全162件 (162件中 1-50件目)
友人と三人で「PERFECT DAYS」を札幌のシアターキノで鑑賞。これは前日に急遽行くことに決めたことだ。というのも、うつ病を長年患っているTさんは、自分から何かをしたいということがほとんどない。一緒にランチをしても、何を食べたいか自分で決めることはほとんどなく、いつも連れの誰かの選んだものを「私もそれで…」という人だ。だから、時折気分転換にと映画を誘った時には、「〇〇と◇◇という映画があるけど、どちらがいい?」と誘う。そうしても、自分で選ぶことにとてもためらいのある人だ。その彼女が、「PERFECT DAYS」を見た人が良い映画だったと言っていました。みらいさんは興味がありますか」なんてラインが来た。これは彼女が見たいということに違いないと思い、すぐに予定のないこの日に誘ったのだ。映画のことよりも、私が嬉しかったのは彼女の控えめではあるけれどの自己主張だ。ランチの時も、それぞれが別のものを注文した。彼女が私達と別のものを注文したのは、記憶にある限り初めてのような気がする。私はそのことを指摘はしなかったけれど、彼女の精神状態が少し上向きなのを感じて本当に嬉しかった。映画の感想についてはまた後日。
2024年03月27日
コメント(0)
二日続けて「人の死」に関するドキュメンタリー番組を見た。どちらも再放送だったのね。どちらもたまたま途中からだったのが残念。↓こちらは文句なく感動した。番組の中で内藤医師が語っていた「在宅医療は目的はないんですよね。私がやりたいことは、病院から引き戻すことではなくて、本人が、家族が、安心して命に寄り添えてその人の尊厳を守れるところで過ごしてほしい。それがダメなら人生の最期を看取ることは辛い作業にしかなりません」に、心から納得と共感が出来た。「いのち」に寄り添う医師が模索する、"究極の在宅医療"とは誰にもいつかは訪れる「死」。できれば医療に管理されるのではなく、我が家で最期を迎えたい。そう願う人のために病状や環境、家族や周囲の人間関係までも配慮した在宅ホスピスを実践するのは、山梨県・甲府に小さなクリニックを構える医師・内藤いづみ。10月6日放送のドキュメンタリー番組『情熱大陸』では、老衰で人生の幕を閉じようとしている94歳の女性とその家族を通じて、内藤が実践する「在宅ホスピス」の現場に密着。数多くの命に寄り添い、患者の望む“最期の瞬間”を見つめてきた内藤が目指す、究極の在宅医療とは――。本人と家族が安心して命に寄り添える環境を内藤が甲府にクリニックを開設して24年。午前中に診療を終えると、白衣を脱いで往診に出る日々を続けている。一日に訪ねる家は3、4軒。自宅で終末期治療を望む高齢者の体調を定期的にチェックし、必要なら薬で痛みなどをやわらげるのが主な仕事だ。これまで、様々な患者とその家族に出会ってきた。例えば、治療よりも畑仕事をしたいと願っていた大腸ガンの男性。吐血して緊急入院することもあったのに、「帰る。ここには俺の見たいものは何もない。風景も、食べたいものも。」と言ったそうだ。我が家の窓から八ヶ岳を眺め、家族とペットと過ごす日常を選んだ男性は、こう口にしたそうだ。「自分で大根を育てて、ふろふき大根を食べられるかな...」内藤の務めは、ただ寄り添い痛みを和らげること。男性はその後、自らの手で大根を収穫し、穏やかに旅立っていった。(内藤)「私がやりたいことは、病院から引き戻すことではなくて、本人が、家族が、安心して命に寄り添えてその人の尊厳を守れるところで過ごしてほしい。それがダメなら人生の最期を看取ることは辛い作業にしかなりません」死亡診断書は、人生の卒業証書研修医時代。回復の見込みのないガン患者が、患者の意志にかかわらず無機質な病院のベッドで人生の最期を迎える医療の在り方に、内藤は疑問を感じていた。イギリス人男性と結ばれ、夫の転勤によって移住したホスピス医療の本場・イギリスで、自分が目指していた終末期医療を見つける。そこはホスピス発祥の地。病を得ても最期まで自分らしい生き方を貫ける医療に触発され、クリニックを開業した。往診に出るとき、内藤はバッグにいつも死亡診断書を忍ばせている。無味乾燥に思えるたった1枚の紙だが、ある思いを込めていた。(内藤)「その人の最期のところに関わったときに、私たちが見たものって様々なものじゃないですか。この人の人生を終えたっていうのは、人生の卒業証書だと思うんです。」卒業証書を受け取るのは、患者に付き添った人。内藤は、残された者にこそ卒業証書の意味があると考えている。(内藤)「家族も自分の命削ったくらいの思いで付き添うので、本当によく付き添いましたね。だから、代理で受け取ってくださいって」患者だけでなく、その家族も支える医療5年ほど往診を続けている患者がいる。今村久子さん、94歳。重い病こそないが、体調の浮き沈みは激しかった。が、内藤の顔を見るなり「先生、うれしいです。ようこそ」と表情に花を咲かせた。娘3人に恵まれた久子さんは、以前から自分の老い先を見据えていた。10年前に娘に託した1枚の便箋には、久子さん自らしたためた「延命治療 お断り」の力強い文字。天命をあるがままに受け入れる覚悟で、内藤を頼りにしていた。穏やかな日は、長くは続かなかった。体調が悪くなると、次女の家に姉と妹が寝泊まりし、交代で母親の世話をする。家族が抱え込む負担は大きいが、それでも、家の中でしか分かち合えない濃密な家族の時間がある。内藤は、訪問するたび家族へ何度も声をかけた。「みんなよく頑張ってる」「倒れないようにね」久子さんが、寝たきりになり食事を口にしなくなって20日に経った日。内藤は家族に訪問入浴のサービスを勧めた。入浴は時として体への負担になりかねないが、今なら大丈夫。医師の直感だった。シャンプーをしてもらう久子さんは、気持ち良さそうな優しい表情を浮かべる。(娘)「垢が取れて、顔が白くなったみたい。本当にありがとうございます。」見守る娘さんたちの頬も緩む。(内藤)「お風呂は大成功でしたね。良かったって顔を(家族に)見てもらうのが大事。私たちも嬉しいですよね」そして、6日後の朝。久子さんがその生涯に幕を下ろした。(娘たち)「産んでくれてありがとうね」「幸せだったよ」そこにあるのは、悲しみだけではない。内藤が何より大切にしている最後の仕事。久子さんの死が決して喪失でないことを残された家族に伝えなければ。そんな思いを託して書く「卒業証書」を、娘さんに手渡す。(内藤)「本当に、女性陣がみんな頑張って、無事送り届けた。でも生きたように死ねない。苦しんだり。今村さんの場合、本当に性格のまま、生きたように旅立ったなってみんなが噛み締めてる。私としても、ちょっと役目を果たせたかな」内藤は語る。「私自身が、究極的には医師という隣人になりたいというか。身近な心許せる存在になりたい」医師という隣人を求める人々が、今日も内藤いづみを待っている。次の日は安楽死を取り上げた番組。難病に苦しみ続け、スイスでの安楽死を望む女性「早く痛みから解放されたい」「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】この番組では、スイスでの安楽死を決めて亡くなっていった女性や、決めて死の直前まで行ったけれど、付き添っていた父の言葉に決意が揺らいで生きることを決めた女性が取り上げられていた。その後、「日本で安楽死が認められたら、周囲に迷惑をかけることを恐れて安楽死を選ぶ人が続出する」と危機感を覚え、強く反対しているALS患者である男性の活動や生き方が紹介されていた。私はこの人の主張に強く共感している。自己決定を子どもの頃から鍛えられていない日本人は、周囲の反応や思惑で自分の行動を決める傾向が強い。ただでさえ、「人に迷惑をかけずに死にたい」という国民性ともいえる。生きていれば、苦しみや辛さもあるけれど、周囲の人たちの励ましや支えに喜んだり、自分の存在で周囲が学んだり感謝されたりすることも多いはずだ。それに何より、今は技術の進歩で自分の意志を表現したり、外出したりすることだって意欲次第ではかなりのことができる。生きていればこその希望や夢や喜びであり、辛さや苦労を乗り越える達成感があるのだ。安楽死で簡単に自分の命や役割を諦めることになってはいけないと思う。多くの人が「周囲に迷惑をかけたくないから」とか、「私にはできることや希望がないから」と決めてしまうのは、支援体制の充実とその人の存在そのものの役割を気付いてもらうことで踏みとどまってもらえると思う。死を選ぶ方法は安楽死だけではない。体が健康でも将来を悲観し絶望し、自ら自死する人は後を絶たない。せっかくこの世に生まれたのだから、病や障害があっても自分の人生を諦めないでほしいと強く願っている。この番組を見ながら思っていたことがある。重度の障碍があっても諦めず生きようとする人と、「身体的苦痛からの解放など」を求めて安楽死を決める人の違いはどこにあるのだろうかということだ。ふと思ったのは、どんな人にも役割はあると思えるかどうかではないかということだ。それは多分、「人とのつながり」と「人間への信頼感」の多寡ではないかと感じている。私の出会ってきた障害を持つ人達は、誰も死を願っていなかったし、いない。(多分、辛い時には死を願う時もあっただろうが、それが持続していた人はいなかったように思う)どの人も誰かの介助や支援がなくては生活が成り立たないけれど、それだけに周囲の人との出会いや支えに心から感謝していた。そしてその気持ちを自分のできる限りお返ししたいと思っているし、精一杯生きる姿は周囲の人に希望や喜びの意味を伝えてくれている。そして何より、自分が元気に前向きに生きることが同じような障がいや病を持つ人の希望になってほしいと思い、その活動が新しい支援システムにつながるはずだと信じて行動しているのだ。私は自ら死を願う人の気持ちを否定することはできない。そのような選択を全うした人に対しては、「本当にお疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠りください」と手を合わせたい。しかし、できるだけそのような人が少なくなるようにとも、強く願う。【追記】報道特集の記事を今朝見つけたので、リンクした。それをあらためて読んで、48歳の時にALSを発症した岡部さんの次の言葉に感銘した。「誰かに生きてほしいと思われていること、誰かに生きてほしいと思うことで、私たちは生きる力や希望を持てるのだと思います。この気持ちを失ったら、この社会はもっと悲惨な出来事が増えるでしょう」「私たちに限りませんが、人は死にたいなと思うこともあります。安楽死で死んでいけるような社会を目指すなら、希望をもてる社会ではありません。安楽死を選ぶのではなく、生きることを選んでほしい―」」
2024年03月17日
コメント(0)
先日、友人と観た映画「夜明けのすべて」について書いておこう。「夜明けのすべて」人は誰でも、それぞれに様々な状況や課題や困難を抱えながら、精一杯生きている。そのことは、多くの人と出会いながら生きている者の実感だ。この映画の主人公も、PMS(月経前症候群)やパニック障害、家族の自死による辛さの長期的持続など、それぞれに辛いものを抱えている。多くの人がそうだろうが、そのような自分の事情はなかなか他人には話せないものだ。というよりは、そのような自分の状態を知られないようにしている人が多いだろう。自分の力で何とかしようとすればするほど、状況は良くない方向に行ってしまう。その結果、仕事を続けられなくなったり、生活のために条件も悪く好きではないと思ってきた仕事をするしかなくなることもあるだろう。この映画の登場人物たちも、そんな鬱屈した気持ちを抱えながらの日々を過ごしている。そんな日常を丁寧に描いていくことで、人それぞれの凸凹はさりげなく埋め合い支え合うことで成り立っているのだということが実感できてゆく。ドラマティックなことがあるわけではないが、ささやかな思いやりや優しさで人は少しずつ変化したり良い関係になるものだということが伝わってくる。男女の主人公というと、すぐに愛や恋につながったり、変な勘ぐりが始まったりしがちだが、このドラマにはそれがないのも心地よかった。性が違っても、友達、仲間、先輩後輩、家族や親族など、性に囚われない普通の関係で成り立っていることがほとんどだ。それぞれの関係性の中で、理解し合ったり協力し合う部分は少しずつ違うだろうし、それぞれの関係で見せ合う部分も違ってくる。だから、一人の人間を全部理解しようとすることは土台無理なことだし、誰かを自分が助けたり支えたりすることも傲慢なことだろう。だからこそ、節度ある距離感の中で付き合うことがいいのだと思っている。そんな意味で、心から共感できて心が温まる映画だった。一緒に行った友人が「このような職場は中小企業だからかもね」と言った。そうかもしれない。色々な意味で、日本の中小企業は日本社会を支えているのだろう。大切にしてほしいと強く願う。こんな映画がもっと増えたらいいなと思う。本編上映前の予告映画は、何だか殺伐としたものが多くて、次に見たいと思うものは少なかった。「ドラえもん のび太の地球交響楽」くらいかな。ドラえもんはいい漫画だとは思っているが、私の世代で見たい映画となるかどうかはよくわからない。
2024年02月21日
コメント(0)
本当に久しぶりに(確認したら一年ぶりだった)映画館でこの映画を観た。同行したTさんが二回も見たというので、彼女がそんなに感動するならと一緒に見た次第。彼女は三回目なのに、何回でも観たいという。うつ病を長年患っている彼女が、それほど感動するということに私は嬉しかった。「こんにちは、母さん」(以下は松竹の映画情報から)作品情報 INTRODUCTION山田洋次×吉永小百合×大泉洋が贈る「母と息子」の新たな出発の物語。2020年、100周年を迎えた松竹映画。『男はつらいよ』シリーズをはじめ、その長きに渡る歴史の中で松竹が描き続けてきたのは、人の温かさを描いた人情の物語であり、【家族】の物語でした。そして、2023年。変わりゆくこの令和の時代に、いつまでも変わらない【親子】を描く映画『こんにちは、母さん』が完成しました。本作のメガホンを取るのは、時代とともに家族の姿を描き続けてきた山田洋次監督。91歳にして90本目の監督作となる本作では、いまこの令和を生きる等身大の親子を心情豊かに描きます。主演を務めるのは、1972年に公開された『男はつらいよ 柴又慕情』をはじめ、『母べえ』(08)『おとうと』(10)『母と暮せば』(15)など約50年間に渡って数々の山田洋次監督作品に出演し、日本映画界を共に牽引し続けてきた吉永小百合。映画出演123本目となる本作で、下町に暮らす母・福江を演じます。その息子・昭夫を演じるのは、数々の映画やNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」での好演が記憶に新しい、国民的人気俳優・大泉洋。山田洋次監督映画への出演、吉永小百合との共演はともに初めてとなります。『母べえ』『母と暮せば』に続く『母』3部作として、日本を代表する名女優・吉永小百合の集大成ともいえる本作。日本映画史に残る新たな名作が誕生致します。STORY大会社の人事部長として日々神経をすり減らし、家では妻との離婚問題、大学生になった娘・舞(永野芽郁)との関係に頭を悩ませる神崎昭夫(大泉洋)は、久しぶりに母・福江(吉永小百合)が暮らす東京下町の実家を訪れる。「こんにちは、母さん」しかし、迎えてくれた母の様子が、どうもおかしい...。割烹着を着ていたはずの母親が、艶やかなファッションに身を包み、イキイキと生活している。おまけに恋愛までしているようだ!久々の実家にも自分の居場所がなく、戸惑う昭夫だったが、お節介がすぎるほどに温かい下町の住民や、これまでとは違う“母”と新たに出会い、次第に見失っていたことに気付かされてゆく。山田監督は91歳になるんだなと、あらためてビックリ。主演は吉永小百合と大泉洋。- キャスト -吉永小百合 大泉洋永野芽郁 YOU 枝元萌 / 加藤ローサ 田口浩正北山雅康 松野太紀 広岡由里子 シルクロード(フィッシャーズ) 明生(立浪部屋) 名塚佳織 神戸浩宮藤官九郎 田中泯 寺尾聰山田洋二監督が91歳になるとは少しびっくり。吉永小百合さんも78歳! いやー、どれだけご自分を磨いていらっしゃることか。山田監督らしい温かくユーモアがあり、かつ現代社会や人間関係についてや、生きること老いることへの普遍的な人の悩みや救いも描かれていて、本当に良い映画だと思った。人によって感情移入することは違うとは思うが、他の登場人物についても共感しやすい。しかし、大泉洋君はすごいなあ。ずっと彼を見ているけれど、これほどの俳優になるとは想像もしていなかった。そして、山田監督の映画にピッタリではないか。山田監督がお元気なうちに、もっと彼の良さを引き出す映画を作ってほしい。
2023年11月03日
コメント(0)
市内のまちづくりを目的としたNPOが、この映画の上映会を開催してくれた。以前から観たいと思っていたので、期待して参加した。「夢みる小学校」監督・撮影・編集/オオタヴィン解説私立の学校法人「きのくに子どもの村学園」に密着したドキュメンタリー。「いただきます」シリーズで「食」と「農」について描いてきたオオタヴィン監督が、本作では「教育」をテーマに、ユニークな教育方針で知られる同学園を取材。全国に設置された5校のうちのひとつである山梨県の「南アルプス子どもの村小学校」をメインに取り上げ、自己決定・個性化・探求学習という3つの原則を掲げる同学園の取り組みを掘り下げていく。さらに、60年間にわたって総合学習を続けてきた長野県伊那市立伊那小学校や、校則や定期テストを廃止した東京都世田谷区立桜丘中学校も取材する。「きのくに子どもの村学園」創設者の堀真一郎学園長をはじめ、作家の高橋源一郎、脳科学者の茂木健一郎、教育評論家の尾木直樹らが出演し、俳優の吉岡秀隆がナレーションを担当。2021年製作/91分/G/日本長沼町に開校した「まおいまなびの里小学校」は、この映画でその教育や子ども達の様子を紹介されている「南アルプス子どもの村小中学校」の理念をもとにしていると聞いている。この映画で、学習指導要領に則っていてもこれだけの自由度のある教育ができるということには驚いた。とにかく、子どもの興味や自主性を大切にして、子ども達が好奇心と楽しさに導かれて体験することは、すべて成長や生きることに重要な学びになるのだと思えたことが嬉しかった。もう一つ、「発達障がい」は環境の中で生じるということも、とても納得できた。このような教育環境で成長した子ども達のその後が気になったが、それもほとんど心配がなく、高校以上の進学をした時にはむしろ学力は高いということに、感動と嬉しさでいっぱいになった。しかし、このような教育は子どもの学びに並走する大人、つまり教師の信念とたゆまぬ努力が大切だとも感じた。残念ながら南アルプス子どもの村小中学校は私立である。それなりの費用も必要だと思うので、誰もが自由に通学することは難しいだろう。しかし、今後の日本を若者たちに託そうとしたら、このような学びの場を増やさなくてはいけない。旧態依然というより、ますます同調圧力が高くなるような教育を受けた子ども達ばかりが大人になったら、デマに流される自分の頭で考えない大人達ばかりが一層増える。それが私には怖いのだ。
