、政治に興味を持たず選挙にも行かない若い人たちへの投票喚起となれば意義がある事でしょう。 東京都内のコロナ感染者、昨日は55人、今日は48人……感染経路不明者数も増えている。小池知事は、いつレインボーブリッジを赤くするのか? 選挙が終わるまでだんまりか? 専門家が何と言っているのか教えて……手遅れになる前に。
2020.06.25
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品川区の寺社がいくつか残っているけど、少しだけ違う5月24日を割り込みです。 江戸見坂下……西小山駅近く。荏原七福神を知り制覇するきっかけとなった小山八幡神社・摩耶寺は写真右方向にとても近いです。 しながわ百景のプレート……交差点の近くにありました。なんで今まで気づかなかったのかしら? 小山八幡神社と三谷八幡神社の共同例大祭を両社祭と言います。9月初旬の土日のようですが、日曜の夕方に両神社の氏子町会神輿が武蔵小山駅前に集結して渡御が行われると。今年はどうなることか? 開催できるよう願っていますが、3密は避けられないからな~ 立会道路に沿って少し歩き昼顔キャッチ…… これ何て言うんだっけかしら? 歩道脇の植え込みに咲いていたけど、多年草なのかな~ 立会道路裏の道を歩いていたら、法蓮寺の墓地。左方に頭をのぞかせているのは永代供養塔らしい。無縁募と違い「法蓮寺が永代にわたって護り御回向御供養をいたします…」とのことでした。ちなみに「納骨後の維持管理費は一切不要です…」とも書かれていました。 こんな場所でした。法蓮寺ってのは荏原七福神を求めて先日訪問したお寺でしょうが、そこそこ離れてるんだけどな~ 法蓮寺は地元の豪族 荏原氏の居館を寺としたと云われているから、この場所も荏原氏所有だったのかもしれません。(あくまで私の想像です。) 墓地から中原街道に向かって…… 左右に私好み……「1粒で2度おいしい」グリコのようです。 今日は片方だけ…… 旗の台1丁目石造庚申供養塔……品川区有形民俗文化財(第17号) 寛文5年(1665年)に、旧中延村の庚申講中が造立。区内現存の庚申塔50基のうち3番目に古いというが、品川区で何基見たかな~ 今度は残りを探し歩いてみましょうかしら? 近くは摩耶寺にあったな~ (中央)板碑型……庚申塔には付き物の青面金剛・三猿や日月はなく「南無妙法蓮華経」の髭題目。日蓮宗の影響でしょうが、村のほとんどが日蓮宗だったようです。 昭和大学上條記念館の敷地内に見えますが、記念館が建つ前からあったはずです。 今日はこれでおしまい。「なんや、庚申塔かいな~ 寺社と変わらひんな~」と連れ合いから言われるでしょう。この写真の庚申塔の先にあるもう一つはまた今度……
2020.06.11
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荏原七福神があることを知って、3つ目の法蓮寺など品川区旗の台あたりをブラブラした5月5日……最後の訪問先。 鶴岡八幡神社を後に、仲通りを北上…… 延山くすのき公園……西中延なのに……近くに区立延山小学校があるからかしら? 住宅の間の細長い公園……東急池上線が下を走っています。 鳥ゆう……だって。チェーンなのかしら? ホッピー380円には惹かれたけど、我慢した私です。武蔵小山には鳥勇ってのがあったな~ 台湾チキン……だって。いずこも「お持ち帰り」で頑張ってますが、緊急事態宣言は明日解除されるのかしら? 北海道のようにぶり返すと困るんだけど…… 中原街道に出てバーミヤン……1階は駐車場みたいっす。ガラガラだったから休業していたのかも…… 外階段にありました。 矢印方向はこんな感じ……右がバーミヤンの駐車場 突当りまで行ったけど何もない。引き返して、この写真のチャリンコ前を左折…… こんなの気付かないよね~ 碑があるのかと思ったら鳥居がお出迎え…… 平塚の碑……『古くは鎌倉へ通じる古道で、江戸時代には東海道の脇街道として往来の盛んであった中原往環(中原街道・相州道)沿いに「平塚」と呼ばれる大きな塚があった。 伝承によると、後三年の役(1083~87年)において八幡太郎 源義家を助けた弟の新羅三郎 源義光は奥州からの帰途、この地において夜盗に襲われ多数の配下を失った。その霊を祀ったのがこの塚の由来とされている。 時の流れとともに、この塚は取り壊されたが、地域の人たちによって昭和27年(1952年)3月「平塚の碑」が建立され、伝承は受け継がれている。(品川区教委看板)』……戦からの帰りで疲れていたんだろうけど、盗賊に襲われるとは災難でした。しかし物騒だったんですね。 昔、今の環六と淡島通りの交差するあたりに出没したのが道玄太郎という山賊……道玄坂って坂もあるし、物色するために彼が登った松の木を道玄物見の松といい、その名からついたといわれる松見坂は以前行きましたっけ。 いつしかなくなってしまった「平塚」だけど、太平洋戦争のあと、そのあたりを掘り起こしたところ、鎧(よろい)や兜(かぶと)、刀剣などの残片がたくさん見つかったんだって。同時期に、近くに住む人たちがたびたび不吉なことにあうので、伝説を知る人の間で「塚が失われたことによる祟(たた)りじゃないか?」っていう話になり、現在地にこの碑が建てられたそうです。毎年5月に慰霊祭が行われているようだけど、何日かは不明です。 一応 玉垣で囲まれていました。 中原街道……平塚橋交差点……鮫洲大山線を越えて、先にある水色の歩道橋近くに行きます。 後ろ姿……ありました。 平塚橋の碑……ただの石碑……こんなの撮りに行く暇な私でした。『品川用水の水路と旧中原街道が交差するところに架けられていた橋が平塚橋です。品川用水は、旱魃(かんばつ)で悩まされていた品川領二宿七ヵ村(にしゅくななかそん)が幕府に願い出て、寛文9年(1669年)に完成した農業用水路です。水源は玉川上水の境村(現在:武蔵野市境3丁目)で、分水されて現在の三鷹市、世田谷区、目黒区を通り小山台1丁目で品川区に入ります。……』 以前訪れた世田谷区野沢3丁目の[野澤鬼子母神堂]前のバス停・水車橋も品川用水の名残でした。あそこから目黒区を抜けて林試の森公園あたりから品川区に続いていたのでしょう。 写真正面を横切るのが中原街道で、その先が武蔵小山商店街…… 全長800mの商店街Palmは怖いから近づきませんでした。 しかし、今のスマホのカメラは優秀です。中原街道を挟んでいても望遠でこれが撮れちゃうんだから…… ということで、おまけもなく今日はこれでおしまい。ちょこっと歩いてこようかしら? 天気がボチボチだから……
2020.05.24
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昨日「阿弥陀三尊画像板碑」を書いていて、近くの「深沢2丁目緑地」なる地域の豪農跡地を思い出したから見に行った私……フットワークはそこそこ軽い…… 碑文谷公園……ここはどうなっているかと寄ってみたら……遊具はおろか敷地に入るなってことでした。 深沢学園通りを南西へ……私側が深沢2丁目で、反対は深沢1丁目。そして昨日の板碑はワンブロック先の1丁目。 板碑は先日偶然に見つけたから撮ったけど、ここは4~5年前から知っていたのに素通りした私……反対側の歩道を歩いてはいたけど、間抜けです。昨日は、柿の木坂を歩きながら思い出したので良しとしましょうか? 脇には路地……好きなんだけど昨日はパス…… 深沢庚申様……深沢4丁目方面でも見た覚えがあるのですが、どこだったかは今 思い出せません。点在していたのを個人宅に引き取り、一か所に集約して保存されているのでしょう。ご苦労様です。 庚申塔4基……右は正徳時代(1711~1716年)のものみたい。宝永と享保の間、江戸中期。風雨にさらされているのによくぞ姿を残しています。 深沢2丁目を北に……以前歩きなれた住宅街です。 空いている所は野菜でも栽培するのかしら? ということで目的地「深沢2丁目緑地」は目前ですが、写真アップロードの容量不足なので公園はまた今度…… 駒沢公園をちょこっと横目で眺めました。円盤みたいに建替えられた屋内球戯場ですが、使われていないでしょう。石段の上に、ぽつりポツリと日向ぼっこを楽しむ方々が座っていました。 りす公園も完全封鎖……大人たちは走っていました。5mとか10mとか離れてって言われているけど、お構いなし。半数ほどはノーマスク……やっぱり息苦しいのでしょう。私は近寄りません。 駒沢東京園……42年の歴史ある焼肉屋さん閉店ですと……店主の闘病も要因らしいですが、ご快復をお祈り申し上げます。《おまけ》 今朝はスクランブルでした。 モーニング帰りに通った公園もこの状態……黄色いテープを巻くんじゃなくて、消毒して使わせてあげたいけど消毒液ないんだよね~ 政府はいったい何をやってきたのか? なんてブツブツ書きそうだから今日はこれでおしまい。
