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TVをつける度に新型コロナウィルスによる被害者数がドカンと増えてる(嘆)。死者が170人! 感染者7700人超の凄まじさなのに、WHOも厚労省も『危機感』なさすぎでは?感染源も本当のことを明かさない、治せる薬もなく、ただ罹った人の体力と免疫力に頼るしかない状態でコレ?? 国内感染者も遂に出て、三次感染も起こりうるとなった今も、「慌てなくていい。インフルエンザと同じ予防を。」なーんて生温いアナウンスしかできないとは!!(呆)武漢からの帰国組で検査拒否した二人を法が邪魔して(2/7以降強制効力をもつ?)そのまま帰宅させたと聞き、パンデミック迫る中で五輪本気でやる気あるんか?と呆れた。マスクは売り切れ続出で、うちの近所だけでもマスク率は上がってきたけど、恐れてた観光客がうろうろ💧 電車乗っても商店街歩いても感染源のお国の言葉が聞こえてきて、その度に震える想い。個人旅行を何故許すんだ? 明らかに春節にやって来た集団が、マスクもせずに楽しそうに買い物とかしてるの見て、心の中で必死に祈ってしまう。せめてマスクくらいつけてよ、唾飛ばすほど大声で喋らないで!と。彼等は健康だから来たんだと思いたい。でも、日本がじわじわ汚染されてるのを感じる。未然に防げるはずの立場の人達が『防ぐ努力』をしないなら、政府も機関も人も・・・誰かを責めずにいられない。日本(国籍不明)でも目撃するんだわ。公共の場で女子トイレ利用した時とか。『用を足した後に手を洗わずに』しれっと出てく『見た目普通の』お嬢さんが!私が潔癖症なんかなとも思うが、気持ち悪くないの??自分の汚物拭いた手そのままで、ハンバーガーとかベーグル食べてんの?私、免疫力ないから、アライグマ並に手を洗う。会社でも家でも儀式みたいに、まずは除菌ティッシュで手を拭いてから原稿に向き合う。だって、電車に乗って座って、スーパー寄って会社に着く間に、どこでどう汚れたのか知らんが、手を一拭きするだけでウエットティッシュが『灰色』だもん。ソレ見たら怖くなって、ますます手を洗うようになった。無菌状態もかえってよくないと聞くけど、私の体の弱り具合からすれば、やっぱりこのくらいのマメなうがい手洗いはしないと、菌に負けてあちこち病院行きになる。だから、「これが当たり前だから、特別なことはしない。気にしない」ってのは、考え直した方が好い。今回の場合、無症状感染者が日本でも出ている。彼等は気分的に辛くなくて動き回れても、そのせいで感染して死に至る人もいるってこと、それが自分の大切な人だったら・・・と一度真剣に考えた方が好い。最低限のエチケットとして、咳くしゃみ鼻水出てる人、マスクして!!そういう人に限って豪快に咳してる。飛沫が3メートルは飛ぶんだって知っとけ!!******米国元NBA選手コービーがヘリコプター墜落事故で亡くなった。10代の次女も一緒に・・・。現役時代から『ヘリ通勤』をしていて、彼にとっては車と同じような感覚で、『日常に欠かせない、当たり前の交通手段』だったのだろう。慣れているからって、リスクが減るわけではない。これだって、運転するパイロットが管制塔の指示を素直に受け容れていれば、あんな悲しい結果にはならず、全員の命も守られただろう。他の飛行機が皆、飛ばない悪天候になぜ、飛んでしまったのか?? AかBかのたったひとつの判断ミスが、スーパースターの『運命』を変えてしまった(RIP)。何にせよ、『何かが起きてから』では、防ぐのは難しいってことだ。日本の上が『重大な判断ミス』をしたその結果、この先感染拡大がいつまで続くのか、何を以て終息とするのか・・・・・・ロシアンルーレットの『順番』が回ってこないよう、これ以上被害者が増えぬよう祈りのように手を合わせ、私は今日も洗い続ける。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「3年5ヶ月ぶりに実弟からメールが♪ 彼からの絶縁(笑)撤回も近い?」
2020.01.30
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ここ最近、どうも調子が悪い。良かったり悪かったりの波は前からだが、悪めの日が長く続いてる気がする。年齢的なものの影響も考えられるし、持病の悪化も考えられる。大げさに考えすぎなのか、それとも体に何か問題が起きているのか・・・そんな相変わらず『ぐずぐずマイナス思考』の日が続いてるが、タイミング良く私には最高の『特効薬』になるイベントに参加できた。一週間前は優雅にクラシックコンサート。そこから一転しての金曜は、岡崎体育と奥田民生による『夢のOT対決ライブ』でストレス発散♪【別冊カドカワ×昭和音楽大学×A.C.P.C.楽演祭 Vol.5】と題されたイベントは、同大学の在校生を対象に【デジタル音楽とアナログ音楽】について二人が一時間半の講義を行った後、ライブを行うという構成。私はライブだけだったけど、学生以外で参加資格もらえた人のレポートやOT本人達の感想からも、興味深い講義だったようだ。 ↖何の仮装対決よ?!2代目OTこと岡崎体育のライブを観るのは、去年のワンマン『さいたまスーパーアリーナ』と横浜赤レンガ倉庫前広場でのフェス(会場外から柵越しに楽しむ)以来、7ヶ月ぶり。彼にとっては新年初ライブで、しかも音大の学園祭?ってことで“なんだか妙なテンション”だったような?「あけましておめでとうございまーす!」って今更な挨拶を第一声に礼儀正しく始まり、何するのかと思いきや、後はいつも通りのアッパーな曲調で『岡崎体育に馴染みのない』やや動揺気味の音大生さんの心まで、あっという間にワシヅカミ。このライブの説明文には確か『アコースティック』て書いてたような?