2023年09月16日
コメント(2)
先日この番組を見て、現在もこのような人たちが元気に活動していることをしり、ショックであった。全文をコピーしておく。「祖国へ帰れ、お前らはゴミなんだよ」一変した慰霊と伝承の公園、関東大震災100年 デマと朝鮮人虐殺から学ぶこと【報道特集】関東大震災から100年。震災被害の一方で、「朝鮮人が放火した」などのデマが広がり、多くの朝鮮人が虐殺されました。なぜデマは広がってしまったのか。なぜ虐殺という事態にまでなってしまったのか。そこから今、私たちが学ばなくてはいけないこととは?■関東大震災で起きたデマと虐殺100年前の「関東大震災」を描いた絵巻物が新たに見つかった。震災の2年後に描かれていて、長さは2巻あわせて32メートルにも及ぶ。平穏な住宅街の様子からはじまり、激震の瞬間、火災から逃げ惑う人たちの様子が時系列で描かれている。1巻の終盤に、研究者も驚く描写があった。手に棒のようなものを持った群衆が青い服の人物に襲いかかる。血を流して倒れこんだ人たち。遺体が折り重なっている。元専修大学教授(歴史学)新井勝紘さん「これみんな被害にあっている人、裸足なんです。靴はいてないでしょう?(後ろ手に縛られてる)」これは朝鮮人の虐殺を描いたものだという。1923年9月1日。関東を襲った大地震の混乱の中、「朝鮮人が暴動を起こしている」「井戸に毒を入れた」とのデマが広がり、それを信じた民衆が結成した自警団などによって数多くの朝鮮半島出身者が殺害された。国の中央防災会議がまとめた報告書では、震災の死者数の1%~数%=つまり、少なくとも1000人~数千人に及ぶと推計されている。司法省の当時の文書にはその一端が垣間見える記録が残っている。朝鮮半島出身者233人の殺害について起訴した記録。凶器には竹やり、日本刀などが使われていた。危うく殺されかけた日本人もいる。俳優の千田是也氏は、東京・千駄ヶ谷で朝鮮人だと疑われた。俳優 千田是也氏「(自警団が)『歴代天皇の名前と言え』と。何しろね、竹やりを突きつけているし、まさかりを頭からこう振り上げている」映画監督の黒澤明氏も自叙伝に記していた。映画監督 黒澤明氏「井戸の外の塀に、白墨で書いた変な記号があるが、あれは朝鮮人が井戸に毒を入れた目印だというのである。私はあきれ返った。何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書だったからである」虐殺は、大きな被害があった地域だけにとどまらなかった。避難民が押し寄せた埼玉県北部にある本庄駅では、町をあげて炊き出しを行っていた。そんな中、朝鮮人の放火や暴動を伝える県の通知が届くと、善良な人々がデマを信じて豹変した。駅に程近い本庄警察署には朝鮮人たちが保護されていたが、いきり立った群衆が警察署になだれ込み、朝鮮人を見つけては襲いかかった。80人以上が殺された。現場にいた巡査「子どももたくさんいたが、子どもたちは並べられて、親の見ている前で首をはねられ、そのあと、親たちをはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりで引いている奴もいた」現場となった警察署は、今もその場所に建物が残っている。郷土史を研究する小川満さん「地元の人からすれば、その子孫の方もいますし。気持ちも難しいところがあると思いますけど。あったことはなかったことにはできない。語り継いで、もう二度とこういうことが起きないように」■デマと虐殺 警察官の証言千葉県でも多くの朝鮮人が虐殺された。当時、船橋警察署の巡査部長だった渡辺良雄さんの証言を記録した貴重な音声が残っている。1978年に録音されたもので、話を聞いたのは千葉県内の朝鮮人虐殺を調べている平形千恵子さんらの市民グループだ。震災翌日の9月2日、船橋署に軍を名乗る人物から電話がかかってきたという。渡辺良雄さんの証言軍を名乗る人物「東京方面から来た朝鮮人3000名と砲兵隊とは、江戸川を挟んで交戦中でございます。警戒を要します」この情報はデマだったが、当初、渡辺さんは信じてしまったという。この2日後、渡辺さんは、署長から命令を受けた。「朝鮮人が軍に連れられ船橋にくるので、引き継いで保護せよ」とのことで現場に向かったが…渡辺良雄さんの証言「『この人たち(朝鮮人)を我々にここで渡してくれませんか』」この申し出に対し、軍は…渡辺良雄さんの証言軍「この人たちは船橋の自警団に引き継げと、上司から我々は命令を受けてきたんだ。それを今、あなた方に渡すわけにはいきません」渡辺さんはこう言い返した。渡辺良雄さんの証言「自警団に引き渡せば、全部殺されてしまうぞ。だから我々にここで渡してくれ」軍との押し問答が続く中、朝鮮人の一団は自警団に発見されてしまったという。渡辺良雄さんの証言「(自警団は)周りを見ながら、どこに朝鮮人がいるか探したわけだよ。それをやるのに、誰かが鐘を叩いたわけ。音がしましたよ。人が来た来た、たまげたよ」渡辺さんは署長に報告するため、警察署に戻り、再び現場へ向かうと…渡辺良雄さんの証言「大きな声が『万歳万歳』ってやってるわけ。(死体の数が)53人ですよ。死体処理をどうするかという問題になった」渡辺さんは、デマの恐ろしさについても語っていた。渡辺良雄さんの証言「こういう流言飛語という体験というのは、何か大きな問題が起こった時、ガタガタになる恐れがある、みんなは胸の中に流言飛語というのは恐ろしいものだということを一つ胸の中に入れておいてもらいたい」■なぜデマは拡散したのか「不逞鮮人一千名と横浜で戦闘開始」「不逞鮮人各所に放火」震災直後の新聞各紙の見出しです。デマに基づいた偽りの記事です。繰り返される“不逞鮮人”という言葉。“不逞”とは不平を抱き、従順で無いこと。“鮮人”には侮蔑的なニュアンスが込められています。テレビはもちろんラジオも無い時代。情報源としての新聞の存在は、今とは比べものにならないほど大きいものでした。朝鮮人に対する怒りと不安をあおるようなデマを、なぜ新聞はそのまま伝えたのか。鍵を握る文書が、防衛省に保管されていました。震災時の至急電文が綴られています。震災時の至急電文より「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。鮮人の行動に対しては厳密なる取り締まりを加えられたし」発信者は内務省警保局長。いまで言えば警察庁長官にあたります。この電文は東京近郊で被害を免れた海軍の送信所から全国に発せられました。送信所の跡地にはモニュメントが残されています。平形さんに案内してもらいました。平形千恵子さん「関東大震災の時、救援電波を出して、多くの人を助けたとあるんですね。ここが『不逞鮮人をちゃんと調べろ、取り締まれ』と出した大元なんです。それだけは書かない」東京の新聞社が壊滅的な被害を受け、震災報道は地方の新聞が担うことになりました。不逞朝鮮人の噂は耳にするものの、現場に入れず裏付けがとれない。こうした中、内務省の電文を傍受した記者たちはこう確信します。「やはり朝鮮人暴動は事実だった」ジャーナリストの渡辺延志さん。関東大震災におけるデマが虐殺にまで発展した背景を歴史的に読み解く必要があると言います。ジャーナリスト 渡辺延志さん「日本は1910年に韓国を併合するわけですけど、日本の支配に抵抗する義兵闘争というのがあるんですが、ここでも1万数千人の武装した朝鮮人が殺された。その後は例えば三・一運動がありますし、私が考えるのは1918年に始まるシベリア出兵ですよね」朝鮮を支配しようとする日本と、これに抵抗する朝鮮の人々。古くは日清戦争から震災間際のシベリア出兵まで、抵抗と弾圧が繰り返される中で、日本社会には「不逞鮮人」のイメージが根付いてゆきます。デマは簡単に信じられ、怒り狂った民衆を前に当局の対応は一貫せず、新聞社は誤報を訂正する機会を逸しました。不逞鮮人の記事は100年たった現在、虐殺否定論の根拠として利用されています。渡辺延志さん「読者に何かを伝えようとして、結果として実は誤報だったと。しかし、その誤報をただす機会がなかったという事だと思うんです。その誤報も忘れられて、もっともっと大きな誤報というものを、戦争を繰り返すうちに重ねてしまった」本庄市の虐殺事件について取材する中で、こんな記事を目にしました。「新聞記者・馬場安吉氏は極力、善良朝鮮人の保護を説き、流言飛語に惑わされぬよう説き、町内をも遊説し」デマに振り回された記者ばかりではなかったのです。人々を説得しようと飛び回ったのは、当時の群馬新聞・本庄支局長の馬場安吉。ただ、興奮した市民の耳に馬場の訴えは届きませんでした。その慰霊碑は本庄市の倉庫に保管されていました。震災から1年後の1924年、馬場安吉が本庄の記者仲間に呼びかけて作った朝鮮人犠牲者の慰霊碑です。戦後「鮮人」の文字が差別にあたるとして立て替えられ、この慰霊碑の所在は長いこと忘れられていました。38年前、群馬県内でこの碑を探し当てた嶋田道雄さんは碑に込められた思いをこう語ります。嶋田道雄さん「群衆の前に立って、やめろと立ちはだかったけど止められずに、本庄で80何人が亡くなってますから、思いは強かったと」新聞のデマ情報が結果的に虐殺を招いてしまった事に対する新聞人・馬場安吉の無念、自責の念はいかばかりだったのでしょうか。■一変した 慰霊と伝承の公園東京・墨田区にある都立横網町公園。震災の際、避難してきた3万8000人もの市民が亡くなった場所です。いまは「慰霊と伝承の公園」とされ、毎年9月1日には慰霊のための大法要が行われます。その建物の横で、50年続けられてきたもう一つの式典があります。震災ではなく、デマによって虐殺された朝鮮人犠牲者のための追悼式です。毎年、粛々と執り行われてきた式典が注目されたのは、2017年の事です。東京都 小池百合子知事「全ての方々への哀悼の意を述べさせていただくという気持ちには変わりなく、特別の形での追悼文を出すことは控えた」歴代の都知事が送ってきた追悼文を取りやめると発表したのです。発端は2017年3月の都議会で、自民党の議員が追悼碑にも刻まれている犠牲者数六千余名という数字を問題視したことでした。しかし、追悼碑は50年前、都議会全会派が参加した委員会での賛同を経て建立された経緯があります。追悼文を送らない理由について都知事は「大法要で全ての犠牲者を追悼している」と毎年、判で押したような答弁をくり返しています。2017年を境に、公園内の雰囲気は一変しました。「6000人の虐殺はなかった」と主張する団体「そよ風」が朝鮮人虐殺の追悼式と同じ時間、わずか20メートル先で新たな活動を始めたのです。そよ風は朝鮮人犠牲者の追悼碑の撤去を求めていました。慰霊祭というものの、嫌がらせとも思える行動をエスカレートさせていきます。2019年に大きな垂れ幕とスピーカーを外側に向け、「犯人は不逞朝鮮人」「朝鮮人によって家を焼かれた」などと発言。こうした主張は、東京都によってヘイトスピーチと認定されています。震災から100年の2023年は、時間を大幅にずらして、撤去を目指すと言っていた追悼碑の前で「真実の慰霊祭」を行うと明らかにしました。関東大震災の虐殺を研究してきた加藤直樹さんは憤りを隠せません。ノンフィクション作家 加藤直樹さん「朝鮮人を悼むと、心にもないことを言って、集会を追悼碑の前で開こうとしている。こんなことは許されないと思う。もしベルリンで、ホロコースト追悼碑の前で、ネオナチが集会を開くって言ったら認めるのか?」関東大震災から100年を迎えた日。「そよ風」のグループが公園の裏口に設けられた専用の通路から現れると現場は騒然としました。東京都は、状況を見て「そよ風」に集会をあきらめるよう伝えました。追悼碑の前で開催する目的について参加者に記者たちがマイクをむけると…そよ風の集会 参加者ーー6000人について?「あれは全くのデマ」――碑の撤去の主張を変えたんですか?「変えたんじゃない。ひっこめてるだけ」そよ風の集会 参加者「虐殺はしてません。そんな事実ないと聞いています。日本人側としてはね」「そよ風」は公園の一角で集会を行っていきました。帰り際、集会の参加者が叫んでいました。彼らの本音があらわれています。そよ風の集会 参加者「朝鮮帰れ、祖国の朝鮮、祖国へ帰れ。お前らはゴミなんだよ、クズなんだよ、早く帰れ、日本にいらない」後日、「そよ風」のブログには「ならず者に屈した東京都」と不満がつづられていました。都とは何度も話し合って企画書も提出したと記されています。「そよ風」の集会についてどう判断したのか。都の担当課に尋ねると「個別の申請について詳細は答えられない」「提出された企画書の内容を信じて許可している」と答えました。■問われる 慰霊と伝承私たちが歴史的な資料を調べる中で偶然出会った文書があります。震災の翌年、当時の東京市の社会教育課長が雑誌に寄稿していたものです。 「私どもはなんといって鮮人諸君にお詫びしたらよいかを知らないものです。天人共に、長く許し難き罪悪と思います。日本人は根本的に生まれ変わって出直さねばなりません」この番組で「そよ風」という団体があることを知った。何と、「日本女性の会そよ風」という女性団体だった。思わず頭を抱えてしまった。この会の成り立ちや背景をもっと調べてみたい。関東大震災の朝鮮人虐殺…“ファクト”否定したい人たちを助長する都知事
2023年09月16日
コメント(7)
先日の24時間テレビで、スペシャルドラマ「虹色のチョーク」が放映されると知り、いつもはあまり24時間テレビは見ないのだが、これは見なくちゃと思った。以前に、このドラマの原作の本を読んでとても感動したことを思い出したのが理由だ。2017年07月14日のブログ 「虹色のチョーク」小松成美 / 著24時間テレビ「虹色のチョーク」モデルとなった日本理化学工業の障害者雇用の取り組みについて今朝、このブログを書くために上記のページを見て改めて感動したので、コピーしておこうと思う。~日本理化学のもう一つの使命~日本理化学工業は全従業員94人中66人が知的障がい者(内25人が重度の障がい者)が働いている、学校で使うチョーク製造を主とした会社です。(2023年2月現在)会社設立は昭和12年ですが、知的障がい者の雇用は昭和35年2人を雇用したのがスタートでした。このような障がい者多数雇用を目指したのは、禅寺のお坊さんから「人間の究極の幸せは、1つは愛されること、2つ目はほめられること、3つ目は人の役に立つこと、4つ目は人に必要とされることの4つです。福祉施設で大事に面倒をみてもらうことが幸せではなく、働いて役に立つ会社こそが人間を幸せにするのです」と教わったからでした。そして障がい者雇用の助成金制度の出来る4年前、重度障害者多数雇用モデル工場設立についての融資制度が出来、労働省からの是非の声もあって制度を活用して川崎工場を作ったのです。条件は従業員の50%が障がい者で内その半分が重度の障がい者を雇用し、金利4.6%、20年で返済することでした。ここからのスタートであったので、今日の雇用割合になっているのです。ジョブコーチ制度もなかった中、地域の最低賃金を払いつつ20年返済もすでに果たし、障がい者達の頑張りのお陰で国内チョーク業界にあってシェア70%を超えるトップメーカーなって居り、重度の障がい者達でも企業の貴重な労働力となることを実証できたと思っています。この間会社は、知的障がい者から一般社会では得られない多くの気づき、それも人間としての生き方、社会・国のあり方まで多くの示唆をもらいました。この気づきは多くの方に伝えることが日本理化学のもう一つの使命と考え以下ここにお伝えする次第であります。1、日本理化学の障がい者の採用基準は重度障がい者の雇用という事もあり、1.自分の身辺処理は1人でできる2.簡単でも返事ができる 3.一生懸命仕事する 4.周りの人に迷惑かけないの4つであり、従って時間をかけて教え指導するのではなく、それぞれの今もっている理解力に合わせて作業ができるよう環境を整える事に重点をおいています。今ある理解力で仕事ができるようにしてあげると、禅僧のいわれた通り、役に立っている幸せを感じ集中して一生懸命仕事する人達であることを知りました。例えば材料の計量は、文字を読み、数字を合わせるのではなく、色の容器同色のおもりで作業する。時間の作業は砂時計をみて作業するなど。2、取材に訪れた見学者から貴重な気づきをもらいました。1)小学校の5年生が見学したあとの御礼の手紙に「天の神様はどんな人にも世の中で役に立つ才能を与えて下さっているのですね」とあり、神様は人間を人の役に立つことを幸せに思う人間に作って下さり、周りの大人が役立つようにしてあげれば一生懸命やってそれが才能にもなるのだと企業の役割の大事さを教えられました。2)取材に来たハンガリー人の女性から理化学の作業工程の対応をみて「日本企業は職人文化をもっているからですねヨーロッパはマニュアル文化なので文字の読めない人は最初から雇用の対象になっていません。」と言いました。手とり足とりの対応を職人文化と言ってくれたことで、日本の中小企業こそこれを活用して多くの障がい者が働ける様頑張らねばと気がつかされました。3、2009年寄付もできない日本理化学が渋沢栄一賞をいただけたのは「今日社会で働けない障がい者を20才から60才まで40年間福祉施設で面倒をみれば1人2億円かかる所、貴社はすでに60才以上まで5人も働かせてあげており、10億円以上社会貢献されたからです」と言われ、障がい者雇用が経済的にも大きな貢献になることを知りました。4、モデル工場を作ったことから、ヨーロッパの障がい者雇用状況視察のチャンスにめぐまれ、その時ベルギーでは、一般社会で働けない人に企業が少しでも役立って働ける場を用意し続けられたら、国が最低賃金を企業に代わって支払地域で自立させている制度がある事を知りました。日本国憲法では全ての国民に勤労の権利を有し、義務を負うとまで国民に約束しているのだから社会で働けないから施設で面倒をみればよいとしているのは許されないのではないか、ベルギーのような制度を導入して少しでも役に立って働ける場を用意してあげなければいけないと気がつきました。5、そして、ベルギーの制度の日本への導入は、障がい者、企業、国、国民にとって四方一両得ではないかと気がつきました。なぜなら、仮にベルギーの制度を日本へ導入すれば、一般企業で働けない障がい者は少しでも役に立てて働く幸せが叶えられて、且つ月12万前後の最低賃金を国から支給され、そこからグループホームに月6~7万払えば生活の面倒をみられて、地域社会で自立ができます。企業は職人文化を活用して少しでも役に立つ様にしてあげれば賃金は国が払ってくれるのですからそれだけ企業の利益となり企業の経営体質を強化できます。国は福祉施設で面倒みれば年間500万円がかかる所、最低賃金150万とすれば年間350万以上の財政削減が出来ます。そして国民にとって、障がい者を持つ親は将来への不安が少なくなり、地域で自立できれば地域の活性化にもつながります。まさに四方一両得となるのです。6、このベルギー制度の導入を中小企業に適用すれば中小企業で育成策となり、国は働く場づくりの義務も果たせるのです。障がい者雇用で国は大企業にいきなり1.8%の雇用率を求めることなく特例子会社制度を設けているのですから中小企業に一般社会で働けない人の働く場を用意する特例会社制度を作れば、まさにみんな会社で役に立って働ける共生社会ができるのではないでしょうか。日本理化学の知的障がい者は、国民みんなが幸せになるよりよい国づくり提言まで気づかせてくれたのです。この気づきを多くの方々に伝え、また多くの方々の賛同を得て、共生社会を実現することを日本理化学の使命と考えております。皆々様のご支援を切に念じて止みません。この会社が、それぞれの理解力や特性に応じて工夫を重ねてきた作業工程は感動です。一人ひとりの理解力に合わせた工夫についてこの考え方は、障がい者に対してだけではなく、すべての人に通じるものだろうと思います。この会社の姿勢が、できるだけ多くの人達に伝わり伝播していくことを願います。
