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きゃんきゃん、ワンワン、鳴き声が止まらない。多分始まりは、STAY HOME期間が終わった頃に重なっている。家族があんなに毎日家に勢揃いすることなんか、なかったせいかもしれない。きっと自粛期間中はみんな暇だから、彼女か彼かは知らないが、その子を朝から晩まで充分すぎるくらいに愛して手放さなかったんだろう。それが、第二波がある程度落ち着きを見せ、私達人間界に“日常生活”が戻ってきて、その子の状況が一変。1日が始まると、家族はそれぞれの目的地に向けて家を出て夕方まで帰ってこない。その間、その子は繋がれたり、部屋の中に置いてかれたり・・・大体そんな感じと想像が付く。あの期間、遣りすぎくらい“愛情”が注がれ、“ワガママ”を聞いてもらえた茶色いもじゃもじゃ犬は、毎日毎日毎日毎日、朝から夕方まできゃんきゃん、ワンワン吠えるようになった。我が町はそこそこの田舎だから、家は密集しててもなかなかの静かな環境。小型犬であっても獣である犬が、本気で怒り狂ったらそりゃ“近所迷惑”になるわ。きっとその声はこの周辺の住民ならみんなうんざりする程、聞かされてるはず。動物が好きでも、それがあの家の犬と分かってても、我慢できないレベルにそろそろ近づきつつある。かといって、他の家の犬猫は影響受けて騒ぎ出さないから・・・その子が“異質“か飼い主が非常識か・・・って気はしてる。近所からはだいぶ前からクレームが出ていて、“注意喚起”をしているにも関わらず。初めは全く改善しようとはせず、ずっと犬は吠えていた。で。この前、再度注意をした結果。一時的にこの町に“静寂”が戻った。けれど、静かな時間は1日と持たず。夕方にはまた部屋の中で吠える声が漏れていた。私はその犬が何を訴えてるのかは分からない。ただ、STAY HOME期間には確かにあった“家族の愛情“が今ないことに、犬は不満なんじゃないかな。家族があの頃のようにナンでも満たしてくれるまで、ああやって延々鳴き続けて、家族を呼び続けるだろう。前に読んだ記事で専門家が、「犬は自分が吠えたら家族が何かをしてくれると覚えてしまったら、毎回そうしてしまう」というようなことを話していた。人間の子供にもたまに駄々をこねギャン泣きして、自分のワガママを通してしまう曲者がいるが、あの茶色いもさもさも、コレと同じと言える。ハッキリ言って、動物を飼う資格がない人達だ。娘さんがまだ幼い頃に犬を抱っこしてるのを見たが、最初から“ぬいぐるみ“感覚で思いつきで飼ってしまったんだろう。家族が散歩に出てるシーンを見たことがない。もしかするとその娘任せなのかも?親が小学生の子供に犬を押しつけ、仔犬の時期からあの犬に愛情と躾をもって接していなかったとすれば。いくら今、犬に大人が偉そうに命令しようが叱ろうが、“主人”と認めない人間の言うことを聞くわけがない。きっとあの娘のことも舐めてるな。犬にしたら、自分がその家で“一番上“に居るつもりだから。どんなに犬や猫が可愛くて、愛すべき家族だとしても。人間と動物は残念ながら“対等”とは言えない。犬には犬の、猫には猫の、鳥には鳥の接し方があり、それを人間と“同列”に扱うのは、個人的には誤りだと思っている。私の家にも子供の頃から、色んな動物が共に暮らしていた。犬も猫もいたが、互いの“一線”を越えないでつき合えたのは、“ダメなことはダメ”と目を光らせる“ボス”(=亡き父)が居たから。犬も猫もそれ以外も、たとえ私と弟や母の言うことをたまに聞かなくても、父の前では“絶対服従”の姿勢だった。父は飴と鞭を上手に使い、彼等を心から可愛がっていた。今は昭和じゃないから、そんな古い仕来りを押しつけるな、犬も猫も大事な家族だパートナーだ兄弟だ、と笑われるかもしれない。でも、ああいう犬の鳴き声や、最近やたら歩道や余所様の家の前に糞尿させたまま通り過ぎる飼い主を見る度、こんな家族に迎えられた犬も可哀想に思う。動物の命を預かっている自覚のない人間の、ナンと増えたことよ↷↷STAY HOME期間中、人恋しさに世界中でペットを飼い始めた人が急増したと聞く。動物はナンであっても、そばにいてくれると癒やされるし、本当に可愛い。しかし、“初め”の態度を間違ったまま人間の暮らしに招いてしまうと、その動物をかえって“不幸“にしてしまうことも多々ある。あの犬が鳴き声を上げる度、私は胸が締め付けられる想いだ。あの茶色のもさもさの犬種は、私の全く好みではない。それでも、こんな私で良かったら、昼の間だけでもあの子のペットシッターを買って出たい気持ちに、最近なっている。これ以上、犬を鳴かせてはいけない。あの鳴き声は、今や置き去りにされた怒りや悲しみではなく、明らかに恐怖に押しつぶされそうな悲鳴に聞こえる。あんな狭い空間に、毎日ひとりぼっちで放置される生活を強いられるなんて・・・これは端から見れば、完全に『虐待』だ。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「鍋と言ったら何鍋?うちはもつ鍋ブーム継続中。」デビューの時から大好きなひとり。ずっと前に楽屋見舞いの時に緊張しすぎで、怖くて名乗るのが精一杯だった💧
2020.11.30
