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前々から「うーん」と首を傾げていたこと。スーパーなどで買い物をしている時、お店の従業員の方が商品を出していると、「ジャマや。どけ!」なんて怒鳴るお客さん、いるよね? あれ、どうかと感じるね。と言うのは、その店の建築的構造上、どんなに配慮してもお客さんの進行を妨げてしまうケースはあるのだ。ここいら、品出しなるものを体験した方、また目の当たりにした方なら、わかっていただけると思う。それを、何やねん。従業員が商品を出していると(品出しと言う)、「ジャマや。どけ!」なんて!従業員が顧客が求める商品を売場に持って来て出すから、消費者は欲しいものが買えるのだ。このことを考えたら、「ジャマや、どけ!」のセリフは出てこないのでは?少なくとも、もう少し違う言い方をするんじゃないかな。やっと、カスハラ規定が出来たこの国。でも、根本は変わらないね。「お客様は神様です」。売る側も買う側も、この意識があるからこそ、こんな現象がまだ起きるのだ。
2026.01.31
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カレーの宣伝販売ネタを続けよう。22年間のデモンストレーター歴において、レトルトやドライカレーのタイプも含めたら、カレーの宣伝販売は数限りなくこなしてきた私。その私が、ここ数年、つとに感じるのは、レトルトカレーの全体的な向上である。まず、品質は本当によくなった。レトルトカレーとくれば、ある時期までは男性の単身者や1人暮らしの老人専用のように扱われ、味もイマイチ(少なくとも世間一般にカレーと呼ばれるルゥ型よりは明らかに落ちた)だったものだが、現在ではどうして。カレー専門店にもひけをとらないほどの香りと美味をほこるレトルトカレーは、決して珍しくない。次にレトルトカレーに対する社会的な見方の変化。お湯で温めるだけで具材もろともすぐにご飯にかけて食べられるという便利さゆえ、どこか「手抜き」的な安易感が否めなかったレトルトカレーは、しかし、メーカー側が打ち出した「ご当地もの」とか「銘店もの」とか「キャラクターもの」などの企画がつぎつぎ当たったことにより、そのイメージは完全に逸することが出来た。何せ、天下の郵便局までが、「全国カレー祭り」と称してご当地のレトルトカレーを販売しているご時世なのだ。こうした情勢を背景に、店によっては、従来のルゥ型カレーよりレトルト型カレーの売場の方が広いところも出てきた。消費者の方々にも「うちはじいさん(ご主人のこと)と2人きりだから、レトルトの方が(カレーを)食べ切れてええねん」「夜食や1人の昼食にホンマ助かる」「忙しいと、料理をするのが億劫で。レトルトなら、ご飯さえあればメインが出来るからねえ」などなど、熱くレトルト愛を語る人が増えてきた。この数は、レトルトカレーが電子レンジに対応するようになってからというもの、より多くなっている。レトルトカレーは、今後、どのような変化を見せるのか?写真は、レトルトカレーの元祖、大塚のボンカレー。小学校6年生の1番上の孫も、昼食や軽食に、1人でレトルトカレーを作って食べている。
2026.01.30
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22年間のデモンストレーター生活を振り返れば、あらためて、今や国民食の1つであるカレー(レトルトやドライカレー用も含む)の宣伝販売をたくさんたくさん請け負ったことに気づく。いわゆる「普通」のカレーライスを作るカレー・ルゥを扱った場合、カレーライスの中身にどんな具材を使うかによって売上が違うことを知ったのは、いつだったかな?ぶっちゃけ。オーソドックスな「肉・ジャガイモ・にんじん・玉ねぎ」のカレーと、いわゆる変わりカレー(きのこカレー、トマトカレー、サバカレー、カボチャカレー、さつまいもカレーなど)とでは、試食されるお客様の反応からして、違う。素材の好みが明確にあらわれるのだ。例えばきのこカレー。きのこがお好きな方は「きのこのシコシコ感が美味しいね」と言ってくださる。反面、きのこが苦手な方は、そこにこそ違和感を持ち、食べる気が失せるとおっしゃる。他の変わりカレーも然り(しかり)。とは言え、変わりカレーを好む方もいらして、、、。皆さんがお好きなカレーの具材は何ですか?写真は我が家で作ったオーソドックスカレー。ただし、ライス部分は、小豆入り玄米である。
2026.01.28