2023年08月28日
コメント(0)
間接的な知り合いの映像作家・山田裕一郎さんが、下記の映像を制作しました。「奇跡のまちづくり」ガーデニングの聖地・恵庭を生んだ1人の主婦の挑戦この短編ドキュメンタリーには、色々なことがたくさん詰まっています。ガーデニング、まちづくり、ボランティア、人生の取り組み方、楽しく活動を続けることの意味。ぜひ多くの人に見ていただきたいです。山田さんは、地方都市恵庭に住みながら、出会った素敵な人たちを丁寧に取材し、温かい目でドキュメンタリーにまとめています。このような人たちがあちこちに存在すること、その価値を大切にしつづけること、それが、ともすれば未来を暗く捉えがちになる気持ちを、前向きにしてくれるでしょう。自分の人生は自分で作る。当たり前だけど、それを明るく楽しく周囲と手をつなぎ合って続けてゆくことは、決して簡単なことではありません。夢や志や信念があっても、それを続けるには様々なトラブルや困難がつきものです。それを「楽しい」をエネルギーに変えることがどれほどの力になるか。内倉さん、山田さん、本当にありがとうございます。山田さんのFacebook。
2023年08月15日
コメント(0)
昨夜、NHKで「もうひとりの渋沢」を見た。この番組があることを放送まで全く知らず、たまたま何か面白そうなものがないかとチャンネルを変えたら出てきたという感じだ。昨日ブログで「むさぼらなかった男」を読んだばかりで、その後継者はどうなったのかということは気になっていたが、まだちゃんと調べてもいなかったのに、これはあまりにもタイミングの良いことだった。主人公は、祖父渋沢栄一に懇願されて廃嫡された父に代わり後継ぎになった渋沢敬三。さすが渋沢栄一が見込んだ孫だけに、すばらしい人物だったことを知る。戦中戦後の国難の時期を、無理やり引き受けさせられた日銀副総裁→総裁、戦後は大蔵大臣となり、戦後の経済改革に取り組み、財閥解体も着手。本来は財閥でもなかったのに、自ら財閥同様の財産放棄。その公平無私・無欲さには、感動するばかり。それと同時に、戦前に各地を回り、日本人の生活を記録したことも素晴らしい仕事だった。もともとは生物学者になりたかった人なので、研究者としての自然や歴史の観察眼は優れていたのだろう。このような人が戦後の経済を引っ張ってくれたのだなと、あらためて思う。それにしても、渋沢栄一は明治・大正、敬三は昭和の時代にいてくれたのは感謝するばかりだ。さて、令和の時代に後世の日本人が感謝する人は誰なのだろうか。
2023年02月04日
コメント(2)
このプロジェクトに共感し、私もささやかに協力したいと思います。まずは、制作のためのクラウドファウンディングのお知らせから。「じょっぱりー看護の人花田ミキ」命の尊さを綴る映画制作プロジェクト‖看護の人 花田ミキさんの人生戦争時代は従軍看護婦として戦場で負傷兵の看護にあたり、終戦後は青森県で、看護教育の基礎を築き上げるため青森県立高等看護学院(いまの青森県立保健大学)の立ち上げ、保健行政の立場から無保健婦町村の解消、僻地救護看護の確立に努めました。 映画では歴史の紹介に留まらず、花田さんが人生をかけて訴え続けた「戦争の悲惨さ、命の大切さ」を、いま現在の時代とリンクをさせながら伝えます。 「命を阻むものはすべて悪」という花田さんの想いと行動力を、いまの不安定な世界にこそ発信していきたいと考えています。 ■ 救護看護婦として戦争への3度の召集(1937~1943年)花田ミキさんは、青森県弘前市生まれ。 青森弘前高等女学校(後の青森県立弘前中央)卒業後、盛岡赤十字看護婦養成所を経て、日本赤十字社青森県支部の看護婦となります。 日中戦争、太平洋戦争がはじまると、従軍看護婦として3回招集され、20代のほとんどを戦場で過ごしました。多くの兵隊の死、治療をして動けるようになるとまた戦場に送られてしまう矛盾に「命を阻むものはすべて悪」との考えに至り、生涯にわたりその思いを実践に移しました。■ 「予防」のため保健婦の免許を取る(1943年)結核のため戦場から帰還。1943年、看護教員と保健婦の資格を取得し、看護師が行う治療を中心とした業務だけではなく、保健師として病気やけがを未然に防ぐ「予防」に力を入れることを決意します。 またこの年に、八戸市の八戸赤十字病院の看護婦養成所で婦長に就任し、養成所の生徒の育成にあたります。 ■ 八戸空襲、海防艦稲木沈没(1945年)八戸市の空襲では、海防艦稲木が八戸港蕪島沖で「八戸の盾」となって沈没。また、多くの死者を出しました。 花田ミキさんは養成所の生徒たちと、八戸赤十字病院の裏山にある防空壕で、負傷者の看護にあたりました。■ 青森県看護協会設立(1947年)連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の看護改革の一つである日本産婆看護婦保健婦協会設立に際して、日本産婆看護婦保健婦協会青森支部(現在の青森県看護協会)設立に着手。1947年に、発足します。 ■ ワクチンなき時代 ポリオとの戦い(1949年)1949年6月8日、八戸市でポリオの集団感染がおこります。ワクチンがない時代、花田ミキは単身上京し、GHQのナースからオーストラリアで効果を上げた治療法「ケニー療法」の情報を得ます。 看護チームをつくり八戸赤十字病院でその療法を続けるとともに、新聞にその方法を掲載し人々に分かりやすく紹介しました。■ 女性初*の県庁の係長(1950年)青森県庁に創設された衛生部看護係の係長として白羽の矢が立ち着任。女性初の係長でした。住民を重視するあまり、県庁時代は上層部との摩擦も多かったそうです。 *出典元:木村恵美子,Ryder島崎玲子,小山敦代.被占領下における看護改革政策の青森県への波及.青森保健大紀要,2002,4(1),95-102,2002. (参照 2023-01-07) ■ 青森県立高等看護学院(現在の青森県立保健大学)が開校(1952年)日本の看護教育がアメリカなどよりもはるかに遅れていることや、看護婦を社会的に専門職として認められていない状況を変えるため、看護教育施設の設立を目指します。 1951年に設立が認められ、翌1952年に青森県立高等看護学院(現在の青森県立保健大学)が開校することになりました。しかし入学希望者はわずか1人。花田ミキは、高校をまわり、お手製のナイチンゲールの紙芝居などで看護教育の重要性を説きます。38人の生徒が集まり、無事に開校の日を迎えました。■ もったらころすな 全国最悪*の乳児死亡率の減少に挑む(1964年)保健婦・助産婦団体による「もったらころすな運動」を展開。1950年、青森県の乳児死亡者の割合は1,000人中95.5人と全国で最悪を記録。10年後の1960年は1,000人中45.8人と減少したものの、それでも他の都道府県と比べても高い死亡率でした。(1960年に一番高い乳児死亡者の割合だったのは、青森県の隣にある岩手県でした。) 保健婦の地域密着の家庭訪問、早期に役場に届けを出した妊婦へさらしを配るなどして、乳幼児死亡率の改善に取り組みました。■ 保健婦の不在の町村をなくす「派遣保健婦制度」の確立(1965年)青森県内の約半分の自治体では保健婦が不在でした。そこで、県立高等看護学院の卒業生を青森県職員として採用し、派遣することで保健婦不在の自治体をなくしました。1971年には2人以上の保健婦が在勤する体制を確保します。 1973年、青森県庁退職後は、保険看護研究家として活動。また戦争体験を伝えるため戦中記録集『語り継ぎたい』(1994年)、戦争体験短歌集『燠なお消えず』(1997年)などを自費出版。 2006年、死去。本人の遺志に基づき、遺体は弘前大学医学部へ献体されました。‖花田ミキさんの人生からいまを考える機会に花田ミキさんの教え子のみなさんから、いまだからこそ映画にして伝えて欲しいという声が届いています。保健師です。原点を見失わないようにいたいと思います。人生をかけて戦争の悲惨さ、そして保健衛生の大切さを伝え続けた花田ミキ先生のことを映画にして下さる事に本当にうれしく心から応援しております。ロシア・ウクライナ戦争はいつになったら終息するのでしょうか…ウクライナの人々のことを考えると心が痛みます。花田先生から戦争のない平和な暮らしがどんな尊いものか学びたいと思います。映画の完成が今から待ち遠しいです。大先輩花田ミキ先生の生き様はコロナ禍の私たちにとって道しるべとなるのではないでしょうか。花田先生の教え子です。色々な想い出があります。映画化されたら嬉しくて涙々で見れるかしら。成功を祈ります。 ‖2024年公開予定。公民館などでの上映をしていきたい映画制作は、2023年春に撮影予定。その後編集作業などを経て、2024年に公開を予定しています。たくさんの人に、近くの会場で見てもらいたい ― そう願い、映画館だけではなく、学校や、都道府県や市町村のホール、公民館などでの上映も計画しています。 ■ 上映予定場所・小学校、中学校、高等学校、大学・各都道府県、市区町村ホール・看護学校・公民館、図書館などの公共施設・全国映画館ロードショー映画の制作には宣伝費を含めて約3,000万円が必要です。これまで約1,800万円の支援をいただいています。これから、残りの約1,200万円を皆さまからの寄付で集めさせていただく予定です。 第一目標は500万円とし、映画制作費と宣伝物制作費に充てさせていただきます。映画制作においては費用があればあるほど内容に工夫を凝らしたり、全国各地で上映するために宣伝を増やすことができます。 第二目標としては800万円を設定させていただき、音楽の充実化などをはかります。 また、第三目標をたてることができれば1,000万円を設定させていただき、全国への告知、宣伝活動をより拡大し、多くの方に映画のことを知ってもらえるようにします。 ●第一目標金額:500万円●資金使途:映画制作のための費用全般(機材費、出演料、スタッフ人件費)●映画概要・劇映画 ・時間:90分・監督/脚本:五十嵐 匠・制作プロダクション:株式会社ストームピクチャーズ・制作協力:かまくらさちこ株式会社
2023年01月25日
コメント(0)
ドキュメンタリー「いつものように」急性骨髄性白血病と診断され、白﨑亜紀子は「1週間以内に死亡する可能性がある」と書かれた病状を説明する書類にサインした。長期入院ののち寛解。夫の誠治は再発の可能性を心配するが、亜紀子は過去の自分がそうだったように、ベッドの上で不安に過ごす人を助ける活動を始めた。この作品は、恵庭市在住の映像作家山田裕一郎さんが制作したもの。登場する白﨑亜紀子さんも恵庭在住で、恵庭のFMe-niwaのパーソナリティーをされている。私も、以前からお二人のことは知っていたので、(ただし、特に親しくお付き合いしているわけではない)白崎さんが白血病で闘病されていると知った時は、本当に心配し回復を願っていた。その白崎さんの闘病から現在の活動までを、短編ドキュメンタリーにまとめたのがこの作品だ。ぜひ多くの人に観ていただきたいので、ご紹介します。
2022年12月11日
コメント(0)
久しぶりに友人と、シアターキノで映画を観た。「桜色の風が吹く」9歳で失明、18歳で聴力も失いながら、やがては盲ろう者として世界で初めて大学教授となった息子とその母の物語。教師の夫、三人の息子とともに関西の町で暮らす令子。末っ子の智は幼少の頃に視力を失いながらも、家族の愛に包まれ、持ち前の明るさで天真爛漫に育つ。やがて令子の心配をよそに智は東京の盲学校に進学。親友もでき、高校生活を謳歌。淡い恋もする。たまに彼から届く手紙といえば、令子が苦心した点字翻訳に難癖をつけてくる生意気ぶりだ。だが智は18歳のときに聴力も失う・・・。暗闇と無音の宇宙空間に放り出されたような孤独にある息子に立ち上がるきっかけを与えたのは、令子が彼との日常から見出した、ある新たなコミュニケーションの“手段”だった。勇気をもってひとつひとつ困難を乗り越えていく母と息子の行く手には、希望に満ちた未来が広がっていく・・・。現在は東京大学先端科学技術研究センター教授をされている福島智さんの、大学入学までを映画化したもの。この方のことは、随分以前にドキュメンタリーか何かで見て知っていた。その時は、ものすごいスピードの指点字で、会話や情報のやりとりをしていたことに驚いた。彼のすべての行動には通訳者が必要で、支えているその人たち(多分複数だろう)とのコミュニケーションや努力にも頭が下がる。苦難の中でも前を向き道を切り開いてゆく力が、人間には内在しているのだとあらためて感動する。ぜひ、多くの人に観てもらいたいと思う。 東京大学先端科学技術研究センター バリアフリー分野 映画「もうろうを生きる」東京盲ろう者友の会のページを見たら、全国でもうろう者は2万3200人ほどいらっしゃるようだ。この方たちにとって、福島智さんのお母さんが思いついた指点字は、どれほど支えになっているだろうか。
2022年11月09日
コメント(0)
数日前に北海道新聞で、現在公開中の「天間荘の三姉妹」の北村監督の対談記事が載っていた。この映画の舞台「天間荘」のロケ地が、小樽の銀鱗荘だと知り、小樽出身のた夫に伝えると、その場所は育った場所の近くだったということで、映画への興味よりも銀鱗荘を見たいという感じで観ることになった。「天間荘の三姉妹」コミックが原作と知り、さほどの期待もせずに行ったのだが(失礼!)、なかなか良い映画だった。生と死、魂、逝く人、残された人、宙ぶらりんになってしまった心、後悔、哀切、思い出、そんなものが切ないユーモアや美しい風景のなかで紡がれてゆく。登場人物の個性も丁寧にくっきりと描かれているようで、ファンタジーなのだが心に響く映画だった。現在の「銀鱗荘」は、旅館になっているが、もともとは余市の鰊御殿だったとか。銀鱗荘の歴史を調べたら、戦時中には陸軍の高射砲陣地になっていたようだ。随分前に、亡父も一緒に小樽に行き、ここでお茶を飲んだような気がする。それはともかく、良い映画でした。夫と映画を観たのはいつ以来だろうか。やはり映画館で観る映画はいいな。
2022年11月03日
コメント(0)
家族の介護を担う若者「ヤングケアラー」その心の叫びとはNHKスペシャル「ヤングケアラー SOSなき若者の叫び」2年の長期密着ルポで見えた新たな真実▼大変なのに誰にも相談しない!?ヤングケアラーの本音は▼当事者1000人&全国自治体に同時緊急アンケート。なぜ支援は届かない?▼『家族の壁』とは?▼進学も就職も結婚も諦める。過酷な人生▼30年の介護人生からの再出発。鍵は「役割」と「つながり」▼大空幸星(現役大学生&若者支援NPO代表)が探る。私たちにもできる支援▼小芝風花がナレーション▼昨夜、この番組を切なく胸が詰まる思いで見た。ヤングケアラー当事者への調査 “SOS出せない”実態浮き彫りに2022年5月8日 19時49分NHKは家族の介護やケアを担う子ども「ヤングケアラー」への支援について、当事者1000人と全国の自治体にそれぞれアンケート調査を行いました。この中では、介護やケアについて「相談したことはない」「あまり相談していない」と答えた当事者が73%に上るなど、本人がSOSを出さなかったり、家族に拒まれて支援が届かなかったりする実態が見えてきました。当事者アンケートではNHKは、「LINE」を通じて、ヤングケアラー当事者1000人にアンケートを行いました。<相談の経験>家族の介護や世話について、誰かに相談した経験があるか聞いたところ、「相談したことはない」「あまり相談していない」と答えたのは、合わせて73%に上りました。<相談しない理由>その理由について複数回答で聞いたところ、▽「相談しても意味がない」が最も多く29%、次いで、▽「他人には相談しづらい」▽「相談する必要がないと思った」などとなりました。<実際に利用した支援・サポート>実際に利用した支援・サポートについては、▽「特にない」が70%にのぼり、十分な支援・サポートを受けられていない理由については▽「どんな支援があるか、わからないから」が45%、▽「どこに相談すればよいのか、わからないから」が38%などとなりました。<自由記述>アンケートの自由記述の欄には、切実な声がつづられました。▽「相談できる人もいなく、相談したら親に怒られると思った」▽「兄弟のご飯の支度をしないといけなくて友達と遊べず、友達に理由を言うべきか悩んだ」▽「睡眠不足で学校も思うように通えなくて心身共に辛かった」▽「介護と金銭的な問題で進学出来なかった」自治体アンケートでは<支援の難しさ>一方、NHKが全国155の自治体に「支援の難しさ」について、選択肢から最大3つまで選んでもらったところ、▽「家族が支援を拒むもしくは求めてこない」が最も多く77%、次いで、▽「本人が支援を拒むもしくは求めてこない」が76%、▽「問題が多岐にわたるため1つの部署・機関では対応しきれない」が50%などとなりました。専門家「まずは子どもたちに寄り添うことから」ヤングケアラーの調査や研究を行っている大阪歯科大学の濱島淑恵教授は、「日本社会には、まだ家族で家族のケアをするのが当たり前だというような感覚がある。なぜ拒否的なのか、いま関係ができているヘルパーやソーシャルワーカーなどから、情報を得て探っていくことも大事になってくる」としたうえで、「日常的に、たあいのない会話ができる関係になっていれば、しんどくなったときにすぐに話してもらうことも可能になり、早い段階から少しずつサポートできるようになる。まずは子どもたちに寄り添う、丁寧に一生懸命、話を聞くということから始めてほしい」と話しました。【参考】小学6年生の6.5%がヤングケアラー。大人や地域社会はどのような支援策を行うべきか?