だからアコースティックから最も離れてる岡崎体育が、その舞台で一体何をするのか楽しみだったわけだが・・・蓋を開けてみればいつも通りに爆笑と熱狂の溢れるライブだった。ただし、彼も場所柄をわきまえ、ちゃんと『音大生バージョン』のコールアンドレスポンスやMCになってて、「この日、ここだけ」の空間で時間を共有し合う人にピッタリの内容とサービス精神に、ほろり。彼のライブは1万人以上の観客を相手にしたものしか観てないから、今回のコンパクトな箱(1300人位)で観るのは新鮮だった。私の席からでもオペラグラスに頼らず眼鏡だけでも彼の表情が判るのが、ありがたかった。半年前に宇治から遂に上京してひとり暮らしを始めた効果か、全体的にだいぶ健康的にスリムになってて、”おかん”並にホッとした(笑)。残念ながらキーボード演奏は聴けなかったけど、新曲2曲も披露して最後は皆を総立ちにして面白カッコよくシメてくれて、大満足♪続く元祖OTこと奥田民生は、私にとっても“初民生”!私が音楽を仕事にしてた頃はユニコーンは活動休止状態で、ソロ活動が主になってたと思う。デビューの頃から注目してたしベスト盤も持ってるけど、ライブやインタビューには縁がなかった。だから今回すっごく楽しみだった。一曲歌い終わっていきなり「あんまり歌いたくないから話します」とか!飄々とした見た目のまんま、好きなことをぼやき好きなものを飲み、好きなタイミングで歌い出すというスタイルでステージが進行。さっきまでの若々しく熱々なステージとは真逆の、“大人の色気“を感じるアコギだけの渋めな構成で、それもまた良し。嬉しかったのはユニコーンの大好きな曲「働く男」が聴けたこと!あの当時の色々を思い出して、懐かしくなった。今の私も歌えてしまうほど流行ったんだなぁと、時を超えてあのバンドの大きさに気づかされ。アンコールでは、岡崎体育が相棒のてっくん(ぺんぎんパペット)と歌ってる最中、民生がてっくんで作った即席民生ぺんぎん持って登場。大友○平ばりの声で某CM曲歌って邪魔しに入るという一場面も。最後は夢のセッション「イージュー☆ライダー」でデジタル音楽とアナログ音楽の融合で互いの個性をぶつけ合い、OT対決の幕は下りた。岡崎体育目当てで行ってパワーを貰いつつも、世代的に近い奥田民生に学ばされるライブになった。彼の生き様が若い世代の音大生の目に、どう映ったのかは知らないが・・・ユニコーンやってるのもいいけど、こんな風に年齢と共にスタイルを変えて、ゆるゆるとマイペースで良い仕事をできる環境って羨ましい。声にも見た目にも渋みと深みが増して、ブルージーにギターかき鳴らす。なのに歌以外はどこまでも気楽で肩の力抜けてて、ふわふわ掴み所のないケセランパサランみたいな彼を観てるうち、「頑張らないでいいんだよー。気楽にやろうぜ」と言われてるような気がした。「夢はキャンパスライフ。教科書ゴムバンドで留めて持ち歩きたい」って言った民生の夢、是非叶えてほしい(苦笑)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「やっと洗濯機がー――――!」
2020.01.25
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『抑え』の利かない人の話が、このところ耳に入りすぎる。国を挙げて生放送で祝って貰ったのに、カナダに逃亡して王子を手玉にとり王室から離脱するみたいなことまでしでかす自己中元三流女優、しっかり者で綺麗な妻が妊娠中でも、子供三人いても不倫に忙しい棒読み俳優、妻子ある男と知りながら他人の夫を平気で寝取る大根役者、体調悪いのに病院にも行かず解熱剤で熱下げてでも旅行を強行したがる非常識な外国人、何度もバッシング浴びたのに失言が止まらない名ばかりの議員、自分の赤子をベランダから落としてしまうメンタル崩壊の母親・・・毎日毎日TVをつける度に、顔を歪め首を傾げたくなる話題ばかりでほんとに気分が悪い。このテの人に共通するのは、自分の意思や意見を何が何でも押し通すことが“良い“と本気で思ってる節がある点。『自分は悪くない。何が悪いのか解らない』上っ面だけの謝罪や態度を観る限り伝わってくるのは、そういう『自己肯定感』の強さ、と言うより激しさ。どんなに「常識的に見て、それは明らかにアウトだよ」と周りが心配して注意してあげても、迷惑を被った相手が泣こうが怒ろうが、彼等のようなタイプには何も響かない。うちの姑がわりとそういう性格で、何をするのも『自分中心』で話が回り、相手の表情や空気を読めなかったから、賢明に説明(紙に資料プリントアウトしたりメモしたり)しても馬耳東風だった。あの時の私の必死なまでの労力は、結局何も役に立たなかった。ただ「怖い、厳しすぎる人」という私に対する嫌悪感を強めただけ。だから言えるのだが、このタイプの人間に何を言っても無駄。こんな言い方は悪いが、脳の回路が違うのかもしれないとさえ思う。一通りの経験を積んだ『同じ人間』ならば、誰もが何かの拍子に例えば『大きな失敗をして非難を浴びた・痛い目に遭った』時に、気づくと思うのだ。普通の“感覚“や“道徳心“を持ってる人間ならば。一度でも酷い想いをしたなら、自分の信頼回復に努めようと『反省』の姿を見せるだろう。大人なら当たり前のこと。いや子供にだって抑制はできるし反省もする。いやいや、小動物だってできるんだから・・・。今の町に住み始めた時、公園で出合った地域猫♀の話。8年間つき合った末に姿を消してしまったのだが、初めて合った日はまだ無邪気な子供だった。大人になりかけの体長だったけど、そんなに歳を取ってはいなかった。それが8年交流するうちに驚くほどスペックが上がった。彼女は誰にも属さず一生をおそらくそのエリアで暮らし続けたが、野良猫の一生は4、5年と聞く。