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幼い頃からお節介なせいか、何でもまとめ役を任されがちで。大勢の前に出るのも、人を動かすのも得意な方だった。これは、人好きで面倒見のいい母の影響が大きいだろう。彼女は子沢山の兄弟の中で育ったせいで、超寂しがり屋。沈黙に耐えられず、我が家は年中無休のウエルカム状態で、誰かしら人が出入りしてた。時には私の同級生も男女構わずふらっと遊びに来るような賑やかすぎる環境で、多くの人人と関わりながら私は育った。“みんないい人“の中に長く居すぎたから、上京後、大学の人間関係で二度も苦しむことなど、考えもしなかった。随分前にブログに書いたので、これ以上触れないことにするが。仲良くしていた人達に見捨てられ“透明“になってしまった時は、さすがに“孤独“を感じ、大学に行くのさえ苦しかった。『地域版SDGs調査』による「47都道府県の住民に聞いた“孤独に悩む人が多い都道府県ランキング“(2019年7月12日~29日調査)」の記事を読んだ。インターネットで回答したのは、約1万6000人。住民の悩みとして挙げた48項目のうち「孤独に悩んでいる」と答えた割合が多い順に紹介されていた。“県民性“でこの悩みを括ってしまうのは、個人的に疑問だ。でも、順位よりも“孤独に悩む“がこんなに多いことの方が驚きだ。少し前『スティホーム』期間に、「誰かと話したい」と願う孤独に耐えられない女子大学生の話を書いた。あの時も意外すぎて驚いたのに、全国的に見てもこんなにみんな“孤独“を感じて悩んでいることが、正直なところ信じられない。私も経験済みだから解るが、“孤独“は確かにツライ。でも、それは己の考え方次第であるのも事実。何を以て孤独とするか? それは個々で感じ方が違うので、どれが正しくてどれが間違いとか、誰も判断できない。大学の時の私は、誰かしらが周りに居る九州の環境とのギャップが、あまりにもありすぎたから、ある日急に仲間が私を見てくれなくなったことに耐えられず、“孤独“に陥ってしまったけれど。あの時、自分から誰かに声をかけて一歩前に踏み出す勇気があれば、そんなに苦しまずに済んだのかも?と今なら分かる。でも当時は頭が真っ白になり、自分からも“距離を置き“、敢えて無視された理由について友達に聞かないでいた。そんな変な気を遣わないで、しれっといつも通り話してみれば、案外向こうも普通に接してくれたのかもしれない。つまり“孤独に悩む“くらいなら、“孤独“にどっぷりハマる前に、自分から何かしらアクションを起すことがひとつの鍵になると思う。その時に、どう動くか。その状況をどう捉えるか。その違いで見える世界は、随分変わるだろう。元教師の伯母は癌が発覚する前、最愛の夫を亡くして傷心から立ち直れない寂しがり屋の我が母に、穏やかに話したそうだ。「死ぬときは、みんな、独りになるんよ」伯父に支えられ精一杯生きて、その言葉から1年後に伯母は独りでこの世を去った。根が寂しがり屋で人の中に居るのが好きと思っていた私も、大人に成ってみれば、そんなにワイワイガヤガヤするのが性に合わないって分かった。だから煩わしい人間関係もその都度整理し、“距離感”を間違えないよう自ら後ろに引くようになった。友達は随分減ったけど、寂しいと思うのは距離をとった初めのうちだけ。そのうちだんだん、何も感じなくなる。ただ、その人との“楽しかった想い出”だけ、大事にして時々振り返ればいい。“孤独“って響きは、なんだかヤケに胸がきゅんとなるけど・・・色んな人との関わり方をした上で言えるのは、今の“ひとり“になる時間も思ったほど悪くない。“おひとりさま”上等! 気楽なもんよ。さぁて、駄文はこのくらいにして・・・本気原稿と向き合う孤独な闘いに戻るとするか! ホントこの孤独の方が、誰も頼れず、結構キツいよ(涙)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「そんな会見するほどの人? 男を語る前に人としてどうなの?」one of my favorite songs
2020.06.23