2022年05月09日
コメント(4)
忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段私は中村勘九郎が好きなので、これは見逃せないと二週連続のテレビドラマを鑑賞。中村仲蔵については知らなかったので、第一週を見た後で、原作と思われる「仲蔵狂乱」松井今朝子著を読み始めている。ドラマはとても面白かったのだが、ちょっと端折りすぎかなという感じもした。それでも、とても興味深く楽しむことが出来た。やはり、歌舞伎役者には、現代劇よりも時代劇をやってほしい。今、このブログを書くためにネット検索していたら、2000年に「忠臣蔵うら話仲蔵狂乱」としてドラマ化されていたと知った。この時には、若い頃の仲蔵を市川海老蔵(当時は市川新之助)が演じ、20年後を父の故市川團十郎が演じているとのこと。うーん、これは見てみたいと思う。
2021年12月12日
コメント(0)
先日、この番組を見て力が抜けるような気持ちになった。映像で見たプノンペンは、私が行った20年近く前とは全く風景が変わっている。近代化されることが悪いとはいわないが、これがカンボジアの人々の心にどのような影響を与えていくのだろうか。NHKスペシャル「“中国化”する世界 一帯一路の光と影」(2021年11月21日の放送内容を基にしています)中国の推し進める国家戦略が、いま世界に大きな軋轢を生んでいる。中国にとっての新世紀が始まろうとしている。創立から100年を迎えた中国共産党。平等社会の実現を掲げて革命を成し遂げ、建国。様々な矛盾を抱えながら、中国は類を見ない大国となった。「21世紀半ばにあらゆる分野で世界の先頭に立つ」その夢が中国を突き動かしている。習近平(しゅうきんぺい)国家主席、肝いりの国家戦略「一帯一路」。世界140か国にヒト、モノ、カネを送りこむ巨大な経済圏構想だ。習近平国家主席「一帯一路は平和への道だ。協力とウィンウィンの新たなモデルを、ともに作り出そう」一帯一路の重要国・カンボジア。中国の投資は5年間で1兆円を超す。国じゅうにあふれる、中国の支援で建設されたインフラ。いま、国全体で、“中国化”とも言える現象が加速している。東京都より広い土地を借り上げ、中国企業が作り上げた広大な農場では、中国の食糧需要を満たそうとしている。中国のシステム、そして経済力が人々を飲み込んでいく。一方で、“中国化”による社会の変質に、反発する声。これまでのイメージを転換させようと、新たな手も打ち始めた。中国の支援をアピールする映像をネットで拡散させていく。一帯一路がもたらす発展の一方で、国内外に広がっていく軋轢。カンボジアで急速に進む中国化の光と影を追った。中国の国際空港。防護服姿の人々が飛行機に乗り込む。皆、カンボジアへと向かう中国人だ。パンデミックの中でも、中国からカンボジアへの人の流れは止まっていない。カンボジアの首都プノンペン。2021年9月中旬。空港の周辺で、道路や建物の洗浄作業が行われていた。3時間後、中国の特別機で王毅(おうき)外相が到着した。中国の援助で完成した、巨大施設の寄贈式に出席するという。総工費170億円、6万人を収容する国立競技場。中国の無償援助で建設された。王毅外相「なぜ中国がカンボジアにこんな素晴らしい競技場を建設したか。それは、カンボジア国民が中国にもっとも友好的な国民だからです」フン・セン首相「我々の友情は、習近平国家主席に『鋼の友情』と命名していただきました。中国に支援を求めず、誰に支援を求めるのか?」街の至るところで目にするのは、中国製ワクチンの接種会場。カンボジアのワクチンは、ほとんどが中国製。すでに人口の8割が2度の接種を終え、東南アジアでは異例の摂取率を誇る。ワクチンを打った女性「ワクチンが打ててうれしい。中国には感謝しかありません」中国とカンボジアの「鋼の友情」を象徴するのが、沿岸部の都市シアヌークビルだ。以前は寂れた漁村だったこの街は、この10年、中国による投資で大きな変貌を遂げた。中国企業進出の受け皿となっている経済特区。コロナ以前は年間7%に上ったカンボジアの経済成長を牽引。2万7千人の雇用も生み出した。経済特区は近年、中国にとってのメリットも増してきている。いま中国は、アメリカに関税を引き上げられ、多くの企業が経済的な打撃を受けている。たとえば床材。中国から輸出するより、カンボジアから輸出したほうが、関税が25%低い。つまり、経済制裁の影響を受けないのだ。企業誘致担当者「ここは発展途上国です。だからアメリカの関税の優遇措置も使えるんです」深まる両国の蜜月関係。その中で進んできたのが、“中国化”ともいえる現象だ。カンボジア南部のダラサコー。いま、世界の一帯一路の中でも最大の都市リゾート開発が進んでいる。リゾート開発の広報ビデオ「欲望が情熱を抱く贅沢。新興国の伝説の宴です」「ダラサコー・ロングベイ・プロジェクト」。カンボジアに観光客を呼び込む新たな拠点をつくろうというのだ。開発を取り仕切るのは中国企業。中国企業 優聯発展集団・劉江氏「プロジェクト全体で90キロの海岸線を持っています。これはカンボジアの海岸全体の20%にあたります」2000億円を投じてきたという中国企業。カンボジア政府と契約し、広大な土地を99年にわたって借り上げた。カンボジアの海岸の20%をも占めるという。国家の生命線ともいえる海岸の一部を中国企業に貸し出す。極めて異例の開発だ。いま、ホテルやカジノの工事が急ピッチで進められていた。中国の富裕層をターゲットに、年内のオープンを目指している。カンボジア人1200人を雇用。年間100万人の観光客を見込んでいる。このプロジェクトの要となる施設は3200メートルの滑走路を持つ巨大な空港だ。中国からも直接来られるようになり、観光やビジネスに便利になるという。劉江氏「中国には『金持ちになるには、まず道を作れ』という、ことわざがあります。陸・海だけでなく空の道、つまり空港も重要なのです」地図には、中国から伸びる黄色の矢印がカンボジアを取り囲んでいる。中国の国家戦略「一帯一路」。陸と海で中国とヨーロッパを結び、その沿線の国々にヒト、モノ、カネを送り込む巨大な経済圏構想だ。海上航路=シーレーンを重視する中国にとって、カンボジアは極めて重要な位置にある。対岸のマレー半島では、インド洋につながる運河を建設する計画も進む。カンボジアの戦略的意義は高まっている。 中国は歴史的に、この国に影響力を行使しようとしてきた。1970年代、中国は共産主義を掲げるポルポト政権の樹立を支援。しかしその後、政権は150万人以上の大虐殺を行った。国土は荒廃、長期に及ぶ混乱が続いた。和平や復興にむけた道筋を主導したのは、日本を中心とする西側の諸国。92年の内戦終結以降、橋や道路などの建設を支援した日本が最大の援助国となり、中国の存在は薄れていった。変化をもたらしたのは、30年以上政権を握るフン・セン首相の強権化だ。フン・セン首相「国家転覆を企てる者は許さない」日本をはじめとする西側の支援国は、長く汚職や人権問題に対処するようカンボジアに求めてきた。この間に急速に関係を深めていったのが中国だった。ダムや道路など、大型のインフラ整備への融資を加速。支援の規模は、2010年に日本を抜いて、最大の援助国となった。一方で、カンボジアの中国に対する債務はおよそ6000億円。GDPの25%にも上り、その額はいまも増え続けている。中国への傾斜を強めるカンボジア。この地を中国の食料庫とするプロジェクトも進んでいた。中国企業が経営する300ヘクタールのバナナ農園。ここも99年にわたり借り上げる契約が、カンボジア政府と結ばれている。5年前からバナナを生産し、いま年間2万トンを中国に輸出している。農園開発の背景にあるのが、中国の食糧事情だ。急速な経済成長に伴い、食糧輸入国となった中国。一帯一路を通じた食糧安全保障の確立が急務となっている。カンボジア・バナナ・アグリカルチャー 高冠華社長「中国がバナナを必要としているから、カンボジアに来ました。熱帯フルーツを求める国内需要と巨大な市場があるのです」この農園では、近隣地区に暮らす貧困層のカンボジア人500人を雇用し、中国本土で広く普及している指紋認証システムで、勤務管理が行われていた。この日は、バナナに傷があるという理由で、収穫班のリーダーが呼び出された。カンボジア人通訳「けさ収穫のときに道が滑ったと言っています」中国人社員「言い訳は聞きたくありません。バナナの収穫は気を抜いたらだめですよ」いま、中国人幹部の間では、カンボジア人の働き方が話題となっていた。中国人社員「中国人は仕事を自分のこととして考える責任感がある。しかしカンボジア人には責任感がない」中国人社員「彼らは40年に及ぶ改革開放のプロセスを経験していない。だからスピードも理念も意識も我々についてこられない」呉さん「外国に来ると祖国の強さを身にしみて感じます」呉誠(ご・せい)。会社の最高幹部の1人だ。呉は、率先してカンボジア人従業員の指導役を担っている。呉さん「私はよく叱るが、私の気持ちをわかってくれよ。チームみんなの力を結集できれば成功できる。発展できるはずだ。我々はバナナ業界のファーウェイになるんだ」呉は中国共産党の党員だ。毎日見ているスマートフォンのアプリがあるという。貧しい農村の解放を理念とした共産党。習近平国家主席の思想を学べる「学習強国」だ。アプリの声「習近平は、上昇志向を保つためのポジティブなエネルギーを刺激する必要性を論じています。社会主義の核心的価値、優れた中国の伝統文化が、人々の心をまとめ、力を結集する強大な力であることを、事実が十分に証明しています」呉は、従業員の意識改革に欠かせないものがあるという。呉さん「共産党の思想教育は役に立ちます。しかし思想教育には、物質的基盤も伴わなくてはなりません。ここで働いて稼げば、バイクを買ったり、家を建てることができます。名誉こそが心に響く。そこから始めるのです」(後略)
2021年11月24日
コメント(0)
「良心を束ねて河となす 〜医師・中村哲 73年の軌跡〜」この世は不公平で理不尽で不条理なものだ。それでも人間の力を信じ、目指すものを見つけ努力を続ける。裏切られても騙されても、それでも人間の良心を信じて束ねて紡いで力を合わせること。それが人間というものなのだと、あらためて心に刻む思いがした。世の中の様々なことにガッカリしたりすることの多い中で、このような人がいたし多分まだまだいるのだと感じられたことに感謝したい。中村医師と同じ日本人であることがとても嬉しく誇りに思う。
2020年12月29日
コメント(2)
昨夜、BSで「チロルの挽歌」を見た。1992年に放送されたテレビ番組だったようで、高倉健と大原麗子が主演である。予告を見て、どうも舞台は北海道の芦別のようだと思い見た次第。このテレビドラマのことは全く記憶がなかったのだが、私が猛烈に多忙な時期だったので、きっとテレビを見る余裕もなかったのだろう。現在のカナディアンワールドその後や、大原麗子さんも高倉健さんも別の世界に行ってしまったなあと複雑な気持ちにもなったが、感想は後で書けたら書こう。参考チロリアンワールドへようこそ・『チロルの挽歌』(1)チロリアンワールドへようこそ・『チロルの挽歌』(2)
2020年12月27日
コメント(2)
中村ファミリーのドキュメンタリー番組は、勘九郎や七之助が幼い頃からずっと見てます。ですから12月18日(金)放送『中村屋ファミリー2020 待ってました!勘九郎 七之助 試練と喝采の幕開けスペシャル』は、もちろん見ました。エンタメ業界が逆風の中、総力をあげてチャレンジを続ける中村屋を追う番組中のインタビュー記事があったので、残しておこう。中村勘九郎インタビュー スタッフの心意気に「一生一緒にやっていきたいと思った」「歌舞伎が好きだと改めて感じた」中村勘九郎 中村七之助が生配信公演を実施!中村七之助 「やる意味があった」生配信公演 コメントを全部読み「涙が出ました」中村七之助インタビュー 連獅子、魂の熱演は父の教え「上手い下手ではなく、火の玉みたいに踊れ」中村勘太郎&中村長三郎 兄弟で「鬼滅の刃」にハマる「朝も昼も“鬼滅ごっこ”してます」前田愛 自粛期間中に家族の新しい一面を発見し「すごく感動しました」まだ幼い中村勘太郎&中村長三郎 兄弟の成長が本当に楽しみ。中止になるかもしれない舞台の練習に、葛藤を抱えながら必死に取り組む姿にとても感動。心折れそうな役者たちに、当たり前のように熱心に指導を続ける片岡仁左衛門さんと、仁左衛門の言葉を一言も漏らさず吸収しようとする勘九郎の姿に、胸が熱くなった。このような姿が、みんなの心を励まし一つにしてゆくことを、仁左衛門さんはよく知っているのだろう。仁左衛門さんがお元気で舞台を勤めていらっしゃることが、本当に嬉しいしありがたい。
2020年12月20日
コメント(4)
昨夜、テレビで「こんな夜更けにバナナかよ」を観た。これは、同名の本を映画化したもので、舞台が北海道であるし、私も障害を持つ人たちと関わる仕事をしていたので、本についても映画についても以前から知っていた。また、主人公の鹿野靖明さんも、直接お話したことはないが、何かの集まりでお会いしたことはある。鹿野さんは、「札幌いちご会」という障害があっても自立生活をしようという活動をする会のメンバーだったし、その代表である小山内美智子さんのブログは時々拝見していて、このブログでも何度か書いている。そんなこともあるので、この映画が上映されるようになってから一度見たいとは思っていたが、彼らの日常生活やその活動について多少は知っていることもあり、わざわざ見ようという強い気持ちもなくてこれまで過ぎていた。しかし、亡くなった三浦春馬さんが出ていることを知って、彼がどのような役割で出演しているのだろうと思い、昨夜は鑑賞した。映画には小山内さんも出演していたし、多分そのお仲間の何人かも出ているようだった。だからきっと、この映画はかなり実際の鹿野さんに近い内容で描かれているのだろう。きっと、三浦春馬さんが演じた医学生にもモデルがいるのだろう。映画を観て最初に思ったのが、三浦さんはこのような映画に出演して、重度の障害を持つ人や、筋ジスのように余命宣告に近い状況にも関わらず、精一杯日々を生きようとしている人たちにも出会っていたのに、そこで何を考え感じていたのだろうということ。映画撮影で出会った人たちは、どれほど残念で悲しい思いをしたことだろうということだ。もちろん、重度のハンティを持つ人たちとその家族は、何度もこの世からおさらばしたいという気持ちになった体験があるだろう。だから、自死した人の気持ちも多分健常な人以上に理解したり共感できるだろう。きっと、悲しみ残念に思いながらも、あちらの世界でまた会うことを楽しみにしているんじゃないか。それにしても…、と思いながら見てしまった。もう一つ思ったのは、大泉洋さんって本当に大物俳優になってきたなということ。彼は北海道出身だし、テレビのバラエティー的な番組でタレント的な仕事をしている頃から見ていたような気がするが、こんな役者になるとは思いもよらなかった。今年の紅白では何と司会者に抜擢されたようで、私としてはびっくりだ。ほとんど映画の内容とは関係ないことを書いてしまったが、この映画で伝えようとしていることは、日頃から私が思っていることとほぼ同じだ。やはり、多くの人に見てもらいたい映画である。小山内さんのブログを見たら、この映画が放送されることもアナウンスしていた。これもぜひお読みください。12月4日に金曜ロードショー『こんな夜更けにバナナかよ〜愛しき実話』が放映されます今、こんな記事も見つけた。大泉洋 三浦春馬さんとの思い出つづる「本当に真面目で、いいやつで、素晴らしい役者でした」 12/5(土) 8:11 スポニチ
2020年12月05日
コメント(0)