だから彼女は倍は生きたと言える。その生き方は素晴らしかった。自分のテリトリーを守り続けるために、地域の人達との関わりをうまく続けていたのだ。いくつもの名前を使い分け、その名前を付けてくれた相手が自分にとって『どんなことをしてくれる人か』ちゃんと解っていた。だから人間の言うことも耳をクイクイ動かして聞き漏らさず、犬のように相手の表情や空気を読める猫に育った。とても頭の良い人間らしさと、気まぐれな猫らしさとが合わさった、今までで一番気高く賢い猫だった。ある時期から、彼女のテリトリーに厚かましく居座る若い猫が現れた。すでに熟年の域に達していた彼女は、その若い猫を邪魔そうに思いながらも見て見ぬふりをしていた。しかし若い猫はまだ猫界のオキテも常識も解っちゃないから、彼女の周りで鬱陶しいほどウロウロ暮らしてた。そんなある日。私がいつもの場所を通りかかると、若い猫が香箱座りで眠る彼女の直ぐ目の前に座り、前足をちょいちょいして起こそうとしてる。彼女は気配を感じながら耐えていた。イライラしてたと思う。でもグッと堪えてるのが分かった。私が少し後ろで見ているのが分かったのか、とにかく耐えてその場を凌ごうとしてた。のに若い猫はバカだから、どんどんエスカレートしてあと少しで彼女の顔に猫パンチをお見舞いする勢いだった。「ボスちゃん、喧嘩ダメよ。仲良くね」私が呪文のように呟いているのを彼女は聞いて、耐えに耐えた。そうこうしてたら、若い方は飽きて攻撃をやめて去って行った。私はしゃがんだまま手を広げ、「えらかったね。よく頑張ったね」と笑顔を向けたら、珍しく甘えるような声でにゃーんと鳴きながら跳ねるように私の元にやって来た。つまり私が言いたいのは。こんな町に住む小さな存在の野良猫だって、気持ちや衝動を抑えることができるのだ。今ワイドショーやニュースで世界中を、日本中を呆れさせている一部の自己中な人達はこの猫以下だと感じる。とりあえず、あの俳優は私の違和感そのまんまだった。あの『好青年』の作られたイメージには引っかかるものが彼の言動から感じられたから・・・それが今やっと何なのか判って私はスッキリした。立派な奥さんいるのに、こんな女で欲望を処理するあたり、中身が10代のまんまだよね。夫や親の自覚はないんだろ。それに『凪のお暇』で「この女優ヘタすぎ。要らない。下心ありそう」って毎回出演するとイライラ不快感MAXの元を辿ったら・・・ここに辿り着いた。そういう意味でも「やっぱね」である。(親の問題で若い頃から)苦労人で生真面目な奥さんと幼子3人が不憫でならない。だから、この自分の欲で頭いっぱいな二人を二度と見たくない。しっかし・・・インスタに『匂わせ画像』とかインタビューで交際を匂わす発言とか奥さんのSNSに『いいね』付けるとか・・・恐ろしいわ! 演技じゃないところでドラマ以上にホラーな言動が堂々とできる女だな。『透明度がいい』だと? 誰がどこを見て言ってる??明け透けな性格ってだけじゃん! 品がない。ただ若いってことだけじゃ許されん。周りの大人の力で芸能界で生き延びたとしても、人として終わってる。どうかしてるわ。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「帰国子女は何故カタカナのとこだけ発音良くなるんだろ?」
2020.01.24
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『あやや』こと松浦亜弥のヒット曲「桃色片想い」が、深夜アニメのエンディングでカバーされTwitterでトレンド入り。その流れで懐かしくなり、私の一番好きなあややを観てみた。年甲斐もなくカラオケでも唄った「LOVE涙色」。「ナンバー、メール」を除けば、今でも違和感ない歌詞と曲調。甘酸っぱい!! ぴちぴちだなぁ!彼女の魅力は見た目や仕草の可愛さもモチロンだが、実はリズム感と表現力もあるボーカルが、当時のアイドルの中でも“異色”だった。時代はつんく♂プロデュースで誕生したモー娘。全盛期。そこに彼女を加えず、ソロで勝負賭けたとこに、つんく♂氏には先見の明があったと言える。結局、松浦亜弥は多くの人の心に残り、今また『復活』を望む声が上がっている。今はまだ婦人病闘病、結婚出産を機に芸能活動休止状態。結婚の時に「私の人生のすべてに彼がいる」みたいな言葉を残したのは、爽快だった。一途にひとりの人を愛し、結ばれ、夫より一歩下がって暮らす・・・ある意味、昭和のアイドル山口百恵に通じる芯の強さと賢さが、彼女にはある。でも色々とPVやライブ映像を観るうちに、私も『唄ってる今のあやや』が観たくなった。こんなに愛くるしいビジュアルで、リズム感もよく歌唱力もある『アイドル』が、ここ最近いただろうか?『束ものアイドル』と称されるグループは、それぞれのウリとなる“個性”を出してはいるが、結局それは仕掛け人であるプロデュ―サーの決めた枠の中で『着色されたイメージ』を保ってるに過ぎない。松浦亜弥は、アイドル性を保ちながらも年齢と共に『歌い手』として無理なく成長している。たまたまライブ映像を観た松田聖子のカバー『あなたに逢いたくて』なんかもう、『松浦さん』と呼ばないと失礼になるくらい堂々としてしかも艶っぽい。松浦亜弥は『最後の実力派アイドル』なのかもしれない。彼女の後に続く者はおらず、今のように『束もの』が乱立し、ダンスさえできればカッコよければOKみたいな『口パクOK』の悪しきエクスキューズが、まかり通る時代になってしまった。やはり『歌手』と名乗るのであれば、“商売道具“である声は“お金“を他人から貰える『一般人以上のレベル』でなければ。そんなことを、あややのパフォーマンスを観ながら。ところで「桃色片想い」がリリースされたのは、なんと18年前!余談だが我が家の洗濯機が昨日、使い続けて18年目で壊れた。家電は使い古され終わっていく運命だが、ホンモノの歌手は違う。実力といい作品と求める聴衆がいれば、何度でも『復活』できる。そのチャンスを松浦亜弥はどう活かすのか・・・今後の動きに期待したい。でも奥さんとして母親として、充分幸せそうだからそれはそれで素敵だけども。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「仕事初めはこれから。おそっ!」