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ここ数日、原稿を書いては消し、再び書いては消し・・・を繰り返している。仕事のためじゃない。前にもココで触れたことがある“趣味”の投稿のため。とあるテーマで前に書いたのだが、何となく内容が浮ついてたせいか、それに対する愛情が足りてないのがバレたのか、ボツになった。で、よせばいいのにまた同じテーマで別の角度から挑もうとしていて・・・あの頃よりそれに対する想いが深くなりすぎて、今度は想いが溢れて溢れて何度書いても収まりが悪い。まさにこのブログと同じで、ダラダラと長くて“結論”に至るまでが余談でいっぱい。今度こそボツになりたくない。これでもその道のキャリアだけは長いので、次こそ採用されたい!(鼻息)今とても暇なのをいいことに、毎日夕飯準備までの時間帯を利用し、延々と今回のテーマの音楽を流し、あーでもないこーでもないと、キーボードを叩き続けている。そんで、毎回毎日どこかしら削除しては新たな言葉を肉付けして、昨日とは違う文章に書き換える。例えて言うなら、陶芸みたいなもんかな。自分の納得いく形になるまで土を捏ねては壊し、また練り直し成形するところなんか似てるような気がする。もう何度書いた文章に手を入れただろうか。私が原稿をこんなに手直しするのも、珍しい。仕事で長いこと色々なジャンルの原稿を書いてきた。しかし、ギャラが発生する本気勝負の原稿でもここまで毎日削って貼って・・・を繰り返して何度も書き直したことはない。あの頃は忙しすぎて余裕もなかったから、情報をインプットしたら即アウトプットするみたいにそれ程時間をかけずにじゃんじゃん書けていたから。今私が向き合っているのは仕事の依頼で書いてるわけではない。だから締め切りもなくて、投稿もしなきゃしないで私を含む誰も困らない。そういう意味では切羽詰まることはなく、気楽。まさに趣味!とは言え、やっぱ物書きのハシクレとして小さなプライドはあるので。今回はどんなに時間かかっても、編集部の担当者の心に引っかかりたい。そんなわけで今日もまた手直しをして、昨日まであった段落をごそっと削った。テーマの音楽を散々聴き続けたせいで、朝起きたとたん脳内で自動再生されて一日中ヘビロテしてる。家事をする鼻歌も全部、その音楽になった。それもまたよし。今回は聴けば聴くほど想いが溢れて止まらない。前日の文章を翌日の明るいうちに読み返しては、苦労して書いた部分をバサッと削るのも快感になってきた。好いストレス解消になってる。急な依頼で明日からまた副業に専念しなければならなくなった。久しぶりだから、これはこれでミスなくしっかり仕上げねば。さあて、趣味の方はいつになったら完成するのやら。一体どんな形で“手のかかる我が子”が、この世に送り出されるのやら?(採用されるつもりになってるし(苦笑)★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「ユ○クロ夏用マスクに大行列。思いっきり3密作ってるやん(怖)。」
2020.06.19
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九州の母と電話で話してると時々、『私の同級生』という人の話が出てくる。社交的な母が日々の出会いの中で親しくなった相手が、『私の同級生』の親だと名乗るのだが。『同級生』の名前や住んでた町等、何をどう詳しく聞いても思い出せないことが度々。私の記憶力が足りないのかもしれないが、最近でも早5年も帰省してないし、帰っても誰かにわざわざ連絡取ることもしなくなったし、そもそも故郷の記憶自体が古いのだ。だからそんな友達でもなかった人のことなど、思い出せるわけがない。なのに相手は、私を知っているらしい。昨日も母がお世話になってるデイケアの話になり。最近仲良くなった新しい利用者さんが、『私の高校時代の同級生』の母親であることを知った。フルネームを聞いて、そういう人がいたような気もするが、三年間を通じて同じクラスになったこともなければ、イベント等共に何かをしたこともない。卒業アルバムを見れば、どこかのクラスに彼女が写っているのだろう。けれど、タイムカプセルを今さら開けるのも、いけない気がして・・・情けないが、進学校だったその高校で、私が胸を張れるのは書道を含む国語と英語と体育の一部くらいで、成績にはかなりムラがあった。周りはとにかく凄い人ばかりの集まりで、『その他大勢』な私の存在など今も記憶に残ってる同級生は少ないと思う。担任にだって、覚えられているかもアヤシい。真面目だけが取り柄の地味な学生だったから、同じクラスでもない人が何十年も私の事を覚えてるのが、全く信じられない。