この日は、Tさんとシネマ歌舞伎鑑賞のために札幌へ予想以上に奇想天外で楽しく、かつ歌舞伎ならではの芸もてんこ盛り。気分が低迷している時には、最高の演目だと思った。自粛生活続きと、周囲の空気の影響を受けやすいTさんは、このところ主治医に入院を勧められるくらい気持ちが落ち込んでいたという。映画後に色々と話をして、そこまで調子が悪かったのだと知り、この日この映画を観て本当に良かったと思った。シネマ歌舞伎「東海道中膝栗毛」【作品紹介】〈シネマ歌舞伎 制作スタッフ〉監督:浜本正機撮影監督:鈴木達夫サウンドデザイン:瀬川徹夫音楽:富貴晴美原作:十返舎一九構成:杉原邦生脚本:戸部和久脚本・演出:市川猿之助お馴染み弥次さん、喜多さんの珍道中記が早くもシネマ歌舞伎として登場。【東京】歌舞伎座「八月納涼花形歌舞伎」で上演された本作は、日本に留まらずラスベガスまで及ぶ2人の旅を描いています。題名にある「膝栗毛」とは、徒歩で旅行をすることを意味しており、享和2 (1802)年より刊行された滑稽本『東海道中膝栗毛』は、主人公2人の道中記を行く先々の土地の風俗を交え面白可笑しく書かれ、ベストセラーとなりました。 歌舞伎での初演は、昭和3(1928)年に木村錦花が脚色し、初世市川猿翁(当時 猿之助)と六世大谷友右衛門により歌舞伎座の夏芝居として大評判をとりました。流行を取り入れ、時代を風刺した内容は肩が凝ることなく楽しめます。以降、様々な脚本・演出により上演されてきましたが、新たに手掛けられた本作も原作の世界観を生かしながら、真面目に生きてこなかった弥次喜多と必死に目標に向かって進んでいく子供たちがともに伊勢へと向かっていきます。多彩な顔ぶれによる出演はもとより、宙乗りや本水の立廻りなど歌舞伎ならではの趣向が満載の舞台は客席を大いに沸かせました。その話題の公演にシネマ歌舞伎ならでの編集が様々加えられ、理屈無しの傑作喜劇をお楽しみください。あらすじ家督を守り、母の病気平癒を伊勢神宮に願うため、信夫の領主梵太郎と御伴の政之助は、不安を口にしつつも決意を新たに旅立っていきます。一方で、冴えない弥次喜多の2人は、長屋へ帰って一杯やっているところへ借金取りが現れるので大慌て。暗闇の中、偶然にも大金を手にし、お伊勢参りに向かうのでした。東海道の茶屋で弥次喜多の2人と梵太郎主従が出会い、4人で旅をすることに。道中で一行は、ラスベガスに辿り着いたり怪奇現象や盗賊の一味、闇金にも襲われます。艱難辛苦を乗り越えて、やっとの事で伊勢参りを果たすのですが・・・配役弥次郎兵衛:松本 幸四郎喜多八:市川 猿之助盗賊白井髭左衛門:市川 右團次天照大神:市川 笑也十六夜:中村 壱太郎茶屋女お稲実は女盗賊三ツ大お新:坂東 新悟五日月屋番頭藤六:大谷 廣太郎信夫の若君 伊月梵太郎:市川 染五郎供侍 伍代政之助:市川 團子読売屋文春:市川 弘太郎老船頭寿吉:市川 寿猿大家七郎兵衛:松本 錦吾役者/女札親師毬夜:市川 春猿石油王夫人麗紅花:市川 笑三郎役者/用人山田重右衛門:市川 猿弥闇金利太郎:片岡 亀蔵アラブの石油王亜刺比亜太:市川 門之助五日月屋女房お綺羅:市川 高麗蔵大家女房お米:坂東 竹三郎劇場支配人出飛人/奉行大岡伊勢守忠相:中村 獅童この日、JRで札幌駅に降りた時、ずっと気になっていたIさんの姿を見かけた。ご実家が火災となり、ご両親を失い、ご自分も火傷による後遺症を抱えてしまい、お仕事の方もなかなかままならない状況らしいとのことで、「どうなさっているだろう」とずっと気になっていた。思いがけず姿を見たので、改札を過ぎてから見失わないようにと後を追った。どう声をかけようなんての構えはまったくなくて、咄嗟の行動だった。時間もなかったので、ちょっと立ち話をした程度であったが、以前とあまり変わらないような表情と話し方だったので、「あ、大丈夫だな」と心から安心した。しかし、未だに困難な状況にある彼女に対して、少し配慮が足りなかったかと後で反省。時間があればもう少しお話が出来たのにと、ちょっと心残りでもあった。でも、同行したTさんの状況を考えると、やはり一緒にお話はしない方が良かったかもとも思う。Iさん、いつか以前のようにお元気な演奏が聴くことが出来る日を待っています。
2020年07月15日
コメント(0)
ずっとパッとしない天気が続いていたので、夫が「久しぶりに映画でも見るか」と借りてきた。本当は観たいものが別にあったらしいが、見つからなくて近くにあったものを借りたという。新作ではないので一枚110円だそうだ。随分安くなったものだと思う。ということで下記の二作。二日連続で鑑賞。「グレイトデイズ 夢に挑んだ父と子」車椅子生活を送る少年と頑固で不器用な父親が、ハンディキャップを乗り越えてトライアスロンに挑戦し、親子として真正面から向き合っていく姿を描いたドラマ。体が不自由で車椅子生活を送る17歳のジュリアンは、失業して久しぶりに帰ってきた父ポールとの時間を楽しみにしていたが、息子との接し方が分からないポールは口をきこうとしない。そんな父の態度に不満を募らせるジュリアンは、若き日の父がトライアスロンの選手だったことを知り、自分もトライアスロンに挑戦することを決意。トライアスロンの中でも最難関とされるアイアンマンレースに出場することを決め、反対する両親を説き伏せて父とのチームを結成する。無謀にみえるジュリアンとポールの挑戦は、やがて周囲の人々も巻き込み、夢に向かって一丸となっていく。「エトワール」「オーロラ」のニルス・タベルニエがメガホンをとり、父ポール役は名優ジャック・ガンブラン、息子ジュリアン役はオーディションで見出されたファビアン・エロー。ひょとすると実話ものかと思ったが、違ったようだ。しかし、息子役はオーディションで選ばれたハンディを持つ青年で、その存在は演技以上に説得力があり感動につながった。「ANNIE アニー」1982年にも映画化された名作ブロードウェイ・ミュージカル「アニー」を、「ハッシュパピー バスタブ島の少女」で史上最年少のアカデミー主演女優賞候補となったクワベンジャネ・ウォレス主演で新たに映画化。ニューヨーク、マンハッタン。1歳になる前に両親に捨てられ、横暴なハニガンが営む施設に引き取られた少女アニー。10歳になった現在も両親が迎えに来てくれると信じている彼女は、かつて自分が置き去りにされたレストランに通い続けていた。そんなある日、アニーは事故にあいそうになったところを市長候補の男スタックスに助けられる。アニーの存在が選挙戦に有利になると考えたスタックスは、彼女を引き取って一緒に暮らしはじめるが……。「ステイ・フレンズ」のウィル・グラック監督がメガホンをとり、製作を担当したウィル・スミスとジェイ・Zが「TOMORROW」などおなじみの名曲を新たにプロデュース。共演には「Ray レイ」のオスカー俳優ジェイミー・フォックス、ミュージカル初挑戦のキャメロン・ディアスら豪華キャストがそろう。この作品名は随分前から耳にしていたような気がするが、観たのは初めて。作品説明を見たら、映画化したものでも二作目。「アニー」がミュージカルとして最初に演じられたのは1976年ということで、あらためてビックリ。日本でも1978年に初公演というから、どれだけ人に愛されている作品なのか。私達は遅れすぎている!
2020年06月29日
コメント(0)
二月にシネマ歌舞伎を観てから、何と4か月ぶりに札幌に出る。札幌ではまだ感染者が出ているので、少し緊張しながら電車に乗る。数か月ぶりに会ったTさんが元気そうだったので、本当に良かった。映画館は一席ずつ空けた状態での座席指定だし、フロアーも椅子は撤去されていた。「蜘蛛の拍子舞/身替座禅 」は、2009年に上演されたものである。この時には、まだ中村勘三郎も坂東三津五郎も健在だったのだなと思うと、何とも切ない気持ちにもなってしまった。三津五郎の息子の巳之助、尾上菊之助、当時はまだ市川染五郎だった松本幸四郎なども、今では歌舞伎界の中心となっているのが頼もしい。歌舞伎は、それぞれの役者が成長する姿を見てゆけるのが楽しいと思う。ランチはステラプレイスの中国料理のお店に行ったのだが、客同士が密にならないように工夫していたし、そもそも食事をする人たちも以前と比べたら随分少ない。行き交う人たちはみんなマスクをしていた。この状態、いつまで続くのだろうか。
2020年06月11日
コメント(2)
Yahoo!クリエーターズというサイトで、各地で活動する映像作家のショート映像がある。どれも10分程度で見られるので、ちょこちょこ覗いている。今朝見たのは下記の映像。どれも考えさせられる。身長100センチの女性が、2児のママになるまで 流産、検診拒否...それでも出産を諦めなかった理由消滅危機のアイヌ語を守る 恋に落ちてアイヌ語講師になった男若者に託された廃炉という宿題 解決策がいまだ見えない福島第一原発に残された難題に挑む高専生たちの挑戦
2020年04月21日
コメント(0)
昨日は、シネマ歌舞伎「阿弖流為」を、いつも一緒に行くTさんと鑑賞。昨日が上映最終日だったので、見に行けて本当に良かった。この作品は、現代の歌舞伎の傑作ではないだろうか。最近はスーパー歌舞伎などで様々な挑戦がされているし、そのいくつかは見たことがあるけれど、この作品は歌舞伎の王道ともいえる表現方法を駆使していて、歌舞伎らしい重厚さと華やかさ、歌舞伎役者の技量の凄さを堪能できるし、それに加えて新しい表現方法や音楽も加わり、すべてが本当に良かった。中村兄弟に染五郎(今は松本幸四郎)の演技は、本当に感動モノであり、それぞれの魅力が十分に生かされているものだった。脇を固めている役者さん達もそれぞれ力があるので、歌舞伎の底力って凄いなあと思うばかり。また、内容も坂上田村麻呂の蝦夷討伐という史実に即しながらも、現代に通じる異民族への蔑視や、大国が小国を取り込んでいく構造、人間が繰り返してきて現在も続く「争い」の根源や、その和解の可能性などなど様々な問題を思い起こさせるもので、とにかくあっというまの時間であった。この作品は、機会があったらまた見たいと思う。
2020年02月14日
コメント(0)
昨日は、久しぶりにシネマ歌舞伎を友人たちと三人で鑑賞。「廓文章吉田屋」は、この日が最終日だったので、行けて良かった。仁左衛門と玉三郎は好きな役者なので、ストーリーはともかく見てみたいと思っていた演目だ。前半に、片岡仁左衛門と坂東玉三郎へのインタビュー映像があったのだが、これがとても興味深かった。お二人がこの演目で共演してから50年だという。多分、色々な人ともこの作品を共演しているのだろうが、仁左衛門との共演には格別な感慨があるらしい。仁左衛門によれば、この作品は松嶋屋のお家芸ということで、思い入れも強いようだ。また、片岡仁左衛門は三男で兄二人がいるのだが、この演目には兄である片岡我當と片岡秀太郎が夫婦役で出ている。ハッキリ言って、仁左衛門が一番父である13代目仁左衛門に似ている。だから名跡を襲名したのかな? この演目で感じたのは、とにかく仁左衛門や玉三郎の所作の美しさや圧倒的なオーラ。所作の凄さについては、黒子役の人たちのまさに影となる動きの名人芸のような所作。どんな端役の人であろうと、修行を重ねた技術があることが歌舞伎の世界の凄さ。しかし、明確な序列がある世界であるようで、歌舞伎役者の家に生まれなければ、どれほど修行して実力があろうと、役がつくことは少ないようだし、大名跡の家に生まれたなら、それこそ三歳くらいから舞台にも立てる。これはかなり封建的で現代の感覚からみたら理不尽な世界でもある。しかし、その中での強い責任感に裏打ちされた修行がなければ積み重ねられないものもある。いつも歌舞伎を見る時には、そんなことを思わずにはいられない。さて、このストーリーや、母性本能をくすぐる演技が見どころという伊左衛門(仁左衛門)については、仁左衛門の演技には感心するけれど、「こんな男にどうして惹かれるんだ」というのが正直なところ。鑑賞後のランチの時に、「男脳、女脳」の話にもなったのだが、私は男脳に近いというか、中性ではないかと常々思っている。母性本能をくすぐられて「ほんとに男って駄目ね。でも可愛い!」などという感性はないようだ。でも、仁左衛門さんは大好きだ。本当に上品で凛としていながら優しくて、人としての器も感じてほれぼれする。もちろん、玉三郎は最初に歌舞伎を見た時の彼の美しさに衝撃を受けてからのファンだ。この二人が、最初の頃に演技について大げんかをしたというのだから、嬉しくなる。いつまでもお元気でいてほしいと心から願っている。
2020年01月24日
コメント(2)
昨日は、久しぶりにTさんとシネマ歌舞伎鑑賞。シネマ歌舞伎『人情噺 文七元結』【作品紹介】山田洋次監督、中村勘三郎、夢の顔合わせが実現!三遊亭円朝が口演した落語が原作の『人情噺 文七元結』。2007年10月に新橋演舞場にて上演された世話物の傑作がシネマ歌舞伎として登場します。今回は、日本映画界を代表する名匠・山田洋次が十八世中村勘三郎の要請に応えてシネマ歌舞伎を初めて監督し夢の顔合わせが実現しました。「カットによっては生の舞台よりも力を感じるときがある」とシネマ歌舞伎の映像の迫力を高く評価する山田監督の指揮のもと撮影されました。劇場ならではの臨場感から人間味あふれる勘三郎が勤めた長兵衛の息遣いまで、余すところなく捉えておりシネマ歌舞伎に新たなる1ページが加わりました!作品紹介を見ただけで期待感が高まる作品だが、予想以上に楽しかった。Tさんはちょっと色々あって気分低調状態だったのだが、この映画のおかげで元気の充電ができたのではないだろうか。
2019年12月10日
コメント(2)
「妖怪百歌物語~ホロケウカムイ篇」ブログ仲間のk-nana さんが関わっている演劇で、ご案内をいただいたので知人と二人ででかけた。北海道新聞でもこの演劇のことが紹介されていたので、記事をコピーしておく。アイヌ民族の過去と今、舞台に 「遺言伝える気持ちで歌う」 札幌の劇団「妖怪大縁会」11月上演 10/17 16:27 更新 道内の社会人や学生による劇団「妖怪大縁会」(札幌)が来月、アイヌ民族の過去と今をテーマにした舞台を上演する。劇中の音楽は生演奏で、アイヌ民族の豊川容子さん(41)も歌い手として参加。アイヌ民族の女性と和人の青年の出会いを描き、歴史や差別を巡る痛みとどう向き合うかを問いかける。 同劇団は歌手のモノノケユースケさん(40)と脚本を担当する鷲頭環(わしずたまき)さん(42)が主宰。自然や妖怪など人間以外の視点から社会を見つめる作品などを上演してきた。 今作の「妖怪百歌物語~ホロケウカムイ篇(へん)」は、アイヌ民族の血を引く女性と祖先の歩みを通して、同化政策で生活を奪われた家族やアイヌ語の衰退を描いた。現代のシーンでは、主人公がルーツを理由に職場で中傷されたり、青年の「アイヌでも気にしない」という悪意のない言葉に傷つく場面も。所々に登場するホロケウカムイ(エゾオオカミ)が物語の鍵を握る。 同劇団がアイヌ民族を取り上げるのは初めて。参考文献を50冊以上読み、半年がかりで脚本を仕上げた鷲頭さんは「痛みから目を背けて一緒に歩むことはできないというメッセージを込めた」。主人公を演じる進藤莉奈さん(22)は「和人の自分が演じていいのか」と葛藤しつつ、「過去は取り返しがつかないからこそ、悩みながら今と向き合いたい」と話す。 豊川さんは、ユースケさんとオリジナル曲「ホロケウカムイの謡(うたい)」など5曲を披露する。「自分たちが今、感じている違和感が的確に表現されていて驚いた。(絶滅した)ホロケウカムイの遺言を伝える気持ちで歌いたい」と意気込む。 舞台は11月1日午後7時、2日午後3、7時、3日午後1、5時の計5回。会場は札幌市西区八軒1西1のコンカリーニョ。1日は未就学児のいる家族のみ入場でき、一般千円。その他の前売り券は一般2千円(当日2500円)など。申し込みは、ユースケさん(電)090・2810・5852へ。(斉藤千絵)★「ホロケウカムイ」の「ロ」は小さい字会場のコンカリーニョは初めて行く場所。お昼ごろに琴似駅で待ち合わせ、高架下の「ビックリドンキー」でランチ後、満席だということをnanaさんからメールで知らせていただいていたので、開場前に行ったのだがすでに人が並んでいた。社会人や学生による市民劇団ということなのだが、予想よりとても良かった。アイヌ民族の歴史や、未だにその痕跡が残る偏見など、とても難しいテーマでの内容で、これが完全オリジナルというのだから、どれほど苦労したかがしのばれる。脚本、演出、出演者、音楽、踊り、衣装などすべてが手探りで、きっと喧々囂々の議論を交わしながらの日々だったのではないだろうか。その中で、皆さんの意識が共有され、その思いを多くの人たちに伝えたいという熱い思いが、ビシビシ伝わってくる舞台だった。特に私が感動したのは、ルーツがアイヌ民族である豊川容子さんのアイヌの歌(ウポポというのだろうか)、それが本当に素晴らしかった。参考;アイヌシンガー 豊川容子さん(札幌人図鑑)バンド演奏や電子ピアノの合わせて歌っているのだが、まったく違和感がなくて、まさに現代音楽とアイヌ音楽の融合という感じだった。また、舞台のバックスクリーンに映されるのが、小寺卓也さんの森や木々の写真。公演終了後に、豊川さんと小寺さんのトークもあり、その話にも感動。その後、小寺さんの写真集や絵本、豊川さんや今回のテーマソング(?)のCDやアイヌ刺繍の小物などの販売があった。私は小寺さんの写真絵本「いっしょだよ」などを購入。この絵本を選んだのは、今回の演劇のテーマと合っているような気がしたから。「共生の思想」は、民族問題も自然問題も全部包括されるものだし、その考え方なくしては、人間の未来もないような気がしている。k-nanaさん、良いものを見せていただきました。本当にありがとうございました。
2019年11月02日
コメント(5)
札幌シネマフロンティアで、いつも同行するTさんとシネマ歌舞伎「日本橋」を見る。予習なしで見たのだけど、原作が泉鏡花というのはわかっていた。実は、泉鏡花はどうも私は好きになれずにいるのだが、坂東玉三郎は泉鏡花の世界が好きらしい。この作品は一見すると男女の四角関係とでもいおうか、あるいは女性の嫉妬と憧れの入り混じった複雑な感情を描いているので、やはり私にはどうも共感や感情移入ができにくい世界だ。人間の心の中には、このような醜いものも渦巻いていて、それが出口を求めて噴出するときに悲劇となることは、現実の事象でもよくあることだ。それを強調しているかのようなこのような作品は、私は積極的に見たいと思わないのだ。それでも私は玉三郎が好きなので、彼の演技の凄みを伴う美しさにはうなった。しかしやはり、「感動」というのとはちょっと違って、「もっと心が洗われるようなものがいいな」というのが正直な感想だ。帰宅してから、ネットで玉三郎がこの作品について語っているものがないかと探したら、下記を見つけた。『日本橋』演出・主演の坂東玉三郎が語る、泉鏡花独自の魂の世界(一部抜粋)「鏡花にとって、理想的な女性である清葉と、全てを持ち合わせた女性であるお孝は、ふたりでひとりの女性なのだと思います。醜いドロドロとした感情が制御されているのが清葉、全ての感情を持ち合わせているのがお孝。同じように、葛木と伝吾も、ふたりでひとりの男性です。鏡花はそうやって、別々のキャラクターとして表現しながら、結局はひとつの魂の境地を書いています」。「鏡花は芸術家と医者を尊敬していました。清葉は笛の達人ですから芸術家、葛木は医学士です。彼らは純粋な魂を持っていますが、お孝は人間の煩悩に翻弄されます。葛木も一瞬、お孝によって煩悩の世界へ引き入れられるけれども、出家することで断ち切って行くわけです。そして葛木と清葉は生き残ります。一方、お孝は、伝吾を殺し、自分自身をも殺すことで、伝吾と自分の煩悩を退治して魂を浄化して行きます。そして、清葉の笛の音、つまり芸術の手引きによって、あの世へと旅立つのです」。うーん、私は泉鏡花はそこまでのことをこの作品に込めて書いたのだろうかと、本音では疑問に感じた。ただ、作家としての鋭い感受性がそのようなものも内包していたということではないかと思う。なんで私がそう思うかと言えば、私は「日本橋」は読んでいないのだけれど、泉鏡花の作品は必要があって20年近く前になるかもしれないけれど、何作か読んだり彼について調べたりしたことがある。その時の印象では、人気作家でもあった彼は、人々の興味を引く題材で人間同士のドロドロした部分を、独特の美意識をからめて作品にする作家のように感じた。でも、玉三郎の解釈を読んで、なるほどそのような部分も受け止めているのかと、玉三郎の感度の鋭さに感服している。きっと、鏡花は玉三郎に異界から手を合わせているんじゃないかな。いやひょっとすると、玉三郎はあちらの世界でさらにグレードアップした鏡花からのメッセージを受け取るアンテナになっているのかも。