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あの日、たまたま目にした記事を辿っていったら、私の“遣りたかった事”が“そこ“なら叶えられるかもしれないという気になり。軽い気持ちで始めたのが去年の11月末だった。手慣らしで先ず1本を投稿してみたところ、まさかの“採用”。ビギナーズラックだと思いつつも、遠い昔エンタメ界に浸り大好きな音楽を夢中で追いかけ、言葉を紡いでいた感覚がよみがえり・・・案の定、病みつきになった。このブログでも何度も書いているが、仕事で活字に散々触れているクセに、それだけでは飽き足らず“趣味”で音楽についての原稿を書き続けている。運が相当良ければ原稿料に結びつくけど、それは限られた者だけが手にすることが出来るだけで、ほぼ“自己満足”の遊びの延長でしかない。実際、蔭で「音楽厨の受け皿」みたいに小馬鹿にしてる輩もいたし。(上から目線な奴、そこまで言うなら書いて採用されて、人を感動させてみろ!(怒)それでも、今の私には本業や副業よりも“生き甲斐”になりつつある。モチロン、収入を得るための仕事は常に手を抜かず、精一杯の力で向き合っているが、こっちの趣味で書く原稿も毎回が“真剣勝負”だ。多くの音楽好きが想いの丈を様々な価値観やセンスで打ち明ける場になっているそこで、老若男女の名表現者達と各々の想いをぶつけ合う。と言っても別にラップのMCバトルみたいに互いが闘うわけじゃない。ただ、それぞれが愛する音楽を世に広めたい&自分の想いを言葉にしたい・・・その中で知らず知らず互いを鼓舞したり影響を受けたりしているのは間違いないだろう。私も毎月、1本~2本のペースで投稿するのが定着し、ひとつ山を越えると次のテーマを選んだり、構成を考えたりするのが生活の一部になった。“俳句”を新聞や雑誌に投稿するのと同じような感じかも? ま、俳句も好きだけど、もとがこんな風で話が長い人間なんで、今は長文が書きたい!!わけで。そうこうしてるうちに、こんな暮らしが1年経った。そして偶然だが、初めて原稿が採用された日から丁度1年後の同じ日に、また1本採用された。これまでに一度、もの凄く好きすぎて想いがまとまらず、何度も何度も書き直してようやく投稿&採用されたことがあった。今回投稿したのは、それ以上にスランプに陥り、テーマは早々決まったのにたたき台がなかなか書けずに苦しんでしまった。かなりの難産の末にようやく投稿に辿り着けた一作。だから採用された時は、今までで一番くらいに嬉しかった。その喜びだけでも充分、私の生きる力になるのに、今日になり私の“苦心の作”を多くの人が評価してくれているのを知った。しかも、その輪を広げてくれたのは当のミュージシャン関係者だったことが分かり、涙が出そうなくらい感激した。正社員やフリーランスで音楽を書いてきた頃には、巧く書けて当たり前だったから、いちいち評価を受けることはなかった。それでも、私の書いた記事を読んで感激してわざわざ電話くれる関係者もいた。あの時も直接お礼や感想を言われ、嬉しかったけれど・・・今回の採用された原稿への評価は、あれに匹敵する嬉しさと言ってもいい。SNSをしないので、読んでくれた人達に直接お礼を言えないのが悔やまれるが、これを機に初めても良いかな♪ってちょっとだけ真面目に考えてみた。それ程、今回の反応に感激してる。仕事でもなく、誰のためでもなく、ただ自分の好きな気持ち、溢れる想いを処理するために書き続けている原稿だけど・・・1年間続けてきた甲斐があった♫ これだから、書くことを止められない!またここから1年、この趣味を大事にしていこう。今回の評価を励みに感性を研ぎ澄まし、私の想いを昇華させつつ、できれば誰かの心に届く原稿を、苦しみながらも楽しく一筆入魂、書き続けよう。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「黒猫便のスタッフさん。いつも重い物を届けてくれて感謝します。でもマスク無しでその距離で喋られると怖いのです💧」
2020.11.28
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「またかけ直します」いやもう、かけ直さなくてもいいです。留守電に向かい、思わずケチもつけたくなる。これで何度目だろうか?大手企業の窓口係なのだが。呆れるほど要領が悪い。まだ幼さもある“新人”なのだろう。もしかしたら彼女にとって、我家が“初めて担当するお客様”なのかもしれない。ならば是非“良い経験”を積むための踏み台にでもすればいい。 ダンナが電話でその企業にあることをお願いしたのは、二週間前。その日は色々な手続きをするために、彼はやっとの有休を取った。他にも遣ることがあるので、その会社が電話での会話だけで済ませられたのは有り難かった。もう一つ同じような件で連絡した先は、窓口に出向いて直接手続きしなくてはならなくて面倒だった。だから、あの企業が一度の電話で話が通じて、本当に助かった。あとは向こうから書類が届くのを待つだけ。それが数日経っても、ポストに入る気配もない。それどころか最近になって、担当者から留守電が毎日のようにかかるように。急ぎの用であれば悪いので、何度目かにやっと私が電話に出ることに成功。ダンナがまだ帰宅していないこと、代わりに用件を聞くように言われてることを彼女に伝えると、安心したようにこう言った。