2020.04.26
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4月14日、都立園芸高校に行く途中、万葉歌碑を過ぎて…… 深沢1丁目……幾度も歩いた道だけど、やっと目に入りました。 深沢学園通りってのを、この方向に歩けば気付くのでしょうが、いつも反対から来ていたので塀に隠れてまったく気付きませんでした。当日は良く発見したものだと自画自賛…… 看板もあったけど、他人の家としか認識していなかった私…… 道路から見たらこんなぐあい…… これより先は立ち入り禁止…… 祠がありました…… 阿弥陀三尊画像板碑……ってのが安置されています。江戸時代には小児の百日咳の平癒に信仰されていたと。 残念ながら良く見えませんでしたが、世田谷区内に存在する像を碑面に彫った板碑・二基の内の一基で、室町時代のものらしい。 中尊阿弥陀如来と脇侍の観音菩薩、勢至菩薩が描かれているそうです。高さ71.5㎝・幅40.0㎝・厚さ2.5㎝・緑泥片岩(青石) もともとは深沢字下山(現深沢3丁目)の阿弥陀塚にあったと言われ、昭和初期頃盗難にあうが、所在が確認されたのちに、三田家邸内に移したと。ここは三田さんのお家だったのね。 退職後に歩き始めた頃、毎日のように脇を通過した駒沢公園の近くにある「深沢2丁目緑地」は三田家のものだったかしら? 立派な長屋門が現存しているけど、日記を始める前だったからたぶん載せてなかった。後で撮ってこようかしら? コロナで入園禁止だったら困るな~ 深沢3丁目阿弥陀塚がどこかは不明…… 板碑というのは、鎌倉時代から桃山時代にかけてさかんに行われた死者供養のための石製の卒塔婆。板状の石の上部に仏、菩薩を表す梵字を、下部には菩薩像や願主の氏名、法号、年紀などが記されているそうです。今後は注意して見てみましょう。《おまけ》 モーニングの帰りにみたらこれ……三人乗りは濃密で危ないかもしれないけど…… 一人乗りもダメ!!! ブランコも…… 滑り台も……みんなロックアウト!!! 空はこんなに青いんだけどな~ 9時53分
2020.04.25
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水曜日(4月8日)…天気が良かったからコピット散歩 自粛要請中だけど人混みへは行かないし、そもそもすれ違いもしない。だもんで人は写り込まないから、顔修正要らずで楽々。 進行方向左は世田谷区下馬五丁目で、右は目黒区五本木一丁目……何通りというのか知りませんが若いころは車でたまに使った道。両側にある下馬通りや五本木通りはよく使うけど、ここは初めて歩く場所。近いのに何でかしら? 正面は大橋あたりかしら? ムムム…世田谷側はガードレール付いてる! でもって道の真ん中に……シケインではありません。 区境の道路ですが、鷹番三丁目の駒沢通りとの合流点までは世田谷区の区道らしく、従ってこの地の所有地は同区下馬五丁目のようです。下馬一帯の旧地名「馬引沢」がこの塚に由来することから、昭和5年の区画整理の際、周囲を船形にコンクリートで固めて保存することにしたそうです。楕円形に見えたけど船形だったのね~ 「沢」とは、蛇崩川のことなのかも…… 立派な巨木はシラカシかもしれません。プレート付けておいてくれるといいんだけどな~ 芦毛塚之碑……近くの沢に落ちて死んだ源頼朝の乗っていた馬を埋めたという説があるそうです。 藤原泰衡(やすひら)征伐に向かう際、近隣の[駒繋神社]に立ち寄った頼朝公……愛馬から下りて駒(馬)を境内の松に繫いで戦勝を祈願したとの云われから「駒繋神社」と称せられるようになったと……当神社も昨年訪問しましたが、かつて頼朝が兵を率いて通ったであろう場所だと思いを馳せる時、感慨深いものがあります。 近所に花花花……コロナさえなければ良いのに…… この後、未歩行だった蛇崩川緑道の一部を辿りましたが、続きはまた今度……《おまけ》当日拝見しました…… 白のアウディーが黒になっていました。白黒はっきりがお好きなオーナーなんでしょう。お飲みになっている焼酎は、白霧でも黒霧でもなく佐藤なんだけどな~ 威圧感充分ですが、車高はノーマルかしら? バイクはまったく無知の私ですが、寝てはいても竹槍マフラー……サドルからも古そうだと想像できますが、こういうバイクがあるんだと新発見でした。 シトロエン……こちらも古そうです。軽ではありませんが、大きさにおいては軽自動車が流行っている昨今において良いかもしれません。愛嬌のある顔も好きです。 ということで、今日はこんなのでおしまい。散歩はどうしようかな~
2020.04.11
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1月25日……見損なっていた多摩川七福神の残りなどを訪ねました。 矢口中稲荷神社を後にして、線路沿いを多摩川駅方面にちょっとバック…… 先頭車両がわずかに欠けました。スマホもワンテンポ遅れてカシャ!ってなるから仕方ありませんが、普段静止画ばかりなので慣れません。 右は環八…… 見えてきた!……ちなみにこの道に沿って行けば、1年前に訪問した[光明寺道標]のある変則交差点に出ることを今日の独り反省会で知りました。始終歩くエリアではありませんが、つながると嬉しいものです。 正面のスリムな鉄塔は[NTT矢口ビル]に立っているようです。下丸子駅のそばなのに矢口ビルなんてピンときませんが、一階はデニーズみたいです。光明寺を訪問した日の写真にも写っていました。 頓兵衛地蔵尊……左の立派な木は椋(むく)だそうです。 塀も垣根もありませんが、よく悪戯されないものです。 こちらが頓兵衛地蔵様かしら?『正式名を地蔵菩薩立像という。正平13年(1358年)新田義興(よしおき)の謀殺に加担した船頭の頓兵衛が、その罪を悔い一体の地蔵を作った。それが俗称「頓兵衛地蔵」である。この話は浄瑠璃「神霊矢口渡(平賀源内作)」に登場する。また、義興の恨みで地蔵の顔は溶けてしまい別名「とろけ地蔵」とも言われている。だが実際は崩れやすい砂岩で出来ているためらしい。(新田神社HP)』なるほど、崩れやすいみたい…… 多摩川七福神・布袋尊……『中国唐の時代に実在した僧侶の化身。また、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身ともいわれ、聖人として神格化された。大きな布の袋を携え、福々しい顔と太ったお腹という風貌から「幸福」の象徴とされ「開運」「良縁」「家庭円満」の神として慕われている。(新田神社HP)』 しかし、弥勒菩薩の化身とは、ずいぶんな変身ぶりです。 史跡 矢口渡頓兵衛地蔵尊堂……新田義興は寝返った旧臣らによって矢口の渡しで舟を沈められて最期を遂げた。だから[矢口]と付いているのだな~ 良いカメラを持った方々が来られました。たぶん七福神めぐりでしょう……東八幡神社を出た時にもやってこられましたから… スタンプ2つだけ押してきました。 左・こちらの布袋尊 右・矢口中稲荷神社の福禄寿 次の場所に移動する際に見かけました。本当に「酒 量り売り」してるのかしら? 前回は気付きませんでした。 新田神社の前を通ったら、前回あったガラス扉が開けられフルオープンだったから撮り直し…… 神輿は氷川神社の祭礼にも使われるもの……こちらは新田神社の社紋『一つ引き両』みたいです。氷川神社の『左三つ巴』は写せませんでした。 ラッキーでした。 南下して多摩堤通りと十寄神社直前…… 祠発見!!…… またまたラッキー……偶然見つけると嬉しいです。 庚申塔(左)・阿弥陀如来尊(右) この後、残りの東八幡神社・弁財天方向を目指しましたが、今日はこれでお終い… さてさて、何をしようかしら?