2019年08月23日
コメント(2)
NHKスペシャル 昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~ とても興味深く視聴した。そしてこの記録は、読む人によって随分とらえ方が違うのではないかと感じた。私は、田島道治初代宮内庁長官が、昭和天皇と立場を超えて共鳴するものもあり、お互いに率直な思いを語り合った記録のように感じた。何より、田島氏が新たな象徴天皇像を天皇以上に真剣に考え、天皇の意を理解しながら今後の日本のためにと体を張って、ある意味では命がけで職務と天皇に向き合った姿に、とても感動していた。そしてその克明な記録である。それがどのような思いと意図で書かれたのかは本人しか知る由もないが、少なくてもその時は、新しい日本の姿の歴史を作っていることを自覚し、とにかく正確に記録しておこうという一心で書いたものだと思う。ただ、やはり私は、昭和天皇にこれだけの退位の意志があったのだから、そうしてほしかったと思う。当時の時代状況をわかってはいないけれど、戦争の最高責任者である天皇の責任を明確にしなかったことが、政治や官僚の無責任体質をその後も踏襲してしまったと思うからだ。ただ、日本人のことだから、天皇が退位したら「ありがたい大御心」などと言い始めて、もっと戦争責任がうやむやになっていたかも。昭和天皇 拝謁記 旧軍否定も再軍備や憲法改正に言及これが現在の安倍政権の金科玉条として使われないかととても不安である。なんたって、こんな人↓だから。安倍政権が天皇代替わりにかこつけ佐川元国税庁長官を恩赦に? 森友隠蔽に協力した財務省幹部も在英公使に栄転 リテラ 2019.08.17 09:10
2019年08月19日
コメント(4)
久しぶりにTさんとシネマ歌舞伎鑑賞。今回は、玉三郎の「鷺娘/日高川入相花王」という舞踊劇。「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」は、安珍・清姫の道成寺伝説を取り入れた、人形浄瑠璃を歌舞伎舞踊化したもの。その人形振りは、まさに芸の極致と言う感じで、ただただ感動してしまった。「鷺娘」は、以前札幌の歌舞伎公演で見たことがあると思い出し、今、ブログを検索して発見。このような時は、本当にブログは便利だと思う。しかし、2006年03月18日 だったと知り、そんなに前だったのかと驚いてしまった。この時は、誘える人がいなかったので一人で見に行ったと思う。休憩時間に会場で、ボランティアグループのメンバーと遭遇したが、彼女は歌舞伎は初めてだと言ってたっけ。随分前のことなのに、妙に覚えているのが不思議。次回のシネマ歌舞伎は一週間しか上映がなく、その週は出かけることが多いのであきらめることになりそう。
2019年07月01日
コメント(2)
四月から始まったNHKの「なつぞら」は、毎日楽しみに見ている。北海道が舞台だから、道民のほとんどは興味深く観ているのではないか。戦争で親を亡くした子供たちが日本各地に沢山いたけれど、私は孤児となった子どもたちのその後がずっと気になっていた。だから、きっとこのような子もいるんじゃないかと思うし、その子たちの人生は苦労の多いものになっていたんだろうと思う。子役たちはみんな頑張っていて、先週後半はこの私も涙がにじんできてしまった。戦後開拓に入った人たちは私たちの町にもいたし、その人たちが与えられた土地は作物を作るのには不適なところがほとんどだったので、農業を知らない都会の人たちには二重の苦労があったに違いない。また、戦後開拓の人たちに与える土地を確保するため、アイヌの人たちがさらに悪い土地に移住させられたという歴史もある。十勝地方ではどうだったのかはわからないが、朝ドラにはとんな背景などはスルーするのだろう。「まんぷく」で、モデルとなった安藤百福さんの歴史が消されてしまったように、都合の悪いことはなかったことにするのは、ドラマの常識なのだろうか。始まったばかりで、毎日楽しみにしているのにこんなことを書くのは少し気が引けるが、次に北海道を舞台としたドラマを制作する時は、ぜひともアイヌ民族の歴史に触れたものをお願いしたい。それはともかく、私はなっちゃんよりは時代が下がった時代に子ども時代を送っているが、少し違和感のあることがある。それは、子どもたちの服装が小ぎれいなこと。さらに、お母さんがとても美しいことだ。美人のお母さんは当時だって多かったと思うけれど、農家のお母さんたちは農作業で日焼けをしているし、もちろんお化粧などしていない。さらに、農作業をする時には日焼け防止のためになのか、大きな風呂敷のような白い布に新聞紙をはさんで、現在の農作業用の帽子のように被っていた。多分、帯広でもそうだったのではないだろうか。せめてそのあたりくらいは時代考証してほしかったな。とはいえ、今後の展開が楽しみである。
2019年04月08日
コメント(6)
昨夜、たまたまチャンネルを変えたら「殿、利息でござる!」が放送中だった。番組紹介で「実話」という文字があったので、見ることにしたのだけれど、残念ながら前半三分の一は見逃してしまった。原作は 磯田道史氏の 『無私の日本人』の中の「穀田屋十三郎」のようで、このほかに「中根東里」「大田垣蓮月」の話も載っているようだ。今読んでいる本を読み終えたら、読んでみたいと思う。途中から見たのだけれど、十分に感動する内容だった。この時代の庶民は力を合わせて助け合わなければ生き残れなかったのかもしれないが、それにしてもこのような史実があったとは…。それぞれの俳優さんたちは、さすがと思えてそれも感心してみていたのだが、最後に藩主として羽生弓弦が登場した時にはビックリ。つまり、私はこの映画のことを全く知らなかったのだ。考えてみれば、彼は舞台となった仙台出身であり、それもあっての配役だったのだろう。この時代、武士は偉そうにしているけれど庶民から搾り上げ、それでも足りなければ借金もしていたとは少しは知っていたけれど、このような話まであったとは…。仙台藩は明治維新後、北海道開拓のために現在の伊達市に家臣と共にやってきた。伊達家の末裔はどうなってるのかなと調べたら、このサイトを見つけました。
2019年03月06日
コメント(2)
昨日、やっと見ました「万引き家族」。見たいとは思っていたのだが、映画の内容はニュースなどで何となく想像もできたし、考えさせられる映画だろうとは思ったけれど、現実の日本社会のあれこれを連想すると苦しくもなりそうで、少し避けていたのも正直なところだ。このような「重さ」を想像できる映画はあまり好まない夫が、珍しく「話題になったから見ておくか」などと言うので、気が変わらないうちにとさっそく千歳空港内にある「そらシネマ」へ。レディースデイだったせいか、そこそこ混んでいた。やはり見終わったら何かズシーンとくるものがあった。今、ネットで映画の公式ページなどを見ていたら、是枝監督がこの映画を作ったヒントは「死亡通知を出さずに、親の年金を不正に貰い続けていた家族が逮捕された事件に触れたこと」だそうだ。その時から色々と考え構想を温めて10年らしいけれど、監督の想像力や人間を見る目の暖かさに再度感動している。あまりにも様々なことが凝縮されているので簡単に感想など書くことができないけれど、人にとって大切なものや必要なものは本当に様々だし、何かの事件やそこに登場する人たちを「正義、倫理、道徳」だけで判断することの怖さを感じている。誰しも、自分にとっての幸せや喜びを求めて必死に生きているし、それは家族だからといってすんなりと共有できるほど単純なものでもない。自分にとって大切なものを守りたい一心での選択や行動が、社会に受け入れられるものとも限らない。たった一つはっきりと言えることは、人は一人では生きてはいけないし、ましてや幼い子供は自分を守る術は持たず、近くにいる大人を頼るしかない。様々なことがあちこちと脳裏をよぎってしまい、どっぷりと映画の世界で感動したりできなかったけれど、今思い返すと、子役を含めて俳優さんたちがそれぞれとても素晴らしかったと思う。是枝監督は登場人物の俳優を決めてから台本を書いたんじゃないかと思うくらいだ。夫は、「この内容が世界の人も感動させるんだろうか」と言っていた。私は、「きっと人間社会の普遍的な問題を抉ってるんじゃないかな」と言ったのだけど、どうなんでしょうね。「万引き」で思い出すのは、某高校の近くにあったコンビニが、生徒たちの万引きに業を煮やし、少し離れた場所に店舗を移したということや、別のコンビニでは高齢者の万引きが多くて困っていると店長から聞いたこと。その店長は、「高齢者の万引きは、学生のそれとは質が違うので、注意しているしかない」と言っていた。
2019年03月01日
コメント(2)
私は、テレビドラマをあまり見ない。特に、民放の連続番組はほとんど見ない。というのは、連続ドラマを見始めると、どうしてもその時間を縛られてしまうので、単発のドラマを見る程度だ。しかし、NHKの朝ドラは朝の時計代わりに若い頃から見ているし、大河ドラマは毎年楽しみに見ていて、時には「今年の大河ドラマはちょっとな…」と思っても、結局一週間の節目のように見ている。そして、なんだかんだ言ってもNHKドラマは民放のそれよりも、私には好みであった。ところが近年、どうもNHKも民放的になってきたというか、あるいは若い世代に見てもらうためなのか、マンガチックなものが多くて、私にはちょっとついていけないものがある。「いだてん」も、好きな中村勘九郎や獅童が出演するので楽しみにしていたのだが、ドタバタしている感じがするし、場面展開が変わりすぎて疲れてしまう。そのうちもう少し落ち着くかなと見続けるつもりではあるが、古今亭志ん生のビートたけしだけは、多分最後まで違和感を抱くのではないか。私は本物の志ん生を知らないのだけれど、あんなに活舌の悪い人だったのでしょうか。とにかく、彼が出てもビートたけしにしか見えないので、そのたびに少し萎えてしまうのだ。(そういえば、前回の「西郷どん」の鶴瓶もそうだったけれど、もう少し役を演じていたような気がする)私も高齢者になってきたので、言葉が聞き取りにくいのは一番困る。本職の落語家は「志ん生」を演じるのは恐れ多くて無理だったかもしれないけれど、物まね上手な芸人なら他にもいただろうにと思う。今ではビートたけしも大御所になってしまって、NHKは注文もつけられないのだろうか。とにかく、最近のNHKは権力を持ってしまった人には遠慮がちというか、忖度しちゃう傾向があるようだから。私の本音は、今からでも遅くないから「志ん生」役は交代させてほしい。そのほかの番組の中でも、どうもバラエティー番組的な演出が多い気がする。人気番組になっているようだが、「チコちゃんに叱られる」は私は好きではない。チコちゃんの表情などは、本当にうまく作ってるなあと感心するし、内容もさほど悪くはないけれど、なにしろチコちゃんの言葉遣いが引っ掛かりすぎるのだ。五歳児という設定でこの言葉遣いをさせる感覚がイヤなのだ。「ボーッと生きてんじゃねえよ!(だったかな)」と、自分では決して言えない言葉を聞いてストレス解消しているみたいで…。あの言い方、五歳児くらいの子どもには受けるだろうし、マネする子も多いのではないか。言葉は使い続けると慣れてくるし、もっと強い口調で話したくなってくる。普通の五歳児が大人にあのように言ったら、大人はどう対応するのだろうか。でも、多くの人には支持されている番組のようで、再放送もしているようだ。あの番組を再放送までしなくてはならない理由がよくわからない。それでも、私は民放よりNHKを見ていることが多い。民放よりも丁寧に取材したドキュメンタリーや、単発のドラマなどには良いものがある。何よりコマーシャルがないのが私には落ち着ける。最近、NHKの政権への忖度体質が批判されているようだが、私もそう感じることがある。私達の受信料で運営されているのだから、しっかり権力者に対しても忖度せずに、国民にとって知らなくてはならないことは報道してほしい。
2019年02月03日
コメント(3)
シネマ歌舞伎「沓手鳥孤城落月/楊貴妃(ほととぎすこじょうのらくげつ/ようきひ)」すっかり恒例となったシネマ歌舞伎鑑賞の日。玉三郎が出演するものは、全部見ておきたいと思う。歌舞伎は日本の宝物だと思うし、好きな役者も期待している役者も何人もいるけれど、彼はとびっきりの日本の宝物だと思う。彼がいつ人間国宝になったのかと確認したら、下記の記事を見つけたのでコピーしておこう。結構若い頃に受けていたんですね。玉三郎が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)に 2012年07月20日 坂東玉三郎が重要無形文化財「歌舞伎女方」保持者の各個認定(人間国宝)を受けたことが発表され、南座で取材会を行いました。「皆さんのおかげで、ありがたいと思っております。それに恥じないよう、なおなお充実した作品、舞台づくりに励みたいと思います」との挨拶とともに、認定に当たって思うところを玉三郎が語りました。後輩の指導のために 立女方として重要無形文化財にと打診され、「自分にふさわしいものではないと思いました。が、後輩のために受けてほしいと言っていただき、後進の指導と歌舞伎の将来のためには、お引き受けせざるを得ない」と思った玉三郎は、今後に向け、その指導について次のように話しました。 「私どもの若い頃は江戸言葉があって、世話物なら自分たちの使っている言葉の速度でお芝居が進みました。ところが、古典ということで言葉が形式的になり、この20年、芝居が伸びてくるようになりました。きちんと整理、演出していかないと、皆さんがご覧になりにくい歌舞伎になってしまうと思います」。父(十四世守田勘弥)たちの時代には、演技が揃わないときは演出的な修正が行われていた、と語る玉三郎が実感しているところです。 さらに、女方の育成については、「女方というのは、しっかりした修行と生活がなければできない。品格というものも大事で、それはやはり、私生活やお稽古ごとをする姿勢、俳優としての姿勢からでき上がってくるものだと思います。昔のような師匠と弟子が一緒の修行の場がなく、今は女方が生まれにくい時代です」と話し、ある時期に詰め込んだ修行をしなければ、「技量、品格が揃い、お客様が認めてくださる女方になるのが困難」とのこと。そして、そういう女方をつくっていく気持ちを持っていることを力強く述べました。新しい作品を残す これまでの節目になった役としては、「15歳の『忠臣蔵 八段目』小浪(昭和40年12月歌舞伎座)、17歳での加賀山直三先生演出の『時鳥殺し』(昭和42年12月国立劇場)、三島由紀夫先生の『椿説弓張月』白縫姫(昭和44年11月国立劇場)、当代の團十郎さんとの『鳴神』(昭和45年9月歌舞伎座)が大きかったと思います。後年ですと、『伽羅先代萩』政岡(平成7年10月歌舞伎座)、阿古屋、八ツ橋...」、そして鏡花作品への取組みを挙げました。 これまで、昆劇や泉鏡花、有吉佐和子作品を手がけたのは、「歌舞伎でできればと考えて」のことだったと明かし、「新しい作品をつくらなければ、残さなければならないと思っております。現代における古典的な手法を持った脚本が生まれない時代ですが、3作でもあればいい」と、新作に取組む強い意思を語りました。立女方としてこれからの舞台 「私は姫が似合わない性格、体つきで、役柄的に姫がたいへん苦手と言われた役者です。それを制覇しなければと勉強してまいりました。これからは、老け役としても納得していただける役者となれるよう修行していきたい」。役の大小や年齢にかかわらず、「自分が十分に納得できる役づくりならどんどんやりたい」と、今後の舞台への意欲を見せました。 「私が心がけているのは、役を通して向こう側の世界を、お客様に感じていただくこと。華やかな女方の見た目や書割の舞台の"向こう側"を感じていただける俳優になるのが一番の望みです」。50歳を過ぎてからは、「舞台やものをつくることに時間をかけ、丁寧に」と心がけ、「睡眠を十分にとることが一番重要。寝足りないと舞台で情感が出せないので」という舞台裏の話も披露しました。▼ 現在、歌舞伎部門の人間国宝は、坂田藤十郎(平成6年認定時は三代目中村鴈治郎)、澤村田之助(同14年)、尾上菊五郎(同15年)、中村吉右衛門(同23年)の4人で、玉三郎が5人目。田之助は歌舞伎脇役、藤十郎、菊五郎、吉右衛門は歌舞伎立役としての認定で、歌舞伎女方としては、昨年10月に中村芝翫、今年2月に中村雀右衛門が相次いで没したため、現在は玉三郎一人となります。 この日の鑑賞後のランチは、大丸レストラン街の「なだ万茶寮」で。以前にも覗いてみたのだが、ちょうど昼食時のために満席で諦めたお店。この日は、映画が終わっていった時には午後一時半くらいだったので入ることが出来た。ランチとしてはちょっと高めだけれど(私たち庶民にとっては)、今年初めてのことだったので「たまにはいいよね」とお互いに確認して入店。期待に違わず、どのお料理も心を込めた丁寧な仕事と感じたし、何よりもとても美味しかった。美味しいもの食べて、良い映画や音楽を聴いて、楽しいおしゃべりをして、今年も何とか良い一年にしようねとTさんと約束をした。