「では“一件”お訊ねしたいことがあります」と。彼女からの質問は私で充分答えられたので詳しすぎるほど話した。すると、向こうもホッとしているように感じた。彼女は“念のため”なのか“緊張のあまり”なのか、二度繰り返し同じ質問をして、答えを確かめた。その上で、「それを確認したかったので。ありがとうございました」と声も軽やかに電話を切った。数日後。何故か再び、彼女からメッセージが残されていた。「確認したいことがあります。またかけ直します」と。ん?? まだ、何かあんの??? 大丈夫か? 新人さん?!結局、待てど暮らせど便りは来ない。で。そのまま三連休に突入。ダンナ曰く「正社員ならきちんと休みを取る規則だろうから、休み中は電話来ないよ」と。結局、何も連絡が来ないまま時は過ぎた。今日になり、また留守電が・・・。あれ? 担当者と名前が違うぞ?? 例の担当者より少し先輩なのではないかと思われる声色と落ち着き。が、しかし、また「お訊ねしたいことがあります。またかけます」と、何度聞いたか分らない味気ない“定型句”を残し、留守電終~了~。さすがにこの企業が、“心配”になってきた。個人情報漏洩しないようにとか、留守電によるリスクを回避してるつもりかも知らんが。【何を確かめたいのか】くらい要点くらい残せよ~。「お訊ね」が一件あるというので、丁寧に答えたこの前の私の徒労を、どうしてくれる?モチロン、こちらからダンナがかけようとしたこともある。でも仕事忙しくて、平日は営業時間内にかけるなんか、無理よ。だからわざわざ有休まで取って、この前ゆっくり時間割いて電話をしたのに・・・この二週間、私達顧客の働きを何ひとつ活かし切れてないじゃん!! それで私らより良い身分で、良い給料貰ってるンかと思うと、なんかやるせないわ~~!お節介おばちゃんは、このイライラする遣り取りに我慢できなくなってきてるよ。次に電話を貰ったら、イヤミの一つも言ってしまうかもしれない。なんなら“接遇の基本”をあの新人にアドバイスしてもいい。電話で用件を明確に伝え、“確認”は1日、その1本の電話で全部済ませる方法、身につけとけよと。顧客はそんなに暇じゃないんだ。今私が開店休業状態でも、いつでも電話すれば家に居ると思ったら、大間違い! 相手にも生活があり、貴重な時間にきちんと答えて協力してるんだ。何度も何度も“意味深”に留守電残してくれるなよ。そんなに大事な話なら、「至急連絡を」と言えば、一発で仕事が済んで楽になるのに・・・なんでそんなに要領悪いの???あ@@@ー、遂に不満大爆発。できれば、こんなイヤミなおばちゃんに成り下がりたくないから、グッと堪えているけども。仕事の出来る若い社員さんも世の中には、沢山居るのは知ってる。でもなんだか、このところこのテの“マニュアル”人間が目について、かなり心配になる。SNSがコミュニケーションの主流になり、対人関係が平成までとは明らかに変わってしまった今、“想像力の欠如“が話題になることが増えた。プライベートで時間やお金の無駄をできるだけなくすのは、どんどん遣った方が良い。でも、仕事において、特にこういう接客を重視する&重要書類を扱う役目を果たす“選ばれし“人達が、こんなに素人臭い穴だらけのスカスカな接客で、いいの??? 会社の立派な看板背負ってて、この程度の働きしかできないなら、今、仕事を奪われつつある他業種の優秀なベテランの人達に、チャンスを与えた方が企業貢献する人財になる気がする。何だか知らないけど、今日の電話が担当だった新人さんじゃなかったのは・・・まさか彼女、もう逃げ出した??いや。早めに辞めた方が彼女のためになるかも。あの仕事の遣り方では、業界の荒波、泳いではいけない。そもそも接客に全く向いてない。何故採用された?(コネかしら?)さーて。今度の担当者は、あと一回で仕事が済むのかな?(ヤな予感)けないげた ★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「インフル予防接種、何でLINEお友達登録した人が優先なの?病院とお友達??? LINE遣らない私は敗者だけどね!!(怒)」彼女が嫌味なくて可愛くて好き。
2020.11.24
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東京・神宮外苑の銀杏並木が今年も見頃を迎えているらしい。あの近辺は編集者時代、仕事やプライベートで馴染みがあるからその素晴らしさもよく知っている。うちの雑誌で撮影場所にも使ったり、並木道に面したカフェで、外を眺めながらおいしいタルトや食事を味わったり。今は全く縁がないが思い出深い場所だ。今朝、たまたま観たワイドショーでこの並木道での“迷惑行為“が取り上げられていた。インスタ映えを求めて辿り着いた人達が、歩道を越えて道路のど真ん中に立ち塞がり、思い思いにシャッターを切っている。路上駐車も隙間なく、まるでお祭りか歩行者天国みたいで、息をのむ美しい景色が台無しに。行き交う車も無視して近隣住民等への迷惑も顧みず、“己の欲”を満たそうと夢中になる人人の多さに、愕然とした。取材陣がマイクを向けると、悪びれる様子もなくこう言うのだ。「みんな撮ってるから」そう、そう、いるよな。どうしてそれを遣るのかと聞くと『みんなが遣るから遣る』って言って正当化したつもりの人。