2020.02.09
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1月14日……大田区矢口あたりをブラブラ… 矢口氷川神社や花光院を南に進みます。両面通行の道ですが、車がほとんど通らないのがありがたい。 南に向かっている私に対して、こっちを向いている祠…… 今泉北向庚申塔……右の木札はすっかり読めませんが、左の木札には「文化五年(1808)…十二月…」とだけはハッキリ読めました。 青面金剛……六臂かしら? 足元には三猿もいたのですが、いくら交通量が少ないとはいえお尻を轢かれてはこまるので省略でした。 次のお寺を求めて、庚申塔の四つ角を東に…… お寺の塀らしきはありましたが、山門がない…… ついには公園になっちゃいました……矢口二丁目児童公園……寺社も多いけど、公園も多い大田区です。 塀があった反対側まで結局一回りしてしまいました。 でもあったから良かった~ 残念ながら、今日は歯医者で顕微鏡による根管治療を受けてきたのでこれでお終い……1時間強、口を開けっぱなしは辛い。麻酔はしてもらったものの、途中で痛みがあり2回追加。帰りにコーヒーだけ飲んだけど、お腹空いた。麻酔も切れたからどうにか食べられそう。なんぞ食べてこようかしら? そうそう、マイクロエンドもインプラント同様に確定申告に使えると歯科医師が言っていた。去年は両方やったから今年は少しは返ってくるかもしれない。ひょっとしたらもう一本インプラント入れないとならないかもしれないから、今年もお金かかるな~ ちゃんと歯磨きしてるんだけどな~ 老後2000万円じゃ足りないよ~
2020.01.28
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1月9日……満願寺をあとにして、ちょっと危ない撮影場所に向けて目黒通りを上りました。 嘉衛門……フェラーリ、ベンツ……一番下のは分からない私ですが、ホイール屋さんかしら? 途中、左に上って行く細道発見……石段付きで人に優しいです。上野毛通りに抜けられれば上ってみても良かったのですが、行き止まりだったら辛いのでこの日はパス。弱気だったかも…… そうそう、スマホが新しくなったのでちゃんと地図は出てきますが、Wi-Fiの使えない屋外では見ないケチな私です。 リサイクルのお店みたいです。目的地に近づいてきました。 およよ!!! リサイクルの隣はクルマ屋さんでした。マセラティにフェラーリ…… コレツィオーネ……というイタリア語みたいな名前の会社です。ドン・コルレオーネに似ているからイタリア語でしょう。 イタリアが好きのようなのでランチアもあるかもね~ あるかぽね~に似ています。年寄りのダジャレは受けません。 危ない撮影場所に到着……何度か通りましたが、車が停まったり流れたりしていたのであきらめていました。この日はラッキー…… 庚申塔と地蔵さん…… 渡りにくい場所にあるので、花など供えることが困難と思われます。 私も合掌してから3ショット撮って、即撤収…… 左の道(上野毛通り)は両面通行、右はこちらに向かって合流する1車線……混んでいると抜け出せなくなるスポットです。「危ないやんか!!! こんなとこ行かんといて!!!」と連れ合いから叱られちゃう私でありました。ずーっと気になっていたさかい堪忍な~《おまけ》 人参の葉っぱの天ぷら……今朝の西小山のサラダは通常以上の品数の野菜が乗せられていました。黄色いのとか紫のとか……「これ何?」って尋ねたらニンジンだと。カウンターの中の調理場からお姉さんが手に掲げて見せてくれましたが、「おまけ」と言って揚げたてを供してくれました。えぐみもなくサクサク……ニンジンの葉っぱは初めて口にしましたが、美味しい。ビールのつまみに良いと思った私でした。ご馳走様でした。
2020.01.20
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12月4日の散歩……以前訪れたエリアでも、歩く道が違うと楽しいものです。 六所神社の裏からまわってきた所……右角に石碑『都天然記念物 善養寺のカヤ』が建っています。「高さ18mで幹周囲6mの大榧」以前訪問して見ましたが、本堂裏の墓地がここまで続いていたとは想定外でした。 直進してもよかったのですが、私はこの角を左…… Y字路っていうのか? 三つ又っていうのか? とりあえず左に…… 坂を少し上って気付いてしまいました。1ブロック先は、先日歩いた公務員住宅跡地で、野毛大塚古墳も目と鼻の先というロケーション…… ちゃんと理解していれば、先日は「古墳を見てからこの道を下り、六所神社経由で五島美術館」あるいは「等々力不動尊からこの辺りをまわって古墳から五島美術館」のルートが考えられたはずです。でも、時間が足りなかったでしょうし、今の私の足では無理だったろうと独り言い訳です。 ゴミ集積所に丁寧なロゴ……[空音の森](くおんのもり)と読むらしい。「デザイナーズマンション」だというが、『建築家のコンセプトを前面に出した集合住宅で、こだわりの家具が備えてあったり、大きな窓や間接照明、コンクリート打ちっぱなし……』なんてのが流行っているようです。知らなかった~ でもってY字路にもどって右に来たら石碑発見…… 湧水……だって…… 柵越しにのぞいたらこんなでした。本当に湧いているのかしら? 背面方向にそうとう傾斜のある地域なので、高台にしみ込んだ水が流れ出してもおかしくはありませんが…… 玉垣も備えた街角のお堂……この日探しに来た一つです。 右の坂上が国交省宿舎跡地……「この前歩いたばっかりじゃない」と独り嘆いた私でありました。 庚申堂……世田谷区野毛1-13にあるのでタイトルは野毛庚申塔としましたが、正式名称は不明です。 庚申堂再建記念碑……日付は後ろにでもあるのでしょうが、のぞけませんでした。 青面金剛……三猿も彫られた立派な庚申塔です。青面金剛に踏みつけられた邪鬼もいます。 奉修大日尊大護摩供……と読めますが、焼くんじゃないのかしら? 地元の方が、日々お手入れされていることでしょう。ご苦労様です。 紅葉がよく似合っていました。 庚申塔脇の道を丸子川に向かって南下……ゆるい下り…… 浄音寺坂……というそうです。 丸子川にかかる橋は[天神橋]……私は川に沿って左へ…… こんな風情……以前は熱い時期に歩いたので緑一色だったような…… 田園調布八幡の少し手前……この辺は改修工事していたかしら? もうすぐクリスマス……子供の頃は街にクリスマスソングが流れていましたが、最近はあまり耳にしません。除夜の鐘同様に「うるさい」と言われちゃうのかしら? 照善寺……八幡神社は素通りしちゃいました。この寺の境内も広葉樹がなかったように記憶していたので、門前で手を合わせて失礼しました。 [田園調布八幡・照善寺(2018.9.8)] 多摩堤通りに出てみましたが、河川敷はグシャグシャしていたので下りるのは断念。野球グラウンドも当分使えないでしょう。 川に近いあたりは悲惨な状態でした。今年の台風で被災された皆様方のご健康をお祈り申し上げます。 瓦礫を集めていましたが、いつになったら終わることか? 作業員の方々もお怪我をされませんように…… この後、多摩川浅間神社に寄りましたが、続きはまた次回……
2019.12.21
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11月29日……九品仏、狐塚古墳と歩いた続き…… しかし、本当に変な所ばかり訪問する私です。 せっかく坂道を下ったのに、今度は石段……でも上ります。 石段を四分の一ほど上がった右手…… 大日如来尊……入口ってあるから、やっぱり入ってみなくちゃ~ 少し踏み込むと、左に折れ曲がって……突き当りに何やら? 祠発見!!!……ずいぶんと朽ちています。左側は石段 鏡も置かれているし、どこか神社っぽい……鳥居はないんだけど… 少し戻って、敷地奥に進めました。この石段は不安定なんだな~ 蜘蛛の巣をかき分けて上ると祠が3つ…… 左側……誰が大日如来尊なの? 中央……もっとも古そうだからこの方かしら? 大日如来は真言宗では最高の仏だそうです。 右……空海・弘法大師かしら? ちょっと調べたけど、まったく分かりませんでした。残念…… 一応手水舎もありました。 それほど広くない場所です。いたずらっ子は来ないでしょう。 奥にこんな石段もありましたが、下りても行き場がなさそうだから引き返しました。 地頭坂(じとうざか)……と言うらしい……残りを上ります。 坂上から見下ろすとこんな感じ……この日は結構 上り下りをする結果となりました。 とっても閑静な住宅街を進み…… 目黒通り……ちょっとだけ石段を下りて右折…… 御岳山古墳……左の門は閉じられています。 5月28日だけ開放されるんですって…… 石仏・石碑が点在しているんだけどな~ フェンスの隙間から写真だけ撮ってきました。来年のカレンダー、5月28日に御岳山古墳って連れ合いが書いておいてくれるでしょう。 さてさて、今日は椅子補強修理の金具を探しに行ってみます。ずいぶん前から頼まれていたのに、こんな散歩ばかりしていた私です。申し訳ありませんね~
2019.12.06
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11月4日に歩きました。朝日地蔵尊の続き… 恥ずかしながらこれも見過ごしていました。浄土寺墓地からわずかに東に進んだ右手の路地……入り口正面にある「わくわく広場」にばかり気を取られていたのでしょう。たいした広場じゃないんだけど……なんでかな~ 國藏五柱稲荷大明神(こくぞういつはしらいなりだいみょうじん)…… 荏原第一地域新聞「まちかど」112号・2012年7月に、『荏原1丁目町会は、荏原第一地区の北東にあり、端の方に位置している。周辺には、北に桐ヶ谷斎場、氷川神社、東に荏原金刀比羅神社、南に星薬科大学などが点在している。近くには「國藏五柱稲荷大明神」が祭られ、地元の守り神として鎮座している。』と書かれているのを見つけました。大きなアメジストが置かれた荏原金刀比羅神社は以前通りすがりに寄ったし、氷川神社はこの後お詣りさせてもらいました。 狐がたくさん……きれいに拭かれたガラスケースからは、地元の方々の思いが伝わってきます。残念ながら由緒は不明… 東に直進すると中原街道に面して「荏原金刀比羅神社」がありますが、手前の信号を左折です。 旧中原街道……右手 消火器あたりが匂います… あったあった…… 旧中原街道供養塔群…… マンションの入り口です。北方100mの辻にあったのを昭和38年(1963年)の区画整理でここに移したそうです。 中央の大きい地蔵菩薩は総高1.9mで、造立年代は不詳ながら江戸中期のものだろうと…… 右の地蔵菩薩は延享3年(1746年)寒念仏供養のため 左奥は馬頭観音・元文元年(1736年)造立で、その時代にこの戸越本村に馬持講(うまもちこう)があったことを示すものだと。目黒区もですが、品川区も馬とともに暮らす人々が多くおいでだったのでしょう。馬の無病息災はもとより、世話をする人々の安全を願ったものだと思います。 左前・聖観音(しょうかんのん)は石造墓碑だって……貞享年間(1684~87年)とのことであります。※ 聖観音は観音菩薩 いずれにしても、江戸中期から後期の庶民の信仰状況が伝わってきます。 ※ 「寒念仏」=「僧が寒の30日間、明け方に山野に出て声高く念仏を唱えること」(デジタル大辞泉) 一応撮っておきました。 旧中原街道を北東に、桐ヶ谷通りを越えてちょっとだけ進んで…… ふり返るとお地蔵さん…… 子別れ地蔵…… 樹木の葉に隠れてちゃんと撮れない……片手で視界を広げてパチリ『このお地蔵さまは享保12年(1727)に建てられた、「子別れ地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩です。ここはかつて桐ヶ谷の火葬場に続く道筋で、子に先立たれた親が、その亡骸(なきがら)を見送った場所であったと云われております。』 親より先に亡くなった子は、火葬場まで送っていかれず骨も拾ってあげられなかったのでしょう。やはり江戸期のことか? 小石が積まれていました。「一つ積んでは父の為 二つ積んでは母の為」……泣きながら昼夜を問わず賽の河原で石運びをさせられる子に代わり、親が積んだ石でしょう。 パラパラと雪のようにあたりに散っていたのはこれでした…… 脇にあった石……一応撮ってきたのですが、読めませんでした。 子別れ地蔵さん さようなら……私は桐ヶ谷斎場方向に行きます。 右手は少々上っています。そこそこ起伏がある地域です。 突き当たりは右です… 海老民……なんとなく昭和の匂いが漂いました。かつ丼セットあるんだって…… 街路樹は秋色…… 北東の山手通り・目黒川方向に下っていきます。 五反田方面の眺め…… この後、夢違観音にお会いしましたが、続きはまた今度……「飲食や散歩もいいけど、早く糸 通しなさいよ~」と、昨晩 古い知り合いのMさんに言われてしまいました。めっきり視力が落ちて「目が見えない」……じゃなくて「物が見ずらい」ので遠ざけているPfalz。今日は少しだけなんとかしようかしら?