2020.01.20
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「CDは聴かない。私は生演奏しか。」終演後、会場を出る列の後ろのおじさんが連れとそんな話をしていた。音楽をいつも“生演奏”で聴くのか・・・いい身分だ。羨ましい退職後の生活。あんな心豊かな暮らしが、私にも老後にできたら最高だろうなぁ・・・。シルバー世代の目立つコンサートの帰り道、ちょっとだけ夢を見た。新年らしさはすっかり抜けてしまったけど、まだ1月ってことで。『ニューイヤーコンサート』に行ってきた。これが私にとって令和2年初の『生演奏鑑賞』である。おそらくだが、今まで私が生で鑑賞した中で一番若い演奏家達のコンサートだったと思う。しかしそれぞれのキャリアは立派で、有名音大首席卒、コンクールで優勝等・・・どの人のプロフィールも、素晴らしすぎて眩しい。私の好きな音楽家のひとり『ショパン』作品の演奏会。新年の始まりに良い音楽を聴けるのは、幸せなことだ。演奏は、休憩を挟みながらピアニスト3人がひとりずつ順番に。一番手はピアノソロ。2人目からは交響楽団の弦楽六重奏メンバーと共にコンチェルトを競演。ショパンといっても超有名な楽曲しかこれまで聴いてなかったので、集中が切れないかと(寝てしまわないかと)心配だったが・・・演奏が進むにつれ、どんどん面白くなり、3人目では私が一度生演奏を聴きたかった曲も聴けて、飽きることなく終了。久々に筋肉痛になりそうなほど、拍手をし続けた。アンコールがないのは残念だったが、ま、たまにはあっさり終わるのも悪くない。これまではベテランのピアニストの演奏を聴いてばかりだったが、瑞々しいピアノの音色も、なかなかいいものだ。それにしてもピアニスト女子のドレスの多くは、なぜ肩や腕が丸出しのデザインなんだろう?フジコヘミングみたいに布多めのフリフリ衣装だって、ちゃんと鍵盤叩けるんだから、わざわざ白肌を露出しなくても・・・弾く人によっては『二の腕ぷるぷる、たるんたるん』が気になって、”鑑賞”に集中できない(苦笑)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「乾の話が事実なら失望したわ。」
2020.01.18
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25年か・・・。あの悲惨で悲しい光景を知らない大人達も、かなりいるんだなぁ。どんなに時間が経っても、阪神淡路大震災が起きた日のことは忘れられない。私は被災者でも出身がそちらの方でも何でもないけど・・・それでも徹夜明けたまたまつけたTVの生放送の凄惨なシーンが、忘れられないまま。大阪に住む友達に数日して連絡を取ったり、神戸旅行でお世話になった夫婦の安否を気にしたりも・・・。被災者の高齢化が進み、中には亡くなる人も出てきて”あの日”を語り継ぐ人が減っていると聞く。日本ではこの後にも度重なる災害に見舞われ、今や日本各地に“被災地”と被災者を抱えたような状態。私のように当事者じゃない者は、一時的に祈りを捧げたり同情(好きな言葉じゃないが)したりはする。でも所詮、他人事。“それ”を経験した人達がどんなに苦しい想いをして暮らしているかなんて、日頃は考えたりはしないだろう。反省の気持ちも籠めて、25年を迎えるに当たり特集された記事や番組を自分なりにチェックしてみた。読んだり聞いたりするだけで、全くの他人(私)の目にも涙は滲む。私には彼等の苦しみや悲しみを想像するしかない。けれど、せめて今日一日くらいは自分なりに想いを馳せたい。そして今、自分が健康ではないけれど、“ふつう”に何も変哲もない日常を送っていられることに“感謝”したい。「明日は我が身」。今この時を大事に生きる。それが私達、『生かされている者』の務めと信じて。こんなことしかできないが、イケメン議員が不倫しただの育休取るだの延々話題にするよりは、全然マシな気がしてる。K氏もその奥さんも。結婚前から環境問題や福祉面に力を入れてたんなら、“この日”に子供生まれたのも何かの縁。どうせなら被災者に寄り添い、被災者のためになるような“プラス”イメージのパフォーマンスで気まずいアレヤコレヤを誤魔化せればいいのに。日本にはまた大地震が近づいてる予兆が・・・なんて話もあるし、ついに人口が14億人を超えたC国の感染症が、この国にも入ってきてしまった。異例の暖冬で農家も漁師も困り果て、温暖化も深刻だ。アマゾンでオーストラリアで森林火災は猛威を振るい、生き物や住む場所を焼き尽くし、フィリピンでも噴火して・・・天の怒りはそれでも止まらない。なのにあちこちの国はどっちが強いかばかりを競い、無駄な時間と労力を費やし火花を散らし合っていて、ホントに大事なことを見ようとしない。日本にも関わる大きないろんな問題を抱えていることが分かっているのに、本田が議員会館に行こうが議員になろうが、そんなのどーでもいい。ビッグマウスとビッグマネーで日本を変えることができるなら、やりたきゃやればいい。もっと伝えるべき大事なことが、考えるべき必要なことが私達にはきっとあるはず。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「心の洗濯してくる。」