ネットでこの言葉を入れたら沢山関連記事がヒットするので、これを可笑しいと思う人は私だけではない(言い換えれば、“みんな“思ってる(苦笑)ってことだな。この言葉を吐けば、周りが納得すると思ったら、それは、浅はかだ。それを口にしたとたん、私を含み一斉ツッコミがあちこちから入ると思う。「その『みんな』って、どこの誰と誰と誰・・・が言ってるんだよ?」ってね。でも大体、根拠がない。見えない『みんな』の声が聞こえてるとしたら・・・その人の“別の心配”をしたくなる。調べてみたら、心理学的にもちゃんと名称があった。『バンドワゴン効果』って言うのか。面白い。流行りに乗り遅れたくない人の群集心理、つまり『赤信号、“みんな“で渡れば怖くない』行動心理ってことだ。規則正しい義務教育のもと、集団生活が身についている日本人には、この『バンドワゴン効果』は、どんな場合でも生まれやすいのだろう。それは今のコロナウィルス感染再拡大の一因とも言える『Go toキャンペーン』にも起きているわけで。『三密回避、うがい手洗い、マスク』を必死で守る人達がいても、一部の守らない人の行いが集団化すると、一気に感染が広まることがある。そういう人にマイクを向けてもやはり同じことを胸を張って言うのだ。『みんな遣ってるんだから』と。『Go toキャンペーン』ほか国のアイデアについては、TOPが変わっても相変わらずグダグダで、方針が医療関係者を始めとする国民の方を向いてないので、このテの我が儘がまかり通るのも仕方ないことではある。正しい安全な方へと導くべき側の人間が、誰1人“責任“をもって行動しようとはせず、『みんな、それぞれで頑張ってちょ(俺に厄介な仕事ふらないでよ)』と、国民に丸投げなんだから。そりゃ指揮者が全く遣る気がない(むしろ感染者を増やそうとしてる)なら、『みんな』好き勝手動くわ↷↷(溜息)******歌手のMISIAが報道番組のロケ中、落馬事故に遭い背骨骨折。全治6週間の大怪我。先日、3年連続で“紅白“出場が決まったばかり。大晦日に舞台に立てるのか、判らない状態に――――――――なんで、馬に???と思ったが、慈善活動の中で仲間達と馬に乗り交流するプログラムに参加している中での出来事だったと。局のクルーが悪い。馬のトレーナーが「動かないで」と注意していたにも関わらず、守れなかったのだから。学生時代、乗馬サークルに所属していたので、その時、馬がどれだけ“怖い想いをした”のか想像できる。馬はとってもデリケート。あの大きな耳を全方位に動かして、周りの様子を常にキャッチする。たとえば、自分に乗る者が怖がったり不安な気持ちをほんの僅かでも抱いたら、それを乗り手が声に出さなくても感じ取り、人と同じようにビビってしまうし、中にはちょっと人間を驚かしてやろうとイタズラをする馬もいる。私が初心者だった頃は、それはもう舐められたもんだ。私の拙い仕草や言葉を全部聞き分け、無視されたりイタズラされたり。でも私が上達して余裕が出ると、馬もきちんと分かって忠実に指示に従うし、いきなり甘えてくることも。懐いたら小動物と同じくらい可愛くてたまらないが、やはりあのサイズ感だから、犬や猫とは違い常に“危険”と隣り合わせだ。私も一瞬の“不安な気持ち”や“苦手意識“を心に持ってしまい、乗って間もなく豪快に馬に降り落とされたことが二度ある。馬は決して人間を踏まないし、調教された馬は人の命令を聞く。先ず乗る前に、それぞれのスキルや経験や性格に合う馬をクラブ側が選んでくれるので、今回の馬もきっと、取材にも慣れており、乗り手にも最適な馬だったはず(※ハンディキャップのある方達が乗ってるから)。事故の原因の詳しいことは分からないけど、“余程のこと“がなければ、そんなに急に駆け出すような状況にはならない。ま、大勢で機材背負ってライト当てて、明らかに日頃の馬場の状態ではないから、それだけでも馬はかなりストレスだったのだろう。車に慣れていない馬なんて、クラクションひとつ鳴っても飛び跳ねてしまうくらい怖がりなのだから。乗馬クラブで時間をかけて調教されている馬だからと言って、いつも馬が安心して穏やかで、おとなしいとは限らない。相手は人間ではなく、“動物”。それをきちんと理解した上で、何か事故が起きた時のことまで想定して、責任持って慎重に取材すべき。ほんの少しと思っても、そのミスが、馬を驚かせ乗り手の人生を変えてしまう危険性を孕んでいるのだから。モチロン馬に乗る側も、常に“命を守る”意識を持ちつつ馬を心から信頼して覚悟して乗る必要がある。郷に入れば郷に・・・ではないが、乗馬クラブに行ったら、その道の人のルールに従い、何か起きても自分の命は自分で守る。それを忘れてはいけない。(※私が落馬しても、誰も助けてはくれなかった※)とにもかくにも。MISIAさんが1日でも早く回復することを祈るのみ。歌い手にとって、背中へのダメージは、とても心配。“紅白”に出るのも大事かもしれないが、先ずは傷を治すことに専念してほしい。誰が何と言おうが、天才。このMZA有明LIVE映像、穴あくほど観たけど好きすぎて震える。
2020.11.19