2019.11.21
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11月4日……天気が良かったのでちょっと散歩に……先月末は桐ヶ谷あたりだったので、この日はその外周・大回りってところかしら……いずれにしても足の向くままです。 唐ヶ崎電波塔……なぜか好き… いつも思うのですが、歩行者妨害をする邪魔な歩道橋の階段と鉄柱……渡っている人を見たことがありません。右側には保育園や図書館があるから作ったのでしょうが、子ども連れやお年寄りには辛い。想像以上に車の交通量が少ないため、大方の人は歩いて渡っちゃいます。押しボタンの信号機にしてくれたら良かったのに……人に優しくない時代です。 アルファロメオ……やっぱり赤でしょうか… また邪魔……目の不自由な方は困ると思います。樹木も大切だけど、ここに存続させる必要があるのかしら? 双子用の横並びベビーカーだったら通れないと思うんだけど… 武蔵小山アーケード商店街の北東側……ここを電車が横切らなくなってどれくらいたったんだっけ? 前の写真の手前側が「八光会商店街」 その先から「親友会」……ころころ変わります。 ちょっと変則な「後地(うしろじ)」交差点を左に曲がるとすぐに撮影場所……(後地ってのは昔の地名でしょう) スーパー「ライフ」の脇に…… 朝日地蔵尊……15時少し前だったからか? 傾きだした陽がまぶしい……おんぼろデジカメの限界…… でもってスマホ投入!……なんてきれいに撮れるんだろう~ 扁額……安産・厄除に子育…… お賽銭入れて、唱えてきました。もちろん厄除けだけ…… 寛政元年(1789年)に建てられた道標……右 不動尊・左 仁王尊 僅かながら移動したので方向が左右反対になったと……道標の左奥は慰霊碑・たぶん太平洋戦争? 合掌…… 堂内左奥の小さな道標は見えませんでした……きっと私の見方が悪かったのでしょう。不審者に見られがちな私なので、長居ができません。 なぜ朝日地蔵なのか?説明にはありませんが、朝日が当たるのかしら? どうみても西向きなのに…… 京栄会……また名称は変わります。 寂しくなっていきます……この道は何度も通っています。 以前通過した時に撮って載せたので、詳細は省略……手抜きの私…… 京極稲荷神社…… 進行方向右手に星薬科大学……本館の屋根が見えました。 30年に一度だけ咲くリュウゼツランの花を見に行ったのは去年の8月……早いな~ 今年もじきに終わるしな~ でもって左手、フェンス隙間から覗いたら薬科大学のテニスコート……その向こうに見えました…先日訪問した長應寺の屋根が…… ここが長應寺参道入り口だったようです。以前、反対方向から歩いた時には気づかなかった私……見ていればその日に寄っていたはずです。ほんとうに見落としが多くて困ります。 少し進むと……浄土寺墓地の入り口……少し探したけれどお寺はなさそう…… それもそのはず……調べたら浄土寺は港区赤坂にあるんだと。明治40年(1907年)に赤坂一ツ木から墓地だけがこの地に移転されたと、品川区のHPにありました。ちなみに、ここに眠る江戸後期に活躍した読本・草双紙の作者・柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(1783~1842年)の墓は、同区指定文化財・史跡16号とのことです。 同氏のことはまったく知らないので、省略しますが「草双紙」とは『江戸時代、大衆めあてに書かれた絵入り小説本の総称。文章は平仮名を多く用いる。赤本・青本・黒本・黄表紙・合巻物など』とのことです。漢字が少ないなら私にも優しそうです。 今日はここまで……続きはまた今度…… しかし、なんだか寒いな~ 木枯らし1号は吹くのだろうか? もう少し風速が足りないようだけど……
2019.11.20
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Yahoo地図ではみられない情報が、Googleマップには載っているのでよく見る私です。以前行った石橋供養塔碑・駒場地蔵尊なんてのもGoogleで見つけました。もちろん、馬喰坂上庚申塔・十七ヶ坂上庚申塔・けぼこ坂庚申塔などなど無記載の場所も多いのですが、ありがたく閲覧しています。 先日(30日)、晩酌のツマミを平和通りの薩摩揚にしようと、買い出しついでに近くを散歩……前にGoogleマップでみつけてあった地蔵尊と碑を探しに行きました。 かむろ坂通りを目黒区から品川区に入ると左に行く細い道…… 進むと突き当り…… T字路を右折すると密集した住宅街…… 最初の四つ角から右を眺めるとこんな景色……「ありそう」… 冨士見地蔵尊……発見!!! 敷地的には個人宅と思われる場所です。個人所有・管理かもしれません。 脇に消火器が置いてあります。古くからのものでしょうし、焼失に備えて良いことです。 花も新鮮でした…… 正面の地蔵様は、周囲の土台を改修した時に新しくしたのでしょうか? 台座は昔のままでしょう…… 脇に置かれたものが元来あった地蔵尊かもしれません。 残念ながら由緒はまったく不明ですが、後世まで残りますよに… 東南に向かって次なる目的地を目指します。出発前に、一応地図は確認したのですが記憶力が低下しているので不安だった私です。突き当りを右、そしてすぐに左はちゃんと覚えていましたが…… 大衆割烹とり鈴……チェーン店より個人営業の方がほっとします。近所だったら寄ってみるんだけど……なんて思いながら右の三色ポールを左折…… とにかくこの辺りは初めての道……ほとんど人影がなかったので、顔修正せずに済みました。「あぁ、ここを横切るのね~」……不動前緑道……下を東急目黒線(旧 目蒲線)が走っています。踏切がなくなって良かったです。 少々アップダウンがあるみたいだし、直線道路ではありません。こういう場所は一回間違えるととんでもない方向に行かされます。 変則交差点……よくあります。工事誘導のおっちゃん……ご苦労様です。 住宅街……間違っていないか、尋ねたくとも誰も居ない… なんとなく発見したかしら? 不安解消、一安心…… ありました!!! Googleマップ上は「たけのこの碑」となっていましたが、『孟宗筍(もうそうたけのこ)栽培記念碑』が正式名称みたいです。 門扉が閉まっていたので勝手には開けず、柵の上からパチリ……『櫓(ろ)も楫(かじ)も弥陀(みだ)にまかせて雪見哉(かな) 釈竹翁』竹翁(ちくおう)といわれる山路治郎兵衛の辞世の句が刻まれていると……『山路治郎兵衛(1738?~1805年)は、鹿児島特産の孟宗竹を移入し、戸越村近郊の農民に栽培を奨励して商品化に成功。竹や筍はこの地域の特産品となった。この碑は文化3年(1806年)に、治郎兵衛の子息の三郎兵衛が父の一周忌に際して、歯骨を埋め、その上に建てたもの……(品川区HPより)』 殖中?……私にはわかりませんが、一応パチリ… 荏原地区指定文化財・史跡第17号とのことですが、所有者は個人のようです。 冨士見地蔵尊も指定してあげて、看板立ててくれるとフリーウォーカーの私にはありがたいです……よろしくお願いします。 この後、少しだけ近所のお寺を巡ってきましたが、えらい目に遭っちゃったのであります。ちゃんと地図を印刷するか、もう少し真剣に下準備すべきでしたが、結果はまた後日……
2019.11.02
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10月20日、中目黒駅近くの銀座観音から裏道をウロウロした続きです。 目黒通りを越え、町名としては下目黒に入ったところか…… 目黒寄生虫館の脇を南に……「こんな店 あったっけ?」…歩いてはいても見過ごしていたり、記憶に残っていないものがたくさんあります。 下目黒3丁目…… 不動浴場……と言ったらしい……2017年に閉業したみたい。我が家の近くの銭湯も、ずいぶん前に廃業しちゃいました。かつて長いこと住んでいたアパートの一階はお風呂屋だったけど、どうなったかしら? 不動浴場の屋根は名古屋城風でした。経営者が愛知県人だったのかも… 右側:不動公園で左側:龍泉寺……この道を真っすぐ行くと「甘藷先生のお墓」……以前行ったのでこの日はパス… 角に看板があるのはありがたいです。左:甘藷先生・直進:目黒不動・後ろ:寄生虫館・右:なし………目黒不動方向には「三折坂」があります。下りで楽だけど、以前歩いたので少し遠回りを承知の上で何も書かれていない右に行った天邪鬼(あまのじゃく)な私です。 しかし、なにもない…… と思ったら、立派な門構えのお家……すごいすごい… なんやなんや???……君子ではないでれど危うきには近づかない私……危ないことは連れ合いに叱られちゃいますから…… 駄菓子屋さんを発見しました。と言っても、パトカーの真ん前でお巡りさんなんかがいたので入店は次回…… しかし、目黒・上目黒・中目黒・下目黒……行き止まりや変則な道が多かった~ ごく近くに三折坂があるように、周囲には少々の坂道があります。 でもって、いつもは逆から来る道に……「あるある!」 瀧前町講中道標……法界萬霊の上部におられるのは合掌した地蔵坐像…… 右 目黒道・左 祐天寺道…… 明和5年(1768年)建立みたいですが、瀧前町は当時のこのへんの地名らしいです。 なんどもこの方向から通過したのに、まったく気づかなかった愚かな私……左側に傾斜しているので、左側の家々の玄関は道路よりかなり低くい位置にあります。いつも「大変だろうな~」と眺めながら歩いていた私です。 どうでも良かったのですがもう一つ撮って帰ろうと、目黒通りに向かう途中にありました。マンションなんだけど、門だけは壊さずに残したみたいです。日常的には使われていないでしょうが、良いことだと思います。 目黒競馬場跡の記念碑……歩いてきた方向・この碑の南側に競馬場があったのは有名です。なんてったってバス停の名前も「元競馬場前」だもの。でも、ごく近くに住んでいても知らない人もいらっしゃるようですが…… 目黒競馬場における第1回の競馬開催は明治40年12月……なんと第1回日本ダービー(昭和7年)は目黒競馬場だったと。残念ながら翌昭和8年春季、第2回日本ダービー開催を最後に府中へ移転したそうです。