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2024年03月17日
XML
二日続けて「人の死」に関するドキュメンタリー番組を見た。
どちらも再放送だったのね。
どちらもたまたま途中からだったのが残念。
↓こちらは文句なく感動した。
番組の中で内藤医師が語っていた
「在宅医療は目的はないんですよね。私がやりたいことは、病院から引き戻すことではなくて、本人が、家族が、安心して命に寄り添えてその人の尊厳を守れるところで過ごしてほしい。それがダメなら人生の最期を看取ることは辛い作業にしかなりません」に、心から納得と共感が出来た。


​「いのち」に寄り添う医師が模索する、"究極の在宅医療"とは
誰にもいつかは訪れる「死」。できれば医療に管理されるのではなく、我が家で最期を迎えたい。そう願う人のために病状や環境、家族や周囲の人間関係までも配慮した在宅ホスピスを実践するのは、山梨県・甲府に小さなクリニックを構える医師・内藤いづみ。10月6日放送のドキュメンタリー番組『情熱大陸』では、老衰で人生の幕を閉じようとしている94歳の女性とその家族を通じて、内藤が実践する「在宅ホスピス」の現場に密着。数多くの命に寄り添い、患者の望む“最期の瞬間”を見つめてきた内藤が目指す、究極の在宅医療とは――。

本人と家族が安心して命に寄り添える環境を
内藤が甲府にクリニックを開設して24年。午前中に診療を終えると、白衣を脱いで往診に出る日々を続けている。一日に訪ねる家は3、4軒。自宅で終末期治療を望む高齢者の体調を定期的にチェックし、必要なら薬で痛みなどをやわらげるのが主な仕事だ。

これまで、様々な患者とその家族に出会ってきた。例えば、治療よりも畑仕事をしたいと願っていた大腸ガンの男性。吐血して緊急入院することもあったのに、「帰る。ここには俺の見たいものは何もない。風景も、食べたいものも。」と言ったそうだ。

我が家の窓から八ヶ岳を眺め、家族とペットと過ごす日常を選んだ男性は、こう口にしたそうだ。
「自分で大根を育てて、ふろふき大根を食べられるかな...」
内藤の務めは、ただ寄り添い痛みを和らげること。
男性はその後、自らの手で大根を収穫し、穏やかに旅立っていった。

(内藤)
「私がやりたいことは、病院から引き戻すことではなくて、本人が、家族が、安心して命に寄り添えてその人の尊厳を守れるところで過ごしてほしい。それがダメなら人生の最期を看取ることは辛い作業にしかなりません」

死亡診断書は、人生の卒業証書
研修医時代。回復の見込みのないガン患者が、患者の意志にかかわらず無機質な病院のベッドで人生の最期を迎える医療の在り方に、内藤は疑問を感じていた。

イギリス人男性と結ばれ、夫の転勤によって移住したホスピス医療の本場・イギリスで、自分が目指していた終末期医療を見つける。そこはホスピス発祥の地。病を得ても最期まで自分らしい生き方を貫ける医療に触発され、クリニックを開業した。

往診に出るとき、内藤はバッグにいつも死亡診断書を忍ばせている。無味乾燥に思えるたった1枚の紙だが、ある思いを込めていた。

(内藤)
「その人の最期のところに関わったときに、私たちが見たものって様々なものじゃないですか。この人の人生を終えたっていうのは、人生の卒業証書だと思うんです。」

卒業証書を受け取るのは、患者に付き添った人。
内藤は、残された者にこそ卒業証書の意味があると考えている。

(内藤)
「家族も自分の命削ったくらいの思いで付き添うので、本当によく付き添いましたね。だから、代理で受け取ってくださいって」

患者だけでなく、その家族も支える医療
5年ほど往診を続けている患者がいる。今村久子さん、94歳。重い病こそないが、体調の浮き沈みは激しかった。が、内藤の顔を見るなり「先生、うれしいです。ようこそ」と表情に花を咲かせた。

娘3人に恵まれた久子さんは、以前から自分の老い先を見据えていた。10年前に娘に託した1枚の便箋には、久子さん自らしたためた「延命治療 お断り」の力強い文字。天命をあるがままに受け入れる覚悟で、内藤を頼りにしていた。

穏やかな日は、長くは続かなかった。体調が悪くなると、次女の家に姉と妹が寝泊まりし、交代で母親の世話をする。家族が抱え込む負担は大きいが、それでも、家の中でしか分かち合えない濃密な家族の時間がある。内藤は、訪問するたび家族へ何度も声をかけた。

「みんなよく頑張ってる」「倒れないようにね」

久子さんが、寝たきりになり食事を口にしなくなって20日に経った日。
内藤は家族に訪問入浴のサービスを勧めた。
入浴は時として体への負担になりかねないが、今なら大丈夫。医師の直感だった。
シャンプーをしてもらう久子さんは、気持ち良さそうな優しい表情を浮かべる。