その母娘が、誰か別の人と間違えてる?? でも旧姓の苗字の女子は、私以外、同学年の生徒にはいなかったハズ。ITさんの記憶にあるその同級生は、本当に私、なんだろうか?大学3年の時だったか、母校の中学に教育実習で二週間お世話になった。ある日、廊下を歩いていると、知らない女子学生が、人懐っこい笑顔でやって来て私に次々と質問と言うより『自分の仕入れた情報との照合』をし始めた。見知らぬ少女は、私がこの中学を卒業した後、何高校に進み、上京後に何大学に入り、今は東京の○○区に住んでいる・・・というコトまでを、まるで長年そばで見てきたかのように詳しく話したのだ。今のようにネットもない時代。どこの誰かも分からない無邪気な少女に、私の個人情報を握られてるなんて、恐怖でしかない。おののきながら彼女に「あなたは何組の何さん? どこで知ったの?」と聞いてみた。すると隣のクラスの生徒で、名前を聞いても知り合いの子供でもない。彼女はニコニコとこう言った。「○○のおばちゃんから聞いた」と。その○○さん・・・って誰よ!?(震)家に帰り母にこの話をして、少女と○○さんの名前を知ってるか聞いたが、顔の広い母も知らない人だった。こんなことがあまりにも続くので、私はだんだん実家に帰るのが億劫になった。これが私がSNSをしない理由でもある。このブログを匿名で書くのもそれが理由。いつの世も人の口に戸は立てられぬ。そこのあなたも誰かに、しっかり握られてるかも? (Twitterに耳ありinstagramに目あり=くれぐれもお気をつけて。)★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「やっぱSPECは初めの頃が一番好きだわ。餃子食べたい!」【最近のヘビロテMV♪】22歳で色気ダダ漏れ。そんな顔して、こっちを見るな♥
2020.06.16
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今にして思えば、数日前から調子は徐々に悪くなっていた。で、一番おかしいなぁと感じたのは、別に見た目悪くなっていないのに歯の周りが痛がゆいというか疼いてるような時間が続いたこと。私が歯の違和感に気づく時は、歯がどうかなってるからじゃなく『別の所』に問題がある場合がほとんど。特に疲れが溜まったり、風邪引いたり、女性ホルモン周期の影響だったり・・・そういうのが原因になる。そして体調が回復した頃には歯のことなど忘れてる。そのくらいの軽さで。だけど今回あまりにも違和感が長く続くので、さすがにおかしいと思ってた。コロナ禍で歯科も避けていたので、定期検診と歯石取りにも行けず。やはり歯が問題なのだろうか・・・と思った矢先、今度は胃腸にほんのわずか変化があり、そして数日後遂に私はダウンした。蒸し暑い昼間いつも通り買い物に出かけ、午後はずっと家でのんびりしてた。それなのに急に頭が疼き脈打ち、吐き気が止まらなくなった。やばい。熱中症かも・・・。去年から暑気にやられるようになり、あの時は二度熱中症の症状で酷く苦しんだ。でも何とか静養して良くなったから、今回も去年と同じように処置してみようと色々やってみた。一向に良くならない。むしろ悪化している。ダンナには熱中症で寝てるから夕飯が手抜きになることをメール。と思ったが、ダンナが帰る時間までこの状態で居られない気がしてきた。帰りを待たずに何度、病院に行くことを考えたか・・・保冷剤をお守りに、ごろごろと床に転がりながら少しでもラクになる体勢を探してみたが、何をやっても気持ちが悪い。吐きそう。で、吐けない。ダンナが慌てて帰って来て、もう少し安静にして様子を見るかと言われたが、今まで体を冷やして安静にしても悪化する一方で、こんな調子じゃ病院も休みになってしまう週末を耐えられそうもない。我慢強い、タフだと婦人科の主治医に長年言われ続けたくらい私は、他の患者が悲鳴を上げる痛みにも『ビクともしない』ハズなのに、その私が耐えられんと思うのだから相当だ。「病院に行こうかな」やっと声になり、立ち上がるがもう家の中を歩くのも辛い。結局ダンナに救急窓口に連絡して貰い、そのままタクシーで病院に向かった。運良く私以外、患者はおらず、研修医の先生と二人の看護師さんにとても親切丁寧に接して貰え、みんなが神様や天使に見えた。先生の見立てでは『偏頭痛』。私は完全に熱中症だと思っていたので、先生の言葉に懐疑的な部分もあった。しかしそんなことより、早く痛みと吐き気を和らげたくて、先生の提案を受け容れ点滴に繋がれた。