亡き祖父も訪れたことがあったかもしれません。 銅像の馬は「トウルヌソル」と言うそうです。第1.5.6.8.9.12回 日本ダービー優勝馬の父だって。私、競馬は知らないので……各回の優勝馬をちょっと調べてみると…… 第1回:ワカタカ (相撲みたい…) 第5回:トクマサ (得正…カレーうどん…大阪人しかしらないかも) 第6回:ヒサトモ (オーナーの名前かも) 第8回:クモハタ (任三郎?……古畑か~) 第9回:イエリュウ (なんとも書けない……トホホ) 第12回:クリフジ (馴染みやすい……クリとかフジとかは数多いでしょう) 父ちゃんトウルヌソルは子だくさんでした。ずいぶん稼いだことでしょう。 変わった名前だと思ったら、フランス語で「ヒマワリ」……競走馬時代の父ちゃんはイギリスで走っていたそうだが、この時代に血統馬を輸入し、こんなにも国産サラブレッドの礎を築いたのはスゴイ!! と、素人の私も思った次第です。 最寄り駅に戻ってきたらフリーマーケット……中目黒もフリマだったし、流行っているようです。ということで、この日の散歩、終了~ おまけ… 生姜揚げ・ゲソ巻き・イカ巻……散歩がてら平和通り商店街を通り、柳屋かまぼこ店でゲット。トースターで4分炙れば出来上がり…… 昨夜はこんなので一杯やりながら「遠すぎた橋」を鑑賞……と言っても前夜の寝不足が影響して途中でコピット居眠りしましたが……飛行機、戦車やジープなどは勉強になりました。戦車には「グレーの車体をモノトーンであれくらい再現できたらいいだろうな~」と、字幕を放棄して目が点……表現するには、ウェザリング力・絵心力の増強が必要ですし、1/48じゃなく、せめて1/35になるんでしょう。 なんて、やってみたいことはたくさんあるのに一向に取り組まない私でありました。さて、今日はなにをしようかしら?
2019.10.31
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今朝は雨が降りだすというので、いつもより早く家を出発! 小学生の登校時間だから歩きにくいのを我慢……要所要所で「おはようございます」と、見守りの方々が通りすがりの私にも声をかけてくださる。知らん顔はできないので「ご苦労様です」と会釈する私……笑顔は忘れていたけど……反省… あちこちで見かけます……街路樹の中を電線が通り抜けている状態…… 都内の被害は少なかったようだけど、なんとかしないと駄目です。電線の地中化という選択肢もあるでしょうが、地震で分断されたら「どこを修理すればいいか?」すぐには発見できないでしょう。長期にわたってインフラを確保できない今回の千葉県の状況を見て、被災時の早期情報収集は町内会など地域住民と区政・都政が一丸となって取り組むような構築の必要性を感じました。 覚えてくれたようで「(ドレッシングは)和風ですね」と仰ってくれるようになりましたが、今朝はミルクカップが乗っていました。オーダーを聞いてすぐ、間違えないよう、料理が出来上がる前から用意しておいたのだと思います。最近は「和風」をお願いするのは私ぐらいなので、うっかりすると習慣でサウザンドアイランドをかけちゃうから……私の想像ですが、ありがたいことです。 高木神社……喫茶店を出ても雨はもう少しもちそうだったから、行ってみました。以前、確か連れ合いと訪問したことはありますが、写真を撮ったか?記憶になかったので。秋祭りの片付けをされていました……ご苦労様です。 写真左端……目黒区のHP[庚申塔めぐりガイド]に載っている一つです。21の記載のうち、この庚申塔だけ日記に書いた覚えがなかったので「寄らなくちゃ」と思っていた私です。 ちなみに、ガイドの最後に書かれている「緑が丘庚申塔(緑が丘1丁目11番)」は、現在はないかもしれません。グーグルのストリートビューでも見られなかったし、ごく近所に住まわれている方も「知らない」とのことでしたから……暇があったら区に訊ねてみるつもりです。 文字のみので青面金剛はいらっしゃいません。右に[〇〇荏原群 目黒]・左に[碑文谷村 二王尊]と彫られているので、道標を兼ねていたことが分かります。 当時からこの場所にあったのではないそうですが、碑文谷村二王尊とは円融寺を指していると私は考えます。ちなみに「二王」はなじみがありませんが、本来はこのように書かれたのを日本人が親しみを込めて「仁王」としたそうです。 これで区の[庚申塔めぐりガイド]に記載されたものは全部見ました~ 社殿……創建年代は不明らしいですが、碑文谷村時代には「第六天」と呼ばれており、高木神社となったのは明治時代だそうです。いずれにしても、永きにわたり地元の守護神です。 高木神社から少し歩いてこんな道…… 角田家長屋門……連れ合いも見たことがあるでしょう…… 中根公園裏・寺郷の坂にある岡田家長屋門も立派に現存しています。 旧栗山家長屋門も有名ですが、現在は解体保存中(区指定有形文化財)とのこと……残念……主屋は、すずめのお宿緑地公園に復元・公開されているんだけど…… 維持管理もたいへんでしょうが、大切にして後世に残してくださいませ。
2019.09.18
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今朝モーニングへの途中、先日は見つけられなかった正泉寺にあるお墓探しにチャレンジしました。なんとか発見できましたが、暑い暑い暑い……汗だくでした。喫茶店ポエムは比較的クーラーが効いているのですが、なかなか汗が治まらなかった私……新聞を広げても、汗が眼鏡にポタポタ落ちて読みにくい読みにくい……首に巻いたタオルは店を出るまでに乾きませんでした。 式亭三馬の墓……いくつもの通路をウロウロしてご対面… 台座には「る」の字を崩した文字があると学習していたので、なんとか見つかりました。墓地の中央あたりにありました。 羽倉簡堂(はくらかんどう)の墓……これまたウロウロうろうろして、なんとか見つけました。左右を取り囲むようにあるのは親類縁者のお墓でしょうか? 説明がないので不明です。墓地の東側です……なんて書いても誰も探しに行かないでしょうね~ 広く大きい台座にサイコロ形の墓石が羽倉簡堂の墓でしょう。「羽倉用九之墓」と彫られていました。「用九」=(もろちか)と読むらしい……日陰もなく暑い中をよくぞ探したと自己満足の私でした。 近辺の路地で寺を見た記憶があったので探しながら喫茶店に向かいましたが、今ほど寺や神社に興味のなかった頃のことなので、結局発見できず。 喫茶店で少しだけ汗が治まったので、帰りにここ「立会川緑道 中丸橋」を右折…… このあたりは、行き止まりを含めてこんな道がたくさんあります。 町会か? 寺か? 宗導寺……密集する住宅街の中にありました~ よかったよかった 浄土真宗本願寺派と言う以外、残念ながら詳細は不明です。 兵庫の震災直後、堀川通りをはさんだ西本願寺の前にある「あずまや」っていう旅館にしばらく世話になりました。仕事は大阪でしたが、泊まれるところがなく仕方なく京都。修学旅行生御用達みたいな宿でしたが、今も頑張っておいでかしら? と、また今日もつまらない日記でした。9月になれば少々遠出の散歩にも行かれることでしょう……体力が落ちているから心配ですが……
2019.08.29
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6月2日に野沢交差点近くの東が丘庚申塔を探したとき、「あの辺にもあったよな~」と寄ってみたのですが記憶があいまいだったので発見できず。悔しいので6月12日、改めて探してみました。 五本木三丁目界隈……記憶が正しければ、ずいぶん前に三軒茶屋の帰り道で見かけたはず……ヤマ勘を頼りに入ってみました。 どこだっけ? こっちかしら? とウロウロして…… あったあった…… 五本木3-11…… 住宅の一画に、大切に保護されています。 立派な屋根付き…… 石塔3つ…… 右は馬頭観音みたい…… 左にも小さいやしろ……ちゃんと差別なく花も供えてありました。 削れていて、文字はまったくよめません…… 奉納とかかれた石……上部がくりぬいてあるのでミニ手水舎なのかしら? 松の幹が食い込んでいました。 祐天寺2丁目交差点……五本木からやってきました。以前、地図を見ていて緑道みたいな細い道を見つけたので行ってみた私……「入り口はここかしら?」と思ってパチリ… どうやらこっちみたい……近くはなんどか通りましたが、まったく気付きませんでした。スーパー三和の向かい側…… こんな道…… 細い道は大好きですが、ここで襲われたら逃げ道はありません。金網デスマッチ状態……いやだな~ 草?苔?は踏まれているので、歩行者はけっこうおいでなのでしょう。 予想以上に長い…… やっと出口…… いいですね~ まだまだ続きます。 住宅街…… 今は暗渠(あんきょ)……昔は川が流れていたことでしょう。 なぜかアジサイ…… レンガ敷きがこんなに……私道なんでしょうね。 まだありそうなので、ついて行く私……暇人… 歩いていいのか? と思いながらも行っちゃいます。 レンガがなくなってアスファルトに… まだまだありますが…… 金網はなくなりました。「なんだここか~」とつぶやく私……このバス通りは良く分かっています。右手前までは何十回も通っていますから……「ここに出るのね~」この薬局は通ったことがありますが、脇の道には気づいていませんでした。左に行けば祐天寺…… どこまであるのか行ってみました。 まだまだ……ここは道幅広い… なぜかまたアジサイ……これから色付くでしょう。 少し細くなって…… またまたアジサイ…… どうやら終点みたい……中目黒5-11あたり… 直進すると「とちの木庚申」があり、その脇を通っている「谷戸前川緑道」につながる川だったようです。私の想像ですが…… 居酒屋ふくちゃん……表通りを引き返しました。 しつこくアジサイ……同じ木なのに花の色が違う。土壌の成分によらず、自ら色を変化させる性質もあるのでしょうか? 旧目黒区役所裏……花かと思ったら… 葉っぱでした。 今日も蒸し暑い。こうして座っているだけでも汗がしたたり落ちてくる。散歩はしんどそう……何をしましょうかしら?