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大寒波が日本列島を叩いている。一昨日の25日は、こちら近畿方面でも記録的な冷気に襲われ、雪景色となったところもあった。ヨーグルトの宣伝販売で出向いた滋賀県彦根市もそうだった。それでも、現場であったスーパーの裏庭に除雪車がとまっていなかったぶん、ご当地的にはまだマシだったのだろうか。そう思わせる根拠に、速度の速い特急や新快速は取り止めになっていたけれど、他は普通に動いていたことがある。もっとも、雪や寒さと同じくらいに、その日の最大の辛さは腹痛だった。そっ、冷えからくる、あの独特の痛み。激痛や疝痛では決してないものの、痛みの波の程度によっては顔面が攣ってしまうほどの、けっこうこたえる痛み。「これから7時間、ひんやりした冷蔵食品売場でヨーグルトの宣伝販売せにゃならんのに、困ったことだ。仕事に差し支えるわい。お腹にカイロでも貼って応急対策しようか」と考えつつ入店手続きを済ませ、いつもそうしているように、店の担当者への挨拶、デモ場所の確認、試食台のセッティングと一通りの準備作業をこなした。ふと時計を見上げれば、開店=デモ開始スタートまでまだ15分ある。「従業員食堂にある自動販売機で何か温かい飲み物でも買ってリラックスしよう」。結果的にこれがよかったのだ。適度に甘味が効いたホット・ミルクコーヒー(カフェオレではない。コーヒーよりミルク風味がまさった、かつてはミルクコーヒーと呼ばれていた飲み物)は、痛みを持つ下腹部のみならず全身にやさしく作用し、不快感を大いに軽減した。ほどなく痛みも治った。腹痛ばかりではない。冷えからくる様々な症状には、身体をうちから温ためる対策を!写真は、当日の琵琶湖線沿線(JR)。この路線は、滋賀県中部にある近江八幡を過ぎると一度に雪国となってしまう。
2026.01.27
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YouTubeを見ていると、主に東欧系の山脈の村で一人暮らしをしている80代90代の女性が、よく紹介されている。動画を見ていると、ああいう方は、生活自体が「仕事」ということがうかがえ、ゆえに老け込む暇がないのだと思う。それにしても、8090になって腰も曲がらず、畑を耕し、家畜の世話もし、自分一人だけのぶんではあっても家事をこなしているのは、単純にすごい。まあ、われわれ都会生活に慣れている身のように「ちょっと〇〇を切らしたからコンビニへ」などというわけにはいかないから、野菜も自分で作り、ミルクも飼っている牛の乳を絞るんだろうし、火を炊くための焚き木も集めるんだろうけれど。11月に訪れた京都市山科区に仕事で来ていた85歳の現役デモンストレーターも、足腰はシャン。仕事がない日は家庭菜園をしている(メロンも作るそうだ)ことからも、その健脚ぶりがわかろうというもの。足腰。自分で歩けることを感謝したい。
2026.01.18
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昨年の11月だったか。京都市山科区(京都市を構成する区の1つ。京都府の北東部に位置する滋賀県とは1番近い)にあるローカル・スーパーに、米を使った郷土料理の宣伝販売で訪れた時、鍋ものの宣伝販売のため大阪中南部のまちから来ていた85歳の同業者に会って昼食を共にし、雑談ついでに「あんたも私みたいになり」と言われた。彼女の住むまちからそこのスーパーまでは、利用する交通機関にもよるが、片道ざっと2時間かかる。そんな距離を、グリル鍋をはじめとする調理器具を詰めたカートを引きつつ、電車とバスで移動するのだ。現在68歳の私ですら、脳裏にイメージするだけでゾッとする。まして、85歳の身で、、、。とてもとても自信がない。しかも、仕事が休みの日は家庭菜園をしているとかで、どこまで体力があるのかと、素直に驚嘆する。85歳で現役。この仕事を始めたばかりの2004年、それに近い同業者がいて(当時の彼女は84歳。居住する大阪北部のまちから滋賀県北部の大型スーパーに毎週一度、冷凍食品のデモンストレーションで来ていた)、そのパワーに圧倒され、憧れたものだけれど、、、デモンストレーターの仕事が肉体的に辛くなってきた2年前から、そのことがどんなにすごいことか、辛くなったのが肉体なぶん、身に染みた。「この仕事、70歳で一区切りしよう」と思い始めた主なる理由ともなった。その流れで、仕事をメインとする生活そのものを縮少する準備をすすめていたおり、この「85歳現役」さんに直に会い、また、他にも理由があって、さまざまな思惑が入り乱れる今日この頃なのだ。繰り返す。歩きながら、考えよう。写真は、廬山寺で咲いていた梅の花。