2019年01月28日
コメント(4)
この日はお餅つきの予定だったが、息子たちの都合で次の日になったため、急遽札幌シネマフロンティアにシネマ歌舞伎を観に行くことにした。9時15分からの上映だったのだが、お正月休みの最終日のせいかものすごく混んでいて、その上「野田版 鼠小僧」の残席わずかの表示が出ている。ひょっとすると見れないかもと思ったけれど、何とか残席5席の状態でチケットを購入することが出来た。しかし買えたのは最前列で、座ってみるとスクリーンを見上げる状態。まあ、見ることが出来るだけでよしとする。『野田版 鼠小僧』作品紹介作・演出:野田秀樹平成15年8月歌舞伎座において大ヒットとなった舞台です。現代演劇界を代表する奇才、野田秀樹の作・演出で、中村勘三郎を始めとする豪華で個性的な俳優たちの競演です。 あらすじ正月、江戸の町では鼠小僧の芝居が大人気。見物客の中で、棺桶屋の三太(さんた)がずる賢く金稼ぎに励んでいます。金にしか興味のない三太は、実の兄が死んでも棺桶屋の出番と喜ぶ始末。その上遺産があると聞いて大はしゃぎ。ところが遺産は善人と評判の與吉(よきち)が相続することに。他人には渡すものかと一計を案じた三太は、兄の死体の替わりに棺桶の中へ忍び込みますが・・・江戸町奉行から幽霊まで、個性溢れる登場人物達を、豪華な顔触れが賑やかに楽しく演じます。 配役稲葉幸蔵/棺桶屋三太:中村 勘三郎若菜屋後家お高:中村 福助與吉:中村 芝翫大岡妻りよ:片岡 孝太郎目明し清吉:中村 勘九郎辺見娘おしな:中村 七之助長屋の娘お新:坂東 新悟辺見勢左衛門:中村 獅童番頭藤太郎:坂東 彌十郎辻番人與惣兵衛:坂東 吉弥辺見妻おらん:中村 扇雀大岡忠相:坂東 三津五郎今は亡き中村勘三郎が、舞台を八面六臂の大活躍。最前列で見ているので、その汗のしぶきが飛んでくるのではないかと思うほど。もともとの鼠小僧の話はよく知らないのだけれど、クリスマスの時期に上演されることを考えてだろうが「三太」をサンタにかけていたり、あちこちにユーモアとペーソスと風刺満載で息つく暇もない。あらためて勘三郎の凄さを感じるとともに、三津五郎や獅童もとてもいい味を出していたし、福助や七之助も素晴らしい演技を見せてくれている。私は特に、七之助の芸幅の広がりを感じて、これからがいよいよ楽しみと思った。いずれにせよ、どの役者もとても生き生きと楽しんで迫力ある舞台を一丸となって作っていることが伝わってきた。私が気になったのは、子役として出ていた清水 大希君。どうも歌舞伎役者の家の子ではないなと帰宅してから調べたら、現在の中村鶴松君。どのような経緯で歌舞伎の舞台に立つことになったのかわからないが、昨年末の中村屋のドキュメンタリー番組で彼の必死の修行風景を見て、今後が楽しみだなと思った鶴松君である。シネマ歌舞伎で勘三郎や三津五郎の元気な姿を見るたびに、本当に惜しい人を亡くしたと思うけれど、着実に若手が成長していることに希望も感じている。中村勘九郎は今年の大河ドラマ「いだてん」の主役に抜擢され、その兄役で獅童も出演。二人とも大好きなのでとても楽しみだ。
2019年01月03日
コメント(2)
シネマ歌舞伎「ふるあめりかに袖はぬらさじ」をいつもの友人と観に行った。『ふるあめりかに袖はぬらさじ』作品紹介 有吉佐和子の手になる本作は、昭和47年名古屋中日劇場の文学座公演で、杉村春子のお園ほかの配役で初演されました。昭和63年には杉村春子の当たり役であったお園役を坂東玉三郎が受け継ぎ、以後、繰り返し上演されて来た名作舞台です。 そして、平成19年12月歌舞伎座公演では、ついに歌舞伎として初上演され、坂東玉三郎渾身の演技(九度目の芸者・お園)、豪華キャスト競演で大評判となりました。玉三郎の演技には、驚きと共に感動するばかりであった。この役をもう30年近くも演じていたと知りさもありなんと思ったのだが、彼だけではなく今は亡き中村勘三郎や坂東三津五郎や、中村獅童、中村七之助等々、それぞれの役者の演技に笑ったり泣いたりの二時間半であった。毎月の「月一歌舞伎」を楽しみにしているのだが、次の作品は「野田版 鼠小僧」。これもぜひ見たいものだと思ったが、何と12月29日(土)~2019年1月 4日(金)ですって。私が一年中で一番忙しい年末年始じゃないですか。何とか1月4日にはいけるかもと、かすかな望みをつないでいます。
2018年11月15日
コメント(0)
「みんなの学校」というドキュメンタリー映画を観た。そこは大阪の公立「大空小学校」。大阪市立大空小学校。大阪市住吉区にある公立小学校。2012年度の児童数・約220人のうち、特別支援の対象となる数は30人を超えていたが(通常学級数6・特別支援学級7)、すべての子供たちが同じ教室で学ぶ。教職員は通常のルールに沿って加配されているが、地域の住民や学生のボランティアだけでなく、保護者らの支援も積極的に受け入れた「地域に開かれた学校」として、多くの大人たちで見守れる体制を作っている。学校の理念は「すべての子供の学習権を保障する学校をつくる」であり、不登校はゼロ。唯一のルールとして“自分がされていやなことは人にしない 言わない”という「たったひとつの約束」があり、子供たちはこの約束を破ると“やり直す”ために、やり直しの部屋(校長室)へとやってくる。テレビ版「みんなの学校」の放送後には全国各地から、支援を必要とする子どもたちが数多く、校区内へと引っ越している。(公式HPより)とにかく、このような学校が存在するのだということに感動した。学校の原点や学びあうということの意味がストレートに伝わってくる。この映画に出てくる木村泰子校長の著書を読み、学校教育への希望を抱くこともできた。「みんなの学校」が教えてくれたこと学び合いと育ち合いを見届けた3290日著/木村泰子 著/島沢優子 この学校のような取り組みが、日本に広がってほしいと心から願っている。
2018年08月25日
コメント(0)
札幌シネマフロンティアで、シネマ歌舞伎「大江戸りびんぐでっど」をいつものシネマ歌舞伎仲間Tさんと観る。『大江戸りびんぐでっど』作品紹介 宮藤官九郎が手掛けた新作歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』は、制作が発表されるとたちまち話題騒然となりました。江戸時代に現れた"ぞんび"が、人間の代わりに派遣社員として働くという奇抜なアイデアに始まり、音楽・向井秀徳、衣裳・伊賀大介、道具幕デザイン・しりあがり寿など、異色の才能が歌舞伎座に集結。流行りの一発芸から下ネタ、ヒップホップにゾンビテイストを加えたダンスなどのエンタテインメント性のみならず、社会問題となっている派遣切りも題材にし、現代の歌舞伎が誕生しました。 あらすじ時は江戸時代、処は大江戸。くさや汁を浴びた死人が"存鼻(ぞんび)"として生き返った。人に噛みつき増え続ける"ぞんび"に江戸の町は大騒ぎ。くさやの名産地新島出身の半助は、くさや汁を体に塗ることで彼らを従わせることに成功する。想いを寄せるお葉と共に、何と人間の代わりに"ぞんび"を働かせる人材派遣会社「はけんや半助」を起業する。"ぞんび"は文句も言わずに人間の嫌がる仕事を安く請け負い、商売は大繁盛となった。しかしやがて派遣に仕事を奪われた人間たちが現れ、切っても死なない派遣"ぞんび"VS失業者の争いが始まろうとしていた。 歌舞伎でこんなこともできるんだと、あらためてビックリ。古典的な歌舞伎が好みの人にはちょっと引いてしまうかもしれないが、歌舞伎を知らない若い人たちには「歌舞伎って面白い」と思えるかもしれない。私はとっても面白かった。今は亡き三津五郎や勘三郎のはじける姿を見て、本当に惜しい人たちを亡くしたと改めて思う。メチャクチャな動きのように見えるけれど、そこは修行を積んだ人たちの集団。役者たちも(多分)存分に楽しみながらも、歌舞伎役者ならではのせりふ回しや動きが見事だった。それにしても、宮藤官九郎って凄い人なんだと思う。どこからこんなアイディアがわいてくるんだろう。現代の世相への批判をこんな形で表現するなんて、感心するばかり。それに、「人間って何だろう」「生きるって、死ぬって何だろう」など、人間や人間社会の根源的な問題も笑いながら考えさせられる。それにしてもこの作品は、「シネマ歌舞伎だからこそ良くわかる」作品かもしれない。歌舞伎座でこれを見たら、はたして今回ほど楽しめただろうか。
2018年08月17日
コメント(4)
昨夜は、夫の希望でチケットを買ってあった鼓童の公演を体感してきた。(「見てきた」でもなく、「聴いてきた」でもないので、「体感」とした)鼓童公演に足を運ぶのは多分三回目。以前の感想を書いていないかとブログを探したらみつからない。ということは、15年以上も前のことか?それとも、単に書いていないだけだったのだろうか。やはり、コンサートなどは行ったことだけでも書いておこうと思い、とりあえず記録と少しの感想を。私は打楽器が好きだ。打楽器は楽器の原点みたいなものだろう。きっと人類誕生の瞬間から、嬉しい時には人は手をたたき、足を踏み鳴らし、それでも足りずに手近にある棒などを打ち鳴らしたりしたんじゃないだろうか。次第に良い音が出るものを探し、やがて太鼓の原型ができたんじゃないかと想像する。鼓童の太鼓の音は私の全身と共鳴しあい、心も体も振るわせてくれた。以前に見た時よりも格段に洗練された演出になっているように感じたが、あまり演出過剰にならず、日本の縄文時代を感じさせるような泥臭さも大切にしてほしいとも思った。とにかく、全身全霊で太鼓を打つ姿は美しい。楽しいリズムの時にはじける笑顔も美しい。幅広い年齢の仲間たちが、心を一つにしている姿も美しい。そこには、私利私欲も損得もなく、ただ良い演奏をするだけに集中している。前から五列目だったので、団員一人一人の表情も汗の輝きも直接感じることが出来た。隣に座っていたのは、まだ小学生の男の子。食い入るように見つめている姿から、その感動や驚きが伝わってきた。きっとこの子は、今日から鼓童や太鼓が大好きになるだろう。ひょっとすると、十数年後にはこの舞台に立っているかも。
2018年07月27日
コメント(2)
久しぶりに札幌シネマフロンティアで、シネマ歌舞伎「東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖」を見てきた。映画を見るときは、いつも長年うつ病で療養中のTさん。彼女は障がい者手帳を持っているので、美術館・博物館・映画などに一緒に行くと私は「介助者」として割引や時には無料にもなるのだ。別にそれが目当てで彼女と一緒に行くわけではなく、少しでも楽しい時間を共にしたいし、それで少しでも彼女に笑顔の時が増えたならいいと願ってのことである。そして彼女もまた、観たり聴いたりすることが好きな人だし、私が少しでも割引になることで彼女の精神的負担が軽くなるという一石三鳥くらいなのだ。さて、今回もとても面白かった。歌舞伎は古典物もいいけれど、私は新作歌舞伎は好きである。何といっても、歌舞伎や昔の風俗習慣や古い物語に精通していなくても、現代的な要素がふんだんにあるので、歌舞伎になじみのない人でも十分に楽しめる。『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』作品紹介 弥次郎兵衛 喜多八 宙乗り相勤め申し候原作:十返舎一九構成:杉原邦生脚本:戸部和久脚本・演出:市川猿之助歌舞伎座の夏芝居の風物詩として好評を博してきた『東海道中膝栗毛』。平成二十八年歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」ではお伊勢参りの途中でラスベガスにまで行ってしまうという新たな弥次喜多の物語が上演され話題となり、翌年にはシネマ歌舞伎として公開されました。そんなお馴染みの二人が活躍する今回の物語は歌舞伎座で殺人事件に巻き込まれていく推理劇!弥次さん喜多さんのお騒がせコンビが奇想天外な謎に挑む、"やじきた"初のミステリーを映画館の大スクリーンでお楽しみください。あらすじお伊勢参りから江戸へと戻った弥次郎兵衛と喜多八。伊勢までの道中で一文無しとなった二人は、仕方なく歌舞伎座でのアルバイトを再開します。劇場では連日大入り満員で芝居は大盛り上がり。しかし、舞台裏では俳優の悪い噂が流れ不穏な空気が。一方、弥次喜多の二人は相変わらずの失敗続き、怒られてばかりの日々。そんなある日、舞台で殺人事件が発生!弥次喜多の二人は犯人として疑われてしまい・・・配役弥次郎兵衛:市川 染五郎(現・松本 幸四郎)喜多八:市川 猿之助大道具伊兵衛:中村 勘九郎女医羽笠:中村 七之助座元釜桐座衛門:市川 中車天照大神:市川 笑也瀬之川伊之助:坂東 巳之助中山新五郎:坂東 新悟玩具の左七:大谷 廣太郎芳沢綾人:中村 隼人女房お蝶:中村 児太郎舞台番虎吉:中村 虎之介伊之助妹お園:片岡 千之助伊月梵太郎:松本 金太郎(現・市川 染五郎)五代政之助:市川 團子瀬之川亀松:中村 鶴松芳沢小歌:市川 弘太郎瀬之川如燕:市川 寿猿芳沢菖之助:澤村 宗之助芳沢琴五衛門:松本 錦吾若竹緑左衛門:市川 笑三郎同心古原仁三郎:市川 猿弥同心戸板雅楽之助:片岡 亀蔵鷲鼻少掾:市川 門之助関為三郎:坂東 竹三郎歌舞伎って、本当に変幻自在・融通無碍でなんでもありのことが可能な演劇だ。それを演じる人たちは幼い頃から歌舞伎役者になるための修行を積み重ねているので、若くても所作や発声、身のこなしなどがしっかりしているので、どんなにお笑いの要素が多くてもとても美しく品がある。そこに私はいつも感動するのである。歌舞伎役者のどなたかが言っていた、「しっかり型を学び、それを破ることが本当の型破り」という言葉を思い出す。今回は歌舞伎座での殺人事件の謎解きというミステリー仕立てだったので、大道具などのからくりも紹介するなど、色々な意味で興味深かった。また、市川團子(市川中車の息子)と松本 金太郎(現・市川 染五郎で現在の松本幸四郎の息子)という少年コンビも大事な役で登場しており、彼らの今後も楽しみである。来月は「刺青奇偶(いれずみちょうはん)」なのだけど、中村勘三郎、市川玉三郎、片岡仁左衛門がでるとなれば、何としても観たいものだ。
2018年06月15日
コメント(4)
昨日は、札幌市のわくわくホリデーホールで開催されたザ・ニュースペーパー公演の昼の部を楽しんできた。このコント集団公演を始めてみたのはいつだっただろうと、自分のブログを確認。ブログに登場するのは2009年11月08日 で、この日のブログでは「昨年に続き二度目」と書いているので、ちょうど10年前に見たのが最初だと思う。最初に登場したのは、足の長~い大谷翔平君。このコント集団も今年で30周年ということで、最初からのメンバーもそのぶんだけ年齢を重ね、チームリーダーの渡部又兵衛さんは、今回は体調が悪く休演とのこと。前回見た時も、仲間に支えられて歩いていたり、最初から椅子に腰かけた状態で登場したりだったので、今回の「休演」とのアナウンスにとても心配になっている。毎日のニュースをネタに、日々台本を更新するのは又兵衛さんだと聞いていたので、体調不良の時は誰が考えているのだろうか。それでも、休憩なしの二時間はたっぷりと笑わせてもらった。風刺のきいた物まねコントは、かなりきわどいことをストレートに表現するので、痛快この上ない。その内容についてはここで書いてもわからないでしょうから、興味のある方はぜひ本物をご覧ください。今回は又兵衛さんがお休みなので、「さる高貴なご一家の大奥様」は別の人が演じていたが、これは遠目に見るとさるご一家のご夫婦に見えてくるのではまり役になるのでは?30年と言うことで昔の映像も流れたけれど、「そういえばそんなことがあった」と思ったりして、私たちは本当に忘れっぽいなあと思った。これだもの、「時間稼ぎをしているうちに国民は飽きて忘れる」と政治家に思われても仕方ないかも。ニュースペーパーの批判精神は、右も左も上も下もない。そこが本当に痛快で、かつ絶妙なバランス感覚とも思う。とにかく久しぶりに、腹筋を使い涙を流して笑わせていただいた。皆さん、どうぞいつまでも元気で私たちを笑わせてくださいね。
2018年04月15日
コメント(4)