2019.06.28
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満員電車にも乗らないし運動不足解消にと、サラリーマンを退職した後から少しは歩いていたのですが、日記にアップしようなどとは考えもしませんでした。従って、当時は目にしていても写真を撮らなかった私。ふと思い立ち、記憶に残っている場所に行ってみました。6月2日のこと…… 東京聖書教会……目黒通りを歩いて、自由通りとの交差点……「写真撮ってたでしょ~」って、知人から言われました。信号待ちをしていた車内から見られていたようですが、たぶんここでしょう。 PLANEX CARS……知らなかったです。 フェアレディZ-432…… [432]ってのは[4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト]だったかしら? 直列6気筒エンジンだからこんなロングノーズだったんですね。海外向けの[ダットサン240Z]や[260Z]も人気がありましたっけ。若いころ、唯一アメリカに行かせてもらった時には、ハイウェイでさかんに目にしました。アメリカの若者にも人気でした。 1970年ぐらいの車だったのでしょうが、このホイールは純正かもしれませ。間違っていたらごめんなさい。 ポルシェ……[356]でしょうか? 後続車[911]の前身 ロータス47GT/60……ヨーロッパシリーズをベースにしたレース仕様車。1967年製だって… スバル360……いろいろな名車が並んでいました。買えないので入りませんでしたが、楽しいです。 車見学はそこそこにして目的地へ…… このへんだったよな~ 通り過ぎて振り返ると……この景色を以前見たのでありました。駒沢から歩いてきてここを右折し、立源寺・鉄飛坂へと……我ながらよくぞ記憶が蘇りました。 馬頭観音……マンション脇の植え込みの中… 中根西三叉路……って目黒区のHPでは表示されていました。[自由が丘2-6]栗山家にも馬頭観音があるみたい……近くだったのに、調べていかないからいつも反省。 立派な屋根が造られていますが、長いこと野ざらしだったのでしょう。これ以上劣化が進まないことを願います。 不親切……おそらく説明書きがあったのでしょうが見えません。せっかくプレートがあるのだから、書いてくださいませ。HPにも詳細が見つからなかったので残念です。 目黒通りを少々戻って、左折しました。 住宅街……なんとなく下ってます。 紫陽花……意味はありませんが、見ると撮りたくなる私… 見事に直線じゃない道路……微妙なくねりはどうしてなのでしょうか? 氷川坂……連れ合いは先月 通ったかしら? 気付いたかしら? 呑川緑道が横切ります。西方向… でぶザリガニかしら? ポールの上にいました。立会川緑道にはこのモチーフはなかったはずです。そうだ、呑川緑道は何度も歩いたのにまったく気づかず……なんでだろうな~ 歩く時々で目に入るものと入らないものがあるようです。今度また歩いてみようかしら? と言うことで、今日はここまで……連れ合いが先月一人で訪問した氷川神社は次回です。あちこちの寺社には行っているのに、近場にはご無沙汰で写真もなかったので行って来た私でした。
2019.06.08
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5月26日の散歩の最終回…… 上目黒氷川神社を後にして、住宅街を北上…… 住宅街です…… レストラン・ボラーチョ……淡島通りに出たところにありました。 洋食屋さんらしい……ホタテのニース風、マッシュルームガーリック、エスカルゴや牡蠣のコキール……食べたいな~ 淡島通りを松見坂交差点に向けて東にちょっと…… 右下にも道があって……目的地間近 松見坂交差点……横切るのは山手通り……営業職時代には車で何十回も通過したけど、徒歩は初めて… 交差点手前を右にUターン…… 松見坂地蔵尊……元の地蔵尊は昭和20年(1945年)5月25日の空襲で被災したため、現在の石地蔵の下に埋められたと… 雨ざらしの場所にも石碑が…… 2体の大きい石地蔵と三猿が彫られた石仏…… 何にでも応じてくれるみたいですが、世界平和の札もあってほしかった~ いつの時代のものか不明ですが、今後も傷むことなく保存してくださいね。旧上目黒村の東の出入り口だったので、村に侵入しようとする厄を除けるのに祀られたそうです。 地蔵尊の足元にも小さいお地蔵さん…… 淡島通りをくぐるトンネル……交差点にはちゃんと横断歩道がありますが、せっかくなのでトンネル使ってみました。 山手通りを渡ってこんな道……ついて行けば神泉そばから渋谷へ通じる道……目的は右の植木の中……庚申塔でも地蔵尊でもありませんが寄りました。 石橋供養塔碑……文化9年(1812年)の建立。悪天候で増水するなどして交通の障害となっていた昔、三田用水に架けられた石橋に感謝したものだそうです。 当初あった場所ではないようですが、昭和47年(1972年)にこの地で発見され、マンションの住人の方々により保存・修復されて設置しているとのこと……下の方は折れてたのをつないだのかしら? 松見坂……『昔、今の環六と淡島通りの交差する駒場一丁目付近に、道玄太郎という山賊がいましてね。その道玄がこの付近にあった松の大木に登って旅人をねらっていたそうです。まあ、そんな話から、渋谷には道玄坂があり、道玄の登った大木を道玄物見の松といい、その名から松見坂という坂名がついたと……(目黒区HP)』……今から450年以上昔の話…… 前回、脇を通りながら見落とした目的地は信号の手前右…… 駒場地蔵尊……前の松見地蔵が東の入り口を守っているのに対して、西の入り口はこの地蔵が守っているそうです。部屋が二つに分かれていました。 左の部屋には1体…… ものすごくスリムですが、水子地蔵尊みたいです。 右の広い部屋はこんなの……『お堂の中には3体の地蔵が並んでおり、江戸時代の延宝から元禄年間に建立されたもののよう…(目黒区HP)』とありましたが…… こちらはお地蔵さん…… こちらは違うんですね……観音様みたいですが、彫られた文字が達筆なので私には読めません。詳しいことはよく分かりませんでしたが、見過ごした地蔵さんたちを拝見できて自分に納得ができた次第です。 後ろの駒場野公園(飛び地)には、さすがに誰も居ませんでした。暑かったものね~ 前回は蹄鉄が欠けたので、馬神の碑の足元だけ取り直してきました。ニンジンだけでなく、リンゴも供えてありました。馬ってリンゴも好きなんだ~ スイッチバックの石段通過……前回もこの花あったかしら? 目黒川緑道分岐点……前回逆光だったので撮り直し……これでもまだハッキリしませんが…… 烏山川緑道……咲き誇っていた紫の花は終わっていました。日陰がないから暑い暑い…… 再生水だって……知らなかった~ この日の花……私には新顔 前回は、お洒落な表示としか思っていなかったのですが…… くぼ田 炭火焼……お店の宣伝ができるみたいです。 児 玉……どちらも焼鳥でしたが、こちらはコースが主体のお店みたいです。好きなものを食べられないのは私は苦手です。 暑いのに大行列……50人以上はおいででした。 NOZY COFFEE……世の中、こんなにコーヒー好きが多かったとは知らなかった~ きっと高いんだろうな~ ということで、この日の散歩は終了です。鼻の頭が赤く日焼けしてしまいました。今日は留守番しながら何をしましょうかしら?