2020.01.17
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遠い昔、自分で唄った記憶はないが、♪ともだち100人できるかな~という歌がある。今ならSNSの力を借りて、それも可能なんだろう。たとえ“名ばかり”の友達ばかりだとしても。その数を増やしたいがためにLINEの既読マークや返事に必死になり、初めは楽しかったのに今では苦痛になる人もいると聞く。私は自分ではせずに、気分が向いたら有名人のを覗くだけなので、その”繋がり継続“の大変さが全く分からない。リアル友や知人で利用している人達が「一緒にやってよ」と無理強いしないので、助かっている。私に合わせてメール機能で返事するのは面倒だろうが、それも文句言わず返してくれるのでありがたい。「いい友だち付き合いをするには、自分の軸をもつことも大事」メンタルケア・コンサルタント大美賀直子さんは言う。この前、彼女のインタビューを元にした興味深い記事を見つけた。【50代の女友だち】年齢とともに変化する「いる友だち」「いらない友だち」HAPPY PLUS ハピプラSHUEISHA 1/12付よりまさに私が立っているアラフィー世代は、大美賀さん曰く「心理学的に見ても、友人との関係を見直す時期」なのだそう。現代人には3つの居場所が必要らしい。家庭(家族)、仕事や情熱を傾ける活動の場、3つ目に日常に彩りを与える場。この3番目を満たす役割の『友達』は、『楽しい刺激をもたらす存在』であることが大事なのだと。言われてみれば、確かにそうかもしれない。私にとって最近は、共有できる少しの時間でも「楽しい、刺激になった」と思える人との関係が一番心地よい。学生時代はとにかく1人になりたくなくて、自分の好みや考えを抑えてまで周りの顔色をうかがい、足並みを揃えてきた。けれどそれがうまくいかず、そんな誤魔化しが周りにも分かったのかある日突然枠の外に置かれ、私は透明人間になった。あの時、人間不信と自己嫌悪で心にひどく傷を負った。そこから、立ち直り社会人になったのを機に自分を取り戻した。過去を肥やしに自分なりに人間関係を整理しながら、相手からも前触れもなくバッサリと切られながら、今に辿り着く。様々な出会いと別れに、失敗と成功を繰り返しながら向き合ってきて、若い頃は測れなかった人(家族を含む)との『距離感』を、上手く調整できるようになったつもりだ。それでも時々、失敗は起きる。どんなにつき合いが長くなっても、たった一回の遣り取りの拙さが引き金になり、急に終わりを迎えることもある。こういうブログの世界でも、そう。一時的に心通わせた“手応え“が私の方にあっても、スムーズに見えた関係に別れは突然訪れる。だから、深入りは絶対にしない。踏み込んだ分だけ自分が傷つくのは、恋愛の駆け引きと同じ。恋愛でも突っ走りすぎて大きな失敗をした私には、人との関係において、この先の人生で、ここだけはブレないでいたい。かつて雑誌を通じ、ア―ティストや作品を売りたいという“同じ目標“を掲げ、年間何百人規模で初対面の人とでも、いい仕事をしてきた自負はある。そんな共に苦労した仲でも、縁は呆気なく切れるものだから、何事も何人(なんびと)も深入りしない癖はついた。「おひとりさま」の上級者とも言えるくらい経験も積んだから、1人で何をするのもわりと平気だ。けれど・・・・・・全く人との繋がりがないのは、さみしい。お喋りな私には耐えられない。昨日スーパーで、またおばあさんに話しかけられた。この町にも寂しいオトナは大勢いる。どこに行っても老若男女に声をかけられがちな私。この町で暮らすようになって10数年になるが、一番多いのがお年寄りである。私の親かそれ以上の世代と思われる人達から、どこからともなく声かけられて、軽くトークの相手をする。みんな話す間にみるみる表情が和らいで、いい笑顔になる。それを見たら、こちらもなんだかホッとする。昨日は同じフロアに、初対面同士なのか仲間なのか知らないが、おばあさん軍団がいて、ワイワイ楽しそうに買い物してたから・・・あのニット帽の老女も、慣れない土地で寂しかったんだろう。マスクに眼鏡の私を何故選んだのかは謎だけど、誰でもよかったんだろう。ただ、あまりに訛りが強く、最初何を言ってるのかまるで解らなかった。雪の深い地方の訛りに聞こえたその言葉は、九州生まれの私にも何故か懐かしく、フランス語のようにふんわりと心地よく響いた。帰り道、あの老女の年頃になった自分を思った。私はまだ、隣町のウン十年来の友達に相手にして貰ってるんだろうか?今、年賀状やメールで近況を報告し合う仲間が、おばあさんになった私に連絡をくれる人になってるんだろうか?この先、私を知ってる人や交流する人は100人も要らない。それでも何人かの頭に記憶される人間であり続けたい。たまにでいい。深入りしたくはないけど、私を必要としてほしい。時々、馬鹿を言い合ったり考えをぶつけ合ったりして、互いに刺激し合える人との関係を繋ぎたい。そんな揺れるお年頃。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「癌を感知する線虫シーエレガンス。なんちゅう名前(笑)。そう言えばシーモンキーって、どこ行った?」
2020.01.15