昨日は、友人に勧められた「永遠のジャンゴ」を、妹を誘って観てきた。私はジャンゴ・ラインハルトという人を全く知らなかったので、事前にネット等でこの人について調べたり、映画の公式ページを見ては行ったのだが、映画を見て読んで知ることの限界を感じたともいえる。一言でいえば、第二次世界大戦中にジプシーの天才ギタリストジャンゴがどのように生き延びたかということなのだが、ジプシーについてもこの映画を通して改めて知ることになった。ジプシーにも様々な民族があり、近年はジプシーが差別用語になっていて、「ロマ」と称されていることが多いそうだが、それはロマ人以外の民族を無視していることになるとか…。ジプシーが日本で差別用語になった経緯は、やはりドイツのホロコーストが要因になっているのだろうか。他の国々でもジプシーは差別用語なのだろうか。あのナチスの時代、ユダヤ人はもとより精神障碍者や同性愛者なども虐殺の対象になっていたのは知っていたが、ジプシーもその対象だった。映画は、ジプシー狩り→ジャンゴのフランスでの演奏という場面から始まる。最初は「ジプシー狩り」とは考えなくて、ジャンゴの子ども時代のことだろうかと思ったのだが、見終わってから「多分ジプシー狩り」の場面だったのだろうと思ったのだが、違っていたらゴメンナサイ。ジャンゴは映画の中で、「ジプシーは戦わないんだ」「あれはよそ者の争いだ」ということを言っていたが、そんな彼とその家族や仲間が、よそ者の争いに巻き込まれるばかりか命を狙われる。また彼は言っていた。「音楽なんか知らない。音楽が俺を知ってるのさ」と。そうだろうなあ、本当に音楽に愛されているから、二本の指が使えなくなっても素晴らしい演奏で人々(敵も味方も)を感動させたのだもの。とにかく、その演奏シーンは鳥肌が立つほど素晴らしかった。ジャンゴ役の人はギタリストなのかと思ったけれどそうではないらしく、本当に演奏しているのかどうかはわからないけれど、そのような超絶演奏テクニックを再現できるなんて驚くばかりである。それにしても、ナチスが彼らに課した演奏の条件は、素人の私が聞いても「どんな演奏を聞きたいんだ?」というもので、それが事実だとしたら笑っちゃうしかない。でも、多分事実だったんだろうね。「みんなが聞きたい音楽で、家族を養っているだけ」という言葉もあったな。私の従来のジプシーのイメージは、音楽や踊りや占いなどで糧を得ながら、自由に旅をする人たちというのどかなもので、(流浪の民という表現も知っていたが、私がのんびりなせいかあまり悲しいイメージではなかったのだ)ひょっとするとジャンゴが自分たちの生き方というか、アイディンティティ―もそうありたいと思っていたのだろうか。しかし、現実は歴史的にみてもやはり差別の対象だったみたいだし、定住せず国を持たない民族の悲惨さは、今もちっとも変わらない。まだ調べてはいないのだが、現在ジプシーの大半を占めているというロマ人の人たちはどうしているのだろう。最後に演奏されるレクイエムは、逃亡前にジャンゴが教会でパイプオルガンを奏でて、その時ハミングで作曲したものを仲間がメモで書き留めたもの。ハミングしながら「ここは弦楽器」「ここはコーラス」などと呟くものを、小さな手帳に書いていたと思うが、あれをちゃんと五線譜にできたのだろうかと、とにかく驚くばかりだった。が映画で演奏されているのだが、きっとジャンゴが天上からウォ-レン・エリスにハミングで伝えたんだろう。とりあえず、映画の感想はここまで。書いてあるジャンゴの言葉は、私の記憶によるものなので正確ではないと思うが、だいたいそんな感じと理解していただければと思います。
2018年02月10日
コメント(6)
ショコラさんからお勧めされたシネマ歌舞伎。やっと見ることが出来た。随分前からその存在は知っていたけれど、今まで積極的に見ようとは思っていなかったのが正直なところ。このところ、映画を見るときにいつも誘うのがTさんなので、今回も彼女を誘った。実は、彼女は障がい者手帳を持っているので、映画や美術館に一緒に行くと割引になる。もちろん割引のためだけではなく、彼女自身が一緒に行くことを喜んでくれるので、「一石二鳥」なのだ。さて、今回の演目は「京鹿子娘五人道成寺/二人椀久」。いやー、予想以上に素晴らしかった。この舞台に登場する俳優たちのインタビューや、楽屋裏の様子などもちりばめられて、それぞれのこの舞台への思いや努力が伝わってくる。このようにして伝統は継承され、この舞台のためにどれほどの人たちが汗を流し、それぞれの立場で精進を重ねているかがヒシヒシと伝わってくる。ショコラさんが教えてくれたように、映像で編集されているからそれぞれの表情もアップで見ることができ、舞台上での俳優たちの阿吽の魂の交流なども感じられる。それに、劇場だと三味線、浄瑠璃、笛や太鼓の人たちの表情などを見ることは少ないのだけれど、これもアップで写されることがあるので、その真剣なまなざしなどにも感動した。これほど多くの人たちが精魂込めて作り上げる舞台だからこそ、歌舞伎に詳しくない人でも感動できるのかもしれない。私が最初に見た時はまだ10代で、歌舞伎なんて見たこともなかったけれど、わけがわからないままにとても感動したのはそのせいかもしれないと思った。それにしても坂東玉三郎ってやっぱりすごい女形なのだろう。インタビューで同じ舞台に立つ勘九郎、七之助、中村虎太郎、中村梅枝それぞれが、玉三郎と同じ舞台に立つ感動や緊張、その中で学ぶ喜びを語っていた。人が人に何かを伝えるということは、こういうことなのだなと思った。伝えたい人がいて教わりたい人がいる。その真剣な交流の中にこそ、本当の学びがあるのだろう。きっと、主役級の人だけではなく大勢のお坊さん役の俳優たちも、それぞれに真剣に学んでいるのだろう。歌舞伎俳優にとっては、この舞台そのものが修行の場であり道場なのだろうな。それにしても、歌舞伎の若手たちは続々と育っている。今後が楽しみである。次は「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」が上映されるとか。2月の1週間だけの上映なのだが、大好きだった中村勘三郎が出演しているので、ぜひ見たいと思っている。
2018年01月23日
コメント(4)
昨夜午後10時からの「疾風怒涛の"KABUKI"者、市川海老蔵でござりまする」を見た。私は、劇場で見る機会は少ないのだが、歌舞伎は好きである。最初に見たのは、18歳だったと思う。当時、東京の短大に在学していて寮生活をしていた。その寮で、コンサートやミュージカル、歌舞伎などに、希望者が申し込んで行く機会があった。はじめて歌舞伎座に足を運んだ時の感動や衝撃が、今も心に残っている。はっきりいって、イヤホンガイドなくては内容もまったくわからないのだけれど、とにかく美しかった。どの場面を切り取っても絵になるような美しさ、多分相当に重たい衣装を着ているはずなのに、軽やかに舞い、動き回り、早変わりをしている。そして、初めて見る女形の幻想的な美しさ。その瞬間から、私は歌舞伎が気になるようになっていた。その時にとても印象に残った人は、あの坂東玉三郎だった。彼は私と同じ年の生まれだから、初めて見た時は18歳だったのだな。とにかく、この世のものとは思えないほど美しいと感じてしまったし、何色の衣装だったかは忘れてしまったが、そこだけ光輝いていたような気がする。それから、上京した時には幕見席で歌舞伎を見たりしたりもしたが、回数はさほど多くはない。以後、その都度マイブームの役者はいたのだけれど、今のマイブームは中村兄弟と海老蔵さんである。彼に最初注目したのは、大河ドラマの『武蔵 MUSASHI』だったと思う。(当時は新之助)まだ独身でやんちゃ坊主のように感じていた彼が、その資質や歌舞伎の土台を生かして素晴らしい武蔵を演じていた。かつて玉三郎に感じたような、突き抜けたオーラを放っているような気がした。お父様が白血病で亡くなった時の彼の姿も印象的だった。自分の精神状態を制御して、自分の務めを果たすことのできる力があると、とても頼もしく感じた。しかし、あの大きな後ろ盾であり師匠でもある父を亡くして、そのプレッシャーはいかほどのものかと思っていた。さらに彼には試練が続く。最愛の妻であり、唯一心を許せて弱みを見せられたであろう麻央さんの死である。幼い二人の子の父として、必死に努めている姿が昨夜の番組の中にあった。見る前は、多分私は泣いてしまうかもと思っていたのだが、実は泣くことはなかった。強い感動の場面はいくつかあったのだが、泣きたい思いを耐えながら必死に支えあう家族の姿に、私の涙の壺も制御されてしまったようだ。このように人は試練を乗り越えていけるのだ。家族とはこのようなものなのだ。親が子に伝えるということは、このようなことなのだ。私たち庶民とは違う世界のように感じられてしまう歌舞伎役者の家庭のありようは、とても普遍的なものだと感じていた。歌舞伎が時代を超えて庶民に愛され支持されているのは、このような普遍性の中で紡ぎだされる芸術だからなのだ。そんな思いを強くしたドキュメンタリーであった。これからは、麗禾ちゃんと勸玄君の成長が楽しみである。もちろん、海老蔵のさらなる進化も楽しみなのだが、市川家はどうも短命の歴史があるようなので、それだけが心配である。多分、彼自身もそれを意識しているのではないだろうか。だから、疾風怒涛のように先へ先へと進めるだけ進もうという気持ちではないだろうか。市川家の歴史を塗り替えて、長生きしてほしいと願っている。
2018年01月09日
コメント(11)
昨日は三年ぶりに、ザ・ニュースペーパー札幌公演に行ってきた。今回は、知人三人を誘っての札幌行き。一時からの公演だったので、近くの丸井デパートでランチをする。最近は、特に政治関係の話題満載な日々で、ニュースネタになりそうな人も沢山なので、どんな人が登場するかとランチしながら予想しながらの食事。いやー、笑いました。おなかの筋肉が痙攣を起こしそうになりながら、涙を流して大笑い。久しぶりにバカ笑いをしてしまった。それにしても、こんなに笑いのネタになるような政治ってどうなんでしょう。そういえば、幕が上がる前に「よくわからない話があっても、忖度してお笑いください」だって。やっぱり、今年は忖度にふりまわされ、明け暮れ、そして笑っちゃう年になりそう。もう少しで国会中継が始まるけれど、きっと昨日のネタと被ってしまって笑っちゃうんじゃないかな。そうそう、登場人物は本当に盛りだくさんでしたね。国会関係、東京都知事関係、アメリカ大統領も北朝鮮の金正恩、パンダの赤ちゃんやヒアリ、それからあの高貴なご一家には海の王子も仲間入り。将棋のひふみんや藤井君も出てきましたよ。ですから、メンバーは1人何役もこなすわけで、ハァーすごいすごい、お疲れ様。途中で何の役をやっているのか混乱しないのかな。これらのネタ作りは、やっぱり又兵衛さんが中心になって書いているのかな。どうぞお体を大事にして、いつまでも笑わせてください。次はいつ行けるのかな。
2017年07月24日
コメント(4)
「恵庭事件」と聞いてピンとくる人は、今では少数派だと思う。恵庭事件の肩すかし判決から50年、恵庭事件を扱った映画が製作され、昨日北大の「日本平和学会」の一環として上映されたので、行ってみました。映画上映会会場は講堂ではなくて、視聴覚教室のような場所。私は迷ったら困るので少し早目に行ったので椅子に座れたけれど、130人の定員に最終的には立ち見などでぎっしりだったから、その倍くらいは集まったのではないだろうか。実は私は、自衛隊の駐屯地がある地域に住んでいる。この裁判があった時に私は中学生だったと思うし、判決時には高校生だったはずだが、その当時この裁判のことが学校等で話題になった記憶がない。同級生には野崎兄弟と同じ酪農家もいるし、自衛隊員の子どももいるから、社会科の先生も授業で触れることができなかったのだろう。大人たちはそれぞれの立場で思うことはあっただろうが、少なくても私は親からも聞いたことがないと思う。ということで、恵庭事件については全く知らぬままに大人になった。その後、同じ北海道内での「長沼ナイキ事件」の時には成人していたので、多分その頃恵庭事件についても知ったのではなかろうか。それでも、恵庭事件裁判も長沼ナイキ訴訟の時も、新聞などで気にする程度で詳しくはわからなかった。この映画会ことを新聞で知った時、最近の安倍首相の言動を見て危機感があるので、やはりこの事件や裁判について知っておきたいなという気持ちで会場に向かった。映画は裁判についての再現シーンも多く、野崎兄弟のやむにやまれぬ行為が訴えられ、全国から200名を超える弁護団が結成されたことも、なぜ野崎兄弟が無罪になったのかも知ることができた。映画上映が機器の不具合で遅れたため、最後の野崎さんのお話が尻切れトンボになってしまい、ちょっと残念だった。ところで、この映画は「憲法を武器として 恵庭事件知られざる50年目の真実」です。50年目の真実は何か、私でなくとも気になるところでしょう。その裁判の時の辻三雄裁判長が、娘さんにその裁判のことをお話しになっていたのです。最高裁の方から「憲法判断をしないように」というようなことを。最高裁からのお達しということは、時の政権の関与があったのではないでしょうか。きっと悔しかったことだろうと思うし、納得もできなかったのでしょう。だからこそ娘さんに遺言のように話したと思うし、その娘さん(名前は失念)は「私の使命だと思う」と涙ながらに語ってくれたのでしょう。50年前の事件だけれど、これは間違いなく「今」の問題でもあるでしょう。この映画は、今のようなご時世ではなかなか上映は難しいのかもしれないとも思うが、どうぞ自主上映でもいいから多くの人たちに見てもらいたいと思った。今検索したら、昨日の参加者のブログがあったので、参考までに。映画「憲法を武器として~恵庭事件 知られざる50年目の真実」を見るこれも、関連ブログ苫小牧ロケ最新情報!「恵庭事件~50年目の真実」(仮)フェイスブックもありました。その時の弁護団の一人、内藤功氏(弁護士・元参議院議員)のインタビュー記事もありました。内藤氏は映画にも登場しています。憲法9条をめぐる攻防とこれからの課題(1)
2017年07月03日
コメント(2)
昨日は、友人とサッポロファクトリーで「この世界の片隅に」を観てきた。実は彼女は、もう半年近くも「うつ病」で入院中で、現在もご主人の付き添いがなければ外出も外泊もできない。彼女は広島出身なので、以前に話をした時にこの映画が観たいと言っていたので、Sさん御夫婦と一緒に映画を観て、ランチをしていろいろ話をしてきた。Sさんは私より少し若いのだが、本当に切ない体験を繰り返してきた。辛抱強くやさしい性格で、繊細だが天然なところもある人だ。映画の主人公のすずさんを見ていて、彼女と重なり合うところがあった。映画は期待通りというか、ある意味では期待以上だったかもしれない。自分の住む地域、社会、国の変化にかかわらず、ご飯を食べて洗濯して、家族に気を配ることを続けながら、与えられた環境の中で自分の居場所や役割を大切に紡ぐ生活。どんな過酷な環境や運命の中であっても、人は生きてゆく。生きてゆかなくてはならない。そんなことが、ほのぼのとした画面やエピソードの中から立ち上ってくる。この映画が大ヒットしているということは、どういうことだろうとも思った。映画が始ままる前に、色々な映画の「予告編」があるが、その中にはこれ以上は無理とも感じるような刺激的な映像も多い。ひょっとすると、そんな刺激的・絶望的なものに対しての揺り戻しかもしれないな。映画についての細々とした感想は別にして、Sさん御夫婦と食事をしながらゆっくり話せたことはとてもよかった。彼女も、映画から色々なことを思い出したり、今までのことや入院仲間の話など、色々と話をしてくれた。うつ病というものは再発を繰り返すことが多いのだが、彼女もまた、重症化するきっかけとなった時期になるとフラッシュバックで不安定になる。そんな妻を支えているご主人の心身面のことも、私には気がかりである。何とかもう少し元気になって欲しい。そして、何とか寿命を生ききって欲しい。それが彼女にとっては、生きるよりも苦しい時があったとしても、何とかしのぎながら生きて欲しい。それが私の切なる願いだ。日頃は食欲がわかず、時には食事が喉を通らないというのだが、いつも私や親しい人と会うときには、会話をしながらよく食べることができる。そんなわけで、一緒におしゃべりやランチ、映画や絵画鑑賞などの機会を持ち、月に一度でも楽しい時間をと思っているのだが…。今回は少し入院が長引いていて、体力が随分低下してしまったという。早く春になって、外を散歩できるようになるといいけれど…。蛇足だが、多分大通り・すすきの周辺は雪祭りで混雑しているのだろうが、サッポロファクトリーはガラガラだった。そんなこともあり、映画もランチものびのびゆっくりできました。行きも帰りも、地下鉄やJRは混雑してたけれど。
2017年02月10日
コメント(2)
千歳空港ビルにある「ソラシネマちとせ」で、公開中の「ハドソン川の奇跡 を観てきた。久しぶりに、映画でハラハラ・ドキドキして、深い感動を感じる映画だった。この飛行機事故のニュースはテレビニュースなどで知っていたけれど、その後、この時の機長がこのようなことになっていたとは、想像もしていなかった。それにしても、あの映像は本当にリアルだった。それだけに、その時の機長をはじめとする様々な人たちの気持ちが胸に迫って来る。機長はもとより、副操縦士、キャビンスタッフ、管制官、そして様々な状況の乗客の人たち…。私もその場に居合わせているような息詰まる気持ちになり、公聴会の時も、ほとんど結果は想像できるのに祈るような思いでスクリーンを見つめていた。最後は、深い感動で久々に映画を観て涙が出た。責任感、使命感、思いやり、助け合い、人を支える言葉や笑顔、緊張感を緩めるユーモアのちから、「いやー、映画って、本当にいいものですね」って誰かの言葉が浮かんでくる。クリント・イーストウッド監督の映画は、いつも感動できる。(とは言っても、全部見ているわけではないけど)この映画館を使ったのは初めてなのだが、空港の駐車場が三時間無料になるので、空港周辺の人たちにはおススメですね。はっきりいって会場はガラガラで、10人もいなかったかな。良い映画が来たら利用したいけれど、予告編で見たいものはなかったな…。
2016年10月06日
コメント(0)
全162件 (162件中 1-50件目)