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『紅白歌合戦』出場者発表のニュースを聞くと、さすがに“年末感”が高まると思ったけど・・・全くダメだわ。ここ数日ぽかぽか陽気が戻ってきてお日様も暖かく、“11月半ば”って感じがしないせいもあるかな。近所のヒマワリもまだ咲いてるし。それにしても紅白。ざっと出場者リストをチェックしてみたが、パッとしない顔ぶれだなぁ。71回目らしいが、これ絶対に“幕引き”のタイミングを逃してるってば! まだ音楽業界に勢いがあって、若者もTVを観てた時代の“50回目”で終わらせてたら今頃、「あの番組は良かった」って後々、高く評価されて語り継がれたかもしれないのに・・・。音楽リリースの多様化により、TikTokやSpotifyで瞬時に盛り上がるモノだけを掻い摘まんで聴くスマホ世代。そんなリスナーの顔色を覗い、いくら出場者を若者好みに寄せたつもりでも、時代遅れの番組が支持を得るとも思えない。ただ無駄に出演枠を増やしダラダラとした長い時間の中、“大人の事情”による忖度で選ばれた出場者が、見た目のインパクトだけで舞台を盛り上げる程度なら、民放でできる。それとの違いを見せるのが、N局のすべきことだと思うのに、“今年を代表する歌を聴かせる”という役割のハズが、視聴者よりも関係者の都合が素人目にも分かる訳あり番組になってしまった。選考は『「今年の活躍」「世論の支持」「番組の企画・演出」の3点を中心に総合的に判断』したそうだが? 今回は、今まで以上に“偏り”が酷い印象を受ける。私はTV好きなミーハーおばさんだから、それなりに最近の芸能界のブームや事情もある程度分かっているつもり。それでも、「この人、今年どこで活躍を?」って人がチラホラいるのは、どうも解せない。「今年の活躍」「世論の支持」で選考して、YOASOBIが選ばれないのは不自然では?どこに行っても流れていたのに、それよりも売れてない人が出るのはおかしいよ。局側には、出場歌手がどの程度の貢献をどこでしたのか、どの層にどれだけの支持を集めているのか、そのくらいの理由を添えて説明してほしい。(過去ブログにも書いているが)編集者の頃。毎年、紅白出場者発表記者会見に取材で入っていた。当時は番組自体に“重み”があって、発表前の会見場もかなり緊張感が漂い、壇上に並ぶ顔にも「今年の活躍」や「世論の支持」が確かに感じられる人が多く、日本の“芸能”本来の華やかさが感じられたものだ。今は大御所になった苦労人の歌手の目に、長年の想いが叶った感無量の涙が溢れたシーンが忘れられない。時代の流れが世の中の趣味趣向を変えてしまい、何を企画するのも難しいのは、私も作り手側だったから解らなくもない。でも、こんなに製作者側の創意工夫を感じられない人選は、とても残念だ。政府の発表する政策等と一緒で、選考基準の詳細が国民にまったく明かされないんだから。こんなことイチ主婦のボヤキで、ここで吠えたところで何の役にも立たない。けれど、幾つかの好きな番組を観るだけのために、真面目に高い受信料を払い続けているぶん、多少の文句を書いても、許されるはず。「世論の支持」という言葉を振りかざすなら、受信料を払っている一軒一軒の視聴者を満足させる番組作りをしなくては。ま、いずれにしても紅白は今年も観ない。ネット上で色んな人が言ってるが、『裏紅白』があればそっちが観たいな。個人的には、躍動感あるスタジオライブ(癒着無し。口パク無し)で繋ぐアグレッシブな年末年始感を希望。YouTubeJapanさん、無料配信なんか、どうでしょう?★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「医療崩壊してんのに五輪やれる!とか。日本滅ぼしたいのかな?」そんな想いを込めてこの歌👇をどうぞ。one of my favorite music
2020.11.17
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急に朝夕冷え込んできた。昨日までは昼間はまだ秋物で間に合ってたけど、それもさすがに厳しくなってきた。11月も既に12日目。この速さでは、あっという間に大晦日を迎えてしまう💧今年は個人的に一生忘れられない“区切り“の年になった。特に初夏から晩夏まで“姑事”で怒濤の日々を過ごしたのが大きい。この出来事をきっかけに、一日の時の流れが長良川のライン下りを思い出すくらいに激しく加速した。姑が危篤と踏ん張りを繰り返し始めた時期は、とにかく無我夢中だった。何をどう遣り繰りして今日に辿り着いたのか、細かいことは覚えていない。ただ、臨終から葬儀~四十九日迄の行事の最中のことは鮮明だ。あの一連の出来事は、一生忘れないだろう。私やダンナが前を向いてこれからの人生を歩き出す“訣別”の儀式には、充分だった。また、彼女との同居生活そして介護の日々で降り積もった心の澱や、看護師から電話の鳴る生活がいつまで続くのかも分からない不安定な暮らし・・・それらをこのブログや趣味の投稿で、書き綴り吐き出すことで“昇華”できたのも救われた。この“現実逃避”がなければ、私はうまく心身を維持できなかっただろう。姑との別れを越えて秋以降、やっと日常を取り戻したものの。一息入れかけると何かしら大小ハプニングがあって、何となく落ち着かない。そこで、最後まで油断せず無事に年越しするために、“今できることは今のうちに”手を着けることを心掛けている。面倒なこと苦手な物事は、どうしても後回しにしがちなんだが、二週間ちょい前に体脂肪燃焼系エクササイズを始めてから、だいぶ気分がイイ。