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あと2年したら変わるそうだ。民法改正により、20歳から18歳に成年年齢を引き下げるらしい。となると『成人式』はいつになるのか?各自治体により違いがあり、これと言った決まりはないようだ。それにより振り回される若者やその家族。受験や就職で頭がいっぱいの時期にそんなお祝いされたって、素直に喜べないのは明らか。いつものことだが、『一体誰のための法律や規則』なのかという根拠が、お上の決める内容にはまったく示されない。示されたところで、当事者が納得できるものではない。だから毎回こんな風に混乱するだけだ。18歳は”大人”なのか?私の18歳を振り返れば、高校を卒業して初めて親元を離れ上京した頃。それまで修学旅行と受験以外で九州から出たことがなく、初めての関東での生活だった。親を安心させる&自分も挫けない手段として、大学に入って2年間は同じように地方から集まった学生達との集団生活を選んだ。そこでの暮らしを通して、社会に出るために必要な常識やルール、人間関係を学び、独り立ちできるまでの“人間形成・人格形成”の仕上げをしたと言える。この2年で揉まれて苦しんで自分で解決する経験を積んだから、その後、都内の憧れの町でアパート暮らしをする時の、力になった。またここでも更に苦労して失敗と成功を繰り返し・・・そして物事を自分で判断決断し、成功するのも失敗するのもすべて“己の責任“と覚悟できるまでになれた。この時に身についた“責任感”は、社会人になった私の大きな強みになった。どこで仕事しても周りに「責任感がある」と評価されるくらいに。だから私は、あの時ひとり暮らしできた自分を誇りに思う。娘の夢を理解して送り出してくれた両親にも感謝している。『大人』という漢字を見ると、『一人の人』と読める。つまり私の思う『成人』は、年齢云々じゃなく『経験値』が基準だ。18歳でも20歳でも、『ひとりの足で立ち、ひとりの頭で考え、ひとりで決断できて、その結果に責任を持てる人』。それが私のイメージする『成人の姿』である。だから今の多様化の進む日本に、『ハタチで成人』という戦後の決まりは、当てはまらないかもしれない。今の18歳は”大人”なのか?私が仕事を通して感じる“今の若者“は、『モラトリアム期』が長いような気がする。昭和な人間だからその時代とどうしても比べちゃうが。ドラマひとつ取っても、あの時代の若者の方が見た目も考え方も“大人“に感じる。見た目が野暮ったくて老けているのは認める。でも『自分の責任の下に生きてる』のが演じる役を通り越して、俳優そのものから滲み出ている。歌手にも同じものを感じた。今の20前後の役者や歌手に・・・それが見えるだろうか?もちろんたまに、心身“早熟“した大人の完成形みたいなデキる若者もいるにはいる。けれど、それはごく一部であり、仕事を通じて私が接する若者は、たとえアルバイトをして社会経験を積んでいたとしても、考え方が青い。責任を持って何かをすることを、あえて避けようとする“リスク回避型“も多いと感じる。それは先の危険や失敗を避けて、時間や能力を無駄にしないという大人な考えとも取れるが、そうなのか?単に“失敗“を恐れて傷つきたくないように見えてしまう。日本の今がそういう時代なんだから、仕方ないとは解っているが・・・地方の成人式のニュースで、トラック野郎のデコトラまんま着物にしたみたいなオブジェ付き袴姿の集団を見て、心配になるのだ。モチロン、見た目では人の善し悪しは判断しちゃいけない。一生で一度のハレの日くらい、好きに着飾ればいい。ただし、あの理解しがたい“おふざけ“は別!成人なんかじゃない。人間とも言えない。猿以下だ。みんなが祝ってくれる記念の日に暴れて、何が得られるの?自分の人生に、あんな子供じみた乱痴気騒ぎで逮捕された汚点以外残らないと思うが?そんな分別さえできないのなら、20歳でも大人とは言えない。よって、歳の数じゃないんだと私は思う。つまるところ、個々がどう生きてきたか生きていくのか、で決まる。******某ウイスキーの新聞広告が、今年も作家I氏によるお祝いメッセージで。彼がこの広告を担当して20年目。つまり『今年の新成人』と同じ年数この記事を書き続けている。なのに、昨日の内容は何もヒネリなく、ガッカリした。私だったら絡めちゃうな。20年という年月を・・・。I氏が始めた頃の文がとても素敵で。成人の日にこの記事を読むのを楽しみに新聞を開いていた。それが、ここ数年、面白くない。I氏が年取りすぎたせいか鮮度がない。このところ使い回しの表現が目立ち、心も籠もっていない。字の震えも気がかり。そろそろ別の作家にバトンを渡したらいいのに。 余計なお世話かもしれないが、勢いある若い世代の経験豊富な作家の言葉の方が、新成人の心に届くのでは? その前に新聞を読む新成人がほとんどいない気もする。誰に向けて載せてるんだか。なーんて、これでも“作り手“側だから、広告までケチつけてるし。同様に気になったのは、これまた恒例になっているらしき阿蘇市長のお祝いの歌。今年は2曲披露したそうだ。ちょうどTVで紹介されたのは、お経のような棒読みの菅田将暉の歌だった!(呆)しかしなんでそれをハレの日に選んだのかなぁ・・・「まちがいさがし」て!!(笑)ただ流行りの歌を披露したかっただけやん!(大人げない)★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「久々の海~~~!!ウォーキングにいい季節になってきた♪」由比ヶ浜から材木座&逗子マリーナ方面。よーく観ると等間隔に波乗り中~。由比ヶ浜から江ノ島とか富士山ある方面。富士山は右の山の裏側の稲村ヶ崎行かんと見えん。よ~く観るとオーブ1個居るんだよー。他に撮った画像にも居るから、多分おんなじ人。
2020.01.14