その間に精密検査受けたり、薬の睡魔に身を委ねながらも、先生と患者さんの面白トークにニヤニヤしたり・・・何だかんだであっという間の二時間半。行きは痛みでふらふらで、帰りは投薬の副作用の眠気でふらふらという情けなさ。でも。朦朧とした意識の中、先生が「再び痛みや気になることがあれば、24時間やってますから、いつでも来てください。」と安心させてくれたことや、帰り支度を手伝ってくれたベテラン看護師さんが、「仕事も根詰めないでほどほどに手抜きしてね」「今日は帰ったらもう(薬で)眠くなるから、寝た方がいいわよ」と母親のような温かさで包んでくれたこと、それはしっかり覚えてる。朝になり、昨日の不快感は有り難いことに消えていた。食欲も戻り、いつも通りに好きなモンを好きなだけ食べた。調子戻りついでに、ネットで昨日の症状を入れ、あれこれ検索してみたら。今回の私の症状は、熱中症にも当てはまるけど、先生の診断通り『偏頭痛』かもと思わせる興味深い記事を見つけた。初めに先生の前に座って、「研修医の〇〇です」と自己紹介された時、あまりにも声が裏返り気味で見た目もおとなしそうで「大丈夫か?」と思っちゃったことを恥じた。コロナ終息もしないうちに、病院に行くのもどうかと思ったが・・・今回は行って良かった。お蔭であの苦しみから解放されたし、次にもし同じ痛みを味わうことになっても、どう行動すべきかの指針を与えて貰った。あの先生に診て貰えて、あの看護師さん達にお世話になれて、本当に感謝。先生、貴方は患者の話に耳をちゃんと傾けられる、患者の不安に寄り添える、そして看護師さんや先輩先生とも立派に連係できる素晴らしい人だったわ。どうかそのまま初心忘れずで、いつか素晴らしいドクターになってください。それにしても、私の後に来た患者さんの話・・・面白すぎた。先生も看護師さんも巻き込んで和気藹々。どうかこの平穏な時間が、あの場に居た人達すべてに長く続きますように。ポテト探検隊 「エクレア(Live Version)」Music Video by 岡崎体育※生演奏しかもバンドでこの歌聴ける日が来るなんて(感涙)※★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「目の奥が笑ってない人は信用できない。しかもイケメンでも芸人でもない。奥さん(モデル時代駅で見かけた)はどこに惚れたんだろう?」
2020.06.13
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いつも通りの朝が訪れ、いつも通りにダンナを玄関で見送る。「今日最もついてない運勢」の双子座な私は、朝っぱらから「過去に縛られず、前を向け」と説教臭いことを言われ、ちょっと凹む。運気を上げるには、『カツカレー』がラッキーアイテムだと。いや。今夜は取り寄せた鰻の蒲焼き(残り分)が待っている。カツカレーは藤井さんのやつを画像で観て、おなかいっぱいだから却下。今日は外に出ないと決めたけど、何をして過ごそう?去年の今日は岡崎体育の『SSA初ワンマン成功』を見届けるため、朝から興奮気味だった。あれからもう一年か。今年じゃコロナや姑の件でそれどころじゃない。去年、夢叶ってホント良かった。そんなどーでもイイコトに思い巡らせ、何もない一日が始まる。『ロックの日』の今日、私はまたひとつ歳を重ねた。年を追う毎に心身の老いをイタいほど感じる。去年16年ぶりくらいにライブに参加して、約二時間は楽しい時間だったけど、公私ともにライブに明け暮れた“若い頃の自分“との違いを、身体中で感じた。この世に生まれてから積み上げた数字だけを見ると、気が滅入ってしまいそう。そこである時期から、できるだけ年齢を意識しないようにした。大人としての自覚は持ちながらも、数字の意味を考えすぎないよう、私の年齢は“背番号”みたいなものと、自分に言い聞かせるようにして。更新された背番号を身につけ、これからの一年どう過ごそう?一番の願い、それは一日も早く“普通”の暮らしに戻りたい。今もなお何をするにも“新型コロナ“や姑の風向き次第なのが、どうにも歯がゆい。身動き取れない日が続き、悶々としている。そのせいか偶然か、最近熟睡できていたのに朝方久しぶりに生々しい夢を見た。苦手な小泉今日子に午後三時半に来いと呼び出されていたにも関わらず、時計見たら四時で。うわーやば~!!・・・と思ったとこで目が覚めた💧ある夢診断の、「仕事に消極的になっているのでは?