2019.06.05
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5月26日……寿福寺・宿山の庚申塔・西照寺を見学した前回の続きです。 西照寺門前から、烏森コミュニティ道路の階段を引き返します。 KKRホテル中目黒……上りきって表通りに出たところにありました。最寄り駅は中目黒ですが、変則な道ばかりだから迷わずに来られるかしら? 野沢通りに戻りましたが、ここから左の道を歩きます。たぶん旧道だと思われます。右の道は切通し……頑張って作ったんでしょう。車は便利です。 前方は渋谷……たぶん… わずかな日陰と自販機前に灰皿発見……ちょっといっぷく! 東山中学校……かつては区内で唯一番号じゃなかった中学校。 熱中症にならないでね~ 向原小学校は、今日運動会やってました。水飲んでね~ 目黒川に向けて下り坂…… 歩道に発見…… 東山の馬頭観音……知らなかった~ この道は車でも通ったことがありません。 苫良号と福宮号、2頭の軍馬が祭られているとのこと……ニンジンじゃなくてジュース…… 数々の軍事施設がもうけられたエリアだけど、この辺の傾斜地を利用した急坂路訓練は過酷だったと伝える。大砲を6頭立てや8頭立ての馬にひかせ、駆け上がり、下りの繰り返し。最悪は、馬が故障したという想定で兵隊たちが引き上げる訓練もやったらしい。非常事態を想定することは大事だけど、戦争やめることを考えた方が良かったのにね。 坂を下って、もうすぐ山手通り…… SALE……Tシャツ 1,000円だった。 ドン・キホーテ…… 菅刈陸橋…… 目黒川はここで横切ってたんですね~ 知らなかった~ めぐろはし…… 目黒川……こんな感じ… 大橋直前……左には大橋ぐるぐるジャンクション 天空庭園は少しだけ心惹かれましたが、や~めた~ 暑かったし、きっと日陰ないだろうから…… 大橋交差点……246にぶつかります。 神社発見……渡りたいけど横断歩道がないじゃないの~ 車では幾度も通ったことがありますが、まったく気づいていませんでした。信号機はあるのに、歩道がないのは人に優しくありません。 左を見たら……歩道橋を渡れって? オーパスブリッジ……だって……嫌いです。 三茶から二子玉方向……しょうがないからオーパス使いました。信号はあるのに横断歩道はその先までありません。 渋谷方向……ずっと先まで人は渡れません。 ぐるぐるジャンクション……良くこんなの作ったもんだ……首都高中央環状線から上がっていくのに結構渋滞してます。私には無用ですが、それでも便利にはなったのでしょう。 と言うことで今日はここまで……散歩しようかどうしようか……
2019.06.01
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5月26日……先日見損なった駒場地蔵尊を見に行こう、ということでブラブラ出かけました。同じコースでは面白くないので少々遠回りしてみたら、新たな発見もありましたがとんでもなく暑かった~ 目黒区中央町2-38あたり……存在は知っていたけど、なぜか撮ったことがなかったので…… 小さなお堂…… いつもお花が供えられています。 たぶん庚申塔……地蔵さんではないでしょう。 駒沢通りの向こう側……上は東横線 ラーメン・ギョーザ……交番の前なんだけど 中国料理海新山……路地の奥にあります。若かりし頃は中国大使館で料理を作っていたというオヤジさんが始めた店だと聞いたことがあります。 守屋図書館…… 守屋善兵衛氏の胸像……駐車場の片隅で木々に埋もれていました。守屋氏が亡くなった後、敷地・邸宅と所蔵図書が遺族から区に寄贈され、現在の図書館となっています。人名を冠する図書館は、23区立図書館では唯一だと…… 何でしょうか? 胸像の足元にありました。 図書館内には入らず裏の道……五本木2-20あたり 五本木庚申塔群…… 庚申塔4基と地蔵尊1基が奇麗に並んでいます。 左から……青面金剛、三猿や太陽と月なども描かれています。 右はじが地蔵尊……江戸時代のものでしょうが、保存状態は良好です。 うっかりすると見落としそうですが、前の道は古道の鎌倉道と伝えられ五本木集落の庚申塔を建てるにはふさわしい場所だったみたい。最初に建てた場所から移されていないんだって(目黒区HP)……素晴らしい~ 祐天寺駅方向に少し…… 昭和通り商交会…… 祐天寺2-15 あたりで…… お堂発見…… こちらは地蔵尊みたいです。この場所を右手に進むと、じきに「さわら庚申」があります。私は左に行くのですが…… 屋根もなかなかしっかり造られています。 五本木通り……ちょっと遠回りしましたが、知らなかった地蔵尊も見たからよかった~ この先は緩やかな下り……楽々……だけど日陰がないから暑い暑い暑い… 田切公園……日陰はあっても暑そ~ おいおい「どこ走っとん!!!」ったく……こういう人がいるから正面衝突するんだわ… 蛇崩川緑道が横切ります。この辺は歩いたことないな~ 反対側は中目黒方面へ行きます。 蛇崩橋…… 蛇崩交差点……五差路です。近くの葦毛塚(あしげづか)撮ってくるの忘れました。昔は車でよく通りましたが、徒歩ではすっかり使わなくなった道なので記憶が薄かった~ 野沢通りを山手通り方面へ行きました。反対に行くと野沢龍雲寺に行かれます……と、連れ合い向けに書きましたが頭に描けるかは定かではありません。ちなみに、蛇崩交差点からこのあたりまでを半兵衛坂と言うそうです。 写真のアップが限度なので今日はここまで…… 治療した歯は、お蔭様で現在まで痛まずにすんでいます。風もあり小雨も降っているので散歩はダメそうだし、何をしましょうかしら?
2019.05.28
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3月15日……田道庚申塔を見た後で入ってみました。 目黒区民センター公園……初めてですが、立派なプールもあったし、彫刻・ブロンズ像?もありました。 庭もつくられていて、お金かけてます。 平和都市宣言……だって……『…核兵器のない平和都市であることを宣言する。』と謳われているけど、核だけじゃだめだよ。 鐘 楼……なんでかしら? 目黒区美術館…… 鈴木省三はよくわからないし、入場料高いから入らない私…… 区の公園を出てから、山手通りを越したいけど信号がない…… 迂回して横断歩道を渡り、ラーメン二郎の手前を右折するところ… 初めて歩く道……やっぱり幹線道路より良いな~ Y字路を右……「喫茶・志みず」は準備中だった。営業していたら、間違いなく寄ったのに…… くねくね直進すると「十七が坂」のはずだけど、ブルーシートの手前を左折する私。 十七が坂の由来は、「あまりに急であったため、子どもが坂道の途中で転ぶと、17歳になったとき不祥事が起きるという話」と「坂上の庚申供養塔に、江戸時代の中目黒の有力者17名の名が刻まれてるので、この碑から生まれた」との説があるそうです。いずれにしても、最近は上り坂は苦手になってしまった私です。 これでいいのかしら? 出かける前にはヤフーの地図を見ているけど、なんて言ってもスマホの地図を見られない私……時たま道を失います。 正解でした……緑道らしい行く手を見て安堵… 谷戸前川緑道……前回 偶然に発見して上流から半分程歩いたので、残りを見に来た次第。 音がしていました…… モクレン……空は青かった… 引っ越しは大変でしょう……と、いつもつまらないことを思う私… 道路が横切るたびに、出入り口のそれぞれにブロックが置かれていました。何のためなのか? これが無くても間違いなく車は入らないでしょうに… なかなか凝っていて、種類の異なる植物が植えられていました。 こっちは植えたばかりでしょう…… ここは右の方が高いみたい……面白い地形です。 花と道……こんなことをして遊んでいるから、いつも時間がかかっちゃいます。 前回来たところ(大塚山公園裏口)に到着……これで本緑道制覇! 入り口前のベンチ……ドナルドダックが頭に浮かんだ私……でも、必要なのかしらね~ 二階建ての公園……上部は住宅で分断されています。 この日は、奥の階段を上りました。 このくらいなら楽々…… 上からの眺め……前回も今回も誰もいませんでした。子供たちはどこで遊ぶのでしょうか? 空は青い…… 懐かしい水道……子どもの頃は学校や公園にあったけど、見かけなくなりました。まだあったのね~ 水 出た……当たり前か~ 灰皿あった……この公園、3つの広場からなっていますが、ここにだけ灰皿……おまけにベンチ……ありがたやありがたや…… 公園を後に、こんな道をくねくね……右か左か? 博打じゃない。 祐天寺裏……よく通ります。 祐天寺山門……お彼岸の準備中でした。しかし、あっという間に日が経っていきます。何かせなあかんな~ と反省はしているのですが… さわら庚申…… 欄間の三猿……この庚申塔は以前も撮りましたが、猿を逃していたので再チャレンジでした。 これは二猿……掲げているのは何のマークかしら? 堂舎左…… 堂舎右……愛嬌があります。木目もいい感じ… 道 標……正面おく沢 ひもんや いけがみ 道 右 ごほん木 ふたご 道 1850年代後半のものみたいですが、当初の位置からは多少移動しているらしいです。 さわら庚申後ろ姿……さい銭箱は前からあったかしら? 落書きじゃない……きれいに塗られていました。 五本木交差点……いつになったら開通するのか補助26号線 角にあったたこ焼き屋は引っ越ししたらしい…… 南東方向……まだまだかかるでしょう。私が生きているうちに開通するかしら? おにぎり・すずき……ある方が「おいしい」と言っていたけど、私は未だに食べたことはありません。7-11で十分な私です。今日も後で食べよ~っと 朝からの雨は上がったけれど、また午後から降るらしい……たまには雨も必要だけど、やっぱり晴れの日がいいな~ 気分が違うものね~