(娘)「垢が取れて、顔が白くなったみたい。本当にありがとうございます。」

見守る娘さんたちの頬も緩む。

(内藤)「お風呂は大成功でしたね。良かったって顔を(家族に)見てもらうのが大事。私たちも嬉しいですよね」

そして、6日後の朝。
久子さんがその生涯に幕を下ろした。

(娘たち)
「産んでくれてありがとうね」「幸せだったよ」

そこにあるのは、悲しみだけではない。内藤が何より大切にしている最後の仕事。久子さんの死が決して喪失でないことを残された家族に伝えなければ。そんな思いを託して書く「卒業証書」を、娘さんに手渡す。
(内藤)
「本当に、女性陣がみんな頑張って、無事送り届けた。でも生きたように死ねない。苦しんだり。今村さんの場合、本当に性格のまま、生きたように旅立ったなってみんなが噛み締めてる。私としても、ちょっと役目を果たせたかな」

内藤は語る。
「私自身が、究極的には医師という隣人になりたいというか。身近な心許せる存在になりたい」

医師という隣人を求める人々が、今日も内藤いづみを待っている。



次の日は安楽死を取り上げた番組。

​難病に苦しみ続け、スイスでの安楽死を望む女性「早く痛みから解放されたい」​

​​ 「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】

この番組では、スイスでの安楽死を決めて亡くなっていった女性や、決めて死の直前まで行ったけれど、付き添っていた父の言葉に決意が揺らいで生きることを決めた女性が取り上げられていた。

私はこの人の主張に強く共感している。
自己決定を子どもの頃から鍛えられていない日本人は、周囲の反応や思惑で自分の行動を決める傾向が強い。
ただでさえ、「人に迷惑をかけずに死にたい」という国民性ともいえる。
生きていれば、苦しみや辛さもあるけれど、周囲の人たちの励ましや支えに喜んだり、自分の存在で周囲が学んだり感謝されたりすることも多いはずだ。
それに何より、今は技術の進歩で自分の意志を表現したり、外出したりすることだって意欲次第ではかなりのことができる。
生きていればこその希望や夢や喜びであり、辛さや苦労を乗り越える達成感があるのだ。
安楽死で簡単に自分の命や役割を諦めることになってはいけないと思う。
多くの人が「周囲に迷惑をかけたくないから」とか、「私にはできることや希望がないから」と決めてしまうのは、支援体制の充実とその人の存在そのものの役割を気付いてもらうことで踏みとどまってもらえると思う。
死を選ぶ方法は安楽死だけではない。
体が健康でも将来を悲観し絶望し、自ら自死する人は後を絶たない。
せっかくこの世に生まれたのだから、病や障害があっても自分の人生を諦めないでほしいと強く願っている。

この番組を見ながら思っていたことがある。
重度の障碍があっても諦めず生きようとする人と、「身体的苦痛からの解放など」を求めて安楽死を決める人の違いはどこにあるのだろうかということだ。
ふと思ったのは、どんな人にも役割はあると思えるかどうかではないかということだ。
それは多分、「人とのつながり」と「人間への信頼感」の多寡ではないかと感じている。
私の出会ってきた障害を持つ人達は、誰も死を願っていなかったし、いない。
(多分、辛い時には死を願う時もあっただろうが、それが持続していた人はいなかったように思う)

どの人も誰かの介助や支援がなくては生活が成り立たないけれど、それだけに周囲の人との出会いや支えに心から感謝していた。
そしてその気持ちを自分のできる限りお返ししたいと思っているし、精一杯生きる姿は周囲の人に希望や喜びの意味を伝えてくれている。
そして何より、自分が元気に前向きに生きることが同じような障がいや病を持つ人の希望になってほしいと思い、その活動が新しい支援システムにつながるはずだと信じて行動しているのだ。

私は自ら死を願う人の気持ちを否定することはできない。
そのような選択を全うした人に対しては、「本当にお疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠りください」と手を合わせたい。
しかし、できるだけそのような人が少なくなるようにとも、強く願う。

【追記】
報道特集の記事を今朝見つけたので、リンクした。
それをあらためて読んで、48歳の時にALSを発症した岡部さんの次の言葉に感銘した。

「誰かに生きてほしいと思われていること、誰かに生きてほしいと思うことで、私たちは生きる力や希望を持てるのだと思います。この気持ちを失ったら、この社会はもっと悲惨な出来事が増えるでしょう」
「私たちに限りませんが、人は死にたいなと思うこともあります。
安楽死で死んでいけるような社会を目指すなら、希望をもてる社会ではありません。
安楽死を選ぶのではなく、生きることを選んでほしい―」」





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最終更新日  2024年03月18日 08時33分20秒
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