揺らぎやすいお年頃ゆえ、起きていきなり「何もしたくない!」とテンションだだ下がりな朝が多かったけど、瞑想からエクササイズに切替えてから心身安定して動ける日が増えた。最近は体が軽く感じる日に、積極的にパパッと“すべきこと“をひとつひとつ着実に進めていけるようになった。******いよいよ恐れていたコロナウィルス第三波がやって来た。私の生活圏でも感染者や死者が続き、都内は8月以来の感染者数を更新中。この調子じゃ年内に本業復帰が難しくなった。僅かな給料と社会貢献を目当てに、命懸けで都内に通勤するのは割に合わない。会社の人達も感染者が多い町から越境して来る私と接したくはないだろう。お互いに緊張と恐怖でストレスを感じるだけで、何のメリットもない。それに紙の読み物は随分前から売上低迷してたから、各編集部の生き残りは更に厳しくなるだろう。大手レコード会社でさえ初の希望退職者を募り、本社を売却する。大手広告代理店も一部正社員を“業務委託契約“つまり『個人事業主』として働かせる制度を、来年1月から始めるというのだから、私の属する世界の事態は相当深刻だ。こんなエンタメ業界の凋落を見てると、私のようなハシクレが出版界に戻れるチャンスなど、二度と巡ってこない気がする。エンタメ“黄金期”に運良く働けた身なので、この世の終わりとも言える衰退っぷりを見るのはツライ。これまでの遣り方がほとんど通用しない時代になっていくのは判っていたが、それとは関係のない感染症が世界の動きを支配する時代になってしまうなんか、想定外だ。今後どうすべきか? 本業について迷うことが増えた。私の決めたリミットの年齢まで働くつもりでいたが、自分の想いじゃ無しに質の悪いウィルスに阻止されるとはね↷↷副業だって、不安だ。本業ほど廃業のリスクはないにしても前より“待機“時間が長くなった。上に書いたエンタメ系の制度ではないが、“業務委託契約“の身。向こうの都合次第でいつだって追放できる。けれど、こんな時代だから、誰を責めるわけにもいかない。だから、ひたすら“今できることを今のうちに”済ませていくことに集中するだけ。いざ始動!の声がかかった時に稼働できるよう、そして依頼者の期待に応えられる仕事ができるよう、心と体を健やかに保ち続ける。これが私のすべきこと。******ちょっと早いけど・・・私の2020年を一文字で表わすと、『命』かな。2019年はブログを遡ったら『動』だった。今年はそれを踏まえて更に可動域を広げたかったんだが、コロナ禍で全部吹き飛ばされてしまったんだもんなぁ。ただし『STAY HOME』が、自分と向き合う良い機会になった。立て続けに聞いた有名人達の死に衝撃を受け、『これからをどう生きるか』を改めて考えるようになったし。でもやはり、これまで何年も持ち堪えていた姑の命の灯火が急速に弱まっていき、“命”、“死”を身近に感じたのが大きい。 嬉しかったのは、私が長年闘い続けた持病の治療が思いがけず終わりを迎えたこと。4年前に一縷の望みをかけて特殊手術を受けたのは、間違いじゃなかった。あの時、自分のカンを信じて進んだお蔭で、私の寿命が今年になり延ばされた気がする。それと入れ替わりに、突然の心身の変化や不調に戸惑う日が増えたが、徐々に受け容れる余裕も生まれつつある。どうでもいいが。終の棲家として移り住んだ真っ新だった我家も、私達と同じように年を取り、経年劣化があちこちで起きている。家電の故障から始まり、住宅設備もひとつ修理で、また修理・・・な感じで、次はどこが動きを止めてしまうのかと、ヒヤヒヤする日々。このテの故障って、何故だか続く時は続くよな~。この数年で色んな所に不具合が出てるけど、ここまで“大規模”&“大出費”になったのも、今年が初めてで参るわ💧でもま、その分、新しいモノが増えたってことで。気分一新して新年を“快適”に過ごす準備をしてるんだと思えば、これはこれで少しは楽しくもあり、前向きにもなれるから良しとする。うーむ。オチ無し。今日の天気みたいにスッキリしない文だなぁ! ま、自分しか読まないからいいけど。仕事無くてダラダラな毎日過ぎて、頭のネジ緩んでんのかも。文章力や想像力が低下してる? それも無くなったら、私に何が残ると言うのよ?(嘆)★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「最近また私のだいぶ前の過去記事のアクセス数が増えてる??皆さんどこから来てるのでしょう? コメント残して頂けると今夜熟睡できそうです。」チケット取りたい>コロナ感染者急増怖い。歯がゆい。いつになれば生風拝めるんだろう。
2020.11.12