目の前のチャンスをみすみす逃すことを警告」という部分が興味深い。だから、こんな私に対し「過去に縛られず、前を向け」という朝の占いは、意外と図星なのかもしれない。囚われすぎているのは私の方で、柔軟さが足りなくなってしまっている。これまでずっと“直感”のまま進んできたのに、最近はすっかり及び腰になっていた気がする。自分がイイと感じたら、迷わず進めばいいのだ。ナンダカンダで最近の私は、臆病になっていたのかも。眉間に皺寄せて煙草の煙スッパスパの小泉姐さんの登場は、気合いの入っていない私への“警告“だったのかもしれない(夢でもあの人、怖いわ)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「佐伯チズさん、わさお・・・笑顔をありがとう。寂しくなります。安らかに(合掌)。」 いつかの近所の紫陽花。
2020.06.09
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この7月で発売45周年を迎える『黒ひげ危機一発』(タカラトミー)。黒髭の海賊が捉えられた樽に、一本ずつ順番に短剣を刺していくうちに 海賊が飛び出す・・・誰もが一度は遊んだ経験あるだろう。 お茶の間で知られたルールとしては、「海賊が飛び出したら、負け」が浸透していると思う。私もそうだと思ってた。しかし、さっきたまたま記事を読んで知ってしまった。開発当初は、『全く逆のルール』だったと・・・。今のルールが広まったのは、人気番組のクイズ番組が影響したとか。「楽しんでいただけるならどっちでもいい」と、さっすが玩具メーカーの担当者、頭が柔らかい!! 実際、この番組の後、「遊ぶ前にどちらのルールにするか決めてください」と一文付け加え、時を経て民意に従い今のルールに変更されたというから、色んな意味で面白い。伝統ある会社なら、作り手としてのプライドもあるだろうに。時代の流れを迅速に読み、周りの声を柔軟に受け容れる姿勢には敬服する。今の日本のTOPやその周辺のお仲間にこれくらいのエスプリがあれば、もっとマシな世の中になっているかもしれない。長く続いている企業や商品には、学ぶべきヒントが多くある。“発想の転換”と言えば、最近なあなあになってたお笑いの世界。少し前にたまたま観た漫才対決番組で、大人気の実力派若手コンビが審査員のひとり、上沼さんに「守りに入ってて、おもろない」みたいにバッサリ斬り捨てられた。私も彼等をそんなに知ってるわけでもないが、周りが持ち上げるほど、そこで優勝候補の一組になるほど「スゴイ」とは感じられず。上沼さんの言いたいことが解る気がした。とにかく全然笑える魅力がなかった。その時に一番印象に残ったのが、“ぺこぱ”だった。技術的にどうとかコントのテンポがどうとか、そういう評価は正直言って難しい。 ただ、画期的だと感じた。彼等は今のように売れる前に、色々なカタチを試し、悩んだ末に『突っ込まない漫才』を確立したという。『ツッコミ方革命』というキャッチフレーズもあるらしい。誰も傷つけず、ドツキもせず、相方の言葉を全て前向きに捉え「それでもいい」「俺が変わればいい」と受け容れる。観てる私まで「それも悪くないだろう」と許してしまう優しくてホッコリする芸風。主に向かって右側が頑張ってて、薄い石黒賢みたいな方は大した働きをしていないが(苦笑)、あれはあれで害もなく、両者のバランスが取れている。似たような空気感をまとうコンビで思いつくのは、阿佐ヶ谷姉妹。彼女達の場合、お笑いそのもののネタより、バラエティ番組での品のある掛け合いがいい。『笑い』は賑やかでスピード感あってドカンどかんウケるものが好い時もあるけど、こんな風に時代や自分の歳と共に好みが変わっていくのもいいもんだ。最近はじわじわくる笑い、クスッとする笑いが心地いい。★ ★ ★ ★ ★ 今日のひとこと。「23まで育ててくれて大学まで行かせてくれたのに・・・何やってんだか。」
2020.06.04