2019.04.08
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3月15日…長泉院付属の現代彫刻美術館を後にして…… 馬喰坂を下りました…… 一生懸命下って…… この辺りかしら?…… 入ってみたら行き止まり……「なんでやねん!!」 行きたかった庚申塔の番地を入れたら、ヤフーの地図がこの辺を示したので行ったのですが、だめですね~ この通りの左なのは確かみたいなので、渋々坂を戻りました……無駄骨… 結局、馬喰坂上の庚申塔まで…… 脇に入りますが…… そもそも目黒区の看板が不親切なんです。色で足しましたが、せっかくなんだからこのくらいやってよ~ 看板設置個所の斜め前にある「馬喰坂上庚申塔」も書かれていないなんて、私には信じられません。「とちの木庚申」は、これでは見つからないんじゃないかな~ それでも、住宅街を進むと……「十七が坂」……標識ありました。よかったよかった…… 完全にかすれてしまっています…… 十七が坂上の庚申塔……到着! 墓地みたいです…… みたい、じゃなくて墓地です。 説明の看板……目黒区のHPにも、目黒三丁目3番までしか表記されていなかった。住居番号まで書いてくれていたら、まっすぐ来られたのに……お墓だから号はないのかしら? 古い古い……屋根はあるのだけれど、もうちょっと面倒見てあげた方がよいのでは? 明暦3年(1657年) 宝篋印塔(ほうきょういんとう)……2mほどの背の高いのは、区内最古の庚申塔だそうです。寛永3年(1626年)建立。 十七が坂……庚申塔の前から南東に下っていく坂です。私は行きませんでしたが…… 手作り水車……民家の軒先にありました。上手いもので、ちゃんと回っていました。 金魚もスイスイ…… 田道交差点……山手通りを渡って振り返りました。写真方向が馬喰坂への道です。 交差点を背にして、清掃工場の方に歩きます。 田道橋……目黒川にかかる橋の手前・右が目的地…… ひいらぎ庚申…… 道標を兼ねた碑だそうですが、よく読めませんでした。どこかで長いこと半分埋まっていたとのことです。 ひいらぎ庚申の前……目黒川の桜はまだまだでした。今日あたりはずいぶん散っているでしょう。 ちょっとだけ話かけられちゃったんですが、ふり返るとお姉さんが撮影していました。使い捨てフィルムカメラ……まだあったんですね。 ひいらぎ庚申の前の道を進みます……左は区の施設 くねる道の突き当りに…… 目指す庚申塔群…… 田道庚申塔群……延宝5年(1677年)から正徳3年(1713年)の銘文のある庚申塔が6基ならんでいす。 左から4基……青面金剛と猿もみられます。 右側に庚申塔2基と地蔵1基……地蔵は延宝元年(1673年)なので、庚申待を始めるにあたり作られたのかもしれません。 説明書き…… 町会がお花等、お世話をしているのでしょう……ごくろうさまです。 道の反対側は目黒区民センターです。 行ったことがありませんでしたので、ちょっと入ってみようと振り返りました。 近場はウロウロしていますが、最近はまとまった散歩をしていない私……今日も天気が良いので出かけたいですが、夕方に野暮用……ボチボチ歩きは来週かな~
2019.04.05
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旧東海道品川宿あたりのお寺ばかり続けても「つまらないだろうな~」と思い、今日は3月15日の散歩を割り込みました。 菜の花……春ですね~ お浸しは嫌いです。 唐ヶ崎電波塔……この位置からは撮ったことがなかったので…… 馬喰坂に向かう道……このあたりを左のはずだと…… ここかしら? と、上ってみたけど違いました……トホホ… 仕方なくもどって、少し前進……「正面辺りが左に行かれるかしら?」… この道みたいですね~ あったあった……公園とT字路…… 藤の庚申……昔、ここに藤の大木があったころからつけられた愛称とのことですが、今も藤棚あります。 大小2基の庚申塔……左の駒形の碑は1m以上あり、合掌六臂(ろっぴ)の青面金剛と三猿の図柄が彫られています。貞享(じょうきょう)元年甲子年十月下旬(1684年)の造立だって。 右の小さな板碑型のものは元禄元年(1688年)の造立で、中央に南無青面金剛と文字が刻まれているようですが、赤いよだれかけがあって見えませんね~ 庚申道……書かれている通りで、南東へ進むと以前見つけた「馬喰坂上庚申塔」や、この後行った「十七が坂庚申塔」が道沿いにあります。ちゃんと読んでから歩いたら間違えなかったかもしれません。 藤の庚申の後ろは公園です。 なべころ坂緑地公園…… ママさん、子どもたちが大勢楽しんでいました。チャリンコで来るってことは、近くの方々ばかりではないようです。 公園そばのT字路を北東に進む道……タクシーの運転手さんが乗客を出迎えるために待っていました。このへんはT字路がものすごく多いです。 長い下り坂…… 植え込みの中に…… なべころ坂……「方言」って、目黒のかしら? 馬喰坂「ばくろ」も目黒の古い方言だと書いてあったけど、ほんまかいな? すこしだけ下ってみましたが、戻った私……タクシー行きました。 なべころ坂上……写真の右に 公園と呼ぶのか? 庭と言うのか?……ベンチもあるけど… ペットボトルの風車がいっぱい……元気よく回っていました。 いろんなものが置かれたり…… ぶら下げられたり…… よく盗まれないものだ……と感心しました。 藤の庚申(右)まで戻ってきました。まっすぐ下がっていく道から来たので、今度は写真左に進みます。 立派なマンション…… マンションのはずれに…… 中目黒緑地公園の入り口…… 下は深そう…… 結構な高低差があります……行きたかったけど断念…… 住宅街の中に見えてきました。 寺院っぽくないけど…… 屋上にあるのは鐘楼みたい…… 長泉院(ちょうせんいん)……浄土宗だそうです。 南無阿弥陀仏……宝暦11年(1761年) 増上寺15世の大玄和尚を開山として建てられたそうです。 玄関……敷居が高かったのでこれ以上は近づけませんでした。大きな貝殻みたいなのは何だったのでしょうか? 庚申塔……長泉院の壁際に置かれていました。普通は見過ごすことでしょう。 ということで、今日は割り込みでした。
2019.03.21
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ぼんやり歩いていると見過ごしてしまいます。 江戸時代に盛んだったらしい庚申信仰ですが、明治以後から衰えていったそうな。それでもバス停に清水庚申の名を残し、ご近所の方が花を供える姿も見受けられます。『庚申信仰は十干十二支(じっかんじゅうにし)の暦のうえで、60日ごとにある庚甲の日(かのえさるのひ)に行われる信仰行事で、中国の不老長寿を目指す道教の教えのひとつ、庚申待ちが起源といわれている。人の体内には、三尸(さんし)と呼ばれる虫がいて、庚甲の日の夜、人が眠ると、この虫が体内から抜け出し、その人の行状を天帝に知らせに行く。知らせを受けた天帝は、行いの悪い人の寿命を縮めてしまうというのだ。そこで、長生きしたければ、三尸の虫が天帝の元へ行かないように、庚甲の日は、一日中眠ってはならない。この教えが、庚申信仰へとつながっていった。』[目黒区HPより] 学生時代には、深夜ラジオを聴きながら宿題や一夜漬けでしょっちゅう徹夜をしたものです。よって、あの頃は三尸も抜け出せず、私の悪行は天帝に報告されていなかったでしょう。今は徹夜は無理だから、直ぐに届いてしまいます。 ちなみに天帝とは、「天に居て万物を支配する神」だとのこと。三尸が知らせなくても、365日、神はすべて見ておられるでしょう。
2018.03.06
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目黒通りを下って油面交番を北に曲がると、商店街・油面地蔵通り…… しゃれたパン屋さんの隣に、[油面子育地蔵尊] があります。 元は、目黒通り(昔の二子道)の交番近くにあったのを、道路拡張のために昭和9年に移転されたそうです。三田方面からくると、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところにあったため、地蔵尊の台石には「是より右ゆうてん寺」「是より左九ほんぶつ」と彫られ、道しるべでもあったそうです。 子育ての他に眼病にも霊験あらたかだそうで、地元の人からは[高地蔵]と呼ばれ親しまれているそうです。 子育地蔵尊から西北西に住宅街をクネクネ歩くと[油面公園] があります。お母さんと地蔵尊の庇護の下で、チビッ子たちが楽しそうに駆け回っていました。 お母さんたちには派閥もあるのかしら? 亭主の愚痴なんかこぼしたりしてるのかしら? などとつまらないことを思う私でありましたが、子育てに悩んでいるヤンママは、公園に行って輪に入れてもらえると良いですね~ 人間関係は難しいですが、一人で悩み閉じこもっていたらダメですよ~ (年寄りの冷や水でした) 自転車はきちんと一列駐輪……柵があるから当たり前か~ 今日は素晴らしい天気です。きっと大勢訪れることでしょう。
2017.11.29
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