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「一生懸命にやれば、仕事(が) 仕事さ(を) 教えてくれる」貧しかった幼い頃から“かあちゃん”の教えを守り、昭和平成令和の時代を、ひたむきに生きている人がいる。津軽半島・五所川原市金木町。その町の名物『笹餅』を作り幾つものメディアで紹介されているおばあちゃん。19歳で親の言うままに結婚。病弱な夫を支え自身も肺を患いながら二人の子供を抱え、60歳まで必死に働き続けた。退職後に慰問で老人ホームを訪れた際、笹餅を作って持って行くと、涙を流して食べる人を見た。それが今の仕事の原動力となる。75歳で『笹餅屋』を始め、たったひとりで年間5万個の笹餅を作り、多くの人を笑顔にするその人は、桑田ミサオさん(93歳)。『プロフェッショナル 仕事の流儀』で菓子職人としての仕事ぶりと私生活の素顔に触れ、これぞ“プロフェッショナル“!!と、久々に感歎した。豊かな白髪に割烹着。足には息子からのプレゼントの赤いゴム長。その立ち姿、なんと凜々しいことよ。良質な笹の葉を求め、軽やかに自転車を乗りこなし、自分の背丈以上の藪のある山へとズンズン進み入る。理想の葉に出合うまで、場所を変えながら葉を選別する横顔は、妥協を許さない職人の“鋭い目”が印象的。一番驚いたのは、息子さん夫婦に病気が見つかった時、向こうからHELPの電話がある度、ミサオさんが仕事を中断して、隣の家に駆けつけ介助していたこと。心配で落ち着かず「代われるもんなら代わってあげたい」と呟きながらも、作業の手を緩めない。むしろ仕事があって気が紛れるから助かると言い、さらに作業に力が入るとゆー気合いの凄さ。少しでも介助に行ける時間が持てるようにと、仕込みの時間を早めて深夜から取り組むのを観てるうち、この人が90代の高齢者であるということを忘れそうになった。手にすっぽり収まるほどの笹餅二個で170円。一日1500円程度の儲けにしかならない仕事を、文字通りまさに“命懸け”で続ける彼女の体力にも驚かされるが、あの“精神力“には感服する。でも、決して割のいい仕事とは言えない働き方を私は他人事に思えなかった。私の本業副業も責任も重く拘束時間も長い割に、儲けはほとんどない。それでも、誰かのためになっていると思うと手を抜けないし、中身は面白いから時間を惜しまず仕事をしてしまう。だから“遣り甲斐搾取“を嘆き悲しむより、今の仕事に生き甲斐を感じてる。そういう所はミサオさんと同じだ。一緒に番組を観ていたダンナにも「びー。と同じだね。お金のためじゃなくて、遣り甲斐を選んでる」と、早速言われてしまった。さらに共感してしたのは、彼女が呟いた言葉。「なるようにしか ならない」これは裏を返せば私のモットー「なるようになる」にも通じる。私も何か迷ったり困ったりしたら、いつもこの言葉を繰り返して自分を落ち着かせている。それを90年以上生きてきた人が言うなら、今後も指針にできる。彼女の作業で最も印象に残ったのは、小豆を煮る過程。小豆をコトコト煮る間、小豆が“成長“”していると彼女は言う。「(小豆と)無言の会話だにゃ」のひと言が、これまた私の胸に深く刺さった。「命を、生かしきる」「10本の指は黄金の山。私のすべて。」等など、彼女のひと言ひと言が、いちいちガツンと心に響いて、もう・・・何というか存在自体が尊い!そう。若者がこの言葉をやたらと手軽に言いがちだけど、本当の尊さっって、こういう人に用いるんだよ?個人的には、ターシャ・テューダーさんの生き方を思い出した。多くを望まず、与えられた場所で、自分の力を信じて慎ましく丁寧に生きている姿、見習いたい。こんな素敵な大先輩が居る日本、まだまだ捨てたもんじゃないな。今夏は体調を崩されたようだけど、“後継者“も見つかったとか。最近になり販売再開されたようだけど、今はその人に作業を任せて、この際、笹餅作り以外の楽しみも味わえる時間を過ごして、周りの人に大いに甘えてほしいものだ。******今朝、“猫額ガーデン“で見つけてしまった。『幸福の木』(20歳以上)に13年ぶりに蕾がついてる~~~☆彡 しかも二個も♪ 前のに比べたら、かなり様子の違う小ぶりな蕾。それでも健気に育ってて感動~。慌ててビニールハウスの中を補強し、花が育ちやすい環境を作った。滅多に花を付けないらしいので、待ちに待ってた二度目の今年、うまく育ってくれるといいなァ。毎日観察する楽しみができて、仕事以外の生き甲斐見つかった♫このところテンション下がることばかり続いてバイオリズム低迷してたのが、昨日辺りから少しずつ回復しつつあるかも♫ハロウィンくじ、2番違いで当たり損ねたけどね!でもこの前見た『大きい河豚の夢』効果、出てきたのか?そう思い込んで、いい運気、力尽くで呼び寄せてみるか。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「人の愛称やグループ名が流行語ノミネートって、アリなの? 香水・・・これも変や。」また会えたね♥ 無事に花が咲きますように🙏,゚.:。+゚
2020.11.06
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観客動員数・興行収入を伸ばし続けている『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』。コロナ感染拡大の影響で冷え込む日本の経済にとって、“明るい希望の光”となり大きなムーブメントを起こしている。ファンタジーよりドキュメンタリーが好みだから、アニメや漫画にほとんど興味を持たない私。子供の頃は夢中になった漫画家や作品があり、単行本を全巻揃えたこともあった。でも成人してからは、仕事きっかけで関わる時があるくらいで、自分には縁のないものだ。あ、でも校正を本業にしてから、ごくたまーにだけど短編漫画をチェックすることもある。本格的な漫画じゃないけどコマ割りされたものを校正校閲することは今までなかった。