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目が点になった。どうしても会場で観たいイベントがあって、今朝張り切ってチケット取ろうと思ったのに・・・画面上で希望枚数入れてる間に、販売終了↷↷人気があってチケットが取りづらいのは承知で挑んだけど、五分も経たずに“闘い“に負けていた。胴着触られたと思ったら投げられた感じ。柔道とか知らんけど。他にも行きたいのがあった。その優先予約を諦めてまで、こっちに賭けたのにダメだった。どっちも行ける余裕があればいいが、外タレじゃなくても最近のチケットは高い!私が一番ライブとかのチケット代を注ぎ込んだ時代は、今の半分くらいの金額だった。一体いつからこんなに高額に??お財布に優しくない。これだから演る方も箱埋めるの苦労するわ。ケチケチで雀の涙ほどの収入の私には、この時代にチケット一枚買うのも勇気が要る。そんな中で、やっと行けそうなのを見つけたのに・・・。これからますます活躍が期待される人なので、さらにチケット争奪戦が激しくなるだろう。だからといってファンクラブや後援会に入るつもりもないのだが。いつか生で観てみたい。そんな日が来るのか、それとも私が途中で飽きるのか、先は分からないが。まるごとひっくるめて楽しみにしていよう。それにしても味気ないものだ。PC画面を前にぽちっとするだけで、チケットが買えてしまうのはとても便利でありがたいこと。しかし売れ行きが直に見えないので、今日みたいにいきなり“完売“の文字を見ることになる。TVの通販番組みたく予定枚数が何枚で、今何枚売れたとか分かるように表示してくれればなぁ。画面上に小さい文字で“終了“と示されても、よく分からないしつまんない。手数料だなんだかんだで、チケット代に加えていろいろ料金を盛られて、大きな買い物になるんだから。どうせイベントを売るんなら、チケット販売の段階から面白くすればいいのに。「今回は取れなかったけど次こそは」と思ってもらえるようなワクワク感が、まったくない。エンタメ界で働いた頃は、全部が仕事だったから、ライブやイベントには『関係者』として入っていた。記事にするのが重要だから、たとえ好きなアーティストのライブでも、ファンのようには楽しめない。当たり前のように席は用意されるけど、冷静に厳しく“鑑賞“しなくては失礼に当たる。“好き“を仕事にして一番の“後悔“は、これだった。学生時代から数え切れないほどチケットを買い、ライブやイベントに行っていた私。あの頃は今のようにスマホやPCさえあればいつでもチケットが買える時代ではなかった。ファンクラブやチケット会社会員優先はあるものの、主な手段は電話か店頭かしか選択肢がなく。だから友達と手分けしてありとあらゆる手段で、チケットを取った。誰が言い出したのか分からないのに、根拠もない『チケットが取りやすいコツ』を信じて、あれもこれも試した。そんな“必死“な想い&実際に苦労して手にしたチケットだから、それはもう一枚の“重み“が違う。久しぶりに今朝、販売時間を前に“あの頃“のようなドキドキを思い出した。でも、あまりにも呆気なく夢破れたから拍子抜けした。ま、取れなくても、いい“刺激“にはなった。気分的に前を向くのが億劫になるお年頃だからこそ、今年は観たいもの聴きたいものに正直に。チャンスがあれば挑戦しよう。親や自分の体調とか、細かいことをくよくよ考えすぎて諦めるんじゃなく、自分に必要なものを逃さないで“心の栄養”にしたい。ところで買ったチケットは、終わったら皆どうしてるんだろう?直ぐに捨ててしまうんだろうか? ★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「60歳にもなってボリューミーって表現やW付けちゃうとか、ないわー。会社の金でセレブ気取りとか、恥ずかしいオバさんだな!私も気をつけねば。」
2020.01.10
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日本じゃ春の嵐のような強い風が吹き荒れているらしい。朝霧に包まれた後、少し雨が降り、今は日差しが強まってきた。 このまま春になってほしい気もする。今またワイドショーで『桜を見る会』ネタをやってるが、”謎”が解けないまま今年の桜がもうすぐ咲きますなぁ。この宴の疑惑を早急に解決する必要もモチロンあるが・・・それにしても日本は“平和”なんだなぁとつくづく。“ボケ”をお尻につけた方が、さらに合ってる。罪に問われてる人間を楽器扱いで迂闊にも出国させてしまうくらい、空の玄関口のセキュリティもゆるゆるなんだもん。企業のトップだったとはいえ、あんなおっさんに舐められる国なんだもん。そりゃ“お花見”の招待客誰にするかで頭いっぱい、東京五輪でイイかっこしたい、そんな人が支配する国なんか、世界を庭にする眉毛おじさんにしたら、何の恐怖でもないわな。今夜“会見”で暴露して「日本に報復する!」そうだ。「やられたらやり返す。倍返しだ!」って台詞が日本でも以前に流行ったりもしたが・・・それをねちねち企んでる眉毛おじさん。多重国籍(あり得るの?)を利用し、国や裏の組織を操りのうのうと生き延びる男を相手に、我が国は国民の納得いく着地点を見つけられるのだろうか?桜(やサクラ)とゴルフにばかり夢中なあの人に、何も期待できないだけに、最後はまたみんなが溜息をついて有耶無耶に終わるんだろうな~ってのは分かる。あるコメンテーターが米国人も逃亡に手を貸してるから、米国にも協力をお願いしてみれば・・・なんて言ってたが今、アメリカはアメリカでそんな事どころじゃないから無理。『倍返し』の応戦が、この世で既に始まっている。鶏が先か卵が先か・・・どっちが先に“仕掛けた”ことが今回の発端か、世界情勢に疎い私にはまるで分からない。ただ、毎日ニュースを観る度に、米もイランも「戦うつもりはない」と言いつつ、舌の根も乾かぬうちにミサイルを撃ち込むという信じられない“報復合戦”をやっている。「目には目を、歯には歯を。」まさにこの言葉通りに世の中に“憎しみ“の感情が膨らんできて、「そんなつもりはない」と言ったところで、引き下がれない状態になってきている怖さを感じる。