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一度目の緊急呼び出し電話から二週間以上経った。「数値が下がった。危ない」と、ダンナが呼び出されたあの日を境に、我が家の“緊張感”は一気に跳ね上がり、新型コロナ以上の恐怖に怯える毎日。ひと波去って少しだけホッとしても、また「危ない」と呼び出され一進一退。電話の音が鳴らないようにと、朝から晩まで祈りながら暮らしてる。本人が一番辛いだろうが、こっちも夫婦で生きた心地がしない。自宅仕事の副業さえできず何の予定も入れられず、我が家の『スティホーム』が延長戦に突入。二度目に危篤に陥った日、「保って数日」との医師の言葉に襟を正し、“その日”やその後のことまでお寺にも連絡し話し合った。だから万一何かあっても、きっとダンナは長男としての役目を果たしてくれるだろう。色んなコトを考え、相談し、心の方も含め準備してきた。あとは“当日“に備え、心身の健康を保つだけだ。と、気合いを入れて構えたものの。頑張ってるわ、お義母さん。“宣告”した先生が一番驚いてるんじゃないかな?体のあちこちに問題ありまくりで、いつどうなってもおかしくない状態の患者。その人が、少し目を開けられる&看護師さんに「はい」と返せる程に今は落ち着いてるらしいのだから。そりゃ看護師さんも昂ぶるの解るわ。「これで持ち直したかもしれないな」と、目をまん丸に嬉しそうにダンナ。危篤が告げられたあの日から、僅か五分程度の面会に許可を貰いマメに行ってる。「あと何回会えるか分からないから」と、時には弟と連れ立ってせっせと母親詣でする。おばあちゃん子なダンナより、職場に背負ってまで行き、彼の前でだけ恋する乙女のようになる次男の方に、ほとんどの愛情を注いだ姑。そんな親でもやはり、ダンナにとって母親は“特別な存在“なんだな。病院の迷惑になるから、できるだけ行くのを控えて欲しいけど・・・ダンナが必死過ぎて、内心やや引き気味な自分がいる。私にも人への愛情はある。それは実親実弟に限らず、好きになった人達への誰にでも同じくらいの情はある。“ドライ”に見えても、ホントは嫉妬深い一面も。と言うか、むしろ親しい人への愛情は深い方だと思う。長女として両親に厳しく育てられたので、親にも人にも甘えることができず、甘え方を知らずに大人に成ってしまった。それでも、人を愛する・想う気持ちは重すぎる場合もあるくらい、深く温かいつもりだが。悟りなのか加齢のせいか、最近は感情を露わにすることがあまりない気もする。私は大学進学で単身上京する時、「これから先、親の死に目に会えないだろう」と覚悟を決めて過ごしてきた。実際、父が亡くなった時も間に合わなかった。だから、5年くらい前の帰省で帰京する私に母は「次に帰って来るのは、うちが死んだ時でいいで」と言ったくらいだ。つまり私には血の繋がった人に何か起きても、病院に見舞うのも臨終に立ち会うのも、無理なことだ(それがこのコロナ禍で、ますます難しくなった)。だから自然の流れで、誰に対しても“愛情をかけすぎない”ように、心が変わっていったんだと思う。肉親でも夫婦でも友達でも・・・あまりに想いが強すぎてしまうと、失った時にダメージが大きい。大恋愛の末、結婚して恋人夫婦みたいだったのに、最愛の夫を失った後の実母の心の折れっぷりは酷いもんだった。そんな母を支える側の私や弟にとっては、地獄の日々でしかなかった。でも相方が数年間も立ち直れず苦しむ程、本気で愛された父は幸せ者だなぁ。母も愛されてたんだなぁと、ふたりがちょっと羨ましかった。今回の姑の件で感じたことがある。ヤな性格で不謹慎かもしれないが・・・もし姑と私が同時に体調に異変が起きたら? ダンナは迷わず実の母親を選ぶだろう。たとえ私が命に関わる重篤な状態であっても。この前の夜、急に具合が悪くなり数日謎の痛みがあった。その時に思った。今、同時に何か起きてもダンナが真っ先に駆けつけるのは母親の方に、だろうと。もしそうなったら、私も向こうに行くように勧める。私は自分で何とかその場を乗り切ることはできるだろう。これまでも自分のことは自分で解決してきたから。そうは言っても、こういう“現実“と向き合う時、ふと気づいてしまう。「私って、誰の一番でもないんだなぁ」って。例えば、何でも話せる友達は居るには居る。しかし冷静に考えると、私は相手にとって“友達のひとり“に過ぎない。私が「この人は一番の親友」と思っても、私の勝手な思い込みに過ぎず同じ熱量で相手が想ってくれてるかどうか、知りようもない。友達と話してても、相手の話には当たり前に“もっと大事な友達“が登場する。つまり私が、どの人にとっても『無二の友』でないことは明白。それでも長年付き合ってくれるのは有り難い。ただ、私の一番と向こうの一番がピッタリ合うことはないんだなぁと、しみじみ。自分が産んだ子がひとりでも居れば、違ったのだろうか?無条件に味方してくれる“我が子の一番“になれた可能性・・・あったのかな。あれこれとツマンナイこと考えてると、気にならなかった一抹の寂しさってやつが、突然の雨みたいに身に凍みる。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「真後ろに接近して立たれると怖いんですけど💧 」