だから、初めてチェックする時は緊張しつつも、新鮮で楽しかった。漫画に関しては、その程度の関わりしかない私が、ダンナ(どうやら職場で話題になり興味を持ったよう)が観たいというので、少し前に深夜枠のTVで連続放送していた作品を“ながら観“した。正義の勇者が旅しながら悪を倒す流れのストーリーは、これまでにも人気作が幾つもある。その中で「鬼滅の刃」がここまで老若男女、国を超えて愛される理由が、解る気がした。あの日以来、おっさんおばさん(=ダンナと私)の会話にも頻繁に「鬼滅の刃」ネタが混じるようになった。思った以上に影響を受けてしまってるな~。ダンナは職場から時々鬼滅情報を仕入れてきては、私の前で披露してるし。なんて平和だ。意識せずとも、毎日のようにメディアを通じて何かしらコレ関係の話題を観たり聴いたりする。その度に知らず知らず自分の中に取り込んでいるのだろう。とりあえず、主なキャラクターの顔と名前は一致するようになった。この先私がどこかで活かせる知識かどうかは謎だが、こんな風に今までは興味のなかったジャンルの情報を得て、脳に新たな刺激を与えるのって、ボケ予防にはなりそうだから、ま、良しとする。このブームが起きてからずっと気になってることがある。それは個性的なキャラクターの“コスプレ”に興じる人達について。映画が大ヒットするにつれ、有名無名関係無しに自分の好きなキャラクターになりきってSNSで画像をアップしてくれているので、“怖いもの見たさ”でついつい“力作”を覗いてしまう。やっぱり叶姉妹のがダントツでワクワクするなぁ。「ジョジョ」のコスプレなんか、並みの人間では無理すぎるけど彼女達のなら色々見たいと思っちゃう。あのふたりの在り方が既に、“キャラクター”化してて非日常の世界だから、どんな奇抜な格好でもメイクでも違和感ないんだもん。お椀みたいな立派な胸だって、このためにある!!ってくらいの備品だから、全然イヤらしくない。「鬼滅」のコスプレも、「待ってました!」な期待を裏切らない完璧な仕上がりで、コロナ禍の陰気な気分も吹き飛んだ。叶姉妹はいつもの“お遊び”の一環で遣ってるだけかもしれないが、彼女達のコスプレの好い所は、漫画へのリスペクトが感じられる点。漫画じゃないけど、美香さんが去年の岡崎体育の初ワンマンに現れた時も、ちゃんとライブ向きのスポーティなファッションで、岡崎体育への敬意を感じ関心した。まさにファビュラス☆かと思えば、ここぞ!とばかりに「鬼滅」キャラに扮装した画像をアップしてる“人気便乗派”とも思える人達も大勢。もともと原作のファンで完璧にコスプレしてるのなら、まだ良いとしても。コメントしづらい“残念なコスプレ”もかなり見かける。さすがに年齢的にアウトだったり、衣装が貧相で痛々しかったり。なんか色々とツッコミどころが多めな印象。どうせ挑戦するなら、せっかく人に見せるのなら、幕張メッセに集結する達人レベルに本気出してほしい気がする(余計なお世話だろうが)。ものすごく久々に名前聞くような懐かしタレントとかが、必死にアピールしてるの見ると、胸が痛い(本業で頑張れよ)。でも個人的に一番イタいのは、もうそんな許せる若さじゃないのに、“若い頃の自分“のままの気分で、分別無くインスタ上げちゃうってパターン。身内向けに非公開でするなら、どうぞって感じだけど、世界に発信するのは・・・どうなのよ? それで“笑い”とるなら良いセンスだけど、“褒めてアピール”の強い自己顕示欲のカタマリみたいなコスプレが最近も続いてるのは・・・お腹いっぱい。目立ちたいんなら、今後コスプレ披露する人は主要キャラを全部避けて、マイナーキャラのをやってみたらどうだろう? 言っとくけど、猫目で口に細長いの一本咥えて『竈門禰豆子』って画像見せるの、今後禁止! こんな私が「この人よりこっちの禰豆子!」って判定できるほど、充分見たから! 学芸会の舞台に白雪姫はひとりでいいんだから。ドラマだって脇役に光る役が多いよ。求む! バイプレイヤーコスプレ‼(苦笑) コスプレといえば。遠い昔、二度遣ったことある。高校のイベントの中で“クラス別仮装行列“があって。うちのクラスは当時の人気漫画がテーマだった。先生を主人公(女装させた)にして、それ以外の登場人物が周りを囲んでトラック一周する恥ずかしい企画で💦 私は仲間に言われるがままよく知らないキャラクターの衣装作って着て、先生の後をついて歩いた。その時の写真、しっかり卒業アルバムに残ってる(嘆)。あとは入社した会社の“社員旅行”の宴会で。新卒組は絶対に何か演技をしなきゃいけないらしく、同期で話し合って私は何故かスティービー・ワンダーやってた(爆)。今でも友人の同期(ご近所友)は漫画のキャラだったな。どーゆーチョイスだ? その謎も解けない写真も、しっかり残ってるわ。汚点だ。人生の汚点。あー、ヘンな汗出てきた(笑)。※段落にばらつきありますが、直せません。あしからず。 ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「どっちがなっても、おじいちゃん。」この人だから唄いこなせるわけで。尺八入ってるし、辛いカレー食べたくなるし。
2020.11.03
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