2026.01.14
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1月11日は、歩いた、歩いた、歩いた、現在の我が居住地、上京(かみぎよう。京都市の中心部に位置する区域の1つ)のまち。コースは、上京区内のゆうちょ銀行に置いてあった「京都 上京を歩く〜上京区散策マップ」の「京都御苑周辺を歩くプラン」が参考。京都考古資料館をスタートに、白峯神宮、室町幕府址碑、護王神社、菅原院天満宮へ。そこから、京都御苑を抜けて、清浄華院、廬山寺、梨木神社、おのおのを経たのち、ゴールの京都市歴史資料館まで、とにもかくにも歩いた。昼食は、京都御苑内のベンチにて、持参した紅くるり大根のおにぎりを2個。この時点で粉雪がちらついてきたが、あまり寒さを感じなかったのは、ウォーキングで身体が温まっていたから?プランを終了したあとは、丸太町通りまで出て右折。当日おこなわれた女子駅伝の影響で大会のボランティア・スタッフやら警官やらが大勢いる中、堀川通りに向かった。またまた歩いたわけだ。歩きながら、目と耳に入ってくる諸々を見、聞き、考えた。今までのこと。これからのこと。丸太町通りと堀川通りが交差する場所に建つスーパーで、ぜんざいを作るための小豆と砂糖を買って帰路に着く。堀川通りを登るのだ。4たび歩く。やはり、歩きながら、見て、聞いて、考えた。課題の答は出ない。ただ、これだけは確か。しばらくのあいだ、私は、歩きながら考えようと。少なくとも、座ってじっと考えるより、よほど建設的な展開が期待できそうな気が、直感としてある。写真は、白峯神宮にて。ここには、鞠の神様もいるだけに、こんな球技関連のスポーツをしている人がお詣りによく訪れる。
2026.01.13
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1月9日金曜日は初仕事。担当商品は、麺つゆとしても鍋つゆとしても、また煮物やら炊き込みご飯やらの味付けにも使える、いわゆる汎用性のある液体出汁で、それだけ聞くと「アラァ、応用が効くから、よく売れるでしょう? 販売、ラクでしょう?」と捉えられがちなのだが、どうして。現実はそう簡単なものではない。なぜなら、汎用性があるぶん取り扱いのある店舗数も多いうえ、その商品がセールの対象とされている時には「買い溜め」している人が多いからだ。これは、やはり万能調味料としても使える「焼肉のたれ」も同じ。折しもこの物価高。消費者の財布の紐はどこまでも固いのである。午年の今年。馬のように、颯爽と前を向いて走りたいところだが、なかなかそうはいかない。とりあえずは、このあと、まち散策といこう。目の前に横たわるさまざまな課題。歩きながら考えるのだ。写真は、真ん中の孫と1番下の孫。
2026.01.11
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生活上の事情から、年末年始に関係なく年中無休で働き続けた数年間があることは、既に述べた。その生活上の事情がひとまず落ち着きを見せてからは、世間一般通りに正月休みを取るようになったが、それでもしばらくの間は一足先に正月気分を抜け出したい気持ちもあって、3日には仕事を再開していたものだ。折よく、3日は「3日とろろ」の宣伝販売の仕事が必ずあった。3日とろろ。日本の一部の地域(主に北関東や中部地方)に残る風習の1つ。正月の3日(中部地方では2日)に、だしで伸ばしたとろろ(山芋のすりおろし)をかけた麦飯を食べるのだ。栄養豊富な山芋はよく伸び、また麦飯は食物繊維が豊富でビタミンも期待出来るところから、健康と縁起の良さを祈願する、とされている。残念ながら、私が住む関西では知る人が少ない3日とろろ。それでも、試食を提供すると、素朴に美味しい上、お節をはじめとする豪華な正月料理に疲弊した胃にやさしく働きかけるから、毎年、好評だった。もちろん、販売商品(とろろを伸ばすための白だしであったり、とろろの原材料である山芋だったり、麦を含んだ雑穀米であったり、その年によって変わる)の売れ行きも上々。我々デモンストレーにとっては、人気な部類に入る案件ではあった。2010年も半ばに入った頃から、徐々に宣伝販売しなくなったのは、何でだろうね?ぜひ、また復活して欲しいものだ。写真は3日とろろの日に食べられる、麦飯にとろろ汁をかけたもの(Wikipedia)。