しかも今後の運命はインコおじさんのひと鳴き(声明)次第。彼は次の大統領選のことしか考えてない、とか聞く。その票を集めるため、イメージ優先で何でもしそうで本当に恐ろしい。湾岸戦争の後に、“何”が残った??戦争なんかしても、憎しみしか生まない。こんな展開、私が好きで観てる海外ドラマの中だけと思ってた。でもフィクションで観た内容とほとんど同じで怖すぎる。作り物と思って観るからすごく面白いのであって、一触即発な世界がホンモノとなると話は別。このまま大人な対話で収まってくれればいいけど、新作の寅さんで揉めてる人たちみたく、仲がいいと思ってた人間関係でも誤解は生じるし、裏切りもあるもんな。国として収めたつもりでも、勝手に暴れ出す輩もいるし・・・怒りや憎しみって、溜め込めば溜め込むだけ後が怖いから、地震みたいに小出しで発散できればいいけど、人間同士は難しい。”話ができる“生き物なのに、こういう時に役立たない。そんな“きな臭い”状態が高まる中で我が国は“五輪ムード“を高めようと必死だ。競技場の座席の間が狭いとかナントか、そんなのもう我慢するしかない。それより有事の際の対策がどうなのかを考えた方がいいのでは??世界と・・・見えてる景色があまりにも違いすぎる。眉毛おじさんに楽器のフリして華麗にスルーされていいように悪者にされてるようじゃ、こんな日本で大丈夫なのか?と素で心配になる。もはや対岸の火事ではない。“目の前で何か“が起きてからでは遅い。既に波に巻き込まれているんだってことを、真剣に受け止めねば。両国を冷静に取り持てるのは、この国のハズなのだから。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今年中にアルパカもふもふしてみたい♥(危機感ないわー)」
2020.01.08
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間違えてた。いつの間に1個年を取った?? ダンナが姑の誕生日だからと、さっき面会に向かったんだが。その時に姑の歳を聞いて、“ひとつ若く”カウントしてたって知った。うちの親より5つ上なのは分かってたけど、いつの間にか私の勘違いで正しい歳が分からなくなっていた。自分の歳も分からない時もたまにあるから、ま、いっか!(笑)施設入所だ病院だと私が付き添って動いていた時は、自分のことよりも体調を含めトリビア級に姑事に詳しいくらいだったが、実の息子なダンナに引き継いでから、姑の事をあまり考えない(ストレス回避)ようにしてたから。今の状態になってからずいぶん経つが、胃瘻するしないの選択で眠れないほど夫婦で悩んだ頃の彼女を思うと、失礼ながらこんなに“生きる”とは家族の誰もが思っていなかっただろう。あの時、私達の選んだ道が違ったら、姑はもう、この世にいなかった。 それが果たして彼女のためにどうなのか、今となっては分からない。とにかく、日本の医療の進歩をはじめ彼女を支えてくれる先生や医療スタッフの皆さんの御陰で家族皆が生かされていることに感謝せずにはいられない。多くの人の力を借りて、彼女は以前よりも心身が安定し、調子がいいと息子と“会話”もできるまでに戻った。とはいえ、この“穏やか”な時間がいつまで続くのか、誰にも分からない。あとは神のみぞ・・・であるが、しばらくはこのまま、“穏やかな”日々を。これまで充分すぎるほど悲惨な時を乗り越えてきた私達夫婦に!!******2020年になってしまった。我が家の恒例のカウントダウンは、テレ東の『ジルベスターコンサート』の演奏を観ながらで決まりなのだが、ここ数年は心身疲労して寝入ってたダンナが今年は珍しく起きていて、ふたりで迎える新年の瞬間になった。なのに、画面に映し出される時計の針とともにじわじわと迫る午前零時の瞬間が、あまりにもあっけなく、正直言って演奏がピタリと終わった感動もなく「あれ?もう?今のが???」って感想しか。なーんかイマイチ“新年を迎えた”感がしないのは、ひとつ思い当たる理由がある。毎年クリスマスの前にグリーティングカードを送ってくれる友達から、今年はなぜだか届いてないことに、“年が変わってから”気づいた。私は年賀状を出したので、向こうに近況が届いていると思うが・・・どうしたんだろ? 去年は新居にもお邪魔して、お互い楽しい時間が過ごせた。あの時は忙しそうだったけど、元気な顔が見られたからなぁ。毎年当たり前にあったものがないと、どうも収まりが悪い。あのカードが届くと、年越しするんだな~という気になれてた。だから・・・何があったんろう?と気になって気になって・・・の数日。そんな“ピンとこない”新年の始まりだったものだから、5日経ってもこれと言って何か新しい気持ちが芽生えるとかもなく。新春のいい空気は吸いまくった。新年早々、北鎌ウォーキングを二日続けてやり、今、筋肉痛(苦笑)。でも今日は、ただ「ああ体鈍ってんなー。明日からキツいな~」という、ダルい思いだけ。気合い入れるために岡村ちゃんのアルバム『幸福』なんか引っ張り出して聴いてるが・・・餅みたいに粘り着く唄い方が、正月に向いてるんだかどうだか(苦笑)。あ、でも若い頃に夢中になった音楽、古い卒業文集開くみたいに聴いたら、“血行良くなった“気がするわ(笑)。土の中の虫が目覚めて動き出すみたいな、あ!春、来ちゃった的な♥この調子で(どんなだ?)今年は、ファンキーにいこう(唐突だな!)。見た目から入るんじゃなく、気持ち的にファンクな感じに(意味不明)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「お餅、何個食べた?」
2020.01.05
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