2020.06.03
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午後8時に新型コロナ終息を願い、全国一斉花火打ち上げ。夏は音だけでも聞こえる時は聞こえるのに、今夜は聞こえる距離じゃなかった~。残念! よって動画で後追い鑑賞。ポンポンパラパラの合間合間に、カエルの声が時々混じって、子供の頃の故郷が蘇ってきたよ。6月になった今日を境に、世の中が『通常』に戻ったようだな。早いもんで、今年も折り返し地点まで来てしまった。新年明けた頃には、『こんな時代』が始まるとは考えもしなかった。あの頃の私は、確かにニュースで『武漢の研究所で動物実験に使われたモノが、市場で食用として誤って?売られた』ってのを耳にした。でも「相変わらずだなぁ」と、まるきり他人事で。だからクラシックのコンサートにも岡崎体育と奥田民生の競演した学祭にも行った。新型コロナの話題をチラホラ聞くようになっても、遂に日本にも感染症の恐怖が迫った来た2月までギリギリ働いていた。街には幾らかの緊張感が漂い始めてはいた。だが“普通“は奪われていなかった。私は未知のウイルスに耐えられる体ではないので、これ以上の中距離移動と都内勤務はリスクがあると判断し、一足早く本業を休ませて貰った。しかし、まさかこんなに長い休みになるなんて思ってもなかった。あれから約3ヶ月が経ち、みんながそれぞれの仕事や学校に戻ったと聞いても、正直なところ戸惑っている。初日から通勤電車はどこも“満員”らしい。本業の職場のある都内のオフィス街までは、長距離通勤しなければならない。それも往復の満員電車は避けられない。感染者も死者も0になる気配もない今、敢えて燻る火の中に入って行く勇気が、私には持てない。この前再開できた副業は、近いエリアで移動距離も短い。在宅勤務のスタイルは、私向きで快適だ。原稿料が労力に見合わないのはネックだが、遣り甲斐も刺激も充分に感じる。こっちは、風潮にそれ程ダメージを受けない仕事だから、この先も自分のペースできっと続けていける。モチロン本業は本業で毎回勉強になるし、私の得意を生かせるしで充実はしてる。ただ、このまま都知事の言う『withコロナ』にフェーズが変わり、その『新しい生活様式』が半永久的に続くのだとしたら、私自身の働き方を本気で見直さなくてはダメなのかもなぁ。信頼できる上司に出逢い、穏やかな職場で、好きな仕事をコツコツ続けて、それが当たり前と思って過ごしてきたけど。そろそろ“引き際“について考え始めるべきなのか。 契約時には担当者から「20~55歳まで活躍中」と聞いて、「55歳までは私も続ける!」と目標を掲げ踏ん張ってきた。だからまだまだやれると、満員電車にも耐えここまでやってきたのに。気力や体力だけじゃどうにもならないウイルスに、行く手を阻まれるんだもん。お手上げだわ。第二波、第三波の恐怖と隣り合わせで長時間満員電車に揺られ、換気の悪い狭いオフィスで、好いとは言えない給料のために長時間働く。これが自分にとって本当に今、必要なことかどうか、だんだん分からなくなってきた。「本業を続けたい」気持ちは強い。けれど『withコロナ』を背負いながら都内のあの場所まで行くのが嫌というか怖い。ワガママや甘えと言われても気味が悪い。一度でも罹ったら生還できる可能性が低い病弱な身として、また日々一進一退で危篤状態にある高齢者を抱える者として、これがなかなか深刻だ。ここまでなんとか自粛を貫き回避できた。今さらコロナに罹るわけにはいかない。そういうわけで、本業に戻るタイミングがいつならいいのか? 全く見えない。世の中が変わらないのなら、私が変わるしかないのだろう。病弱な体を取り替えることは無理なので、『withコロナ』ではなく私は、『avoidコロナ』でこれから生きていく術を、身につけるしかない。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「潔いよ。お疲れ様でした。普通の生き方、応援します。」
2020.06.02
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