2026.01.07
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1番上の孫の中学受験対策のため、昨年に続いて今年の正月も娘一家の我が家への帰省はなし。ただ、学問の神様を祀っている北野天満宮(京都市)への参拝ついでに、ほんの2時間だけ顔を見せてくれた。文の前に掲載した2つの写真を見比べて欲しい。どちらもも、いま話題になっている1番上の孫である。2013年の9月。生後3ヶ月の孫と、2024年6月。12歳の孫。あらためて、時間(とき)というものは前に進むもの、いや、前にしか進めないものだということが、よくわかる。これは、誰にも当てはまる、残酷な真実。美容研究家の故佐伯チズ氏が自伝エッセイに書いていた 「60歳を過ぎたら優等生もそうでない人も同じ。70歳を過ぎたら美人もそうでない人も同じ。80歳を過ぎたら金持ちもそうでない人も同じ」の比喩に通じるものがある。そのことを踏まえ、今年のデモンストレーションは「量より質」を心がけたい。現場に入る回数やそこでの売上高へのこだわりから、さらにワンステップ上がりたいのだ。
2026.01.05
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2026年の正月が終わった。昨年に続き、今年も1番上の孫の受験の関係で、恒例となっていた娘一家の帰宅はなし。老夫婦2人だけの、静かな年の始めとなった。元旦は京都御苑の散策と下鴨神社への初詣。2日目は二条城見学。そして3日目の今日は自宅でまったり。まあ、いい正月だったのではないか。写真は、暮れにパン作りを楽しむ3人の孫。
2026.01.03
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諸々の事情により、正月もこちらから進んで働いた時期があったことは、昨日のブログ記事で述べた。印象に残っている「正月勤務」のひとつが、2006年元旦のアルプラザ長浜でのヨーグルトの宣伝販売。それはそれは寒い日だった。湖北特有の、鉛を流し込んだような重苦しい曇天に粉雪が舞い、足元も膝近くまでの積雪。そんな日に、初詣帰りのお客さんの購買を狙って、ヨーグルトを試食提供するのだ。現在みたいにヒートテックの衣料などまだなかった頃だから、冷気は身体の芯はもちろん末端にまで染み渡り、手足は氷みたいにガチガチ。昼食で食べたラーメンが、真実、身も心も温め、癒してくれた。もっとも、20年後の今年。エアコンが効いた部屋でお節をつまみながら振り返ってみれば、「いくら生活があったとは言え、よくぞ元旦早々、自宅から高速度の新快速を使っても2時間近くかかる滋賀の北部のまちに出かけ、7時間もの立ち仕事が出来たものだ」と、素直に思う。まだまだ若く、体力があったんだね。68歳になった今では、仮に同じ条件(生活を背負っている)でも、絶対に無理だ。良かったことも悪かったことも、楽しかったことも辛かったことも、過ぎてしまえば何とやら。半分は、スクリーン上の出来事のようにぼやけ、少なくとも肉体的な感覚は忘却しつつある。人生、けっこううまく出来ているのかも知れないな。写真は、本日の散歩の途中で立ち寄った二条城前にての夫。
2026.01.02
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2026年が明けた。午前中は、夫と共に、自宅近くの京都御苑を散策したあと、初詣のため、そのまま下鴨神社に。大変な人出だった。振り返れば、負債を抱えていた20年前は年末年始に変わりなく、つまり、正月も仕事をしていた。1円でも収入を増やし、負債を返すために。時代か。当時は、スーパーもコンビニ同様に年中無休の形態をとっているところが多く、初詣帰りのお客さんをねらっての宣伝販売の仕事が多かったのだ。プラス、ほとんどの派遣会社では、12月28日頃から1月4日までは、現場に入ってくれる人に年末年始勤務特別手当を出す。これも魅力だった。時は流れ、世間一般化した働き方改革風潮もあって、年中無休の店舗は激減。それに伴い、宣伝販売の仕事も激減。こんなところにも、時代の推移を見る。写真は、2026年に初詣に訪れた下鴨神社と、そこで行われていた焚き火。
2026.01.01
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